極めつけ。

2007年10月3日
逆転のサヨナラをラジオで聞いた。
ホ−ムランで3−3で追いつき最終回ツーアウト満塁。
清水のいぶし銀、阿部の執念ホームへの疾走。
今年を象徴するスリリングナ試合の集大成。
愛読させていただいてるフィオナさんに総評を聞いてみたい。
02年以来だったか常勝ジャイアンツの5年ぶりの優勝である。

江川卓の監督就任もこれで流れてしまった。
バブル期を生きた世相の被害者は桑田を含め蘇ることができない

ドームの外は雨であったんであろうか。
ドーム球場は雨が降ってその効果を遺憾なく発揮する訳で雨を呼んでるのかもしれない。

ジャイアンツの春秋のキャンプ地は宮崎が引き受けている。
それが奇怪なるジンクスがある。
ジャイアンツが来ると不思議と雨が降る。
「ああ雨じゃ。そういえば昨日ジャイアンツの宮崎入りじゃッた〜」
まことしやかに語られるジャイアンツは生活とともにある宮崎人の共通認識。
ジャイアンツは宮崎では雨男。雨にかかるまくらことば??

ビッグエッグとはよくなずけたもの。
赤と白の鉄の造詣が東京タワーのことばでコトコトと心の蔵が動き出し、命が蘇った如しだ。

その東京ドームが完成したのは1988年3月。
こけら落としのイベントはなんでありました覚えてます?
さらにその日の天候は。

そうです。プロボクシング世界ヘビー級チャンピオン、マイク・タイソンの防衛戦
試合はタイソンが二回2分54秒、期待どうりのKOで勝ちで挑戦者の野望を退けた
その日、東京地方の天候は雨。

最初のプロ野球公式戦は4月8日。
この日も関東地方は未明から季節外れの大雪。

西武球場の開幕戦が早々と中止を決めた中、東京ドームでは予定通りセ・パ両リーグの開幕戦2
試合をダブルヘッダーで行った。

全天候型のドーム球場ならではの威力をいきなり発揮した
タイガースの8連勝、の後の連敗。
落合ドラゴンもマジック6を横浜と逆転負け。さらに広島で勝ち試合を逆転負け。
点灯したマジックを消しての自滅。
原との陰謀ではないのかさえ思えるつまらぬ自滅でしかなかった。

野球はなずけ親の根津で落命した俳句大成者松山の人・子規ゆえかアメリンカンドリームの華やかさはより試合の厳しさの敗者の色合いを濃く持つように感じる。

発祥の国の華やかさからそれでもやはり憧れのスポーツ。
漂泊という言葉には、どこかしら自由に通じるあこがれのような響きがある。

 定住する土地を持たず、船をねぐらに漁をするという漂泊民は家船(え)。日本にもいた。

民俗学の泰斗、谷川健一が「甦る海上の道・日本と琉球」(文春新書)の中で触れている。

谷川は九州大でのシンポジウムで「家船は、博多を起点とし、八重山諸島を終点とする南島貿易の主役だった」
と持論を展開した。
 
漂泊民といえば、虚実ないまぜに語られるサンカが知られる。
だが、昭和を前に姿を消したと言われるサンカに対し、谷川が家船の拠点の一つだった広島県で「最後の家船に会った」としているのは99年。
わずか10年前まで、日本に漂泊民がいたということに驚いた。

 サンカが今なお多くの人の関心を集める理由の一つは、現代人が漂泊民に対し、管理社会を生きる自分たちにない自由さを見るからだろう。
最後の家船がどうなったか、は記してない。

原続投では視聴率も人気も取れない。
またもや野球界の危機。
長島父子がサッカーにのされ崩壊寸前を救った救世主のナイトの役がいない。

ここはナベツネが蛮勇を奮ってワルになって原の首にヒモを鈴をつけてほしい。
花道勇退論はこの監督業の世界には存在しないから不思議である。
「しんじら〜〜れない!」は後期優勝をしてアメリカに帰るが
どうにも家庭のためではじめに退陣ありきであったゆえそうではない。

シマタイゾの二回目アイアイではじまったラジオ深夜便リスナンーもホトホト疲れてのラジオ深夜便明け。
越地吹雪のラジオコンサートによった。

本名コウノミエコゆえの「コ〜〜チャ〜ん」であったのだ。
プラチナチケットゆえではない。
LPレコードで十分であったのでコンサート会場にその舞台に接することはないままであった

作詞の人は、付き人を無報酬でやった岩谷時子
夫たるナイトウツネミの誰もいない海
別離はサザナみケンジ。
1980年56歳で逝った。27年も過ぎてる早いもんである。

宇都宮大のマエダヤスヒコの二夜にわたる漬物論の微生物にかかわるお話は実に爽やかであった。
梅干はシソを入れての利用は日本食そのもの。
中国台湾の梅干もどきはミッセンでシソの利用がない果肉利用だけ。
梅はクエン酸効果で元気が出るがテーマとして体との研究はなされてない。
枝葉末節の方向に研究テーマが流れてはいないか。

やまよりのひは金色の今年米

3日、今日の誕生花は「アシタバ」
花言葉=旺盛な活動力
摘んでもつんでも出てくる

薬草効果は乳牛に与えると乳量が増ることでもわかっている。
元気があれば何とか成る。

ダイアナ妃の審理が叉始まる英国。
いまさら何を真実を審理するのか。の声もあるらしい。
この世の真理はときの心理。
とりわけ裁判なる真理追及の場である。
何一つ真理は法廷では裁かれていない。
裁判とはすべからくそういうものである。
審理が暴かれたためしが一つもない。
ゆえに映画の審理が名画になるのであろう。

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