食欲の秋

2005年10月11日
秘すればとか秘め事をと書けばカウンターはグルグルと回ることであろう。
秘事なることにはたいがいが関心を持つ。
まあ〜アフタヌーンショウーは日常化したわな〜
午前中にお医者さん宅の太陽光発電予定地の現場を見て
九電に走り,NEDOのNPO法人の現場を案内する。
密やかに都城に○木さんと向かう。
ここでお会いしたのが占い師
それが、この占い師は良く当たっていた。
来年のことを言うと誰かが笑うという言葉があるが秘め事ならわかるまい。
これでは気持ちよくお布施が揚げられる。
来年はお金が回るんだそうな。
夕方宮崎に着き、メーター計器の方にお会いする。
丁度遅き昼じきの最中である
かぐら屋は飛び魚や作り物の魚の鮮度がいい。
残念ながらワサビがこれではいただけない。
〆て4000円は今日のご褒美
すき焼きさえメニューに昇っていたが流石にそこまでの余裕はない。
幼きころはすき焼きは鶏肉。牛肉なんぞを宿したのはいつのことであったろう。
鶏は庭や集落のあちこちに放し飼いで江戸や猫八の物まねそのものの鳴き声で
「コ〜コッ〜こ〜コ〜コッ〜〜」と聞きなれている音の風景にあった。
2日に一度と産み落とす卵は一個10円でお店で5円のアイス・キャンディーや生活日常品に変わるれっきとした造幣局通貨であった
そのころから10円で卵は物価の優等生といわれるゆえんである。
イベントのとき潰される鳥はお金がないゆえに身近な代用肉。
砂糖が貴重品ゆえ実に不思議な味付けでほほが落ちるほど美味しかった。
元来仏教国ゆえ牛を食してきた歴史はそう古くはと考えてるご仁は多きはずだ。
文明開化とともに導入されたとお考えのはずだからである。
ところがそれは東京のこと。関西は違う。
 松阪や神戸牛などと高級牛肉の代名詞は関西の人間が根っからの牛肉好きに由来する。
牛肉食の歴史は安土桃山時代に南蛮人が持ち込んだことに始まる。
仏教の国ゆえ大っぴらにはできず、屋外で農具のスキを鍋代わりにして食シタという。
これをすき焼きの語源とするらしい。ホント?〜^
江戸時代には、彦根藩が牛肉のみそ漬けを幕府に献上していたという。
日本初のブランド牛・近江牛である。
ツルが密かに武士階級に食された如くである。
関東で牛肉食が広まったのはペリー来航以降で、横浜に日本初の牛鍋屋が登場したのは文久二年(一八六二)。
明治になり、岩倉具視の指示で西洋料理専門店「精養軒」が開店、牛肉食は全国区になった。
上野・精養軒のメュニューにその名残をを読み取れたものだ。牛肉を巡る一連の騒動で被害甚大の方もおられよう。
牛丼の代名詞、吉野家の創業者、松田栄吉も大阪生まれで、やはり関西出身だ。
吉野家は平成三年の牛肉輸入の完全自由化以降、大量に安く供給される米国産牛肉を使って牛丼を国民食へと押し上げたが、あの店の牛肉へのこだわりは関西人気質を継いでいるのかもしれない。
さて、 BSE=牛海綿状脳症問題で禁止されていた米国産牛肉の輸入が、年内にも部分的に再開されそうだ。
対日経済制裁世論を背景に、早期の輸入再開を迫る米国の圧力には反発もあるが、開国も牛肉輸入の自由化も結果的に日本人の食生活を豊かにしてきた。
チョッピリ硬すぎるけどジョイフル肉で慣れさせられた。
原産地表示やチェック方式など明確な情報公開を前提に、前向きにことを進めてもよいはずだ。
珍しくもアメリカに意見を通してる珍しき政治の産物である。
背景の何かは読み散れない。
この毅然たる態度が世界の信頼を生んでくる。
給料日に必死に借財してでも支払う姿勢に連なるものだ。
厳しき日であったがどうにか高利で凌いだ。
奥歯にものが引っかかってる状態はまったく解消していない。

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