<正午>300万の英霊と苦難の国民の霊に一分間の黙祷をささげる

今日の誕生日の花は・・・・ヒオウギ
花言葉は・・・・・・誠意

コチラに写真があります↓
http://www.hana300.com/hiougi.html

思想犯で牢獄の人は20年後の65年に歌う

終戦日 妻子いれんと 風呂洗う

あの惨めな敗戦から65年。
爺目らは直接戦争そのものは知らない。
ただ戦争惨状が起こした事ゆえと知っていることを体験している。
戦いに敗れ住む家も無く食べる物さえ何も無い、
そのすぐ後の世代。
焼け野原の中から生き延びる為に必死の日々。
ゆえに
決して苦しい戦いを終え平和な日本になった終戦記念日ではない。
、この国を未来あるものとするため
それを子や孫に残す為に、
新しい平和日本の建設に向かって第一歩を踏み出した記念日。
決して戦いを終え平和日本を取り戻した日ではない、
アジア諸国や日本の多くの人々の命の犠牲の上に、
GNP世界第二位の経済大国がある。
敗戦から第一歩を踏み出した記念すべき日

戦争は、庶民が始める事は無い。
戦争は時の支配者がはじめるもの。
始末が悪いのはこれをさせる国民がいること。
ウソの羅列の「大本営発表」
を喜んでる輩は時代にいつもいる。
猿骨骸骨みたいに戦争大好きの煽る輩がいるゆえ。
子々孫々までの平和国家を指向する爺目に憑く
爺虐めを楽しんでる犯罪者ブログ・ストーカー。
これらは刑法犯罪者である。
流れは潮目は変わっている。
ネットウヨに公安がいろう
今に自分の遣ってることの罪を味わうこととなろう。

①木村剛逮捕→②河村官房長機密費に地検捜査着手→③森元首相の息子飲酒事故装い→④小泉応援団長稲川会ハマコー逮捕→⑤NHK旧政権寄り解説委員自殺?→⑥参議院決定的圧倒多数清和会推薦候補が破れ中曽根自民党会長の誕生
次々に清和会に権力側からの逆流の兆しが生じている。
それを支える補完勢力も同罪である。

国家が貧しきなると軍需産業傾斜経済が一番手っ取り早い。
人殺し商品の軍事品の輸出も始まろうとしている。
自衛隊にいろう、
徴兵制は手っ取りはやい雇用政策
戦争の悲惨さ惨さは創造できない輩。

戦争が終わった時
国民は「終わった」
始めた人たちは「負けた」
「終戦記念日」「敗戦記念日」
その違いは立ち位置の差なんであろうや。

危うい異常な今日にはある。

自宅の新聞をその顔たるところを見ていただきたい。
世相がおおきく転換したときの調査はこうであった。
2004年はこの国が初めて国軍を戦闘地域への海外に派兵した。
自衛隊イラク派遣開始。

2004年のときの「終戦記念日」「敗戦記念日」

朝日新聞  天声人語  敗戦の日
      社説    ・・・
      記事    終戦記念日

読売新聞  記者の手帳 ・・・
      社説   終戦の日
      記事   終戦記念日

毎日新聞  余録   終戦記念日
      社説   終戦記念日
      記事   終戦記念日

産經新聞  産経抄  終戦記念日
      社説   終戦記念日
      記事   終戦記念日

日本経済新聞 春秋   鎮魂と不戦を祈る「この日」 :終戦
       社説   敗戦の日
       記事   終戦記念日

NHKニュース 終戦の日
日本テレビ  終戦記念日
TBSテレビ   終戦記念日
フジテレビ  終戦記念日:終戦憂国対談
朝日テレビ  終戦記念日


人体実験とその後のソ連投下政策のためだけに日本が人体実験場とされた、
何故今頃かと悔しい思いはある。
政権交代
いろんなところで今頃真
実が明かされる。

NHKスペシャル「封印された原爆報告書」は、8月6日放送。 
8月10日(火) 0:15~1:10に再放送、爺目はこちらをみた。
連続テレビ視聴で焦燥しきったと愚痴った日でアップしている。
「怒涛の如くNHK」2010年8月10日
http://36488.diarynote.jp/?day=20100810
何故二種類あるのか。
長崎に落とされた原爆は、広島のウラン型とは違うプルトニウム型。
ウラン型が先行していたが大量製造可能ゆえプルトニウム型が作られた。
原子力の平和利用という命題のみの国家政策エネルギー策で論じられてる危険性の裏。
原子力発電所は平和裏の運営だけでなく
半永久的に出される原子力のゴミ核廃棄物完全管理一つ出来てなく
鉄製ドラム缶に保存。
その容器さえ腐食しつつあり保存方法に苦慮。
ガラス容器に詰め深下深く埋設。
世界有数の地下資源水国
世界有数の軟弱地震の巣
なにが安全な核廃棄物の保管が出来るはずがない。

国家が電力会社と共謀して太陽光発電普及を阻止してた時期がある。
爺目が役所をやめ太陽光発電事業普及にまい進した過酷な時期。
ひとつひとつ国策の太陽光発電普及邪魔に
全国で初めて風穴を開けていった。
賃借アパート、蓄電して使用
これらすべて爺目が唯一全国で初めて国家に認めさせたこと。
あの文芸春秋社のある紀尾井町にあった国家機関と対峙した成果である。
正直対峙には肝がいった。
其処には勇気付ける秘密があった。
「薩摩のDNAで助けて、ご助力下され、」
暗殺された紀尾井坂の大久保暗殺記念の鎮魂の公園に霊と国家の安寧いやさかを祈った。
今では信じられないこと。
僅か6年前のこと。
政権交代
急速なる太陽光発電に追い風。
自然エネルギー普及、
実に細かに政権交代のその成果が行き渡っていっている。


話を戻す。

広島と長崎に投下した原爆をそれぞれプルトニウム型・ウラン型と二種類。
広島型は細長く長さ3、0m 直径0,7m重さ4、0トン呼称「リトルボーイ(坊や)」
長崎型ずんぐり長さ3,2m 直径1,5m重さ4,5トン呼称「ファットマン(太っちょ)」

広島型 細長い筒の両端に、核分裂に必要な量のウランを2つに分けて備え付ける。
そして、片方のウランに爆薬を仕掛けて、2つのウランがぶつかった瞬間、
次々に核分裂が始まり、膨大なエネルギーが発生する。

、長崎型は爆弾の中心部にプルトニウムを置き、周りにまんべんなく爆薬を配置する。
一気に全方向からプルトニウムに圧力をかけ、核分裂を起こす。

「原爆はこうして開発された」青木書店から刊行した東京工業大の山崎正勝教授(63)
 
核分裂中性子が衝突すると原子核が約半分に割れる現象。
この時に、大きなエネルギーが発生する。

ウラン天然ウラン(原子番号92)には、同じ元素で質量の違う「ウラン238」と「ウラン235」がある。
核分裂に使われるのは「ウラン235」。
ただし、わずか鉱石中に0・7%しか存在しないため、原爆をつくるためには、割合を人工的に高める必要がある。

プルトニウム原子番号94。核分裂を起こす元素で「ウラン238」に中性子を当てて人工的につくる。
ウランを濃縮するより簡単に増産できるので、長崎型原爆の他、現在の核兵器や原子力発電の核燃料に使われている。

発端は1938年、ドイツでウランの核分裂現象を発見
これは科学上の大発見だった。
このニュースは瞬く間に世界の科学者に知れる。

第二次世界大戦を前に世界は危うき状況下にある。中はきな臭い雰囲気に包まれていた。
先駆したのは英国で、核分裂の発見も、新兵器としてすぐに原爆構想へとなる。

41年、米国に伝わると、ルーズベルト大統領は科学者たちに開発を指示
この時点ではウラン型。
プルトニウムの核分裂はまだ実現できるレベルにはなかった。

42年、米国は国策「マンハッタン計画」に着手した。
それまでに、プルトニウムを作りだし、核分裂させることに成功。
それも開発目標の一つに加わった。
第2目標だったプルトニウム型開発が優先され、順位が逆転。
なぜなら、ウラン型原爆に必要な「ウラン235」は、自然界にはごく微量しか存在しない
プルトニウムは、核分裂を持続させる装置「原子炉」さえあれば、いくらでも製造できる。
45年7月までにプルトニウム型2つ
ウラン型1つの計3個の原爆を完成させる。

「新しい発見を求めて研究にまい進するのが科学者。
 そして新しい武器を持てば使いたいのが軍人だ。
 でも人類のためにならないこんな研究は二度とあってはならない」

「封印された原爆報告書」が教え暗示すること。
①広島原爆投下2日目の8月8日には、陸軍省医務局が調査団を組織して、被爆者の調査を開始していた
①ー1
何故交通インフラが戦争でズタズタなのに大量の医者団が編成されヒロシマまで緊急移動が出来たのか。
どうも原爆投下とその後の現地調査が素早すぎる。
新兵器の威力がその現場情況把握があの混乱時期に出来えたのか。

②番組にあった。
インタビューに答えた人の言葉。
「アメリカにとって極めて重要な軍事情報でした。まさに日本人の協力の“賜物”です」
②ー1
ヒロシマ・長崎の悲劇はまだ戦争中である。
国体の護持=天皇制度存続は原爆調査との秘密裏の取引材料ではなかったのか。
異なった2発の原爆を落し因果関係を報告すればまたそれまで降伏しなければ、敗戦後も国体の護持の密約
こうすればつじつまは合う。

③天皇の戦争責任が初めにあり気のマッカーサー占領軍の動きは臭い。
あんなに時代劇さえ禁止した細かな政策なのに
天皇制国家が世界で唯一の玉砕戦術の悲劇を生み出した国の真の原因
その本尊がハナから無罪放免がおかし。

③ー1
アメリカ指導者にしてみればアメリカ国民への説明が要る。
巨費を投じた成果を米国民にも見せなければならない。

④社会主義国ソ連邦Oとの戦争を目指しての原爆投下であった。
④ー1
調査から爆心地からの距離と殺傷力を表す
「死亡率曲線」のサンプルにしていた。
それがその後のアメリカ核戦略の基となるデータ
具体的テレビのことばに「ハッ!」慄然となった、
モスクワ6発、スターリングラード5発、と必要な原爆数を算定したとナレーション。

⑤国民をモルモットにして戦勝国に命乞いをする
⑤-1戦争を引き起こした国体は、原爆を落とされ亡くなったり苦しんだりしている人々を踏み台にして
米国を喜ばせる調査報告をし、国体護持のため、被曝者を利用した
無事、戦後も存続し、今も日本の中枢にいるということもわかる。

爺目デキレースと深読みする。

「文芸春秋」編集者だった半藤一利氏が企画し司会した。
63年の会議がある。
元軍人、政治家、作家ら28人が終戦を振り返った座談会。
「日本はいかにして降伏できたか」という、いわば平和を創るぎりぎりのプロセスが語られていた。
いわゆる映画にもなった一番長い日」である。
 座談会の冒頭、終戦時の内閣書記官長、迫水久常氏発言。
「(7月26日の)ポツダム宣言は寝耳に水だった。もっぱらソ連を仲介とする和平工作に目を向けていた」
原爆開発情況は把握してあったハズ。
そこからも読み取れること。

宗主国に頭があがらず国民に配るべき国富を奪っては米国へ貢歴代国家指導者。
政治の使命で肝要なことは、
  アメリカにへつらい
  国民には負担を押し付ける
その政治的支配を続けることである。

国民は米従属政治家の決定に背くことは一切許されない。
国家国民の疲弊に鑑み国民目線の政府をもてない。
高校までの無償化、子供手当て、農業者保障、高速道無償化・・
僅か8ヶ月で小沢鳩山体制は崩壊。

同じ民主党政権でもまるで別物。
小泉純一郎政治が菅直人の名で復活しつつあるm
またおろかな戦争の匂いがしだした。
不景気はどうにもいけない。

凄惨なる敗戦
勝算は全くなかった。
当時、無理だと判っていた知識人もいた。
誰しもが何故か口を噤んでしまった。
「反戦論者」「アカ」との烙印を押されて、投獄されるのが怖くて。

何も変わってないこの国。

世界から孤立した国際連盟脱退
それが明治元年から65年後だった。
明治維新からその日までと同じ歳月
65年が戦後を流れた

マスメディアの虚報、誤報、偏向報道
世論を捻じ曲げてあらたに作り上げらる官房機密喰いの世論
それに立ち向かう姿勢が失せつつあるブロガーも散見される。。

メルマガに「原点に戻り政策実行」
小沢一郎再始動の合図?

いいではないか
たかがブログ。
雇用の総ても爺目のブログで勝手に言うことに過ぎない

純に師に従う。
深夜に焼酎のつまみに・・・
 「キャベツ食べる!」
宣告を受け
  先が見えてきたというのに・・・

○1946年高校野球開催745高校参加。
  甲子園は米軍接収ゆえ西宮球状
○1947年インド独立、ネールトップに。
○1948年渋谷忠犬ハチ公像再建
○1963年第一回戦没者追悼式・於・日比谷公会堂
○1969年ニューヨーク3日間ボブヂュランらで3日間グッドフェステバル

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