横槍,に屈せず
2005年7月23日マダムさんブログの世界ってホント展開が意外な方向に走り、怖いですよね。所詮マイ・日記心の叫び、新文化は取り扱いが難しい。
私なんぞは太陽光発電工事の電気工事ができるとの肝いりで共に作業してた人から監督署に訴えられています。
実際は電気工事資格者ではありませんでした。
2月8日から3月末までかかわっててただけなのに未払い賃金としてのものです。
電気職人の単価は日額で支払いが通常なのにその資格さえないのにそれ以上の40万支払いされてるのこれである。
このブログにも書き込みをされ困ってましたし今もその恐怖に怯えています。
しかし私は筆を折らずにいまだ頑張っております。
攻撃的なものから身を守る方法なるものがありましたのでご一別をください。
http://nikkeibp.jp/netbiz/success/050720_success8/
じつに素晴らしきブログで感激して拝見させていただいておりますが休載されるのではとハラハラどきどきでしたが無事乗り切られたようですね。その寛容さにも頭が下がります極めて優れたるブログさらに世渡り術に感服です。
私もかって下関の大和町5丁目に縁がありました。
大体長州の人は世渡りがヘタの部分があるようですよネ。
ご一新前の朝敵までもなっての蛤御門の変。そのごの生き抜き術のすべ。
テレビ・フジは24時間で只今おかしくもないお笑い番組の無駄な資源を浪費してますがどこが可笑しいのかさえわからない。
これが歴史になるなら現代人に責任がありましょう。
エノケン、ロッパ、にキンゴロウが喜劇王と世の中は評価してる
日本のチャップリン喜劇王の名をほしいままにしてる榎本健一。
ここでも清水金一ことシミキンをはずしている。
何はさておき、歌って踊れ、笑いが取れる当時のNO1は二村定一をおいてほかにはない筈、
わたしのカラオケの持ち歌のレパートリーにも含まれてる。
君恋しは戦後フランク永井でリバイバル化されヒットしました。
昭和4年ごろゆえの世相だから歌が生きるのです。
これでは作詞者の時雨音羽が泣いてることでしょう。
二村定一の君恋しは当時20万枚のレコードを売り上げた驚異的数字がある。
「日本男性流行歌手第一号」としての地位はこの人のためにある。下関なる地理的有意性が耳学問を幼くして育て、母の義太夫芸妓が生きたのであろう。
忍び寄る15年戦争突入時の最後の輝く日本。
働くもののすべを書いた小林多喜二が虐殺され、進歩的大学教授が追われる。
この歌は不思議な場面にも使われている。
時代を風刺した同じ浅草出身の渥美清演じる「拝啓天皇陛下様」という映画の中では許される歌だったのでしょう。
ハチャめちゃのエログロ・ナンセンスの世相でしか知識人は暗い世相を生き抜けなかったのです。
遊郭に「突撃」する、それを迎え撃つバカラシサ。後の国民的英雄の日本人の象徴扱いの寅さんに昇華する渥美の原点である。
その後は青森県下北郡田名部町いまのむつ市の鬼才川島雄三を迎えるまでは灯はともしきれなかった娯楽作品。
落語の居残り佐平次を下敷きにした「幕末太陽傳」
川島は、明大映画研究部を経て昭和13年、松竹に入社。
小津安二郎、野村弘将、木下恵介らの助監督を勤め
昭和19年『還って来た男』(織田作之助原作)で監督デビューを果たす。奇病「進行性筋萎縮症」で早逝、は映画人生みたいである。
斬新、洗練、前衛を極め昭和初期の舞台全盛期に比して戦後にこれ以上の娯楽作品はない。
影響を受けた者に今村昌平、浦山桐郎、中平康、
脚本で師事した者に藤本義一、親交の篤い俳優にフランキー堺、小沢昭一、三橋達也らがあげられる。
小児マヒ患者の為の共同募金「あゆみの箱」は川島の死を悼んだ映画関係者が始めたものでしられる。
果たして嫌がってるのかもしれない。
洒脱と皮肉を愛し、叙情的な慈悲を嫌ってたからでそれが昭和初期のジャズ全盛時の日本娯楽界「であり戦後の川島雄三である。
「ブル」「プロ」「モガ」を吸収した歌は,「神田小唄」「君恋し」「都会交響楽」」「百万円」「ブラブラ・ソング」あげきれない。それはそうであろう。
250曲を超える和製ジャズの数々。
青空をはじめほかにエノケンにパクラれた数々。
アラビアの唄、洒落男.(ゲイ・キャバレロ)乾杯の歌(Stein Song)笑ひ薬.「都会交響楽」
浅草ミュージカルのヒット曲は本来は下関の人、二村定一が評価を受けえるべきである。
ヤクザとつるんだ榎本健一・エノケンが栄光のすべてを受けているにすぎない。
あの塩ガラこえのどこがいい。比べてシミキンや二村定一の芸。
和製ジャズの凄さはすべてにあるが、「百万円」
百万円で学校たてて裸踊りをさせる,それを「面白いですね〜♪」と歌う破天荒。
何故許せたか。二村定一の人柄、キャラクターのなせる業。彼だとなんとも憎めなく、怒った方がなんだか馬鹿馬鹿しくなる,
まさにマダムさんに受け継がれし下関魂。
コロッケの唄ギッチョンチョンぐらいならエノケンにやろう。
永井荷風の諸著作や漱石の落とし子、寺田寅彦の昭和九年『柿の種』に詳しい。
秋の時期にエデッド・ピアフの歌を聞くが如きのものである。
下関市阿弥陀寺町3-14 紅葉館 リードの勤めた瓜生商会の異人館の場所に藤原義江記念館がある。
藤原義江=明治31年〜昭和51年。浅草オペラ全盛期に「戸山英二郎」の名で出演。世紀のテノール歌手。大正7年浅草オペラの世界に入ってスターとなる。
昭和9年「藤原歌劇団」を創立し、日本における本格オペラの推進者となる
スコットランド人を父に下関に生まれ、その間の謎に包まれた事情は、小説で読めばいい。
古川薫の直木賞受賞作「漂泊のアリア」に詳しい。
同じ下関出身の先輩を思うやさしき追憶でもある。
大正6年に新国劇に入団、その後、浅草オペラを経て、9年に渡欧、イタリアで本格的に声楽を学び、10年のロンドンでのリサイタルは大好評。当時の駐英大使吉田茂の尽力もあった。
15年、米国ビクター本社と東洋人としては初めての赤盤歌手として契約を結ぶ。
赤盤とは当時、世界の一流の演奏家にしか許されなかった赤いラベルのレコードの事であり、通常のレコードよりはるかに高額の値段で店頭に並んだ。
日本芸術院賞、紫綬褒章、勲三等瑞宝章
イタリアのコンタトーレ勲章カバリエーレ勲章受賞
琵琶芸者の母の影響があったのは間違いない。
エデッド・ピアフの歌を聞くが如きである。
江戸時代の女流俳人として、加賀の千代女と並び称されるのが田上菊舎(本名道)
京都・江戸方面7回、九州へ4回、奥羽へ1回と広く、封建時代の女性として、これほどの旅をした者は他にいない。
京都宇治の黄檗山万福寺の山門の前に立つ彼女の代表作、
「山門を出ずれば日本ぞ茶摘うた」の句はつとにいい。、
大乗寺(長府金屋町の出身地)の句碑
雲となる花の父母なり春の雨
ふるさとでは心が開いている。
田中絹代、木暮美千代の女優人や軍神乃木希典は後のふさわしきときに触れたいし、
所詮2軍投手で格が違うのに東尾に栄光を与えた、西鉄池永正明のブッキヨウさ
カールセル麻木や山本譲二、杉田優作は語るに足りる時間を持ち合わせていない。
金子みすヾ林芙美子の評価は55年政治体制がなくなって生まれたもの。いずれふれたい。
北郷や延岡に飛んで周り多くの宿題を得た。
明日は長崎からの社屋調査とお客さんの紹介とスケジュールの調整がつかない。
http://blog.with2.net/link.php?62076 ←…クリック
私なんぞは太陽光発電工事の電気工事ができるとの肝いりで共に作業してた人から監督署に訴えられています。
実際は電気工事資格者ではありませんでした。
2月8日から3月末までかかわっててただけなのに未払い賃金としてのものです。
電気職人の単価は日額で支払いが通常なのにその資格さえないのにそれ以上の40万支払いされてるのこれである。
このブログにも書き込みをされ困ってましたし今もその恐怖に怯えています。
しかし私は筆を折らずにいまだ頑張っております。
攻撃的なものから身を守る方法なるものがありましたのでご一別をください。
http://nikkeibp.jp/netbiz/success/050720_success8/
じつに素晴らしきブログで感激して拝見させていただいておりますが休載されるのではとハラハラどきどきでしたが無事乗り切られたようですね。その寛容さにも頭が下がります極めて優れたるブログさらに世渡り術に感服です。
私もかって下関の大和町5丁目に縁がありました。
大体長州の人は世渡りがヘタの部分があるようですよネ。
ご一新前の朝敵までもなっての蛤御門の変。そのごの生き抜き術のすべ。
テレビ・フジは24時間で只今おかしくもないお笑い番組の無駄な資源を浪費してますがどこが可笑しいのかさえわからない。
これが歴史になるなら現代人に責任がありましょう。
エノケン、ロッパ、にキンゴロウが喜劇王と世の中は評価してる
日本のチャップリン喜劇王の名をほしいままにしてる榎本健一。
ここでも清水金一ことシミキンをはずしている。
何はさておき、歌って踊れ、笑いが取れる当時のNO1は二村定一をおいてほかにはない筈、
わたしのカラオケの持ち歌のレパートリーにも含まれてる。
君恋しは戦後フランク永井でリバイバル化されヒットしました。
昭和4年ごろゆえの世相だから歌が生きるのです。
これでは作詞者の時雨音羽が泣いてることでしょう。
二村定一の君恋しは当時20万枚のレコードを売り上げた驚異的数字がある。
「日本男性流行歌手第一号」としての地位はこの人のためにある。下関なる地理的有意性が耳学問を幼くして育て、母の義太夫芸妓が生きたのであろう。
忍び寄る15年戦争突入時の最後の輝く日本。
働くもののすべを書いた小林多喜二が虐殺され、進歩的大学教授が追われる。
この歌は不思議な場面にも使われている。
時代を風刺した同じ浅草出身の渥美清演じる「拝啓天皇陛下様」という映画の中では許される歌だったのでしょう。
ハチャめちゃのエログロ・ナンセンスの世相でしか知識人は暗い世相を生き抜けなかったのです。
遊郭に「突撃」する、それを迎え撃つバカラシサ。後の国民的英雄の日本人の象徴扱いの寅さんに昇華する渥美の原点である。
その後は青森県下北郡田名部町いまのむつ市の鬼才川島雄三を迎えるまでは灯はともしきれなかった娯楽作品。
落語の居残り佐平次を下敷きにした「幕末太陽傳」
川島は、明大映画研究部を経て昭和13年、松竹に入社。
小津安二郎、野村弘将、木下恵介らの助監督を勤め
昭和19年『還って来た男』(織田作之助原作)で監督デビューを果たす。奇病「進行性筋萎縮症」で早逝、は映画人生みたいである。
斬新、洗練、前衛を極め昭和初期の舞台全盛期に比して戦後にこれ以上の娯楽作品はない。
影響を受けた者に今村昌平、浦山桐郎、中平康、
脚本で師事した者に藤本義一、親交の篤い俳優にフランキー堺、小沢昭一、三橋達也らがあげられる。
小児マヒ患者の為の共同募金「あゆみの箱」は川島の死を悼んだ映画関係者が始めたものでしられる。
果たして嫌がってるのかもしれない。
洒脱と皮肉を愛し、叙情的な慈悲を嫌ってたからでそれが昭和初期のジャズ全盛時の日本娯楽界「であり戦後の川島雄三である。
「ブル」「プロ」「モガ」を吸収した歌は,「神田小唄」「君恋し」「都会交響楽」」「百万円」「ブラブラ・ソング」あげきれない。それはそうであろう。
250曲を超える和製ジャズの数々。
青空をはじめほかにエノケンにパクラれた数々。
アラビアの唄、洒落男.(ゲイ・キャバレロ)乾杯の歌(Stein Song)笑ひ薬.「都会交響楽」
浅草ミュージカルのヒット曲は本来は下関の人、二村定一が評価を受けえるべきである。
ヤクザとつるんだ榎本健一・エノケンが栄光のすべてを受けているにすぎない。
あの塩ガラこえのどこがいい。比べてシミキンや二村定一の芸。
和製ジャズの凄さはすべてにあるが、「百万円」
百万円で学校たてて裸踊りをさせる,それを「面白いですね〜♪」と歌う破天荒。
何故許せたか。二村定一の人柄、キャラクターのなせる業。彼だとなんとも憎めなく、怒った方がなんだか馬鹿馬鹿しくなる,
まさにマダムさんに受け継がれし下関魂。
コロッケの唄ギッチョンチョンぐらいならエノケンにやろう。
永井荷風の諸著作や漱石の落とし子、寺田寅彦の昭和九年『柿の種』に詳しい。
秋の時期にエデッド・ピアフの歌を聞くが如きのものである。
下関市阿弥陀寺町3-14 紅葉館 リードの勤めた瓜生商会の異人館の場所に藤原義江記念館がある。
藤原義江=明治31年〜昭和51年。浅草オペラ全盛期に「戸山英二郎」の名で出演。世紀のテノール歌手。大正7年浅草オペラの世界に入ってスターとなる。
昭和9年「藤原歌劇団」を創立し、日本における本格オペラの推進者となる
スコットランド人を父に下関に生まれ、その間の謎に包まれた事情は、小説で読めばいい。
古川薫の直木賞受賞作「漂泊のアリア」に詳しい。
同じ下関出身の先輩を思うやさしき追憶でもある。
大正6年に新国劇に入団、その後、浅草オペラを経て、9年に渡欧、イタリアで本格的に声楽を学び、10年のロンドンでのリサイタルは大好評。当時の駐英大使吉田茂の尽力もあった。
15年、米国ビクター本社と東洋人としては初めての赤盤歌手として契約を結ぶ。
赤盤とは当時、世界の一流の演奏家にしか許されなかった赤いラベルのレコードの事であり、通常のレコードよりはるかに高額の値段で店頭に並んだ。
日本芸術院賞、紫綬褒章、勲三等瑞宝章
イタリアのコンタトーレ勲章カバリエーレ勲章受賞
琵琶芸者の母の影響があったのは間違いない。
エデッド・ピアフの歌を聞くが如きである。
江戸時代の女流俳人として、加賀の千代女と並び称されるのが田上菊舎(本名道)
京都・江戸方面7回、九州へ4回、奥羽へ1回と広く、封建時代の女性として、これほどの旅をした者は他にいない。
京都宇治の黄檗山万福寺の山門の前に立つ彼女の代表作、
「山門を出ずれば日本ぞ茶摘うた」の句はつとにいい。、
大乗寺(長府金屋町の出身地)の句碑
雲となる花の父母なり春の雨
ふるさとでは心が開いている。
田中絹代、木暮美千代の女優人や軍神乃木希典は後のふさわしきときに触れたいし、
所詮2軍投手で格が違うのに東尾に栄光を与えた、西鉄池永正明のブッキヨウさ
カールセル麻木や山本譲二、杉田優作は語るに足りる時間を持ち合わせていない。
金子みすヾ林芙美子の評価は55年政治体制がなくなって生まれたもの。いずれふれたい。
北郷や延岡に飛んで周り多くの宿題を得た。
明日は長崎からの社屋調査とお客さんの紹介とスケジュールの調整がつかない。
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