バクチ?参議院選挙
2007年6月12日子供は無邪気なもので何でも遊びに変える天才である。
早口言葉。
かえるぴょこぴょこ三ぴょこぴょこ合わせてぴょこぴょこ六ぴょこぴょこ
坊主が上手に屏風に坊主の絵を書いた
「簡単ダイ!」
ジャァ〜三回繰り返し
その屏風がたいそうな値段になりそうで国家が喜ぶ国宝級。
竹島が日本であるとの屏風がみっかったのだ。
江戸時代の竹島(韓国名・独島)を表す「松島」と現在の韓国・鬱陵島を示す「竹嶋」を描いた日本図、鬱陵島を日本領と同じ赤色で表記した世界図の二架の屏風が、松江市内で見つかった。
(当時は)※( )はせきやんが付けました。両島を日本領と認識していたことを示す資料とみられる。
屏風は、同市天神町の仏壇店・荒木文之助商店の蔵に保管されていた。大きさはともに高さ1・7メートル、幅3・8メートル。筆遣いが似ており、江戸時代後期の1836−41年に日本図と世界図を模写して作製されたとみられる。
日本図は表題の記載はないが、緯度の表記から水戸藩の地理学者・長久保赤水が1779年に製作した「改正日本輿地路程全図」を基に加筆・修正したとみられ、隠岐島の北西に「松島」「竹嶋」が描かれている。作製者は不明。
世界図は、イエズス会の宣教師マテオ・リッチが1602年に刊行した「坤輿(こんよ)万国全図」の記載がある。原本には「松島」「竹嶋」の記載はないが、屏風には隠岐島の北西に鬱陵島とみられる島が日本と同じ赤色で彩色されていた。
島根県の杉原隆・竹島研究顧問は「坤輿万国全図を模写した屏風は全国的に貴重」と評価した上で、「当時の松江では、現在の竹島と鬱陵島を地図で知っており、日本領と認識していたことがうかがえる」と分析した。
竹島周辺には海底ガス田が確認されているが商用化まではいたっていない。中国が掘り始めた尖閣列島までどうにも載ってないようでギター侍風に・・ザンネン!
狩野派絵師・永徳の屏風新発見「国宝級」と京都国立博物館
狩野永徳の洛外所遊楽図屏風=京都市東山区で報道陣に公開。
京都国立博物館は5日、狩野派最高峰の絵師で織田信長や豊臣秀吉に重用された狩野永徳(1543〜1590)が描いた屏風(びょうぶ)が新たに見つかった、と発表した。安土桃山時代を代表する画家ながら、永徳の作品は多くが消失しており、真筆と確認されているのは10点程度。鑑定した山本英男・同館保存修理指導室長は「国宝級の発見だ」としている。
見つかったのは「洛外名所遊楽図屏風」。
4曲1双で右隻、左隻それぞれ縦85.4センチ、横269.4センチ。京都の嵯峨、嵐山、宇治などを舞台に紅葉の下で酒宴に興じる武士や平等院に参詣する人々、農作業の様子などが鮮やかな色彩で詳細に描かれ、当時の風俗を伝えている。
狩野博幸・同志社大教授(日本近世絵画史)が同館に在籍していた05年夏、知人の情報で京都の古美術商を訪ね、見つけた。落款はないが、狩野教授は「絵に独特の格がある。(永徳作とされる国宝の)『洛中洛外図屏風』と筆遣いや絵の具の質が酷似しており、真筆に間違いない」と確信した。ただ当時は、古美術商の意向で発表を見合わせたという。
永徳は安土城、聚楽第、大坂城の障壁画などを描いたことで知られ、「四季花鳥図襖(ふすま)」「檜(ひのき)図屏風」などは国宝。
新発見の屏風は10月16日から11月18日まで同館で開かれる「狩野永徳」展で公開される。
(狩野派) 狩野正信を始祖とする日本絵画史上最大の流派。室町時代から江戸時代末までの約400年間を通じ、時の政権と結びつき、御用絵師として画界の主流となった。大和絵の技法を取り入れつつ、武家的な力強い装飾性を特徴とする。障壁画から扇面まで、多彩なジャンルの絵画制作にかかわった。永徳以外の主な絵師に、山楽、探幽、常信など。
高麗虎狩図屏風
島津久厚28代当主寄贈175センチ×384センチ二隻で一つながり
島津家お抱え絵師永井慶竺の作は都城美術館で展示されている。
これには竹島、尖閣列島は残念ながらない。
「安土城之図」の屏風見つからず。
16世紀に織田信長が狩野永徳に描かせ、天正遣欧使節がローマ法王グレゴリオ13世に献上した屏風(びょうぶ)絵「安土城之図」の手がかりを得るため派遣された滋賀県安土町の調査団(団長・若桑みどり千葉大学名誉教授)が9日、ローマで記者会見した。調査団は、1585年3月に献上された屏風が、その後少なくとも7年間はバチカン宮殿内の展示室「地図の画廊」に置かれていたことが確認されたと発表した。
今後屏風絵が発見されれば、築城から3年で焼失した安土城の姿を知る貴重な資料となる。
若桑団長によると、屏風が一時「地図の画廊」に置かれたことは、当時の古美術収集家が画廊を描いた素描で知られていた。今回の調査では、献上数日後の1585年3月30日に画廊に置かれていたことをバチカンの外交文書で確認。さらに古美術収集家の自筆書簡が見つかり、素描制作の日が1592年7月13日と特定された。
屏風は、バチカン宮殿の所蔵品について大規模な調査が行われた1750年には同画廊からなくなっていたことが確実。若桑団長は「素描以降、1630年代までに行われた2度の画廊修復工事で動かされた可能性が高い」と話した。
フランスのイエズス会士による1736年の文献に安土城の挿絵があることから屏風が外に持ち出された可能性も。現在もバチカンに残っているかどうかは不明という。
梅雨がなせるワザかなんか湿っぽくて面白くないブログで、これじゃぁカウンターも回らないが時局柄仕方ない。
農林族のドンと言われた松岡大臣の霊を祓わんがための雨乞いと書いてみたが今日もガンガン照り。続けるしかない。
気象庁は6/1から3日のみが悦に入ってた仕事冥利の期間。真っ青な予報官のマヌケッ面が見てみたい。
「どこが梅雨ナン!雨フルの?」
地球温暖化と松岡大臣の霊が相手では
そんジュそこらの神々でもお手上げであろう。
これジャァ天候と政治は宝くじを買ったほうがまだ確率が良かろう。
もっとも政治までが賭けでやられタンジャァ国民はたまらない。
2月・8月はニッパチ商売にならぬ!は商行為の符丁での挨拶言葉。
忌みが重なる2・8=28日は農政のドンも悪魔の叫びが聞こえたのか。
前日の27日、日本ダービーで「ウオッカ」の牝馬として64年ぶりの偉業を成しファンは歓喜した。
その的中馬券を手にした人は配当賞金はともかく今後のラッキーなる日々に満面笑みであったろう。
日本ダービーといえば聞こえはいいが所詮バクチ、上流階級のお遊びと日本での文化程度の位置。
歴代総理でも二人しか足を運んでいない。
当世クイズ風に問うてみたい。
「ヒント」
一人は誰でもわかるでしょう?
「・・・こ・・・イずみさん。・・?」
「ピンポ〜ン」
「やった!小泉さんナンだ!」
あと一人は・・・
「・・・・」
「降参!」
「岸信介」
そして三人目が安倍信三
昭恵夫人は牝馬だからと「ウオッカ」単賞!決め買い!すごい!
小泉が訪れたときに勝ったタニノギムレットの子でもある「うおっか」とはもちろんしらない。
つられて安倍総理も複勝で買い、見事に馬券を的中
吉兆である。
ただこの場にいない人がいた。
皇族と総理に招待状を出した人である。
松岡大臣は所管大臣として招待状を出し総理と皇族を迎える役割であったが急遽キャンセルして地元熊本にいた。
支持者の結婚式は妻が代理で勤め、実家により行きつけで散髪してマンションで過ごした。
総理を置いてのドタキャンも中々出来ない。
見事な絵に書いたような幕引き。
安倍周辺から発する死臭はどうにも終止が付かない。
参議院選挙はこれで決着!?
それが・・・わからぬ。
一寸先は闇である。
たった一日で委員会審議なしで強行採決の5年時効なしの年金法。国民はどう取るか。
すごいバクチだ。
事前運動期間は要らぬのがそのまんま知事選挙以来実証されている。それを知っててか。
宮崎の代議士・中山斉彬のご夫人中山恭子が立候補を決めた。
目玉候補である。自民何議席分かの票を得よう。
絵に書けない政治劇。子供にでも聞いてみようか。
早口言葉。
かえるぴょこぴょこ三ぴょこぴょこ合わせてぴょこぴょこ六ぴょこぴょこ
坊主が上手に屏風に坊主の絵を書いた
「簡単ダイ!」
ジャァ〜三回繰り返し
その屏風がたいそうな値段になりそうで国家が喜ぶ国宝級。
竹島が日本であるとの屏風がみっかったのだ。
江戸時代の竹島(韓国名・独島)を表す「松島」と現在の韓国・鬱陵島を示す「竹嶋」を描いた日本図、鬱陵島を日本領と同じ赤色で表記した世界図の二架の屏風が、松江市内で見つかった。
(当時は)※( )はせきやんが付けました。両島を日本領と認識していたことを示す資料とみられる。
屏風は、同市天神町の仏壇店・荒木文之助商店の蔵に保管されていた。大きさはともに高さ1・7メートル、幅3・8メートル。筆遣いが似ており、江戸時代後期の1836−41年に日本図と世界図を模写して作製されたとみられる。
日本図は表題の記載はないが、緯度の表記から水戸藩の地理学者・長久保赤水が1779年に製作した「改正日本輿地路程全図」を基に加筆・修正したとみられ、隠岐島の北西に「松島」「竹嶋」が描かれている。作製者は不明。
世界図は、イエズス会の宣教師マテオ・リッチが1602年に刊行した「坤輿(こんよ)万国全図」の記載がある。原本には「松島」「竹嶋」の記載はないが、屏風には隠岐島の北西に鬱陵島とみられる島が日本と同じ赤色で彩色されていた。
島根県の杉原隆・竹島研究顧問は「坤輿万国全図を模写した屏風は全国的に貴重」と評価した上で、「当時の松江では、現在の竹島と鬱陵島を地図で知っており、日本領と認識していたことがうかがえる」と分析した。
竹島周辺には海底ガス田が確認されているが商用化まではいたっていない。中国が掘り始めた尖閣列島までどうにも載ってないようでギター侍風に・・ザンネン!
狩野派絵師・永徳の屏風新発見「国宝級」と京都国立博物館
狩野永徳の洛外所遊楽図屏風=京都市東山区で報道陣に公開。
京都国立博物館は5日、狩野派最高峰の絵師で織田信長や豊臣秀吉に重用された狩野永徳(1543〜1590)が描いた屏風(びょうぶ)が新たに見つかった、と発表した。安土桃山時代を代表する画家ながら、永徳の作品は多くが消失しており、真筆と確認されているのは10点程度。鑑定した山本英男・同館保存修理指導室長は「国宝級の発見だ」としている。
見つかったのは「洛外名所遊楽図屏風」。
4曲1双で右隻、左隻それぞれ縦85.4センチ、横269.4センチ。京都の嵯峨、嵐山、宇治などを舞台に紅葉の下で酒宴に興じる武士や平等院に参詣する人々、農作業の様子などが鮮やかな色彩で詳細に描かれ、当時の風俗を伝えている。
狩野博幸・同志社大教授(日本近世絵画史)が同館に在籍していた05年夏、知人の情報で京都の古美術商を訪ね、見つけた。落款はないが、狩野教授は「絵に独特の格がある。(永徳作とされる国宝の)『洛中洛外図屏風』と筆遣いや絵の具の質が酷似しており、真筆に間違いない」と確信した。ただ当時は、古美術商の意向で発表を見合わせたという。
永徳は安土城、聚楽第、大坂城の障壁画などを描いたことで知られ、「四季花鳥図襖(ふすま)」「檜(ひのき)図屏風」などは国宝。
新発見の屏風は10月16日から11月18日まで同館で開かれる「狩野永徳」展で公開される。
(狩野派) 狩野正信を始祖とする日本絵画史上最大の流派。室町時代から江戸時代末までの約400年間を通じ、時の政権と結びつき、御用絵師として画界の主流となった。大和絵の技法を取り入れつつ、武家的な力強い装飾性を特徴とする。障壁画から扇面まで、多彩なジャンルの絵画制作にかかわった。永徳以外の主な絵師に、山楽、探幽、常信など。
高麗虎狩図屏風
島津久厚28代当主寄贈175センチ×384センチ二隻で一つながり
島津家お抱え絵師永井慶竺の作は都城美術館で展示されている。
これには竹島、尖閣列島は残念ながらない。
「安土城之図」の屏風見つからず。
16世紀に織田信長が狩野永徳に描かせ、天正遣欧使節がローマ法王グレゴリオ13世に献上した屏風(びょうぶ)絵「安土城之図」の手がかりを得るため派遣された滋賀県安土町の調査団(団長・若桑みどり千葉大学名誉教授)が9日、ローマで記者会見した。調査団は、1585年3月に献上された屏風が、その後少なくとも7年間はバチカン宮殿内の展示室「地図の画廊」に置かれていたことが確認されたと発表した。
今後屏風絵が発見されれば、築城から3年で焼失した安土城の姿を知る貴重な資料となる。
若桑団長によると、屏風が一時「地図の画廊」に置かれたことは、当時の古美術収集家が画廊を描いた素描で知られていた。今回の調査では、献上数日後の1585年3月30日に画廊に置かれていたことをバチカンの外交文書で確認。さらに古美術収集家の自筆書簡が見つかり、素描制作の日が1592年7月13日と特定された。
屏風は、バチカン宮殿の所蔵品について大規模な調査が行われた1750年には同画廊からなくなっていたことが確実。若桑団長は「素描以降、1630年代までに行われた2度の画廊修復工事で動かされた可能性が高い」と話した。
フランスのイエズス会士による1736年の文献に安土城の挿絵があることから屏風が外に持ち出された可能性も。現在もバチカンに残っているかどうかは不明という。
梅雨がなせるワザかなんか湿っぽくて面白くないブログで、これじゃぁカウンターも回らないが時局柄仕方ない。
農林族のドンと言われた松岡大臣の霊を祓わんがための雨乞いと書いてみたが今日もガンガン照り。続けるしかない。
気象庁は6/1から3日のみが悦に入ってた仕事冥利の期間。真っ青な予報官のマヌケッ面が見てみたい。
「どこが梅雨ナン!雨フルの?」
地球温暖化と松岡大臣の霊が相手では
そんジュそこらの神々でもお手上げであろう。
これジャァ天候と政治は宝くじを買ったほうがまだ確率が良かろう。
もっとも政治までが賭けでやられタンジャァ国民はたまらない。
2月・8月はニッパチ商売にならぬ!は商行為の符丁での挨拶言葉。
忌みが重なる2・8=28日は農政のドンも悪魔の叫びが聞こえたのか。
前日の27日、日本ダービーで「ウオッカ」の牝馬として64年ぶりの偉業を成しファンは歓喜した。
その的中馬券を手にした人は配当賞金はともかく今後のラッキーなる日々に満面笑みであったろう。
日本ダービーといえば聞こえはいいが所詮バクチ、上流階級のお遊びと日本での文化程度の位置。
歴代総理でも二人しか足を運んでいない。
当世クイズ風に問うてみたい。
「ヒント」
一人は誰でもわかるでしょう?
「・・・こ・・・イずみさん。・・?」
「ピンポ〜ン」
「やった!小泉さんナンだ!」
あと一人は・・・
「・・・・」
「降参!」
「岸信介」
そして三人目が安倍信三
昭恵夫人は牝馬だからと「ウオッカ」単賞!決め買い!すごい!
小泉が訪れたときに勝ったタニノギムレットの子でもある「うおっか」とはもちろんしらない。
つられて安倍総理も複勝で買い、見事に馬券を的中
吉兆である。
ただこの場にいない人がいた。
皇族と総理に招待状を出した人である。
松岡大臣は所管大臣として招待状を出し総理と皇族を迎える役割であったが急遽キャンセルして地元熊本にいた。
支持者の結婚式は妻が代理で勤め、実家により行きつけで散髪してマンションで過ごした。
総理を置いてのドタキャンも中々出来ない。
見事な絵に書いたような幕引き。
安倍周辺から発する死臭はどうにも終止が付かない。
参議院選挙はこれで決着!?
それが・・・わからぬ。
一寸先は闇である。
たった一日で委員会審議なしで強行採決の5年時効なしの年金法。国民はどう取るか。
すごいバクチだ。
事前運動期間は要らぬのがそのまんま知事選挙以来実証されている。それを知っててか。
宮崎の代議士・中山斉彬のご夫人中山恭子が立候補を決めた。
目玉候補である。自民何議席分かの票を得よう。
絵に書けない政治劇。子供にでも聞いてみようか。