開発の執念

2005年11月30日
70年前のに3年間にもわたり日本人の心を追い求めていたドイツ人がいた。
ブルーノ・タウトである。
桂離宮をして「涙が出るほどに美しい」と言わしめした。
タウトを偲ぶには彼がてがけた日本の住宅としては、唯一現存するものを見るのが速い。
熱海駅より徒歩8分で熱海市春日町8−37に着く。
RC造擁壁内の地下室がタウトの設計によるものである。
「旧日向別邸」であるが日向=宮崎でなく、アジア貿易で財を成した日向利兵衛の旧邸である。
その後、かっての日本カーバイトの保養所として利用されてきた。
熱海の海岸は地中海のコートダジュールと比較される絶景の地である。
熱海の名所といえば、お宮の松に伊豆山神社、梅園に錦ケ浦と相場は決まっている。
錦ケ浦は市街地から離れた熱海きっての景勝地。約二キロにわたって、入り組んだ断崖が続いている。
兜岩、碁盤岩、烏帽子岩など奇岩も多い。
紺碧の海に浮かぶ初島の眺めは素晴らしい。
昨年11月に熱海市の所有となり先月より一般に公開され始めた。
海を面した前述した高台に配したいわゆる借景の日本の美を表現している。
照明の優しさ、竹や桐を豊富に使用し、和と洋の融合が図られた見事な造りである。
ところで日本カーバイドは宮崎・延岡の日本窒素肥料株式会社延岡工場を前身とする。
また日本カーバイト工業 は富山県に残滓を残している。
コッペル1号 富山県魚津市村木町1−21 村木小学校
コッペル2号 富山県滑川市上小泉行田 行田公園
D51 260 富山県滑川市東福寺野字不水掛41 東福寺野自然公園SLハウス
D51 165 富山県西砺波郡福光町宮脇町5297 福光公園
1052 富山県砺波市花園町1ー32 チューリップ公園
9628 富山県富山市本丸1−62 富山城址公園
C11 217 富山県高岡市古城1 高岡古城公園
ナンカ宮崎・富山の接点である。
「国境の山から流れて来る川が二派に分かれて海に注ぐ、そこで水俣の名がある」と徳富蘆花は記す。
薩摩との国境から流れて来た二本の川が交わりそして二派に分かれ八代海に注ぐ、その様から水俣の名前が生まれたようである。
また徳富蘇峰、徳富蘆花を生んだ地でも有名である。
創業者野口は鹿児島県伊佐郡大口村(現大口市)に曽木電気株式会社を設立して発電事業をはじめその余った電力を利用して熊本県葦北郡水俣(現、水俣市)に日本カーバイド商会を設立した。明治38年のことである。
実は先ほど この12月で終了するNHKプロジェクトX第184回 11月29日放送再放送をみた。
・・・京セラの稲盛氏を中心にすえて、太陽光発電のことをプロジェクトXで放送した。(昨夜)で、今夜と言うか、明日の午前1時半から再放送 がある。・・・とのメールを師匠より頂いたからである。
番組は「太陽に懸けろ」〜住宅エネルギー革命〜の副題の如きであった
平成5年住宅用太陽光発電を開発した京都セラミックスのお話である。
経営のカリスマ稲盛和夫は薩摩の人、示現流の如き開発への挑戦であった。世のため人のためとの開発ポリシーで挑戦しての太陽光発電パネウの開発までの記録であった。
降り注ぐ太陽光で電力を作ると決意したのが49年3月。
シャープより木村健次郎を招聘して開発に拍車がかかった。
パネルについてはリボン方式で取り組んだがドイツからの多結晶の見本を見て方式を買え大きい発電量をも得た。
稲盛和夫は苦闘30年を経て誇らしげに芸術品と語るが言いえて妙である。
挫折に怯まず、揺り動かし突き動かしたのは「世のためによかった。」の言葉に象徴されるビジネスに賭ける夢の実現である。
太陽電池はいまや26万世帯に設置されている。
開発までには幾多の苦労があった。
今では販売に苦労している。
525枚の設置準備でもおおわらわ。
都城から小林と走り回る。
23じのご帰還。明日は朝7時から太陽電池のお客様講習会とのこと。

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