一日ずれている。

2005年10月31日
多平良港の最終フェリーに乗り遅れること僅か5分のため島原の白山ホテルに泊する羽目の朝。
もちろんネット予約扱いの10パーセント引き。
このホテルは遠くから一瞥できる高級感なのにこれが面白い。
一階はパチンコ屋さんを兼ねての必死の生き残り策を感じた、
朝のコーヒーのお変わりの100円にはどうにも感心しない。
フェリー乗り場の前の公園にはこの辺りの原泉の足湯がある
二人のご夫婦がご使用しておられた。
箒での清掃は78歳のボランテアの方。
観光案内看板にみいってると足湯を済ませた方とお話になる。
「あの〜天草四郎は原城でシタよね。島原城との関係はどうなんでしたんでしょう?」
「一揆の収束後に城石など今の島原城に移築したいんだ。」
ほう〜〜ナルホドこれで理解ができた。
歴史は常に為政者のもので捏造されてるのが常である。
ここにもその形跡を見た。
農民一揆をキリスタン一揆にすりかえる為政者の歴史の捏造である。
石川、長島など城をうばう一揆はそう数は少ない。
他の国とちがう従順なる民族性が歴史から読み取れる。
信長の天正時代にローマ訪欧使節を勤めたる宮崎・西都都於郡から排出した伊東マンショがいるのに宮崎県民性にキリスタンは残りえなかった。
為政者の恐怖的弾圧に信仰を守り通してるこの県民性の地域のかたがたの高慢さはひときわ違おう。
普賢様の怒りは耐え切れない魂の叫びやもしれない。
1700年の普賢岳噴火のパール・バック原作の幻の映画の29日のビッグ・ウエイの試写会はどうであったんであろう。
古代史は言うに及ばず民俗学や歴史学はとかく現地踏査が真実に近づく真摯な態度であろう。
共同通信発に頼るマスコミの愚民のやからに警鐘を発している。
柳田国男の後の戦後日本を視座した宮本常一にして
いま・ここの自覚と機軸を同じくする。
全国行脚の中から忘れられた日本人や塩の道、民俗学のたびなどを残した。
小泉のアメリカ志向が拝金思想を跋扈させ終末的日本人社会を生み出している。
持たざるものと持っテルものとの格差に生活感、人間性の変化で民族性の激変があろう。
新たなる日本人論がかかれなければならない。
連日のプレッシャーで精神ボロボロの私にしてこの宿泊は随分と命の洗濯ができた。
少しずつこの視点でも書く原稿作りでもしたい。
ところで足湯をしておられた説明の方との議論で人格の高貴さを感じた。
「あんたネェ〜さっきの人しってんの?」
怪訝そうなる私をのぞきボランテアの方がいわれる。
「普賢さま」の口当たりが妙にイイこの方の解説でわかった。
鐘ヶ江市長サンであったのだ。
あのマスコミのまえに暫時のびるヒゲを晒し、多忙さの全てを表現した普賢岳噴火じの現地責任者のあの方である。
この気さくさがいい。
観光の基本は人情である。
何も豪華施設は要らない。
若者にこびるテーマ・パークは九州の全てがポシャツたが現状分析のなささからであろう。
船は雄大なる有明湾を横断し、なびいてくるカモメが旅情をそそる
若山牧水の心情であろうか。
白鳥は悲しからずや
   そらのあお海の青にも染まず漂う
青春ゾングを口ずさむ。
♪いつまでも耐えることなく友達で居よう
明日の日を夢見て〜^
なんか勝手なる詩作でハミング
ごごの延岡の会議で電車をめざすが
これまた10分の違い。
夜は借金取りの山。
今日は月末であったのである。
インプットが一日遅れていたことからの更なる混乱。
いたしたものがなんにもならずに七転八倒。
泊り込みのお客さんが続き24時以降も自由なる時間がない。
2日あさ5時に書いている。

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