映画の村

2006年12月2日
事業の成否はある意味社会をどう引き込むかにかかっているといえるのやも知れない。
金儲けなる生きるに必然の偽善をかぶったこの社会の真実があるからだ。
拝金思想の極点までに達した感のグローバル化は田舎の隅々まで金目を探す。
あくなき資本の追求は食い荒らされた見苦しき残骸を田舎に傷跡として残す。。
資本の持つ凶暴性を見る思いである。
林業なる極めて即お金にするのが弱い産業は亡んでいく。
植林なんぞほど投資効率の悪い産業はない。
もちろん自然循環の酸素を作り出してる社会的価値が除かれてるからではある。
即資金にならねば植林の作り出す経済効果はカウントされない。
そこまで近代化の生活は待ってはくれない。
産業のみならず、人々は生まれた里さえも捨て去らされる。
過疎化と過密化は社会の表裏一体。
200数十名もいた地区には棄村、離村で住む人はいない。
西都市街から西に20キロの廃村、寒川(さぶかわ)。
国道219号線にある村所とは同じ九州尾根をわけるが、この地はいきどまりで。隣県熊本にもいけない。
駄賃付けの運送の山村道もないわけである。地理的ハンディも合ったわけだ。
共同生活が難しくなった最後の6世帯が集団移転したのは、17年前
丁度平成時代の時とかぶる。
昭和30年代に数日間燃え盛った山火事もあったことを思い出す。
お昼間に太陽光線さえ隠すほどの燃煙が2〜3日も続いた。
幼き頃の記憶ほど鮮明なるものはない。
1日の夕方。NHKを見ていると寒川・・監督とやっている。
再度20時45分からの同じ番組を見たホドだ。
かってマスコミにのりえるや否やで悩んだことがある
太陽光発電をどう普及させるかの時だ。尤も今はもっと切実であるが。
しっかり観ると ドキュメンタリー映画「寒川」で籾木良作初監督と報道されている。
アレ?気にかかる言葉だ。出身地の西都・それも謎めいてる地方たる寒川
いやその人にも何かを感じた。ヤッパ!・・エェエッッ〜
この監督は宮崎の人で親しくお話をした経緯がある。
うちに秘めたる情熱をひしひしと感じた。
私欲でなく会社の将来を祈ってである。
会社ビルをぶったてたい。!
思いは私利私欲でない一つであった。
必死に夢を語り合った。
企業活動を進めるには運があるようだ。
その運の第一は、人との出会いであろう。
身を返りみない滅私奉公の仕事に打ち込める人々との出会いだ。
働くのでなく仕事をする。
ここの社長さんは恵まれている。
多くのすばらしきスタッフが折られ、いずれ花開こう。
多くの議論は今思うと
含蓄のある言葉だ。
人は石垣人は城、武田軍団のその昔から言い尽くされたことだ
新聞記事を探したらこうである。
映像の原点は小学6年の時に見た、「風の谷のナウシカ」だ。
観客のほおを伝う涙にたじろぎながらも、映像の力を初めて知った。
 バイトでためた2万円を中古の8ミリカメラにつぎ込んだのが中学3年。
高校では西都原古墳群の四季を撮った。
専門学校を出た後、宮崎市内の映像制作会社でCM撮影や編集の下積みを続け、村の記録を考えていた映画製作者から初監督に抜
擢された。
人がすまないと家は朽ちる。
過疎化の言葉が目の前のもの。
 屋根は抜け落ち、散乱した瓦と畳のない床にクモの巣がからまる。
ただこの人は見逃さないものが有る。
 「不思議と、石段や路地に雑草が茂っていないんです」
 草むらで覆い尽くされていないのは、出身者がきれいに刈り続けているからだ
「廃屋でも大切な思い出が詰まっているんです」
 むかしの暮らしを聞き取り、村の風景をフィルムに収める。
泣きながらハンマーで流しをたたきつぶした。
二度と住めないように壊すことが移転補償の条件だった。
元教師の女性は50年前に村を襲った大火の中、小学校から1人でオルガンを運び出す武勇伝を明かした。
そんなことがあったんである。
山すそから燃煙を見ていた幼き頃。
「森と水を守ってきた人々でした。生き生きとしていた山の物語を再現したい」
宮崎市の映画製作配給会社「m20」と、映像製作会社「アレックス」
およそ8か月かけて行われた撮影
三財中学校の3年生による石野田臼太鼓踊り、県の指定無形民俗文化財尾八重神楽地元の保存会による、下水流臼太鼓踊り西都市
の都萬神社の撮影で、およそ8か月。
3月から始まり、ロケ地は、寒川地区をはじめ、日之影町や熊本県の五木村など、県内外あわせて、10か所。
 、この集落を離れた人たちの思いや、寒川の自然を通して、過疎化・高齢化問題などを、問いかける
撮影で、夏祭りを一度だけ復活させる。来年1月の封切りを、県内13の市町村・出身者たちが待ちわびている。
宮崎から人材供給を目指した映画学校の施設、用地を荻昌弘に当たってたが、頓挫している。
もう一歩での挫折は辛い。
夕張は横綱大鵬の出た町程度の認識であった。
夕張の財政破綻はいずれ全国自治体に波及しよう。
100年の歴史を持つ炭鉱の遺産が観光の目玉、その遺産で食いつないだが、自己破産を申請。
幸福の黄色いハンカチなどの映画セットも売却される。
産業は夕張メロンで全農作物の96%、30億円を売り上げる
専業農家は140軒。ほかに主な産業はない。
昭和30年代に人口12万人、小中児童3万人。それが現在、人口は1万3000人、児童650人。
資本に食い尽くされ生き延びてきた、残滓が残る。
映画での再興はないのか。
武士の一分が封切られる。
たそがれ清兵衛、隠し剣鬼のつめ,せみ時雨
ここんとこの映画原作者は藤沢周平、山形鶴岡の人
その山形庄内が映画で村おこしの庄内映画村(株)に13万人を呼び込んだ。
35の企業が出資、入場料700円で2ヶ月で4000人
映画のスタッフは200人、多くの弁当注文がある
ラーメン店で120食も売り上げた。
せみ時雨のセットをそのまま寄付してもらっい、今では多くの人が見学に来る。
工夫も加え、廃校をスタジオにした。
88ヘクタールのセット・スタジオ用地を準備した。
京都・太秦にない環境である。
徳川家康の四天王。酒井忠次の18代目は暦博物館長を務める。
「山川海が揃い自然、四季がある庄内ハリウッドを目ざしたい」
いずれアカデミー作品で世界の都市になれる。
酒井の殿様はもともと財布の紐は商人に握られていた。
「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」
今のゴルフ屋・本間マルホンである。
西郷南洲神社を持つほどの薩摩びいき。
鶴岡市と鹿児島市は、今は姉妹都市。
ところが、もともと仲が悪かった。
歴史に残る幕末薩藩邸定焼き討ち事件。
江戸市中警備の任の庄内藩の屯所に、薩摩の支藩宮崎の佐土原藩士が発砲。
幕府は庄内藩らを薩摩藩邸に出向かせ、犯人の引渡しを求める。、
薩摩藩は これを拒否した為、庄内藩らは強行手段に出て発砲。薩摩藩邸を焼き払った。
維新戦争における西郷軍の処置を褒め称えた為である。
南洲翁遺訓を知ってる中学生がずいぶんいるらしい。
有名人を観光に利用したい。
  大横綱・柏戸
  写真家・土門 拳
  作 家・藤沢 周平
   歌人・斎藤 茂吉
保守の論客・渡部昇一
経済評論家・ 佐高信
直木賞作家・佐藤賢フランスを描く
芥川賞作家・丸谷才一
思想家  ・高山樗牛のニーチェ論。小説「滝口入道」
三太郎の日記・阿部次郎
このきな臭い時節柄の加藤紘一
加藤の乱で日本の行く末も含め総てが変わった。
この5年間小泉がアレほどまでにアメリカに尽くしたかの反面教師
加藤紘一は田中角栄と同じで、アメリカにはめられ失脚した。
アメリカは加藤自民党幹事長いろいろと日本の経済政策で注文を突けて来た
「アメリカの国債を売り払うぞ」と講演。
翌日、ドル安、株の暴落という市場の原理。
加藤失脚に狙いを定めた。
世界にドル紙幣の権益で君臨するアメリカは借金大国。
、巨大な財政赤字と貿易双子の赤字は宿阿
日本がアメリカの国債を買って、ドルの国際基軸通貨を守り、超大国を維持している。
郵政民営化の本質はここにある。
小泉・竹中は郵貯・簡保の資金350兆円を使い200兆円のアメリカ国債を購買させられた。
財政破綻の国の紙切れ同然の返却されない国債をである。
キック・バック3兆円二人の疑惑追及はCIAの手で葬り去られた。
12名の復党問題者は国を守ろうとしたのである。

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