今日の誕生日の花・・・・コルチカム
花ことばは・・・・・・・・回顧、努力
コルチカムとは和名:イヌサフラン 英名:オータムクロッカス
球根はほって於いても根を出し、花を咲かせます。
花の咲く時期で春咲き・秋咲き・冬咲きと三種アル。
花の写真はコチラ↓
http://www.sqr.or.jp/usr/fujiengei/gd/BP/BP1001/index.html
球根やタネに含まれるコルヒチンは劇物で中毒例もある。
球根を誤って口にしないよう気をつけましょう。
球根やタネに含まれるコルヒチンが痛風の治療、植物の品種改良に用いられ、薬用植物として古くから知られてる。
花姿は和名や英名の通りサフランやクロッカスに似ています。
サフランとクロッカスはアヤメ科、
コルチカムはユリ科
なので見た目とは違い植物としては互いに縁は遠い
盲目時期には解らない。
恋のころ 来し花野にて 子を抱けり
この国の政治は与野党がそれぞれ権力を握っている。
衆議院は民主党
参議院は野党多数派
いくら民主党が国民目線の政治法案を作ろうとも
法案は成立しない。
いわゆるねじれの政治構造問題は深い
参議院選選挙で敗北したのはズバリッ!
「消費税増税」発言であろう。
敗北の責任をとらない菅直人政権は
「政治とカネ」と言いたげだが本音をださずに
総括の場の議員総会を乗り切った。
石井一の締めくくり的発言で「アレッ!?」
と思ったモノだ。
政治的立ち位置を変えてるを知らなかったゆえのこと。
敗北の将の菅直人の詭弁術は仙石枝野弁護士コンビの知恵どころカラなんだろう。
記者クラブ主催の菅小沢討論会
参議院選挙敗北を菅直人
「天の配剤だと申しあげているんですけれども、こういう中で合意形成ができる」
ちょっとマッタ!
「オイッ オイ」
選挙の負けはいいってかー
壮大なるネジレに対する菅直人のカン違い。
参議院選挙敗北
一晩のトロイカ体制といい
東京での立ち会い演説会の「開発したクスリ」の前振りの奇妙さといい
なんか菅直人総理はすっからカン、おかしくなっている。
衆議院は通過したのにまだ参議院選挙前ゆえ過半数以上の多数派の参議院議員。
強行採決なり会期延長なりの技術を駆使すれば重要法案は総て成立してた。
何故か菅直人内閣は国会を閉じ選挙戦に突入した。
たしかに小沢鳩山辞任効果もあり世論任期はあった。
それは選挙勝利のための狙い通りの戦術。
郵政民営化見直し、雇用法案重要法案
総て廃案で流れた。
国家を守るにこれほど衝撃事項はない。
あれほど騒いでたのに遠く忘れ去られている。
ナンのため衆議院の強行突破であったのか。
小泉純一郎ら新自由主義者たちの高笑いが聞こえる。
その後の政治行動から意図的なだったとさえ覚える
仙石官房長官の正体がばれその意を強めている。
菅内閣は公務をないがしろにしてはいないか。
蓮舫 公務はどうした!民放3局ハシゴに批判噴出 日刊ゲンダイ9/3記事
TV出演で「菅再選」アピール
まあ~テレビ人間のパフォーマンス能力に優れもの揃いの菅内閣。
わからづではない。
縄文人の心根の小沢一郎は逆にパフォーマンスは大の苦手と言われていた。
テレビとの距離もとる。
自己評価でも「口下手で、パフォーマンスが苦手」と合致する。
さらに、人をほめたり、感謝の気持ちを表現するのは不得意。
なぁ~んだ田舎の爺目とおなじではないか。
東京大阪での立ち会い演説会の見てくれの両者の差。。
主旨は国民にお願いスルのである。
菅直人
上着無しノーネクタイで腕をまくし上げ汗を拭きつつ
大演説。
小沢一郎
長袖のワイシャツにネクタイに背広
額の汗も拭くことなにる
確かに炎天下である。
クールビズ全盛らしい。
爺目地主さん宅周りも炎天下も寒き冬も変わらずおなじ服装。
ただ、はるやまフタタのぶら下がりスーツではある。
心根の矜持のこと
仕事観が同じである。
プロはこの状況をこう書く。
・・・
・正装して、威儀を正すという礼儀を重んじる昔かたぎの律儀な小沢前幹事長の姿がそこにあった
・菅直人首相は、白いワイシャツの腕をまくり上げるというクールビズ姿で表れ、ガッツポーズを何度も振り上げ対抗していた。
どちらを選ぶかは、国民の選択次第である。
・・・・
新恭ブログでの小沢一郎評
小沢一郎はパフォーマンスは大の苦手・・・
小泉純一郎のように、土俵上で「感動した」と言ってみたり、ブッシュの前でプレスリーの真似をするような愛嬌は皆無だし、
森喜朗のように、小泉の演説は政治家の演説じゃないとこきおろして、自分の弁舌を自慢するお調子者でもない。
ところが、代表選街頭立会い演説会での小沢一郎は、想像をはるかに超えて、雄弁だった。
勝負をかけた舞台では名優になれるのが、ミステリアスなところといえようか。
民主党の代表選がはじまって、小沢氏が各局のテレビ番組に出るようになった。
話が端的で、分かりやすい。
相手の隙をズバリと突く。
これまでテレビを味方につけようとしなかったのが不思議なほどだ。
世論調査では、菅首相よりおそろしく支持率が低い。
しかし、潮目は変わりつつあるように見える。
小沢氏サイドが周到に出演番組を選んでいるのが大きい。
テレビ朝日では、鳥越俊太郎、大谷昭宏らが質問者となったスーパーモーニングに出て、
星浩や藤原帰一が顔をそろえるサンデープロジェクトへの出演を断った。
フジテレビでは、榊原英資の参加を確認して、新報道2001に出演。
NHKでは、小沢氏一人に聞くニュースウオッチ9に。
それから司会者、菅首相と三人だけの日曜討論にも出演した。
こうした番組選択は、断られた番組の司会者やプロデューサーの反感をかうだろうが、
すべての番組の要請に応じるわけにもいくまい。
自分の持ち味を醸し出すのに適した場所を選ぶというのは、首相をめざす政治家としては当然の戦略といえる。
「総理大臣が決めるんです」。
これが小沢の殺し文句だ。
霞ヶ関の厚い壁をぶち壊して、必要な予算をつけ、不要な予算を削れるのは自分だけだという小沢の自信には、心を揺さぶられる人も多いだろう。
菅首相の著書「大臣」にこういうくだりがある。
「政治家がトップダウンでやるというと、独裁につながるという批判の声をよく聞く。
しかし、私は誤解を恐れずあえて言えば、民主主義というのは『交代可能な独裁』だと考えている。」
筆者は、菅氏にこの言葉の実行を期待した。
むろん、主権者である国民に委ねられた者としてのトップダウン政治を、である。
ところが彼は、それをはき違えてしまった。
国民が昨年の衆院選で民主党に勝たせたのは、政官財共同体のための官僚支配体制を解体して、
国民のための政治家主導へとこの国のかたちを変革してもらいたいからだった。
首相に就任した菅氏が参院選を前に、党内議論を経ずして消費増税への航路をさし示したのは、
あきらかにトップダウンのはき違えである。
財務大臣でいる間にギリシャ危機などでさんざん官僚に脅された菅氏は、
首相就任早々、財務省の軍門に下った。
与謝野馨、谷垣禎一といった財務省御用達の財政再建タカ派と似たようなことを言いはじめた。
念願の首相の座についた直後の菅氏は、興奮し意気込んだに違いない。
「小鳩」が去り、内閣支持率がⅤ字回復し、長期政権の可能性が転がり込んできたように見えた。
その、はやる気持ちが心眼を曇らせたのか、それとも霞ヶ関をコントロールできず苦しんできた鳩山政権の味わった苦労を避けたかったのか、改革政権とはもはや言えない、安易な道を歩いていこうとし始めたのである。
参院選で惨敗したあとの怖じ気ぶりと、守勢は、傍目にも痛々しいほどだった。
野党時代の威勢のよさが無くなるのは、あるていど仕方ないとしても、薬害エイズ事件に関し、官僚を一喝して重要ファイルを見つけ出したあの蛮勇はどこへ消えたのかといぶかる国民も少なくあるまい。
シロウト衆の党執行部でねじれ国会を乗り切れるわけはないが、「脱小沢」の旗を降ろすわけにもいかず、いまさら党務の第一人者、小沢氏に擦り寄れば自らの政治生命が危うくなる。
菅首相は完全なジレンマに陥ったまま、代表選に突入し
小沢氏に果敢に攻め込まれ、防戦一方というのが菅氏の現状だろう。
いずれにしても、霞ヶ関という巨大組織を思うように動かさなければこの国は変わらない。
どちらに変革を託すのが早道なのかを、投票権を有する人たちはしっかり見極める必要がある
アレレレッ!
一部のつもりが新 恭 ブログ丸写し。
まぁ~医者嫌いゆえが覚悟を決めての日でもあり、すこぶる不愉快
この状態でプロのブログに接するは有り難い。
プロの書き手の発進力に近づきたいゆえブログに敬意をこめてたらこうなった。
手術は大成功なんだろうが絆創膏はかゆいし麻酔がとれ患部は痛かゆいし・・・・。
「どんげねー」
「そりゃー大変」
「安静期間抜けたら連絡します。」
友人は実に有り難い。
感謝に堪えない。
リンクの方からご提言いただき有り難い。
大意「短く、解りやすい技術の多様を用いたら。」
PC技術がほとんど無くご提言を生かす手法をみいだしたい。
もともと指の練習のボケ防止
思いついたことや発進力アルブログでご教示いただき
それを書き留めてるだけ。
ブログは所詮自分自身の今後に生かす備忘録
他人様向け主流ではなく
自分の将来に振り返る自分自身のための日記帳。
新聞切り貼りノートがPCブログに変わっただけ。
その程度の認識の10年になる。
HPは公式、ブログは非公式
役割からはかってにそう思いこんでいる。
板垣ブログには日々お世話になっている。
流石にプロの書き手は素晴らしい。
かくありたいモノ。
ただ6日吉田松陰の所や西郷遺訓はどこかで読んでいる。
プロもその日の事情でこのことの手法でアップされたんであろう。
毎日一人である
いろいろとあるんだろう。。
「拡散」で考えると違和感はない。
ましてや有料でなくプロが無料提供。
いつも有り難うございます。
写経の如く丸写しは爺目流。
それを自分の思考に取り入れる。
会話の時こんな意見があったと引き出しから取り出し使う。
子育てで天声人語丸写しを日課にさせた。
効果の程どうなんだろう。
思考のし方文章技術身につくモノか。
なんにつけ生かすも殺すも
その人自身の立ち位置構え方にあると思う。
この年齢での体力がいる手術台は辛い。
ナントカ乗り切ったが不愉快きわまりない状況。
必死でキーボードに一本指打法で挑む「ヘンカ~ンッ!」
いずれの場面でも国難の課題は抜けないとの爺目なりの存在証明のため。。
幼少、少年、社会人、仕事といずれでも時間を割りながら、そのように生きてきた。
6日この日の最大の感動事項
全く知らなかったこと。
「北」の大兄様の手術成功プレゼントと、かってに解釈
米国国立標準技術院が9・11WTCビル・内部爆破証拠写真とビデオを公開-gooブログ
http://blog.goo.ne.jp/flatheat/e/ffb91eeec6b16ea5817562cacbe90148
コレは世界の動揺となろう。
あまりにも大きすぎる。
世界支配の手法がバレバレ
各国にそれぞれ細々生きてる憂国の民に勇気を与えよう。
9・11WTCビル破壊はイラク戦争決断に巻き込ませるための
都市伝説類の謀略で言われてきた。
これで・・・・
NHK景山日出男解説員・・
違う
憂国の報道職人NHK長谷川主幹
の2001.10.15の不可解死の魂。
ペンタゴンといいWTCビルといい実に不可解。
真実をつたえNHK番組で解説してたら即不可解死
真実が明らかにされれば少しはさまよってる魂が報われよう。
あわせてあの人々の夥しきグラウンド「0」に眠る霊。
二度と謀略で世界が混乱無きように
必死にブログに向かう。
クリック よろしく
↓ ↓
http://blog.with2.net/link.php?62076
↑ ↑
花ことばは・・・・・・・・回顧、努力
コルチカムとは和名:イヌサフラン 英名:オータムクロッカス
球根はほって於いても根を出し、花を咲かせます。
花の咲く時期で春咲き・秋咲き・冬咲きと三種アル。
花の写真はコチラ↓
http://www.sqr.or.jp/usr/fujiengei/gd/BP/BP1001/index.html
球根やタネに含まれるコルヒチンは劇物で中毒例もある。
球根を誤って口にしないよう気をつけましょう。
球根やタネに含まれるコルヒチンが痛風の治療、植物の品種改良に用いられ、薬用植物として古くから知られてる。
花姿は和名や英名の通りサフランやクロッカスに似ています。
サフランとクロッカスはアヤメ科、
コルチカムはユリ科
なので見た目とは違い植物としては互いに縁は遠い
盲目時期には解らない。
恋のころ 来し花野にて 子を抱けり
この国の政治は与野党がそれぞれ権力を握っている。
衆議院は民主党
参議院は野党多数派
いくら民主党が国民目線の政治法案を作ろうとも
法案は成立しない。
いわゆるねじれの政治構造問題は深い
参議院選選挙で敗北したのはズバリッ!
「消費税増税」発言であろう。
敗北の責任をとらない菅直人政権は
「政治とカネ」と言いたげだが本音をださずに
総括の場の議員総会を乗り切った。
石井一の締めくくり的発言で「アレッ!?」
と思ったモノだ。
政治的立ち位置を変えてるを知らなかったゆえのこと。
敗北の将の菅直人の詭弁術は仙石枝野弁護士コンビの知恵どころカラなんだろう。
記者クラブ主催の菅小沢討論会
参議院選挙敗北を菅直人
「天の配剤だと申しあげているんですけれども、こういう中で合意形成ができる」
ちょっとマッタ!
「オイッ オイ」
選挙の負けはいいってかー
壮大なるネジレに対する菅直人のカン違い。
参議院選挙敗北
一晩のトロイカ体制といい
東京での立ち会い演説会の「開発したクスリ」の前振りの奇妙さといい
なんか菅直人総理はすっからカン、おかしくなっている。
衆議院は通過したのにまだ参議院選挙前ゆえ過半数以上の多数派の参議院議員。
強行採決なり会期延長なりの技術を駆使すれば重要法案は総て成立してた。
何故か菅直人内閣は国会を閉じ選挙戦に突入した。
たしかに小沢鳩山辞任効果もあり世論任期はあった。
それは選挙勝利のための狙い通りの戦術。
郵政民営化見直し、雇用法案重要法案
総て廃案で流れた。
国家を守るにこれほど衝撃事項はない。
あれほど騒いでたのに遠く忘れ去られている。
ナンのため衆議院の強行突破であったのか。
小泉純一郎ら新自由主義者たちの高笑いが聞こえる。
その後の政治行動から意図的なだったとさえ覚える
仙石官房長官の正体がばれその意を強めている。
菅内閣は公務をないがしろにしてはいないか。
蓮舫 公務はどうした!民放3局ハシゴに批判噴出 日刊ゲンダイ9/3記事
TV出演で「菅再選」アピール
このままでは敗北必至の菅陣営
なんでもアリのダーティーな選挙戦に手を染めはじめている。
「党首選でなく総理の仕事を邁進する」
閣僚たちはどうなんだろう。
目に余る、現職の大臣が公務を放り出して「菅再選」に走り回っている
国政そっちのけで代表選に血道を上げている閣僚たちは、国民生活はどうでもいいらしい。
さすがに党内から批判が噴出したのが、蓮舫行政刷新相
テレビ出演3連発。
代表選が告示された9月1日、平日の真っ昼間だ菅再選を訴えるために、テレビ番組を3つもハシゴした。
①、正午~12時30分は、テレビ朝日の「ワイド!スクランブル」。
②12時45分~13時はTBSの「ひるおび!」。
③さらに15時25分~16時はフジテレビの「民主党代表選特番」に生出演
日韓ゲンダイの記事
当然その間、大臣としての仕事は一切、していない。
「蓮舫のテレビ出演には、民主党議員だけでなく官僚も『大臣の仕事をどう考えているのか』と呆れ返っています。
休日や深夜ならまだしも、平日の昼間に公務そっちのけ
代表選にうつつを抜かしているのだから話にならない。
民主党は『事業仕分け第3弾』として10月から特別会計に切り込む予定。
本来なら蓮舫大臣は準備に追われて、連日徹夜で寝る暇もないハズ。・
うれしそうにテレビ局をハシゴしている。
この調子では準備が間に合わず、事業仕分けは財務官僚に丸投げすることになりそうです」と民主党関係者
蓮舫は周囲に「菅首相が遊説で街頭に立つときは、私は全部応援に行って、菅さんの隣に立つつもり」
と漏らしているらしい。
最初から代表選が終わるまで、大臣としての仕事は二の次、三の次のつもりなのだろう。
野田財務大臣は株最安値放置して代表選
「大臣の仕事に身が入っていないのは、蓮舫だけではありません。
小沢・菅会談が行われた8月31日には、午後3時すぎから議員会館の菅の部屋に岡田外相、野田財務相、前原国交相、北沢防衛相、玄葉特命担当相、蓮舫行政刷新相……と
、菅支持派の大臣が勢ぞろいして代表選をどう戦うか密談していた。
ちょうど、その時間は株価が年初来安値(8824円)を更新してマーケットが閉じた頃です。
なのに、財務大臣までが、株暴落を放置しているのだからヒドすぎます。
市場関係者は『こんな財務大臣では日本は沈没する』とカンカンでした。
彼らは国民生活など眼中にないのでしょう」(政界事情通)
「反小沢」一派の大臣たちは、小沢首相が誕生したらパージされるから、必死になって菅再選に動いているのだろうが
、民主党は現職閣僚が公務を放棄して、代表選に走り回るのを禁止すべきだ。
世間受けはイイが蓮舫行政刷新相は、大臣としての能力が疑問視されているのだから、
テレビに出ている場合じゃないだろう。
24時間、大臣の職務に全力を傾けるのが当然というものだ。
まあ~テレビ人間のパフォーマンス能力に優れもの揃いの菅内閣。
わからづではない。
縄文人の心根の小沢一郎は逆にパフォーマンスは大の苦手と言われていた。
テレビとの距離もとる。
自己評価でも「口下手で、パフォーマンスが苦手」と合致する。
さらに、人をほめたり、感謝の気持ちを表現するのは不得意。
なぁ~んだ田舎の爺目とおなじではないか。
東京大阪での立ち会い演説会の見てくれの両者の差。。
主旨は国民にお願いスルのである。
菅直人
上着無しノーネクタイで腕をまくし上げ汗を拭きつつ
大演説。
小沢一郎
長袖のワイシャツにネクタイに背広
額の汗も拭くことなにる
確かに炎天下である。
クールビズ全盛らしい。
爺目地主さん宅周りも炎天下も寒き冬も変わらずおなじ服装。
ただ、はるやまフタタのぶら下がりスーツではある。
心根の矜持のこと
仕事観が同じである。
プロはこの状況をこう書く。
・・・
・正装して、威儀を正すという礼儀を重んじる昔かたぎの律儀な小沢前幹事長の姿がそこにあった
・菅直人首相は、白いワイシャツの腕をまくり上げるというクールビズ姿で表れ、ガッツポーズを何度も振り上げ対抗していた。
どちらを選ぶかは、国民の選択次第である。
・・・・
新恭ブログでの小沢一郎評
小沢一郎はパフォーマンスは大の苦手・・・
小泉純一郎のように、土俵上で「感動した」と言ってみたり、ブッシュの前でプレスリーの真似をするような愛嬌は皆無だし、
森喜朗のように、小泉の演説は政治家の演説じゃないとこきおろして、自分の弁舌を自慢するお調子者でもない。
ところが、代表選街頭立会い演説会での小沢一郎は、想像をはるかに超えて、雄弁だった。
勝負をかけた舞台では名優になれるのが、ミステリアスなところといえようか。
民主党の代表選がはじまって、小沢氏が各局のテレビ番組に出るようになった。
話が端的で、分かりやすい。
相手の隙をズバリと突く。
これまでテレビを味方につけようとしなかったのが不思議なほどだ。
世論調査では、菅首相よりおそろしく支持率が低い。
しかし、潮目は変わりつつあるように見える。
小沢氏サイドが周到に出演番組を選んでいるのが大きい。
テレビ朝日では、鳥越俊太郎、大谷昭宏らが質問者となったスーパーモーニングに出て、
星浩や藤原帰一が顔をそろえるサンデープロジェクトへの出演を断った。
フジテレビでは、榊原英資の参加を確認して、新報道2001に出演。
NHKでは、小沢氏一人に聞くニュースウオッチ9に。
それから司会者、菅首相と三人だけの日曜討論にも出演した。
こうした番組選択は、断られた番組の司会者やプロデューサーの反感をかうだろうが、
すべての番組の要請に応じるわけにもいくまい。
自分の持ち味を醸し出すのに適した場所を選ぶというのは、首相をめざす政治家としては当然の戦略といえる。
「総理大臣が決めるんです」。
これが小沢の殺し文句だ。
霞ヶ関の厚い壁をぶち壊して、必要な予算をつけ、不要な予算を削れるのは自分だけだという小沢の自信には、心を揺さぶられる人も多いだろう。
菅首相の著書「大臣」にこういうくだりがある。
「政治家がトップダウンでやるというと、独裁につながるという批判の声をよく聞く。
しかし、私は誤解を恐れずあえて言えば、民主主義というのは『交代可能な独裁』だと考えている。」
筆者は、菅氏にこの言葉の実行を期待した。
むろん、主権者である国民に委ねられた者としてのトップダウン政治を、である。
ところが彼は、それをはき違えてしまった。
国民が昨年の衆院選で民主党に勝たせたのは、政官財共同体のための官僚支配体制を解体して、
国民のための政治家主導へとこの国のかたちを変革してもらいたいからだった。
首相に就任した菅氏が参院選を前に、党内議論を経ずして消費増税への航路をさし示したのは、
あきらかにトップダウンのはき違えである。
財務大臣でいる間にギリシャ危機などでさんざん官僚に脅された菅氏は、
首相就任早々、財務省の軍門に下った。
与謝野馨、谷垣禎一といった財務省御用達の財政再建タカ派と似たようなことを言いはじめた。
念願の首相の座についた直後の菅氏は、興奮し意気込んだに違いない。
「小鳩」が去り、内閣支持率がⅤ字回復し、長期政権の可能性が転がり込んできたように見えた。
その、はやる気持ちが心眼を曇らせたのか、それとも霞ヶ関をコントロールできず苦しんできた鳩山政権の味わった苦労を避けたかったのか、改革政権とはもはや言えない、安易な道を歩いていこうとし始めたのである。
参院選で惨敗したあとの怖じ気ぶりと、守勢は、傍目にも痛々しいほどだった。
野党時代の威勢のよさが無くなるのは、あるていど仕方ないとしても、薬害エイズ事件に関し、官僚を一喝して重要ファイルを見つけ出したあの蛮勇はどこへ消えたのかといぶかる国民も少なくあるまい。
シロウト衆の党執行部でねじれ国会を乗り切れるわけはないが、「脱小沢」の旗を降ろすわけにもいかず、いまさら党務の第一人者、小沢氏に擦り寄れば自らの政治生命が危うくなる。
菅首相は完全なジレンマに陥ったまま、代表選に突入し
小沢氏に果敢に攻め込まれ、防戦一方というのが菅氏の現状だろう。
いずれにしても、霞ヶ関という巨大組織を思うように動かさなければこの国は変わらない。
どちらに変革を託すのが早道なのかを、投票権を有する人たちはしっかり見極める必要がある
アレレレッ!
一部のつもりが新 恭 ブログ丸写し。
まぁ~医者嫌いゆえが覚悟を決めての日でもあり、すこぶる不愉快
この状態でプロのブログに接するは有り難い。
プロの書き手の発進力に近づきたいゆえブログに敬意をこめてたらこうなった。
手術は大成功なんだろうが絆創膏はかゆいし麻酔がとれ患部は痛かゆいし・・・・。
「どんげねー」
「そりゃー大変」
「安静期間抜けたら連絡します。」
友人は実に有り難い。
感謝に堪えない。
リンクの方からご提言いただき有り難い。
大意「短く、解りやすい技術の多様を用いたら。」
PC技術がほとんど無くご提言を生かす手法をみいだしたい。
もともと指の練習のボケ防止
思いついたことや発進力アルブログでご教示いただき
それを書き留めてるだけ。
ブログは所詮自分自身の今後に生かす備忘録
他人様向け主流ではなく
自分の将来に振り返る自分自身のための日記帳。
新聞切り貼りノートがPCブログに変わっただけ。
その程度の認識の10年になる。
HPは公式、ブログは非公式
役割からはかってにそう思いこんでいる。
板垣ブログには日々お世話になっている。
流石にプロの書き手は素晴らしい。
かくありたいモノ。
ただ6日吉田松陰の所や西郷遺訓はどこかで読んでいる。
プロもその日の事情でこのことの手法でアップされたんであろう。
毎日一人である
いろいろとあるんだろう。。
「拡散」で考えると違和感はない。
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いつも有り難うございます。
写経の如く丸写しは爺目流。
それを自分の思考に取り入れる。
会話の時こんな意見があったと引き出しから取り出し使う。
子育てで天声人語丸写しを日課にさせた。
効果の程どうなんだろう。
思考のし方文章技術身につくモノか。
なんにつけ生かすも殺すも
その人自身の立ち位置構え方にあると思う。
この年齢での体力がいる手術台は辛い。
ナントカ乗り切ったが不愉快きわまりない状況。
必死でキーボードに一本指打法で挑む「ヘンカ~ンッ!」
いずれの場面でも国難の課題は抜けないとの爺目なりの存在証明のため。。
幼少、少年、社会人、仕事といずれでも時間を割りながら、そのように生きてきた。
6日この日の最大の感動事項
全く知らなかったこと。
「北」の大兄様の手術成功プレゼントと、かってに解釈
米国国立標準技術院が9・11WTCビル・内部爆破証拠写真とビデオを公開-gooブログ
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コレは世界の動揺となろう。
あまりにも大きすぎる。
世界支配の手法がバレバレ
各国にそれぞれ細々生きてる憂国の民に勇気を与えよう。
9・11WTCビル破壊はイラク戦争決断に巻き込ませるための
都市伝説類の謀略で言われてきた。
これで・・・・
NHK景山日出男解説員・・
違う
憂国の報道職人NHK長谷川主幹
の2001.10.15の不可解死の魂。
ペンタゴンといいWTCビルといい実に不可解。
真実をつたえNHK番組で解説してたら即不可解死
真実が明らかにされれば少しはさまよってる魂が報われよう。
あわせてあの人々の夥しきグラウンド「0」に眠る霊。
二度と謀略で世界が混乱無きように
必死にブログに向かう。
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今日の誕生日の花は・・・ヨルガオ
花ことばは・・・・・・妖艶
6日朝8時いよいよ二回目の断頭台にのぼる。
オスのお医者様の持つメスが「スッー」と前回体内をかき分けるがよくわかる。
う~~ん
気持ちのいいモノではない。
お参りで心を整える。
「スッー」何かが通り過ぎた。
確かに。
好くは解らぬが確かに何かに生かされている。
白き花でいいではないか。
今夜は幾つの白き花を咲かしてくれようか。
夜顔の ひらくは風の 湧くところ
初代若乃花=花田 勝治(1928年(昭和3年)3月16日 - 2010年(平成22年)9月1日)
の告別式が5日に行われたとアル。
団塊の世代のお相撲のさん最後の英雄が逝ってしまった。
多くの夢を有り難うございました。
ご冥福をお祈りした。
戦火で国内は灰燼に帰した。
明治以来の営々積み立てられてきた国富も総て吹き飛んだ。
衣食住にも不自由した。
遊びはモノのがいらず円を描く棒きれ一本。
学校の休み時間、川遊び夕方の日暮れ間際まで相撲をとった。
農家は幼子だろうとも家族全員が日々それぞれの任務を持つ。
幼子の学校が引けた後の午後夕方は
手伝いの牛馬世話、井戸から釣瓶でスイジ場用の水くみ運び、風呂沸かし・・・
それらさえ遊びに熱中し忘れ怒られたモノである。
要領よくなり、
納屋の牛馬のハミ(餌)は準備、
湯殿の風呂は五右衛門かまの下に大木を燃やして火事を注意して。
相撲の遊びの時間を作ったものだった。
日清日露に従軍した爺も助けた。
「風呂火付けちょるかい、たのむわー」
「いろいろあっとよー」
「牛馬の餌は切っちょった」
返事を気かずに押しつけてひたすら逃げる。
行司兼横綱不在では遊びも盛り上がらない。
幼き友みんなとの遊びも農家の子は時間を作るに大変である。
戦後世代の我らの世代の英雄はテレビの社会的導入にも重なる。
国民的英雄は相撲界から転じた元関脇・力道山。
暴力団から刺され死亡したときのショックは酷いモンであった。
義務教育機関全体から活力を奪ったほどの大きな影響力を残した。
弟子・若乃花にとっては語れないモノであったろう。
後で触れる。
プロスポーツは限定されていた。
お相撲さんは憧れのひと
少子化の影響はあらゆる所に及んでる
とりわけ厳しき角界は褌一丁の姿ゆえもあり、なかなか入門者がない。
各部屋は親方任せでの経営実態にある。
ゆえに新弟子を外国人に求める。
何故か。
入門に当たって身体検査の合格が必すうである。
こんなニュースがある。
スポニチ 9月4日
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100904-00000044-spn-spo
中学校卒業新弟子検査 異例の“マゲ受験”も2センチ及ばず
今年の春場所では身長が足りずに不合格
ストレッチなどで身長を伸ばす努力をして8月下旬にマゲを結った。
しかし、この日の計測は1メートル71。
基準に2センチ及ばなかった。
相撲協会によると、マゲを結って受検したケースは最近では異例だという。
3度目のチャレンジについて椎名は「師匠と相談して決めます。」
最低のクリアー身の丈の基準は
<身長173cm / 体重75kg以上. >
???
高知県宿毛市出身時津風部屋
豊ノ島関は
<170cm、体重150kg>
何故・・
WIKIにある。
平成の若貴ブーム沈静後、検査受検者が減少した
2001年より受検者層の拡大を狙い、
<身長167cm以上、体重67kg以上>
を基準として第二検査が設けられた。
3月場所、5月場所、9月場所の入門希望者を対象に、両国国技館で年3回行われる。
「第二検査」では体力検査を行い、平均的な体力があれば合格となる。
身長および体重が「第一検査」の基準を満たす場合は、第一検査に回る。
「第二検査」受検者で最初に関取に昇進したのは豊ノ島。
2007年11月場所には、磋牙司が、第二検査から二人目
2010年1月場所後に十両昇進を決めた黒澤改め益荒海は三人目の関取。
ちなみに
琴欧洲関は
<203cm、体重151k>
第二検査が導入される以前に、身長が足りず不合格になった大受や舞の海
頭にシリコーンを埋めて身長を高くして合格
日本人は上背基準でひっかかる訳である。
外国勢が占めてる一因はこの国のDNA事情によるところが大きい。
小兵は相撲では不利である。
相手の手の届く範囲から相手の胴体部への距離を「ふところ」と言う
その距離は身長に比例し、手をひろげた時の右手の中指と左手の中指の先端の距離がほぼ身長に一致する
身長に差があれば、突っ張りであれ、回しをとるのであれ、相手に先んずることが可能
ゆえに背が高い方が有利。
背の低い力士が背の高い力士に勝つのは、身長の差を、猛練習による技術でカバー
結果、小兵が大兵に勝つこともある
勝負数の多い相撲ではどうしても勝率には差がでてしまう
ところがそれを覆す異能力士がいた。
小兵横綱若乃花。
青森・弘前市青女子(あおなご)出身。
ほかのお相撲さんより何倍もの稽古量。土俵の鬼と呼ばれた。
それもそうだ戦後最軽量横綱である。
歴代史上最軽量は栃木山の103㎏
ただし角界でのお話。
一般人からすれば堂々たる体型である。
語られるライバル
栃錦 清隆(1925年(大正14年)2月20日 - 1990年(平成2年)1月10日)
、東京府南葛飾郡(現在の東京都江戸川区)
JR小岩駅構内に銅像が立っている。愛称・土俵の名人、マムシ
若乃花勝治
<身長179cm、体重107kg。>
栃錦 清隆
<身長178cm、体重132kg。>
多くの弟子を育てる貢献を果たした。
実の弟である大関・初代貴ノ花、
横綱・2代若乃花(現:間垣)、
横綱・隆の里(現:鳴戸)
大関・若嶋津(現:松ヶ根)
第65代横綱・貴乃花
第66代横綱・3代若乃花
は甥にあたる。
愛人関係にあった韓国人女性との間の息子が藤島部屋に入門
幕下止まりで1997年に廃業している。
ウィキに記録がある。
幕内在位:57場所(うち小結3場所、関脇8場所、大関10場所、横綱26場所)
幕内通算成績:546勝235敗4分55休 勝率.699
横綱通算成績:254勝66敗1分54休 勝率.794
年間最多勝(1957年設立):1958年(75勝14敗1分)
幕内最高優勝:10回(全勝1回)
三賞:殊勲賞2回、敢闘賞2回、技能賞1回
金星:6個(羽黒山2、東富士2、千代の山2)
各段優勝:序二段1回(1947年11月場所)、三段目1回(1948年6月場所)
幕内連続2桁勝利記録:22場所(当時1位・現在歴代4位タイ、1955年9月場所~1959年11月場所)
17分15秒もの大相撲を取った千代の山戦
林檎園農家の長男、1934年の室戸台風のため作物が全滅、北海道室蘭に移住。
沖仲仕などの仕事で家計をささえていた
1946年大関佐賀ノ花ら二所ノ関一門の巡業で催された相撲大会に飛び入りで参加、
本職の力士を数名倒してみせた。
このことが大ノ海(のちの師匠・花籠)の目に留まり、働き手を失いたくない父親の反対を押し切って入門。
条件は「3年で関取になれなければ帰る」
「若ノ花」の四股名は大ノ海の若いときの名を譲られたもの。
「若ノ花・若乃花は全部で何人か」
「師匠が初代、自分は二代目」と数えていたらしい。
「二所一門の猛稽古」によって力をつけた。
最も彼をしごいたのは関脇力道山
ある時、あまりの猛稽古で土俵に這ったまま立てなくなった
それでも容赦ない。
このままでは殺されると力道山の脛にかみつき、廻し姿のまま部屋から脱走
隅田川に飛び込んだという逸話がある。
本当だろうか。
のちのプロレスラー力道山のトレードマークである黒タイツ
この時の古傷を隠すためだったともいう。
本人も力道山からの援助・教えは身にしみたと述懐している。
後に大関となる琴ヶ濱との稽古も凄まじいものだったという。
当時は高砂と二所ノ関で合同の巡業を打つことが多かった
東富士にも可愛がられた。
鏡里もまた若乃花によく稽古をつけた。
入門当時は敗戦直後の混乱の中で相撲人気が大きく衰えた時期
相撲協会は旧両国国技館をGHQに接収され興行も各地を転々
1947年6月場所は明治神宮外苑で行われた
そのとき隣の明治神宮野球場で開催された学生野球の方に客が集まるのを見て以来、
「野球は商売敵」と言って、頑として野球はやらなかったという。
若乃花足取り
1946年11月場所の初土俵から各段優勝に近い成績で、
1949年5月場所には十両に昇進。家族と約束した3年より約半年早かった。
関取昇進を祝って弟弟子たちと夜通し祝杯をあげていて、金が足りなくなりあわてて東富士に金の無心
東富士としては、可愛がっていた相手
すぐに金を出してやって店の方とはそれですんだ、
後で相撲協会の側で「新十両の分際で横綱に借金を申し込むとは」と問題視された。
中には除名まで主張する意見もあった
羽黒山のとりなしもあってすくわれた。
「あの2人(東富士と羽黒山)には脚を向けて寝られません」
やがて入幕してこの恩人2人から金星を奪い恩を返している。
下半身の強さ、特に膝のバネに独特のものがあり、「異能力士」とあだ名された。
脚の筋肉の付き方は見事
室蘭時代の舟板の上での労役によるところが大きいとされる。
その必殺技として名高い「呼び戻し」=仏壇返し
実際に食った体験者である鳴門海
「腕力でなく、下半身からの力で投げ捨てられる感じ」
この「異能力士」の他に、若き日は「オオカミ」のあだ名があった。
のちに「ウルフ」のあだ名を持つ千代の富士が出世する際にこのあだ名がクローズアップされた。
角界には“動物のあだ名がつくと出世する”という言い伝えがある
1953年、師匠の大ノ海が引退二所ノ関部屋から独立し、花籠部屋(独立当初は芝田山部屋)を創設
それに従う
当初は小部屋ゆえの苦労が絶えなかった。
巡業も引き受け先が見つからず、辺鄙な土地に出かけて部屋の若い衆相手に胸を貸す稽古を延々と続けたという。
1955年9月場所、西関脇で10勝4敗1分。
この1引分は横綱千代の山と水入り取り直しの計17分15秒に及ぶ前代未聞の大相撲の末だった。
この相撲を評価され場所後関脇松登とともに大関に昇進。
昇進前3場所の通算勝ち星は28勝(引分が2回あるので事実上29)なので
、現在の基準で言えば甘い昇進。
、新大関の1956年1月場所は他の2大関が負け越す中優勝した横綱鏡里に1勝差の13勝、
ちなみに同時に大関に昇進した松登は後に3場所連続負け越しで大関を陥落
大関陥落決定となる黒星をつけたのは若乃花である。
翌場所も12勝で優勝決定戦出場(優勝は関脇朝汐)
、次の5月場所12勝3敗で前頭9枚目大晃との決定戦を制して初優勝、
翌9月場所に横綱をかけたが、場所前に長男がちゃんこ鍋をひっくり返して火傷で亡くなるという悲運に見舞われる。
稽古どころではなく本場所出場も危ぶまれたが出場を強行、愛児の名を記した数珠をさげて場所入り
、支度部屋でほとんど一言も発しないその姿は鬼気迫るものであった。
水入りの苦戦を強いられることの多かった前頭5枚目出羽錦をあっという間に寄り切るなど初日から12連勝、
連続優勝と横綱は確実、あるいは全勝優勝なるかと思われたが、扁桃腺炎を発症、高熱に襲われ13日目を休場、
千秋楽には出場の意欲を見せ横綱栃錦と割が組まれたが当日病状が悪化してやむなく休み不戦敗、
結局12勝2敗1休(2敗はいずれも不戦敗)
綱取りは夢と消えたが、皮肉にもこの悲劇が「数珠をさげた名力士」として若ノ花の人気をさらに高めた。
翌1957年には日活が映画『若ノ花物語・土俵の鬼』を制作、若ノ花自身も出演した。
同年9月場所より「若乃花」に改名。
愛児の一周忌を機に心機一転をはかるためと言われている。
1957年11月場所は12勝3敗の優勝次点
翌1958年1月場所は13勝2敗で優勝。
場所後45代横綱に推挙される。
丁度昇進場所となる1月に「2場所連続優勝、もしくはそれに順ずる成績」という横綱昇進の内規を制定した横綱審議委員
会の一部委員からは反対も出たが、相撲協会がこれを押し切った形だった。
昭和生まれで最初の横綱である。
横綱は他の力士と違って降格を許されない地位であり、負け越せば引退以外に道はない
横綱は三ツ揃えの化粧廻しが揃うまでは一門の先輩横綱から借りるのが通例だが
玉錦以来実に20年ぶりの横綱、
しかも玉錦の廻しは空襲で焼けたのか使えない。
さらに困ったことに土俵入りを指導する先輩横綱も一門にはいなかった。
困っていた若乃花を助けたのは理事長の時津風とその弟子鏡里。
事情を知った時津風は土俵入りの指導を引き受け三ツ揃えの廻しも唯一焼けずに完全な形で残っていたものを貸し出して
くれた
栃・若時代
「栃錦清隆#横綱昇進」
初対決がいきなりの大勝負、
次の対戦も水入りの末二番後取り直し
、栃錦との取組は常に大熱戦
技の打ち合いとしのぎ合いで激しく土俵を動き回る両雄の姿はたちまちファンを魅了
当時登場したテレビの魅力を発揮するのにもふさわしいもの
初土俵が遅かったこともあって、番付面では常に栃錦が上を行っており、大関、横綱とも、常に惜しいところで栃錦のた
めに星を落として逃してきた。一方の栃錦にとっても何度も全勝や優勝を阻まれた相手である。お互いに横綱となってか
らも、この最大のライバルと常に名勝負を展開、特に
年六場所となった1958年以降は毎場所のように二人で優勝を分け合い、戦後最初の黄金期である
「栃・若時代」を実現する。
現在でもこの2人で築き上げた一時代に対する評価は高くこれを上回るものはまだない
朝潮、大内山など強くて個性的な力士が多数居たことはいた。
1959年5月場所、初日から14連勝の栃錦を千秋楽に下して優勝決定戦に持ち込み、逆転優勝。
これは史上初めてのケース。
1960年3月場所では、ともに14連勝同士で千秋楽に対戦。
これも史上初となる横綱同士による千秋楽全勝対決を寄り切りで制して、初の全勝優勝を達成。
当時この取組は「相撲史始まって以来の世紀の決戦」と言われた。
決戦の前夜、若乃花は緊張と不安でどうしても落ち着かず、少しでも気分をまぎらわそうと映画館へ向かった。
中に入ると、やけに大きな体をした人物が前の席に座っている、
頭に髷があったのでもしやと思ったら栃錦だったという。
これを見て、栃錦も自分と同じように不安な気持ちなのだと知った若乃花は、
すっかり緊張が解けて気分が楽になり、
翌日は落ち着いた気持ちで決戦に臨むことができ、見事に勝利をつかむことができたという。
後日談として、この時の映画
若乃花は「西部劇だった」
栃錦は「ドイツの恋愛映画だった」
一説にはジョン・ウェインの「アラモ」だったのではないかとされている。
爺目判定するに淀川長治と交流のあった映画好きの栃錦に軍配アリ?
栃・若はともに優勝10回、全勝1回、連勝記録24、直接の対戦でも若乃花の15勝19敗(うち1敗は前述の1956年9月場所の不戦敗)とほぼ互角。
大関昇進までは11勝が最高だったが、大関昇進以後皆勤した場所は全て二ケタの勝ち星を残し、大関時代の勝率が.785、
横綱時代には.794。
しかし、忘れてはならないのが、同時代に横綱を張った朝潮の存在である。
爺目はコレを名のった。
その後は柏戸剛。
日本人ゆえ判官贔屓思考。
1956年3月場所、最初の優勝決定戦進出の際に、関脇だった朝汐(当時)に敗れてから、微妙なところで朝汐と縁があっ
た。
1958年11月場所には、12勝1敗1分で迎えた千秋楽、13勝1敗の大関朝汐と対戦、勝てば3連覇と、
(結果的に)全6場所制覇をなしとげるところだったが、敗れてしまう。
1958年9月場所は初の全勝優勝を目指し千秋楽に朝潮と対戦したが敗れてしまい、優勝こそ既に決まっていたが夢の全勝
は阻まれた。
1959年5月場所には、千秋楽に逆転を可能にしたのは実は13日目に若乃花が朝潮に敗れて1敗となったから
1960年3月場所の全勝対決も、朝潮が途中休場したために両者の対戦が千秋楽になったためである。
影の存在を強いられた朝潮あってこそ、栃若時代も際立ったのだ。
奄美大島出身ゆえ胸毛揉み上げの印象
東宝映画「日本誕生」の手力王の朝潮太郎
隠れた天照大神を連れ出すため天の岩戸を開く横綱朝潮の演技は記憶に強く残る。
「土俵の鬼」と云われた若乃花が引退を決意したのは1962年1月場所
、関脇だった栃ノ海に負けた相撲。
倒れそうになったら足を出して負けた方がましと考えるほど土俵で倒れることを極端に嫌っていた若乃花
栃ノ海の見事な連続技(蹴手繰り・巻き落とし・突き落としを一瞬のうちに繰り出す)で土俵中央で転がされた。
「何しろ、それまで土俵の真ん中でこけたことは無かったからねぇ。それをやられたんで、こりゃいかんと思った」
と若乃花は語ったという。
夏の暑い盛りを嫌がる風潮は知恵がない。
ダニ、のみ吸血ムシたちが畳の中下着の縫い目に闊歩していた。
田んぼには蛭、山には山蛭ダニ、
常に吸血鬼たちが悩ませていた。
学校ではDDT散布で真っ白の頭。
太陽光は殺菌作用がある。
この時期、畳を庭にハの字かたちに虫干した。
一面のノコギリ型の小人の家
無邪気にその間をかくれんぼ遊びで走り回る。
「バタッ!」
ハの字の畳が崩れる
「コラッ!」
慌ててハの字かたちに組み直し。
楽しみは他にもある。
畳の下のDDTにまみれた新聞の相撲とり番付表。
宝物である。
昨年やら古きやらのお相撲さんたち。
懐かしい。
ああ・・あの頃の英雄たち
東富士羽黒山大内山千代の山鏡里朝潮琴ヶ浜房錦明歩谷・・・
その最後の生き残りが逝った。
確実に爺目幼き頃は消滅しつつある。
5日 イチロー174本
偉大な大リーグ史上初のレコードの10年連続200安打まで一歩づつ。
一試合一本で丁度200安打。
固め打ち3~4本といかないものか。
日々実にニュースを見るのが辛い。
「達成感はアルが満足感はない」
早く聞きたいモノだ。
日向の神童は柔道部で鍛えた経緯を持つ。
高校までは特別進学コースでそれを維持された方。
ただ大人でただの人。
宿題が色々あり5日夕方YAHOO宮崎で会う。
会うと宮崎弁で喧嘩ばかりでよく解らない
手術台の話をすると「おくっちゃろか」
「自分でいくわ」
残り少なき人生の中で一番長き縁の方となっている現状には確かにある。
どちらが先に逝き棺桶をかつぐのであろうか。
年寄りの未来はどうにも明るさが足りなくいけない。
こな~~た~菅直人
こな~~た~小沢一郎
「睨み合って・・・ハッケヨ~~イ」
がっぷり四っつのおお相撲
「ノコッタ~ノコッタ~」
5日民主党代表選の立会演説会は大阪
総理たる菅直人は上着にネクタイをシロッ!
暑かろうと遊び人的見掛けはイケナイ。
服装は・・仕事着はマナー、
仕事をするに当たり基本である。
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花ことばは・・・・・・妖艶
6日朝8時いよいよ二回目の断頭台にのぼる。
オスのお医者様の持つメスが「スッー」と前回体内をかき分けるがよくわかる。
う~~ん
気持ちのいいモノではない。
お参りで心を整える。
「スッー」何かが通り過ぎた。
確かに。
好くは解らぬが確かに何かに生かされている。
白き花でいいではないか。
今夜は幾つの白き花を咲かしてくれようか。
夜顔の ひらくは風の 湧くところ
初代若乃花=花田 勝治(1928年(昭和3年)3月16日 - 2010年(平成22年)9月1日)
の告別式が5日に行われたとアル。
団塊の世代のお相撲のさん最後の英雄が逝ってしまった。
多くの夢を有り難うございました。
ご冥福をお祈りした。
戦火で国内は灰燼に帰した。
明治以来の営々積み立てられてきた国富も総て吹き飛んだ。
衣食住にも不自由した。
遊びはモノのがいらず円を描く棒きれ一本。
学校の休み時間、川遊び夕方の日暮れ間際まで相撲をとった。
農家は幼子だろうとも家族全員が日々それぞれの任務を持つ。
幼子の学校が引けた後の午後夕方は
手伝いの牛馬世話、井戸から釣瓶でスイジ場用の水くみ運び、風呂沸かし・・・
それらさえ遊びに熱中し忘れ怒られたモノである。
要領よくなり、
納屋の牛馬のハミ(餌)は準備、
湯殿の風呂は五右衛門かまの下に大木を燃やして火事を注意して。
相撲の遊びの時間を作ったものだった。
日清日露に従軍した爺も助けた。
「風呂火付けちょるかい、たのむわー」
「いろいろあっとよー」
「牛馬の餌は切っちょった」
返事を気かずに押しつけてひたすら逃げる。
行司兼横綱不在では遊びも盛り上がらない。
幼き友みんなとの遊びも農家の子は時間を作るに大変である。
戦後世代の我らの世代の英雄はテレビの社会的導入にも重なる。
国民的英雄は相撲界から転じた元関脇・力道山。
暴力団から刺され死亡したときのショックは酷いモンであった。
義務教育機関全体から活力を奪ったほどの大きな影響力を残した。
弟子・若乃花にとっては語れないモノであったろう。
後で触れる。
プロスポーツは限定されていた。
お相撲さんは憧れのひと
少子化の影響はあらゆる所に及んでる
とりわけ厳しき角界は褌一丁の姿ゆえもあり、なかなか入門者がない。
各部屋は親方任せでの経営実態にある。
ゆえに新弟子を外国人に求める。
何故か。
入門に当たって身体検査の合格が必すうである。
こんなニュースがある。
スポニチ 9月4日
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100904-00000044-spn-spo
中学校卒業新弟子検査 異例の“マゲ受験”も2センチ及ばず
今年の春場所では身長が足りずに不合格
ストレッチなどで身長を伸ばす努力をして8月下旬にマゲを結った。
しかし、この日の計測は1メートル71。
基準に2センチ及ばなかった。
相撲協会によると、マゲを結って受検したケースは最近では異例だという。
3度目のチャレンジについて椎名は「師匠と相談して決めます。」
最低のクリアー身の丈の基準は
<身長173cm / 体重75kg以上. >
???
高知県宿毛市出身時津風部屋
豊ノ島関は
<170cm、体重150kg>
何故・・
WIKIにある。
平成の若貴ブーム沈静後、検査受検者が減少した
2001年より受検者層の拡大を狙い、
<身長167cm以上、体重67kg以上>
を基準として第二検査が設けられた。
3月場所、5月場所、9月場所の入門希望者を対象に、両国国技館で年3回行われる。
「第二検査」では体力検査を行い、平均的な体力があれば合格となる。
身長および体重が「第一検査」の基準を満たす場合は、第一検査に回る。
「第二検査」受検者で最初に関取に昇進したのは豊ノ島。
2007年11月場所には、磋牙司が、第二検査から二人目
2010年1月場所後に十両昇進を決めた黒澤改め益荒海は三人目の関取。
ちなみに
琴欧洲関は
<203cm、体重151k>
第二検査が導入される以前に、身長が足りず不合格になった大受や舞の海
頭にシリコーンを埋めて身長を高くして合格
日本人は上背基準でひっかかる訳である。
外国勢が占めてる一因はこの国のDNA事情によるところが大きい。
小兵は相撲では不利である。
相手の手の届く範囲から相手の胴体部への距離を「ふところ」と言う
その距離は身長に比例し、手をひろげた時の右手の中指と左手の中指の先端の距離がほぼ身長に一致する
身長に差があれば、突っ張りであれ、回しをとるのであれ、相手に先んずることが可能
ゆえに背が高い方が有利。
背の低い力士が背の高い力士に勝つのは、身長の差を、猛練習による技術でカバー
結果、小兵が大兵に勝つこともある
勝負数の多い相撲ではどうしても勝率には差がでてしまう
ところがそれを覆す異能力士がいた。
小兵横綱若乃花。
青森・弘前市青女子(あおなご)出身。
ほかのお相撲さんより何倍もの稽古量。土俵の鬼と呼ばれた。
それもそうだ戦後最軽量横綱である。
歴代史上最軽量は栃木山の103㎏
ただし角界でのお話。
一般人からすれば堂々たる体型である。
語られるライバル
栃錦 清隆(1925年(大正14年)2月20日 - 1990年(平成2年)1月10日)
、東京府南葛飾郡(現在の東京都江戸川区)
JR小岩駅構内に銅像が立っている。愛称・土俵の名人、マムシ
若乃花勝治
<身長179cm、体重107kg。>
栃錦 清隆
<身長178cm、体重132kg。>
多くの弟子を育てる貢献を果たした。
実の弟である大関・初代貴ノ花、
横綱・2代若乃花(現:間垣)、
横綱・隆の里(現:鳴戸)
大関・若嶋津(現:松ヶ根)
第65代横綱・貴乃花
第66代横綱・3代若乃花
は甥にあたる。
愛人関係にあった韓国人女性との間の息子が藤島部屋に入門
幕下止まりで1997年に廃業している。
ウィキに記録がある。
幕内在位:57場所(うち小結3場所、関脇8場所、大関10場所、横綱26場所)
幕内通算成績:546勝235敗4分55休 勝率.699
横綱通算成績:254勝66敗1分54休 勝率.794
年間最多勝(1957年設立):1958年(75勝14敗1分)
幕内最高優勝:10回(全勝1回)
三賞:殊勲賞2回、敢闘賞2回、技能賞1回
金星:6個(羽黒山2、東富士2、千代の山2)
各段優勝:序二段1回(1947年11月場所)、三段目1回(1948年6月場所)
幕内連続2桁勝利記録:22場所(当時1位・現在歴代4位タイ、1955年9月場所~1959年11月場所)
17分15秒もの大相撲を取った千代の山戦
林檎園農家の長男、1934年の室戸台風のため作物が全滅、北海道室蘭に移住。
沖仲仕などの仕事で家計をささえていた
1946年大関佐賀ノ花ら二所ノ関一門の巡業で催された相撲大会に飛び入りで参加、
本職の力士を数名倒してみせた。
このことが大ノ海(のちの師匠・花籠)の目に留まり、働き手を失いたくない父親の反対を押し切って入門。
条件は「3年で関取になれなければ帰る」
「若ノ花」の四股名は大ノ海の若いときの名を譲られたもの。
「若ノ花・若乃花は全部で何人か」
「師匠が初代、自分は二代目」と数えていたらしい。
「二所一門の猛稽古」によって力をつけた。
最も彼をしごいたのは関脇力道山
ある時、あまりの猛稽古で土俵に這ったまま立てなくなった
それでも容赦ない。
このままでは殺されると力道山の脛にかみつき、廻し姿のまま部屋から脱走
隅田川に飛び込んだという逸話がある。
本当だろうか。
のちのプロレスラー力道山のトレードマークである黒タイツ
この時の古傷を隠すためだったともいう。
本人も力道山からの援助・教えは身にしみたと述懐している。
後に大関となる琴ヶ濱との稽古も凄まじいものだったという。
当時は高砂と二所ノ関で合同の巡業を打つことが多かった
東富士にも可愛がられた。
鏡里もまた若乃花によく稽古をつけた。
入門当時は敗戦直後の混乱の中で相撲人気が大きく衰えた時期
相撲協会は旧両国国技館をGHQに接収され興行も各地を転々
1947年6月場所は明治神宮外苑で行われた
そのとき隣の明治神宮野球場で開催された学生野球の方に客が集まるのを見て以来、
「野球は商売敵」と言って、頑として野球はやらなかったという。
若乃花足取り
1946年11月場所の初土俵から各段優勝に近い成績で、
1949年5月場所には十両に昇進。家族と約束した3年より約半年早かった。
関取昇進を祝って弟弟子たちと夜通し祝杯をあげていて、金が足りなくなりあわてて東富士に金の無心
東富士としては、可愛がっていた相手
すぐに金を出してやって店の方とはそれですんだ、
後で相撲協会の側で「新十両の分際で横綱に借金を申し込むとは」と問題視された。
中には除名まで主張する意見もあった
羽黒山のとりなしもあってすくわれた。
「あの2人(東富士と羽黒山)には脚を向けて寝られません」
やがて入幕してこの恩人2人から金星を奪い恩を返している。
下半身の強さ、特に膝のバネに独特のものがあり、「異能力士」とあだ名された。
脚の筋肉の付き方は見事
室蘭時代の舟板の上での労役によるところが大きいとされる。
その必殺技として名高い「呼び戻し」=仏壇返し
実際に食った体験者である鳴門海
「腕力でなく、下半身からの力で投げ捨てられる感じ」
この「異能力士」の他に、若き日は「オオカミ」のあだ名があった。
のちに「ウルフ」のあだ名を持つ千代の富士が出世する際にこのあだ名がクローズアップされた。
角界には“動物のあだ名がつくと出世する”という言い伝えがある
1953年、師匠の大ノ海が引退二所ノ関部屋から独立し、花籠部屋(独立当初は芝田山部屋)を創設
それに従う
当初は小部屋ゆえの苦労が絶えなかった。
巡業も引き受け先が見つからず、辺鄙な土地に出かけて部屋の若い衆相手に胸を貸す稽古を延々と続けたという。
1955年9月場所、西関脇で10勝4敗1分。
この1引分は横綱千代の山と水入り取り直しの計17分15秒に及ぶ前代未聞の大相撲の末だった。
この相撲を評価され場所後関脇松登とともに大関に昇進。
昇進前3場所の通算勝ち星は28勝(引分が2回あるので事実上29)なので
、現在の基準で言えば甘い昇進。
、新大関の1956年1月場所は他の2大関が負け越す中優勝した横綱鏡里に1勝差の13勝、
ちなみに同時に大関に昇進した松登は後に3場所連続負け越しで大関を陥落
大関陥落決定となる黒星をつけたのは若乃花である。
翌場所も12勝で優勝決定戦出場(優勝は関脇朝汐)
、次の5月場所12勝3敗で前頭9枚目大晃との決定戦を制して初優勝、
翌9月場所に横綱をかけたが、場所前に長男がちゃんこ鍋をひっくり返して火傷で亡くなるという悲運に見舞われる。
稽古どころではなく本場所出場も危ぶまれたが出場を強行、愛児の名を記した数珠をさげて場所入り
、支度部屋でほとんど一言も発しないその姿は鬼気迫るものであった。
水入りの苦戦を強いられることの多かった前頭5枚目出羽錦をあっという間に寄り切るなど初日から12連勝、
連続優勝と横綱は確実、あるいは全勝優勝なるかと思われたが、扁桃腺炎を発症、高熱に襲われ13日目を休場、
千秋楽には出場の意欲を見せ横綱栃錦と割が組まれたが当日病状が悪化してやむなく休み不戦敗、
結局12勝2敗1休(2敗はいずれも不戦敗)
綱取りは夢と消えたが、皮肉にもこの悲劇が「数珠をさげた名力士」として若ノ花の人気をさらに高めた。
翌1957年には日活が映画『若ノ花物語・土俵の鬼』を制作、若ノ花自身も出演した。
同年9月場所より「若乃花」に改名。
愛児の一周忌を機に心機一転をはかるためと言われている。
1957年11月場所は12勝3敗の優勝次点
翌1958年1月場所は13勝2敗で優勝。
場所後45代横綱に推挙される。
丁度昇進場所となる1月に「2場所連続優勝、もしくはそれに順ずる成績」という横綱昇進の内規を制定した横綱審議委員
会の一部委員からは反対も出たが、相撲協会がこれを押し切った形だった。
昭和生まれで最初の横綱である。
横綱は他の力士と違って降格を許されない地位であり、負け越せば引退以外に道はない
横綱は三ツ揃えの化粧廻しが揃うまでは一門の先輩横綱から借りるのが通例だが
玉錦以来実に20年ぶりの横綱、
しかも玉錦の廻しは空襲で焼けたのか使えない。
さらに困ったことに土俵入りを指導する先輩横綱も一門にはいなかった。
困っていた若乃花を助けたのは理事長の時津風とその弟子鏡里。
事情を知った時津風は土俵入りの指導を引き受け三ツ揃えの廻しも唯一焼けずに完全な形で残っていたものを貸し出して
くれた
栃・若時代
「栃錦清隆#横綱昇進」
初対決がいきなりの大勝負、
次の対戦も水入りの末二番後取り直し
、栃錦との取組は常に大熱戦
技の打ち合いとしのぎ合いで激しく土俵を動き回る両雄の姿はたちまちファンを魅了
当時登場したテレビの魅力を発揮するのにもふさわしいもの
初土俵が遅かったこともあって、番付面では常に栃錦が上を行っており、大関、横綱とも、常に惜しいところで栃錦のた
めに星を落として逃してきた。一方の栃錦にとっても何度も全勝や優勝を阻まれた相手である。お互いに横綱となってか
らも、この最大のライバルと常に名勝負を展開、特に
年六場所となった1958年以降は毎場所のように二人で優勝を分け合い、戦後最初の黄金期である
「栃・若時代」を実現する。
現在でもこの2人で築き上げた一時代に対する評価は高くこれを上回るものはまだない
朝潮、大内山など強くて個性的な力士が多数居たことはいた。
1959年5月場所、初日から14連勝の栃錦を千秋楽に下して優勝決定戦に持ち込み、逆転優勝。
これは史上初めてのケース。
1960年3月場所では、ともに14連勝同士で千秋楽に対戦。
これも史上初となる横綱同士による千秋楽全勝対決を寄り切りで制して、初の全勝優勝を達成。
当時この取組は「相撲史始まって以来の世紀の決戦」と言われた。
決戦の前夜、若乃花は緊張と不安でどうしても落ち着かず、少しでも気分をまぎらわそうと映画館へ向かった。
中に入ると、やけに大きな体をした人物が前の席に座っている、
頭に髷があったのでもしやと思ったら栃錦だったという。
これを見て、栃錦も自分と同じように不安な気持ちなのだと知った若乃花は、
すっかり緊張が解けて気分が楽になり、
翌日は落ち着いた気持ちで決戦に臨むことができ、見事に勝利をつかむことができたという。
後日談として、この時の映画
若乃花は「西部劇だった」
栃錦は「ドイツの恋愛映画だった」
一説にはジョン・ウェインの「アラモ」だったのではないかとされている。
爺目判定するに淀川長治と交流のあった映画好きの栃錦に軍配アリ?
栃・若はともに優勝10回、全勝1回、連勝記録24、直接の対戦でも若乃花の15勝19敗(うち1敗は前述の1956年9月場所の不戦敗)とほぼ互角。
大関昇進までは11勝が最高だったが、大関昇進以後皆勤した場所は全て二ケタの勝ち星を残し、大関時代の勝率が.785、
横綱時代には.794。
しかし、忘れてはならないのが、同時代に横綱を張った朝潮の存在である。
爺目はコレを名のった。
その後は柏戸剛。
日本人ゆえ判官贔屓思考。
1956年3月場所、最初の優勝決定戦進出の際に、関脇だった朝汐(当時)に敗れてから、微妙なところで朝汐と縁があっ
た。
1958年11月場所には、12勝1敗1分で迎えた千秋楽、13勝1敗の大関朝汐と対戦、勝てば3連覇と、
(結果的に)全6場所制覇をなしとげるところだったが、敗れてしまう。
1958年9月場所は初の全勝優勝を目指し千秋楽に朝潮と対戦したが敗れてしまい、優勝こそ既に決まっていたが夢の全勝
は阻まれた。
1959年5月場所には、千秋楽に逆転を可能にしたのは実は13日目に若乃花が朝潮に敗れて1敗となったから
1960年3月場所の全勝対決も、朝潮が途中休場したために両者の対戦が千秋楽になったためである。
影の存在を強いられた朝潮あってこそ、栃若時代も際立ったのだ。
奄美大島出身ゆえ胸毛揉み上げの印象
東宝映画「日本誕生」の手力王の朝潮太郎
隠れた天照大神を連れ出すため天の岩戸を開く横綱朝潮の演技は記憶に強く残る。
「土俵の鬼」と云われた若乃花が引退を決意したのは1962年1月場所
、関脇だった栃ノ海に負けた相撲。
倒れそうになったら足を出して負けた方がましと考えるほど土俵で倒れることを極端に嫌っていた若乃花
栃ノ海の見事な連続技(蹴手繰り・巻き落とし・突き落としを一瞬のうちに繰り出す)で土俵中央で転がされた。
「何しろ、それまで土俵の真ん中でこけたことは無かったからねぇ。それをやられたんで、こりゃいかんと思った」
と若乃花は語ったという。
夏の暑い盛りを嫌がる風潮は知恵がない。
ダニ、のみ吸血ムシたちが畳の中下着の縫い目に闊歩していた。
田んぼには蛭、山には山蛭ダニ、
常に吸血鬼たちが悩ませていた。
学校ではDDT散布で真っ白の頭。
太陽光は殺菌作用がある。
この時期、畳を庭にハの字かたちに虫干した。
一面のノコギリ型の小人の家
無邪気にその間をかくれんぼ遊びで走り回る。
「バタッ!」
ハの字の畳が崩れる
「コラッ!」
慌ててハの字かたちに組み直し。
楽しみは他にもある。
畳の下のDDTにまみれた新聞の相撲とり番付表。
宝物である。
昨年やら古きやらのお相撲さんたち。
懐かしい。
ああ・・あの頃の英雄たち
東富士羽黒山大内山千代の山鏡里朝潮琴ヶ浜房錦明歩谷・・・
その最後の生き残りが逝った。
確実に爺目幼き頃は消滅しつつある。
5日 イチロー174本
偉大な大リーグ史上初のレコードの10年連続200安打まで一歩づつ。
一試合一本で丁度200安打。
固め打ち3~4本といかないものか。
日々実にニュースを見るのが辛い。
「達成感はアルが満足感はない」
早く聞きたいモノだ。
日向の神童は柔道部で鍛えた経緯を持つ。
高校までは特別進学コースでそれを維持された方。
ただ大人でただの人。
宿題が色々あり5日夕方YAHOO宮崎で会う。
会うと宮崎弁で喧嘩ばかりでよく解らない
手術台の話をすると「おくっちゃろか」
「自分でいくわ」
残り少なき人生の中で一番長き縁の方となっている現状には確かにある。
どちらが先に逝き棺桶をかつぐのであろうか。
年寄りの未来はどうにも明るさが足りなくいけない。
こな~~た~菅直人
こな~~た~小沢一郎
「睨み合って・・・ハッケヨ~~イ」
がっぷり四っつのおお相撲
「ノコッタ~ノコッタ~」
5日民主党代表選の立会演説会は大阪
総理たる菅直人は上着にネクタイをシロッ!
暑かろうと遊び人的見掛けはイケナイ。
服装は・・仕事着はマナー、
仕事をするに当たり基本である。
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今日の誕生日の花は・・・・・・オニバス
花ことばは・・・・・・神秘的
睡蓮科でアジア全体の水草。
水面より高く葉はでない。
その葉を突き破って紫色の花。
葉の直径は2メートルにもナル南米原産の大オニバス。
パラグアイ産鬼バスは別の品種
新月である
蔵の戸の しづしづ重し 星月夜
・・ 4日岐阜県郡上八幡は 「39,1度 」
「ひえぇェェ~~」
南国宮崎の爺目が驚いててどうしよう。
人口1万6000人郡上八幡。
歴史的に美濃~飛騨を結ぶ交通の要所
名水百選第一号の代表的水の町である。
長良川支流吉田川が街中を流れ生活の中心にある。
セリ板を使い洗い物をスル音。
8月には4日連続徹夜踊り。
「夕方8時から朝4時まで
輪を広げて共に踊りましょう。」
始まりは「川崎」
準備体操みたいなるモノ。
櫓の輪はおおよそ1キロ
ゆったりと始まる。
始まりから4時間ごぜん「0」時
息が合い一つになる手打ちの音はやしの声
5万を超える人々の興奮
ひるまに軽く習ってる宿泊客。
参加初体験。
全国から20万以上
民宿をも大忙し。
大広間25~6人雑魚寝。
叉来年会いましょう
バイク一人旅。
北海道娘と結婚に至る事例さえアルという
聞き慣れたる「春駒」
ノリのいい、まさに郡上マンボ
♪七両三分の春駒ハルコマ♪
う~~んどこかで聞いている確かに
えらいやっちゃ~~ヨイヨイヨイ~
いまでは全国規模に有名である。
前記のとおり全国から20万以上
爺目幼き頃は地区内でも
祇園さま山田神社、5部落ごと日程を変え競ったモノである。
出店と夜の恐怖の楽しみに
浴衣に砂利道路にゲタのカラ~~ンコロ~~ンの下駄
夏の夜を惜しみつつ
それがいまはどこもない。
アノ田舎の幼き出来事は真夏の夜の夢。
実に資本主義的社会維持はいやデある。
守り伝えれれてきた伝統風習を殺す。
お金で物事を置き換える思考を植え付け淘汰していく
この地域のみが何故に残ったのか。
交通の要所の建物維持の伝統と生活の水ナンであろう。
ラジオ深夜便5日深夜1:00~2:00
「にっぽん音めぐり~踊りに酔いしれ400年 郡上八幡」
なぜかこの記録の日に放送される奇っ怪さ。
特別番組ではない。
400年以上続いてきた
素朴でゆったりをラジオが伝える工夫。
盆踊りのメロディーがバックグラウンド
江戸時代藩主遠藤義隆が藩内に広めた。
偉いのはそれを受け継いでいること。
アノ地域の建物にしてもしかり。
若い世代に伝える活動が平成の次の御代に受け継がれる地域風土もある。
絶やさぬよう日常的訓練。
増えてきた盆踊りに参加しない若者。
その対策の一助の郡上高校踊りクラブ
顧問クニエダ教諭は38才数学の先生。
伝統を守らぬでは「もったいない」
歌詞にある「水も好ければ人も好い」
地元のいいところを気づかせ良さを教えたい。
爺mじぇは叫ぶッ!社会科の先生ッ!なにしてんのー
歌と三味線担当も絶やさ努力の人がいる。
トノウエマサヒコ43才郵便局勤務の人。
「哀愁は高校生ゆえ無理だがチャント歌うようにさせる。」
蝉時雨の中のラムネ売り
度胸試しの吉田川に飛び込む水音。
10メートルを超える橋から・・「ドボッ!」
飛び込むには最初が怖い。
通過点でやり遂げないと一人前の男でない。
幼稚園の頃から岩から飛び込む段々ランクを上げ訓練。
中学校から本番たる橋から飛び込む。
笑顔がイイ。
スカートのママ飛び込む女の子。
無邪気で育つ環境が気に入っている。
4日が踊り納め。
今年も全国から28万人。
4日岐阜県郡上八幡は 「39,1度 」
どうやら環境を超えた受け入れ能力がさせた技?
台風第9号は4日午後、沖縄.
今年の台風4号は初上陸が秋田
コースが完全に変わってきている。
連続3っつ発生も総て宮崎を避けた
かっての台風銀座宮崎にはこの何年になろう
台風が上陸しない。
荒れ狂ってるのは民主党。
政権与党になったら混乱。
なにしてんのー
日刊ゲンダイの
私は小沢一郎を支持する 連載②
熊本の人、魚住昭 (1951-)
一橋大法学から共同通信。96年、フリー。
報道の人というよりルポ作家のイメージ。
「沈黙のファイル『瀬島龍三』とは何だったのか」は、
日本推理作家協会賞受賞。
「野中広務 差別と権力」04年で講談社ノンフィクション賞受賞。
「特捜検察の闇」「冤罪法廷」などの作品群は光っている。
社会機構とは何か。
平和な社会の前提の元
雇用の確保にある。
さらには不況打開にある。
民主党の言う
「国民生活第一」
もっとも菅直人民主党政権が修正中にある。
現政権トップは「最低不幸社会から」をやめ
歯切れ良く
「一に雇用二に雇用、三に雇用」
ただ絶叫してるだけ。
政権を握ってるのに具体策はない。
金持ちから貧しい人に富を分配する「社会民主主義」的な政策が有益なのは歴然小沢一郎の政治信条である。
・菅体制がこのまま続けば、ごく一般的な生活者にとってヒドイ政治になる。
・小沢さんは代表選に勝って、それを阻止してほしいと思っています。
なぜそう思うのか。
菅政権の考え方が「新自由主義」だからです。
つまり資本の論理が第一で、金持ちの人や企業の利益を優先する。
これは小泉政権下の構造改革路線と全く同じです。
資本の論理をムキ出しにした政治をやれば、国民の大多数は貧困のドン底に突き落とされてしまいます。
小泉構造改革路線を踏襲しているから、消費税増税や財政支出抑制といった話が出てくる。
しかし、政策の中にあからさまに資本の論理を掲げるわけにはいかないため、
「クリーン」や「オープン」
といった抽象的な言葉でゴマかしているのです。
対する小沢さんの政策は極端に言えば「社会民主主義」。
金持ちから貧しい人に富を分配する考え方です。
それは政策を見てもハッキリしています。
例が「子ども手当」の満額支給です。
仮に子どもが3人いた場合、月額7万8000円が家計に入る計算ですが、これは首都圏では難しいが。
家賃が安い地方なら、収入が低くても暮らしていける金額です。
「子ども手当」ですべてが救われるわけではないが、収入の低い人も生活ができるという最低限の生活保障や
「安心感」がもたらされることになるのです。
年収200万~300万円の貧困層が増えている中で、人間社会にとって基本的な単位である
「家族」が営めるようになるのは、非常に大きなことだと思います。
メディアは「国民不在」「政策論争なし」
などと報じています
が、
今回ほど争点が明確な代表選はありません。
・金持ちだけが裕福になる「新自由主義」がいいのか、
・それとも皆で支え合う「社会民主主義」がいいのか、
ということです。
本来は、生きていくのに精いっぱいで、政治との関わりを持てない生活者の声なき声を生かすのが政治の役目。
小沢さんの支持者の多くは、地方の有権者だから、こうした実情が耳に入るが、
菅首相の支持者は、都会でいい生活を送る、いわばエリート層だから、よく分かっていないのです。
政治とは「言葉」。
小沢さん、菅首相双方の政策を吟味して比べれば、どちらが我々(国民)にとって有益なのかは一目瞭然です。
安全保障に対する考え方など、小沢の政策には(私にとって)相容れない部分もあり、支持は「期間限定」ですが、今の局面では
小沢さんに勝ってほしいと考えています。
菅総理を支持する大臣たち。
日刊ゲンダイ09/04 記事
3日の閣議後の会見で、役人に“洗脳”された経済閣僚から、
ビックリするような発言が次々に飛び出した。
これでは小沢前幹事長が熟慮の末に立ったのもうなずける。
①野田は財務官僚の代表か
小沢の主張に「財源が見えない」と反発
野田佳彦財務相
、小沢の言う
子ども手当の2010年度からの満額支給など、
09年衆院選マニフェストの完全実施を目指す政策を打ち出していることに対して、
「財源をどう確保するのか明確に見えてこない」
と批判した。
まるで財務官僚のような言い分。
すっかり官僚に取り込まれている。
何故か
衆院選マニフェストは、民主党が国民と約束したものである。
国民は、そのマニフェストに期待して民主党政権を選択したのだ。
野田も財務大臣なら、マニフェスト実現のために脳ミソとカラダをフル回転させ、
財源確保を目指す努力を続けるのが当然だろう。
それが国民主権の政治主導である。
役人の代弁をするだけの大臣など必要ない。
菅内閣に政治主導はムリ
「何ら成果を残していない野田は、国民から“怠慢”“無能”と批判されても仕方がない。
それが無反省で小沢一郎を批判するのだから、呆れる。勘違いも甚だしい」
②荒井聡経済財政担当相
、ひも付き補助金の見直しなど「ムダ削減で財源が出る」という小沢の主張に対し、
「行政の無駄を省くだけで、どれだけの財源が出てくるのか」
とか言っている。
荒井は菅の腹心。
その男が財務官僚か自民党議員のような批判をするのだ。
ほかにも、
「政治主導の予算配分はこれから」(前原国交相)、
「1兆円単位の特別枠は過去にない取り組み」(野田財務相)なんて言い訳も出ているが
菅内閣に「政治主導」を期待するなんてどだいムリなのである。
こんな大臣たちでは政権交代の意味はない。
政治主導を言葉でなく結果
たとえば緊急対策支出予備費2兆円のうちの9200億円
官僚主導であり政治主導でない。
「スパッと支出しないと意味がない。」
4日、山本昌45才の完投勝利直接対決連勝3-0は巨人軍を三位定着させた。
完投完封は1950年記録若林42歳8カ月を上回り以来の60年ぶりの快挙とアル。
4日国技館は土俵の鬼若乃花を見送った。
野球より自分自身の問題として相撲のほうが思い出多いんだが申し訳ないアップをしていない。
なんか政治傾斜で本来の備忘録の意図が少しずれて本意ではない。
少年時代庭端に部落の祭神の神社にも土俵をこしらえた。
この土俵造りの課程、いっぱいの夢を頂き遊んだ体を鍛えた
ご冥福をお祈りいたします。
深夜3時過ぎ40年来の友人からのTEL
○「小沢と菅はどちらが勝のか。」
×「バカではないか。ダブルスコアーでしょう」
○「国会議員の集会はホボ互角!根拠は・・・」
色々あって途中中断した。
菅VS小沢
社会党と自民党の選挙
心情的には菅を応援したい。
ところが政治姿勢その人間性から信用できない菅直人。
苦労して政治的立ち位置を国民本位に置き換えた
民族派政治家小沢一郎
歴然としている。
小沢一郎の語る言葉は政治家の言葉であり、国民の声を背中に背負っている。
菅直人の言葉は官僚の言葉であり、国民の生活と無縁な位置から発せられている。
その違いが全てだ。
ニコ生討論「菅対小沢」でアンケート。
総理大臣になって欲しいのはどっち?」。
菅22.6%、小沢77.4%。
冒頭に比べ、小沢が20%以上アップ。
http://p.tl/UggN
細野豪志幹事長代理は静岡県三島市で支持者の会合を開き、代表選で小沢一郎前幹事長を支持する考えを表明した。
終了後、細野氏は朝日新聞の取材に
「政策で判断した。小沢氏の主張する補助金の一括交付金化は革命的な改革だ。剛腕に期待したい」と述べた。
この人、もともと菅直人の秘書から議員になった人
それが小沢に重用されて出世したので、今回、どっち転んでも「裏切った」と言われる可哀そうな立場
、結局、勝ち馬に乗った形。
麻生元総理と似てきたと思います。
さすが管。
無茶ぶり過ぎる…
菅「一言だけ申し上げておきます。12月に編成する、内閣の来年度予算案を見てから判断をしていただきたいということなんです、皆さん!」。
民主党代表選の投票日は9月14日です ッ!
小沢「政見」メモに震え上がる高給天下り官僚 (日刊ゲンダイ)http://p.tl/fzSu
小沢一郎が発表した政権政策メモ。
行政および政治の改革」という項目には、天下り官僚の根絶メニューがズラリと並んでいる。
真っ先に「国家公務員の天下りは全面的に禁止する」とキッパリ!
テレビで放映されないこと。
この熱狂は何ッ!
4日東京での候補者同時の立ち会い演説会。
「政治とカネ」が聞きたくない、この国の現状改革手法を求めてる波。
映像が見れる有り難いことだ。
http://www.youtube.com/watch?v=RxZjCT4Vsms
5 時間前 すごい歓声だね。女性もいますね。
通常こういうのは、すべてマスコミが流すことしか知り得なかった
1時間前 そういう事が市民一人ひとりでき得るようになり、
外野が実際にどうなっているのかを知れるようになった事はたいへん大きな意義があり、いい事だ
文章では産経新聞がウォツチしている。
ほんとーに
読売朝日毎日は不偏不党公正報道を忘れた偏向報道でもうメディアではない。
産経が比較的読める。
ただし、図書館通いが加わり大変である。
ほかに日経は購読しているgは読める
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100904/plc1009042354011-n2.htm
クールヒルズの服装のリーダーの国会内のノーネクタイ上着無しが許せない爺目。
ワイシャツを腕まくりして選挙カーの上に立った菅首相。
だが、隣の小沢一郎は午後1時という炎天下にもかかわらず、スーツの上着をついに脱がなかった。
「固い決意」。
それを見せつけるかのようだった。
「首相も閣僚の皆さんも一生懸命頑張っていることを否定するものではない」
小沢氏は続く言葉で首相をなで切りにした。
「来年度の予算編成で、予算の一律10%カットが決定された。
この手法は自民党政権時代から続いてきた官僚主導のやり方だ」
珍しく大きな身ぶりを交える小沢氏の「首相批判」に、駅前を埋めた約3500人(主催者発表)の聴衆が、
この日、最も大きな拍手を送った。
総ポイント数の4分の1を占める党員・サポーター票と、8%の地方議員票の「郵送締め切り」が11日に迫る。
演説への拍手は小沢氏に多く、会場のあちこちから「オザワッ」というかけ声が飛ぶ。
演説が終わるとすぐ車に乗り込んだ首相に対し、小沢氏は街頭に残り
、頭を下げながら笑顔で支持者と握手を交わした。
小沢陣営は盤石か
それが・・・
全国に関係ない人にまで投票用紙が出回っている。
菅政権の誰かが仕掛けているのだろう。
これは完全に「ほめごろし」である。
4日、午後、新宿西口にて右翼の街宣車が結集し
「小沢一郎を総理大臣に」との演説があると
、新宿西口近辺で数台の街宣車が街宣。
「ほめごろし」と言えば「皇民党事件」が有名。
1987年に稲川会系の右翼団体「日本皇民党」が、自民党総裁選に立候補していた竹下登に対して
「日本一金儲けが上手い竹下氏を総理に」
と街宣活動を行ったことで一躍有名になった。
この現象はどうも全国規模のようでアル。
仕掛けたのは選挙参謀で暴力団に詳しき・・・仙谷か石井一か。
日本版ティパティーにも注意がいる。
ラジオ深夜便4時~5時
ノコギリ屋根は宝だ
タケダトシオさんの桐生を守るお話に感銘している。
美味しそうな八王子から始まる33才独立起業のパンを送ってもらうようお話をしてみたい。
9月5日はポーツマスの日
1905年日露戦争講和の仲介人を苦難の末にアメリカに求めた。
「ポーツマスの旗」の作者吉村昭。
日本側全権は宮崎の人小村寿太郎外相。
「日本の歴史浅い外交、誠実さを基本方針として貫くこと」
政権与党ゆえ一国の総理を選ぶことになる民主党党首選。
内向きのみで国家の役割たる外交が萎んでいる党首選論点。
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花ことばは・・・・・・神秘的
睡蓮科でアジア全体の水草。
水面より高く葉はでない。
その葉を突き破って紫色の花。
葉の直径は2メートルにもナル南米原産の大オニバス。
パラグアイ産鬼バスは別の品種
新月である
蔵の戸の しづしづ重し 星月夜
・・ 4日岐阜県郡上八幡は 「39,1度 」
「ひえぇェェ~~」
南国宮崎の爺目が驚いててどうしよう。
人口1万6000人郡上八幡。
歴史的に美濃~飛騨を結ぶ交通の要所
名水百選第一号の代表的水の町である。
長良川支流吉田川が街中を流れ生活の中心にある。
セリ板を使い洗い物をスル音。
8月には4日連続徹夜踊り。
「夕方8時から朝4時まで
輪を広げて共に踊りましょう。」
始まりは「川崎」
準備体操みたいなるモノ。
櫓の輪はおおよそ1キロ
ゆったりと始まる。
始まりから4時間ごぜん「0」時
息が合い一つになる手打ちの音はやしの声
5万を超える人々の興奮
ひるまに軽く習ってる宿泊客。
参加初体験。
全国から20万以上
民宿をも大忙し。
大広間25~6人雑魚寝。
叉来年会いましょう
バイク一人旅。
北海道娘と結婚に至る事例さえアルという
聞き慣れたる「春駒」
ノリのいい、まさに郡上マンボ
♪七両三分の春駒ハルコマ♪
う~~んどこかで聞いている確かに
えらいやっちゃ~~ヨイヨイヨイ~
いまでは全国規模に有名である。
前記のとおり全国から20万以上
爺目幼き頃は地区内でも
祇園さま山田神社、5部落ごと日程を変え競ったモノである。
出店と夜の恐怖の楽しみに
浴衣に砂利道路にゲタのカラ~~ンコロ~~ンの下駄
夏の夜を惜しみつつ
それがいまはどこもない。
アノ田舎の幼き出来事は真夏の夜の夢。
実に資本主義的社会維持はいやデある。
守り伝えれれてきた伝統風習を殺す。
お金で物事を置き換える思考を植え付け淘汰していく
この地域のみが何故に残ったのか。
交通の要所の建物維持の伝統と生活の水ナンであろう。
ラジオ深夜便5日深夜1:00~2:00
「にっぽん音めぐり~踊りに酔いしれ400年 郡上八幡」
なぜかこの記録の日に放送される奇っ怪さ。
特別番組ではない。
400年以上続いてきた
素朴でゆったりをラジオが伝える工夫。
盆踊りのメロディーがバックグラウンド
江戸時代藩主遠藤義隆が藩内に広めた。
偉いのはそれを受け継いでいること。
アノ地域の建物にしてもしかり。
若い世代に伝える活動が平成の次の御代に受け継がれる地域風土もある。
絶やさぬよう日常的訓練。
増えてきた盆踊りに参加しない若者。
その対策の一助の郡上高校踊りクラブ
顧問クニエダ教諭は38才数学の先生。
伝統を守らぬでは「もったいない」
歌詞にある「水も好ければ人も好い」
地元のいいところを気づかせ良さを教えたい。
爺mじぇは叫ぶッ!社会科の先生ッ!なにしてんのー
歌と三味線担当も絶やさ努力の人がいる。
トノウエマサヒコ43才郵便局勤務の人。
「哀愁は高校生ゆえ無理だがチャント歌うようにさせる。」
蝉時雨の中のラムネ売り
度胸試しの吉田川に飛び込む水音。
10メートルを超える橋から・・「ドボッ!」
飛び込むには最初が怖い。
通過点でやり遂げないと一人前の男でない。
幼稚園の頃から岩から飛び込む段々ランクを上げ訓練。
中学校から本番たる橋から飛び込む。
笑顔がイイ。
スカートのママ飛び込む女の子。
無邪気で育つ環境が気に入っている。
4日が踊り納め。
今年も全国から28万人。
4日岐阜県郡上八幡は 「39,1度 」
どうやら環境を超えた受け入れ能力がさせた技?
台風第9号は4日午後、沖縄.
今年の台風4号は初上陸が秋田
コースが完全に変わってきている。
連続3っつ発生も総て宮崎を避けた
かっての台風銀座宮崎にはこの何年になろう
台風が上陸しない。
荒れ狂ってるのは民主党。
政権与党になったら混乱。
なにしてんのー
日刊ゲンダイの
私は小沢一郎を支持する 連載②
熊本の人、魚住昭 (1951-)
一橋大法学から共同通信。96年、フリー。
報道の人というよりルポ作家のイメージ。
「沈黙のファイル『瀬島龍三』とは何だったのか」は、
日本推理作家協会賞受賞。
「野中広務 差別と権力」04年で講談社ノンフィクション賞受賞。
「特捜検察の闇」「冤罪法廷」などの作品群は光っている。
社会機構とは何か。
平和な社会の前提の元
雇用の確保にある。
さらには不況打開にある。
民主党の言う
「国民生活第一」
もっとも菅直人民主党政権が修正中にある。
現政権トップは「最低不幸社会から」をやめ
歯切れ良く
「一に雇用二に雇用、三に雇用」
ただ絶叫してるだけ。
政権を握ってるのに具体策はない。
金持ちから貧しい人に富を分配する「社会民主主義」的な政策が有益なのは歴然小沢一郎の政治信条である。
・菅体制がこのまま続けば、ごく一般的な生活者にとってヒドイ政治になる。
・小沢さんは代表選に勝って、それを阻止してほしいと思っています。
なぜそう思うのか。
菅政権の考え方が「新自由主義」だからです。
つまり資本の論理が第一で、金持ちの人や企業の利益を優先する。
これは小泉政権下の構造改革路線と全く同じです。
資本の論理をムキ出しにした政治をやれば、国民の大多数は貧困のドン底に突き落とされてしまいます。
小泉構造改革路線を踏襲しているから、消費税増税や財政支出抑制といった話が出てくる。
しかし、政策の中にあからさまに資本の論理を掲げるわけにはいかないため、
「クリーン」や「オープン」
といった抽象的な言葉でゴマかしているのです。
対する小沢さんの政策は極端に言えば「社会民主主義」。
金持ちから貧しい人に富を分配する考え方です。
それは政策を見てもハッキリしています。
例が「子ども手当」の満額支給です。
仮に子どもが3人いた場合、月額7万8000円が家計に入る計算ですが、これは首都圏では難しいが。
家賃が安い地方なら、収入が低くても暮らしていける金額です。
「子ども手当」ですべてが救われるわけではないが、収入の低い人も生活ができるという最低限の生活保障や
「安心感」がもたらされることになるのです。
年収200万~300万円の貧困層が増えている中で、人間社会にとって基本的な単位である
「家族」が営めるようになるのは、非常に大きなことだと思います。
メディアは「国民不在」「政策論争なし」
などと報じています
が、
今回ほど争点が明確な代表選はありません。
・金持ちだけが裕福になる「新自由主義」がいいのか、
・それとも皆で支え合う「社会民主主義」がいいのか、
ということです。
本来は、生きていくのに精いっぱいで、政治との関わりを持てない生活者の声なき声を生かすのが政治の役目。
小沢さんの支持者の多くは、地方の有権者だから、こうした実情が耳に入るが、
菅首相の支持者は、都会でいい生活を送る、いわばエリート層だから、よく分かっていないのです。
政治とは「言葉」。
小沢さん、菅首相双方の政策を吟味して比べれば、どちらが我々(国民)にとって有益なのかは一目瞭然です。
安全保障に対する考え方など、小沢の政策には(私にとって)相容れない部分もあり、支持は「期間限定」ですが、今の局面では
小沢さんに勝ってほしいと考えています。
菅総理を支持する大臣たち。
日刊ゲンダイ09/04 記事
3日の閣議後の会見で、役人に“洗脳”された経済閣僚から、
ビックリするような発言が次々に飛び出した。
これでは小沢前幹事長が熟慮の末に立ったのもうなずける。
①野田は財務官僚の代表か
小沢の主張に「財源が見えない」と反発
野田佳彦財務相
、小沢の言う
子ども手当の2010年度からの満額支給など、
09年衆院選マニフェストの完全実施を目指す政策を打ち出していることに対して、
「財源をどう確保するのか明確に見えてこない」
と批判した。
まるで財務官僚のような言い分。
すっかり官僚に取り込まれている。
何故か
衆院選マニフェストは、民主党が国民と約束したものである。
国民は、そのマニフェストに期待して民主党政権を選択したのだ。
野田も財務大臣なら、マニフェスト実現のために脳ミソとカラダをフル回転させ、
財源確保を目指す努力を続けるのが当然だろう。
それが国民主権の政治主導である。
役人の代弁をするだけの大臣など必要ない。
菅内閣に政治主導はムリ
「何ら成果を残していない野田は、国民から“怠慢”“無能”と批判されても仕方がない。
それが無反省で小沢一郎を批判するのだから、呆れる。勘違いも甚だしい」
②荒井聡経済財政担当相
、ひも付き補助金の見直しなど「ムダ削減で財源が出る」という小沢の主張に対し、
「行政の無駄を省くだけで、どれだけの財源が出てくるのか」
とか言っている。
荒井は菅の腹心。
その男が財務官僚か自民党議員のような批判をするのだ。
ほかにも、
「政治主導の予算配分はこれから」(前原国交相)、
「1兆円単位の特別枠は過去にない取り組み」(野田財務相)なんて言い訳も出ているが
菅内閣に「政治主導」を期待するなんてどだいムリなのである。
こんな大臣たちでは政権交代の意味はない。
政治主導を言葉でなく結果
たとえば緊急対策支出予備費2兆円のうちの9200億円
官僚主導であり政治主導でない。
「スパッと支出しないと意味がない。」
4日、山本昌45才の完投勝利直接対決連勝3-0は巨人軍を三位定着させた。
完投完封は1950年記録若林42歳8カ月を上回り以来の60年ぶりの快挙とアル。
4日国技館は土俵の鬼若乃花を見送った。
野球より自分自身の問題として相撲のほうが思い出多いんだが申し訳ないアップをしていない。
なんか政治傾斜で本来の備忘録の意図が少しずれて本意ではない。
少年時代庭端に部落の祭神の神社にも土俵をこしらえた。
この土俵造りの課程、いっぱいの夢を頂き遊んだ体を鍛えた
ご冥福をお祈りいたします。
深夜3時過ぎ40年来の友人からのTEL
○「小沢と菅はどちらが勝のか。」
×「バカではないか。ダブルスコアーでしょう」
○「国会議員の集会はホボ互角!根拠は・・・」
色々あって途中中断した。
菅VS小沢
社会党と自民党の選挙
心情的には菅を応援したい。
ところが政治姿勢その人間性から信用できない菅直人。
苦労して政治的立ち位置を国民本位に置き換えた
民族派政治家小沢一郎
歴然としている。
小沢一郎の語る言葉は政治家の言葉であり、国民の声を背中に背負っている。
菅直人の言葉は官僚の言葉であり、国民の生活と無縁な位置から発せられている。
その違いが全てだ。
ニコ生討論「菅対小沢」でアンケート。
総理大臣になって欲しいのはどっち?」。
菅22.6%、小沢77.4%。
冒頭に比べ、小沢が20%以上アップ。
http://p.tl/UggN
細野豪志幹事長代理は静岡県三島市で支持者の会合を開き、代表選で小沢一郎前幹事長を支持する考えを表明した。
終了後、細野氏は朝日新聞の取材に
「政策で判断した。小沢氏の主張する補助金の一括交付金化は革命的な改革だ。剛腕に期待したい」と述べた。
この人、もともと菅直人の秘書から議員になった人
それが小沢に重用されて出世したので、今回、どっち転んでも「裏切った」と言われる可哀そうな立場
、結局、勝ち馬に乗った形。
麻生元総理と似てきたと思います。
さすが管。
無茶ぶり過ぎる…
菅「一言だけ申し上げておきます。12月に編成する、内閣の来年度予算案を見てから判断をしていただきたいということなんです、皆さん!」。
民主党代表選の投票日は9月14日です ッ!
小沢「政見」メモに震え上がる高給天下り官僚 (日刊ゲンダイ)http://p.tl/fzSu
小沢一郎が発表した政権政策メモ。
行政および政治の改革」という項目には、天下り官僚の根絶メニューがズラリと並んでいる。
真っ先に「国家公務員の天下りは全面的に禁止する」とキッパリ!
テレビで放映されないこと。
この熱狂は何ッ!
4日東京での候補者同時の立ち会い演説会。
「政治とカネ」が聞きたくない、この国の現状改革手法を求めてる波。
映像が見れる有り難いことだ。
http://www.youtube.com/watch?v=RxZjCT4Vsms
5 時間前 すごい歓声だね。女性もいますね。
通常こういうのは、すべてマスコミが流すことしか知り得なかった
1時間前 そういう事が市民一人ひとりでき得るようになり、
外野が実際にどうなっているのかを知れるようになった事はたいへん大きな意義があり、いい事だ
文章では産経新聞がウォツチしている。
ほんとーに
読売朝日毎日は不偏不党公正報道を忘れた偏向報道でもうメディアではない。
産経が比較的読める。
ただし、図書館通いが加わり大変である。
ほかに日経は購読しているgは読める
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100904/plc1009042354011-n2.htm
クールヒルズの服装のリーダーの国会内のノーネクタイ上着無しが許せない爺目。
ワイシャツを腕まくりして選挙カーの上に立った菅首相。
だが、隣の小沢一郎は午後1時という炎天下にもかかわらず、スーツの上着をついに脱がなかった。
「固い決意」。
それを見せつけるかのようだった。
「首相も閣僚の皆さんも一生懸命頑張っていることを否定するものではない」
小沢氏は続く言葉で首相をなで切りにした。
「来年度の予算編成で、予算の一律10%カットが決定された。
この手法は自民党政権時代から続いてきた官僚主導のやり方だ」
珍しく大きな身ぶりを交える小沢氏の「首相批判」に、駅前を埋めた約3500人(主催者発表)の聴衆が、
この日、最も大きな拍手を送った。
総ポイント数の4分の1を占める党員・サポーター票と、8%の地方議員票の「郵送締め切り」が11日に迫る。
演説への拍手は小沢氏に多く、会場のあちこちから「オザワッ」というかけ声が飛ぶ。
演説が終わるとすぐ車に乗り込んだ首相に対し、小沢氏は街頭に残り
、頭を下げながら笑顔で支持者と握手を交わした。
小沢陣営は盤石か
それが・・・
全国に関係ない人にまで投票用紙が出回っている。
菅政権の誰かが仕掛けているのだろう。
これは完全に「ほめごろし」である。
4日、午後、新宿西口にて右翼の街宣車が結集し
「小沢一郎を総理大臣に」との演説があると
、新宿西口近辺で数台の街宣車が街宣。
「ほめごろし」と言えば「皇民党事件」が有名。
1987年に稲川会系の右翼団体「日本皇民党」が、自民党総裁選に立候補していた竹下登に対して
「日本一金儲けが上手い竹下氏を総理に」
と街宣活動を行ったことで一躍有名になった。
この現象はどうも全国規模のようでアル。
仕掛けたのは選挙参謀で暴力団に詳しき・・・仙谷か石井一か。
日本版ティパティーにも注意がいる。
ラジオ深夜便4時~5時
ノコギリ屋根は宝だ
タケダトシオさんの桐生を守るお話に感銘している。
美味しそうな八王子から始まる33才独立起業のパンを送ってもらうようお話をしてみたい。
9月5日はポーツマスの日
1905年日露戦争講和の仲介人を苦難の末にアメリカに求めた。
「ポーツマスの旗」の作者吉村昭。
日本側全権は宮崎の人小村寿太郎外相。
「日本の歴史浅い外交、誠実さを基本方針として貫くこと」
政権与党ゆえ一国の総理を選ぶことになる民主党党首選。
内向きのみで国家の役割たる外交が萎んでいる党首選論点。
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↑ ↑
4日宮崎県そのまんま東知事が今後の立候補はあるのかでテレビニュースにある。
ところがそれは表向きで民主党選挙に対する県民向けメッセージに過ぎない。
菅内閣とこうてい病に対する協議をしている最中であるという。
国のトップは誰が成ろうと行政の継続が要諦。
国と地方の役割を協調するなら今次の党首選挙に公正中立が地方のリーダーのとるべき態度。
選挙に対するズルイいわゆる大人の判断、生き抜く処世術の
県民エゴで言うなら勝ち馬に乗れ。
日々更新ブログ、ツィツターをヤッテル割りには
そのまんま東知事は情報収集能力に欠けている。
都市部の知事と違い後進県、田舎には政治の光りでの助力がとりわけいる。
選挙戦をタレント名で闘い投票用紙に「そのまんま東」と書かせて当選しておいて、いつの間にか本名に戻す姑息な政治手法からして爺目は納得できない。
負けいくさの将陣営につく政治観のなささ。
田舎県の知事としてトップ・リーダーにはあり得ない。
地元過去の経験の臭いさえ感じない知事の公式HPがある。
4日アチコチのブログで拡散にある。
讀賣朝日毎日の新聞全国キー局テレビこれらメディアが大本営状態にあり機能していない。
「米国との対等なる日本」
を主張する政治家はこの国の旧態依然たる大組織から抹殺されている。
どうすれば国家的危機から抜け出せるのか。
あたらしき情報のインターネットから発せられる情報疎外状態にある旧態依然の田舎の県民は辛い。
リンクの皆様から教えていただいた。
世の裏側から見つめることが出来る植草元早大教授ブログから
<民主代表選:達増岩手県知事の中立公正な卓見>
知事 今まで民主党で代表選挙を行う時に、小沢一郎さんが無競争で代表にという流れになりそうな時には、「みんなで選挙をしなければ駄目だ。
対立候補を立てなければ駄目だ。菅君、立ちなさい。」
というのは、渡部恒三さんが、かつて前原代表が辞めた直後の状況の中で言ったせりふです。
2年に1度行うと決まっている代表選挙ですから、民主党のガバナンスの問題として2年に1度、その時その時で誰が一番代表にふさわしいかということを決め直していきましょうと党則で決めて、全国の党員サポーターも巻き込んで行う話ですから、それを何か調整して実施しないことにするというのは妙な話だと思います。
代表が辞めて、急遽次の代表を選ばなければならないという時に、幹事長が中心になって選挙をしないで次の代表を決めるというのは、菅直人さんがかつて代表を辞めた後、岡田さんが代表に選ばれるプロセスで、岡田幹事長が周旋して自らが代表になるというパターンであったことなのですが、2年に1度の代表選挙はきちんと行うのが原則だと思いますし、まして今現職で代表をしている側が、ほかの人が立候補するのをつぶしにかかるというのは、これは権力の濫用以外の何物でもない、めちゃくちゃな話ですので、そうなることは望ましくないと思います。
記者 今回の民主党代表選が、小沢さんと菅さんの対決になるとされる根本は、そもそもは菅さんの小沢外しというのが1つあったと思うのですが、逆に小沢さんが総理になられた場合、人事の処遇で、菅さん又は菅グループ等について、どのように扱えばいいと思いますか。
知事 全然心配していないのですが、まさに小沢、菅で代表選挙を争った、前原代表が辞めた直後の局面で、小沢代表になって、菅さんが代表代行になり、鳩山さんが幹事長になり、トロイカ体制で、それで参院選にも勝利して、政権交代への流れをつくっていったという例がありますので、小沢一郎代表であればきちんと適材適所、人を生かしながら党勢の拡大、そしてそれがひいては日本全体を良くしていくということを力強く進めることができると思います。過去にそういう実績があるわけで、全然心配していません。
記者 つまり菅さんをきちんと処遇してあげることができるということでしょうか。
知事 ただ、去年のマニフェストを1年もたたないうちにやめてしまおうとか、党内の合意もないのに消費税アップを決めて打ち出して選挙で大敗するとか、そういう人を、そういうことにかかわるところで遇するのは常識から考えると難しいのだと思います。まさに適材適所、その人に合ったところで、中長期的に税のあり方を考えるところのトップとかは良いのかもしれません。
そのように適材適所で行えば良く、今まで偉かった人をこれからも偉いままにすればいいというものではないのだと思います。
記者 今、世論調査等がいろいろなところで行われていますが、大方の予想どおり小沢さんよりは比較的菅さんにシンパシーのある結果が出ていると思うのですが、それについてはいかがでしょうか。
知事 インターネット上の世論調査では、読売オンラインが小沢さんの出馬を支持するかで、支持するという人が圧倒的、スポーツニッポンの菅、小沢のどちらが良いという調査で小沢さんが圧勝と、ネット世論調査では小沢さんの圧勝というのが出ていると聞いており、そうするといろいろと知っている人は小沢さんを支持しているということなのだと思います。
逆に言うと、大手新聞社や通信社等が行っている世論調査では、その対象となっている国民がいろいろなことを知らされないまま答えてしまっているのかと思います。
政治と金の問題とか言いますが、いろいろと有名なネット論客の人たちの発言、それがツイッターで普通の人とかともやりとりされている中では、もう政治と金の問題というのは検察がつくった虚構であると。
そもそも西松事件も村木厚生労働局長の事件と同じように、検察側が呼んだ証人が検察に反する証言をしていて、無罪になる可能性が高く、陸山会問題も逮捕や起訴に相当するような訴因ではないと。更に言うと、検察審査会の今やっている審査を申し立てた人というのが、外国人の権利に強く反対するという外国人排除的な政治運動を行っている人が申し立てたのであって、かなり小沢一郎は左翼で駄目だ、中国に甘いから駄目だみたいな中で、検察が暴走してこういうことになっていることが、インターネットの中では広く知られるところとなってきているのだと思います。
国民全体に知らせるのは、マスコミが報道ぶりを転換すればすぐできるかもしれないのですが、今までのようなマスコミの報道ぶりですと、そういうネット上では共有されている大事な知識、情報を国民にきちんと伝えていくには、2,3年かけて志ある人たちが国民一人ひとりに直接伝えていくということをやらなければならないのだとは思うのですが、今回は民主党の国会議員さんと地方議員さんと党員サポーターですから、2週間あればかなり真実は浸透するのではないかと思っています。
記者 今のマスコミの報道では、なかなか一般の国民は小沢さんの本来の姿が分からないのではないかというお話だったのですが、知事から見て今のマスコミの小沢報道というのは偏向しているとお考えでしょうか。
知事 まず、報道の自由というのがあって、取材の自由とか、編集の自由とかもありますから、それぞれ書きたいことを自由に書き、出版すれば良いのだとは思っているのですが、ただそもそも今小沢一郎さんが日本の総理大臣ではないということはとても異常なことだと私は思っています。
というのは、西松事件で元秘書が逮捕されて、そのことで代表を辞して、それで代表として去年の総選挙に突入することができないで総理大臣になれなかったわけですが、今やその西松事件というのはきちんと裁判していれば元秘書は無罪になるであろうということが見えてきています。
その裁判を止めてしまうために、陸山会事件という別の事件でまた逮捕して、西松事件のその決着が出ないようにもなってしまっている。
ということで、小沢一郎さんが本当は総理になっていてしかるべきなのに、なっていないという異常事態を引き起こす中で、マスコミはそれを防ぐ役割は果たせなかったということだと思うし、そして今現在もその異常さを是正する役割は果たしていないと思います。
記者 憲法75条と検察審査会の話なのですが、小沢首相が誕生した場合に、検察審査会で強制起訴という議決がなされたら、小沢さんはどういう対応をすべきだと知事としては考えていらっしゃいますか。
知事 そもそも検察審査会に申し立てをした人とその目的との関係で、それを受理して審査会を始めたことが本当に妥当だったのかという問題もあると思うのですよね。
外国人参政権の問題とか、在日外国人の権利のことで争いたいというのであれば、それは別途国会の中の立法政策論の議論の中で争えば良いのであって、だからそもそも何のためにそういう申し立てがなされたのかということも含めて大局的に判断して、またそこで問題になっていることも土地だか建物だかの実際の取得の日と届け出の日にずれがあって、年度をまたいでいるということと、あとは銀行からの資金調達が間に合わなかったところをポケットマネーで払ったと書いていなかったと。本当にそこが問題なのであれば、それぞれ今までは自治省、総務省から直すべきなら直すべきという指摘があって、それに従って直せば済んでいた話で、そもそもそういう司法の場で争うことにはなじまないということだと思います。だから、形式で考えるのではなく、中身で国民が納得できるような形で対応がなされれば良いのだと思います。
記者 小沢首相がもし誕生したら、鳩山さん、菅さん、小沢さんと、ころころ替わってしまうことになるわけですが、知事としては解散総選挙で国民に信を問う必要はあるとお考えですか。
知事 まず、去年の衆院選の原点に立ち返って、あの民意に沿った体制にしていくという趣旨からすれば、あえて民意を問う必要はないのだと思います。
それからもう一つ、去年、西松事件で小沢さんが代表を辞めたのは、あの時話していましたが、一切やましいところはないと、ただ党内ががたがたしているので、選挙に向かって党が一枚岩になるように辞めたということです。先ほど言ったように、あのようなマスコミ報道の中で国民に真実を伝えるには、やはり2,3年かかる局面だったから、つまり国民が間違った情報を基に選挙に臨まなければならないというのは、民意をゆがめる危険性があり、だから小沢一郎さんはそんな民意がおかしくなる、ゆがむと分かっているような選挙を行ってしまうのは、政治家、トップリーダーとして責任あることではないということで身を引いたわけです。
だから、やはりそういう民意がねじ曲げられるような選挙結果になりそうな解散総選挙はしないという判断をするのではないかと思うし、それは正解だと思います。
記者 政治と金なのですが、蓮舫さんなんかは、国会で説明すれば良いのではないか、小沢先生本人もテレビ番組で話すみたいなこともおっしゃっていますが、知事としてはどういう場で、どういった説明をするのが望ましいと考えていらっしゃいますか。
知事 私は、いろいろと自分で調べて大体分かっていますから、もう説明はしてもらわなくても結構なのですが、いろいろな人がいろいろな意見を言うのは、それは人の自由だと思うのですが、内閣の一員は内閣を構成している法務省の検察当局が起訴しないと言っていることについて、起訴の可能性があるとか言ってはいけないと思います。
内閣として一体となって白ということにしているのだから、そこで黒ではないかみたいなことを言い出すのは、内閣をぐじゃぐじゃにすることになると思います。
内閣というのは、最強の権力機関なわけですから、その一員としてやはり言動には気を付けてもらわないと困ると思います。
記者 民意がねじ曲がるというような、世論調査の結果ですと小沢さんに厳しいようなデータが出ているわけですが、その結果がそのまま選挙の結果に反映されるとやはり、ざっくりと言って衆院選で負けるとなると、それは民意がねじ曲げられることになると、そういうような趣旨の話でよろしいのでしょうか。
知事 ええ。しかも、ネット調査の結果というデータがあるわけです。それとネットの外でやっている世論調査での180度違う結果が出ている原因、理由を考えていった時に、それはそこに参加している人たちの性格の違いとか、何かそういう違いとかというよりは、ネットで得られる情報を踏まえて判断しているのか、そうでないのかというところがやはり最大の違いであり、今民意を形成するのに必要な情報がネットでしか得られないみたいなことになっています。
そういう中で、やはり国民全体の民意を問うとかすると、民意はゆがめられてしまうと思います。
そういうことは、去年の春ごろから起きているのですが、その中で小沢一郎さんは党代表を辞めるとか、今年党幹事長を辞めるとかということは、やはり選挙直前にそういう民意が大きくゆがめられる危険性がある形で選挙に突入してしまうのは、国のかじ取りをしている政治家たちとしては避けなければ駄目なのであって、自分が身を引くことで民意がゆがめられない形で国政選挙が行われるというために身を引いたということなのだと思っています。
だから、そのようにして政治家の犠牲において民意がねじ曲がらないような工夫ができるのですが、ただ今回は党の中の選挙であり、さすがに議員とか党員サポーターは自ら意欲を持って政治に参加している人たちで、自分の主体的判断に必要な情報は自分の責任できちんと収集して判断をするということだから、正々堂々立候補しているということだと思います。」
地方のリーダーに有能なるトップを頂いてる政治の恩恵を受ける県民は幸せである。
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ところがそれは表向きで民主党選挙に対する県民向けメッセージに過ぎない。
菅内閣とこうてい病に対する協議をしている最中であるという。
国のトップは誰が成ろうと行政の継続が要諦。
国と地方の役割を協調するなら今次の党首選挙に公正中立が地方のリーダーのとるべき態度。
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県民エゴで言うなら勝ち馬に乗れ。
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そのまんま東知事は情報収集能力に欠けている。
都市部の知事と違い後進県、田舎には政治の光りでの助力がとりわけいる。
選挙戦をタレント名で闘い投票用紙に「そのまんま東」と書かせて当選しておいて、いつの間にか本名に戻す姑息な政治手法からして爺目は納得できない。
負けいくさの将陣営につく政治観のなささ。
田舎県の知事としてトップ・リーダーにはあり得ない。
地元過去の経験の臭いさえ感じない知事の公式HPがある。
4日アチコチのブログで拡散にある。
讀賣朝日毎日の新聞全国キー局テレビこれらメディアが大本営状態にあり機能していない。
「米国との対等なる日本」
を主張する政治家はこの国の旧態依然たる大組織から抹殺されている。
どうすれば国家的危機から抜け出せるのか。
あたらしき情報のインターネットから発せられる情報疎外状態にある旧態依然の田舎の県民は辛い。
リンクの皆様から教えていただいた。
世の裏側から見つめることが出来る植草元早大教授ブログから
<民主代表選:達増岩手県知事の中立公正な卓見>
知事 今まで民主党で代表選挙を行う時に、小沢一郎さんが無競争で代表にという流れになりそうな時には、「みんなで選挙をしなければ駄目だ。
対立候補を立てなければ駄目だ。菅君、立ちなさい。」
というのは、渡部恒三さんが、かつて前原代表が辞めた直後の状況の中で言ったせりふです。
2年に1度行うと決まっている代表選挙ですから、民主党のガバナンスの問題として2年に1度、その時その時で誰が一番代表にふさわしいかということを決め直していきましょうと党則で決めて、全国の党員サポーターも巻き込んで行う話ですから、それを何か調整して実施しないことにするというのは妙な話だと思います。
代表が辞めて、急遽次の代表を選ばなければならないという時に、幹事長が中心になって選挙をしないで次の代表を決めるというのは、菅直人さんがかつて代表を辞めた後、岡田さんが代表に選ばれるプロセスで、岡田幹事長が周旋して自らが代表になるというパターンであったことなのですが、2年に1度の代表選挙はきちんと行うのが原則だと思いますし、まして今現職で代表をしている側が、ほかの人が立候補するのをつぶしにかかるというのは、これは権力の濫用以外の何物でもない、めちゃくちゃな話ですので、そうなることは望ましくないと思います。
記者 今回の民主党代表選が、小沢さんと菅さんの対決になるとされる根本は、そもそもは菅さんの小沢外しというのが1つあったと思うのですが、逆に小沢さんが総理になられた場合、人事の処遇で、菅さん又は菅グループ等について、どのように扱えばいいと思いますか。
知事 全然心配していないのですが、まさに小沢、菅で代表選挙を争った、前原代表が辞めた直後の局面で、小沢代表になって、菅さんが代表代行になり、鳩山さんが幹事長になり、トロイカ体制で、それで参院選にも勝利して、政権交代への流れをつくっていったという例がありますので、小沢一郎代表であればきちんと適材適所、人を生かしながら党勢の拡大、そしてそれがひいては日本全体を良くしていくということを力強く進めることができると思います。過去にそういう実績があるわけで、全然心配していません。
記者 つまり菅さんをきちんと処遇してあげることができるということでしょうか。
知事 ただ、去年のマニフェストを1年もたたないうちにやめてしまおうとか、党内の合意もないのに消費税アップを決めて打ち出して選挙で大敗するとか、そういう人を、そういうことにかかわるところで遇するのは常識から考えると難しいのだと思います。まさに適材適所、その人に合ったところで、中長期的に税のあり方を考えるところのトップとかは良いのかもしれません。
そのように適材適所で行えば良く、今まで偉かった人をこれからも偉いままにすればいいというものではないのだと思います。
記者 今、世論調査等がいろいろなところで行われていますが、大方の予想どおり小沢さんよりは比較的菅さんにシンパシーのある結果が出ていると思うのですが、それについてはいかがでしょうか。
知事 インターネット上の世論調査では、読売オンラインが小沢さんの出馬を支持するかで、支持するという人が圧倒的、スポーツニッポンの菅、小沢のどちらが良いという調査で小沢さんが圧勝と、ネット世論調査では小沢さんの圧勝というのが出ていると聞いており、そうするといろいろと知っている人は小沢さんを支持しているということなのだと思います。
逆に言うと、大手新聞社や通信社等が行っている世論調査では、その対象となっている国民がいろいろなことを知らされないまま答えてしまっているのかと思います。
政治と金の問題とか言いますが、いろいろと有名なネット論客の人たちの発言、それがツイッターで普通の人とかともやりとりされている中では、もう政治と金の問題というのは検察がつくった虚構であると。
そもそも西松事件も村木厚生労働局長の事件と同じように、検察側が呼んだ証人が検察に反する証言をしていて、無罪になる可能性が高く、陸山会問題も逮捕や起訴に相当するような訴因ではないと。更に言うと、検察審査会の今やっている審査を申し立てた人というのが、外国人の権利に強く反対するという外国人排除的な政治運動を行っている人が申し立てたのであって、かなり小沢一郎は左翼で駄目だ、中国に甘いから駄目だみたいな中で、検察が暴走してこういうことになっていることが、インターネットの中では広く知られるところとなってきているのだと思います。
国民全体に知らせるのは、マスコミが報道ぶりを転換すればすぐできるかもしれないのですが、今までのようなマスコミの報道ぶりですと、そういうネット上では共有されている大事な知識、情報を国民にきちんと伝えていくには、2,3年かけて志ある人たちが国民一人ひとりに直接伝えていくということをやらなければならないのだとは思うのですが、今回は民主党の国会議員さんと地方議員さんと党員サポーターですから、2週間あればかなり真実は浸透するのではないかと思っています。
記者 今のマスコミの報道では、なかなか一般の国民は小沢さんの本来の姿が分からないのではないかというお話だったのですが、知事から見て今のマスコミの小沢報道というのは偏向しているとお考えでしょうか。
知事 まず、報道の自由というのがあって、取材の自由とか、編集の自由とかもありますから、それぞれ書きたいことを自由に書き、出版すれば良いのだとは思っているのですが、ただそもそも今小沢一郎さんが日本の総理大臣ではないということはとても異常なことだと私は思っています。
というのは、西松事件で元秘書が逮捕されて、そのことで代表を辞して、それで代表として去年の総選挙に突入することができないで総理大臣になれなかったわけですが、今やその西松事件というのはきちんと裁判していれば元秘書は無罪になるであろうということが見えてきています。
その裁判を止めてしまうために、陸山会事件という別の事件でまた逮捕して、西松事件のその決着が出ないようにもなってしまっている。
ということで、小沢一郎さんが本当は総理になっていてしかるべきなのに、なっていないという異常事態を引き起こす中で、マスコミはそれを防ぐ役割は果たせなかったということだと思うし、そして今現在もその異常さを是正する役割は果たしていないと思います。
記者 憲法75条と検察審査会の話なのですが、小沢首相が誕生した場合に、検察審査会で強制起訴という議決がなされたら、小沢さんはどういう対応をすべきだと知事としては考えていらっしゃいますか。
知事 そもそも検察審査会に申し立てをした人とその目的との関係で、それを受理して審査会を始めたことが本当に妥当だったのかという問題もあると思うのですよね。
外国人参政権の問題とか、在日外国人の権利のことで争いたいというのであれば、それは別途国会の中の立法政策論の議論の中で争えば良いのであって、だからそもそも何のためにそういう申し立てがなされたのかということも含めて大局的に判断して、またそこで問題になっていることも土地だか建物だかの実際の取得の日と届け出の日にずれがあって、年度をまたいでいるということと、あとは銀行からの資金調達が間に合わなかったところをポケットマネーで払ったと書いていなかったと。本当にそこが問題なのであれば、それぞれ今までは自治省、総務省から直すべきなら直すべきという指摘があって、それに従って直せば済んでいた話で、そもそもそういう司法の場で争うことにはなじまないということだと思います。だから、形式で考えるのではなく、中身で国民が納得できるような形で対応がなされれば良いのだと思います。
記者 小沢首相がもし誕生したら、鳩山さん、菅さん、小沢さんと、ころころ替わってしまうことになるわけですが、知事としては解散総選挙で国民に信を問う必要はあるとお考えですか。
知事 まず、去年の衆院選の原点に立ち返って、あの民意に沿った体制にしていくという趣旨からすれば、あえて民意を問う必要はないのだと思います。
それからもう一つ、去年、西松事件で小沢さんが代表を辞めたのは、あの時話していましたが、一切やましいところはないと、ただ党内ががたがたしているので、選挙に向かって党が一枚岩になるように辞めたということです。先ほど言ったように、あのようなマスコミ報道の中で国民に真実を伝えるには、やはり2,3年かかる局面だったから、つまり国民が間違った情報を基に選挙に臨まなければならないというのは、民意をゆがめる危険性があり、だから小沢一郎さんはそんな民意がおかしくなる、ゆがむと分かっているような選挙を行ってしまうのは、政治家、トップリーダーとして責任あることではないということで身を引いたわけです。
だから、やはりそういう民意がねじ曲げられるような選挙結果になりそうな解散総選挙はしないという判断をするのではないかと思うし、それは正解だと思います。
記者 政治と金なのですが、蓮舫さんなんかは、国会で説明すれば良いのではないか、小沢先生本人もテレビ番組で話すみたいなこともおっしゃっていますが、知事としてはどういう場で、どういった説明をするのが望ましいと考えていらっしゃいますか。
知事 私は、いろいろと自分で調べて大体分かっていますから、もう説明はしてもらわなくても結構なのですが、いろいろな人がいろいろな意見を言うのは、それは人の自由だと思うのですが、内閣の一員は内閣を構成している法務省の検察当局が起訴しないと言っていることについて、起訴の可能性があるとか言ってはいけないと思います。
内閣として一体となって白ということにしているのだから、そこで黒ではないかみたいなことを言い出すのは、内閣をぐじゃぐじゃにすることになると思います。
内閣というのは、最強の権力機関なわけですから、その一員としてやはり言動には気を付けてもらわないと困ると思います。
記者 民意がねじ曲がるというような、世論調査の結果ですと小沢さんに厳しいようなデータが出ているわけですが、その結果がそのまま選挙の結果に反映されるとやはり、ざっくりと言って衆院選で負けるとなると、それは民意がねじ曲げられることになると、そういうような趣旨の話でよろしいのでしょうか。
知事 ええ。しかも、ネット調査の結果というデータがあるわけです。それとネットの外でやっている世論調査での180度違う結果が出ている原因、理由を考えていった時に、それはそこに参加している人たちの性格の違いとか、何かそういう違いとかというよりは、ネットで得られる情報を踏まえて判断しているのか、そうでないのかというところがやはり最大の違いであり、今民意を形成するのに必要な情報がネットでしか得られないみたいなことになっています。
そういう中で、やはり国民全体の民意を問うとかすると、民意はゆがめられてしまうと思います。
そういうことは、去年の春ごろから起きているのですが、その中で小沢一郎さんは党代表を辞めるとか、今年党幹事長を辞めるとかということは、やはり選挙直前にそういう民意が大きくゆがめられる危険性がある形で選挙に突入してしまうのは、国のかじ取りをしている政治家たちとしては避けなければ駄目なのであって、自分が身を引くことで民意がゆがめられない形で国政選挙が行われるというために身を引いたということなのだと思っています。
だから、そのようにして政治家の犠牲において民意がねじ曲がらないような工夫ができるのですが、ただ今回は党の中の選挙であり、さすがに議員とか党員サポーターは自ら意欲を持って政治に参加している人たちで、自分の主体的判断に必要な情報は自分の責任できちんと収集して判断をするということだから、正々堂々立候補しているということだと思います。」
地方のリーダーに有能なるトップを頂いてる政治の恩恵を受ける県民は幸せである。
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ゲゲゲ妖怪のすむ場所
2010年9月4日 お仕事今日の誕生日の花は・・・・レンゲショウマ
花ことばは・・・・・伝統美
大いなる ものが過ぎ行く 野分かな 虚子
米国の政治はロビェスト政治に例えられる。
政治家そのものより多くの取り巻きのロビェスト壁がある。
英国の政治とは根本的に違いが如実で語られる。
これに比してこの国の特徴。
永田町界隈ではゴシップ記事専門で飯の種で生きているプロの書き手がいる。
当然その目的からして立ち位置によって大きな差が生じるは当たり前。
ブログも似通ってはいるが単純デある。
プロの手法との差は歴然。
プロは技術的に工作員的な手法もある。
我以外は皆、師と単純に生きている。
昨年8月政権交代以前
二つのブログにお世話になった。
政権交代までは自民党の動きを含めウォッチ
民主党勝利に向け大きな役割を果たした。
ところが民主党が政権につくと
正体がばれ読めたモノではナイ。
小沢一郎を汚くののしるバカリで実に不愉快
ジキルとハイド以上の豹変ぶり
政治家にアル「ニセ黄門」の渡部恒三の人間として拙劣さそのもの。
国会傍聴記by下町の太陽ブログ。
宮崎信行
ドラエモンこと元菅直人事務所勤務。
松田光世
前者が岡田外相信者。
後者が菅直人信者。
一時期はブログ界隈であれほど脚光を浴びたのに
賞味期限切れ汚き本性丸出しでただの誹謗中傷記事羅列。
松田光世は狂っているとしか思えない。
「小沢かかってこい。」
命さえ盗らんがバカリの近親相たがえるばり仲間ほど憎しッ!
「小渕首相が倒れたのは、そのK(菅)さんの予算委での追及から二 カ月余り後のこと。ちょうど、O(小沢)さんが自自公連立政権からの離脱を表明した日の夜のことだった。」
軽々しく一国の首相死に言及し、その原因が自分である(自分が命を奪った)と書いて、今度はO(小沢)さんを眠れない夜の連続にしてやると書くK(菅)さんの元秘書の自ーナリスト。
まずはそのあだ名@matsudadoraemonを止めなさい。ネコ型ロボットに失礼だ。そしてあなたがやろうとしていることはK(菅)さんのためには逆効果だ
菅直人にドロを塗る行為ではないのか。
爺目これまで護憲を党是にするゆえ社会党的思考で生きてきた。社会党東京代議士菅直人には親密感がある。
社会党を分裂させた江田三郎子息江田五月前参議院議長が今次総裁選挙で菅直人選挙参謀につく気持ちがわかる。
たいして小沢一郎的自民党政治65年に反対して生きてき
た。
宿敵小沢一郎である。
ところが大きく脱皮した小沢一郎という政治家の大きさ。
信念を持って自民党から去った。
福嶋瑞穂社民党党首の簡単に閣内を去るが如き無責任さに疑念を持つ。
党是は村山富市のとき既に脱ぎ去ったではないか。
ようやく鳩山小沢体制で65年の政治支配から解放されたのを瓦解させてしまった。
平和な沖縄を優先したためゆえである。
宮崎のヒトの政治家の信念ゆえ理解はできる。
ただし閣内離脱は社民党内議論抜きでなかったか。
爺目は小沢一郎信者ではない。
この国は崩壊寸前にある。
小沢一郎の言う立候補の挨拶とおなじである。
「ヒト殺しの横行、親子さえ崩壊状況を嘆き憂えている」
日本を救えるにはこの人が一番であると時局を見ている。
菅直人にはこの国の事態認識が欠けている
政治家として情けない。
鳩山小沢に熾烈な攻撃で怖じけついたんであろう。
転んだのは新自由主義者に鞍替えした菅直人
爺目の政治的立ち位置は普遍である。
党派で思考しててはこの事態の改善方向は出ない。
テレビで描かれてる幕末坂本龍馬 の信念である。
負けじとバカリで宮崎信行。
元産経記者らしいが流石に鍛えられている。
二つ見出しだけでも項である。
<小沢一郎さんは名誉ある撤退を 党員サポーターポイント地滑り的敗北も>
まだこれはいい。
ところがコレは如何なモノか。
8月26日
<代表選出馬の小沢一郎さんの息の根を止めよう>
爺目が察する限り食い扶持を見つけたからである。
週間現代に囲われ飯の種をエタ。
自身のブログを有料ブログにした。
読者を獲得するが為に角を隠していただけ。
お里が知れる。
昨年8月以前の国会レポートのあの熱意ある異色のブログの時の姿勢に日々教えを請うた。
あの頃までの師匠。
ただ一時でも師は師。
ごまんとある永田町ゴシップ記事。
元毎日記者板垣英憲ブログは清和会に属している情報がある。
一部当たっているのはそコにある巧妙さ。
あのときまでは無料ブログでもあった。
ブログ界隈にも出世の階段があるようでそれが同じ手法で伺われる。
永田町界隈でここんとこ脚光を浴びてるのが
急に出てきた感のある板垣英憲マスコミ事務所発のブログ。
元毎日新聞記者。
その政治的立ち位置は数多く発刊されてる著作からも解らなかった。
清和会のお抱えのライターらしい。
まだよくわからない。
流石である。
原子力空母で八丈島!の記事の部分のみは
海千山千で割り引いては見ている。
魑魅魍魎の永田町の爺目の理解の一助にココントコの不可解の解消が
ここから発せられてるからである。
小泉純一郎のメディア丸め込みのデマゴギーのヒトラー手法が解ろうというモノだ。
爺目不徳のいたすところ快適なブログ環境にない。
物理的にも精神的にも。
国内でも抗生物質の耐性菌が見つかった。
気が期ではない。
元気者が一部病気になると大変。
病院で病人が創られる。
このこと追いたいが申し述べた環境の理由にある。
こういうときにはお得意の手法があるわけだ。
他人様のを掲げその日の備忘録とする。
もちろん脚光を浴びてる
ココントコ一助お世話になってる板垣英憲様の発せられるブログである。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100902-00000099-mai-pol
<自民町村派>参院会長選の処分うやむや 森氏が退会届
毎日新聞 9月2日21時22分配信
「小泉純一郎が動いた。」
この裏がよくわからなかった。
そりゃぁ~息子の事件は承知してはいたが
余りにも具合がタイミングが良すぎるからである。
森喜朗元首相が小沢一郎の連立問題に関し
「スカッと申し上げる」発言に反応、
町村派退会届を叩きつける
2010年09月03日 23時28分
このコトに3日解説がある。
さすがに対応が早い。
毎日新聞記事と真相は随分と違ってくる。
◆9月3日朝のテレビ朝日の人気番組「スーパーモーニング」は、さながら居酒屋「庄屋」の一室で、大学生がゼミの担任教授を囲んで、賑やかなコンパの雰囲気だった。
生出演した小沢一郎前幹事長が教授、スタジオ出演者の山口一臣氏(週刊朝日編集長)、鳥越俊太郎氏(元サンデー毎日編集長)、大谷昭宏氏(元読売新聞大阪本社社会部記者)らは、教え子という感じだった。教え子が我先にと質問攻めし、これを受け止めて、教授は能弁に答えていた。
この場に足りなかったのは、教授の好きな焼き鳥に豆腐、それに生ビールと日本酒、焼酎。
だが、酒と肴がなくても、談論風発、和気藹々のコンパ風景は、小沢前幹事長が、いかに日ごろ、若い書生や秘書たちと、行きつけの居酒屋で活発に会話しているかを連想させるのに十分だった。
おそらく、この番組を見ていた視聴者の多くが、小沢前幹事長の意外な一面を垣間見る気分になったのはないか。思いがけない雰囲気に、キャスターのだれかが、「小沢さんと同じ空気を吸う空間にいられるのが、不思議なくらいだ。
代表選挙中にもう一度やりましょう」と続編を所望していた。いつもは苦虫を潰すような恐ろしい顔、表情の小沢前幹事長は、ウソの小沢さん、にこやかなお父さんが、ホントの小沢さんなのだ。
◆渡部恒三元衆院副議長は、昭和44年当選同期、41年もの付き合いのある小沢前幹事長のことを「悪代官」と言いふらしているが、「ニセ黄門」と悪評の高い渡部元衆院副議長の最近の所業は、見苦しい。いかに不満があろうとも、友人を裏切り、悪し様に言いふらすのは、人間として拙劣である。
私は永田偽メール事件の際、渡部元衆院副議長を主役とした「民主党を救った会津魂」(ごま書房刊)という本を書いたが、会津藩校「日新館」の「童子訓」には、友人を貶めてよいとは、一言も教えてはいない。渡部元衆院副議長こそ、「人間失格」とさえ思う。恥ずかしい。
いまの世の中、太宰治の「走れメロス」のような人間関係はどこを探しても見つけることが、難しくなったのであろうか。
◆昭和44年当選同期には、羽田孜元首相、渡部恒三元衆院副議長、石井一元国土庁長官、梶山静六元自治相、綿貫民輔元衆院議長、奥田敬和元郵政相、森喜朗元首相らがいる。(小泉純一郎元首相は、この選挙で落選した)
ただし、石井一元国土庁長官は昭和58年(1983)、総選挙で落選した。この落選が響き、同格であった後の竹下派七奉行を初めとする政治家達に大きく遅れをとった。梶山静六も落選し、同じ境遇であった。国会議員は、当選回数が、一番であり、モノを言う。落選すれば、蔑まれるということである。
◆同期生のうち、森喜朗元首相は9月2日、東京都千代田区紀尾井町のプリンスホテル赤坂で開かれた町村派幹部会で、安倍晋三元首相から「息子さんの件もあり、そろそろ相談役に引いていただけませんか」と言われて、町村派退会届けを出した。
この言葉の背景には、小泉純一郎元首相がいる。
森元首相が、小沢前幹事長と両天秤をかけているので、面目が立たないと考えているからである。
安倍元首相に言わせた。
そうしたら、森元首相が、町村派退会届けを出した。
清和会から森元首相を野放しにしたら、爆弾になる恐れがあり、小泉元首相と安倍元首相にとって、危ない存在になりかねない。
森元首相は、亀井静香元金融担当相や小沢前幹事長とともに、小泉改革を修正する郵政改革法案を認めており、この流れを知った小泉元首相は、郵政改革法案が国会で成立してしまうと、面目が立たなくなると考えて、安倍元首相に「息子さんの件もあり、そろそろ相談役に引いていただけませんか」と言わせたということである。
実は、森元首相は、中曽根康弘元首相と頻繁に会っているという。ここは、表向き不可思議なところであるが、森元首相は、小沢前幹事長との間で、連立話を進めており、このことに気づいた小泉元首相が、危機感を抱いたようである。事実、森元首相は、参院選挙直後、すぐに小沢前幹事長に和解を申し込んでいる。
(オフィス・マツナガのサイトではこの重要情報を、会員からの問い合わせに対し、現役記者を称する北岡某が、「板垣は定期的にガセを飛ばす人だからガセと認定」としている。とんでもない。
オフィス・マツナガこそ、「ガセネタ源」であることを自ら暴露している)
小沢前幹事長サイドの情報によると、自民党側の連立の相手は「古賀誠元幹事長、福田康夫元首相」という。小沢前幹事長が日本記者クラブ主催の討論会で連立問題を聞かれ、「代表に選ばれれば、スカッと申し上げる」と答えたのを聞いて、参院議員選挙直後から民主党との連立に蠢いていた森元首相は「バスに遅れてはならじ」と町村派に退会届を叩き付けたとも解釈できそである。百戦錬磨の政治家というのは、「機を見て敏」のようである。」変な意味で感心させられる。
しかし、町村派では、森元首相を野放しにすると何でもしゃべられてしまうと警戒感を強め、対応に苦慮している。
アッハッハツハッ
馬脚をあらわしている。
季節の変わり目と政治の変わり目がこの暑さの中でも、
よ~くみると確実の押し寄せている。
この世の唯一の真実、生老病死を会得していない。
「注射すっどー」「きゃーエッチ!」
北の大兄様のメッセージに
ホッ!と癒されてます。
有り難うございます。
早く元気に・・・ナ~~レッ!
・・・・
この国ッ!
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こ
花ことばは・・・・・伝統美
大いなる ものが過ぎ行く 野分かな 虚子
米国の政治はロビェスト政治に例えられる。
政治家そのものより多くの取り巻きのロビェスト壁がある。
英国の政治とは根本的に違いが如実で語られる。
これに比してこの国の特徴。
永田町界隈ではゴシップ記事専門で飯の種で生きているプロの書き手がいる。
当然その目的からして立ち位置によって大きな差が生じるは当たり前。
ブログも似通ってはいるが単純デある。
プロの手法との差は歴然。
プロは技術的に工作員的な手法もある。
我以外は皆、師と単純に生きている。
昨年8月政権交代以前
二つのブログにお世話になった。
政権交代までは自民党の動きを含めウォッチ
民主党勝利に向け大きな役割を果たした。
ところが民主党が政権につくと
正体がばれ読めたモノではナイ。
小沢一郎を汚くののしるバカリで実に不愉快
ジキルとハイド以上の豹変ぶり
政治家にアル「ニセ黄門」の渡部恒三の人間として拙劣さそのもの。
国会傍聴記by下町の太陽ブログ。
宮崎信行
ドラエモンこと元菅直人事務所勤務。
松田光世
前者が岡田外相信者。
後者が菅直人信者。
一時期はブログ界隈であれほど脚光を浴びたのに
賞味期限切れ汚き本性丸出しでただの誹謗中傷記事羅列。
松田光世は狂っているとしか思えない。
「小沢かかってこい。」
命さえ盗らんがバカリの近親相たがえるばり仲間ほど憎しッ!
「小渕首相が倒れたのは、そのK(菅)さんの予算委での追及から二 カ月余り後のこと。ちょうど、O(小沢)さんが自自公連立政権からの離脱を表明した日の夜のことだった。」
軽々しく一国の首相死に言及し、その原因が自分である(自分が命を奪った)と書いて、今度はO(小沢)さんを眠れない夜の連続にしてやると書くK(菅)さんの元秘書の自ーナリスト。
まずはそのあだ名@matsudadoraemonを止めなさい。ネコ型ロボットに失礼だ。そしてあなたがやろうとしていることはK(菅)さんのためには逆効果だ
菅直人にドロを塗る行為ではないのか。
爺目これまで護憲を党是にするゆえ社会党的思考で生きてきた。社会党東京代議士菅直人には親密感がある。
社会党を分裂させた江田三郎子息江田五月前参議院議長が今次総裁選挙で菅直人選挙参謀につく気持ちがわかる。
たいして小沢一郎的自民党政治65年に反対して生きてき
た。
宿敵小沢一郎である。
ところが大きく脱皮した小沢一郎という政治家の大きさ。
信念を持って自民党から去った。
福嶋瑞穂社民党党首の簡単に閣内を去るが如き無責任さに疑念を持つ。
党是は村山富市のとき既に脱ぎ去ったではないか。
ようやく鳩山小沢体制で65年の政治支配から解放されたのを瓦解させてしまった。
平和な沖縄を優先したためゆえである。
宮崎のヒトの政治家の信念ゆえ理解はできる。
ただし閣内離脱は社民党内議論抜きでなかったか。
爺目は小沢一郎信者ではない。
この国は崩壊寸前にある。
小沢一郎の言う立候補の挨拶とおなじである。
「ヒト殺しの横行、親子さえ崩壊状況を嘆き憂えている」
日本を救えるにはこの人が一番であると時局を見ている。
菅直人にはこの国の事態認識が欠けている
政治家として情けない。
鳩山小沢に熾烈な攻撃で怖じけついたんであろう。
転んだのは新自由主義者に鞍替えした菅直人
爺目の政治的立ち位置は普遍である。
党派で思考しててはこの事態の改善方向は出ない。
テレビで描かれてる幕末坂本龍馬 の信念である。
負けじとバカリで宮崎信行。
元産経記者らしいが流石に鍛えられている。
二つ見出しだけでも項である。
<小沢一郎さんは名誉ある撤退を 党員サポーターポイント地滑り的敗北も>
まだこれはいい。
ところがコレは如何なモノか。
8月26日
<代表選出馬の小沢一郎さんの息の根を止めよう>
爺目が察する限り食い扶持を見つけたからである。
週間現代に囲われ飯の種をエタ。
自身のブログを有料ブログにした。
読者を獲得するが為に角を隠していただけ。
お里が知れる。
昨年8月以前の国会レポートのあの熱意ある異色のブログの時の姿勢に日々教えを請うた。
あの頃までの師匠。
ただ一時でも師は師。
ごまんとある永田町ゴシップ記事。
元毎日記者板垣英憲ブログは清和会に属している情報がある。
一部当たっているのはそコにある巧妙さ。
あのときまでは無料ブログでもあった。
ブログ界隈にも出世の階段があるようでそれが同じ手法で伺われる。
永田町界隈でここんとこ脚光を浴びてるのが
急に出てきた感のある板垣英憲マスコミ事務所発のブログ。
元毎日新聞記者。
その政治的立ち位置は数多く発刊されてる著作からも解らなかった。
清和会のお抱えのライターらしい。
まだよくわからない。
流石である。
原子力空母で八丈島!の記事の部分のみは
海千山千で割り引いては見ている。
魑魅魍魎の永田町の爺目の理解の一助にココントコの不可解の解消が
ここから発せられてるからである。
小泉純一郎のメディア丸め込みのデマゴギーのヒトラー手法が解ろうというモノだ。
爺目不徳のいたすところ快適なブログ環境にない。
物理的にも精神的にも。
国内でも抗生物質の耐性菌が見つかった。
気が期ではない。
元気者が一部病気になると大変。
病院で病人が創られる。
このこと追いたいが申し述べた環境の理由にある。
こういうときにはお得意の手法があるわけだ。
他人様のを掲げその日の備忘録とする。
もちろん脚光を浴びてる
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<自民町村派>参院会長選の処分うやむや 森氏が退会届
毎日新聞 9月2日21時22分配信
「小泉純一郎が動いた。」
この裏がよくわからなかった。
そりゃぁ~息子の事件は承知してはいたが
余りにも具合がタイミングが良すぎるからである。
森喜朗元首相が小沢一郎の連立問題に関し
「スカッと申し上げる」発言に反応、
町村派退会届を叩きつける
2010年09月03日 23時28分
このコトに3日解説がある。
さすがに対応が早い。
毎日新聞記事と真相は随分と違ってくる。
◆9月3日朝のテレビ朝日の人気番組「スーパーモーニング」は、さながら居酒屋「庄屋」の一室で、大学生がゼミの担任教授を囲んで、賑やかなコンパの雰囲気だった。
生出演した小沢一郎前幹事長が教授、スタジオ出演者の山口一臣氏(週刊朝日編集長)、鳥越俊太郎氏(元サンデー毎日編集長)、大谷昭宏氏(元読売新聞大阪本社社会部記者)らは、教え子という感じだった。教え子が我先にと質問攻めし、これを受け止めて、教授は能弁に答えていた。
この場に足りなかったのは、教授の好きな焼き鳥に豆腐、それに生ビールと日本酒、焼酎。
だが、酒と肴がなくても、談論風発、和気藹々のコンパ風景は、小沢前幹事長が、いかに日ごろ、若い書生や秘書たちと、行きつけの居酒屋で活発に会話しているかを連想させるのに十分だった。
おそらく、この番組を見ていた視聴者の多くが、小沢前幹事長の意外な一面を垣間見る気分になったのはないか。思いがけない雰囲気に、キャスターのだれかが、「小沢さんと同じ空気を吸う空間にいられるのが、不思議なくらいだ。
代表選挙中にもう一度やりましょう」と続編を所望していた。いつもは苦虫を潰すような恐ろしい顔、表情の小沢前幹事長は、ウソの小沢さん、にこやかなお父さんが、ホントの小沢さんなのだ。
◆渡部恒三元衆院副議長は、昭和44年当選同期、41年もの付き合いのある小沢前幹事長のことを「悪代官」と言いふらしているが、「ニセ黄門」と悪評の高い渡部元衆院副議長の最近の所業は、見苦しい。いかに不満があろうとも、友人を裏切り、悪し様に言いふらすのは、人間として拙劣である。
私は永田偽メール事件の際、渡部元衆院副議長を主役とした「民主党を救った会津魂」(ごま書房刊)という本を書いたが、会津藩校「日新館」の「童子訓」には、友人を貶めてよいとは、一言も教えてはいない。渡部元衆院副議長こそ、「人間失格」とさえ思う。恥ずかしい。
いまの世の中、太宰治の「走れメロス」のような人間関係はどこを探しても見つけることが、難しくなったのであろうか。
◆昭和44年当選同期には、羽田孜元首相、渡部恒三元衆院副議長、石井一元国土庁長官、梶山静六元自治相、綿貫民輔元衆院議長、奥田敬和元郵政相、森喜朗元首相らがいる。(小泉純一郎元首相は、この選挙で落選した)
ただし、石井一元国土庁長官は昭和58年(1983)、総選挙で落選した。この落選が響き、同格であった後の竹下派七奉行を初めとする政治家達に大きく遅れをとった。梶山静六も落選し、同じ境遇であった。国会議員は、当選回数が、一番であり、モノを言う。落選すれば、蔑まれるということである。
◆同期生のうち、森喜朗元首相は9月2日、東京都千代田区紀尾井町のプリンスホテル赤坂で開かれた町村派幹部会で、安倍晋三元首相から「息子さんの件もあり、そろそろ相談役に引いていただけませんか」と言われて、町村派退会届けを出した。
この言葉の背景には、小泉純一郎元首相がいる。
森元首相が、小沢前幹事長と両天秤をかけているので、面目が立たないと考えているからである。
安倍元首相に言わせた。
そうしたら、森元首相が、町村派退会届けを出した。
清和会から森元首相を野放しにしたら、爆弾になる恐れがあり、小泉元首相と安倍元首相にとって、危ない存在になりかねない。
森元首相は、亀井静香元金融担当相や小沢前幹事長とともに、小泉改革を修正する郵政改革法案を認めており、この流れを知った小泉元首相は、郵政改革法案が国会で成立してしまうと、面目が立たなくなると考えて、安倍元首相に「息子さんの件もあり、そろそろ相談役に引いていただけませんか」と言わせたということである。
実は、森元首相は、中曽根康弘元首相と頻繁に会っているという。ここは、表向き不可思議なところであるが、森元首相は、小沢前幹事長との間で、連立話を進めており、このことに気づいた小泉元首相が、危機感を抱いたようである。事実、森元首相は、参院選挙直後、すぐに小沢前幹事長に和解を申し込んでいる。
(オフィス・マツナガのサイトではこの重要情報を、会員からの問い合わせに対し、現役記者を称する北岡某が、「板垣は定期的にガセを飛ばす人だからガセと認定」としている。とんでもない。
オフィス・マツナガこそ、「ガセネタ源」であることを自ら暴露している)
小沢前幹事長サイドの情報によると、自民党側の連立の相手は「古賀誠元幹事長、福田康夫元首相」という。小沢前幹事長が日本記者クラブ主催の討論会で連立問題を聞かれ、「代表に選ばれれば、スカッと申し上げる」と答えたのを聞いて、参院議員選挙直後から民主党との連立に蠢いていた森元首相は「バスに遅れてはならじ」と町村派に退会届を叩き付けたとも解釈できそである。百戦錬磨の政治家というのは、「機を見て敏」のようである。」変な意味で感心させられる。
しかし、町村派では、森元首相を野放しにすると何でもしゃべられてしまうと警戒感を強め、対応に苦慮している。
アッハッハツハッ
馬脚をあらわしている。
季節の変わり目と政治の変わり目がこの暑さの中でも、
よ~くみると確実の押し寄せている。
この世の唯一の真実、生老病死を会得していない。
「注射すっどー」「きゃーエッチ!」
北の大兄様のメッセージに
ホッ!と癒されてます。
有り難うございます。
早く元気に・・・ナ~~レッ!
・・・・
この国ッ!
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こ
今日の誕生日の花は・・・ツルボ
花言葉は・・・・・・・風情のある。
ユリ科蔓穂は春咲きと秋咲きとあるゆえとまどいがある
最近は園芸店で何でも求めるゆえ在来の種と花でさえ違ってくる球根種。
こちらに花の写真があります。
http://had0.big.ous.ac.jp/~hada/plantsdic/angiospermae/monocotyledoneae/liliaceae/tsurubo/turubo.htm
新涼の 地に置く小さき 旅鞄
病院での会話①。
看護師さんと来訪患者さん。
「お茶~お茶でないの」
<???・・大丈夫??病院で・・・???>
「どうしてお茶でないの}
<ボリューム・・アップ・・シ・テ・ル・・・」
「何故・・お茶でないの・・・ココ・・」
<ここ病院てぇばー>
・・・・
・・・・
自動販売機の伊藤園のお茶ボトルが
何故か出ないのでした。
病院での会話②
来訪の患者さん同士の会話
「今日は○○さんこられてないねぇー」
「暑いし・・」
「、元気なさそう」
「どうされたんでしょう」
・・・・
・・・・
「どこか病気なんでしょうかね。」
「お体の具合悪いのかしら。」
<<ここ病院てぇばー>>
伊藤園のお茶を買うと
俳句が詠めるようになる?
実はラベルの反対側に俳句大賞がCM変わりに記載されている。
驚くベキ事に国民歌人の牧水の里の新人が現る。
http://www.itoen.co.jp/csr/culture_sports/new-haiku/judge/index.htm
風薫る この町出れば さぁ大人 元日田 唯
文部科学大臣賞に選ばれた日向人18才の句。
伊藤園第21回には165万7098句が大賞1句を目指して応募された
凄い実績を積み上げた結果多くの句があり、1900万句を超えている。
今次は佳作以上7000句を選定。
さらに厳選されて入賞2000句。
第21回「お~い茶」最良の一句。
姓名が大牟田を逆転された方は看護婦さんを生み出された学院の先生。
今は改築されて立派になっているパブリックの中核病院。
改築前ココに学院が併設してあった。
ナイチンゲールの卵立ちの学院は別に学園大に看護大として独立分離。
宮崎市街中心から白衣の天使の卵立ちが消えたわけでもある。
もっとも学園大のある清武町も宮崎市に合併編入されての誤魔化し。
市街地にあぅた宮崎大学教育工学農学も学園大に移転。
若者が街から去れば未来無き街しか残りえない。
笑わすべき宮崎の街作り。
そのお二方の旧先生方の会話。。
「大病院が向いているとは思えませんよ。病気によっては。」
問診が少ない「術」でしか解消しない単科病院。
実に驚く数の患者さんの群れ
問診多様は保険請求の単価にならねば経営におよぼす。
ゆえに問診が少なく医者知らずの爺目には満足感が欠ける。
ところが社会は上手いこといっている。
1日手術の奥様の付き添いの旦那様。
一回り先輩の方。
文庫本を読むのを辞めて爺目への代診問診
ご教示いただけ実に有り難かった。
大手術を経験しておられる。
男性病の癌部、肋骨をハズしての肺の癌部の摘出
それが実に明るい。
紳士にして自若泰然
爺目にはとてもである。
この大先輩に接して思い出したことがある。
その道に 入らんと思ふ 心こそ 我が身ながらの 師匠なりけれ
阿部宗正著「利休道歌」の茶道の奥義の一句
風邪薬一つ知ら無き人生。
乱暴なる24時間の過ごし方は小学5年以来。
睡眠時間が他人様比較半分ではなかったろうか。
余りにも有り難き健康状態にあった
人生唯一の真実「生老病死」のお話をもしていただけた。
生き抜く卓見をご指導いただけ問診診療で完治。
なにも科学者たるお医者さんのみが病院治療、回復への道ではない。
我
以外は皆、師。
スルト教えていただける。
気楽が一番楽でイイ。
日経2日8面記事。
MBLのことがある。
MBL??
メタロ・ベータ・ラクタマーゼ
と言う酵素を作り抗生物質を分解する。
つまり抗生物質が効かない病原菌のことである。
インドパキスタンが発祥国らしい。
核物質対する神の怒りか。
欧州でココントコ騒がれている。
何故か。
メディカル・ツーリズムブームにあるらしい。
インドを訪れる欧州人年間40~60万人
安い医療費の国で旅行をかねて病気を治して帰国する。
美容整形も多くを占めている。
抗生物質一錠も知らぬ爺目ナゾ一足飛びではないか。
抗生物質の効かないスーパー耐性菌の登場
スケジュール通りの終息宣言
古き畜産県の風土病を可視化社会は26万頭の殺頭処分。
ヒトサマには影響ないのに。なんなのこれ?
狂牛病のアメリカ様肉は大喜び。
松岡大臣も悔しがっていよう。
米国製犬の首輪が首にまとわりつく
アメリカの犬が刃向かうモノにはトサツ処分。
アメリカに物言う政治家は危うしッ!
昔は密やかに秘密裏に処分してた。
伝染性があるのさえも承知のうえでの暗黙の了承のこと。
牛馬の原産地の風土病である。
こちらはスーパー耐性菌でもなく有機農業の堆肥作りの課程での熱で菌を殺していた。
それも農業の日々のナチュナルに。
今の農家は堆肥作りさえ出来ぬことが明らかになって笑っている爺目である
自然への畏怖を恐れぬ金権農業へと
サイクル狂ったゆえの農事の神の怒り?
2日発病はシロと断定
そんなもんである。
この国の疲弊した病状の処方箋を示さない。
民主党菅政権には劇薬がいるようだ。
鳩山小沢政治を意図的につぶしている
小泉信奉者の集まりの元左翼陣営の政治家の群れ。
小泉政権の失政は国の隅々にあちこち見られる。
とりわけデフレ状況に効く政策が出ない。
MBL発症状態。
名医政治家が必要である。
私は小沢一郎を支持する(1)
~森永卓郎投稿日刊ゲンダイ9月1日。
菅総理の経済政策
①財政規律重視
②金融引き締め
③対米服従 が3本柱になっています。
この路線は小泉元総理と同じです。
菅総理が続投すれば、国民は格差社会の拡大に苦しめられることになります。
この国を疲弊させている因の小泉政治の最有力力ブレーン。
高橋洋一教授によると、特殊法人などをすべて清算すると
金融資産が500兆円、
国有財産も簿価で200兆円ぐらいある
その一部を担保にして200兆円ぐらい証券を発行するのは不可能ではないでしょう。
国債と変わらんけど。
円高不況、緊急新卒雇用不足解消に急ぎ取り組むべき事。
「まだ3ヶ月しか・・」ではすまされない。
1週間の期間も含め総理の夏休みそのものも小泉純一郎総理以来の菅直人。
何もしない無策。
テレビ東京のアナウンサーが両者の考えに大きな差はないと、叫んでいた。
二つの眼はナンのためにあるんだろう。
全く目明きめくら。
何も見えていない給料ドロボー
菅直人に安保政策も経済政策、地方分権もない。
「大きな差がない」とは朝日新聞流なら「あいた口がふさがらない」。
こんなネディア陣に洗脳されるほど、日本人は馬鹿ではないだろうヨ。
「アメリカとの対等」を言う政治家小沢一郎攻撃は徹底している。
小泉の時には、飯島秘書官・電通・三宝会などによる工作が行われいていたが
、今回もそのような計画的によく練られたシナリオが作られているのだろう。
菅が話す内容は空虚なものであり、子供っぽい攻撃的なものであっても、
マスコミ全体の流れとピッタリリンクしている。
油断は禁物である。機密費も利用 ?
実にこの菅政権には「不可以菅」が募る。
朝日、毎日読売の偏向記事にメディアの良心は微塵も感じられない。「
27日朝日社説見出し「開いた口が閉まらない。」状態を感じる。
公器である新聞の生命線である「不偏不党、公正中立」
社事の綱領基準や論理性は叉同じように別に持つ。
なんと産経、日経が民主党党首選に公平なる報道にある可笑しさ
日経2日8面イラク終結宣言
戦費58兆円。
アメリカは疲弊するハズだ。
小泉純一郎はこの国の軍隊を初めて遠く中東イラクに派遣した。
警察特有で言うなら明治の薩摩のDNA警察の田舎弁方言。
ちょっと「こらっ!」「なんしちょっとかー」
1日記者会見、2日の昼間二時間の討論会。
既に勝負ありッ!
ところが馬淵国交省副大臣。
2日討論会を聞いて・・
菅直人支持を明らかにしたとテレビニュースには笑った。
2010年9月1日23時09分 読売新聞
菅首相、小沢氏を西郷さんに例えて不要論?
小沢一郎氏は極めて遠慮深い人柄であるので、このことをこまごまと説明していない。
この部分をこまごまと説明すれば、間違った一般市民のイメージは払拭されるはずのものである
菅首相は1日夜、東京都内で開かれた民主党の野田財務相グループの会合で、
「明治維新には西郷隆盛の力が必要だったが、西郷さんはああいう(西南戦争で敗れて自決する)末路をたどった。
西南戦争があって、本格的な明治政府ができた」とあいさつした。
出席者の間では「小沢氏を西郷隆盛に、西南戦争を代表選に例え、政権交代が実現した以上、小沢氏はもう不要だと指摘した」と受け止められている。
鳩山さんに「トロイカ+ワン」をOKしたかと思えば、一夜明ければ
仙谷・前原に詰め寄られたのか、それを否定したりって、そっちじゃありません?
この記事なんなだろう。
http://sankei.jp.msn.com/topics/politics/13138/plt13138-t.htm
俺が出るぞ! 前原氏“恫喝”に菅首相屈服 「脱小沢」放棄に反発
騎兵隊内閣は毛利の国のDNA
実に長州人はナニヲしでかすか解らない世の注目人。
縄文の心根の小沢一郎とは対極をなすお人柄。
何故か。
幕末、動乱期、毛利の殿様は国論が二つに割れて、どちらかにつくと反対派に殺される危険があった。
だから、その時、強い方に消極的に「そうせい」と言うしかなかった。
正月には徳川の代を倒すと秘め事が慣習行事の国。
そうせい毛利の殿さまのくに幕末四賢公に名をつられない。
幕末幕府の知恵どころは俗に言う四賢公・薩摩島津斉彬・愛媛伊達宗城・土佐山内蓉堂・福井松平春獄
http://www.olive-x.com/news_ex/newsdisp.php?n=93960
検察審査会が審査できない事情 再度の「起訴相当」はない理由
対米従属政策を推しすす面との政策の菅内閣
その仙石官房長官の指南役はどうも清和会・小泉純一郎の疑いが消えない。
その清和会がグチャグチャ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100902-00000099-mai-pol
<自民町村派>参院会長選の処分うやむや 森氏が退会届
毎日新聞 9月2日21時22分配信
自民党町村派は2日、東京都内で幹部会を開き、同派の谷川秀善前参院幹事長が敗れた8月の参院議員会長選挙について「造反」議員の処分を協議した。しかし、同派会長の町村信孝元官房長官が10月に衆院補選を控えていることもあって、結論はうやむやに。業を煮やした森喜朗元首相は派閥の退会届を提出して退席した。与党時代に権勢を誇った最大派閥も求心力の衰えは隠しようがない。
参院会長選では、町村派から世耕弘成元首相補佐官ら5人が中曽根弘文前外相の推薦人に名を連ねた。さらに数人が中曽根氏に投票したとみられ、40票ずつの同数でくじ引きの末、谷川氏は落選した。ある幹部は「安倍晋三元首相が世耕氏らを通じ中曽根氏を支援した」と憤り、派内に疑心暗鬼が広がっていた。
ごまんとある永田町ゴシップ記事。
元毎日記者板垣英憲ブログは清和会に属している情報がある。
一部当たっているのはそこから発せられてるからであろう。
昨年8月前まで異色のコ国会レポートブログ元産経新聞記者宮崎信行もそうである。
ドラエモンこと松田光世は菅直人の元秘書。
一時期は脚光を浴びるが賞味期限切れ元ともなっている。
ゆえに民主党主選出選挙には曇っている。
圧倒的国会議員は勝負がついている。
地方議員地方票は菅直人支持とある。
そうであろうか。
菅直人総理は、国政選挙たる参議院選挙に唐突な消費税論議で大惨敗ている。
民主党員やサポーターが、そんな選挙に大敗したような人を選ぶとは思えない。
米国発「反小沢」の起源。RT @hpappy 「アメリカ国防情報局の動画に小沢が…We’re DIA」
http://mjk.ac/BxDunc RT @amneris84 アメリカは、メディア、政治家などが、懸命の反小沢メッセージを発している
メディアの偏向に欺されなければ之お話。
当確ッ!は出ている。
こちらも ヨロシクお願いいたします。
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「、元気なさそう」
「どうされたんでしょう」
・・・・
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「お体の具合悪いのかしら。」
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俳句が詠めるようになる?
実はラベルの反対側に俳句大賞がCM変わりに記載されている。
驚くベキ事に国民歌人の牧水の里の新人が現る。
http://www.itoen.co.jp/csr/culture_sports/new-haiku/judge/index.htm
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文部科学大臣賞に選ばれた日向人18才の句。
伊藤園第21回には165万7098句が大賞1句を目指して応募された
凄い実績を積み上げた結果多くの句があり、1900万句を超えている。
今次は佳作以上7000句を選定。
さらに厳選されて入賞2000句。
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姓名が大牟田を逆転された方は看護婦さんを生み出された学院の先生。
今は改築されて立派になっているパブリックの中核病院。
改築前ココに学院が併設してあった。
ナイチンゲールの卵立ちの学院は別に学園大に看護大として独立分離。
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我
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MBL??
メタロ・ベータ・ラクタマーゼ
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インドパキスタンが発祥国らしい。
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インドを訪れる欧州人年間40~60万人
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スケジュール通りの終息宣言
古き畜産県の風土病を可視化社会は26万頭の殺頭処分。
ヒトサマには影響ないのに。なんなのこれ?
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松岡大臣も悔しがっていよう。
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アメリカの犬が刃向かうモノにはトサツ処分。
アメリカに物言う政治家は危うしッ!
昔は密やかに秘密裏に処分してた。
伝染性があるのさえも承知のうえでの暗黙の了承のこと。
牛馬の原産地の風土病である。
こちらはスーパー耐性菌でもなく有機農業の堆肥作りの課程での熱で菌を殺していた。
それも農業の日々のナチュナルに。
今の農家は堆肥作りさえ出来ぬことが明らかになって笑っている爺目である
自然への畏怖を恐れぬ金権農業へと
サイクル狂ったゆえの農事の神の怒り?
2日発病はシロと断定
そんなもんである。
この国の疲弊した病状の処方箋を示さない。
民主党菅政権には劇薬がいるようだ。
鳩山小沢政治を意図的につぶしている
小泉信奉者の集まりの元左翼陣営の政治家の群れ。
小泉政権の失政は国の隅々にあちこち見られる。
とりわけデフレ状況に効く政策が出ない。
MBL発症状態。
名医政治家が必要である。
私は小沢一郎を支持する(1)
~森永卓郎投稿日刊ゲンダイ9月1日。
菅総理の経済政策
①財政規律重視
②金融引き締め
③対米服従 が3本柱になっています。
この路線は小泉元総理と同じです。
菅総理が続投すれば、国民は格差社会の拡大に苦しめられることになります。
この国を疲弊させている因の小泉政治の最有力力ブレーン。
高橋洋一教授によると、特殊法人などをすべて清算すると
金融資産が500兆円、
国有財産も簿価で200兆円ぐらいある
その一部を担保にして200兆円ぐらい証券を発行するのは不可能ではないでしょう。
国債と変わらんけど。
円高不況、緊急新卒雇用不足解消に急ぎ取り組むべき事。
「まだ3ヶ月しか・・」ではすまされない。
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何もしない無策。
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菅直人に安保政策も経済政策、地方分権もない。
「大きな差がない」とは朝日新聞流なら「あいた口がふさがらない」。
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朝日、毎日読売の偏向記事にメディアの良心は微塵も感じられない。「
27日朝日社説見出し「開いた口が閉まらない。」状態を感じる。
公器である新聞の生命線である「不偏不党、公正中立」
社事の綱領基準や論理性は叉同じように別に持つ。
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アメリカは疲弊するハズだ。
小泉純一郎はこの国の軍隊を初めて遠く中東イラクに派遣した。
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ちょっと「こらっ!」「なんしちょっとかー」
1日記者会見、2日の昼間二時間の討論会。
既に勝負ありッ!
ところが馬淵国交省副大臣。
2日討論会を聞いて・・
菅直人支持を明らかにしたとテレビニュースには笑った。
2010年9月1日23時09分 読売新聞
菅首相、小沢氏を西郷さんに例えて不要論?
小沢一郎氏は極めて遠慮深い人柄であるので、このことをこまごまと説明していない。
この部分をこまごまと説明すれば、間違った一般市民のイメージは払拭されるはずのものである
菅首相は1日夜、東京都内で開かれた民主党の野田財務相グループの会合で、
「明治維新には西郷隆盛の力が必要だったが、西郷さんはああいう(西南戦争で敗れて自決する)末路をたどった。
西南戦争があって、本格的な明治政府ができた」とあいさつした。
出席者の間では「小沢氏を西郷隆盛に、西南戦争を代表選に例え、政権交代が実現した以上、小沢氏はもう不要だと指摘した」と受け止められている。
鳩山さんに「トロイカ+ワン」をOKしたかと思えば、一夜明ければ
仙谷・前原に詰め寄られたのか、それを否定したりって、そっちじゃありません?
この記事なんなだろう。
http://sankei.jp.msn.com/topics/politics/13138/plt13138-t.htm
俺が出るぞ! 前原氏“恫喝”に菅首相屈服 「脱小沢」放棄に反発
騎兵隊内閣は毛利の国のDNA
実に長州人はナニヲしでかすか解らない世の注目人。
縄文の心根の小沢一郎とは対極をなすお人柄。
何故か。
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だから、その時、強い方に消極的に「そうせい」と言うしかなかった。
正月には徳川の代を倒すと秘め事が慣習行事の国。
そうせい毛利の殿さまのくに幕末四賢公に名をつられない。
幕末幕府の知恵どころは俗に言う四賢公・薩摩島津斉彬・愛媛伊達宗城・土佐山内蓉堂・福井松平春獄
http://www.olive-x.com/news_ex/newsdisp.php?n=93960
検察審査会が審査できない事情 再度の「起訴相当」はない理由
対米従属政策を推しすす面との政策の菅内閣
その仙石官房長官の指南役はどうも清和会・小泉純一郎の疑いが消えない。
その清和会がグチャグチャ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100902-00000099-mai-pol
<自民町村派>参院会長選の処分うやむや 森氏が退会届
毎日新聞 9月2日21時22分配信
自民党町村派は2日、東京都内で幹部会を開き、同派の谷川秀善前参院幹事長が敗れた8月の参院議員会長選挙について「造反」議員の処分を協議した。しかし、同派会長の町村信孝元官房長官が10月に衆院補選を控えていることもあって、結論はうやむやに。業を煮やした森喜朗元首相は派閥の退会届を提出して退席した。与党時代に権勢を誇った最大派閥も求心力の衰えは隠しようがない。
参院会長選では、町村派から世耕弘成元首相補佐官ら5人が中曽根弘文前外相の推薦人に名を連ねた。さらに数人が中曽根氏に投票したとみられ、40票ずつの同数でくじ引きの末、谷川氏は落選した。ある幹部は「安倍晋三元首相が世耕氏らを通じ中曽根氏を支援した」と憤り、派内に疑心暗鬼が広がっていた。
ごまんとある永田町ゴシップ記事。
元毎日記者板垣英憲ブログは清和会に属している情報がある。
一部当たっているのはそこから発せられてるからであろう。
昨年8月前まで異色のコ国会レポートブログ元産経新聞記者宮崎信行もそうである。
ドラエモンこと松田光世は菅直人の元秘書。
一時期は脚光を浴びるが賞味期限切れ元ともなっている。
ゆえに民主党主選出選挙には曇っている。
圧倒的国会議員は勝負がついている。
地方議員地方票は菅直人支持とある。
そうであろうか。
菅直人総理は、国政選挙たる参議院選挙に唐突な消費税論議で大惨敗ている。
民主党員やサポーターが、そんな選挙に大敗したような人を選ぶとは思えない。
米国発「反小沢」の起源。RT @hpappy 「アメリカ国防情報局の動画に小沢が…We’re DIA」
http://mjk.ac/BxDunc RT @amneris84 アメリカは、メディア、政治家などが、懸命の反小沢メッセージを発している
メディアの偏向に欺されなければ之お話。
当確ッ!は出ている。
こちらも ヨロシクお願いいたします。
プチッ!
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http://blog.with2.net/link.php?62076
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記者クラブ主催小沢・菅討論会
2010年9月2日 お仕事(産経ニュース 2010.9.2 13:49)
http://bit.ly/bd9Osy
①【公開討論会・詳報】2010-09-02 午後2時間
(1)~(4)
(1)小沢一郎「日本人の精神崩壊、始まりつつある」
(菅直人首相(民主党代表)と小沢一郎前幹事長は2日、日本記者クラブ主催の公開討論会に臨んだ。
菅氏は「お金にまみれた政治文化を変えなければならない」と強調。小沢氏は「官僚任せの政治行政ではなく、政治家が主導する政治を実現する」と訴えた。
公開討論会の詳細は以下の通り。
【小沢氏冒頭発言】
「このたびの民主党の代表選に立候補することになりました小沢一郎でございます。先ほどお話ありましたように、民主党の代表は今日では政権運営の最高責任者を選ぶということにあります。
したがいまして、私自身、今日のような大変厳しい、困難な時期にトップリーダーとして、その責任を果たすことができるのかどうか、今回の代表選に出馬すべきかどうか、思い悩みました。
しかし、一方で、今日の日本の社会を見るときに毎日、毎日、人殺しの話、親殺し、子殺しにはじまりまして、そういう本当に信じられないような報道がなされております。
また、自ら命を絶つ自殺者もいっこうに減る気配がありませんし、高齢者の行方も分からないという問題も出てまいりました。こういう状況はまさに日本社会、日本人の精神的な崩壊が始まりつつあるということのシンボリックな状況ではないかというふうに考えております」
「加えて、今日の経済の停滞が学校を卒業しても就職できないという若者たち。これがたくさん増えております。
そして、最近その経済がさらに一層、不透明感を増し、景気の後退が進むのではないかということが言われております。私どもはそういう中にあって、昨年の総選挙でこういう経済をはじめとする政治経済、そして社会全体の停滞を打破するためにマニフェスト(政権公約)を掲げ、官僚任せの政治行政ではなくて、国民主導、すなわち国民が選んだ代表が、政治家が主導する政治を実現するんだということを訴えて政権を委ねられたと思います」
「この今日の困難を乗り越えて、そして本当に私たちが掲げた国民の生活が第一と。国民の生活を守ると。
そういう政策を実行していく。
そのためには国民の代表である政治家が自分自身で決断し、そして自分自身の責任をもって実行していく。
こういう政治を作り上げることが、いろいろな施策を実行する上において、まず最大の前提だと思っております。
私はそのことを最大の主眼としつつ、経済の再生、国民生活の再生、そして地域の再生。そういった問題を主眼として取り組んでまいりたい。そのように考えております」
【菅氏冒頭発言】
「菅直人でございます。総理大臣に就任して3カ月に達しようとしております。こういう経済の厳しい中ですので、この代表選挙の間も総理大臣としての仕事は一切手を抜かないで、あわせて選挙戦を戦いたいと思っております。きょう午前中にも規制改革について、これはまさに政治主導でやらなければならない分野でありますが、副大臣会議の中で大胆にやってくれということの指示をいたしておきました。私は大きな点で2つの変革を行わなければならないと思っております」
「1つは行政、役所の文化であります。つまりは、今までのお役人は、お役所のために働くけれども、国民のためにちゃんと働いていない。私の取り組んだ薬害エイズも患者さんや国民よりも、自分たちの天下り先のために行動したために大変被害が拡大した。それを根本から変えなければならないと思っております。そしてもう1つは、お金にまみれた政治。政治文化を変えなければならない。この2つの文化を変えられるかどうか。私はこの選挙戦を通して、国民のみなさんに訴えていきたい。クリーンでオープンな政治を目指していきたいと思っております」
「特に難しい時代であるからこそ、多くのみなさんが政治に参加をする。政党というのは、国民が政治に参加するための、いわば土俵だと。公共財だと。そういう意味で多くのみなさんの声を政党が受け止めて、それを政策に変えていく。全員参加の政治、熟議の民主主義が必要だ。こういった新しい政治文化を作っていきたいと思っております」
「その上で、やるべき政策課題。私は1に雇用、2に雇用、3に雇用と、このように申し上げております。つまり、雇用こそが今の経済のこの低迷、あるいは社会の不安感、あるいはある意味での社会保障の問題点を変えていくキーになる。鍵になると考えるからであります。つまりは、雇用というのは仕事ですから、仕事が増えれば経済が大きくなり、あるいは税収が増えていく。介護や医療、あるいは保育といった分野の雇用は、社会保障の充実にもつながってくる。そして雇用こそが人間の尊厳、将来の不安に対して、最も必要最小限の必要なものでありまして、そういう意味では不安の解消にもつながってくると思います。そういった観点から、この日本を元気な日本に立て直し、そしてまさに生活が第一の日本にしていくためにがんばってまいりたい。このように思っているところであります」
【公開討論会・詳報】
(2)小沢一郎
「一律シーリング10%削減は国民への約束と違う」
http://bit.ly/aEcRtf
【雇用】
菅氏「今、申し上げましたが、私は今の日本社会の多くの矛盾を解決していくキーになるのは雇用だと考えております。特に近年、大卒、高卒の新卒者の雇用が大変厳しい。しかし一方では、中小企業などは、もっと若い人を採りたいという人もあります」
「こういったことを解決するために、今、雇用に対する、特に若年雇用に対する特命チームをつくって全力をあげているところであります。これについて小沢さんとしても重視をされていると思いますが、どのようなかたちで雇用をとらわれているのかお尋ねをしたいと思います」
小沢氏「あの、雇用の問題は、もちろん、基本的に大変大事なわれわれの政治テーマだと思います。
ただ、先程来、菅さんもいろいろ、雇用を中心にしていろいろ申し上げ、お話しなされておりますけれど、何の政策を実行し、実現していくためにも、今までの役所に丸投げ、官僚依存の政策決定をやっていたのでは、何も有効な手だてはできないと思います」
「私どもは、そういう意味で、ですから国民主導の、国民の生活が第一と、生活に目を向けた政策を実行するためには国民主導、政治主導の政治の実現が大事であるというふうに訴えてきたゆえんだと思っております」
「特に雇用につきましては、私は日本経済の体質としては、1つは外需に頼らないで済む、最低、内需でもって最低の経済成長をやっていける、そういう経済の体質にしなくてはいけないと思っております。
アメリカや中国、その他の外国の経済が上下するたびに日本の経済、昔から『アメリカがくしゃみすると日本が風邪をひく』といわれておりますが、いまなお、その体質が変わっておらないのではないかと思います」
「従いまして、菅さんもおっしゃったように、社会福祉関係の事業というのは、非常にこれからの大きな成長産業だと思いますし、それを育てていく、支援するということが1つ大事だと思います」
「それからもう1つは、自民党政権下で非常に格差が広がっております。雇用の格差もその1つであります。
従いまして、私は、特に大企業につきましては、その収益の再配分をきちんと社員のみなさん、雇用の、いわゆる従業員・社員のみなさんにもっと手厚く配分することによって、私は雇用を確保することがもっともっと有効にできるのではないかと思っております」
「それからもう1つは、やはり地方が非常にさびれて衰退しております。そういう意味で、私が申し上げておりますのは、補助金と呼ばれるような政策経費、あるいは裁量的経費と呼ばれるものが、ほぼ30兆円、22年度の予算でもございます。その中で、私は全部、全部、地方へ移せとは言いませんけれども、かなりの部分を地方へ交付金として交付できると思っております」
「ま、公共事業なんか例にとると簡単に分かるんですけれども、そういうことによって、地方の経済の活性化、地方での雇用の創出、地場産業の育成、そういうことを実現できるのではないか。というふうに思っております」
「ですから、このことに、思い切って、こういったことに切り込んでメスを入れないといけないし、官僚の既得権のところに大ナタをふるう勇気を持たなければならないというふうに考えておりまして、そういう意味で、単なる雇用に対するいろいろな補助とかそういうものだけでなくして、全体のトータルとしての日本経済の活性化と雇用の安定というものを図っていくべきであると考えております」
菅氏「私も8月後半からずっと地方を回って、地方の疲弊を実感してまいりました。しかし、中には日本で立地しようか、外国に出ようかというときに、日本で立地をしてくれれば、低酸素型の産業については最初のリスクマネー、一部応援しますと、それによって、北九州などでリチウムの電池の会社とかですね、国内立地を選んでくださった方もあります」
「ま、そういったことで、内需にもつながる、雇用にもつながる、その点では私も小沢さんと同じようなかたちのことを今、内閣として実施しているところであります」
【社会保障と財源】
菅氏「そこで第2点に移りたいと思いますが、私は社会保障のあり方については、大きく2つの考え方があるのではないかと。つまりは、ある程度、負担してでも将来が安心できる社会を目指していくのか。負担はできるだけ小さくして、あとのことは自己責任でやっていくという社会を選ぶのか。私はやはり、前者の、ある程度、負担しても、将来安心できる、老後も安心できる社会をつくることが国民のみなさんの多くの願いだと思っております」
「まあ、そういった意味で、社会保障とその財源の問題については一体として議論をしていく必要があるだろうと。こう思っております。これに対して小沢さんとしてはどのようなお考えをお持ちか、お聞かせください」
小沢氏「あのー、負担と福祉の問題につきましては、私は何割まで負担していいのか、とかいう議論ではなくて、それは相対的な問題だと思っております。
日本社会において北欧型のような非常に大きな負担をするという福祉のあり方というは、私はちょっと無理ではないかと思っております」
「ですから、一定のもちろん負担していく、ということは当然でありますけれども、その意味においては、私は、その、お互いの負担とその効果と結果ということを勘案して決めていかなくてはならないと。そのように思っております」
「まあ、具体的な話として言えば、私、この、代表選にあたってのメモにも申し上げておりましたが、まあ、年金は一元化して新しい制度をスタートさせたいというが1つでありますが、そのほかの老人医療、あるいは国保、あるいは介護、あるいは生活保護といったものは、トータルで13兆円、4兆円という規模になっておりますが、これは地方へのほとんど補助といいますか、不足分の補填(ほてん)であります」
「私は、実体は全部、地方自治体が、市町村がやっているわけです。ですから、これも、例えば介護や老人の医療やケアについても、厚生省でいろんな、あの、かたちのものを全部、特養がどうだ、どうだどうだということを決めたものを、市町村に押しつけるという言葉はいけませんが、やってその通りやれ、と、こういう話になっています」
「私はそれぞれの地域、それぞれの市町村でみんな事情が違うと思います。ですから、本当に国保も全く黒字のところも中にはあります。それで、医療も、ですから、病院にかかる老人も本当に少ないというような施策をきちんと自分たちで行っているところもあります」
「それは特例ですけれども、そういった十数兆円の経費もですね、実体として市町村がやっているならば、私は、これは今すぐとはいえないですけれども、市町村にむしろそのお金と権限を任せて、それぞれその市町村で老人医療はどうする、介護はどうする、というような知恵を出して、お金を有効に使い、自分立ちの郷土を、ふるさとを作り上げていくと。こういうやり方が、私は将来、いいのではないかと思っております」
【予算編成】
小沢氏「私は先ほども最初のあいさつの時に申し上げました、われわれの最大の主張は、官僚の行政から、官僚の政治から、国民主導、国民の代表の政治家主導の政治に改めないと何事もわれわれの言っていることは実現できないということを訴えてきたはずであります」
「その中で、例えば予算編成、今、来年度の予算編成、進行しております。これはまさに、最初から民主党がつくる予算の最初の予算でございます。この予算編成にあたってですね、この間、いわゆる一律にシーリングと、10%カットという決定がなされました。これではまったく今までの自民党政権下と同じ手法、同じ結果しか出てこないのではないかと私は思っております」
「役所の中でもって政策の優劣、あるいは予算配分についての優劣を、お役所自身が財務省といえどもつけることはできない。従って、結局は全部一律削減だ、ということになってしまってきたのが従来の自民党政権下の予算編成でありました」
「今回もこの一律10%削減というシーリングのことを聞きましたときに、結局、同じようなことをやっているのではないかと。これではちょっと、国民に約束したことと、現実の民主党政権のやっていることと違うんじゃないかという感じが、私、個人的に持ちました。この点について最高の責任者である菅総理のご意見を伺いたいと思います」
(3)菅氏「真摯な姿勢で臨めば野党も応えてくれる」
http://bit.ly/bcCwEM
菅氏「昨年9月、これは小沢、当時の幹事長とともにですね、政権交代を実現をして、最初にやったことは事務次官会議の廃止、そして副大臣政務官を含めた政務三役会議を設立いたしました。私も長年、自民党の政治を見てまいりましたけども、また私も厚生大臣をやって経験もありますけども、そういう政治の中では、ほとんどの役所のことは、官僚がおぜん立てをして、ある意味では大臣はそれをわかりましたといえば全部が動くという、そういう形でありました。それを根本的に変える、まさにこれこそが国民主導の政治ということでスタートしたわけであります」
「この1年間、試行錯誤がありました。しかし、例えば前原国交大臣はこれまでの公共事業、18%を大きく切り込みました。一方では、福祉や教育はプラスをさせました。これこそが政治主導なんですね。基本的にはそういうやり方を今後も続けていこうということで予算編成も進めているわけであります。ですから、この部分を前と同じにして、この部分は新たにどうしていこうといういろんなやり方については、これは小沢さんの方がいろんな時代のことをご存じですからおわかりでしょうけどれども、私は政治主導になったかどうかというのは、ちゃんと予算編成が終わったところで評価されるべきものであって、何か個々のプロセスのこの段階だけで、物事を見るというのは、それは木をみて森を見ないやり方だと」
「さきほど、規制緩和のことも申し上げました。そして。小沢さんご自身も言われましたが、地方主権の問題、まさにこういう国の形の本丸にどこまで踏み込めるか。私は政権交代の選挙などを通して、明治維新の逆の改革をやるんだと。つまり、明治維新というのは、分権国家であった幕藩体制をですね、そのままでは外国の植民地になるから、中央集権国家にして、そして近代化を急ぐ。当時のあり方としてはそうせざるを得なかったわけですけども、それから140年たった今日の日本は、そういう中央集権国家の、霞が関縦割り中央集権国家の、そのマイナスが今の日本の停滞につながっているわけですから、その国の形をまさに根本から変えて、地方主権の国家に変えていくんだ。これは私が、初出馬以来、言い続けたことでありまして、そのことの本格的な作業に入っている、このようにご理解をいただければありがたいと思っております」
小沢氏「あのー、今、菅総理のお話をお聞きしましたが、菅総理は最初から、あー、副総理として、また財務大臣として、今は総理大臣としておられるわけであります。私はその経過を垣間見る立場でしかありませんけれども、どうしてもこの手法、やり方というのは、旧態依然として同じようなやり方をしているのではないかという気がしてなりません、心配してなりません。
それからさっきから言っておりますけども、いわゆる地方主権、地域主権、これを確立するためにはやはり地方の身の回りのことについては、霞が関から権限と財源を地方に移す以外に方法はないんです。
ですから、これをやりきれるかどうかということが、私は根本の、政策の根本にかかわる問題だと思っておりますので、そういう意味でちょっと今の流れは、昔と、自民党政権下と同じような官僚主導の予算編成のやり方ではないかと、そう感じたもんですから、質問をさせていただきました。違う質問に移っていいですか?」
--「はい、どうぞ」
小沢氏「えー、2番目には、沖縄の普天間の問題でございましたが、日米合意を、私は別に白紙に、昨日も言いましたが、白紙に返せといっているわけではありません。
日米間の合意は、きちんとそれなりに尊重されなければならないと思っております。しかし、地元沖縄では、絶対反対という声が県民の大多数と思います。
そうしますと、日米合意を現実に実行に移していくということは非常に難しい状況が現状ではないないかと思います。
そういう現状をみて、私としては、沖縄県も、またアメリカ政府も納得のいけるような、何か知恵を出すために、もう一度県民みなさんやアメリカ政府のみなさんとも、いい知恵を出しうる、そういうための話し合いをしたらどうかなと、そういうふうに考えているということでございますが、総理大臣としてこの点いかがお考えでしょうか」
菅氏「この普天間をめぐる問題、鳩山前総理が本当に苦労されたことはみなさんもご承知の通りです。その中で、最初は県外、国外ということをいろいろ模索をされ、いろいろな案を検討された中で、5月の段階で日米合意という形で、沖縄の中に代替施設を設けるということを同意をされました。私はこのことが、沖縄のみなさんにとってなかなか受け入れ難い合意であるということは、重々承知をいたしております」
「しかし、1年にも及ぶこの議論、ある意味で迷走した議論をですね、このまま続けておくことは、単に日米関係だけではなくて、日本のいろいろな政策決定に障害を起こしてきた。そういう中で鳩山総理はいわば、政治とカネの問題に加えて、この問題での責任を取って辞任をされたわけであります。それを引き継ぐ私としては、まずは鳩山前総理が合意をされたところを原点として、そこからスタートすることが、日米間においても、あるいはこれからの政治運営においても、必要だろうということで、それを踏まえてという言い方で今日まで来ております」
「しかし同時に、沖縄における負担の軽減、これは普天間の移転にかかわる問題が多いわけですけども、それだけではありません。北部の訓練場の半分が返ってくる、これも10年間止まっております。また、普天間との関連で言われている嘉手納以南の返還の問題もあります。また、これと並行してグアムへの海兵隊の移転、大規模な移転も予定されているわけでありまして、私はそういう沖縄の軽減につながることは、まず優先的に進めることはできないかということで、今話し合いを進めております。そして、将来、それが遠い将来になるのか、近い将来なるのかわかりませんけども、さらなる沖縄の負担軽減を考える、そういう時に意識のあり方ということは当然ながら、あらゆる問題を考えなければいけない、考えるべきときにくると思っております」
「私は小沢さんが昨日の会見でも、日本、沖縄とアメリカの両方が納得できる知恵があるという趣旨のことを言われました。本当に、そういう知恵、私もぜひ教えていただきたいと思うんですね。まあ、鳩山さんもそういう知恵を求めてたいへん苦労されたわけでありますので、ぜひこの場でですね、その知恵の一部でも国民の前でお披瀝(ひれき)をいただければと思っております」
小沢「私は、鳩山内閣で日米合意された、そのことを原点として尊重していくことには変わりありません。ただ、このまんまでは進まないんじゃないかと、だから何か知恵を出さなくては、両方が納得する知恵を出さなくてはいけないんじゃないかということを申しているだけでおります」
【政権運営、ねじれ国会への対応】
--小沢氏からお願いします
小沢氏「国会運営ですか?」
--「えー」
小沢氏「はい。あのー、この間の選挙で44議席という、参院大敗を喫してしまいました。従って、何を、政策を法律化して通そうと思っても、数だけでは到底できません。
そして今、野党各党とも、菅政権にいろいろな政策で協力するということはできないという趣旨の話を各党ともしております。それがまあ、現実だと思います。
そうしますと、衆院で圧倒的な多数で、言うまでもないですが、参院の国会運営、自分たちの主張を通すためにはやはり野党の賛同を得なければならないと思っておりますけども、野党のみなさんがそういう趣旨の政治スタンスをとっていることについて、菅総理としてどのようにこれを打開していかれるのか、お聞きしたいと思います」
菅氏「私はですね、先の参院選で大きく議席を減らし、敗退したことについて、その責任を痛感いたしております。
しかし、このことで、何かもうこれで政治が進まなくなったとはこのように思ってはおりません。
ある意味では、新しい局面が生まれる可能性がある。
つまり、自民党が参院が少数でねじれた時期もありました。今回逆の時期もあります。つまりは、自民党もあるいは他の野党も、自分たちが全部反対すれば法案は通らない。
しかし、本当に国民のためにどうすればいいかということをですね、考えたときに、私は謙虚に話し合いをすれば、大きい問題であればあるほど、共に責任を感じて何らかの合意形成を目指すということはありうると思っております」
「私が例に出しますあの金融国会の時、当時自民党が過半数割れを起こして野党、私が代表する民主党、そして小沢さんが代表された自由党、公明党で金融再生法案を出しました。この法案が通らなければ長銀、日債銀が破綻(はたん)して金融恐慌になるのではないか。そういう中でありましたので、私は徹底的な議論をいたしまして、わが党、野党の案に自民党が全面的に賛成されるのならば、それを政局としては扱わないで、政策合意をしてもいいと申し上げましたが、100%野党案を賛成するという形で成立をし、金融恐慌を避けることができました」
「それについて、小沢さんからは政局にしないなんていうこと言うのはおかしいと言われましたけども、私は今でも日本のため、世界のためにはその選択は間違っていなかったと思います。
これからの政権運営においても、そういう真摯(しんし)な姿勢で臨めば野党のみなさんも必ず応えてくださると、このように考えております」
【公開討論会・詳報】
(4)小沢一郎「参院過半数、6年ではとても無理」
http://bit.ly/9524AL
【ねじれ国会への対応】
小沢氏「あのもちろん、今、総理がおっしゃったように私どもが本当に国民のための政策だ、法律案だということでもって、野党の皆さんと合意することができるものもたくさんあると思います。
ただ、今、お話があったように、あのときも野党案を丸飲みしたというのが現実でありました。本当の危機的な状況の中ではそういうことも、当然、お互いにあり得ることではございますけれども、自分の政策、主張を野党とは違う基本的に考え方の違う政策、主張というのは現実的にはできなくなってしまうわけでございますので、その意味についての国会運営というのは大変厳しいものではないかと思っております」
「もちろん、ぼくは選挙の結果のいかんにかかわらず、一兵卒として協力することは党員として当然ではありますが、なかなかわが党が野党で、過半数をもっておったときの自民党政権下でわが党がもっておったときの、国会の状況をみてもおわかりの通りだと思いまして、そういう意味では私はここがリーダーとしての手腕が問われるところであって、本当に真摯(しんし)に一生懸命、野党に対して話をすれば、一定限度の理解はえられるということは、そう思いますけれども、本当に主張、政治的な考え方の違う問題についてはまったく動かないということになりますので、そういう意味で大変、厳しい国会運営になっていくのではないかということを心配しておりまして、このリーダーとしては打開策をきちんと考えておかなくてはならないだろうというふうに思っておりますものですから、そういう質問をさせていただきました。
菅氏「私は先ほど申しあげましたようにですね、今の日本の行き詰まりはこの1年、2年の行き詰まりではありません。約20年間にわたる行き詰まりです。それは景気対策をやっても一義的にはよくなっても成長には戻りませんでした。あるいは社会保障についても少子高齢化がなかなか止まらなくて不安感が高まってます。財政の状況はいろいろな見方はありますけども、いずれにしても膨大な借金が積み上がっていることが事実であります。こういう大きな課題、金融国会の金融破綻(はたん)に匹敵する課題、あるいはそれをこえる課題であるからこそ、私はたとえば二大政党の一方が多少力を持っていても、それをこえてこれなかったために、それが今日のこの行き詰まりがあると私は思っております」
「ですから、この大きな行き詰まりをこえるためにはある意味では、党をこえた合意形成、国民の合意形成が必要になる。熟議の民主主義といってまいりましたけれども、この間、私どもが野党でねじれ国会のときにはやや率直に申しあげて政権交代を目指すという政治的な目的のためにかなり行動したことも事実でありますから、そういう意味ではそれぞれがそういう行動をとった上で今日の状況をむかえて、ある意味の新しい局面にきたわけですから。そういうより大きな課題こそが、私は天の配剤だと申しあげているんですけれども、こういう中で合意形成ができると、私も30年間、国会におりますので、自社さ政権、いろいろな政権、ご一緒した方もあります」
「たとえば、子供手当ては公明党が賛成いただいて、現在の法案もできているということもありますし、やはり財政健全化についても自民党も中期目標などではわが党と一致をした意見を出させていただいておりますので、もちろん、簡単だとは思っておりませんけれども、まさに真摯(しんし)に政局ではなくて、国民のことを考えて話し合おうという、その呼びかけをきちっと。既に多少の努力はしておりますけれども、させていただいたときには他の野党の皆さんもですね、国民の皆さんのことを考えて、そういう話し合いに参加をしていただけるものと思っています」
小沢氏「国会運営についてこれ以上は何もありません。ただ、今、繰り返しますが自分たちが国民に約束した主張を実行していくためにはやはり参議院でも過半数を有するということは本当に大事なことだと思っております。このままですと、仮に民主党政権が続くとしても、もう、最低でも6年、とても6年じゃ無理だとは思いますが、9年、12年の歳月をかけないと過半数というのはなかなか難しいという結果が現実だと思っておりますし、また、われわれが政権をめざしておったからというお話がありましたが、今、自民党は政権の奪還を目指して頑張っていることだと思いますので、状況は立場は変わりましたけれども、同じことだと思います」
【政策調査会】
司会「時間がまいりましたので、続いて菅さんの質問、お願いします」
菅氏「私は冒頭にも申しあげましたように、クリーンでオープンな政治、クリーンでオープンな民主党というものを実現し、発展させたいと思っております。昨年、9月に政権が発足するときに小沢、当時の幹事長の強い主張もあって、政策調査会が廃止をされました。当時私は『調査会を残すべきだ」と申しあげたんですけれども、代表、幹事長がこれを「廃止だ」ということで廃止になりました。今回、6月の代表選に立候補するにあたって政策調査会を復活するということでお約束をし、そして現実に復活すると同時に、政調会長の玄葉さんに閣内に入っていただく、閣僚になっていただくというかたちで党と内閣の政策の一元化、つまり党は提言というかたちではありますけれども、政調会長が内閣に入るというかたちで、よりその影響がしっかりと政府に及ぶようにということで、ひとつの、一元化の一つのありかたとしてそういう選択をさせていただきました。私は多くの党内の皆さん、あるいは国民の皆さんがですね、政策を民主党にいろいろ提言する窓口がすべての国会議員に広がったことを喜んでいただいていると思っております。そういう意味で、小沢さんにお聞きしたいんですが、小沢さんが代表になられたときはまた政調会を廃止をされるのか、今の形で存続を認められるのか、お聞かせを下さい」
小沢氏「私が政調会というものをやめるべきといったことは、事実ではありますし、いまなお、そう思っております。それにかえて、政府与党一体という観点で、政策会議というのを設けました。その政策会議には部署別に、各省庁別に誰でも参加できると、ある意味でその政調部会の役割も果たしていくということで設けられたものであります。その運営がですね、副大臣や政務官が大変忙しいということもあったやに聞いておりますけれども、ただ単に、形式的な形におわってしまって、本当に政策論議が全員参加でやれる状況じゃなかったということは実態のようでございます。ですから、最終的にその政策会議の副大臣、政務官だけじゃなくて、各委員会の理事の人も一緒に入って、党と政府の両方がその運営について相談し合いながらやろうということに私、たぶん、まだ、幹事長のときに提案をいたしまして、それが軌道に乗り始めた矢先であったように思っております」
「私はその意味では、政策会議がみんなが参加し、そして十分に議論が尽くされ、政府と与党、政府と国会とそれぞれの部署の人たちがきちんと話し合える形をとれればそれが一番いいと思っております。政調部会が復活いたしましたけれども、結局、2つできてしまいまして、どちらがどうなのかと、いまだ有効に機能しているという声をあまり聞いておりません。それからもう一つは、政調部会というのは自民党政権の下で党と政府、政府といっても中身は官僚ですけれども、それとのお互いのある意味でこれだけ党が主張して、これだけ予算を変えたとか予算を取ったとかいうたぐいの、お互いのできレースのようなかたちでの存在だったものですから、そういうイメージが強く、どうしても政調というと、働いてしまいますので、これは党と政府が異質のものだと、どちらかというと対立するものだという意識の中で、私は作られてきた自民党の政調部会だと思います。いわゆる明治以来の超然内閣的な感覚の下で、政府、大臣やなんかいますけれども、バックはすべて官僚、お上と。それに対して党がいろいろと意見をいえるようにするとの発想がどうしても見え隠れしてきたのが、政調会じゃなかったかと思っておりまして、私はそういう意味で本当の政府与党一体化ということであれば、政策会議を効果的に、効率的に運用することによって、私は政調、その他の部会に変わる、あるいは全員参加の議論が十分できると考えております」
菅氏「小沢さんがいわれた、まさに、かつての自民党はですね、内閣のほうは大臣はいるけれども、副大臣、政務官がいませんでしたから、ほとんどが官僚でコントロールされ、閣議も事務次官会議でコントロールされ、つまり、まさに内閣の側は官僚内閣だったわけです。それに対して、自民党の政調は党という立場ではありましたが、それが族議員化することによって逆に官僚と直接結び付くと。これが一番の問題点であるということで、私たち民主党がまさに政治主導の内閣をつくろうと、それは内閣の側も事務次官会議をなくし、そして政務三役会議をつくって政治主導にすると同時に、党のほうも族議員的なやり方はとらないで、政策提言という形で政調を復活するというかたちで進めてきているわけです。そこでもう一つ、特にその中で小沢さんにお聞きしたいのはこの本来の議院内閣制の下で、内閣を運営するには100人を越える国会議員が内閣に入る方が望ましい、事業仕分けなどでももう少し党のほうから人を参加をさせてもらいたいと。現在、出されている政治主導法案もそういう内容になっております」
「どちらかというと、小沢さんは事業仕分けでもいったん決まっていた議員が参加するのが、それは1年生議員がそういうことに出すのは早いといってですね、止められて、非常に率直にいって内閣の側は政治家は数を含めてですね、不足して苦労したこともですね、いろんなことが進んでいない一つの大きな原因になっております。そういった意味で私は小沢さんがいわれたことはもっと内閣の中にも、国会法などをかえてですね、国会議員が参加できるようにすべきだと私は思っているんですけれども、それに対するお考えも合わせて聞いておきたいと思っております」
小沢氏「私がもう10年、20年前からそういう主張をしてまいりました。そして、副大臣、政務官という仕組みをメディアの皆さんにからかわれながら、なんとしても成立したいといって自自連立のときに作ったものであります。そういう意味で私はこれが有効に働けば、これが政治主導の成果をあげることができると思っております。100人とか、200人とかいう数字は別ですけれども、ブレアさんのときにはいろんなものを作って200人以上になってひんしゅくを買ったといわれておりますけれども、もっと充実させるということについては私は大賛成でございます。それから幹事長のときに、増員するのに文句をいったとおっしゃいましたけれども、別にそれについて文句をいったわけではありません。全部、それぞれの国会やら党やらなんだの全部、ポストが決まってからまたこう、引き抜くという話になると、また玉突きやらなんやらこっちやらそっちやらでということになっちゃうんで、それは困るから、あの時点では最小限にしてくれということを申しあげただけであります」
「ですから、政府の人事と、副大臣以下の、そして党や国会の人事というのは本来は同時に、一緒に同時並行的に統一して進めていくべきだというのが私の持論でありまして、それぞれが好きなようにやってしまいますと、そういう、後で問題が生じてくるということであります。基本的に、政治主導のために副大臣、政務官これをもっと増員していいと、すべきだという点については賛成でございます」
プチッ!
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①【公開討論会・詳報】2010-09-02 午後2時間
(1)~(4)
(1)小沢一郎「日本人の精神崩壊、始まりつつある」
(菅直人首相(民主党代表)と小沢一郎前幹事長は2日、日本記者クラブ主催の公開討論会に臨んだ。
菅氏は「お金にまみれた政治文化を変えなければならない」と強調。小沢氏は「官僚任せの政治行政ではなく、政治家が主導する政治を実現する」と訴えた。
公開討論会の詳細は以下の通り。
【小沢氏冒頭発言】
「このたびの民主党の代表選に立候補することになりました小沢一郎でございます。先ほどお話ありましたように、民主党の代表は今日では政権運営の最高責任者を選ぶということにあります。
したがいまして、私自身、今日のような大変厳しい、困難な時期にトップリーダーとして、その責任を果たすことができるのかどうか、今回の代表選に出馬すべきかどうか、思い悩みました。
しかし、一方で、今日の日本の社会を見るときに毎日、毎日、人殺しの話、親殺し、子殺しにはじまりまして、そういう本当に信じられないような報道がなされております。
また、自ら命を絶つ自殺者もいっこうに減る気配がありませんし、高齢者の行方も分からないという問題も出てまいりました。こういう状況はまさに日本社会、日本人の精神的な崩壊が始まりつつあるということのシンボリックな状況ではないかというふうに考えております」
「加えて、今日の経済の停滞が学校を卒業しても就職できないという若者たち。これがたくさん増えております。
そして、最近その経済がさらに一層、不透明感を増し、景気の後退が進むのではないかということが言われております。私どもはそういう中にあって、昨年の総選挙でこういう経済をはじめとする政治経済、そして社会全体の停滞を打破するためにマニフェスト(政権公約)を掲げ、官僚任せの政治行政ではなくて、国民主導、すなわち国民が選んだ代表が、政治家が主導する政治を実現するんだということを訴えて政権を委ねられたと思います」
「この今日の困難を乗り越えて、そして本当に私たちが掲げた国民の生活が第一と。国民の生活を守ると。
そういう政策を実行していく。
そのためには国民の代表である政治家が自分自身で決断し、そして自分自身の責任をもって実行していく。
こういう政治を作り上げることが、いろいろな施策を実行する上において、まず最大の前提だと思っております。
私はそのことを最大の主眼としつつ、経済の再生、国民生活の再生、そして地域の再生。そういった問題を主眼として取り組んでまいりたい。そのように考えております」
【菅氏冒頭発言】
「菅直人でございます。総理大臣に就任して3カ月に達しようとしております。こういう経済の厳しい中ですので、この代表選挙の間も総理大臣としての仕事は一切手を抜かないで、あわせて選挙戦を戦いたいと思っております。きょう午前中にも規制改革について、これはまさに政治主導でやらなければならない分野でありますが、副大臣会議の中で大胆にやってくれということの指示をいたしておきました。私は大きな点で2つの変革を行わなければならないと思っております」
「1つは行政、役所の文化であります。つまりは、今までのお役人は、お役所のために働くけれども、国民のためにちゃんと働いていない。私の取り組んだ薬害エイズも患者さんや国民よりも、自分たちの天下り先のために行動したために大変被害が拡大した。それを根本から変えなければならないと思っております。そしてもう1つは、お金にまみれた政治。政治文化を変えなければならない。この2つの文化を変えられるかどうか。私はこの選挙戦を通して、国民のみなさんに訴えていきたい。クリーンでオープンな政治を目指していきたいと思っております」
「特に難しい時代であるからこそ、多くのみなさんが政治に参加をする。政党というのは、国民が政治に参加するための、いわば土俵だと。公共財だと。そういう意味で多くのみなさんの声を政党が受け止めて、それを政策に変えていく。全員参加の政治、熟議の民主主義が必要だ。こういった新しい政治文化を作っていきたいと思っております」
「その上で、やるべき政策課題。私は1に雇用、2に雇用、3に雇用と、このように申し上げております。つまり、雇用こそが今の経済のこの低迷、あるいは社会の不安感、あるいはある意味での社会保障の問題点を変えていくキーになる。鍵になると考えるからであります。つまりは、雇用というのは仕事ですから、仕事が増えれば経済が大きくなり、あるいは税収が増えていく。介護や医療、あるいは保育といった分野の雇用は、社会保障の充実にもつながってくる。そして雇用こそが人間の尊厳、将来の不安に対して、最も必要最小限の必要なものでありまして、そういう意味では不安の解消にもつながってくると思います。そういった観点から、この日本を元気な日本に立て直し、そしてまさに生活が第一の日本にしていくためにがんばってまいりたい。このように思っているところであります」
【公開討論会・詳報】
(2)小沢一郎
「一律シーリング10%削減は国民への約束と違う」
http://bit.ly/aEcRtf
【雇用】
菅氏「今、申し上げましたが、私は今の日本社会の多くの矛盾を解決していくキーになるのは雇用だと考えております。特に近年、大卒、高卒の新卒者の雇用が大変厳しい。しかし一方では、中小企業などは、もっと若い人を採りたいという人もあります」
「こういったことを解決するために、今、雇用に対する、特に若年雇用に対する特命チームをつくって全力をあげているところであります。これについて小沢さんとしても重視をされていると思いますが、どのようなかたちで雇用をとらわれているのかお尋ねをしたいと思います」
小沢氏「あの、雇用の問題は、もちろん、基本的に大変大事なわれわれの政治テーマだと思います。
ただ、先程来、菅さんもいろいろ、雇用を中心にしていろいろ申し上げ、お話しなされておりますけれど、何の政策を実行し、実現していくためにも、今までの役所に丸投げ、官僚依存の政策決定をやっていたのでは、何も有効な手だてはできないと思います」
「私どもは、そういう意味で、ですから国民主導の、国民の生活が第一と、生活に目を向けた政策を実行するためには国民主導、政治主導の政治の実現が大事であるというふうに訴えてきたゆえんだと思っております」
「特に雇用につきましては、私は日本経済の体質としては、1つは外需に頼らないで済む、最低、内需でもって最低の経済成長をやっていける、そういう経済の体質にしなくてはいけないと思っております。
アメリカや中国、その他の外国の経済が上下するたびに日本の経済、昔から『アメリカがくしゃみすると日本が風邪をひく』といわれておりますが、いまなお、その体質が変わっておらないのではないかと思います」
「従いまして、菅さんもおっしゃったように、社会福祉関係の事業というのは、非常にこれからの大きな成長産業だと思いますし、それを育てていく、支援するということが1つ大事だと思います」
「それからもう1つは、自民党政権下で非常に格差が広がっております。雇用の格差もその1つであります。
従いまして、私は、特に大企業につきましては、その収益の再配分をきちんと社員のみなさん、雇用の、いわゆる従業員・社員のみなさんにもっと手厚く配分することによって、私は雇用を確保することがもっともっと有効にできるのではないかと思っております」
「それからもう1つは、やはり地方が非常にさびれて衰退しております。そういう意味で、私が申し上げておりますのは、補助金と呼ばれるような政策経費、あるいは裁量的経費と呼ばれるものが、ほぼ30兆円、22年度の予算でもございます。その中で、私は全部、全部、地方へ移せとは言いませんけれども、かなりの部分を地方へ交付金として交付できると思っております」
「ま、公共事業なんか例にとると簡単に分かるんですけれども、そういうことによって、地方の経済の活性化、地方での雇用の創出、地場産業の育成、そういうことを実現できるのではないか。というふうに思っております」
「ですから、このことに、思い切って、こういったことに切り込んでメスを入れないといけないし、官僚の既得権のところに大ナタをふるう勇気を持たなければならないというふうに考えておりまして、そういう意味で、単なる雇用に対するいろいろな補助とかそういうものだけでなくして、全体のトータルとしての日本経済の活性化と雇用の安定というものを図っていくべきであると考えております」
菅氏「私も8月後半からずっと地方を回って、地方の疲弊を実感してまいりました。しかし、中には日本で立地しようか、外国に出ようかというときに、日本で立地をしてくれれば、低酸素型の産業については最初のリスクマネー、一部応援しますと、それによって、北九州などでリチウムの電池の会社とかですね、国内立地を選んでくださった方もあります」
「ま、そういったことで、内需にもつながる、雇用にもつながる、その点では私も小沢さんと同じようなかたちのことを今、内閣として実施しているところであります」
【社会保障と財源】
菅氏「そこで第2点に移りたいと思いますが、私は社会保障のあり方については、大きく2つの考え方があるのではないかと。つまりは、ある程度、負担してでも将来が安心できる社会を目指していくのか。負担はできるだけ小さくして、あとのことは自己責任でやっていくという社会を選ぶのか。私はやはり、前者の、ある程度、負担しても、将来安心できる、老後も安心できる社会をつくることが国民のみなさんの多くの願いだと思っております」
「まあ、そういった意味で、社会保障とその財源の問題については一体として議論をしていく必要があるだろうと。こう思っております。これに対して小沢さんとしてはどのようなお考えをお持ちか、お聞かせください」
小沢氏「あのー、負担と福祉の問題につきましては、私は何割まで負担していいのか、とかいう議論ではなくて、それは相対的な問題だと思っております。
日本社会において北欧型のような非常に大きな負担をするという福祉のあり方というは、私はちょっと無理ではないかと思っております」
「ですから、一定のもちろん負担していく、ということは当然でありますけれども、その意味においては、私は、その、お互いの負担とその効果と結果ということを勘案して決めていかなくてはならないと。そのように思っております」
「まあ、具体的な話として言えば、私、この、代表選にあたってのメモにも申し上げておりましたが、まあ、年金は一元化して新しい制度をスタートさせたいというが1つでありますが、そのほかの老人医療、あるいは国保、あるいは介護、あるいは生活保護といったものは、トータルで13兆円、4兆円という規模になっておりますが、これは地方へのほとんど補助といいますか、不足分の補填(ほてん)であります」
「私は、実体は全部、地方自治体が、市町村がやっているわけです。ですから、これも、例えば介護や老人の医療やケアについても、厚生省でいろんな、あの、かたちのものを全部、特養がどうだ、どうだどうだということを決めたものを、市町村に押しつけるという言葉はいけませんが、やってその通りやれ、と、こういう話になっています」
「私はそれぞれの地域、それぞれの市町村でみんな事情が違うと思います。ですから、本当に国保も全く黒字のところも中にはあります。それで、医療も、ですから、病院にかかる老人も本当に少ないというような施策をきちんと自分たちで行っているところもあります」
「それは特例ですけれども、そういった十数兆円の経費もですね、実体として市町村がやっているならば、私は、これは今すぐとはいえないですけれども、市町村にむしろそのお金と権限を任せて、それぞれその市町村で老人医療はどうする、介護はどうする、というような知恵を出して、お金を有効に使い、自分立ちの郷土を、ふるさとを作り上げていくと。こういうやり方が、私は将来、いいのではないかと思っております」
【予算編成】
小沢氏「私は先ほども最初のあいさつの時に申し上げました、われわれの最大の主張は、官僚の行政から、官僚の政治から、国民主導、国民の代表の政治家主導の政治に改めないと何事もわれわれの言っていることは実現できないということを訴えてきたはずであります」
「その中で、例えば予算編成、今、来年度の予算編成、進行しております。これはまさに、最初から民主党がつくる予算の最初の予算でございます。この予算編成にあたってですね、この間、いわゆる一律にシーリングと、10%カットという決定がなされました。これではまったく今までの自民党政権下と同じ手法、同じ結果しか出てこないのではないかと私は思っております」
「役所の中でもって政策の優劣、あるいは予算配分についての優劣を、お役所自身が財務省といえどもつけることはできない。従って、結局は全部一律削減だ、ということになってしまってきたのが従来の自民党政権下の予算編成でありました」
「今回もこの一律10%削減というシーリングのことを聞きましたときに、結局、同じようなことをやっているのではないかと。これではちょっと、国民に約束したことと、現実の民主党政権のやっていることと違うんじゃないかという感じが、私、個人的に持ちました。この点について最高の責任者である菅総理のご意見を伺いたいと思います」
(3)菅氏「真摯な姿勢で臨めば野党も応えてくれる」
http://bit.ly/bcCwEM
菅氏「昨年9月、これは小沢、当時の幹事長とともにですね、政権交代を実現をして、最初にやったことは事務次官会議の廃止、そして副大臣政務官を含めた政務三役会議を設立いたしました。私も長年、自民党の政治を見てまいりましたけども、また私も厚生大臣をやって経験もありますけども、そういう政治の中では、ほとんどの役所のことは、官僚がおぜん立てをして、ある意味では大臣はそれをわかりましたといえば全部が動くという、そういう形でありました。それを根本的に変える、まさにこれこそが国民主導の政治ということでスタートしたわけであります」
「この1年間、試行錯誤がありました。しかし、例えば前原国交大臣はこれまでの公共事業、18%を大きく切り込みました。一方では、福祉や教育はプラスをさせました。これこそが政治主導なんですね。基本的にはそういうやり方を今後も続けていこうということで予算編成も進めているわけであります。ですから、この部分を前と同じにして、この部分は新たにどうしていこうといういろんなやり方については、これは小沢さんの方がいろんな時代のことをご存じですからおわかりでしょうけどれども、私は政治主導になったかどうかというのは、ちゃんと予算編成が終わったところで評価されるべきものであって、何か個々のプロセスのこの段階だけで、物事を見るというのは、それは木をみて森を見ないやり方だと」
「さきほど、規制緩和のことも申し上げました。そして。小沢さんご自身も言われましたが、地方主権の問題、まさにこういう国の形の本丸にどこまで踏み込めるか。私は政権交代の選挙などを通して、明治維新の逆の改革をやるんだと。つまり、明治維新というのは、分権国家であった幕藩体制をですね、そのままでは外国の植民地になるから、中央集権国家にして、そして近代化を急ぐ。当時のあり方としてはそうせざるを得なかったわけですけども、それから140年たった今日の日本は、そういう中央集権国家の、霞が関縦割り中央集権国家の、そのマイナスが今の日本の停滞につながっているわけですから、その国の形をまさに根本から変えて、地方主権の国家に変えていくんだ。これは私が、初出馬以来、言い続けたことでありまして、そのことの本格的な作業に入っている、このようにご理解をいただければありがたいと思っております」
小沢氏「あのー、今、菅総理のお話をお聞きしましたが、菅総理は最初から、あー、副総理として、また財務大臣として、今は総理大臣としておられるわけであります。私はその経過を垣間見る立場でしかありませんけれども、どうしてもこの手法、やり方というのは、旧態依然として同じようなやり方をしているのではないかという気がしてなりません、心配してなりません。
それからさっきから言っておりますけども、いわゆる地方主権、地域主権、これを確立するためにはやはり地方の身の回りのことについては、霞が関から権限と財源を地方に移す以外に方法はないんです。
ですから、これをやりきれるかどうかということが、私は根本の、政策の根本にかかわる問題だと思っておりますので、そういう意味でちょっと今の流れは、昔と、自民党政権下と同じような官僚主導の予算編成のやり方ではないかと、そう感じたもんですから、質問をさせていただきました。違う質問に移っていいですか?」
--「はい、どうぞ」
小沢氏「えー、2番目には、沖縄の普天間の問題でございましたが、日米合意を、私は別に白紙に、昨日も言いましたが、白紙に返せといっているわけではありません。
日米間の合意は、きちんとそれなりに尊重されなければならないと思っております。しかし、地元沖縄では、絶対反対という声が県民の大多数と思います。
そうしますと、日米合意を現実に実行に移していくということは非常に難しい状況が現状ではないないかと思います。
そういう現状をみて、私としては、沖縄県も、またアメリカ政府も納得のいけるような、何か知恵を出すために、もう一度県民みなさんやアメリカ政府のみなさんとも、いい知恵を出しうる、そういうための話し合いをしたらどうかなと、そういうふうに考えているということでございますが、総理大臣としてこの点いかがお考えでしょうか」
菅氏「この普天間をめぐる問題、鳩山前総理が本当に苦労されたことはみなさんもご承知の通りです。その中で、最初は県外、国外ということをいろいろ模索をされ、いろいろな案を検討された中で、5月の段階で日米合意という形で、沖縄の中に代替施設を設けるということを同意をされました。私はこのことが、沖縄のみなさんにとってなかなか受け入れ難い合意であるということは、重々承知をいたしております」
「しかし、1年にも及ぶこの議論、ある意味で迷走した議論をですね、このまま続けておくことは、単に日米関係だけではなくて、日本のいろいろな政策決定に障害を起こしてきた。そういう中で鳩山総理はいわば、政治とカネの問題に加えて、この問題での責任を取って辞任をされたわけであります。それを引き継ぐ私としては、まずは鳩山前総理が合意をされたところを原点として、そこからスタートすることが、日米間においても、あるいはこれからの政治運営においても、必要だろうということで、それを踏まえてという言い方で今日まで来ております」
「しかし同時に、沖縄における負担の軽減、これは普天間の移転にかかわる問題が多いわけですけども、それだけではありません。北部の訓練場の半分が返ってくる、これも10年間止まっております。また、普天間との関連で言われている嘉手納以南の返還の問題もあります。また、これと並行してグアムへの海兵隊の移転、大規模な移転も予定されているわけでありまして、私はそういう沖縄の軽減につながることは、まず優先的に進めることはできないかということで、今話し合いを進めております。そして、将来、それが遠い将来になるのか、近い将来なるのかわかりませんけども、さらなる沖縄の負担軽減を考える、そういう時に意識のあり方ということは当然ながら、あらゆる問題を考えなければいけない、考えるべきときにくると思っております」
「私は小沢さんが昨日の会見でも、日本、沖縄とアメリカの両方が納得できる知恵があるという趣旨のことを言われました。本当に、そういう知恵、私もぜひ教えていただきたいと思うんですね。まあ、鳩山さんもそういう知恵を求めてたいへん苦労されたわけでありますので、ぜひこの場でですね、その知恵の一部でも国民の前でお披瀝(ひれき)をいただければと思っております」
小沢「私は、鳩山内閣で日米合意された、そのことを原点として尊重していくことには変わりありません。ただ、このまんまでは進まないんじゃないかと、だから何か知恵を出さなくては、両方が納得する知恵を出さなくてはいけないんじゃないかということを申しているだけでおります」
【政権運営、ねじれ国会への対応】
--小沢氏からお願いします
小沢氏「国会運営ですか?」
--「えー」
小沢氏「はい。あのー、この間の選挙で44議席という、参院大敗を喫してしまいました。従って、何を、政策を法律化して通そうと思っても、数だけでは到底できません。
そして今、野党各党とも、菅政権にいろいろな政策で協力するということはできないという趣旨の話を各党ともしております。それがまあ、現実だと思います。
そうしますと、衆院で圧倒的な多数で、言うまでもないですが、参院の国会運営、自分たちの主張を通すためにはやはり野党の賛同を得なければならないと思っておりますけども、野党のみなさんがそういう趣旨の政治スタンスをとっていることについて、菅総理としてどのようにこれを打開していかれるのか、お聞きしたいと思います」
菅氏「私はですね、先の参院選で大きく議席を減らし、敗退したことについて、その責任を痛感いたしております。
しかし、このことで、何かもうこれで政治が進まなくなったとはこのように思ってはおりません。
ある意味では、新しい局面が生まれる可能性がある。
つまり、自民党が参院が少数でねじれた時期もありました。今回逆の時期もあります。つまりは、自民党もあるいは他の野党も、自分たちが全部反対すれば法案は通らない。
しかし、本当に国民のためにどうすればいいかということをですね、考えたときに、私は謙虚に話し合いをすれば、大きい問題であればあるほど、共に責任を感じて何らかの合意形成を目指すということはありうると思っております」
「私が例に出しますあの金融国会の時、当時自民党が過半数割れを起こして野党、私が代表する民主党、そして小沢さんが代表された自由党、公明党で金融再生法案を出しました。この法案が通らなければ長銀、日債銀が破綻(はたん)して金融恐慌になるのではないか。そういう中でありましたので、私は徹底的な議論をいたしまして、わが党、野党の案に自民党が全面的に賛成されるのならば、それを政局としては扱わないで、政策合意をしてもいいと申し上げましたが、100%野党案を賛成するという形で成立をし、金融恐慌を避けることができました」
「それについて、小沢さんからは政局にしないなんていうこと言うのはおかしいと言われましたけども、私は今でも日本のため、世界のためにはその選択は間違っていなかったと思います。
これからの政権運営においても、そういう真摯(しんし)な姿勢で臨めば野党のみなさんも必ず応えてくださると、このように考えております」
【公開討論会・詳報】
(4)小沢一郎「参院過半数、6年ではとても無理」
http://bit.ly/9524AL
【ねじれ国会への対応】
小沢氏「あのもちろん、今、総理がおっしゃったように私どもが本当に国民のための政策だ、法律案だということでもって、野党の皆さんと合意することができるものもたくさんあると思います。
ただ、今、お話があったように、あのときも野党案を丸飲みしたというのが現実でありました。本当の危機的な状況の中ではそういうことも、当然、お互いにあり得ることではございますけれども、自分の政策、主張を野党とは違う基本的に考え方の違う政策、主張というのは現実的にはできなくなってしまうわけでございますので、その意味についての国会運営というのは大変厳しいものではないかと思っております」
「もちろん、ぼくは選挙の結果のいかんにかかわらず、一兵卒として協力することは党員として当然ではありますが、なかなかわが党が野党で、過半数をもっておったときの自民党政権下でわが党がもっておったときの、国会の状況をみてもおわかりの通りだと思いまして、そういう意味では私はここがリーダーとしての手腕が問われるところであって、本当に真摯(しんし)に一生懸命、野党に対して話をすれば、一定限度の理解はえられるということは、そう思いますけれども、本当に主張、政治的な考え方の違う問題についてはまったく動かないということになりますので、そういう意味で大変、厳しい国会運営になっていくのではないかということを心配しておりまして、このリーダーとしては打開策をきちんと考えておかなくてはならないだろうというふうに思っておりますものですから、そういう質問をさせていただきました。
菅氏「私は先ほど申しあげましたようにですね、今の日本の行き詰まりはこの1年、2年の行き詰まりではありません。約20年間にわたる行き詰まりです。それは景気対策をやっても一義的にはよくなっても成長には戻りませんでした。あるいは社会保障についても少子高齢化がなかなか止まらなくて不安感が高まってます。財政の状況はいろいろな見方はありますけども、いずれにしても膨大な借金が積み上がっていることが事実であります。こういう大きな課題、金融国会の金融破綻(はたん)に匹敵する課題、あるいはそれをこえる課題であるからこそ、私はたとえば二大政党の一方が多少力を持っていても、それをこえてこれなかったために、それが今日のこの行き詰まりがあると私は思っております」
「ですから、この大きな行き詰まりをこえるためにはある意味では、党をこえた合意形成、国民の合意形成が必要になる。熟議の民主主義といってまいりましたけれども、この間、私どもが野党でねじれ国会のときにはやや率直に申しあげて政権交代を目指すという政治的な目的のためにかなり行動したことも事実でありますから、そういう意味ではそれぞれがそういう行動をとった上で今日の状況をむかえて、ある意味の新しい局面にきたわけですから。そういうより大きな課題こそが、私は天の配剤だと申しあげているんですけれども、こういう中で合意形成ができると、私も30年間、国会におりますので、自社さ政権、いろいろな政権、ご一緒した方もあります」
「たとえば、子供手当ては公明党が賛成いただいて、現在の法案もできているということもありますし、やはり財政健全化についても自民党も中期目標などではわが党と一致をした意見を出させていただいておりますので、もちろん、簡単だとは思っておりませんけれども、まさに真摯(しんし)に政局ではなくて、国民のことを考えて話し合おうという、その呼びかけをきちっと。既に多少の努力はしておりますけれども、させていただいたときには他の野党の皆さんもですね、国民の皆さんのことを考えて、そういう話し合いに参加をしていただけるものと思っています」
小沢氏「国会運営についてこれ以上は何もありません。ただ、今、繰り返しますが自分たちが国民に約束した主張を実行していくためにはやはり参議院でも過半数を有するということは本当に大事なことだと思っております。このままですと、仮に民主党政権が続くとしても、もう、最低でも6年、とても6年じゃ無理だとは思いますが、9年、12年の歳月をかけないと過半数というのはなかなか難しいという結果が現実だと思っておりますし、また、われわれが政権をめざしておったからというお話がありましたが、今、自民党は政権の奪還を目指して頑張っていることだと思いますので、状況は立場は変わりましたけれども、同じことだと思います」
【政策調査会】
司会「時間がまいりましたので、続いて菅さんの質問、お願いします」
菅氏「私は冒頭にも申しあげましたように、クリーンでオープンな政治、クリーンでオープンな民主党というものを実現し、発展させたいと思っております。昨年、9月に政権が発足するときに小沢、当時の幹事長の強い主張もあって、政策調査会が廃止をされました。当時私は『調査会を残すべきだ」と申しあげたんですけれども、代表、幹事長がこれを「廃止だ」ということで廃止になりました。今回、6月の代表選に立候補するにあたって政策調査会を復活するということでお約束をし、そして現実に復活すると同時に、政調会長の玄葉さんに閣内に入っていただく、閣僚になっていただくというかたちで党と内閣の政策の一元化、つまり党は提言というかたちではありますけれども、政調会長が内閣に入るというかたちで、よりその影響がしっかりと政府に及ぶようにということで、ひとつの、一元化の一つのありかたとしてそういう選択をさせていただきました。私は多くの党内の皆さん、あるいは国民の皆さんがですね、政策を民主党にいろいろ提言する窓口がすべての国会議員に広がったことを喜んでいただいていると思っております。そういう意味で、小沢さんにお聞きしたいんですが、小沢さんが代表になられたときはまた政調会を廃止をされるのか、今の形で存続を認められるのか、お聞かせを下さい」
小沢氏「私が政調会というものをやめるべきといったことは、事実ではありますし、いまなお、そう思っております。それにかえて、政府与党一体という観点で、政策会議というのを設けました。その政策会議には部署別に、各省庁別に誰でも参加できると、ある意味でその政調部会の役割も果たしていくということで設けられたものであります。その運営がですね、副大臣や政務官が大変忙しいということもあったやに聞いておりますけれども、ただ単に、形式的な形におわってしまって、本当に政策論議が全員参加でやれる状況じゃなかったということは実態のようでございます。ですから、最終的にその政策会議の副大臣、政務官だけじゃなくて、各委員会の理事の人も一緒に入って、党と政府の両方がその運営について相談し合いながらやろうということに私、たぶん、まだ、幹事長のときに提案をいたしまして、それが軌道に乗り始めた矢先であったように思っております」
「私はその意味では、政策会議がみんなが参加し、そして十分に議論が尽くされ、政府と与党、政府と国会とそれぞれの部署の人たちがきちんと話し合える形をとれればそれが一番いいと思っております。政調部会が復活いたしましたけれども、結局、2つできてしまいまして、どちらがどうなのかと、いまだ有効に機能しているという声をあまり聞いておりません。それからもう一つは、政調部会というのは自民党政権の下で党と政府、政府といっても中身は官僚ですけれども、それとのお互いのある意味でこれだけ党が主張して、これだけ予算を変えたとか予算を取ったとかいうたぐいの、お互いのできレースのようなかたちでの存在だったものですから、そういうイメージが強く、どうしても政調というと、働いてしまいますので、これは党と政府が異質のものだと、どちらかというと対立するものだという意識の中で、私は作られてきた自民党の政調部会だと思います。いわゆる明治以来の超然内閣的な感覚の下で、政府、大臣やなんかいますけれども、バックはすべて官僚、お上と。それに対して党がいろいろと意見をいえるようにするとの発想がどうしても見え隠れしてきたのが、政調会じゃなかったかと思っておりまして、私はそういう意味で本当の政府与党一体化ということであれば、政策会議を効果的に、効率的に運用することによって、私は政調、その他の部会に変わる、あるいは全員参加の議論が十分できると考えております」
菅氏「小沢さんがいわれた、まさに、かつての自民党はですね、内閣のほうは大臣はいるけれども、副大臣、政務官がいませんでしたから、ほとんどが官僚でコントロールされ、閣議も事務次官会議でコントロールされ、つまり、まさに内閣の側は官僚内閣だったわけです。それに対して、自民党の政調は党という立場ではありましたが、それが族議員化することによって逆に官僚と直接結び付くと。これが一番の問題点であるということで、私たち民主党がまさに政治主導の内閣をつくろうと、それは内閣の側も事務次官会議をなくし、そして政務三役会議をつくって政治主導にすると同時に、党のほうも族議員的なやり方はとらないで、政策提言という形で政調を復活するというかたちで進めてきているわけです。そこでもう一つ、特にその中で小沢さんにお聞きしたいのはこの本来の議院内閣制の下で、内閣を運営するには100人を越える国会議員が内閣に入る方が望ましい、事業仕分けなどでももう少し党のほうから人を参加をさせてもらいたいと。現在、出されている政治主導法案もそういう内容になっております」
「どちらかというと、小沢さんは事業仕分けでもいったん決まっていた議員が参加するのが、それは1年生議員がそういうことに出すのは早いといってですね、止められて、非常に率直にいって内閣の側は政治家は数を含めてですね、不足して苦労したこともですね、いろんなことが進んでいない一つの大きな原因になっております。そういった意味で私は小沢さんがいわれたことはもっと内閣の中にも、国会法などをかえてですね、国会議員が参加できるようにすべきだと私は思っているんですけれども、それに対するお考えも合わせて聞いておきたいと思っております」
小沢氏「私がもう10年、20年前からそういう主張をしてまいりました。そして、副大臣、政務官という仕組みをメディアの皆さんにからかわれながら、なんとしても成立したいといって自自連立のときに作ったものであります。そういう意味で私はこれが有効に働けば、これが政治主導の成果をあげることができると思っております。100人とか、200人とかいう数字は別ですけれども、ブレアさんのときにはいろんなものを作って200人以上になってひんしゅくを買ったといわれておりますけれども、もっと充実させるということについては私は大賛成でございます。それから幹事長のときに、増員するのに文句をいったとおっしゃいましたけれども、別にそれについて文句をいったわけではありません。全部、それぞれの国会やら党やらなんだの全部、ポストが決まってからまたこう、引き抜くという話になると、また玉突きやらなんやらこっちやらそっちやらでということになっちゃうんで、それは困るから、あの時点では最小限にしてくれということを申しあげただけであります」
「ですから、政府の人事と、副大臣以下の、そして党や国会の人事というのは本来は同時に、一緒に同時並行的に統一して進めていくべきだというのが私の持論でありまして、それぞれが好きなようにやってしまいますと、そういう、後で問題が生じてくるということであります。基本的に、政治主導のために副大臣、政務官これをもっと増員していいと、すべきだという点については賛成でございます」
プチッ!
↓ ↓ ↓
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↑ ↑ ↑
田舎の宮崎にもネット喫茶がある。
絶対安静なぞ難のその。
精神的力が治癒力を高める。
かってで・・・
申し訳ありません。
お医者様、看護婦さん、もとい看護師さん
テレビがウソを言っている。
許せない。
人の値打ちが・・・
解らぬ輩が跋扈するハズである。
総理たる人がインタビューの品格なさのこれでは許せない。
2010年お正月小沢邸、100人を超える中で乾杯のご発声は菅直人。
参院選大惨敗の責任も取らずにずうずうしく総理の椅子にしがみついている権力亡者と化した菅直人
この程度の輩が総理。
小沢一郎は政治理念と政策を明確にし
正々堂々と戦えば代表選に勝てるのが当然
菅直人は支持を得るために、甘いニンジンをエサにして民主党議員らの目の前にぶら下げる展開をしてきている
が、自分が総理としてやるべく政策・理念など全くない
菅・小沢両氏の発表した政権公約
政策上のはっきりとした対立点は、特別会計、普天間問題など、重要な論点がいくつも。
菅総理の公約
、「09年マニフェストの実現に誠実に取り組む」
と書かれていること。
あれ?
10年参院選マニフェストは?
もっと意外なのは、「財政再建」や、「消費税率値上げ論議の開始」とか、
「強い経済、強い財政、強い社会保障」という項目がないこと。
おやっと思うのが・・・、
参院選で敗北してねじれ国会になったのは「天の配剤」と菅総理。
負けてよかった的な発言は、落選した人や地方議員を敵に回しそう。
あら、HRTF構想がすんなり入りそうな予感。
「同盟関係は従属関係ではなく、対等のパートナーであることから、日本は国際社会において、米国と共今まで以上にその役割及び責任を分担する。」小沢一郎
うそつき菅直人の一夜の夢
一晩だけのトロイカ体制。
新人議員を赤紙招集の三日間。
円高が急遽で酷いのは目もくれない。
新人議員への甘いお約束。
「3年間は解散がない」
うつけモノが総理の最大の権威「解散権」をみずから封じた論理構成が解ってない。。
ましてや三年後も菅直人が総理なんて誰も考えていない
全滅だ!それが狙いなのか?
流石に対米従属に転んだ売国奴。菅直人。
小泉純一郎路線継承者。
「民主党をぶっ壊してやる。」
とおなじこと。
菅直人続投こそ、早期の解散・総選挙は必至。
新人議員は全滅だろう
・・・・
民放のクロスオーナーシップは弊害有りすぎ!既得権益解体!すべし。
NHKは事業の仕訳のメスをいれるべし!
北の大兄様が指摘され教えていただけること。
・・・・
このメディアに揚げ足取られ。
情報を歪曲され。
ある一点へと誘導する世論を作ろうと必死の活動!
(もはや互解するでしょう)
明日のモンタのズバッが笑えるかもね。
・・・・・・
9月1日より朝5時30分は実にすがすがしくテレビの画面がイイ。
モンタ一週間の休み。
NHK19時、21時ニュース。
見苦しきゴロツキばりの菅直人の小沢一郎に対して挑発。
簡単にあしらってた小沢一郎の品格。。
それぞれの決起集会に参加した議員。
小沢120名
菅120名
ところがである。
夜半23時過ぎお台場放送局は
小沢130人、
菅120人
小沢やや有利。
と説明していた。
何故こうなるのか。
秘密が隠されている。
大体おかしいではないか。
小沢陣営は午前。
菅陣営は午後。
わかりやすいこと。
どこまでせこいノカこの情報操作のNHK。
普天間問題については
「白紙に戻すようなことはできない」
と先に言ったのは菅のはず。
その後、小沢が珍しく「ちょっと」と手をあげた。「そんなことは言っていない」と反論した。
だけどNHKの流した順番は小沢→菅だった。
これが編集による作為。
カンカラ菅さんって
頭の中グチャグチャ。
ニュースが報じている。
共同記者会見の際、普天間問題を質問され、
「小沢さんが幹事長の時のことなので責任も感じていただき。。。」って
、自分が副首相であったことも忘れ、内閣にいない小沢さんの責任にふれるなんて信じられない非論理性。
信じられん。こんな人が国のトップじゃ問題。
【民主代表選共同会見】
菅直人総理「小沢氏が予算委で座っているのが想像できない」
- Msn産経ニュース http://bit.ly/9TQSXe
最後の最後でこんな台詞を吐くことはないのに。。。。すっから菅さん。
民主党代表選挙共同会見 菅総理
「1に雇用、2に雇用、3に雇用」
http://bit.ly/auwNrk #FNN
具体策「0」
何も説明しない。
小沢一郎
「約束した政策を着実に実行していく大事なこと。
消費税の増税論議の前に無駄を省く。
財源に充てる。
そう約束してきたはず」
苦渋の選択の日米合意
「沖縄・アメリカ政府が納得できる案を探る。」
政治とカネ
「1年猶予の強制捜査。何ら犯罪はない。」
・・10億円も使って。・・・
法の冷徹さその現実説明が国民との差も生まれるのか。
「強制捜査権限は国会にない」
「何度も記者会見で説明してきた。」
【内閣支持率世論調査】あれ、読売も数字が違うけど8/8~8/28の20日間の間に10ポイント上昇している。
一体菅さんどんな魔法を?(笑)
これは菅直人の原点本性。
菅直人は政治の原典を市民運動
市川房枝氏に求める。
大ウソである。
デマゴギー政治家菅直人。
菅直人は,市川房枝の前は
ひのまる君で、石原慎太郎の選挙応援をしていた!!
(永田町プレス倶楽部 菅直人と石原慎太郎を結ぶ点と線) http://ow.ly/2aLwi
市川房枝と菅直人(蟷螂舎斧助のページ)http://p.tl/KSgX
石原慎太郎氏は1968年7月の参院選で全国区に自民党公認で立候補、初当選。
太陽族を生んだ芥川賞作家の政界入りは話題で、石原は300万票を超える大量得票でトップ当選した。
政治評論家の飯島清が采配した石原陣営の集票マシーンは「日本の若い世代の会」。
大学生など若者が「日の丸」を旗印に「石原」を叫んだ。
全国を東西に分けて、
西日本は大阪を拠点に当時関西大学生だった浜渦武生(のち石原秘書、都副知事)らが
、東日本は東京を中心に当時一橋大生の栗原俊記(のち石原秘書)らが取り仕切った。
栗原氏らの「日本の若い世代の会」東京事務所に
当時、東京工業大の学生だった若き日の菅直人の姿があった。
市川房枝女史の選挙を手伝い、ノンセクト市民派を看板に菅氏が本格的に政治の世界に足を踏み入れるのは、
この後のこと。
市民派を名乗る前の菅氏は「日の丸」派だったということになる。
姦直人(アレ上手く返カンしない)菅直人は大嘘つきである。
市川房江さん=
菅直人氏は1976年の衆議院選挙の際、私の応援を求めて来た。
50万円のカンパと秘書が手伝えるように配慮した。
ところが、私の選挙の際カンパをくれた人たちの名簿を持っていたらしく、カンパや協力を要請強要した
市川房江さんから、「あんたは信用できない」と、破門された菅直人。
今度は民主党からウソつき現認で破門??。
39年後の11月、菅直人は
「政治的には、石原氏を一度も応援をしたこともないし、応援を受けたことがない」
と嘘を語り、石原選挙応援の経歴を抹消しようとした。
なぜか。
たちあがれが菅政権を応援している。
テレビに出て言ってるのが与謝野馨ゆえ不思議である。
石井一が菅陣営にいるようなる奇っ怪さ。
石井一の悪い資金を仙石由人が処理して以来ののコトらしい。
たちあがれの与謝野馨は石原が強烈なるサポーターにある。
では石原―菅は何故か
民主党東京都支部トップは昨年まで菅直人。
これがキーワード。
昨年都議会与党に民主党がついた。
石原―栗原―菅を結ぶラインが1点に結ぶのは、
石原都政利権問題。
都政10年で腐臭を放つ石原利権――
・失敗した東京五輪誘致問題、
・築地移転問題、
・新銀行東京問題、
・大手町再開発問題
・などなど。
石原都政をめぐる利権話は表面化しているだけでも10指に余る。
最近では、鹿島の羽田空港拡張工事の埋め立て用土砂にまつわる裏金つくりの疑惑が浮上している。
最大の利権話といわれるのが秋葉原再開発である。
秋葉原事業は栗原の鹿島が受注、
一番札で落札した当時から入札疑惑に包まれていた。
数々の石原都政利権問題が取りざたされながら、
都議会での追及が中途半端に終わっているは都議会民主党の弱腰が大きな理由である。
「石原にからきし弱い都議会民主党。
その裏になにがあるのか」
と囁やかられる。
誰が支部長であって
何故下ろされたのか。
賢明なるブロガー氏に説明の必要は無かろう。
アレ・・最初に書いた・・
菅直人首相の諮問機関も「武器輸出3原則の緩和」を提言
低気温のエクスタシーブログにある、
http://p.tl/XXUF
自衛隊、沖縄・南西に重点配備。
北澤防衛大臣は年明けから防衛産業の会合等、ことあるごとに見直しを放言。
経団連副会長職には三菱重工、東芝、日立、小松と日本の軍需企業大手が。
消費税15%提言!
経済オンチの菅直人首相がIMFに屈する恐怖
(日刊ゲンダイ)http://p.tl/VC2q
IMFは導入時期や数値目標まで提示した。
11年度から消費税を徐々に引き上げ、15%まで税率を上げろという。
最大22%。誰かが外圧を利用し、消費税引き上げをもくろんでいる
姦直人の記者会見で驚いた。
財務省を叉批判
アノ「霞ヶ関官僚はバカです」
とおなじフレーズ。にワロタ。
「財務省はバカです。」
エエッ!
「消費税増税ッ!」誰がやってるの?
マスゴミが参院選完敗菅直人政権を擁護する訳
(植草一秀ブログ)http://p.tl/PII8
米国は、ようやく小沢鳩山体制を8ヶ月で潰し、
日本の政権を対米隷属に引き戻したところ。
菅直人は小泉純一郎路線をとっている。
官僚は天下り根絶を骨抜きにして消費税増税に突き進む菅政権を守り抜くことが重要。
大資本は法人税減税を推進し大増税を押し付ける菅政権を支援
「国民に信を問う」
国会で大見得を切った菅直人。
ところがである。
第22回参議院選挙菅直人予想通り?
、菅直人大惨敗!
敗因をあえて言う・・・・「人格欠如」だ!
(世相を斬る)http://p.tl/el2G
総理になり6・2クーデターで、民主党支持者を裏切った時点で判り切った事である。
消費税云々もあるが、その説明がテキトーだった。
メディアに欺されてる日々のネット情報がない国民。
国民と云うものネット情報が無くとも、案外「人がら」と云うものを見る
第22回参議院選挙菅直人首相完敗の歌(植草さん)
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-01a2.html 傑作!
朝日新聞・テレビ朝日の壮大なる陰謀。
社説・報道・ドラマ連作で誘導
(世相を斬る)http://p.tl/UqL-
「必殺仕事人」では小沢一郎見立ての「国民の為じゃ老中」
を菅直人見立ての
「真実にめざめ老中を刺し殺す旗本」
が民主党内混乱を地で行くようなシナリオになっていたのには驚く。
小沢一郎の勇気、男気、日本を思う心が、民主党を救うことになるだろう。
「最小不幸社会」という、不幸を前提にした考え、発想ではなく、
国民に明確で強い政治的意志を訴えるリーダーが今、求められている。
「小沢一郎に期待します」
という声なきこえが封鎖された言論機関の奥の言霊として聞こえてくる。
体内にメスを入れられるとどうも一時期
神に成れる。
心眼が降ってきている。
痛みが出てきた。
6日もう一度の苦痛に耐えねばならぬ。
そのまえに医師スタッフに拒否された大変。
いまだ乱暴者に
幼き頃の憧れの
眼帯、松葉杖がいただけてない。
くわばらくわばら
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テレビがウソを言っている。
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人の値打ちが・・・
解らぬ輩が跋扈するハズである。
総理たる人がインタビューの品格なさのこれでは許せない。
2010年お正月小沢邸、100人を超える中で乾杯のご発声は菅直人。
参院選大惨敗の責任も取らずにずうずうしく総理の椅子にしがみついている権力亡者と化した菅直人
この程度の輩が総理。
小沢一郎は政治理念と政策を明確にし
正々堂々と戦えば代表選に勝てるのが当然
菅直人は支持を得るために、甘いニンジンをエサにして民主党議員らの目の前にぶら下げる展開をしてきている
が、自分が総理としてやるべく政策・理念など全くない
菅・小沢両氏の発表した政権公約
政策上のはっきりとした対立点は、特別会計、普天間問題など、重要な論点がいくつも。
菅総理の公約
、「09年マニフェストの実現に誠実に取り組む」
と書かれていること。
あれ?
10年参院選マニフェストは?
もっと意外なのは、「財政再建」や、「消費税率値上げ論議の開始」とか、
「強い経済、強い財政、強い社会保障」という項目がないこと。
おやっと思うのが・・・、
参院選で敗北してねじれ国会になったのは「天の配剤」と菅総理。
負けてよかった的な発言は、落選した人や地方議員を敵に回しそう。
あら、HRTF構想がすんなり入りそうな予感。
「同盟関係は従属関係ではなく、対等のパートナーであることから、日本は国際社会において、米国と共今まで以上にその役割及び責任を分担する。」小沢一郎
うそつき菅直人の一夜の夢
一晩だけのトロイカ体制。
新人議員を赤紙招集の三日間。
円高が急遽で酷いのは目もくれない。
新人議員への甘いお約束。
「3年間は解散がない」
うつけモノが総理の最大の権威「解散権」をみずから封じた論理構成が解ってない。。
ましてや三年後も菅直人が総理なんて誰も考えていない
全滅だ!それが狙いなのか?
流石に対米従属に転んだ売国奴。菅直人。
小泉純一郎路線継承者。
「民主党をぶっ壊してやる。」
とおなじこと。
菅直人続投こそ、早期の解散・総選挙は必至。
新人議員は全滅だろう
・・・・
民放のクロスオーナーシップは弊害有りすぎ!既得権益解体!すべし。
NHKは事業の仕訳のメスをいれるべし!
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明日のモンタのズバッが笑えるかもね。
・・・・・・
9月1日より朝5時30分は実にすがすがしくテレビの画面がイイ。
モンタ一週間の休み。
NHK19時、21時ニュース。
見苦しきゴロツキばりの菅直人の小沢一郎に対して挑発。
簡単にあしらってた小沢一郎の品格。。
それぞれの決起集会に参加した議員。
小沢120名
菅120名
ところがである。
夜半23時過ぎお台場放送局は
小沢130人、
菅120人
小沢やや有利。
と説明していた。
何故こうなるのか。
秘密が隠されている。
大体おかしいではないか。
小沢陣営は午前。
菅陣営は午後。
わかりやすいこと。
どこまでせこいノカこの情報操作のNHK。
普天間問題については
「白紙に戻すようなことはできない」
と先に言ったのは菅のはず。
その後、小沢が珍しく「ちょっと」と手をあげた。「そんなことは言っていない」と反論した。
だけどNHKの流した順番は小沢→菅だった。
これが編集による作為。
カンカラ菅さんって
頭の中グチャグチャ。
ニュースが報じている。
共同記者会見の際、普天間問題を質問され、
「小沢さんが幹事長の時のことなので責任も感じていただき。。。」って
、自分が副首相であったことも忘れ、内閣にいない小沢さんの責任にふれるなんて信じられない非論理性。
信じられん。こんな人が国のトップじゃ問題。
【民主代表選共同会見】
菅直人総理「小沢氏が予算委で座っているのが想像できない」
- Msn産経ニュース http://bit.ly/9TQSXe
最後の最後でこんな台詞を吐くことはないのに。。。。すっから菅さん。
民主党代表選挙共同会見 菅総理
「1に雇用、2に雇用、3に雇用」
http://bit.ly/auwNrk #FNN
具体策「0」
何も説明しない。
小沢一郎
「約束した政策を着実に実行していく大事なこと。
消費税の増税論議の前に無駄を省く。
財源に充てる。
そう約束してきたはず」
苦渋の選択の日米合意
「沖縄・アメリカ政府が納得できる案を探る。」
政治とカネ
「1年猶予の強制捜査。何ら犯罪はない。」
・・10億円も使って。・・・
法の冷徹さその現実説明が国民との差も生まれるのか。
「強制捜査権限は国会にない」
「何度も記者会見で説明してきた。」
【内閣支持率世論調査】あれ、読売も数字が違うけど8/8~8/28の20日間の間に10ポイント上昇している。
一体菅さんどんな魔法を?(笑)
これは菅直人の原点本性。
菅直人は政治の原典を市民運動
市川房枝氏に求める。
大ウソである。
デマゴギー政治家菅直人。
菅直人は,市川房枝の前は
ひのまる君で、石原慎太郎の選挙応援をしていた!!
(永田町プレス倶楽部 菅直人と石原慎太郎を結ぶ点と線) http://ow.ly/2aLwi
市川房枝と菅直人(蟷螂舎斧助のページ)http://p.tl/KSgX
石原慎太郎氏は1968年7月の参院選で全国区に自民党公認で立候補、初当選。
太陽族を生んだ芥川賞作家の政界入りは話題で、石原は300万票を超える大量得票でトップ当選した。
政治評論家の飯島清が采配した石原陣営の集票マシーンは「日本の若い世代の会」。
大学生など若者が「日の丸」を旗印に「石原」を叫んだ。
全国を東西に分けて、
西日本は大阪を拠点に当時関西大学生だった浜渦武生(のち石原秘書、都副知事)らが
、東日本は東京を中心に当時一橋大生の栗原俊記(のち石原秘書)らが取り仕切った。
栗原氏らの「日本の若い世代の会」東京事務所に
当時、東京工業大の学生だった若き日の菅直人の姿があった。
市川房枝女史の選挙を手伝い、ノンセクト市民派を看板に菅氏が本格的に政治の世界に足を踏み入れるのは、
この後のこと。
市民派を名乗る前の菅氏は「日の丸」派だったということになる。
姦直人(アレ上手く返カンしない)菅直人は大嘘つきである。
市川房江さん=
菅直人氏は1976年の衆議院選挙の際、私の応援を求めて来た。
50万円のカンパと秘書が手伝えるように配慮した。
ところが、私の選挙の際カンパをくれた人たちの名簿を持っていたらしく、カンパや協力を要請強要した
市川房江さんから、「あんたは信用できない」と、破門された菅直人。
今度は民主党からウソつき現認で破門??。
39年後の11月、菅直人は
「政治的には、石原氏を一度も応援をしたこともないし、応援を受けたことがない」
と嘘を語り、石原選挙応援の経歴を抹消しようとした。
なぜか。
たちあがれが菅政権を応援している。
テレビに出て言ってるのが与謝野馨ゆえ不思議である。
石井一が菅陣営にいるようなる奇っ怪さ。
石井一の悪い資金を仙石由人が処理して以来ののコトらしい。
たちあがれの与謝野馨は石原が強烈なるサポーターにある。
では石原―菅は何故か
民主党東京都支部トップは昨年まで菅直人。
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昨年都議会与党に民主党がついた。
石原―栗原―菅を結ぶラインが1点に結ぶのは、
石原都政利権問題。
都政10年で腐臭を放つ石原利権――
・失敗した東京五輪誘致問題、
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石原都政をめぐる利権話は表面化しているだけでも10指に余る。
最近では、鹿島の羽田空港拡張工事の埋め立て用土砂にまつわる裏金つくりの疑惑が浮上している。
最大の利権話といわれるのが秋葉原再開発である。
秋葉原事業は栗原の鹿島が受注、
一番札で落札した当時から入札疑惑に包まれていた。
数々の石原都政利権問題が取りざたされながら、
都議会での追及が中途半端に終わっているは都議会民主党の弱腰が大きな理由である。
「石原にからきし弱い都議会民主党。
その裏になにがあるのか」
と囁やかられる。
誰が支部長であって
何故下ろされたのか。
賢明なるブロガー氏に説明の必要は無かろう。
アレ・・最初に書いた・・
菅直人首相の諮問機関も「武器輸出3原則の緩和」を提言
低気温のエクスタシーブログにある、
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自衛隊、沖縄・南西に重点配備。
北澤防衛大臣は年明けから防衛産業の会合等、ことあるごとに見直しを放言。
経団連副会長職には三菱重工、東芝、日立、小松と日本の軍需企業大手が。
消費税15%提言!
経済オンチの菅直人首相がIMFに屈する恐怖
(日刊ゲンダイ)http://p.tl/VC2q
IMFは導入時期や数値目標まで提示した。
11年度から消費税を徐々に引き上げ、15%まで税率を上げろという。
最大22%。誰かが外圧を利用し、消費税引き上げをもくろんでいる
姦直人の記者会見で驚いた。
財務省を叉批判
アノ「霞ヶ関官僚はバカです」
とおなじフレーズ。にワロタ。
「財務省はバカです。」
エエッ!
「消費税増税ッ!」誰がやってるの?
マスゴミが参院選完敗菅直人政権を擁護する訳
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米国は、ようやく小沢鳩山体制を8ヶ月で潰し、
日本の政権を対米隷属に引き戻したところ。
菅直人は小泉純一郎路線をとっている。
官僚は天下り根絶を骨抜きにして消費税増税に突き進む菅政権を守り抜くことが重要。
大資本は法人税減税を推進し大増税を押し付ける菅政権を支援
「国民に信を問う」
国会で大見得を切った菅直人。
ところがである。
第22回参議院選挙菅直人予想通り?
、菅直人大惨敗!
敗因をあえて言う・・・・「人格欠如」だ!
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総理になり6・2クーデターで、民主党支持者を裏切った時点で判り切った事である。
消費税云々もあるが、その説明がテキトーだった。
メディアに欺されてる日々のネット情報がない国民。
国民と云うものネット情報が無くとも、案外「人がら」と云うものを見る
第22回参議院選挙菅直人首相完敗の歌(植草さん)
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-01a2.html 傑作!
朝日新聞・テレビ朝日の壮大なる陰謀。
社説・報道・ドラマ連作で誘導
(世相を斬る)http://p.tl/UqL-
「必殺仕事人」では小沢一郎見立ての「国民の為じゃ老中」
を菅直人見立ての
「真実にめざめ老中を刺し殺す旗本」
が民主党内混乱を地で行くようなシナリオになっていたのには驚く。
小沢一郎の勇気、男気、日本を思う心が、民主党を救うことになるだろう。
「最小不幸社会」という、不幸を前提にした考え、発想ではなく、
国民に明確で強い政治的意志を訴えるリーダーが今、求められている。
「小沢一郎に期待します」
という声なきこえが封鎖された言論機関の奥の言霊として聞こえてくる。
体内にメスを入れられるとどうも一時期
神に成れる。
心眼が降ってきている。
痛みが出てきた。
6日もう一度の苦痛に耐えねばならぬ。
そのまえに医師スタッフに拒否された大変。
いまだ乱暴者に
幼き頃の憧れの
眼帯、松葉杖がいただけてない。
くわばらくわばら
プチッ!
↓ ↓ ↓
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↑ ↑ ↑
真夏の夜の夢のトロイカ体制
2010年9月1日 お仕事今日の誕生日の花は・・・オシロイハナ
花言葉は・・・・・・・・内気柔和
一日花で白黄ピンクと農家はしにあった。メキシコ原産。
次々に沢山の花を付けるゆえ一日花とは思えない勘違いが起きる。注して花跡を何日ヶ後に見ると黒い実。
花後の黒いタネを割ると白い粉。
幼子はコレを化粧遊びに使う。
才女須磨 佳津江アナは(旧姓:井出、1949年5月13日 - )は江戸の人。東京女子大を経て72年NHKへ。
柳滋民と趣味の園芸を長く放送していた。
お花に関する著作もある。
なのに須磨アンカーはこの遊びをしてないという。
島津DNAゆえ女っ気は無し。
それでさえオシロイバナ遊びを知っている。
情操の豊かさは田舎の子育てがイイ。
オシロイの 花の紅白 はね違い。
9月1日は関東大震災1823年より87年。
一府6県、火災津波山津波の罹災者の方々。
ご冥福をお祈りいたします。
日本サッカー界。
再度4年後に備えて陣容を固めるためローマより助略を求めた。
アルベルト・ザッケローニ氏が8月31日赴任した
愛称と言うより自分で言う「ザック」
バランスの人らしい。
次は日本語で会見するという。
ゴッホふぁん。
サムライは知っている。
「岡田ジャパン」から「ザック・ジャパン」
いたりあ・エミリア=ロマーニャ州の県 から監督を迎え入れた。
この土地には丁度
「ルビコン河」が州内を流れアドリア海に注ぐ。
賽は投げられたのだ。
NHKテレビ8月30日(月)午後10:55~午後11:25
[名将の采配]
「カエサル~伝統打ち破る奥の手~ファルサルスの戦い」
古代ローマの共和政時代(紀元前509年~紀元前27年)
このテレビ以前の紀元前60年、ローマ。
・民衆派として民衆から絶大な支持を誇るカエサル、
・元軍団総司令官として軍事力を背景に持つポンペイウス、
・経済力を有するクラッスス
三者が手を組むことで、当時強大な政治力を持っていた元老院に対抗できる勢力を形成した。
この共和政ローマ末期に現れた政治体制を三頭政治という。
改革を進める三頭政治のカエサル、クラッスス、ポンペイウス
「元老院派」は その三頭政治を突き崩そうとする。
現在はロシアのソリからとって三頭政治をトロイカ体制という
ルビコン川(Rubicon)は、イタリア北部を流れる川で、
リゾート地として開発されているガッテーオ・ア・マーレでアドリア海に注ぐ。
全長は50キロ弱とそれほど長くはない川
共和政末期の古代ローマにおいては、本国である「イタリア」と属州ガリア・キサルピナの境界線の役割を果たしていた。
軍団を連れてこの川を越え南下することは法により禁じられており、その南下行為はすなわち共和国に対する反逆とみ
なされた。
ルビコン川の名前は、紀元前49年1月10日、
ローマ内戦においてユリウス・カエサルが
ルビコン川を渡ったことで知られる
カエサルがガリアで戦っているあいだ、ローマ元老院派はポンペイウスをたてカエサルにたちむかわせる。
紀元前48年8月9日に、グナエウス・ポンペイウスらの元老院派と
ガイウス・ユリウス・カエサル率いるカエサル派の間で行われた戦
これをファルサルスの戦いという。
カエサル派が元老院派を破った結果、カエサルはローマの覇権確立へ大きく前進した。
プルタルコス( 46年から48年頃 - 127年頃)は、帝政ローマのギリシア人著述家。
著作に英雄伝などがある。
プルタルコスは「ポンペイウスとカエサルが協力して7万の軍を率いて進軍するならば、パルティアの弓兵でもスキタイの騎兵部隊でも、インドの富を以てしても対応できなかったであろう。不敗の将軍であった両者の間にかつてあった友情も所詮は真の友情ではなかった」
と記す。
古代ローマの将軍カエサルが劣勢を覆して完全勝利を収めた大平原の戦い=ファルサルスの戦い。
騎兵戦や歩兵戦の数的不利を一気に跳ね返した「奥の手」作戦を、戦場のジオラマを使って推理する。
ポンペウス軍
騎兵22000
歩兵45000
カエサル軍
騎兵1000
歩兵7000
戦場のファルサルス平原
東西5キロ
南北7キロの平原
川、が途中にある。
軍で圧倒する有利性もあり持久戦を目指すポンペウス軍
少数派カエサルは英知を絞る。
戦力を別ける騎兵力。
ポンペウス軍の騎兵は若い貴族であると諜報戦で見抜くカエサル。
勇気が勝負を決める
奥の手は自軍騎兵の後ろにベテランを配置
戦術と奥の手のバランス
ベテランの力を上手く使ったカエサル軍が勝利した。
ポンペウス兵24000人捕虜の数から解るように
寛容さが読み取れるカエサル。
カエサルは
エジプト内乱で政治生命を落としてた。
クレオパトラと出会う。
“ローマの将軍・カエサルが最大のライバルと雌雄を決した戦い”のジオラマで、
完全勝利までのシナリオを推理し教えてくれた。。
兵力で劣るカエサルが、序盤の騎兵戦を制するため、歩兵の一部に授けた「奥の手」作戦
相手に押し込まれた歩兵戦で、戦局を一気に変えるため命じたユニークな陣形
古代ローマの基本戦術を踏まえて、サッカー解説者・松木安太郎さんと水野裕子さんが、
数的不利の危機的状況をどう打開するか知恵を絞った。
ブログにはこうある。
そして小沢一郎はルビコンを越える。賽は投げられた。
西洋人以外で初めてローマしを上辞したローマ在住の人
塩野七生「ローマ人の物語〈4〉ユリウス・カエサル ルビコン以前」より
・・・・
進もう、神々の待つところへ、われわれを侮辱した敵の待つところへ、賽は投げられた!
ルビコンの川岸に立ったカエサルは、それをすぐには渡ろうとはしなかった。
しばらくの間、無言で川岸に立ち尽くしていた。
従う第13軍団の兵士達も、無言で彼らの最高司令官を見つめる。
ようやく振り返ったカエサルは、近くに控える幕僚達に言った。
「ここを越えねば、人間社会の悲惨。越えなければ、わが破滅」
そしてすぐ、自分を見つめる兵士達に向かい、迷いを振りきるかのように大声で叫んだ。
「進もう、神々の待つところへ、われわれを侮辱した敵の待つところへ、賽は投げられた!」
9月1日民主党党首選が告示された。
民主トロイカ体制 小沢・鳩山・菅というのは 第一次三頭政治に似ている
現状は カエサルがルビコンを越えた時と 非常に似ている部分が多い。
ガリア戦役という政権交代 と 次の内乱記が始まる。
その事と21世紀のこの国の今を比較して
カエサルがルビコンを渡った紀元前49年1月12日、カエサル50歳と6ヶ月の朝 の背景
ガリア戦記の後半。
行くところ敵なしの快進撃を続けたカエサル、
それはガリア人が部族ごとにバラバラで、
組織的な反撃ができるほどにはまとまっていなかったからだった。
しかし、ガリアにもひと味違う戦術家ヴェルチンジェトリックスが現れて、
彼のもとに部族が結集し、ローマ軍への反撃を試みる。
その最後の決戦アレシアの戦い
カエサル軍5万強は 総兵力25万強を擁したヴェルチンジェトリックスのガリア連合軍との決戦に勝ち
8年にも渡るガリア戦役の最終的な勝者となった。
さて、カエサルがガリアで戦っているあいだ、
「元老院派」は カエサル、クラッスス、ポンペイウスの三頭政治を突き崩そうとする。
急激な成長をして覇権国家となり世界の首都と化したローマだったけれども
その覇権国家へと至ったが故に物流交流の盛んさを呼び
安い作物の流入が中間層を直撃し貧富の格差をも急激に拡大が拡大させていた。
富裕層でもある元老院派が政治の中枢を圧倒的に牛耳り
しかも富裕層や元老院派は ローマ強国となったが故に 覇権下にある各地で土地を持ち
そこで奴隷を働かせての大規模農園を経営させては 安い作物をイタリアへ流入させていた。
農業こそが一般市民である中間層の自作農でもあった古代にあって
この現象の意味合いは極めて大きかった
元老院派から その解決を見込むは 絶望的な状況でもあった。
そんな中に登場した 議員になった当初は単なる女ったらしにすぎないカエサルではあったが
民衆派に属するとされていて 元老院派からは 敵視される存在ではあった。
第1次三頭政治の残りの二人
クラッススは金持ちだが カネに汚く市民に人気が無かったので
市民集会の選挙の投票で決まる政治の要職に就けなかった。
ポンペイウスは極めて強力な武将だったが 政治的能力がなく
元老院派から良いように使われ続けていた。
ポンペイウスは優秀な武将ゆえに 兵達のという強力な支持基盤があり
カエサルも奇抜な醜聞で無党派層にはそれなりの人気があり
そして その年の市民集会を見事に乗り切り
第1次三頭政治の一人カエサルは1年任期の執政官(首相)に就任した。
結果として カエサル自身が反元老院派として最も敵視される存在になっていた。
そしてガリア戦役の戦勝による市民からの圧倒的人気を背景に
カエサルが再び執政官を目指すのは確実視されていた。
けれども
彼らは結局ポンペイウスを離反させることに成功し、クラッススは中東で戦死していた。
帰国しようとするカエサルに、元老院は「元老院最終勧告」という最後通牒を突きつける。
ここのところは正確には細かい説明が必要だが、
簡単に言えばガリアでの戦勝を引っさげて帰国し、翌年の執政官選挙に立候補しようとするカエサルに、
元老院は軍団を解散しろと命じたほか、
功労者に報償で報いるどころか、恩を仇で返すような陰湿な意地悪をする。
ローマの法では イタリア半島は非軍事化する事で政治的平和を作り出させる とされていて
ルビコン川が その境界線とされていた。
それ故に 執政官に立候補するにはカエサルが執政官へ立候補するには
カエサル軍団を解散させ 単身ローマへ入らなければならない
と元老院派は付きつけてきたのだ。
けれどもガリア戦役の長い激闘という戦時の中にあったカエサルゆえに
政治とカネ という観点では脛に傷を探すのは容易でも有り、
単身でローマへ飛び込んだ瞬間に
軍事力を失ったカエサルの身そのものが極めて危険になるのは明らかだった。
しかもガリア戦役が終結直後でもあり
カエサル軍団の大半は アルプスの北側のガリア(フランス)に貼りつけていて
カエサル自身はアルプスの南側のイタリア北部にて 第13軍団だけが手元に在る状況だった。
ガリア戦役におけるカエサル軍団の忠誠度や能力は文句無しではあったが
とはいえ第13軍団は子飼い中の子飼いと呼ばれた第10軍団と比べれば やはり・・という面は否めなかった。
しかもカエサルは戦死者などが出ても あまり補充をしないので
第13軍団と周辺の者達を加えれば 総数は たった5000前後であった。
カエサルは決断を迫られた。
ローマの法では属州の総督が軍を率いてルビコン川を越えれば、それは国に対する反乱となってしまう。
カエサルに率いられた兵士たちは、彼ら自身も反乱軍の兵士となってしまうのだ。
法治国家ローマの市民である彼らは、カエサルに従うだろうか。
常勝将軍であり最高司令官であるカエサルに対する信頼は厚く、結束力は堅かった。
彼らは「この内線が終われば、カエサルは名誉を回復し、われわれは自由を回復する」と考えた。
自由の回復とは、兵士一人一人がカエサルに与えた誓約からの解放であり、
実際上は軍務からの退役を意味していた。離反者は一人しか出なかった。
手元の兵員数は僅か5000前後しかいない北イタリアに居るカエサルがルビコンを越える
とは元老院派は誰一人として思っていなかった。
しかもカエサルが若き頃のローマでは こういう事件があった。
強力な武将で在り優秀な政治家でもあるスッラという男が
政治改革を断行すべしを強行するべく 自分の軍団を持ってローマへ襲いかかり 反乱を勝ち切り
言う事の聞かない元老院や周辺の者達を容赦なく粛清しては殺しまくったのだ。
スッラは「元老院派の強化」を計ろうとしていた為 粛清の対象は「民衆派」が圧倒的に多くなり
カエサル自身も その標的であったが 若過ぎたが故に見逃されたのだ。
カエサルは 若き日の その陰惨なローマの光景を見ている、
そして その政治的行動などを見ても 残忍さは無い、
つまり スッラと同じ事をして ローマを再び血の惨劇で染める事は無い
と元老院派は踏んでいた。
そして、帰国しようとするカエサルに、元老院は「元老院最終勧告」という最後通牒を突きつける。
ルビコンの北側とローマの間で 妥協策の交渉が続いていた。
ルビコンの北側でのカエサルの立候補という特例を求めるカエサル 元老院の討議は当然に否決。
様々な妥協案がカエサルから提示されるも 元老院は悉くに否決。
そのカエサルの姿勢から カエサルのルビコン越えなどあり得ないと踏んだ元老院派は
「元老院最終勧告」という伝家の宝刀を可決した。
「元老院最終勧告」とは その対象にすべきと元老院が可決すれば 裁判なしの死刑 とできるのだ。
カエサルは 元老院議員になった直後の頃に
「カティリーナの陰謀」という国家転覆劇 において「元老院最終勧告」の討議が行われている時に
「裁判なしの死刑」という権限を元老院が持つのはオカシイ と明確な反論をしている。
その元老院派からの「元老院最終勧告」の「裁判なしの死刑」が
反論を述べたカエサル本人へと突きつけられたのだ。
その採決直前に 情報を掴んでいたカエサルは
もはや可決は間違いなしだろう コレを突きつけられて丸腰で生き延びられる者はいない。
さりとて こういう言葉をも残しているカエサルだ。
わたしが自由にした人々が再びわたしに剣を向けることになろうとも、そのようなことには心をわずらわせたくない。 -
Google 検索
「わたしが自由にした人々が再びわたしに剣を向けることになろうとも、
そのようなことには心をわずらわせたくない。
何ものにもまして私が自分自身に課しているのは、自らの考えに忠実に生きることである。
だから、他の人々もそうであって当然と考えている」
カエサルがキケロへ出した手紙の中で。
カエサルには 目指すべき政治があった。それは明確に有った。
ルビコンを前にして カエサルは逡巡した、そして時間は もはや無かった。
ルビコンの川岸に立ったカエサルは、それをすぐには渡ろうとはしなかった。
しばらくの間、無言で川岸に立ち尽くしていた。
従う第13軍団の兵士達も、無言で彼らの最高司令官を見つめる。
ようやく振り返ったカエサルは、近くに控える幕僚達に言った。
「ここを越えねば、人間社会の悲惨。越えなければ、わが破滅」
そしてすぐ、自分を見つめる兵士達に向かい、迷いを振りきるかのように大声で叫んだ。
「進もう、神々の待つところへ、われわれを侮辱した敵の待つところへ、賽は投げられた!」
(第13軍団の) 兵士たちも、いっせいの雄叫びで応じた。
そして、先頭の馬を駆るカエサルにつづいて、一団となってルビコンを渡った。
紀元前49年1月12日、カエサル、50歳と6ヶ月の朝であった。
小沢一郎出馬!! 賽は投げられた。
後は徹底的に戦うだけだ。
小沢一郎の今回の出馬は決して状況としては芳しくはない。
にも拘わらず敢えて出馬する決意をしたのは、
政権交代の意義を改めて問い直し、初心に返って改めて改革を成し遂げるためである。
その為にはもう人には任せておけないと判断したからに相違ない。
情勢は厳しく、どうなるか予断は許せない
、賽は投げられたのだ。
、後は徹底的に戦う他ない。
何れにしても小沢一郎は本気だろう。
生半可なことで終わることはないだろう。
<三頭政治トロイカ体制政治が出現した世界の歴史>
①フランス革命末期、1799年11月9日のブリュメールのクーデターの後、
・ナポレオン
・エマニュエル=ジョゼフ・シエイエス
によって設立された執政政府(統領政府、Le Consulat, 1799年 - 1804年)において
同格の3人のコンスルが置かれた。
この体制でもやがてナポレオンが3人の中の最強の者となり、独裁体制を確立していった。
②桂園時代(けいえん)とは、
陸軍・山県閥に属する桂太郎
伊藤博文の後継者として立憲政友会第2代総裁に就いた西園寺公望
政権を交互に担当した1903年(明治36年)から1913年(大正2年)の10年間をいう。
「桂園」とは、両者の名前から「桂」と「園」の字をとったもの。
桂園時代においては、桂を首相候補とする官僚・軍部と西園寺を党首とする立憲政友会が交互に首相を出し、
内閣を組織した。
一種の二大勢力間の内閣輪番制の時代である。
この間、松方正義や山本権兵衛、平田東助などを首相に擁する動きはあったものの、
両者以上の政権基盤を持たず、あるいはそれぞれの勢力内で桂や西園寺に取って代わる基盤を持たずに、いずれも断念に
追い込まれている。
特に政治的に安定した時期とされ、期間中に行われた第10回衆議院議員総選挙、第11回衆議院議員総選挙は、
いずれも任期満了に伴うものであった。
2回連続で任期満了・総選挙が行われたのは、日本憲政史上においてこの時代だけ。
自民党主流から立ち位置を勇気を持って変えた。
民族派リベラル政治家
評しようのない幅広き政治家。
悲しきは哀しきは・・
情けなきは・・・
元左翼陣営
国民目線を失った
米国にころんだ社会党右派の情けなさ。
対米従属の左翼陣営の裏切りユダ政権菅直人政権。
リーマンの回し者の売国奴巨姦・仙石由人幹事長。
何が元社会党員なもんか。
左翼対米従属売国奴ッ!
菅直人政権の基本政策は、
①対米隷属
②官僚利権温存
③市場原理主義
④財政再建原理主義
⑤景気よりも財政
である。
これに対して、小沢一郎前幹事長は
、
①対等な日米同盟
②官僚利権根絶
③共生重視主義
④財政の無駄排除の徹底
⑤国民の生活が第一
を基軸にしている。
ゆえにアメリカ支配にあるこの国ゆえ
小沢一郎には旧支配政治勢力から総攻撃を賭けられている。
自民党、野党総て・・
民主党内の元自由党以外の全てとの闘い。
圧倒多数を敵に回しての闘いである。
苦境に負けるな小沢一郎ッ!
宗主国へ物言える国作り。
65年間モノ植民地国
国富が貢がれていく
そろそろアメリカから解放すべき時期にある。
唯一立ち向かう政治家小沢一郎に国家を託したい。
この国の夢を賭けたい。
ズーット小沢一郎的自民党政治と身体の時間の総てを賭けたたかって
身もボロボロ。
ナンカ生きてきた実績からおかしいんだが
国家の未来を小沢一郎に託したい。
60年を耐えた爺目の身体
ついにその一部を捨て去り人工物に変えて
命を長らえるに賭ける第一次手術の日。
酷使しすぎ乱暴だったゆえ自業自得。
医者知らずゆえ恐怖でおののいている。
難所清水さった峠超えの心境
酒の肴は マグロと塩辛
これがホントのとろいか体制
親から頂きし五体満足の最後の書き残し事。
大逆事件の項を定稿したがアップまでに時間がない。
8時には執刀台に雁字搦め。
手術成功、回復平癒・・
祈念しての(おねだり)
クリック どうぞよろしく おねがい致します。
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花言葉は・・・・・・・・内気柔和
一日花で白黄ピンクと農家はしにあった。メキシコ原産。
次々に沢山の花を付けるゆえ一日花とは思えない勘違いが起きる。注して花跡を何日ヶ後に見ると黒い実。
花後の黒いタネを割ると白い粉。
幼子はコレを化粧遊びに使う。
才女須磨 佳津江アナは(旧姓:井出、1949年5月13日 - )は江戸の人。東京女子大を経て72年NHKへ。
柳滋民と趣味の園芸を長く放送していた。
お花に関する著作もある。
なのに須磨アンカーはこの遊びをしてないという。
島津DNAゆえ女っ気は無し。
それでさえオシロイバナ遊びを知っている。
情操の豊かさは田舎の子育てがイイ。
オシロイの 花の紅白 はね違い。
9月1日は関東大震災1823年より87年。
一府6県、火災津波山津波の罹災者の方々。
ご冥福をお祈りいたします。
日本サッカー界。
再度4年後に備えて陣容を固めるためローマより助略を求めた。
アルベルト・ザッケローニ氏が8月31日赴任した
愛称と言うより自分で言う「ザック」
バランスの人らしい。
次は日本語で会見するという。
ゴッホふぁん。
サムライは知っている。
「岡田ジャパン」から「ザック・ジャパン」
いたりあ・エミリア=ロマーニャ州の県 から監督を迎え入れた。
この土地には丁度
「ルビコン河」が州内を流れアドリア海に注ぐ。
賽は投げられたのだ。
NHKテレビ8月30日(月)午後10:55~午後11:25
[名将の采配]
「カエサル~伝統打ち破る奥の手~ファルサルスの戦い」
古代ローマの共和政時代(紀元前509年~紀元前27年)
このテレビ以前の紀元前60年、ローマ。
・民衆派として民衆から絶大な支持を誇るカエサル、
・元軍団総司令官として軍事力を背景に持つポンペイウス、
・経済力を有するクラッスス
三者が手を組むことで、当時強大な政治力を持っていた元老院に対抗できる勢力を形成した。
この共和政ローマ末期に現れた政治体制を三頭政治という。
改革を進める三頭政治のカエサル、クラッスス、ポンペイウス
「元老院派」は その三頭政治を突き崩そうとする。
現在はロシアのソリからとって三頭政治をトロイカ体制という
ルビコン川(Rubicon)は、イタリア北部を流れる川で、
リゾート地として開発されているガッテーオ・ア・マーレでアドリア海に注ぐ。
全長は50キロ弱とそれほど長くはない川
共和政末期の古代ローマにおいては、本国である「イタリア」と属州ガリア・キサルピナの境界線の役割を果たしていた。
軍団を連れてこの川を越え南下することは法により禁じられており、その南下行為はすなわち共和国に対する反逆とみ
なされた。
ルビコン川の名前は、紀元前49年1月10日、
ローマ内戦においてユリウス・カエサルが
ルビコン川を渡ったことで知られる
カエサルがガリアで戦っているあいだ、ローマ元老院派はポンペイウスをたてカエサルにたちむかわせる。
紀元前48年8月9日に、グナエウス・ポンペイウスらの元老院派と
ガイウス・ユリウス・カエサル率いるカエサル派の間で行われた戦
これをファルサルスの戦いという。
カエサル派が元老院派を破った結果、カエサルはローマの覇権確立へ大きく前進した。
プルタルコス( 46年から48年頃 - 127年頃)は、帝政ローマのギリシア人著述家。
著作に英雄伝などがある。
プルタルコスは「ポンペイウスとカエサルが協力して7万の軍を率いて進軍するならば、パルティアの弓兵でもスキタイの騎兵部隊でも、インドの富を以てしても対応できなかったであろう。不敗の将軍であった両者の間にかつてあった友情も所詮は真の友情ではなかった」
と記す。
古代ローマの将軍カエサルが劣勢を覆して完全勝利を収めた大平原の戦い=ファルサルスの戦い。
騎兵戦や歩兵戦の数的不利を一気に跳ね返した「奥の手」作戦を、戦場のジオラマを使って推理する。
ポンペウス軍
騎兵22000
歩兵45000
カエサル軍
騎兵1000
歩兵7000
戦場のファルサルス平原
東西5キロ
南北7キロの平原
川、が途中にある。
軍で圧倒する有利性もあり持久戦を目指すポンペウス軍
少数派カエサルは英知を絞る。
戦力を別ける騎兵力。
ポンペウス軍の騎兵は若い貴族であると諜報戦で見抜くカエサル。
勇気が勝負を決める
奥の手は自軍騎兵の後ろにベテランを配置
戦術と奥の手のバランス
ベテランの力を上手く使ったカエサル軍が勝利した。
ポンペウス兵24000人捕虜の数から解るように
寛容さが読み取れるカエサル。
カエサルは
エジプト内乱で政治生命を落としてた。
クレオパトラと出会う。
“ローマの将軍・カエサルが最大のライバルと雌雄を決した戦い”のジオラマで、
完全勝利までのシナリオを推理し教えてくれた。。
兵力で劣るカエサルが、序盤の騎兵戦を制するため、歩兵の一部に授けた「奥の手」作戦
相手に押し込まれた歩兵戦で、戦局を一気に変えるため命じたユニークな陣形
古代ローマの基本戦術を踏まえて、サッカー解説者・松木安太郎さんと水野裕子さんが、
数的不利の危機的状況をどう打開するか知恵を絞った。
ブログにはこうある。
そして小沢一郎はルビコンを越える。賽は投げられた。
西洋人以外で初めてローマしを上辞したローマ在住の人
塩野七生「ローマ人の物語〈4〉ユリウス・カエサル ルビコン以前」より
・・・・
進もう、神々の待つところへ、われわれを侮辱した敵の待つところへ、賽は投げられた!
ルビコンの川岸に立ったカエサルは、それをすぐには渡ろうとはしなかった。
しばらくの間、無言で川岸に立ち尽くしていた。
従う第13軍団の兵士達も、無言で彼らの最高司令官を見つめる。
ようやく振り返ったカエサルは、近くに控える幕僚達に言った。
「ここを越えねば、人間社会の悲惨。越えなければ、わが破滅」
そしてすぐ、自分を見つめる兵士達に向かい、迷いを振りきるかのように大声で叫んだ。
「進もう、神々の待つところへ、われわれを侮辱した敵の待つところへ、賽は投げられた!」
9月1日民主党党首選が告示された。
民主トロイカ体制 小沢・鳩山・菅というのは 第一次三頭政治に似ている
現状は カエサルがルビコンを越えた時と 非常に似ている部分が多い。
ガリア戦役という政権交代 と 次の内乱記が始まる。
その事と21世紀のこの国の今を比較して
カエサルがルビコンを渡った紀元前49年1月12日、カエサル50歳と6ヶ月の朝 の背景
ガリア戦記の後半。
行くところ敵なしの快進撃を続けたカエサル、
それはガリア人が部族ごとにバラバラで、
組織的な反撃ができるほどにはまとまっていなかったからだった。
しかし、ガリアにもひと味違う戦術家ヴェルチンジェトリックスが現れて、
彼のもとに部族が結集し、ローマ軍への反撃を試みる。
その最後の決戦アレシアの戦い
カエサル軍5万強は 総兵力25万強を擁したヴェルチンジェトリックスのガリア連合軍との決戦に勝ち
8年にも渡るガリア戦役の最終的な勝者となった。
さて、カエサルがガリアで戦っているあいだ、
「元老院派」は カエサル、クラッスス、ポンペイウスの三頭政治を突き崩そうとする。
急激な成長をして覇権国家となり世界の首都と化したローマだったけれども
その覇権国家へと至ったが故に物流交流の盛んさを呼び
安い作物の流入が中間層を直撃し貧富の格差をも急激に拡大が拡大させていた。
富裕層でもある元老院派が政治の中枢を圧倒的に牛耳り
しかも富裕層や元老院派は ローマ強国となったが故に 覇権下にある各地で土地を持ち
そこで奴隷を働かせての大規模農園を経営させては 安い作物をイタリアへ流入させていた。
農業こそが一般市民である中間層の自作農でもあった古代にあって
この現象の意味合いは極めて大きかった
元老院派から その解決を見込むは 絶望的な状況でもあった。
そんな中に登場した 議員になった当初は単なる女ったらしにすぎないカエサルではあったが
民衆派に属するとされていて 元老院派からは 敵視される存在ではあった。
第1次三頭政治の残りの二人
クラッススは金持ちだが カネに汚く市民に人気が無かったので
市民集会の選挙の投票で決まる政治の要職に就けなかった。
ポンペイウスは極めて強力な武将だったが 政治的能力がなく
元老院派から良いように使われ続けていた。
ポンペイウスは優秀な武将ゆえに 兵達のという強力な支持基盤があり
カエサルも奇抜な醜聞で無党派層にはそれなりの人気があり
そして その年の市民集会を見事に乗り切り
第1次三頭政治の一人カエサルは1年任期の執政官(首相)に就任した。
結果として カエサル自身が反元老院派として最も敵視される存在になっていた。
そしてガリア戦役の戦勝による市民からの圧倒的人気を背景に
カエサルが再び執政官を目指すのは確実視されていた。
けれども
彼らは結局ポンペイウスを離反させることに成功し、クラッススは中東で戦死していた。
帰国しようとするカエサルに、元老院は「元老院最終勧告」という最後通牒を突きつける。
ここのところは正確には細かい説明が必要だが、
簡単に言えばガリアでの戦勝を引っさげて帰国し、翌年の執政官選挙に立候補しようとするカエサルに、
元老院は軍団を解散しろと命じたほか、
功労者に報償で報いるどころか、恩を仇で返すような陰湿な意地悪をする。
ローマの法では イタリア半島は非軍事化する事で政治的平和を作り出させる とされていて
ルビコン川が その境界線とされていた。
それ故に 執政官に立候補するにはカエサルが執政官へ立候補するには
カエサル軍団を解散させ 単身ローマへ入らなければならない
と元老院派は付きつけてきたのだ。
けれどもガリア戦役の長い激闘という戦時の中にあったカエサルゆえに
政治とカネ という観点では脛に傷を探すのは容易でも有り、
単身でローマへ飛び込んだ瞬間に
軍事力を失ったカエサルの身そのものが極めて危険になるのは明らかだった。
しかもガリア戦役が終結直後でもあり
カエサル軍団の大半は アルプスの北側のガリア(フランス)に貼りつけていて
カエサル自身はアルプスの南側のイタリア北部にて 第13軍団だけが手元に在る状況だった。
ガリア戦役におけるカエサル軍団の忠誠度や能力は文句無しではあったが
とはいえ第13軍団は子飼い中の子飼いと呼ばれた第10軍団と比べれば やはり・・という面は否めなかった。
しかもカエサルは戦死者などが出ても あまり補充をしないので
第13軍団と周辺の者達を加えれば 総数は たった5000前後であった。
カエサルは決断を迫られた。
ローマの法では属州の総督が軍を率いてルビコン川を越えれば、それは国に対する反乱となってしまう。
カエサルに率いられた兵士たちは、彼ら自身も反乱軍の兵士となってしまうのだ。
法治国家ローマの市民である彼らは、カエサルに従うだろうか。
常勝将軍であり最高司令官であるカエサルに対する信頼は厚く、結束力は堅かった。
彼らは「この内線が終われば、カエサルは名誉を回復し、われわれは自由を回復する」と考えた。
自由の回復とは、兵士一人一人がカエサルに与えた誓約からの解放であり、
実際上は軍務からの退役を意味していた。離反者は一人しか出なかった。
手元の兵員数は僅か5000前後しかいない北イタリアに居るカエサルがルビコンを越える
とは元老院派は誰一人として思っていなかった。
しかもカエサルが若き頃のローマでは こういう事件があった。
強力な武将で在り優秀な政治家でもあるスッラという男が
政治改革を断行すべしを強行するべく 自分の軍団を持ってローマへ襲いかかり 反乱を勝ち切り
言う事の聞かない元老院や周辺の者達を容赦なく粛清しては殺しまくったのだ。
スッラは「元老院派の強化」を計ろうとしていた為 粛清の対象は「民衆派」が圧倒的に多くなり
カエサル自身も その標的であったが 若過ぎたが故に見逃されたのだ。
カエサルは 若き日の その陰惨なローマの光景を見ている、
そして その政治的行動などを見ても 残忍さは無い、
つまり スッラと同じ事をして ローマを再び血の惨劇で染める事は無い
と元老院派は踏んでいた。
そして、帰国しようとするカエサルに、元老院は「元老院最終勧告」という最後通牒を突きつける。
ルビコンの北側とローマの間で 妥協策の交渉が続いていた。
ルビコンの北側でのカエサルの立候補という特例を求めるカエサル 元老院の討議は当然に否決。
様々な妥協案がカエサルから提示されるも 元老院は悉くに否決。
そのカエサルの姿勢から カエサルのルビコン越えなどあり得ないと踏んだ元老院派は
「元老院最終勧告」という伝家の宝刀を可決した。
「元老院最終勧告」とは その対象にすべきと元老院が可決すれば 裁判なしの死刑 とできるのだ。
カエサルは 元老院議員になった直後の頃に
「カティリーナの陰謀」という国家転覆劇 において「元老院最終勧告」の討議が行われている時に
「裁判なしの死刑」という権限を元老院が持つのはオカシイ と明確な反論をしている。
その元老院派からの「元老院最終勧告」の「裁判なしの死刑」が
反論を述べたカエサル本人へと突きつけられたのだ。
その採決直前に 情報を掴んでいたカエサルは
もはや可決は間違いなしだろう コレを突きつけられて丸腰で生き延びられる者はいない。
さりとて こういう言葉をも残しているカエサルだ。
わたしが自由にした人々が再びわたしに剣を向けることになろうとも、そのようなことには心をわずらわせたくない。 -
Google 検索
「わたしが自由にした人々が再びわたしに剣を向けることになろうとも、
そのようなことには心をわずらわせたくない。
何ものにもまして私が自分自身に課しているのは、自らの考えに忠実に生きることである。
だから、他の人々もそうであって当然と考えている」
カエサルがキケロへ出した手紙の中で。
カエサルには 目指すべき政治があった。それは明確に有った。
ルビコンを前にして カエサルは逡巡した、そして時間は もはや無かった。
ルビコンの川岸に立ったカエサルは、それをすぐには渡ろうとはしなかった。
しばらくの間、無言で川岸に立ち尽くしていた。
従う第13軍団の兵士達も、無言で彼らの最高司令官を見つめる。
ようやく振り返ったカエサルは、近くに控える幕僚達に言った。
「ここを越えねば、人間社会の悲惨。越えなければ、わが破滅」
そしてすぐ、自分を見つめる兵士達に向かい、迷いを振りきるかのように大声で叫んだ。
「進もう、神々の待つところへ、われわれを侮辱した敵の待つところへ、賽は投げられた!」
(第13軍団の) 兵士たちも、いっせいの雄叫びで応じた。
そして、先頭の馬を駆るカエサルにつづいて、一団となってルビコンを渡った。
紀元前49年1月12日、カエサル、50歳と6ヶ月の朝であった。
小沢一郎出馬!! 賽は投げられた。
後は徹底的に戦うだけだ。
小沢一郎の今回の出馬は決して状況としては芳しくはない。
にも拘わらず敢えて出馬する決意をしたのは、
政権交代の意義を改めて問い直し、初心に返って改めて改革を成し遂げるためである。
その為にはもう人には任せておけないと判断したからに相違ない。
情勢は厳しく、どうなるか予断は許せない
、賽は投げられたのだ。
、後は徹底的に戦う他ない。
何れにしても小沢一郎は本気だろう。
生半可なことで終わることはないだろう。
<三頭政治トロイカ体制政治が出現した世界の歴史>
①フランス革命末期、1799年11月9日のブリュメールのクーデターの後、
・ナポレオン
・エマニュエル=ジョゼフ・シエイエス
によって設立された執政政府(統領政府、Le Consulat, 1799年 - 1804年)において
同格の3人のコンスルが置かれた。
この体制でもやがてナポレオンが3人の中の最強の者となり、独裁体制を確立していった。
②桂園時代(けいえん)とは、
陸軍・山県閥に属する桂太郎
伊藤博文の後継者として立憲政友会第2代総裁に就いた西園寺公望
政権を交互に担当した1903年(明治36年)から1913年(大正2年)の10年間をいう。
「桂園」とは、両者の名前から「桂」と「園」の字をとったもの。
桂園時代においては、桂を首相候補とする官僚・軍部と西園寺を党首とする立憲政友会が交互に首相を出し、
内閣を組織した。
一種の二大勢力間の内閣輪番制の時代である。
この間、松方正義や山本権兵衛、平田東助などを首相に擁する動きはあったものの、
両者以上の政権基盤を持たず、あるいはそれぞれの勢力内で桂や西園寺に取って代わる基盤を持たずに、いずれも断念に
追い込まれている。
特に政治的に安定した時期とされ、期間中に行われた第10回衆議院議員総選挙、第11回衆議院議員総選挙は、
いずれも任期満了に伴うものであった。
2回連続で任期満了・総選挙が行われたのは、日本憲政史上においてこの時代だけ。
自民党主流から立ち位置を勇気を持って変えた。
民族派リベラル政治家
評しようのない幅広き政治家。
悲しきは哀しきは・・
情けなきは・・・
元左翼陣営
国民目線を失った
米国にころんだ社会党右派の情けなさ。
対米従属の左翼陣営の裏切りユダ政権菅直人政権。
リーマンの回し者の売国奴巨姦・仙石由人幹事長。
何が元社会党員なもんか。
左翼対米従属売国奴ッ!
菅直人政権の基本政策は、
①対米隷属
②官僚利権温存
③市場原理主義
④財政再建原理主義
⑤景気よりも財政
である。
これに対して、小沢一郎前幹事長は
、
①対等な日米同盟
②官僚利権根絶
③共生重視主義
④財政の無駄排除の徹底
⑤国民の生活が第一
を基軸にしている。
ゆえにアメリカ支配にあるこの国ゆえ
小沢一郎には旧支配政治勢力から総攻撃を賭けられている。
自民党、野党総て・・
民主党内の元自由党以外の全てとの闘い。
圧倒多数を敵に回しての闘いである。
苦境に負けるな小沢一郎ッ!
宗主国へ物言える国作り。
65年間モノ植民地国
国富が貢がれていく
そろそろアメリカから解放すべき時期にある。
唯一立ち向かう政治家小沢一郎に国家を託したい。
この国の夢を賭けたい。
ズーット小沢一郎的自民党政治と身体の時間の総てを賭けたたかって
身もボロボロ。
ナンカ生きてきた実績からおかしいんだが
国家の未来を小沢一郎に託したい。
60年を耐えた爺目の身体
ついにその一部を捨て去り人工物に変えて
命を長らえるに賭ける第一次手術の日。
酷使しすぎ乱暴だったゆえ自業自得。
医者知らずゆえ恐怖でおののいている。
難所清水さった峠超えの心境
酒の肴は マグロと塩辛
これがホントのとろいか体制
親から頂きし五体満足の最後の書き残し事。
大逆事件の項を定稿したがアップまでに時間がない。
8時には執刀台に雁字搦め。
手術成功、回復平癒・・
祈念しての(おねだり)
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【速報】小沢一郎氏と菅直人首相の会談は「中止」となった!
☆首相と会う予定はない=民主・小沢氏 (時事通信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100831-00000090-jij-pol
民主党の小沢一郎前幹事長は31日午後、鳩山由紀夫前首相、輿石東参院議員会長との会談後、記者団の「首相と会う予定はあるか」との質問に対し、「ありません」と答えた。
小沢鳩山輿石は、挙党一致の声に従って、菅サイドに譲歩を求めたが菅は人事でこれを突っぱねたため
つまり菅は挙党一致するつもりはないってことがはっきりしたんで、
民主党の国会議員はどうどうと小沢支持を打ち出せるというわけ
民主党政権は
菅直人が主権者国民政権を対米隷属政権に変質させてしまった
憂国の小沢陣営の戦線に妥協はない。
菅政策 ①対米隷属 ②官僚利権擁護
③市場原理主義・財政債権原理主義
小沢政策①対等な日米同盟 ②官僚利権根絶
③共生主義・国民生活が第一
聞こえてくる声
前原<人事に妥協はない
小沢支持でまとめるための工作活動>鳩山輿石
8月で一番長い日
1日告示に向け暗闘は続いている。
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http://blog.with2.net/link.php?62076
↑ ↑
菅事務所に前原、岡田、蓮舫ら主戦論者たちが続々集結中。会うべきか、会わざるべきか、戦うべきか戦わざるべきか。その間も日経平均は年初来安値の325円安、円は84円台前半へ。
菅首相、小沢前幹事長と会談へ http://www.nikkei.com/news/latest/article/g=96958A9C9C8197E09B9791E2E18DE1E3E2EAE0E2E3E2E2E2E2E2E2E2
19分前 Perl Net::Twitterから
bilderberg
54と2人がリツイート
アメリカ重視の菅、ロシア重視の鳩山が対談し、中国重視の小沢を挙党トロイカに持ち込もうと調停?
昔大宅荘一という評論家がオーナー派閥藤山愛一郎を評して「絹のハンカチを雑巾として使うな」と言った。
小沢一郎という日本にとっての最後の砦、最終兵器を軽々しく、自分たちの保身や影響力保持のために使うべきではない民主党の騒動のために小沢を使うな。
代表選挙があれば民主党が目指してきた原点を確認できる。ただこの数日、菅総理の気持ちが代表選挙回避に向かっているように見える。
その中での今日、告示日の前日。
菅総理と小沢代議士の会談はあるのか。
17時半からは小沢一郎前幹事長の記者会見
@党本部が予定されているそうだ。
追記
昨夜30日の菅直人と鳩山由紀夫のツーショット記者会見は何だったのだろう。
小沢一郎を交えた「トロイカ態勢の原点に立ち戻る」との方針で一致。
菅直人総理が政権発足時から掲げてきた「脱小沢」路線を撤回する方針を示した
鳩山由起夫前総理を中心に小沢一郎前幹事長の出馬取りやめで調整が進んでいた。
いうまでもなく歓迎すべき展開てある
一夜明けた31日には、前原や岡田等の説得によって戦う姿勢に転じたようで、コロコロ変わり
、例によって例の如く、いつものようにいとも簡単に心変わり。
小沢・菅会談もあえなく物別れ、
メディアはそこのところは報じない。
日本国家の指導者として期待する「80%の菅直人支持の日本国民」らしい。
爺目残念ながらメデイアの靡かせる方向になく異常人のようで20%の方に分類される。
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小沢鳩山輿石は、挙党一致の声に従って、菅サイドに譲歩を求めたが菅は人事でこれを突っぱねたため
つまり菅は挙党一致するつもりはないってことがはっきりしたんで、
民主党の国会議員はどうどうと小沢支持を打ち出せるというわけ
民主党政権は
菅直人が主権者国民政権を対米隷属政権に変質させてしまった
憂国の小沢陣営の戦線に妥協はない。
菅政策 ①対米隷属 ②官僚利権擁護
③市場原理主義・財政債権原理主義
小沢政策①対等な日米同盟 ②官僚利権根絶
③共生主義・国民生活が第一
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前原<人事に妥協はない
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アメリカ重視の菅、ロシア重視の鳩山が対談し、中国重視の小沢を挙党トロイカに持ち込もうと調停?
昔大宅荘一という評論家がオーナー派閥藤山愛一郎を評して「絹のハンカチを雑巾として使うな」と言った。
小沢一郎という日本にとっての最後の砦、最終兵器を軽々しく、自分たちの保身や影響力保持のために使うべきではない民主党の騒動のために小沢を使うな。
代表選挙があれば民主党が目指してきた原点を確認できる。ただこの数日、菅総理の気持ちが代表選挙回避に向かっているように見える。
その中での今日、告示日の前日。
菅総理と小沢代議士の会談はあるのか。
17時半からは小沢一郎前幹事長の記者会見
@党本部が予定されているそうだ。
追記
昨夜30日の菅直人と鳩山由紀夫のツーショット記者会見は何だったのだろう。
小沢一郎を交えた「トロイカ態勢の原点に立ち戻る」との方針で一致。
菅直人総理が政権発足時から掲げてきた「脱小沢」路線を撤回する方針を示した
鳩山由起夫前総理を中心に小沢一郎前幹事長の出馬取りやめで調整が進んでいた。
いうまでもなく歓迎すべき展開てある
一夜明けた31日には、前原や岡田等の説得によって戦う姿勢に転じたようで、コロコロ変わり
、例によって例の如く、いつものようにいとも簡単に心変わり。
小沢・菅会談もあえなく物別れ、
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今日の誕生日の花は・・・ホウセンカ
花言葉は・・・・・・快活
インドからアジアに伝わる花。
平安時代にいってきた。
農家の庭はしには雑草的に炎天下にあった花で
「トビシャコ」と呼んでいた。
赤いものは昔から女の子が爪を染めるのに使ったため、ツマクレナイ、ツマベニ(爪紅)の名。
韓国では、爪にホウセンカの汁を塗り、初雪まで色が残っていたら恋が実ると言う伝承があるらしい。
触れるとはじける果実は非常に目を引く特徴である。
歌謡曲にもあるが、いずれも種を飛ばすことに絡めてある。
・鳳仙花:島倉千代子(作詞 吉岡治 作曲 市川昭介 昭和56年)
・ほうせんか:中島みゆき(作詞作曲 中島みゆき)
・赤い鳳仙花:加藤登紀子(韓国民謡)
・鳳仙花:洪蘭坡
小説
・鳳仙花:中上健次
漫画
・ほうせんか・ぱん:大島弓子
ちちときて おとなしきこや ほうせんか
30日菅直人総理と鳩山前総理の会談は決着した。
31日の菅直人総理と小沢一郎前幹事長会談が設定されよう。
菅直人
VS
小沢一郎
激突は政治の世界で言うなら回避された。
無投票再選ッ!
・・・
そうではない。
???
菅直人か小沢一郎のいずれかが
代表選の立候補を取り下げる可能性がある。
無投票当選ッ!
・・・・
そうではない。
????
菅陣営で「脱小沢」を目指すグループは、菅総理が小沢一郎元幹事長と再び協力関係を結ぶことに激しく抵抗している。仮に菅総理が「脱小沢」の看板を取り下げた場合、無投票当選に抵抗するために仙谷官房長官をはじめ、
小沢一郎元幹事長と対立している民主党議員を独自の候補者として擁立する
その可能性も指摘されている。
まさに「一寸先は闇」が永田町と言うところ。
船橋洋一の朝日新聞に仙谷幹事長関連の320万円事務所費のゴシップが掲載された朝日新聞が報じたのは、仙谷が長男(36)の経営する不動産会社に、3つの政治団体から320万円を支払っていたというもの。この長男は東京・新橋のビルで司法書士事務所をやっている
その事務所(約100平方メートル)の中に、くだんの不動産会社に加え、仙谷の弁護士事務所、仙谷の3つの政治団体も“同居”している。
しかし、政治団体の専用スペースも電話もない。
それなのに「人件費」や「事務所費」名目で320万円を支出したのは、「長男側の経費を政治資金で補填した疑いがある」というわけだ。
朝日の記事は触れていないが、この長男の新橋の事務所には、前原グループ(凌雲会)の事務所も置かれている。
代表者が仙谷、会計責任者が枝野幹事長。
「この前原グループの事務所費をめぐっても奇怪な話があるのです。主たる事務所にしているのに、年間5610円しか支払っていない、おかしいと週刊誌などで騒がれたものです」
アメリカから仙谷に対する排除指令がでたのか
邪推出来るのは仙谷とシティの関係を平野貞夫と板垣英憲が暴露しているっこと。
ブログで教えて貰う。
こうアル。
仙石由人官房長官の親子の政治団体の事務所費スキャンダルは、極めて奥が深い。
というのは、東京・西新宿にあるこの政治団体の事務所が、ほとんど実務実績が感じられない幽霊事務所であることに由来している。早い話が狸御殿。
加えて、次の言葉から、事件の本質を連想されたい。
「総会屋・暴力団→都心の大企業→利益供与→著名政治家の政治団体→マネーロンダリング→企業舎弟→政治献金→還付金」
相撲協会の大騒動何処ではない。
仙石官房長官のこの事件は、まだ緒に就いたばかり。
暴力団や総会屋の面々が登場してこよう。
かつて、何人かの大物政治家が暴力団幹部らと一緒に写っている写真も存在するらしい。、
民主党のみならず、自民党大物議員の名前が報道されるようになるのは間違いない。
『週刊文春』6月24日号
「首相が頼りきる『赤い小沢一郎』大研究 仙谷官房長官と『大物総会屋』絡み合いすぎる関係」。
「大物総会屋」とは小川薫氏。
「絡み合いすぎる」というのは仙谷氏と小川氏が一緒にヨーロッパ旅行に行ったことをさすらしい。
費用はすべて小川氏もち。
しかも、広島に本拠を置く暴力団・共政会と浅野組の幹部も一緒だった〉
小川氏は自著『実録総会屋』で〈仙谷先生とは旅程の間、ずっと同室だった〉と告白しているという。
が、小川氏は既に故人、旅行に行ったのも昭和51年というから30年以上前のこと。時効では?≫
まあ、30年の前の話だというが、小川薫といえば、「最後の総会屋」といわれ、
30年前ならまだ現役でバリバリやっていたころだろう。
小川薫氏の晩年は、恐喝で逮捕され、昨年、刑務所内で肺炎で亡くなっている。
まあ、仙谷氏は弁護士当時からダーティな付き合いは多かったようだ。
小川薫に関して言えば、一緒に旅行に行くようなことは大変に理解できてしまうくらい魅力ある人物
だったらしい。
芸能界が社会風潮となったコトがある。
ピンクレディである。
此の人気者を世に出したのが小川薫。
有名な話で、とにかくバイタリティ溢れ、持っているエネルギーは桁外れだったという。
会った直後からその圧倒的パワーに気圧(けお)され、引き込まれて、知らないうちにそのペースにはまってしまう、という、なんとも不思議な力をもっているという印象デ語かちられる。
企業の不正を追及してきた総会屋という職性にもよるのだろうが、とにかく正義感が強い人だという印象。
まあ、元々強かったからそれが総会屋にぴったりはまったとも言えるかもしれない…。
その方向性はともかくとして、ああいうタイプの人には今後もお会いすることはないと思う。
最後は口封じ的に逮捕され、様々な情報を抱えながら殺された、・・・
そんなタヌキに騙されることはないとは思うが、
小沢さんはいつも騙されてばかりいるので、少し心配ではある。
板垣 英憲ブログ
≪仙谷由人官房長官は、弁護士活動をしていたころ、総会屋事件や暴力団関係事件を多数出がけており、強硬手段に打て出る「手口」を身に付けた。
これを政治の場で駆使して恫喝しているという。
鳩山前首相は、民主党結党直後、ホテルオークラ内の中華料理店で出版社の社長と私と3人が集まって昼食の冒頭、
「私は菅さんを信用していない」とはっきり言っていた。
人を騙し、ポストは横取りし、コスイ人間だと言わんばかりの口調だった。≫2010年8月29日
、仙谷由人官房長官の政治団体の事務所費スキャンダルは、
民主党崩壊を招く大事件になる要素を多分に含んでいる。
このことを深刻に考えているのは、元々インテリ・ヤクザの仙谷官房長官ではなく、
小沢前幹事長・鳩山前首相・菅首相・輿石東参院議員会長のいわゆる「トロイカ+1」である。
30日の会談の結果、31日に「トロイカ+1」をセット。
、覆水盆に帰らずではなく、逆に覆水を盆に返らせようとなされる。
おそらくは、全ての条件と段取りは、30日に決めているはずである。
31日は、言うなれば「手打ち」、つまり儀式である。
小沢が降りれば小沢は正々堂々戦わず”負け戦”を降りた。
小沢は終わりというプロパガンダをやってくるだろ。
何故菅直人総理は仙石官房長官に弱いのか。
菅総理には、東京・赤坂の韓国クラブの女性(韓国情報部のスパイ説あり)との親密な関係が取りざたされており、
韓国に帰国している女性とその子ども、そして生活費の資金源を追って、
大勢の取材陣、調査陣が、大挙して海を渡り裏づけ調査に奔走しているという。
仙谷官房長官が握っている菅総理の弱みが、これだという情報もある。
何故仙石官房長官は小沢一郎を異常に敵扱いするのか。
元週刊文春編集長の花田紀凱が言う
「偽メール事件」で民主党に、強烈な危機感が生じ、後継代表に小沢さんの名前が浮上してきたときのことだ。
≪当時の状況について、自由党から小沢一郎に従ってきた或る議員は、こんな話をする。
「前原誠司が民主党代表を辞任した頃、仙谷由人と、服役中の総会屋の癒着のニュースが出てきたんだよ。
それは、獄中にいたW=小川薫という総会屋が妻に宛てた手紙から露見し、それが小泉純一郎の飯島秘書の手に入ったらしい。
小泉サイドから、仙谷由人に対して、それを表沙汰にしないための交換条件が提示された。
絶対に、小沢一郎を、前原の後の代表にするな、という条件だった。
これを、反小沢の急先鋒だった仙谷由人は、承諾した。
この後、渡部恒三と手を組んで、『投票で次の代表を決めよう』と言えば、
小沢は、身内の選挙が嫌いな男だから、絶対に立候補はしないだろう。
だから投票で決めよう、と騒いで、小沢を下ろそう』という読みで話がつき、選挙になった。≫
ということだ。
結果は小沢一郎圧勝、代表になった。
このとき、小沢執行部が敷いたのが本当の意味でのトロイカ体制
小沢代表、菅代表代行、鳩山幹事長だった。
今回、このトロイカ体制という言葉に鳩山さんはコロッといってしまったようだ。
、鳩山さんは民主党を結党した人であり、とにかく民主党を守りたい、
基本的には分裂させてはいけない、という意識が強い。
植草ブログにはこうある。
悪徳の小泉竹中政治に道を開いた2001年4月の自民党総裁選。
亀井静香氏は本選への出馬を辞退し、小泉政権樹立支持に回った。
亀井氏の要職での起用と、人事への参画が、本選辞退の条件だった。
亀井氏は本選出馬を辞退し、小泉氏は自民党総裁に選出され、内閣総理大臣に就任した。
ところが、選挙での当選を決めた瞬間、協定は一方的に破棄された。小泉首相は亀井静香氏を切り捨てた。伝令役を務めた安倍晋三氏も驚く対応だった。
9月14日の民主党代表選。
圧倒的に有利な状況にあるのは小沢一郎氏である。
本当の世論は小沢一郎氏支持である。
普天間問題があり、米国が総力をあげて菅氏続投に動いている。米国に支配されるマスゴミは、世論調詐をねつ造し、小沢一郎政権阻止に向けて、総力を結集している。
第二次世界大戦下の報道と同格である。
小沢政権が樹立されると、日本の二大政党は、対米隷属派と自主独立派が対立する二大政党になる。時間が経過するごとに、自主独立派が勢力を増す。
日本を支配する米国にとっては、いかなる手段を用いてでも、阻止しなければならない事態である
・・・・・・
・・・・・・
このスキャンダル合戦は、いよいよ佳境に入っている。
本日発売のアエラで早速、その成果が出ている。
≪消えた「37億円キャッシュ」小沢執行部で働いた政党交付金の行方≫(AERA 2010年9月6日号)
今回の仙谷氏の事務所費問題は、朝日の中での社会部と政治部とのつばぜり合いが始まったのか。
それとも、別の見方として、仙谷が指示して調べさせた小沢氏の幹事長時代の政党補助金を問題化させ、極めさせるためにネットで既に話題になっていた自らの事務所費問題を自らリークしたか。
また、自らの進退問題を最後の切り札として残すための材料とするためか。
この人なら、このくらいの悪巧みは朝飯前だろう。
限りなく野中広務に近づきつつある、といえる。
菅陣営の動きが見えなくなっていた。
枝野だけでなく、玄葉や安住も出てこなくなった。
もう縮こまって震えてるんだろ。
元気がいいのは、小宮山と 蓮舫ー、寺田だけ。
女、子どもが戦ってる状態・・・
仙谷・枝野・安住・小宮山を抹殺してまで政権にしがみつくか菅直人。
騎兵隊内閣からナント命名を変えるのか。
トロイカ内閣!?辞任?
ことここに至り
不戦敗で菅続投・小沢幹事長じゃ野党はついて来ん
やはり決戦、
小沢代表幹事長
菅続投なら連立出来る
それだけの権力を小沢に集中できる
鳩山が、母親から12億もらってても、修正申告で済むのは
12億の中に1円も公金や企業からの黒いカネが混じってないことと
秘書が受け取って本人がノータッチであることが大きい。
小沢一郎前幹事長のケースも自分のタンス預金が原資で立て替えただけなんだから
どこまで言っても帳簿のズレの形式犯。
親子で公金を流して私腹を肥やしてる
実質犯の仙谷は次元が違う犯罪。
枝野幸男幹事長が2~3日ほど前、
「菅首相のアメリカ寄りの姿勢についていけないので、菅首相支持から降りる」
と前原誠司国土交通相を通じて伝えてきたことから、これ以上、菅政権を支え切れないと判断したようである。
讀賣ニュース
小沢代表当時の資金配分は「適正」 枝野幹事長
民主党の枝野幹事長は30日の記者会見で、小沢一郎前幹事長の代表時代の党の「組織対策費」の使途に関し、不適切な点はなかったとの見解を明らかにした。
枝野氏は、「民主党の昨年までの経理は、適正、適法だと認識して引き継いでいる。より効果的な資金の使い方を目指し、資金の調査はしてきたが、公表するとか、しないとかという次元のものではない」と述べた。
組織対策費の使途を巡っては、一部週刊誌などが、小沢氏は特定議員に集中的に配分したのではないかと問題視したことを受け、民主党幹部が調査をしていた。
それにしても、一方の民主党の組織対策費使途を漏洩したのは、民主党の小宮山洋子財務委員長であった。
政党政治史上初めての最悪の裏切りである。
希代の総会屋・小川薫の盟友だった仙谷官房長官に加担を要求されたとはいえ、
仲間を売るような裏切りを実行したのは、実に情けない。
アエラ週刊現代の記事は枝野小宮山洋子の差し出したるモノ。
小宮山洋子、そんな卑しい仕事をしている暇があったら、あんたが選挙民に約束した特殊法人や特会を追及しろ!
小宮山が、刺殺された石井紘基議員の補欠選挙で勝ったのは、
「石井議員の意志を引き継ぐ」と選挙民に約束したから当選できたんだ。
だが、引き継いだのは選挙区だけで、石井氏が取り組んだ、特別会計や特殊法人問題などは、当選後は知らん顔。
完全に選挙民を裏切っている。
政治とカネの問題をどうのこうの言うよりも、自分の掲げた公約に責任持て!
本来ならば、娘の石井ターニャ女史を後継に、という声が大きかったが、
まだ若いという理由だけで外され、ターニャ女史は小宮山の選挙応援をさせられた。
その応援中にあまりに小宮山が、父である「石井こうき」の名前を連呼するので、
「本当にこの人は父の意志を継ぐ気はあるのか。ただ名前を利用しているだけではないか」
と当時の密着取材で語っている。
その憂いが今や現実のものとなり、官僚が欲しいままに国民の税金を勝手に使っている特別会計に切り込むのでもなく、小沢憎しの一点で党のカネに切り込んでいるそんな姿を見たら、石井氏がなんて言うだろうか
加藤一郎(1922年9月28日 - 2008年11月11日)は東京大学総長や成城学園学園長を歴任した
団塊の世代は誰も知っている。
東大紛争時の学長である。
立てこもった全共闘側にいたのが仙石由人である。
民主党衆院議員・小宮山洋子財務委員長は実娘。
母方の祖父は大蔵大臣や初代大東亜大臣を務めた青木一男、
実父は北海道銀行頭取を務めた加藤守一。
我妻栄の学説を引き継ぎ、不法行為の相関関係説を発展させた。
相関関係説は改正前の民法709条において不法行為成立の要件の一つに「権利ヲ侵害シタル」とあったのを違法性ある行為と読み替え、その判断において被侵害利益の種類と侵害行為の態様を相関関係において判断するという見解を示した。
門下生 が数多い
ア斎藤次郎(1936年1月15日 - )は日本郵政代表執行役社長。
日本の元大蔵官僚、大蔵事務次官、東京金融取引所社長を歴任。
2009年10月、西川善文の後任として亀井静香金融・郵政改革担当大臣の要請により日本郵政の社長に就任した。
もちろん小沢一郎幹事長との打ち合わせの上だろう。
竹下内閣時代に、ときの経世会の小沢一郎内閣官房副長官と出会い、その後も小沢と歩調を合わせた猪突猛進の言動で、大宮敏充のデンスケにちなんで、通称、「デンさん」ないし「デンスケ」
稲垣光隆・財務省主計局次長は娘婿。
イ加藤雅信
加藤は、不当利得法において、我妻に代表される通説的立場であった「衡平説」を曖昧で道徳的な概念が前提となっていると批判しつつ、返す刀で、従来有力視されていた「類型論」をも包括的な大系を構築できておらず不十分であると批判して、不当利得を財産法を全体を包括する財産法大系の箱庭ととらえて統一的に把握し、その上で各論的視野として、類型論の考えを取り入れて、財貨移転の矯正と財貨帰属の確保の2種に分けて考察するという「箱庭理論」を提唱した。
財産権は、対世的な物権と対人的な債権に峻別できると大系化した上で、
債権は債権者代位権など債務者の権利を媒介した場合にのみ対外的に主張できるとする。
物権法においては、我妻による不完全物権変動説を曖昧な概念であると批判しつつも、不完全なる物権の内容を分析して、対世的な効力を有しない萌芽的な物権と対世的な効力を有する完全なる物権とに分ける二段階物権変動論として主張。
不法行為では、その要件を権利侵害類型と違法侵害類型に分け、我妻によって提唱された「相関関係説」を違法侵害類型にのみ妥当する限定的なものであるとして「不法行為二分論」を提唱。
ウ水野紀子 東北大教授あの枝野幹事長の母校である。
小宮山洋子財務委員長は、仙石の手引きで大変なことをしでかした。
加藤一郎の娘として東京都に生まれた。
愛媛県知事を務めた青木重臣は大叔父
加藤家の名門一家に泥を塗ってしまった。
地獄への階段 蓮舫議員って清廉潔白なの?
http://p.tl/XtpY 地獄への階段さんのブログ
蓮舫さんがもらっている献金の相手が、組関係で、前原議員の紹介となっている!
(メディア不動産・顧問・正木利幸氏から
http://blogs.yahoo.co.jp/voteshop/16532139.html
小沢氏出馬を牽制するために「クリーンな政治」を全面に出し
「私はクリーンよ」とばかりに言い放った蓮舫
ただ、やはり腐ったメッキはすぐ剥れるもの。
この蓮舫がなぜ菅、前原、仙谷側に付いて擁護しているかがはっきり分かることがある。
実はこの蓮舫は平成16年に初当選した当初、なんと!仙谷から200万円の寄付を受け取っていたという事実 がある 要するに元々金で恩義を買った蓮舫とやらは”仙谷チルドレン”ということに他ならない。
金で恩義を買い、更には大臣にならせてもらったのだから、そう簡単には裏切れないだろう。
そしてもう1つ、これが事実ならば、蓮舫は議員辞職にまで追い込まれるだろうといわんばかりの事がある。
それは蓮舫が支部長を務める政党支部の企業献金の中には、警視庁が暴力団のフロント企業と認定している不動産会社の関連会社から120万円の献金を受け取っている事実 ?があるということだ。
なんと紹介者は前原大臣。
一蓮托生のヤクザがらみ闇資金。
民主党東京都参議院選挙区第3総支部:収支報告書(6ページ目)
「地獄への階段」様の記事
、ここに出てくる「メディア不動産開発」(代表:竹垣雅史氏)とは
「メディア・トウェンティーワン」(会長:篠原寿氏=後藤組企業・舎弟・相談役)の子会社か何かだろう。
また、野田財務相の”野田よしひこ後援会”が、07年6月20日に開いた政治資金パーティー「野田佳彦君の政治活動20年を祝い激励する会」のパー券を、(株)メディア不動産開発(千代田区麹町2-2-4)が40万円分購入している。
ということは、この内閣閣僚の2人は暴力団関系会社からの献金等で政治活動をやっているということではないのか?。
蓮舫も野田も即刻説明責任が必要になってきたのではないか?
そういや、お二人とも花斉会ですね。
そしてそれらを大臣に起用した菅直人の責任も当然浮上することになる。
検察が1年以上捜査しても「起訴できなかった(実質”白”)の小沢を悪人にでっちあげる前に、
お前らの疑惑が生じてきた以上、国会で説明責任を果たせ!
それでお前らが黒ならば、即刻内閣総辞職である。
墓苑幼土地買収
真如苑
↑
日本リスクコントロール社長寺尾文考
↑
利益折半
↓
メディアトゥエンティング(会長篠原寿 後藤組企業舎弟・相談役)
| 関連会社
メディア不動産千代田区代表竹垣雅史
| 協力
メディア不動産顧問正木利幸民主党前原議員紹介
|
創寿苑仙台市泉区(創価学会+篠原寿)役員篠原寿監査役宗像紀夫
蓮舫政刷新担当相
「前政権時代のようにさまざまな政治とカネの問題を起こしてもらいたくないとの思いが政権交代につながった。
その国民の声は無視できない」
と、小沢氏を牽制した。
竹垣雅史の名がある。
しかも驚いた、単なる偶然だろうが、正木利幸も、19年収支報告に蓮舫議員に個人献金したと名がある
民主党東京都参議院選挙区第3総支部 20年分収支報告 にも、正木利幸という同姓同名の方から、個人献金と同氏が代表を務める複数企業からの献金がある。
事務所費問題は免除しとこう。
小沢が降りれば小沢は正々堂々戦わず
”負け戦”を降りた。
小沢は終わりというプロパガンダをやってくるだろう。
またもや嵌められた小沢陣営
立てッ!ジョー!
ジョー!立つんだ!
団塊の世代は人情モノに弱い世代でもある。
小沢一郎の唯一の欠点と言われている。
クリック どうぞよろしく おねがい致します。
↓ ↓
http://blog.with2.net/link.php?62076
↑ ↑
花言葉は・・・・・・快活
インドからアジアに伝わる花。
平安時代にいってきた。
農家の庭はしには雑草的に炎天下にあった花で
「トビシャコ」と呼んでいた。
赤いものは昔から女の子が爪を染めるのに使ったため、ツマクレナイ、ツマベニ(爪紅)の名。
韓国では、爪にホウセンカの汁を塗り、初雪まで色が残っていたら恋が実ると言う伝承があるらしい。
触れるとはじける果実は非常に目を引く特徴である。
歌謡曲にもあるが、いずれも種を飛ばすことに絡めてある。
・鳳仙花:島倉千代子(作詞 吉岡治 作曲 市川昭介 昭和56年)
・ほうせんか:中島みゆき(作詞作曲 中島みゆき)
・赤い鳳仙花:加藤登紀子(韓国民謡)
・鳳仙花:洪蘭坡
小説
・鳳仙花:中上健次
漫画
・ほうせんか・ぱん:大島弓子
ちちときて おとなしきこや ほうせんか
30日菅直人総理と鳩山前総理の会談は決着した。
31日の菅直人総理と小沢一郎前幹事長会談が設定されよう。
菅直人
VS
小沢一郎
激突は政治の世界で言うなら回避された。
無投票再選ッ!
・・・
そうではない。
???
菅直人か小沢一郎のいずれかが
代表選の立候補を取り下げる可能性がある。
無投票当選ッ!
・・・・
そうではない。
????
菅陣営で「脱小沢」を目指すグループは、菅総理が小沢一郎元幹事長と再び協力関係を結ぶことに激しく抵抗している。仮に菅総理が「脱小沢」の看板を取り下げた場合、無投票当選に抵抗するために仙谷官房長官をはじめ、
小沢一郎元幹事長と対立している民主党議員を独自の候補者として擁立する
その可能性も指摘されている。
まさに「一寸先は闇」が永田町と言うところ。
船橋洋一の朝日新聞に仙谷幹事長関連の320万円事務所費のゴシップが掲載された朝日新聞が報じたのは、仙谷が長男(36)の経営する不動産会社に、3つの政治団体から320万円を支払っていたというもの。この長男は東京・新橋のビルで司法書士事務所をやっている
その事務所(約100平方メートル)の中に、くだんの不動産会社に加え、仙谷の弁護士事務所、仙谷の3つの政治団体も“同居”している。
しかし、政治団体の専用スペースも電話もない。
それなのに「人件費」や「事務所費」名目で320万円を支出したのは、「長男側の経費を政治資金で補填した疑いがある」というわけだ。
朝日の記事は触れていないが、この長男の新橋の事務所には、前原グループ(凌雲会)の事務所も置かれている。
代表者が仙谷、会計責任者が枝野幹事長。
「この前原グループの事務所費をめぐっても奇怪な話があるのです。主たる事務所にしているのに、年間5610円しか支払っていない、おかしいと週刊誌などで騒がれたものです」
アメリカから仙谷に対する排除指令がでたのか
邪推出来るのは仙谷とシティの関係を平野貞夫と板垣英憲が暴露しているっこと。
ブログで教えて貰う。
こうアル。
仙石由人官房長官の親子の政治団体の事務所費スキャンダルは、極めて奥が深い。
というのは、東京・西新宿にあるこの政治団体の事務所が、ほとんど実務実績が感じられない幽霊事務所であることに由来している。早い話が狸御殿。
加えて、次の言葉から、事件の本質を連想されたい。
「総会屋・暴力団→都心の大企業→利益供与→著名政治家の政治団体→マネーロンダリング→企業舎弟→政治献金→還付金」
相撲協会の大騒動何処ではない。
仙石官房長官のこの事件は、まだ緒に就いたばかり。
暴力団や総会屋の面々が登場してこよう。
かつて、何人かの大物政治家が暴力団幹部らと一緒に写っている写真も存在するらしい。、
民主党のみならず、自民党大物議員の名前が報道されるようになるのは間違いない。
『週刊文春』6月24日号
「首相が頼りきる『赤い小沢一郎』大研究 仙谷官房長官と『大物総会屋』絡み合いすぎる関係」。
「大物総会屋」とは小川薫氏。
「絡み合いすぎる」というのは仙谷氏と小川氏が一緒にヨーロッパ旅行に行ったことをさすらしい。
費用はすべて小川氏もち。
しかも、広島に本拠を置く暴力団・共政会と浅野組の幹部も一緒だった〉
小川氏は自著『実録総会屋』で〈仙谷先生とは旅程の間、ずっと同室だった〉と告白しているという。
が、小川氏は既に故人、旅行に行ったのも昭和51年というから30年以上前のこと。時効では?≫
まあ、30年の前の話だというが、小川薫といえば、「最後の総会屋」といわれ、
30年前ならまだ現役でバリバリやっていたころだろう。
小川薫氏の晩年は、恐喝で逮捕され、昨年、刑務所内で肺炎で亡くなっている。
まあ、仙谷氏は弁護士当時からダーティな付き合いは多かったようだ。
小川薫に関して言えば、一緒に旅行に行くようなことは大変に理解できてしまうくらい魅力ある人物
だったらしい。
芸能界が社会風潮となったコトがある。
ピンクレディである。
此の人気者を世に出したのが小川薫。
有名な話で、とにかくバイタリティ溢れ、持っているエネルギーは桁外れだったという。
会った直後からその圧倒的パワーに気圧(けお)され、引き込まれて、知らないうちにそのペースにはまってしまう、という、なんとも不思議な力をもっているという印象デ語かちられる。
企業の不正を追及してきた総会屋という職性にもよるのだろうが、とにかく正義感が強い人だという印象。
まあ、元々強かったからそれが総会屋にぴったりはまったとも言えるかもしれない…。
その方向性はともかくとして、ああいうタイプの人には今後もお会いすることはないと思う。
最後は口封じ的に逮捕され、様々な情報を抱えながら殺された、・・・
そんなタヌキに騙されることはないとは思うが、
小沢さんはいつも騙されてばかりいるので、少し心配ではある。
板垣 英憲ブログ
≪仙谷由人官房長官は、弁護士活動をしていたころ、総会屋事件や暴力団関係事件を多数出がけており、強硬手段に打て出る「手口」を身に付けた。
これを政治の場で駆使して恫喝しているという。
鳩山前首相は、民主党結党直後、ホテルオークラ内の中華料理店で出版社の社長と私と3人が集まって昼食の冒頭、
「私は菅さんを信用していない」とはっきり言っていた。
人を騙し、ポストは横取りし、コスイ人間だと言わんばかりの口調だった。≫2010年8月29日
、仙谷由人官房長官の政治団体の事務所費スキャンダルは、
民主党崩壊を招く大事件になる要素を多分に含んでいる。
このことを深刻に考えているのは、元々インテリ・ヤクザの仙谷官房長官ではなく、
小沢前幹事長・鳩山前首相・菅首相・輿石東参院議員会長のいわゆる「トロイカ+1」である。
30日の会談の結果、31日に「トロイカ+1」をセット。
、覆水盆に帰らずではなく、逆に覆水を盆に返らせようとなされる。
おそらくは、全ての条件と段取りは、30日に決めているはずである。
31日は、言うなれば「手打ち」、つまり儀式である。
小沢が降りれば小沢は正々堂々戦わず”負け戦”を降りた。
小沢は終わりというプロパガンダをやってくるだろ。
何故菅直人総理は仙石官房長官に弱いのか。
菅総理には、東京・赤坂の韓国クラブの女性(韓国情報部のスパイ説あり)との親密な関係が取りざたされており、
韓国に帰国している女性とその子ども、そして生活費の資金源を追って、
大勢の取材陣、調査陣が、大挙して海を渡り裏づけ調査に奔走しているという。
仙谷官房長官が握っている菅総理の弱みが、これだという情報もある。
何故仙石官房長官は小沢一郎を異常に敵扱いするのか。
元週刊文春編集長の花田紀凱が言う
「偽メール事件」で民主党に、強烈な危機感が生じ、後継代表に小沢さんの名前が浮上してきたときのことだ。
≪当時の状況について、自由党から小沢一郎に従ってきた或る議員は、こんな話をする。
「前原誠司が民主党代表を辞任した頃、仙谷由人と、服役中の総会屋の癒着のニュースが出てきたんだよ。
それは、獄中にいたW=小川薫という総会屋が妻に宛てた手紙から露見し、それが小泉純一郎の飯島秘書の手に入ったらしい。
小泉サイドから、仙谷由人に対して、それを表沙汰にしないための交換条件が提示された。
絶対に、小沢一郎を、前原の後の代表にするな、という条件だった。
これを、反小沢の急先鋒だった仙谷由人は、承諾した。
この後、渡部恒三と手を組んで、『投票で次の代表を決めよう』と言えば、
小沢は、身内の選挙が嫌いな男だから、絶対に立候補はしないだろう。
だから投票で決めよう、と騒いで、小沢を下ろそう』という読みで話がつき、選挙になった。≫
ということだ。
結果は小沢一郎圧勝、代表になった。
このとき、小沢執行部が敷いたのが本当の意味でのトロイカ体制
小沢代表、菅代表代行、鳩山幹事長だった。
今回、このトロイカ体制という言葉に鳩山さんはコロッといってしまったようだ。
、鳩山さんは民主党を結党した人であり、とにかく民主党を守りたい、
基本的には分裂させてはいけない、という意識が強い。
植草ブログにはこうある。
悪徳の小泉竹中政治に道を開いた2001年4月の自民党総裁選。
亀井静香氏は本選への出馬を辞退し、小泉政権樹立支持に回った。
亀井氏の要職での起用と、人事への参画が、本選辞退の条件だった。
亀井氏は本選出馬を辞退し、小泉氏は自民党総裁に選出され、内閣総理大臣に就任した。
ところが、選挙での当選を決めた瞬間、協定は一方的に破棄された。小泉首相は亀井静香氏を切り捨てた。伝令役を務めた安倍晋三氏も驚く対応だった。
9月14日の民主党代表選。
圧倒的に有利な状況にあるのは小沢一郎氏である。
本当の世論は小沢一郎氏支持である。
普天間問題があり、米国が総力をあげて菅氏続投に動いている。米国に支配されるマスゴミは、世論調詐をねつ造し、小沢一郎政権阻止に向けて、総力を結集している。
第二次世界大戦下の報道と同格である。
小沢政権が樹立されると、日本の二大政党は、対米隷属派と自主独立派が対立する二大政党になる。時間が経過するごとに、自主独立派が勢力を増す。
日本を支配する米国にとっては、いかなる手段を用いてでも、阻止しなければならない事態である
・・・・・・
・・・・・・
このスキャンダル合戦は、いよいよ佳境に入っている。
本日発売のアエラで早速、その成果が出ている。
≪消えた「37億円キャッシュ」小沢執行部で働いた政党交付金の行方≫(AERA 2010年9月6日号)
今回の仙谷氏の事務所費問題は、朝日の中での社会部と政治部とのつばぜり合いが始まったのか。
それとも、別の見方として、仙谷が指示して調べさせた小沢氏の幹事長時代の政党補助金を問題化させ、極めさせるためにネットで既に話題になっていた自らの事務所費問題を自らリークしたか。
また、自らの進退問題を最後の切り札として残すための材料とするためか。
この人なら、このくらいの悪巧みは朝飯前だろう。
限りなく野中広務に近づきつつある、といえる。
菅陣営の動きが見えなくなっていた。
枝野だけでなく、玄葉や安住も出てこなくなった。
もう縮こまって震えてるんだろ。
元気がいいのは、小宮山と 蓮舫ー、寺田だけ。
女、子どもが戦ってる状態・・・
仙谷・枝野・安住・小宮山を抹殺してまで政権にしがみつくか菅直人。
騎兵隊内閣からナント命名を変えるのか。
トロイカ内閣!?辞任?
ことここに至り
不戦敗で菅続投・小沢幹事長じゃ野党はついて来ん
やはり決戦、
小沢代表幹事長
菅続投なら連立出来る
それだけの権力を小沢に集中できる
鳩山が、母親から12億もらってても、修正申告で済むのは
12億の中に1円も公金や企業からの黒いカネが混じってないことと
秘書が受け取って本人がノータッチであることが大きい。
小沢一郎前幹事長のケースも自分のタンス預金が原資で立て替えただけなんだから
どこまで言っても帳簿のズレの形式犯。
親子で公金を流して私腹を肥やしてる
実質犯の仙谷は次元が違う犯罪。
枝野幸男幹事長が2~3日ほど前、
「菅首相のアメリカ寄りの姿勢についていけないので、菅首相支持から降りる」
と前原誠司国土交通相を通じて伝えてきたことから、これ以上、菅政権を支え切れないと判断したようである。
讀賣ニュース
小沢代表当時の資金配分は「適正」 枝野幹事長
民主党の枝野幹事長は30日の記者会見で、小沢一郎前幹事長の代表時代の党の「組織対策費」の使途に関し、不適切な点はなかったとの見解を明らかにした。
枝野氏は、「民主党の昨年までの経理は、適正、適法だと認識して引き継いでいる。より効果的な資金の使い方を目指し、資金の調査はしてきたが、公表するとか、しないとかという次元のものではない」と述べた。
組織対策費の使途を巡っては、一部週刊誌などが、小沢氏は特定議員に集中的に配分したのではないかと問題視したことを受け、民主党幹部が調査をしていた。
それにしても、一方の民主党の組織対策費使途を漏洩したのは、民主党の小宮山洋子財務委員長であった。
政党政治史上初めての最悪の裏切りである。
希代の総会屋・小川薫の盟友だった仙谷官房長官に加担を要求されたとはいえ、
仲間を売るような裏切りを実行したのは、実に情けない。
アエラ週刊現代の記事は枝野小宮山洋子の差し出したるモノ。
小宮山洋子、そんな卑しい仕事をしている暇があったら、あんたが選挙民に約束した特殊法人や特会を追及しろ!
小宮山が、刺殺された石井紘基議員の補欠選挙で勝ったのは、
「石井議員の意志を引き継ぐ」と選挙民に約束したから当選できたんだ。
だが、引き継いだのは選挙区だけで、石井氏が取り組んだ、特別会計や特殊法人問題などは、当選後は知らん顔。
完全に選挙民を裏切っている。
政治とカネの問題をどうのこうの言うよりも、自分の掲げた公約に責任持て!
本来ならば、娘の石井ターニャ女史を後継に、という声が大きかったが、
まだ若いという理由だけで外され、ターニャ女史は小宮山の選挙応援をさせられた。
その応援中にあまりに小宮山が、父である「石井こうき」の名前を連呼するので、
「本当にこの人は父の意志を継ぐ気はあるのか。ただ名前を利用しているだけではないか」
と当時の密着取材で語っている。
その憂いが今や現実のものとなり、官僚が欲しいままに国民の税金を勝手に使っている特別会計に切り込むのでもなく、小沢憎しの一点で党のカネに切り込んでいるそんな姿を見たら、石井氏がなんて言うだろうか
加藤一郎(1922年9月28日 - 2008年11月11日)は東京大学総長や成城学園学園長を歴任した
団塊の世代は誰も知っている。
東大紛争時の学長である。
立てこもった全共闘側にいたのが仙石由人である。
民主党衆院議員・小宮山洋子財務委員長は実娘。
母方の祖父は大蔵大臣や初代大東亜大臣を務めた青木一男、
実父は北海道銀行頭取を務めた加藤守一。
我妻栄の学説を引き継ぎ、不法行為の相関関係説を発展させた。
相関関係説は改正前の民法709条において不法行為成立の要件の一つに「権利ヲ侵害シタル」とあったのを違法性ある行為と読み替え、その判断において被侵害利益の種類と侵害行為の態様を相関関係において判断するという見解を示した。
門下生 が数多い
ア斎藤次郎(1936年1月15日 - )は日本郵政代表執行役社長。
日本の元大蔵官僚、大蔵事務次官、東京金融取引所社長を歴任。
2009年10月、西川善文の後任として亀井静香金融・郵政改革担当大臣の要請により日本郵政の社長に就任した。
もちろん小沢一郎幹事長との打ち合わせの上だろう。
竹下内閣時代に、ときの経世会の小沢一郎内閣官房副長官と出会い、その後も小沢と歩調を合わせた猪突猛進の言動で、大宮敏充のデンスケにちなんで、通称、「デンさん」ないし「デンスケ」
稲垣光隆・財務省主計局次長は娘婿。
イ加藤雅信
加藤は、不当利得法において、我妻に代表される通説的立場であった「衡平説」を曖昧で道徳的な概念が前提となっていると批判しつつ、返す刀で、従来有力視されていた「類型論」をも包括的な大系を構築できておらず不十分であると批判して、不当利得を財産法を全体を包括する財産法大系の箱庭ととらえて統一的に把握し、その上で各論的視野として、類型論の考えを取り入れて、財貨移転の矯正と財貨帰属の確保の2種に分けて考察するという「箱庭理論」を提唱した。
財産権は、対世的な物権と対人的な債権に峻別できると大系化した上で、
債権は債権者代位権など債務者の権利を媒介した場合にのみ対外的に主張できるとする。
物権法においては、我妻による不完全物権変動説を曖昧な概念であると批判しつつも、不完全なる物権の内容を分析して、対世的な効力を有しない萌芽的な物権と対世的な効力を有する完全なる物権とに分ける二段階物権変動論として主張。
不法行為では、その要件を権利侵害類型と違法侵害類型に分け、我妻によって提唱された「相関関係説」を違法侵害類型にのみ妥当する限定的なものであるとして「不法行為二分論」を提唱。
ウ水野紀子 東北大教授あの枝野幹事長の母校である。
小宮山洋子財務委員長は、仙石の手引きで大変なことをしでかした。
加藤一郎の娘として東京都に生まれた。
愛媛県知事を務めた青木重臣は大叔父
加藤家の名門一家に泥を塗ってしまった。
地獄への階段 蓮舫議員って清廉潔白なの?
http://p.tl/XtpY 地獄への階段さんのブログ
蓮舫さんがもらっている献金の相手が、組関係で、前原議員の紹介となっている!
(メディア不動産・顧問・正木利幸氏から
http://blogs.yahoo.co.jp/voteshop/16532139.html
小沢氏出馬を牽制するために「クリーンな政治」を全面に出し
「私はクリーンよ」とばかりに言い放った蓮舫
ただ、やはり腐ったメッキはすぐ剥れるもの。
この蓮舫がなぜ菅、前原、仙谷側に付いて擁護しているかがはっきり分かることがある。
実はこの蓮舫は平成16年に初当選した当初、なんと!仙谷から200万円の寄付を受け取っていたという事実 がある 要するに元々金で恩義を買った蓮舫とやらは”仙谷チルドレン”ということに他ならない。
金で恩義を買い、更には大臣にならせてもらったのだから、そう簡単には裏切れないだろう。
そしてもう1つ、これが事実ならば、蓮舫は議員辞職にまで追い込まれるだろうといわんばかりの事がある。
それは蓮舫が支部長を務める政党支部の企業献金の中には、警視庁が暴力団のフロント企業と認定している不動産会社の関連会社から120万円の献金を受け取っている事実 ?があるということだ。
なんと紹介者は前原大臣。
一蓮托生のヤクザがらみ闇資金。
民主党東京都参議院選挙区第3総支部:収支報告書(6ページ目)
「地獄への階段」様の記事
、ここに出てくる「メディア不動産開発」(代表:竹垣雅史氏)とは
「メディア・トウェンティーワン」(会長:篠原寿氏=後藤組企業・舎弟・相談役)の子会社か何かだろう。
また、野田財務相の”野田よしひこ後援会”が、07年6月20日に開いた政治資金パーティー「野田佳彦君の政治活動20年を祝い激励する会」のパー券を、(株)メディア不動産開発(千代田区麹町2-2-4)が40万円分購入している。
ということは、この内閣閣僚の2人は暴力団関系会社からの献金等で政治活動をやっているということではないのか?。
蓮舫も野田も即刻説明責任が必要になってきたのではないか?
そういや、お二人とも花斉会ですね。
そしてそれらを大臣に起用した菅直人の責任も当然浮上することになる。
検察が1年以上捜査しても「起訴できなかった(実質”白”)の小沢を悪人にでっちあげる前に、
お前らの疑惑が生じてきた以上、国会で説明責任を果たせ!
それでお前らが黒ならば、即刻内閣総辞職である。
墓苑幼土地買収
真如苑
↑
日本リスクコントロール社長寺尾文考
↑
利益折半
↓
メディアトゥエンティング(会長篠原寿 後藤組企業舎弟・相談役)
| 関連会社
メディア不動産千代田区代表竹垣雅史
| 協力
メディア不動産顧問正木利幸民主党前原議員紹介
|
創寿苑仙台市泉区(創価学会+篠原寿)役員篠原寿監査役宗像紀夫
蓮舫政刷新担当相
「前政権時代のようにさまざまな政治とカネの問題を起こしてもらいたくないとの思いが政権交代につながった。
その国民の声は無視できない」
と、小沢氏を牽制した。
竹垣雅史の名がある。
しかも驚いた、単なる偶然だろうが、正木利幸も、19年収支報告に蓮舫議員に個人献金したと名がある
民主党東京都参議院選挙区第3総支部 20年分収支報告 にも、正木利幸という同姓同名の方から、個人献金と同氏が代表を務める複数企業からの献金がある。
事務所費問題は免除しとこう。
小沢が降りれば小沢は正々堂々戦わず
”負け戦”を降りた。
小沢は終わりというプロパガンダをやってくるだろう。
またもや嵌められた小沢陣営
立てッ!ジョー!
ジョー!立つんだ!
団塊の世代は人情モノに弱い世代でもある。
小沢一郎の唯一の欠点と言われている。
クリック どうぞよろしく おねがい致します。
↓ ↓
http://blog.with2.net/link.php?62076
↑ ↑
「菅総理には友愛ない…」
2010年8月30日 お仕事「北」の大兄様の鋭い洞察力には唸っている日々。
いつもご教示頂いております。
有り難うございます。
・・・・
まだまだ増えるネガティブ放送
過去のゴシップ引っ張り出してくるかもね。
・・・・・
週刊現代今日30日発売。
また、アエラに記事が出るようだ。
枝野・小宮山洋子探偵事務所の資料情報なんだろう
2010年08月29日
2人の民主党首脳が「小沢氏に不利な党内資料」をマスコミに進呈
山口一臣(「週刊朝日」編集長)
http://twitter.com/kazu1961omi/status/22390363269
あした発売のアエラ、週刊現代では小沢陣営幹部の山岡副代表の資金問題をスクープしています。
こちらは、小沢グループが党費を使って子飼議員の面倒を見ていたのではないかという話です。
民主党代表選もいよいよ自民党総裁選のようなことになってきましたな。
小沢代表当時の資金配分を調査…菅氏側 (読売新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100829-00000075-yom-pol
菅首相に近い民主党幹部は28日、小沢一郎前幹事長が2006年~09年の代表当時、「組織対策費」として特定議員に政治資金を集中的に配分していたことを問題視し、調査に入っていることを明らかにした。
9月の党代表選で小沢氏の政治とカネの問題に焦点をあてることで、首相支持につなげる狙いがあるようだ。
小沢ビビる帳簿流出!国会での野党対策“生け贄”情報も
(夕刊フジ)
http://netallica.yahoo.co.jp/news/138271
「小沢氏が、代表時代と幹事長時代の帳簿など党内資料がコピーされ、大手新聞社Aと出版社Bに提供されたという話だ
。『反小沢』色が強い議員2人の名前が挙がっている。
小沢氏の失脚を狙ったものだろう」
(略)
「菅首相周辺が、国会での野党対策に『小沢カード』を使うという話が出ている。
代表選を乗り切っても、菅民主党が参院少数であることに変わりはなく、国会運営は至難の業。
遅くても、来年の通常国会での予算審議の入り口でつまずく。
このため、予算審議などと引き換えに、野党が望む小沢氏の証人喚問に同意し、離党勧告や議員辞職を迫るつもりらしい」
最終決着をつけてほしい民主党代表選 (二木啓孝氏)
http://www.the-journal.jp/contents/futatsuki/2010/08/post_51.html
さらに、民主党の新執行部が政治と金をクリーンにするという観点から、これまでの民主党の資金の点検を行っている。
そのなかで、どうやら小沢さんが党を束ねているときに経理上とは別の口座を作り、民主党の資金を入金していたという
事実がある。総額4年間で35億円余。
民主党の現執行部はこの結果を公表していないが、すでにメディアにはこの資料が流れている。週明けあたりにこの資料
が公表されたときに、政治と金の問題でさらに小沢サイドは釈明を求められることになる可能性が高い。
オフイス・マツナガ
http://twitter.com/officematsunaga/status/22132361269
これも民主党の菅続投派の企てか?
小沢代表、小沢幹事長時代の、民主党の経理帳簿がマスコミに流出。
「小沢のカネ封印」が狙い?
だが、「やりすぎ」(ボス)。
責任者は枝野幹事長、小宮山洋子財務委員長。
これでは「党の体裁をなしていない」
(辻野。内容みたが決め手にならず。むしろ流出責任が重い。)
8月30日に発売する『週刊現代』
、民主党の政治資金使途に関して「不明瞭な巨額なカネ」が支出されていた事実のスクープ記事。
中味はコウである。
山岡賢次前国対委員長が、小沢氏が代表だった2007年の1年間に、財務委員長として約16億円もの巨額な「対策費」を引き出していたという。
自民党支配の65年で培われた憲政の常道。
選挙で敗北したら責任をとる。
国会で大見得を切った管直人総理。
「参議院選挙で国民の信をとう」
60議席が前回実績なのに勝敗ラインを「54議席」と低め設定。
ところが結果は「44議席」の大惨敗。
ところが
選対委員長、総指揮者枝野幹事長、司令菅直人党首。
誰一人何らの責任もとらない。
おまけに落選した千葉景子法務大臣は
民間選出大臣として居座るオマケ付き。
自民党65年でも一度もなかったこと。
菅民主党は狂っている。
朝日新聞主筆は米国大使を狙っている、船橋洋一。
いまでは読売ナベツネさえ驚くほどの偏向社説を載せている。
テレビでは朝日から星浩を配置して「統一」報道。
60年安保を岸政権安保政策推進反対のあの朝日新聞がこれである。
毎日はすでに創価の手に落ちている。
読売に論評事例を挙げる暇はない。
三大新聞は宗主国の手先に転落。
日本には愛国の立場の
憂国のメディアは存在しない。
朝日新聞でさえ売国奴報道機関となったとなった凋落ぶり。
(朝日新聞:27日社説)には驚いた。
みだしはとりわけ酷くゴロツキ新聞並である。
小沢氏出馬へ―あいた口がふさがらない
どうしてここまで民意とかけはなれたことができるのか。
多くの国民が、あぜんとしているに違いない。
民主党の小沢一郎前幹事長が、党代表選に立候補する意向を表明した。
政治とカネの問題で「責任を痛感した」と、幹事長を辞して3カ月もたっていない。
この間、小沢氏は問題にけじめをつけたのか。答えは否である。
いまだ国会で説明もせず、検察審査会で起訴相当の議決を受け、2度目の議決を待つ立場にある。
鳩山由紀夫前首相にも、あきれる。
小沢氏率いる自由党との合併の経緯から、この代表選で小沢氏を支持することが「大義だ」と語った。
「互いに責めを果たす」とダブル辞任したことを、もう忘れたのか。
二人のこのありさまは非常識を通り越して、こっけいですらある。
民主党代表はすなわち首相である。
党内の多数派工作に成功し、「小沢政権」が誕生しても、世論の支持のない政権運営は困難を極めるだろう。
党内でさえ視線は厳しい。
憲法の規定で、国務大臣は在任中、首相が同意しない限り訴追されない。
このため「起訴逃れ」を狙った立候補ではないかという批判が出るほどだ。
政治とカネの問題をあいまいにしたままでは、国会運営も行き詰まるに違いない。
より重大な問題も指摘しなければならない。
自民党は小泉政権後、総選挙を経ずに1年交代で首相を3人も取りかえた。
それを厳しく批判して政権交代に結びつけたのは、民主党である。
今回、もし小沢首相が誕生すれば、わずか約1年で3人目の首相となる。
「政権たらい回し」批判はいよいよ民主党に跳ね返ってくるだろう。
より悪質なのは どちらか。
有権者にどう申し開きをするのか。
それとも小沢氏は代表選に勝っても負けても、党分裂といった荒業もいとわずに大がかりな政界再編を仕掛けようとし
ているのだろうか。
金権腐敗政治と決別し、2大政党による政権交代のある政治、有権者が直接政権を選ぶ政治を実現する――。
そんな政治改革の動きの中心に、小沢、鳩山両氏はいた。
20年余の歳月を費やし、ようやく目標を達成したと思ったら、同じ二人がそれを台無しにしかねないことをしようと
している。
ほぼ1年前、新しい政治が始まることを期待して有権者は一票を投じた。
その思いを踏みにじるにもほどがあるのではないか。
しょせん民主党も同じ穴のむじ な、古い政治の体現者だったか――。
政党政治自体への冷笑がさらに深まっては取り返しがつかない。
代表選をそんな場にしてはならない。
有権者は政権交代に何を託したのか、根本から論じ直し、古い政治を乗り越える機会にしなければならない。
天下の朝日の社説である。
これが国民の常識で誘導される。
朝日新聞のご高説である。
小沢陣営
聞かれて曰く
「開けたマンマにしていればいい。」
サラリッとすましている。
暇はないとしたが読売をあげてみよう。
読売オンラインが実施している「みんなのYES/NO」で
「小沢一郎氏が民主党代表選に立候補します。支持しますか、支持しませんか? 」の設問に、
実に71%が「支持する」と回答。
http://bit.ly/b61l6I
でも・・・・
ナベツネ主筆にかかると
読売社説は、「小沢氏支持広がりを欠く。(@@) ドヒャー
鳩山前総理は、民主党のオーナー。
小沢一郎は旧自由党でのオーナー。
そのオーナー同士が力を合わせて、総理を出そうとするのだから、菅直人陣営に勝ち目は無い。
菅内閣を学級委員会内閣という。
国家のリーダーではない。
党首選挙である。
菅も仙谷も戦いを知らない甘ちゃんばかり。
参議院選挙は惨敗の大敗北。
鳩山前総理は、自分が事実上の民主党のオーナーだという自負心がある。
カネも出してきた。
その額は、半端じゃない。
そのオーナーを前に判断を求める小沢一郎と、党内融和を言っているのに言うことを聞かない菅総理、
必ず菅総理は、排除される。
つまり小沢も鳩山も冷酷
菅だけが甘ちゃんということ。
小沢一郎の総攻撃のすえ作り出されたアキレス腱といわれてること。
第五検察審は、起訴相当議決を感情的に出した
すぐさま検察が再度の不起訴処分。
その後、7月には最終結果が出ると思ったら、指定弁護士が辞任。
第一検察審が、不起訴不当とトーンダウン。
議決内容を漏洩したと別の市民団体が検察審を告発。
検察不受理。
当該告発市民団体警視庁強制捜査。
辞任した弁護士は、マスコミの取材から逃げ回り、あの感情的な議決書の説明は何もせず沈黙。
また、検察審査会に申し立て出来るのは、当該関係者だけなのですが、
市民団体はそもそも申立人になれず、検察審査会法違反で無効主張があるも、審査会は国民に全く説明していない。
なんですか、これは。
菅総理から赤紙招集された新人議員157人
果たして9月14日には菅総理になびくのか。
民主代表選:首相懇談会2日目、新人出席が大幅減(毎日新聞)
http://bit.ly/d7Z74g
新人議員からは「ねじれ国会を乗り切れるのか」と「追い込まれ解散」への不安を訴える意見が続出。
出席も前日の41人から26人に減少。
毎日新聞の記者のペンも弱り気味。
3日間で90人。
広がり欠く「小沢出馬論」(日経新聞) http://bit.ly/cus1P1
157人の新人議員のうち90人が首相と会談したので、書いたが、実際は、会談が奏功せず、
新人議員からは異論が続出、
そこで出た困惑のひとことが菅総理
「近く鳩山さんと話してみたい」。日経はウソを書くな。
民主党支持層の中で、菅総理の人気はそれほど高くない。
特に、党内論議もないままの唐突な消費税論議で、先の参議院選挙を大敗させた責任は
、菅総理にあると党員は皆思っている。
みそぎが済んでいないと言っていたあの小林 興起先生が、小沢氏出馬要請の場にいました。
さすが、権力の下にいた人は、嗅覚が違う。(笑)
生方議員のみはテレビでいっている。ただ言い方が変わっている。
「中立です」
笑わせるではないか。
小沢一郎陣営は盤石。
しきたり道理に日程を淡々と進める。
横路孝弘衆院議長、西岡武夫参院議長ら党内の主な実力者に電話で、協力を要請。
羽田孜元総理とも会談し、支持を取り付けた。
今後、鳩山、旧社会、旧民社、羽田の各グループへの協力要請を行い、
今週中にも記者会見して正式表明する見通し。
公器である新聞の生命線である「不偏不党、公正中立」
社事の綱領基準や論理性は叉同じように別に持つ。
2010年08月29日
ニューヨークタイムス「日本ではネット右翼と在特会が勢威」
deepthroat
http://twitter.com/gloomynews/statuses/22400286103
日本国内右翼団体の新潮流、ネット右翼と在特会の街宣活動についてNYtimes紙が報道。在特会主催者によれば、米国のティーパーティ運動をモデルに活動してるとか。毎回思うけど、マーティン・ファックラー記者はいい仕事してるなあ。
↓
New Dissent in Japan Is Loudly Anti-Foreign
http://www.nytimes.com/2010/08/29/world/asia/29japan.html
In interviews, members of the Zaitokukai and other groups blamed foreigners, particularly Koreans and Chinese, for Japan’s growing crime and unemployment, and also for what they called their nation’s lack of respect on the world stage. Many seemed to embrace conspiracy theories taken from the Internet that China or the United States were plotting to undermine Japan.
日米共に「官製右翼」でしょ。
日本のは文字通り、官界で靖国原理主義が生き残る為の大金ブチ込んだ下手な策謀で。
米国のは主に共和党のカネが下支えする、ヤラセ草の根運動がティーパーティー。
共にヤラセだから似てるけど、時期は日本のが(仕込みとか含んだら)古いでしょう。
何れにせよ、汚いカネ目当ての政治ゴロがウジャウジャしてる金権政治の副産物です。
詰まり、
日米共に民主党よりも、対抗する政党の方が比較にならない金権政治!
て事ですね。
在特会主催者によれば、米国のティーパーティ運動をモデルに活動」
ソレは、特高をGHQが吸収して以来、戦後一貫して米国のポチ犬である官製右翼の、
悲しき習性のなせる技じゃないですか。
遊就館が米国に媚びるのと同じリップサービスでしょう。
残念な事に、相手側が親しみを感じてくれる効果は期待薄で、
例の犯罪級国辱動画アップと同様、寧ろ逆効果か知れませんが。
5年5ヶ月の売国政権小泉純一郎も後始末が終わらず大変であろう。
まだまだ口封じは続けざるえない。
第一東京弁護士会の元・民暴対策委員長がフィリピンで“自殺”
著名日本人弁護士が自殺か=民暴対策の猪狩さん―マニラ
(時事通信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100828-00000005-jij-int
第一東京弁護士会民暴対策委員長やプロ野球暴力団等排除対策中央協議会委員などを歴任。
ゼネコン汚職事件で収賄罪に問われた元茨城県知事の弁護を担当したほか、長年、暴力団排除を中心とした講演活動を行
い。、テレビの法律相談番組にも出演していた。
《備考》
振興銀 社外取締役の弁護士、自殺か
(8月2日の毎日新聞)
せきやんブログ8月5日
菅内閣は退陣せよhttp://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:5czmSzmb10cJ:36488.diarynote.jp/%3Fday%3D20100805+site:http://diarynote.jp/+%E3%81%9B%E3%81%8D%E3%82%84%E3%82%93%E3%80%80%E6%8C%AF%E8%88%88%E9%8A%80%E8%A1%8C%E3%80%80%E8%B5%A4%E5%9D%82%E4%BF%8A%E5%93%89&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&lr=lang_ja
日本振興銀行(東京都千代田区)の社外取締役で弁護士の赤坂俊哉さん(51)が東京都目黒区の自宅で死亡していたこ
とが分かった。
「菅総理には友愛ない…」
鳩山前総理が小沢一郎支持鮮明に。 http://bit.ly/bAhOXv
ロシアを訪れている鳩山前総理大臣
「菅総理の政策には友愛精神が反映されていない」
と不満を示し、代表選での小沢一郎支持を改めて鮮明にしました。
29日夕方菅直人総理ー鳩山前総理会談。
「小沢一郎ー菅直人会談の設定」
菅内閣を学級委員会内閣という。
学級委員長選びではない。
党首選挙である。
政権党党首は国家を背負っている。
国家のリーダー選びである。
ナンカサカサである。
ジャズ好きジャズメンは逆さで読みが習性。
よのなかばかなのよ
29日夕方菅直人総理ー鳩山前総理会談。
「小沢一郎ー菅直人会談の設定」
笑止ッ!
うつけものッ!
賽は投げられたのである。
たたかわずしては決着は無かろう。
その後の・・挙党一致ッ!
民主主義の大原則。
でアル。
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過去のゴシップ引っ張り出してくるかもね。
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週刊現代今日30日発売。
また、アエラに記事が出るようだ。
枝野・小宮山洋子探偵事務所の資料情報なんだろう
2010年08月29日
2人の民主党首脳が「小沢氏に不利な党内資料」をマスコミに進呈
山口一臣(「週刊朝日」編集長)
http://twitter.com/kazu1961omi/status/22390363269
あした発売のアエラ、週刊現代では小沢陣営幹部の山岡副代表の資金問題をスクープしています。
こちらは、小沢グループが党費を使って子飼議員の面倒を見ていたのではないかという話です。
民主党代表選もいよいよ自民党総裁選のようなことになってきましたな。
小沢代表当時の資金配分を調査…菅氏側 (読売新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100829-00000075-yom-pol
菅首相に近い民主党幹部は28日、小沢一郎前幹事長が2006年~09年の代表当時、「組織対策費」として特定議員に政治資金を集中的に配分していたことを問題視し、調査に入っていることを明らかにした。
9月の党代表選で小沢氏の政治とカネの問題に焦点をあてることで、首相支持につなげる狙いがあるようだ。
小沢ビビる帳簿流出!国会での野党対策“生け贄”情報も
(夕刊フジ)
http://netallica.yahoo.co.jp/news/138271
「小沢氏が、代表時代と幹事長時代の帳簿など党内資料がコピーされ、大手新聞社Aと出版社Bに提供されたという話だ
。『反小沢』色が強い議員2人の名前が挙がっている。
小沢氏の失脚を狙ったものだろう」
(略)
「菅首相周辺が、国会での野党対策に『小沢カード』を使うという話が出ている。
代表選を乗り切っても、菅民主党が参院少数であることに変わりはなく、国会運営は至難の業。
遅くても、来年の通常国会での予算審議の入り口でつまずく。
このため、予算審議などと引き換えに、野党が望む小沢氏の証人喚問に同意し、離党勧告や議員辞職を迫るつもりらしい」
最終決着をつけてほしい民主党代表選 (二木啓孝氏)
http://www.the-journal.jp/contents/futatsuki/2010/08/post_51.html
さらに、民主党の新執行部が政治と金をクリーンにするという観点から、これまでの民主党の資金の点検を行っている。
そのなかで、どうやら小沢さんが党を束ねているときに経理上とは別の口座を作り、民主党の資金を入金していたという
事実がある。総額4年間で35億円余。
民主党の現執行部はこの結果を公表していないが、すでにメディアにはこの資料が流れている。週明けあたりにこの資料
が公表されたときに、政治と金の問題でさらに小沢サイドは釈明を求められることになる可能性が高い。
オフイス・マツナガ
http://twitter.com/officematsunaga/status/22132361269
これも民主党の菅続投派の企てか?
小沢代表、小沢幹事長時代の、民主党の経理帳簿がマスコミに流出。
「小沢のカネ封印」が狙い?
だが、「やりすぎ」(ボス)。
責任者は枝野幹事長、小宮山洋子財務委員長。
これでは「党の体裁をなしていない」
(辻野。内容みたが決め手にならず。むしろ流出責任が重い。)
8月30日に発売する『週刊現代』
、民主党の政治資金使途に関して「不明瞭な巨額なカネ」が支出されていた事実のスクープ記事。
中味はコウである。
山岡賢次前国対委員長が、小沢氏が代表だった2007年の1年間に、財務委員長として約16億円もの巨額な「対策費」を引き出していたという。
自民党支配の65年で培われた憲政の常道。
選挙で敗北したら責任をとる。
国会で大見得を切った管直人総理。
「参議院選挙で国民の信をとう」
60議席が前回実績なのに勝敗ラインを「54議席」と低め設定。
ところが結果は「44議席」の大惨敗。
ところが
選対委員長、総指揮者枝野幹事長、司令菅直人党首。
誰一人何らの責任もとらない。
おまけに落選した千葉景子法務大臣は
民間選出大臣として居座るオマケ付き。
自民党65年でも一度もなかったこと。
菅民主党は狂っている。
朝日新聞主筆は米国大使を狙っている、船橋洋一。
いまでは読売ナベツネさえ驚くほどの偏向社説を載せている。
テレビでは朝日から星浩を配置して「統一」報道。
60年安保を岸政権安保政策推進反対のあの朝日新聞がこれである。
毎日はすでに創価の手に落ちている。
読売に論評事例を挙げる暇はない。
三大新聞は宗主国の手先に転落。
日本には愛国の立場の
憂国のメディアは存在しない。
朝日新聞でさえ売国奴報道機関となったとなった凋落ぶり。
(朝日新聞:27日社説)には驚いた。
みだしはとりわけ酷くゴロツキ新聞並である。
小沢氏出馬へ―あいた口がふさがらない
どうしてここまで民意とかけはなれたことができるのか。
多くの国民が、あぜんとしているに違いない。
民主党の小沢一郎前幹事長が、党代表選に立候補する意向を表明した。
政治とカネの問題で「責任を痛感した」と、幹事長を辞して3カ月もたっていない。
この間、小沢氏は問題にけじめをつけたのか。答えは否である。
いまだ国会で説明もせず、検察審査会で起訴相当の議決を受け、2度目の議決を待つ立場にある。
鳩山由紀夫前首相にも、あきれる。
小沢氏率いる自由党との合併の経緯から、この代表選で小沢氏を支持することが「大義だ」と語った。
「互いに責めを果たす」とダブル辞任したことを、もう忘れたのか。
二人のこのありさまは非常識を通り越して、こっけいですらある。
民主党代表はすなわち首相である。
党内の多数派工作に成功し、「小沢政権」が誕生しても、世論の支持のない政権運営は困難を極めるだろう。
党内でさえ視線は厳しい。
憲法の規定で、国務大臣は在任中、首相が同意しない限り訴追されない。
このため「起訴逃れ」を狙った立候補ではないかという批判が出るほどだ。
政治とカネの問題をあいまいにしたままでは、国会運営も行き詰まるに違いない。
より重大な問題も指摘しなければならない。
自民党は小泉政権後、総選挙を経ずに1年交代で首相を3人も取りかえた。
それを厳しく批判して政権交代に結びつけたのは、民主党である。
今回、もし小沢首相が誕生すれば、わずか約1年で3人目の首相となる。
「政権たらい回し」批判はいよいよ民主党に跳ね返ってくるだろう。
より悪質なのは どちらか。
有権者にどう申し開きをするのか。
それとも小沢氏は代表選に勝っても負けても、党分裂といった荒業もいとわずに大がかりな政界再編を仕掛けようとし
ているのだろうか。
金権腐敗政治と決別し、2大政党による政権交代のある政治、有権者が直接政権を選ぶ政治を実現する――。
そんな政治改革の動きの中心に、小沢、鳩山両氏はいた。
20年余の歳月を費やし、ようやく目標を達成したと思ったら、同じ二人がそれを台無しにしかねないことをしようと
している。
ほぼ1年前、新しい政治が始まることを期待して有権者は一票を投じた。
その思いを踏みにじるにもほどがあるのではないか。
しょせん民主党も同じ穴のむじ な、古い政治の体現者だったか――。
政党政治自体への冷笑がさらに深まっては取り返しがつかない。
代表選をそんな場にしてはならない。
有権者は政権交代に何を託したのか、根本から論じ直し、古い政治を乗り越える機会にしなければならない。
天下の朝日の社説である。
これが国民の常識で誘導される。
朝日新聞のご高説である。
小沢陣営
聞かれて曰く
「開けたマンマにしていればいい。」
サラリッとすましている。
暇はないとしたが読売をあげてみよう。
読売オンラインが実施している「みんなのYES/NO」で
「小沢一郎氏が民主党代表選に立候補します。支持しますか、支持しませんか? 」の設問に、
実に71%が「支持する」と回答。
http://bit.ly/b61l6I
でも・・・・
ナベツネ主筆にかかると
読売社説は、「小沢氏支持広がりを欠く。(@@) ドヒャー
鳩山前総理は、民主党のオーナー。
小沢一郎は旧自由党でのオーナー。
そのオーナー同士が力を合わせて、総理を出そうとするのだから、菅直人陣営に勝ち目は無い。
菅内閣を学級委員会内閣という。
国家のリーダーではない。
党首選挙である。
菅も仙谷も戦いを知らない甘ちゃんばかり。
参議院選挙は惨敗の大敗北。
鳩山前総理は、自分が事実上の民主党のオーナーだという自負心がある。
カネも出してきた。
その額は、半端じゃない。
そのオーナーを前に判断を求める小沢一郎と、党内融和を言っているのに言うことを聞かない菅総理、
必ず菅総理は、排除される。
つまり小沢も鳩山も冷酷
菅だけが甘ちゃんということ。
小沢一郎の総攻撃のすえ作り出されたアキレス腱といわれてること。
第五検察審は、起訴相当議決を感情的に出した
すぐさま検察が再度の不起訴処分。
その後、7月には最終結果が出ると思ったら、指定弁護士が辞任。
第一検察審が、不起訴不当とトーンダウン。
議決内容を漏洩したと別の市民団体が検察審を告発。
検察不受理。
当該告発市民団体警視庁強制捜査。
辞任した弁護士は、マスコミの取材から逃げ回り、あの感情的な議決書の説明は何もせず沈黙。
また、検察審査会に申し立て出来るのは、当該関係者だけなのですが、
市民団体はそもそも申立人になれず、検察審査会法違反で無効主張があるも、審査会は国民に全く説明していない。
なんですか、これは。
菅総理から赤紙招集された新人議員157人
果たして9月14日には菅総理になびくのか。
民主代表選:首相懇談会2日目、新人出席が大幅減(毎日新聞)
http://bit.ly/d7Z74g
新人議員からは「ねじれ国会を乗り切れるのか」と「追い込まれ解散」への不安を訴える意見が続出。
出席も前日の41人から26人に減少。
毎日新聞の記者のペンも弱り気味。
3日間で90人。
広がり欠く「小沢出馬論」(日経新聞) http://bit.ly/cus1P1
157人の新人議員のうち90人が首相と会談したので、書いたが、実際は、会談が奏功せず、
新人議員からは異論が続出、
そこで出た困惑のひとことが菅総理
「近く鳩山さんと話してみたい」。日経はウソを書くな。
民主党支持層の中で、菅総理の人気はそれほど高くない。
特に、党内論議もないままの唐突な消費税論議で、先の参議院選挙を大敗させた責任は
、菅総理にあると党員は皆思っている。
みそぎが済んでいないと言っていたあの小林 興起先生が、小沢氏出馬要請の場にいました。
さすが、権力の下にいた人は、嗅覚が違う。(笑)
生方議員のみはテレビでいっている。ただ言い方が変わっている。
「中立です」
笑わせるではないか。
小沢一郎陣営は盤石。
しきたり道理に日程を淡々と進める。
横路孝弘衆院議長、西岡武夫参院議長ら党内の主な実力者に電話で、協力を要請。
羽田孜元総理とも会談し、支持を取り付けた。
今後、鳩山、旧社会、旧民社、羽田の各グループへの協力要請を行い、
今週中にも記者会見して正式表明する見通し。
公器である新聞の生命線である「不偏不党、公正中立」
社事の綱領基準や論理性は叉同じように別に持つ。
2010年08月29日
ニューヨークタイムス「日本ではネット右翼と在特会が勢威」
deepthroat
http://twitter.com/gloomynews/statuses/22400286103
日本国内右翼団体の新潮流、ネット右翼と在特会の街宣活動についてNYtimes紙が報道。在特会主催者によれば、米国のティーパーティ運動をモデルに活動してるとか。毎回思うけど、マーティン・ファックラー記者はいい仕事してるなあ。
↓
New Dissent in Japan Is Loudly Anti-Foreign
http://www.nytimes.com/2010/08/29/world/asia/29japan.html
In interviews, members of the Zaitokukai and other groups blamed foreigners, particularly Koreans and Chinese, for Japan’s growing crime and unemployment, and also for what they called their nation’s lack of respect on the world stage. Many seemed to embrace conspiracy theories taken from the Internet that China or the United States were plotting to undermine Japan.
日米共に「官製右翼」でしょ。
日本のは文字通り、官界で靖国原理主義が生き残る為の大金ブチ込んだ下手な策謀で。
米国のは主に共和党のカネが下支えする、ヤラセ草の根運動がティーパーティー。
共にヤラセだから似てるけど、時期は日本のが(仕込みとか含んだら)古いでしょう。
何れにせよ、汚いカネ目当ての政治ゴロがウジャウジャしてる金権政治の副産物です。
詰まり、
日米共に民主党よりも、対抗する政党の方が比較にならない金権政治!
て事ですね。
在特会主催者によれば、米国のティーパーティ運動をモデルに活動」
ソレは、特高をGHQが吸収して以来、戦後一貫して米国のポチ犬である官製右翼の、
悲しき習性のなせる技じゃないですか。
遊就館が米国に媚びるのと同じリップサービスでしょう。
残念な事に、相手側が親しみを感じてくれる効果は期待薄で、
例の犯罪級国辱動画アップと同様、寧ろ逆効果か知れませんが。
5年5ヶ月の売国政権小泉純一郎も後始末が終わらず大変であろう。
まだまだ口封じは続けざるえない。
第一東京弁護士会の元・民暴対策委員長がフィリピンで“自殺”
著名日本人弁護士が自殺か=民暴対策の猪狩さん―マニラ
(時事通信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100828-00000005-jij-int
第一東京弁護士会民暴対策委員長やプロ野球暴力団等排除対策中央協議会委員などを歴任。
ゼネコン汚職事件で収賄罪に問われた元茨城県知事の弁護を担当したほか、長年、暴力団排除を中心とした講演活動を行
い。、テレビの法律相談番組にも出演していた。
《備考》
振興銀 社外取締役の弁護士、自殺か
(8月2日の毎日新聞)
せきやんブログ8月5日
菅内閣は退陣せよhttp://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:5czmSzmb10cJ:36488.diarynote.jp/%3Fday%3D20100805+site:http://diarynote.jp/+%E3%81%9B%E3%81%8D%E3%82%84%E3%82%93%E3%80%80%E6%8C%AF%E8%88%88%E9%8A%80%E8%A1%8C%E3%80%80%E8%B5%A4%E5%9D%82%E4%BF%8A%E5%93%89&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&lr=lang_ja
日本振興銀行(東京都千代田区)の社外取締役で弁護士の赤坂俊哉さん(51)が東京都目黒区の自宅で死亡していたこ
とが分かった。
「菅総理には友愛ない…」
鳩山前総理が小沢一郎支持鮮明に。 http://bit.ly/bAhOXv
ロシアを訪れている鳩山前総理大臣
「菅総理の政策には友愛精神が反映されていない」
と不満を示し、代表選での小沢一郎支持を改めて鮮明にしました。
29日夕方菅直人総理ー鳩山前総理会談。
「小沢一郎ー菅直人会談の設定」
菅内閣を学級委員会内閣という。
学級委員長選びではない。
党首選挙である。
政権党党首は国家を背負っている。
国家のリーダー選びである。
ナンカサカサである。
ジャズ好きジャズメンは逆さで読みが習性。
よのなかばかなのよ
29日夕方菅直人総理ー鳩山前総理会談。
「小沢一郎ー菅直人会談の設定」
笑止ッ!
うつけものッ!
賽は投げられたのである。
たたかわずしては決着は無かろう。
その後の・・挙党一致ッ!
民主主義の大原則。
でアル。
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今日の誕生日の花は・・・・ミズアオイ
花言葉は・・・・・・前途洋々
28日のニュース
北海道はでっかいどう!?
フクシマ商業高校グラウンドは三沢基地発のヘリ緊急着陸基地。
イヤァ~驚いた。
沖縄だけの問題ではない。
国家の独立と自主独立の悩みは深い
今日のワインは・・
28日のニュース
宮崎は小っさいじゃ(崎)さきー
世間を誤魔化している。
地元紙は口蹄疫・・・
終息宣言が一面で踊っています。
医院帰りに寄った図書館ロビーでは一連を写真新聞を使いセンセーショナルに煽ってます。
JA会館では大集会
確かに・・どこでも・・
「申し訳ありませんでした」
その部分は皆目抜け落ちてます。
そのまんま東ポスターで当選してて
いつの間にか名前が変わっている詐欺行為当選疑惑の現知事
卑猥である。
最近では東京都知事狙いナゾとまたもやお騒がせネタ。
県政に品格がありません。
まず宮崎県の人が全国に詫びるべき
それから支援活動。
ブログでそうあり感動いたしております。
そのとおりであります。
こう言うスジ論を大事になさるのがこの国民族の基本。
実に当該県ブロガーとしてお叱りごもっとも
被害で大変だ
は順序が違おう
いい加減な風潮にへきへき
勇気あるブログに感激いたしました。
それが品格ある民族なんでしょう。
爺目もこうてい病がニュースになったときから
申し訳ありません
とアップいたしております。
決して終息はしていません。
???
何度かアップしているように
口蹄疫ウィルスは県内土壌まだたくさんに潜んでいます。
断言できます。
風土病です
「よろ」です。
今疫学的誰しもウィルスと知ってます
時代がまるで話になりません。
戦争で列島どこも灰燼に帰して生きるのみに必死でした。
住むトコ食べるもののみの65年前のこの国。
テレビ網はなく国内にテレビ一台もない。
ただし列島全体が遅れていた。
小一担ってから51音文字を覚える
自分の名前が書ける。
自分の名前を小一になり書く
それは落ちこぼれではない。
最優秀生徒である。
学校受業以外は勉強ナゾしていない程度でも。
通知票は図画工作体育以外は通しで「5」でした。
今の子らの小一一日目で自分の名が書けナイ子はなかろう。
時代が違うのである。
平和の時の子らは学業環境という限定的に言うと実にいい環境にある。
兄姉たちの同級生は弟妹を学校に連れてくる。
42名中2割は子守り(子育て)しながらの小一成りの生徒をしている。
戦後っ子ゆえ戦争自体は知らないが悲劇悲惨さは知ってる団塊の世代。
山奥の田舎の地域ではそうであった。
みな貧乏でも餓鬼大将はえばってはいても
陰湿な虐めはなく
共生で生きてた世代である。
住むに困り食い物ナイ中の世界最低から60年代末にはドイツを抜きGNP第二位に躍進した国である。
その秘訣は
団塊の世代の方々が語られてるとおりにどれも正しかろう。
あのころ農家で牛一頭死すと今と経済状態規模が違うゆえ相当なる打撃
牛のよだれ、食欲無くおかしなドローと水みたいなウンチ。
飼育担当の幼子は異変を大人以上に知っていた。
ギリギリまで看病してて限界を超え現金支払いが生じる
「バイドン」=獣医師を呼ぶ。
必死で何故か・・牛舎で火を一昼夜欠かさずともす。
牛舎のある神様の馬頭観音に捧げ快癒を祈る
「よろー」の診断がされると大体ダメも知っていた。
村内に内緒で馬頭観音に葬る
「あそこではヨロがでたぞー」
知れると共同体で生きるのが苦しくなるゆえの生き抜く知恵。
石灰をまき石けん水を絶やさなかった。
長が~い棒状の全く使わない。
石けんを必死に小さくしてひたすら石けん水を創った。
終息宣言のウソ。
牛豚なぞのウンチ処置は高熱にしてウィルスを殺す。
基準は60度
ところがその温度に達して無くとも50度クリアーとハードルを下げてのコトを見ての
スケジュールとうりの27日終息宣言。
どの農家も分業での専門的農業形態。
昔はどこも有機農業。
総てがリサイクル。
牛豚の出すウンチは藁を交ぜ土手の草木を交ぜうずたかく積み上げる
雨に濡らさず鉄板いたの屋根代わりのを乗っける
何日かスルト蒸気が発生する
戯れに上ると熱い
火傷しそうに熱い
堆肥の山を前の端下から二人組みして切り返す。
「ヨイショ、ホイッセ」
一日中単純作業
マタ元の山を積み上げる。
りッパな堆肥が出来る。
植え付け前の元肥料としてリヤカーに積んで田畑に播く。
追加堆肥は追肥
堆肥の山をさらに切り返しで微粉末状にする。
竹で編んだショケで作物にかかるのを避けながら播く
化学肥料金肥は全く使わない。
牛はまだイイとして豚糞尿は堆肥には馴染まない。
今回60度に堆肥が上がらないのは農業構造の変化にあろう。
百姓でなく農家
その農家が分業専門化したゆえ堆肥技術に未熟
或いは忘れ去られた農業技術からと爺目は見る。
切り返しをしてこその積み上げた「堆肥前」の山の糞尿の発酵である。
切り返し作業しなければ発酵しにくい。
或いは堆肥作るに交ぜモノの微妙なる比率がある。
その堆肥技術が畜産農家にはない。
糞尿は邪魔でしかない。
堆肥無き金肥のみの農家は村人から蔑まれた。
有機稲作中心農業時代にはあり得なかった恥じたる駄目百姓、駄農家
堆肥作りさえ満足に指導できず何が農業県ぞ
感染ルートさえ明らかに出来ず何が終息宣言ぞ!
国の・・国民の・・手厚い保護狙い。・・
神の国の発祥の地も情けなや。
骨の髄までかねカネ金のユダヤ思想の金権崇拝主義に毒されている。
まずは熊本なぞにお詫びしろッ!
この国には立派な方がおられる。
28日昼は総決起大会
夜は宮崎港5000発花火大会。
37,4度の県もあり宮崎は南の国返上?
28日34,7度の江戸
サンバカーニバル4700人の浅草。
深夜のクラッシック外がいい。
小沢復帰の斉藤祈念音楽会。
小沢指揮の
ベルリオーズの舞踏会
出来たらシューマン生誕200年の年
ショパンの名声になんか霞んでるきらいのシューマンもいい。
シューマンの良妻クララは名家のお嬢さん。
両親はシューマンの先生でもある。
生徒はシューマンだけでなくリストも
さらにはブラームスと連らなる音楽界の人間山脈
シューマン未亡人くららを師と仰ぐブラームス
14才の年の差もあったうえの尊敬心、
母或いは愛情もあったのか。
作品はスグ持ち込まれる。
クララの「いいわよ」のみがブラームス作品となる。
ワルツ連弾曲
作品39第15変イ長調
メロディーがいい。
ブラームスのワルツ
柴田祐規子・奥田佳道が教える
「今夜は世界各国ワルツ三昧」
ロシア抜きしてワルツはない。
ワルツ宝庫でサンクトペテルブルグは玄関口
ワルツヘ長調
作曲者トルストイ
貴族の出ゆえの教養
豊かな国である。
バレー音楽
華やかさはなんてぇたって眠れる森の美女
第一幕
チャイコスキー
ハチャトリアン
仮面舞踏会
ボリショイ
アジアっぽい
コ^カサス地方
金管
大太鼓
フィギア
無き旋律日本人向け
ショスターコービッチ
プロムナード用ワルツ
ワルツとはリフレーン
旋回するバルツァー語ドイツ
サンクト生まれのモスクワでなくなる
映画音楽飲み屋のアルバイト
即興ピアノの能力
サクスホーンの響き
天才武満トオル1930年生まれ
生誕80年
ボーンマス英国楽団
米国人指揮
テシカワラ映画
三つ映画音楽ワルツ
小澤征爾の紹介
シューマンが名のない頃のショパンを引き上げたとおなじ
大河ドラマ
池辺普一郎
クラッシク音楽家が描いた映画音楽
何故アメリカのワルツはいいのか。
リロイ・アンダーソン
今日のワインは「王様の涙」スペイン産
アップせず寝入ってました。
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花言葉は・・・・・・前途洋々
28日のニュース
北海道はでっかいどう!?
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沖縄だけの問題ではない。
国家の独立と自主独立の悩みは深い
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宮崎は小っさいじゃ(崎)さきー
世間を誤魔化している。
地元紙は口蹄疫・・・
終息宣言が一面で踊っています。
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JA会館では大集会
確かに・・どこでも・・
「申し訳ありませんでした」
その部分は皆目抜け落ちてます。
そのまんま東ポスターで当選してて
いつの間にか名前が変わっている詐欺行為当選疑惑の現知事
卑猥である。
最近では東京都知事狙いナゾとまたもやお騒がせネタ。
県政に品格がありません。
まず宮崎県の人が全国に詫びるべき
それから支援活動。
ブログでそうあり感動いたしております。
そのとおりであります。
こう言うスジ論を大事になさるのがこの国民族の基本。
実に当該県ブロガーとしてお叱りごもっとも
被害で大変だ
は順序が違おう
いい加減な風潮にへきへき
勇気あるブログに感激いたしました。
それが品格ある民族なんでしょう。
爺目もこうてい病がニュースになったときから
申し訳ありません
とアップいたしております。
決して終息はしていません。
???
何度かアップしているように
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断言できます。
風土病です
「よろ」です。
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時代がまるで話になりません。
戦争で列島どこも灰燼に帰して生きるのみに必死でした。
住むトコ食べるもののみの65年前のこの国。
テレビ網はなく国内にテレビ一台もない。
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小一担ってから51音文字を覚える
自分の名前が書ける。
自分の名前を小一になり書く
それは落ちこぼれではない。
最優秀生徒である。
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時代が違うのである。
平和の時の子らは学業環境という限定的に言うと実にいい環境にある。
兄姉たちの同級生は弟妹を学校に連れてくる。
42名中2割は子守り(子育て)しながらの小一成りの生徒をしている。
戦後っ子ゆえ戦争自体は知らないが悲劇悲惨さは知ってる団塊の世代。
山奥の田舎の地域ではそうであった。
みな貧乏でも餓鬼大将はえばってはいても
陰湿な虐めはなく
共生で生きてた世代である。
住むに困り食い物ナイ中の世界最低から60年代末にはドイツを抜きGNP第二位に躍進した国である。
その秘訣は
団塊の世代の方々が語られてるとおりにどれも正しかろう。
あのころ農家で牛一頭死すと今と経済状態規模が違うゆえ相当なる打撃
牛のよだれ、食欲無くおかしなドローと水みたいなウンチ。
飼育担当の幼子は異変を大人以上に知っていた。
ギリギリまで看病してて限界を超え現金支払いが生じる
「バイドン」=獣医師を呼ぶ。
必死で何故か・・牛舎で火を一昼夜欠かさずともす。
牛舎のある神様の馬頭観音に捧げ快癒を祈る
「よろー」の診断がされると大体ダメも知っていた。
村内に内緒で馬頭観音に葬る
「あそこではヨロがでたぞー」
知れると共同体で生きるのが苦しくなるゆえの生き抜く知恵。
石灰をまき石けん水を絶やさなかった。
長が~い棒状の全く使わない。
石けんを必死に小さくしてひたすら石けん水を創った。
終息宣言のウソ。
牛豚なぞのウンチ処置は高熱にしてウィルスを殺す。
基準は60度
ところがその温度に達して無くとも50度クリアーとハードルを下げてのコトを見ての
スケジュールとうりの27日終息宣言。
どの農家も分業での専門的農業形態。
昔はどこも有機農業。
総てがリサイクル。
牛豚の出すウンチは藁を交ぜ土手の草木を交ぜうずたかく積み上げる
雨に濡らさず鉄板いたの屋根代わりのを乗っける
何日かスルト蒸気が発生する
戯れに上ると熱い
火傷しそうに熱い
堆肥の山を前の端下から二人組みして切り返す。
「ヨイショ、ホイッセ」
一日中単純作業
マタ元の山を積み上げる。
りッパな堆肥が出来る。
植え付け前の元肥料としてリヤカーに積んで田畑に播く。
追加堆肥は追肥
堆肥の山をさらに切り返しで微粉末状にする。
竹で編んだショケで作物にかかるのを避けながら播く
化学肥料金肥は全く使わない。
牛はまだイイとして豚糞尿は堆肥には馴染まない。
今回60度に堆肥が上がらないのは農業構造の変化にあろう。
百姓でなく農家
その農家が分業専門化したゆえ堆肥技術に未熟
或いは忘れ去られた農業技術からと爺目は見る。
切り返しをしてこその積み上げた「堆肥前」の山の糞尿の発酵である。
切り返し作業しなければ発酵しにくい。
或いは堆肥作るに交ぜモノの微妙なる比率がある。
その堆肥技術が畜産農家にはない。
糞尿は邪魔でしかない。
堆肥無き金肥のみの農家は村人から蔑まれた。
有機稲作中心農業時代にはあり得なかった恥じたる駄目百姓、駄農家
堆肥作りさえ満足に指導できず何が農業県ぞ
感染ルートさえ明らかに出来ず何が終息宣言ぞ!
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神の国の発祥の地も情けなや。
骨の髄までかねカネ金のユダヤ思想の金権崇拝主義に毒されている。
まずは熊本なぞにお詫びしろッ!
この国には立派な方がおられる。
28日昼は総決起大会
夜は宮崎港5000発花火大会。
37,4度の県もあり宮崎は南の国返上?
28日34,7度の江戸
サンバカーニバル4700人の浅草。
深夜のクラッシック外がいい。
小沢復帰の斉藤祈念音楽会。
小沢指揮の
ベルリオーズの舞踏会
出来たらシューマン生誕200年の年
ショパンの名声になんか霞んでるきらいのシューマンもいい。
シューマンの良妻クララは名家のお嬢さん。
両親はシューマンの先生でもある。
生徒はシューマンだけでなくリストも
さらにはブラームスと連らなる音楽界の人間山脈
シューマン未亡人くららを師と仰ぐブラームス
14才の年の差もあったうえの尊敬心、
母或いは愛情もあったのか。
作品はスグ持ち込まれる。
クララの「いいわよ」のみがブラームス作品となる。
ワルツ連弾曲
作品39第15変イ長調
メロディーがいい。
ブラームスのワルツ
柴田祐規子・奥田佳道が教える
「今夜は世界各国ワルツ三昧」
ロシア抜きしてワルツはない。
ワルツ宝庫でサンクトペテルブルグは玄関口
ワルツヘ長調
作曲者トルストイ
貴族の出ゆえの教養
豊かな国である。
バレー音楽
華やかさはなんてぇたって眠れる森の美女
第一幕
チャイコスキー
ハチャトリアン
仮面舞踏会
ボリショイ
アジアっぽい
コ^カサス地方
金管
大太鼓
フィギア
無き旋律日本人向け
ショスターコービッチ
プロムナード用ワルツ
ワルツとはリフレーン
旋回するバルツァー語ドイツ
サンクト生まれのモスクワでなくなる
映画音楽飲み屋のアルバイト
即興ピアノの能力
サクスホーンの響き
天才武満トオル1930年生まれ
生誕80年
ボーンマス英国楽団
米国人指揮
テシカワラ映画
三つ映画音楽ワルツ
小澤征爾の紹介
シューマンが名のない頃のショパンを引き上げたとおなじ
大河ドラマ
池辺普一郎
クラッシク音楽家が描いた映画音楽
何故アメリカのワルツはいいのか。
リロイ・アンダーソン
今日のワインは「王様の涙」スペイン産
アップせず寝入ってました。
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小沢一郎立つッ!(4)
2010年8月28日 お仕事今日の誕生日の花は・・・ヤマハハコ
花言葉は・・・・・・・純情
キク科の高山植物で厳しきところにけなげに咲くゆえの花言葉か。
写真はこちら↓
http://www.ootk.net/cgi/shikihtml/shiki_388.htm
ハハコクサ、春の七草の一つオギョウのこと。
ラジオの説明は何処か正常な日本語にない。
自分が知らずに原稿棒読み京都発のナカガワミドリアナの
花への造詣不足が解るエピソードとみる。
まぁ最高の季節が南の国でさえ注意すれば見られるようになった季節到来ゆえないことにしよう。
すずむしの いつかとおのく ねむりかな。
17年前に総理に成れたのに権力に執着しない小沢一郎がついに立った。
菅ー仙石体制に疑義なんだろうか。
ここんとこの一連のシリーズのブログにその臭いがする。
あちこちを丸写しゆえのこと。
・仙石を役員から下ろすこと
・小沢グループから人事登用すること
小沢一郎の器はその低度なのだろうか。
そうではない。
すべては「ねじれ」にある。
参議院選挙の大敗は政権党にはキズが大きすぎた。
その責任をとらない現執行部は幼すぎる。
おぼっちゃま、学級委員会内閣との幼さの菅内閣
管政権民主党の国家運営の危機感なきに立ち上がったんである。
確かに仙石幹事長はその観点からのみ問題がある。
何故か
仙石由人幹事長の秘書の問題である。
矢野清城公設秘書は公明党の矢野絢也元委員長の長男である。
2009年11月に公設秘書に登録されている
それ以前は、矢野元委員長の長男を伏せて私設秘書として務めていたらしい。
ブロガーの皆さんは承知の通り矢野元委員長はこれまで公明党の支持母体・創価学会と訴訟事件を抱えて、
「仏敵」と呼ばれている。
「ねじれ」の政局解消からその一つに公明党との連立を模索してきた小沢前幹事長
そこに障害が出る。
民主党は予算案は決議できても執行の関連法が通過しない。
来年2月のは解散総選挙の道を迫られている
管政権では誰も「ねじれ」の意味がわかっていない。
小沢一郎のみ政権党のその事態を読んでいる。
碁の達人は
布石でその政局を読んでいる。
仙石憎しッ!で言ってることではない。
民主党の6ヶ月後の大儀のための
仙石幹事長辞任要求ナンである。
爺目はそう民族派政治家小沢一郎の憂国の心を読んでいる。
創価学会前会長の秋谷栄之助・最高指導会議議長と小沢前幹事長が東京都内 のホテルで密かに会談したのは、2月26日夜
仙谷官房長官を牽制する目的があったとも語られている。
公明党内に一・一ラインを復職させている
植草元早大教授の言われる悪徳ペンタゴン攻勢に一人対処している小沢前幹事長
想像を絶する生命をかけた攻勢に対処するために政治信念の成就のためである。
この国の支配者組織の一つに皇室まで乗っ取っている創価組織がある。
総体革命は貫徹しつつある。
宮内庁の幹部は創価の構成員が多く配置されている。
次期皇室継承者第一の皇太子の妻・雅子妃実家大和田家は創価の家。
皇太子妃は創価の人である。
雅子妃が精神的病弱にアルは愛子妃の病気にもあろうがそれだけではなかろう。
神道儀式に明け暮れるに天皇家のしきたりに完全に馴染みきれないために生じてること。
民族政治家小沢一郎は危機にある。
政権交代
で何処の国に最初に行ったか。
英国である。
権力の後ろ盾の確認お願いにが目的の一つであった。
それが功を奏している。
ソコまでしなければ対米従属の65年間の植民地化からの脱却は出来ない。
現実対応としてやむ得ないこと。
英国ロスチャイルドーローマ法王庁(バチカン)ー創価学会が連携して、
小沢救済に当たる。
ディビッド・ロックフェラーやブッシュ前大統領側から放たれる刺客によるテロを未然に防ぐためである。
対米従属の小泉純一郎の置きみやげは実に思い。
罪深いことをしてくれたモノである。
宗主国より国富の最大に狙いを付けられ貢ぐように命令を受けた郵政資金350億円。
コレを巡り自民党は小泉の言う確かにぶっ壊された。
郵政民営化 VS 反対派
このキズが残した政治的傷跡の修復は無理である。
この関連者の推進・反対の影響ある方々の発言に日々注意している。
内橋克人 (元神戸新聞記者、神戸大学教授 NHK名誉解説論者)
植草一秀(元名古屋商科大学,元早稲田大学:マクロ経済学)
金子勝(慶應義塾大学:財政学,制度の経済学)
蝋山昌一(大阪大学名誉教授:金融論)
寺島実郎(財団日本総研所長、三井物産)
中谷巌 (一橋大学名誉教授:マクロ経済学)
森永卓郎(獨協大学教授)
伊藤元重(東京大学:国際経済学)
榊原英資(早稲田大学、元慶應義塾大学、元大蔵省:国際金融論)
高橋洋一(総務省官僚、元財務省:財政政策,財政投融資)
高橋進(内閣府政策統括官,元日本総研エコノミスト)
竹中平蔵(慶應義塾大学:国際経済学)…元国会議員,元総務大臣,元金融担当大臣
本間 正明(公共経済学。大阪大学副学長等を経て近畿大学教授。大阪大学経済学博士。政府税制調査会会長(2006年11月から12月まで)、関西社会経済研究所所長、大阪府特別顧問(2008年9月1日から2009年3月31日まで)等を歴任。
竹中平蔵とは大蔵省財政金融研究所時代からのつながりがある。 読売テレビのウェークアップ!では大嶽秀夫京都大学教
授と論争をした。
大嶽秀夫(日本政治学者。法学博士)
八代尚宏(国際基督教大学:労働経済学)
リチャード・クー(野村総合研究所エコノミスト)
ロバート・アラン・フェルドマン(モルガン・スタンレー証券経済調査部長)
野口悠紀雄(元東京大学:公共経済学)
木内登英(野村証券金融経済研究所経済調査部長兼チーフエコノミスト)
斎藤精一郎(千葉商科大学教授、NTTデータ経営研究所所長、元立教大学教授、WBSテレビ東京)
伊藤元重(東京大学教授) - トレたま大賞の審査員長も務める
高橋進(日本総合研究所副理事長) - 内閣府政策統括官就任のため一時降板していた。退任後に復帰
五十嵐敬喜(三菱UFJリサーチ&コンサルティング調査部長)
中島厚志(みずほ総合研究所チーフエコノミスト)
木内登英(野村証券金融経済研究所経済調査部長兼チーフエコノミスト)
御立尚資(ボストンコンサルティンググループバイスプレジデント)
安田育生(日本の企業家、学者。日本のM&Aの草分的存在。 ピナクル株CEO、元リーマンブラザース
米倉誠一郎(経営学歴史学博士 一橋大学イノベーション研究センター教授
田中直殻(日本公共政策センター所長)小泉純一郎の禄をハンでるところ。
青山繁晴(安全保障、作家、)
まぁ~人それぞれ
リンクの皆様、掲げたこれら師と仰ぎ丸写しで備忘録として残すようにしている。
ブログとはその程度のモノ。
目くじら立てるモノではない。
それも於かれてる環境ゆえ総てが出来ないでる。
新聞テレビのメディアのここんとこの日々が小沢個人攻撃
放送法違反行為で辛い。
しかしコレは視聴体験してたのに気づかなかった。
流石に鋭い。
植草ブログである。
8月26日の「NHKニュース9」で、キャスターの大越健介氏による小沢一郎元代表と菅直人代表の両陣営議員へのインタビューが放映された。
テレビ局は画面を構成する際に、上手、下手の区別、出演者の座席位置などに極めて大きな神経を使う。
テレビ界の常識でもある。
小沢一郎氏陣営の山岡賢治議員へのインタビューの際には、大越氏が上手に着席し、山岡氏が下手に着席してインタビュー収録が行われた。
菅陣営の寺田学議員へのインタビューの際には、寺田氏が上手、大越氏が下手に着席してインタビューが収録された。
NHKでは政治部エリートがワシントン勤務、経済部エリートがニューヨーク勤務を経験するとされている。とりわけ
ワシントン勤務、あるいはワシントン支局長経験者は米国と強い関係を構築することと伝えられている。大越氏はワシントン支局長を務めた経験を有する。
偏向報道を繰り返してきたNHKであるから、民主党代表選に向けての放送についても、十分な監視が必要である。
NHKがビデオ収録を行う際に、上手、下手を意識しないことはあり得ない。
本日の放送では、意図して、菅陣営を上手、小沢陣営を下手に着席させてインタビューを行ったものと推察される。
視聴者に目に見えぬ印象を与える手法である。この事実ひとつを取り上げても、NHKの偏向は明らかであり、主権者国民はNHKも悪徳ペンタゴン支配下にあるとの前提で報道に接する必要がある
管政権は選挙で大敗した責任を何も取らず、うやむやにし、
それについてメディアはろくに批判もしない。
おかしいではないか?
円独歩高、株安ココントコで死に体内閣の為の無為無策で50兆円モノ国富がぶっ飛んでるようだ。
米欧の国際金融機関からぐるりと包囲されたこの国日本が、まさに国難に直面している
国家的緊急課題の解消の救国内閣を樹立できる政治家は誰か。
・菅直人総理続投
・小沢一郎総理誕生に託す、
菅直人政権は小泉・竹中路線と軌を一にする弱肉強食の新自由主義者たちである。
「生活が第一」の「小沢鳩山改革路線」ではなく、格差拡大社会の再現である。
外交も、小沢鳩山の「日米中正三角形」外交ではない。
カレル・V・ウォルフレンが指摘している
「世界史上、例を見ない"宗主国と属国"の関係」
に安住しようとする対米追従路線である。
これではこの国の未来はない。
この国の真の独立を果たすために絶好の機会を見逃す手はない。
普天間問題の沖縄の密約の背景を総て出し切る事こそが民主支持率回復に繋がろう。
宗主国から真の独立を勝ち取る道でもある。
今、日本の民主主義は危機に瀕している。
否ッ!
国家が崩壊しつつある
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17年前に総理に成れたのに権力に執着しない小沢一郎がついに立った。
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・小沢グループから人事登用すること
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そうではない。
すべては「ねじれ」にある。
参議院選挙の大敗は政権党にはキズが大きすぎた。
その責任をとらない現執行部は幼すぎる。
おぼっちゃま、学級委員会内閣との幼さの菅内閣
管政権民主党の国家運営の危機感なきに立ち上がったんである。
確かに仙石幹事長はその観点からのみ問題がある。
何故か
仙石由人幹事長の秘書の問題である。
矢野清城公設秘書は公明党の矢野絢也元委員長の長男である。
2009年11月に公設秘書に登録されている
それ以前は、矢野元委員長の長男を伏せて私設秘書として務めていたらしい。
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「仏敵」と呼ばれている。
「ねじれ」の政局解消からその一つに公明党との連立を模索してきた小沢前幹事長
そこに障害が出る。
民主党は予算案は決議できても執行の関連法が通過しない。
来年2月のは解散総選挙の道を迫られている
管政権では誰も「ねじれ」の意味がわかっていない。
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布石でその政局を読んでいる。
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爺目はそう民族派政治家小沢一郎の憂国の心を読んでいる。
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仙谷官房長官を牽制する目的があったとも語られている。
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この国の支配者組織の一つに皇室まで乗っ取っている創価組織がある。
総体革命は貫徹しつつある。
宮内庁の幹部は創価の構成員が多く配置されている。
次期皇室継承者第一の皇太子の妻・雅子妃実家大和田家は創価の家。
皇太子妃は創価の人である。
雅子妃が精神的病弱にアルは愛子妃の病気にもあろうがそれだけではなかろう。
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民族政治家小沢一郎は危機にある。
政権交代
で何処の国に最初に行ったか。
英国である。
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ソコまでしなければ対米従属の65年間の植民地化からの脱却は出来ない。
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英国ロスチャイルドーローマ法王庁(バチカン)ー創価学会が連携して、
小沢救済に当たる。
ディビッド・ロックフェラーやブッシュ前大統領側から放たれる刺客によるテロを未然に防ぐためである。
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郵政民営化 VS 反対派
このキズが残した政治的傷跡の修復は無理である。
この関連者の推進・反対の影響ある方々の発言に日々注意している。
内橋克人 (元神戸新聞記者、神戸大学教授 NHK名誉解説論者)
植草一秀(元名古屋商科大学,元早稲田大学:マクロ経済学)
金子勝(慶應義塾大学:財政学,制度の経済学)
蝋山昌一(大阪大学名誉教授:金融論)
寺島実郎(財団日本総研所長、三井物産)
中谷巌 (一橋大学名誉教授:マクロ経済学)
森永卓郎(獨協大学教授)
伊藤元重(東京大学:国際経済学)
榊原英資(早稲田大学、元慶應義塾大学、元大蔵省:国際金融論)
高橋洋一(総務省官僚、元財務省:財政政策,財政投融資)
高橋進(内閣府政策統括官,元日本総研エコノミスト)
竹中平蔵(慶應義塾大学:国際経済学)…元国会議員,元総務大臣,元金融担当大臣
本間 正明(公共経済学。大阪大学副学長等を経て近畿大学教授。大阪大学経済学博士。政府税制調査会会長(2006年11月から12月まで)、関西社会経済研究所所長、大阪府特別顧問(2008年9月1日から2009年3月31日まで)等を歴任。
竹中平蔵とは大蔵省財政金融研究所時代からのつながりがある。 読売テレビのウェークアップ!では大嶽秀夫京都大学教
授と論争をした。
大嶽秀夫(日本政治学者。法学博士)
八代尚宏(国際基督教大学:労働経済学)
リチャード・クー(野村総合研究所エコノミスト)
ロバート・アラン・フェルドマン(モルガン・スタンレー証券経済調査部長)
野口悠紀雄(元東京大学:公共経済学)
木内登英(野村証券金融経済研究所経済調査部長兼チーフエコノミスト)
斎藤精一郎(千葉商科大学教授、NTTデータ経営研究所所長、元立教大学教授、WBSテレビ東京)
伊藤元重(東京大学教授) - トレたま大賞の審査員長も務める
高橋進(日本総合研究所副理事長) - 内閣府政策統括官就任のため一時降板していた。退任後に復帰
五十嵐敬喜(三菱UFJリサーチ&コンサルティング調査部長)
中島厚志(みずほ総合研究所チーフエコノミスト)
木内登英(野村証券金融経済研究所経済調査部長兼チーフエコノミスト)
御立尚資(ボストンコンサルティンググループバイスプレジデント)
安田育生(日本の企業家、学者。日本のM&Aの草分的存在。 ピナクル株CEO、元リーマンブラザース
米倉誠一郎(経営学歴史学博士 一橋大学イノベーション研究センター教授
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テレビ局は画面を構成する際に、上手、下手の区別、出演者の座席位置などに極めて大きな神経を使う。
テレビ界の常識でもある。
小沢一郎氏陣営の山岡賢治議員へのインタビューの際には、大越氏が上手に着席し、山岡氏が下手に着席してインタビュー収録が行われた。
菅陣営の寺田学議員へのインタビューの際には、寺田氏が上手、大越氏が下手に着席してインタビューが収録された。
NHKでは政治部エリートがワシントン勤務、経済部エリートがニューヨーク勤務を経験するとされている。とりわけ
ワシントン勤務、あるいはワシントン支局長経験者は米国と強い関係を構築することと伝えられている。大越氏はワシントン支局長を務めた経験を有する。
偏向報道を繰り返してきたNHKであるから、民主党代表選に向けての放送についても、十分な監視が必要である。
NHKがビデオ収録を行う際に、上手、下手を意識しないことはあり得ない。
本日の放送では、意図して、菅陣営を上手、小沢陣営を下手に着席させてインタビューを行ったものと推察される。
視聴者に目に見えぬ印象を与える手法である。この事実ひとつを取り上げても、NHKの偏向は明らかであり、主権者国民はNHKも悪徳ペンタゴン支配下にあるとの前提で報道に接する必要がある
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おかしいではないか?
円独歩高、株安ココントコで死に体内閣の為の無為無策で50兆円モノ国富がぶっ飛んでるようだ。
米欧の国際金融機関からぐるりと包囲されたこの国日本が、まさに国難に直面している
国家的緊急課題の解消の救国内閣を樹立できる政治家は誰か。
・菅直人総理続投
・小沢一郎総理誕生に託す、
菅直人政権は小泉・竹中路線と軌を一にする弱肉強食の新自由主義者たちである。
「生活が第一」の「小沢鳩山改革路線」ではなく、格差拡大社会の再現である。
外交も、小沢鳩山の「日米中正三角形」外交ではない。
カレル・V・ウォルフレンが指摘している
「世界史上、例を見ない"宗主国と属国"の関係」
に安住しようとする対米追従路線である。
これではこの国の未来はない。
この国の真の独立を果たすために絶好の機会を見逃す手はない。
普天間問題の沖縄の密約の背景を総て出し切る事こそが民主支持率回復に繋がろう。
宗主国から真の独立を勝ち取る道でもある。
今、日本の民主主義は危機に瀕している。
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小沢一郎立つッ!(3)
2010年8月28日 お仕事小沢一郎立候補決断の一番は鳩山由紀夫前総理の一言の確認からにある。
「民由合併の時からの同士としての協力が得られるなら出馬したいと、仰られた。
私の一存で小沢先生に民主党に入っていただいた。
その経緯からして、私としては応援すると、それが大義だろうと思っています」
これには経過背景があり解説がいるようである。
ブログにその解説記事がある。
鳩山由起夫前総理が詳しくその辺のところを語っている。
政権交代へ走り出した新・民主党 いま明かされる衝撃の合併秘話
(2003年10月「政界」10月号掲載) 鳩山由紀夫HP
聞き手 大下英治(作家)
--平成十五年七月二十三日、民主党の菅直人代表と自由党の小沢一郎党首が会談し、九月までの両党の合併で電撃合意しました。そのレールを敷いたのは、民主党前代表の鳩山さんです。そもそも、鳩山さんは、なぜ自由党との合流構想を進めたのですか。
鳩山:我々は、自民党から政権を奪い取るという目的で七年前の平成八年九月に民主党を立ち上げました。政党というものは、政権を取らなければ鼠の取れない猫と同じです。しかし、平成八年十月、平成十二年六月の総選挙では、政権を奪えなかった。しかも、平成十三年四月に発足した小泉政権は国民の支持率は高い。民主党が次の総選挙で政権が取れなければ、どうなるか。たとえ議席を伸ばしたとしても、政権に届かなければ、民主党にいても駄目だという気持ちが起こり、どんどん遠心力が働いてしまう。民主党が単独で政権を取ることがもっとも望ましいが、どうもその可能性はきわめて薄い。下手をすると党が瓦解するかもしれない。それでは、国民に対して無責任なことになります。そうならないための最大の戦略は何かを考えたとき、自分なりに決断したのが小沢自由党との合流だったわけです。
――自由党と合流すれば、政権を取ることができると。
鳩山:それだけですべてうまくいくとは思っていなかったし、いまでも十分かどうかということになると、かならずしもそうではないと思います。ただし、必要条件としては、これだけはクリアしないといけない。民主党と自由党の考えは、それほど離れていない。合流しようと思えばできる。これを阻んでいるのは、小沢さんに対する好き嫌いの感情です。しかし、感情論だけで国民に大きな失望感を与えるのであれば、政治家をやっている資格はありません。みなさん、いろいろな思いはあるでしょう。しかし、その思いを越えて行動すれば、かならず合流はうまくいくのではないかと思いました。合流さえうまく導くことができれば、小泉人気を引っ繰り返せるという確信もありました。
――そこで、昨年の十一月二十九日、自由党などとの新党結成構想を表明されたわけですね。しかし、党内で猛反発にあい、その四日後の十二月三日に代表辞任を表明された。いま振り返ってみて、ほかに方法があったと思いますか。それとも、どうやっても、あの時点では難しかったでしょうか。
鳩山:おそらく、どうやっても駄目だったと思います。私が合流構想を出したから「唐突すぎる」「うまくいかないから辞めろ」という話になっていきましたが、結論は、私を辞めさせたいということだけなんですよ。それに、私自身も、合流の話があろうとなかろうと、辞めるつもりでいました。
--鳩山さんは、九月の代表選で菅(直人)さん、横路(孝弘)さん、野田(佳彦)さんを破って三選をはたしましたが、中野寛成さんを幹事長に起用したことで党内で批判を浴び、求心力を失いましたね。
鳩山:幹事長人事は、その流れに拍車をかけたわけです。私が代表選を戦った三人の陣営からすれば、私が再選することは最悪のシナリオなんです。要するに何の変化もないということでしょう。私自身は「新しい民主党の姿を作っていこう」という意欲はありましたが、彼らからみれば、結局、何も変わらない。私が当選した瞬間、大変な不満が積もったわけです。
--爆発寸前のマグマがあったと。
鳩山:ええ。私が「幹事長は、中野さんにお願いする」といった瞬間にパッと火がつきましたが、そうでなくとも何らかのきっかけでマグマは火を噴いていたはずです。民主党の支持率が低迷するなか、私が今でも大事にしたいと思っている若手議員の前原(誠司)君、玄葉(光一郎)君、樽床(伸二)君、手塚(仁雄)君、武正(公一)君たちが、それぞれ私に会いに来て「このままいったら代表に退陣を求める署名運動をやることになるかもしれない」というわけです。
自民党は、利権が絡み、権力闘争に明け暮れています。従って、民主党は我欲で支配される政党であってはならないという思いで立ち上げました。それなのに、そのような権力闘争が起これば致命的です。リコール運動のようなことが起こり、強引に乗り切ったとしても不満は残る。私を支援してくれる人たちから「そんなブラフに負けてはいけない」と励まされましたが、痼はさらに大きく残ってしまう。この状況を打開するためには、自分が辞任するしかないと決断しました。
--それは、いつの時点ですか。
鳩山:十一月の時点です。前原君たちには「君たちのいうことはよくわかる。だけど、わたしが辞めた後、どうやって民主党をうまくまとめ、国民に期待感を持ってもらえるようにしていくの?」と訊いても、誰も明確に答えられない。ただ鳩山を辞めさせなければいけないということだけで、その先の戦略を描いていないわけです。私も、権力闘争ではない形で国民に期待してもらえる方法を自分なりに模索しました。そして導き出されたのが自由党との合流でした。二つの政党を一つにして新しい器を作る。そうしたうえで、私の後の新代表に「どうぞ」と渡せるようなシナリオができれば、国民のみなさんにも「足の引っ張りあいではなく、プラスの話だったのか。それならいい」と思ってもらえる。しかも、結果として自由党と合流できれば大きな期待感が起こる。これなら、一石二鳥どころか、三鳥も、四鳥にもなると思い、小沢さんの懐に飛び込んでいったわけです。
--小沢さんの反応は、どのようなものでしたか。
鳩山:小沢さんは「君がそこまで覚悟してくれるなら、私も覚悟しよう。私も、何も求めない。二人が何も求めなければうまくいくだろう」という話でした。ところが、周りの人たちは「この構想は、鳩山の延命工作だ」と見たわけです。しかし、私は代表に留まるつもりは百%なかった。それでは、小沢さんに対する背信になりますから。それなのに私心があると取られたのは、自分に徳がなかったということでしょう。
--このときは、両党が解党し、新党を結成するという発想だったのですか。
鳩山:私は、合流は対等でやるべきだと思っていました。民主党は、自由党よりも大きな政党です。それだけに、むしろ謙虚でなければいけない。「小さな政党のあなたたちを仲間に入れてあげるのだから、ありがたく思えよ」といったような態度はおくびにも出してはいけない。そして、たとえば「民主自由党」という新党をつくり、いったんみんなが新党に入る。しかし、「民主自由党では、自由民主党と紛らわしい」ということで、その翌日に「民主自由党」改め「民主党」にしてもいいわけです。そのことについては、小沢さんもまったくこだわっていませんでした。
--うまくいくと思いましたか。
鳩山:小沢さんたち自由党、民主党の仲間たちとどうやったらうまくいくか、いろいろと考えました。年内に合流するつもりでいましたから連日協議していたのですが、私がまだ権力に執着しているかのような幻の人事のペーパーが出回ったりして、なかなかうまくいきませんでした。
--それは、まったく関知していなかったのですか。
鳩山:少なくとも、私も小沢さんも、関知していませんでした。しかし、そのペーパーが火に油を注いでしまった。結局、民主党の役員会でも了承されず、頓挫した。
--合流構想は、これで終わったと思いましたか、それとも、種を残したわけだからまだ成功すると思いましたか。
鳩山:内心、非常に難しくなったと思いましたね。なにしろ、当時の執行部のほとんどが賛意を示してくれなかったし、新しい執行部にも慎重な人がいますから。統一会派あたりの話で落ち着かれてしまったら、えらいことになると思いました。しかし、これは我欲で提案した話ではないし、やり遂げなければ政権を取れない民主党のままで瓦解してしまうかもしれない。危機感を共有する仲間のみなさんが集まってくれて「とにかくこの問題は成就させようではないか」ということで行動を起こしてくれた。ただし、それが逆にブレーキをかけてしまったことも事実です。「反執行部が勝手な行動をして自由党との合流を進めている。けしからん」とますます執行部は固くなってしまいました。
--今年の五月二十六日、菅・小沢会談がおこなわれ、菅さんが統一会派を呼びかけたが、小沢さんが拒否し、合流問題は白紙にもどりました。これで、ますます難しくなると思いましたか。
鳩山:じつは、執行部が結論を出さないのであれば、自分たちだけで自由党と合流しようという話をしていました。
--ということは、離党を覚悟していたということですか。
鳩山:その通りです。今年の一月か二月に小沢さんと二人だけで会ったとき、「私は、もう結論を決めています。世間から『鳩山はフラフラしているのではないか』と思われるのは不本意ですし、自分が言い出しっぺで行動した以上、私と自由党さんとの間では、契約をさせていただいたと思っています。菅さんが合流に踏み切ればいいですが、それができなかった場合には、私はその責任のもとで小沢さんと行動を共にします。そこだけは信じてください」ということを申し上げていました。小沢さんとしても、民主党全体とうまくいかなくても、私たちとは協力できると思って辛抱強く待ってくれたのではないでしょうか。そうでなければ、おそらく民主党との合流を投げていたかもしれませんよ。
--それは、初耳ですね。
鳩山:これもまたあまり表には出ていない話ですが、執行部が決断しない半年の間に、ある意味で肚をくくり、決断していた私たち民主党議員二十数名と自由党議員十数名の三十数名は、二週間に一度くらい会っては「なんとか合流をなし遂げましょう」と信頼関係を醸成していました。
大義もなく、義も無い
菅直人総理には、
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「民由合併の時からの同士としての協力が得られるなら出馬したいと、仰られた。
私の一存で小沢先生に民主党に入っていただいた。
その経緯からして、私としては応援すると、それが大義だろうと思っています」
これには経過背景があり解説がいるようである。
ブログにその解説記事がある。
鳩山由起夫前総理が詳しくその辺のところを語っている。
政権交代へ走り出した新・民主党 いま明かされる衝撃の合併秘話
(2003年10月「政界」10月号掲載) 鳩山由紀夫HP
聞き手 大下英治(作家)
--平成十五年七月二十三日、民主党の菅直人代表と自由党の小沢一郎党首が会談し、九月までの両党の合併で電撃合意しました。そのレールを敷いたのは、民主党前代表の鳩山さんです。そもそも、鳩山さんは、なぜ自由党との合流構想を進めたのですか。
鳩山:我々は、自民党から政権を奪い取るという目的で七年前の平成八年九月に民主党を立ち上げました。政党というものは、政権を取らなければ鼠の取れない猫と同じです。しかし、平成八年十月、平成十二年六月の総選挙では、政権を奪えなかった。しかも、平成十三年四月に発足した小泉政権は国民の支持率は高い。民主党が次の総選挙で政権が取れなければ、どうなるか。たとえ議席を伸ばしたとしても、政権に届かなければ、民主党にいても駄目だという気持ちが起こり、どんどん遠心力が働いてしまう。民主党が単独で政権を取ることがもっとも望ましいが、どうもその可能性はきわめて薄い。下手をすると党が瓦解するかもしれない。それでは、国民に対して無責任なことになります。そうならないための最大の戦略は何かを考えたとき、自分なりに決断したのが小沢自由党との合流だったわけです。
――自由党と合流すれば、政権を取ることができると。
鳩山:それだけですべてうまくいくとは思っていなかったし、いまでも十分かどうかということになると、かならずしもそうではないと思います。ただし、必要条件としては、これだけはクリアしないといけない。民主党と自由党の考えは、それほど離れていない。合流しようと思えばできる。これを阻んでいるのは、小沢さんに対する好き嫌いの感情です。しかし、感情論だけで国民に大きな失望感を与えるのであれば、政治家をやっている資格はありません。みなさん、いろいろな思いはあるでしょう。しかし、その思いを越えて行動すれば、かならず合流はうまくいくのではないかと思いました。合流さえうまく導くことができれば、小泉人気を引っ繰り返せるという確信もありました。
――そこで、昨年の十一月二十九日、自由党などとの新党結成構想を表明されたわけですね。しかし、党内で猛反発にあい、その四日後の十二月三日に代表辞任を表明された。いま振り返ってみて、ほかに方法があったと思いますか。それとも、どうやっても、あの時点では難しかったでしょうか。
鳩山:おそらく、どうやっても駄目だったと思います。私が合流構想を出したから「唐突すぎる」「うまくいかないから辞めろ」という話になっていきましたが、結論は、私を辞めさせたいということだけなんですよ。それに、私自身も、合流の話があろうとなかろうと、辞めるつもりでいました。
--鳩山さんは、九月の代表選で菅(直人)さん、横路(孝弘)さん、野田(佳彦)さんを破って三選をはたしましたが、中野寛成さんを幹事長に起用したことで党内で批判を浴び、求心力を失いましたね。
鳩山:幹事長人事は、その流れに拍車をかけたわけです。私が代表選を戦った三人の陣営からすれば、私が再選することは最悪のシナリオなんです。要するに何の変化もないということでしょう。私自身は「新しい民主党の姿を作っていこう」という意欲はありましたが、彼らからみれば、結局、何も変わらない。私が当選した瞬間、大変な不満が積もったわけです。
--爆発寸前のマグマがあったと。
鳩山:ええ。私が「幹事長は、中野さんにお願いする」といった瞬間にパッと火がつきましたが、そうでなくとも何らかのきっかけでマグマは火を噴いていたはずです。民主党の支持率が低迷するなか、私が今でも大事にしたいと思っている若手議員の前原(誠司)君、玄葉(光一郎)君、樽床(伸二)君、手塚(仁雄)君、武正(公一)君たちが、それぞれ私に会いに来て「このままいったら代表に退陣を求める署名運動をやることになるかもしれない」というわけです。
自民党は、利権が絡み、権力闘争に明け暮れています。従って、民主党は我欲で支配される政党であってはならないという思いで立ち上げました。それなのに、そのような権力闘争が起これば致命的です。リコール運動のようなことが起こり、強引に乗り切ったとしても不満は残る。私を支援してくれる人たちから「そんなブラフに負けてはいけない」と励まされましたが、痼はさらに大きく残ってしまう。この状況を打開するためには、自分が辞任するしかないと決断しました。
--それは、いつの時点ですか。
鳩山:十一月の時点です。前原君たちには「君たちのいうことはよくわかる。だけど、わたしが辞めた後、どうやって民主党をうまくまとめ、国民に期待感を持ってもらえるようにしていくの?」と訊いても、誰も明確に答えられない。ただ鳩山を辞めさせなければいけないということだけで、その先の戦略を描いていないわけです。私も、権力闘争ではない形で国民に期待してもらえる方法を自分なりに模索しました。そして導き出されたのが自由党との合流でした。二つの政党を一つにして新しい器を作る。そうしたうえで、私の後の新代表に「どうぞ」と渡せるようなシナリオができれば、国民のみなさんにも「足の引っ張りあいではなく、プラスの話だったのか。それならいい」と思ってもらえる。しかも、結果として自由党と合流できれば大きな期待感が起こる。これなら、一石二鳥どころか、三鳥も、四鳥にもなると思い、小沢さんの懐に飛び込んでいったわけです。
--小沢さんの反応は、どのようなものでしたか。
鳩山:小沢さんは「君がそこまで覚悟してくれるなら、私も覚悟しよう。私も、何も求めない。二人が何も求めなければうまくいくだろう」という話でした。ところが、周りの人たちは「この構想は、鳩山の延命工作だ」と見たわけです。しかし、私は代表に留まるつもりは百%なかった。それでは、小沢さんに対する背信になりますから。それなのに私心があると取られたのは、自分に徳がなかったということでしょう。
--このときは、両党が解党し、新党を結成するという発想だったのですか。
鳩山:私は、合流は対等でやるべきだと思っていました。民主党は、自由党よりも大きな政党です。それだけに、むしろ謙虚でなければいけない。「小さな政党のあなたたちを仲間に入れてあげるのだから、ありがたく思えよ」といったような態度はおくびにも出してはいけない。そして、たとえば「民主自由党」という新党をつくり、いったんみんなが新党に入る。しかし、「民主自由党では、自由民主党と紛らわしい」ということで、その翌日に「民主自由党」改め「民主党」にしてもいいわけです。そのことについては、小沢さんもまったくこだわっていませんでした。
--うまくいくと思いましたか。
鳩山:小沢さんたち自由党、民主党の仲間たちとどうやったらうまくいくか、いろいろと考えました。年内に合流するつもりでいましたから連日協議していたのですが、私がまだ権力に執着しているかのような幻の人事のペーパーが出回ったりして、なかなかうまくいきませんでした。
--それは、まったく関知していなかったのですか。
鳩山:少なくとも、私も小沢さんも、関知していませんでした。しかし、そのペーパーが火に油を注いでしまった。結局、民主党の役員会でも了承されず、頓挫した。
--合流構想は、これで終わったと思いましたか、それとも、種を残したわけだからまだ成功すると思いましたか。
鳩山:内心、非常に難しくなったと思いましたね。なにしろ、当時の執行部のほとんどが賛意を示してくれなかったし、新しい執行部にも慎重な人がいますから。統一会派あたりの話で落ち着かれてしまったら、えらいことになると思いました。しかし、これは我欲で提案した話ではないし、やり遂げなければ政権を取れない民主党のままで瓦解してしまうかもしれない。危機感を共有する仲間のみなさんが集まってくれて「とにかくこの問題は成就させようではないか」ということで行動を起こしてくれた。ただし、それが逆にブレーキをかけてしまったことも事実です。「反執行部が勝手な行動をして自由党との合流を進めている。けしからん」とますます執行部は固くなってしまいました。
--今年の五月二十六日、菅・小沢会談がおこなわれ、菅さんが統一会派を呼びかけたが、小沢さんが拒否し、合流問題は白紙にもどりました。これで、ますます難しくなると思いましたか。
鳩山:じつは、執行部が結論を出さないのであれば、自分たちだけで自由党と合流しようという話をしていました。
--ということは、離党を覚悟していたということですか。
鳩山:その通りです。今年の一月か二月に小沢さんと二人だけで会ったとき、「私は、もう結論を決めています。世間から『鳩山はフラフラしているのではないか』と思われるのは不本意ですし、自分が言い出しっぺで行動した以上、私と自由党さんとの間では、契約をさせていただいたと思っています。菅さんが合流に踏み切ればいいですが、それができなかった場合には、私はその責任のもとで小沢さんと行動を共にします。そこだけは信じてください」ということを申し上げていました。小沢さんとしても、民主党全体とうまくいかなくても、私たちとは協力できると思って辛抱強く待ってくれたのではないでしょうか。そうでなければ、おそらく民主党との合流を投げていたかもしれませんよ。
--それは、初耳ですね。
鳩山:これもまたあまり表には出ていない話ですが、執行部が決断しない半年の間に、ある意味で肚をくくり、決断していた私たち民主党議員二十数名と自由党議員十数名の三十数名は、二週間に一度くらい会っては「なんとか合流をなし遂げましょう」と信頼関係を醸成していました。
大義もなく、義も無い
菅直人総理には、
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小沢一郎立つッ!(2)
2010年8月28日 お仕事民主党を割るが如きの激しき選挙戦に突入している。
きっかけ事態を動かしたのは25日に行われた鳩山―菅会談だ。
その後のあの温厚なる人の発言は尋常ではない。
日刊ゲンダイに一連の記事がある。
鳩山由起夫元総理
「私の一存で、小沢先生に民主党に入っていただいた。
その経緯からして応援することが大義だと思っている」
「政権交代」
昨年夏の歴史的偉業は「鳩山小沢菅」のトロイカ体制に国民が支持をしたモノ。
丁度1年になる。
菅ー小沢の亀裂は決定的。
菅総理は挙党一致の提案を拒否。
菅仙石体制を選択した。
小沢グループの廃除の継続である。
、鳩山由起夫前総理の前記の全面支援の表明となる。
小沢立つ!
小沢の決断の裏に何があったのか。
その前日、鳩山は小沢と会っている。
、今の日本が国家的危機に瀕しているという認識で一致。
菅に挙党一致態勢を求めた。
具体的には仙谷官房長官の更迭を含めた「反小沢路線」の撤回だ。
ところが、菅がそれを拒否する。
「それもノラリクラリで、てんで態度が定まらない。
『小沢氏には参院選挙後、謝罪を含めて会いたいと申し入れたが会えなかった』
『どういうふうに協力を求めるか、なかなか難しい』
とボヤくばかり。
鳩山氏が説得しても、
『仙谷さんもいるしなあ……』
とムニャムニャ言う。
あまりのふがいなさに、さしもの鳩山前総理
『この人ではダメだ』
と呆れたといいます。
すぐに小沢氏に報告して、小沢擁立、鳩山支援がまとまった。
この夜の時点で小沢氏の出馬は決定的になったのです」
この間に円高がドンドン進行した。
しかし、菅や野田財務相らは何をするわけでもなく、代表選のことで頭がいっぱいだった。
内閣総理大臣名で手紙を出し、1回生議員との面談を強要、その席では
「3年間の解散封印」
にまで言及し、間接的な支持を求めた。
小沢にしてみれば、コイツらは何をやっているのか、という思いだったろう。
「菅のアホさ」が小沢の背中を押したのである。
その会談が公表されている。
「挙党態勢、拒否なんてあり得ない」26日の菅総理
(asahi.com 2010年8月26日21時36分) http://p.tl/4Puy
菅直人総理が26日夕、総理官邸で記者団に語った内容は、以下の通り。
――よろしくお願いいたします。
「はい、こんにちは。はい」
――お願いします。
「はい」
【小沢氏の代表選出馬・その1】
――今日、小沢前幹事長が民主党代表選への出馬を表明した。総理はいつ出馬表明するのか。
「あの、今、わが国は円高を始め、経済的になかなか厳しい状況にあります。まず私としては、こういった問題に対して、えー、経済対策の基本方針を、そういった道筋をまず作り上げて、その上でですね、その後に、正式な出馬の会見を開きたいと、こう思ってます」
――小沢氏を支持する議員からは、「菅総理に挙党態勢を拒否された」との声が聞かれる。総理は拒否したという認識があるか。
「いえいえ、挙党態勢なんか、あの、拒否するなんてことはあり得ません。ま、常々皆さんには申し上げてますように、全員野球で、あの、適材適所でですね、あの、やっていこうと、えー、これまでもそういう態勢を目指してきましたし、あの、これからもそれを目指したいということは、常々申し上げております。あの、私が、あの、鳩山さんに申し上げたのは、小沢さんの了解がなくしては何も決められないという、ま、そういう形はあまりよくないということを申し上げました。ま、そういう趣旨のことをですね。それに対して、あの、鳩山さんも、あの、そういう認識については理解をいただいたと、そういうふうに私は思ってます」
――小沢氏は政治とカネの問題で起訴される可能性もある。こうした人が立候補することをどう思うか。
「ま、これはですね、国民の皆さん、あるいは党員の皆さんが、そういったことをどのように判断をされるのか、ま、それにかかっていると、こう思ってます」
――菅総理支持を表明していた鳩山前総理が小沢氏支持を表明した。鳩山氏が一転したことをどう思うか。
「あの、直接ですね、話をする機会が、ま、今日は、あの、なかったものですから、ま、あの、あんまり憶測でものを言わないでおきたいなと。また、帰られたら話す機会もあるんじゃないかなと思ってます」
――昨日、総理は「今後も鳩山氏に党運営の相談に乗ってもらいたい」と述べた。その気持ちは今も変わらないか。
「あ、それはまったく変わりません」
【経済対策】
――経済対策について、先ほど党の考え方が伝えられた。党やマーケットからも期待が高まっている。経済対策はいつ、どのような形でまとめるのか。
「ま、明日、この経済関係のですね、閣僚会議を開きます。ま、その場で、この対策の基本方針を、おー、色んな意見を、おー、交換して、その取りまとめに向けてですね、検討を加速さしていきたいと、こう思っています」
(秘書官「はい、時間でございます。ありがとうございましたー」)
【小沢氏の代表選出馬・その2】
――総理、1問だけ。今、鳩山さんとも会えれば会いたいというようにおっしゃっていたが、総理から小沢さんとの会談、鳩山さんとの会談を申し込むことはあるか。
「昨日の鳩山さんとの話の中で、29日にロシアから帰ってこられるので、またその時には色々とですね、相談に乗って参りたいという話をしてまして、あの、鳩山さんはあのー、そうですねという前向きのお話だったので、あの、また帰られてから鳩山さんとお話をしたいなと、こう思っています。
――小沢さんとは。
「ま、やはり鳩山さんとまずお話をしてですね、あのー、もしそうしたことが、あー、必要なら、あるいはできるのならですね、それも考えたいと、こう思っています」
(秘書官「はい、ありがとうございましたー」)
――総理、きょう1年生議員から……。
(秘書官「ありがとうございました」)
「……」
「小沢出馬表明」を聞いて、民主党ウオッチャーである評論家の塩田潮氏がギョッとすることを言った。
菅総理の解散による代表選潰しだ。
「代表選告示日直前の今月30日か31日、菅首相は負けると分かったら、突然、挙党態勢を言い出して小沢氏を抱き込むかもしれない。
それがダメだったら、衆院を解散するかもしれませんよ。
あの人は、総理になるために政治家をやってきた人。
1秒でも1分でも総理を長く続けたい。
代表選で負けて政治生命が終わることを考えれば、何でもやってきます。
代表選で負けたあとでも、総辞職せずに総理に居座り、民主党から不信任案を出されたら、
自民党と組んで解散・総選挙に突き進むことも考えられるのです」
いやはや、この2カ月、何の仕事もしないのに、権力亡者に成り下がった菅総理。
小沢が
「菅ではもうダメだ」「このままでは日本が危ない」
と代表選出馬を表明したのは大正解だ。
元大使で評論家の天木直人氏も言う。
「小沢氏の決断は大歓迎ですよ。大事なのは、過去がどうしたこうしたよりも、この国のために何をやってくれるか。
菅首相はアメリカ従属、官僚従属に走り、何もできない。
小沢氏はそこに我慢ならず出馬を決意した。拍手を送りたいですよ」
「政治とカネ」の問題だけを強調して小沢を叩く大マスコミは
「巷の声は小沢出馬に厳しい」
と流している。
マイクを向けられれば、まじめな日本人は優等生的な反応をするものだが、本音はたぶん違う。
筑波大名誉教授の小林弥六氏(経済学)。
「何か大きく雰囲気が変わった気がします。このまま菅政権を続けさせても、何もいいことはなさそうだと、庶民はやり切れない気持ちになっていた。
それが小沢氏の出馬で、何か変わるのではないかと希望、期待が持てるようになった。閉塞感を打ち破れる力を小沢氏は持っているからです。
昨年、政権交代が起きたときと同じで、ワクワクした気持ちになってきた。
それが庶民の偽らざる本音だと思いますよ」
無能無策の菅政治で八方ふさがりになった日本。
そこに風穴を開けられる腕力と政治能力を持った男は、永田町を見渡しても残念ながら小沢一郎しかいない。
それだけは間違いないのだ。
(2)仙谷、枝野、前原、岡田たちの反小沢勢力の運命
小沢総理が誕生したら、「反小沢」一派の仙谷官房長官や枝野幹事長たちはどうするのか、どうなるのか。
仙谷由人、枝野幸男、前原誠司、岡田克也……。
民主党内でガチガチの「反小沢議員」は、実際には10人程度にすぎない。
これまでデカイ顔をしてこられたが、小沢内閣になったら、パージされるのは間違いない。
「小沢さんが絶対に許さないのは、外相の岡田克也と渡部恒三の2人です。
岡田は『起訴される可能性のある方が代表、首相になることには違和感を感じている』
と、わざわざ会見で発言した。
あの発言には小沢周辺も『日本は推定無罪なのに、最初から罪人扱いするのか』『政治活動の自由を妨害するのか』とカンカンです。
渡部老人にもハラワタが煮えくり返っている。
やり方が汚いのは、本当は『衆院議長にしてくれなかった』という個人的な逆恨みが動機なのに、中立の第三者を装って
『たったひとりが諸悪の元凶。その人がいなくなれば挙党一致できる』
とメディアで悪口を言いまくっていることです。
一体どこの党の人間なんだと小沢さんが怒るのも当然です」
政治ジャーナリストの鈴木哲夫氏。
「反小沢の急先鋒である仙谷、枝野、前原の3人が、徹底的に干されるのは間違いない。
注目は、仙谷長官に唆されて『反小沢』で突っ走った菅首相にどんな態度をとるかです。
菅首相は小沢前幹事長に対して『しばらく静かにしていろ』と失礼な言い方をしたが、小沢一郎は正反対のことをすると思う。
自分から『挙党態勢が大事だ』と歩み寄り、処遇しようとするのではないか。
その時、菅首相が申し出を受けるかどうか、かなり頭を悩ませるはずです」
クビを洗って代表選の日を待つしかない幹部たち。
死に物狂いで大マスコミをたきつけるのだろうが、そういう手でしか小沢に勝てないことが無能の証明なのだ。
(3)マニフェスト実現へ予算組み替えが始まる
民主党が大敗した先月の参院選の第一声で、小沢はこう言っていた。
「すぐ消費税増税はせず、ムダを徹底的に省いて財源を捻出するのがわれわれの主張だった」
菅は、「財源がない」を理由に、子ども手当の縮小を決め、
財務省のシナリオに乗せられるままに消費税増税を口にした。
小沢総理になれば、再び民主党政治は原点に戻り、昨年の衆院選マニフェストの実現に力を注ぐことになる。
もともと民主党マニフェストの一丁目一番地は、国の総予算207兆円の全面組み替えだった。
国民生活にとって必要なものは増やし、そうでないものは削る。
菅政権が諦めてしまった財源探しに、小沢内閣は本気で取り組むはずだ。
「政策に順位付けができれば、予算の組み替えは可能です。国民を守るために何を優先し、将来の日本のために何に投資するのか。
財務省に任せるのではなく、政治主導で政策に優先順位をつければいいだけなのです」
そうすれば、自民党政権時代と同じ「一律10%削減シーリング」なんてバカな発想は出てこない。
要は、政治力、決断力なのである。
ここが小沢は、菅や野田とは数倍違う。
秋に特別会計を対象にした「事業仕分け第3弾」が予定されている。
蓮舫大臣のままでは、「セレモニーで終わり」がミエミエだが、小沢は、特別会計の仕組みに詳しいし、財務省のズルさもよく分かっている。
特別会計に眠る埋蔵金を掘り出すことだって可能だ。
特別会計の下にぶら下がるムダな独立行政法人にあらためてメスを入れ、補助金をバッサバッサと切ってくる。
その剛腕は期待できる。
民主党のマニフェストに詳しいジャーナリスト・神保哲生氏。
「鳩山政権も菅政権も、マニフェストがなかなか実現できず、国民は歯がゆい思いをしてきた。
小沢総理になれば、経験豊富ですから、万難を排して、マニフェストのかなりの項目を実現できるのではないかという期待感があります。
ただ、人気取りだけでなく、その先に、どういう日本をつくるのかというしっかりしたビジョンを示せれば、さらに強力になると思います」
この1年、しぼむばかりだった予算組み替えが最初の政治テーマになる。
(4)小沢嫌いの新聞テレビの周章狼狽
案の定とはいえ、小沢が出馬表明したきのう(26日)の各紙夕刊には呆れた。
社会面は、小沢に対する批判の声を並べ立てていた。
「カネの問題 説明まだ」「国民のためになるか」「『脱小沢』が最大争点に」
と煽る記事。
争点は政策だろう。
どの世論調査でも、国民の最大関心事は景気問題、社会福祉だ。
消費税や円高対策で争えと注文をつけるなら分かるが、無理やり「小沢イコール悪」のムードを盛り上げ、「小沢総理誕生」を阻止しようと躍起だから、大マスコミには呆れる。
小沢を叩けば日本は良くなるのか。
何も改革ができない菅政権のままでいいのか。
違うだろう。
だが、考えてみれば、悪意に満ちた新聞テレビ報道は、連中の周章狼狽の裏返しである。
「世論の支持頼みの菅首相は、最近は大マスコミといい関係を保って、批判記事を減らそうという姑息な姿勢が透けて見える。
しかし、小沢さんはそういう愛嬌を振りまくことはない。
どんなにバッシングされようが、メディアを取り込もうなんてしないし、記者クラブの既得権益を優遇することもない。
すべて合理的にやる。
そうなると権力との癒着が続けられなくなるから、大マスコミは小沢政権実現だけは絶対に阻止したいのです」
自分たちの都合、損得だけで、民主党代表選、次の首相選びを意図的にネジ曲げる。
言論機関がやることなのか。
小沢に近い議員。
「昨年の西松事件以降、小沢さんはずっと大マスコミの標的にされ、罵詈雑言を浴びせられてきた。
これから代表選の間、いろいろな古い話まで引っ張り出して、小沢のダーティーなイメージづくりを必死にやるでしょうね」
小沢はそれを乗り越えるしかないが、新聞テレビ報道には、こういう裏があることを、国民は肝に銘じておいた方がいい。
(5)官僚支配を復活させた霞が関も刷新される
小沢出馬に慌てているのは、霞が関の官僚たちも一緒だ。
操りやすい菅首相、何でも聞いてくれる仙谷官房長官、
ヒヨッコ同然の大臣たちを相手に、せっかく官僚支配を復活させたのに、小沢政権になれば、再び力関係がひっくり返る。
れが分かっているのだ。
小沢といえば、昨年の幹事長時代、宮内庁長官をどやしつけたことがあった。
天皇と中国副主席の会談にからんで、ブツブツ言った羽毛田長官に
「一役人が内閣の方針に文句があるなら、辞表を出してから言え」
とやった一件だ。
子供時代から一度も怒られた経験のない宮内庁長官は震え上がったと、今でも霞が関の“伝説”になっている。
小沢は事務次官会議廃止、内閣法制局長官の答弁禁止、天下り禁止なども主導してきた。
公約の「政治主導」のためにはどんな偉い官僚にも容赦ない。
だから元厚生事務次官だった宮内庁長官を平然と罵倒できる。
こんな度胸のある政治家はいない。
ある官僚がこぼした。
「霞が関が一番嫌いな政治家は間違いなく小沢。
手ごわいし、官僚の手の内を知り尽くしている。
人事にも介入してくる。
検察とだって闘おうとしている。
幹事長時代はあまり内閣のことに口出ししなかったが、首相になったら、ガツーンとやって、『政治主導復活』を印象づけるでしょう。霞が関は戦々恐々ですよ」
菅首相は、元社保庁長官とか元ロシア課長などいわくつきの官僚まで復権させて、霞が関にコビを売っているが、小沢は違う。
従わない官僚はバッサリやる。
埋蔵金を隠す一方で、「景気対策をやる財源はない」なんてホザいている財務官僚や無策の日銀幹部のクビが飛ばされる日が来るだろうから、待ち遠しい。
(6)本当の政権交代がようやく実現
「小沢一郎の最終戦争」などの著作が多い作家の大下英治氏。
「小沢さんは賢明な選択をした。今回、出馬を諦めたら、仙谷官房長官に干し上げられ、求心力を失い、政治家・小沢一郎は終わったかもしれない。
出馬することで、万が一、代表選に負けても、力を持ち続けられる。
次が狙える。
でも、民主党のオーナーである鳩山さんの全面協力を取り付けたことで旧民社党や旧社会党系のグループも支持に回るから、代表選は小沢さんが勝つでしょう。
党員・サポーター票も小沢優勢です。小沢総理が誕生したら、いよいよ自民党との最終戦争と、最後の“ご奉公”が始まるのです」
小沢は、消費税と普天間を代表選の争点にすると言っている。
つまり増税路線でなく
、「国民生活が第一」の路線に戻すこと
米国との対等な付き合いを目指すこと
を掲げるというのだ。
これも菅には痛い。
権力抗争ではなく路線闘争
天木直人氏
「こじれた普天間問題を短期間で片付けるのは無理。
大事なことは沖縄県民の声をアメリカに伝えること。
小沢氏はそれはやるでしょう。
消費税増税や辺野古移転受け入れで分かるように、菅政権は支配する側の論理に立ち、自民党政治と変わらなくなった。
対して小沢氏は、支配される側の声を汲み取ろうとしている。
今度の代表選はそういう意味で、単なる昔からの権力抗争でなく、初の路線闘争になった。これは素晴らしいことです」
もともと昨年の政権交代で、多くの国民が期待したのはそういうことだった。旧勢力の総攻撃による鳩山・小沢辞任で急ブレーキがかかり、菅政権の日和見政治で時計の針は逆戻りを始めていたが、小沢政権が実現すれば、本当の政権交代がいよいよ実現するのだ。大新聞テレビや官僚、自民党が一番嫌がる新政権こそが、庶民にとっては本物なのである。
記事URL 小沢政権誕生 新閣僚、党人事の顔ぶれ
(日刊ゲンダイ 2010/8/27)
幹事長は鳩山か海江田か 亀井財務大臣、楢床、細野の抜擢も
─小沢一郎が総理に就任したら、閣僚人事、党人事はどんな顔ぶれになるのか。
日本社会が危機に直面しているのに、何ひとつ課題を処理できない菅内閣とは一変するのは間違いない。
なんと、幹事長に名前が浮上しているのが、鳩山由紀夫(63)だ。
総理経験者が党の幹事長に就くことは、常識ではあり得ないが、宇宙人の鳩山由紀夫なら平気で引き受けるとみられている。
「小沢が代表選で勝利した場合、最大の功労者は鳩山です。
幹事長として処遇しておかしくない。
実際、小沢―鳩山体制なら党がまとまる。
ただ、外交をやりたい鳩山は外相を希望している。
鳩山外相なら、幹事長は鳩山グループの海江田万里(61)でしょう」
党の要である官房長官には、小沢に近く、政策通で知られる松本剛明(51)が有力。
さらに、未曽有の経済危機を乗り越えるために、財務相には国民新党の亀井静香(73)が就く可能性が高い。
「財政拡大、金融緩和」の主張は小沢と一緒だ。
デフレ不況脱出を最優先しているコワモテの亀井なら、財政出動を渋っている財務官僚を抑え込める。
「小沢さんは敵味方を区別はするが、情実人事はしない。組閣は実力主義で臨むでしょう。たとえ地味でも、きちんと実務をこなせる議員を起用すると思う。
とくに民主党は野党時代から口だけ達者な若手ばかり重用され、力のある中堅議員が不遇をかこってきたから、彼らを中心に使うのではないか。
たとえば当選7回の大畠章宏(62)や古賀一成(63)あたりです」(政治評論家・有馬晴海氏)
蓮舫、長妻、原口は留任組
ただ、民主党は大臣経験者が少ないだけに、原口一博総務相(51)や長妻昭厚労相(50)、山田正彦農相(68)、中井洽国家公安委員長(68)、蓮舫行政刷新相(42)は、留任組とみられている。
政治ジャーナリストの鈴木哲夫氏はこう見る。
「小沢前幹事長は、本気で政権担当能力がある若手を育成しようとしている。
『小沢政治塾』を大事にしているのもその表れです。
内心、いつまでも小沢、鳩山、菅、岡田の時代じゃないと思っている。
組閣では、樽床伸二(51)や細野豪志(39)、松井孝治(50)あたりを抜擢するはずです」
松井は菅の国家戦略室の縮小にカンカンだから適任だ。
ほかに入閣の可能性があるのが、田中真紀子(66=写真右央)、川内博史(48)、辻元清美(50)。
こうした顔ぶれなら、少なくとも脳死状態の菅内閣よりは、政治が前に進むはずだ。
松下政経塾出身の無能パフォーマンス大臣の群れはもうコリゴリである。
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きっかけ事態を動かしたのは25日に行われた鳩山―菅会談だ。
その後のあの温厚なる人の発言は尋常ではない。
日刊ゲンダイに一連の記事がある。
鳩山由起夫元総理
「私の一存で、小沢先生に民主党に入っていただいた。
その経緯からして応援することが大義だと思っている」
「政権交代」
昨年夏の歴史的偉業は「鳩山小沢菅」のトロイカ体制に国民が支持をしたモノ。
丁度1年になる。
菅ー小沢の亀裂は決定的。
菅総理は挙党一致の提案を拒否。
菅仙石体制を選択した。
小沢グループの廃除の継続である。
、鳩山由起夫前総理の前記の全面支援の表明となる。
小沢立つ!
小沢の決断の裏に何があったのか。
その前日、鳩山は小沢と会っている。
、今の日本が国家的危機に瀕しているという認識で一致。
菅に挙党一致態勢を求めた。
具体的には仙谷官房長官の更迭を含めた「反小沢路線」の撤回だ。
ところが、菅がそれを拒否する。
「それもノラリクラリで、てんで態度が定まらない。
『小沢氏には参院選挙後、謝罪を含めて会いたいと申し入れたが会えなかった』
『どういうふうに協力を求めるか、なかなか難しい』
とボヤくばかり。
鳩山氏が説得しても、
『仙谷さんもいるしなあ……』
とムニャムニャ言う。
あまりのふがいなさに、さしもの鳩山前総理
『この人ではダメだ』
と呆れたといいます。
すぐに小沢氏に報告して、小沢擁立、鳩山支援がまとまった。
この夜の時点で小沢氏の出馬は決定的になったのです」
この間に円高がドンドン進行した。
しかし、菅や野田財務相らは何をするわけでもなく、代表選のことで頭がいっぱいだった。
内閣総理大臣名で手紙を出し、1回生議員との面談を強要、その席では
「3年間の解散封印」
にまで言及し、間接的な支持を求めた。
小沢にしてみれば、コイツらは何をやっているのか、という思いだったろう。
「菅のアホさ」が小沢の背中を押したのである。
その会談が公表されている。
「挙党態勢、拒否なんてあり得ない」26日の菅総理
(asahi.com 2010年8月26日21時36分) http://p.tl/4Puy
菅直人総理が26日夕、総理官邸で記者団に語った内容は、以下の通り。
――よろしくお願いいたします。
「はい、こんにちは。はい」
――お願いします。
「はい」
【小沢氏の代表選出馬・その1】
――今日、小沢前幹事長が民主党代表選への出馬を表明した。総理はいつ出馬表明するのか。
「あの、今、わが国は円高を始め、経済的になかなか厳しい状況にあります。まず私としては、こういった問題に対して、えー、経済対策の基本方針を、そういった道筋をまず作り上げて、その上でですね、その後に、正式な出馬の会見を開きたいと、こう思ってます」
――小沢氏を支持する議員からは、「菅総理に挙党態勢を拒否された」との声が聞かれる。総理は拒否したという認識があるか。
「いえいえ、挙党態勢なんか、あの、拒否するなんてことはあり得ません。ま、常々皆さんには申し上げてますように、全員野球で、あの、適材適所でですね、あの、やっていこうと、えー、これまでもそういう態勢を目指してきましたし、あの、これからもそれを目指したいということは、常々申し上げております。あの、私が、あの、鳩山さんに申し上げたのは、小沢さんの了解がなくしては何も決められないという、ま、そういう形はあまりよくないということを申し上げました。ま、そういう趣旨のことをですね。それに対して、あの、鳩山さんも、あの、そういう認識については理解をいただいたと、そういうふうに私は思ってます」
――小沢氏は政治とカネの問題で起訴される可能性もある。こうした人が立候補することをどう思うか。
「ま、これはですね、国民の皆さん、あるいは党員の皆さんが、そういったことをどのように判断をされるのか、ま、それにかかっていると、こう思ってます」
――菅総理支持を表明していた鳩山前総理が小沢氏支持を表明した。鳩山氏が一転したことをどう思うか。
「あの、直接ですね、話をする機会が、ま、今日は、あの、なかったものですから、ま、あの、あんまり憶測でものを言わないでおきたいなと。また、帰られたら話す機会もあるんじゃないかなと思ってます」
――昨日、総理は「今後も鳩山氏に党運営の相談に乗ってもらいたい」と述べた。その気持ちは今も変わらないか。
「あ、それはまったく変わりません」
【経済対策】
――経済対策について、先ほど党の考え方が伝えられた。党やマーケットからも期待が高まっている。経済対策はいつ、どのような形でまとめるのか。
「ま、明日、この経済関係のですね、閣僚会議を開きます。ま、その場で、この対策の基本方針を、おー、色んな意見を、おー、交換して、その取りまとめに向けてですね、検討を加速さしていきたいと、こう思っています」
(秘書官「はい、時間でございます。ありがとうございましたー」)
【小沢氏の代表選出馬・その2】
――総理、1問だけ。今、鳩山さんとも会えれば会いたいというようにおっしゃっていたが、総理から小沢さんとの会談、鳩山さんとの会談を申し込むことはあるか。
「昨日の鳩山さんとの話の中で、29日にロシアから帰ってこられるので、またその時には色々とですね、相談に乗って参りたいという話をしてまして、あの、鳩山さんはあのー、そうですねという前向きのお話だったので、あの、また帰られてから鳩山さんとお話をしたいなと、こう思っています。
――小沢さんとは。
「ま、やはり鳩山さんとまずお話をしてですね、あのー、もしそうしたことが、あー、必要なら、あるいはできるのならですね、それも考えたいと、こう思っています」
(秘書官「はい、ありがとうございましたー」)
――総理、きょう1年生議員から……。
(秘書官「ありがとうございました」)
「……」
「小沢出馬表明」を聞いて、民主党ウオッチャーである評論家の塩田潮氏がギョッとすることを言った。
菅総理の解散による代表選潰しだ。
「代表選告示日直前の今月30日か31日、菅首相は負けると分かったら、突然、挙党態勢を言い出して小沢氏を抱き込むかもしれない。
それがダメだったら、衆院を解散するかもしれませんよ。
あの人は、総理になるために政治家をやってきた人。
1秒でも1分でも総理を長く続けたい。
代表選で負けて政治生命が終わることを考えれば、何でもやってきます。
代表選で負けたあとでも、総辞職せずに総理に居座り、民主党から不信任案を出されたら、
自民党と組んで解散・総選挙に突き進むことも考えられるのです」
いやはや、この2カ月、何の仕事もしないのに、権力亡者に成り下がった菅総理。
小沢が
「菅ではもうダメだ」「このままでは日本が危ない」
と代表選出馬を表明したのは大正解だ。
元大使で評論家の天木直人氏も言う。
「小沢氏の決断は大歓迎ですよ。大事なのは、過去がどうしたこうしたよりも、この国のために何をやってくれるか。
菅首相はアメリカ従属、官僚従属に走り、何もできない。
小沢氏はそこに我慢ならず出馬を決意した。拍手を送りたいですよ」
「政治とカネ」の問題だけを強調して小沢を叩く大マスコミは
「巷の声は小沢出馬に厳しい」
と流している。
マイクを向けられれば、まじめな日本人は優等生的な反応をするものだが、本音はたぶん違う。
筑波大名誉教授の小林弥六氏(経済学)。
「何か大きく雰囲気が変わった気がします。このまま菅政権を続けさせても、何もいいことはなさそうだと、庶民はやり切れない気持ちになっていた。
それが小沢氏の出馬で、何か変わるのではないかと希望、期待が持てるようになった。閉塞感を打ち破れる力を小沢氏は持っているからです。
昨年、政権交代が起きたときと同じで、ワクワクした気持ちになってきた。
それが庶民の偽らざる本音だと思いますよ」
無能無策の菅政治で八方ふさがりになった日本。
そこに風穴を開けられる腕力と政治能力を持った男は、永田町を見渡しても残念ながら小沢一郎しかいない。
それだけは間違いないのだ。
(2)仙谷、枝野、前原、岡田たちの反小沢勢力の運命
小沢総理が誕生したら、「反小沢」一派の仙谷官房長官や枝野幹事長たちはどうするのか、どうなるのか。
仙谷由人、枝野幸男、前原誠司、岡田克也……。
民主党内でガチガチの「反小沢議員」は、実際には10人程度にすぎない。
これまでデカイ顔をしてこられたが、小沢内閣になったら、パージされるのは間違いない。
「小沢さんが絶対に許さないのは、外相の岡田克也と渡部恒三の2人です。
岡田は『起訴される可能性のある方が代表、首相になることには違和感を感じている』
と、わざわざ会見で発言した。
あの発言には小沢周辺も『日本は推定無罪なのに、最初から罪人扱いするのか』『政治活動の自由を妨害するのか』とカンカンです。
渡部老人にもハラワタが煮えくり返っている。
やり方が汚いのは、本当は『衆院議長にしてくれなかった』という個人的な逆恨みが動機なのに、中立の第三者を装って
『たったひとりが諸悪の元凶。その人がいなくなれば挙党一致できる』
とメディアで悪口を言いまくっていることです。
一体どこの党の人間なんだと小沢さんが怒るのも当然です」
政治ジャーナリストの鈴木哲夫氏。
「反小沢の急先鋒である仙谷、枝野、前原の3人が、徹底的に干されるのは間違いない。
注目は、仙谷長官に唆されて『反小沢』で突っ走った菅首相にどんな態度をとるかです。
菅首相は小沢前幹事長に対して『しばらく静かにしていろ』と失礼な言い方をしたが、小沢一郎は正反対のことをすると思う。
自分から『挙党態勢が大事だ』と歩み寄り、処遇しようとするのではないか。
その時、菅首相が申し出を受けるかどうか、かなり頭を悩ませるはずです」
クビを洗って代表選の日を待つしかない幹部たち。
死に物狂いで大マスコミをたきつけるのだろうが、そういう手でしか小沢に勝てないことが無能の証明なのだ。
(3)マニフェスト実現へ予算組み替えが始まる
民主党が大敗した先月の参院選の第一声で、小沢はこう言っていた。
「すぐ消費税増税はせず、ムダを徹底的に省いて財源を捻出するのがわれわれの主張だった」
菅は、「財源がない」を理由に、子ども手当の縮小を決め、
財務省のシナリオに乗せられるままに消費税増税を口にした。
小沢総理になれば、再び民主党政治は原点に戻り、昨年の衆院選マニフェストの実現に力を注ぐことになる。
もともと民主党マニフェストの一丁目一番地は、国の総予算207兆円の全面組み替えだった。
国民生活にとって必要なものは増やし、そうでないものは削る。
菅政権が諦めてしまった財源探しに、小沢内閣は本気で取り組むはずだ。
「政策に順位付けができれば、予算の組み替えは可能です。国民を守るために何を優先し、将来の日本のために何に投資するのか。
財務省に任せるのではなく、政治主導で政策に優先順位をつければいいだけなのです」
そうすれば、自民党政権時代と同じ「一律10%削減シーリング」なんてバカな発想は出てこない。
要は、政治力、決断力なのである。
ここが小沢は、菅や野田とは数倍違う。
秋に特別会計を対象にした「事業仕分け第3弾」が予定されている。
蓮舫大臣のままでは、「セレモニーで終わり」がミエミエだが、小沢は、特別会計の仕組みに詳しいし、財務省のズルさもよく分かっている。
特別会計に眠る埋蔵金を掘り出すことだって可能だ。
特別会計の下にぶら下がるムダな独立行政法人にあらためてメスを入れ、補助金をバッサバッサと切ってくる。
その剛腕は期待できる。
民主党のマニフェストに詳しいジャーナリスト・神保哲生氏。
「鳩山政権も菅政権も、マニフェストがなかなか実現できず、国民は歯がゆい思いをしてきた。
小沢総理になれば、経験豊富ですから、万難を排して、マニフェストのかなりの項目を実現できるのではないかという期待感があります。
ただ、人気取りだけでなく、その先に、どういう日本をつくるのかというしっかりしたビジョンを示せれば、さらに強力になると思います」
この1年、しぼむばかりだった予算組み替えが最初の政治テーマになる。
(4)小沢嫌いの新聞テレビの周章狼狽
案の定とはいえ、小沢が出馬表明したきのう(26日)の各紙夕刊には呆れた。
社会面は、小沢に対する批判の声を並べ立てていた。
「カネの問題 説明まだ」「国民のためになるか」「『脱小沢』が最大争点に」
と煽る記事。
争点は政策だろう。
どの世論調査でも、国民の最大関心事は景気問題、社会福祉だ。
消費税や円高対策で争えと注文をつけるなら分かるが、無理やり「小沢イコール悪」のムードを盛り上げ、「小沢総理誕生」を阻止しようと躍起だから、大マスコミには呆れる。
小沢を叩けば日本は良くなるのか。
何も改革ができない菅政権のままでいいのか。
違うだろう。
だが、考えてみれば、悪意に満ちた新聞テレビ報道は、連中の周章狼狽の裏返しである。
「世論の支持頼みの菅首相は、最近は大マスコミといい関係を保って、批判記事を減らそうという姑息な姿勢が透けて見える。
しかし、小沢さんはそういう愛嬌を振りまくことはない。
どんなにバッシングされようが、メディアを取り込もうなんてしないし、記者クラブの既得権益を優遇することもない。
すべて合理的にやる。
そうなると権力との癒着が続けられなくなるから、大マスコミは小沢政権実現だけは絶対に阻止したいのです」
自分たちの都合、損得だけで、民主党代表選、次の首相選びを意図的にネジ曲げる。
言論機関がやることなのか。
小沢に近い議員。
「昨年の西松事件以降、小沢さんはずっと大マスコミの標的にされ、罵詈雑言を浴びせられてきた。
これから代表選の間、いろいろな古い話まで引っ張り出して、小沢のダーティーなイメージづくりを必死にやるでしょうね」
小沢はそれを乗り越えるしかないが、新聞テレビ報道には、こういう裏があることを、国民は肝に銘じておいた方がいい。
(5)官僚支配を復活させた霞が関も刷新される
小沢出馬に慌てているのは、霞が関の官僚たちも一緒だ。
操りやすい菅首相、何でも聞いてくれる仙谷官房長官、
ヒヨッコ同然の大臣たちを相手に、せっかく官僚支配を復活させたのに、小沢政権になれば、再び力関係がひっくり返る。
れが分かっているのだ。
小沢といえば、昨年の幹事長時代、宮内庁長官をどやしつけたことがあった。
天皇と中国副主席の会談にからんで、ブツブツ言った羽毛田長官に
「一役人が内閣の方針に文句があるなら、辞表を出してから言え」
とやった一件だ。
子供時代から一度も怒られた経験のない宮内庁長官は震え上がったと、今でも霞が関の“伝説”になっている。
小沢は事務次官会議廃止、内閣法制局長官の答弁禁止、天下り禁止なども主導してきた。
公約の「政治主導」のためにはどんな偉い官僚にも容赦ない。
だから元厚生事務次官だった宮内庁長官を平然と罵倒できる。
こんな度胸のある政治家はいない。
ある官僚がこぼした。
「霞が関が一番嫌いな政治家は間違いなく小沢。
手ごわいし、官僚の手の内を知り尽くしている。
人事にも介入してくる。
検察とだって闘おうとしている。
幹事長時代はあまり内閣のことに口出ししなかったが、首相になったら、ガツーンとやって、『政治主導復活』を印象づけるでしょう。霞が関は戦々恐々ですよ」
菅首相は、元社保庁長官とか元ロシア課長などいわくつきの官僚まで復権させて、霞が関にコビを売っているが、小沢は違う。
従わない官僚はバッサリやる。
埋蔵金を隠す一方で、「景気対策をやる財源はない」なんてホザいている財務官僚や無策の日銀幹部のクビが飛ばされる日が来るだろうから、待ち遠しい。
(6)本当の政権交代がようやく実現
「小沢一郎の最終戦争」などの著作が多い作家の大下英治氏。
「小沢さんは賢明な選択をした。今回、出馬を諦めたら、仙谷官房長官に干し上げられ、求心力を失い、政治家・小沢一郎は終わったかもしれない。
出馬することで、万が一、代表選に負けても、力を持ち続けられる。
次が狙える。
でも、民主党のオーナーである鳩山さんの全面協力を取り付けたことで旧民社党や旧社会党系のグループも支持に回るから、代表選は小沢さんが勝つでしょう。
党員・サポーター票も小沢優勢です。小沢総理が誕生したら、いよいよ自民党との最終戦争と、最後の“ご奉公”が始まるのです」
小沢は、消費税と普天間を代表選の争点にすると言っている。
つまり増税路線でなく
、「国民生活が第一」の路線に戻すこと
米国との対等な付き合いを目指すこと
を掲げるというのだ。
これも菅には痛い。
権力抗争ではなく路線闘争
天木直人氏
「こじれた普天間問題を短期間で片付けるのは無理。
大事なことは沖縄県民の声をアメリカに伝えること。
小沢氏はそれはやるでしょう。
消費税増税や辺野古移転受け入れで分かるように、菅政権は支配する側の論理に立ち、自民党政治と変わらなくなった。
対して小沢氏は、支配される側の声を汲み取ろうとしている。
今度の代表選はそういう意味で、単なる昔からの権力抗争でなく、初の路線闘争になった。これは素晴らしいことです」
もともと昨年の政権交代で、多くの国民が期待したのはそういうことだった。旧勢力の総攻撃による鳩山・小沢辞任で急ブレーキがかかり、菅政権の日和見政治で時計の針は逆戻りを始めていたが、小沢政権が実現すれば、本当の政権交代がいよいよ実現するのだ。大新聞テレビや官僚、自民党が一番嫌がる新政権こそが、庶民にとっては本物なのである。
記事URL 小沢政権誕生 新閣僚、党人事の顔ぶれ
(日刊ゲンダイ 2010/8/27)
幹事長は鳩山か海江田か 亀井財務大臣、楢床、細野の抜擢も
─小沢一郎が総理に就任したら、閣僚人事、党人事はどんな顔ぶれになるのか。
日本社会が危機に直面しているのに、何ひとつ課題を処理できない菅内閣とは一変するのは間違いない。
なんと、幹事長に名前が浮上しているのが、鳩山由紀夫(63)だ。
総理経験者が党の幹事長に就くことは、常識ではあり得ないが、宇宙人の鳩山由紀夫なら平気で引き受けるとみられている。
「小沢が代表選で勝利した場合、最大の功労者は鳩山です。
幹事長として処遇しておかしくない。
実際、小沢―鳩山体制なら党がまとまる。
ただ、外交をやりたい鳩山は外相を希望している。
鳩山外相なら、幹事長は鳩山グループの海江田万里(61)でしょう」
党の要である官房長官には、小沢に近く、政策通で知られる松本剛明(51)が有力。
さらに、未曽有の経済危機を乗り越えるために、財務相には国民新党の亀井静香(73)が就く可能性が高い。
「財政拡大、金融緩和」の主張は小沢と一緒だ。
デフレ不況脱出を最優先しているコワモテの亀井なら、財政出動を渋っている財務官僚を抑え込める。
「小沢さんは敵味方を区別はするが、情実人事はしない。組閣は実力主義で臨むでしょう。たとえ地味でも、きちんと実務をこなせる議員を起用すると思う。
とくに民主党は野党時代から口だけ達者な若手ばかり重用され、力のある中堅議員が不遇をかこってきたから、彼らを中心に使うのではないか。
たとえば当選7回の大畠章宏(62)や古賀一成(63)あたりです」(政治評論家・有馬晴海氏)
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ただ、民主党は大臣経験者が少ないだけに、原口一博総務相(51)や長妻昭厚労相(50)、山田正彦農相(68)、中井洽国家公安委員長(68)、蓮舫行政刷新相(42)は、留任組とみられている。
政治ジャーナリストの鈴木哲夫氏はこう見る。
「小沢前幹事長は、本気で政権担当能力がある若手を育成しようとしている。
『小沢政治塾』を大事にしているのもその表れです。
内心、いつまでも小沢、鳩山、菅、岡田の時代じゃないと思っている。
組閣では、樽床伸二(51)や細野豪志(39)、松井孝治(50)あたりを抜擢するはずです」
松井は菅の国家戦略室の縮小にカンカンだから適任だ。
ほかに入閣の可能性があるのが、田中真紀子(66=写真右央)、川内博史(48)、辻元清美(50)。
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今日の誕生日の花は・・・・ユウカオ
花言葉は・・・・・・・・魅惑の人
小沢一郎は弁解しない。
東京裁判の文官唯一の絞首刑の広田弘毅みたいである。
城山三郎著『落日燃ゆ』の文庫本で偲べる。
小沢一郎何故立ったか
昨日アップした小沢塾講義で十分に斟酌できる
歴史ある国のあり方を憂えている。
この国のあり方をである。
メディアはアメリカ人悪口のトコのみを拡大歪曲し記事にしている。
優秀なる記者のハズなのに悪意に満ちている。
小沢が権力を握る限りこの国の政治家の
売国奴・対米従属派
VS
小沢が動かす従属離脱派
との暗闘が続く。
ここを政治過程として通過しない限りこの国の植民地化状況からの脱却はない。
この国はいつまでたっても国富の公平な分配が出来ない。
国富はアメリカに貢がれる
デフレからの脱却、雇用の安定はない。
中小企業、農林魚業もおなじである。
「アメリカへの基地の提供と、原油と資金を貢ぐキャッシュディスペンサー(ATM)の役割を行う」
コレまでの自民党政治65年とおなじである。
菅直人政権が小泉純一郎路線に傾斜し始めている。
菅直人党首は「国政選挙に大敗した指揮官」。
指揮官には責任がある。
これは選挙に負けた=国民より不信任を受けた政党・リーダーの党首が居座っていることになる
この国の政治史で始めてのこと。
「最低限経るべき手続き義務」であり責任放棄。
政治家として最低である。
小沢一郎による救国内閣の確立は急務。
政策は単純でイイ
緊急である。
一つは、「悪い円高をやめさせること」
二つは、「対米自立」。
三つは、「官房機密費の透明化」
事実でもない政治とカネではない。
「メディアとカネ」
国会はネジレにある。
小沢一郎は野党にさえ気配りは十分である。
民主党内での小沢の力は弱まりそうもなく夕顔が日々草がよく似合う。
日々草はこの日の花で昨年紹介されている。
当選は決まったようなるモノ。
苦難の中苦渋の決断
よくぞやった立候補。
当選前祝いで花で始まり花で終わる二重に二つと大奮発。
ゆうかおの おとのしそうな つぼみかな
大事より 小事重んじ 日々草
25日の152才のニュースには驚いた。
コレまで医者知らずが9月大手術を二度も控えておりなおさらである。
リンクの方もアップしておられ教え頂きました。
有り難うございます。
ほかに今日の話題をブログでもイロイロと教えて貰っております。
有り難うございます。
拡散、拡散。
9月14日向けて総てが動き始めている。
全国飛び回り戸籍で30年間飯を食ってきた爺目である。
民法903条の2権利者確定には安政 万延 文久 元治 と出てくる
ただしこの戸籍直接当たれなくなった。
改正原戸籍、壬申戸籍と閲覧できない戸籍からどうして調べたのか。
同和運動、小泉内閣の個人保護法の行きすぎゆえ
公務なら配慮でかって自由に観れてたこれらの戸籍。
士族、農民さらにはエタ、非人など身分が書かれて消してある。
それがお粗末だったり透かすなりすると解る場合がある。
ゆえに公務に携わる職員だろうとかってにその戸籍を観れない扱いとなり
異常が全国に生じてるのも一因があろう。
電子化したとき多忙でそのままにしてて視覚化が異常なる実数となってるのだろう。
戸籍なぞ明治維新の産物
もともとお寺さんの仕事。
住民票とは全く違う。
そうカッカナル問題ではない。
実務知恵で所有権登記は出来る
大阪市には120歳以上の高齢者が5125人もいるらしい。
同市内に本籍地があり、戸籍上は生存している状態になっているらしい
なかでも最高齢は、江戸時代の1857年=安政4年9月4日に生まれた152歳の男性。
その後山口ではもっと酷い例が26日報じられた。
安政年間は孝明天皇治世の1854年から1860年までの実質5年の通算7年間
将軍は徳川家定、徳川家茂。
嘉永の後、万延の前。
その後8っの時代を生き抜いてることになる。
イイ加減にしろッ!大阪死。
1854年 安政 7年間
1860年 万延 2年間
1861年 文久 4年間
1864年 元治 2年間
1865年 慶応 4 年間
明治
大正
昭和
平成
この国の安政生存者と聞いて、そこでである。
今年は咸臨丸が太平洋を越えて150年の祈念すべき年。
岸内閣安保改定の年から50年でその年が咸臨丸渡米100年。
日韓併合100年は記念行事を挙行したがこちらは何もないようでアル。
これは万延年間のことである。
万延元年=1860年、江戸幕府の遣米使節団が太平洋を渡った。
何故か。
1858年井伊直弼が結んだ「日米修好通商条約」の批准書交換が目的
日本政府の初めての正式な訪米使節。
正使新見豊前守正興、監察小栗上野介をはじめとする一行77人
米国のフリゲート艦ポウハタン号=2415トンに送り届けられて太平洋を渡った
語られてることはそれではない。
一行を「護衛・随行する」目的で派遣された威臨丸のコトである。
オランダで建造され、太平洋を渡った咸臨丸は函館近くの海で
座礁沈没その生涯は短く14年。
お台場船の博物館ではあの宗谷、福竜丸は現物だが
咸臨丸はスケールをかえオランダに残されていた図面を基にオランダで製作され復元ゆえそのものが偲べる。
詳しくは合田一道著作
「咸臨丸 栄光と悲劇の五〇〇〇日」道新選書から刊ている。
<そこで教えていただけること。>
咸臨丸は625トンの小船。
勝海舟、福沢諭吉、ジョン万次郎といった日本近代史を彩る人物を乗せ
太平洋を注釈付き「日本人だけで」サンフランシスコを往復した。、
先立つこと6年前、1854年はペリー浦賀来航の翌年である。
この年幕府はスクリュー式のコルベット軍艦二隻をオランダに発注した。
当初は帆船を発注したのだが、三本マストを残しながら蒸気エンジンでも動くスクリュー式で、帆走・汽走併用型に変更された
1857年三月、オランダ領だったインドネシアのバタビア(現ジャカルタ)を経て長崎に回航されてきた。
幕府にとっては、1855年にオランダ国王から贈られた「観光丸」に次ぐ、二隻目の洋式軍艦咸臨丸。
咸臨丸の船体の大きさは、長さ三六・六m、幅八・六m、625トン
これに武士19人、水夫65人、大工鍛冶2人の
日本人86人
、事情あって乗船することになったロイテナント・ブルーク大尉他米海軍の軍人一10人の合計96人
ポウハタン号の四分の一。こちらは乗船者は77人
事情とは日本近海に測量目的で来ていた米海軍の船が座礁・沈没し、生き延びた米海軍軍人が帰国の機会を待っていたと
いうこと
建前では日本側の配慮で同乗させたことになっているが、実際は遠洋航海の実績もない日本の乗員にとっては有難い助tu人であった。
「日本人だけで太平洋を渡った」という通説は虚構であり、瀬戸内の塩飽諸島の水夫達を調達して乗船させていたもの
、
福沢の『福翁自伝』に「牢屋に大地震の如し」と表現されているような北太平洋の荒れ狂う波風に苦しめられ、日本人水
夫が全くお手上げだった中で、10人の米海軍の軍人が活躍して苦難を乗り切ったというのが実態だった。
ただし、帰途の復路については、日本人だけの操舵で太平洋を渡ったことは間違いない。
咸臨丸が浦賀を出航したのは
1860年2月10日(新暦)で、サンフランシスコ着は3月18日.
修理を終えて咸臨丸がサンフランシスコを離れたのは5月8日、
滞在期間は約50日間。
その間、11日遅れて3月29日に到着した正使一行が4月7日にワシントンに向かうためパナマに立つのを見送った。
咸臨丸に関し、「勝海舟や福沢諭吉もワシントンに行った」と思われがちだが、
彼らはサンフランシスコに行っただけ。
福沢は七年後の1867年(慶応三年)再び訪米し、ニューヨーク・ワシントンを訪れた、
その時多くの著書を持ち帰り咎められた。
何故か。
ドロボーである。
幕府の金で多くの本を持ち帰り悪事がバレ大変な事態に成ったことがある。
万延元年の遣米使節においては、サンフランシスコだけを見て帰ってきた。
それでもこの時の勝37歳、福沢27歳、
若い目線で目撃したサンフランシスコの意味はこの国の財産となった。
NHK大河ドラマ龍馬伝は薩長同盟経過にさしかかっている。
その前半最終の海軍総錬所で学んだことが後の亀山社中に連なる。
その確かな組織が犬猿の中にあった雄藩長州、薩摩を結びつけるところが描かれていた。
勝海舟の弟子たる龍馬。
師・勝海舟の開明さの因は咸臨丸渡米のココにある。
ただ勝海舟渡米には重大なる裏切りがある。
長崎語学で世話になった赤松小三郎を乗船させていないのである。
この人は龍馬より早く「船中八策」より先駆すること6ヶ月
四賢公福井の松平春嶽公に「御改正口上書」を上奏提出している
龍馬の「船中八策」はこの赤松小三郎案のパクリと思える。
いずれ触れる。
何故その英才が歴史に登場しないのか。
歴史は勝者で書かれるゆえ。
この英傑は人斬り半次郎こと桐野利秋の薩摩示現流で殺害されている。
薩摩藩はあくまで武力倒幕
薩摩の軍事師範であった赤松小三郎も
龍馬とも公武合体的新政府方針と相容れなかった。
あまりにも深く長州薩摩の対幕府政策を知りすぎていた共通点が見られる。
菅内閣で暗躍する仙石幹事長の如くの妖怪的思考が両藩を被っていた
サンフランシスコはカリフォルニア州の北部に位置する太平洋側の最大の都市、
アメリカ西海岸を代表する世界都市である。
漢字文字では 桑港や旧金山と表記する。
1849年に起こったゴールドラッシュにちなんだ名称である
なお「旧金山」でなく「新金山」はメルボルンを指す。
現地の中国系社会では、桑港と同様に「サンファン」の音を当てはめた三藩が旧金山よりも多用される
り、市当局も中文での名称を三藩市サンフラン=San-Franとする。
地元とベイエリア周辺では単純に愛情を込めて「the city」
サンフランシスコ自体の人口は776,733人(2000年国勢調査)
対岸のオークランドなどを含めた都市圏(MSA)の人口は4,123,747人
全米第12位の規模。
更に南岸のサンノゼを加えたサンフランシスコ・ベイエリア全体の人口は7,092,596人
広域都市圏(CSA)として全米6番目の規模。
シリコンバレーやカリフォルニア大学バークレー校にも近く、コンピュータ系の企業も多い。
サンフランシスコの気候は地中海性気候に属し、一年中気温の差があまり無く、
気候的にも住みやすい都市である。
急な坂や深い霧に覆われる場合が多いことでも有名。
観光地としての評価も非常に高い都市
外国人のみならず、アメリカ人の間でも訪れたい都市の上位にランクされている。
有名な観光スポットとしてゴールデンゲートブリッジ(金門橋)やフィッシャーマンズワーフ、ツインピークス等が挙げ
られる。
市内を走る伝統あるケーブルカーも人気が高い。
2010年、アメリカの外交専門誌フォーリンポリシーにより、サンフランシスコは世界第12位の世界都市に選ばれている北
米では、ニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルスに次いで、第4位。
サンフランシスコは1776年にフランシスコ派のメキシコ人伝道師によって建設された町
1835年、イギリス人ウィリアム・リチャードソンが現在のポーツマス・スクエアに当たる船着場近くに初めて独立の自作
農場を作った
1848年近郊で砂金が発見されてからカリフォルニア・ゴールドラッシュによって、金を求めて多くの人が押し寄せた。
人口は1848年の1000人から1849年には2万5000人へと増加
咸臨丸が訪れた1860年には5・6万人の街へと変身していた。
この新興の都市を日本の若きサムライたちは、カルチャーショックを受けながらも恐るべき好奇心で見て回った。
市庁舎、電信施設、造船所、砂糖工場、メッキ工場などに目を見張り、ホテルに絨毯が敷き詰められていることや女尊男
卑の風俗に驚嘆している。
福沢諭吉が米国の建国の父ともいえる「ワシントンの子孫はどうしているのか」と聞く。
、「知らない」といわれる。
、「源頼朝、徳川家康のような存在のはずの子孫が・・・・・」といぶかる姿が 『福翁自伝』に描かれている
ただし、「民主主義の国アメリカ」の衝撃は大きかったであろう。
勝海舟も『氷川清話』でこの時の体験に触れている。
、「おれがアメリカに行って帰朝した時、御老中から『異国にわたりて、何か眼を付けたことがあろう』と再三聞かれ、
『アメリカでは、政府でも民間でも、人の上に立つものは、みなその地位相応に怜悧でございます』と答え、
『無礼者』と叱られた」という話を語っている。
世界恐慌の最中も、サンフランシスコではサンフランシスコ・オークランド・ベイブリッジ(1936年完成)とゴールデンゲートブリッジ(1937年完成)という2大プロジェクトが同時に進行していた。なお、同じころ、軍事施設だったアルカトラズ島が連邦刑務所となり、アル・カポネ、マシンガン・ケリー、「バードマン」と呼ばれたロバート・フランクリン・ストラウドなどがここに収容された。
咸臨丸100年の年としての1960年
今から50年前、咸臨丸のサンフランシスコ渡航から100年という節目の年が1960年、
「60年安保」の年であった。
戦後日本の最も熱い政治の季節
日米安保条約の改定を巡り、「反安保」闘争が盛り上がり、この年6月15日の「安保改定阻止第二次実力行使」
には全国で580万人がデモ行進に参加
国会前では東大生樺美智子さんが死亡するという事態に至った。
6月19日には新安保・新行政協定が自然成立
アイゼンハワー米大統領の訪日延期、岸信介総理の退陣
岸内閣に代わって登場した池田勇人内閣は「所得倍増計画」を打ち出す。
米国でも、11月にJ・F・ケネディが新大統領に当選、
日米関係も新しい局面に入っていった。
なんと2010年8月27日状態と酷似していることか。
1951年のサンフランシスコ講話条約で国際社会に復帰した日本は、日米安保条約によって米国との二国間同盟に踏み込み
、西側陣営の一翼を占める形で冷戦の時代を生きるという路線を歩んだ。
サンフランシスコの太平洋を見渡すリンカーンヒルに「咸臨丸入港100年記念碑」がある。
咸臨丸が縁で姉妹都市となった152歳の人が生きている大阪市が建立したものである。
華やかな除幕式も行われたが、その時は、日米安保を巡る政治的熱狂の中でも、
咸臨丸100年を想う気持ちが太平洋を挟む日米双方に存在していた。
この1960年の日本の輸入の39%は米国からの輸入、
日本の輸出の30%は米国への輸出。
つまり、この国の貿易の三分の一以上が対米国で成り立っていた。
外交・安全保障の関係のみならず経済においても、日米関係の密度が重く存在していた時代。
1971年のニクソンショックまで、日本円の対ドルレートは一ドル360円に固定
多くの日本人はそれが当たり前だと思っていた
いまは菅直人内閣の元83円の時代に突入。
コレは人為的でもあり為替介入もなく無為無策の死に体内閣ゆえの政治災害で国家が危うい。
1960年安保改定とは、日本側にとって「日米間の事前協議制の導入」など
対米従属性を和らげる方向への条約改定という建前を確保した
ただ、実体は、米国側にとって「平時・有事にわたる在日米軍基地の長期・安定的確保」という
戦略体制の確立であった。
実態は今になり反対運動で主張した通りの外交機密の密約が明らかになっている。
多くの日本人は「東側の脅威に対して冷戦の時代に生きるためには」という思いで日米安保体制を容認
、1964年の東京オリンピック、1970年の大阪万国博覧会を経るうちに「豊かさへの願望」に傾斜した
最後の「政治の季節」ともいうべき「70年安保闘争」「全共闘運動」の時代はあったが、
とても国民的関心を引き付けた運動とはいいがたく、時代は一段と「経済の季節」に彩られていった。
その「70年安保闘争」「全共闘運動」の運動の中にいた人々が菅直人政権である。
菅直人は東工大、仙石由人が東大、枝野が東北大
ネットで騒がれてる築地市場豊洲移転の副知事は信州大学
みな全共闘運動の指導者たち。
爺目はそのほんのチョット後燼の年代。
唯一違わぬのはこの社会的名声を地位を経たらナント
共同戦線党の民主党党是を捨てた。
6・2クーデターで対米対中国等距離を捨てた。
国民目線政治を葬り去った。
あろうことか
小泉純一郎の格差拡大の新自由主義路線を踏襲している。
一方で、日米安保体制下の重圧が「基地」という形でのしかかる沖縄という不条理を封印
円ドルレートも、気がつけば今や80~90円水準、この50年で円の価値は四倍。
咸臨丸150年の今 今、我々は「60年安保」から50年という時点に立つ。
改めてサンフランシスコから立ち位置で俯瞰すると、日米関係の位相の変化に驚かされる
かつて西海岸を訪れ、サンフランシスコ、ロスアンゼルスの「ジャパンタウン」「ジャパンビレッジ」
その記憶している人ならばその衰退に衝撃を受けよう。
27日NHKラジオ深夜便3時過ぎ流れるメロディー
渡辺はま子は「サンフランシスコのチャイナタウン」と歌い謳歌した。
その日本人の存在感が西海岸から急速に消えている。
この10年で米国への渡航者は年間200万人近く減少
とくにハワイを除く米本土への渡航者は半減。
貿易の関係でも、2009年の日本の輸出における
対米輸出の比重は16%、
輸入における米国からの輸入は11%
1960年時点と比べて約三分の一の比重にまで落ち込んだ。
西海岸における日系企業の支店は撤退・閉鎖を続けている。
経済の関係、つまり下部構造において日米関係は大きく変化している。
米国の経済人のみならず米国民の中国への関心は急速に高まっている。
西海岸における中国・韓国・日本の存在感の比重は「五:三:二」
その一つの象徴が、「咸臨丸150周年」を話題にする人が日米双方において皆無だという事実である。
ジョン万次郎顕著会の国家議員の会長は小沢一郎である。
その一方で外交・安全保障の関係だけが「過剰依存・過剰期待」の関係に埋没したまま
、極端な固定観念に凍り付いている。
50年前、1960年代の世界認識を引きずったまま、
日米安保を既得権益とする人たちに押され、惰性の中で日米関係を「これまでどおりでいいのだ」
という状況に自らを置く日本人に未来はあるであろうか。
歴史的な「政権交代」を経てもなお、
「普天間問題」の経緯のごとく、基地と日米同盟の在り方について米国と正面から向き合うのではなく
、二一世紀のアジアの安全保障を配慮した「抑止力」の中身を真剣に吟味することはない。、
むしろ沖縄の期待を押さえ込むことで進路をとろうとする鳩山・菅内閣とシナリオを主導した外務省、防衛省の責任は重
い。
深い歴史観の中で、今を生きる日本人が立ち向かうべき課題が理解できていないのであろう。
咸臨丸の時代を生きた日本人は誰一人として、外国の軍隊を頼りに自国の安全を図るという事態を考えてもいなかった、
いわんや敗戦後六五年が経過し、周辺状況がまるで変わっても「自立自尊」を志向しない脳力の虚弱さは悲劇的である。
咸臨丸の時代、そしてそれから100年後の「60年安保」の時代と比べ、
日本人が失っていることは自分の身辺的利害を超えて、国や社会の在り方のために立ち向かう気迫である。
日本の存在感の低下の本質はここにあるといえる。
従属国を受け入れなければ政治生命どころか生命そのものが奪われ数多く葬り去られている。
それを知ってて対米従属へ裏切ったユダ6/2裏切り政権。
全共闘メンバー菅内閣に国家を託すにこの国の未来はない。
菅直人内閣は国政選挙で信をとうと国会で宣言した。
議席を目標を下げ54議席が勝敗ラインとした。
ところが44議席の惨敗
参議院選挙は“反小沢”“脱小沢”を掲げて戦ったことは紛れもない事実。
ところが、その戦いで負けた。
しかも大敗である。
“脱小沢”で戦ったが大敗したことを少しは認めるべきだろう。
反省もなく責任もとらない。
それ以上に勘違いしている。
しかも、今回の参院選挙では仙石由人官房長官は勝たなきゃならない自分の選挙区・徳島で自民党に負けている。
ところがメディアも選挙敗北責任に一言も触れない。
野党自民党も不思議のそうである。
ただメディアはまたもや小沢立候補は政治とカネを言い出している。
菅内閣は昨年の衆院選マニフェスト(政権公約)の見直しを公言している。
現在の民主党政権は、このマニフェストの上に立っていること忘れたのか?
マニフェストを変えて、何を実現すると主張したいのか?
理解に苦しむ。
メディアは全くソコに触れない。
小沢一郎陣営の山岡賢治議員も弁舌爽やかでなくメッセージを発しない。
菅政権には要は、政策なんてものも何もない。
あるのは、単に権力にしがみつくことだけ。
そんな政権に「円高」や「株価」を何とかしろ…と言うこと自体、無理からぬコト。
国家が崩壊していく
救国内閣を早急に確立せねばならない。
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花言葉は・・・・・・・・魅惑の人
小沢一郎は弁解しない。
東京裁判の文官唯一の絞首刑の広田弘毅みたいである。
城山三郎著『落日燃ゆ』の文庫本で偲べる。
小沢一郎何故立ったか
昨日アップした小沢塾講義で十分に斟酌できる
歴史ある国のあり方を憂えている。
この国のあり方をである。
メディアはアメリカ人悪口のトコのみを拡大歪曲し記事にしている。
優秀なる記者のハズなのに悪意に満ちている。
小沢が権力を握る限りこの国の政治家の
売国奴・対米従属派
VS
小沢が動かす従属離脱派
との暗闘が続く。
ここを政治過程として通過しない限りこの国の植民地化状況からの脱却はない。
この国はいつまでたっても国富の公平な分配が出来ない。
国富はアメリカに貢がれる
デフレからの脱却、雇用の安定はない。
中小企業、農林魚業もおなじである。
「アメリカへの基地の提供と、原油と資金を貢ぐキャッシュディスペンサー(ATM)の役割を行う」
コレまでの自民党政治65年とおなじである。
菅直人政権が小泉純一郎路線に傾斜し始めている。
菅直人党首は「国政選挙に大敗した指揮官」。
指揮官には責任がある。
これは選挙に負けた=国民より不信任を受けた政党・リーダーの党首が居座っていることになる
この国の政治史で始めてのこと。
「最低限経るべき手続き義務」であり責任放棄。
政治家として最低である。
小沢一郎による救国内閣の確立は急務。
政策は単純でイイ
緊急である。
一つは、「悪い円高をやめさせること」
二つは、「対米自立」。
三つは、「官房機密費の透明化」
事実でもない政治とカネではない。
「メディアとカネ」
国会はネジレにある。
小沢一郎は野党にさえ気配りは十分である。
民主党内での小沢の力は弱まりそうもなく夕顔が日々草がよく似合う。
日々草はこの日の花で昨年紹介されている。
当選は決まったようなるモノ。
苦難の中苦渋の決断
よくぞやった立候補。
当選前祝いで花で始まり花で終わる二重に二つと大奮発。
ゆうかおの おとのしそうな つぼみかな
大事より 小事重んじ 日々草
25日の152才のニュースには驚いた。
コレまで医者知らずが9月大手術を二度も控えておりなおさらである。
リンクの方もアップしておられ教え頂きました。
有り難うございます。
ほかに今日の話題をブログでもイロイロと教えて貰っております。
有り難うございます。
拡散、拡散。
9月14日向けて総てが動き始めている。
全国飛び回り戸籍で30年間飯を食ってきた爺目である。
民法903条の2権利者確定には安政 万延 文久 元治 と出てくる
ただしこの戸籍直接当たれなくなった。
改正原戸籍、壬申戸籍と閲覧できない戸籍からどうして調べたのか。
同和運動、小泉内閣の個人保護法の行きすぎゆえ
公務なら配慮でかって自由に観れてたこれらの戸籍。
士族、農民さらにはエタ、非人など身分が書かれて消してある。
それがお粗末だったり透かすなりすると解る場合がある。
ゆえに公務に携わる職員だろうとかってにその戸籍を観れない扱いとなり
異常が全国に生じてるのも一因があろう。
電子化したとき多忙でそのままにしてて視覚化が異常なる実数となってるのだろう。
戸籍なぞ明治維新の産物
もともとお寺さんの仕事。
住民票とは全く違う。
そうカッカナル問題ではない。
実務知恵で所有権登記は出来る
大阪市には120歳以上の高齢者が5125人もいるらしい。
同市内に本籍地があり、戸籍上は生存している状態になっているらしい
なかでも最高齢は、江戸時代の1857年=安政4年9月4日に生まれた152歳の男性。
その後山口ではもっと酷い例が26日報じられた。
安政年間は孝明天皇治世の1854年から1860年までの実質5年の通算7年間
将軍は徳川家定、徳川家茂。
嘉永の後、万延の前。
その後8っの時代を生き抜いてることになる。
イイ加減にしろッ!大阪死。
1854年 安政 7年間
1860年 万延 2年間
1861年 文久 4年間
1864年 元治 2年間
1865年 慶応 4 年間
明治
大正
昭和
平成
この国の安政生存者と聞いて、そこでである。
今年は咸臨丸が太平洋を越えて150年の祈念すべき年。
岸内閣安保改定の年から50年でその年が咸臨丸渡米100年。
日韓併合100年は記念行事を挙行したがこちらは何もないようでアル。
これは万延年間のことである。
万延元年=1860年、江戸幕府の遣米使節団が太平洋を渡った。
何故か。
1858年井伊直弼が結んだ「日米修好通商条約」の批准書交換が目的
日本政府の初めての正式な訪米使節。
正使新見豊前守正興、監察小栗上野介をはじめとする一行77人
米国のフリゲート艦ポウハタン号=2415トンに送り届けられて太平洋を渡った
語られてることはそれではない。
一行を「護衛・随行する」目的で派遣された威臨丸のコトである。
オランダで建造され、太平洋を渡った咸臨丸は函館近くの海で
座礁沈没その生涯は短く14年。
お台場船の博物館ではあの宗谷、福竜丸は現物だが
咸臨丸はスケールをかえオランダに残されていた図面を基にオランダで製作され復元ゆえそのものが偲べる。
詳しくは合田一道著作
「咸臨丸 栄光と悲劇の五〇〇〇日」道新選書から刊ている。
<そこで教えていただけること。>
咸臨丸は625トンの小船。
勝海舟、福沢諭吉、ジョン万次郎といった日本近代史を彩る人物を乗せ
太平洋を注釈付き「日本人だけで」サンフランシスコを往復した。、
先立つこと6年前、1854年はペリー浦賀来航の翌年である。
この年幕府はスクリュー式のコルベット軍艦二隻をオランダに発注した。
当初は帆船を発注したのだが、三本マストを残しながら蒸気エンジンでも動くスクリュー式で、帆走・汽走併用型に変更された
1857年三月、オランダ領だったインドネシアのバタビア(現ジャカルタ)を経て長崎に回航されてきた。
幕府にとっては、1855年にオランダ国王から贈られた「観光丸」に次ぐ、二隻目の洋式軍艦咸臨丸。
咸臨丸の船体の大きさは、長さ三六・六m、幅八・六m、625トン
これに武士19人、水夫65人、大工鍛冶2人の
日本人86人
、事情あって乗船することになったロイテナント・ブルーク大尉他米海軍の軍人一10人の合計96人
ポウハタン号の四分の一。こちらは乗船者は77人
事情とは日本近海に測量目的で来ていた米海軍の船が座礁・沈没し、生き延びた米海軍軍人が帰国の機会を待っていたと
いうこと
建前では日本側の配慮で同乗させたことになっているが、実際は遠洋航海の実績もない日本の乗員にとっては有難い助tu人であった。
「日本人だけで太平洋を渡った」という通説は虚構であり、瀬戸内の塩飽諸島の水夫達を調達して乗船させていたもの
、
福沢の『福翁自伝』に「牢屋に大地震の如し」と表現されているような北太平洋の荒れ狂う波風に苦しめられ、日本人水
夫が全くお手上げだった中で、10人の米海軍の軍人が活躍して苦難を乗り切ったというのが実態だった。
ただし、帰途の復路については、日本人だけの操舵で太平洋を渡ったことは間違いない。
咸臨丸が浦賀を出航したのは
1860年2月10日(新暦)で、サンフランシスコ着は3月18日.
修理を終えて咸臨丸がサンフランシスコを離れたのは5月8日、
滞在期間は約50日間。
その間、11日遅れて3月29日に到着した正使一行が4月7日にワシントンに向かうためパナマに立つのを見送った。
咸臨丸に関し、「勝海舟や福沢諭吉もワシントンに行った」と思われがちだが、
彼らはサンフランシスコに行っただけ。
福沢は七年後の1867年(慶応三年)再び訪米し、ニューヨーク・ワシントンを訪れた、
その時多くの著書を持ち帰り咎められた。
何故か。
ドロボーである。
幕府の金で多くの本を持ち帰り悪事がバレ大変な事態に成ったことがある。
万延元年の遣米使節においては、サンフランシスコだけを見て帰ってきた。
それでもこの時の勝37歳、福沢27歳、
若い目線で目撃したサンフランシスコの意味はこの国の財産となった。
NHK大河ドラマ龍馬伝は薩長同盟経過にさしかかっている。
その前半最終の海軍総錬所で学んだことが後の亀山社中に連なる。
その確かな組織が犬猿の中にあった雄藩長州、薩摩を結びつけるところが描かれていた。
勝海舟の弟子たる龍馬。
師・勝海舟の開明さの因は咸臨丸渡米のココにある。
ただ勝海舟渡米には重大なる裏切りがある。
長崎語学で世話になった赤松小三郎を乗船させていないのである。
この人は龍馬より早く「船中八策」より先駆すること6ヶ月
四賢公福井の松平春嶽公に「御改正口上書」を上奏提出している
龍馬の「船中八策」はこの赤松小三郎案のパクリと思える。
いずれ触れる。
何故その英才が歴史に登場しないのか。
歴史は勝者で書かれるゆえ。
この英傑は人斬り半次郎こと桐野利秋の薩摩示現流で殺害されている。
薩摩藩はあくまで武力倒幕
薩摩の軍事師範であった赤松小三郎も
龍馬とも公武合体的新政府方針と相容れなかった。
あまりにも深く長州薩摩の対幕府政策を知りすぎていた共通点が見られる。
菅内閣で暗躍する仙石幹事長の如くの妖怪的思考が両藩を被っていた
サンフランシスコはカリフォルニア州の北部に位置する太平洋側の最大の都市、
アメリカ西海岸を代表する世界都市である。
漢字文字では 桑港や旧金山と表記する。
1849年に起こったゴールドラッシュにちなんだ名称である
なお「旧金山」でなく「新金山」はメルボルンを指す。
現地の中国系社会では、桑港と同様に「サンファン」の音を当てはめた三藩が旧金山よりも多用される
り、市当局も中文での名称を三藩市サンフラン=San-Franとする。
地元とベイエリア周辺では単純に愛情を込めて「the city」
サンフランシスコ自体の人口は776,733人(2000年国勢調査)
対岸のオークランドなどを含めた都市圏(MSA)の人口は4,123,747人
全米第12位の規模。
更に南岸のサンノゼを加えたサンフランシスコ・ベイエリア全体の人口は7,092,596人
広域都市圏(CSA)として全米6番目の規模。
シリコンバレーやカリフォルニア大学バークレー校にも近く、コンピュータ系の企業も多い。
サンフランシスコの気候は地中海性気候に属し、一年中気温の差があまり無く、
気候的にも住みやすい都市である。
急な坂や深い霧に覆われる場合が多いことでも有名。
観光地としての評価も非常に高い都市
外国人のみならず、アメリカ人の間でも訪れたい都市の上位にランクされている。
有名な観光スポットとしてゴールデンゲートブリッジ(金門橋)やフィッシャーマンズワーフ、ツインピークス等が挙げ
られる。
市内を走る伝統あるケーブルカーも人気が高い。
2010年、アメリカの外交専門誌フォーリンポリシーにより、サンフランシスコは世界第12位の世界都市に選ばれている北
米では、ニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルスに次いで、第4位。
サンフランシスコは1776年にフランシスコ派のメキシコ人伝道師によって建設された町
1835年、イギリス人ウィリアム・リチャードソンが現在のポーツマス・スクエアに当たる船着場近くに初めて独立の自作
農場を作った
1848年近郊で砂金が発見されてからカリフォルニア・ゴールドラッシュによって、金を求めて多くの人が押し寄せた。
人口は1848年の1000人から1849年には2万5000人へと増加
咸臨丸が訪れた1860年には5・6万人の街へと変身していた。
この新興の都市を日本の若きサムライたちは、カルチャーショックを受けながらも恐るべき好奇心で見て回った。
市庁舎、電信施設、造船所、砂糖工場、メッキ工場などに目を見張り、ホテルに絨毯が敷き詰められていることや女尊男
卑の風俗に驚嘆している。
福沢諭吉が米国の建国の父ともいえる「ワシントンの子孫はどうしているのか」と聞く。
、「知らない」といわれる。
、「源頼朝、徳川家康のような存在のはずの子孫が・・・・・」といぶかる姿が 『福翁自伝』に描かれている
ただし、「民主主義の国アメリカ」の衝撃は大きかったであろう。
勝海舟も『氷川清話』でこの時の体験に触れている。
、「おれがアメリカに行って帰朝した時、御老中から『異国にわたりて、何か眼を付けたことがあろう』と再三聞かれ、
『アメリカでは、政府でも民間でも、人の上に立つものは、みなその地位相応に怜悧でございます』と答え、
『無礼者』と叱られた」という話を語っている。
世界恐慌の最中も、サンフランシスコではサンフランシスコ・オークランド・ベイブリッジ(1936年完成)とゴールデンゲートブリッジ(1937年完成)という2大プロジェクトが同時に進行していた。なお、同じころ、軍事施設だったアルカトラズ島が連邦刑務所となり、アル・カポネ、マシンガン・ケリー、「バードマン」と呼ばれたロバート・フランクリン・ストラウドなどがここに収容された。
咸臨丸100年の年としての1960年
今から50年前、咸臨丸のサンフランシスコ渡航から100年という節目の年が1960年、
「60年安保」の年であった。
戦後日本の最も熱い政治の季節
日米安保条約の改定を巡り、「反安保」闘争が盛り上がり、この年6月15日の「安保改定阻止第二次実力行使」
には全国で580万人がデモ行進に参加
国会前では東大生樺美智子さんが死亡するという事態に至った。
6月19日には新安保・新行政協定が自然成立
アイゼンハワー米大統領の訪日延期、岸信介総理の退陣
岸内閣に代わって登場した池田勇人内閣は「所得倍増計画」を打ち出す。
米国でも、11月にJ・F・ケネディが新大統領に当選、
日米関係も新しい局面に入っていった。
なんと2010年8月27日状態と酷似していることか。
1951年のサンフランシスコ講話条約で国際社会に復帰した日本は、日米安保条約によって米国との二国間同盟に踏み込み
、西側陣営の一翼を占める形で冷戦の時代を生きるという路線を歩んだ。
サンフランシスコの太平洋を見渡すリンカーンヒルに「咸臨丸入港100年記念碑」がある。
咸臨丸が縁で姉妹都市となった152歳の人が生きている大阪市が建立したものである。
華やかな除幕式も行われたが、その時は、日米安保を巡る政治的熱狂の中でも、
咸臨丸100年を想う気持ちが太平洋を挟む日米双方に存在していた。
この1960年の日本の輸入の39%は米国からの輸入、
日本の輸出の30%は米国への輸出。
つまり、この国の貿易の三分の一以上が対米国で成り立っていた。
外交・安全保障の関係のみならず経済においても、日米関係の密度が重く存在していた時代。
1971年のニクソンショックまで、日本円の対ドルレートは一ドル360円に固定
多くの日本人はそれが当たり前だと思っていた
いまは菅直人内閣の元83円の時代に突入。
コレは人為的でもあり為替介入もなく無為無策の死に体内閣ゆえの政治災害で国家が危うい。
1960年安保改定とは、日本側にとって「日米間の事前協議制の導入」など
対米従属性を和らげる方向への条約改定という建前を確保した
ただ、実体は、米国側にとって「平時・有事にわたる在日米軍基地の長期・安定的確保」という
戦略体制の確立であった。
実態は今になり反対運動で主張した通りの外交機密の密約が明らかになっている。
多くの日本人は「東側の脅威に対して冷戦の時代に生きるためには」という思いで日米安保体制を容認
、1964年の東京オリンピック、1970年の大阪万国博覧会を経るうちに「豊かさへの願望」に傾斜した
最後の「政治の季節」ともいうべき「70年安保闘争」「全共闘運動」の時代はあったが、
とても国民的関心を引き付けた運動とはいいがたく、時代は一段と「経済の季節」に彩られていった。
その「70年安保闘争」「全共闘運動」の運動の中にいた人々が菅直人政権である。
菅直人は東工大、仙石由人が東大、枝野が東北大
ネットで騒がれてる築地市場豊洲移転の副知事は信州大学
みな全共闘運動の指導者たち。
爺目はそのほんのチョット後燼の年代。
唯一違わぬのはこの社会的名声を地位を経たらナント
共同戦線党の民主党党是を捨てた。
6・2クーデターで対米対中国等距離を捨てた。
国民目線政治を葬り去った。
あろうことか
小泉純一郎の格差拡大の新自由主義路線を踏襲している。
一方で、日米安保体制下の重圧が「基地」という形でのしかかる沖縄という不条理を封印
円ドルレートも、気がつけば今や80~90円水準、この50年で円の価値は四倍。
咸臨丸150年の今 今、我々は「60年安保」から50年という時点に立つ。
改めてサンフランシスコから立ち位置で俯瞰すると、日米関係の位相の変化に驚かされる
かつて西海岸を訪れ、サンフランシスコ、ロスアンゼルスの「ジャパンタウン」「ジャパンビレッジ」
その記憶している人ならばその衰退に衝撃を受けよう。
27日NHKラジオ深夜便3時過ぎ流れるメロディー
渡辺はま子は「サンフランシスコのチャイナタウン」と歌い謳歌した。
その日本人の存在感が西海岸から急速に消えている。
この10年で米国への渡航者は年間200万人近く減少
とくにハワイを除く米本土への渡航者は半減。
貿易の関係でも、2009年の日本の輸出における
対米輸出の比重は16%、
輸入における米国からの輸入は11%
1960年時点と比べて約三分の一の比重にまで落ち込んだ。
西海岸における日系企業の支店は撤退・閉鎖を続けている。
経済の関係、つまり下部構造において日米関係は大きく変化している。
米国の経済人のみならず米国民の中国への関心は急速に高まっている。
西海岸における中国・韓国・日本の存在感の比重は「五:三:二」
その一つの象徴が、「咸臨丸150周年」を話題にする人が日米双方において皆無だという事実である。
ジョン万次郎顕著会の国家議員の会長は小沢一郎である。
その一方で外交・安全保障の関係だけが「過剰依存・過剰期待」の関係に埋没したまま
、極端な固定観念に凍り付いている。
50年前、1960年代の世界認識を引きずったまま、
日米安保を既得権益とする人たちに押され、惰性の中で日米関係を「これまでどおりでいいのだ」
という状況に自らを置く日本人に未来はあるであろうか。
歴史的な「政権交代」を経てもなお、
「普天間問題」の経緯のごとく、基地と日米同盟の在り方について米国と正面から向き合うのではなく
、二一世紀のアジアの安全保障を配慮した「抑止力」の中身を真剣に吟味することはない。、
むしろ沖縄の期待を押さえ込むことで進路をとろうとする鳩山・菅内閣とシナリオを主導した外務省、防衛省の責任は重
い。
深い歴史観の中で、今を生きる日本人が立ち向かうべき課題が理解できていないのであろう。
咸臨丸の時代を生きた日本人は誰一人として、外国の軍隊を頼りに自国の安全を図るという事態を考えてもいなかった、
いわんや敗戦後六五年が経過し、周辺状況がまるで変わっても「自立自尊」を志向しない脳力の虚弱さは悲劇的である。
咸臨丸の時代、そしてそれから100年後の「60年安保」の時代と比べ、
日本人が失っていることは自分の身辺的利害を超えて、国や社会の在り方のために立ち向かう気迫である。
日本の存在感の低下の本質はここにあるといえる。
従属国を受け入れなければ政治生命どころか生命そのものが奪われ数多く葬り去られている。
それを知ってて対米従属へ裏切ったユダ6/2裏切り政権。
全共闘メンバー菅内閣に国家を託すにこの国の未来はない。
菅直人内閣は国政選挙で信をとうと国会で宣言した。
議席を目標を下げ54議席が勝敗ラインとした。
ところが44議席の惨敗
参議院選挙は“反小沢”“脱小沢”を掲げて戦ったことは紛れもない事実。
ところが、その戦いで負けた。
しかも大敗である。
“脱小沢”で戦ったが大敗したことを少しは認めるべきだろう。
反省もなく責任もとらない。
それ以上に勘違いしている。
しかも、今回の参院選挙では仙石由人官房長官は勝たなきゃならない自分の選挙区・徳島で自民党に負けている。
ところがメディアも選挙敗北責任に一言も触れない。
野党自民党も不思議のそうである。
ただメディアはまたもや小沢立候補は政治とカネを言い出している。
菅内閣は昨年の衆院選マニフェスト(政権公約)の見直しを公言している。
現在の民主党政権は、このマニフェストの上に立っていること忘れたのか?
マニフェストを変えて、何を実現すると主張したいのか?
理解に苦しむ。
メディアは全くソコに触れない。
小沢一郎陣営の山岡賢治議員も弁舌爽やかでなくメッセージを発しない。
菅政権には要は、政策なんてものも何もない。
あるのは、単に権力にしがみつくことだけ。
そんな政権に「円高」や「株価」を何とかしろ…と言うこと自体、無理からぬコト。
国家が崩壊していく
救国内閣を早急に確立せねばならない。
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小沢一郎講演「小沢一郎政治塾」 2010/8/25
MP3 : http://bit.ly/aia6OT
動画:http://bit.ly/awnMnE
みなさん、おはようございます
3泊4日の夏の講座。いよいよ最後になったわけであるますけれども、この短い時間ではあったと思いますけれども、いろ
んな分野で活動しているみなさんがこうして一堂に会して勉強し、あるいは友情を広める深める、そういう意味で皆さん
の人生におきまして、いい思い出といい機会になったと思いますし、そうであればこの政治塾の意義もさらに大きくなる
だろうと思います。
もう9期生の皆さんは、集中講義は今日でもって終わりになり卒業するということになるわけでございますが、10期生の
皆さんはまた来年も、次の仲間を迎えての講義が勉強が続きますので、せっかく皆さん自分の休みを費やして
自分で参加していただいているこの政治塾ですので、是非、有意義に使っていただきたいと、そのように思っております
。
え、昨日、懇親の席もあったようですが、僕も参加しようと思ってたんですけれども、なんかもう、今日、皆さん、もう
お分かりのようにマスコミ諸君がもう、ホントにこの勉強に興味あってきていただいたんならいいんですけども、大変、
皆さんに、せっかくのところ迷惑をかけちゃいかんと思いまして、昨日は遠慮させていただきました。
今日も大勢マスコミ諸君がきてますけれども、皆さんもご承知のとおり、この政治塾は下世話な政局話をする場ではあり
ませんで、お互いに知識を深め、お互いに意見を交換しあい、自らを研鑽、研く場でございますので、ご承知の事と思い
ますけれども、そういう主旨で今日も話をさせていただきたいと思っております。
今朝の報道で円が83円台に突入したという話がありました。
当面、円高傾向は上下ありながら続くんだろうと思っておりますけれども、今日は為替の話をしようとしているのではあ
りませんで、今日、日本社会がもっている最大の問題点はなんだろうと、いうことを皆さんと共に考えてみたいと、そう
思っているわけであります。
資料は後から見ていただければいいんですけれども、日本は戦後、戦争の荒廃の中から奇跡の復興と呼ばれる経済の復興
を成し遂げ、今、バブルの崩壊から景気が悪い悪いということでいわれてますけれども、まあ、まだ、この国においては
、ほかの国のように食べれない人が出てきているわけでもありませんし、街中に、失業者は増えてはおりますし潜在的失
業者の数をかぞえるとかなり多いんですけれども、それでも欧米にくれべても失業率もまだ半分くらいのところですから
、そういう意味で日本の社会はまだ平穏を保っているわけですけれども、今後のことを考えてみますと、今申し上げまし
た為替も当分は円高にふれていくでしょうから・・・。
そうしますと外需、ようするにアメリカと中国がメインですが、ま、最近は東南アジアも増えてますけども、外需に頼り
っきりの日本経済というのは、非常に大きな打撃を受けることになりますし、また、為替だけではなくしてアメリカ経済
の行方、そして特に中国の経済の行方、中国の経済のバブルの崩壊がもう始まっているという人もいますけれども、経済
的な崩壊は中国の場合には政治的な動乱に繋がる恐れが十分にあると。
そういうような政治・経済いろんな意味で非常に不透明な不安定な状況に、どんどんなりつつあるということは間違いの
ない現実だと思います。
私から言わせれば、本来の日本人の精神と知恵と力をもってさえすれば、このくらいの困難を克服するのは、私は容易に
可能なことだと思っていますけども、今日の日本社会を見ますと、非常にあらゆる分野で、最近、「劣化」という言葉が
使われておりますけれども、勿論、私ども政界においても、官界においても財界においても、一般社会においても、そう
いう精神の荒廃といいますか、日本人の劣化というのは急速に進んでいるように思えて、その点が心配でなりません。
最近、あの報道ダネになっておりました、高齢者のね、あの全然住所録のとおり行ってもいなかったと、どこに行ったか
わかんないと、子供でさえ、じいちゃん、ばあちゃんどこにいるんだかわからない、というようなのは現実だとあわてて
今、各市町村であっちゃこっちゃ調べているようですけれども、家族でさえわからなくなっている、という状況。
それから、また前からも言ってますけれども、親殺し、子殺し、もう毎日毎日報道されております。
特に、こともが親を殺すっちゅうのは、儒教的道徳でいいますと、最も悪いちゅうことで、いわゆる親族殺人?という、
重い刑になりますけれども、なんといいますか、その人間の情とかなんかの側面からいいますと、親が、特に女性の場合
は自分の腹を痛めて産むわけですすけれども、その子供を平然と殺す、あるいは虐待する、あるいは捨ててしまう、とい
うようなことが日常茶飯事のように毎日毎日おきていて、だんだん、聞いてるほうも何も感じなくなってきて、ああ、ま
たか、というような状況になりつつある、のが今日の日本社会なのではないだろうかなというふうに思っておりまして、
その意味では非常に日本人自身が、私は、自立した日本人を、そして自立した日本人の集合体である自立した日本国をと
いうことをいっておりますけれども、それは、自立してるかしてないかというのは、心の持ち方の問題でありますから、
ある意味で、今言ったことと同義語であります。
まあ、そういう状況が急速に日本社会にはびこりつつある、このことを我々は真剣に考えなくてはならないだろう、とそ
う思っております。
私は9年以上前の皆さん覚えているかどうかわかりませんが、新進党のときもまた、自由党のときにもこのことを公約の
第一に挙げたんです。
人づくり。それが一番大事だと。みんな反対した仲間は。そんなの公約の一番目に挙げたって選挙の足しにならんと。
マスコミやいろんな人が聞けば教育が一番大事だと全員こたえますよね、たいがいの人は。
教育は大事だ大事だと、タテマエでは言ってますけど、それを強調して選挙でそれで訴えても票にならないということは
どういうことだと。
口先では、教育大事だね大事だねと言うけれども、本当に真剣にそのことを考えている人は少ないということでございま
す。
ですから票にならない。
まあ、しかし私はそのことは十分、選挙を長年やってきた身としてわかってはいるけれども、我々は新しい政権(制度?
)で新しい日本をつくろうとしてるんだから、選挙にはあまり効果がなくても、人づくりということは第一の公約に掲げ
ようと。
この点だけは私は強行に言い張って公約の一番目に掲げてきた経過がありますが、それがこんにち本当にもう一度、国会
議員は勿論ですけれども、日本人全員がやはり自分の胸に問いかけてみなきゃいけないんじゃないか、と
いうふうに私は思っております。
教育と言わずに「人づくり」といいましたのは、教育というと学校教育というイメージだけが先行しがちですので、教育
には一番には家庭教育、それから学校教育、社会教育とあらゆる分野での人づくり子育てがあるわけですので、そういう
意味で人づくりという言葉を使ったわけであります。
こういうテーマでですね、実は5・6年前に瀬戸内寂静さんとテレビで対談したことがありました。
私はこの精神の崩壊を立て直すにはワンジェネレーション、30年はかかるだろうというふうに申し上げたところ、瀬戸内
さんは「いや、30年どころじゃとても直らない、100年はかかる」と、そういう話をなさいましたけれども、
それだけ私は非常に本質的な問題であり、深刻な現状だというふうに思っております。
まあ、昔話を自分の活動でもって感じた話をちょっと、思い出話になりますけど、しますけどね。
ぼくが最初に選挙に出た頃、ですから40年以上前ですけども、そのころね、まあ田舎のせいでもありますが、宣伝カーで
「小沢一郎でございます」と言って、まあ他の人も同じですけれども、通っていきますとね、小学生や中学生のみんなが
ね、パッと道端へ、横へによけてね、帽子とってね、おじぎしたもんですよ。
今ね、選挙区にほとんど帰ってないからわかんないですけれども、それは強制されたわけじゃあないんですね、学校の先
生から、そうしろ、と言われたわけじゃないんですよね。
それは大人もやはり田舎で農作業しててね、あたまにてぬぐいまいてたり傘かぶっている人もきちっと会釈したもんです
。
そういうような、今から考えると信じられないような状況、時代でした。
今なんかね、たまにどっかの遊説カーに乗って「よろしく」っていってこっちはニコニコしてるんだけど、あの「バーカ
」(笑)なんていってね、いうやつが非常に増えてますけど、当時はそうでしたね。
ですから、それは一つの象徴的な自分の体験の例として話すんですけれども・・。
そういう具合にあらゆる面であらゆる分野で、良くも悪くも規律というかモラルというか、そういうものがまだまだ日本
人のそして日本社会の美徳として残っておった時代だと思っております。
それが良い悪いかは別としまして、そういうたぐいのことは、かけれもみられなくなったきた昨今じゃないかなと考えて
おります。
日本は、特に明治の頃は、よく皆さんもお聞きと思いますが、文明というのと文化という言葉を分けて使ってたんですよ
ね。
物質文明というでしょ、物質文化とはいわないよね、物質文明、精神文化でしょ。
それから、西洋文明、東洋文化、そういうように半分、あれなんですけどね、自分たちが遅れていたコンプレックスの裏
返しではあるんですけれども、そう言えるくらいの精神的な豊かさと、大きなそして強い心をもっておった。
だからこそ、侍の支配する封建制からいっきに、西欧でいうと、ヨーロッパで言えば近代革命と市民革命を一緒に成し遂
げたような明治維新が出来上がった、まあいうことだろうと私は思っています。
そういうように非常に日本人のそれなりの美徳といいますか、高いモラル、文化をもっておったと。
ぼくは、あの前にちょっとこの9期10期の皆さんの前でいったかわからないけれども、織田信長を私は歴史上の人物とし
て尊敬している人ですけれども、あの頃にキリスト教が戦国の終わり頃ですが、日本に入ってきましたね、イエスズ会だ
のローマカソリックですけどね。
それらの伝道し神父の本国への報告にも、この東洋の一番端っこのこの島国で、これだけの文化と、これだけ礼儀正しい
民族、そして非常に綺麗な清潔な国が存在しているのは驚きであると。当時のヨーロッパよりはるかに素晴らしいと、い
う主旨のことを本国に送ってるんですね。
これはもう、本当に彼らはびっくりしたんだろうと思います。
そして特に経済的にもね、信長の時代は中世のくびきを断ち切りましたから、ヨーロッパ以上に銀の流通量は世界一だっ
たといわれておりますが、、商業・経済が大発展した時代ですけれども、まあ、それは別として、そういうことがその時
代に、既に、外国人から見ても言われているような、そういう日本人の社会を形成していたということは非常に驚くべき
ことであると同時に、我らも誇らしいとこだろうと思っております。
ま、そんなことで、かつては、日本人は礼儀正しいし、最も秩序ある社会だし、平和な社会だしと言って、えばってて、
アメリカなんか金持ちで大きな国だけど、その世の中むちゃくちゃ乱れてると、いうたぐいの考え方を持っていた人が大
部分だったと思いますけどね。
これも、5・6年前の話でアメリカに一度行った時にね、ものすごく驚いたことがあるんですよ。
というのは私の車があの、スクールバスのね、後ろを走ってたんですけども、そのバスがあるところで止まったですね。
子供達が当然降りてきますよね、そうすると勿論後ろの車も追い越したりなんだりしませんし、止まってますけども、対
向車もね、ピタッと止まってるんですね。これは別に警察がいて止めてるわけじゃないですよ。
スクールバスが動きだすまでピタッと、誰に言われたんじゃなくて、キチンと止まって子供達が乗り降りするのを、終わ
るのを待って走り出す。
まあ、そういう光景に出くわしましてね、本当にアメリカ社会ちゅうのは、俗にメチャメチャで乱れて、いい加減なとこ
だというような見方を、お金持ちだけどそうだと、いう見方をしてる人が多いんですけれども、やはりそういったモラル
はきちんと守ろうと、守らなくてはいけないんだ、という意識を彼ら自身がきちんと持っている、ということに大変、私
は驚き、感銘をいたしました。
これはねえ、あの、政治的な点でもそうですよね、僕はアメリカ民主主義ちゅうのは、なんだかんだいうけれども健全だ
なあと思ったのは、最近ではね、あのブッシュとの選挙のときにフロリダでしたかな、最後の時に、あの計算間違えて、
もう一回やり直しだ、なんだなんていって、日本では計算間違えるというのは絶対ないですよね。
まあ、ずっと田舎のほうではね、相手の票を食っちゃったという例はあるけれども、計算を、事務的な計算を間違えるち
ゅうことは、まず、まず少ない。
ところが簡単なそういう計算を間違えたっちゅうことはね、世界中におおっぴらに、別に宣伝したわけじゃないけど、オ
ープンなかたちで議論、いいとか悪いとか、有効だとか無効だとかちゅうことを、いわば恥っさらしみたいなことであっ
てもオープンにやる、というそのアメリカの民主主義。
ぼくはまた、今度のね、オバマ大統領の、絶対黒人大統領なんかはありえない、と思ってたアメリカ社会、黒人の大統領
が誕生した。
しかも、アメリカではケネディに始まってね、大統領暗殺の歴史も沢山あります。
リンカーンもそうですし、だから、黒人が候補者に出たら、必ず暗殺されるんじゃないか、という噂さえ、事前にはずっ
とあったんですね。
だけどこの危機にあたって、変化を強調したオバマ大統領を彼らは選んだ。
現実、今、オバマ政権が言ったとおりやってっかどうかは別といたしまして、黒人の大統領をあえて、歴史上はじめて彼
らは選択した。
私は、そういう意味でね、決してあまりアメリカ人を利口だとは思ってませんけれども、そういった意味での民主主義と
、そして危機にあたっての国民の選択という自由な、自分の意思による選択というものが、きちんと実行されている、と
いうことについて非常に高く評価をいたしておるところでございます。
まあ、そういうことで、本当に私は日本がこれから益々政治・経済共に困難な時にあたって、日本人自身がきちんとした
自立した人間、きちんとした自分で判断し自分で行動し責任を持つ。そしてきちんとしたモラルを身に着ける、というこ
とが、将来に困難が予想されればされるほど、大事なことではないかなというふうに思っております。
そういう中でね、この前、安部政権でしたか、ちょっと資料ありますけれども、教育基本法の改正というのが自民党政権
下で出されました。
まあ、結局、妥協の産物でヘンチクリンな文言を入れるにとどまったんですけれども、そこに、あの三つのね、旧教育基
本法と、自民党が修正したもの、いわゆる、態度を養うとわが国と郷土を愛する、態度を養うみたいなことを入れただけ
にとどまったんですけれども、しかし、このね、俗に愛国心、愛国心と言いますけども、これは、お上から、これを上か
ら親から押し付けられて、あるいは観念的に教えられ強制され強要されて、生まれるもんじゃないですよね。
心の問題ですから。
それぞれの各人の心に宿るものですから。
家族愛、郷土愛、祖国愛。これはそれぞれの各人の心に宿るものでありますから、教育基本法に書いてあるとか書いて無
いとか、学校の先生が教えるとか教えないとかっていう、本来、そういう性格のものではありません。
自然とそれぞれの国民の一人ひとりの心に宿るものだと私は思っております。
ですからね、これも例を挙げますと、戦前ね、明治の時代ではなくして、昭和の初めの戦前の時代を例に取りますと、た
とえば、皇軍、日本軍、「こうぐん」ちゅうのはのはみんなわかんなかな?
皇軍は、世界にその軍規の厳正さを誇った、そのくらい規律正しくて統制がとれた軍隊は、わが大日本帝国の陸海軍のみ
と、いうくらいに吹聴しておったんですけれども、この太平洋戦争の最中にね、これ本に書いてありますから興味ある人
は見ていただきたいんですけれども、捕虜になった人達ね、その実態を書いた本があるんです。
特に陸軍がそういう傾向が強かったんですけどもね。
捕虜になったとたんに、まあ当時は捕虜になっちゃいけない、あの、生きて虜囚の辱めを受けてはならん、死して悠久の
大義に生きん。
※「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪禍(ざいか)の汚名を残すこと勿(なか)れ」(
『戦陣訓』「本訓 其の二」, 「第八 名を惜しむ」)
と、こういう軍国の教えがあったわけだけれども、その時に捕虜になった人もいっぱいいるわけだ。
そうしますとね、アメリカ人がものすごい驚いたちゅうのが、捕虜になったとたんに、全部軍事機密でもなんでも将校も
兵隊もペラペラペラペラ聞かないことまで全部しゃべる。
それがホントの事実だっちゅうことが本にちゃんと全部書いてある。
それから、軍隊組織であったその捕虜も、軍隊のその制約がとれて捕虜になったとたんに、上下の区別も将校もへちまも
ない。
まったく無秩序の烏合の衆に化してしまった。
まあ、そういう記述がきちーんと本に載っております。
それが実態だったわけ。
なぜだ。なぜそうなんだ。
その一方でね、みんな、あの、映画覚えてるかな、「戦場に架ける橋」というのを。覚えている人いる?この中で。
もう古いからいないか?いる?おお、タイとビルマのね、戦争中に国境に鉄道を通すということで、日本軍が昼夜建工で
、工期4年か5年かかるのを1年でちょっとで作っちゃった、話なんだけれども、その映画、早川雪洲とね、誰だっけも
う一人英国の俳優でもってあったんですがね、そこにアメリカ兵やオーストラリアの兵やそして特にあそこイギリスの植
民地でしたから、イギリス兵の捕虜を使役に使ったわけですね。
ある日、イギリスの捕虜が送られてくる、ということになって、その現地に。
まあ、たぶんねヨロヨロして、ふて腐れてモタモタ歩いてくるんだろうと、誰もが想像しておった。
ところが、イギリスのその捕虜は、将校を先頭にして隊列を組んで、いわゆる映画では「クワイ河マーチ」と言われる。
口笛で行進曲を吹きながら、みんな隊を組んできちっと収容所?に入ってきた。
アメリカ兵もオーストラリア兵もおったまげて、日本はもっとおったまげたわけですけれども、そういう捕虜になっても
キチンと組織のあれが守られている。それから、鉄道をつくる作業にその兵を使うわけだけれども、ジュネーブ条約で将
校は使役に使ってはいかんちゅうことになってんですね。
それでその将校の、捕虜部隊の一番偉い人がたまたまキャップ、長になったんでしょうけれども、日本軍はその人も強制
労働せよと命じたんだけれども、これはジュネーブ条約で将校は、そういうことはさせられない、する必要ない、させて
はいけない、いうことになっている。
断固拒否したんですね。その将校が。
独房に、まあ南洋ですからね、熱いトタンぶきのうだる様なグダグダの独房に一週間くらい閉じ込められて。
しかし、それでも絶対負けない。
それでフラフラになって出てきた。
その将校を、賞賛しようとして言ってんじゃないですよ。
その出てきた、絶対に将校はその作業につかなくていいんだ、という筋道をきちっと守って、独房からフラフラになって
出てきた将校を、その他の兵士が拍手で迎えた。よーやった、と。
非常にわたしはびっくりしたと同時に感動した場面でしたね。
たぶん、今、言ったように日本の兵隊が捕虜になったら、「何言ってんだ、お前だけサボっててふざけんな」というよう
な類(たぐい)の話になってたんだろうと、その本を読むと想像できますが。
その「戦場に架ける橋」「クワイ河マーチ」というのは、そういう、まあ日本を軽蔑した映画だというような、つまらん
論評は別にして、私はそこに非常に感動した。
なぜ、この違いが出てくるんだ、と。
それは、いわゆる帝国陸海軍、この規律・空気、これは結局、天皇陛下の名を借りてですけれども、上から与えられ、押
さえつけられた結果で、それを守ってきた。
だが、イギリスのほうはそういじゃない。
自分達でつくった国であり、自分達の意志でもってつくった軍隊であり、また、組織、階級であった。
自分たち自身のものなんですね。
だから、祖国愛も、その祖国のために戦う軍隊も組織も、みんな自分たち作りあげてやっているもんなんだから、それは
、守らなくてはいけない。
たとえ捕虜になっても、というのが、私は彼らの意識ではないかな、というふうに思いましてね。
非常にその映画に、その部分ですよ、その面において感動したことを今もって忘れてはおりません。
ですから、私はそういう意味で、家族愛で始まる郷土愛、祖国愛、愛国心というものは、そういう本当に自分たち自身の
心の中にうまれるものでありますし、また、社会、国は自分たち自身の社会であり国であると。
それが自立心であるという民主主義の基本の意識が徹底していると、ということを私は学ばなくてはならないと、いうふ
うに思っております。
私はイギリス人は、まあ好きじゃないんですけども、ええ、散々悪いことしといて、なんかあの紳士ヅラして済ましてま
すから、好きではないんですけれどもその知恵とね、やはり自分たちの自立心と、そういうものがね、やっぱりその知恵
と自立心は、七つの海を支配しただけの民族だと思ってますね。
あのアメリカの連中と話した時もね、時々話すとね、なんで、そう君らはそう単純なんだと、本家のイギリス人に少し学
んで来いって言うんですけれども、僕はアメリカ人は好きですけれども、どうもね、単細胞なところがありまして、ダメ
なんですが、我々は、いわゆる他山の石、やっぱり、いいところはキチンと学ぶという面が、自分自身の研鑽につとめ、
また、自分自身を作り上げていかなくてはならない。
その基本が私は人づくりと、広い意味での教育でありますから、今こそ、急がば回れ、本当に今後のことを考えた時に、
この人づくりということに、もう一度、思いをはせなければならないじゃないかと思っております。
日本のね、家庭教育の崩壊もそのとおりですけれども、戦後の学校教育のあり方も、その資料にもありますけれどね。
(教育勅語は入っているな)
地方自治体の教育行政に関するうんぬんという法律があるんですがね、そこには、市町村が全部責任を負うということが
書いてあるんです。
ところが次の章の48条かな、23条に市町村の役割ということが書いてあって、次の章の48条には今度は文部省の権限等と
いうことが書いてある。
ほとんど同じ内容で、文部省はこれについて、指導、監督、援助することができるということになってる。
これ、金もってますから、金は中央でもってるわけですから、結局、文部省の言うとおりの、まあ、言うとおりっちゅう
か、いちいちつまんないことまで全部口を出すという今の官僚組織のしくみ、そのものになっている。
ところがこれ歪んでるんですよね。何か起きた時は、責任は市町村だと法律に書いてあるじゃないかと、何か起きれば文
部省は逃げる。
で、市町村も、そんなこと言われたって、文部省の言うとおりやってるだけじゃないかと、どちらも責任とらない、とれ
ないという、法律から始まって教育のしくみなんですね。
これは、あらゆる行政省庁でも皆そうですね。
法律だけじゃなくして各行政、省庁は、省令は勿論出しますし、通達とか、なんとかかんとかっていって、いろんなかた
ちで自治体はじめ、各社会、産業分野の隅々にまでコントロールをするようにしてあるのは、今日の仕組みなんですけれ
ども、特に、この教育の全くおかしな歪んだ仕組みは、ずっと戦後そのままになっている。
ということが私は一つの学校教育で言えば、一つの大問題ではないかというふうに思っております。
この教育につきましても、民主党は民主党なりの考え方を日本教育基本法の中にも入れておりますし、私ども、さっき言
った自由党の時代にも「人づくり法案」として提案しておりますけれども、いずれにしてもこのことを、今日は特に9期
生の皆さんは、これでおしまいですので、このことをお話したいと、そう思って申し上げたところでございます。
まあ、私も子供もいう事を聞かないし、もう勝手にやってますが、親の資格はないですけども、人様に迷惑かけなけりゃ
、もう勝手にやれと、言っております。
どこに就職して何してんのか、よくわかりませんが、今のところどこからも苦情がきてませんので、自分自身で生きてる
んだろうと、そう思って私は、その点では安心をいたしております。
本当にこの政治塾で、ずっと前に申し上げたことはあるんですけれども、今日はこの機会にと思って、教育、人づくりの
ことについて申し上げました。
皆さんもだいたい人の親の、大部分そうであろうと思いますけれども、まあ、今、子育てがどうのとか、いろいろありま
すけれどもね、まあ、当たり前に自然に自分自身がちゃんとしてればね、子供は育つ、子は親の背を見て育つ、とまあよ
く言いますけども、一所懸命、真剣に真面目に生きる、ちゅうことが教育、子育ての根本ではないかと、いうふうに思っ
ております。
もうちょっと政治制度、政治学的な、あるいは世界政治の話でもしようかなと思ったんですが、それはまた、質問の時に
でも・・・
まあ、あの厳しいまマスコミの皆さんのいないとこで、皆さんの時間のある限り議論したいと思いますので、この場はこ
れで終わりたいと思います。
ありがとうございました。
苦節17年。
ついに小沢一郎立つ!
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みなさん、おはようございます
3泊4日の夏の講座。いよいよ最後になったわけであるますけれども、この短い時間ではあったと思いますけれども、いろ
んな分野で活動しているみなさんがこうして一堂に会して勉強し、あるいは友情を広める深める、そういう意味で皆さん
の人生におきまして、いい思い出といい機会になったと思いますし、そうであればこの政治塾の意義もさらに大きくなる
だろうと思います。
もう9期生の皆さんは、集中講義は今日でもって終わりになり卒業するということになるわけでございますが、10期生の
皆さんはまた来年も、次の仲間を迎えての講義が勉強が続きますので、せっかく皆さん自分の休みを費やして
自分で参加していただいているこの政治塾ですので、是非、有意義に使っていただきたいと、そのように思っております
。
え、昨日、懇親の席もあったようですが、僕も参加しようと思ってたんですけれども、なんかもう、今日、皆さん、もう
お分かりのようにマスコミ諸君がもう、ホントにこの勉強に興味あってきていただいたんならいいんですけども、大変、
皆さんに、せっかくのところ迷惑をかけちゃいかんと思いまして、昨日は遠慮させていただきました。
今日も大勢マスコミ諸君がきてますけれども、皆さんもご承知のとおり、この政治塾は下世話な政局話をする場ではあり
ませんで、お互いに知識を深め、お互いに意見を交換しあい、自らを研鑽、研く場でございますので、ご承知の事と思い
ますけれども、そういう主旨で今日も話をさせていただきたいと思っております。
今朝の報道で円が83円台に突入したという話がありました。
当面、円高傾向は上下ありながら続くんだろうと思っておりますけれども、今日は為替の話をしようとしているのではあ
りませんで、今日、日本社会がもっている最大の問題点はなんだろうと、いうことを皆さんと共に考えてみたいと、そう
思っているわけであります。
資料は後から見ていただければいいんですけれども、日本は戦後、戦争の荒廃の中から奇跡の復興と呼ばれる経済の復興
を成し遂げ、今、バブルの崩壊から景気が悪い悪いということでいわれてますけれども、まあ、まだ、この国においては
、ほかの国のように食べれない人が出てきているわけでもありませんし、街中に、失業者は増えてはおりますし潜在的失
業者の数をかぞえるとかなり多いんですけれども、それでも欧米にくれべても失業率もまだ半分くらいのところですから
、そういう意味で日本の社会はまだ平穏を保っているわけですけれども、今後のことを考えてみますと、今申し上げまし
た為替も当分は円高にふれていくでしょうから・・・。
そうしますと外需、ようするにアメリカと中国がメインですが、ま、最近は東南アジアも増えてますけども、外需に頼り
っきりの日本経済というのは、非常に大きな打撃を受けることになりますし、また、為替だけではなくしてアメリカ経済
の行方、そして特に中国の経済の行方、中国の経済のバブルの崩壊がもう始まっているという人もいますけれども、経済
的な崩壊は中国の場合には政治的な動乱に繋がる恐れが十分にあると。
そういうような政治・経済いろんな意味で非常に不透明な不安定な状況に、どんどんなりつつあるということは間違いの
ない現実だと思います。
私から言わせれば、本来の日本人の精神と知恵と力をもってさえすれば、このくらいの困難を克服するのは、私は容易に
可能なことだと思っていますけども、今日の日本社会を見ますと、非常にあらゆる分野で、最近、「劣化」という言葉が
使われておりますけれども、勿論、私ども政界においても、官界においても財界においても、一般社会においても、そう
いう精神の荒廃といいますか、日本人の劣化というのは急速に進んでいるように思えて、その点が心配でなりません。
最近、あの報道ダネになっておりました、高齢者のね、あの全然住所録のとおり行ってもいなかったと、どこに行ったか
わかんないと、子供でさえ、じいちゃん、ばあちゃんどこにいるんだかわからない、というようなのは現実だとあわてて
今、各市町村であっちゃこっちゃ調べているようですけれども、家族でさえわからなくなっている、という状況。
それから、また前からも言ってますけれども、親殺し、子殺し、もう毎日毎日報道されております。
特に、こともが親を殺すっちゅうのは、儒教的道徳でいいますと、最も悪いちゅうことで、いわゆる親族殺人?という、
重い刑になりますけれども、なんといいますか、その人間の情とかなんかの側面からいいますと、親が、特に女性の場合
は自分の腹を痛めて産むわけですすけれども、その子供を平然と殺す、あるいは虐待する、あるいは捨ててしまう、とい
うようなことが日常茶飯事のように毎日毎日おきていて、だんだん、聞いてるほうも何も感じなくなってきて、ああ、ま
たか、というような状況になりつつある、のが今日の日本社会なのではないだろうかなというふうに思っておりまして、
その意味では非常に日本人自身が、私は、自立した日本人を、そして自立した日本人の集合体である自立した日本国をと
いうことをいっておりますけれども、それは、自立してるかしてないかというのは、心の持ち方の問題でありますから、
ある意味で、今言ったことと同義語であります。
まあ、そういう状況が急速に日本社会にはびこりつつある、このことを我々は真剣に考えなくてはならないだろう、とそ
う思っております。
私は9年以上前の皆さん覚えているかどうかわかりませんが、新進党のときもまた、自由党のときにもこのことを公約の
第一に挙げたんです。
人づくり。それが一番大事だと。みんな反対した仲間は。そんなの公約の一番目に挙げたって選挙の足しにならんと。
マスコミやいろんな人が聞けば教育が一番大事だと全員こたえますよね、たいがいの人は。
教育は大事だ大事だと、タテマエでは言ってますけど、それを強調して選挙でそれで訴えても票にならないということは
どういうことだと。
口先では、教育大事だね大事だねと言うけれども、本当に真剣にそのことを考えている人は少ないということでございま
す。
ですから票にならない。
まあ、しかし私はそのことは十分、選挙を長年やってきた身としてわかってはいるけれども、我々は新しい政権(制度?
)で新しい日本をつくろうとしてるんだから、選挙にはあまり効果がなくても、人づくりということは第一の公約に掲げ
ようと。
この点だけは私は強行に言い張って公約の一番目に掲げてきた経過がありますが、それがこんにち本当にもう一度、国会
議員は勿論ですけれども、日本人全員がやはり自分の胸に問いかけてみなきゃいけないんじゃないか、と
いうふうに私は思っております。
教育と言わずに「人づくり」といいましたのは、教育というと学校教育というイメージだけが先行しがちですので、教育
には一番には家庭教育、それから学校教育、社会教育とあらゆる分野での人づくり子育てがあるわけですので、そういう
意味で人づくりという言葉を使ったわけであります。
こういうテーマでですね、実は5・6年前に瀬戸内寂静さんとテレビで対談したことがありました。
私はこの精神の崩壊を立て直すにはワンジェネレーション、30年はかかるだろうというふうに申し上げたところ、瀬戸内
さんは「いや、30年どころじゃとても直らない、100年はかかる」と、そういう話をなさいましたけれども、
それだけ私は非常に本質的な問題であり、深刻な現状だというふうに思っております。
まあ、昔話を自分の活動でもって感じた話をちょっと、思い出話になりますけど、しますけどね。
ぼくが最初に選挙に出た頃、ですから40年以上前ですけども、そのころね、まあ田舎のせいでもありますが、宣伝カーで
「小沢一郎でございます」と言って、まあ他の人も同じですけれども、通っていきますとね、小学生や中学生のみんなが
ね、パッと道端へ、横へによけてね、帽子とってね、おじぎしたもんですよ。
今ね、選挙区にほとんど帰ってないからわかんないですけれども、それは強制されたわけじゃあないんですね、学校の先
生から、そうしろ、と言われたわけじゃないんですよね。
それは大人もやはり田舎で農作業しててね、あたまにてぬぐいまいてたり傘かぶっている人もきちっと会釈したもんです
。
そういうような、今から考えると信じられないような状況、時代でした。
今なんかね、たまにどっかの遊説カーに乗って「よろしく」っていってこっちはニコニコしてるんだけど、あの「バーカ
」(笑)なんていってね、いうやつが非常に増えてますけど、当時はそうでしたね。
ですから、それは一つの象徴的な自分の体験の例として話すんですけれども・・。
そういう具合にあらゆる面であらゆる分野で、良くも悪くも規律というかモラルというか、そういうものがまだまだ日本
人のそして日本社会の美徳として残っておった時代だと思っております。
それが良い悪いかは別としまして、そういうたぐいのことは、かけれもみられなくなったきた昨今じゃないかなと考えて
おります。
日本は、特に明治の頃は、よく皆さんもお聞きと思いますが、文明というのと文化という言葉を分けて使ってたんですよ
ね。
物質文明というでしょ、物質文化とはいわないよね、物質文明、精神文化でしょ。
それから、西洋文明、東洋文化、そういうように半分、あれなんですけどね、自分たちが遅れていたコンプレックスの裏
返しではあるんですけれども、そう言えるくらいの精神的な豊かさと、大きなそして強い心をもっておった。
だからこそ、侍の支配する封建制からいっきに、西欧でいうと、ヨーロッパで言えば近代革命と市民革命を一緒に成し遂
げたような明治維新が出来上がった、まあいうことだろうと私は思っています。
そういうように非常に日本人のそれなりの美徳といいますか、高いモラル、文化をもっておったと。
ぼくは、あの前にちょっとこの9期10期の皆さんの前でいったかわからないけれども、織田信長を私は歴史上の人物とし
て尊敬している人ですけれども、あの頃にキリスト教が戦国の終わり頃ですが、日本に入ってきましたね、イエスズ会だ
のローマカソリックですけどね。
それらの伝道し神父の本国への報告にも、この東洋の一番端っこのこの島国で、これだけの文化と、これだけ礼儀正しい
民族、そして非常に綺麗な清潔な国が存在しているのは驚きであると。当時のヨーロッパよりはるかに素晴らしいと、い
う主旨のことを本国に送ってるんですね。
これはもう、本当に彼らはびっくりしたんだろうと思います。
そして特に経済的にもね、信長の時代は中世のくびきを断ち切りましたから、ヨーロッパ以上に銀の流通量は世界一だっ
たといわれておりますが、、商業・経済が大発展した時代ですけれども、まあ、それは別として、そういうことがその時
代に、既に、外国人から見ても言われているような、そういう日本人の社会を形成していたということは非常に驚くべき
ことであると同時に、我らも誇らしいとこだろうと思っております。
ま、そんなことで、かつては、日本人は礼儀正しいし、最も秩序ある社会だし、平和な社会だしと言って、えばってて、
アメリカなんか金持ちで大きな国だけど、その世の中むちゃくちゃ乱れてると、いうたぐいの考え方を持っていた人が大
部分だったと思いますけどね。
これも、5・6年前の話でアメリカに一度行った時にね、ものすごく驚いたことがあるんですよ。
というのは私の車があの、スクールバスのね、後ろを走ってたんですけども、そのバスがあるところで止まったですね。
子供達が当然降りてきますよね、そうすると勿論後ろの車も追い越したりなんだりしませんし、止まってますけども、対
向車もね、ピタッと止まってるんですね。これは別に警察がいて止めてるわけじゃないですよ。
スクールバスが動きだすまでピタッと、誰に言われたんじゃなくて、キチンと止まって子供達が乗り降りするのを、終わ
るのを待って走り出す。
まあ、そういう光景に出くわしましてね、本当にアメリカ社会ちゅうのは、俗にメチャメチャで乱れて、いい加減なとこ
だというような見方を、お金持ちだけどそうだと、いう見方をしてる人が多いんですけれども、やはりそういったモラル
はきちんと守ろうと、守らなくてはいけないんだ、という意識を彼ら自身がきちんと持っている、ということに大変、私
は驚き、感銘をいたしました。
これはねえ、あの、政治的な点でもそうですよね、僕はアメリカ民主主義ちゅうのは、なんだかんだいうけれども健全だ
なあと思ったのは、最近ではね、あのブッシュとの選挙のときにフロリダでしたかな、最後の時に、あの計算間違えて、
もう一回やり直しだ、なんだなんていって、日本では計算間違えるというのは絶対ないですよね。
まあ、ずっと田舎のほうではね、相手の票を食っちゃったという例はあるけれども、計算を、事務的な計算を間違えるち
ゅうことは、まず、まず少ない。
ところが簡単なそういう計算を間違えたっちゅうことはね、世界中におおっぴらに、別に宣伝したわけじゃないけど、オ
ープンなかたちで議論、いいとか悪いとか、有効だとか無効だとかちゅうことを、いわば恥っさらしみたいなことであっ
てもオープンにやる、というそのアメリカの民主主義。
ぼくはまた、今度のね、オバマ大統領の、絶対黒人大統領なんかはありえない、と思ってたアメリカ社会、黒人の大統領
が誕生した。
しかも、アメリカではケネディに始まってね、大統領暗殺の歴史も沢山あります。
リンカーンもそうですし、だから、黒人が候補者に出たら、必ず暗殺されるんじゃないか、という噂さえ、事前にはずっ
とあったんですね。
だけどこの危機にあたって、変化を強調したオバマ大統領を彼らは選んだ。
現実、今、オバマ政権が言ったとおりやってっかどうかは別といたしまして、黒人の大統領をあえて、歴史上はじめて彼
らは選択した。
私は、そういう意味でね、決してあまりアメリカ人を利口だとは思ってませんけれども、そういった意味での民主主義と
、そして危機にあたっての国民の選択という自由な、自分の意思による選択というものが、きちんと実行されている、と
いうことについて非常に高く評価をいたしておるところでございます。
まあ、そういうことで、本当に私は日本がこれから益々政治・経済共に困難な時にあたって、日本人自身がきちんとした
自立した人間、きちんとした自分で判断し自分で行動し責任を持つ。そしてきちんとしたモラルを身に着ける、というこ
とが、将来に困難が予想されればされるほど、大事なことではないかなというふうに思っております。
そういう中でね、この前、安部政権でしたか、ちょっと資料ありますけれども、教育基本法の改正というのが自民党政権
下で出されました。
まあ、結局、妥協の産物でヘンチクリンな文言を入れるにとどまったんですけれども、そこに、あの三つのね、旧教育基
本法と、自民党が修正したもの、いわゆる、態度を養うとわが国と郷土を愛する、態度を養うみたいなことを入れただけ
にとどまったんですけれども、しかし、このね、俗に愛国心、愛国心と言いますけども、これは、お上から、これを上か
ら親から押し付けられて、あるいは観念的に教えられ強制され強要されて、生まれるもんじゃないですよね。
心の問題ですから。
それぞれの各人の心に宿るものですから。
家族愛、郷土愛、祖国愛。これはそれぞれの各人の心に宿るものでありますから、教育基本法に書いてあるとか書いて無
いとか、学校の先生が教えるとか教えないとかっていう、本来、そういう性格のものではありません。
自然とそれぞれの国民の一人ひとりの心に宿るものだと私は思っております。
ですからね、これも例を挙げますと、戦前ね、明治の時代ではなくして、昭和の初めの戦前の時代を例に取りますと、た
とえば、皇軍、日本軍、「こうぐん」ちゅうのはのはみんなわかんなかな?
皇軍は、世界にその軍規の厳正さを誇った、そのくらい規律正しくて統制がとれた軍隊は、わが大日本帝国の陸海軍のみ
と、いうくらいに吹聴しておったんですけれども、この太平洋戦争の最中にね、これ本に書いてありますから興味ある人
は見ていただきたいんですけれども、捕虜になった人達ね、その実態を書いた本があるんです。
特に陸軍がそういう傾向が強かったんですけどもね。
捕虜になったとたんに、まあ当時は捕虜になっちゃいけない、あの、生きて虜囚の辱めを受けてはならん、死して悠久の
大義に生きん。
※「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪禍(ざいか)の汚名を残すこと勿(なか)れ」(
『戦陣訓』「本訓 其の二」, 「第八 名を惜しむ」)
と、こういう軍国の教えがあったわけだけれども、その時に捕虜になった人もいっぱいいるわけだ。
そうしますとね、アメリカ人がものすごい驚いたちゅうのが、捕虜になったとたんに、全部軍事機密でもなんでも将校も
兵隊もペラペラペラペラ聞かないことまで全部しゃべる。
それがホントの事実だっちゅうことが本にちゃんと全部書いてある。
それから、軍隊組織であったその捕虜も、軍隊のその制約がとれて捕虜になったとたんに、上下の区別も将校もへちまも
ない。
まったく無秩序の烏合の衆に化してしまった。
まあ、そういう記述がきちーんと本に載っております。
それが実態だったわけ。
なぜだ。なぜそうなんだ。
その一方でね、みんな、あの、映画覚えてるかな、「戦場に架ける橋」というのを。覚えている人いる?この中で。
もう古いからいないか?いる?おお、タイとビルマのね、戦争中に国境に鉄道を通すということで、日本軍が昼夜建工で
、工期4年か5年かかるのを1年でちょっとで作っちゃった、話なんだけれども、その映画、早川雪洲とね、誰だっけも
う一人英国の俳優でもってあったんですがね、そこにアメリカ兵やオーストラリアの兵やそして特にあそこイギリスの植
民地でしたから、イギリス兵の捕虜を使役に使ったわけですね。
ある日、イギリスの捕虜が送られてくる、ということになって、その現地に。
まあ、たぶんねヨロヨロして、ふて腐れてモタモタ歩いてくるんだろうと、誰もが想像しておった。
ところが、イギリスのその捕虜は、将校を先頭にして隊列を組んで、いわゆる映画では「クワイ河マーチ」と言われる。
口笛で行進曲を吹きながら、みんな隊を組んできちっと収容所?に入ってきた。
アメリカ兵もオーストラリア兵もおったまげて、日本はもっとおったまげたわけですけれども、そういう捕虜になっても
キチンと組織のあれが守られている。それから、鉄道をつくる作業にその兵を使うわけだけれども、ジュネーブ条約で将
校は使役に使ってはいかんちゅうことになってんですね。
それでその将校の、捕虜部隊の一番偉い人がたまたまキャップ、長になったんでしょうけれども、日本軍はその人も強制
労働せよと命じたんだけれども、これはジュネーブ条約で将校は、そういうことはさせられない、する必要ない、させて
はいけない、いうことになっている。
断固拒否したんですね。その将校が。
独房に、まあ南洋ですからね、熱いトタンぶきのうだる様なグダグダの独房に一週間くらい閉じ込められて。
しかし、それでも絶対負けない。
それでフラフラになって出てきた。
その将校を、賞賛しようとして言ってんじゃないですよ。
その出てきた、絶対に将校はその作業につかなくていいんだ、という筋道をきちっと守って、独房からフラフラになって
出てきた将校を、その他の兵士が拍手で迎えた。よーやった、と。
非常にわたしはびっくりしたと同時に感動した場面でしたね。
たぶん、今、言ったように日本の兵隊が捕虜になったら、「何言ってんだ、お前だけサボっててふざけんな」というよう
な類(たぐい)の話になってたんだろうと、その本を読むと想像できますが。
その「戦場に架ける橋」「クワイ河マーチ」というのは、そういう、まあ日本を軽蔑した映画だというような、つまらん
論評は別にして、私はそこに非常に感動した。
なぜ、この違いが出てくるんだ、と。
それは、いわゆる帝国陸海軍、この規律・空気、これは結局、天皇陛下の名を借りてですけれども、上から与えられ、押
さえつけられた結果で、それを守ってきた。
だが、イギリスのほうはそういじゃない。
自分達でつくった国であり、自分達の意志でもってつくった軍隊であり、また、組織、階級であった。
自分たち自身のものなんですね。
だから、祖国愛も、その祖国のために戦う軍隊も組織も、みんな自分たち作りあげてやっているもんなんだから、それは
、守らなくてはいけない。
たとえ捕虜になっても、というのが、私は彼らの意識ではないかな、というふうに思いましてね。
非常にその映画に、その部分ですよ、その面において感動したことを今もって忘れてはおりません。
ですから、私はそういう意味で、家族愛で始まる郷土愛、祖国愛、愛国心というものは、そういう本当に自分たち自身の
心の中にうまれるものでありますし、また、社会、国は自分たち自身の社会であり国であると。
それが自立心であるという民主主義の基本の意識が徹底していると、ということを私は学ばなくてはならないと、いうふ
うに思っております。
私はイギリス人は、まあ好きじゃないんですけども、ええ、散々悪いことしといて、なんかあの紳士ヅラして済ましてま
すから、好きではないんですけれどもその知恵とね、やはり自分たちの自立心と、そういうものがね、やっぱりその知恵
と自立心は、七つの海を支配しただけの民族だと思ってますね。
あのアメリカの連中と話した時もね、時々話すとね、なんで、そう君らはそう単純なんだと、本家のイギリス人に少し学
んで来いって言うんですけれども、僕はアメリカ人は好きですけれども、どうもね、単細胞なところがありまして、ダメ
なんですが、我々は、いわゆる他山の石、やっぱり、いいところはキチンと学ぶという面が、自分自身の研鑽につとめ、
また、自分自身を作り上げていかなくてはならない。
その基本が私は人づくりと、広い意味での教育でありますから、今こそ、急がば回れ、本当に今後のことを考えた時に、
この人づくりということに、もう一度、思いをはせなければならないじゃないかと思っております。
日本のね、家庭教育の崩壊もそのとおりですけれども、戦後の学校教育のあり方も、その資料にもありますけれどね。
(教育勅語は入っているな)
地方自治体の教育行政に関するうんぬんという法律があるんですがね、そこには、市町村が全部責任を負うということが
書いてあるんです。
ところが次の章の48条かな、23条に市町村の役割ということが書いてあって、次の章の48条には今度は文部省の権限等と
いうことが書いてある。
ほとんど同じ内容で、文部省はこれについて、指導、監督、援助することができるということになってる。
これ、金もってますから、金は中央でもってるわけですから、結局、文部省の言うとおりの、まあ、言うとおりっちゅう
か、いちいちつまんないことまで全部口を出すという今の官僚組織のしくみ、そのものになっている。
ところがこれ歪んでるんですよね。何か起きた時は、責任は市町村だと法律に書いてあるじゃないかと、何か起きれば文
部省は逃げる。
で、市町村も、そんなこと言われたって、文部省の言うとおりやってるだけじゃないかと、どちらも責任とらない、とれ
ないという、法律から始まって教育のしくみなんですね。
これは、あらゆる行政省庁でも皆そうですね。
法律だけじゃなくして各行政、省庁は、省令は勿論出しますし、通達とか、なんとかかんとかっていって、いろんなかた
ちで自治体はじめ、各社会、産業分野の隅々にまでコントロールをするようにしてあるのは、今日の仕組みなんですけれ
ども、特に、この教育の全くおかしな歪んだ仕組みは、ずっと戦後そのままになっている。
ということが私は一つの学校教育で言えば、一つの大問題ではないかというふうに思っております。
この教育につきましても、民主党は民主党なりの考え方を日本教育基本法の中にも入れておりますし、私ども、さっき言
った自由党の時代にも「人づくり法案」として提案しておりますけれども、いずれにしてもこのことを、今日は特に9期
生の皆さんは、これでおしまいですので、このことをお話したいと、そう思って申し上げたところでございます。
まあ、私も子供もいう事を聞かないし、もう勝手にやってますが、親の資格はないですけども、人様に迷惑かけなけりゃ
、もう勝手にやれと、言っております。
どこに就職して何してんのか、よくわかりませんが、今のところどこからも苦情がきてませんので、自分自身で生きてる
んだろうと、そう思って私は、その点では安心をいたしております。
本当にこの政治塾で、ずっと前に申し上げたことはあるんですけれども、今日はこの機会にと思って、教育、人づくりの
ことについて申し上げました。
皆さんもだいたい人の親の、大部分そうであろうと思いますけれども、まあ、今、子育てがどうのとか、いろいろありま
すけれどもね、まあ、当たり前に自然に自分自身がちゃんとしてればね、子供は育つ、子は親の背を見て育つ、とまあよ
く言いますけども、一所懸命、真剣に真面目に生きる、ちゅうことが教育、子育ての根本ではないかと、いうふうに思っ
ております。
もうちょっと政治制度、政治学的な、あるいは世界政治の話でもしようかなと思ったんですが、それはまた、質問の時に
でも・・・
まあ、あの厳しいまマスコミの皆さんのいないとこで、皆さんの時間のある限り議論したいと思いますので、この場はこ
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ありがとうございました。
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今日の誕生日の花は・・・ケイトウ
花言葉は・・・・・・・永遠の愛、お洒落
鶏頭は灼熱の最中に長い花期ゆえの永遠の花言葉。
もう一つの花言葉その鶏冠(とさか)の見事さがお洒落なんだろうか。
最近は鶏冠系だけでなく稲の穂系や葉っぱを楽しむケイトウが出回っている。
農家の庭先には雑草扱いでケイトウが咲き乱れていた。
農家育ちゆえ鶏は放し飼い。
夕方には自然に鶏舎に帰ってくるおりこうさん。
見事な鶏冠の雄鳥事に雌その雛を従え
家族の集団で屋敷内にある畠の虫を上手く播く啄んでくれる。
ケイトウにつくアブラムシナゾを啄んでいた。
まさに鶏冠とケイトウがそっくりで見まごう程の景色。
或いは近辺周辺を範囲として集団事餌を探しに廻っている。
見ていると面白く砂利道の小さき石を啄み嘴から出さない。
のど元を見てるとグイと飲み込んでいる。
「エエッ!」「石喰ってらー」
米やたばこ出荷の日はお祝いで鳥をつぶした。
食用にさばいたときに胃袋から小石が一杯出てきて「ハハ~ン」と納得したモノだ。
つぶされるのは鳥同士の喧嘩に負ける奴を捕まえるよう付きっきりで兄たちに頼んだ。
隣家や村中で鳥同士が会うと喧嘩が始まる。
喧嘩に弱い鳥は解っている。
トサカが見事なほど喧嘩に強かった。
伊藤若冲が好んで描くニワトリは鶏冠だけでなく尾っぽも見事である。
36才で逝った子規
俳壇で単純の極地、内容のない写生句と評価が分かれる。
鶏頭や 十四、五本も ありぬべし
パソコンが壊れてしまった。
ウンドウの一つのファイルが壊れたようである。
書きためてた未アップの総てがチャラ。
う~~ん唸ってしまう。
お借りしてアップしている。
国民的英雄のサザンの桑田が退院したようである。
どうやら癌も怖くないようである。
爺目も日一日と本番迫りどうにも不安が募り切ない。
この時期のPCの故障さえ何かの因果かと気になる。
板垣英憲ブログが永田町怪情報で一番の秀逸。
24日の20時から23時鳩山ー小沢会談に続いて
25日夕方17時公邸で1時間鳩山ー菅総理会談。
鳩山元総理は辞めて以来初めての公邸入りらしい。
それも17時という時間
いやおうなくも注目される。
すでにブログでは結論が出ているようである。
果たしてどうなんだろうか。
菅直人首相が完敗を認め、小沢一郎が実権を掌握し激突回避、
菅首相続投で終戦処理、人事作業に入った
2010年08月25日 16時15分
小沢一郎前幹事長と菅直人首相との戦いは、小沢前幹事長の圧勝、
菅首相の完敗の形で勝負がつき、
民主党は、代表選をめぐる対立は、終戦処理と人事問題に入った。
①8月24日夜、小沢前幹事長と鳩山由紀夫前首相は、東京都内のホテルで会い、約2時間話し合った。
小沢前幹事長側は、樋高剛前副幹事長(平野貞夫元参議院議員の娘婿)鳩山前首相側は、
側近の平野博文前官房長官が同席した。
会談のなかで、まず代表選に向けての情勢分析が行われ、小沢前幹事長側は、
小沢派の勢力167人(衆院130人、参院36人)に加えて、
樽床伸二衆院国対委員長が、約40人、
鳩山前首相側が70人(うち小沢前幹事長支持の平野前官房長官が半数を押さえている)が確認された。
鳩山首相が表向き「菅首相続投」を表明していても、半数が分裂行動を取る可能性があり
、小沢前幹事長側が圧勝する見通しとなったという。
鳩山前首相は、双方が激突した場合、どちら勝っても負けても深いシコリが残り、最悪の場合、
党分裂が避けられなくなるので、双方が手を引くことが望ましいと説得した。
この場で鳩山前首相が菅首相に電話連絡し、票読みを伝えたところ、菅首相が「参りました」と完全敗北を認め、
小沢前幹事長の要求は何でも受け入れることを約束したため、ゲームセットとなった。
②次に、小沢前幹事長が「カネとポスト」の実権を掌握して、民主党は終戦処理と人事問題に入っている。
双方が一旦、刀の柄を抜きかけた手をいかに円満に引くかに知恵を絞ることになった。
そこで菅首相が25日、鳩山前首相と会い、正式に仲介の報告を受け、労をねぎらうことにしたようである。
これを受けて、鳩山前首相は、菅首相が小沢前幹事長に「詫びを入れる場」をセットする段取りをつける。
鳩山前首相は、26日から29日の日程でロシアを訪問するため、日程調整が必要となる。
一方、小沢陣営では、山岡賢次副代表が26日に小沢前幹事長を訪れて「代表選出馬」
を要請する動きを示していたことから、
鳩山前首相の側近・中川義活前首相補佐官(小沢前幹事長を支持)が25日、山岡副代表に会い、激突回避を要請した。
③人事問題については、菅首相の続投、幹事長ポストには、小沢前幹事長か山岡賢次副代表辺りが就任する見込み。
官房長官は、鳩山派からの就任が検討されている。
菅首相の在任は、2011年頭から春ごろまでとし、その後を小沢前幹事長が引き継ぎ、約1年務め、
前原誠司国土交通相にバトンタッチするというシナリオが描かれている模様である。
④敗北した仙谷由人官房長官(A級戦犯)、野田佳彦財務相(A級戦犯)、利用された枝野幸男幹事長を閣内から外し、党の要職からも排除する。
前原国交相は、事実上、米国CIAと密接な関係を持つと同時に、小沢前幹事長とは根深いところでつながっており、
しばらく表向き「蟄居謹慎」にし、時機到来に備えさせる。
なお、仙谷官房長官、野田財務相、枝野幹事長の3人には、離党する勇気はない。
しかし、小沢前幹事長が復活した場合、次期総選挙で仙谷官房長官、野田財務相、枝野幹事長の3人は、公認候補者にしないこともあり得るという。
小沢前幹事長は、謀反者に対しては厳しく報復する。
⑤衆参ねじれを解消するため、小沢前幹事長がみんなの党(渡辺喜美代表)、たちあがれ日本(平沼赳夫代表)、新党改革(舛添要一代表)、国民新党(亀井静香代表=森喜朗元首相の別働隊「みんなの党」を小沢前幹事長に繋げた最大の功労者)と連立を成功させる。
しかし、社民党(福島瑞穂党首)とは連立しない。
⑥この他の情報としては、米国対日工作担当者であるマイケル・ジョナサン・グリーンと新聞、テレビ、有名雑誌などマスメディア各社との関係がはっきりしてきている。
マイケル・ジョナサン・グリーンは、各社政治部や経済部、社会部の部長クラス幹部を集めて、米国側の要望や事実上の指示を与えていた。これに沿って、各社は社説、論説、論調を決めて報道していた。
さらにマイケル・ジョナサン・グリーンは、スキャンダル・ネタなども提供して、取材させ、報道させていたという。
【民主党内の各派閥の勢力分野】
小沢派 衆院130 参院36 計166
鳩山派 30 6 36
横路派 20 10 30
菅派 24 9 33
川端派 15 23 38
羽田派 25 10 35
前原・枝野派 25 3 28
野田派 12 4 16
リベラルの会 3 (1) 3(1)
無派閥 23 6 29
合計 307 107 414
(注・横路孝弘衆院議長、西岡武夫参院議長を含む)
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花言葉は・・・・・・・永遠の愛、お洒落
鶏頭は灼熱の最中に長い花期ゆえの永遠の花言葉。
もう一つの花言葉その鶏冠(とさか)の見事さがお洒落なんだろうか。
最近は鶏冠系だけでなく稲の穂系や葉っぱを楽しむケイトウが出回っている。
農家の庭先には雑草扱いでケイトウが咲き乱れていた。
農家育ちゆえ鶏は放し飼い。
夕方には自然に鶏舎に帰ってくるおりこうさん。
見事な鶏冠の雄鳥事に雌その雛を従え
家族の集団で屋敷内にある畠の虫を上手く播く啄んでくれる。
ケイトウにつくアブラムシナゾを啄んでいた。
まさに鶏冠とケイトウがそっくりで見まごう程の景色。
或いは近辺周辺を範囲として集団事餌を探しに廻っている。
見ていると面白く砂利道の小さき石を啄み嘴から出さない。
のど元を見てるとグイと飲み込んでいる。
「エエッ!」「石喰ってらー」
米やたばこ出荷の日はお祝いで鳥をつぶした。
食用にさばいたときに胃袋から小石が一杯出てきて「ハハ~ン」と納得したモノだ。
つぶされるのは鳥同士の喧嘩に負ける奴を捕まえるよう付きっきりで兄たちに頼んだ。
隣家や村中で鳥同士が会うと喧嘩が始まる。
喧嘩に弱い鳥は解っている。
トサカが見事なほど喧嘩に強かった。
伊藤若冲が好んで描くニワトリは鶏冠だけでなく尾っぽも見事である。
36才で逝った子規
俳壇で単純の極地、内容のない写生句と評価が分かれる。
鶏頭や 十四、五本も ありぬべし
パソコンが壊れてしまった。
ウンドウの一つのファイルが壊れたようである。
書きためてた未アップの総てがチャラ。
う~~ん唸ってしまう。
お借りしてアップしている。
国民的英雄のサザンの桑田が退院したようである。
どうやら癌も怖くないようである。
爺目も日一日と本番迫りどうにも不安が募り切ない。
この時期のPCの故障さえ何かの因果かと気になる。
板垣英憲ブログが永田町怪情報で一番の秀逸。
24日の20時から23時鳩山ー小沢会談に続いて
25日夕方17時公邸で1時間鳩山ー菅総理会談。
鳩山元総理は辞めて以来初めての公邸入りらしい。
それも17時という時間
いやおうなくも注目される。
すでにブログでは結論が出ているようである。
果たしてどうなんだろうか。
菅直人首相が完敗を認め、小沢一郎が実権を掌握し激突回避、
菅首相続投で終戦処理、人事作業に入った
2010年08月25日 16時15分
小沢一郎前幹事長と菅直人首相との戦いは、小沢前幹事長の圧勝、
菅首相の完敗の形で勝負がつき、
民主党は、代表選をめぐる対立は、終戦処理と人事問題に入った。
①8月24日夜、小沢前幹事長と鳩山由紀夫前首相は、東京都内のホテルで会い、約2時間話し合った。
小沢前幹事長側は、樋高剛前副幹事長(平野貞夫元参議院議員の娘婿)鳩山前首相側は、
側近の平野博文前官房長官が同席した。
会談のなかで、まず代表選に向けての情勢分析が行われ、小沢前幹事長側は、
小沢派の勢力167人(衆院130人、参院36人)に加えて、
樽床伸二衆院国対委員長が、約40人、
鳩山前首相側が70人(うち小沢前幹事長支持の平野前官房長官が半数を押さえている)が確認された。
鳩山首相が表向き「菅首相続投」を表明していても、半数が分裂行動を取る可能性があり
、小沢前幹事長側が圧勝する見通しとなったという。
鳩山前首相は、双方が激突した場合、どちら勝っても負けても深いシコリが残り、最悪の場合、
党分裂が避けられなくなるので、双方が手を引くことが望ましいと説得した。
この場で鳩山前首相が菅首相に電話連絡し、票読みを伝えたところ、菅首相が「参りました」と完全敗北を認め、
小沢前幹事長の要求は何でも受け入れることを約束したため、ゲームセットとなった。
②次に、小沢前幹事長が「カネとポスト」の実権を掌握して、民主党は終戦処理と人事問題に入っている。
双方が一旦、刀の柄を抜きかけた手をいかに円満に引くかに知恵を絞ることになった。
そこで菅首相が25日、鳩山前首相と会い、正式に仲介の報告を受け、労をねぎらうことにしたようである。
これを受けて、鳩山前首相は、菅首相が小沢前幹事長に「詫びを入れる場」をセットする段取りをつける。
鳩山前首相は、26日から29日の日程でロシアを訪問するため、日程調整が必要となる。
一方、小沢陣営では、山岡賢次副代表が26日に小沢前幹事長を訪れて「代表選出馬」
を要請する動きを示していたことから、
鳩山前首相の側近・中川義活前首相補佐官(小沢前幹事長を支持)が25日、山岡副代表に会い、激突回避を要請した。
③人事問題については、菅首相の続投、幹事長ポストには、小沢前幹事長か山岡賢次副代表辺りが就任する見込み。
官房長官は、鳩山派からの就任が検討されている。
菅首相の在任は、2011年頭から春ごろまでとし、その後を小沢前幹事長が引き継ぎ、約1年務め、
前原誠司国土交通相にバトンタッチするというシナリオが描かれている模様である。
④敗北した仙谷由人官房長官(A級戦犯)、野田佳彦財務相(A級戦犯)、利用された枝野幸男幹事長を閣内から外し、党の要職からも排除する。
前原国交相は、事実上、米国CIAと密接な関係を持つと同時に、小沢前幹事長とは根深いところでつながっており、
しばらく表向き「蟄居謹慎」にし、時機到来に備えさせる。
なお、仙谷官房長官、野田財務相、枝野幹事長の3人には、離党する勇気はない。
しかし、小沢前幹事長が復活した場合、次期総選挙で仙谷官房長官、野田財務相、枝野幹事長の3人は、公認候補者にしないこともあり得るという。
小沢前幹事長は、謀反者に対しては厳しく報復する。
⑤衆参ねじれを解消するため、小沢前幹事長がみんなの党(渡辺喜美代表)、たちあがれ日本(平沼赳夫代表)、新党改革(舛添要一代表)、国民新党(亀井静香代表=森喜朗元首相の別働隊「みんなの党」を小沢前幹事長に繋げた最大の功労者)と連立を成功させる。
しかし、社民党(福島瑞穂党首)とは連立しない。
⑥この他の情報としては、米国対日工作担当者であるマイケル・ジョナサン・グリーンと新聞、テレビ、有名雑誌などマスメディア各社との関係がはっきりしてきている。
マイケル・ジョナサン・グリーンは、各社政治部や経済部、社会部の部長クラス幹部を集めて、米国側の要望や事実上の指示を与えていた。これに沿って、各社は社説、論説、論調を決めて報道していた。
さらにマイケル・ジョナサン・グリーンは、スキャンダル・ネタなども提供して、取材させ、報道させていたという。
【民主党内の各派閥の勢力分野】
小沢派 衆院130 参院36 計166
鳩山派 30 6 36
横路派 20 10 30
菅派 24 9 33
川端派 15 23 38
羽田派 25 10 35
前原・枝野派 25 3 28
野田派 12 4 16
リベラルの会 3 (1) 3(1)
無派閥 23 6 29
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午前2時過ぎに来訪と不毛なる時間消化。
困ったものである。
円高放置がこの国のあちこちに問題化している。
この国の経済構造からシテ輸出主流の大企業の株安を招いている。
欧米の円買いに対応するには3兆円ですむらしい。
ところが何もせず放置の無為無策の菅内閣
死に体内閣ゆえ何も対応できない。
いまや菅内閣が存在すること自体が政治空白である。
一年生議員との懇談会で民主党党首選対策のみに埋没。
国家が破壊されようとしている。
仙石の権謀術が成果を挙げつつある。
小沢氏「一両日中に判断」=代表選、
出馬困難な見方強まる―鳩山氏25日首相と会談
8月25日0時31分配信 時事通信
民主党の小沢一郎前幹事長は24日夜、都内のホテルで鳩山由紀夫前首相と会談し、9月の党代表選に出馬するかどうか
「一両日中に判断する」と表明した。
また、「状況を判断した上で、鳩山氏と相談したい」とも語った。
会談には鳩山氏側近の平野博文前官房長官、小沢氏側近の樋高剛衆院議員が同席した。
代表選は、再選を目指す菅直人首相の対抗馬として、小沢氏が名乗りを上げるかどうかが焦点。
党内では出馬した場合、首相支持派と小沢氏に近い「反菅」勢力の間で深刻な亀裂が生じる可能性が指摘されている。
このため、鳩山氏が対立回避へ仲介に乗り出した形で、同氏は25日には首相とも会談する方向で調整している。
鳩山氏は小沢氏との会談で、現時点で首相の再選を支持する立場に変わりはないことを伝えた。
また、鳩山グループは24日夜、都内で幹部会を開き、代表選で小沢氏の出馬は好ましくなく
、首相と小沢氏の対決は避けるべきだとの認識で一致した。
小沢グループとの連携を視野に入れていた鳩山グループが小沢氏に距離を置く姿勢に転じたことで
、同氏の出馬は困難との見方が強まっている。
党内では反菅勢力を中心に、代表選後に想定される党役員・閣僚人事での処遇を念頭に「挙党態勢」構築を求める声がある。
首相の再選を支持している鳩山氏も挙党態勢づくりを条件としており、こうした声に首相がどう対応するか注目される。
首相は24日夜、首相官邸で記者団に対し、「近いうちに鳩山氏と話をしてみたい」と語った。
挙党態勢づくりに関し、首相は、23日から始めた新人議員との意見交換会で
「みんなが前向きにやっていける態勢を築かないといけない」
と柔軟に対応する考えを示している
◎「日本一新運動」の原点―12
日本一新の会・代表 平野 貞夫
民主党代表選挙に小沢一郎氏が出馬する可能性が強まるにつれ、党内外から暴論・珍論が噴出している。
「検察審査会の結論が出る前に出馬すべきでない」という意見だが、
これがマスメディアも交えて「小沢排除」の世論づくりに利用されている。
そこで、坂本龍馬の「四観三元論」を活用して、西松・陸山会問題を私の立場で総括しておく。
(西松・陸山会問題の真相)
今年4月、私は『小沢一郎完全無罪』(講談社刊)を緊急出版した。
その目的に、自民党政権と特捜検察、そして巨大メディアがタッグを組んだ「検察ファッショ」であり、
これでは日本の議会民主政治は崩壊すると警告しておいた。
特捜検察は、西松事件で一年間にわたり10億円を超えると言われる税金を使い、総力を挙げて小沢一郎を逮捕起訴すべく捜査を行った。
結果は、逮捕起訴できず、政治団体「陸山会」の収支報告書の虚偽記載で、秘書を逮捕起訴した。
従来の政治資金規正法の運用では、問題にされなかったことだ。起訴となった案件について総務省の担当から何の注意も行政指導もなかった問題である。
しかし、敢えて強制捜査を行ったのは、特捜青年将校の暴走である。
官僚支配政治を改革し、検察の特権を縮小しようとする小沢一郎を葬ろうとする政治的謀略であった。
さらに、麻生元首相らが、政権交代を阻止するために「指揮権発動的」なことを行ったが、
それでも賢明な国民は、昨年8月の総選挙で、政権交代の民意を明確に表明した。
そして本年1月、特捜は水谷建設がらみで石川知裕衆議院議員(元秘書)を逮捕し、小沢の「政治とカネ」は新しい事態を迎える。
月が変わった2月4日、特捜は「小沢不起訴」を決定した。
これで一段落かと思いきや、翌5日には、ある人物たちが地検判断を不服とし、東京第五検察審査会に
「審理の申立て」を行ったが、あまりにもその手際の良さというべきか、事前に謀られたと邪推すべきか、胃の腑に落ちない思いをするのも私一人ではないだろう。
そして4月27日、「起訴相当」を全会一致で議決し、小沢を「絶対的独裁者」と、その理由書に書いたことが話題となり、
小沢の「政治とカネ」が再びメディアからの攻撃の標的となる。
私は「指揮権発動的行動」の傍証を得ており、5月22日、高野孟氏が主宰する、「The JOURNAL」に
『西松事件・大久保秘書逮捕の真相を究明すべし!』を寄稿した。
これはネット上で大反響を呼び、その余韻は今でも残っていて、グーグルで検索すると、3万件強もヒットするとのことである。
実はこの問題に関して、6月2日は民主党の「司法を考える会」に招請され、詳細な説明を行う手筈になっていたが、
折悪しく、鳩山首相の辞意表明で会合は中止となった。
話題の中心は「第五検察審査会」の奇っ怪な動きである。
いずれ真相は明らかになろうが、専門家が現在問題にしていることを紹介しておく。
1、「申立て」を行った人物は、反社会的活動団体所属で、受理
したことそのものに問題があったこと。
2、市民代表の審理補助員に、米澤俊雄弁護士という人物を選任
した経緯や行動に問題があるといわれている。
漏れ聞くところによると、関係当局は検察審査会のあり方を含め、小沢問題の処理に困惑しているとのことである。
以上が「西松・陸山会問題の真相」であり、「検察審査会の実体」である。
小沢一郎の代表選出馬について、渡部恒三前顧問、岡田外相、蓮舫大臣らが検察審査会がらみで、
小沢氏の出馬を妨害・阻止する発言を繰り返しているが、じつに滑稽である。
さすがに原口総務大臣が「推定無罪の原則が民主主義の鉄則だ」として、検察審査会の政治利用を批判している。
認知症が心配されている渡部老人の発言は評の外に置くとして、岡田外相と蓮舫大臣の発言は憲法に違反する。
このことは、彼らよりも数倍の年月、そして、彼らよりも深く、強く憲法と向き合ってきた私からの警告でもあることを明記しておこう。
国民から多数の負託を受け、聡明であるべき民主党国会議員が、これらの讒言に影響されるようでは近代政党とはいえないし、
負託された国民への裏切りであることも明確に指摘しておく。
(小沢氏が「政治とカネ」で追求される理由)
小沢氏は、田中角栄、金丸信、竹下登の後継者といわれる負の遺産を背負いながら、自民党政治を崩壊させてきた。その恨み・辛みと、嫉妬の固まりが虚像となって、いわれなき攻撃を受けているのが、「小沢攻撃」の本質である。
小沢一郎の政治資金についての考え方は、父親・小沢佐重喜氏の信念に基づいており、誠実に法を守っている。政敵やメディアが報道するのは断じて事実ではない。政治団体が不動産を購入することも、法に基づいた浄財の有効活用のためであり、俗説に惑わされるべきではない。
「政治とカネ」で小沢氏が批判される切っ掛けとなったのは、平成12年4月、自由党が保守党と分裂した時である。政党助成金を含む党の資金を保守党にも分配するという小沢党首の意向に、私が強く反対して分配できなかったことがその要因である。
強い批判を受けたが、すべて自分の責任として一切弁解しない。こういうことが誤解されて、メディアの標的になり続けているのである。
(民主政治を危うくする情報操作)
8月23日の夜から、小沢一郎の代表選出馬はないとの情報が流され始めた。
菅支持派からのもので、鉢呂氏を入閣がらみで選対本部長にすることで旧社会党を取り込んだ。
仙石官房長官と川端氏の関係で旧民社党の支持を取り付けたというものだ。
これに影響されて、各メディアも口を揃えて「小沢の出馬はない」とのコメントを始めるようになったが、
これほど議会制民主政治を冒涜するものはない。
、代表選挙は理念・政策で争うべきであり、旧来の手法である人事で離合集散をくり返せば、
これこそ官僚支配に終始した自民党政治の復活でしかない。
菅民主党政権が発足して約3ヶ月、この間、政権交代の党是を放棄し、官僚支配の自民党政治より一層悪質化した。
代表選挙は菅政権のままで、国家と国民の存立ができるか否かを問う唯一の機会である。
ここんとこ永田町の動きで一つのブログが解かれる通りに不思議と事が動いている。
板垣英憲マスコミ事務所のブログである。
菅直人首相は、イラクへの自衛隊派遣を違憲状態と反対していたのに、
核兵器中心の世界大戦に協力するのか?
2010年08月23日 17時19分
アメリカ最大の財閥ディビッド・ロックフェラーとブッシュ前大統領が2012年に、
「イスラエル・イラン核戦争」
「パキスタン・インド核戦争」
「インド・中国核戦争」
からなる「第3次世界大戦」を計画し、
菅直人首相に最低200兆円から300兆円もの戦費調達をはじめ戦争協力を求めてきているとの情報が、
永田町、霞ヶ関界隈で流布されている。
その最中、朝日新聞は8月23日付け朝刊の社説で
「米軍のイラク撤退 重い教訓に向き合うとき」
のタイトルを掲げて、冒頭
「米国のオバマ大統領は2011年までに、イラク駐留米軍の完全撤退をめざす」
と切り出して、
「この戦争は何だったのか。開戦した米国も、戦争を支持した日本も、深く自問自答すべきときだ」
と反省を求めている。
しかし、もう一つ付け加えて欲しかった。
それは、「朝日新聞も」という言葉である。
朝日新聞は、第二次世界大戦(日中戦争、大東亜戦争、太平洋戦争)前から、
戦争を煽った前科があり、今回のイラク戦争にしても、
ブッシュ大統領に異議を申し立てて、戦争反対の声を上げてきたかと問えば、疑わしい。
天下の公器として、まず自省すべきであろう。
2001年10月7日のアフガニスタン空爆開始から4カ月後の2002年2月5日付けで、
「ブッシュの陰謀-対テロ戦争・知られざるシナリオ」(KKベストセラーズ刊)上梓した。
帯の表には「『自由を守る戦争』の真っ赤な嘘!大統領の黒い野望と狂気の戦略-
これは果たして誰のための戦争だったのか!?」、
裏には、書中の次のような見出しがピックアップされていた。
◎ブッシュは同時多発テロを知っていた!?
◎ハイジャック機の撃墜を容認?
◎ビンラディンは米国の操り人形?
◎米国のITバブル崩壊、景気停滞が引き金?
◎支持率を上げるための示威戦争?
◎父に対する根深いコンプレックス
◎裏側はエネルギー争奪戦争の様相
◎ブッシュ政権の後ろに控える石油・軍需産業
◎二大財閥に牛耳られる米国政界
◎米国-国繁栄、一国支配の空虚な野望?
◎見捨てられた犠牲者たちの声なき叫び
◎日本を巻き込む新たな世界戦略シナリオ
「ブッシュの陰謀-対テロ戦争・知られざるシナリオ」出版から約1年1カ月後の2003年3月19日、
米英軍イラク攻撃を開始した。
このニュースを出張先のJR富山駅の待合室にいた、テレビで知った。
「ついに始まったか」という思いで、テレビに釘付けとなった。
孫子の兵法に「兵は拙速を聞く」という言葉があり、戦争に勝つ秘訣は「短期決戦」にある。
同時に敵地の奥深くに進軍しすぎては負けるという教訓も伝えられている。
このため、ブッシュ前大統領が地上軍をイラク国土の深くに進軍して長期戦になれば、消耗戦になり多数の将兵を失う危険が大であると、憂慮していた。
案の定、この戦争はバクダッドをはじめ各地を破壊し続け、7年5カ月も続き、
完全撤退までには、さらに1年4カ月もかかりそうである。
米兵の戦死者は4400人を超え、戦費は莫大で「300兆円戦争」と言われている。
もちろん、イラク国民の死傷者は、甚大である。
しかし米軍が2011年末にイラクから撤退しても、その兵力は2012年からの第3次世界大戦に転戦させられるのであれば
、せっかく故郷に帰ることができると期待している多くの将兵たちは、さぞかしガッカリすることであろう。
ところで、イラク戦争は、大きくわけて、次のような勢力の対立構図で展開されてきた。
〔ブッシュ前大統領+デイビッド・ロックフェラー+ロッキード・マーチン社・ボーイング・英国軍需産業+米英軍など多国籍軍〕
VS
〔欧州ロスチャイルド財閥+ジョン・D・ロックフェラー4世+欧州軍需産業+独仏などEU諸国〕
イラク戦争の根本原因は、「米国ドルとユーロの通貨をめぐる覇権争い」にあった。
パパ・ブッシュ元大統領が行った湾岸戦争の結果、国連はイラクを経済封鎖した。
ただし、国連の「食糧のための石油プログラム」によって、石油だけは例外扱いされて、
クリントン政権下、イラクはアメリカに輸出できた。
アメリカは、代金をドルで支払っていた。
だが、クリントン政権末期、フセイン大統領(当時)が、代金をユーロに切り替え、
フランスの銀行BNPパリバ銀行ニューヨーク支店に振り込むよう要求し、
クリントン政権は、これを実行した。
これに対して、ブッシュ政権は、「ドルからユーロへの切り替え」により、中東地域の覇権が
「アメリカからEUに移る」ことを懸念し、フセイン大統領を危険人物と決め付けて、抹殺することを決めた。
戦争に踏み切る大義名分として、「フセイン大統領は大量破壊兵器を隠し持っている」というこじつけ理由を掲げたのであった。
さて、問題は菅首相の戦争に対する考え方である。
朝日新聞は8月23日付け朝刊の社説は、「日本の意思決定検証を」との小見出しをつけて
「菅直人首相は、民主党代表として、大半が戦闘地域のイラクへの自衛隊派遣は違憲状態だと指摘していた。
民主党政権はこの歴史から何を学び取るのか、今こそ明確に示す必要がある」と述べて、国会での検証作業を求めている。
この点についても、朝日新聞は、他人事のような無責任な姿勢を取るのではなく、
マスメディアの立場からいかなる戦争報道をしてきたのかを検証作業を行うべきである。
なお、民主党代表選では、菅首相はじめ候補者は、日本が米英軍など多国籍軍に味方して、
イラクへの自衛隊やインド洋での給油に海上自衛隊給油部隊を派遣したことについて総括する必要がある。
併せて、これから起こり得る世界大戦に対して、いかなる立場を取るかなど見解を示すべきである。
民主党代表選をめぐる速報
①鳩山前首相が8月23日、仲介に動き出している。
鳩山前首相は菅首相から託された小沢前幹事長に向けてのメッセージを電話で伝えた。
メッセージは「元の鞘(トロイカ体制)に収まりたい。
左翼政権と言われるのが、耐えられなくてなっている。
仙谷由人官房長官が好き勝手やっているのが、内心面白くない。しかし、自分を担いでくれているので、言えない。とにかく小沢さんに心より謝罪申し上げ、補佐していただきたい」という内容だったようである。
いくつかの折衷案として「菅首相・小沢代表」案を提示して、「時期を見て小沢さんと交代したい」伝えた。
自民党政権時代に派閥激突を回避するために考案・模索されたいわゆる「総・総分離論」(総理大臣と総裁を別々の政治家が分けて担当する方法)の民主党版である。小沢前幹事長が望めば、幹事長でもよいという。小沢前幹事長は「困ったな」と言っている。(ただし、菅首相の謝罪が「女郎の空涙」か否かをよく見極めなくてはならない。
仮に政権を時期をみて小沢前幹事長に渡すという証文を菅首相が書いたとしても、古来、政治家が書く証文というものは、書いて手渡した瞬間からただの紙切れになるというのが、慣わしである。誓約が守られたためしはない。要注意!)
②小沢、鳩山、菅が元の鞘に収まったとしても、仙谷、前原誠司、枝野幸男、野田佳彦は離党せざるを得ないだろう。(西岡武夫参院議長が8月23日、「(首相に)対抗する候補者は相当の覚悟が必要だ。首相を蹴落とそうとするのだから、敗れた場合、党を去ることも選択肢に入る」と発言。小沢前幹事長に向けて発せられたと言える。
だが、小沢前幹事長が敗れた場合、一統を引き連れて離党することにもなり、そうなれば、民主党政権はその瞬間に瓦解する危険がある。逆も真と解釈すると、菅首相サイドも離党せざるを得なくなる)
③米国対日工作担当者マイケル・ジョナサン・グリーンが原子力潜水艦で八丈島に行ったことを、ルース大使は知らなかった。このことが本国のディビッド・ロックフェラーに知られるとマイケル・ジョナン・グリーンは失脚を免れない。昨日、テレビで放送されたことで、失脚する可能性が大となった。最悪の場合、暗殺される。
④菅首相は、マイケル・ジョナサン・グリーンが失脚すると、ディビッド・ロックフェラーの後ろ盾がなくなり、シティグループに関係の深い仙谷や、マイケル・ジョナサン・グリーンと密接な関係にある前原誠司の立場が弱くなるとみて、早々と手を切り、小沢、鳩山、菅のトロイカ体制に戻り、ずっと民主党にいたいと考えている。(36計逃げるが勝ちの「逃げ菅」得意の戦法)
⑤仙谷、前原誠司、枝野幸男、野田佳彦の4人組は、「第2小泉内閣」のような政権をつくろうとしていた。仙谷、前原誠司、枝野幸男、野田佳彦が民主党から出て行けば、小沢前幹事長は、みんなの党、たちあがれ日本、新党改革と連立しやすくなる。
⑥小沢前幹事長は、みんなの党の渡辺喜美代表にすでに会っている。会談の席で、小沢前幹事長は、「君のお父さんとはいろいろあったが、決して騙したわけではないよ。ああいう形で袂を分ったけれども、君に意志があるなら、君を総理大臣にするよ」と言った。渡辺喜美代表は、感激のあまり泣き崩れて、「小沢先生のために命を捧げます」と応えたという。(参院で民主党は106議席=過半数に16議席不足=みんなの党11議席、たちあがれ日本(新党改革2議席)5議席、国民 新党3議席で連立すれば、125議席=過半数に3議席上回る。ただし、仙谷を含む前原・枝野派の参院議員3人と野田派の4人が離党すれば、過半数に4人不足し、衆参ねじれとなる)
⑦小沢前幹事長は、どちらにしても菅政権は行き詰るので、菅首相がきちっと謝ってきて、「実権」さえ握れれば、しばらく菅首相に政権を担当させてもよいと思いつつある。鳩山前首相の顔を立てて、落しどころにする。和解の余地はあるという。
⑧第5検察審査会の審査は、吹っ飛ぶ。議決は不起訴となる。万が一のことを考えれば、代表ないし幹事長と兼務で「無任所国務大臣」として入閣しておけばよい。
⑨なお、ディビッド・ロックフェラーがオーナーのシティグループと仙谷官房長官との関係については、シティグループが、不動産の担保力以上の違法貸付をするのに、貸付資金を日本の銀行から回してもらっており、これに仙谷官房長官が関わっている可能性があるという。総会屋との関係絡みとも見られている。
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困ったものである。
円高放置がこの国のあちこちに問題化している。
この国の経済構造からシテ輸出主流の大企業の株安を招いている。
欧米の円買いに対応するには3兆円ですむらしい。
ところが何もせず放置の無為無策の菅内閣
死に体内閣ゆえ何も対応できない。
いまや菅内閣が存在すること自体が政治空白である。
一年生議員との懇談会で民主党党首選対策のみに埋没。
国家が破壊されようとしている。
仙石の権謀術が成果を挙げつつある。
小沢氏「一両日中に判断」=代表選、
出馬困難な見方強まる―鳩山氏25日首相と会談
8月25日0時31分配信 時事通信
民主党の小沢一郎前幹事長は24日夜、都内のホテルで鳩山由紀夫前首相と会談し、9月の党代表選に出馬するかどうか
「一両日中に判断する」と表明した。
また、「状況を判断した上で、鳩山氏と相談したい」とも語った。
会談には鳩山氏側近の平野博文前官房長官、小沢氏側近の樋高剛衆院議員が同席した。
代表選は、再選を目指す菅直人首相の対抗馬として、小沢氏が名乗りを上げるかどうかが焦点。
党内では出馬した場合、首相支持派と小沢氏に近い「反菅」勢力の間で深刻な亀裂が生じる可能性が指摘されている。
このため、鳩山氏が対立回避へ仲介に乗り出した形で、同氏は25日には首相とも会談する方向で調整している。
鳩山氏は小沢氏との会談で、現時点で首相の再選を支持する立場に変わりはないことを伝えた。
また、鳩山グループは24日夜、都内で幹部会を開き、代表選で小沢氏の出馬は好ましくなく
、首相と小沢氏の対決は避けるべきだとの認識で一致した。
小沢グループとの連携を視野に入れていた鳩山グループが小沢氏に距離を置く姿勢に転じたことで
、同氏の出馬は困難との見方が強まっている。
党内では反菅勢力を中心に、代表選後に想定される党役員・閣僚人事での処遇を念頭に「挙党態勢」構築を求める声がある。
首相の再選を支持している鳩山氏も挙党態勢づくりを条件としており、こうした声に首相がどう対応するか注目される。
首相は24日夜、首相官邸で記者団に対し、「近いうちに鳩山氏と話をしてみたい」と語った。
挙党態勢づくりに関し、首相は、23日から始めた新人議員との意見交換会で
「みんなが前向きにやっていける態勢を築かないといけない」
と柔軟に対応する考えを示している
◎「日本一新運動」の原点―12
日本一新の会・代表 平野 貞夫
民主党代表選挙に小沢一郎氏が出馬する可能性が強まるにつれ、党内外から暴論・珍論が噴出している。
「検察審査会の結論が出る前に出馬すべきでない」という意見だが、
これがマスメディアも交えて「小沢排除」の世論づくりに利用されている。
そこで、坂本龍馬の「四観三元論」を活用して、西松・陸山会問題を私の立場で総括しておく。
(西松・陸山会問題の真相)
今年4月、私は『小沢一郎完全無罪』(講談社刊)を緊急出版した。
その目的に、自民党政権と特捜検察、そして巨大メディアがタッグを組んだ「検察ファッショ」であり、
これでは日本の議会民主政治は崩壊すると警告しておいた。
特捜検察は、西松事件で一年間にわたり10億円を超えると言われる税金を使い、総力を挙げて小沢一郎を逮捕起訴すべく捜査を行った。
結果は、逮捕起訴できず、政治団体「陸山会」の収支報告書の虚偽記載で、秘書を逮捕起訴した。
従来の政治資金規正法の運用では、問題にされなかったことだ。起訴となった案件について総務省の担当から何の注意も行政指導もなかった問題である。
しかし、敢えて強制捜査を行ったのは、特捜青年将校の暴走である。
官僚支配政治を改革し、検察の特権を縮小しようとする小沢一郎を葬ろうとする政治的謀略であった。
さらに、麻生元首相らが、政権交代を阻止するために「指揮権発動的」なことを行ったが、
それでも賢明な国民は、昨年8月の総選挙で、政権交代の民意を明確に表明した。
そして本年1月、特捜は水谷建設がらみで石川知裕衆議院議員(元秘書)を逮捕し、小沢の「政治とカネ」は新しい事態を迎える。
月が変わった2月4日、特捜は「小沢不起訴」を決定した。
これで一段落かと思いきや、翌5日には、ある人物たちが地検判断を不服とし、東京第五検察審査会に
「審理の申立て」を行ったが、あまりにもその手際の良さというべきか、事前に謀られたと邪推すべきか、胃の腑に落ちない思いをするのも私一人ではないだろう。
そして4月27日、「起訴相当」を全会一致で議決し、小沢を「絶対的独裁者」と、その理由書に書いたことが話題となり、
小沢の「政治とカネ」が再びメディアからの攻撃の標的となる。
私は「指揮権発動的行動」の傍証を得ており、5月22日、高野孟氏が主宰する、「The JOURNAL」に
『西松事件・大久保秘書逮捕の真相を究明すべし!』を寄稿した。
これはネット上で大反響を呼び、その余韻は今でも残っていて、グーグルで検索すると、3万件強もヒットするとのことである。
実はこの問題に関して、6月2日は民主党の「司法を考える会」に招請され、詳細な説明を行う手筈になっていたが、
折悪しく、鳩山首相の辞意表明で会合は中止となった。
話題の中心は「第五検察審査会」の奇っ怪な動きである。
いずれ真相は明らかになろうが、専門家が現在問題にしていることを紹介しておく。
1、「申立て」を行った人物は、反社会的活動団体所属で、受理
したことそのものに問題があったこと。
2、市民代表の審理補助員に、米澤俊雄弁護士という人物を選任
した経緯や行動に問題があるといわれている。
漏れ聞くところによると、関係当局は検察審査会のあり方を含め、小沢問題の処理に困惑しているとのことである。
以上が「西松・陸山会問題の真相」であり、「検察審査会の実体」である。
小沢一郎の代表選出馬について、渡部恒三前顧問、岡田外相、蓮舫大臣らが検察審査会がらみで、
小沢氏の出馬を妨害・阻止する発言を繰り返しているが、じつに滑稽である。
さすがに原口総務大臣が「推定無罪の原則が民主主義の鉄則だ」として、検察審査会の政治利用を批判している。
認知症が心配されている渡部老人の発言は評の外に置くとして、岡田外相と蓮舫大臣の発言は憲法に違反する。
このことは、彼らよりも数倍の年月、そして、彼らよりも深く、強く憲法と向き合ってきた私からの警告でもあることを明記しておこう。
国民から多数の負託を受け、聡明であるべき民主党国会議員が、これらの讒言に影響されるようでは近代政党とはいえないし、
負託された国民への裏切りであることも明確に指摘しておく。
(小沢氏が「政治とカネ」で追求される理由)
小沢氏は、田中角栄、金丸信、竹下登の後継者といわれる負の遺産を背負いながら、自民党政治を崩壊させてきた。その恨み・辛みと、嫉妬の固まりが虚像となって、いわれなき攻撃を受けているのが、「小沢攻撃」の本質である。
小沢一郎の政治資金についての考え方は、父親・小沢佐重喜氏の信念に基づいており、誠実に法を守っている。政敵やメディアが報道するのは断じて事実ではない。政治団体が不動産を購入することも、法に基づいた浄財の有効活用のためであり、俗説に惑わされるべきではない。
「政治とカネ」で小沢氏が批判される切っ掛けとなったのは、平成12年4月、自由党が保守党と分裂した時である。政党助成金を含む党の資金を保守党にも分配するという小沢党首の意向に、私が強く反対して分配できなかったことがその要因である。
強い批判を受けたが、すべて自分の責任として一切弁解しない。こういうことが誤解されて、メディアの標的になり続けているのである。
(民主政治を危うくする情報操作)
8月23日の夜から、小沢一郎の代表選出馬はないとの情報が流され始めた。
菅支持派からのもので、鉢呂氏を入閣がらみで選対本部長にすることで旧社会党を取り込んだ。
仙石官房長官と川端氏の関係で旧民社党の支持を取り付けたというものだ。
これに影響されて、各メディアも口を揃えて「小沢の出馬はない」とのコメントを始めるようになったが、
これほど議会制民主政治を冒涜するものはない。
、代表選挙は理念・政策で争うべきであり、旧来の手法である人事で離合集散をくり返せば、
これこそ官僚支配に終始した自民党政治の復活でしかない。
菅民主党政権が発足して約3ヶ月、この間、政権交代の党是を放棄し、官僚支配の自民党政治より一層悪質化した。
代表選挙は菅政権のままで、国家と国民の存立ができるか否かを問う唯一の機会である。
ここんとこ永田町の動きで一つのブログが解かれる通りに不思議と事が動いている。
板垣英憲マスコミ事務所のブログである。
菅直人首相は、イラクへの自衛隊派遣を違憲状態と反対していたのに、
核兵器中心の世界大戦に協力するのか?
2010年08月23日 17時19分
アメリカ最大の財閥ディビッド・ロックフェラーとブッシュ前大統領が2012年に、
「イスラエル・イラン核戦争」
「パキスタン・インド核戦争」
「インド・中国核戦争」
からなる「第3次世界大戦」を計画し、
菅直人首相に最低200兆円から300兆円もの戦費調達をはじめ戦争協力を求めてきているとの情報が、
永田町、霞ヶ関界隈で流布されている。
その最中、朝日新聞は8月23日付け朝刊の社説で
「米軍のイラク撤退 重い教訓に向き合うとき」
のタイトルを掲げて、冒頭
「米国のオバマ大統領は2011年までに、イラク駐留米軍の完全撤退をめざす」
と切り出して、
「この戦争は何だったのか。開戦した米国も、戦争を支持した日本も、深く自問自答すべきときだ」
と反省を求めている。
しかし、もう一つ付け加えて欲しかった。
それは、「朝日新聞も」という言葉である。
朝日新聞は、第二次世界大戦(日中戦争、大東亜戦争、太平洋戦争)前から、
戦争を煽った前科があり、今回のイラク戦争にしても、
ブッシュ大統領に異議を申し立てて、戦争反対の声を上げてきたかと問えば、疑わしい。
天下の公器として、まず自省すべきであろう。
2001年10月7日のアフガニスタン空爆開始から4カ月後の2002年2月5日付けで、
「ブッシュの陰謀-対テロ戦争・知られざるシナリオ」(KKベストセラーズ刊)上梓した。
帯の表には「『自由を守る戦争』の真っ赤な嘘!大統領の黒い野望と狂気の戦略-
これは果たして誰のための戦争だったのか!?」、
裏には、書中の次のような見出しがピックアップされていた。
◎ブッシュは同時多発テロを知っていた!?
◎ハイジャック機の撃墜を容認?
◎ビンラディンは米国の操り人形?
◎米国のITバブル崩壊、景気停滞が引き金?
◎支持率を上げるための示威戦争?
◎父に対する根深いコンプレックス
◎裏側はエネルギー争奪戦争の様相
◎ブッシュ政権の後ろに控える石油・軍需産業
◎二大財閥に牛耳られる米国政界
◎米国-国繁栄、一国支配の空虚な野望?
◎見捨てられた犠牲者たちの声なき叫び
◎日本を巻き込む新たな世界戦略シナリオ
「ブッシュの陰謀-対テロ戦争・知られざるシナリオ」出版から約1年1カ月後の2003年3月19日、
米英軍イラク攻撃を開始した。
このニュースを出張先のJR富山駅の待合室にいた、テレビで知った。
「ついに始まったか」という思いで、テレビに釘付けとなった。
孫子の兵法に「兵は拙速を聞く」という言葉があり、戦争に勝つ秘訣は「短期決戦」にある。
同時に敵地の奥深くに進軍しすぎては負けるという教訓も伝えられている。
このため、ブッシュ前大統領が地上軍をイラク国土の深くに進軍して長期戦になれば、消耗戦になり多数の将兵を失う危険が大であると、憂慮していた。
案の定、この戦争はバクダッドをはじめ各地を破壊し続け、7年5カ月も続き、
完全撤退までには、さらに1年4カ月もかかりそうである。
米兵の戦死者は4400人を超え、戦費は莫大で「300兆円戦争」と言われている。
もちろん、イラク国民の死傷者は、甚大である。
しかし米軍が2011年末にイラクから撤退しても、その兵力は2012年からの第3次世界大戦に転戦させられるのであれば
、せっかく故郷に帰ることができると期待している多くの将兵たちは、さぞかしガッカリすることであろう。
ところで、イラク戦争は、大きくわけて、次のような勢力の対立構図で展開されてきた。
〔ブッシュ前大統領+デイビッド・ロックフェラー+ロッキード・マーチン社・ボーイング・英国軍需産業+米英軍など多国籍軍〕
VS
〔欧州ロスチャイルド財閥+ジョン・D・ロックフェラー4世+欧州軍需産業+独仏などEU諸国〕
イラク戦争の根本原因は、「米国ドルとユーロの通貨をめぐる覇権争い」にあった。
パパ・ブッシュ元大統領が行った湾岸戦争の結果、国連はイラクを経済封鎖した。
ただし、国連の「食糧のための石油プログラム」によって、石油だけは例外扱いされて、
クリントン政権下、イラクはアメリカに輸出できた。
アメリカは、代金をドルで支払っていた。
だが、クリントン政権末期、フセイン大統領(当時)が、代金をユーロに切り替え、
フランスの銀行BNPパリバ銀行ニューヨーク支店に振り込むよう要求し、
クリントン政権は、これを実行した。
これに対して、ブッシュ政権は、「ドルからユーロへの切り替え」により、中東地域の覇権が
「アメリカからEUに移る」ことを懸念し、フセイン大統領を危険人物と決め付けて、抹殺することを決めた。
戦争に踏み切る大義名分として、「フセイン大統領は大量破壊兵器を隠し持っている」というこじつけ理由を掲げたのであった。
さて、問題は菅首相の戦争に対する考え方である。
朝日新聞は8月23日付け朝刊の社説は、「日本の意思決定検証を」との小見出しをつけて
「菅直人首相は、民主党代表として、大半が戦闘地域のイラクへの自衛隊派遣は違憲状態だと指摘していた。
民主党政権はこの歴史から何を学び取るのか、今こそ明確に示す必要がある」と述べて、国会での検証作業を求めている。
この点についても、朝日新聞は、他人事のような無責任な姿勢を取るのではなく、
マスメディアの立場からいかなる戦争報道をしてきたのかを検証作業を行うべきである。
なお、民主党代表選では、菅首相はじめ候補者は、日本が米英軍など多国籍軍に味方して、
イラクへの自衛隊やインド洋での給油に海上自衛隊給油部隊を派遣したことについて総括する必要がある。
併せて、これから起こり得る世界大戦に対して、いかなる立場を取るかなど見解を示すべきである。
民主党代表選をめぐる速報
①鳩山前首相が8月23日、仲介に動き出している。
鳩山前首相は菅首相から託された小沢前幹事長に向けてのメッセージを電話で伝えた。
メッセージは「元の鞘(トロイカ体制)に収まりたい。
左翼政権と言われるのが、耐えられなくてなっている。
仙谷由人官房長官が好き勝手やっているのが、内心面白くない。しかし、自分を担いでくれているので、言えない。とにかく小沢さんに心より謝罪申し上げ、補佐していただきたい」という内容だったようである。
いくつかの折衷案として「菅首相・小沢代表」案を提示して、「時期を見て小沢さんと交代したい」伝えた。
自民党政権時代に派閥激突を回避するために考案・模索されたいわゆる「総・総分離論」(総理大臣と総裁を別々の政治家が分けて担当する方法)の民主党版である。小沢前幹事長が望めば、幹事長でもよいという。小沢前幹事長は「困ったな」と言っている。(ただし、菅首相の謝罪が「女郎の空涙」か否かをよく見極めなくてはならない。
仮に政権を時期をみて小沢前幹事長に渡すという証文を菅首相が書いたとしても、古来、政治家が書く証文というものは、書いて手渡した瞬間からただの紙切れになるというのが、慣わしである。誓約が守られたためしはない。要注意!)
②小沢、鳩山、菅が元の鞘に収まったとしても、仙谷、前原誠司、枝野幸男、野田佳彦は離党せざるを得ないだろう。(西岡武夫参院議長が8月23日、「(首相に)対抗する候補者は相当の覚悟が必要だ。首相を蹴落とそうとするのだから、敗れた場合、党を去ることも選択肢に入る」と発言。小沢前幹事長に向けて発せられたと言える。
だが、小沢前幹事長が敗れた場合、一統を引き連れて離党することにもなり、そうなれば、民主党政権はその瞬間に瓦解する危険がある。逆も真と解釈すると、菅首相サイドも離党せざるを得なくなる)
③米国対日工作担当者マイケル・ジョナサン・グリーンが原子力潜水艦で八丈島に行ったことを、ルース大使は知らなかった。このことが本国のディビッド・ロックフェラーに知られるとマイケル・ジョナン・グリーンは失脚を免れない。昨日、テレビで放送されたことで、失脚する可能性が大となった。最悪の場合、暗殺される。
④菅首相は、マイケル・ジョナサン・グリーンが失脚すると、ディビッド・ロックフェラーの後ろ盾がなくなり、シティグループに関係の深い仙谷や、マイケル・ジョナサン・グリーンと密接な関係にある前原誠司の立場が弱くなるとみて、早々と手を切り、小沢、鳩山、菅のトロイカ体制に戻り、ずっと民主党にいたいと考えている。(36計逃げるが勝ちの「逃げ菅」得意の戦法)
⑤仙谷、前原誠司、枝野幸男、野田佳彦の4人組は、「第2小泉内閣」のような政権をつくろうとしていた。仙谷、前原誠司、枝野幸男、野田佳彦が民主党から出て行けば、小沢前幹事長は、みんなの党、たちあがれ日本、新党改革と連立しやすくなる。
⑥小沢前幹事長は、みんなの党の渡辺喜美代表にすでに会っている。会談の席で、小沢前幹事長は、「君のお父さんとはいろいろあったが、決して騙したわけではないよ。ああいう形で袂を分ったけれども、君に意志があるなら、君を総理大臣にするよ」と言った。渡辺喜美代表は、感激のあまり泣き崩れて、「小沢先生のために命を捧げます」と応えたという。(参院で民主党は106議席=過半数に16議席不足=みんなの党11議席、たちあがれ日本(新党改革2議席)5議席、国民 新党3議席で連立すれば、125議席=過半数に3議席上回る。ただし、仙谷を含む前原・枝野派の参院議員3人と野田派の4人が離党すれば、過半数に4人不足し、衆参ねじれとなる)
⑦小沢前幹事長は、どちらにしても菅政権は行き詰るので、菅首相がきちっと謝ってきて、「実権」さえ握れれば、しばらく菅首相に政権を担当させてもよいと思いつつある。鳩山前首相の顔を立てて、落しどころにする。和解の余地はあるという。
⑧第5検察審査会の審査は、吹っ飛ぶ。議決は不起訴となる。万が一のことを考えれば、代表ないし幹事長と兼務で「無任所国務大臣」として入閣しておけばよい。
⑨なお、ディビッド・ロックフェラーがオーナーのシティグループと仙谷官房長官との関係については、シティグループが、不動産の担保力以上の違法貸付をするのに、貸付資金を日本の銀行から回してもらっており、これに仙谷官房長官が関わっている可能性があるという。総会屋との関係絡みとも見られている。
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