the big wave

2005年10月24日
the big wave「大津波」は、何もサーファーの感動の言葉ではない。
わがアパデン宮崎の延岡の現場常駐者の○○は予約してるビジネスをキャンセルして波のいい小倉ヶ浜に宿を取り、ひたすらthe big waveを狙っている。
多忙を極める私は25日朝・午前4時に長崎に向かう。
島原を経て雲仙の地である。
1792年雲仙津波被害を背景に描いた映画「the big wave」が29日午後2時から雲仙メモリアル・ホールで上映される。
かのパール・バック女史が1792年の雲仙普賢岳被害を小説化した「the big wave」
1960年米国で上映されてるが日本ではほとんど上映されてない幻の映画である。
パール・バックは1927年雲仙に4ヶ月滞在。
大津波で家族や家を失った漁村の少年が友人らに見守られたくましき生きる姿を草稿した
彼女は1960年長崎普賢岳を訪れ久米弘也の写真に収まっておる。
伊丹十三やジュデー・オングが出演。
津波シーンは特撮の雄・円谷英二の担当
果たして映画の感想が書ける再訪ができるか明日のアポ状況であろう。
苦渋に満ちたる人間の生き様が描き出されるのか。
なお25日には釈迦苦行像が鎌倉五山第一位の建長寺に安置される。
あの名古屋博で展示されたパキスタン館の像である。
先の大地震の御礼をかねているのであろう。
五山は他に円覚寺・寿福寺・浄智寺・浄妙寺をいう。
ブログカウンターを上げるように書くならサザンの桑田の出身の鎌倉学園のの隣と書いたほうがいいのやも知れない。
いつだったか建長寺境内でサザンのライブが行われたのもその縁である。
初めて中国に禅を伝えた、達磨大師は520年天竺から中国に禅を伝えた
その弟子たる 蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)は、建長五年(1253年)鎌倉の地に一切密教色を廃した純粋な大禅苑をひらく。
二度の配流を被るなど幾多の苦難に見舞われた師の
その苦悩は西来庵に鎮座する頂相の碧眼の像であろう。
まさしく苦行の姿である。
六十六歳の生涯を示すのは宋から携えてきた柏槙(びゃくしん)の木で、樹齢750年の古木今も蒼々と緑翠の気を放っている建長寺の歴史の生き証人だ。
国宝のつり鐘の銘文に、「巨福山建長禅寺鐘銘」
にみえる?禅寺?の呼び方がわが国で最初の禅寺であることの証左である。
この像は2000年前のパキスタン北方のガンダーラに花開いた仏教芸術の粋である。
仏教の解く釈迦6年の断食の苦行の姿である。
午前、名古屋からの借り物は○○さんに手続きをしてもらう
MEDOのパネル下ろしの進捗を確認して、延岡からのお客さんやメーカー、諸県それぞれをこなし
13時の会議に参加するらめ12時の汽車で一路のべおかに向かう。
駅でお釣りを届けていただく爽やかさを経験。
偶然にも延岡の方であり、太陽光発電のお話ができた素敵な方々であった。
9月から取り掛かってる700坪の改装工事と10KWの太陽光発電は順調に進捗していた。
明日11時に発電開始である。
明日はUM○の太陽光発電工事もある。
三つの行事がどうなることやら。
木造の陸屋根の施工の宿題をあちこちの知恵を借り施工を決断。
4KWの太陽光発電を施工することを固めた。
どんな顔をしてることであろう。
苦行の日々がつづく。
その苦行はめぐみの力により昇天して果てた。

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