潮目、フシ目の見分けができれば人生どれだけ、豊かに暮らせるものか。
神の域たる自然界についてはとりわけそうである。
昔ほどの神々しさのないお正月。
神話の里宮崎の初詣は大忙し。
あちこちに由緒ある神社が鎮座される。
熊野のように霊験あらたかなる風景、風致は少なくひたすらに明るい。
日向灘を東に隣接する荒波の中の鵜戸神社だけか特異なのかもしれない。
古事記、日本書紀に登場する神々の類型はつぎのようになり、以降の累代のことは
戦前の義務教育では必修で誰でも知っていた。
お爺ちゃんおばあちゃんに聞いてみるが良い。
問題は初代天皇の神武以前のお話である。
江田神社に初詣。
ここから日本は始まった。
イザナミがミソギをした池はその背後地の日向灘側にある。
祝詞にある言葉の発祥の地
「日向の橘の小戸の阿波岐原」と由緒あるところ。
総てはこの地から始まったのである。
  イザナギ
  イザナミ 

                   大国様       スサノウノミコト(出雲の神)    オオクニヌシ
ツクヨミノミコト 
アマテラスオオミカミ                                         
               
 アメノオシホミミノミコト(アマテラスノ長男)                   

  ニギノミコト                       コノハナサクヤヒメ                  
(天孫降臨)(都万神社)
             

                             
  ホデリノミコト(海幸彦)                 ホスセリノミコト
__ヒコホホデリノミコト(山幸彦)
  タマヨリヒメ                        (青島神社) 

                              ウガヤフキアエズノミコト
 トヨタマヒメ            
   (鵜戸神社) 
                   
       ヒコイッセノミコト
____   イナヒノミコト
       ミケヌノミコト
       カムヤマトイワレヒコノミコト(初代神武天皇)

政治には今でも悩めるときに指南役がいるが、
神の啓示に従うのはどの国でも権威づけるのに使われた。

政治の場で平和国家からの脱却で日増しに軍事国家化がすすんでいる。
これに経済的仕打ちが伴ってるから危険である。
政治の課題は、行き過ぎの市場原理主義に否定されてしまった人間性が復活し資本やカネでの社会構成を是正することである。
さらに、軍事国家を指向する国民を「
憲法9条を基本したこれまでの国家形態の維持を指導し、平和な社会の回復である。
立花隆のブログからはひしひしとそのことが伝わってくる。

アメリカではブッシュのイラク政策の誤りを批判する声が、あっちでもこっちでも渦を巻いている、
がなぜ日本では、小泉イラク派兵を批判する声が何故に上がらないか
ブッシュのイラク政策が誤りなら、イラクに派兵を行った小泉前首相の政策も、むろん誤りである。
この問題を問われたときの小泉前首相の答え方はきまっている。

それが誤った情報だったとわかるのはずっと後になってからのことで、当時の日本の政府の決断は、その当時正しいと信じられていた情報に従ってなされた。
イラクのフセイン大統領は過去において大量破壊兵器を使用した実績があり、そのときも怪しまれて仕方がない状況証拠がたっぷりあった
、その疑惑を解く努力を十分にしなかった。だからあのような結果になっても仕方がない、というものだ。
この問題についての安倍政権の見解も、これと同じである。
大量破壊兵器を保持して、「そいつはお前を殺そうとしている」とのガセネタに従って殺意なき相手を殺してしまったとしても、
相手がかねて札つきの悪者の場合、それは正当防衛になるみたいなこじつけの論理である。

こういう言う論理が許されるなら、日本の満州事変も正当だったし、泥沼の日中戦争拡大も正当だったし、太平洋戦争開戦も正当だったということになる。

政治はすべて結果責任である。
結果において誤りであったものは、どうもっともらしい理屈をつけようと誤りなのである。
そして政治家は、結果的に誤っていた決断の責任を必ず取らなければならない。
政治家が次になすべきことは、なぜそのような誤りが生じたのか、
その原因を時間をさかのぼって追究し、そのよってきたるところを明らかにすることである。
そしてそれが明らかになったら、その責任を追及し、そのような誤りが2度と起こらないように対策を取ることである。

ブッシュ大統領も小泉前首相も、そこが完全に抜け落ちている。
2人とも、責任政治家として落第である。

日本は戦争が終わってから、あの戦争の原因追及を全く等閑視してしまったが故に、いまだに歴史認識の問題がさっぱり片付かない。
それと同じことが、日本でもアメリカでも、イラク戦争に関して起きている。

これでは、大量破壊兵器の核兵器を具体的に開発した「北」に対する誤りが生じてくる。。
ミサイル発射から核実験へ、次々に冒険主義的瀬戸際政策を取る北朝鮮はいったいどこまでいくのか。
「北」が切ることができるカードはまだ複数枚あるという。
まず、さらなる核実験。
次に「朝鮮戦争休戦協定」の破棄。
それに「国連脱退」だという。

だが、誰も北朝鮮に味方しようとする者は出てこないだろう。
そのようなことをつづけていると、中国ないし、アメリカが、北朝鮮をこれ以上放っておくわけにはいかない、と、過激な手段に訴えてでも北朝鮮のおさえこみにかかるのではないか。

たとえば、謀略的に北朝鮮の体制転覆をはかるクーデター、
あるいは暴力的に北の核ミサイル能力を破壊してしまう
巡航ミサイルあるいは戦闘爆撃機によるピンポイント先制攻撃といったことである。

どちらもその可能性は相当にある。。

今の北朝鮮と重なるかつての日本の姿
戦争瀬戸際政策に狂奔することで、世界の孤児になりつつある北朝鮮を見ていると、満州事変以後の日本の姿が二重写しになって見えてくる。

満州事変(1931)に次いで上海事変(1932)を起こし、戦争瀬戸際政策をつづける日本はみるみる世界の孤児となっていった。国際連盟が

リットン調査団(1932)を派遣して、ある程度の妥協策を提示した
、日本はそれを拒否して満州国を建国(1932)してしまう。
国際連盟がそれを非難すると、日本は国際連盟を脱退して満州を帝国にしてしまう(1933)。

国際連盟を脱退したあとの日本は、同じ世界のきらわれ者、ナチスドイツと組む(1936。日独防共協定)。
あとは盧溝橋事件(1937)を経て、戦争への道をまっしぐらである。
あのころの日本は、世界から爪はじきに会っていた。

日本が当時、国際社会から、そのような、どうしようもない無法者国家と見られていたなどということは、一般国民はみな知らなかった。

日本人のほとんどがどんどん圧迫を強めてくる米英中などの周辺国家のほうだと思っていたのである。
いまの北の人々がそうであるように、あの頃の日本人たちも、自国が世界の他の国からどのように見られているかという客観的認識がまるでなかった

北朝鮮の人々は、全くちがう目で自国を見ている。
、金正日は、核実験の成功によって、「朝鮮半島史上、最も偉大な英雄になった」という。
なぜなら、それによって北朝鮮は、米国本土を攻撃できるような軍備をはじめて持つことができたからだ。

そして、「次の戦争は、米国戦争、あるいは朝米戦争として後世に語り継がれることになるだろう」という。
次の戦争の主戦場は米国になり、「摩天楼がそびえる都市が一瞬にして地獄絵に変わる」、という。

また、北朝鮮は、日本、韓国、オーストラリアが核武装することに反対しないどころか、むしろ望んでいるという。
アメリカの同盟国が自ら核武装することになると、アメリカの核の傘の外に出ることになる。
それによってアメリカの同盟国が、脱アメリカ勢力になる。
それは北朝鮮にとって望ましいことだというのだ。

また、北朝鮮が核を持ったことで、米露を中心とする核不拡散体制は終わりを告げたともいう。
それによって、これから世界の構図が大きく変わってくるだろうという。

これまでは、アメリカと友好関係にある国だけが核クラブを作っていた。
しかしこれからは、反米国家で核を持つ国がふえるだろう、という。多分、イランのような国を念頭に置いているのだろう。

日本の政治家の中に、麻生外務大臣、中川政調会長など、日本も核武装是か非かの議論をすべしなどという人が登場しはじめた。
政治家が主導するゆえ若き人々は特にその意見が多いようだ。

日本に核武装の可能性が本当に出てきたら、その潜在的な国力の大きさ故に、日本は一瞬にして、
アメリカの「ナンバーワン・エニミー」に変わってしまうだろう。
そしてその場合、本気で日本を叩きつぶそうとするかもしれない。

安倍晋三・岡崎久彦「この国を守る決意」のくだり
岡崎 1993-95年の経済交渉では、本当に大変な目に遭いました。日本が潰れるかどうかという交渉でした。

交渉をしているときには、アメリカには『日本と同盟国』などという姿勢は一かけらもなかったのです。
日本はもう潰れてもいいというような姿勢でした。

日本人はすぐ忘れますけど、あの時期を覚えていたら覇権国アメリカと協調しないことの恐さはわかるはずです。

北朝鮮がいくら大言壮語しても、日本を潰すなどということはできない。
しかし、アメリカはできる。                                 
、アメリカはそのような国々を暴力的に叩きつぶしてしまうはずである。
核戦争は地球を滅ぼす。                                                
安倍首相は1日付の年頭所感で憲法改正の必要性を強調した。
安倍政権が目指す最大の課題は、9条改悪による自衛軍保持である。
軍事は常に最強を求める。その先には、核に守られた国家が見据えられてくる。                          
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ストップ寸前

2007年1月4日
一年を回顧してのテレビ番組が花盛り。
その報道は民族意識の覚醒にこれ以上のものはない
わけても、全日本フギアーはDNAの肢体に劣るハズのを乗り越えいまや日本が誇る競技となっている。
42.195KMのマラソンは陸上競技の花形で、世界規模の大会の最後のフィナーレをに花を添える
自転車で15KMの彼方まで移動して、42.195KMの距離のすごさを実感した。
マラソンほど過酷なものはない。

駅伝は日本発で持続可能性を競うレースとしてマラソンからの変形。
どれだけ有利な条件で次の走者にたすきをつなぐか。
箱根には若人が未来を目指してタスキが繋がれる。
風、気温、相手の実力、自分の体調など、リスクを勘案して走り方を決める。
あえてリスクをとって序盤から飛ばすのも有力な選択肢だ。失敗すれば無謀、成功すれば英断と呼ばれる。

それも、できぬものは自転車
だがそれでさえ、ふくらはぎ、太もも腰の痛みで閉口。
マラソンの半分の距離で自転車でさえこれだ。
中学自分に5km、高校生で10KMを走りぬく基礎体力作りを求められたハウだ。
体力旺盛な時期の鍛錬不足
あの頃は無心ゆえできたもの。
高橋尚子の東京での復活を目指し、2位に終わったことが敗北との烙印は批評する日本人に言いたい。
人間業でない42。195KMを時速20KMに近い速さで走りぬけることは神業。

車社会の恐ろしき便利さを痛感した。
車社会と簡単に言うが、社会の進歩とは何ぞ。

足軽から身起こしての大名
近代戦の歩兵。
イラク戦争で最終的には歩兵の果たした役割。
毛沢東の長征
移動手段は自分自身の足のハズ。

車社会というには車がなくてはその社会人のカテゴリーから外れる。
エコ派との強がりでは田舎では生きてはいけぬ。
ただ、いろいろと考えることができる。

車のエネルギーたる石油の値段構成はヒドイ状態。
殆どが、税金。
揮発油税が24,3円、特例法分が48,6円計72,9円の税金である。
リットル120円で47円が税抜き価格である。

現代社会とゃ一体なんぞ。

効率的的エネルギーの最たる化石燃料は国内では皆無。
産油国は神のいたずらの数少ない恩恵を受けている。
世界を支配する国々は原油供給維持に血眼になるはずである。

科学技術の発達はプラスチック類を初め衣類の基本の繊維さえ原油から生み出させた。
食の基本の農産物でさえ総ての課程が石油漬け。
石油抜きでは現代生活は営まられない。

何不自由ない生活は実は砂上の楼閣で幻影だけではないのか。
この快適なる24時間にわたって,職住ののかくほ享受できる現代生活のアキレス腱
団塊の世代はこの生活を誰が予測しえたであろう。

焼け野原の時代手塚治虫は現代社会を描いた。
あの時代からして、異常者のマンガの世界、夢遊病者の異端児。
所詮ユートピアの世界。
それが現実生活になっている。
セントラルヒーテングやストーブに燃料
街には24時間飲食店コンビニが展開している

哲学の道は京都学派の思索の基本形がある。
体力維持の為、朝夕歩く人たちも思索したら良い。。
石油が一滴も取れない国が石油をガブ飲みしてる日常生活。
こうも便利に玄関先から、目的地につく車社会の快適さ。

ただ、なんだろう。
この冬の異常なるあったかさ。
南極の氷が解けるとも言うアメリカの学者がいる。

自転車は道路の起伏や状態が体全身に伝える。
この快適なる生活で見落としてるものが思考を決定つけてるようだ。
堺屋太一の提唱する歩いて勤めにいける職場環境。
職、住・接近の街づくり
究極の世界である。
夢を追いかけるのに疲れた
ここまでして会いに行くが会えずではどう仕様もない。
もちろん携帯は何の役割も果たしていない。

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日本の独裁者の属人的定義を誰にしたらとの勉学家のブログを読ませていただいた。
選挙の年ゆえ大切なことだ。
天皇とか東条とか列挙してもヒトラーやムソリーニとはイメージが違うのはなぜか。
それは国民的体質にあるのではないだろうか。
仏教徒で瑞穂の国の農耕民族たる島国人の大衆迎合の気質からである。
個の確立では共同作業たる水田に水を引き収穫を目指す産業が成立しなかった。
国家指導者は、上手くこの国民的体制を利用した。
よって法治国家として独裁体制を敷いた人が独裁者の定義づけとしたらどうであろう。
陸の長州、海の薩軍が維新後の藩閥政治で太平洋戦まで続いた。
この場合3人とするのもベストスリーと日本人流。
大正デモクラシーは普通選挙を求める政治的熱意の背景を持ちあらゆるところに花開いた。
文学、絵画、演劇場の舞台人・・日本の一番華やか強い時期といえるのではなかろうか。
その世相に終止符を打ったのが、長州人
、田中 義一(たなか ぎいち、元治元年6月22日(1864年7月25日) - 1929年(昭和4年)9月29日)
陸軍軍人から第26代内閣総理大臣(在任: 昭和2年(1927年)4月20日) - 昭和4年(1929年)7月2日)。陸軍大将 勲一等 男爵。
天皇の叱責で悶々のうちに亡くなった人。
戦前の総力戦体制づくりが始まったのは、
治安維持法、
制定(国体の変革、私有財産制度の否認を目的とする結社活動および個人的行為を処罰する法律。1925年=大正14年=公布)からで、このことに尽きる。
1928年(昭和3年)緊急勅令で死刑・無期刑を追加したのが田中義一内閣。
同法は反政府的な思想や言論の自由の抑圧手段として利用され、権力批判は封じ込められた。
ココに大正デモクラシーは第一回普選法とともに葬り去られた。
その挙げ句の果てが日本の侵略戦争で日本人310万人、アジアで2000万人ともいわれる犠牲者を出し、かつての日本「帝国」は滅んだ。

戦後にも独裁者を定義できる。
 1960年に新安保条約の締結によって現在の日米安保体制を創設したのが岸信介政権
、その時以来、平和憲法第9条の「非武装理念」と新安保条約第3条の「自衛力の維持発展」との矛盾が拡大することになった。

その意味では憲法9条の理念を事実上空洞化させたのが岸政権で、それ以降、白を黒と言いくるめる保守政権が続いている。
政府が先頭に立って国民に嘘を言い続けてきたわけだから、これで世の中が乱れなかったら不思議。 
 
 そして今、安倍政権は岸の孫を自認して「戦後レジームからの脱却」を唱え、戦前への回帰を志向しつつある。
元旦の年頭の辞は
「改憲を安倍内閣で実現する」と・公約・した
再び日本を滅ぼすのかという危惧の念を抑えきれないのは当たり前の感覚。
宗教党さえ利用して成就しようとするから厄介だ。
偏狭なるナショナリズムは平和国家にいらない。
非武装ゆえの国しかできないことはこの人の視野にはない。
この3人の共通項はいずれも長州人である。
維新の開明思想の長州の先哲たちは 嘆き悲しんでいるであろう。
単一思考に求心力が早急に保てる民族ゆえ、この3人を独裁者と呼ぶのは奇異に映るであろうか。

長州の怨念は蛤御門の変に由来し、古くは山内・毛利のお正月に集まると密かに密議の確認の、幕府の打倒が何百年も確認されていた怨念の政治にある。

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