下された審判

2007年7月30日
政治は結果責任と言われている。
政治家に高慢なる人格、道徳律が問われるのはそのためだ。

武士道の魂が最善とされる国。常に忘れまじ、その心根の矜持。
美しい日本の基本であるべきだ。

身の施し方清さが求められるところだ。
権勢の常道である

日本中が焼け野ヶ原から出発してここまで上り詰めることができたのもその民族の生き抜く暗黙の共通方針があったゆえだ。

吉田茂、岸信介が日本の形を決めた。
全面講和か片面講和かの世論の中米国との片面講和でこの国の道筋を決めた。

池田隼人佐藤栄作がようやく社会生活にスタンスを置く、その方向に政治のかじ取りをとれる国の余裕が生まれていた。

戦後最長の政権維持の佐藤栄作は岸信介と兄弟。
ノーベル平和賞を日本人で唯一受けたがその引き際は潔しといえるものでなかった。

退陣インタビューを鮮明に覚えている。
「記者諸君は嫌いだ!この席からでていってくれ!」

インタビュー室は座イスがあるのみの異常な風景。
「テレビのカメラはどこ?」
たった一人でカメラの画面にしゃべる引退の佐藤栄作。

安倍信三は岸信介を目標としてると言われる。
岸信介と佐藤栄作は兄弟である。
安倍には佐藤栄作も華麗なる血族である。

選挙制度ができて歴史的大敗
参議院の顔、岡山一人区・片山寅之助、運輸大臣を務めた関谷さえ公明党の力を借りながらも一人区で負けた。

安倍総理と筑紫哲也の昨夜のやり取り程異様なものはなかった。
ガンを押して、国を慮っての良心の最後通牒。
そいでも
「退陣はしない!」という。
ちなみに7/28ブログで紹介した同じ病気の小田実は逝った。

あちこちのツッコミに曖昧糊塗として
「責任はあるが退陣はない」
と論理が途中で切れるのは安倍の真骨頂。
大局が見えず決断ができぬでは、政治家ではない。

まだこの国に良識はあった、
かって
「山は動いた」
宇野総理の4点セットに社会党委員長土井たか子は名言を残した。

「底打った、最後の三日間で逆転だ、」
「小沢を取るか安倍を取るか選択の選挙だ!」
檄を飛ばした安倍自民公明党。

ところが底打ったのでなく底は破れていた。
選挙制度ができて以来のことが起こった。

爺ゆえ国の安定を求める。戦後一貫作り上げてきた国が壊れる怖さがある。

ただ、小泉5年間が壊し続けたものはこの国の相互扶助の田舎県、救済政治であった故この選挙結果となろう。

安倍はさらに容赦しなかった。
強いハズの宗教政党の過去の実績、権力維持の与党の不敗神話に崩壊などのシナリオをだれが思いつこう。
一人区でのこのような結果をだれが予測できたろう。
おごれる平家久しからずや。

この国の成り立ちの根本はファ〜つとした自然体の神の国。
祭りはその象徴である。

28〜29日と初代天皇神武を送り出した日向の県はメイン通りを歩行者天国にして年端のいかないグループを含め踊り狂った。
全国最低の投票率はこうした結果だ、

踊りのほうが投票行動より「てげてげ」の県民性の人々には重要であった。
それでも自民公明は大敗した。

このお祭りは確か1973年だったか全国初の全野党全組織が一丸になり宮崎大学学長・池田潔を市長候補に立て自民に挑んだが初の試みは敗北した。

前日夜にこの祭りの総踊りが初めて企画されカムフラージュされたこととその原因をせきやんがまとめた経緯を覚えている。

田舎ゆえ権威も祭りの意義も何もない。
この国の宗教は神の国の御霊を鎮め災厄を祓い、国民をまもるためにあり、その頂点、原型はやはり京。

祇園祭は天をも突く高さの29基の山鉾巡業うメインだ。
先頭は邪気を祓う長刀鉾。

山鉾の名はヤマとホコに由来する。
ヤマは心霊祖霊が住む霊山宇宙の山。
ホコは長い塀に支えられた強靭なる武器。

天高く神霊を招く依代(よりしろ)となる。
現代はこの二つを合体させた飾り山の造形。

常盤木と山、この形は宇宙樹としての神霊木の榊、磐座(いわくら)となる、つまり、神座としての神籬(ひもろぎ)。
京、博多の山鉾とは移動する神招きの装置、動く神籬である。

他の国の民族には理解できない相撲の神髄にあるような民族の宗教的行事である。
茶道、華道、能や歌舞伎。連歌や俳句日本文化にある精神である。

そのすべての収れんされたものがつける選民が政治家。
ところがどうだ。目に余る惨状。党による選挙故での弊害、人物が評価の基準になってないからだ。

深夜選挙事務所で敗北を味わった。
素人政治集団に苦悩はない。

公明党に問いたい
本来連立とは政権維持のための数合わせのハズだ、
連立の大義がどこにあるのか。
権力の亡霊にとりつかれた池田教でしかない

お坊様にして芥川賞作家・今東光。
作家で尼・瀬戸内寂聴さんのお師匠さん。
「一生に悔いはない。tだ、議員になったのがたった一つの愚劣」と言い放っている。
石原慎太郎青島幸男上田哲ら百万票取った68年の選挙の同期生。
履歴を恥ずかしがり政治をやめてしまった。
同僚議員のあまりにも幼稚さ見苦しさを見聞きし過ぎたのであろう。
「ばかやろう!」が物議をかもした。知劣過ぎたんであろう。

田舎の打算で生まれたまつり宮崎なぞ神をを冒涜するイスラムの徒から嘲笑される商業主義の何物でもない。

罰あたりの怖さは安倍総理にも現代も日向人にもない。
国民の審判を厳粛に受け止めると言って居直る凄さを摘み取るすべを持たない民族の悲劇。
自民公明党には浄化作用の力さえ残ってないようだ。
今日はうなぎどもでさえ大勢が腹を割いている。>

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