今日の誕生日の花は・・・ニチニチソウ
花言葉は・・・・・・・・楽しい思い出友情
大事より 小事重んじ 日々草
青森は「ヤッセーラー」ねぶたで沸き
新潟長岡では大空に世界一の花火の大輪。
天候は辛いようだがパワーが勝ってるようだ。
ビデオを見ている。
菅内閣は一問一答の初めての予算委員会。
生気も覇気も迫力もない菅直人。
自民防衛オタクから「元気を出して」と合いの手。
そんな精神状態で難問山積の国の政権の座にしがみつくのは正常な判断力もない証左
政権交代への国民の期待に背き脱小沢とか舞い上がって
何も実行する力がなく官僚に操作される自民党旧政権政治へと逆行した菅政権
これまでの民主党支持者もあきれ見限っ照るのが現状であろう。
両議院総会後国会開会前に行われた菅ソウリの記者会見
、その覇気のなさにギョッとした有権者も多かったのではないか。
民意を失った総理の顔はこうなるのか。
安倍元総理を彷彿させたものだ。
目はどんよりしていて、話の中身も新味なし。
そんな中、菅が力を込めたのが
「解散・総選挙はまったく考えていない」
というひと言
菅直人には国家・国民のため、という義の心が感じられないゆえ。
野党党派もどこも信用しない。
谷垣
「総理の言葉としては軽い」
菅直人
「財政再建で一歩も引くつもりはありません」
政治家の本分は議会で国政を真摯に論議することにある。
国会議員は全身全霊を注いで本来の職務に取り組まねばならない。
ただし死に体内閣では国会のその本文が何も成り立たない。
菅直人には国家・国民のため、という義の心が感じられないゆえ。
続々と菅直人再選にブレーキをかけている公然たる動き。
鳩山由紀夫前総理グループに属する小沢鋭仁環境相を中心とする勉強会が2日
国会内で初会合を開いた
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/politics/?1280755510
小沢グループとされる海江田代議士は「複数がいい」と
9月1日告示、14日投票で決まった民主党主選に意見を述べている。
8月はお盆、鎮魂の月の民族である。
命を落とした方を貶めることはしたくはない
爺目の生きてきた生き方論には微塵もない事。
ただし、事象のメディアの本質を分析するためゆえ霊にはお許しを頂きたい。
両手を合わせての気概で続ける。
元山岳部?
笑わせる出ない。
一度もハンドルを握ったことのないペパードライバーが
いることを知っているがソレと同じこと
ペーパー山岳部だっんだろう。
「・・・発見時、2人は半袖シャツにジャージー姿で、下半身が沢の水に漬かっていた。」
土質が岩質地域の急峻の急勾配。。
いわゆる岩場の沢の連続
一雨で窪みの急傾斜地はあちこちが洪水状態になる。
日テレ記者とカメラマンが軽装で取材に出かけ
三次被害者となった。
事故が事故を呼ぶ。
霊に対する畏怖はこの国の生き方論の基本にあったハズ。
経済苦自殺者は一時間に4人もいる世相。
人の命が年毎薄くなる風潮にあるゆえなんだろうか。
山岳ガイドが二人の服装を見た
既に最初に見た瞬間からTシャツにジャージ
馬鹿である。
山の神を冒涜している
ガイドではなくても、山登りを経験している人ならば元山岳部ならすぐにわかること。
この二人はあまり山登りに慣れていない
「不慣れな足取りだった」とすぐにわかった、とのこと。
天候と沢の水の冷たさ
興り得る天候不順予測を理由に中止して引き返した、という。
自然にこういう言い方はおかしいが幼児経験で言える。
山は生きている。
精霊が住んでいる。
そういうと・・
笑ってるのが大方の常識であろう。
県民性の差なんだろうか。
ソウではないハズ。
この国は細く南北に長く急峻なる背骨が47都道府県を分けている。
受験戦争のみに明け暮れてなければ
誰しもがこの国の激しき自然に畏怖しているはずだ。
山に入るに正午を分け午後の行動に言われている軽装は死にいくようなるもの。
山は決まりを守れば食の宝庫
戦後興廃期食料なきころに幼き頃を過ごした
山が五体満足の体を拵え授かった。
この十数年一度も医療機関を知らない。
歯科を受診したのみ。
これは老人ゆえの宿命で視力も不味い
順序の通説どうりである。
農業はこの国の瑞穂の民の総ての国家起源の元
水と光と土この豊饒なる国
すべては雲の発生から始まり山に係り水を生み出す。
川を経て海へ
運ばれてきた豊饒のプランクトン水に海の魚が寄り付く
海草などの畑を作る。
魚類が寄り付く。
転生輪廻。
生けしものの地球への共生
縄文人の心根もち伝えるこの列島の民
小泉純一郎売国政権はここでも傷跡を残している。
農業所得はこの10年で半分になった。
就労人口は65歳以上60パーセント以上
自然災害はヒロシマ塩原だけではない国土の興廃が因。
殉教者二人、彼らが何故
仕事の情熱の熱意を超える行動をしたのか。
殺風景なる大自然でも、よりリアルな映像を届けたい。
仕事の職人魂なんであろう。
日曜日の放映に向けて必死だった
其処まではいい。
問題は次にある。
殺されている。
報道予定の番組は「真相報道バンキシャ!」
『バンキシャ』・・・といえば、
この会社の首を取った事案がアル。
そんな古証文ではない。
久保伸太郎(64)
09年3月半ばのことである。
いきなり辞任を発表した
ナベツネの逆鱗に触れたからである。
これも報道されてないことから起きた
通説はこうである。
岐阜県の裏金を誤報して社長が辞任した。。
WIKIが教えてくれる。
≪2008年11月23日の放送で、建設業者の男が出演、岐阜県の土木事務所が架空工事による裏金を捻出していたと証言。
これについて、岐阜県が調査したところ、証言内容が虚偽だったと判断。
2009年2月27日に日テレ関係者が岐阜県に対し謝罪
、2009年3月1日の放送で訂正・謝罪放送を行った
。その後、岐阜県は証言した男を岐阜県警に偽計業務妨害で告訴
、男は2009年3月9日に逮捕された
逮捕された容疑者は「謝礼金が欲しくてやった」と供述。
後に起訴され、懲役5年の求刑に対して懲役3年、執行猶予5年の判決
さらに、責任をとる形で3月16日付で久保伸太郎社長が辞任
、3月22日の放送で社長辞任を報告した上で改めて謝罪放送を行った。
また、関係者の処分については、報道局長の役職罷免と番組関係者4人対して出勤停止の処分を下した。
7月10日にBPOより勧告を受けた
。この事件の検証番組は8月24日未明(8月23日深夜)に放送された。
これに先立ち、8月23日のバンキシャでこの事件の検証特集が放送され、
当時の社長・チーフプロデューサー・報道局長がVTRで謝罪
、番組の終わりに福澤をはじめとするバンキシャ関係者一同が謝罪した。≫
社長が辞任したのに番組が存続することに、
違和感を覚えた方は少なくないだろう。
ソレは真相が報道されていないことから来るもの。
日本テレビの久保伸太郎社長(64)。
岐阜県の裏金問題を報じた 「真相報道バンキシャ!」の誤報の責任をとって辞任を決意した、
本当にそれだけなのか
「日本中が盛り上がったWBCの中継を断ったことが問題視されているのです。
日本ラウンドの主催は 読売新聞社
日テレには優先的な放映権があっただけになおさら。
読売グループ本社会長の 渡辺恒雄から、辞任の前に久保社長がこっぴどく怒られたという話が流れています」
たしかに、日本代表が連覇を達成した24日、渡辺会長は爆発していた。
「腹が立つのは、日テレがなんで 放映しなかったんだということ。
オレはあそこの3割の株主だから、“ふざけんな”と言いたいよ。
この世界は金儲けとは違うんだ。
(放送すると、日テレは)10億円損するって言うんだよ。
それを分かってても、 テレ朝やTBSはやってるじゃないか。
全国的に人気を博したものを日本テレビがやらんのがガマンならんね」
久保社長が責任をとった本当の理由が改めて取り沙汰されているわけだ。
爺目の人生は私憤を公憤の価値観が最大であった。
滅私奉公は当然。
個人でさえ熱情あるヒトはそうである。
ましてや国には、事の大事、小事がある
公人たる前原誠司の軽さ。
前原国交大臣は29日に市川海老蔵の披露宴に出席するため
民主党の両院議員総会を欠席した
大したもんである。
弁舌が振るている。
「社会通念としてどちらを優先するかは政治家が判断する。批判があるなら甘んじて受ける」
「数か月前に案内をいただいていたので当初から決まっていた日程を優先させた」
「冠婚葬祭は人生の大事なセレモニーで、社会通念としてどちらを優先させるか政治家として判断した」
問題はないという認識
テレビが放映してる政治家は三人。
森元総理と小泉純一郎と一緒に嬉しそうに鏡割り。
まー驚きはしない。
、前原が清和会と仲良しなのは今始まった事じゃない。
ただどうなんだろう。
前原はほんとうにスタッフ不足だ。
ゐメール仕掛けはさすがにあの事件は再現、簡単用意である
梨園の、日テレの、絶大なる信用を勝ち得タンあろう。
ただどうなんだろう。
①真央は浅草のやーさんの娘だから家柄的にもぴったりだったんだろうな
????
あとで実証したいこと。
②海老蔵には8歳になる隠し子がいる
隠し子は何故に報道されない
別れた?別れてない?実質女房も。
しかし
知ってて真央大したもんである。
日置明子(ひおきあきこ)→(1999改名)
生年月日: 1974年2月5日 属事務所: ファンハウス佐久間本部→ディケイド
夫: 無 長女:8歳(歌舞伎役者:市川新之助認知)
養育費月百万円。
まったく報道しない豪華結婚式番組の日本テレビ。
相撲はたたかれてるのに、歌舞伎はずいぶんよいしょされてる。
歌舞伎の一家って、いつからセレブ文化人扱い??
、
この国の歴史性からは及びもつかぬ事。
江戸の場合、歌舞伎の芸人は浅草に住む穢多頭弾左衛門の支配下にあった。
彼らは武家社会を中心とした善良な風俗を乱すということで
いつ江戸から追放されるかわからない存在だった。
イレズミ判官遠山の金四郎
あの遠山左衛門尉は天保の改革で放遂されそうになった役者をかばい、
猿岩町に限るということで江戸に芝居小屋を残した大恩人。
日テレ時代劇番組で良く使われるシチエーション
猿若三座の時代から明治維新。
1872(明治5)年の築地新富座。
初めて猿若以外の土地に小屋を建てた
守田勘弥(12代目)の努力で1887(明治20)年に天覧歌舞伎を成功させた。
これが歌舞伎役者を河原乞食から芸術家に一転させた大事件である。
下級武士、足軽上がり、チンピラ同然の明治(坂の上の雲)権力者(明治維新の立役者たち)は
能、狂言は理解できなくても歌舞伎なら分かった。
ゆえに国家、政府による歌舞伎の支援が進み
明治大帝が大そう喜んだ天覧歌舞伎から わずか7年後の1894(明治27)年。
川上音次郎が歌舞伎座の舞台を踏んだことに腹を立てた9代目団十郎が
「舞台を削りなおせ」とのぼせあがるほどに
河原乞食にしか過ぎなかった歌舞伎役者はエラクなったのである
爺目の幼少時代の頃もまだ差別用語が存在した。
額に汗して働かぬものに対してである。
芸能人は蔑まれた。
明治生まれの日清日露に従軍した袈裟助の口癖。
「かわら乞食」
昭和63年までは爺目は耳にしている。
親父が家族ナイショで美空ひばりを見た。
ソレが何年カゴにバレ親父は実権をかなり低下した。
かわら乞食の歴史は何千年も受け継がれてきた
この国の身分制度、分断差別して支配の構造にも使われた。
645年の大化の改新にさかのぼる。
701年に大宝律令が制定される。
朝廷の財源確保のための課税制度が確立される中で、
河原だけが課役免除になった。
河原は当時の唯一の非生産地帯だったからだ。
その河原に集まって生活を営んだ人々は理由はともあれ課役を拒否した人間たち。
「河原者」「河原乞食」
と呼ばれて蔑視されることに甘んじた代わりに
税金を払わないでもよかった。
それがセレブの代名詞
いまでは、巨額な税金を収める「河原乞食」となっている。
河原乞食が初めて納税するようになったのが1875(明治8年)。
芸人たちは祝杯をあげて一人前扱いをされたことに感謝した。
河原者の中には不精者、すね者もいれば反政府の立場をとる人間もいた。
生産手段が与えられない彼らの生きる道が
「ヤクザ」「女郎」「芸人」といった職業を生み出した。
乞食の世界にも階級はある。
ケンタ、ツブ、ダイガラ、ヅケ、シロイ、タカリ、ガセ、タカモノ、カドヅケという順位がある。
乞食の最上級は「ケンタ」
一定の場所に座って営業する。
「ツブ」は俗に言う袖乞、
ブラブラ歩きながら恵みを受ける。
ダイガラとズケは残飯あさりが主、
周辺の料理屋や商店の前を勝手に掃除して残飯を貰ったりする。
ダイガラはズケよりも縄張りが高級だってこと。
シロイはゴミあさり専門。
タカリはちょっと悪質な傾向を帯びた乞食だ。
ガセは女性の場合の売春婦をさす。
タカモノは神社などで小屋掛けの見世物を演じた乞食。
カドヅケも門ごとに訪れ銭を請う芸人。
三味線弾いたり何でもやっていた。
なぜか芸人は乞食の中でもタカリやガセよりも下に並ばされているのが興味深い。
農産物や海産物などを生産せず、あくまで芸で生活する河原乞食は、
時の権力者からすれば厄介な存在だったことが伺える。
封建制度の施政者は、この河原者を有効的に社会に組み入れることを考え出した。
「穢多・非人」という階級がそれである。
彼らは徹底した差別を受けることにより、百姓たちの欲求不満のはけ口にされた。
つまり
保護された芸術は 時の権力者の道具と化し
保護されない芸術は 時の一般民衆からの差別を受ける
という訳だ。
当人達の「芸に対する“誇り”」は別にして だ。
乞食の階級としては最下位の「カドヅケ」から育った浪花節にしても、
明治31年の桃中軒雲右衛門の登場以前は全くの河原乞食扱い。
この系譜は三波春夫にまでつながる。
漫才も
落語家に「河原乞食とは出られない」とストライキをやられ、
1925(大正14)年に始まったNHKの中でも
あらゆる娯楽放送で一番最後まで出演を許可されなかったほど差別された。
この漫才を一般の娯楽にまで押し上げたのが秋田實である。
昭和に入って彼らが社会的に認められ始めたのは戦争に協力するということだった。
慰問舞台は次から次へ送り出され、
軍部にとって芸人と慰安婦はなくてはならぬ存在になってしまった。
最近は河原乞食による政界進出が多い。
天皇制に擦り寄ることにより、世に認められていった河原乞食。
自虐とは、このこと指す。
小沢昭一「私は河原乞食・考」の一節。
負けて征服された者が、
勝って征服した者のご機嫌をとり結ぶために、
こんなバカなブザマなサマで、
「あたくし負けちゃった」と、ビデオテープでもう一度お見せして、
めしのたねにするという、
まことにナサケナイところに、俳優の淵源がある
征服された悲しみや怒りを、すべて自分の中に押しつぶし、笑いものとなっての追従。
それが役者の、芸能者のはじめである
チヤホヤされてると言っても、
「しょせん芸人」
この視線からは逃れられてはいない。
小沢がこの本を書いてから40年経った今も。
そしてそんな視線は、
「キャバ嬢上がり」
「映画で乳首を出した」
女性議員にもイヤというほどたっぷり注がれている。
それを踏まえたうえで、小沢はさらに続ける。
芸能が、芸能の「出身地」をはなれて、支配者の側についた時には、
その芸能はみじめであった。
(中略-雅楽や能や愛国浪曲の例が示される)
体制がわにくみいれられた時、
その芸能は輝きを失って滅びる方向へまっしぐら。
そしてその反対側にいる限り、
芸能は、涙と怒りをはらにこめ、
猥雑、放埓などハレンチな毒をもドップリと包んで、
みずみずしく、溌剌として民衆を楽しませるのである。
擦り寄り=利用であって、決して取り込まれたりしない。
>擦り寄り=利用であって、決して取り込まれたりしない。
実際は、取り込まれる河原乞食が圧倒的
負けて征服された者が、勝って征服した者のご機嫌をとり結ぶために
、こんなバカなブザマなサマで、「あたくし負けちゃった」と
どこかで聞きなれた風景ではないか。
これって日本のアメリカに対する態度と同じ。
強い相手には媚びへつらい、
アジア諸国には居丈高に出る。
次々に現れる売国政治政権
弱虫野郎は死ねばいいのに。
ところで芸人、歌手、俳優など、河原乞食は
いまや若者の憧れの職業になってしまったのも何だかなあ
で 芸を持つ差別される側の系譜の歴史の先に「オタク」が加わる。
その先でネットウヨとニコニコが連なり
宗教右翼と権力の傘で暴れるとして権力に媚び諂っては尻尾を振る犬や猿と化しては
河原乞食の矜持と大衆芸術の成熟の果てに生じた“普通の「オタク」”を叩くも、
どっちが 人の中から生まれ出でる力となり続けるかは
その中で生きる者達が肌で知っている。
乞食以下の精神性しか持てない連中は 自らの優越性を そういう権威性でしか維持できない、
“普通の「オタク」”が そんな権威性なんかは どーでも良く感じるは至極に当たり前。
どっちにせよ乞食以下の精神性しか持てない無敵無党派な連中
錦の御旗とゴミクズの区別すらできないw
岩下俊三のブログ
: 相撲興行にヤクザは当たり前。
それよりマスコミの癒着が問題
砂被りは前から6席しかなく、
その後ろの升席が四人席なのに比べて全部一人席である。
しかもテレビカメラに正対した行司の後ろの向こう正面にヤクザが並ぶというのが、
全然異様でない光景は、大相撲ならでは。
まさに国技と呼ぶにふさわしい日本の伝統が継承されている。
明治天皇の相撲好きが高じて、
いつのまにか江戸の見世物興行を、国家(文科省)管理の免税文化事業にした。
江戸時代から変わらぬものは、
かわら乞食(歌舞伎)と相撲などの見世物小屋を、
実際に取り仕切るのは地回り=ヤクザであり、
それを許可して上前をはねるのが役所であること。
ヤクザに十手取り縄を渡して、
それら芸能・風俗のトラブルを統治させたシステムが、いまも生きている。
しかしあまりにも古いので世襲以外に後継者がおらず、ジリ貧になっているところも、
相撲取りと歌舞伎と為政者=政治家は似ている。
歌舞伎座を一度でも見られた事がありますか。
あの屋根の上、正面にあるのが「櫓」
あれは官許の印。
ヤクザ万能、金銭万能を信奉する、櫓の効果を知らぬ田舎者には無縁のこと。、
あれは万金を積んでも作れない権威の印。
ヤクザが手を出せるのは「地下」じげ、即ち興行を町で行うもの。
興行について、また、ヤクザの歴史について、国民は殆ど知りえていない。
任侠関係の方は知ってること。
櫓についてのご認識はさすが香具師の口上のように
「見上げたもんだ、からすのしょんべん」
そもそも国家権力の後ろ盾があるように権威を誇示するのが、
河原者とやくざ渡世における特徴。
右翼が天皇を掲げ、
やくざの口上のとき○○天皇とか○○公爵とか国会議員をしております○○の舎弟~から始まったり、
お上から賜ったといって十手を誇示したのと同様河原乞食には
許可、認可されたというだけのことを事大に宣伝するために
高いところに櫓を掲げてそのことを吹聴するという伝統がある。
歌舞伎座の青い櫓も相撲の太鼓櫓も仮設ですが似たようなもの。
まあ恩賜のタバコや拝領の刀などの類と同じようなもの。
60年安保のとき現れた右翼集団のような非合法暴力装置は、
たびたび組合潰しとしても使われている。
権力はしばしば非合法装置をつかうだけでなく、
己の権威をかさに興行のフィクサーであることが多い。
政治家・大野伴睦が力道山の後ろ盾であったことは有名。
だからといって伴睦老の政治的実績をいささかも汚してはおりませんが。
まぁ新幹線駅岐阜羽島に何度も下りたつた者にはその意味が良くわかる。
まだまだ2日ニュースで遣っててる大相撲
日本の所謂ジャーナリスト達、恥を知れ、
お前ら一回も賭けマージャンをした事ないのか、
何回もあるだろ!
欧米と違って報復を恐れて名前を出さないで隠れて記事を出す恥さらしさよ!
キリストが「一度も罪をおかしたことのないものだけが石をなげよ」
とも言ってるだろう!
お前らには石がイッパイ投げられるだろう!
いやいやいやwwwwwwwww
ネットウヨと宗教右翼とヤクザと そしてキリスト教の関係を 見事に披露していますねぇ
歌舞伎役者も相撲取りも出自は「河原乞食」であり、
仕切っていたのがヤクザである。
歌舞伎と相撲は、
明治時代の官僚が「天覧興行」などをセッティングしつつ、
対外国的な「国技」「伝統芸能」へと仕立て上げた。
取り残されたのがヤクザ。
「被差別部落民」や「第三国人」など理不尽に社会から締め出されていた人々の受け皿となり現在に至る。
とはいえ、たけしのヤクザ映画などは海外で大人気だし、
指つめ、兄弟盃など、じゅうぶんに「伝統芸能」である。
実話などの週刊誌の写真の襲名式への郷愁。
相撲も歌舞伎もヤクザも「襲名」する。
芸人の歴史を繙くと、ただちに、彼らが絶えず白眼視されてきたことが了解される。
なぜ差別されてきたか。
彼らは実生活に役立つ生産活動に携わっていないから。
歌舞伎役者はかつて河原乞食という蔑称を受けてた。
ヤクザ、女郎、そして芸人は十把一絡げに〈河原者〉と呼ばれていた。
ヤクザは男を売り、女郎は女を売り、芸人は芸を売る。
しかし生産手段は持っていません。
そんな彼らをお上は、畑にさえならない河原に追いやっていた。
それでも彼らは生きていかなければなりません。
芸人はひたすら芸を磨き、芸を売って生きてきた。
歌舞伎という言葉は〈かぶき=傾き〉という言葉から
社会の周縁から、社会を斜に構えて見ている人たち、
要するにアウトロー。
歌舞伎役者はよく屋号で呼ばれる。
成駒屋とか、中村屋とか、高麗屋とか・・・
これは、江戸時代、士農工商のその下で乞食扱いされていた芸人が
屋号で呼ばれることによって
商人と同列に扱いを受けたかったかららしい。
海老・・・江戸歌舞伎を大成した創始者直系。團十郎を出せる唯一の家柄。
換えがきかない最も重要な家柄。★天皇が観覧する芝居は團十郎のみ。★
歴代團十郎は不慮の事故でもない限り必ず人間国宝になれる。
他の例で例えると天皇。
亀・染・・・無ければ無いで換えはきくが決してトップにはなれない。
なにかの間違いで本流が絶えそうな場合に緊急避難で養子を出せる家柄。
他の例で例えると宮家、徳川御三家、御三卿。
勘・・・先祖が宗家の親戚というだけ。他の例で例えると親藩大名。
獅・・・一応血は引いてるが伝統の絶えた家系、又は没落した家系。
他の例で例えると没落士族。限りなく庶民に近い。
小泉、森らと勝手に“大連立”前原誠司
、ほとんどのゲストが礼服やタキシードで出席していたのに、前原国交大臣は仰々しい紋付き袴姿で会場入り。
正月のTV番組みたいだった。
「大勢の有名人が集まる晴れの席に招かれて、舞い上がったのでしょう。
しかし、森元総理みたいに仕事のないロートル政治家ならともかく、
現職大臣。
芸能人ではない。
今回は出席できない旨を伝えてわび、秘書に祝儀を持たせるのが常識。
おまけにあの姿。
自らのバカさ加減をさらけ出したようなもの
出自は隠せない前原誠司。
セレブ仲間入りであせっている。
売国奴政治家への転落まっしぐら。
小泉家一家入り。
御曹司進次郎を担ぎ小泉誠司
民族差別の苦しんで石井紘基先輩議員の爪の垢でも煎じて飲め。
石井紘基の真実を追究した政治姿勢。
その資料をタンボールに詰め、娘さんが託して預かってるのが野党党首時代の菅直人。
菅も前原も8月である。
日本人なら・・・
石井紘基の亡霊に悩まされようゾ!
前原国交大臣の大臣職に関する党人としての地位に不確かさを感じる。
参議院選後始めての党最大の会議両院総会を開いた29日。
ここまで義理を通して梨園の日本テレビからの恩義返しは
そりゃぁ将来・人・一財産作った。
この国の道徳は社会渡りの上手さが人としての基準らしい。
チャンチャラオカシ。
いつ誰がそのようにしたんだぁ?
私人の行為のほうが崇高なる国家的行事より重要視される
笑わせる出ない。
奈良遷都1300年の歴史ある国
その軽薄さで国家が維持されるものか。
太平洋戦争アジア大陸戦争
国家一丸となってひとりも欠ける出なく
鬼畜米英で動きえた先人達は御霊となり8・15以外は帰りえない。
一日だけでは申し訳ないゆえ8月
曼荼羅の国は急遽平和国家になる。
九州地区ブログランキング参加!
・・・元気ください・・・
お願いいたします
プチッ!
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花言葉は・・・・・・・・楽しい思い出友情
大事より 小事重んじ 日々草
青森は「ヤッセーラー」ねぶたで沸き
新潟長岡では大空に世界一の花火の大輪。
天候は辛いようだがパワーが勝ってるようだ。
ビデオを見ている。
菅内閣は一問一答の初めての予算委員会。
生気も覇気も迫力もない菅直人。
自民防衛オタクから「元気を出して」と合いの手。
そんな精神状態で難問山積の国の政権の座にしがみつくのは正常な判断力もない証左
政権交代への国民の期待に背き脱小沢とか舞い上がって
何も実行する力がなく官僚に操作される自民党旧政権政治へと逆行した菅政権
これまでの民主党支持者もあきれ見限っ照るのが現状であろう。
両議院総会後国会開会前に行われた菅ソウリの記者会見
、その覇気のなさにギョッとした有権者も多かったのではないか。
民意を失った総理の顔はこうなるのか。
安倍元総理を彷彿させたものだ。
目はどんよりしていて、話の中身も新味なし。
そんな中、菅が力を込めたのが
「解散・総選挙はまったく考えていない」
というひと言
菅直人には国家・国民のため、という義の心が感じられないゆえ。
野党党派もどこも信用しない。
谷垣
「総理の言葉としては軽い」
菅直人
「財政再建で一歩も引くつもりはありません」
政治家の本分は議会で国政を真摯に論議することにある。
国会議員は全身全霊を注いで本来の職務に取り組まねばならない。
ただし死に体内閣では国会のその本文が何も成り立たない。
菅直人には国家・国民のため、という義の心が感じられないゆえ。
続々と菅直人再選にブレーキをかけている公然たる動き。
鳩山由紀夫前総理グループに属する小沢鋭仁環境相を中心とする勉強会が2日
国会内で初会合を開いた
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/politics/?1280755510
小沢グループとされる海江田代議士は「複数がいい」と
9月1日告示、14日投票で決まった民主党主選に意見を述べている。
8月はお盆、鎮魂の月の民族である。
命を落とした方を貶めることはしたくはない
爺目の生きてきた生き方論には微塵もない事。
ただし、事象のメディアの本質を分析するためゆえ霊にはお許しを頂きたい。
両手を合わせての気概で続ける。
元山岳部?
笑わせる出ない。
一度もハンドルを握ったことのないペパードライバーが
いることを知っているがソレと同じこと
ペーパー山岳部だっんだろう。
「・・・発見時、2人は半袖シャツにジャージー姿で、下半身が沢の水に漬かっていた。」
土質が岩質地域の急峻の急勾配。。
いわゆる岩場の沢の連続
一雨で窪みの急傾斜地はあちこちが洪水状態になる。
日テレ記者とカメラマンが軽装で取材に出かけ
三次被害者となった。
事故が事故を呼ぶ。
霊に対する畏怖はこの国の生き方論の基本にあったハズ。
経済苦自殺者は一時間に4人もいる世相。
人の命が年毎薄くなる風潮にあるゆえなんだろうか。
山岳ガイドが二人の服装を見た
既に最初に見た瞬間からTシャツにジャージ
馬鹿である。
山の神を冒涜している
ガイドではなくても、山登りを経験している人ならば元山岳部ならすぐにわかること。
この二人はあまり山登りに慣れていない
「不慣れな足取りだった」とすぐにわかった、とのこと。
天候と沢の水の冷たさ
興り得る天候不順予測を理由に中止して引き返した、という。
自然にこういう言い方はおかしいが幼児経験で言える。
山は生きている。
精霊が住んでいる。
そういうと・・
笑ってるのが大方の常識であろう。
県民性の差なんだろうか。
ソウではないハズ。
この国は細く南北に長く急峻なる背骨が47都道府県を分けている。
受験戦争のみに明け暮れてなければ
誰しもがこの国の激しき自然に畏怖しているはずだ。
山に入るに正午を分け午後の行動に言われている軽装は死にいくようなるもの。
山は決まりを守れば食の宝庫
戦後興廃期食料なきころに幼き頃を過ごした
山が五体満足の体を拵え授かった。
この十数年一度も医療機関を知らない。
歯科を受診したのみ。
これは老人ゆえの宿命で視力も不味い
順序の通説どうりである。
農業はこの国の瑞穂の民の総ての国家起源の元
水と光と土この豊饒なる国
すべては雲の発生から始まり山に係り水を生み出す。
川を経て海へ
運ばれてきた豊饒のプランクトン水に海の魚が寄り付く
海草などの畑を作る。
魚類が寄り付く。
転生輪廻。
生けしものの地球への共生
縄文人の心根もち伝えるこの列島の民
小泉純一郎売国政権はここでも傷跡を残している。
農業所得はこの10年で半分になった。
就労人口は65歳以上60パーセント以上
自然災害はヒロシマ塩原だけではない国土の興廃が因。
殉教者二人、彼らが何故
仕事の情熱の熱意を超える行動をしたのか。
殺風景なる大自然でも、よりリアルな映像を届けたい。
仕事の職人魂なんであろう。
日曜日の放映に向けて必死だった
其処まではいい。
問題は次にある。
殺されている。
報道予定の番組は「真相報道バンキシャ!」
『バンキシャ』・・・といえば、
この会社の首を取った事案がアル。
そんな古証文ではない。
久保伸太郎(64)
09年3月半ばのことである。
いきなり辞任を発表した
ナベツネの逆鱗に触れたからである。
これも報道されてないことから起きた
通説はこうである。
岐阜県の裏金を誤報して社長が辞任した。。
WIKIが教えてくれる。
≪2008年11月23日の放送で、建設業者の男が出演、岐阜県の土木事務所が架空工事による裏金を捻出していたと証言。
これについて、岐阜県が調査したところ、証言内容が虚偽だったと判断。
2009年2月27日に日テレ関係者が岐阜県に対し謝罪
、2009年3月1日の放送で訂正・謝罪放送を行った
。その後、岐阜県は証言した男を岐阜県警に偽計業務妨害で告訴
、男は2009年3月9日に逮捕された
逮捕された容疑者は「謝礼金が欲しくてやった」と供述。
後に起訴され、懲役5年の求刑に対して懲役3年、執行猶予5年の判決
さらに、責任をとる形で3月16日付で久保伸太郎社長が辞任
、3月22日の放送で社長辞任を報告した上で改めて謝罪放送を行った。
また、関係者の処分については、報道局長の役職罷免と番組関係者4人対して出勤停止の処分を下した。
7月10日にBPOより勧告を受けた
。この事件の検証番組は8月24日未明(8月23日深夜)に放送された。
これに先立ち、8月23日のバンキシャでこの事件の検証特集が放送され、
当時の社長・チーフプロデューサー・報道局長がVTRで謝罪
、番組の終わりに福澤をはじめとするバンキシャ関係者一同が謝罪した。≫
社長が辞任したのに番組が存続することに、
違和感を覚えた方は少なくないだろう。
ソレは真相が報道されていないことから来るもの。
日本テレビの久保伸太郎社長(64)。
岐阜県の裏金問題を報じた 「真相報道バンキシャ!」の誤報の責任をとって辞任を決意した、
本当にそれだけなのか
「日本中が盛り上がったWBCの中継を断ったことが問題視されているのです。
日本ラウンドの主催は 読売新聞社
日テレには優先的な放映権があっただけになおさら。
読売グループ本社会長の 渡辺恒雄から、辞任の前に久保社長がこっぴどく怒られたという話が流れています」
たしかに、日本代表が連覇を達成した24日、渡辺会長は爆発していた。
「腹が立つのは、日テレがなんで 放映しなかったんだということ。
オレはあそこの3割の株主だから、“ふざけんな”と言いたいよ。
この世界は金儲けとは違うんだ。
(放送すると、日テレは)10億円損するって言うんだよ。
それを分かってても、 テレ朝やTBSはやってるじゃないか。
全国的に人気を博したものを日本テレビがやらんのがガマンならんね」
久保社長が責任をとった本当の理由が改めて取り沙汰されているわけだ。
爺目の人生は私憤を公憤の価値観が最大であった。
滅私奉公は当然。
個人でさえ熱情あるヒトはそうである。
ましてや国には、事の大事、小事がある
公人たる前原誠司の軽さ。
前原国交大臣は29日に市川海老蔵の披露宴に出席するため
民主党の両院議員総会を欠席した
大したもんである。
弁舌が振るている。
「社会通念としてどちらを優先するかは政治家が判断する。批判があるなら甘んじて受ける」
「数か月前に案内をいただいていたので当初から決まっていた日程を優先させた」
「冠婚葬祭は人生の大事なセレモニーで、社会通念としてどちらを優先させるか政治家として判断した」
問題はないという認識
テレビが放映してる政治家は三人。
森元総理と小泉純一郎と一緒に嬉しそうに鏡割り。
まー驚きはしない。
、前原が清和会と仲良しなのは今始まった事じゃない。
ただどうなんだろう。
前原はほんとうにスタッフ不足だ。
ゐメール仕掛けはさすがにあの事件は再現、簡単用意である
梨園の、日テレの、絶大なる信用を勝ち得タンあろう。
ただどうなんだろう。
①真央は浅草のやーさんの娘だから家柄的にもぴったりだったんだろうな
????
あとで実証したいこと。
②海老蔵には8歳になる隠し子がいる
隠し子は何故に報道されない
別れた?別れてない?実質女房も。
しかし
知ってて真央大したもんである。
日置明子(ひおきあきこ)→(1999改名)
生年月日: 1974年2月5日 属事務所: ファンハウス佐久間本部→ディケイド
夫: 無 長女:8歳(歌舞伎役者:市川新之助認知)
養育費月百万円。
まったく報道しない豪華結婚式番組の日本テレビ。
相撲はたたかれてるのに、歌舞伎はずいぶんよいしょされてる。
歌舞伎の一家って、いつからセレブ文化人扱い??
、
この国の歴史性からは及びもつかぬ事。
江戸の場合、歌舞伎の芸人は浅草に住む穢多頭弾左衛門の支配下にあった。
彼らは武家社会を中心とした善良な風俗を乱すということで
いつ江戸から追放されるかわからない存在だった。
イレズミ判官遠山の金四郎
あの遠山左衛門尉は天保の改革で放遂されそうになった役者をかばい、
猿岩町に限るということで江戸に芝居小屋を残した大恩人。
日テレ時代劇番組で良く使われるシチエーション
猿若三座の時代から明治維新。
1872(明治5)年の築地新富座。
初めて猿若以外の土地に小屋を建てた
守田勘弥(12代目)の努力で1887(明治20)年に天覧歌舞伎を成功させた。
これが歌舞伎役者を河原乞食から芸術家に一転させた大事件である。
下級武士、足軽上がり、チンピラ同然の明治(坂の上の雲)権力者(明治維新の立役者たち)は
能、狂言は理解できなくても歌舞伎なら分かった。
ゆえに国家、政府による歌舞伎の支援が進み
明治大帝が大そう喜んだ天覧歌舞伎から わずか7年後の1894(明治27)年。
川上音次郎が歌舞伎座の舞台を踏んだことに腹を立てた9代目団十郎が
「舞台を削りなおせ」とのぼせあがるほどに
河原乞食にしか過ぎなかった歌舞伎役者はエラクなったのである
爺目の幼少時代の頃もまだ差別用語が存在した。
額に汗して働かぬものに対してである。
芸能人は蔑まれた。
明治生まれの日清日露に従軍した袈裟助の口癖。
「かわら乞食」
昭和63年までは爺目は耳にしている。
親父が家族ナイショで美空ひばりを見た。
ソレが何年カゴにバレ親父は実権をかなり低下した。
かわら乞食の歴史は何千年も受け継がれてきた
この国の身分制度、分断差別して支配の構造にも使われた。
645年の大化の改新にさかのぼる。
701年に大宝律令が制定される。
朝廷の財源確保のための課税制度が確立される中で、
河原だけが課役免除になった。
河原は当時の唯一の非生産地帯だったからだ。
その河原に集まって生活を営んだ人々は理由はともあれ課役を拒否した人間たち。
「河原者」「河原乞食」
と呼ばれて蔑視されることに甘んじた代わりに
税金を払わないでもよかった。
それがセレブの代名詞
いまでは、巨額な税金を収める「河原乞食」となっている。
河原乞食が初めて納税するようになったのが1875(明治8年)。
芸人たちは祝杯をあげて一人前扱いをされたことに感謝した。
河原者の中には不精者、すね者もいれば反政府の立場をとる人間もいた。
生産手段が与えられない彼らの生きる道が
「ヤクザ」「女郎」「芸人」といった職業を生み出した。
乞食の世界にも階級はある。
ケンタ、ツブ、ダイガラ、ヅケ、シロイ、タカリ、ガセ、タカモノ、カドヅケという順位がある。
乞食の最上級は「ケンタ」
一定の場所に座って営業する。
「ツブ」は俗に言う袖乞、
ブラブラ歩きながら恵みを受ける。
ダイガラとズケは残飯あさりが主、
周辺の料理屋や商店の前を勝手に掃除して残飯を貰ったりする。
ダイガラはズケよりも縄張りが高級だってこと。
シロイはゴミあさり専門。
タカリはちょっと悪質な傾向を帯びた乞食だ。
ガセは女性の場合の売春婦をさす。
タカモノは神社などで小屋掛けの見世物を演じた乞食。
カドヅケも門ごとに訪れ銭を請う芸人。
三味線弾いたり何でもやっていた。
なぜか芸人は乞食の中でもタカリやガセよりも下に並ばされているのが興味深い。
農産物や海産物などを生産せず、あくまで芸で生活する河原乞食は、
時の権力者からすれば厄介な存在だったことが伺える。
封建制度の施政者は、この河原者を有効的に社会に組み入れることを考え出した。
「穢多・非人」という階級がそれである。
彼らは徹底した差別を受けることにより、百姓たちの欲求不満のはけ口にされた。
つまり
保護された芸術は 時の権力者の道具と化し
保護されない芸術は 時の一般民衆からの差別を受ける
という訳だ。
当人達の「芸に対する“誇り”」は別にして だ。
乞食の階級としては最下位の「カドヅケ」から育った浪花節にしても、
明治31年の桃中軒雲右衛門の登場以前は全くの河原乞食扱い。
この系譜は三波春夫にまでつながる。
漫才も
落語家に「河原乞食とは出られない」とストライキをやられ、
1925(大正14)年に始まったNHKの中でも
あらゆる娯楽放送で一番最後まで出演を許可されなかったほど差別された。
この漫才を一般の娯楽にまで押し上げたのが秋田實である。
昭和に入って彼らが社会的に認められ始めたのは戦争に協力するということだった。
慰問舞台は次から次へ送り出され、
軍部にとって芸人と慰安婦はなくてはならぬ存在になってしまった。
最近は河原乞食による政界進出が多い。
天皇制に擦り寄ることにより、世に認められていった河原乞食。
自虐とは、このこと指す。
小沢昭一「私は河原乞食・考」の一節。
負けて征服された者が、
勝って征服した者のご機嫌をとり結ぶために、
こんなバカなブザマなサマで、
「あたくし負けちゃった」と、ビデオテープでもう一度お見せして、
めしのたねにするという、
まことにナサケナイところに、俳優の淵源がある
征服された悲しみや怒りを、すべて自分の中に押しつぶし、笑いものとなっての追従。
それが役者の、芸能者のはじめである
チヤホヤされてると言っても、
「しょせん芸人」
この視線からは逃れられてはいない。
小沢がこの本を書いてから40年経った今も。
そしてそんな視線は、
「キャバ嬢上がり」
「映画で乳首を出した」
女性議員にもイヤというほどたっぷり注がれている。
それを踏まえたうえで、小沢はさらに続ける。
芸能が、芸能の「出身地」をはなれて、支配者の側についた時には、
その芸能はみじめであった。
(中略-雅楽や能や愛国浪曲の例が示される)
体制がわにくみいれられた時、
その芸能は輝きを失って滅びる方向へまっしぐら。
そしてその反対側にいる限り、
芸能は、涙と怒りをはらにこめ、
猥雑、放埓などハレンチな毒をもドップリと包んで、
みずみずしく、溌剌として民衆を楽しませるのである。
擦り寄り=利用であって、決して取り込まれたりしない。
>擦り寄り=利用であって、決して取り込まれたりしない。
実際は、取り込まれる河原乞食が圧倒的
負けて征服された者が、勝って征服した者のご機嫌をとり結ぶために
、こんなバカなブザマなサマで、「あたくし負けちゃった」と
どこかで聞きなれた風景ではないか。
これって日本のアメリカに対する態度と同じ。
強い相手には媚びへつらい、
アジア諸国には居丈高に出る。
次々に現れる売国政治政権
弱虫野郎は死ねばいいのに。
ところで芸人、歌手、俳優など、河原乞食は
いまや若者の憧れの職業になってしまったのも何だかなあ
で 芸を持つ差別される側の系譜の歴史の先に「オタク」が加わる。
その先でネットウヨとニコニコが連なり
宗教右翼と権力の傘で暴れるとして権力に媚び諂っては尻尾を振る犬や猿と化しては
河原乞食の矜持と大衆芸術の成熟の果てに生じた“普通の「オタク」”を叩くも、
どっちが 人の中から生まれ出でる力となり続けるかは
その中で生きる者達が肌で知っている。
乞食以下の精神性しか持てない連中は 自らの優越性を そういう権威性でしか維持できない、
“普通の「オタク」”が そんな権威性なんかは どーでも良く感じるは至極に当たり前。
どっちにせよ乞食以下の精神性しか持てない無敵無党派な連中
錦の御旗とゴミクズの区別すらできないw
岩下俊三のブログ
: 相撲興行にヤクザは当たり前。
それよりマスコミの癒着が問題
砂被りは前から6席しかなく、
その後ろの升席が四人席なのに比べて全部一人席である。
しかもテレビカメラに正対した行司の後ろの向こう正面にヤクザが並ぶというのが、
全然異様でない光景は、大相撲ならでは。
まさに国技と呼ぶにふさわしい日本の伝統が継承されている。
明治天皇の相撲好きが高じて、
いつのまにか江戸の見世物興行を、国家(文科省)管理の免税文化事業にした。
江戸時代から変わらぬものは、
かわら乞食(歌舞伎)と相撲などの見世物小屋を、
実際に取り仕切るのは地回り=ヤクザであり、
それを許可して上前をはねるのが役所であること。
ヤクザに十手取り縄を渡して、
それら芸能・風俗のトラブルを統治させたシステムが、いまも生きている。
しかしあまりにも古いので世襲以外に後継者がおらず、ジリ貧になっているところも、
相撲取りと歌舞伎と為政者=政治家は似ている。
歌舞伎座を一度でも見られた事がありますか。
あの屋根の上、正面にあるのが「櫓」
あれは官許の印。
ヤクザ万能、金銭万能を信奉する、櫓の効果を知らぬ田舎者には無縁のこと。、
あれは万金を積んでも作れない権威の印。
ヤクザが手を出せるのは「地下」じげ、即ち興行を町で行うもの。
興行について、また、ヤクザの歴史について、国民は殆ど知りえていない。
任侠関係の方は知ってること。
櫓についてのご認識はさすが香具師の口上のように
「見上げたもんだ、からすのしょんべん」
そもそも国家権力の後ろ盾があるように権威を誇示するのが、
河原者とやくざ渡世における特徴。
右翼が天皇を掲げ、
やくざの口上のとき○○天皇とか○○公爵とか国会議員をしております○○の舎弟~から始まったり、
お上から賜ったといって十手を誇示したのと同様河原乞食には
許可、認可されたというだけのことを事大に宣伝するために
高いところに櫓を掲げてそのことを吹聴するという伝統がある。
歌舞伎座の青い櫓も相撲の太鼓櫓も仮設ですが似たようなもの。
まあ恩賜のタバコや拝領の刀などの類と同じようなもの。
60年安保のとき現れた右翼集団のような非合法暴力装置は、
たびたび組合潰しとしても使われている。
権力はしばしば非合法装置をつかうだけでなく、
己の権威をかさに興行のフィクサーであることが多い。
政治家・大野伴睦が力道山の後ろ盾であったことは有名。
だからといって伴睦老の政治的実績をいささかも汚してはおりませんが。
まぁ新幹線駅岐阜羽島に何度も下りたつた者にはその意味が良くわかる。
まだまだ2日ニュースで遣っててる大相撲
日本の所謂ジャーナリスト達、恥を知れ、
お前ら一回も賭けマージャンをした事ないのか、
何回もあるだろ!
欧米と違って報復を恐れて名前を出さないで隠れて記事を出す恥さらしさよ!
キリストが「一度も罪をおかしたことのないものだけが石をなげよ」
とも言ってるだろう!
お前らには石がイッパイ投げられるだろう!
いやいやいやwwwwwwwww
ネットウヨと宗教右翼とヤクザと そしてキリスト教の関係を 見事に披露していますねぇ
歌舞伎役者も相撲取りも出自は「河原乞食」であり、
仕切っていたのがヤクザである。
歌舞伎と相撲は、
明治時代の官僚が「天覧興行」などをセッティングしつつ、
対外国的な「国技」「伝統芸能」へと仕立て上げた。
取り残されたのがヤクザ。
「被差別部落民」や「第三国人」など理不尽に社会から締め出されていた人々の受け皿となり現在に至る。
とはいえ、たけしのヤクザ映画などは海外で大人気だし、
指つめ、兄弟盃など、じゅうぶんに「伝統芸能」である。
実話などの週刊誌の写真の襲名式への郷愁。
相撲も歌舞伎もヤクザも「襲名」する。
芸人の歴史を繙くと、ただちに、彼らが絶えず白眼視されてきたことが了解される。
なぜ差別されてきたか。
彼らは実生活に役立つ生産活動に携わっていないから。
歌舞伎役者はかつて河原乞食という蔑称を受けてた。
ヤクザ、女郎、そして芸人は十把一絡げに〈河原者〉と呼ばれていた。
ヤクザは男を売り、女郎は女を売り、芸人は芸を売る。
しかし生産手段は持っていません。
そんな彼らをお上は、畑にさえならない河原に追いやっていた。
それでも彼らは生きていかなければなりません。
芸人はひたすら芸を磨き、芸を売って生きてきた。
歌舞伎という言葉は〈かぶき=傾き〉という言葉から
社会の周縁から、社会を斜に構えて見ている人たち、
要するにアウトロー。
歌舞伎役者はよく屋号で呼ばれる。
成駒屋とか、中村屋とか、高麗屋とか・・・
これは、江戸時代、士農工商のその下で乞食扱いされていた芸人が
屋号で呼ばれることによって
商人と同列に扱いを受けたかったかららしい。
海老・・・江戸歌舞伎を大成した創始者直系。團十郎を出せる唯一の家柄。
換えがきかない最も重要な家柄。★天皇が観覧する芝居は團十郎のみ。★
歴代團十郎は不慮の事故でもない限り必ず人間国宝になれる。
他の例で例えると天皇。
亀・染・・・無ければ無いで換えはきくが決してトップにはなれない。
なにかの間違いで本流が絶えそうな場合に緊急避難で養子を出せる家柄。
他の例で例えると宮家、徳川御三家、御三卿。
勘・・・先祖が宗家の親戚というだけ。他の例で例えると親藩大名。
獅・・・一応血は引いてるが伝統の絶えた家系、又は没落した家系。
他の例で例えると没落士族。限りなく庶民に近い。
小泉、森らと勝手に“大連立”前原誠司
、ほとんどのゲストが礼服やタキシードで出席していたのに、前原国交大臣は仰々しい紋付き袴姿で会場入り。
正月のTV番組みたいだった。
「大勢の有名人が集まる晴れの席に招かれて、舞い上がったのでしょう。
しかし、森元総理みたいに仕事のないロートル政治家ならともかく、
現職大臣。
芸能人ではない。
今回は出席できない旨を伝えてわび、秘書に祝儀を持たせるのが常識。
おまけにあの姿。
自らのバカさ加減をさらけ出したようなもの
出自は隠せない前原誠司。
セレブ仲間入りであせっている。
売国奴政治家への転落まっしぐら。
小泉家一家入り。
御曹司進次郎を担ぎ小泉誠司
民族差別の苦しんで石井紘基先輩議員の爪の垢でも煎じて飲め。
石井紘基の真実を追究した政治姿勢。
その資料をタンボールに詰め、娘さんが託して預かってるのが野党党首時代の菅直人。
菅も前原も8月である。
日本人なら・・・
石井紘基の亡霊に悩まされようゾ!
前原国交大臣の大臣職に関する党人としての地位に不確かさを感じる。
参議院選後始めての党最大の会議両院総会を開いた29日。
ここまで義理を通して梨園の日本テレビからの恩義返しは
そりゃぁ将来・人・一財産作った。
この国の道徳は社会渡りの上手さが人としての基準らしい。
チャンチャラオカシ。
いつ誰がそのようにしたんだぁ?
私人の行為のほうが崇高なる国家的行事より重要視される
笑わせる出ない。
奈良遷都1300年の歴史ある国
その軽薄さで国家が維持されるものか。
太平洋戦争アジア大陸戦争
国家一丸となってひとりも欠ける出なく
鬼畜米英で動きえた先人達は御霊となり8・15以外は帰りえない。
一日だけでは申し訳ないゆえ8月
曼荼羅の国は急遽平和国家になる。
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