人生50年

2007年6月25日
「50周年」になるらしい。
6月25日は1957年に旗揚げしたコカ・コーラの50周年で全国紙全面広告。
読売17面には懐かしきあの形が何百本あるんであろう。

そして色違いでビンで「50」が浮かび上がってくる仕掛け。
こうなったら遊び文化の奥が深き文化の国ゆえ何かあると感ずるのはせきやんのみであろうか。

新聞一面横一列は37本。それがたてに15段。フムフム何も隠されてない?。
アッ!
37×15=555本。ハハ〜ン?

浮き出てる「50」の「0」の右を数えると「50」本で構成されている!
さすればと左の「5」も当然・・
ところが「49」本
なぜ?

「5」を分析してみると
横に12。
縦に3。
横12.
縦に3
縦に3
縦に3
縦に3・・「5」の右はね部分
下が10.よって合計「49」本である。

「11」ならちょうど50本。
「10」でなく「11」にすればちょうど50本
それも上からの3段の一番右を支える1本である。
これがないため「49」で不安定。
広報に聞くも担当者不在。
どうせ電通などに丸投げなんだろうが。

この怪しき飲み物。
ビンの形は米国一のグラマーをモデルとして作られた。
世界にコカとコーラの配合比を知ってるものはいないと神秘性を煽った新書版があったもんだ。
保存倉庫のコンクリートが溶けている。
これも販売戦略であったのか。

売れなくなりつつある芸能人がヒョッコリ話題性を掻っ攫う類である。
森昌子復帰にシナリオがあったというなら都はるみの復帰が芳しくないからの教訓であったんであろうか。

賞味期限はいずれにしろ、話題性を巻き起こす。
ミート社と騒ぐが四国時代の田中稔社長をしってれば話題性はナイハズ。
「チャンス品」なる隠語さえ流通を含めた業界にあることを明かす足掻きは修羅の世界。
ブラジル産鶏肉を国産といわれても難しかろう。混入どころではない。
加ト吉どころか味の素ニチロなど業界全体。今日に社会事情からして実態はもっと広がろう。

梅雨時期、賞味期限は難しい。
葡萄のピレーネをハツモンゆえ東を向いて笑って食した。
798円が何枚も値札が張ってあり320円となっている。
キャンベル以外食べないものが手にできた訳だ。
無断に近い試食の味に寥愁が会ったからでもある。

値段が高級種の巨砲などは受け付けない。
葡萄は皮を剥きながら丁寧に食べるものではないが持論。

キャンベルの房を手にぶら下げイタリア男よろしく猛烈に口づけ、
吸塵力バツグンのどこかの掃除機のCMのごときものの見事に。
口の中に運ぶさまは神業。
5房は平らげられる。

貴賓ある人間が食への畏敬で食してるさまではなかろう。
この卑しき生命力維持、行動に転化する前のさまは案外単純なさまで決まるもの。
葡萄はスイカやトマトなどの野菜類的果物とは違う。

狩猟民族の果物の始まりは案外葡萄ジャァないか。。
収穫しやすく同じ木の実の、リンゴ、ナシなどではなかった。

皮と果肉が簡単に分離し野生的感触。
口に飛び込んで入ってくる。
皮のほうはもう一度吸い付くと、最後とばかり違う味が入ってくる

ベリーAとか他の品種は二度楽しめるこの楽しみがない。
味も甘くとろくスッパサは原始的山のみの感じを残す。
造形された洗練されたものは上品すぎ、山の恵みの葡萄ではない。!
丁寧に皮を剥いて巨砲を食べる葡萄ってどうだろう。

食べるときの連続性。
元は山の「ガラミ=山葡萄しか、そう量的になかった。

これなんぞは1房ごと口に入れほおばる。
20〜30粒を一口だ。
ザマーミロ。
葡萄ってェ〜のは上品に食ってるものではない。

誰も見てなければもっと楽しみがある。
ただし下劣で人様がいないのが前提、人権を疑われる。
ペッ!と皮タネを飛ばす楽しさ。
口当たりのキャンベルしか食しない。
値段も安くこれはうまい。

これに畑作民族の食した交流の中で加わってきた。
キウイ、マンゴーなどは私どもの年代には幼きころの食経験の記憶がない。

太陽の卵なるネーミングはピーマンで培ってきたハウス栽培経験からのことであろう。
栽培技術の高付加価値転換がうまくいった事例であろう。

農業人口は42,7パーセントが70パーセント以上。
15年間で23,8パーセントも上昇した。
60年代GDPの9パーセントをしめていたのが05年では1パーセント。

高関税で農業経営を守っている。
どこの国も作物価格保障である。
選挙の争点でもある。

昨日の34度の暑さが戻っている。
久々昨夜のみ限定の雨。
昨夜豪雨が雷とともに襲ってたのはウソみたいである。

ミッション系とマンショ著作者、公立大蔵書に寄贈されてるかっての短大があったゆえ、高校の日向学院を訪ねる。
思いもしない有難さ偶然。

司書の方がご丁寧に8月にマンショの発表をなさる先生をご紹介していただける。しばしの会話。
松田毅一京大教授からと若桑みどり先生からの著作を紹介うく。
ナなんと調べてきた狙いはピッタシ当たっていた。

責任者の方はかって知ったる尊敬する大先輩ではないか。
もう皆さん現役から第二の人生。
早いもんである。
恥ずかしくて向きようがなかったが暖かくお声をかけていただいた実に有難い。かのことは何もお話しなかった。

マザーテレサの肖像画と言葉。
人生でつらいのは世の中に役立たないといわれたときである。

宮大5名、山口大に1人、わが子供らの進学をここで垣間見た。
ようがんばってたジャン!子供ら。

漂白のマンショ調査に50年遅れて始めている。
遅すぎた失いたる50年。
嗚呼!
人生50年下天のうちにク比ぶれば夢幻のごとくなり。

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