メール
2005年12月30日今日から年越しの準備たる未払い金や借用金で東奔西走。
昨日まで南の件で忙殺。
今頃から動いたんではうまくいくはずもない。
師匠からのメールに励まされる。
歴史と人間、現状分析から的確に未来を抉り出している。
太陽光・風力発電トラスト」運営委員、○○です。
勤勉であった産業資本社会の担い手は、其の前の時代に育てられた農民の 子達。彼らは、実にまじめに良く働きました。でも、其の子供たちは既に その基本的な姿勢を失っています。
http://www.book-navi.com/daijiten/zatu-sa.html
ひところ3Kと言えば、きつい、きたない、きけんな仕事を指したが、それ では現代の3Kとは何か?
現代は高齢社会まっ盛りである。現在65歳以上の人口は約6人に1人と言わ れ、このままいけば15年後には約4人に1人の割合になる。
お年寄りにとっ ての3Kとは、経済、健康、孤独であるという。言い換えれば、低金利時代 の年金生活、年々衰える体力、親の面倒を見たがらない子供たち、という ことになろうか。
とネットに書く人もいます。
でも、老人たちは自分の育った時代の常識でものを考えます。しかし、そりゃ、無理でしょう。まじめにものも言わずに与えられた仕事を黙々とこなすそうした人間は既に少数派。
一体、彼らに何を求めるのか・・・。
そう言う連中に老人の面倒を見ろといってもそれは無理と言うもの。生産の無い所に消費などある訳は無いで しょう。
そう言う時代を私たちは迎える。それなのに其の前の時代の考え方と仕組みで動かそうと言うのだからどうしたって無理があるのです。
しかし、彼らの言う不満にも一理はあります。フェアーではない。全面的に首肯、出来ぬものの 言い分が不当だとまでは言えないでしょう。が、
しかし、其の言い分を一部認めても今の仕組みでは破綻することは確かです。
何にしろ生産することは必要です。消費をするつもりなら・・・。では、 ここでいう生産とは何か・・・。それは、太陽エネルギーの流れを人間の文明圏へと導き入れる事です。
かつて、この国では何処でも行われていたこと。田に水を導きいれ、苗を植え、草取りをし、秋には刈り入れをする。そして、その恵みに感謝する秋祭りが村の神社で行われかした。
秋の夜長には神に感謝する神楽が舞われ、それが地域に育まれた文化でした。次ぎの世代に引き継ぐこと。
連綿と続く人間の営み。それが、この地上で人間がずっとこのかた千年以上も続けてきた生活だったのです。
こうした生活を日本人はつい最近までしていました。高度経済成長が始まる其の頃まで・・・。
親の世代は、子供たちを育てながらそうした日々の生産活動を続け、其の 姿を見ながら子供たちは育ち、人とは額に汗して働くものだと言う産業社会を支える勤勉さを身に付けてお店へと成長しました。そして、彼らはその地から都市部へと戦後、それも高度経済成長の時期を通して 地域から流れ出し産業資本の勤勉な労働者となり、日本の繁栄を支えてきました。
一方で、其の分、田舎で持続可能であった地域を支えるべき人が居なくなってしまいました。残されたのは親の世代と出て行く機会を失った人たち。
そして時間が過ぎると共に高齢化社会は進みました、途中、補助金で底上げをしましたが、流れを変えることは出来ませんでした。そして、今、最も地域を支えねばならない人々が、居なくなってしまいました。
なのに、都市はその育ててくれた田舎を捨て去ることを選ぼうとしています。産業資本は国内ではなく海外にその人的資源を求めるようになりました。
成功者の二代目となった世代は、親の世代の働く工場内に囲い込まれた姿を見ることが出来ませんでした。価値を生み出すこととは何かを学ぶ機会を奪われてしまったのです。生産の現場は見えなくなり生活の場は消費だけしかなくなったのです。
ですから、消費者運動と言うものだけが戦後の社会運動の中心でした。生産の現場では労働組合運動と・・・。
19世紀に始まった地球からの収奪。エネルギー資源としての化石燃料を 掘り出し、使い捨てにしてしまう私たちのこんな文明の有り様は持続可能 な訳はありません。なのに、それが、当然のこととして動き続ける社会。
そして、その化石燃料を使うことが当然な仕組みで動く都市に多くの人たちが住いしています。
片や、この国では、最も豊かな自然エネルギーに恵まれている中山間地域が今、崩壊の危機にさらされているのです。
必要なのは、問題となっている化石燃料をそのエネルギー基盤とするその在り方から変えると言うことでしょう。
まず、それだけはすべきことです。それだけでこのままでいく破局までの時間的な余裕を手に入れられます。それが出来れば未来を変えるいろんなことを試すことが出来るでしょう。
それをやったからと言って人類全体として失うものは無いのですから、やった方が良いのです。やらなければ人類は未来を失います。でも、そうしたことが必要だと言う危機感が、若い世代には残念ながら有りません。
そうした危機に関しての感性が摩滅しているようです。豊かなのは当然なのです。だって実際にそうなんですから・・・。おじいちゃんの世代、お父さんの世代、みんな、そういう豊かさを求めてひたすら働いてきたのです。
彼らはその問題を知った所で、諦め顔で云うかもしれません。やっても変わらないと・・・。
やっても変わらない?なら、やってみようではないか。やらなければ変わ りようが無いのだから・・・。 このまま縮こまって待っていても類としての私たちは、死を迎えるだけに終わってしまいます。それって勿体無い
でしょう?
と言っても分かりそうに無いのだけどれど・・・。
では、何処でそれは実現され得るのでしょうか?
勿論、人工的に作られ化石燃料を使 い、資源を周縁部から取り入れることで成り立っている都市では不可能です。
それが可能なのは、実は、今、崩壊の危機に瀕しているバイオマス資源が 豊かで、小水力など自然エネルギーの可能性も高い中山間地にあります。
ただ、ここは産業化して行う大規模経営には向きませんでした。まだ、それは見えていません。
ただ、都市にはまだなだ権力が有ります。そこにいる人々の欲望がそれを支えています。 それは一気には変わることはありません。でも、田舎が この国でやっておくべきことはあります。
その可能性を拓く事です。次に時代を用意しておくことです。来年はそうした年にしたいものです。
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心ある方。ちから貸してください
昨日まで南の件で忙殺。
今頃から動いたんではうまくいくはずもない。
師匠からのメールに励まされる。
歴史と人間、現状分析から的確に未来を抉り出している。
太陽光・風力発電トラスト」運営委員、○○です。
勤勉であった産業資本社会の担い手は、其の前の時代に育てられた農民の 子達。彼らは、実にまじめに良く働きました。でも、其の子供たちは既に その基本的な姿勢を失っています。
http://www.book-navi.com/daijiten/zatu-sa.html
ひところ3Kと言えば、きつい、きたない、きけんな仕事を指したが、それ では現代の3Kとは何か?
現代は高齢社会まっ盛りである。現在65歳以上の人口は約6人に1人と言わ れ、このままいけば15年後には約4人に1人の割合になる。
お年寄りにとっ ての3Kとは、経済、健康、孤独であるという。言い換えれば、低金利時代 の年金生活、年々衰える体力、親の面倒を見たがらない子供たち、という ことになろうか。
とネットに書く人もいます。
でも、老人たちは自分の育った時代の常識でものを考えます。しかし、そりゃ、無理でしょう。まじめにものも言わずに与えられた仕事を黙々とこなすそうした人間は既に少数派。
一体、彼らに何を求めるのか・・・。
そう言う連中に老人の面倒を見ろといってもそれは無理と言うもの。生産の無い所に消費などある訳は無いで しょう。
そう言う時代を私たちは迎える。それなのに其の前の時代の考え方と仕組みで動かそうと言うのだからどうしたって無理があるのです。
しかし、彼らの言う不満にも一理はあります。フェアーではない。全面的に首肯、出来ぬものの 言い分が不当だとまでは言えないでしょう。が、
しかし、其の言い分を一部認めても今の仕組みでは破綻することは確かです。
何にしろ生産することは必要です。消費をするつもりなら・・・。では、 ここでいう生産とは何か・・・。それは、太陽エネルギーの流れを人間の文明圏へと導き入れる事です。
かつて、この国では何処でも行われていたこと。田に水を導きいれ、苗を植え、草取りをし、秋には刈り入れをする。そして、その恵みに感謝する秋祭りが村の神社で行われかした。
秋の夜長には神に感謝する神楽が舞われ、それが地域に育まれた文化でした。次ぎの世代に引き継ぐこと。
連綿と続く人間の営み。それが、この地上で人間がずっとこのかた千年以上も続けてきた生活だったのです。
こうした生活を日本人はつい最近までしていました。高度経済成長が始まる其の頃まで・・・。
親の世代は、子供たちを育てながらそうした日々の生産活動を続け、其の 姿を見ながら子供たちは育ち、人とは額に汗して働くものだと言う産業社会を支える勤勉さを身に付けてお店へと成長しました。そして、彼らはその地から都市部へと戦後、それも高度経済成長の時期を通して 地域から流れ出し産業資本の勤勉な労働者となり、日本の繁栄を支えてきました。
一方で、其の分、田舎で持続可能であった地域を支えるべき人が居なくなってしまいました。残されたのは親の世代と出て行く機会を失った人たち。
そして時間が過ぎると共に高齢化社会は進みました、途中、補助金で底上げをしましたが、流れを変えることは出来ませんでした。そして、今、最も地域を支えねばならない人々が、居なくなってしまいました。
なのに、都市はその育ててくれた田舎を捨て去ることを選ぼうとしています。産業資本は国内ではなく海外にその人的資源を求めるようになりました。
成功者の二代目となった世代は、親の世代の働く工場内に囲い込まれた姿を見ることが出来ませんでした。価値を生み出すこととは何かを学ぶ機会を奪われてしまったのです。生産の現場は見えなくなり生活の場は消費だけしかなくなったのです。
ですから、消費者運動と言うものだけが戦後の社会運動の中心でした。生産の現場では労働組合運動と・・・。
19世紀に始まった地球からの収奪。エネルギー資源としての化石燃料を 掘り出し、使い捨てにしてしまう私たちのこんな文明の有り様は持続可能 な訳はありません。なのに、それが、当然のこととして動き続ける社会。
そして、その化石燃料を使うことが当然な仕組みで動く都市に多くの人たちが住いしています。
片や、この国では、最も豊かな自然エネルギーに恵まれている中山間地域が今、崩壊の危機にさらされているのです。
必要なのは、問題となっている化石燃料をそのエネルギー基盤とするその在り方から変えると言うことでしょう。
まず、それだけはすべきことです。それだけでこのままでいく破局までの時間的な余裕を手に入れられます。それが出来れば未来を変えるいろんなことを試すことが出来るでしょう。
それをやったからと言って人類全体として失うものは無いのですから、やった方が良いのです。やらなければ人類は未来を失います。でも、そうしたことが必要だと言う危機感が、若い世代には残念ながら有りません。
そうした危機に関しての感性が摩滅しているようです。豊かなのは当然なのです。だって実際にそうなんですから・・・。おじいちゃんの世代、お父さんの世代、みんな、そういう豊かさを求めてひたすら働いてきたのです。
彼らはその問題を知った所で、諦め顔で云うかもしれません。やっても変わらないと・・・。
やっても変わらない?なら、やってみようではないか。やらなければ変わ りようが無いのだから・・・。 このまま縮こまって待っていても類としての私たちは、死を迎えるだけに終わってしまいます。それって勿体無い
でしょう?
と言っても分かりそうに無いのだけどれど・・・。
では、何処でそれは実現され得るのでしょうか?
勿論、人工的に作られ化石燃料を使 い、資源を周縁部から取り入れることで成り立っている都市では不可能です。
それが可能なのは、実は、今、崩壊の危機に瀕しているバイオマス資源が 豊かで、小水力など自然エネルギーの可能性も高い中山間地にあります。
ただ、ここは産業化して行う大規模経営には向きませんでした。まだ、それは見えていません。
ただ、都市にはまだなだ権力が有ります。そこにいる人々の欲望がそれを支えています。 それは一気には変わることはありません。でも、田舎が この国でやっておくべきことはあります。
その可能性を拓く事です。次に時代を用意しておくことです。来年はそうした年にしたいものです。
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