年越しの器

2006年12月31日
お正月が近づくと11人兄弟のせきやんの父・長男岩雄の家は大騒動。
くわえて日清日露に従軍した長男の祖父の8人の兄弟の叔父叔母。
一族郎党の契の顔合わせの場であった。。]
2日間をかけて年始の親戚を迎え入れた。
松の内までを拡大解釈して旧正月までにはこれらの家々に返礼のお返しに行かねばならぬ
が、とても両親では回りきれぬので手分けして子らに任務が下る。
クルマ、バイク社会の存在しない頃ゆえ、自転車は最高の移動手段。
モミ一俵が積めるつわもの自転車ゆえ、幼子には背は高く重いったらありゃしない。
三角乗りで座るところのサドルは利用価値がない乗り方。
道路は総てといえるほど未舗装の砂利道。
道の中心部が高く平行になってないので困難を極めた。
ところどころにドデカイ石がニョキニョキ
何度か転ぶこともある。
転んだら大変。
幼子には重く起こすのが一苦労。
荷カゴには、ワレモノの一升瓶の焼酎さえ積荷してある。
方法の呈で自転車のかごからお供え物を出した。
届けるものは鏡餅と焼酎、金一封
親の名代で伺う訳で大層な御もてなしを受けた。
さて受け入れ準備の年末であるがお料理も大変なら食器の数が半端ではない。
納屋の保管の木箱の新聞に来るんだ什器類は晴れ舞台
お葬式とお盆のときぐらいのお出番
四角いお膳はハゼの匂いの上等の漆で仕上げてあり、黒光。
そろいの箸も漆器と同じ素材。
日ごろは赤い塗り物でテッペンに黒いしるしを使い洗うときはハシ同士をガラガラとならし洗浄した。ので勝手が違う
漆器の蓋には松ノ木に鶴が鮮やか。
この漆器であるが、どうにも昔は身近すぎて気に留めなかったが、世界に誇る日本美術・文化のようだ。
浮世絵が世界の絵画に大きく影響したように漆器の素晴らしさに多大なる形容詞で呼ばれている。
その漆のナは「ジャパン。」
英語辞典を見るといい。
ジャパンの名で世界に通用する漆。
17世紀後半、日本の漆器を初めて「ジャパン」と表記して絶賛した英国人の書物の一節を新聞が紹介している。
「ローマもその栄光を日本に譲り渡さねばならない。彼の国こそ現在のバチカン、過去のパンテオンがほしいままにした栄誉を、その美において超越している」
最大の形容詞で漆を褒め称えた。
国会議事堂内でいちばん立派な部屋は御便殿
便殿とは天皇、皇后を始め、皇太后、皇太子、皇太子妃がご休息されるために設けられた部屋のこと。
内壁は総漆塗り。
御便殿の漆工事を担当したのは、東京美術学校漆工科(東京芸術大学の前身
工事の最高責任者は、江戸時代建造物の研究家として著名だった工学博士の大熊喜邦
議事堂の変わった屋根の形の設計も担当した。 
 材木はすべて国産材、漆工事だけで予算は9万8000円。
明治20年(1887)に着工しもりそばが1枚1〜2銭の時代
1936年完成の議事堂の漆芸装飾監督だった松田権六(1896〜1986)
そのジャパンの名で世界に通用する漆を国会の議席に使うべきだと主張した
議員に漆(ジャパン)にふさわしい世界性ある識見を求めたからだと松田の回想
中尊寺金色堂などの保存修復に取り組み、また蒔絵の万年筆作りや漆による客船の内装も手がけた。
厳かな元旦を迎える準備。
男は竹芝の垣根用の柴をを山から刈り込んで新装した。
ウラジオは飾りもちの下に敷く訳だが、生えてるツボは山の中でも湿気のあるところ。
屋敷内の氏神様の小さき祠、馬頭観音様、水神様それぞれにシキビでお正月を知らせた。
村の真ん中にあるご先祖さまのお墓にも同じ装い。
だだっ広い庭を掃わき、なんとなくワクワクしていた。
庭は稲刈り後の農作業でモミの天日干し場でもあったので広い。
端っこには家畜をつなぎとめるところもあり、花壇と垣根の間には、素堀りの溝もある。
相撲の土俵があり、村の子供が集まり、草相撲。
土俵入りをしたり、砂遊び、パッチン、ラムネ盗りと賑やか。
小学校に上がる前に親指を失ったゆえ16畳間の外をグルリと囲む板縁側から相撲を眺めるときの悔しさ
将来の不安さえ抱え込む、ませた幼子で呆然と相撲に興じる村の子供らを見ていた。
寒き冬ゆえ焚き火が端っこでゴウゴウと燃え盛っている。
隣の炭焼きの煙と混ざっての煙が風向きで時折土俵を襲う。
相撲は中断。霧隠才蔵、猿飛佐助といつの間にか相撲はチャンバラ
遊びの天才の子供たちは親から観れば他愛無い。真剣に次の遊びに流れていく。
普段は農作業の手伝いで自由時間がないが、この日は家畜の世話だけ。
湯殿のお風呂沸かしは井戸から釣瓶で水汲みが大変。
バケツで井戸から汲み上げ五右衛門風呂の湯桶を満たすには幼子には重労働で濡れながらの作業。
この日は力に勝る兄たちがやってくれた。
迎える新年の喜びで一杯。
誰もが機嫌がいいのがわかる。
早風呂もお楽しみ。
大晦日の夜に入る風呂は「年の湯」
下着類が新品となる喜びもあった。
丁稚奉公の辛さを落語家が「薮入り」で噺が
団塊の世代の農家の子等は同様に厳しかった。

  壊れてたのが直ってるみたいです。
    試していただけないでしょうか。
      ただ30鉄板でよくわからない状態。
       「プチッ!」 
         最後の御願い聞いてくださいネ。
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