生きる基本

2007年10月31日
月の終わりの月曜日は夜8時から10時前まで「新話の泉」につきる。
大人の知的会話はニヤリニヤリと頷く。

毒蝮三太夫山藤章二嵐山光三郎松尾貴史渡辺アナ家元立川談志。
実況中継ゆえおこるハプニングはたまらない。
前回なんか初体験を勘違いして放送を続けたからたまらない。
抱腹絶倒顛末は週刊朝日の10月第一週号の嵐山光三郎のエッセーを大笑いで読める。

日曜日FMはかまだみつおの2時間と同じで携帯の電源を切って携帯ラジオを一人聞き入る。
全放送を前月みたいに書きたいが邪魔で筆を折ってたのでリズムが狂ってる。

そのリズムが日常の安寧が清浄が破壊された。
若き御仁が老い先無き爺の日常を何日もわたり壊してくれた。
終了宣言、終わらせると書き、餌を撒き、それでも罠であろうと休止を続けてた。

ひょっこり書いてみたら案の定噛み付いてきた。
自分より劣ってるのを確認し飢えを満たし病のPC病を満足させるのであろう。

新潟のトキでさえ100羽を超え、復活しそうである。
遮断されたる佐渡がよかったのか。
小泉竹中の近年の資本のグローバル化の新たな収奪経済で高度成長期に大都市に人間資源を差し出たる田舎は
再度の収奪体制で都市と田舎の格差は開くばかり。
鉄道を奪われ高校も医療制度もない中での田舎の生活は成立しない。
金融機関たる郵便制度さえなくなろうとしている。電話ボックスははとうにに廃止された。

PC社会での、このいじめっ子、相当の偏差値教育の勝利者ではあるようだが、
年長者とのブログ会話能力さえ疑る知識偏重の欠陥者。

目くそ鼻くそ笑う程度の他愛無い若者の罵声にどこに真実味があろう。
真実を追究する行動力も情熱も一番旺盛な時期に場末の爺のブログのみが気になる哀れなる無味乾燥なる人生。
所詮バーチャルで世の鬱憤を紛らわしているだけ。
10月最後の日。彼女とデートを楽しむでもなく大自然のお裾分けのモミジ狩さえ知らぬのであろう。

そのそぶりでは魚振の感動の味をお知りではなかろう。
漁船で大海原に乗り出すがいい。
魚群探知機の発展は恐るべきもの。
何メートル下に何匹の群れさえ映像として捕らえ大漁さえ解説してくれる。
撒餌での磯釣りさえ軽蔑してたがそれどころではない。

離島での宿泊の磯釣り、日向灘の随分沖の黒潮高い串間の岬の彼方であった。
若き頃の貴重なる数度の体験が記憶に鮮明である。
忙中閑アリで友人が多忙で生きる日常を慮って誘ってくれたものである。

孤独な人と見えるゆえ一人で楽しめる川釣りの小型の魚で丁度云い。
アラスカや角みたいなカジカマグロをめざし世界乗り出してる太公望も結局は川釣りにかえる。

渓流の水質のバロメーターのカジカがいい。
ご存知であろうか。
無き声で有名なかじかの蛙でなく魚のカジカである。

山の女王・エノハはいきなりでは技術的に無理であろうから、
子供でも可能なるカジカ釣りがいい。
糸に針を結ぶことさえ文化である。
偏差値勝利者はそのことさえできなかろう。
年金返上などと相変わらず人さまの人生さえ決め付ける膀若無人のPC病の御仁。
亀田家の物言い知らずと何らかわらぬ日本人の会話のできぬ若者。
人生終生一生修行。一度しか無き尊い大切なる人生。
無駄にする出ない。

朝青龍から時津風に渦中の中心が移った感じだが、原点の風景を訪ねるもいい。
相撲も世界への日本文化発信のマンガも四国に求めることもできる。
何も聖地の手塚治虫や藤子不二雄の下宿した梁山泊だけではない。

横山隆二青柳ユウスケらの先人はそれぞれ漫画館で常設展示されている。
高知カホク地区のアンパンマン館もよろしかろう。
朝青龍のシコ名の由来も四国にある。

脅迫めいたる中傷誹謗の犯罪性もいずれ法制化が必要である。
規制は迂回して部分的にクリアーして全体を整えよう。

監視に身を守るはこの不逞の輩らがいる限り国家権力が必要となるわけである。
このバカメ!がいるため国家権力で、がんじがらめに張り巡らさざる得ないわけだ。

ブログカウンター10万が目標であった。
最初は一日10のアクセスも無かった。
積み上げられたカウンターは20万を越している。
実にありがたく一本指変換で格闘してきたことに対するご褒美である。
ただ、バーチャルゆえ生身の人間を相手にしている実感を失ってしまう。

これではミスばっかり繰り返す幼子の育成の子育てはできず、女も愛想図化しで家庭を持つのも無理だろう。
もっと大人にならにゃぁ〜・。
論点をずらすのが得意な詭弁学をあちこちに散りばめてある見事なもの。
ただ、何度も言うが知識の使い方、立ち向かう相手を間違えてる

また、日本民族の世界に誇る暗黙の道徳たるモラルの欠如。
天に唾するたとえさえ解らぬのか品格を語ってるのだからチャンチャラ可笑しい。

一回り以上の年長者に対する会話さえできない礼儀不足や欠如はご愛嬌。
小物から清濁併せ呑む大物にならにゃぁ〜。

知識英知は兼ね備えてるわけだからしっかり自分を見据えれば大成はなしえよう。
ただ自覚なされよ。

自分の努力のみだけでなしえたのではないですぞ。
社会システム、ご両親を初めとするご親族の方々友人知人恩師を忘れてはならぬ。
唯一欠けてるものの一つであることを先輩として忠告しとこう。
それが解消できれば彼女もでき立派な家庭ももてよう。
察するところ家庭も無かろう。
それがなければ、お家の繁栄も国家の繁栄も無い。

新聞記事から見えてくる風景
とある店で初老の男性が「頼んでたものは入った・・・」と尋ねている
従業員は入荷が遅れたことを丁寧に説明する。
男性は突然「もういい!」と怒って出て行く光景。

 優しく語りかける従業員に非があるように見えなかった。
客の顔が仏から般若のように一変し、対応する従業員もキョトンとしていた。

コーヒーショップ、スーパー、ガソリンスタンド…。
店先で怒っているのは、20代より高齢者の方がはるかに多い気がする。

 元気な証拠と喜べない、悪いデータがある。
宮崎での刑法犯に占める高齢者(65歳以上)の割合は2005年まで
7―9%、昨年は12・5%に跳ね上がった。
今年9月末の段階では13・3%と、さらに悪化している。

 高齢者の人口が相対的に増えていることもある。
ただし、刑法犯の伸びはそれをはるかに上回っている。
02年の189人から06年は394人と倍増。
法務省が毎年発行する犯罪白書でも全国的傾向となっている。
子どもから大人まで皆キレる。
 
 カラオケで下手と言われ、隣人宅がうるさくて、庭師の剪定せんていが気に入らず、
三角関係の果てに県内あちこち高齢者が暴行に及ぶ。
食料品を万引した報告が毎日のように県警本部に上がってくる。
「人生の先達に説教するなんて」と幹部は絶句する。

 論語の〈60にして耳し順たがう 70にして心の欲する所に従いて矩のりをこえず〉を忘れた世代ではなかろう。
刑法犯の増加を、はやり言葉で〈チョイ悪わる〉と軽々に片づけられる問題でもなさそうだ。
社会全体がささくれ立っているのだろうか。

九州一周駅伝が10日間の熱戦を終えた。
総距離1000kmの駅伝は日本一の長き戦いで勝者は連勝宮崎で優勝はあたりまえ。
いつもハラハラしながらも優勝は決まったもので安穏たる戦いと県民は見ていた嫌いがある。
9日目で1分の差まで追い詰めていたが最終日に二位に甘んじて今年も福岡に優勝をさらわれた。

これで三年連続での二位である。
今年は必勝を期して全区間に旭化成陣を起用して必勝を期していたがこれである。
これで総合力で三年連続の準優勝。対策さえ語れていない。

秋のキャンプに西武とダイエー=ソフトバンクが宮崎にきている。
新監督の渡辺久信、の手腕が問われる。
昨夜17日の試合のお話となった。
黒江や土井正三のカラオケぶりのお話。宿泊場所までお話は延々先ほどまで続いていた。
新聞記事にあったこと。

オイルショックでもないのに、ティッシュペーパー売り切れ続出、という伝説があった。
およそこと、ふた昔ほど前のことだ。
武田久美子というタレントの、セクシーな水着姿のせいだと若い男どもが騒いだ。
新話の泉どこではない。

 そのペットをかっさらったのが若き日の渡辺久信。
当時、パ・リーグに三羽ガラスと呼ばれる若手投手がいた。
西武・日ハム・西崎幸広、近鉄・阿波野秀幸。
トレンディーな格好をして、いずれもハンサムなやさ男。
とても野球なんかやってるようには見えない。
多くの浮いた話を残したが、いまでも語り継がれるのが渡辺の手腕である。

 が、武田久美子が転んだのは格好のせいばかりではなかった。
「ナベは」と、あだ名で呼びつける球界関係者が言う。
「心にゃ硬派の血が流れてる。やさしく舌足らずな話し方も魅力だったろうが、ときに突き放すような硬派な態度を取るんです。
ナベのワルっぽさがたまらなかったんでしょう。
そういうのにやられたタレントは、武田ひとりじゃなかった」

 前橋工高時代は暴れん坊。
詰め襟を10センチ以上高くして、ずんどうのラッパズボンをはき、暴走族と付き合って
たばこをふかしていた。ガンを飛ばすような高校生だった。

 が、高校を卒業して仮面をかぶった。
たばこはやめられなかったが、マスコミにはていねいな応対をしきちんとした言葉遣いをした。
可愛がられるタイプだった。
タレントを転がすくらいはなんでもなかった。

 プロ3年目。86年には最多勝(16勝6敗)と最多奪三振(178)を記録。
88、90年にも最多勝を獲得。
日本シリーズでは6連勝。
大舞台で度胸のよさを発揮したのも、硬派投手らしかった。

 実績をつくってもテングにならず、後輩の清原和博がダーティーなイメージにまみれていくのとは対照的であった。
硬派に磨きがかかったのは、97年、西武をクビになってからだった。

「戦力外通告を受けて、ひとりでヤクルトと交渉して入団。
1年後には台湾へ飛んだ。
西武時代のチームメート郭泰源に誘われたからです
。それにしても、何も台湾くんだりまで……という声もあった。
が、これが正解でした。
台湾でナベは最多勝投手になり、コーチも兼任した。
北京語を勉強し、劣悪な環境に耐えて3年間、人間が鍛えられたんです

。野球以上に大きなものを得た。
苦労して根性に磨きがかかった」

 ティッシュペーパーの女王を手玉にとって、夜の六本木、麻布界隈を肩で風を切っていたトレンディー投手が、
ゴキブリの徘徊(はいかい)するような部屋で3年間、野球に取り組んできた。
 05年、西武二軍監督に就任。
今年まで3年間を2位、6位、6位。一軍と二軍では采配も違う。
球団内部では
「昇格は時期尚早」という声も強かったが、さてどうか。
タレントを転がしたように、ペナント奪回なるか。
硬派を秘めたやさ男監督、ナベキューの手腕に注目だ。
宮崎でその出発を図らんとしている。
環境がいいので体制派折り紙つき。
長島も王もみんな最初は宮崎のキャンプから始まった。
この県の人と環境が大物を作り上げる。
PC病の若者、宮崎に来い!。
この特別なる田舎の空気を吸えば大きな人間になれるゼ!

一日ぐらいだったら案内しよう。
ゴルフバック持ってる?
釣りさおは・・
人生一度、早いぜ!
老人になるの。
社会改革に生きた一生であったが終章でブログ文化の初期に携わった。

死期を前にした爺にかかわりあわないほうが身のためだ。
だてに馬齢を重ねたのではないぞ。
前途洋洋たる若者・・大きな志を持て。!

親を泣かせるような言葉遣いはやめたが良い。
それが日本人の品格だろう。品格評論家さん。
生きる基本だぜ、

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