プレステ3

2007年1月2日
トヨタが世界一になった。
省エネ企業をも世界を支配しつつある。
殆どの日本の企業が自身=自信を取り戻している。

文芸春秋に2月号の企画で、ソニーの中鉢良治社長と立花隆の対談記事がある。
これは異常事態である。
何故か。立花隆のブログから伝えることができる。

「文藝春秋」前月号の新年号に「成果主義がソニーを破壊した」論文の波紋の後である。
ソニーの現状を根底から批判する著者は土井利忠ソニー上席常務(06年4月に退任)
もっとも著者名は天外伺朗のペンネームとなっている。
ソニー土井利忠といえばCDやロボットの「AIBO」の開発者として、つとに有名

ソニーという会社は、
「真面目ナル技術者ノ技術ヲ最高度ニ発揮セシムベキ自由豁達ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設」
を「会社設立ノ目的」にかがげ、実際その通りの、技術者の天国のような会社を作り上げた。
創意工夫あふれる技術的な冒険を試みるというのがソニーの伝統
そういう空気の中から生み出されるユニークな新製品の数々が、ソニーを国際的な大企業に育てあげてきた
ここのところのソニーは技術者たちの心の中から冒険心が失われ、それとともにクリエイティビティが失われ、
その結果、ソニーらしい魅力があふれるユニークな新製品もさっぱり登場してこないということになってしまったという。

アメリカ流の成果主義中心の経営学が幅をきかせるようになったためだという
成果の点数と報酬を直結するような評価システムが導入されたため、技術者たちが萎縮してしまった。
思い切った冒険をすると失敗して点数を落とす可能性がある。
それよりは無難なことだけをしつづけて、点数を落とさないでいるほうがよい人生が送れてよいと考える
無難な点数主義者の会社になってしまったところに、
最近のソニーの失敗の根本原因があるというのが、土井論文のエッセンスである。

自慢の商品の一つであったはずのコンピュータ内蔵リチウム電池が火を吹いた
世界中で960万個もの電池が交換を迫られた。
その費用だけで510億円もの損失を出したという。

プレステ3は、11月11日販売されたが供給が追いつかず、売り切れ店が続出。
世界市場に600万台供給し、年内には400万台を投入する予定が200万台しか手当てできなかった
100万台をアメリカ市場、100万台を日本市場にふりわけ、ヨーロッパ市場は3月まで売り出しを延期することになった。
商機を逸しつつある。
年内に数百万台を売って、一挙に競争相手に差をつけるとしていた計画がポシャった。

プレステ3はハードのメモリによってモデルが2種類あり、20GBモデルは希望小売価格が4万9980円、
60GBモデルは約6万円、オークションでは、世界中ですぐに倍以上の値段がつき、ブラジルでは23万円、国内では39万円の値がついたこともあるという。

プレステ3は本来、もっとずっと高い価格であったが、
任天堂のWiiが2万5000円、マイクロソフトのXbox360が約3万円
を考慮して大幅に売り出し価格を引き下げたので、1台売れるごとにソニーには3万?4万円の赤字が出るといわれている。

ゲーム機本体とソフトさえあればゲームが100%楽しめめるもの出なく周辺機器がいる。
さらに、ゲームソフトがかなり高値(5000円〜7000円)で売られ、ゲームソフト会社は1本売るごとにロイヤルティをソニーに支払うから、ここで帳尻を合わせるわけである。
最近のソニーは、いったいどうなってしまったの?といいたくなるほど、おかしなことが次々に起きている。

ソニーは、プレステ3の開発のために相当の先行投資をしている。の大半が、プレステ3の心臓部を支えている最新の半導体チップ、「セル(cell)」の開発のために投じられた。
その額は5000億円にも及ぶといわれているが、生半可な投資ではない。
1千億円単位の金が回収できないということになると、たしかに、ソニー本体の経営危機につながりかねない問題である。

10年間つづいた出井体制後継の社長は久夛良木副社長(当時)だったハズだ。。
ソニー伝統の冒険心あふれる技術者魂をいちばん持ちあわせていたからだが、そうならなかった。

ソニーで初代プレステからゲーム機の開発を一手にやってきた、ソニー・コンピュータ・エンタテインメント(SCE)社長兼CEOだった久夛良木健が、SCE会長にまつり上げられtた。
、ソニー本体の役職(ついこの間まで副社長)からも一歩身を退く形になった
このことで、一部では、プレステ3が思ったほどうまくいってない状態の責任をとらされたのではないかという観測も流れている。

2003年度から5000億円もの投資がなされた(セル開発には米IBMと東芝が参加した)。それがどれくらいの演算能力を持つチップかというと、258ギガフロップスである。
地球シミュレータを構成する64ギガマシン4台分なのである。
それが小さな一枚のチップになってしまっているのだ。

プレステ3は、“セル”だけでできているのではない。
これに1.8テラフロップスの画像処理専用コンピュータ(GPU)を合わせ持ち、
総合計算能力は2テラフロップス達するのである。
最近日本の産官学の研究拠点にスーパーコンピュータが沢山導入されるようになったとはいえ、2テラのマシンは、そうどこにでもあるというものではない。

ところが、プレステの場合は、月に10万台、100万台というオーダーでそれが量産されつつあるのだ。
スーパーコンピュータがチップになってしまって、それが10万個、100万台個単位で量産される時代になったのだ。

プレステ3をゲーム機としてしか認識していない大多数の人々には、それがどんなに大変なことを意味しているか、いくら説明してもすぐにはわかってもらいないだろうが、社会はこれから、あらゆる領域にスパコンパワーが入りこんでくることで、大激変を起こしていく。

チップになったスパコンを使いこなせるかどうかで、これからの時代、個人も組織も大化けする人と沈む一方の人が出てくる。国家の国力全体がそういう人がどれだけ出てくるかによって左右される時代がやってくるのである。

産業研究に応用可能なチップ
これまでのゲーム機は、たとえば、自動車レースをゲームにする場合、自動車が衝突事故でグシャとつぶれる場合など、実際にはありものの映像をつなぎ合わせてそれらしく見せるだけだ、

プレステ3の場合は、事故の初期条件を与えたら、コンピュータの中で本当に事故を起こしたと同じ映像を物理学の法則に従って、計算によって作り出してしまうことができるのである
。これはゲーム機というより、計算物理シミュレータそのものなのである。

いま、世界の先端的科学技術の世界では、実物実験によって研究されるよりも、はるかに多くの部分が、スパコンのシミュレータによるシミュレーションによって研究が進められている。

ナノサイエンスの世界でも、メガサイエンスの世界でも、バイオの世界でも、ケミストリーの世界でも、みんなそうである。
プレステ3の世界は、それと全く同じことをする(ことができる)世界なのだ。

プレステ3は、ちょっと使い方を変えるだけで、いかなる学術研究も、いかなる産業応用研究も可能なスパコン級シミュレータなのである。
高性能コンピュータは、使い方ひとつで、どのような応用も可能になる。
核兵器の開発にも使える“セル”
“セル”の開発は、日米両国のコンピュータメーカーの共同研究の形で開発された
、アメリカ側がこのチップを利用して何をしようとしているか、ネット情報を検索してみると、こんな話が出ていた。

アメリカのロスアラモス研究所といえば、原水爆の開発研究で知られる国立の核技術研究所だが
、そこではきわめて多くの“セル”を連結して、ペタフロップス(1秒間に1000兆回)級の(世界最大級)のスーパーコンピュータを作り、それを核兵器のシミュレータにする計画が05年からはじまっており、08年には完成させる予定というのである。

プレステ3は、使い方によっては、核兵器の研究にも使えるということである。
北朝鮮系の人がプレステ3を買い集めて本国に送ろうとするかもしれないが、プレステ3はそのあまりの高性能故に北朝鮮等核兵器の研究に転用する恐れがある国に輸出することは最初から禁じられている。

それに、プレステ3さえあれば核兵器シミュレータができるというものではない。
プレステ3のハードよりも、それを利用して核開発をシミュレートするシミュレーションコード(ソフトウエア)が必要である。それなしには、プレステ3もただのゲームマシンにとどまる。
プレステ3がどれほどがとんでもない可能性を秘めたマシンであるかがわかってくるだろう。

ソニーは、プレステ3と“セル”の開発によって、スーパーコンピュータをチップにしてしまった。しかも、その大量生産技術を開発することで、それを安価な部品(チップ)に変えてしまった。しかもそういうチップをアッセンブルした民生用機器を開発してそれを商売にしてしまうというとんでもない新しい技術世界のトビラをいま開こうとしているのだ。

これがうまく展開していくと、ソニーは21世紀の電子産業界で、20世紀にインテルが果たしたような役割を果たすウルトラ級の巨大電子産業になってしまうかもしれない。

「私、スーパーコンピュータのほうはぜんぜんわかりませんので」と中鉢良治社長は文芸春秋での立花隆との会話に、ぜんぜん話に乗ってこない。
そういう可能性を知らないのか、知らないふりをしているのか。
巨大企業の社長たるもの、あまり最先端の夢のような話に乗って、行け行けドンドンで先頭に立って暴走したりしないほうがよいのだろうか。

ソニーの新本社が、いよいよ完成に近づいてきた。
 新本社は、かつて芝浦テクノロジーセンター(通称・芝浦テック)と呼ばれていたソニーの拠点跡地の「新芝浦開発プロジェクト」。

 もともとこの地は、’69年9月に、芝浦工場としてソニーがオーディオ機器の生産拠点を開設した場所。
いわば、ウォークマン発祥の地といってもいい場所だ。その後、’89年8月に芝浦テクノロジーセンターに名称変更。

 建築主は、ソニー生命保険、地下2階、地上20階建てで、高さは99.4m。敷地面積は、18,165平方m、延床面積は、163,745平方mとなる。
最新の省エネルギーシステムなどを導入しているのも特徴だという。
、2007年2月までには移転が完了する
ソニーの本社機能のほか、都心の数10カ所に分散しているソニーグループのオフィスを集約。

また、飲食店などが入居する予定で、新たな一大オフィスビルが誕生することになる。

 2006年5月に創立60周年を迎えたソニーが、記念すべき年に果たす本社移転。第1四半期連結決算も薄型TV「BRAVIA」の好調などに支えられて、好業績となった。

 新本社への移転を機に、ソニーは完全復活を果たすことができるだろうか。

品川駅東口から約600メートルの距離にある新芝浦開発プロジェクト。
コクヨの東京品川オフィスの北側になる 全面ガラスの外観はほぼ完成。
品川駅からはこちちから入るのが便利そうだ 地図のほぼ中央にある「港区」と書かれた場所が現地。現在の本社に比べると、品川駅には圧倒的に近い

メリルリンチや早稲田の大学院などが入る日本橋一丁目ビルディング。
名前はCOREDO日本橋。英語のコア(CORE)と江戸(EDO)を掛けた

5年前に閉店した東急百貨店の跡地にできた地元待望の商業施設だ。
実はこここそ、60年前のソニー発祥の地だった。

「お客様に直接売る場所を充実させる」(出井伸之 会長/ソニー)
系列のソニープラザが出店したのも、大人向けの新しい雑貨のお店。メインターゲットは30代半ばの女性。家具や衣料にも力を入れた。また、閉店時間が早いといわれる日本橋にあって、20以上ある飲食店は夜11時まで営業する。

      「プチッ!」
         の 
      お年玉ください (笑い)  
      ↓ ↓ ↓ ↓
http://blog.with2.net/link.php?62076
       ↑ ↑ ↑ ↑

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索