ハリウッド映画で今でもC級映画にはサムライに芸者ガールが描かれるイイカゲンさがある。
中国韓国日本がゴチャマゼでチャイナ服に二本差しの武士が和服の女に絡んだりするシーンさえある失笑ものもある。
なにもそれは排外的問題だけでなく白人中心のハリウッドに渦巻いてた問題であった。
1970年代、ハリウッドのあり方に反旗を翻し、黒人の地位向上運動のさきがけとなった
伝説的映画人がいる。
メルビン・バン・ピーブルズ
黒人映画の金字塔「スウィート・スウィートバック」といえばファンはうなずけよう。
これには裏話がある。
2003年米「バッドアス!」が公開された。
「スウィート・スウィートバック」の製作秘話を描いた実録ドラマ。
同作の監督の息子であるマリオ・バン・ピーブルズが監督と主演を務めた。
ストーリー:
黒人に向けた映画「スウィート・スウィートバック」の製作に挑むメルビン。
出資者の逮捕や女優の降板など、続発する苦難を乗り越えて完成する
だが、全米2館という小規模での初日を迎えることになる。
・・・・・
メルビン・バン・ピーブルズは常に、戦え!とはっぱをかけ、ハリウッド改革に取り組んだ。
今の自分に言われてるようで人事ではない。
ハリウッドは異文化に無頓着だったし、こちらの日本人は慣らされ、こんなものとあきらめていた。
ハリウッド邦人第一号スターは10年代の早川雪洲
ただ役は残忍な東洋人ばかり。
ナンシー梅木は日本人唯一のオスカー女優、ただ、57年の出演作「サヨナラ」の日本情緒は噴飯もの。
三船敏郎のサムライとガンマンも可笑しすぎた。
「ラスト・サムライ」の撮影現場で、真田広之や渡辺謙は、誤解を正そうと戦った。
興行も成功、評価も高く、ハリウッドの見る目が変わった。
好評のクリント・イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」の呼び水になった
 もはやおいそれと日本を描けまい。

そこにビッグ・ニュースが飛び込んできた。
アカデミー賞の助演女優賞の候補になるには事前の関門がある。
それを日本人女優がクリアーしたのである。、
「米放送映画批評家協会」の助演女優賞と「全米映画批評会議」の新人賞の2つに日本人が輝いた。
   菊地凛子
世界も驚いたろうが、
日本の映画ファンが一番ビックリしたのではないか。
ハッキリ言って“無名女優”が米国で伝統ある映画賞にえらばれたのだ。
世界が「リンコ WHO?」となるのは当然、日本人だって大半は「菊地って誰?」だろう。

映画『バベル』で菊地が演じたのは聾亜者の女子高生という難しい役どころだった

菊地凛子

全米で絶賛された日本人女優は、あのCMの女の子 
 知名度は低いが、実は画面ではおなじみだ

富士通ノートパソコンのCMで、キムタクのガールフレンド役を演じている
ロッテのガムのCMで、バレンタイン監督の指名を受けて代打で登場する
トヨタレンタリースのCMでは草なぎ剛と共演、
エステー化学のムシューダのCM「夫婦の休日」編
広告業界ではCFモデルとして一流のポジションを得ているようだ。
 1981年生まれの25歳。
15歳で、新藤兼人監督の「生きたい」で芸能界デビューは半端じゃア〜ない。。
その後も「三文役者」「赤い芝生」「空の穴」などの映画に出演。
、01年にはNHKの朝ドラ「ちゅらさん」に、主演・国仲涼子の後輩看護師・村山麻衣子として全国放送にも乗った。
ただし、そのときの女優名は 菊地百合子
現在の“菊地凛子”は04年に改名してからのもの。
それまでは“菊地百合子”として活動していた。
知名度がイマイチなのは、“改名”と関係があるやもしれない
新藤監督の他、石井克人、三木俊一郎、高田雅博監督らに多用されている。
今回の役くでも彼女は出演が決まらぬうちから手話を習い始め、撮影時にはほとんどマスターしていた という。
 次回作は三木聡監督の「図鑑に載ってない虫」。
すでに米映画界からのオファーも殺到しているという。
サユリストか国際女優・栗原小巻かと騒いだ世代は夢がかなわなかった。
フギァーの世界に肢体に劣る民族の日本人が金メダルをとったようなもの。
ハリウッドの閉鎖的な歴史が許さなかった面もあろう。
いよいよ、本格的“ハリウッド女優”の誕生か。
お楽しみはこれからだ
、和田誠がギャグニィーの映画だったか、その引用でこの著書を随分前に出した。
映画ファンを唸らせる著書名。

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