ゴードン・ベル賞>ノーベル賞
2009年11月29日 お仕事今日の誕生日の花は・・・・・イチョウ
花言葉は・・・・・・・・長寿
イチョウ科の公孫樹ほど身近にある木もなかろう。
大自然とともにあるヒトの生活を多くの面で助けているからであろうと思われる。
屋敷周りや町並みに植えられるのは防火帯の役割であろうか。
またその実は食用、薬効として用いられたからであろうか。
29日昼間のNHKラジオで西川きよしの妻が外国人文化の視点は面白かった。
大阪御堂筋と東京国会周辺との実の扱い方の違いを言っていた。
大阪では人工的に落とすが自然落下の東京は歩くのに大変である。とも。
空気清浄的に植えられてるのでは食用や薬効には使えまい。
道府県の木指定に東京都大阪府さらに神奈川があるのもうなづける。
ドイツでは薬用でも日本では認められていない。
科学的にはインシュリンなどと複合があるようでどうやら成分のひとつであるギンコール酸の分泌量に
要因があるらしい。
当て字からそうだが巨木で花言葉にある長生き樹。
ウエキペデアに教えられたがその実が恐竜の主食であったともある。
随分と繁殖していた時期もあったんであろうか。
揺籃期地球誕生安定ゆえの防火構造樹種の秘密かもしれない。
針葉樹でも広葉樹でもない原始的な平行脈を持ち、二又分枝する。
雌雄異株であるため、雄株と雌株があるが。雌雄の区別は葉の形でできるというのは俗説
植物学的には根拠がないらしい
花期は4~5月。雌花、雄花とも葉が芽吹くと共に出てくる。
実がなるには雄株の花粉による受粉が必要である。
花粉は1km程度離れた雄株からでも飛散してくるという。
種子植物であるイチョウにも精子があることを世界で初めて発見したのは、日本人の平瀬作五郎東大教授。で
、1896年のことである。
現在東京大学小石川植物園に発見のもととなった株が残っており、東大の附属施設である同園のシンボル的存在。
大学の木として東京大学 大阪大学熊本大学が指定しているのも理解できる。
市町村では数限りない
熊本市や山口は理解できるが岡山の笠岡は小野竹橋美術館にしろどこにも目立たぬが
明治神宮外苑のように色づく頃に訪づれば解るのかもしれない。
小春日の最高の日々の日向路にアサクラ嬢の歌うインデアンサマーは
流石に五木寛之作詞にあるゆえ世界共通の時節をあらわしてピッタリである。
ロシア語ではバーブエリアで和訳が怒られそうで年増な女と訳すらしい。
公孫樹は三億年前からあるらしいがこの時期あの落ち葉をバサッッと蹴り上げての所作は
変わらなかったモンだろうか。
蹴散らして まばゆきイチョウ 落ち葉かな
テレビがCMだけには飽き足らず番組でスターたちが付けていたものを売ると言うところまでに成り下がっている。
放送倫理機構BPOだったかその役割を果たしていない。
もっとも事業査定するわけには行かず「税」でなく関係機関の拠出金運営にあるらしい。
下種の爺は拠出資金多ければリンリ機構をも追求はお手上げなんであろう。と実情を嘆く
なんら存在価値はない。
似たようなことがNHKである。
NHKが大河ドラマの後に映像化を訝しがってた作者側の了解がとれ
「坂の上の雲」の秋山兄弟の事前放送の繰り返しにある。
放映前から食傷気味で事前人気盛り上げ策もやりすぐであろう。
制空権なき第一次大戦前であり巨艦大砲主義が勝利を左右した。
ロンドン軍縮会議で議論のテーマは各国が持てる軍艦の船数が熾烈を極め全権の宮崎のヒト・財部大将を悩ました。
自我の力を見据え苦悩の末に帰国すれば天皇が持つ統帥権を侵したと協議は水泡に帰された。
政党間の足の引っ張り合いの議会対策での事で国防の視点が欠けていた。
この傷は大きく進水式なきまま世界一巨艦大和は悲劇のうちに誕生した。
ただ時代は航空戦にあり制空権をどちらが握るかに変化していた。
同じ巨艦を製造するなら軍艦でなく空母にある時期。
この教訓が生かされてない事が見られる。。
歴史の教訓を生かしていないからだ。
事業仕分けでこの国の権威主義のイビツさが表面化した。
政府の27日開催された総合科学会議でスパコン着実に推進とある。
見解の概要は30日公表するらしい。
さすがなり!ノーベル賞軍団・6人衆である。
ただ之も恥も外聞もなき幼さがある。醜すぎてのことが実に可愛い。
スパコンは利権(アレ?正しくヘンカンしないなあ~)理研=理化学研究所が中心となって進めてきた
ひな壇に並んだ野依良治ノーベル賞受賞者がそこの理研の理事長である
何たる利権の理研がらみの胡散臭さ
まさに、理研の利権の田舎芝居。
事業仕分けは仙石大臣のところの行政刷新会議の仕事でどうやら作業が終わり、テレビ、新聞は仕分け結果についてそれぞれ論評している。
日経は4面全面で詳しく報じている。
野党ゆえ自分のしでかしてきたことゆえ手厳しい 谷垣自民党総裁
「血祭りに上げているようで、セレモニーのにおいもしないではない」
共産党の志位和夫委員長
「やり方全体がかなり乱暴だ。時間を区切って、一方的に進める強権的なやり方に国民は危惧を感じている」
東京新聞は2面。
いずれの意見も国民等しく感じていることだろう。
納税者の汗と涙の結晶である尊い税金がどう使われているのか、
透明性を高め、実態を知りたいという思いが国民にはある。
この点で考えれば、ワイドショー、劇場型の今回のやり方は喝采を受けた。
しかし、仕分け人なる人がどんな資格、経験で、わずか一時間で判断できるというのか。
財務省があらかじめ叩き台の資料をつくり、それに沿って作業が進められたと言われている。
官僚政治打破と言って政権交代したのに、実は官僚に使われているというのが、見えないところでの実態ではないか。
公開でやるのなら、財務省から資料が出され、仕分け人がレクチャーを受けるところも公開するべきであり
、それが公平、公正ではないのか。
CIA手先のナベツネ新聞はどうか。
読売新聞3面社説
、「事業仕分け 政治家が責任を持って決定を」
国会議員や民間有識者からなる仕分け人が、公開を意識してパフォーマンス的な言動を繰り返し、各府省の説明担当者を一方的にやり込める場面が相次いだのは見苦しかった。
民間の仕分け人をどういう基準で選んだのか、それも不明なままだった。
鳩山首相は、来年度以降も事業仕分けを続ける意向を表明している。
そうであるなら、説明者側に十分な反論の機会を与え、仕分け人の選任基準を明確化するなど、運営方針の見直しが必要だ。
(中略)
そもそも、事業仕分けでの判定は、最終的なものではない。
判断材料の一つにはなるが、縛られてはなるまい。
今後の予算編成の中で、政治家が責任を持って扱いを決めるべきだ。
政治家の論評も適切である。
ポイントを突いた指摘である
。
政治家の見識、責任が問われるのである。
「面白い政治」ではなく、「良い政治」の実現が、国民のためになる。
小泉政権時代のワイドショー、劇場型政治で日本がどうなったか。
モノ・カネ優先で、心を失ってしまった。
せっかく政権交代したのだから、その二の舞は避けなくてはならない。
お互い等しく考えていこうではないか。
世界でもっとも優れた能力を持ったコンピューターに送られる賞がある
コンピューター界のノーベル賞であるゴードン・ベル賞。
使った予算は3800万円で完成 長崎大助らゴードン・ベル賞
詳しくは記事がある。
http://mainichi.jp/seibu/news/20091127sog00m040008000c.html
安価スパコン:「事業仕分け」どこ吹く風(毎日)
爺らの世代はIT関係がどうにも不得手の世代。
東大総長や6人のノーベル賞学者もこのブンヤの研究成果はないはずで専門分野ではないはず。
ノーベル賞は国民向けの権威を借りたるポーズにすぎない。
「スパコン」使った研究は兎も角も素人に過ぎない。
こと「スパコン」に関しては意見を言うタチバニナイハズだ。
数式で言えば項だとブログで知った。
数のどちらが大小かを示す「>」の記号を何個も付けるところが笑える。
ゴードン・ベル賞>>>ノーベル賞
って事なんでしょうか?
ただでも、喧々諤々なこの話に一石を投じる事は間違いない。
ノーベル賞とはなにか著書と解説がある。
伊東 乾 著日本にノーベル賞が来る理由 朝日新書刊。
73pステルス技術の核心はフェライトだが発明したのは
昭和5年武井武TDK創始者
発明を盗まれてしまったことは技術者には知られているとある。
80p読者が誤解せぬ様に、ブラント首相は西ドイツ連邦の代表としてホロコーストについてのみ謝罪したと書くべきで
詳細はWikiに記載が在る、受賞のきっかけは東西融和を導いたことではないのか。
96p帝国大学は富国強兵のために造られたかのようにとれる表現であるが例えば6番目に作られた朝鮮の京城大学は
法文学部と医学部の二学部が設立され理系の設立は15年以上後で軍事目的で設立されてはいない
”理工学部を中心に見る京城帝国大学の植民史的意味”(李成奎)
、又当時の他の軍事研究も戦後アメリカの技術開発に繋がっていることは閉ざされた中での日本の研究が
いかに独創的であるかを示し閉鎖空間の日本の研究が他国に劣っていた訳ではないことが考慮されていない。
170p優秀な留学生が日本に来ないのは留学生に門戸を開かないからだとしているが
入学した後勉強しなくても卒業させる習慣にその原因が在ることは留学生が語っている、
真に優秀な日本人は東大ではなく欧米に進学していることを考えると戦後の日本の大学を思想を含めて深く考察するべき。
川端康成佐藤栄作については文学賞平和賞がバランスのために存在するかのように暗示する
174p国際社会で超一流の作家となると評価し続いて先駆的な賞であると絶賛する
その大江健三郎が目前の証言者を取材せずに書いた作品や裁判になっていることを考えるとこの賞の位置付けについて
再考察するべき。
武装解除し死刑制度の廃止国境措置を廃し留学生を今以上に(現在7万の中国人を含む12万人)受け入れるとき
ノーベル賞はもっと来ると唱えるが、アメリカに向かって一億人の犠牲など問題ではないと噛み付く隣国に
ペンの力や国際批判など何の役にも立たないことを亡命した人たちが語っている、
賞を欲張って東北アジアを不安定にすることの是非も考慮するべきである。
などなど全体により緻密な考察が必要。
世界金融危機に揺れる2008年秋、日本にノーベル賞ラッシュがやって来た
! 一挙に4人受賞の快挙の背景には、ノーベル財団と国際社会の明確な意思がある。
日本は何をすべきなのか? 湯川秀樹博士以来の16人の受賞者を検証し、
原爆、核開発、ポスト冷戦後のパワーポリティクスを読み解いて話題沸騰の書となっている。、
「対称性の破れ」とその「回復」をキーワード
世界の研究と開発を左右する、「最高権威」ノーベル財団の戦略とは。
オバマ受賞で象徴される。
135p著者の述ぶるところによれば、ノーベル賞の個性はその「企画とメッセージ性」に存し、
本年度4名の日本生まれの方々への授賞は「基礎科学と国際的な学術、文化を支える上で、かつてアメリカが果たした
役割を上回って日本の貢献を期待する」(178頁)という明確な意図を持っているとされる。
60P歴史的には例えば、1949年の湯川秀樹への授賞は「ノーベル物理学賞の選考委員でもある「マンハッタン計画」に責任を
持った多くの物理学者たちの明確な「後悔」と「謝罪」の念が込められています」
とされ、
72P1965年には同計画で「原爆の核弾頭の基礎計算でもっとも力を発揮した」ファインマンと抱き合わせで
朝永振一郎が 1968年にはやはり同計画で「核爆弾の最終的な効果を測定、評価する、直接の担当者でもあった」
アルヴァレズへの物理学賞と同時に文学賞が川端康成に与えられた点などに、配慮されたバランス感覚を読み取っている。
科学技術費用を仕分けしたことに石原都知事まで専門もいなくとか蓮舫議員を批判している。
渦中の「スパコン」開発予算削減の仕分け人は
、“スパコンの申し子”
ゲンダイ11月24日
、「事業仕分けーー蓮舫参院議員らの『スパコン』開発予算削減は当然」なるタイトル記事を載せたところ、
読者から「恥をかくから撤回した方がいい」旨のメールが届いた。
昨日、全国紙一面をカラーで飾ったノーベル学者らの緊急声明の記事を見ると、
確かにそんな気もして来る。
しかし、スパコンの開発予算(268億円)削減を言い出したのは、その分野にド素人の蓮舫参院議員ではない。
仕分け人の第3グループに所属している金田康正・東京大学大学院教授。
この金田氏、国産スパコンを使って20年以上、円周率計算の世界記録を塗り替えてきた、
いわば “スパコンの申し子”といってもいい専門家中の専門家なのだ。
では、なぜ、予算削減なのか?
簡単に言い切ってしまえば、ここでいうスパコン(いわゆる「京速計算機」)は、
もう技術的にはある水準に到達しており、後はカネと手間を掛ければ世界一のものを誕生させれるが、
それは国威発揚にはなっても、採算的には合わないし
、科学技術に役立てるのが第一の目的なら、何も独自開発のスパコンでなければならない必然性もないからだ。
科学技術予算を削減しない約束をしてしまった鳩山総理。。
確かに、技術立国を目指す日本は、科学技術研究に多くの予算をつぎ込むのは当然だ。
世界中が開発にしのぎを削る「スパコン」も、世界一を目指すべきだろう。
なにしろ、日本のスパコンは02年には世界一だったのに、2年半で抜かれ、いまや31位というテイタラク。
しかし、ノーベル賞受賞者に批判されるや、たちまち予算が復活するなんて、こんなバカなことはない。
科学技術の天下り団体のトップを全員ノーベル賞受賞者にしたら、予算は言われるまま満額なのか。
日本の科学技術が世界に後れをとっているのは、なにも予算が足りないからだけではない。
スパコン開発の総事業費は、1230億円という巨額。
科学研究費補助金は、10年で1.4倍に増え、
96年度に始まった「科学技術基本計画」では、「5年間で25兆円」
科学技術予算の中心である「科学技術振興費」は、緊縮財政のなか、例外的に年1.1%ずつ増やされてきた。
社会福祉が容赦なく削られるなかで、科学技術に予算を付け替えてきたのが真相だ。
それでも「スパコン開発」が世界31位に落ち込むなど、日本の科学技術が遅れてしまった原因は何か。
ズバリ、研究の現場である「大学」の質が低いからだ。
どんなに予算をつぎ込もうが、ドブにカネを捨てるようなもの。
成果が上がるはずがない。
学閥がはびこり、閉鎖的な日本の大学は、ハッキリ言って、優秀な人材を殺しているのだ。
「日本の大学の研究室は、教授、准教授、講師、助手と序列が歴然としています。
徒弟制度のような世界。
大学院生や助手が研究しても、論文は教授の名前で提出するということがまかり通っている。
手柄を横取りされてしまうのです。
これでは若手が嫌気を差して当然。
なにより、この研究をやりたいと思っても、教授が許可してくれないと研究費も出ないから、諦めざるを得ない。
能力ある若手ほど、日本の大学に飽き足らなくなるのが確実です」(科学ジャーナリスト・渡辺雄二氏)
将来を期待された優秀な若手研究者が、日本の大学を飛び出し、次々と流出。
、利根川進・米マサチューセッツ工科大教授や、南部陽一郎・シカゴ大名誉教授など、若い頃から留学した研究者が多い。
「消える大学 残る大学」の著書で日米の大学に詳しい桜美林大教授の諸星裕。
「日本はもっと教育に税金を使うべきだと思うが、国立大学は無駄が多い。例えば私大文系は、学生60人に対して教員1人という割合の学校もあるが、
国立大は学生7人対して教員1人です。
なぜ、こんなに非効率なことになっているのか。
ほとんどの国立大が、東大をモデルにして、“研究機関”と“教育機関”という2つの顔を持とうとしているからです。
本来なら、旧帝大は研究機関、地方の国立大は教育機関と、大学ごとに色分けされるべきなのです。
アメリカの大学は、名門私大は研究機関、州立大は教育機関と役割分担している。
だから、日本の研究者が留学するのは、ほとんど私大の名門校です。
少ない財源を効率良く使って日本の科学技術を高めるなら、研究機関に特化した大学に研究予算を投じるべきでしょう。
研究と教育の2つを目指し、虻蜂取らずになっています」
「事業仕分け」に異議を唱えたノーベル賞受賞者たちの背後に、予算獲得を狙う文部科学省がいるのは間違いないが、
正すべきは文科省の“三流”からの脱皮である。
権威に屈して、そのまま予算を認めても、担当官僚と大学が現状のままでは、日本の科学技術の向上など半永久的に望めない。
汎用プロセッサーの能力が飛躍的に向上し、今のパソコンが動画を再生している時などは
30年前のスパコンを上回るほどの演算処理を実行しているという。
そうなると、高性能にもかかわらず商用生産によって低価格を実現している
汎用プロセッサーを多数、並列して用いることによって、
遙かに安価に、電力消費も抑えて、スパコンに必要な性能を使用目的に応じて柔軟に生み出すことが可能になった。
これをスカラー型と呼ぶらしい。
他方 スパコンとは、膨大なデータを扱う科学技術計算などに必要な超高性能のコンピューターのことで、一般的なコンピューターに比べて格段に演算処理能力が高い。
開発史の初期を彩る金字塔とされた米クレイ社の
ベクトル型方式
それに対し日本のITゼネコンであるNEC、日立、富士通は、折からのバブルを背景に惜しみない投資を注いでクレイへの挑戦を開始、
早くも82年には富士通がFACOM VP-100(250M)
、日立がHITAC S-810(630M)
の初の国産大型ベクトル計算機を発表し、
続いて翌83年にはNECが同年のクレイ製品を上回るSX-1、SX-2(1.2G)を生んだ。
以後、約10年間にわたって日米の開発競争が続き、
93年の「TOP500」統計ではスパコンの設置台数で米国の226台に対して
日本は126台。
拮抗するまでには至らないが、欧州各国が(今日に至るまで)スパコンのハード開発に余り関心を示さず、
目的に応じて日米のマシンを購入して自らはソフトの充実に専念してきた中では、
まさに日米で世界市場を二分しようかという勢いだった。
そのため日米スパコン摩擦が激しくなり、米政府が日本に圧力をかけてクレイ社のスパコンを買わせるといった事態も生んだ。
しかしこの日米対抗状態は、そう長く続かなかった。
1つには技術的な変化で、パソコンやワークステーションに搭載される
そうなると、高性能にもかかわらず商用生産によって低価格を実現している
汎用プロセッサーを多数、並列して用いることによって、
遙かに安価に、電力消費も抑えて、スパコンに必要な性能を使
用目的に応じて柔軟に生み出すことが可能になった。
これをスカラー型。
ところが大艦巨砲型のマシンの開発を巨費をかけてやっているのだ。
目的によっては有用であり、金さえ湯水の如く費やせば作って作れないことはない
、そのためにベクトル型のNEC技術も(スカラー型とのハイブリッドなどの形で)役に立つこともあるかもしれない。が、
ITゼネコンNo.1のNECへの遠慮か配慮かは分からぬが、文科省がそれにしがみついたことが戦略的混迷をもたらし
、世界の技術潮流に乗り損なう結果となったのは事実である。
28日日経は12面でNEC研究員150名を配転、営業職ナゾにまわすとの記事がある。
実質的事業主体でさえスパコン戦争はこの情況である。
総理は理研やノーベル賞6人衆に負けず国民に訴えれば理解できることのハズだ。
29日朝6時TBSの日曜放談で竹村元官房長官
「コンピュターのことは良くわかりませんがバッサリ科学技術予算を切るのはノーベル賞学者が言ってるようにいけません。」
オイおい!
いけないのは不勉強のお前だろう。
巨費を投じて開発スル情況化にはなかろう
テレビに向かって突っ込みを入れている。
↓ ↓ ↓
http://blog.with2.net/link.php?62076
↑ ↑ ↑
・よ・ろ・し・く
花言葉は・・・・・・・・長寿
イチョウ科の公孫樹ほど身近にある木もなかろう。
大自然とともにあるヒトの生活を多くの面で助けているからであろうと思われる。
屋敷周りや町並みに植えられるのは防火帯の役割であろうか。
またその実は食用、薬効として用いられたからであろうか。
29日昼間のNHKラジオで西川きよしの妻が外国人文化の視点は面白かった。
大阪御堂筋と東京国会周辺との実の扱い方の違いを言っていた。
大阪では人工的に落とすが自然落下の東京は歩くのに大変である。とも。
空気清浄的に植えられてるのでは食用や薬効には使えまい。
道府県の木指定に東京都大阪府さらに神奈川があるのもうなづける。
ドイツでは薬用でも日本では認められていない。
科学的にはインシュリンなどと複合があるようでどうやら成分のひとつであるギンコール酸の分泌量に
要因があるらしい。
当て字からそうだが巨木で花言葉にある長生き樹。
ウエキペデアに教えられたがその実が恐竜の主食であったともある。
随分と繁殖していた時期もあったんであろうか。
揺籃期地球誕生安定ゆえの防火構造樹種の秘密かもしれない。
針葉樹でも広葉樹でもない原始的な平行脈を持ち、二又分枝する。
雌雄異株であるため、雄株と雌株があるが。雌雄の区別は葉の形でできるというのは俗説
植物学的には根拠がないらしい
花期は4~5月。雌花、雄花とも葉が芽吹くと共に出てくる。
実がなるには雄株の花粉による受粉が必要である。
花粉は1km程度離れた雄株からでも飛散してくるという。
種子植物であるイチョウにも精子があることを世界で初めて発見したのは、日本人の平瀬作五郎東大教授。で
、1896年のことである。
現在東京大学小石川植物園に発見のもととなった株が残っており、東大の附属施設である同園のシンボル的存在。
大学の木として東京大学 大阪大学熊本大学が指定しているのも理解できる。
市町村では数限りない
熊本市や山口は理解できるが岡山の笠岡は小野竹橋美術館にしろどこにも目立たぬが
明治神宮外苑のように色づく頃に訪づれば解るのかもしれない。
小春日の最高の日々の日向路にアサクラ嬢の歌うインデアンサマーは
流石に五木寛之作詞にあるゆえ世界共通の時節をあらわしてピッタリである。
ロシア語ではバーブエリアで和訳が怒られそうで年増な女と訳すらしい。
公孫樹は三億年前からあるらしいがこの時期あの落ち葉をバサッッと蹴り上げての所作は
変わらなかったモンだろうか。
蹴散らして まばゆきイチョウ 落ち葉かな
テレビがCMだけには飽き足らず番組でスターたちが付けていたものを売ると言うところまでに成り下がっている。
放送倫理機構BPOだったかその役割を果たしていない。
もっとも事業査定するわけには行かず「税」でなく関係機関の拠出金運営にあるらしい。
下種の爺は拠出資金多ければリンリ機構をも追求はお手上げなんであろう。と実情を嘆く
なんら存在価値はない。
似たようなことがNHKである。
NHKが大河ドラマの後に映像化を訝しがってた作者側の了解がとれ
「坂の上の雲」の秋山兄弟の事前放送の繰り返しにある。
放映前から食傷気味で事前人気盛り上げ策もやりすぐであろう。
制空権なき第一次大戦前であり巨艦大砲主義が勝利を左右した。
ロンドン軍縮会議で議論のテーマは各国が持てる軍艦の船数が熾烈を極め全権の宮崎のヒト・財部大将を悩ました。
自我の力を見据え苦悩の末に帰国すれば天皇が持つ統帥権を侵したと協議は水泡に帰された。
政党間の足の引っ張り合いの議会対策での事で国防の視点が欠けていた。
この傷は大きく進水式なきまま世界一巨艦大和は悲劇のうちに誕生した。
ただ時代は航空戦にあり制空権をどちらが握るかに変化していた。
同じ巨艦を製造するなら軍艦でなく空母にある時期。
この教訓が生かされてない事が見られる。。
歴史の教訓を生かしていないからだ。
事業仕分けでこの国の権威主義のイビツさが表面化した。
政府の27日開催された総合科学会議でスパコン着実に推進とある。
見解の概要は30日公表するらしい。
さすがなり!ノーベル賞軍団・6人衆である。
ただ之も恥も外聞もなき幼さがある。醜すぎてのことが実に可愛い。
スパコンは利権(アレ?正しくヘンカンしないなあ~)理研=理化学研究所が中心となって進めてきた
ひな壇に並んだ野依良治ノーベル賞受賞者がそこの理研の理事長である
何たる利権の理研がらみの胡散臭さ
まさに、理研の利権の田舎芝居。
事業仕分けは仙石大臣のところの行政刷新会議の仕事でどうやら作業が終わり、テレビ、新聞は仕分け結果についてそれぞれ論評している。
日経は4面全面で詳しく報じている。
野党ゆえ自分のしでかしてきたことゆえ手厳しい 谷垣自民党総裁
「血祭りに上げているようで、セレモニーのにおいもしないではない」
共産党の志位和夫委員長
「やり方全体がかなり乱暴だ。時間を区切って、一方的に進める強権的なやり方に国民は危惧を感じている」
東京新聞は2面。
いずれの意見も国民等しく感じていることだろう。
納税者の汗と涙の結晶である尊い税金がどう使われているのか、
透明性を高め、実態を知りたいという思いが国民にはある。
この点で考えれば、ワイドショー、劇場型の今回のやり方は喝采を受けた。
しかし、仕分け人なる人がどんな資格、経験で、わずか一時間で判断できるというのか。
財務省があらかじめ叩き台の資料をつくり、それに沿って作業が進められたと言われている。
官僚政治打破と言って政権交代したのに、実は官僚に使われているというのが、見えないところでの実態ではないか。
公開でやるのなら、財務省から資料が出され、仕分け人がレクチャーを受けるところも公開するべきであり
、それが公平、公正ではないのか。
CIA手先のナベツネ新聞はどうか。
読売新聞3面社説
、「事業仕分け 政治家が責任を持って決定を」
国会議員や民間有識者からなる仕分け人が、公開を意識してパフォーマンス的な言動を繰り返し、各府省の説明担当者を一方的にやり込める場面が相次いだのは見苦しかった。
民間の仕分け人をどういう基準で選んだのか、それも不明なままだった。
鳩山首相は、来年度以降も事業仕分けを続ける意向を表明している。
そうであるなら、説明者側に十分な反論の機会を与え、仕分け人の選任基準を明確化するなど、運営方針の見直しが必要だ。
(中略)
そもそも、事業仕分けでの判定は、最終的なものではない。
判断材料の一つにはなるが、縛られてはなるまい。
今後の予算編成の中で、政治家が責任を持って扱いを決めるべきだ。
政治家の論評も適切である。
ポイントを突いた指摘である
。
政治家の見識、責任が問われるのである。
「面白い政治」ではなく、「良い政治」の実現が、国民のためになる。
小泉政権時代のワイドショー、劇場型政治で日本がどうなったか。
モノ・カネ優先で、心を失ってしまった。
せっかく政権交代したのだから、その二の舞は避けなくてはならない。
お互い等しく考えていこうではないか。
世界でもっとも優れた能力を持ったコンピューターに送られる賞がある
コンピューター界のノーベル賞であるゴードン・ベル賞。
使った予算は3800万円で完成 長崎大助らゴードン・ベル賞
詳しくは記事がある。
http://mainichi.jp/seibu/news/20091127sog00m040008000c.html
安価スパコン:「事業仕分け」どこ吹く風(毎日)
爺らの世代はIT関係がどうにも不得手の世代。
東大総長や6人のノーベル賞学者もこのブンヤの研究成果はないはずで専門分野ではないはず。
ノーベル賞は国民向けの権威を借りたるポーズにすぎない。
「スパコン」使った研究は兎も角も素人に過ぎない。
こと「スパコン」に関しては意見を言うタチバニナイハズだ。
数式で言えば項だとブログで知った。
数のどちらが大小かを示す「>」の記号を何個も付けるところが笑える。
ゴードン・ベル賞>>>ノーベル賞
って事なんでしょうか?
ただでも、喧々諤々なこの話に一石を投じる事は間違いない。
ノーベル賞とはなにか著書と解説がある。
伊東 乾 著日本にノーベル賞が来る理由 朝日新書刊。
73pステルス技術の核心はフェライトだが発明したのは
昭和5年武井武TDK創始者
発明を盗まれてしまったことは技術者には知られているとある。
80p読者が誤解せぬ様に、ブラント首相は西ドイツ連邦の代表としてホロコーストについてのみ謝罪したと書くべきで
詳細はWikiに記載が在る、受賞のきっかけは東西融和を導いたことではないのか。
96p帝国大学は富国強兵のために造られたかのようにとれる表現であるが例えば6番目に作られた朝鮮の京城大学は
法文学部と医学部の二学部が設立され理系の設立は15年以上後で軍事目的で設立されてはいない
”理工学部を中心に見る京城帝国大学の植民史的意味”(李成奎)
、又当時の他の軍事研究も戦後アメリカの技術開発に繋がっていることは閉ざされた中での日本の研究が
いかに独創的であるかを示し閉鎖空間の日本の研究が他国に劣っていた訳ではないことが考慮されていない。
170p優秀な留学生が日本に来ないのは留学生に門戸を開かないからだとしているが
入学した後勉強しなくても卒業させる習慣にその原因が在ることは留学生が語っている、
真に優秀な日本人は東大ではなく欧米に進学していることを考えると戦後の日本の大学を思想を含めて深く考察するべき。
川端康成佐藤栄作については文学賞平和賞がバランスのために存在するかのように暗示する
174p国際社会で超一流の作家となると評価し続いて先駆的な賞であると絶賛する
その大江健三郎が目前の証言者を取材せずに書いた作品や裁判になっていることを考えるとこの賞の位置付けについて
再考察するべき。
武装解除し死刑制度の廃止国境措置を廃し留学生を今以上に(現在7万の中国人を含む12万人)受け入れるとき
ノーベル賞はもっと来ると唱えるが、アメリカに向かって一億人の犠牲など問題ではないと噛み付く隣国に
ペンの力や国際批判など何の役にも立たないことを亡命した人たちが語っている、
賞を欲張って東北アジアを不安定にすることの是非も考慮するべきである。
などなど全体により緻密な考察が必要。
世界金融危機に揺れる2008年秋、日本にノーベル賞ラッシュがやって来た
! 一挙に4人受賞の快挙の背景には、ノーベル財団と国際社会の明確な意思がある。
日本は何をすべきなのか? 湯川秀樹博士以来の16人の受賞者を検証し、
原爆、核開発、ポスト冷戦後のパワーポリティクスを読み解いて話題沸騰の書となっている。、
「対称性の破れ」とその「回復」をキーワード
世界の研究と開発を左右する、「最高権威」ノーベル財団の戦略とは。
オバマ受賞で象徴される。
135p著者の述ぶるところによれば、ノーベル賞の個性はその「企画とメッセージ性」に存し、
本年度4名の日本生まれの方々への授賞は「基礎科学と国際的な学術、文化を支える上で、かつてアメリカが果たした
役割を上回って日本の貢献を期待する」(178頁)という明確な意図を持っているとされる。
60P歴史的には例えば、1949年の湯川秀樹への授賞は「ノーベル物理学賞の選考委員でもある「マンハッタン計画」に責任を
持った多くの物理学者たちの明確な「後悔」と「謝罪」の念が込められています」
とされ、
72P1965年には同計画で「原爆の核弾頭の基礎計算でもっとも力を発揮した」ファインマンと抱き合わせで
朝永振一郎が 1968年にはやはり同計画で「核爆弾の最終的な効果を測定、評価する、直接の担当者でもあった」
アルヴァレズへの物理学賞と同時に文学賞が川端康成に与えられた点などに、配慮されたバランス感覚を読み取っている。
科学技術費用を仕分けしたことに石原都知事まで専門もいなくとか蓮舫議員を批判している。
渦中の「スパコン」開発予算削減の仕分け人は
、“スパコンの申し子”
ゲンダイ11月24日
、「事業仕分けーー蓮舫参院議員らの『スパコン』開発予算削減は当然」なるタイトル記事を載せたところ、
読者から「恥をかくから撤回した方がいい」旨のメールが届いた。
昨日、全国紙一面をカラーで飾ったノーベル学者らの緊急声明の記事を見ると、
確かにそんな気もして来る。
しかし、スパコンの開発予算(268億円)削減を言い出したのは、その分野にド素人の蓮舫参院議員ではない。
仕分け人の第3グループに所属している金田康正・東京大学大学院教授。
この金田氏、国産スパコンを使って20年以上、円周率計算の世界記録を塗り替えてきた、
いわば “スパコンの申し子”といってもいい専門家中の専門家なのだ。
では、なぜ、予算削減なのか?
簡単に言い切ってしまえば、ここでいうスパコン(いわゆる「京速計算機」)は、
もう技術的にはある水準に到達しており、後はカネと手間を掛ければ世界一のものを誕生させれるが、
それは国威発揚にはなっても、採算的には合わないし
、科学技術に役立てるのが第一の目的なら、何も独自開発のスパコンでなければならない必然性もないからだ。
科学技術予算を削減しない約束をしてしまった鳩山総理。。
確かに、技術立国を目指す日本は、科学技術研究に多くの予算をつぎ込むのは当然だ。
世界中が開発にしのぎを削る「スパコン」も、世界一を目指すべきだろう。
なにしろ、日本のスパコンは02年には世界一だったのに、2年半で抜かれ、いまや31位というテイタラク。
しかし、ノーベル賞受賞者に批判されるや、たちまち予算が復活するなんて、こんなバカなことはない。
科学技術の天下り団体のトップを全員ノーベル賞受賞者にしたら、予算は言われるまま満額なのか。
日本の科学技術が世界に後れをとっているのは、なにも予算が足りないからだけではない。
スパコン開発の総事業費は、1230億円という巨額。
科学研究費補助金は、10年で1.4倍に増え、
96年度に始まった「科学技術基本計画」では、「5年間で25兆円」
科学技術予算の中心である「科学技術振興費」は、緊縮財政のなか、例外的に年1.1%ずつ増やされてきた。
社会福祉が容赦なく削られるなかで、科学技術に予算を付け替えてきたのが真相だ。
それでも「スパコン開発」が世界31位に落ち込むなど、日本の科学技術が遅れてしまった原因は何か。
ズバリ、研究の現場である「大学」の質が低いからだ。
どんなに予算をつぎ込もうが、ドブにカネを捨てるようなもの。
成果が上がるはずがない。
学閥がはびこり、閉鎖的な日本の大学は、ハッキリ言って、優秀な人材を殺しているのだ。
「日本の大学の研究室は、教授、准教授、講師、助手と序列が歴然としています。
徒弟制度のような世界。
大学院生や助手が研究しても、論文は教授の名前で提出するということがまかり通っている。
手柄を横取りされてしまうのです。
これでは若手が嫌気を差して当然。
なにより、この研究をやりたいと思っても、教授が許可してくれないと研究費も出ないから、諦めざるを得ない。
能力ある若手ほど、日本の大学に飽き足らなくなるのが確実です」(科学ジャーナリスト・渡辺雄二氏)
将来を期待された優秀な若手研究者が、日本の大学を飛び出し、次々と流出。
、利根川進・米マサチューセッツ工科大教授や、南部陽一郎・シカゴ大名誉教授など、若い頃から留学した研究者が多い。
「消える大学 残る大学」の著書で日米の大学に詳しい桜美林大教授の諸星裕。
「日本はもっと教育に税金を使うべきだと思うが、国立大学は無駄が多い。例えば私大文系は、学生60人に対して教員1人という割合の学校もあるが、
国立大は学生7人対して教員1人です。
なぜ、こんなに非効率なことになっているのか。
ほとんどの国立大が、東大をモデルにして、“研究機関”と“教育機関”という2つの顔を持とうとしているからです。
本来なら、旧帝大は研究機関、地方の国立大は教育機関と、大学ごとに色分けされるべきなのです。
アメリカの大学は、名門私大は研究機関、州立大は教育機関と役割分担している。
だから、日本の研究者が留学するのは、ほとんど私大の名門校です。
少ない財源を効率良く使って日本の科学技術を高めるなら、研究機関に特化した大学に研究予算を投じるべきでしょう。
研究と教育の2つを目指し、虻蜂取らずになっています」
「事業仕分け」に異議を唱えたノーベル賞受賞者たちの背後に、予算獲得を狙う文部科学省がいるのは間違いないが、
正すべきは文科省の“三流”からの脱皮である。
権威に屈して、そのまま予算を認めても、担当官僚と大学が現状のままでは、日本の科学技術の向上など半永久的に望めない。
汎用プロセッサーの能力が飛躍的に向上し、今のパソコンが動画を再生している時などは
30年前のスパコンを上回るほどの演算処理を実行しているという。
そうなると、高性能にもかかわらず商用生産によって低価格を実現している
汎用プロセッサーを多数、並列して用いることによって、
遙かに安価に、電力消費も抑えて、スパコンに必要な性能を使用目的に応じて柔軟に生み出すことが可能になった。
これをスカラー型と呼ぶらしい。
他方 スパコンとは、膨大なデータを扱う科学技術計算などに必要な超高性能のコンピューターのことで、一般的なコンピューターに比べて格段に演算処理能力が高い。
開発史の初期を彩る金字塔とされた米クレイ社の
ベクトル型方式
それに対し日本のITゼネコンであるNEC、日立、富士通は、折からのバブルを背景に惜しみない投資を注いでクレイへの挑戦を開始、
早くも82年には富士通がFACOM VP-100(250M)
、日立がHITAC S-810(630M)
の初の国産大型ベクトル計算機を発表し、
続いて翌83年にはNECが同年のクレイ製品を上回るSX-1、SX-2(1.2G)を生んだ。
以後、約10年間にわたって日米の開発競争が続き、
93年の「TOP500」統計ではスパコンの設置台数で米国の226台に対して
日本は126台。
拮抗するまでには至らないが、欧州各国が(今日に至るまで)スパコンのハード開発に余り関心を示さず、
目的に応じて日米のマシンを購入して自らはソフトの充実に専念してきた中では、
まさに日米で世界市場を二分しようかという勢いだった。
そのため日米スパコン摩擦が激しくなり、米政府が日本に圧力をかけてクレイ社のスパコンを買わせるといった事態も生んだ。
しかしこの日米対抗状態は、そう長く続かなかった。
1つには技術的な変化で、パソコンやワークステーションに搭載される
そうなると、高性能にもかかわらず商用生産によって低価格を実現している
汎用プロセッサーを多数、並列して用いることによって、
遙かに安価に、電力消費も抑えて、スパコンに必要な性能を使
用目的に応じて柔軟に生み出すことが可能になった。
これをスカラー型。
ところが大艦巨砲型のマシンの開発を巨費をかけてやっているのだ。
目的によっては有用であり、金さえ湯水の如く費やせば作って作れないことはない
、そのためにベクトル型のNEC技術も(スカラー型とのハイブリッドなどの形で)役に立つこともあるかもしれない。が、
ITゼネコンNo.1のNECへの遠慮か配慮かは分からぬが、文科省がそれにしがみついたことが戦略的混迷をもたらし
、世界の技術潮流に乗り損なう結果となったのは事実である。
28日日経は12面でNEC研究員150名を配転、営業職ナゾにまわすとの記事がある。
実質的事業主体でさえスパコン戦争はこの情況である。
総理は理研やノーベル賞6人衆に負けず国民に訴えれば理解できることのハズだ。
29日朝6時TBSの日曜放談で竹村元官房長官
「コンピュターのことは良くわかりませんがバッサリ科学技術予算を切るのはノーベル賞学者が言ってるようにいけません。」
オイおい!
いけないのは不勉強のお前だろう。
巨費を投じて開発スル情況化にはなかろう
テレビに向かって突っ込みを入れている。
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