秋冷
2007年10月17日10月は神無月。横暴が横行徘徊するのはやむ得ぬことか。
ここには近頃のわかものは・・の爺の悩みが存在する架空空間の匿名空間。
天孫降臨の地は鹿児島説と宮崎高千穂説と二分している。
昭和15年皇紀2600年のとき国学関係のすべての学者がそれぞおれ総動員され論争があった。
先年は梅原猛が古代史を歩くの著書で日向を中心とした説に軍配をあげておられる。
いまはほぼ国民の総意、鹿児島を神話の国とは呼ばず、日向宮崎は神話の国なんである。
時の人東国原知事もその財産を見逃さず、盛んにPRしている。
ここまで高学歴知識偏重社会になると時流に乗ってるのかもしれない。
どの民族も国つくりの荒唐無稽のロマンをもつ。
月に人類が立ち歩こうとも「そんな〜」と非科学的作り話を一顧だにせず歩織り出さない不思議さ。
それも歴史を紐解けば歴史はすべて為政者の歴史と知ってのこと。
日本誕生の歴史も島津藩の力の前に歪められている。
沖縄の教科書記述の沖縄戦の実情の捏造どこではない。
このブログ鹿児島の人いたっけ?独断でスミマセン。
明治期の内務卿大久保の裁断の通達で鹿児島に記紀=古事記日本書紀の聖地は決められた。
それでも、民衆の間には根づきはしなかった。
昭和15年の紀元2600年国学者関係の学者はこぞって日向鹿児島を訪れ両陣営に分かれ論争した。
象徴するモミュメントは日向の地にある事が悠然と記紀の結論を示している。
八紘一宇の塔である。
その荘厳さは現地で見ざるして理解は不可能である。
GHQ占領時代も崩壊の危険を乗り越えたのも神の国の業がなしえた逸話が幾つも残る。
この塔に生命を賭したのか史家・三喬たかしは先々月逝った。
東京オリンピック聖火リレーの国内出発地点の基地に選定されたのはこの八紘一宇の塔のある八紘台。
歴史を大事にする国にふさわしき威厳差を保ってた品格のある国の時期でもあった。
いまはブログ文化なるものが席巻している。
チョットのミスを見つけ大意を読まずしてそこをあげつらう。
変換ミスとか趣意を捻じ曲げて焦点をそこに当ててくる。
初めから勝ってるカラクリがそこにある。
ジャンケンのあとだし。
仲間も単純なる勝者を称えるので一躍小市民的その場の英雄の出現である。
それに悦にいってるブロガー。笑止!
この人たち限ってブログを占拠して市民意識を誘導しようとの為政者の策謀などは追及しきれない。
一つ一つ丁寧に週刊誌記事などを拾い集める努力は怠っている嫌いがある。
亀田三兄弟の三番目は果たして一番強いのか。
いまのところせきやんのみ一人認めない。
週間誌記事によると外国遠征4連勝もウソのTBSも含めた捏造である。
正確には6戦4勝2敗である。
2敗はいずれも主審がリングで両者の手をもち、高々と亀田家三男坊で無いほうに勝者としている。
ではなぜ敗戦が記録されない。?いや正確には知らされない?
そこからが亀田流。
無効試合を申し入れる。正確には敗戦でなく審議中である。
後にも先にもそれで判定が覆った事例は無い。
無効試合ともある。
後にも先にも無効試合は無い。
取材人はTBS以外は細かく入場の際もチェック。TBSのみが正確な現地情報。
試合内容は入場者とビデオが知る。オット!神様を忘れていた。
観戦してた日本人手記も週刊誌に記事にあるが件のブロガーは所詮週刊誌記事と採用されないであろう。
ではTBS撮影のそのビデオを出せば明らかなのに出ない。
権力とは何も為政者が行使するののみを言うのではない。
マスコミは第三の権力。それが亀田家についている。
三男坊も強くない。
こう主張するのはせきやんである。
ただ、努力を重ねていけばの前提抜きで現在である。
16歳と限りなき前途がある。
若さに優る財産はこの世に無い。
玉磨かざればひかりをなさず。
栄光は報道関係者が作り出すものではない。
特にボクシングにはアメリカン・ドリームの体現者のスポーツ競技としての
夢が一番はらんでいる。
庶民は明日のジョーやはじめの1歩で自分の姿を乗り映すしかない。
なぜか。
ボクシングに3回戦ボーイと揶揄する言葉がある
庶民がマットに登ってみるがいい。
あの単純に右左の動作、ワンツー・ワンツー。
一回も持たない。
ボクシングのシンプルな規則でさえその基本動作を一ラウンドもてる人は庶民の中にはいない。
それにけり技や投げ技がくっついたらどれほど過激なルールであろう。
K-1などがスポーツと呼べる世界の共通認識をその象徴たるオリンピック競技の認定協議の承認を得るはずが無い。
過激すぎるのである。
見てる部分はいい。
スポーツはやってこそスポーツで観戦のみのスポーツは歪である。
人物は西郷隆盛に尽きる。
菅原道真も源義経も南方熊楠さえも睥睨させよう。
敬天愛人の生き様が日本人にあう。
清濁併せ呑むおおらかさが右翼左翼から日本人の原点とされてるところである。
頭山満、北一輝、赤報隊相良総三、宮崎淫天、四元義隆、児玉誉士夫、鈴木邦男、安岡正篤、重信房子、土井たか子・・志し高き人に四つもある南州神社を奉じない人はいない。
戊辰戦争敗者の大将榎本武揚さえ明治政府の要人にむかえいれ、酔っ払いさえ封印した人物主義。
戦後60年代多くの学生青年はこの国の将来を政治行動に託し自分も国会周辺に身を置いたものだ、
北小路敏、盲目の黒田寛一らの初期ブンドは前衛党まで昇華してしまった。浅間山荘の悲劇は日本の民主主義の悲劇であった。
公園付近のおバアさんが裁判で勝つ可笑しき国家。
ションベン小僧は小市民的退廃民主主義を喝破し感心している。
サピオ小林よしのり風のご意見は共感を得よう。
新しき文化の創造期たるブログ文化の欠けてるもの。
ブロガーはやさしくあれ!である。
匿名性も有り日本人が試されている。
ルソン島北部のマヨヤオにはイフガオ族が祖先のスタイルで暮らす。
山間の山村集落は市内の火葬施設が遅れ、庶民は極めて緊縮生活を強いられていた。
集落内の共同体的労働貯蓄のかてり、もえの助け合い制度を利用して土葬で葬儀は営まれた。
墓地は隔週日曜日子供会の義務的清掃行事実践の場。
ただ6月梅雨時期は棺おけが腐り、地面が崩落崩れ落ちる。
「ひぇ〜」
白い着物に頭に白き三角を巻いた何ヶ月前のお葬式があった
・・・ばあちゃんじいちゃんのよみがえり。
何度か地中の仏様を見たことがある。
明治の人・岩雄の義理の弟はルソン島北部で戦死してるが山奥の地であったんであろうか。
木鋤のみで谷あいに生活の基本の食の基地たる田んぼを作り上げた。
懸樋が棚田の上段の田に引かれ作物の命の水が導入された。
1万7千人が高床式に戸いた壁板。
原始的ではあっても野蛮でない。
壁板、敷板は磨ききって光っている。
日本の30年代の現風景がある。
かってどの家も板の部分はとりわけ大黒柱は黒光していた。
縁側の板縁は米ぬか入り雑巾の乾拭きでどこのおうちもピッカピカ。
縁側は南東の利用場所は季節に合わせて変われど道の通りからも見える社交場。
夕方はお茶は焼酎に変わり急ごしらえのお酒場状態。
テレビ文化が入り込んで日常の集落の生活は都会化ナイズ。
金太郎飴状態の全国津々浦々の生活環境を文化、先進国。
脱亜入欧は石の建物を除けば本家を凌ぐ木造一戸建ての形で実現している。
我他人にかかわりあわず。非難はあれど、向こう三件両隣の生活は消えた。
ガラスサッシの外気と遮断された内外が区切られた気密性の高い大気の密室、
化学壁材に覆われ衛生的共同給排水、冷暖房完備の西欧的文化の住環境に変化した生活環境。
それを文化と呼べるのか。
介護保険が運営に困っているのは過去に学ばないからだ。
PC文化もそうである。
パソコンの利用にウィキペデアから学ぶものがらの便利さを感じていよう。
歴史はなく、つい先年の01年に英語版がでて、今では250以上の言語を1400万人が利用している。
700万人は日本語利用者.
200万個語句の英語版。
40万の日本語版。
これを最高の字句を収めたブルタニカでさえ6万5000項目、32巻。
途方もないウィキペデアである。
アカウントと利用者名
非ログイン
アイデインティファイルだけで編集をおこなう。
6割がIPアドレス
衆遇化・・匿名言論集合知が生まれていく
ネットの理念崩壊を憂慮する
WEV2・0も諸刃の剣がある好例
論理的批判官僚が参加すること
情報疎さと
公平な書き込みは紙一重
孝平でで客観的が要件
正義の反対は悪でなく叉別な正義
クレヨン新ちゃんでさえわかっている。
けしからんと嘲笑してて住む問題でない
貿易相手国さえ変化してるこの国。
1990年
米国31,9
台湾7,6
豪州6,9
中国6,6
タイ5,3
06年
米国22,2
中国18,3
豪州9,2
タイ5,5
カナダ4,6
85年於プラザ合意が全ての出発点。
ここからが生きてるものの歴史である。
ドル安円高
強い円海外生産拠点
開発輸入の
大手スーパー
国内や品薄乱高下
シイタケネギさえ周年か
セフティーガイド
孤食化の核家族
昼食簡単手参らずホウレンソウの残留農薬02年冷凍
枝豆
農薬魔法の薬
バケツ素足青い粉
中国人は食べない。
ブーメラン現象自分がまいた種
冷凍野菜は喜寿がない。
基地サラリーマン
軍事石油食料74年のCIA戦略
人口食料、異常気候傾向の潜在的意味
安岡正篤陽明学の権威の警告
「連邦議会決議!」
ええっ!また・・なにが・・
被害者意識さらには自虐史観とかのことばもあるこのごろ。
日本人はあらゆるところで自信を失いかけている。
ほんの数ヶ月前に「慰安婦の問題を決議」され右往左往してた日本の政治ゆえなおさらだ・
一体何が、
あっ!お客さん・・
ここには近頃のわかものは・・の爺の悩みが存在する架空空間の匿名空間。
天孫降臨の地は鹿児島説と宮崎高千穂説と二分している。
昭和15年皇紀2600年のとき国学関係のすべての学者がそれぞおれ総動員され論争があった。
先年は梅原猛が古代史を歩くの著書で日向を中心とした説に軍配をあげておられる。
いまはほぼ国民の総意、鹿児島を神話の国とは呼ばず、日向宮崎は神話の国なんである。
時の人東国原知事もその財産を見逃さず、盛んにPRしている。
ここまで高学歴知識偏重社会になると時流に乗ってるのかもしれない。
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月に人類が立ち歩こうとも「そんな〜」と非科学的作り話を一顧だにせず歩織り出さない不思議さ。
それも歴史を紐解けば歴史はすべて為政者の歴史と知ってのこと。
日本誕生の歴史も島津藩の力の前に歪められている。
沖縄の教科書記述の沖縄戦の実情の捏造どこではない。
このブログ鹿児島の人いたっけ?独断でスミマセン。
明治期の内務卿大久保の裁断の通達で鹿児島に記紀=古事記日本書紀の聖地は決められた。
それでも、民衆の間には根づきはしなかった。
昭和15年の紀元2600年国学者関係の学者はこぞって日向鹿児島を訪れ両陣営に分かれ論争した。
象徴するモミュメントは日向の地にある事が悠然と記紀の結論を示している。
八紘一宇の塔である。
その荘厳さは現地で見ざるして理解は不可能である。
GHQ占領時代も崩壊の危険を乗り越えたのも神の国の業がなしえた逸話が幾つも残る。
この塔に生命を賭したのか史家・三喬たかしは先々月逝った。
東京オリンピック聖火リレーの国内出発地点の基地に選定されたのはこの八紘一宇の塔のある八紘台。
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いまはブログ文化なるものが席巻している。
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仲間も単純なる勝者を称えるので一躍小市民的その場の英雄の出現である。
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亀田三兄弟の三番目は果たして一番強いのか。
いまのところせきやんのみ一人認めない。
週間誌記事によると外国遠征4連勝もウソのTBSも含めた捏造である。
正確には6戦4勝2敗である。
2敗はいずれも主審がリングで両者の手をもち、高々と亀田家三男坊で無いほうに勝者としている。
ではなぜ敗戦が記録されない。?いや正確には知らされない?
そこからが亀田流。
無効試合を申し入れる。正確には敗戦でなく審議中である。
後にも先にもそれで判定が覆った事例は無い。
無効試合ともある。
後にも先にも無効試合は無い。
取材人はTBS以外は細かく入場の際もチェック。TBSのみが正確な現地情報。
試合内容は入場者とビデオが知る。オット!神様を忘れていた。
観戦してた日本人手記も週刊誌に記事にあるが件のブロガーは所詮週刊誌記事と採用されないであろう。
ではTBS撮影のそのビデオを出せば明らかなのに出ない。
権力とは何も為政者が行使するののみを言うのではない。
マスコミは第三の権力。それが亀田家についている。
三男坊も強くない。
こう主張するのはせきやんである。
ただ、努力を重ねていけばの前提抜きで現在である。
16歳と限りなき前途がある。
若さに優る財産はこの世に無い。
玉磨かざればひかりをなさず。
栄光は報道関係者が作り出すものではない。
特にボクシングにはアメリカン・ドリームの体現者のスポーツ競技としての
夢が一番はらんでいる。
庶民は明日のジョーやはじめの1歩で自分の姿を乗り映すしかない。
なぜか。
ボクシングに3回戦ボーイと揶揄する言葉がある
庶民がマットに登ってみるがいい。
あの単純に右左の動作、ワンツー・ワンツー。
一回も持たない。
ボクシングのシンプルな規則でさえその基本動作を一ラウンドもてる人は庶民の中にはいない。
それにけり技や投げ技がくっついたらどれほど過激なルールであろう。
K-1などがスポーツと呼べる世界の共通認識をその象徴たるオリンピック競技の認定協議の承認を得るはずが無い。
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見てる部分はいい。
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人物は西郷隆盛に尽きる。
菅原道真も源義経も南方熊楠さえも睥睨させよう。
敬天愛人の生き様が日本人にあう。
清濁併せ呑むおおらかさが右翼左翼から日本人の原点とされてるところである。
頭山満、北一輝、赤報隊相良総三、宮崎淫天、四元義隆、児玉誉士夫、鈴木邦男、安岡正篤、重信房子、土井たか子・・志し高き人に四つもある南州神社を奉じない人はいない。
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北小路敏、盲目の黒田寛一らの初期ブンドは前衛党まで昇華してしまった。浅間山荘の悲劇は日本の民主主義の悲劇であった。
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ションベン小僧は小市民的退廃民主主義を喝破し感心している。
サピオ小林よしのり風のご意見は共感を得よう。
新しき文化の創造期たるブログ文化の欠けてるもの。
ブロガーはやさしくあれ!である。
匿名性も有り日本人が試されている。
ルソン島北部のマヨヤオにはイフガオ族が祖先のスタイルで暮らす。
山間の山村集落は市内の火葬施設が遅れ、庶民は極めて緊縮生活を強いられていた。
集落内の共同体的労働貯蓄のかてり、もえの助け合い制度を利用して土葬で葬儀は営まれた。
墓地は隔週日曜日子供会の義務的清掃行事実践の場。
ただ6月梅雨時期は棺おけが腐り、地面が崩落崩れ落ちる。
「ひぇ〜」
白い着物に頭に白き三角を巻いた何ヶ月前のお葬式があった
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何度か地中の仏様を見たことがある。
明治の人・岩雄の義理の弟はルソン島北部で戦死してるが山奥の地であったんであろうか。
木鋤のみで谷あいに生活の基本の食の基地たる田んぼを作り上げた。
懸樋が棚田の上段の田に引かれ作物の命の水が導入された。
1万7千人が高床式に戸いた壁板。
原始的ではあっても野蛮でない。
壁板、敷板は磨ききって光っている。
日本の30年代の現風景がある。
かってどの家も板の部分はとりわけ大黒柱は黒光していた。
縁側の板縁は米ぬか入り雑巾の乾拭きでどこのおうちもピッカピカ。
縁側は南東の利用場所は季節に合わせて変われど道の通りからも見える社交場。
夕方はお茶は焼酎に変わり急ごしらえのお酒場状態。
テレビ文化が入り込んで日常の集落の生活は都会化ナイズ。
金太郎飴状態の全国津々浦々の生活環境を文化、先進国。
脱亜入欧は石の建物を除けば本家を凌ぐ木造一戸建ての形で実現している。
我他人にかかわりあわず。非難はあれど、向こう三件両隣の生活は消えた。
ガラスサッシの外気と遮断された内外が区切られた気密性の高い大気の密室、
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歴史はなく、つい先年の01年に英語版がでて、今では250以上の言語を1400万人が利用している。
700万人は日本語利用者.
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40万の日本語版。
これを最高の字句を収めたブルタニカでさえ6万5000項目、32巻。
途方もないウィキペデアである。
アカウントと利用者名
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衆遇化・・匿名言論集合知が生まれていく
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正義の反対は悪でなく叉別な正義
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けしからんと嘲笑してて住む問題でない
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1990年
米国31,9
台湾7,6
豪州6,9
中国6,6
タイ5,3
06年
米国22,2
中国18,3
豪州9,2
タイ5,5
カナダ4,6
85年於プラザ合意が全ての出発点。
ここからが生きてるものの歴史である。
ドル安円高
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枝豆
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バケツ素足青い粉
中国人は食べない。
ブーメラン現象自分がまいた種
冷凍野菜は喜寿がない。
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安岡正篤陽明学の権威の警告
「連邦議会決議!」
ええっ!また・・なにが・・
被害者意識さらには自虐史観とかのことばもあるこのごろ。
日本人はあらゆるところで自信を失いかけている。
ほんの数ヶ月前に「慰安婦の問題を決議」され右往左往してた日本の政治ゆえなおさらだ・
一体何が、
あっ!お客さん・・