さぁ〜残り僅か

2007年10月1日
月が変わり過ぎ去った悲喜交々の日々、残り四分の一の3ヶ月のラストスパート。
この期間の変化は日増しに厳しくなるがとりわけ今年は残暑が長いのでその変化がひどかろう。
よって自然の恵みたる旬の食材の食欲の秋を楽しむ期間も短かろう。

10月1日の誕生日の花はマツムシソウ。
かって野山にあったこの草は園芸店か、種から育てるしかない二年草。
淡い紫の花をつける。
花が落ちた後の形が修行僧の持ってる松鐘に似てるのでこの由来の名がついたとの説もある。
花言葉はその風情さから、けなげ。
このような人探すには砂の中の砂金を捜すようなもの。
この草同様いまでは危機絶滅種

通年なら風情を楽しめる一番の季節だがもう年末である。
制服も冬服への衣替えの季節。
赤い羽根の街頭募金さえ始まる。
何も郵政民営化の初日と騒ぐ痛恨の日々の始まりの日ではない。

   教え子の赤き羽なり重ねさす。。

北海道帯広十勝・池田町では自然環境が厳しい。氷点下30度夏は32度
ブドウ栽培は難しい斜めに植える枝を土に埋める。でないと枯れる。
気温が高く雨が少ない一年であったのでいいワインができるようである。
今週の週末7日のワイン祭り行ってみたいものだ。
牛肉3頭分12時間かけて焼いた牛肉にタップリの新種。

東京は気温の前日との差が12度も会ったらしい。
スペインが16度で丁度、雨の寒き東京と同じ温度だったようだ。

食材たる主食をかってのポルトガルは栗に求めたらしい。
昨日ののラジオゆえ調べてるかいたことではない

ブログから転載させていただき記録に留めると次のとおりである。
    ポルトガルを語るには三つの大都市リスボン、ホルト、コインブラを知れば事足りる。
    世界支配者として君臨してた422年前の天正遣欧使節の頃と何ら変わりないと乱暴に決め付ける。
    せきやん未開の地ゆえに地球の歩き方でである。
    敬愛する研究者の先生はそのご評価を受けられたし、この地での報告もでている。
    天正遣欧少年使節の記念碑など足跡一つなかったようだ。
    内向きでない視野を教えていただいている。実に感謝。

    コインブラは、政治のリスボン、商工業のポルトに次ぐポルトガル第3の都市で、学問都市である。
    モンデゴ川を眼前にしたアルカソバ丘に、コインブラ大学を中心にして形成された風光絶景の町である。
    行っても無いのによう書けたもんだ。
    先月行かれたばかりの先生の言葉で解かるとチョウ強き。
 
1290年ディニス王によって創立されたコインブラ大学はポルトガル最古の大学。
1911年リスボン大学がにできるまでは、ポルトガル唯一の大学。

1537年にジョアン3世がコインブラの宮殿内に設置しリスボンとか何度かの移転の変遷に決着。
    学生たちは黒いマントをはおりコインブラ・ファドは男子によってのみ歌われる。
    時計塔、中央のラテン回廊。ラテン語を話すことを義務づけられていたらしい。

1998年11月、尾原悟著『ザビエル』(清水書院:人と思想156,)、
    新カテドラルには、日本人最初の留学ベルナルドが葬られている。
    フランシスコ・ザビエルから洗礼を受け「ベルナルド」という洗礼名は与えられた。
    終始ザビエルと行動をともにした。
1551年ザビエルが日本を去るにも同行しインドに向った。
    そこで、ザビエルと別れ、ヨーロッパへと向かう。

1553年日本人初のイエズス会士「ベルナルド」がリスボンで誕生する。
1554年ローマに向かいイエズス会創立者、イグナチオ・デ・ロヨラに会う。
1557年ポルトガルに戻りコインブラのコレジオで学ぶなかの病没は惜しまれる。。 
 
     新カテドラルは約100年かかって完全に完成。、
1585年12月にコインブラを訪れた天正遣欧使節の一行は、完成間際の建物を目にしたはずだ。
     ベルナルドの遺体は、新カテドラルが完成するまではどこにあったんであろう。
     28年前に客死したベルナルドという先輩とどう向き合ったんであろうか。
     対面についての記録は、何も残っていない。

     旧カテドラルはロマネスク様式。主要工事は1140年から1175年にかけて、
     初代ポルトガル王アルフォンソ・エンリケスの命により建立。
1249年にアルフォンソ3世のポルトガル、レコンキスター国土回復戦争が終結まで要塞としての機能も果たした。
     建物のトップをみるとよくわかる。
     
1585年12月天正遣欧使節はコインブラを訪れた
    その翌々日の降誕祭には、大司教座聖堂で司教ミサを受け、キリスト生誕劇を見た。
    その建物は旧カテドラルだろう。
    また、イエズス会の聖堂でロヨラ修道士が日本語で説教をした。

1585年11月、再びリスボンに戻ってきた 使節一行は、ローマ教皇をはじめ諸侯との謁見を終え、。
    しかしインドへ向かう航海の予定が翌年3月ということになった。
    以下、『デ・サンデ天正遣欧使節記』(雄松堂出版:新異国叢書5,1969年9月)
    の千々石ミゲルの発言という設定になっているコインブラ行きの経緯をのぞいてみよう。

 われわれのリスボン滞在がこんなに長く延ばされなければならなくなっていたときに、
おりよくポルトガルのいわゆる「臍」(中心)と称される所にあるコインブラの市から
、同市の学林のパドレの方々がわれわれに会いたいとの熱意に燃えていられることを示す使節が、
しきりにわれわれの所へ派遣され、またその学林の有名なことについてわれわれもすでに
多くのことを聞いていたので、われわれとしてはそのとき、コインブラのパドレの方々の望みを満たすより以上に
愉快なことはなかった。……中略……コインブラに到着した。
われわれが近づくとまず第一に迎えに出て来られたのは、テントゥガル伯のご子息であられる
有名なジョアオン・ブラガンサ殿であった。このお方には、われわれがローマに赴く際、
フェリペ王の宮廷でお目にかかったことは、先に私が述べておいた。
やがて市長が参られ、その他の高官方もみえた。
最後にもっとも有名で、かつ特にもっとも尊崇すべきコインブラの司教さまであられ、
アルビカストラAlbicastrumという名家ご出身のアルフォンソ・アルビカストラさま
Alfonsus Albicastrensisがみえられた。
これらの方々はみな、他のおびただしい騎士たちと共に、イエズス会のパドレ方の学林までわれわれを案内され、
そこで会のパドレのお一人は、きわめて優雅な演説をされ、その中で、われわれを派遣された
日本の王侯たちお三方を美辞・麗句を連ね、言葉をつくして讃美し、聴衆に対して非常に快い感銘を与えられた。
その後、楽器の合奏、その他多くの一般的な祝賀の催しが行なわれた。(対話第三十より)
 松田毅一『天正遣欧使節』によれば、「一行がコインブラに到着の当日、大学や諸学校は、
学生生徒が彼らを歓迎しようとして登校しないので、休講日とせねばならなくなったという」。

 ミネラル・ウォーターの産地ルーゾ。源泉の湧き出るここに、空の大型ペットボトルを大量にかかえて水を汲みに
、たくさんの人々が集まってきている。テルマと呼ばれる温泉保養地にもなっているそうだ。
 ちなみに、LUSOというミネラル・ウォーター(agua mineral)製品もある
。ミネラル分が少なく、軟水度世界1なのだそうだ。
  LUSOは、インターネット通販で購入することも出来る。 
 東京都府中市にお店があるそうだ。

ブログから引用させていただきました。
最初に紹介するCDは、tsuzuの時代のサウンドです。
いずれも好企画をすばらしい演奏で現実の音に再現しています。

どのCDにも、天正遣欧少年使節の4人が帰国後、豊臣秀吉の前で演奏したのではないかと推測されている、
ジョスカン・デプレの
「Mille Regretz(千々の悲しみ)」
が収録されています。
皆川達夫氏の研究(下記参考文献を参照)によれば、
この曲は、

神聖ローマ帝国皇帝にしてスペイン王・カルロス1世とよばれたカール5世(在位1516−1556)
お気に入り「「皇帝の歌」といわれている。
それゆえ秀吉の前で演奏される曲として選ばれた
皆川達夫

「JOSQUIN : Motets & chansons」

  演奏:ヒリアード・アンサンブル
  Rec.1983.2
  Virgin Classics 7243 5 61302 2 7(輸入盤)

ルネサンス期を代表するジョスカン・デプレのモテットとシャンソンを集めたアルバム。“Mille Regretz(千々の悲しみ)”はもちろん、“アヴェ・マリア”や“オケゲムの死を悼む挽歌”など、全13曲約50分収録されています。ヒリアード・アンサンブルによる演奏は、モテットの複雑なポリフォニーを、完璧な技巧で、しかも敬虔に歌い上げ、一方生き生きとしたリズムでシャンソンを弾ませていきます。天上の音楽と地上の音楽、その静謐と愉悦の交錯する音空間に浸っていると、時の経過も忘れてしまいます。

「Francisco Xavier」
  演奏:つのだたかし & アンサンブル・エクレジア
  Rec.1998.9
  女子パウロ会 10046(国内盤)

フランシスコ・ザビエルの生まれた16世紀初めのスペインに始まり、イグナチウス・ロヨラと出会ったパリ
そしてヴェネツィアからローマへ、さらにポルトガル王ジョアン3世の命によりリスボンを発って東洋へ
、そしてついに日本へと、彼の足跡を辿りつつ、その地でその時々に流れていたであろう音楽を演奏しています
。最後は当時長崎のコレジオで出版された「さからめんた提要」にも載っているグレゴリオ聖歌で
閉じられます。

「CARLOS ? − Mille Regretz」

  演奏:ジョルディ・サバール指揮 & エスペリオンXX?
  Rec.2000.2&5
  ALIA VOX AV9814(輸入盤)

スペイン皇帝カルロス1世(神聖ローマ帝国皇帝カール5世)がお気に入りだった
「皇帝の歌」(ジョスカン・デプレ「Mille Regretz」)をはじめ
、即位式典で、婚礼式典で、出征に際して、戦争終結を祝って、退位を記念して、そして薨去に際して、
それぞれの場面で演奏されたであろう曲を、世俗曲・宗教曲とりまぜて、カウンターテナーを含めた
男声と古楽器伴奏からなるサバール指揮エスペリオンXX?が、考証にもとづいて演奏しています
。敬虔なポリフォニー曲あり、愉悦に満ちた舞踊的な曲ありと、中世の多面的な音が実に生き生きと
再現されています。
「CARLOS Maximus−Musik im Leben Karls V」

  演奏:アレクサンダー・ブラッチリー指揮 & ポメリウム
  Rec.1999.11
  GLISSANDO 779 008−2(輸入盤)
  UNIVERSAL MUSIC UCCK−1001(国内盤)

同企画のサバール指揮エスペリオンXX?が、古楽器による伴奏付きだったのに対し、このCDでは
2曲のギター(ビウエラ)ソロ以外は、女声&カウンターテナーを含めた男声によるアカペラでの
演奏です。もちろん収録曲には「皇帝の歌」(ジョスカン・デプレ「Mille Regretz」)
をはじめ、皇帝カール5世の生涯に鳴り響いた音楽を取り上げています。ここで演奏されるシャンソンと
モテトゥスは、いずれも静謐かつ透明なポリフォニー曲で占められており、
さながら教会の石の空間に広がる音の宇宙とでもいうべきひと時を味わうことができます。

「CANCION DEL EMPERADOR」

  演奏:ホセ・ミゲル・モレーノ(ビウエラ)
  Rec.1998.4
  GLOSSA GCD920108(輸入盤)

ビウエラとは、15世紀から16世紀にスペインで流行ったギターのような楽器のこと。ここでは、
ホセ・ミゲル・モレーノ&ルールデス・ウンシーリャによる復元によるものが使われています

スペイン・ルネサンス期にビウエラのために作曲されたソロ曲が約60分16曲が収録され
、最後はスペイン皇帝カルロス1世(神聖ローマ帝国皇帝カール5世)お気に入りの「皇帝の歌」
(ジョスカン・デプレ「Mille Regretz」)で締めくくられています。

「MORALES:MISSA MILLE REGRETZ」

  演奏:ヒリアード・アンサンブル
  Rec.1997
  JUNTA DE ANDALUCIA DS−0101(輸入盤)

カウンターテナー2、テナー3、バリトン1の計6人からなる名コーラス・グループ“ヒリアード・アンサンブ
ル”がついに録音してくれました。CRISTOBAL DE MORALES(1500−1553)によるこのミサ曲は、
「皇帝の歌(Mille Regretz)」のメロディをもとに作曲されています。スペイン・ルネサンス期を代
表する名曲です。このCDでは、最後に原曲となったジョスカン・デプレの「Mille Regretz」も収録
されています。
「Danses de la Renaissance」

  演奏:Rene Clemencic 指揮 & CLEMENCIC CONSORT
  Rec.1972/73?
  harmonia mundi FRANCE HMC 90610(輸入盤)

ルネッサンス期の舞曲から9曲と、中世の舞曲から4曲を収録。そのうちルネッサンス舞曲の3曲目に収録
されている「TIELMANN SUSATO」という組曲は、7つの部分からなっていて、その第1番目に“Mille Re
gretz”のメロディを用いたPavaneが収録されています。器楽曲を中心にしたこのアルバムは、中世〜ルネッ
サンス期の人々の日常の息遣いが伝わってくるような、軽快な音楽で満ち溢れています。

千々の悲しみ(Mille Regretz)」を聴くことのできるHPを紹介します。
海外のサイトで聴くことができます。
click here

次のサイトでは、楽譜を見ることが出来ます。
click here
(pdfファイルになっているので、Acrobat Readerが必要です。)

焼酎文化

2007年10月2日
世界一の郵政会社が発足した。サービスの低下は明らか。
上手く先方に郵便物が着いてない状況がやたらにあった月末の事実
今日から郵送を止めクロネコの宅急便に変えた。

悪名高い田舎切捨て政策の象徴たる小泉安部の政治の集大成。
田舎は町村役場が統廃合で無くされ小中学校さえ消えつつある。

郵政民営化は350兆の資本が国外に出ることであり、それは国内金融市場の縮小であり
投資と富を国内でなく海外に求め回し特別的に米国の国債購入にまわされているのが実情であろう。
全国24000の郵便局が今後どうなっていくのか。資本の倫理はわかりきっている
田舎にある郵便局は統廃合の対象となろう。
国内経済が上向くはずがなく、格差の拡大はさらに広がろう。
厳しき残暑の中の田舎切捨ての郵政の船出である。何が目出度きものか。

先月で30度を超える日が28、29日あった鹿児島と臨県。
お天道様さえ怒っているのは温暖化だけではないのかもしれない。
天をも恐れぬ小泉安部政治の所業に対してなのかもしれないとさえ思えてくる。

テレアポで人生の修行をしている。
富山県を中心だが、相手に不足無し!手強い相手の大変なる仕事である。
扱う品物は南の文化たる焼酎で米どころ日本一の日本酒文化圏の富山新潟と二重三重苦である。

荒海や佐渡によこたう天の川。
せきやんはかってこの歌の主と違い佐渡に渡った。
日本を席巻した越中富山の顧客台帳を持つ英知の薬売り。

その富山の飲食業の社長さんからご指示をいただいた。
焼酎のおいいしい飲み方をお客さんに教えたいので焼酎に資料を同封してほしい。

もっともなことである。会社にはそれはない。
化粧箱に日本でただ一つの焼酎に様変わりのオリジナルのラベル張替えサービスだけである。

この出会いをご縁に店舗運営を改革したいとも言われる。
荒海やどころではない。
こりゃぁことだ!馬のションベン渡し舟。

誠心誠意一生懸命が矜持ゆえ今夜は睡眠時間はまったくなくなろう。
そこで、南国の文化たる焼酎文化に急遽徹夜で取り組む運びと成った。
ブログ仲間の皆さん!
いつものように我慢をいただき誤字脱字、主語不明のダラダラ日記にいつも以上にご照覧あれ!

お酒の楽しみ方に定番はありませんが日本酒については落語にも出てくる飲み方があります。
酒は燗(かん)、肴(さかな)は刺身、酌は髱(たぼ) 金馬の高座が偲ばれる。

焼酎は5通りの飲み方にかなうのを探すことにありますがなかなかピッタリ見つけるのに難儀します。
焼酎は実に自由に楽しめます
原料銘柄ごとの個性が加わると楽しみは無限に広がります。
梅干割や牛乳割とバラエティーに富んでるので
乱暴に集約して通常の飲み楽しみ方は五つでしょう。としたいものです。

   1お湯割り
   2ストレート
   3オンザロック
   4水割り
   5燗

お湯割り・・ロクヨン(6:4)

  焼酎の飲み方からお湯割を除外したら暴動が起きるかもしれません(笑い)
  焼酎はお湯割が定番ほど本当のうまみが味わえると信じています。

  段違いに香り風味増すのは事実です。
  焼酎の飲み方の正統派。本流です。

  熱湯でなく70度ぐらいが最適です。
  6:4のお湯割出来上がりは40度ぐらいになります。

  お湯と焼酎どちらを先に入れるのがいいのでしょうか。
  どちらでも同じ・・??のハズですよね。

  ところが焼酎好きには大事な問題のようです。
  宴会のときの長老からピシリ!とやられた経験をもつせきやんです。
  秘伝?として伝わる鉄則があります。

  それが・・・
  NHKのテレビ平成16年2月「ためしてガッテン!」で取り上げられてしまったのです。
  司会者の落語家さんは富山の人です。

  正解?は「グラスにお湯を先に入れる。」
  グラスにお湯を入れ焼酎を入れる。が焼酎好きの作法らしいようです。

  逆では焼酎の味が・・・こわれてしまうとのご宣託をいただきました。。
  正答なら焼酎が混ざり、やわらかく花開くんだそうです。

ストレート

  焼酎を薄めることなく生(き)で飲むこと。
  焼酎は温度も度数も変えて好みに合わせて飲む自由なる酒であります。
  法律上25度から45度の間です。
  多く造られてるのは通常25度であります。
  宮崎では20度焼酎が造られてきたのでそれを生で飲んだものです。
  20度を6:4で割ると12度とかなり薄い度数で焼酎の味が楽しめません。
  お湯割水割りで飲むと子馬鹿にされ無理して生を飲み繰り返すことでそれに慣れました。(詳しくは1ミニ歴史)
  胃壁のためにはよろしくはないようです。

オンザロック

   平和な時代はありがたい。
   冷蔵庫もない時代が昭和30年代末までの日本であったので氷は貴重品。
   自動製氷器なんぞもなく限りある氷は湯水の如く使うわけには行かない。
   現代は焼酎のクセある香りと味を抑えるのみ方としてお湯割を超えるほどのポピュラーな飲み方で主流である。

水割り
   ほとんどはお湯割の項のままです。ただ非常に少数派。
   夏の暑いときにこの飲み方をする人が現れます。でもやっぱりお湯割が多いようです。
   秘技として割り水がありますのでそちらの項を参考にしてください。


  お湯割と同じではないかと思われるかもしれませんが違います。
  燗は焼酎そのものを温めるわけですから酒器がいるわけです。
  焼酎の叉その原料である薩摩芋の伝来した二つのルート琉球・薩摩・日向と朝鮮半島からの伝来の文化の差かもしれません。
  民俗学・民芸の創始者・柳田邦夫、柳宗悦先生方もこの分野の研究が落ちてるようで資料は極めて少ない。
  せきやんの見聞きしたことでお許しいただきたい。(ミニ歴史2)

   1薩摩独自の酒器ご指摘の黒チョカ。
   2琉球由来の酒器カラカラ・ガラ
   3日向の酒器鳩徳利
   4日本の酒器徳利・お銚子
   5日向山間部の酒器カッポ酒
 燗の器具
    黒ちょかは底が広くひらっぺったい。
    鳩徳利なんか基本形は黒ちょかだが違うところがある。
    注ぎ口がS状態に水辺を泳ぐスワンの如くなっている。(ミニ歴史3)

    カッポ酒は直径6〜8センチの無双竹の節と節を利用して
    酒を注ぎこませ囲炉裏の灰の中に突き刺す。
    小さな開けた穴から「カッポカッポ」と音がするのがこの名の由来。
    2〜3尺もある竹筒なのでお酌も手酌も慣れぬと難しい。
    味はって?お聞き召されるな。
    青竹のかぐわしい臭いが焼酎にのっている燗のしてある焼酎です。
    寒き長き夜には最高であります。

   割り水
    焼酎どころでさえ知らないのみ方の上手な作法に「割り水」があります。
    マスコミでやっと紹介されるようになりました。
    その都度水で割るのが水割り。それと同じですが、
    あらかじめ焼酎を水でわり冷蔵庫などで寝かせておくだけです。
    たったこれだけで焼酎と水が溶け合います。
    驚くほどまろやかな味に変質します。「割り水」の技であります。

    期間は1,2日でよく、10日でもいいらしい。
    1ヶ月が絶品だという人もいます。(ミニ歴史5)

(1ミニ歴史)

  昭和28年頃「酒類特別措置法」で税金の安い20度焼酎を宮崎県に限り
  製造販売を許可しました。
  戦前戦中戦後ヤミ(密造)焼酎が宮崎市内のある地域一帯では製造され九州一円にさえヤミ焼酎が及びました。
  アメリカでのカポネとネス警部との争闘の構図の宮崎版です。
  団塊の世代にはTV番組「アンタッチャブル」です。
  昭和29年から34年頃が最盛期でした。
  昭和38年10月に首謀者が逃亡し衰退しました。
  取り締まりは昭和22年から39年までで70回。
  検挙407件。押収されたヤミ焼酎は1700石31631リットル蒸留器536機。

(ミニ歴史2)
  長き寒き冬は家の中で火を燃やしつづけ暖を取った。
  茶の間の王様たるテレビは放送電波すらなくただひたすら囲炉裏に集う。
  比較的裕福なうちはラジオ放送が流れていた。

  囲炉裏の真ん中で火は燃えてるがその付近回りは灰である。
  その灰の上に直接置いて直火でゆっくり暖めて飲んだ

  ひらぺったい底が安定感があった。
  万分の一に仮倒れたとして注ぎ口が細くなってるためほんの少々しかこぼれない。

  その適温は45度。焼酎に含まれてる雑味成分が飛び黒ジョカの中で対流が起こり
  焼酎と水がよくなじみ混ざり最高の味になる。

  大勢のお客さんのときは間尺に合わない。
  五徳で直接炭火にあて、燗をし係りは大忙し。

  とても鍋奉行などとの流暢なるものではない。
  燗係が気が利かないと宴会は焼酎が足りなく間に合わなくなり大騒動。

  結婚式や各種のお祝いはすべて我が家が基本。
  式場でやるのは出合い披露と長男は決してしなかった。
  披露宴の飲み方は一晩では終わらない。
  初日の夜は身内親戚。二日目は隣保班、集落内。そして同級生や友達。

(ミニ歴史3)
  貴乃花が19歳で優勝して記念の形から祝杯を飲んだらマスコミが騒いだ。
  未成年の飲酒という具合だ。
  この頃はせきやん世代が小学校に上がる前から家族が認める形でやっていた。
  何たる!家庭教育?ただ暗黙たる秩序でモラルは維持されてはいた、。
  囲炉裏の回りは誰言うとなく座る場所の暗黙の決まりがあった。
  父親の囲炉裏に来る前が一番火に当たれる特等席。爺婆でさえ席を譲った。
  一歳でも年上には従う。もちろん両親は専制君主。正確には父親のみ。

(ミニ歴史4)
  焼酎は飲みすぎが欠点。適量は健康維持で長寿の券を見ればはっきりしている。
  焼酎は血栓を溶かす。
  肥満、運動不足脂肪分の多い食事、ストレス予防健康効果に大である。
  血液ドロドロ、ネバネバで固まりやすくなる。
  壁に付着硬くもろくなる
  これらは動脈硬化につながる。
  ひどい場合は細く硬くなった血管で詰まる。心筋梗塞や脳梗塞の要因である。
  これらは命にかかわる病気
  ウロキナーゼ成分を増やす
  血栓予防で溶かす。
  血栓の溶解機能は血栓溶解酵素の活性値で測定する。
  本格焼酎、飲酒後は、ほとんどの人で2倍になる跳ね上がる
  健康効果はワインの1・5倍に相当。
  善玉コレストロール脂肪分の代表血管にこびりついている。
  脂肪を綺麗にする。

 通風は尿酸を主因とする病気
  動物魚の内臓、白子ウニかにみそマグロ酒の肴の美味珍味に多く含まれている。
  プリン体。
  ほとんど〇に近い。ビールの1/100以下ワインの1/10
  ウイスキーの1/4
  肴に気をつければ通風になりにくい。
(ミニ歴史5)
  <米>主な生産地:熊本県 米を原料とした焼酎の代表は熊本の球磨焼酎。
     伝統的な製法による米焼酎の風味は濃醇で丸味が特徴である。


   <麦>主な生産地:長崎県壱岐島、大分県 麦焼酎の風味は麦特有の香りがあり、
     まろやかで甘味、淡麗で軽やかな風味が特徴で、ライト感覚で楽しめる焼酎。


   <サツマイモ> 主な生産地:鹿児島県、宮崎県南部 16世紀初頭に焼酎
     (原料は米)が17世紀にサツマイモが伝わる。これらを掛け合わせる形で、
     17世紀中期以降に芋焼酎が造られた。
     芋焼酎は他の原材料の焼酎に比べて特に風味が強く、原料の特性が
     そのまま風味にあらわれている。
     水やお湯をどのような比率で混ぜても、風味のバランスが崩れないという特徴がある。

   <そば> 主な生産地:宮崎県 そばの原産地は東南アジア北部といわれ、
        中国・朝鮮から日本に渡ってきたといわれている。
        奈良時代以前から食用として栽培されてきたが、1973年ごろ、宮崎県の酒造所が
        そば焼酎を開発し焼酎の多様化のきっかけとなった。
        独特のコクがありやわらかくほんのりとした甘みでさっぱりしている。

    <泡盛>主な生産地:沖縄県 他の地域の米焼酎とは製法が違い、
      泡盛特有の風味とキレのよい旨みを持つ。アルコール分の高い製品が多く、最高43度までの製品がある。

     <黒糖> 主な生産地:奄美諸島 奄美で”酒”といえば黒糖焼酎である。
        奄美の主要農産物である黒糖を原料にし、製法、技術に多くの改良や工夫を
       加えて現在の黒糖焼酎が生まれた。奄美大島、徳之島、喜界島、沖永良部島、与論島だけで
       製造を認められた独特の島焼酎であり、その味は濃くて甘みがあり、黒糖の香りが軽く感じられ、
       芋焼酎とはまた違った味わいがある。
       奄美諸島では、単なる嗜好品というだけではなく、生活に密着した酒である。
       冠婚葬祭、晩酌etc・・・いつでもどこでも、
       喜怒哀楽、唄や踊りとともに黒糖焼酎が楽しまれているのだ。

      <その他> あしたば、小豆、あまちゃづる、アロエ、ウーロン茶、梅の種、えのきたけ、
         おたね人参、かぼちゃ等々、財務大臣によって定められている焼酎の原材料には様々な種類がある。

 世界の酒
  醸造酒・・・日本酒・米、麹菌独自の醸造法
    、  ビール・大麦麦芽粉末に水を加熱ホップクワ科の
           多年草雌花の独特の苦味アルコールを発酵させたもの
       ワイン・ ブドウを発酵させたもの。赤、白ピンクのロゼ、 
            発泡酒シャンパンを含むスパーリングワイン
       紹興酒・の老酒ラオチュ蒸したもち米小麦麺を原料とした中国の醸造酒

  蒸留酒・・・原料を発酵熱を加えて蒸留し気化した気体を再び液体に戻す
       スピリッツとも呼ばれる。
     ウイスキー ・・ 大麦ライ麦穀物を発酵蒸留
、    ブランディー・・ ワインを蒸留して貯蔵熱成した蒸留酒
     コニャック・・・ フランスの
     ラム・・・・・・ サトウキビの糖蜜を発酵させて造る蒸留酒
            西インド諸島特産。
     ウオッカ・・・  ロシアを代表する蒸留酒大麦ライ麦主原料木炭層を通して脱臭
     ジン・・・・・・  トウモロコシや大麦を発酵ネズのみで香りをつける蒸留酒
            オランダからヨーロッパ各国に広まった。
     テキーラ・・・  リュゼツランノ茎をしぼって発酵させ蒸留したモノ。主にメキシコ産

  混成酒・・・醸造酒蒸留酒に糖分や果実を加えた酒リキュール梅酒甘味果実酒薬用酒ミリンもこれに当たる

    甲類・・・糖蜜やナツメヤシ主原料連続式蒸留器を使って繰り返し蒸留
       原料の風味なくなってアルコール純度が高まり
       ホワイトリカー梅酒などの果実酒
       薬種のニンニク等に向く酒となる。

     乙類・・・単式蒸留一回しか蒸留しないので原料の風味が残っている。
      通知簿の甲乙丙丁の昭和2年生まれる前のマスハコハトマメの
      サイタサイタサクラガサイタの世代からの異論かこの区別はなくなった。
      本格焼酎のことばがみとめられた。
      味や風味個性は原料で決まる。

     
    麦焼酎
     生産量全体の半分を占める王者。
     麦焼酎発祥の地・長崎
     いいちこ大分・百年の孤独宮崎

     大麦香ばしい香りの風味豊かな焼酎
     減圧蒸留クセのない爽やかな口当たりの焼酎
     全国に広がった。

     本格焼酎のブームで濃厚なる常圧蒸留濃厚なる風味が見直される
     年数を経た熟成酒樫樽貯蔵琥珀色味わいもまろやか。

    米焼酎
     球磨焼酎
      産地指定酒は条件をクリアーしたもの。
      本格志向の焼酎ファンに絶大なる人気
      最もなじみやすい
      芋や麦の個性についていけc内人
      日本酒苦手寸習いは行っていける。
      繊細な日本料理愛称も抜群。
      日本酒の蔵元が米焼酎に名乗りをあげている。
      有名ブランド米」人気
    芋焼酎
      鹿児島野性味あふれる本格派
      宮崎はマイルドな味
      伊豆諸島麦麺ゆえスッキリした味
      強い匂いとクセが敬遠されていた愛好者は限られていた。

  焼酎は時代を引っ張るトップランナー
  社会全体の本物志向
  味や風味が洗練され高品質で多様な製品

  黄金千貫はでんぷんをおおく含み焼酎造りに最適
  これを原料にすることで変化した。
  蒸留技術の進歩で不快な臭いが白麹黒麹黄麹味の多様性
  同じ銘柄でも製品化の過程で無濾過、原酒しょ初留取りなど違った味わいの焼酎が作り出せる。

  むろか発酵時にできる成分で焼酎のクセの元になる
  フーゼル油という成分を濾過せずすくい取ることで風味を適度に残したもの。
  初留取りとは最初に抽出される原酒だけを集めたもの。

  酎原料としての「コガネセンガン」の課題

   いも焼酎の原料のほとんどが昭和41年にでん粉原料用として育成された
   コガネセンガン」です。実需者や   消費者は「コガネセンガン」
   の焼酎の香味(独特の甘みやいもの風味)を高く評価しています。
   「コガネセンガン」は、早掘・晩植などの各種栽培条件で安定した生産力を示し、
    耐肥性が高いため土地を選びません
   一方、実需者からは原料の安定供給について課題が指摘されています。
   すなわち、いもの外観が劣り、いもの表面に縦溝(条溝という)が入るため、原料のトリミングに手間がかかる、
  軟腐病の発生など貯蔵性が劣るため原料ロスにつがる、操業期間の延長に障害となるなどです。
  また、「コガネセンガン」はサツマイモネコブセンチュウに弱く、
  連作により品質や収量の低下が懸念されています。

  焼酎ブームの中、実需者は操業期間延長のため、冷凍蒸しいもの利用や空調の整った
  大規模貯蔵施設の建設で 対応しています。しかし、いずれも原料のコスト高に
  つながっていることから、実需者からは「コガネセンガン」の焼酎の香味はそのままで
 、貯蔵性、いもの形、でん粉含量などを改良した新品種に期待が高まっています

  コガネセンガンに代わる焼酎用品種

  地元焼酎メーカーと連携して生産力検定試験で選抜された品種について焼酎の醸造適性を評価しています。
  現在のところ「コガネセンガン」レベルの酒質をもつ系統の育成には至っていません

米の蒸留酒が米焼酎で元祖は泡盛。

米を発酵させせて造ったアルコールを蒸留する米焼酎の造り方
タイから沖縄に伝わり独特の風土で泡盛に変化。
北上して伝えられ江戸時代に熊本球磨地方で大きな発展を遂げる
何故球磨地方か。
  米どころで盆地で隠し田持をっていた。
   年貢の取立てを免れたこめを焼酎造りに利用できた。
   明峰阿蘇山から噴出する良質なる水、球磨川の清流と上質な米との出会い

焼酎製造の歴史
  人類の歴史
   イランのメソピタニアで発掘された7400年前陶器の入れ物から残留物
   1994年ペンシルベニア博物館マクガバン博士の努力による。

   同氏はさらに04年12月中国河南省9000年前新石器時代米やサンザシブドウ
   発酵させて造られていたのを発見。
  日本の歴史。
   1600年縄文末弥生初期
   2300年前醸造酒、発酵穀物果物

   焼酎やウイスキーの蒸留酒発酵後に蒸留する
  気化を冷やす液体戻す技術と手間人るノ歴史への登場
  紀元前インドエトオピア
   ブランディージンウオッカラムアルコール分化を担う一方の主役

 蒸留を焼くとする中国
 日本で焼酎
 酒が酎になったのは不明
 酎歯強い酒
  焼いたワインがブランディー
  オランダ語

 ワインを蒸留した酒
  ブランディーと焼酎が由来が々
  朝鮮半島と南蛮シャム、タイ琉球二つのルート

  13世紀が朝鮮中国ルート
  15世紀が南蛮琉球ルート
   日本酒
    縄文時代
    食文化の一大変化。

  多様な焼酎の香味につながる品種

  いも焼酎が米、麦や蕎麦といった穀類などの焼酎と大きく異なる点があります。
  それは原料の品種によって焼酎の香味が大きく変わってくることです。
  焼酎の香味の多様化につながる新品種の育成、将来にわたり焼酎需要を確保し
 、焼酎産業の持続的発展に貢献する努力は各級の研究機関で日々行われています。
  紫、オレンジ、黄肉色の有色カンショをうまく活用して香味のバリエーションを広げる育種が行われています。。

  これまでの研究から品種や肉色の違いによる焼酎の香味の特徴やそれに関連する香気成分の特性が少しずつ明ら
  かになってきています。コガネセンガンなど黄白肉色の品種は従来型の酒質で、蒸したサツマイモの香りと甘み
  が感じられる焼酎となります。紫いもで造った焼酎はワインやヨーグルト的な香りが特徴的で、一般的ないも焼
  酎の香味を特徴づける微量香気成分であるモノテルペンアルコール類(MTA)が多い傾向がありました。
  オレンジ系の品種では野菜や熱帯果実のような独特の香りとなり、ジョイホワイトなど高でん粉品種の焼酎は柑橘系のフルーティーな香りが特徴で、淡麗な味わいの焼酎となりました。最近ではこうした独特の香味が、MTA以外の香気成分に由来することもわかってきています。現在も引き続き、焼酎メーカーと連携して、香味の解析を進めているところです。

  麹(こうじ)とは、米や麦などの焼酎の原料のもつデンプンを糖化させることを仕事としている。

  ◇黄麹
   おもに日本酒に使用されている麹。もろみが発酵中に腐敗しやすいため、温暖な地域での使用が難しく、
  現在焼酎造りに黄麹を使用している蔵は少ない。フルーティーな香りを生む。
  ◇黒麹
    沖縄で泡盛造りに使われている。黒い胞子があたりに飛び散るのが欠点だが、黒麹菌にはクエン酸の育成力が
    あって、モロミの腐敗防止に大きな威力を発揮する。甘味とコクのある、芳醇な風味の辛口の酒に仕上がる。
   ◇白麹
   大正初期、黒麹菌から突然変異で生じた白い種類が発見されたのをきっかけに、多くの焼酎で
    この白麹菌を使うようになった。おだやかで飽きのこない、甘口でソフトな酒に仕上がる。

麹(こうじ)の世界には忘れられない偉人がおられます。広島県福山のでの人です。
そこで「河内源一郎」て誰?のお話
 焼酎を造りで最も大切な「麹菌」を種麹として販売する国内最大の会社が「河内源一郎商店」です。
社名にもなっている創業者の「河内源一郎」は、1923年、沖縄の泡盛をつくる黒麹菌の突然変種として
「河内白麹菌」(学名アルペルギルス・カワチ・キタハラ)を発見し、焼酎づくりに適していることを明らかにしました。
この河内白麹菌こそ、全国の焼酎メーカーが現在使用している麹の起源となったのです。

 日本一のワインカウンセラー田崎真也の弁では
焼酎はウンチクを語る評論家がいないのがいい。との趣旨の発言がある。 怒られそうである。

極めつけ。

2007年10月3日
逆転のサヨナラをラジオで聞いた。
ホ−ムランで3−3で追いつき最終回ツーアウト満塁。
清水のいぶし銀、阿部の執念ホームへの疾走。
今年を象徴するスリリングナ試合の集大成。
愛読させていただいてるフィオナさんに総評を聞いてみたい。
02年以来だったか常勝ジャイアンツの5年ぶりの優勝である。

江川卓の監督就任もこれで流れてしまった。
バブル期を生きた世相の被害者は桑田を含め蘇ることができない

ドームの外は雨であったんであろうか。
ドーム球場は雨が降ってその効果を遺憾なく発揮する訳で雨を呼んでるのかもしれない。

ジャイアンツの春秋のキャンプ地は宮崎が引き受けている。
それが奇怪なるジンクスがある。
ジャイアンツが来ると不思議と雨が降る。
「ああ雨じゃ。そういえば昨日ジャイアンツの宮崎入りじゃッた〜」
まことしやかに語られるジャイアンツは生活とともにある宮崎人の共通認識。
ジャイアンツは宮崎では雨男。雨にかかるまくらことば??

ビッグエッグとはよくなずけたもの。
赤と白の鉄の造詣が東京タワーのことばでコトコトと心の蔵が動き出し、命が蘇った如しだ。

その東京ドームが完成したのは1988年3月。
こけら落としのイベントはなんでありました覚えてます?
さらにその日の天候は。

そうです。プロボクシング世界ヘビー級チャンピオン、マイク・タイソンの防衛戦
試合はタイソンが二回2分54秒、期待どうりのKOで勝ちで挑戦者の野望を退けた
その日、東京地方の天候は雨。

最初のプロ野球公式戦は4月8日。
この日も関東地方は未明から季節外れの大雪。

西武球場の開幕戦が早々と中止を決めた中、東京ドームでは予定通りセ・パ両リーグの開幕戦2
試合をダブルヘッダーで行った。

全天候型のドーム球場ならではの威力をいきなり発揮した
タイガースの8連勝、の後の連敗。
落合ドラゴンもマジック6を横浜と逆転負け。さらに広島で勝ち試合を逆転負け。
点灯したマジックを消しての自滅。
原との陰謀ではないのかさえ思えるつまらぬ自滅でしかなかった。

野球はなずけ親の根津で落命した俳句大成者松山の人・子規ゆえかアメリンカンドリームの華やかさはより試合の厳しさの敗者の色合いを濃く持つように感じる。

発祥の国の華やかさからそれでもやはり憧れのスポーツ。
漂泊という言葉には、どこかしら自由に通じるあこがれのような響きがある。

 定住する土地を持たず、船をねぐらに漁をするという漂泊民は家船(え)。日本にもいた。

民俗学の泰斗、谷川健一が「甦る海上の道・日本と琉球」(文春新書)の中で触れている。

谷川は九州大でのシンポジウムで「家船は、博多を起点とし、八重山諸島を終点とする南島貿易の主役だった」
と持論を展開した。
 
漂泊民といえば、虚実ないまぜに語られるサンカが知られる。
だが、昭和を前に姿を消したと言われるサンカに対し、谷川が家船の拠点の一つだった広島県で「最後の家船に会った」としているのは99年。
わずか10年前まで、日本に漂泊民がいたということに驚いた。

 サンカが今なお多くの人の関心を集める理由の一つは、現代人が漂泊民に対し、管理社会を生きる自分たちにない自由さを見るからだろう。
最後の家船がどうなったか、は記してない。

原続投では視聴率も人気も取れない。
またもや野球界の危機。
長島父子がサッカーにのされ崩壊寸前を救った救世主のナイトの役がいない。

ここはナベツネが蛮勇を奮ってワルになって原の首にヒモを鈴をつけてほしい。
花道勇退論はこの監督業の世界には存在しないから不思議である。
「しんじら〜〜れない!」は後期優勝をしてアメリカに帰るが
どうにも家庭のためではじめに退陣ありきであったゆえそうではない。

シマタイゾの二回目アイアイではじまったラジオ深夜便リスナンーもホトホト疲れてのラジオ深夜便明け。
越地吹雪のラジオコンサートによった。

本名コウノミエコゆえの「コ〜〜チャ〜ん」であったのだ。
プラチナチケットゆえではない。
LPレコードで十分であったのでコンサート会場にその舞台に接することはないままであった

作詞の人は、付き人を無報酬でやった岩谷時子
夫たるナイトウツネミの誰もいない海
別離はサザナみケンジ。
1980年56歳で逝った。27年も過ぎてる早いもんである。

宇都宮大のマエダヤスヒコの二夜にわたる漬物論の微生物にかかわるお話は実に爽やかであった。
梅干はシソを入れての利用は日本食そのもの。
中国台湾の梅干もどきはミッセンでシソの利用がない果肉利用だけ。
梅はクエン酸効果で元気が出るがテーマとして体との研究はなされてない。
枝葉末節の方向に研究テーマが流れてはいないか。

やまよりのひは金色の今年米

3日、今日の誕生花は「アシタバ」
花言葉=旺盛な活動力
摘んでもつんでも出てくる

薬草効果は乳牛に与えると乳量が増ることでもわかっている。
元気があれば何とか成る。

ダイアナ妃の審理が叉始まる英国。
いまさら何を真実を審理するのか。の声もあるらしい。
この世の真理はときの心理。
とりわけ裁判なる真理追及の場である。
何一つ真理は法廷では裁かれていない。
裁判とはすべからくそういうものである。
審理が暴かれたためしが一つもない。
ゆえに映画の審理が名画になるのであろう。

しょうちゅうくれ!

2007年10月4日
しょうちゅうくれ!とは酒飲みを中傷、侮蔑をこめて瞬間呼んでるのである。、
ただ、深層心理はその人に寄せる愛着、人格までは否定してないほのぼのしたところがある。
西郷隆盛を敬愛するが如き追慕のしょうちゅうくれ!である。

無味乾燥に処理してしまうコンピュター社会にファジーなる人間に似たる感性を持たせるごときだ。
要するにその言葉にかかわる人の人間性にかかわることである。
テレアポの19:00すぎ仕事帰りに急遽若草とおりのアーケド街の六階に登った。

そこにはスタジオ風30坪ぐらいの広さのだだっぴろい株式会社の事務所で、
机が純和風の木目調でカタログはおしゃれな器に置かれている。
すみやかに冷茶が自家製風の刺繍されたコスター付きで振舞われる。
飲ん方に行く予定が急遽のわけのわからぬ変更ゆえションベンの爺の生理的欲求を襲う。
「すみません!トイレおかしいただけませんか。}
なんとお恥ずかしき訪れる前のマナー違反となってしまうではないか。
突然の来訪にもかかわらずご丁寧に仕事の打ち合わせはすすむ。
年寄りの口癖たる近頃の若者は・・の心配は吹っ飛ぶ。
せきやんはその全体の雰囲気とりわけ、ことば使いから宮崎人でないただならの上品さを感じてる。

生きていく上の知恵として弁護士と医者をもて!にこのお二方を付け加え持てば人生楽勝。
お聞きすれば案の定、東京の人。

う〜〜ん・・宮崎の若者の企業家はいないものか。
地方人材の大都市流出の逆輸入。格差解消の決め手がここにはある。
相槌のタイミング、非の打ち所がない。

ブログを作成し、販売管理アクセス・アップのトップ貼り付けもご提示された料金でお任せといわれる。
商店主になれるわけであり、お客の呼び込みチラシ作成売上増の手立て至れり尽くせり。

持ち込んだる商品と需要家のインセプクトをお任せするだけで住む。
ウ〜ム〜。架空空間が多くの商品を持ち展示する新規商店の開店となるわけだ。

百貨店売上を超えたるネット販売の実態の現場にヒョンナことから遭遇したわけである。
東国原知事の言う誘致企業のカウントにはないハズの優れたるネット社会が生み出したる新進企業。

ご縁の鹿児島の姶良はNHK大河ドラマでもクスの大木で蒲生を含めて紹介された記憶が蘇る。
東京は台東区か墨田区の下町の薫りと人情を醸し出す雰囲気の江戸の粋さえ感じた。

総務省2007年版の情報通信白書が公表されてている。
そこには新たにマクロ分析を導入し、IT=情報技術を活用すれば日本の実質国内総生産=GDP成長率を1%程度押し上げられると指摘している。

ただ日本のIT関連製品の国際シェアは10年前に比べ
著しく低下しており、情報通信産業の内弁慶ぶりが明らかになった。
そしてそれにカウントされない企業群もないことであることかもしれない。

PC売上比率
HP・・・19,2
デル・・16,1
レノボ・・8,3
エイサー・7,2
東芝・・・4,1
アップル・3,0
富士通・・2,9
ウエイ・・1,8
ゲート
ソニー・・1,6
その他・35,8

コンパックはHPが買収
NECは9位
IBM中国のレノボの躍進はアジア域

10社中6社がアジア
そのうち3社がJYAPAN。

1209万台のパソコンの6パーセント減
誰ですか足して100パーセントにならないといってる人。・・・ゲートの分ですって。
もう〜〜ぼろ探しは止めましょう。(笑い)

「菫程(すみれほど)な小さき人に生れたし」は夏目漱石。
文豪の矜持とともに、自戒や謙虚さが伝わる。
初老の域のしたってそうである。

いつでもどこでも情報を得られるユビキタス情報社会の到来により、
日本のインターネット利用人口は約8750万人に達したと報道する。
中でも60歳以上の高齢者層の利用が大きく伸びているという。

 マクロ分析ではITの浸透度を表す「ユビキタス指数」を設け、ITの活用により、実質GDP成長率を07年から10
年にかけ、約2%を約3%に押し上げることが可能だと推計した。

従来のインフラ整備重視の視点に対し、情報化の効用に着目した点はこれまでにないこと
ITが日本経済の効率を高め産業としての国際競争力の低下にも触れている。
日本の情報通信産業の市場規模は名目で約94兆円。
自動車を上回り、全産業の1割を占める。
過去10年で約2倍の規模に拡大。

 ところがIT製品の国際シェアを見ると、ノートパソコンが37%から27%、
携帯電話は33%から11%へと低下。
韓国や中国などの追い上げで、53%あった液晶パネルも12%、DVDプレーヤーは77%から19%へと縮小。

 この背景には国内に偏重した日本の市場構造が見逃せない。
英ボーダフォンやドイツテレコムなど欧米の通信会社は海外売上
比率が高いのに対し、日本企業はほとんどが国内。
放送事業も同様だ。ネットワーク機器はもともと国際シェアが低く端末についても国内優先の販売体制が海外展開を遅らせている。

 欧米では米アップルが携帯電話を発売したり、英ロイターとカナダのトムソンが合併するなど、国境や事業領域を超えた国際展開が加速している。
日本が世界で存在感を失わぬようにするには再び海外市場へ目を向ける必要がある。

ただ、内向きたるIT産業の利用のソフト産業の実用化は多方面に進んでいる。
「毛髪ミネラル検査」が今、ブームになりつつある。

髪を0・2グラムほどカットし郵送などで検査機関に届けると数週間で結果が返ってくる。
有害ミネラルが血液中にどれくらい蓄積されているのかのデータと原因分析、対処法だ。
5000〜1万円ほどの費用がかかるが、デトックス(解毒)ブームを背景に、一部の医療機関でも検査項目に取り入れている。

「大気汚染、水道水、魚介類、穀物などによる有害ミネラルの摂取量が比較的多く排泄も積極的に行われていない可能性がある」上杉レポーターの結果が例示記載されている新聞記事。
職住ともに都心だし、魚もごはんも大好物。
毒にまみれた血の気も引く結果だが
「皆さん、こんなもんですよ」と担当者のコメントも触れられている。

生活環境、食の安全が際限なく崩れている今「皆さん」が危機なのではとも書いておられるこのままデトックスビジネスに乗せられるのもシャクだ。
せいぜい「皿」まで食べないように気をつけよう。と警告が発せられるのもIT産業の実情を知ることの一つである。

このような産業さえくだんの若草通りアケード街の若き企業家からはサポートがなされ発せられろことになるのであろう。

 「過ぎたるは猶(なお)及ばざるが如し」は「論語」の一節。
「度を過ぎてしまったものは、程度に達しないものと同じ」
(広辞苑)を意味する。
これは世界共通のようで洋の東西を問わず格言がある。

英語でも「オレンジを搾りすぎれば苦いジュースになってしまう」ということわざがある。

健康検査の何泊何日コースも含め日帰り検査が主流のようであるが、
健康を調べる医療期間はあちこちに見られる。
予防医学成る旗印の下に武見太郎以来延々と続く日本医師会の総需要の生き残り策の特権を見る思いだ。

医者不足があれほど深刻化してても食いぱぐれのない医業の医は算術があちこちにある。
医者不足でなく適切なる医者の配置がされてない医業の政治の欠落で医業の偏重の実態がそこにある。

宮崎駅前の古賀病院後のクリニック。
阿波岐ヶ原の病院はずいぶんと歴史がある草分け的存在の一大調査のみの医療施設。

建物さえ拡充されてきた医は算術の経緯が驚くべき施設つとともにある。
予防医学はわかるが身近な緊急病院に医者がいない西都の夜間緊急病院のスタッフ体制のほうが生活してる人々には大事なのである。

IT産業の隆盛は喜ばしいが社会の深部の問題点を暴くよう成る利用の仕方はあまり見かけない。
情報管理にたけたる和歌山選出の世耕議員の権力にすりより新たなる福田内閣での猟官運動もわからずではない。

草の根的に社会の棲みからIT産業の企業群は培われようとしている。
何もブログを利用してのネット商店だけのお話に限定されることだけではない。
IT産業のネットという架空空間ゆえの三次元社会のことからゆえか思惑は無限に拡大していく。

GDPなる成長率を1%程度押し上げるもまさかその程度の域で白書が書かれたのではなかろう。
ほろ酔い加減ですすめたるブログは久々で痛飲にお誘いいただき有難い事。

お陰でPC枕にウトウトで秋の季節の一夜を深夜便のラジオの記憶もなく未発達の脳にもスイッチが要った。

景気回復の大都市のみの地方との格差をも知ることでもある。
まざまざと現実に引き戻されている。
企業誘致は製造業の土地が安いので着てくださいの工業団地方式からの脱却
インフラたる高速道路高速鉄道の問題も之では吹っ飛んで宮崎にピッタリだ。

第三セクターで進めらてきた之までだがまったく違うIT産業の浸透は自治体は楽である。
推進事業の雇用事業はどうなってるのか。
人材はどうなってるのか。
アイデアを持ってる人は役所にはいないのか。
東国原知事の環境職産業偏重がここにも現れている。

なにもビッキョのみが忙しいのでは経済の歪さとしか県民は見ないであろう。
ITと飲酒というダブルの架空なるにわか、しょうちゅうくれ!の一夜の顛末。

ぎょうてんが1000億円を集めよと
南北の急激なる雪解けに反応しない内向き政治の弊害が早くも噴出。
立ち行かない政権であることが如実に出てる福田政権。
な〜〜んにも考慮していない。
しょうちゅうくれ!である。、

モラル

2007年10月5日
ことさら早く10月5日をむかえている。
法人化の約束のリミットはいとも簡単に破られていく。
精神的図太さは深まるどころか帰って細くつながってるのさえ不思議なるほどである。

今日の誕生日の花はイタドリ。
痛みをとるがその名の由来のようで「回復」がその意である。

若芽の頃はサドガラと呼び非常に薄き皮をむき、塩をつけ食した
スッポンとは後に書物の図鑑で覚えた名だが著者が牧野富太郎であったかどうかの記憶は定かでない。

節と節の間が空間になってるので噛むと音を出す「スッポン!」
少々その噛み方に技術がいる。歯と口内と唇と舌の絶妙なる連携のもとの音の変換。

「スッカン!」「すっこん〜〜ん!」「スッポン!」ノビルや他も加わり食べながらの室外オーケストラ。
春の野原の或いは夏が待ちきれぬ早々の川遊びの堤防はいつも腹をすかしてる子らの食料基地
長じてイタドリとなる。
呼び名はあるいはそのものに間違いを感じてる部分さえ持つ不安さえ感じて書いている。
間違いだ。!かきこみがきそうである。
記憶はあてにならない。

秋晴れのどこかに杖を忘れたり
あまりものの見事なるとてつもない高さの秋の空。
忘れモンさえ誘発させる自然の織り成す季節の変化
三橋美智也は♪トンビはくるりと輪をかいたホ〜イの〜〜ホイ!♪と情感タップリ歌った。

自然の恵みは最高潮でありとあらゆる恵み物が市場にあふれ食卓を賑わす。
その生産環境を投げ捨てたのはほかでもない化石燃料社会の格差で騒がれてる現在社会の選択であった。

人材的にも化石燃料社会の資本主義的一極集中での都会偏重の社会構造にせっせと励んだ。
工業製品の世界の生産基地となった。

他方農業などの第一次的産業は凋落した。
自然環境から地球上で最高の第一次産業にあった気温下にあるのもにかかわらずである。
先進国で主食の自給率が保ててない唯一の不名誉な食と命の元が保証できてない国家である。

自給率。
コ メ94
畜産物16
油脂類 4
小 麦13
佐藤類32
魚介類59
野 菜76

米  国128
フランス122
英  国 70

この無責任体質は他人を著しく傷つけることさえ平気なる民族に変貌しつつある。
若者のみで作り上げつつあるブログ文化は特にそうである。
受け継がれてきたものの時代変化にあわせた変更でないゆえより歪である。

週刊誌と新聞では違う。
新聞に女の裸の写真は出ない。

家庭宅配と自分から書店コンビニで買う週刊誌の差ではなかろうか
日本人のすみわけの知恵の産物なのかもしれない。

週刊誌も二種に分類されている。
図書館にもサンデー毎日、読売、朝日はあるがポスト、現代はない。
グラビア写真のヌード有無の差では無いのか。

「ヘアー解禁!」はいつから許されたのかさえ明確な記憶が無い。
月曜日に飛行機に乗るのが楽しみであった。
木曜日売り出しのポスト、現代が読めるからだ。

野坂昭如が「四畳半襖の下張り」でエロ裁判で表現の自由で負けたのは知っている。

プロレスと相撲でも違うようで朝青龍に「相撲を止めてプロレスに行け!」
「ショウー」と「神事性」との認識の差であろう。
東スポは何でもありで「東スポネタ」で認知されてるほどだ。

ブログとホームページは違う。
この二つの文化の一つに最初からかかわってるので譲れない。

最初せきやんがPCはじめた頃ホームページはあったがブログの言葉は無かった。
そのプロバイダー技術が無かったんであろう。

ブログの私の認識はいささかも変わらない。
私的日記の認識である。
日記が公開されてるだけである。
始まりは日本ではそうであった。

遊びの域でたかがブログされどブログで深く悩まない。
ホームページではないんだからである。

6年間ほとんど一日も休まず書いてきた。
ウィルスが着たり、仕事の飲み方があったり、出張があっててもである。

この書くにあたり日記なんである。何を書いてもいい。
ただ、公開発信されてるので書き手の倫理が問われよう。
ウソも百篇繰り返せば真実となる。
事実にもとずかないことは書いてはいけない事件にさえ発展しよう。

人の悪口をその人と議論もせずには他に拡大していくなどのマナー違反
そうなる前に何らかの合意に至る努力をする。
書き手は間違いは素直に認めるわびる。誤解を解く努力をする。

ブログとはなにか。
ブログは個人の敷地内の理解でいいんではないか。

挨拶をして書きこみはOK、
身内としてのリンクしてればまったく別である。
見知らぬ人が敷地に無断で立ち入ったら財産権の侵害。不法侵入。

無差別はトウゼンダメである。
すでに知ってる仲、身内は逆に別である。
リンク者同志は身内ではないのか。身内であるとの認識。

苦い経験がある。
誤解を解こうと侘びを書き込みするも許していただけなかった。

カウンターの周りで順位を決めるプロバイダーに登録したとき
カウンターアップのお願いを
     リンクをして頂いてる方
    、のぞきにおいでいただいた方
に限りカウンターが回るようにお願いした。

ところがお一人は立腹激昂された。若き名古屋の女性である。
この方は私のブログに自分からリンク申し込みをされ、お互い楽しくやり取りをしていた、仲である。
それが急にせきやんがランキング登録をしたのでお願いをした。
「順位アップにご協力してください。」
それが「ウザイ!」みたいになり
リンクしてるもの同志でさえ混乱が起きたのには参った、滅入った。

何度もお詫びするも許してもらえず
おゆるしのお願いのこちらからの書き込みはスグ消去。
仲良しの方の同情を買う非法な作戦とわたしはみた。

こちらにしてみれば悪いことしてない認識もありながら相手が怒ってる以上は
まず詫びようでと書き込みするが受け入れられない。

キモチワリィとか取り合わない。
「バカ死ねクソ爺!」エスカレートするばかり。
実に困ったものであった。

8月27日「なんともうしましょうか」で書いた。ら
特殊な言語とは何たることだとで噛み付いてきた。
バカな書込みがあった。
ことはこうである。
書き出しの一部再掲

日本人の説明ほど難儀するものはなかろう。
特殊な言語と秘めたる人間性が世界に類を見ないからである。
文学の世界でノーベル賞受賞が遅れたのもそこにあった。

阿部公房、三島由紀夫等の世界向け翻訳の積極化が遅まきながら認知され
心を描くより難解な川端康成が代表受賞でその後大江健三郎が続いた。

哲学的で内にこもり、謎の笑い、繰り返されるおじき。
阿吽の呼吸、で読み取るYES,NOのシグナル。

よって他国人には「NO!といえない日本人」文化となる。
ただ、成り行きを覚え形式に従えば無限の領域の日本の諸文化の域である。
このような高度なやさしき民族がどこにいようか。

茶の湯のわびさびで日本文化が発信されるが鍛錬、練り上げられたもので
ひとくくりできるものではない。それぞれの日本人論の奥伝は「道」に連なる。

庶民たる万民までには伺われぬが少なくとも日本人はそれを教養として矜持している。
遊び心、間の芸たる歌舞伎落語講談等の話芸全般の要素が
狭い島国ゆえ生活には必要不可欠。いたわり配慮とは又違うもの。
世界レベルで比較して見ればよい。

国際物理論文コンテストに連続入賞した。
国際物理オリンピックという似たものがあるがそちらではない。
より独創性が問われるほうで、地道な研究成果だ。

小石川高・小田信太郎君入賞おめでとう。
凹面鏡の反射光に関する常識を覆したそうだ(スミマセン!なんのこっちゃ〜〜??)(笑)。

電磁気現象の常識を覆した昨年に続いての日本人高校生の連続の成果。
指導教諭は上条隆志(59)

この「特殊」がいけないらしい。
名も名乗らずのかきこみであったが、モラルが問われる。

世界柔道での井上の精神的未熟さ。鈴木の幻のあの鈴木の試合は一本でしょう。結果は負け。・

見知らぬ人から監視されている不気味さはヒッチコックの映画の比ではない。
ブログに怖い書き込みをされたときである。

「死ね!」とかではないが心理状態似たようなものでよくない。
マスコミ包囲網でノイローゼ気味になった朝青龍をチョット許そうとさえなる。

どのような心理状態になるのか。
他人に問うように自分にも問い直してみたい。

誹謗中傷が不気味で理由が一切解からない。
便利な日常的ネット社会の隙間である。
何故ひ弱か、便利さに支配されてるからだ。

被害者は傷は深いのに
     加害者は面白半分。

人間不信VS面白半分が増長する。

加害者は自分の内面にある抑圧感情を発散、
瞬間全能感を味わってる支配欲に気付かないのだろう。

匿名なら何をしてもよい。
対人モラルの欠落。

否!断じて否!そんな生易しいものではない。
人格のゆがみに慄然とする。

政治や権力権威は自由に批判してもよかろう。
巨大ガリバー痛くも痒くもない。
民主主義言論の自由であろう。
自由なる言論空間の域であろう。
多用なる可能性を抑制寸べきでない。

似ていても全く異質の匿名での個人書きこみ。
ただ、匿名個人攻撃はいけない。
他者を傷つける情報を発信しても責任を取らないでいられる。

そこまで容認してるのか。

救済の社会システムが必要である。
ネット社会は未熟ゆえその負の側面がある。

身の振りかた

2007年10月6日
6日の誕生日の花は葉ケイトウ。その趣意は不老不死
隠れ住む門に目立つや 葉ケイトウ。

雑草の如く犬走りの端っこから生え揃って立ち上がり成長する。
種子が熟した後、指でわずかに圧をかけ抑えるとはじけ飛ぶ。

子供ゆえ面白きさまからトビシャコの別称のホウセンカも同様であった。
葉ゲイトウとホウセンカはどう風景である。
似た状況に昨日は悩んだ。

一夜かけて書いたものがアップロードできず凹んでいる。
思い出し書くことほど辛いものはないので諦め昨日起きたその数字の使い方での強要される
実績評価の差異を瞬時の思いつきで読書の秋で図書館術と対比してみる。

企業は人である。
またその永久の繁栄は組織秩序の維持にある。

何も会社発展の野心に満ち溢れたる人の旺盛さでなく清貧高潔だけでいい。
ここに大上段に論づべき問題でもない初歩的ことで書くのさえ稚戯すぎる。

実に不思議なる歴史的事実は無血の明治革命である。
維新と言葉を変えてることにはイデオロギー対立の深刻さに為政者が作り出したる言葉なんであろう。

上野のお山の彰義隊や会津藩、東北の親幕府
最後の戦い函館に立てこもった榎本武揚、新撰組土方歳三らの抵抗はあったゆえ
無血革命の歴史的意義付けがぼやけてはいる。

フランス、イギリス、アメリカの南北戦争とを比較することで明治革命の平和的移行が
理解できる。

似たようなことが限定的に言えることは太平洋戦争での敗戦を受け入れる1945年8月15日の
敗戦の天皇の玉本放送にも見られる。

日中、太平洋戦争と大きな犠牲の元での敗戦ではあるが今日があるのも最終的にはあのときの戦争の終結に向けた足掻き掻きがあり終戦を迎ええることができたゆえである。
二つの事実は人材を保有していたからの一点に尽きる。

そしてそれを作り出した成長過程のどこにでも食料がで来る田んぼが風景があることとだ。
田んぼほど大切なものはない。

思想に何故とおまわれようが環境は極めてその人の思想を形作る。
ヘーゲル哲学を引き出すまでもなく意識は存在を決定する命題に他ならない事実がそこにある。

青田波は俳人の季語でもある。
6日NHKラジオ深夜便の朝4時から現代俳句会の会長のウダキヨコのインタビュー形式の語りでも言っていた。

夏は障子にふすまをはずしすだれかえる。器もガラス類が出てくる。
生活慣習から日本人はおりあいをつける、
歳時記はその百科事典。
田の文化がいとおしい。
自然は明治期に作られた新しい言葉であるが、その自然が失われつつある。
特に地球の水がなくなる水がめたる地球の危機である。

みずがめにまだみずのあるゆうやけかな
兵庫県伊丹市かきもり文庫に会長の師・かつらのぶこの展示会が開かれておりその考え方の一端を知ることになろう。
電話は072−782−0244が会場である。

話を戻す。
太平洋戦争は後日に譲るとして明治維新を見てみる。
高野長英も大村益次郎も橋本左内も同じ勉学の塾の出身者である。

どこかとたどって行けば大阪の緒方洪庵の適塾の出である。
その塾のあり方は同であったのか。
福翁自伝がつたえる。

まず始め入門しても何も知らぬものに如何にして教えるか。
翻刻オランダの文献が二冊ある。

「ガランマチカ」「セインタキス」
ガランマチカを教え素読を受ける傍ら講釈を聞かせる。
これを一冊読了するとその通りに教える。

ここまでが授業による指導。
次は会読10数人が一冊の原書を輪読する。

買い集めた舶来のもの医書が、窮理書10冊程度。
一種一冊しかないから各自写して自分用のテキストを作らなければ成らない。
一度に写す事にはならないから籤引きとなる
運が悪ければ毎晩夜中に写すはめになる。

1857年から塾長を勤めていたので塾生の難儀さ不便さを目の前にしてた
福沢諭吉は幕末3度の洋行の機会があった。

慶応3年幕府が買い求めた軍艦受け取りに正使小野友五郎に随行。
本業の通訳を逃げ回り、書籍購入に奔走。
四千両からの原書を購入。
辞書地理所歴史者
今まで見向きもされなかった経済法律書を40部ずつそろえた。
塾生がめいめいもてるようにのことからだ。

正使小野の幕府の書籍が卸値で買えると知って自分の分もいっしょに購入させようと滑り込ませたという。
運賃でも公の荷物に入れ公金勘定にした。

正使小野友五郎は帰国すると神奈川奉行に差し押さえさせ告発。
自分も管理不行き届きで進退伺いをだした。
取り締まり不行届出の進退伺いである。

外国奉行から
「御用中不都合の次第あり、謹慎申しつくる」
命をたまわった不名誉な事実の福沢諭吉。
志の国家的一大事の建国一途の将来の想いからとはいえ犯罪との断罪の事実はある。

もっとも幕府崩壊で放免となる。法知識が弱いが未決囚であることには違いない。
明治の新聞王福地源一郎に告白している。

商人からのコミッションや運賃その他併せてて一万五千弗利得した。
問題は書籍の置き場である。

芝の新銭座に、明治初年
慶応4年有馬藩中屋敷が買ってあった

請けで建物建設に入る。
できるだけ安く完成させる想いからであろう。

歴史と照らし合わせれば驚くことに官軍上洛で江戸中が騒いでる最中である、
大工左官飛びついて請け飯が食えれば結構と破格の安さで請け負わせた。

中津の奥平家の長屋を買って移築。
150坪を4百両で仕上げた、

その当初の塾生は幕末の動乱で18人。
明治4年図書室設置を設置した。

新銭座から三田の島原藩邸跡移った後である。
「月波楼」と建物はなずけられた。

図書は寄付で備えられ充実していく。
ゆかりの馬場辰猪、目賀田種太郎金子堅太郎も寄贈
「慶応義塾書館」の蔵書印を捺しおさめた。

中国流解釈では「書館」=娼楼を意味してたが気にしなかった。
校舎配置図から見ると品川沖を望む絶好地に図書館は配置された。

近代図書館の性格機能との規則は文明開化の音がする。

蔵書目録をそろえること
至極当然なこのことの初期的処理から整理は始まる。
細かな取り決めも実施された。
蔵書を売り払うときは古書売り払いの印を押すこと

貸出日は何日である
貸し出し方法はどうする

一年に三度、内外社中借用の書籍を皆集め蔵書目録と引き合わすこと
書籍九両として
借用した社長から金を納めさせること
一銀9文、4文5分
即物的で高い焼種油ゆえ必要以上はは消し、そのときの市に従い代金を償はしむ可し

和服姿の熟生がまるい形の机で灯火には代金を取った。
本を読んだ風景が想像できる

寄宿舎学外の公開であった。
素晴らしいことである。
草創期の人材は断片メモじかんがにゆえである。

門野幾之進(1856〜1938)
土佐16で教員16年校長
31年大学えひめ菅学応1868〜1932
平山幹次

田中一貞(1872〜1911)
エール、パリ大学
1858創建安政5年明治41年50周年

和田英作(1874〜1959)
武将が馬から降り自由の女神に対する構図
下辺ラテンゴでペン派遣より強し。
大正4年12月13日。
小川三相
20年5・25空襲

水上滝太郎
馬場孤蝶泉鏡花
49年12月復元
東京書籍菅等許プ図書館の前身
慶応の図書館のことである。

会社の発展充実も似たようなことであろう。
目先の売上のみでは人材は育たない。

恐怖政治に似たるものでは発展するはずがない。
内外に結末が例示がある。
相撲への親方の顛末であり、タイをミャンマーと凶変させた1988年以来の軍政政治の国みたいなもの。
コンゴがザイールもそうである。

ビルマの竪琴では現地に残る責任者の立場にあったものの責任感である。
責任のとり方がいずれにしろはっきりすることである。
売上の数字は給与と対比されてのみ真実性を増す。
企業は人なり企業は正しき扱い方の数字なり。

1969年(昭和44年)お役所、松戸にすぐやる課
ガできた日が10月6日の今日である。

図書館2

2007年10月7日
ペルーの2000mを超える天空の高地マチャピチュは世界遺産。
スペインの老獪なる政治手法、軍事力で滅ばされた。

その地よりもたらされたジャガイモを食するたびに思い出す歴史好きも多かろう。
この時期のじゃがいもメークインは実においしいので嗜好は思考を刺激し創造力を豊かにするからかもしれない。

金銀を豊富に用いた文化は世界文化遺産でも特筆する。
どこの国でもそうだが被制圧国には文化遺産は持ち出される。

エール大学とペルー政府が4000点を超える美術的文化品の変換に応じた。
資料が逸散にしてはもとの木阿弥。現地に保存館も作られるようだ。

勝利品扱いで制圧国に持ち込まれた遺物の返還はあちこちにある。
ギリシャの遺物は英国大英博物館に保存されている。
発見者主義なる論理構成で変換されない。

略奪であるのに変わらない。
個人が一個盗めば大悪人だが国家が盗めば文化功労者的扱いに近い英雄に成るわけである。
収蔵のときは言いが保存は悩みの種。

県立図書館の収蔵能力は64万冊程度が適正らしい。
3月現在で63万5千冊を突破、本年度中には約1万冊が加わる

貧乏してると特に公共パブリックのありがたさは身に沁みる
図書は週刊誌さえ含めて図書館頼みこれはことである。

本棚の段を増やすなどして応急的対応のようだが書庫の増築など抜本的な対策が迫られている
県も財政難で敷地はあっても建設費の捻出が難航される。

同館の閲覧室と書庫を合わせた本棚には80万冊が収蔵できる。
本棚は分類ごとに一定のスペースを空けておくことが必要で、本を詰め込むと破損の原因になる。

一般的には、75―85%が埋まると貸し出しや収蔵への対応が遅くなるとされる。
4層になっている書庫の床の強度を考慮すると、全体の8割が適正な収蔵数と位置付けている。

 同館の収蔵数は、1988(昭和63)年のオープン時は約33万7千冊だったが、毎年2万冊のペ
ースで増え続け2001年度に60万冊を超えた。
古文書などは申請して見れる。

大憲章・マグナカルタは世界に20冊ほど確認されている。
その一冊がサザミーの入札競売にかかる。
23億円近い落札値予想が出回る。

活版印刷は天正少年遣欧使節一行の8年5ヶ月の年月をかけ持ち帰った文化的遺産の一つ。
長崎で日本文字の活字を自力で作り上げ日本版キリシタン出版物を刊行した。

その偉業はどんなに語り尽くしても語り尽くせない。
ただ、為政者は焚書の蛮行を実施しただけでなくキリシタン狩の
生命を脅かす過酷な火あぶり逆さ釣りなどの非道の刑を見せしめに徹底的に弾圧したので
関係書は国内には見出すことは困難である。

天理図書館は1930年開館、翌年、スペイン、メキシコ大使を勤めたる大鳥富士太郎男爵が
日本中国17世紀初期刊行本を収蔵。
キシシタン本の収蔵は1941年南陽堂書販売目録「おらしょの翻澤」の取得を嚆矢とする。

その持ち主を追っていくと島原城主松平忠房が南陽堂と幸田成友との交友がある。
数年前ここから出てる訳でもたらした刊行されたマカオで刊行準キリシタン版
「遣欧使節対話禄録」幸田成友がオランダ・フェレンツエで入手慶応に治められた。
戦後、天理に交換された。

その貴重なる稀有のキリシタン本の数々は天理大学の貴重な収蔵物である。
解ってる入手経路や逸話を拾うとつぎのようなことが記録されている。

「ぎやど・ぺかどる」キリシタン版
1931年ローマ・オットー・ランゲ書店の目録に載った。
250円
当時の百科事典の価格。

グーテンベルク「42行聖書」
苦難の経過で丸善が入手。社宝とされていた。
1950年天理図書館に治まる。

1951年、林若吉が1916年越前藩医のとき発見所有されてた京都版
「こんてむつす・むん地」
淀君の妹京極高吉の妻マリアが所有との記述アリ。
キリシタン禁制の中を生きてきた。稀有の国内印刷のキリシタン本である。

新井白石はキリシタン取調べに立ち会った。
イタリア人宣教師シドッチエのことである。
出島の植物学者ツュンペリーの所有する
キリシタン版辞書を実見している。

1853・1955
プチャーチンと同行したギシケビッチは日露の領事として函館にいた。
「拉葡日対訳辞典」を入手し
1939年レニングラードに治めたが、戦火で消失。

1873年6年
「スプリツツアル修業」
マニラのブチジャン司教が発見し、大浦天主堂に治めた。

1930(大正13年)三菱三代目・岩崎久弥
モリソン文庫を本郷駒込に治めた。
「ドチリナ・キリシタン」

聖教精華

オランダ・ナイホフ書店
丸善経由「サクラメント提要」

上智所蔵の「サクラメント提要」は1934年ラウレス神父
麹町南洋カトリック伝導会で発見したもの。

50年ニューヨーククラウス書店
「ぎや・ど・ぺかどる」
その裏打ちより発見した祈祷文断簡一枚所有

1949年精神修行提要は小汀利得

落葉集2003年東京外大浅井教授
マニラで入手されたスピリッチアル

10月7日の誕生日の花はコスモス。
花言葉は調和、少女の真心
ギリシャ語に宇宙・調和見える

雑草のごとくの生命力のコスモスは明治初期に入ってきた開国とともにあるようだ。
日が短くなると花をつける短日植物。

コスモスのおしよせているくりやぐち。
くりやは台所のことだが手元に調べるべき物が何もないので字がわからない。

小林のコスモスは14ヘクタールの花畑と県道沿いの斜面に約100万本を植栽。今が満開。

9日から大阪でE3のバイオエタノールを官庁の後押しで売り出す。
バイオガソリンは二つの製法で役所主導とガソリン業界の間で見解が分かれている。
etbeなるガソリン協会方式と役所主導のぶつかり合い。

映画

2007年10月8日
映画で同じ個所を背景にみると移り変わりがよくわかる
3丁目の夕日は東京タワーが背景にあったが続編は日本橋の上に環状線がなく即青空があることでの取り組まれてる
ただ、ノスタルジックではお話にならずリアリティー性にかける。

02年「天上草原」は内モンゴルを描いた
スクリーン一杯の緑の草原。青く輝く湖。
馬や羊が大草原に溶け込み遊牧生活は詩情豊かに繰り広げられる。

息子娘を小学校に上がらぬ前低学年でのときに両親なしにモンゴル中国のたびにお願いした。
外山三博県議のボランティアでの引率である。

草原に遊びゲルに泊まり北京の王宮を見た感動話を今だ見聞きしたことがない。
知事選県議選に苦悩する外山応援に行くでもなく義理人情は身に付かなかったようだ。
あの経験は子供らの人生には生かされてないのか。

常に青年の外山三博の生き様はシルクロードの完走にある。
随分と何回となく挑戦しておられるようだ。
子らが発揮して同行する器量はないのか。

マルコポーロは、1270年にヴェニスを出発、中央アジアを縦断し、
1274年に中国の大都=今の北京に約4年がかりで到着する。
当時中国はモンゴル族の支配する元の時代、
マルコポーロはここで17年間、ジンギスハーンの孫にあたるフビライカーンに仕えることになる。
その間中国各地を旅行する。その見聞が東方見聞録の主要部分を占めている。
1290年マルコポーロは、海路により帰途につく。そして1296年に出発港ヴェニスに帰りつく。
ブログに思いを寄せる外山三博は熱い。
25年におよぶ大旅行であり、まさに男のロマンそのものだと自分のことを書いてるようだ。

映画「白い馬の季節」が背景の風景が続編の形で封切られるが打って変わった風景で驚く状況である。

主役夫婦は同じキャスト。
草原の生態破壊が進み遊牧生活が様変わりをした。
製作動機を語る寧才ニンツァイ監督。製作は妻の 娜仁花ナーレンホア
 モンゴル族。1962年、内モンゴル自治区シリンホト市に生まれる。「ナーレンホア」とはモンゴル語で「ひまわり」の意。

映画は、乾ききって、砂埃が風に舞う一面の砂漠から始まる。
『黄色い大地』を思わせる、死んだような土地で、狂ったかのように舞い踊りながら、雨乞いの歌をうたう村の長。
 「旱魃の草原に 万物救う
  慈雨甘露を 与えたまえ
  ヒスイの如き輝きを
  大草原に与えたまえ」

 砂漠化によって死にゆく草原。その中で遊牧民としての誇りを捨てまいと抵抗する男。
夫の思いを理解しながらも、押し寄せる現実の波に抗えず、町へ出ようとする妻と息子。
 本作は、モンゴル族出身の監督が描く、気高き草原の民の誇りと愛惜の物語である。

 監督デビューしたニンツァイは、彼自身が内モンゴル自治区ホルチン地方の牧畜民家庭の出身
。そのホルチン地方は、今急速に広がる砂漠化の被害にさらされている場所である。

 砂漠化については、日本でも黄砂飛来の問題とからんでしばしば報道され、よく知られている。
その原因は、降水量の低下、干ばつ、強風などの自然現象、漢族の移住による急激な人口増加、
草原をつぶして作られる農地の拡大、羊の過放牧などの人為的な要素が絡み合っている。
中国政府は、ここ数年、生態環境保護のために、自然保護区の拡大、草原の回復、放牧の禁止、他地域への
移住などさまざまな対策を講じているが、それらがさらに内モンゴル牧畜民の伝統的な暮らしを奪う結果をもたらし
ているのである。

白馬を手放すということはすなわち、そのアイデンティティを放棄することと同じなのである。
そして、その誇りに縛られ、ウルゲンは未来への一歩を踏み出すことができない。
 現実にあらがえず、ついに愛馬サーラルを手放したウルゲンが、過去の栄光に取りすがりながら絶望に打ちひしがれる
姿は、観る者の胸を打ち、哀切な涙を誘うものである。

 「凶暴な力を持った時代の変化の中に立つ、ひとつの文明、ひとつの民族の姿を隠喩している」という。
 ラストシーンで、ウルゲンは“白い馬”を野に放ち、民族服を捨て、牙を抜かれたかのように肩を落とし
、道の端を茶色く煙る町へと遠ざかっていく。
これは遠い国の単なる物語ではない。
グローバル化で田舎の商店が或いはストリートのシャッター街ができてるところは必ず「イオン」の大店舗ができてるはずである。
先日はブログで鳥取のイオンを読ませていただいた。
宮崎は九州一のイオンができて二年目。
橘通りから一足は消え、イオンはリトル東京・博多化で終日にぎわっている。
決め手は駐車場と映画館も含めて何でもあること。
24時間コンビニさえ淘汰して行こうとの勢いである。
都市とは一帯ナンなのか。何であったのか。

歴史ファンの前に邪馬台国はどこかと出せば昼飯も夕飯もいらない。
それも映画になると来れば封切り切符売り切れは間違いがない。

吉永小百合が「卑弥呼」を演ずる。
二役と大車輪の活躍である。

宮崎康平(62)は島原鉄道社長
和子は福岡での仕事を切り上げ康平の妻となった。

康平は仕事の疲れから視力をなくしたが
和子の助力を経て「幻の邪馬台国」をまとめ上げた。

まさに二人三脚でありベストセラーとなったのは夫婦愛の功績かもしれない。

その宮崎康平を竹中直人
宮崎和子を吉永小百合が演ずる。

美女と野獣といってる人誰だ!

盛んなるブームであった邪馬台国の研究の如何わしさと若気の至りの左傾運動の多忙さで興味一つ
しめせえなかった当時の多忙さ。

1967年吉川英治
メガホンは堤幸彦(51)卑弥呼は来年秋が封切りである。
いまは、ほうたいいくらを編集無しで撮りつづけ封切られてるのがたしか堤幸彦監督。

竹中直人は独特の演技論を持つ“怪優”
 本人にとってはちょっと不本意じゃないのか。
 俳優・竹中直人がgooの実施した「名脇役だと思う男性俳優ランキング」で1位に選出された。

映画「Shall we ダンス?」や「ウォーターボーイズ」での“怪演”が評価されたもので、
2位以下は阿部サダヲ、小日向文世、佐野史郎、生瀬勝久と続く。
たしかに小日向や佐野なら納得だが、竹中はすでにレッキとした主役級。

NHK大河で「秀吉」を演じたほか、映画「東京日和」や「三文役者」などでも主演を果たしている。
「ぎんざNOW!」(TBS)で世に出たことから、「お笑い出身」と思っている読者も多いだろうが、実は劇団出身。
名門「青年座」。
主役も張り、監督としても才能を認められている役者に対して「脇役1位」はどうなのか。
 結論から言えば「大歓迎」のはずである。
過去のインタビューなどでたびたび「大河もロマンポルノもオレにとっちゃ同じ次元」
「主役なんて構える気はない。こないだも若手監督の作品にワンシーンだけ出演してきた」などと語っている。
 挫折の連続だった生い立ちが、彼の「役者論」を形作っている。
もともとは漫画家志望だった。それが高校の頃、画家志望に変わり、東京芸大を受け続けた。
2浪の末、多摩美大に入学したが、すぐに才能のなさを痛感し、演劇に路線変更した。
「青年座」に加わったのも、その頃だ。
 ところが、ここでも竹中は自分の“居場所”を見つけられなかった。

前述の「ぎんざNOW!」で
お笑いに挑戦したのもそのためだし、その延長線上でテレビのドラマからお呼びがかかった時も
「あと1年持つかな」と感じていた

。実際、その通りになり、「青年座」の学校巡演の仕事以外は、飲み屋のあんちゃんか
、霊園の墓掘りのバイトに明け暮れた。
 そんなときに巡り合ったのが映画の仕事。
滝田洋二郎監督のピンク映画「痴漢電車・下着検札」で、ようやく居場所にたど
り着いた。
 インタビューではこう言っている。

「テレビにはシステムがあって、役者がそれに合わせていく。映画は役者に合わせて撮ってくれる……」
 独特の「役者論」も、こうした経験に裏打ちされている。
「仕事を引き受ける前に脚本は読まない」が持論。
「人間って明日のことも分からず生きている。仕事があるってうれしいじゃないですか」とも。
 使ってもらえるなら、「主役」も「脇役」も関係ない。今回の脇役ランク首位は、そんな竹中の
“覚悟”を最大限に評価したものだ。

テロ特措法

2007年10月9日
24節季の寒露。牛馬の食べ物のたるハミの堤防の草を刈ると草つゆでビッショリぬれる。
草籠に一杯に要領よく詰め込んで肩に担ついで納屋に帰ると馬や牛の顔のホットした顔。

話し掛ける。
「すぐくわしちゃるかいな〜」「まっちょれ!」
家族や一般の世話してない人には単なるなき声にしか聞こえない牛馬たち。
世話人とは会話が成立している。

経験からペットでも与えれば荒れる子らはなくなろう。
世話してるものが家畜として売られたり忽然と生命体が消えるせつなさ。命の大事さ。

藁を交えギロチン状の台に草とワラを交えたハミ切で2〜3センチ位の長さに切り刻んでいく。
ハミおけからそれぞれの牛馬の部屋のハミ桶に配る。

「昨日はこちらからであったろう。」
「そっちはまっちょれ!」今日は反対のほうから。

待ちきれず、激しくハミ桶や入り口の戸板を角を使い首上を動かしての催促のおねだり。
「まてんとか〜くわせんぞ〜」
激しく急がせる性格の荒い個性強い牛馬を調教するにはこの機会以外ない。
「おなかすいてるよ〜たべさせてくれ〜」
従順なる態度をとったら与えてやる。

学校の登校時間でもあり時間に追われてるが
農作業のときに日常に苦労しないには大事である。

農作業の帰りに小さき幼子が牛馬を操り、引くのでなく背に乗って悠々集落内を通り抜ける。
調教してあるほど増え始めたガソリン車のバスやトラックがきても悠然と通り抜ける。

バカな運転手はクラクションを鳴らせる。
動揺するような牛馬は背中のご主人様を大事にしない調教不足。

このころからドライバーには心に余裕がなく凶器の心で運転していた。
ハンドルを持つとジキルとハイドになってないか検証してみるがいい。
運転中に登校する子らの列でさえの〜急いでいるのに・・もっ!とドライブマナーを忘れてる、

牛馬が食べ終わるのを見計り、井戸よりつるべで汲み上げし水を与えて農作業の準備たる朝の義務行動を終える。
雨が降ろうと包丁が降って(笑い)こようと規則正しく単純に繰り返される農家の準備風景。
それでやっと自分の朝食にありつける。

もちろんご飯は家の敷地内の十数か所もあろうか祭ってある神々に捧げられガ済んでいるハズ。、
人間さまより神々や家畜のほうが上の扱いである。
そりゃぁそうであろう。

牛馬は農作業を司る動力源であり、糞は貴重なる堆肥で熟して使うため大事に大事に扱う。
人間さま何ぞよりよっぽど役に立っているからである。

ラジオはいまや死語となってる「放送の生中継」がない中での生放送ゆえ実にいい。
10月8日7時20分からおしゃべりクイズ疑問の館「肖像の間」。
同時に同空間を体験している生放送。

北村栄治のトランペットを聞きながらのベニーグッドマンなどや60歳になっての弟子入り話。
ミヤノウエヨシアキが助演で花を添える。
何故面白いか。北村栄治の落語好きにある。

江戸っ子でないゆえ福田康夫総理のお話し上手のなかのフット漏らす特異のフラが生きてない。
ただ、ここまで老獪さで政治をやられると国民は翻弄されよう。
テロ特措法の11月1日に法案が切れることである。

改造内閣や本来政権を投げ出してる暇もないのに政治日程を逼迫したのは与党たる自民党の責任である。
国民はみんな知っている。
ここでの起死回生の自民党人気回復策である。

桝添要一厚生大臣留任起用もこれには霞んで見える。
防衛省トップに石破茂大臣を起用した福田内閣の最大看板である。

福田内閣である。
無理をせず対立を避ける

かって防衛長官を務めた石破茂をトップ起用しての大臣である。
国民に丁寧にわかりやすく石破大臣は落ち目自民党回復策を千才一隅のチャンスにしよう。

この政治シナリオを想定できないか。

11月1日テロ特措法法案が切れる。
イージス艦が引き上げる。
メデアの総出動である。
映像を使いじっくり見せる。

タイが軍事政権とともにミャンマーに成ったことさえ記憶が薄くなっている。
政治的野党のアウンサンスーチーの軟禁さえ声をあげ得ないアジアの指導者を任じる国。

ミャンマーの軍事政権は何度となく転覆策がなされたがその恐ろしさは実感できなかった。
そこに衝撃的映像が流れた。

一躍母親は時の人になる。
映像が流された瞬間!母親の直感!
「あっ!ケンジ・・・」
この地にいることは母親は知らないのにである。

さすがに連鎖の生命のDNA10つき10日お腹を痛めた者にしか解らぬ神の告げごと。
民兵が車から降り住民を蹴散らす。
その瞬間である。
長井健司(50)が倒れた1メートルの至近距離からの銃撃。
手のカメラを離さないが息途切れるとカメラも路上に虫の息となった遺体とともにある。
映像が伴うと何倍となって戦慄が走る。

10月8日1000人が長井カメラマンの葬儀に集った。
命を賭け撮ったカメラはもどってきていない。
危険を知ってても報道人としての行動の勇気に対してミャンマー人として恥ずかしく悲しくとの弔辞。
人と人には殺しあう人種はない。
長井さん!永久の安らぎを祈ります。

テロ特措法の法案は成立までに日程的に完全に日にちがない。
11月1日で日本は引き上げることができるのか。
国民はどう見るか。

政治の現実の実情から一国平和主義はない。
貢献してきた日米のあらゆる同盟行為。

今後の外交戦略はどうなっていくのか。
問われる国益。

このガソリンがぶ飲み国家は中近東に依存しており、タンカーで運んでくる。
安全ルートの確保は国家の運命を背負っている。
よって一抜けたでは「勝手すぎる」と国際世論から非難が起きないか。

ブッシュに睨まれて戦争を仕掛けられたアフガン側からの視点はまったくない。
アフガン人にも平和に幸せに生きる権利はある。

宗教や倫理観の差がグローバルを受け入れなかっただけではないのか。
9・11が先にあったわけではない。
テロと軍事攻撃は双方の言い分の違い。

この地域に繰り広がれている軍事行為はまったく終わりがない。
不信船の定義づけはきわめてアメリカの主観で実施されてるに過ぎない。

福田赳夫VS田中角栄の政治の再現である。
戦いの頂点まで行かずに安部内閣を敗北させた小沢一郎である。

これくらいしないと衆議院選挙での挽回の政治手法はない。
福田官房長官と石破茂防衛省長官は国会答弁でウソで乗り切っている。
補給艦ときわの給油量は20万ガロンで空母が一日で使う量。としていた。

イラクにしろアフガニスタン=タリバンにしろマスコミの不気味な無言。
これまでも戦場のデタラメを覆い隠してきたメデアの責任は大きい。

NPOピースデポの会長は梅林宏道。
03年2月25日のことを米海軍公文書から読み解いた。

海事補給艦「ときわ」が補給していた。
間接給油米補給艦ペコスにである。
ときわは20万ガロンどころか80万ガロンを補給していた。
空母キティーホーク
ミサイル巡洋艦クペンスにである。

直ぐにキチーホークに給油に向かう。
26日空母はイラク・ペルシャ湾にむかった。

「燃料は拡散しているがイラク流用はない!いずれ証明する」石破茂大臣はいいきる。

6年前の9.11にすべては始まった。
衝撃的事件の犠牲者は
アメリカ2902人
イギリス  67人
日本    24人
コロンビア 17人
38ヶ国3000人を超えた人数だが正確には今だ解っていない。ラウンドゼロ。

米国主導の国連を経ずの掃討作戦には40カ国が名乗りをあげた。
日本は緊急に特措法を可決して護衛艦補給艦をそれぞれ派遣した

燃料と水を補給するため960回の並走行為で補給された。
221億円の実行予算である。

アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、カナダの5カ国は陸、海に軍事力を行使。
日本は海だけである。イタリアは陸だけ。ロシアは不参加

アフガンとは違う
傍若無人の米傭兵に不満の声が米軍やイラク軍内部でくすぶる

イラク戦争では、米元軍人らで組織される傭兵の存在が大きい。
ところが傭兵は、民間人で組織されるために、兵士のように民間人に対して、無差別発砲しても処罰されることがない。
傭兵の給与も、兵士に比べれば10倍以上という。
無法行為をしてもお咎めないしという傭兵に対して、
米軍やイラク軍兵士から不満の声が上がっている。
エジプトの有力紙、アハラームが伝え

「内臓感覚」著福士審NHKブックス970円
胃腸が弱く、ウンコを漏らすかも・・総理のイスは意外なことで放り投げられた。
すぐ下痢をする生生で苦しんでいた。
過敏性腸症候群=IBS
脳と腸が上手くいかず炎症や潰瘍がないのに下痢や便秘をもよおす。
周りは正面を向かず
気の性、たいした事はない。の大合唱。
もっと酷くなれば「甘えるな!」
当人は辛い

自由にトイレにいけない環境
精神的には外出できなくなる。

情報のやり取りが過敏すぎる
ストレスで興奮すると腸が過剰反応を起こす
なにかが引き金で病的にこれを誘発した。。

一方通行でない情報。腸の状態が脳にいく。
体の統一性からも体は総合的にできている。
ストレスが加わると情動形成に影響する。
人間の構造の発生や進化からは腸の方が、脳より先にできている。

社会環境が小泉政治で特に早く変動したグローバル社会を進展させた。
政治は軟着陸させるための国家的手法であるべきなのに逆に進展させた。
短時間で結論、多くの成果を数字で出せ
競走の世の中の風潮がストレッサーになり象徴的現代病たる涙目の安部前総理。
著書のプロローグはそうはじまる。

小泉改革あらゆるところの競争。
皮肉ではないか。競争はたくさん。小泉政治の継承者が精神的に参ってしまった。

「総理の隋行医歴代総理の脈を取って」がタイミングよく大和書房から刊(で)た。
医師・水町重範ノリは46年生まれの岐阜県の人。

安倍の祖父岸の妻良子は医者嫌いであったが32歳になる水町の在宅治療は受け入れた。
最後まで自宅での治療が受け入れられた。

岸は「そうなんじゃな」と山口弁もでるほど水町医師を信頼ことばで話し、家に置いた。
「わしは巣鴨のプリンスホテルで鍛えた」と豪語し健康体であった。
87年90歳で逝く。
安倍晋太郎は気さくに人間の幅のある人であった。

外務大臣でインドにあるときに急に腹痛と下痢が襲った。
事前挨拶の場で中曽根総理にヤギノミルクが出された。
匂いをかいだだけで大臣!と安倍に渡しやむえず飲まざる得なかった。
点滴中「あのヤギノミルクを総理が俺に回すからと」恨めしそうにいった。
ゴルバチョフと会うときは激やせで下着を重ね着して会談に臨んだ。
91年すい臓ガンで逝った。

安倍信三は祖父、父の気力体力を自分の身を比較して熟知していた。
9・24の病院での真相のインタビュー
政権を投げ出された国民をシラケさせた
体力の限界で投げ出さざる得なかったことと単純であった。
辞任の引き合いに出された小沢一郎もとんだとばっちりである。
クーデター説の麻生、与謝野にしてもそうであった。

早口になるのは緊張したとき。
外遊先から入院して身を引く状態であれば未だしもよかったが
ギリギリまで職務を果たそうとした。

病状を世間に伏せ体調不調を長引かせる。
病気引責での投げ出し政権の汚名責任は今では前首相だけか一人で背負っている。
周りの人々になぜにこうまでになる以前にストップできなかったのか。

魑魅魍魎の権力機構がなさせた敗北を執らないことから始まったつまずき。
亀裂は生命までに及ぶ深まりと成っていた。

2週間の空白はテロ特措法にいよいよ日にちをなくしてしまった。
教育三法、防衛省の昇格。憲法改正の投票法。
そりゃぁ〜これほどまでにやれば神の国、罰も当たろう。

正規なる手続きたる選挙の洗礼さえ受けていないのに法案だけ成立させている。。
敗北した参議院選挙なんて選挙ではないらしいの論意からだ。
小泉安倍の土俵の衆議院権力の選挙の洗礼無しのやりたい放題。

選挙の洗礼さえ受けていない。
国民の付託もないのに戦後レジームの脱却を果たしえた。

女王なら許されようが宰相には認められてない。

蒼き牝狼が朝青龍の国から10月15日のミス大会に来日した。
アンフバヤル・ゲンバオチル19才チンギス大法科に在籍している。
スリーサイズ87・60・87。優勝しても違和感はない。

この人を紹介するには丁度の人がいる。
妖精・ビーチバレーの浅尾美和(21)である。
三重県の人。身体重172・53kg、83・62・86

男って悲しき生き物である。

文化の秋

2007年10月10日
東京・北の丸公園の国立公文書館で、所蔵の漢籍を集めて特別展が開催されている。
前漢の史書「漢書」や戦国時代の思想書「韓非子」の版本などとともに、「陶淵明集」8巻も展示されている
嘉靖(かせい)元年(1522年)の跋文=あとがき=があり、当時の版本であるらしい。

「歳月 人を待たず」「人生は実に難(かた)し」といった詩句を思い起こしつつ、
田園の詩人をしのぶのも時節柄よろかろう
「草枕」のなかで夏目漱石は陶淵明の詩文の一節を引き、「利害損得の汗を流し去った心持ちになれる」と書いている。
一巻と一顆で過ごす秋の夜半もいい。

三好達治に四行詩がある
「燈下」。
/書は一巻 淵明集
/果は一顆(か) 百目柿
/宿舎の夜半(よわ)の静物を
/馬追ひのきてめぐるかな

場所はおそらく田舎のどこの家にもあった縁側。
畳の部屋から外は障子で隔てられその外にくの字に曲がる板縁があった。
クーラー無しで生活ができたのはこの家のつくりがあったからでもある。
サッシで区切られて虫の声さえ聞こえぬ自然との断絶の状態は少なくともなかった。

その住環境の変化はあれども晴天の日々のなか、
ひと雨ごとに秋が深まり、灯の色が目にしみる季節になった。

縁側はなし、スイッチョと鳴く虫も上の階には来てくれず
淵明集も書店でそうは目にしない。
詩人の夜半をまねるにも骨の折れるご時世で牛ある。

東晋の漢詩人、陶淵明は41歳で官職を辞し、帰郷して晴耕雨読の日々を送った。
「盛年 重ねて来たらず」(元気ざかりの若い時は二度と来ない)とうたった人である。
来し方をふと顧みることの多い秋の燈下に似合いの一巻だろう。

森鴎外の短編「安井夫人」幕末の昌平坂学問所・塾頭日向の人。安井息軒のご夫人のお話
森鴎外にしても大儒学者日向の人・安井息軒はうっちゃっておくことはできず妻を取り上げたわけである。
その安井息軒の高弟の平部喬南は為政者としては飫肥藩の家老。
師弟相そろい陶淵明に触れてるのも似たような人生を歩んだからであろう。

新政府は修史と並んで地誌編集の事業を興した。
王政復古の証である。

そもそも地誌編集は古来中国において修史とともに帝王の事業であった。
古代国家が国史編集にあわせ風土記を撰進したごとくである。

列強と対峙しながら歴史的地理的自覚を強調する必要があった。
よって各県役所の仕事の一部で編まれた。

宮崎県では当代随一の学者平部喬南が仕事に当たったが人選された中では全国一の人物。。
明治7年着工され明治18年刊行。中央に収められた。
明治20年事業は帝大に移管された。

千五百余部の全国から寄せられたものは大部分は関東大震災で鳥有に帰した。
ところが神の国日向地誌である。
日向地誌56部は神業の如く偶然にも史料編纂掛に貸し出されており唯一火災から免れえた。

平部喬南、齢60から70歳の頃にリュマチの持病をもろともせず全県下山野をくまなく踏破した。
実測正確なる統計推敲を重ねたゆえに地誌を比類なきものにした。
身を賭して1700ページの大著となった。

わが都於郡の山田を見ると驚くべき記述であった。
山田地域は6っの寺社が記載してあり、それは宿泊できる宿坊であったことを平部喬南は記している。

そこには古くから伝わる温泉が現在も山田温泉としてあり喬南の記述と合致する。
いまは山全体が大きく掘削され無残な惨状を喫している。どこに行ったのか。

旧道の根土或いは土葉で使用されたのであろう。
伊東氏の日向下向の最初の宿泊所がこれである。
もっともせきやん史観ゆえ誰も取り上げないであろうが喬南の日向地誌の記述からではことは大変なことになる。

発掘もしないで文化財保護法違反の状態ではないか。
施工したのは東国原知事の進める行政機構の廃止案で地元が騒いでいる宮崎県の土木事務所である。

かすかに残ってる神社仏閣の山田神社は学校となり、また、他の寺はたとえば馬頭観音墓地となり、
その戦闘馬、農耕馬の墓所には幼少時に馬、子牛を埋めにいったのを覚えてるのにその馬頭観音墓地でさえ
ナント誘致企業の工場となっている。

大丈夫なんであろうか。山田地域のこの文化財の破壊状態。
寺社は祇園と幾つしか残ってない。
何も明治政府の悪行たる文化財破壊の廃仏毀釈が吹き荒れての責任に帰したくもない。

手がけてる書き物の始まりはこの書からの啓発がきっかけである。
伊東家日向下向の始まりをここから書き出したせきやん。
・・・
日向・都於郡に下向して伊東家が242年も続いたが
家督をめぐっての争いは家臣団をも巻き込んで壮絶な歴史を残している。

日向西都・都於郡での伊東家には地付きの四天王・山田、荒武、津留、大脇がいた。
稲津、落合、湯地、川崎は従って下ってきた四天王。

初めての顔合わせのとき、
下向の衆として客間、
居付の衆として主座に着した地付き四天王。

これは先例となりこのことが家臣団にはいろいろと困難が生じ、お家の一大事になった。

「鎌倉殿に置かれましては執着至極。」
「まったく面目ぼくござラン。今しばらくお時間をいただきたい。」

「なんの。不首尾は当方でござる。
  よしなに取り扱いをお願いいたす。」

 建武2年1335年12月足利尊氏、京に上る
  伊東祐持の軍、三条河原で戦功ありて、都於郡300町を賜る

日向の形成不穏に小山田を先発せしめ下向
向ノ城にいる。
 山田の宿坊でのこの会談が日向の今日を指し示している。

秀吉の国割で日向は5藩で運営され、家康の時代もそれは変わることはなかった。
廃藩置県の明治の御一新で旧藩主のお城の後が県庁になった。
宮崎と札幌のみがお城の後に県庁が配置されなかった唯一の県である。

明治6年から明治16年まで今の形の宮崎県は存在せず鹿児島の一部であった。
さらに宮崎県内は戦乱の明治10年の西南戦争である。
平部喬南の息子俊介も西郷軍に従軍しての参加に心を痛め、その戦死にいたっては惨儀の涙を禁じえない。

陸の孤島との形容詞はいまだ消しえず生活インフラの整備は全国一進みが悪い。
宮崎県新誌は佐伯英雄の著作として昭和26年に刊行された。
そこで「宮崎は陸の孤島」と書かれた。

この場合の根底にあるのは現在の環境を前提にした話で陸運が基準である。
ズーッと以前の海運中心の生活のその地域の歴史は踏まえてはいない。

縄文海進の命名者は考古学に造詣が深い江坂輝弥。
6000年前は現在よりも海抜で1.5Mも違っていたと科学的データーを示す。

首都・東京は現在地より50km奥地まで海水に覆われていたことになる。
その頃の日本列島を見渡してみると当時の生活の基本であった海運の良港が少なくなる

日向灘は単純な海岸線であるが
海抜1,5Mでの日向の単純な海岸線は海没し、複雑なる屈曲のある多くの船舶停泊の港湾
があったことが見えてくる。

西都原古墳群がある大地から中心部を見ると御船通りの船着場の云われも理解できる。
縄文海進の基地は集荷場として中心地をなし、海没する現在の街並みを大きく変えることになる。

古事記日本書紀の記紀の話が伝わる神話の国はこのことが大事である。
生目、西都、新田原、高鍋持田とまとまった古墳がある地域の海抜は同じ高さになる。

入り江のある海岸線がくっきりと現れてくる。
日向の地から神々が生活を始めるには運搬に有利な良港がありお話が合ってくるのだ。

悠久の太古の大河の雄大なる流れ海水が引いていき豊穣なる土地が誕生する。
地図にある緑の部分の肥えた平野部分の誕生である。

後には稲作がもたらされ、日本人類の祖は定着していく。
逆に日向の海岸線は単調で良港はなくなっていく。

その後の安定期が続き治水で日向太郎の大淀川が改修される。
宮崎市内の伝統校大宮高校の学園祭の弦月祭の名に名残を残す大きな池はあざ図にはある。

明治期には大きな池があったのである。
西南戦争当時の現在の県庁周辺や中心地の山形屋デパート近辺は市内は大淀川の湿地帯の面を残していた。
昭和7年建設の県庁の基礎には湿地であったゆえ多くの松ノ木が杭打ちされ現在の建物が建っている。

10月8日の毎日新聞の人欄に、にっこりの写真が出た。
山本麻由は東京の人
イグ・ノーベル賞化学賞をこの4日に受賞した。

牛糞からバニラ香を抽出したのである。
くさくて重いので処理をとの悩みを解消するのが取り組みのきっかけ。

水を加え熱する
温度が高すぎると焦げ付き温度が低いと消えない
試行錯誤2年を経てバニリンの抽出に成功
お茶を炒ったような香ばしい香りと
研究成果は人を笑わせそして考えさせる
裏ノーベル賞といわれるイグ・ノーベル賞化学賞を受賞した。

実はこの人・宮崎大学を卒業しておられる25歳。

国立国際医療研究所勤務の頃の成果であるとの正直なる戸惑い。
不要をを役に立たせる
ハバード大学一級の研究が外資系医療機器会社勤務。

今年のノーベル化学賞はフランス、ドイツのアルベールフエル、デームグレインベルクの二人が受賞すると10月9日
発表された。ラジオからゆえスペルに自信がない。
二人の研究の微磁力のことは今日の生活になくては成らないものとなってる。
ハードデスク、ナノテクの研究はパソコン携帯電話と実用化に大きな貢献をしている。

2000年白川さんが二人目のノーベル科学賞を受賞したのは10月10日であった。

昭和52年新宿の歌声喫茶「ともしび」が閉店した非も今日である。
今では移転再開してにぎわっているらしい。

沖縄空爆そして東京オリンピックの日。
制度変更についていけない脳状態には休日の体育の日。

夏目漱石「草枕」のなかで云う陶淵明の詩文の一節をよんでの
「利害損得の汗を流し去った心持ちになれる」とはこの二つのニュースのことにドン・ピシャッ!

対決。

2007年10月12日コメント (1)
大助(33)VS大毅(18)をマスコミに煽られ見たが前評判の割にはまったく粗末試合。
ファイター型とフェイント型では噛み合わない。

舌を出したり、で挑発するあいかわらずの亀田式下品極まりない
最後には14ラウンドに抱えて投げるk−1もあり、で反則を取られるはで、世界戦には程遠い試合内容。

王者内藤も世界ボクシング評議会(WBC)フライ級にふさわしき地位をつづけてほしいものだ。

9時からの国会は
福田赳夫VS田中角栄の子供同士の対決。
福田康夫VS田中真紀子の論戦が行われる。

 福田総理の所信表明演説に対する各党代表質問で、質問のトップに立った民主党の鳩山由紀夫幹事長は、福田首相が掲げる野党との協調路線に対し「談合のような密室協議」だとして拒否を明言。

「自民党・福田内閣か、民主党・小沢内閣か、国民の審判を仰げ」と早期の衆院解散・総選挙を迫り、対決色を鮮明にした。

 さらに「直近の民意は参院にある」とも力説したが、首相は持論の話し合い路線を繰り返し、解散要求には応じない考えを示した。

インド洋での自衛隊の給油活動で鳩山は米軍主導の「不朽の自由」作戦を直接規定する国連決議はないと指摘し
、政府、与党が検討している新法にも反対を表明。

 イラク戦争への燃料転用の疑惑などを挙げ、自衛隊の活動実績の徹底した情報開示も求めた。

首相は活動の重要性を強調するとともに「可能な限り情報を開示する」と答弁。
その後岡田、官直人と質問者にエースクラスを立て追求。

マスコミを煽る作戦で田中vs福田再現
を狙っての演出。角福戦争の再現である。
ただどうであろう。

田中政治は49年12月に退陣
列島をブドーザーつき政治と言われたが、今の有権者の半分以上が知らないわけである。

51年7月27日現職総理の逮捕と衝撃は忘れてはいない。
日中国交回復で自民党は大きく変わった。台湾は戸の決別の返信した自民党である。

中国の正当政府は台湾としていたわけで誰でもおかしさを今では感じるであろう。
時代の流れであったわけだ。

秋キャンプの宮崎

2007年10月13日
残り3ヶ月と思ってたら10月も半ばで一年の決算が近づいている。
ここまでくると日々終わるのが早い。

今日も外気温は30度近くなっており、感覚が麻痺してるのが一番で環境が意識を決定するとの哲学的命題を実証している

気候の異変が病魔を早めたのか黒川紀章(73)心不全のため死去した。
共生新党を立ち上げ、宮崎でも珍しく候補者を立て戦い次回の選挙を楽しみにしていた矢先であったので宮崎への影響は大きい。
高千穂線など一挙に解決のメドがあったのに残念である。

プロ野球も予備決算でパリーグ二冠王に輝いた山崎は若者の力が発揮されるスポーツの世界に一石を投じた。
職場の若者の台頭に悩んでる世代にどれだけ勇気を与えてくれたことだろう。

「テゲテゲ、」「テニャァオカ」加えて「のさん・たまろか・よだき〜」の熱意・やる気にかける
県民性に「活!ッ」を入れてくれた人がいる。

プロ野球セ・リーグで宮崎の人・青木宣親(ヤクルト)その人である。
リーデング・ヒッターに輝いたがこれで二度目の受賞である。
年齢経験を重ねてるゆえ喜びもひとしおであろう。

2度目の200安打に挑んだがわずか7本足りなかった。
あのイチロー選手も達成していない記録を残念ながら逸した。

ただ、3年連続190安打以上は史上初。
最高出塁率のタイトルも取りセリーグの顔になりつつある。

4年間で積み上げた安打は早くも590本。
 実働は3年ゆえ安打製造機の張さん=張本勲(東映→巨人)以来の名誉を受けよう。
飛距離も伸び、本塁打も20本。

身長175センチはプロの世界では小柄。
それでいて一流の証しとされる打率3割を3年連続で達成。
三冠王にもっとも近い選手となった。

年齢は重ねてたがパリーグに年齢の目標の人はいる来年が楽しみである。。
日向高校から早大に進み、プロ入りしてまだ4年である。
球界では屈指の「練習の虫」。
モットーである「反骨心」が日向人に鞭を入れた。 

なしえた栄光は日々精進の賜物。
基本たる基礎体力作りに精進したからである。

 今年の春季キャンプでは「1日1000スイング」。バットを振り込んだ。
結果足腰の筋力が強化され、アマチア時代になかった線の細い印象は姿を消した。
野球選手を見るときケツの大きさで評価すれば大方間違いない。

下半身の強靭さはユニフォームから溢れ出している。
バットのスイングスピードが増し、打球も飛ぶようになった。

「バッド・ヘッド」「そう〜だね〜ウンウン」
熱血長島指導ではないが明るさが周りに溢れ、努力の人さえ感じさせないほどで努力はあたりまえ。

日向高校時代からの勉強も野球も一生懸命のスタンスは変わらない。
NHKは12日甲子園を製した佐賀北の顔を放映したが青木宣親そのものである。
まだ25歳。将来は大リーグガーの夢も隠さず語る日向人の淡白さ。

このような人材は熱い環境から生まれるがどうにも醸成していないのが気がかりだ。
プロの二軍のミニ日本一のフェニックス・リーグが宮崎を舞台に
10月8日(月) 〜 24日(水)の17日間繰り広げられているが
県民の意識は今ひとつどころかまったく関心が寄せられてないのではないか。

初年度ならともかく04年から考えるとこの状況は今後の開催さえ危ぶまれ東国原知事の出番で梃入れが待たれる。
入場料金さえ無料 と異常な環境でもこれで盛り上がりにかけるのは問題である。

プロの二軍の先ほどのことばは社団法人日本野球機構、イースタン・リーグ、ウエスタン・リーグ、
フェニックス・リーグ支援実行委員会 と書き換えねば時世がらお怒りの書き込みが寄せられよう。
二軍は改めチーム名さえ違う。正直知らなかった。

【参加チーム】

《イースタン・リーグ 7球団》
千葉ロッテマリーンズ、東京ヤクルトスワローズ、読売ジャイアンツ、東北楽天ゴールデンイーグルス、湘南シーレックス(横浜)、グッドウィル(西武)、北海道日本ハムファイターズ

《ウエスタン・リーグ 5球団》
阪神タイガース、サーパス(オリックス)、福岡ソフトバンクホークス、中日ドラゴンズ、広島東洋カープ

《韓国プロ野球 1球団》
斗山ベアーズ

《四国アイランドリーグ選抜 1チーム》

【開催地】

宮崎県宮崎市、西都市、日南市、串間市、日向市、清武町、南郷町

【使用球場】

アイビースタジアム、生目の杜第2野球場、サンマリンスタジアム宮崎、ひむかスタジアム
、西都原運動公園野球場、日南市天福球場、日南総合運動公園野球場(東光寺)、串間市総合運動公園野球場、
清武町総合運動公園野球場、南郷スタジアム

【出場選手の資格】
10月1日現在、支配下選手(育成選手)として登録されている選手

【試合開始時刻】
12:30 開始 (一部、13:00 開始)

【球場開門時刻】
9:00 開門

【試合日程】
全98試合  >> 試合日程

【注】 10月12日(金)、17日(水)、22日(月)は練習日だが、日程の消化状況によっては試合を行うこともある。
(休養日となる場合もある。)

【注】 第1クール内に予定する「生目の杜第2野球場」の試合は、高校野球秋季県大会の大会終了日により、
「ひむかスタジアム」に球場変更となる場合がある。

試練

2007年10月14日
お昼休みにそれとなく車の通りを見ていると
ご挨拶をされながら、
「先日はどうも6Fでお会いしました・・」
「あぁ〜カリーノ6FのパソコンのDELの人」と勘違いしていた。

早朝パソコンラックを汗かきながら新規の場所に運び設置し、
電気屋さんの配線工事を見届けていたので先入観が間違いを助長した。
「パソコンがくるのですか」との会話で確認もしていたからである。

「ブログで過分なことばをいただきまして・・・」
「あれ?デルの事も書いたが少し会話の趣が違う・・」
そこではたと気づいた。
ブログにこう書いたことがある。

・・・テレアポの19:00すぎ仕事帰りに急遽若草とおりのアーケド街の六階に登った。
そこにはスタジオ風30坪ぐらいの広さのだだっぴろい株式会社の事務所で、
机が純和風の木目調でカタログはおしゃれな器に置かれている。
すみやかに冷茶が自家製風の刺繍されたコスター付きで振舞われる。
飲ん方に行く予定が急遽のわけのわからぬ変更ゆえションベンの爺の生理的欲求を襲う。
「すみません!トイレおかしいただけませんか。}・・・・

あの日せきやんブログをご紹介したものであった。
ありがたいことに早速読んでもらってるようである。
その夜は痛飲し12時過ぎまでになったが徹夜で書きアップしたものであった。

ところでアイデアを差し上げるだけで全く自分のことは棚上げ。
パソコンでの架空空間の商店主は時代から必要不可欠の時勢である。
いまや百貨店の売上を凌ぐパソコン市場である。

同じところに依頼したんじゃぁ〜軋轢を招こう。
どこかで架空商店を立てあげねば成らぬ。
この人たちにお願いしたかったのであるがどうしようか悩みは局地。

「サイバー・パス」は宮崎聡(25)が全国規模で立ち上げたる似たようなる会社。
まだ宮崎にはないだろうがやり取りはできよう。

ニフティーとMEGABUZZ=メガパズ9割にブログから商品のキーワードを抽出。
分類する解析技術。
それは口コミ効果を高めるプロモーションのノウハウが売りである。

販売手段を書いてもらうだけでは広がらない。
濃密な内容や表現が受け手への発進力。

閲覧数だけでなく口コミを広げてもらう最適のブロガーに執筆依頼。
消費者が発信するメデアCGMが増えマーケッテングの新手法。
そのエンゲージメントには注目があつまる。
一方的でなく消費者の共感を重要視する意味が含まれている。
分析は顕彰に行われる。

NHKではあるまいに肝心の経費がわからぬでは進まないではないか。
あすPCで調べることになろう。

軽快に去っていかれた名詞一枚が手元に残る。
この人々と仕事をやりたかったものだが混乱は避けたい。
スモッグのごとき靄(もや)である。

経済人や学者などからなる日本の使節団が米国の主要都市を訪ねたのは
1955年(昭和30年)の秋である。

ロサンゼルスで街を包む深い霧に出合った
自動車の排ガスであると知る。

そのときのことは「アメリカ資本主義見聞記」として読める。
同行してた農業経済学者・東畑精一の帰国後の著作。

「…一種の『自動車病』といわねばなるまい」
とこの霧が米欧でスモッグと呼ばれていることを伝え、書いている。

同じ年に出た「広辞苑」初版に「スモッグ」はまだ収録されていない。
編纂した国語学者の新村出に“反省”の歌がある。
「広辞苑ひもとき見るにスモッグといふ語なかりき入るべきものを」。

時代の流れは実に速く、時代の寵児さえも一瞬に陳腐化させていく。
イミダスがインター・ネットの検索などの発達で休刊の07年である。

「スモッグを毒霞とも呼ばんとす」とは作家、佐藤春夫の句である。
スモッグとはいかないまでもその手前の状態が山形屋交差点前には日常的に生じていよう。

この狭き宮崎市内で快適なる空気の臭いを嗅ぎながら
自転車を蹴散らす所業が何故できぬのであろう。
あちこちを夜半早朝歩き回る人でさえ通常は車での移動だからお話はややっこしい。

昭和30年代ではあるまいに車の所有はなにもステータスではない。
軽車両の増加が移動すればいいだけの車所有の実情を悠然と示してるが如しである。

公共の足が未発達ゆえ自動車を捨てることはこの日向人には無理である。
お話してみるがいい。怒られるぐらいならまだいいほうである。
「のさん〜、たまろか。おりゃぁ〜よだき〜」

禁煙規制の罰金制度の歩道の中心街。
ど真ん中の道路はひっきりなしにタバコの煙ではないが
同じような煙が出てるが罰金を払おうとはしていない。

NOXなる発ガン物資がタバコの煙を笑いながらスッポリ被い尽くさんばかりである。
裸の王さまよろしく発癌物質を撒き散らしてる車を見ると口にはくわえタバコ・・
ドライバーは見たことがあるがどこの人だろう。黒サングラスの女性・・強くなったるものは・・・

「DHMO」をめぐるエピソードをご存じだろうか。
DHMOは無色、無臭だが、毎年多くの人を誤飲などで死なせている化学物質。

酸性雨の主成分で温室効果の原因でもある。
多くの河川や池で見つかり、米国の学生が規制を訴えたところ、多くの人が賛同した−−。
・・・・いつまで続けるというのか。・・・
ブロガーのみなさんからお叱りを受けてしまいそう。
 実はDHMOとは水(H2O)のこと。
一酸化二水素(Dihydrogen Monoxide=ジハイドロジェン・モノオキサイド)と言い換えた時の略称だ。

学生の訴えも、人がいかにだまされやすいかを調べるためだったという。

「新しい高校化学の教科書」(講談社ブルーバックス)にある。
編著者の栃木の人。左巻健男(さまきたけお)・同志社女子大教授(理科教育)
「“にせ科学”の理論構成の一例」と話す。

水蒸気が温室効果ガスであることなどそれぞれ正しい記述だが、つなぎ合わせて誤った印象を与える。
テレビの番組捏造の手口にも似る。

 このところDHMO不足(つまり渇水)が問題になっている。
一方、左巻教授が心配するのは適切な理科教育の不足。
「にせ科学」批判の活動を続けている

このブログはチエックされあのプチ炎上のときの書き込みがみんなに流布されてるようだ。
知らぬはせきやんのみとは裸の王様よりお恥ずかしい次第。

それにしても睡眠時間を削り真正面に生きるブロガーの真意を捻じ曲げられ
盗用使用されるとは世間とは実にいやらしき正体を潜めている。
要注意だがあえて続ける。
いままでもそうであったし、これからも生きる規範をブレナイ自分を矜持したい。

頑固なほどの馬鹿正直でいい。
クソッタレ!自分のブログ一行も書かないくせに探し出し情報を吸収し乱用する。
この不逞の輩に限って個人情報保護法なることを乱用するからたちが悪い。

ずいぶん前の記事を思い出す。
米大学チームの発表によると「女性はおしゃべり」はうそ?=1日の言葉の数、性差なしとある。
 
アメリカとメキシコの大学生計約400人を対象にした調査で、日常生活で発する言葉
の数は男女でほとんど差がないことが分かった。
「女性は男性よりおしゃべり」はうそ?と成ったが・・―。

米アリゾナ大などの研究チームが、6日付の米科学誌サイエンスに発表した。
 研究チームは、一日中装着していても気にならない小型のデジタル録音装置を開発。

1998年から2004年にかけ、
17歳から29歳の大学生の
女性210人、
男性186人
の日常会話を、2日間から10日間録音し
、男女それぞれが1日に発する単語の数を推計した。
 その結果、1日の
女性平均16215語、
男性は、15669語を発していたが、これは統計学的に意味のある差ではなく、
むしろ個人的な差異が大きいことが分かった。
テレアポでおしゃべい能力を発揮できぬでは実績は上がらぬ。

カジノ収入でラスベガスを抜いたマカオ中国特別区最大級ランズ社今後も大収容ホテルやリゾート地方イタリアの水上都市ベネチャをイメージして建設されその規模は驚きでサッカー場が130面敷地に3000室
スイートルームの贅は例えるに書きようも無い。

運河の流れるショッピングモール、350の有名ブランドショップは消費者をあきさせなかろう。
5万人国際会議場。劇場アリーナ、脅威の施設がオープンしている。

その衝撃度は将来パソコンを通じた販売の求人募集記事と奇異にダブル。
偶然が急遽実行される奇怪さも含めて、勘違いから始まった不思議なる日であった。

秋深し

2007年10月15日
美しきものには棘がある。
京都弁ではんなりと来れば世の殿方100人中101人までがコロリ。

公務員の男性(52)に巧みなウソをつき500万円を指定口座に振り込ませた。
横浜市の村田麻也子(47)。

さもありなん。鼻の下を長〜〜く間抜けツラはやむ得まい。
大金だが潔くくれてやればいいのに火遊び代は昔から高くつく。
野暮なやつで警察沙汰こそが笑止。

身長170センチ弱で栗色の長い髪を垂らしたスラリとした熟女。
自称ファッションモデルの結婚サギ女。
ところがキャリアが半端でない。

82年のミス日本なんである。
さらに驚くことに85年には「007/美しき獲物たち」でボンドガールで出演した経歴。
せきやんもだまされてみたかった。

007・ジェームス・ボンドの二代目だったかロジャー・ムアー(79)。
ロジャームアーは第8作から14作のボンドを勤めた。
そのロジャー・ムアーがハリウッドの殿堂入りをはたしたとニュースにある。

ハリウッドの目抜き通りの7007番地
名前入りの星型プレートを埋め込んでもらい大喜び。
 
 73年、死ぬのはシャツらだの頃は携帯電話の所持は007さえ貴重品であった。
今の生活はある意味007よりすごい日常を過ごしてることになる。
俳優引退後の社会還元としてのユニセフの慈善活動は立派。

「残念ながら007は引退した
  ボンドガールが若くなりすぎたのか
   私が年を取りすぎたのか」
あくまでもオチャメの英国紳士のエスプリは品がある。
少年老いやすく学なり難しは洋の東西も同じで之のみ死神は平等にやってくる。

その哲学的命題を娯楽の殿堂映画で表現できるのは日本映画界のお家芸。
死期を悟りいかに生死と直面して充実した時間を過ごしたか

「象の背中」は秋元康の原作を井坂聡監督が作品に仕上げた。
宮崎の人・今井美樹∩役所幸司の死期を迎えた夫婦を共演。
10月27日公開が待たれる。好評のピアフとあわせ見ると今年の秋は短い分取り戻せるのかも。

NHK大河ドラマ篤姫の撮影が快調に進んでるようだ。
篤姫の夫たる第13代将軍家定を演じてるのが宮崎の人・境雅人である。

宮崎あおいのおめでた幸せの全国おすそ分け。
勝海舟に北大路欣也、篤姫に侍従の大奥を仕切った幾島に松坂慶子。
豪華な脇役人。さすがにNHK。

先のボクシング世界戦の内藤VS亀田一家の戦いの反則問題は不問であったはずだが収まらなくなってきた。
試合前から日本ボクシング協会=JBCに内藤陣営は異議を唱えていたようである。
「セコンドに親族を禁じた規則がある」ではないかと申し出てた内藤陣営。

JBCは越本隆志のときに父たる英武会長がセコンドについてた前例で却下してた。
ところが試合開始も1時間以上もかかり、試合開始前にリング上で父史郎が詰め寄り威嚇した。

いろいろと細かな反則行為が明らかになったり、
チャンピオンの右額切り口を狙えと長男興毅の音声が流れたりでJBCも腰を挙げた。

28日の興毅の試合は延期された。
チケットが売り出されてるにも似かかわらずである。

ライセンス停止などまで及びそうであるが身から出たさび、いずれこのようになるのは明らかであった。
長男興毅、三男和毅(16)にまでトガが出ないのを祈るのみ。

芸能マスコミに君臨する和田アキコ(57)さえ、親離れで成長することをメッセージとして述べている。
和毅とインタビュー形式で会話したとき、年上の人に話す敬語さえできないことに
社会人として警告を発したわけである。
似たような経験をしてるので同感である。

「どうかね、おはよう!」と肩をたたいて出勤してきたわが息子より若造に無謀ぶりにあきれてるが如しである。
前夜の飲み代は全額こちらが持ったので「ごちそうさまでした」が13日土曜日その朝の会話であるべきだ。
こいつも大阪育ちのようだが亀田との関係は知らない。
親の顔は見たくも無い。なんの興味もなくなった。

ブログにお年寄りが書くと世界チャンピオン戦は今だ15回戦のイメージが抜けない。
試合後に事故が会ったときからであったか15回から12回になって随分ととき日は流れている。

間違いを指摘して書き込みをいただいた。
そのことはありがたい。

ただ、口汚く15ラウンドのころを見たことも無い世代が間違いを嘲笑するのはどうであろう。
書き手たる爺は最終回前との認識であの投げ技を見た。

世界戦でのルール破りの投げ技を言いたかっただけ。
ナンラウンドかは書き手はそう大きな意味は無い。
15ラウンドの認識の間違いで書いたのである。

自分のオヤジ世代と話してみるがいい。
15ラウンドの頃が経験的に日本に多種のスポーツがなかったゆえ記憶は鮮烈であった。

K-1なんてオリンピックには決してならないであろう。
蔑んでるのではない。
過激すぎ体力が持たないからである。

スポーツにしては過激すぎボクシオングのパンチドラッカーをこえたる欠陥人間が続出するだけ。

力道山以後の国民的英雄であった「真空とび膝蹴り」の沢村忠は今何をしてると思うか。
後遺症に悩んでの釣堀で余生の楽しみとしてるだけだ。
あの不出世の偉人沢村忠にしてそうなんである。

日向の人・富山もそうであった。
キックボクシング程度でさえ選手生命は短く、退いた後は正常ではない状態が多い。

k−1ルールには投げはなく、他の似たルールと間違ってたようだ。
このせきやんブログはまだブログなることばが無い頃からかかれてる。

思いつきばったりの場末のブログゆえ許されたし。爺の指の修行、ブログの所業。

たかがブログされどブログ。をモチーヌにして間違いなんて屁みたいなもの。
間違い、ヘンカンミスなどお構いなし。

書いてることはあくまで自分用の備忘録メモに過ぎない。
ホームページほど時間手間ヒマかけて書いてる訳でもなくそこんとこを割り引かないと読者4000万人、書き手900万弱のブログ文化構造は変わらないであろう。

即興でその日のことを睡眠時間を割いて爺が書いてるのだけがとりえ。
間違いは大目に見てくださいな。
書き直しなどしていないもん。時間がありません。

ただ、多大なご迷惑は直ぐにでもお詫び取り消し釈明に努める。
そこまで傷つけることはこの年齢からして常識的に考えられない。

ブログは若者も爺婆も参加できるものでないと歪な文化となろう。
現実犯罪につながる使われ方が問題となりつつある。
所詮ブログそう目くじら立てなさんな。

武蔵(34)が引退でなく12・8に復帰戦をやるようになったようでご同慶にたえない。
正道会館ここにあり。ワールドGP決勝戦のスパーファイトでの試合。

アジアGP反則勝ちであったが金けりは次試合に影響を与えた。
ジエロムレバンナを破った沢屋敷が日本の第一人者、03,04の準優勝者・武蔵を制して出場。

武蔵引退のうわさを踏み込み先日亡くなったノリック・阿部典史のりふみ
GPライダーの分まで生き抜こうとしてるのか。

ノリックの葬儀にはヤマハYZF-R1が飾られた。
世界5連勝のバレンチィーノ・ロッシ(28)も慟涙。

伊藤真一(40)岡田忠之(40)長野博(35)岩城晃一(56)らとともに葬列の
中には武蔵(34)がいた。
戦う場は違っていても真剣に生きてる賭けてるものが持ってるもの同士が集合してるわけである。
男はハートがなければ歴史は作れない。

どんな小さなことでもそうである。
いま自分が取り組んでることに真剣勝負で取り組むこと。
この参列者からはそれが十二分にせきやんには伝わる。

自分にできることで情熱を持って当たる。
とても愛を持って当たるとは照れくさくてかけない。
愛がなくして仕事をすることも生きることも必要ない。

重箱の隅をちくじりあってるのは朝日と産経に任せとけばいい。
ただ内政より国際的視野がないと政治は語ってはいけない。

今に日本には政治が無い。無政府状態である。
ブログもそうである。
読み手、書き手にマナーが欠落しているようである。
自戒しきり。

NHKわが心のたびは黒川記章を放映し、情熱大陸デザイナー佐藤と被ってしまい困って。どちらも中途半端。

天国と地獄草稿

2007年10月16日
秋の夕日は釣る瓶落とし。
夕方7時はスッポリと闇の中でスッカリ暗い。
ほんの先日の夕方7時はギラギラ太陽が熱くて恨めしがったのはウソみたい。

ひよりひよ はげしくサンマもゆ
今日16日の誕生日の花はキク科多年草ヒヨドリ草白き花ゆえ花言葉は清楚。

街を颯爽と駆け抜けるペタルの心地よさは今日からの天候の急変からか。
坪井栄描く24の瞳の小豆島のおんな先生が操る当時まだ珍しき自転車運転状態。。

今朝ほどより、ようやく秋の風で程よく心地よき風。
ただ、まだ上着は要らなない。

電話でのアポ商売は悲喜交々。
ファックスで注文がきたときには自然に両手を合わせて神に感謝した。
それも尾ひれがついてるから天国と地獄、なおさらであった。

「せきやんさん。たいへんなことじゃ〜」
返品の失態が午後一で連絡があり、右往左往で顛末が付くように先方にお詫びをし、
ご了解いただき処理をしてる最中に「また!」である。

人間って不思議なもので同じ思考形態をとるようである。
螺旋状の如く奈落に転落するのは之なんであろう。
病は気からとはよく言ったものだ。

源平合戦で川辺の水鳥にスワッ!敵の来襲!と戦わずして総崩れの平家軍の如し状態である。
ベンセン粛々夜河を渡る。

戦う前に旗指物の「白」は逃げ惑い、まとまりが悪く少なくなり軍旗乱れ、
隊列乱さぬ「赤」の旗指物の勢いのよさにまだ圧倒されていく。
黒澤映画の「乱」」冒頭のシーンを想起する。

弱気の虫、幼き頃の夜の厠の怖いばかりの状態、
田舎の谷あいの家々のどこも厠の建物は母屋とは別に庭をはさんで反対側にあった。
月の光がこうこうと照るのでさえ異様で不気味で怖い。
日本列島を被い尽くす宿命病の「鬱」たる病気の入り口の、要因を突き止めた感じである。

上司の言葉と共にファックス・メモが回され、机上に残され自分の席に帰られた。
近辺の同僚の机の向こうの視線が釘付け、ザワメキが解る。

「大丈夫かぁかいな〜」
励ましと嘲笑と取りようではいかほどでもあろう。
全国に蔓延する「鬱」の一員に入りそうな出来事が襲い掛かる。

ファュクスの紙はナント富山県滑川からのご注文書であった。
上司特有の年齢の余裕から来る広き、やさしき心からの愛の鞭。
「よかったですネ。いいこともないと。」

もうこうであるから片山虎之助のトラ退治の姫井由美子の週間誌記事の
「ぶって!」の不倫相手たる教師の心情がわからぬでもない心情。

街を颯爽と駆け抜けるペタルの心地よさは
今日からの天候の急変だけではなかったわけだ。。

今朝ほどより、ようやく秋の風で程よく心地よき肌、なで行く風。
それでも、ただまだ上着は要らない。

全国に吹き荒れた東国原知事の熱き風も少しずつ、なぁんか軟化してるのであろうか。
一昨日は大阪・吹田で宮崎フェアー。
地名が地名ゆえ大いに人気の風を吹かせてこられたことであろう。

岡山の人・大森うたえもんはお笑いタレントそのまんま東の相方。
東国原知事の表象権「びっきょ」を管理しラーメン店や映画学校の社長にも就任している。

孤児の父宮崎の人・石井十次は岡山のクラボーの御曹司の学友大原孫三郎の知己を得て
日本の社会福祉の原点である孤児問題の事業が続けられた事実がある。

名を知ってる岡山の人々。

野球人もなじみの選手が内野投手にいる。
     川相昌弘 星野仙一 平松政次
映画人  水野晴郎、八名信夫 舞台人長門勇、井上聡(次長課長)
スポーツ界にはマラソン有森裕子 水泳 木原光知子
漫画界 スプリッツの効いた風刺漫画  いしいひさいち

政治的行動人、忠臣・児島高徳、 江田五月 江田三郎
    和気清麻呂,吉備の真備の宮廷人を生み、
3人の総理、犬養毅、平沼騏一郎、橋本龍太郎(第82・83代)を送り出した。

今次の選挙を象徴する人は笠岡の人。
大臣を複数に経験した片山虎之助の地盤である。

選挙で最大の象徴視された姫の虎退治。
片山虎之助VS姫井由美子の岡山。

宮崎から備前の国を目指すと知られてる最初の街は笠岡市
縁あってこの土地を二度も訪れている。

2億年前のバタバタカニ=兜ガニが生息している。
佐賀の産卵の報道があったがどう違ってるか山間に生まれたゆえ解らない。。

小野竹僑は京都画に日本画でその美術業績を残した。
作品を収集して記念の美術館にその偉業をたたえている。

芭蕉の奥の細道は製本されてると思っていたら巻物であることをこの会館の展示で知った。
30代の手習いのあのころ。
・・月日は百代の過客にして行き交う人もまた旅人なり。・・・

備前の岡山の国は、宮本武蔵や将棋の大山名人を生み、三大名園後楽園がある。
特筆される人はクラレの大原孫三郎。
孤児の父石井十次は医学を捨て孤児問題を障害の仕事に選んだ。
学生時代に放蕩癖のあった学友を儒教的生き方、或いは学究の方に善導した
友人石井十次があればこそ大原孫三郎の業績はあるといっても過言ではない。

大原の存在なくしては日本の社会主義経済史その山脈をなす山川均をはじめとする東大教授陣を含めた人々は生まれなかった。
大阪に大原社会主義問題研究所を興し経済学の研究の没頭する人々を生んだ。
今は法政大学の書架にその研究成果を残す。

労働界の世界会議にも高野房太郎を派遣し、学者高野岩三郎は研究成果を残した。
理論の研究は実践の政治成果に昇華した訳である。

美術史界に世界の七不思議の一つの展示物、
国家的財産の受胎告知の名画が地方の倉敷美術館にあるのも業績のひとつ。

水島コンビナートは宮崎で得た旭化成の資本力があればこその成果である。
宮崎と岡山のつながりはこのように深いが姉妹都市がないのが不思議で行政の怠慢であろう。

西都市なんぞは真っ先に牛窓市や倉敷市と友好都市を結ぶべきである。。。
日向の祖・伊東氏とのつながりが深いからである。
日南市延岡市でもおなじだが県民性から期待は持てない。

岡山・牛窓は海岸線が入り組み万葉の昔から栄えていた。
平清盛が滞在し西行が留まっている。

1590年の建設の岡山城で10月8日初めての式があった。
鉄砲隊、鬼太鼓が鳴らされ新郎新婦の二人は歩いた、
医師・学、ナオコが城主の間で結婚式を挙げた。
郷土愛の発露と永久の愛。郷土愛はいずこの県民性も同じだ。

牛窓は万葉奈良から交易の中心。
牛窓=潮間門で良港である。

用語の事例を九州に見れる。
牛深=潮深ウシオフカに通づる九州の良港。
佐渡オケサなど海岸都市の民謡の原点で九州・牛深=潮深ウシオフカに通づる。

歴史にあらた登場する人々でこれほどまでの数奇な人生はあるまい。
伊東三位入道義祐。

岡山県牛窓市、伊東三位入道義祐はこの地にも足跡を残している。
先祖は源頼朝の高官・工藤祐経。

源氏・頼朝は二代頼家が暗殺され、三代実朝が二代目の息子の甥公卿から鎌倉八万の前で刺され三代で
滅んだ。
頼朝の代になるも義経、4年後その兄の範義と兄弟間で殺戮があった。

その伯父たちも壮絶なる動きがあった。
前九年後三年、保元、承久、源氏は血の争いが耐えなかった。
頼朝の御家人も滅亡の歴史が横たわる。

その御家人の一人が伊東家の祖・工藤祐経。
自分自身が日本三大敵討ちに名を連ね、曽我兄弟に富士の裾野で打たれた。

日向・都於郡に下向して伊東家が242年も続いたが
家督をめぐっての争いは家臣団をも巻き込んで壮絶な歴史を残している。

日向西都・都於郡での伊東家には地付きの四天王・山田、荒武、津留、大脇がいた。
稲津、落合、湯地、川崎は従って下ってきた四天王。

初めての顔合わせのとき、
下向の衆として客間、
居付の衆として主座に着した地付き四天王。
これは先例となりこのことが家臣団にはいろいろと困難が生じ、お家の一大事になった。

都於郡の本城の落城を寸前に大分を目指し流浪のたびを経て
四国松山終焉の地大阪その都度家臣団の力で一生をおよぎきった足跡を残す。

海岸線を一路大分を目指したが財部の城を守るは落合籐九郎。
城下通過の挨拶に行くと
「小人の城下挨拶は無用!」との返事である。
三位入道は日頃、落合を評して
「あいつは小人じゃぁ」といってたのを思い知らされた。
凋落するとこうである。
冬の雪積もる中の米良の山越えを選択せざる得なかった。

大分では伊東家の領土回復の島津追悼軍が組まれたが
児湯郡木城町切原川の戦いで大友宗麟軍は大敗、敗走した。
後の歴史家の言う九州最大の天下分け目の戦い「耳川の戦い」である。

日向の地誌に弱い大友軍の軍記で「耳川」と書かれたため河川名が間違い
そのまま耳側の戦いとされてるが最低でも本流たる「小丸川の戦い」
実際対峙した本流小丸川の支流たる「切原川の戦い」とすべきだがそうはいかないのであろう。

大友城下に居留守する伊東家一族は厄病神扱い。居場所がない
祐兵の妻松寿への横恋慕の宗麟の孫総五郎能乗との愛憎劇になるのをさけ、
伊東家に使える僧快永が大友の城から救い出し大分を逃げ出すことにした。

宗麟のもとを逃げるように夜陰に乗じて松山河野家を頼った。
伊東三位入道父子が伊予道後に渡ったのは天正7年巳卯4月
道後は代々河野家の居城で河野四郎道直の代である
義益夫人阿喜多の妹が河野六郎晴通の夫人で急場を頼った

夜陰ゆえの急遽成る計画なきゆえ乗船する船が入手できず途方にくれてると
落合四郎左衛門兼家が船をもってぬかずく。
薩摩に人質に行ったときに拝領した刀を手放し船を入手したのである。

「すまぬのう。武士の魂の刀を引き換えに船を得たとな。」
「殿!もはや老人に刀は用なきもの。これ以上のご同行は一向にご迷惑をかけまする」
「まことに勝手ながら拙者はここでお暇をいただきこの地に残りまする」
負け戦(いくさ)のしんがりほど大事な役目はない。
勝ち戦での凶暴化した集団と負けた集団の殺される恐怖心の手段との差は
今の社会問題の虐めの構造の心理状態に似通ってその何十倍であったろう。

文部省唱歌で箱根の山を教わったときにチョッピリ大人びた知的喜びを感じた。
♪箱根の山は天下の剣♪まだ理解できる範囲でもある。

この歌が小学6年生にはどう写ったものだろう。
文部省唱歌「児島高徳」は『尋常小学唱歌 第六学年用』に掲載された。
南朝の忠臣として讃えられ、船上山『太平記』による。
1914年、岡野貞一作曲(作詞者は不明)

船坂山や杉坂と、
御あと慕ひて院の庄、
微衷をいかで聞えんと、
桜の幹に十字の詩。
『天勾践を空しうする莫れ。
時范蠡無きにしも非ず。』

御心ならぬいでましの、
御袖露けき朝戸出に、
誦(ずん)じて笑ますかしこさよ、
桜の幹の十字の詩。
『天勾践を空しうする莫れ。
時范蠡無きにしも非ず。』

児島高徳の妻は、伊東家の縁続き、伊予国の河野氏一族、河野和道の三女の貞子で、夫婦の間には3男1女が生まれた。
太郎高秀 明治6年(1873年)維新のご新政にもつくした。

8月発行の国立銀行紙幣2円券の表面には、右側に稲村ヶ崎で太刀を奉じる新田義貞が
、左側に桜の木に詩を墨書する児島高徳が描かれている。
いずれも、第二次世界大戦終結までの学校で使われた教科書で取り上げられた有名なエピソードである。
裏面は竜宮城。

傍にあった桜の木へ「天莫空勾践 時非無范蠡」(天は古代中国の越王・勾践に対するように、決して帝をお
見捨てにはなりません。きっと范蠡の如き忠臣が現れ、必ずや帝をお助けする事でしょう)という漢詩を彫り
書き入れ、その意志と共に天皇を勇気付けたという。

因みに、朝になってこの桜の木に彫られた漢詩を発見した兵士は、何と書いてあるのか解せず、外が騒々しい
為に何事か仔細を聞いた後醍醐天皇のみこの漢詩の意味が理解できたという。

この時彫られた「天勾践を空しうすること莫れ、時に范蠡の無きにしも非ず」の言葉通り、
翌年に名和長高がその導きにより天皇が隠岐を脱出、伯耆国船上山において挙兵した際には、高徳も養父とともに
赴いて幕府軍と戦った。

備前美作から管、和田・・・、備前の武人はいち早く南方朝天皇の下に駆けつけた。
管は時の人菅直人の先祖。山口宇部に17年菅直人も暮らしたと10月10日国会で福田総理に
質問するとき9時30分ごろ自ら告白している菅直人。

伊予河野の名も見出すことができる。

道後は代々河野家の居城で河野四郎道直の代である
義益夫人阿喜多の妹が河野六郎晴通の夫人で急場を頼った。
家臣の川崎祐長の口上を聞いて難しそうな顔をした当主

 「日向一国を支配されたお方じゃ左様な方を悲運の今日
    流浪の御身とはいえわれらがお抱え申すことはできぬ。」

   「こまった。」

河野一族で大内次郎左衛門尉信孝と言う家臣がいた。
「某の知行でよろしければ・・・」と久保田の荘、王庵と言う僧坊に向かい入れた。
高松空港の近辺である。
背後が山で、地形がどこか日向・都於郡に似ている

みな楽しかったあの頃を懐かしかった。
安堵の気持ちがどこか余裕が出てきたからであろう。

「ありがたい信孝どのはこの世の仏じゃ」
九州に成った一大豪将も今は意地も張りも失い見る影もない。

そういう信孝もただ禄は河野家の被官しかない。
何かして食い扶持を立てようと考え合わせた。

百姓はもちろんのこと木を切り薪にして売り歩いた。

都於郡で造っていた濁り酒をつくり、川崎祐長が売りに出ることになった。
その初めて装う物売りの井出達の滑稽な身なりにみな泪をため笑う
阿竹は木綿帯を織る
「すまんのう すまんのう」
落魄してわかる人情である。

買うものが褒めた「これは面白い」と大層評判になった。
以来後世まで道後で木綿帯を売ったのはこのときからである。
主も家来も無かった。

都於郡には島津の臣鎌田が入り地酒の岩乃鶴の焼酎文化が今だ残る。
都於郡・青山に焼酎の新工場が建設され出荷まじかである。
今は高千穂資本が中心ではある。

この四月焼酎廃液の海洋投棄の全面禁止でその施設作りで社に赴いたことがある。。
近代化された工場だが、排出物の悩みはこの産業にはつき物。
かっては河川に流し岸辺の柳の木などに綿状の廃液辺がくっついていたものだ。

天正7年4月10年正月4年間。松山にあった伊東家である。
伊東家家臣・三部快永は天正9年8月大峰登山に開運祈願に出かけることとした。
生国は下野である。
伊東家の開運を賭け家来も無かっただけてである。

帰りに播磨によると姫路築城で賑やか、
羽柴秀吉の一番油の乗った頃で鳥取城・吉川径家を滅ぼしてのことだ。
今は備中高松上を囲んでいる。
城下で呼び止めるものがある。

「卒時ながら何処の方なりや」丁寧な言葉がけ。
「九州日向のものでござる」
「少将お尋ねしたい子細がござるシツレイながら手前の屋敷までお越しくださるまいか」

見るからに裕福そうな屋敷構えである。
庭の木々の手入れも行き渡って家風が表されている。

客間に通され遠慮なく座ってると程なく先ほどの人が現れた。
当主御自ら声を掛けていただいてたわけだ。
ただならんことで背筋がピシッと成った三部快永。

「お急ぎのところおよび止め申し訳けござらん。伊東掃部助ともうします伊豆伊東の流れでござる」
「日向の伊東殿は浪人せられたと聞き及んだが作用でござろうか」

「隣国島津の謀にはまり領国を手放さざるはめにあいなりもうした」

「それは難儀であり申した。解からぬゆえもそっと教えてくだされ」」
「なんなりとご遠慮なく」
「伊東の「東」は藤か東か」
「東でございます。」
「おおっ同家じゃ伊豆伊東家の流れじゃ」
「ご不運なこと一族のものとして見過ごしにはできぬ。」。
羽柴殿に使えられるならば吾ら種篤申すべし。
帰られてこのことを告げてくださるまいか。

天正10年正月。三位入道70、祐兵24
秀吉配下への決断は安住の地を得た女子たちの反対もありのびのびに成っていた。

「あれに控えるはだれぞ。」
「伊東家嫡男・祐兵でございまする」
「おお!いつぞやの話のものか。」
「城につれ参れ!」
「御意」

「日向の主(あるじ)三位殿も今は浪々の身。不憫なものよ。わしに使えるよう伝えよ。家禄をとらせようぞ。

日薩隅三州の大守を名乗った伊東酸味入道の意地がうまくいかない。

早速祐兵父に喜び勇んで伝えると意外なことに武士の意地たる魂をみせつけられた。
腐っても鯛である。見上げたものその心意気。
なんと父三位義祐は一笑にふした。

「身不肖なれど三位に階り、歳すでに70を越えた。
  浪人の身と言え何の面目あって木下籐吉づれに追随できようぞ」
「そちは別じゃ。子孫再興のためなれば格別じゃ。一筋の希望が出てきたの〜。」

三位入道は息子祐兵の秀吉に召抱えられるのに安堵して従者一人を連れたびに出た。

周防山口に、として伊東三位入道義祐の歌

行く末の 空知らぬとの言の葉は
     今身の上の限りなりけり
          
後醍醐天皇が隠岐に流される途中の摂津の昆陽野で読まれた

命あれば こやの軒端の月も見つ 
     またいかならむ 行く末の空
            こやの=今夜=昆陽野

後醍醐帝が隠岐にあったことを知ってるので読める教養人の一端を示している。
さすがに従三位の官位をえてた人である。

当時の武士には従三位との最高の栄誉は、言われてる金銭だけで買ったものでゃないことの証左である。
従三位は朝廷と武家の力が逆転した徳川時代には家康の孫クラスには官位が出てるが
この当時の武士では際立ってる高官位。
ぴったりとはいかぬが明治期の子爵でいいかと思える。

それが一人、いわゆるのたれ死に。
このような波乱万丈な人はこの人のみである。

山口城下で奇遇な出会いがあった。

地付きの四天王
山田・荒武・津留・大脇が伊東家を支えた。

そのかっての伊東家に仕えた大脇家・大脇曾丹である。

山口にかっての主君が行ってるのを伝え聞きあちこち捜し求めた。
ようやく奇跡的に再開した。
大脇は奇遇を喜び恩讐を彼方に追いやり
「ぜひ其の家へ」と誘った。

伊東家を去ったのは項である。

犬追いの行事のとき、犬老い者の弓次郎の役を命じられた。
「不服でゴザル」と伊東家を辞した。、
その後大内家に召抱えられ
古備郡に五百石、知行豊かな暮らしをしていた。

かっての主君伊東三位入道祐義の流浪山口に在すを伝え聞いて
あちこちに見かけたら連絡するように依頼していた矢先のことであった。

昔の恨みを忘れ連歌などを催しねんごろにもてなした。
知らず知らず一年過ごした。好ましかった故でもあろう。

行く末の空知らぬとの言の葉は
    今身の上の限りなりけり

山口では奇縁でそのかっての家臣の家で一年ばかりを過ごしていた伊東三位入道義祐。
大内文化の瑠璃光寺、雪舟の庭などを見たものであろうか。

四天王、大脇曽丹は三位入道義祐から犬追物の下役を命じられ
、これを不服して伊東家を立ち退き山口の大内家に召抱えられていた。

従者の黒木総右衛門について周防を出立するときのことである。
「総右衛門!曽丹の家に忘れ物をした取って参れ」
真に受けて走り去るのを見て義祐は道を変えて姿をくらました。

後で必死に探すもわからず、やむなく摂津にいた祐兵へ報告すると
祐兵は怒って黒木に勘気を申し付けた。

73才の天正13年ころの天涯孤独の彷徨。
かって三州の太守と豪語して金柏寺に寄進した鐘に日薩隅三州大守と刻んだ。

周防の三田尻から息子祐兵に上方を志し、備前牛窓に船が着いた。
大きな光がポッカリと小波に光を落とし・・中秋の名月である。

風もなく散る病葉に秋の楽士は秋の香りである。
秋の陽はうら寂しく真っ赤に落ち一面には虫の音の違いがあり秋も足音を忍ばせている。

草むらのそこそこたまらななくさびしいものがある。
6尺の大男も72歳。気分も滅入ってくる。
名月や・・
廊下を風鈴がリリ〜ンと歩いてくように這って鳴る。

歌詠みには夢のような静寂
名月や・・・

うなるような声が漏れる。
寺はあちこちから旅僧も訪れるのでいまのアンテナショップ

満月夜の感激は名月の空にいろんな形をした雲が過ぎてゆくところにもある。
日向路の秋を思っての万巻の想い

旅は憂いし 窓のつき見る 今宵かな。
 (牛窓風土物語)

境の浦に船中で病気の乞食坊主を捨て去った
噂は「大きな乞食坊主が浜で行き倒れになっている」と風評が立った。

人生とは奇縁とは言ったもの不思議なものである。

朝鮮出兵で息子の祐兵はいないが妻の松寿が境に住んでいた
日向西都・都於郡から大分四国松山との同行者でもある。

天正13年8月15日に没した。
美禄で貧しきゆえ旅の遍僧に頼んでの野辺の送りであった。
綺羅の法燈の下の回向でなく
ましてや、従三位の官位を知られずに秀吉に仕官しない魂ゆえ
不本意ながらも満足なるものであったろう。

これほどの波乱万丈の人は日本の歴史に存在しない。

息子祐兵は秀吉に仕えお家再興を図らんとしている。
義祐には百姓の出の秀吉配下にはなる相談ではない。



伊東三位入道の詠んだと言われるうたが岡山に残されている。
「牛窓風土物語」である。

旅は憂し 窓の月見る 今宵かな

日向全土を支配し、島津領土を伺う勢いで頂点に上り詰め、
そのひとが一人身の奈落の底に転がり落ち流浪の身で、死を間際に詠んだ背景を知っていると
そぬ深き句の持つ意味が光る。

天正13年夏。
九州に覇を競っていた伊東三位入道祐義73歳。、

従者の黒木総右衛門をうまく誤魔化し
一笠一杖天涯孤独の放浪である。
ぼろぼろの法衣で誰が見ても乞食坊主。

達磨のようだった肉は痩せ、腰はちじみ、干ぼししたような面相
埃と垢で正視もできない顔であった。
周防の三田尻から備前についたその日は仲秋の名月。

塵輪島、前島の山頂高くに月はある。
空は澄み切って月光はさえて海面に降り注ぐ。
三位入道はここで一句詠んだ。
周防山口

「月もみつ またいかならむ 行く末の空」

元弘2年後醍醐天皇が隠岐に流さるるとき、摂津・昆陽野・で詠んだ

行く末の 空知らぬとの 言の葉は
    今身の上の 限りなりけり

之をもとに先ほどの句を詠む味わい。
「月もみつ またいかならむ 行く末の空」

天正10年は歴史に多くのことが見える激動の年。
武田勝頼、織田信長、明智光秀が亡くなり、柴田勝家が自刀
秀吉は家康と長久手で争った。

大叔父がこの状態のときに丁度伊東マンショは天正遣欧少年使節として
ローマに向かい1月28日長崎を出向した。
都於郡落城から九州山地の冬の山中を経て隣国肥前大分の大友宗麟庇護を目指した。
大分城下で宣教師に拾われマンショは長崎セミナリヨに学ぶ機会を得て、神の加護を得た。

備前安芸周防から大内義隆を偲び山口によった。
滅亡の後を弔うためである。
京に似しての城下。公卿を気取った形跡を見るにつれその姿は自分のこれまでを見る思いであった。。

大力無双の勇士と人づてにみみにはいるのは満更でもなかった。
3千瀬mんし加賀守

元亀三年5月、伊東家の隆盛の基礎を築いた祐持10代目の孫のとき抗争は激化。
下克上の様相を呈した。
10歳で家督を相続したが、叔父から追い出される。
上洛を目指したが船中にあり、呼び返され、叔父一族を討ち果たす

ところが治まらず僧籍に入ってた弟を擁する動きがおこり一時屈したが勢力を追い出す。
坊主拍子過信は染まずにはsiltuta.
6尺肝属と組み永禄…

秋冷

2007年10月17日
10月は神無月。横暴が横行徘徊するのはやむ得ぬことか。
ここには近頃のわかものは・・の爺の悩みが存在する架空空間の匿名空間。

天孫降臨の地は鹿児島説と宮崎高千穂説と二分している。
昭和15年皇紀2600年のとき国学関係のすべての学者がそれぞおれ総動員され論争があった。

先年は梅原猛が古代史を歩くの著書で日向を中心とした説に軍配をあげておられる。
いまはほぼ国民の総意、鹿児島を神話の国とは呼ばず、日向宮崎は神話の国なんである。

時の人東国原知事もその財産を見逃さず、盛んにPRしている。
ここまで高学歴知識偏重社会になると時流に乗ってるのかもしれない。
どの民族も国つくりの荒唐無稽のロマンをもつ。

月に人類が立ち歩こうとも「そんな〜」と非科学的作り話を一顧だにせず歩織り出さない不思議さ。

それも歴史を紐解けば歴史はすべて為政者の歴史と知ってのこと。
日本誕生の歴史も島津藩の力の前に歪められている。

沖縄の教科書記述の沖縄戦の実情の捏造どこではない。
このブログ鹿児島の人いたっけ?独断でスミマセン。

明治期の内務卿大久保の裁断の通達で鹿児島に記紀=古事記日本書紀の聖地は決められた。
それでも、民衆の間には根づきはしなかった。

昭和15年の紀元2600年国学者関係の学者はこぞって日向鹿児島を訪れ両陣営に分かれ論争した。
象徴するモミュメントは日向の地にある事が悠然と記紀の結論を示している。

八紘一宇の塔である。
その荘厳さは現地で見ざるして理解は不可能である。
GHQ占領時代も崩壊の危険を乗り越えたのも神の国の業がなしえた逸話が幾つも残る。
この塔に生命を賭したのか史家・三喬たかしは先々月逝った。

東京オリンピック聖火リレーの国内出発地点の基地に選定されたのはこの八紘一宇の塔のある八紘台。
歴史を大事にする国にふさわしき威厳差を保ってた品格のある国の時期でもあった。

いまはブログ文化なるものが席巻している。
チョットのミスを見つけ大意を読まずしてそこをあげつらう。
変換ミスとか趣意を捻じ曲げて焦点をそこに当ててくる。
初めから勝ってるカラクリがそこにある。
ジャンケンのあとだし。

仲間も単純なる勝者を称えるので一躍小市民的その場の英雄の出現である。
それに悦にいってるブロガー。笑止!
この人たち限ってブログを占拠して市民意識を誘導しようとの為政者の策謀などは追及しきれない。

一つ一つ丁寧に週刊誌記事などを拾い集める努力は怠っている嫌いがある。
亀田三兄弟の三番目は果たして一番強いのか。
いまのところせきやんのみ一人認めない。

週間誌記事によると外国遠征4連勝もウソのTBSも含めた捏造である。
正確には6戦4勝2敗である。

2敗はいずれも主審がリングで両者の手をもち、高々と亀田家三男坊で無いほうに勝者としている。
ではなぜ敗戦が記録されない。?いや正確には知らされない?
そこからが亀田流。

無効試合を申し入れる。正確には敗戦でなく審議中である。
後にも先にもそれで判定が覆った事例は無い。

無効試合ともある。
後にも先にも無効試合は無い。

取材人はTBS以外は細かく入場の際もチェック。TBSのみが正確な現地情報。
試合内容は入場者とビデオが知る。オット!神様を忘れていた。

観戦してた日本人手記も週刊誌に記事にあるが件のブロガーは所詮週刊誌記事と採用されないであろう。
ではTBS撮影のそのビデオを出せば明らかなのに出ない。

権力とは何も為政者が行使するののみを言うのではない。
マスコミは第三の権力。それが亀田家についている。

三男坊も強くない。
こう主張するのはせきやんである。
ただ、努力を重ねていけばの前提抜きで現在である。

16歳と限りなき前途がある。
若さに優る財産はこの世に無い。
玉磨かざればひかりをなさず。
栄光は報道関係者が作り出すものではない。

特にボクシングにはアメリカン・ドリームの体現者のスポーツ競技としての
夢が一番はらんでいる。

庶民は明日のジョーやはじめの1歩で自分の姿を乗り映すしかない。
なぜか。
ボクシングに3回戦ボーイと揶揄する言葉がある

庶民がマットに登ってみるがいい。
あの単純に右左の動作、ワンツー・ワンツー。
一回も持たない。

ボクシングのシンプルな規則でさえその基本動作を一ラウンドもてる人は庶民の中にはいない。
それにけり技や投げ技がくっついたらどれほど過激なルールであろう。

K-1などがスポーツと呼べる世界の共通認識をその象徴たるオリンピック競技の認定協議の承認を得るはずが無い。
過激すぎるのである。

見てる部分はいい。
スポーツはやってこそスポーツで観戦のみのスポーツは歪である。

人物は西郷隆盛に尽きる。
菅原道真も源義経も南方熊楠さえも睥睨させよう。

敬天愛人の生き様が日本人にあう。
清濁併せ呑むおおらかさが右翼左翼から日本人の原点とされてるところである。

頭山満、北一輝、赤報隊相良総三、宮崎淫天、四元義隆、児玉誉士夫、鈴木邦男、安岡正篤、重信房子、土井たか子・・志し高き人に四つもある南州神社を奉じない人はいない。

戊辰戦争敗者の大将榎本武揚さえ明治政府の要人にむかえいれ、酔っ払いさえ封印した人物主義。

戦後60年代多くの学生青年はこの国の将来を政治行動に託し自分も国会周辺に身を置いたものだ、

北小路敏、盲目の黒田寛一らの初期ブンドは前衛党まで昇華してしまった。浅間山荘の悲劇は日本の民主主義の悲劇であった。

公園付近のおバアさんが裁判で勝つ可笑しき国家。
ションベン小僧は小市民的退廃民主主義を喝破し感心している。

サピオ小林よしのり風のご意見は共感を得よう。

新しき文化の創造期たるブログ文化の欠けてるもの。
ブロガーはやさしくあれ!である。
匿名性も有り日本人が試されている。

ルソン島北部のマヨヤオにはイフガオ族が祖先のスタイルで暮らす。

山間の山村集落は市内の火葬施設が遅れ、庶民は極めて緊縮生活を強いられていた。

集落内の共同体的労働貯蓄のかてり、もえの助け合い制度を利用して土葬で葬儀は営まれた。

墓地は隔週日曜日子供会の義務的清掃行事実践の場。
ただ6月梅雨時期は棺おけが腐り、地面が崩落崩れ落ちる。
「ひぇ〜」
白い着物に頭に白き三角を巻いた何ヶ月前のお葬式があった
・・・ばあちゃんじいちゃんのよみがえり。
何度か地中の仏様を見たことがある。

明治の人・岩雄の義理の弟はルソン島北部で戦死してるが山奥の地であったんであろうか。
木鋤のみで谷あいに生活の基本の食の基地たる田んぼを作り上げた。
懸樋が棚田の上段の田に引かれ作物の命の水が導入された。

1万7千人が高床式に戸いた壁板。
原始的ではあっても野蛮でない。
壁板、敷板は磨ききって光っている。
日本の30年代の現風景がある。

かってどの家も板の部分はとりわけ大黒柱は黒光していた。
縁側の板縁は米ぬか入り雑巾の乾拭きでどこのおうちもピッカピカ。

縁側は南東の利用場所は季節に合わせて変われど道の通りからも見える社交場。
夕方はお茶は焼酎に変わり急ごしらえのお酒場状態。

テレビ文化が入り込んで日常の集落の生活は都会化ナイズ。
金太郎飴状態の全国津々浦々の生活環境を文化、先進国。
脱亜入欧は石の建物を除けば本家を凌ぐ木造一戸建ての形で実現している。

我他人にかかわりあわず。非難はあれど、向こう三件両隣の生活は消えた。

ガラスサッシの外気と遮断された内外が区切られた気密性の高い大気の密室、
化学壁材に覆われ衛生的共同給排水、冷暖房完備の西欧的文化の住環境に変化した生活環境。

それを文化と呼べるのか。
介護保険が運営に困っているのは過去に学ばないからだ。

PC文化もそうである。
パソコンの利用にウィキペデアから学ぶものがらの便利さを感じていよう。

歴史はなく、つい先年の01年に英語版がでて、今では250以上の言語を1400万人が利用している。

700万人は日本語利用者.
200万個語句の英語版。
40万の日本語版。

これを最高の字句を収めたブルタニカでさえ6万5000項目、32巻。
途方もないウィキペデアである。
アカウントと利用者名
非ログイン
アイデインティファイルだけで編集をおこなう。
6割がIPアドレス

衆遇化・・匿名言論集合知が生まれていく
ネットの理念崩壊を憂慮する

WEV2・0も諸刃の剣がある好例
論理的批判官僚が参加すること

情報疎さと
公平な書き込みは紙一重
孝平でで客観的が要件

正義の反対は悪でなく叉別な正義
クレヨン新ちゃんでさえわかっている。
けしからんと嘲笑してて住む問題でない

貿易相手国さえ変化してるこの国。

1990年
米国31,9
台湾7,6
豪州6,9
中国6,6
タイ5,3

06年
米国22,2
中国18,3
豪州9,2
タイ5,5
カナダ4,6

85年於プラザ合意が全ての出発点。
ここからが生きてるものの歴史である。

ドル安円高
強い円海外生産拠点
開発輸入の
大手スーパー

国内や品薄乱高下
シイタケネギさえ周年か

セフティーガイド
孤食化の核家族
昼食簡単手参らずホウレンソウの残留農薬02年冷凍

枝豆

農薬魔法の薬

バケツ素足青い粉

中国人は食べない。
ブーメラン現象自分がまいた種

冷凍野菜は喜寿がない。
基地サラリーマン

軍事石油食料74年のCIA戦略
人口食料、異常気候傾向の潜在的意味
安岡正篤陽明学の権威の警告

「連邦議会決議!」
ええっ!また・・なにが・・
被害者意識さらには自虐史観とかのことばもあるこのごろ。
日本人はあらゆるところで自信を失いかけている。

ほんの数ヶ月前に「慰安婦の問題を決議」され右往左往してた日本の政治ゆえなおさらだ・
一体何が、
あっ!お客さん・・

10月18日の日記

2007年10月18日
産経新聞と朝日新聞がコラムで重箱の隅をつっつきあいの様相。
沖縄戦争での集団自決で教科書の書き換え事件の集会参加者が4万人か11万人かと表面的にはたわいも無い。

背景にはウルトラ保守の安倍政権の「お下がり内閣」の書き替えを指示した伊吹文明幹事長・二階俊博総務会長の文部大臣経験者の小泉安倍政治残滓との政治的抗争がある。
之に谷垣貞一政務調査会長、古賀誠選対委員長の四役体制の最高布陣が被る。

安倍政権に楯突いた朝日言論人と安倍政権擁護派の教科書改訂を進める自虐史観廃止の産経文化人グループの対立構図である。

天下の公器たる第三の権力の保持者としての知恵も誇りも無い
そこにまた火種が惹起し事は政界さえ巻き込んでいる。

永田町を震撼させた一人の女性の逮捕の続報がどうも
官製ガードがかかっているようで事件の詳細が外に出なくブロガーの気になるところ。

他人所有の表参道の不動産を110億円で架空売買し
仲間三人と共に一人の女性が逮捕された。

「議員になりたい」が口癖の強気の上昇志向。
二百万近い家賃を払った上にお手伝いさんを使っての豪華な生活ぶり。

二瓶絵夢NIHEI・EMUは本人の説明してた「祖父は中曽根康弘と懇意で大病院を経営してる」のふれこみは真っ赤なウソ。
両親の離婚後は保険勧誘員の母のもとの青春の蹉跌状況で育った。
高級コールガールとまでいかないまでも生きるすべを駆使していた成り上がりものの悲しき生存その末路が浮かび上がる。

売名は北朝鮮問題からで、急に大物に成長した安倍信三の政治家経歴に似ている。
救う会お墨付きライターの地位を得る。
江川詔子が浅原彰晃のオーム事件で急に名を成したようなもの。

拉致事件は旧社会党内の共和国連絡部の仕業だのガサネタを利用する。
SAPIO、諸君にも同様の情報はあった。

怪文書であることは即座に解ったが正論・変集部が取り上げる。
「やろう」とけしかけたのは救う会。
総選挙にも立候補した人が事務局を勤めるあの救う会である
増本明美事務局長の妻は劇団を主唱する宮崎の人。今年入籍した。

諸君に登場するライター・仁上姫芽NIUE・HIMEはペンネーム本名のアルファベットを組み合わせたもの。
小島新一産経新聞記者の知恵といわれる。
大阪に家族を残し正論変・集部に転勤単身赴任。

大島変集長には仁上姫芽の書いた原稿の信憑性を問われるのを恐れ共謀して隠蔽する。
「小島が最後まで守るというのよ。」
   「私って周囲からかわいがれる存在なのね。」
小島はなおも二瓶絵夢に誌面を提供する。
「おかしいのでは」といわれると
「編集長のの大島?あんなのどうにでもなる俺が決めるんだ。」
とほくそえんだと言う。

事実が発覚すると安倍信三の家庭教師の平沢勝栄に二瓶絵夢を使えと押し付けられた。
「オレも被害者だ」という。

政治家は固そうな活字メデアに習性的に弱い。
正論なら右派政治家が飛びついてくるはずだ。
二瓶絵夢狙いどおりであった。

山崎拓事務所で「祖父の下での生い立ち中曽根首相と仲良しで将来山崎拓は大物になる」
とおだてあげ秘書を信用させた。
「紹介者は平沢勝栄議員では断れなかった。」事務所談。

正論11月号「わが自民党改革論」は二瓶絵夢が山崎拓議員にインタビューする構成である。
さらに同号で「両親が語る蓮池薫・祐木子夫妻の苦悩と喜びの日々」を担当する異例さ。
中川昭一「日本よ大儀の前にひるむなかれ!」02年2月号正論。も二瓶絵夢のインタビュー記事である。
これが最後となる。

何故か。
「拉致犯人」とされた旧社会党=社民党が動き出した事を知った大島編集長は
「オレが訴えられる。社民党に謝罪する。」
謝罪を拒否する二瓶絵夢と対立したからである。
小島氏ももとの大阪産経新聞社に復帰。処分お咎め無しである。

安倍信三、山崎拓、中川昭一いずれも二瓶絵夢との関係がとりだたされている。
安倍の突然の政権投げ出し理由に、安倍自身が小沢一郎が会わなかったとインタビューをしていたが小沢もいい迷惑。
今では誰も信じてなくお詫びさえなく亀田家のお詫びインタビューをしながらも投げ飛ばした本人から謝罪一つ無いのに似ている。

一年の出場停止のライセンス取り消し。
一言も話すことなく大毅は退席。
金髪の短め刈りがおわびの表現とは残った親父のコメント。
脱税と女に怯えが云われてるのが永田町の論理。

圧倒的グループ力のTBSの包囲網にどう対抗するのか。
似たような事例はあちこちに横たわっており、無言に耐える被害者の数は増えている擬似鬱患者も含める数とほぼ一致しよう。
知らぬは目の前の管理的立場にある人のみでどこにも静かに忍び寄っている。

実にこの国はシロアリが見知らぬ間に基礎的部分を食い散らし今にも崩壊寸前である。
対策を取れないのが宿阿で処方箋の書きようが無く、直しようが無く困ったものである。

国策捜査

2007年10月19日
臭い臭いは元から断たなきゃ〜ダメ!
いえろーはっとの社長よろしくせきやんもトイレ掃除に謙虚に素手で励む。

「せきやんさ〜ん〜」トイレ修繕職人の方が来られたら、よばれる。
50の手習いは還暦近き人さえ容赦ない。
またおのずから鍛えるため挑戦している。
仕事中の電話受話器を放り投げ仕事を放棄してあれやこれやと漏水個所を指示している。

それが伝播したのかどうにも老醜=老臭らしい。
スプレーさえ二本目にいってる気遣いをしてるのにこれである。

午後三時に勝手に席変え。
憤怒を押さえきり三流会社の実態を見る。
老いはは公平だからいい。誰にもやってくる。

机イス一つがサラリーマンの命。
三メーターその机まで10年立ったよ!の悲哀は何も無い。

テレアポは女性の特権的仕事やも知れぬ。
ただし、影ひなたなく、働けばのお話ではある。
しょせんダイヤルを回しただけが成約数につながるのみ。

要領を本文とすべしは皇軍の裏規律だけではない。
いつの世にも通ずる普遍の処世術のようだが、それができてればせきやんのこの状態は無い。

せきやん個人記録のギネスモン的成約予定が仕事終了後に一挙に舞い込んだ。
経済的成長は経済的繁栄。どうも給料が出そうに無い実績。
武士は食わねど高楊枝。

送料を自己負担してでも将来に賭ける愚か者。
相変わらずのボランテア。

ギネスにその名を残す最大規模の室内ウオーター遊び施設シーガイヤの中心施設は
人工の数メーターの波を作りサーフィン波乗り族さえ満足させた。
だが、この夏でついにその施設は閉鎖された。

リゾート法適用第一号でこうである。
政治的火付け役は福田康夫のころで父福田赳夫のおきみやげ。
正月元旦は必ず宮崎から始めた福田赳夫。息子福田康夫総理もそうせにゃぁ〜。
橋本竜太郎の総理時代ではあるが政治は結果責任。

シーガイヤ運営会社のハゲタカ投資集団はババを引かされて転売できず右往左往していよう。
3000億円を超えるフェニックス・グループ佐藤棟梁の投資をわずか200億円で取得してもこれである。

第一号で味を占めたこの集団のリップルウッドは新生銀行=旧長銀を支配下におき2004年に上場した。
2000年の落札は不正落札と訴えつづけてきたマスコミの寵児がいた。
今の金子勝教授や内橋克人みたいなテレビ出演頻度であった。。

03年りそな銀行救済に対してのインサイダー疑惑をマスコミで追求。
証券監視委員会にこの問題を追及するようテレビ番組、自分のレポートで訴えつづけてきた。

植草一秀(46歳)10月16日地裁判決 
もちろん国策逮捕ゆえこんなことでも懲役4月の実刑判決!笑止!バカヤロウ!

場末のブログにブンドはブントとカキコするヒマがあったらこれを追求してくれ。
おなたが希望しようとしまいとあなたも老いしぬ。尊敬する先輩方と同じように死にいく

自分の親にはどうだか知らぬが、老人ブロガーに死の宣告をする余力があるブロガーなら
ブログの力を示すためにも焦点を国家にあてろ!人生の先輩として進言する。

神のくれたる能力と親が手塩にかけ育て上げ、自らが仕上げたその能力を
住み良き国家作りに正義の矛先を向けるまでに成長してほしいと切に願う。

場末の老人ブローカーのミスをあげつらい謝罪せよ!といじめて何が面白い。
わたしが自分の間違いのボクシングは15回戦だの認識で書いたのを
指摘されたあなたに詫びる必要がどこにあろう。

誰でも知ってることのミスにすぎない。個人的お話でない。
それでどれだけ名誉を傷つけ迷惑がかかったというのか。

せきやんのまちがいは初歩的な基礎知識での間違い。
指摘とおりである。

一本指変換を睡眠時間を削って毎日書いてるほうが大変である。
間違いにおびえてたらブログは閉鎖以外に何もない

「ヤッチャッタ!ゴメン」とは人間の上昇志向の正義の発露。
指摘を受けまた!ダメダ!正直そう思っている。
あさしょうりゅうの題目でかいたとき山田洋行を内田洋行と誤記して指摘を受けた。
コキコを頂はずか知ったらありゃしない。
関係者であったら名誉既存である。間違いですまされない。
それでも書き直し訂正をしていない。居直りではない。
間違いをしでかしている。ことを残すのも一つの自戒の生き方。
恥がそのせきにんが図〜と背負わされている十字架。

公判では矛盾が噴出。政府中枢がかかわった疑惑経済疑惑を追及していた。
口封じの逮捕の可能性尾が強い。
冤罪だとすれば誰が何のために植草教授をはめたのか。

小泉内閣はあちこちにその残滓を残している。
退出すべき企業は市場から退出させる。の方針のもと
リソナを値下がりを放置した。

国内外の誰もが破綻処理されると思っていた。
03年5月17日救済を発表。
株価は急反発。大もうけした疑いがあるというのである。

何故こうなったかは当時の頭取が経済政策を批判していたからである。
米国の関与も指摘されている。

小泉竹中は03年前半頻繁に連絡をとっており、5月17日以降もっとも利益をあげたのは外資ファンドであった。
竹中平蔵、金融再生プロジェクトチームの木村剛公認会計士協会長奥山草男疑惑の検証の人物と指摘した。

だが不思議とマスコミは一切ふれない。
上草教授の悪印象宣伝に固守している。。

矛盾点は広範で明らかになっている。
週刊誌女性セブン小学館痴漢で示談7回の過去
朝日放送「むーぶ」でその記事の紹介
性癖をも酷評。男女二人のむつ見事をも明らかにできるというのか。

上草教授は根拠の無いと民事訴訟。
「酔って覚えていない」
このような発言はしていない。

いったんは犯行を認めたもののとの表現もあるがその事実は無い。

ミラーマン、サワリーマンなどの語句で揶揄した陰湿が大量発生
芸能人ビートたけしテリー伊藤は根拠なく変体呼ばわりして嘲笑
ネットには攻撃だけのブログもある、

UEGUSAで始まるネールアドレス。
支援ブログそっくりのダミーサイト

内容を真似た悪質の日記が毎日更新される
陰湿のこれらの人権侵害それには大手広告代理店関与している。

巨大インサイダー疑惑
経済事件があっての植草些細に疑われてる捏造事件
その背景にある隠そうと必死の経済事件

日米にまたがった経済事件
可能性がある。

痴漢にかかわった事実が無いまま矛盾した目撃証言。
不可解な不問に付すほくそ笑む疑惑の当事者

テレビに週何回か出演する寵児が2004年スカートをねらった手鏡事件で逮捕された。
さらに06年9月22日女子高校生の尻を触ったと逮捕

事件となったのは作為的
異変に気づいた男性二人が取り押さえ駅事務室に連衡。すぐに警察署員が来て逮捕。
被害者に合わせず公判には一度も出廷してないしていない被害者

車内で二人係で逮捕状態にされた。
2分10秒で担当巡査が出動指示を受けている。
周到な準備の必要とする早業。

検察側目撃証人が取り押さえた男性二人を私服と詠んだ。
4ヶ月拘留
自宅と事務所の強制捜査。
パソコンの押収
支援者の自宅に警察官の操作。
事情聴衆の別の支援者。
通常の痴漢事件と対比すればいい。

武士道とは死ぬことを見つけたり。
一度死ねば、地獄を見ればホンマモンとなり人間は強くなる。
ニュースをみてスカッとはしないがホッとした。

・・・・亀田大毅は内藤の東京都内の自宅を1人で訪ね、反則行為についてわびた。
内藤はこれまでに、「もう終わったこと。もう怒っていない」と話しており、
謝罪を受け入れた上で再起へ向け亀田大毅を激励した。

 父史郎は混乱を避けるため謝罪には同行せず、内藤に電話で「迷惑を掛けすみませんでした。
次の試合も頑張ってください」と伝え、内藤は「いいですよ、お父さん」と応じたという。

 亀田父子は17日に日本ボクシングコミッション(JBC)を訪ね謝罪。
引き続き開かれた記者会見で亀田大は一言も発言できず
内藤側への謝罪はしていなかった。・・・

素質あるまた努力をしている亀田大毅はこれから飛躍しよう。
手のひらを返すとかカメレオンとか変質者といわれようともせきやんは180度自分の意見を変える。

、一人の人間であり日本人の生き方論に固執し、30歳をこえたる子を持つ親だからである。
マスコミ慣れとは言え今までと違ったマスコミの前にさらされた。
これからが本当のハングリーの一年がくるからである。これで強くなる。

270のボクシングジムは自前経営。世界チャンプ内藤にして10万の手取りしがなく妻の内職に頼る。
どこも経営が厳しく亀田式はひとつの経済問題を解決する選択方程式であったのであろう。

相撲みたいに墨田両国に会館がある出なく、NHKがそこに30億円も支出してる。
そこに53の部屋がぶら下がり運営されてるのとは大違い。

宮崎の唯一の公式ボクシングマットは花が島にあったが、経営難でたたんだ
何度となく試合があったが、ほとんど赤字。マットは恥ずかしき値段で「処分」された。

せきやんもあの公式マット上の感触は終世忘れない。
単調に見える相手をまみえたファイチィングはなまはんかじゃぁない。


東京映画祭

2007年10月21日
ブログはあくまでも個人の心根を秘密裡に書く日記。
あくまで個人的な備忘録のはずだ。

なんも批判批評の対象に晒される代物ではない。
他人に論評されたり、監視覗かれる類のものではない。

ただ公開されてる以上、
たかがブログされどブログと心ひそかに堅持してるものがある。
だが、ブログの発信を性格上持ち合わせているので、あくまでも初期目的の如くの個人の密かな意見で終わらないところと成る。

NHKで作秋女子大生ブロガーの発言で明らかになったこと。
「私は定期的にあるPR会社から依頼され起業の新製品などの魅力をブログに書いて小遣いをもらっています。」
やらせではないかと疑われもした。センセンショナールをまきおこした。
昨年アメリカから入って来たブロガーを宣伝PRに利用する考え方が露呈した訳である。

、これを機に宣伝する企業側も広告代理店も意識が大きく変わったとされる。
人気俳優や歌手、キャラクターを使ってれば、モノは売れていた。
一方通行の宣伝の確実なる脆弱化の進行の証左である。

1000円程度の報酬らしい。
有名人のブログなら50万円にもなるそうである。
旅行不動産など専門別ブロガーも集められたらしい。

PRのツールとして企業に取り込まれるブロガーの自滅行為。
ブロガー集めのプロダクションさえ存在しているらしい。

生き様が硬くいわゆる要慮ワル=世渡りベタは
「会社の悪口をかかれと困るので読でます。」とか、云われると、辛い。

全くの虚脱感に陥る。
このエネルギッシュのかたまりにも欠陥があるわけだ。
せきやん殺すにゃぁ刃物はいらぬ、仲間の一人を裏切らすればいい。

欠陥を白日のもとにさらし叉それに加わったものがわかった。
見知らぬカキコでプチ炎上で困ったことを想起するからである

現に楽しみであったランキングは壊れたまま。
そのことを知り書きつ慣れてるこのカキコの人。共同謀議者ではないか。
にっくき!犯人見つけたり。

2チャンネルなどのせきやん包囲網に何らかの形で荷担された一味の一人を
自ら求めもしないのに告白している。

何のことか息子にまで言及してるモラル違反。
私と息子らは他人から言われる筋合いは無い。
犯罪に向けて法整備が整いつつあるのを御存知ないらしい。

危ないですぞ!ブログに勝手なことするの。
ブログ文化を老人の視点でその力にあわせた実験例でつくりあげんがために
日々努力してる先行き無き場末ブログの爺をからかうと。

現にカキコの人は爺から見れば年端もいかぬ社会の中心にならねばならぬ社会的使命の年齢なのに
国家発展に尽くすとの大儀、芒洋たる男のロマンの意志が低く宝の持ち腐れ。
世界に船出する先導役で活躍せねばならぬ世代なのにその気概に欠ける。

わが大和民族が呉越同舟で諸民族の植民地化の圧力を排除し生き長らえてきたのは
法のもと民族的運命共同体的モラルが他の民族を驚かせるほど確立していた
高度な民族であったからでもある。

ブログ戦争成るものをはじめて見聞きしたが、そんな流暢なことをしてるヒマは世界情勢に照らして
この国には無い。

食料自給率、唯一の資源の水さえ危ない。
それでも国家はその方向に動かない。国家機能が麻痺してるからである。
解散で民意を問わずに内閣が成立する不作為な法執行者の政治家は自らの首をしめてるに過ぎない。

あらゆる人々が持てる力を発揮して平成の明治維新に優るとも劣らぬ
維新を断行せねばならない時期である。

ブログはその一翼を担うに十分すぎる影響力がある。
選挙法でブログが違反とされてるのは何も不法文書だけが真実ではなかろう。
その威力の怖さもあるからだとみる。

小沢民主が農業死期回復の保護策の参議院選挙で訴え勝利したのに
この国会で管議員の演説中にも怒号のヤジの自民公明の与党席。
為政者と同じでこの国の瀕死の状態が見えておられぬこのブロガー。

このブロガーは自分の神から与えられし己の力を解っていないようだ。
溢れる英知を使う道をみ誤っている。
場末の老い先無き爺を相手してる余裕がこの日本民族の将来を見るときに、あるはずがない。

ブログを散見する限り、先輩者に対する尊敬語を使えない亀田家的欠陥を除けば、
権力者たちが新しきブログ文化奪取のため、潜り込ませた人々に対応できる中心英知者たちの一人になりえる。

ただ知力は両刃の剣。使いようでは善にも悪にもなる。
勧善懲悪の単純文化に一石を投じた横山光輝の鉄人28号の操縦器を
心正しき正太郎少年の手にあるや否やと似ている。

今のところ自分の置いてる位置があまりにも低すぎる。
もっと力があるのゆえ残念で仕方ない。
偉人・西郷隆盛などとの出合いが無いからなんであろう。

ただ大西郷でさえ初期は小物であった。
主君斉彬から
「東湖をみずして佐内を見よ」との敬愛する人からの心痛なる意見があって
しぶしぶ時代に早き水戸学を捨て幕末四賢の橋本佐内に会い従い学ぶ。

緒方洪庵の適塾の塾頭も勤め、主君春嶽候と共に幕末を回天した佐内。
オット!回天ととか使うとまた言葉尻の揚げ足を取られそうである。

大意でなく間違い探しのブログ戦争を御趣味とされてる小人ゆえ持ってる知恵の使いどころを誤っておられる。
矛先をもっと大きく、いい国家作りに向けねば能力ある自分がかわいそうではないか。

もっと国家を動かしてる人々と戦わねば。
だがそうすると権力は化けの皮を剥き襲い掛かってこよう。
ブログ文化草創期の時期ゆえ貴重なる年月である。

佐高信金子勝立花隆筑紫哲也・・わが身を賭け真剣に国家と対峙し
国家の舵取りを必死に正しきものにしようと足掻き生きている。
老い先無き爺どもである。

明治を造った若き優秀な世代はこの時代には場末ブログで戦争してエネルギーが残っていない。
いつまでも成長無きブログサーフィンで刺激を求め徘徊して戦争を挑んでる繰り返してる時期は卒業がいい。
このようなことが惹起する限り年寄りブロガーは怖くてブログ文化から退散するしかない。

慟哭でブログアップをしなかったのはこれらの理由からである。
7年近く続けてきたブログから撤退を真剣に考えた。
立ち向かう相手と意気消沈する相手があることで元気を取り戻した。。

このブロガーの秘めてるものは獲物を捕獲す入る寸前の獣のの香りを爺の世間経験から嗅覚的に感じ取る。
ゲバルトのためには大きな精力的、なかまがまず死を低めた暴虐の対象であったる前衛党の末路。
その集大成の浅間山荘事件は映画にもなった。

危機管理内閣室長の東京石原選挙対策委員長を務めた佐々淳行はこのとき現地行動責任者。
神戸震災では革新の旗手たる村山社会党内閣はなんら生かせなかった。
インターネットの世界文化と菱の代紋組織が初期神戸をすくった現実。

一億二千万のこの民族を食わしてくれる国家作りの戦士の一人にいつなっていただけるのか。
息子ほどの若きクセにつまらぬもにエネルギーを裂くべきでない。
両親一族をを悲しませるな。その天意を腐らせるな。

洋の東西を問わず亀田家以外は長幼のジョの警護を持って接するのがその人の人格を決めえる。
シューベルトでさえモーツアルトの隣に眠る事実は先輩の生きてきた偉業を称えてることである。
どのようにしても超えることができぬもの。
せきやんの年齢を超ええることである。
残念ながら厳粛なる事実である。

加齢は平等に一年ひとつしか年は加わらない。
両親をこえたる年端の子がいることを天地がひっくり変わろうと聞いたことが無い。

天邪鬼は義理の両親と子の逆転関係を持ってあげつらおうとしようが
まさに今やってることそのもの徒労にすぎない。

ブログの支配者権力者のごとき振る舞い言動はやめたまえ!忠告しとこう。
まだこれでもブログ戦争をしたい。
も〜〜〜餓鬼!オシリペンペンしちゃうぞ〜

NHK深夜便イブモンタン・小椋桂作品から癒しで貢献した人生。
小椋桂・・この汽車は・・歌ってみるがいい。
人生そのものだ。
真っ白な道。作詞は依頼してのもの。私そのものと感情移入する。。

人さまざまなる社会貢献で社会は進歩していく。
人生とは一体なんなのか。
人生の永久のテーマのはずである。

アメリカ発の住宅不良債権がファンドに潜り込んでしまい
経済的混迷が背景にありながらの好調なる世界経済。

計画性なき市場本位主義の資本主義経済の持つ宿悪。
不確定な見えざる手や白馬の騎士などが救世主として希望をかける砂上の楼閣のバクチ世界経済。
アメリカがクシャミをすれば日本が風邪引く経済状況はなんら解決してないアメリカ頼み。

問われてるテロ特措法のいくえ如何が主権国家たる日本の国威発露、真の自主独立の中での世界連帯となろう。
どうしても、出動してる給油の艦隊を一度引き上げる老獪なる政治手法は低頭・福田内閣の性格を現している。

配置された大臣経験者。
高村正彦外務大臣は99年の周辺事態法のときの外務大臣。
どんな追及も無難にかわし「スーパー政府委員」とあだ名がついた。

日本軍が始めて海外へ飛出す道筋をつけた。そして今次の同じポスト。、
石破防衛大臣にしてもそうである。「爆笑問題・大田光総理大臣」にも出演も常連。

給油問題の切り札、パフォーマンスやその場処理でなく保守政治家の本領発揮。
単純に国益国益と叫ぶ、安倍や久間の極右政治家の単純性とは大きく違う。

軍事そのもの、戦争そのものに敏感に即物的に反応する国民はその政策に喝采する。
国民はこの現実処理的政治にまたもや翻弄されるのであろう。

テロ特措法が国民の意見としてどうするのだとド〜ンと国民意見を求め投げ出される。
自民党本領の福田内閣の底力に国民はまた騙されよう。

見てくれと本性としての好戦的体質の本性。
安倍のように威高く戦後レジームを叫ばず粛々と憲法改正への地ならしを進めよう。

まずはk財政基盤の確立。インフレ政策の地ならしの物価高の追認である。
久しぶりの20年ぶりに聞く物価高、インフレ政策は悠然とされ、それを物語っている。
もちろん増税のシナリオが追従してくるのは歴史の指し示してきた事実。
狙われるのは消費税。消費税内閣の福田内閣であろう。

戦争経済を目指す、まさに災害は忘れた頃にやってくる。
みかけの穏便な福田康夫の政治スタンスの本領発揮。

見た目の人と実際との大違いである。
似たような事はよくあることである。
自転車はれっきとした車。

歩道でなく車道しか法上は走れない。
日常の常識はそうではなくほとんどの人が間違いを容認している。

歩道では降りて押して歩くのが正しいあり方である。
ただ車道を走るのは怖い。
車の方だって運転してみればわかるが車道を走る自転車が怖い。
よって「チンリ〜ン」と我が物顔で歩道を通過すのを歩行者も含め間違って認めている風景。

ところでその自転車振興会会長を見れば驚く。
NHK美人アナの下重暁子なんである。

テレビで見ないなぁ〜と思ってたら著書のエッセーがいい。
するとナント、日本ペンクラブの理事。
その後のポストである。

本気で競輪事業の振興はってんにさえ勤めている。
宮崎・清武にも場外発券場がオープンするが来宮するのか。

自転車のペダルを踏めば渋谷、赤坂、青山の地形が名のお住まい近くの江戸。
宮崎にも似た地名状況の黒谷、鹿発坂、青山が京街を目指した伊東家の知名に自転車探査の宮崎でみれる。
秋の最高の日々が続いている宮崎。

どうみても自転車で颯爽と表参道を闊歩してるが如しでもない。
自転車で闊歩もせきやん流でもあるが。
素性見てくれからしてどうも自転車に乗れそうも無いし、ましてや博徒ができようや。

趣味がバレーを踊ることとオペラ鑑賞ときてもなんら違和感も無い。
福田・石破・高村の布陣に小沢・管・鳩山を対峙させてもテロ特措法の混迷度がみえてくる。

状況は独り立ちしきれぬ脱亜入欧の貧相なる国民意識である。
平和ボケの飽食民族はマンガ、孤立化した環境の薄っぺらな自己本位主義で地球レベルでの自己意見は無い。

瑞穂の国の集団助け合い政治経済民族の本領がとわれと右往左往する政治判断となろう。
選民たるバッジ族の仕事放棄であり、無責任体制の蔓延化であることの証左である。

戦争無き平和な地球環境をめざし先人は全知能を傾けてきた。
宇宙に人を送り、全世界規模での食料を中心たる移動手段の恒常化の社会システムを構築した。

かって経済原論で社会を分析したマルクスは発禁になるのを恐れイソップ物語で書かざる得なかったと
資本論の改題序文で読書に当たっての注意事項を書き留めた。
文化面では特にその傾向をもつ。

映画ファンなら「東京」から目が離せない。
開幕した東京国際映画祭。エントリーは15作品。健闘できるか中井喜一作品もある。
、東京を描いた戦後の傑作50本が特別に上映される。
新聞が報じている。

千代田区の神保町シアターで始まる企画も、昭和30年代の東京を舞台にした作品の特集だ。
『煙突の見える場所』『東京暮色』『新宿泥棒日記』……。
映画祭のラインアップはこの大都会の変容そのものだ。
片や神保町シアターの番組には、地方から無数の若者が集まった高度成長期を見つめた作品が多い。
資本主義的経済体制に急変した地方にある労働力を都会に吸収し価値を生み出し企業は力をつけた。
剰余価値だの搾取だのG-Wなる記号的説明など要らない。賃金価格利潤だけで十分である。

映画人にとって、あらゆるものをのみ込み膨張を続ける東京という怪物は最高の題材に違いない。
そんな東京のエネルギーの源は「法人二税」。
圧倒的な数の企業が、年間2兆4000億円もの事業税と都民税を落とす。
これをもっと地方に手厚く配分しようという構想が政府・与党内に浮かんできた。
二税を人口などを基にして見直すと、東京都の税収は半分以下にも減るという。
都が猛反発するのも無理はない。
往年の多くの映画は、東京が集団就職の青年をはじめ地方の力を借りて成長する姿を映し出している。
その恩は忘れないけれど、あまり派手な恩返しをすれば首都も弱ってしまう

。映画祭では若き日の石原慎太郎知事の主演作『危険な英雄』も見られる。
税をめぐる今度のドラマ。全国の知事の振る舞いはいかに。

語句率行政法人たることは大学でさえ容赦しなかった。ただどうであろう。
東京にある大学は土地の切り売りでさえ生き延びられる。
地価の格差が急速に広がっている。

平均住宅地価が東京の1割に満たない道県は2002年の5から07年は19に増えた。
これは全都道府県の4割にものぼる。
都市再開発で東京の地価は上がる一方、地方は下げどまらない。

地方の不満は爆発寸前だ。先日は四国の面々。橋本知事もみえ、兄龍太郎を髣髴させていた。

 07年の都道府県地価調査の内容は衝撃的。
住宅地の都道府県別価格指数(東京・100)で10を割る道県が19と
、06年の13から増加。
岩手、新潟、山梨、岡山、山口、佐賀の各県が新たに東京対比でひとケタ台に沈んだ。
「資本の論理」で土地の優劣が鮮明に成ったる成熟爛漫の資本主義経済体制。

平均価格指数が最も低かったのは秋田県の5.9で、東京のおよそ17分の1。
県の住宅地平均で、これだけ東京と差が開くことは過去10年にはなかった。

 平均ではなく個別地点で比べると、住宅地で最も高いのは東京都千代田区五番町の1平方メートル当たり315万円。
これに対して人口10万人以上の市の住宅価格で最も低い地点は新潟県上越市にあってその価格は1280円。
五番町の2460分の1となっている。

 格差が広がったのはその土地があげる収益を基準に地価を決め始めたためだ。

 ヒト、モノ、カネが集まる東京は住宅地の収益性向上が期待できる。
規制緩和によって再開発が相次ぎ、住宅の高層化も進んだ。そのため、地価に上昇圧力がかかる状況が続いている。

 一方、過疎化、高齢化が進む地方は収益が見込みにくい。
需要が少ないので高層化も進まず、地価がずるずる下がり続けている。
地価に資本の論理を取り入れた結果、土地の優劣が鮮明になった格好だ。

 政策との関連で見ると、小泉純一郎首相が2001年に都市再生本部をもうけ都市再開発を促した。
それが東京での再開発ブームを巻き起こし、日本経済をデフレスパイラルの危機から救ったのは事実だ。
ただ、東京の地価上昇は全国に波及せず、地価格差の拡大という副作用をもたらした。

 東京の持ち家比率(住宅総数に対する持ち家総数の比率)は40%代半ばなのに対し、富山や秋田の比率は80%に迫る。
地方では地価下落に伴う逆資産効果は無視できず、それが格差の痛みを大きくしている面もある。

住宅地の都道府県別価格指数

(価格指数:東京都=100)
都道府県 2002年 2007年
北海 8.6 6.6
青森 9.0 7.1
岩手 12.1 8.9
宮城 15.3 11.5
秋田 9.2 5.9
山形 11.0 7.1
福島 10.6 7.4
茨城 17.2 11.4
栃木 18.3 12.5
群馬 15.7 10.6
埼玉 42.6 34.0
千葉 28.5 23.5
東京 100.0 100.0
神奈 67.2 53.7
新潟 13.3 9.1
富山 16.0 10.8
石川 20.4 14.9
福井 16.7 11.7
山梨 14.4 9.4
長野 11.5 7.4
岐阜 15.2 11.0
静岡 28.9 21.8
愛知 35.8 29.8
三重 14.8 10.8
滋賀 20.0 15.4
京都 44.3 32.9
大阪 60.7 46.2
兵庫 37.1 28.3
奈良 25.6 18.5
和歌 18.8 12.9
鳥取 11.7 8.2
島根 8.9 7.6
岡山 14.2 9.8
広島 20.5 16.7
山口 13.5 9.5
徳島 18.5 12.7
香川 19.0 12.6
愛媛 17.4 13.0
高知 16.4 13.4
福岡 19.1 14.3
佐賀 9.1 7.1
長崎 11.8 8.4
熊本 11.9 8.6
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消えたブログ2

2007年10月28日
「十三夜に曇りなし」と言われる十三夜。
あすは24節気の一つ霜降 としたら。
地球温暖化で季節のサイクルにもきしみが生じている中、暦通りに秋の空、冷え込みが戻ってきた。
秋は秋らしく。
そのらしさが戻ってきてほっとしている。

純粋無垢なる頃の英雄力道山伝説の後を請けたる沢村忠。
後にも先にも二人につづく全国規模の憧れる子供の視点の英雄伝は無い。
巌流島の猪木と煽っても、桜庭と柔道王を組み合わせ違反の滑るオイル塗りで再試合を目論もうとも
所詮英雄列伝には同時代に生きた爺どもは納得しない。

その憧れの人のことを書くにどこに馬鹿にする姿勢が出てこよう。
実況を疑似体験のテレビで見てたわけで同時代人の高揚する雰囲気が若者に解ろうはずが無い。
愛すべき競技の存続を祈るがため大意を書いた。
間違い個所が多多あるいつもの老害ブログである。
伝統のボクシングを危うくすることを亀田の投げ技の非法性を言いたかっただけ。即座にブログアップしたが案の定大きな話題になった。

トランクス一枚でグローブのみに頼りリングに登れば解ること。
孤立孤独の暗闇の、果ては真っ白の孤立から、唯一救うコーナーを陣取る人々は神の聖域である。
セコンド陣がアンフェアーな指示を出せば迷わず従おう。
地獄から逃げ出せる、こみ上げる恐怖心をいなせる唯一の道である。

厳格なるルール維持、フェアーなリングはジッジ=主審次第である。
闘争心維持の根性をつけるための土俵の相撲部屋の特訓とは叉違う。
相撲は断じてオリンピックにはなりえないであろう。
野球でさえこの中国大会が最後。
オリンピック種目維持は困難性が伴う。
ボクシングのルールの単純性はオリンピックの華としてもいいはずだが設立意図からマラソンである。

ブログの為政者気取りの小心者はその筆者のいとも見抜けじ、過ち間違いを見逃さず、
K-1には投げ技はないと比喩の意味を弁えずことさら大袈裟に描く。
世代的に危険なボケ老人世代はいつか自分の行く道たるでさえ忘れ、老害ブログは参加する権利は無いと決めかかる。

過激なるルールの格闘技は庶民スポーツになりきれず、
大衆化した世界の目標のオリンピックに昇華できないことをいってるにすぎない。

単純なる年端の頃の幼き頃の英雄を何故に蔑もう。
文脈を読み取れぬらしい。

意図的にそうしてるのが常に他人様のブログが気になりチョッカイを出し喜ぶ不逞の若造。
なまじっかの知識、力があるから厄介だ。
いずれ2ちゃんねるに、この爺を晒すであろう。

「矛を収める」なんてウソっぱち!
舌も乾かぬうちに間髪いれずブログアップ。
狙った獲物は見放さない。異常である。

挑発するのは趣味ゆえお得意でここまで来るとまさに芸術品。
朱書きの技をもお使いで老害のブログの追放を広めようとする。
即座にブログアップとこの晴天によほどお暇らしい。

釣りや登山や一度の人生をPC依存症からの脱却、
ブログ症候群に陥ってるのを自覚されたがいい。
バーチャルでは彼女もできず、根気の要る幼児育成はムリで家庭はもてませんぞ!

地球温暖化の異常気象の乾燥で流石のシュワちゃん知事も手立て無しの山火事。
温暖化はアラスカやロシアをも巻き込んだ一触即発の地球の火事状態。

日本はテロ特措法があと4日で切れる緊迫ぶり。
世界の潮流と民族自決の将来が問われてる時期。

そこのとこに力あるブロガーは言論を戦わすべきで、地球規模で救い切れない状況が起きている事には目をつぶる。

国家権力に素手で立ち向かった団塊の世代は体の痛みは忘れられない。
ジュラルミンの楯でデモ隊防止の壁を作るはいいが、見えぬところで亀田ばりの顔引掻きならぬ
ジュラルミンの楯で足に「ドス〜ン」と指が切れる感覚でやっている。

若造!笑う出ない。
身銭をきって国会周辺を取り巻いたんだぞ、この間違いだらけのブログ管理者。
勤め先を首になるのを恐れながら妻や子が頭を横切りながらも行動した。
幕末開明の行動の学問・水戸の陽明学徒との故でもある。

亀田を叩くならセットで権力の牙城TBSを暴け!
その文意からして十分なる力はある。
弱きを助け強きをやっつける勧善懲悪にブロガーは喝采をおくろう。

神より与えられし能力を腐らさすな。
間違う出ない。
その力は社会貢献に費やせ。
場末の老人に焦点を当てる出ない。
怒り怒髪天をつく状態では文脈から大意を読み取れぬ暴走ぶりがつづくのみ。

老人ゆえだけの理由で死を宣告しといて
他方、ゆるせぬ!わびろ!・・・笑止!
ブログの番人面しゃがって!何様のつもりだ。両親の顔が見てみたい。
亀田家的思考形態の蔓延化を垣間見る。

為政者にして道徳教育母親教育が隙を突いて持ち込まれようとしてくるはずだ。
この不逞の輩がいるゆえ老人は断片的に認めざる得なくなってくる。

所詮ブログされどブログ
そう他人様のブログを挨拶もなく覗き来てイチャモン付けなさんな。
初めてのお客さん。それでもお茶でものんでいきな。
そうかたぐるしき爺ではありません。

来る人拒まず、去る人追わず。
長き苦難の人生を生き抜く知恵ですぞ!

そうトンガリなさんな。
たたかう相手をまちがってらぁ〜。おにいさん〜。
勤め先でもおなじことができてますか二重人格のお方。

上司に年上にやってごらん。
矜持されてる仮面は一挙に剥げよう。
高度な論理性を持つ民族だからである。

バーチャルゆえ臭いも香りも伝わらない。
PC病に犯されてると診断しましょう。

年寄りが若者にPCを介在させてのお話に勝てるはずが無い。
強者が弱者をいたぶって知識人の人間的価値があろうや。

知恵ある貴君たる若者の論理性がとわれている。
いずれくたばり朽ち果て老い先無き老人、老醜。
ほたりなさいよ。お兄さん。

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