「十三夜に曇りなし」と言われる十三夜。
田舎町の宮崎でさえ街中の屋上にこの8月にボーリング場と併設でのスーパー銭湯がありがたく完成している。
湯気のさき 裸でみるや 十三夜
まんまるい満月ではなく、少しいびつな晩秋の名月を、ながめ、たたえる瑞穂の国の一人。。
「極楽〜極楽〜」
この三ヶ月冷房での体の季節変わりの偏重を体に覚えこませるには
風呂の繰り返しが一番の調整法。
古来より取り入れられてきた。
カゼなぞにかかるやつの不健康管理が存してるのがあきれる。
神より預かりし自己の体内が持つ自助調整能力を生かして季節変わりにそなえれば
風邪で仕事を休むことは無いはずだが宿りし自己治癒能力を知らぬ現代人の偏差値知識を疑う。
、
晩秋にながめる「後の月」には、真円の満月よりも、まだ満ち足りぬ月がふさわしい。
徒然草にも「花はさかりに、月はくまなきをのみ賞するものかは」とあると新聞記事が教える。
完全形よりいささかの過不足に味わいを求める先哲からの知恵。
美は乱調にあり。
陰影礼賛に通じる美意識が十三夜の月には隠れているようだ。
場末の老人のブログをあげつらい楽しむ
不逞の輩の若造にはわかろうもない日本人の美の原点である。
沢村忠の件は週刊誌の特集の英雄列伝の記事の記憶からで、
根拠はあり、現に釣堀を尋ねてもいる。
黙したんではない。
人権問題もあり、記事の範囲内で英雄列伝のことは知ってることの週刊誌記事範囲内で多くは書かない。
偏差値教育の勝利者たるのみの底浅き人生経験の若者には所詮解りえないこと。
何とかの耳に念仏で多くは語らない。
書いたは、書いたで、唯我独尊の御仁また年寄りの変換ミスや気に入らぬ意見を
あげつらうのは、わかりきったこと。
筆を折らざる得なかった。
馬齢を重ねてるとはいえ、そこまでおろかではない。
最強のボクサーの名をほしいままにした蝶のように舞い、ハチのように刺したモハメッド・アリ=カシアス・クレイも
過酷なルール苦闘の戦歴から病気を併発、五体満足でない形でのリングを去った後の平和祈りの生活。
主因はパンチドラッカーであろうと普通の大人たちは診断する。
交通事故の追突時の首の不安定さたる、むち打ち症みたいなものなんだろう。。
病名には実態たる頚椎の言葉がどこかにつくはずだが、似たようなもの。。
アントニオ猪木は悪評のリングで寝てた!の戦術のアリ戦、
異種格闘技戦で名を成して大きくはばたいた。
亀田次男坊を打ち砕きメジャーな名声であった王者内藤が一躍メジャ−な名の内藤として世間に響き渡った如しである。
日本人の人間性を兼ね備えてる強さとやさしさが同居してる真の王者内藤としてまさに名実共にチャンプとなりえた亀田効果。
月の姿なら少しばかり欠けているのも美に通じるが重箱の隅をつつく趣味人にはあきれ果てる。
場末の老い先無き老人の変換ミスやボクシングの世界戦15ラウンドと書いたのを明らかなる常識ミスをあげつらい
悦に行ってる知識の使い方の若者の将来は日本の教育の欠陥を実証している。
これでも一面では優秀なる会社員なんであろうが、ジキルトハイドよろしく変節するんであろう。
この小人ぶりの人生は危うい。
これではミスばっかり繰り返す幼子の育成の子育てはできず、女も愛想づかしで家庭を持つのも無理だろう。
もっと大人にならにゃぁ〜。
一回り以上の年齢差ぐらい感じとりゃぁにゃぁ〜、
それを日本人生活道徳の高貴な人格を持つ品格ある人とならにゃぁ〜。
年寄りは確かに厄介モン。それをあやすのも能力。
死の宣告のみではその場をいやぁな雰囲気にするのみ。
ブログ周辺は荒れる。
そう簡単に爺どもを殺すでない。
ブログ能力の不足や欠如はご愛嬌。
ゆるしてやらにゃぁ。老人の特権さ。
いずれ「うぬ」が行く道でさえある。
論点をずらすのが得意な詭弁学をドコのゼミだか知らぬが修められはしたのだろう。
知識の使い方、立ち向かう相手を間違えてる。
権力のジュラルミンの楯に立ち向かう実行力は無いのにひ弱いものは苛め抜く。
また、日本民族の世界に誇る暗黙の道徳たるモラルの欠如。
天に唾する例えさえ解らぬのか品格を語ってるのだからチャンチャラ可笑しい。
難解なる語彙や言い回しはある意味天然、大事なブログこれぐらいにしとこう。、
あけて今朝は24節気の一つ霜降(そうこう)。
札幌では初氷。日向の地も九州山地の尾根をなす、高千穂では初霜。
日本に伝わる歴は温暖化さえもろともせず古来より伝わる自然の変化を堅実に伝え表している。
オリンピックは4年に一度、移ろい早き世情はとても待てず4年は長すぎるのでその合間に
世界陸上とか世界柔道とかの冠をいただき、ミニ五輪、プレ五輪が開催される。
柔道は嘉納杯と福岡大会をあわせた東京大会が12月に第一回として開催される。。
ルールが柔道本来の姿から遠のいてる国際大会。
世界に冠たるヤマシタが役員選からこれまでの部下に敗れた。
「一本!」の豪華さこそが本来の姿で時間内で逃げ切るレスリングスタイルでは
武道本来の持つ武道の精神性が失われているきらいは否めない。
ルールは形を変えつつあるオリンピックと違い古来の柔道のルールに近いはずだ。
東京大会での宮崎勢の雪辱を喫してほしい。
こちらはさすがに職業柄か、「5年に1度のオリンピック。」
エエッ!オリンピックが5年に1度??
そうなんです。それも宮崎県が「金メダル」を二つも受賞したんである。
オイッ!オイッ!大変じゃん!金メダル二個!?
世界柔道での無敵の井上康生をはじめ本県が派遣した代表選手の成績がメダルに
届かなかったショック一挙に解消ジャン!
のんびりと5年に1度は「和牛のオリンピック」と呼ばれる第九回全国和牛能力共進会(全国和牛登録協会主催)。
、
本県産牛が種牛と肉牛の2部門のグランドチャンピオン(内閣総理大臣賞)に選ばれた。
県産牛は初の受賞で、系統や生産月齢などで分けた区分別の大半でも上位を獲得。
高い人気の「宮崎牛」ブランドの実力が実証され、畜産関係者は今後の販路拡大に期待を寄せている。
共進会は鳥取県米子市を主会場に14日まで4日間開かれ、全国38道府県から約500頭が参加。
種牛と肉牛の2部門、9区分(種牛6、肉牛2、総合1)で繁殖能力や肉質を競った。
本県からは8月の代表牛決定審査会で選出した28頭が出場。
7区分(種牛4、肉牛2、総合1)でトップとなり、全国和牛登録協会県支部西臼杵支所の雌四頭(「奥高」系)と
宮崎中央農協などが出品した去勢肥育牛3頭(父牛「安平桜」の子ども)がグランドチャンピオンに選ばれた。
これはことである。松坂牛など名だたる産地を俊がしたのだ。
そうなってくると連続優勝に向けた次回の取り組みが待たれるわけだが
高齢化した農業年齢上後継者の状況で決まりそうである。
ところでそれも磐石。5年後も金メダル維持は安興。後継者はバッチリである。
危うくしてる
第54回宮崎県畜産共進会(県畜産振興協議会主催)の肉用種種牛の部で
グランドチャンピオン(農林水産大臣賞)を獲得したのは
居並ぶ全国有数の畜産農家を差し押さえての高校生の受賞である。
「高校生?」「肥育牛でチャンピオン?」
どうにも解せぬ。昔の農家の子ではあるまいに。
{間違いない!高校生?!}
オイッ!オイッ!大変じゃん!県内金メダル!
高鍋農業高畜産科の生徒らが育てた「みねこひめ3」が快挙達成。
東国原知事を表敬訪問し報告。
片野坂孝寛3年生が「朝早くから夜遅くまでみんなで協力して育てた。畜産を志す者として、賞に恥じない活躍をしたい」
東国原知事は「皆さんの牛を育てる腕はプロと同じということ。後継者不足が言われるが、将来の本県畜産業を担ってほしい」
とたたえた。
共進会は2年に1度開かれ、今回は今月5、6日に新富町であり、地元紙のトップ記事を飾った。
県内の肥育農家から3部門に計136頭が出場し、体形や毛並み、繁殖性などを審査した。
「みねこひめ3」は肉用種種牛部門63頭の中からグランドチャンピオンに選ばれた。
うれしさが記事にある。
新藤隆宏3年は
「みんなで愛情を込めて育てた牛が評価されてうれしい」
ここを出ても農家後継になる人が少なき実情を解消できるのか。
田舎町の宮崎でさえ街中の屋上にこの8月にボーリング場と併設でのスーパー銭湯がありがたく完成している。
湯気のさき 裸でみるや 十三夜
まんまるい満月ではなく、少しいびつな晩秋の名月を、ながめ、たたえる瑞穂の国の一人。。
「極楽〜極楽〜」
この三ヶ月冷房での体の季節変わりの偏重を体に覚えこませるには
風呂の繰り返しが一番の調整法。
古来より取り入れられてきた。
カゼなぞにかかるやつの不健康管理が存してるのがあきれる。
神より預かりし自己の体内が持つ自助調整能力を生かして季節変わりにそなえれば
風邪で仕事を休むことは無いはずだが宿りし自己治癒能力を知らぬ現代人の偏差値知識を疑う。
、
晩秋にながめる「後の月」には、真円の満月よりも、まだ満ち足りぬ月がふさわしい。
徒然草にも「花はさかりに、月はくまなきをのみ賞するものかは」とあると新聞記事が教える。
完全形よりいささかの過不足に味わいを求める先哲からの知恵。
美は乱調にあり。
陰影礼賛に通じる美意識が十三夜の月には隠れているようだ。
場末の老人のブログをあげつらい楽しむ
不逞の輩の若造にはわかろうもない日本人の美の原点である。
沢村忠の件は週刊誌の特集の英雄列伝の記事の記憶からで、
根拠はあり、現に釣堀を尋ねてもいる。
黙したんではない。
人権問題もあり、記事の範囲内で英雄列伝のことは知ってることの週刊誌記事範囲内で多くは書かない。
偏差値教育の勝利者たるのみの底浅き人生経験の若者には所詮解りえないこと。
何とかの耳に念仏で多くは語らない。
書いたは、書いたで、唯我独尊の御仁また年寄りの変換ミスや気に入らぬ意見を
あげつらうのは、わかりきったこと。
筆を折らざる得なかった。
馬齢を重ねてるとはいえ、そこまでおろかではない。
最強のボクサーの名をほしいままにした蝶のように舞い、ハチのように刺したモハメッド・アリ=カシアス・クレイも
過酷なルール苦闘の戦歴から病気を併発、五体満足でない形でのリングを去った後の平和祈りの生活。
主因はパンチドラッカーであろうと普通の大人たちは診断する。
交通事故の追突時の首の不安定さたる、むち打ち症みたいなものなんだろう。。
病名には実態たる頚椎の言葉がどこかにつくはずだが、似たようなもの。。
アントニオ猪木は悪評のリングで寝てた!の戦術のアリ戦、
異種格闘技戦で名を成して大きくはばたいた。
亀田次男坊を打ち砕きメジャーな名声であった王者内藤が一躍メジャ−な名の内藤として世間に響き渡った如しである。
日本人の人間性を兼ね備えてる強さとやさしさが同居してる真の王者内藤としてまさに名実共にチャンプとなりえた亀田効果。
月の姿なら少しばかり欠けているのも美に通じるが重箱の隅をつつく趣味人にはあきれ果てる。
場末の老い先無き老人の変換ミスやボクシングの世界戦15ラウンドと書いたのを明らかなる常識ミスをあげつらい
悦に行ってる知識の使い方の若者の将来は日本の教育の欠陥を実証している。
これでも一面では優秀なる会社員なんであろうが、ジキルトハイドよろしく変節するんであろう。
この小人ぶりの人生は危うい。
これではミスばっかり繰り返す幼子の育成の子育てはできず、女も愛想づかしで家庭を持つのも無理だろう。
もっと大人にならにゃぁ〜。
一回り以上の年齢差ぐらい感じとりゃぁにゃぁ〜、
それを日本人生活道徳の高貴な人格を持つ品格ある人とならにゃぁ〜。
年寄りは確かに厄介モン。それをあやすのも能力。
死の宣告のみではその場をいやぁな雰囲気にするのみ。
ブログ周辺は荒れる。
そう簡単に爺どもを殺すでない。
ブログ能力の不足や欠如はご愛嬌。
ゆるしてやらにゃぁ。老人の特権さ。
いずれ「うぬ」が行く道でさえある。
論点をずらすのが得意な詭弁学をドコのゼミだか知らぬが修められはしたのだろう。
知識の使い方、立ち向かう相手を間違えてる。
権力のジュラルミンの楯に立ち向かう実行力は無いのにひ弱いものは苛め抜く。
また、日本民族の世界に誇る暗黙の道徳たるモラルの欠如。
天に唾する例えさえ解らぬのか品格を語ってるのだからチャンチャラ可笑しい。
難解なる語彙や言い回しはある意味天然、大事なブログこれぐらいにしとこう。、
あけて今朝は24節気の一つ霜降(そうこう)。
札幌では初氷。日向の地も九州山地の尾根をなす、高千穂では初霜。
日本に伝わる歴は温暖化さえもろともせず古来より伝わる自然の変化を堅実に伝え表している。
オリンピックは4年に一度、移ろい早き世情はとても待てず4年は長すぎるのでその合間に
世界陸上とか世界柔道とかの冠をいただき、ミニ五輪、プレ五輪が開催される。
柔道は嘉納杯と福岡大会をあわせた東京大会が12月に第一回として開催される。。
ルールが柔道本来の姿から遠のいてる国際大会。
世界に冠たるヤマシタが役員選からこれまでの部下に敗れた。
「一本!」の豪華さこそが本来の姿で時間内で逃げ切るレスリングスタイルでは
武道本来の持つ武道の精神性が失われているきらいは否めない。
ルールは形を変えつつあるオリンピックと違い古来の柔道のルールに近いはずだ。
東京大会での宮崎勢の雪辱を喫してほしい。
こちらはさすがに職業柄か、「5年に1度のオリンピック。」
エエッ!オリンピックが5年に1度??
そうなんです。それも宮崎県が「金メダル」を二つも受賞したんである。
オイッ!オイッ!大変じゃん!金メダル二個!?
世界柔道での無敵の井上康生をはじめ本県が派遣した代表選手の成績がメダルに
届かなかったショック一挙に解消ジャン!
のんびりと5年に1度は「和牛のオリンピック」と呼ばれる第九回全国和牛能力共進会(全国和牛登録協会主催)。
、
本県産牛が種牛と肉牛の2部門のグランドチャンピオン(内閣総理大臣賞)に選ばれた。
県産牛は初の受賞で、系統や生産月齢などで分けた区分別の大半でも上位を獲得。
高い人気の「宮崎牛」ブランドの実力が実証され、畜産関係者は今後の販路拡大に期待を寄せている。
共進会は鳥取県米子市を主会場に14日まで4日間開かれ、全国38道府県から約500頭が参加。
種牛と肉牛の2部門、9区分(種牛6、肉牛2、総合1)で繁殖能力や肉質を競った。
本県からは8月の代表牛決定審査会で選出した28頭が出場。
7区分(種牛4、肉牛2、総合1)でトップとなり、全国和牛登録協会県支部西臼杵支所の雌四頭(「奥高」系)と
宮崎中央農協などが出品した去勢肥育牛3頭(父牛「安平桜」の子ども)がグランドチャンピオンに選ばれた。
これはことである。松坂牛など名だたる産地を俊がしたのだ。
そうなってくると連続優勝に向けた次回の取り組みが待たれるわけだが
高齢化した農業年齢上後継者の状況で決まりそうである。
ところでそれも磐石。5年後も金メダル維持は安興。後継者はバッチリである。
危うくしてる
第54回宮崎県畜産共進会(県畜産振興協議会主催)の肉用種種牛の部で
グランドチャンピオン(農林水産大臣賞)を獲得したのは
居並ぶ全国有数の畜産農家を差し押さえての高校生の受賞である。
「高校生?」「肥育牛でチャンピオン?」
どうにも解せぬ。昔の農家の子ではあるまいに。
{間違いない!高校生?!}
オイッ!オイッ!大変じゃん!県内金メダル!
高鍋農業高畜産科の生徒らが育てた「みねこひめ3」が快挙達成。
東国原知事を表敬訪問し報告。
片野坂孝寛3年生が「朝早くから夜遅くまでみんなで協力して育てた。畜産を志す者として、賞に恥じない活躍をしたい」
東国原知事は「皆さんの牛を育てる腕はプロと同じということ。後継者不足が言われるが、将来の本県畜産業を担ってほしい」
とたたえた。
共進会は2年に1度開かれ、今回は今月5、6日に新富町であり、地元紙のトップ記事を飾った。
県内の肥育農家から3部門に計136頭が出場し、体形や毛並み、繁殖性などを審査した。
「みねこひめ3」は肉用種種牛部門63頭の中からグランドチャンピオンに選ばれた。
うれしさが記事にある。
新藤隆宏3年は
「みんなで愛情を込めて育てた牛が評価されてうれしい」
ここを出ても農家後継になる人が少なき実情を解消できるのか。
消えたブログ神武様
2007年10月29日10月27日、28日は神武さまである。
宮崎人で知らぬものは一人もいない。
市内中心部約4kmを2日かけて往復する御神幸祭行列の総称である。
「神武さま」=秋の神武大祭の本隊は神武を宿した天皇の乗るみこし御鳳輦(ごほうれん)。
ただ市井の興味はミス宮崎の古風の花嫁衣裳の馬上の人たる6人の今年の美人に釘づけのシャンシャン馬にある。
鎌倉時代の装束姿や獅子舞 古代船「おきよ丸」 流鏑馬の武者行列、溢れるかわゆさの稚児行列。
よくもヨチヨチで歩けるものだ。
神賑行列は市民約2000人が参加、
約7万5千人が見守る中、宮崎神宮を出発し、橘通りを経て瀬頭御旅所までの間を2日かけて往復する
、ゆったりとしたペー スで練り歩くお祭り。
05年から行列を彩る 古代船、神武東征「おきよ丸」。
綾の職人が県スギ材で作った神武天皇が美々津から「お船出」したという船。、
西都原古墳群170号墳から出土した舟形埴輪を模したもので制作費約1000万円。
「御神幸の儀」の形が整えられたのは明治四十二年以降のこと
戦中に行事は行われなくなり、昭和二十一年 に御神幸祭を復活し、同二十五年には現在の形での神武天皇祭となった。
宮崎神宮
神明造りの社殿
主祭神
神倭磐余彦命 / カムヤマトイワレヒコノミコト ( 神武天皇)
配祀
鵜葺草葺不合命 / ウガヤフキアエズノミコト
玉依比売命 / タマヨリヒメノミコト(神武天皇の両親)
古くは神武天皇社・神武天皇宮と称され、我が国の初代天皇 である神武天皇ゆかりの宮として崇敬され親しまれている。
宮崎の代表的な観光コースに組み込まれていることもあり、全国からの参拝客も絶えない。
緑深き神苑の面積は251,945?。広大な「神宮の杜」は、宮崎市民の憩いの場。
宮崎という地名の由来には「ミ = 神」という意味から「ミヤ = 神の家」のさき(前・先)、
つまり 『カムヤマトイワレヒコノミコト(神武天皇)の宮のまえにひろがるところ』 という説、
もうひとつは
「ミヤ= 原野」の意味から『原野の先端の地域であるから、ミヤの先→みやざき となった』という説
御由緒
社伝によれば、筑紫の鎮守であった建磐龍命(たていわたつのみこと)が創建されたとか、景行天皇の熊襲征伐時に再興されたとか、応仁天皇の御代に国造老男命(おいをのみこと)がお祀り申したとかある
、
平部橋南(ひらべきょうなん=幕末の飫肥藩の儒学者)が
「いはれある古迹(こじゃく)ながら悲しいかな千戴の久しき間文献の徴すべきものがない」と現す。
平安時代期に、宮崎に神武天皇の都があったという説は かなり普及していた。
『平家物語』(長門本)の俊寛僧都島流しのところ
に、「吾が朝、人皇の始、神武天皇の日向の国宮崎の郡に帝都を立て御即位ありし時、云々」とあり、『神皇正統記』等にも同様の記述がある。
宮崎帝都説はその東征と共に中世を通じて定着したと考えられる。
鎌倉時代末の建久八年(1197年)地頭土持太郎信綱(つちもちたろうのぶつな)が現在の船塚の地に宮殿を造営し、御遷座を奉仕したことを述べた奈古神社の古文書を、五味克夫氏が『中世史研究』で紹介されている。
さらに文明五年(1473年)伊東祐国が、永禄五年(1562年)には伊東祐立が、それぞれ社領を献じ、天正五年(1557年)には島津義久がお祓料と米穀を奉献した。
幕藩体制下の寛永二十一年(1644年)領主有馬康純が社殿修復の時の棟札を読むと、神武天皇を日本国帝王の祖と言い、その苗裔が今まで続きこれからも乾坤と共に永く続くであろうと書いてあり、そこには明確な神武意識・天壌無窮の神勅の思想が述べられている。
徳川時代の宮崎郡は延岡藩の所領でその飛び地。
延享四年(1747年)十月、有馬氏改易後転封されて来た内藤備後守に差し出された一庄屋の文書に
「是ハ古来ヨリノ地頭様御普請所ニテ御座候」とある。
また境内地三万坪は古来より無年貢地で、「村高ニ相除有之候」とある。
さらに「尤五月初午ノ日、六月晦日、十一月午ノ日一ケ年二三度下北方村南方村社人罷出祭相勤申候」とある。
これから四十年経た天明四年(1784
年)十月、大野河内名をもって、御本所様へ差し出した調書に、
「当社ハ私ノ外神主長田大和、祠官井上土佐三人ニテ諸祭相勤外ニ下社家三十人斗御座候」とあり、
延享から天明にかけて次第に神社が整備されてきたことが分かる。
当社が脚光を浴びるのは、明治維新以降。
「神武創業ノ始メニ原ヅキ」と言われて御祭神を共に注目された。
明治六年五月、宮崎神社と改称、
県社となり、同年八月に国幣中社、同十一年五月社号を宮崎宮と改め、同十八年四月、官幣大社に列せられた。
大正二年七月、宮崎神宮と改称になる。
明治三十二年四月、「神武天皇御降誕大祭会」が結成された。
総裁に仁条基弘、会長に島津忠亮、幹事長に高木兼寛を選んだ。
高木兼寛は 海軍軍医総監で慈恵医大の創設者である。
明治三十二年の帝国議会において、同大祭会に対する補助金の件が議決され、政府より十万五千円が交付されることとなった。さらに同三十八年十月、明治天皇より御内帑金一万五千円を御下賜給わった。これに力を得た高木幹事長は奮起して全国募金に奔走した。
かくて急速に事業は進捗し、明治四十年十月に竣工報告祭が行われるに至った。
さらに紀元二千六百年に当たる昭和十五年、奉祝会が結成さ
れ、奉祝記念行事が橿原神宮に次いで二位となり、境内の拡大整備が実施された。
本宮並に皇宮神社の境内地の拡張、流鏑馬(やぶさめ
)馬場の設営、玉垣、参道、車道の工事等であり、徴古館も新築された
。ここにおいて現・宮崎神宮の形態が完備され、神社運営の永遠の基盤が確立された。
当時の宮司は河合繁樹で、高木兼寛とともにその名を忘れてはならない。
以上のことは先年亡くなった働くものの詩人黒岩敏郎の兄、宮司黒岩龍彦のしるすところによる。
(宮崎神宮宮司『日本「神社」総覧』新人物往来社刊
橿原神宮・・・同じく神武天皇を祭神とする。
伊勢神宮・・・全国神社の本宗
今年は祭り百景として弥五郎どんが登場する。
弥五郎どんは同名の兄弟が3人いる。
兄弟が一堂に会することは滅多にないが、日南市が市政四十周年を記念して第十三回「飫肥城下まつり」が行われた時、
三兄弟は飫肥城大手門奥の広場で一堂に会した。
1270年目にして夢の三兄弟対面を実現した。
長男 宮崎県山之口町の弥五郎どん(円野神社)竹を組み合わせて麻を着せ質素に作られ、頭に鉄製の鉾をつけている。
飲んべいで賭け事が好きだったと言われる。
次男 鹿児島県大隅町の弥五郎どん(岩川八幡神社)腰に木彫りの白い面を付け、大小二本の刀を差していること。
また、人形の中で一番背が高いのも特徴のひとつ。
三男 宮崎県飫肥の弥五郎どん(田ノ上八幡神社)赤い面を付け白髭で刀と槍をもっている。大きさは7mもあり
、祭りでは小型のものを引き回すという。
南九州に伝わる大人伝説で三箇所が同じ名前であることは起源が一つと思われるが、それぞれの由来が
ある。
「一年の無病息災、」「死者への慰霊」「農作業の儀式」と諸説があり、
赤ら顔の大男で熊襲の末裔、南九州を支配した隼人族の首長という話もある。
ルーツははっきりしないがいずれも無形民俗文化財として継承されている。
隼人は大隈地方に住む人々をさし大和朝廷に対し自治を求めていた。
西暦720年に大隅国守を殺害し反乱した。
世に言う「隼人の乱」で、隼人族軍の首長が弥五郎ドンだと言う。
大伴旅人率いる大和朝廷軍に鎮圧され斬首が行われた。
隼人族の霊のたたりを恐れた朝廷は宇佐八幡の神託を受けて全国的規模の放生会(ほうじょうえ)を行い、
当時この地にあった的野正八幡神社(現在の円野神社)でもこれにならった。
それに農村の秋祭りでおこなわれていた死者の霊を慰める放生会が結び付いたとも言われる。
隼人族首長弥五郎人形が祀りの先払いをつとめたとある。
放生会とは供養のため、捕らえられた生き物を放してやる儀式のことである。
これが隼人族首長説となっている。
飫肥の田ノ上八幡神社の弥五郎どんについては「弥五郎様由来」によると、この地の稲積弥五郎という人が
「…一宮正八幡のご神体を負い奉り富国那珂郡飫肥の堡地牟田の……の松と杉の両枝に掛け拝祠すること三冬を
経たり神鏡毎夜深更に及び照輝き給うこと恰も明月の如し里民奇異の思を成し即ち牧鹿の宿社(スクネ・豪族)
に之を告ぐるにしかれば一社を造立し田宮八幡宮の神号を奉り……鳥羽帝治三年なり彼神鏡を牟田之上に
鎮座の地の宗廟とし」とある。
「大人隼人記」に「隼人の四肢を分ち埋めて祭り、或は大人弥五郎の四肢を分ち埋めて、諸所神に崇む、
其霊を宥る所と云、鼻面川は其鼻を埋め…」とあり各所に埋葬分祀されたようだ。
おおびと伝説弥五郎どんは、日本各地に伝わるダイダラボッチのような巨人伝説とは全く異質の伝説である。
日本列島に住み着いた民族の国造りの秘史でもある。
南九州の宮崎県と鹿児島県の三ヶ所の地で継承されており、
勝者が敗者の死を悼む日本人の特性を見る思いがする。 完
天孫降臨の地の高千穂神社。
御祭神は、上古高千穂皇神別名十社大明神という神号。
十一代垂仁天皇の御代の御創建で、六国史にも掲載されている。
天慶年間には高千穂十八郷八十八社の宗社として、、武神、農産業、厄払い、縁結びの神として広く信仰を集め、
鎌倉幕府をひらいた源頼朝は、畠山重忠を代参として天下泰平の祈願をし、皇室発祥の聖地に対する尊皇のまことを表した。
境内には、この時重忠が手植えした樹齢約800年の秩父杉(目通り1.8m、高さ55m)がそびえている。
三代実録第一巻にもその記述がある1200年以上の歴史を持つ古社。
かつて高千穂郷(現在の高千穂町、日之影町、五ヶ瀬町、諸塚村)には554社もの神社があり、
その中でも格の高い88の神社を「高千穂八十八社」と言う。
その「高千穂八十八社」の総社として信仰を集めてきたのがこの高千穂神社。
高千穂神社の主祭神は三毛入野命(ミケヌノミコト)、神武天皇の兄弟となる。
他に五瀬命(イツセノミコト)、稲飯命(イナヒノミコト)、佐野命(サノノミコト)を合わせた四柱を四皇子として
境内の四皇子社に祀る。
この主祭神である三毛入野命が悪神「鬼八」を退治したとされる伝説からゆかりの「猪掛祭」は今も受け継がれている。
鬼八を退治する三毛入野命の像を本殿回廊の東側で見ることができる。
神話と日本人の心著者河合隼雄
日向と出雲、どっちも神話の里として宣伝していて、どっちが本家なのかしら?という疑問に河合隼雄がが著書で答える。
日本神話の特徴として中心に無為の神が存在し、その他の神々は部分的な対立や葛藤を
お互いに感じ合いつつも、調和的な全体性を形成しているという。
、それは、中心にある力や原理に従って統合されているのではなく、全体の均衡がうまくとれているのである。
そこにあるのは論理的整合性ではなく、美的な調和感覚なのである。
これを中空均衡構造とする。
この点を、アマテラス、ツクヨミ、スサノヲ等の話を引きながら臨床心理家としての立場から検証している。
日本神話(古事記・日本書紀)の概説としても読める。
出雲神話と日向での天孫降臨の別も解説されている。
あいまいに全体的な調和を求める構造を神話をモチーフにして解明していくと言う点で、日本の心の成り立ちの
古代からの連続性が感じ取れる。
隼人は大和朝廷に服属した熊襲の後身であるとされるが,定かではない。
日本書紀には,「球磨曽於(クマソオ)」の地名が記されており,日向国風土記には「日向国曽於郡」という
地名が出てきて現在の「曽於郡」につながるが,かつて大隅は日向国(宮崎県)に属していた。
宮崎人で知らぬものは一人もいない。
市内中心部約4kmを2日かけて往復する御神幸祭行列の総称である。
「神武さま」=秋の神武大祭の本隊は神武を宿した天皇の乗るみこし御鳳輦(ごほうれん)。
ただ市井の興味はミス宮崎の古風の花嫁衣裳の馬上の人たる6人の今年の美人に釘づけのシャンシャン馬にある。
鎌倉時代の装束姿や獅子舞 古代船「おきよ丸」 流鏑馬の武者行列、溢れるかわゆさの稚児行列。
よくもヨチヨチで歩けるものだ。
神賑行列は市民約2000人が参加、
約7万5千人が見守る中、宮崎神宮を出発し、橘通りを経て瀬頭御旅所までの間を2日かけて往復する
、ゆったりとしたペー スで練り歩くお祭り。
05年から行列を彩る 古代船、神武東征「おきよ丸」。
綾の職人が県スギ材で作った神武天皇が美々津から「お船出」したという船。、
西都原古墳群170号墳から出土した舟形埴輪を模したもので制作費約1000万円。
「御神幸の儀」の形が整えられたのは明治四十二年以降のこと
戦中に行事は行われなくなり、昭和二十一年 に御神幸祭を復活し、同二十五年には現在の形での神武天皇祭となった。
宮崎神宮
神明造りの社殿
主祭神
神倭磐余彦命 / カムヤマトイワレヒコノミコト ( 神武天皇)
配祀
鵜葺草葺不合命 / ウガヤフキアエズノミコト
玉依比売命 / タマヨリヒメノミコト(神武天皇の両親)
古くは神武天皇社・神武天皇宮と称され、我が国の初代天皇 である神武天皇ゆかりの宮として崇敬され親しまれている。
宮崎の代表的な観光コースに組み込まれていることもあり、全国からの参拝客も絶えない。
緑深き神苑の面積は251,945?。広大な「神宮の杜」は、宮崎市民の憩いの場。
宮崎という地名の由来には「ミ = 神」という意味から「ミヤ = 神の家」のさき(前・先)、
つまり 『カムヤマトイワレヒコノミコト(神武天皇)の宮のまえにひろがるところ』 という説、
もうひとつは
「ミヤ= 原野」の意味から『原野の先端の地域であるから、ミヤの先→みやざき となった』という説
御由緒
社伝によれば、筑紫の鎮守であった建磐龍命(たていわたつのみこと)が創建されたとか、景行天皇の熊襲征伐時に再興されたとか、応仁天皇の御代に国造老男命(おいをのみこと)がお祀り申したとかある
、
平部橋南(ひらべきょうなん=幕末の飫肥藩の儒学者)が
「いはれある古迹(こじゃく)ながら悲しいかな千戴の久しき間文献の徴すべきものがない」と現す。
平安時代期に、宮崎に神武天皇の都があったという説は かなり普及していた。
『平家物語』(長門本)の俊寛僧都島流しのところ
に、「吾が朝、人皇の始、神武天皇の日向の国宮崎の郡に帝都を立て御即位ありし時、云々」とあり、『神皇正統記』等にも同様の記述がある。
宮崎帝都説はその東征と共に中世を通じて定着したと考えられる。
鎌倉時代末の建久八年(1197年)地頭土持太郎信綱(つちもちたろうのぶつな)が現在の船塚の地に宮殿を造営し、御遷座を奉仕したことを述べた奈古神社の古文書を、五味克夫氏が『中世史研究』で紹介されている。
さらに文明五年(1473年)伊東祐国が、永禄五年(1562年)には伊東祐立が、それぞれ社領を献じ、天正五年(1557年)には島津義久がお祓料と米穀を奉献した。
幕藩体制下の寛永二十一年(1644年)領主有馬康純が社殿修復の時の棟札を読むと、神武天皇を日本国帝王の祖と言い、その苗裔が今まで続きこれからも乾坤と共に永く続くであろうと書いてあり、そこには明確な神武意識・天壌無窮の神勅の思想が述べられている。
徳川時代の宮崎郡は延岡藩の所領でその飛び地。
延享四年(1747年)十月、有馬氏改易後転封されて来た内藤備後守に差し出された一庄屋の文書に
「是ハ古来ヨリノ地頭様御普請所ニテ御座候」とある。
また境内地三万坪は古来より無年貢地で、「村高ニ相除有之候」とある。
さらに「尤五月初午ノ日、六月晦日、十一月午ノ日一ケ年二三度下北方村南方村社人罷出祭相勤申候」とある。
これから四十年経た天明四年(1784
年)十月、大野河内名をもって、御本所様へ差し出した調書に、
「当社ハ私ノ外神主長田大和、祠官井上土佐三人ニテ諸祭相勤外ニ下社家三十人斗御座候」とあり、
延享から天明にかけて次第に神社が整備されてきたことが分かる。
当社が脚光を浴びるのは、明治維新以降。
「神武創業ノ始メニ原ヅキ」と言われて御祭神を共に注目された。
明治六年五月、宮崎神社と改称、
県社となり、同年八月に国幣中社、同十一年五月社号を宮崎宮と改め、同十八年四月、官幣大社に列せられた。
大正二年七月、宮崎神宮と改称になる。
明治三十二年四月、「神武天皇御降誕大祭会」が結成された。
総裁に仁条基弘、会長に島津忠亮、幹事長に高木兼寛を選んだ。
高木兼寛は 海軍軍医総監で慈恵医大の創設者である。
明治三十二年の帝国議会において、同大祭会に対する補助金の件が議決され、政府より十万五千円が交付されることとなった。さらに同三十八年十月、明治天皇より御内帑金一万五千円を御下賜給わった。これに力を得た高木幹事長は奮起して全国募金に奔走した。
かくて急速に事業は進捗し、明治四十年十月に竣工報告祭が行われるに至った。
さらに紀元二千六百年に当たる昭和十五年、奉祝会が結成さ
れ、奉祝記念行事が橿原神宮に次いで二位となり、境内の拡大整備が実施された。
本宮並に皇宮神社の境内地の拡張、流鏑馬(やぶさめ
)馬場の設営、玉垣、参道、車道の工事等であり、徴古館も新築された
。ここにおいて現・宮崎神宮の形態が完備され、神社運営の永遠の基盤が確立された。
当時の宮司は河合繁樹で、高木兼寛とともにその名を忘れてはならない。
以上のことは先年亡くなった働くものの詩人黒岩敏郎の兄、宮司黒岩龍彦のしるすところによる。
(宮崎神宮宮司『日本「神社」総覧』新人物往来社刊
橿原神宮・・・同じく神武天皇を祭神とする。
伊勢神宮・・・全国神社の本宗
今年は祭り百景として弥五郎どんが登場する。
弥五郎どんは同名の兄弟が3人いる。
兄弟が一堂に会することは滅多にないが、日南市が市政四十周年を記念して第十三回「飫肥城下まつり」が行われた時、
三兄弟は飫肥城大手門奥の広場で一堂に会した。
1270年目にして夢の三兄弟対面を実現した。
長男 宮崎県山之口町の弥五郎どん(円野神社)竹を組み合わせて麻を着せ質素に作られ、頭に鉄製の鉾をつけている。
飲んべいで賭け事が好きだったと言われる。
次男 鹿児島県大隅町の弥五郎どん(岩川八幡神社)腰に木彫りの白い面を付け、大小二本の刀を差していること。
また、人形の中で一番背が高いのも特徴のひとつ。
三男 宮崎県飫肥の弥五郎どん(田ノ上八幡神社)赤い面を付け白髭で刀と槍をもっている。大きさは7mもあり
、祭りでは小型のものを引き回すという。
南九州に伝わる大人伝説で三箇所が同じ名前であることは起源が一つと思われるが、それぞれの由来が
ある。
「一年の無病息災、」「死者への慰霊」「農作業の儀式」と諸説があり、
赤ら顔の大男で熊襲の末裔、南九州を支配した隼人族の首長という話もある。
ルーツははっきりしないがいずれも無形民俗文化財として継承されている。
隼人は大隈地方に住む人々をさし大和朝廷に対し自治を求めていた。
西暦720年に大隅国守を殺害し反乱した。
世に言う「隼人の乱」で、隼人族軍の首長が弥五郎ドンだと言う。
大伴旅人率いる大和朝廷軍に鎮圧され斬首が行われた。
隼人族の霊のたたりを恐れた朝廷は宇佐八幡の神託を受けて全国的規模の放生会(ほうじょうえ)を行い、
当時この地にあった的野正八幡神社(現在の円野神社)でもこれにならった。
それに農村の秋祭りでおこなわれていた死者の霊を慰める放生会が結び付いたとも言われる。
隼人族首長弥五郎人形が祀りの先払いをつとめたとある。
放生会とは供養のため、捕らえられた生き物を放してやる儀式のことである。
これが隼人族首長説となっている。
飫肥の田ノ上八幡神社の弥五郎どんについては「弥五郎様由来」によると、この地の稲積弥五郎という人が
「…一宮正八幡のご神体を負い奉り富国那珂郡飫肥の堡地牟田の……の松と杉の両枝に掛け拝祠すること三冬を
経たり神鏡毎夜深更に及び照輝き給うこと恰も明月の如し里民奇異の思を成し即ち牧鹿の宿社(スクネ・豪族)
に之を告ぐるにしかれば一社を造立し田宮八幡宮の神号を奉り……鳥羽帝治三年なり彼神鏡を牟田之上に
鎮座の地の宗廟とし」とある。
「大人隼人記」に「隼人の四肢を分ち埋めて祭り、或は大人弥五郎の四肢を分ち埋めて、諸所神に崇む、
其霊を宥る所と云、鼻面川は其鼻を埋め…」とあり各所に埋葬分祀されたようだ。
おおびと伝説弥五郎どんは、日本各地に伝わるダイダラボッチのような巨人伝説とは全く異質の伝説である。
日本列島に住み着いた民族の国造りの秘史でもある。
南九州の宮崎県と鹿児島県の三ヶ所の地で継承されており、
勝者が敗者の死を悼む日本人の特性を見る思いがする。 完
天孫降臨の地の高千穂神社。
御祭神は、上古高千穂皇神別名十社大明神という神号。
十一代垂仁天皇の御代の御創建で、六国史にも掲載されている。
天慶年間には高千穂十八郷八十八社の宗社として、、武神、農産業、厄払い、縁結びの神として広く信仰を集め、
鎌倉幕府をひらいた源頼朝は、畠山重忠を代参として天下泰平の祈願をし、皇室発祥の聖地に対する尊皇のまことを表した。
境内には、この時重忠が手植えした樹齢約800年の秩父杉(目通り1.8m、高さ55m)がそびえている。
三代実録第一巻にもその記述がある1200年以上の歴史を持つ古社。
かつて高千穂郷(現在の高千穂町、日之影町、五ヶ瀬町、諸塚村)には554社もの神社があり、
その中でも格の高い88の神社を「高千穂八十八社」と言う。
その「高千穂八十八社」の総社として信仰を集めてきたのがこの高千穂神社。
高千穂神社の主祭神は三毛入野命(ミケヌノミコト)、神武天皇の兄弟となる。
他に五瀬命(イツセノミコト)、稲飯命(イナヒノミコト)、佐野命(サノノミコト)を合わせた四柱を四皇子として
境内の四皇子社に祀る。
この主祭神である三毛入野命が悪神「鬼八」を退治したとされる伝説からゆかりの「猪掛祭」は今も受け継がれている。
鬼八を退治する三毛入野命の像を本殿回廊の東側で見ることができる。
神話と日本人の心著者河合隼雄
日向と出雲、どっちも神話の里として宣伝していて、どっちが本家なのかしら?という疑問に河合隼雄がが著書で答える。
日本神話の特徴として中心に無為の神が存在し、その他の神々は部分的な対立や葛藤を
お互いに感じ合いつつも、調和的な全体性を形成しているという。
、それは、中心にある力や原理に従って統合されているのではなく、全体の均衡がうまくとれているのである。
そこにあるのは論理的整合性ではなく、美的な調和感覚なのである。
これを中空均衡構造とする。
この点を、アマテラス、ツクヨミ、スサノヲ等の話を引きながら臨床心理家としての立場から検証している。
日本神話(古事記・日本書紀)の概説としても読める。
出雲神話と日向での天孫降臨の別も解説されている。
あいまいに全体的な調和を求める構造を神話をモチーフにして解明していくと言う点で、日本の心の成り立ちの
古代からの連続性が感じ取れる。
隼人は大和朝廷に服属した熊襲の後身であるとされるが,定かではない。
日本書紀には,「球磨曽於(クマソオ)」の地名が記されており,日向国風土記には「日向国曽於郡」という
地名が出てきて現在の「曽於郡」につながるが,かつて大隅は日向国(宮崎県)に属していた。
危うし日本!
2007年10月30日夜長の候は読書が丁度いい時期。
面白いもので臭いに注意してると図書館の周り木犀の香が被い、館内はかすかなる異様な臭いがカビであることがわかる。
褪せてる出版の自由ゆえ目当ての新刊書の入荷が無く、知の館にもカビが生えているカラかもしれない。
カビと言えば爺を餌食にした若きものがよくもカビも生えぬ過去の記録を持ち出すゆえかその心根も知らない。
この小心者のやることは実にあきれる。
徒労なことに時間を費やすバカはよしたまえ。!
何故に私憤を公憤に昇華させえぬのか。
権力に立ち向かうのはそんなにも怖いのか。
われらは素手で警棒を持ちジュラルミンの楯の完全防着に突進したものだ。
・・ワロタ・・バカか!やってみろ!
その柔軟なる頭脳をたかがたった一人の場末の老人に牙を向ける出ない。
老い先短い爺なら公園に居を構えるのみでの理由で爺々をいじめるクソガキどもと同じレベルの心情とどこが違おう。
哀れなる仮面を被った人間だけで、歪な楽しみだけであろう。
腐らすルナ!己の頭脳。
自分の肩には自分の頭をのせろ!
異様なる生き物を正義の鏡に映せ!
その尺度は常に両親を描き、親族や恩師同僚や幼き友達である。
この偏差値教育の勝利者と見受ける知恵ある人のブログに期待したいもの。
市井の人々を食い物にする権力の横暴を暴いてほしい。
爺のブログをつつくのはやめたまえ。!
ガキンチョさえそこまで執念深くはないぜ。
病気ジャン!人のあら探し、あら晒し。
ブログのあり方をこれまでやってきた7年間の姿勢そのもの示してみたい。
記憶にある週刊誌や新聞記事をあげつらい警鐘、啓蒙につとめ告発する。
1、テロ特措法がいよいよ切れる。とにかく一時引き上げが生じよう。
そこで党首会談が行われる。どうなるのか教えてほしいものだ。
守屋事務官問題にすり返して海外資金1億円のうちの3000万円問題などとして
トカゲの尻尾きりで終わらせようとしてるのアリアリ。
歴代政治家のイスの長官=大臣は逃げていこう。
政治話題はムリかな。・・ワロタ・・程度じゃぁ
2、
表現の自由出版の自由は国家レベルでどうなってるのか。
週刊誌から拾ってみる。
第三書館の出版した「完訳プリンセスマサコ」および「プリンセスマサコの真実」が異常な自体である。
焚書は為政者の取る最も愚劣なる行為でヒットラーと米国のマッカシー旋風が荒れ狂った
民主主義国家の恥部としてあげつれれば十分だ。
鶴と菊のご意向に逆らうとこの国でさえ似た恥ずべきことが生じる。
病めるマサコ妃に暖かい視線を注ぎ、皇室システムの歪みを告発する書がその状況である。。
豊富なデーターを折込んだノンフイックションで著者はベン・ヒルズという豪のジャーナリスト。
講談社は出版まじかで中止。いきさつは「・・・真実」のほうに詳しい。
削除改ざん挙句には出版中止。検閲が厳しくようやくの翻訳完後の事ゆえ解せぬ。
後を拾った第三書館刊はどこも広告掲載中止。
言論出版の自由の侵害である。
禁書扱いなんだろう。この手には寛大なる朝日でさえ広告掲載しない。
読売は一度OKを出しておきながらの上のほうからの待った。
大人ゆえの邪推ながらの常識は当然ナベツネの意向もあろうと適当に推量する。。
掲載延期の毎日。日経サンケイは言うに及ばない。
「本のどこが皇室に対する中傷とか侮辱なのか
大新聞が広告掲載を拒否するなら口コミなどを大いに活用していこう」
精神科医であり、作家評論家なだいなだ評である。
菊の紋章の背後にまつわる言論風景を表に引きずり出した。
品格がお好きで皇室は関係ない?どっかチガッテネェか〜。
3、
衣食住のどれ一つ欠けても生活はできない。すべてに問題が生じている。
解りやすく食の安全を週刊誌から拾ってみる。
幕張でのコーデックス・バイオテクノロジー応用特別部会が終了した。
遺伝子組み替え(GM)動物食品の安全審査の基準がまとまった。
抗生物質の耐性遺伝子の使用を認めるや否やの安全性についても代替品が無いということで使用が認められた。
GM動物の環境への影響や論理的問題は棚上げで無視された。
議論はすべて終了して来年1月で同部会は解散する。
作物に認められてるものと変わらないものとなり、いつ食卓にGM魚や家畜がのぼるかを待つのみ。
すでに三倍化した巨大鮭は市場化を待っている。
ホウレンソウの遺伝子を入れた豚などさまざまなGM動物が開発されている。
来年からチャブ台にのぼる。
俺んちにはチャブ台は無い?
ソリャァよかった。?詭弁はお得意。
4
たたかう自治体!”と規制緩和の国家の違い。
国は来年8月より自治体のBSE全頭検査の予算を20ヶ月以下の牛には支給しないとしていた。
自治体の多くは批判的で七県は自主的に検査するとしていた。
愛知和歌山徳島佐賀鹿児島沖縄である。あれ?6県ではないか。
宮崎県がもれていた。
ようがんばってる。それぞれ団体交渉があったり自主努力がなされてるからだ。
これらの県は全頭検査を続けると宣言している。
国が全頭検査をしないでほしいとの通達を出していた判明した。
民主共産反発して通知は撤回
若齢牛から異常プリオンが検出でき市場にBSE感染牛が出るのを阻止できた。
すでに老人いじめプリオンの腐った脳みそに感染されてるゆえどうでも言いか。
5
経済、軍事数字からもアメリカに告ぐNO2を自認してるニッポン!
アジアの盟主を言うならば口をはさばねばならぬことがある。
ミャンマー=ビルマとフィリッピンのことである。
ミャンマーのことは何よりも監禁されている僧侶の人命が毎日晒されている。
日一日と数を増している様に緊急的処置が必要である。
同じように権力を傘にフイリッピンの為政者の動きも民主主義を踏みにじり
アジアの安定を危うくする独裁政権となろうとしている。
。
マルコスの名はフイリッピン史にその名を幾百年もとどめよう。
あの政治的対立者の帰国し機上から降りる途中の乱射射殺は目疑わせた。
そのマルコス打倒に貢献した比カトリック司教協議会。
議長・ラグダメオ大司教はまた渦中の人となっている。
独裁者アロヨとフイリッピンの未来を賭けたたたかいである
。
独裁者アロヨ大統領が国会議員や与党系知事に一億ペソ=約5億円の現金を渡したことを明らかにした。
「わが国は経済破綻だけでなくモラル崩壊に苦しんでいる。」伸吟の国難を慮っての心情の吐露。
独裁者アロヨ大統領は04年の大統領選でも開票を不正操作疑惑
夫と下院議員の息子は違法賭博献金などの金銭疑惑
巨額の対外債務を初めの経済政策の失敗
2010年までに憲法を改正し議院内閣制にして、権力を新たに集中した首相のポストを新設して
居座る運動を開始した。
外国軍駐留を禁止した現条項の削除背景には米国の影がちらつく。
4−2
4の関連で抜けてた週刊誌記事の事実がある。
幕張でのコーデックス・バイオテクノロジー応用特別部会が終了した。
遺伝子組み替え(GM)動物食品の安全審査の基準がまとまった。
抗生物質の耐性遺伝子の使用を認めるや否やの安全性についても代替品が無いということで使用が認められた。
GM動物の環境への影響や論理的問題は棚上げで無視された。
議論はすべて終了して来年1月で同部会は解散する。
作物に認められてるものと変わらないものとなり、いつ食卓にGM魚や家畜がのぼるかを待つのみ。
すでに三倍化した巨大鮭は市場化を待っている。
ホウレンソウの遺伝子を入れた豚などさまざまなGM動物が開発されている。
スーパーに求める食はGM食品で溢れ、何代も世代間交代をせぬうち異常なる人種が生じよう。
すでに過去のひとさまのブログをまとめあげる
異常プリオンを所持してる輩がいるみたいだが、バカにつける薬無し。
6
一本で一日分野菜ジュースセべての栄養素を含んでいない
あっ!お客さんである。
先ほど23時過ぎまで営業してたのにこれである。
営業成果って?
見事なる物。三回目にシテ宮崎一の有数な方と取引できるようになった。
ひたすらなる熱意と生きてきた生き様の財産。
これが日本の底力である。困ってるときの助け合い。
面白いもので臭いに注意してると図書館の周り木犀の香が被い、館内はかすかなる異様な臭いがカビであることがわかる。
褪せてる出版の自由ゆえ目当ての新刊書の入荷が無く、知の館にもカビが生えているカラかもしれない。
カビと言えば爺を餌食にした若きものがよくもカビも生えぬ過去の記録を持ち出すゆえかその心根も知らない。
この小心者のやることは実にあきれる。
徒労なことに時間を費やすバカはよしたまえ。!
何故に私憤を公憤に昇華させえぬのか。
権力に立ち向かうのはそんなにも怖いのか。
われらは素手で警棒を持ちジュラルミンの楯の完全防着に突進したものだ。
・・ワロタ・・バカか!やってみろ!
その柔軟なる頭脳をたかがたった一人の場末の老人に牙を向ける出ない。
老い先短い爺なら公園に居を構えるのみでの理由で爺々をいじめるクソガキどもと同じレベルの心情とどこが違おう。
哀れなる仮面を被った人間だけで、歪な楽しみだけであろう。
腐らすルナ!己の頭脳。
自分の肩には自分の頭をのせろ!
異様なる生き物を正義の鏡に映せ!
その尺度は常に両親を描き、親族や恩師同僚や幼き友達である。
この偏差値教育の勝利者と見受ける知恵ある人のブログに期待したいもの。
市井の人々を食い物にする権力の横暴を暴いてほしい。
爺のブログをつつくのはやめたまえ。!
ガキンチョさえそこまで執念深くはないぜ。
病気ジャン!人のあら探し、あら晒し。
ブログのあり方をこれまでやってきた7年間の姿勢そのもの示してみたい。
記憶にある週刊誌や新聞記事をあげつらい警鐘、啓蒙につとめ告発する。
1、テロ特措法がいよいよ切れる。とにかく一時引き上げが生じよう。
そこで党首会談が行われる。どうなるのか教えてほしいものだ。
守屋事務官問題にすり返して海外資金1億円のうちの3000万円問題などとして
トカゲの尻尾きりで終わらせようとしてるのアリアリ。
歴代政治家のイスの長官=大臣は逃げていこう。
政治話題はムリかな。・・ワロタ・・程度じゃぁ
2、
表現の自由出版の自由は国家レベルでどうなってるのか。
週刊誌から拾ってみる。
第三書館の出版した「完訳プリンセスマサコ」および「プリンセスマサコの真実」が異常な自体である。
焚書は為政者の取る最も愚劣なる行為でヒットラーと米国のマッカシー旋風が荒れ狂った
民主主義国家の恥部としてあげつれれば十分だ。
鶴と菊のご意向に逆らうとこの国でさえ似た恥ずべきことが生じる。
病めるマサコ妃に暖かい視線を注ぎ、皇室システムの歪みを告発する書がその状況である。。
豊富なデーターを折込んだノンフイックションで著者はベン・ヒルズという豪のジャーナリスト。
講談社は出版まじかで中止。いきさつは「・・・真実」のほうに詳しい。
削除改ざん挙句には出版中止。検閲が厳しくようやくの翻訳完後の事ゆえ解せぬ。
後を拾った第三書館刊はどこも広告掲載中止。
言論出版の自由の侵害である。
禁書扱いなんだろう。この手には寛大なる朝日でさえ広告掲載しない。
読売は一度OKを出しておきながらの上のほうからの待った。
大人ゆえの邪推ながらの常識は当然ナベツネの意向もあろうと適当に推量する。。
掲載延期の毎日。日経サンケイは言うに及ばない。
「本のどこが皇室に対する中傷とか侮辱なのか
大新聞が広告掲載を拒否するなら口コミなどを大いに活用していこう」
精神科医であり、作家評論家なだいなだ評である。
菊の紋章の背後にまつわる言論風景を表に引きずり出した。
品格がお好きで皇室は関係ない?どっかチガッテネェか〜。
3、
衣食住のどれ一つ欠けても生活はできない。すべてに問題が生じている。
解りやすく食の安全を週刊誌から拾ってみる。
幕張でのコーデックス・バイオテクノロジー応用特別部会が終了した。
遺伝子組み替え(GM)動物食品の安全審査の基準がまとまった。
抗生物質の耐性遺伝子の使用を認めるや否やの安全性についても代替品が無いということで使用が認められた。
GM動物の環境への影響や論理的問題は棚上げで無視された。
議論はすべて終了して来年1月で同部会は解散する。
作物に認められてるものと変わらないものとなり、いつ食卓にGM魚や家畜がのぼるかを待つのみ。
すでに三倍化した巨大鮭は市場化を待っている。
ホウレンソウの遺伝子を入れた豚などさまざまなGM動物が開発されている。
来年からチャブ台にのぼる。
俺んちにはチャブ台は無い?
ソリャァよかった。?詭弁はお得意。
4
たたかう自治体!”と規制緩和の国家の違い。
国は来年8月より自治体のBSE全頭検査の予算を20ヶ月以下の牛には支給しないとしていた。
自治体の多くは批判的で七県は自主的に検査するとしていた。
愛知和歌山徳島佐賀鹿児島沖縄である。あれ?6県ではないか。
宮崎県がもれていた。
ようがんばってる。それぞれ団体交渉があったり自主努力がなされてるからだ。
これらの県は全頭検査を続けると宣言している。
国が全頭検査をしないでほしいとの通達を出していた判明した。
民主共産反発して通知は撤回
若齢牛から異常プリオンが検出でき市場にBSE感染牛が出るのを阻止できた。
すでに老人いじめプリオンの腐った脳みそに感染されてるゆえどうでも言いか。
5
経済、軍事数字からもアメリカに告ぐNO2を自認してるニッポン!
アジアの盟主を言うならば口をはさばねばならぬことがある。
ミャンマー=ビルマとフィリッピンのことである。
ミャンマーのことは何よりも監禁されている僧侶の人命が毎日晒されている。
日一日と数を増している様に緊急的処置が必要である。
同じように権力を傘にフイリッピンの為政者の動きも民主主義を踏みにじり
アジアの安定を危うくする独裁政権となろうとしている。
。
マルコスの名はフイリッピン史にその名を幾百年もとどめよう。
あの政治的対立者の帰国し機上から降りる途中の乱射射殺は目疑わせた。
そのマルコス打倒に貢献した比カトリック司教協議会。
議長・ラグダメオ大司教はまた渦中の人となっている。
独裁者アロヨとフイリッピンの未来を賭けたたたかいである
。
独裁者アロヨ大統領が国会議員や与党系知事に一億ペソ=約5億円の現金を渡したことを明らかにした。
「わが国は経済破綻だけでなくモラル崩壊に苦しんでいる。」伸吟の国難を慮っての心情の吐露。
独裁者アロヨ大統領は04年の大統領選でも開票を不正操作疑惑
夫と下院議員の息子は違法賭博献金などの金銭疑惑
巨額の対外債務を初めの経済政策の失敗
2010年までに憲法を改正し議院内閣制にして、権力を新たに集中した首相のポストを新設して
居座る運動を開始した。
外国軍駐留を禁止した現条項の削除背景には米国の影がちらつく。
4−2
4の関連で抜けてた週刊誌記事の事実がある。
幕張でのコーデックス・バイオテクノロジー応用特別部会が終了した。
遺伝子組み替え(GM)動物食品の安全審査の基準がまとまった。
抗生物質の耐性遺伝子の使用を認めるや否やの安全性についても代替品が無いということで使用が認められた。
GM動物の環境への影響や論理的問題は棚上げで無視された。
議論はすべて終了して来年1月で同部会は解散する。
作物に認められてるものと変わらないものとなり、いつ食卓にGM魚や家畜がのぼるかを待つのみ。
すでに三倍化した巨大鮭は市場化を待っている。
ホウレンソウの遺伝子を入れた豚などさまざまなGM動物が開発されている。
スーパーに求める食はGM食品で溢れ、何代も世代間交代をせぬうち異常なる人種が生じよう。
すでに過去のひとさまのブログをまとめあげる
異常プリオンを所持してる輩がいるみたいだが、バカにつける薬無し。
6
一本で一日分野菜ジュースセべての栄養素を含んでいない
あっ!お客さんである。
先ほど23時過ぎまで営業してたのにこれである。
営業成果って?
見事なる物。三回目にシテ宮崎一の有数な方と取引できるようになった。
ひたすらなる熱意と生きてきた生き様の財産。
これが日本の底力である。困ってるときの助け合い。
生きる基本
2007年10月31日月の終わりの月曜日は夜8時から10時前まで「新話の泉」につきる。
大人の知的会話はニヤリニヤリと頷く。
毒蝮三太夫山藤章二嵐山光三郎松尾貴史渡辺アナ家元立川談志。
実況中継ゆえおこるハプニングはたまらない。
前回なんか初体験を勘違いして放送を続けたからたまらない。
抱腹絶倒顛末は週刊朝日の10月第一週号の嵐山光三郎のエッセーを大笑いで読める。
日曜日FMはかまだみつおの2時間と同じで携帯の電源を切って携帯ラジオを一人聞き入る。
全放送を前月みたいに書きたいが邪魔で筆を折ってたのでリズムが狂ってる。
そのリズムが日常の安寧が清浄が破壊された。
若き御仁が老い先無き爺の日常を何日もわたり壊してくれた。
終了宣言、終わらせると書き、餌を撒き、それでも罠であろうと休止を続けてた。
ひょっこり書いてみたら案の定噛み付いてきた。
自分より劣ってるのを確認し飢えを満たし病のPC病を満足させるのであろう。
新潟のトキでさえ100羽を超え、復活しそうである。
遮断されたる佐渡がよかったのか。
小泉竹中の近年の資本のグローバル化の新たな収奪経済で高度成長期に大都市に人間資源を差し出たる田舎は
再度の収奪体制で都市と田舎の格差は開くばかり。
鉄道を奪われ高校も医療制度もない中での田舎の生活は成立しない。
金融機関たる郵便制度さえなくなろうとしている。電話ボックスははとうにに廃止された。
PC社会での、このいじめっ子、相当の偏差値教育の勝利者ではあるようだが、
年長者とのブログ会話能力さえ疑る知識偏重の欠陥者。
目くそ鼻くそ笑う程度の他愛無い若者の罵声にどこに真実味があろう。
真実を追究する行動力も情熱も一番旺盛な時期に場末の爺のブログのみが気になる哀れなる無味乾燥なる人生。
所詮バーチャルで世の鬱憤を紛らわしているだけ。
10月最後の日。彼女とデートを楽しむでもなく大自然のお裾分けのモミジ狩さえ知らぬのであろう。
そのそぶりでは魚振の感動の味をお知りではなかろう。
漁船で大海原に乗り出すがいい。
魚群探知機の発展は恐るべきもの。
何メートル下に何匹の群れさえ映像として捕らえ大漁さえ解説してくれる。
撒餌での磯釣りさえ軽蔑してたがそれどころではない。
離島での宿泊の磯釣り、日向灘の随分沖の黒潮高い串間の岬の彼方であった。
若き頃の貴重なる数度の体験が記憶に鮮明である。
忙中閑アリで友人が多忙で生きる日常を慮って誘ってくれたものである。
孤独な人と見えるゆえ一人で楽しめる川釣りの小型の魚で丁度云い。
アラスカや角みたいなカジカマグロをめざし世界乗り出してる太公望も結局は川釣りにかえる。
渓流の水質のバロメーターのカジカがいい。
ご存知であろうか。
無き声で有名なかじかの蛙でなく魚のカジカである。
山の女王・エノハはいきなりでは技術的に無理であろうから、
子供でも可能なるカジカ釣りがいい。
糸に針を結ぶことさえ文化である。
偏差値勝利者はそのことさえできなかろう。
年金返上などと相変わらず人さまの人生さえ決め付ける膀若無人のPC病の御仁。
亀田家の物言い知らずと何らかわらぬ日本人の会話のできぬ若者。
人生終生一生修行。一度しか無き尊い大切なる人生。
無駄にする出ない。
朝青龍から時津風に渦中の中心が移った感じだが、原点の風景を訪ねるもいい。
相撲も世界への日本文化発信のマンガも四国に求めることもできる。
何も聖地の手塚治虫や藤子不二雄の下宿した梁山泊だけではない。
横山隆二青柳ユウスケらの先人はそれぞれ漫画館で常設展示されている。
高知カホク地区のアンパンマン館もよろしかろう。
朝青龍のシコ名の由来も四国にある。
脅迫めいたる中傷誹謗の犯罪性もいずれ法制化が必要である。
規制は迂回して部分的にクリアーして全体を整えよう。
監視に身を守るはこの不逞の輩らがいる限り国家権力が必要となるわけである。
このバカメ!がいるため国家権力で、がんじがらめに張り巡らさざる得ないわけだ。
ブログカウンター10万が目標であった。
最初は一日10のアクセスも無かった。
積み上げられたカウンターは20万を越している。
実にありがたく一本指変換で格闘してきたことに対するご褒美である。
ただ、バーチャルゆえ生身の人間を相手にしている実感を失ってしまう。
これではミスばっかり繰り返す幼子の育成の子育てはできず、女も愛想図化しで家庭を持つのも無理だろう。
もっと大人にならにゃぁ〜・。
論点をずらすのが得意な詭弁学をあちこちに散りばめてある見事なもの。
ただ、何度も言うが知識の使い方、立ち向かう相手を間違えてる
また、日本民族の世界に誇る暗黙の道徳たるモラルの欠如。
天に唾するたとえさえ解らぬのか品格を語ってるのだからチャンチャラ可笑しい。
、
一回り以上の年長者に対する会話さえできない礼儀不足や欠如はご愛嬌。
小物から清濁併せ呑む大物にならにゃぁ〜。
知識英知は兼ね備えてるわけだからしっかり自分を見据えれば大成はなしえよう。
ただ自覚なされよ。
自分の努力のみだけでなしえたのではないですぞ。
社会システム、ご両親を初めとするご親族の方々友人知人恩師を忘れてはならぬ。
唯一欠けてるものの一つであることを先輩として忠告しとこう。
それが解消できれば彼女もでき立派な家庭ももてよう。
察するところ家庭も無かろう。
それがなければ、お家の繁栄も国家の繁栄も無い。
新聞記事から見えてくる風景
とある店で初老の男性が「頼んでたものは入った・・・」と尋ねている
従業員は入荷が遅れたことを丁寧に説明する。
男性は突然「もういい!」と怒って出て行く光景。
優しく語りかける従業員に非があるように見えなかった。
客の顔が仏から般若のように一変し、対応する従業員もキョトンとしていた。
コーヒーショップ、スーパー、ガソリンスタンド…。
店先で怒っているのは、20代より高齢者の方がはるかに多い気がする。
元気な証拠と喜べない、悪いデータがある。
宮崎での刑法犯に占める高齢者(65歳以上)の割合は2005年まで
7―9%、昨年は12・5%に跳ね上がった。
今年9月末の段階では13・3%と、さらに悪化している。
高齢者の人口が相対的に増えていることもある。
ただし、刑法犯の伸びはそれをはるかに上回っている。
02年の189人から06年は394人と倍増。
法務省が毎年発行する犯罪白書でも全国的傾向となっている。
子どもから大人まで皆キレる。
カラオケで下手と言われ、隣人宅がうるさくて、庭師の剪定せんていが気に入らず、
三角関係の果てに県内あちこち高齢者が暴行に及ぶ。
食料品を万引した報告が毎日のように県警本部に上がってくる。
「人生の先達に説教するなんて」と幹部は絶句する。
論語の〈60にして耳し順たがう 70にして心の欲する所に従いて矩のりをこえず〉を忘れた世代ではなかろう。
刑法犯の増加を、はやり言葉で〈チョイ悪わる〉と軽々に片づけられる問題でもなさそうだ。
社会全体がささくれ立っているのだろうか。
九州一周駅伝が10日間の熱戦を終えた。
総距離1000kmの駅伝は日本一の長き戦いで勝者は連勝宮崎で優勝はあたりまえ。
いつもハラハラしながらも優勝は決まったもので安穏たる戦いと県民は見ていた嫌いがある。
9日目で1分の差まで追い詰めていたが最終日に二位に甘んじて今年も福岡に優勝をさらわれた。
これで三年連続での二位である。
今年は必勝を期して全区間に旭化成陣を起用して必勝を期していたがこれである。
これで総合力で三年連続の準優勝。対策さえ語れていない。
秋のキャンプに西武とダイエー=ソフトバンクが宮崎にきている。
新監督の渡辺久信、の手腕が問われる。
昨夜17日の試合のお話となった。
黒江や土井正三のカラオケぶりのお話。宿泊場所までお話は延々先ほどまで続いていた。
新聞記事にあったこと。
オイルショックでもないのに、ティッシュペーパー売り切れ続出、という伝説があった。
およそこと、ふた昔ほど前のことだ。
武田久美子というタレントの、セクシーな水着姿のせいだと若い男どもが騒いだ。
新話の泉どこではない。
そのペットをかっさらったのが若き日の渡辺久信。
当時、パ・リーグに三羽ガラスと呼ばれる若手投手がいた。
西武・日ハム・西崎幸広、近鉄・阿波野秀幸。
トレンディーな格好をして、いずれもハンサムなやさ男。
とても野球なんかやってるようには見えない。
多くの浮いた話を残したが、いまでも語り継がれるのが渡辺の手腕である。
が、武田久美子が転んだのは格好のせいばかりではなかった。
「ナベは」と、あだ名で呼びつける球界関係者が言う。
「心にゃ硬派の血が流れてる。やさしく舌足らずな話し方も魅力だったろうが、ときに突き放すような硬派な態度を取るんです。
ナベのワルっぽさがたまらなかったんでしょう。
そういうのにやられたタレントは、武田ひとりじゃなかった」
前橋工高時代は暴れん坊。
詰め襟を10センチ以上高くして、ずんどうのラッパズボンをはき、暴走族と付き合って
たばこをふかしていた。ガンを飛ばすような高校生だった。
が、高校を卒業して仮面をかぶった。
たばこはやめられなかったが、マスコミにはていねいな応対をしきちんとした言葉遣いをした。
可愛がられるタイプだった。
タレントを転がすくらいはなんでもなかった。
プロ3年目。86年には最多勝(16勝6敗)と最多奪三振(178)を記録。
88、90年にも最多勝を獲得。
日本シリーズでは6連勝。
大舞台で度胸のよさを発揮したのも、硬派投手らしかった。
実績をつくってもテングにならず、後輩の清原和博がダーティーなイメージにまみれていくのとは対照的であった。
硬派に磨きがかかったのは、97年、西武をクビになってからだった。
「戦力外通告を受けて、ひとりでヤクルトと交渉して入団。
1年後には台湾へ飛んだ。
西武時代のチームメート郭泰源に誘われたからです
。それにしても、何も台湾くんだりまで……という声もあった。
が、これが正解でした。
台湾でナベは最多勝投手になり、コーチも兼任した。
北京語を勉強し、劣悪な環境に耐えて3年間、人間が鍛えられたんです
。野球以上に大きなものを得た。
苦労して根性に磨きがかかった」
ティッシュペーパーの女王を手玉にとって、夜の六本木、麻布界隈を肩で風を切っていたトレンディー投手が、
ゴキブリの徘徊(はいかい)するような部屋で3年間、野球に取り組んできた。
05年、西武二軍監督に就任。
今年まで3年間を2位、6位、6位。一軍と二軍では采配も違う。
球団内部では
「昇格は時期尚早」という声も強かったが、さてどうか。
タレントを転がしたように、ペナント奪回なるか。
硬派を秘めたやさ男監督、ナベキューの手腕に注目だ。
宮崎でその出発を図らんとしている。
環境がいいので体制派折り紙つき。
長島も王もみんな最初は宮崎のキャンプから始まった。
この県の人と環境が大物を作り上げる。
PC病の若者、宮崎に来い!。
この特別なる田舎の空気を吸えば大きな人間になれるゼ!
一日ぐらいだったら案内しよう。
ゴルフバック持ってる?
釣りさおは・・
人生一度、早いぜ!
老人になるの。
社会改革に生きた一生であったが終章でブログ文化の初期に携わった。
死期を前にした爺にかかわりあわないほうが身のためだ。
だてに馬齢を重ねたのではないぞ。
前途洋洋たる若者・・大きな志を持て。!
親を泣かせるような言葉遣いはやめたが良い。
それが日本人の品格だろう。品格評論家さん。
生きる基本だぜ、
大人の知的会話はニヤリニヤリと頷く。
毒蝮三太夫山藤章二嵐山光三郎松尾貴史渡辺アナ家元立川談志。
実況中継ゆえおこるハプニングはたまらない。
前回なんか初体験を勘違いして放送を続けたからたまらない。
抱腹絶倒顛末は週刊朝日の10月第一週号の嵐山光三郎のエッセーを大笑いで読める。
日曜日FMはかまだみつおの2時間と同じで携帯の電源を切って携帯ラジオを一人聞き入る。
全放送を前月みたいに書きたいが邪魔で筆を折ってたのでリズムが狂ってる。
そのリズムが日常の安寧が清浄が破壊された。
若き御仁が老い先無き爺の日常を何日もわたり壊してくれた。
終了宣言、終わらせると書き、餌を撒き、それでも罠であろうと休止を続けてた。
ひょっこり書いてみたら案の定噛み付いてきた。
自分より劣ってるのを確認し飢えを満たし病のPC病を満足させるのであろう。
新潟のトキでさえ100羽を超え、復活しそうである。
遮断されたる佐渡がよかったのか。
小泉竹中の近年の資本のグローバル化の新たな収奪経済で高度成長期に大都市に人間資源を差し出たる田舎は
再度の収奪体制で都市と田舎の格差は開くばかり。
鉄道を奪われ高校も医療制度もない中での田舎の生活は成立しない。
金融機関たる郵便制度さえなくなろうとしている。電話ボックスははとうにに廃止された。
PC社会での、このいじめっ子、相当の偏差値教育の勝利者ではあるようだが、
年長者とのブログ会話能力さえ疑る知識偏重の欠陥者。
目くそ鼻くそ笑う程度の他愛無い若者の罵声にどこに真実味があろう。
真実を追究する行動力も情熱も一番旺盛な時期に場末の爺のブログのみが気になる哀れなる無味乾燥なる人生。
所詮バーチャルで世の鬱憤を紛らわしているだけ。
10月最後の日。彼女とデートを楽しむでもなく大自然のお裾分けのモミジ狩さえ知らぬのであろう。
そのそぶりでは魚振の感動の味をお知りではなかろう。
漁船で大海原に乗り出すがいい。
魚群探知機の発展は恐るべきもの。
何メートル下に何匹の群れさえ映像として捕らえ大漁さえ解説してくれる。
撒餌での磯釣りさえ軽蔑してたがそれどころではない。
離島での宿泊の磯釣り、日向灘の随分沖の黒潮高い串間の岬の彼方であった。
若き頃の貴重なる数度の体験が記憶に鮮明である。
忙中閑アリで友人が多忙で生きる日常を慮って誘ってくれたものである。
孤独な人と見えるゆえ一人で楽しめる川釣りの小型の魚で丁度云い。
アラスカや角みたいなカジカマグロをめざし世界乗り出してる太公望も結局は川釣りにかえる。
渓流の水質のバロメーターのカジカがいい。
ご存知であろうか。
無き声で有名なかじかの蛙でなく魚のカジカである。
山の女王・エノハはいきなりでは技術的に無理であろうから、
子供でも可能なるカジカ釣りがいい。
糸に針を結ぶことさえ文化である。
偏差値勝利者はそのことさえできなかろう。
年金返上などと相変わらず人さまの人生さえ決め付ける膀若無人のPC病の御仁。
亀田家の物言い知らずと何らかわらぬ日本人の会話のできぬ若者。
人生終生一生修行。一度しか無き尊い大切なる人生。
無駄にする出ない。
朝青龍から時津風に渦中の中心が移った感じだが、原点の風景を訪ねるもいい。
相撲も世界への日本文化発信のマンガも四国に求めることもできる。
何も聖地の手塚治虫や藤子不二雄の下宿した梁山泊だけではない。
横山隆二青柳ユウスケらの先人はそれぞれ漫画館で常設展示されている。
高知カホク地区のアンパンマン館もよろしかろう。
朝青龍のシコ名の由来も四国にある。
脅迫めいたる中傷誹謗の犯罪性もいずれ法制化が必要である。
規制は迂回して部分的にクリアーして全体を整えよう。
監視に身を守るはこの不逞の輩らがいる限り国家権力が必要となるわけである。
このバカメ!がいるため国家権力で、がんじがらめに張り巡らさざる得ないわけだ。
ブログカウンター10万が目標であった。
最初は一日10のアクセスも無かった。
積み上げられたカウンターは20万を越している。
実にありがたく一本指変換で格闘してきたことに対するご褒美である。
ただ、バーチャルゆえ生身の人間を相手にしている実感を失ってしまう。
これではミスばっかり繰り返す幼子の育成の子育てはできず、女も愛想図化しで家庭を持つのも無理だろう。
もっと大人にならにゃぁ〜・。
論点をずらすのが得意な詭弁学をあちこちに散りばめてある見事なもの。
ただ、何度も言うが知識の使い方、立ち向かう相手を間違えてる
また、日本民族の世界に誇る暗黙の道徳たるモラルの欠如。
天に唾するたとえさえ解らぬのか品格を語ってるのだからチャンチャラ可笑しい。
、
一回り以上の年長者に対する会話さえできない礼儀不足や欠如はご愛嬌。
小物から清濁併せ呑む大物にならにゃぁ〜。
知識英知は兼ね備えてるわけだからしっかり自分を見据えれば大成はなしえよう。
ただ自覚なされよ。
自分の努力のみだけでなしえたのではないですぞ。
社会システム、ご両親を初めとするご親族の方々友人知人恩師を忘れてはならぬ。
唯一欠けてるものの一つであることを先輩として忠告しとこう。
それが解消できれば彼女もでき立派な家庭ももてよう。
察するところ家庭も無かろう。
それがなければ、お家の繁栄も国家の繁栄も無い。
新聞記事から見えてくる風景
とある店で初老の男性が「頼んでたものは入った・・・」と尋ねている
従業員は入荷が遅れたことを丁寧に説明する。
男性は突然「もういい!」と怒って出て行く光景。
優しく語りかける従業員に非があるように見えなかった。
客の顔が仏から般若のように一変し、対応する従業員もキョトンとしていた。
コーヒーショップ、スーパー、ガソリンスタンド…。
店先で怒っているのは、20代より高齢者の方がはるかに多い気がする。
元気な証拠と喜べない、悪いデータがある。
宮崎での刑法犯に占める高齢者(65歳以上)の割合は2005年まで
7―9%、昨年は12・5%に跳ね上がった。
今年9月末の段階では13・3%と、さらに悪化している。
高齢者の人口が相対的に増えていることもある。
ただし、刑法犯の伸びはそれをはるかに上回っている。
02年の189人から06年は394人と倍増。
法務省が毎年発行する犯罪白書でも全国的傾向となっている。
子どもから大人まで皆キレる。
カラオケで下手と言われ、隣人宅がうるさくて、庭師の剪定せんていが気に入らず、
三角関係の果てに県内あちこち高齢者が暴行に及ぶ。
食料品を万引した報告が毎日のように県警本部に上がってくる。
「人生の先達に説教するなんて」と幹部は絶句する。
論語の〈60にして耳し順たがう 70にして心の欲する所に従いて矩のりをこえず〉を忘れた世代ではなかろう。
刑法犯の増加を、はやり言葉で〈チョイ悪わる〉と軽々に片づけられる問題でもなさそうだ。
社会全体がささくれ立っているのだろうか。
九州一周駅伝が10日間の熱戦を終えた。
総距離1000kmの駅伝は日本一の長き戦いで勝者は連勝宮崎で優勝はあたりまえ。
いつもハラハラしながらも優勝は決まったもので安穏たる戦いと県民は見ていた嫌いがある。
9日目で1分の差まで追い詰めていたが最終日に二位に甘んじて今年も福岡に優勝をさらわれた。
これで三年連続での二位である。
今年は必勝を期して全区間に旭化成陣を起用して必勝を期していたがこれである。
これで総合力で三年連続の準優勝。対策さえ語れていない。
秋のキャンプに西武とダイエー=ソフトバンクが宮崎にきている。
新監督の渡辺久信、の手腕が問われる。
昨夜17日の試合のお話となった。
黒江や土井正三のカラオケぶりのお話。宿泊場所までお話は延々先ほどまで続いていた。
新聞記事にあったこと。
オイルショックでもないのに、ティッシュペーパー売り切れ続出、という伝説があった。
およそこと、ふた昔ほど前のことだ。
武田久美子というタレントの、セクシーな水着姿のせいだと若い男どもが騒いだ。
新話の泉どこではない。
そのペットをかっさらったのが若き日の渡辺久信。
当時、パ・リーグに三羽ガラスと呼ばれる若手投手がいた。
西武・日ハム・西崎幸広、近鉄・阿波野秀幸。
トレンディーな格好をして、いずれもハンサムなやさ男。
とても野球なんかやってるようには見えない。
多くの浮いた話を残したが、いまでも語り継がれるのが渡辺の手腕である。
が、武田久美子が転んだのは格好のせいばかりではなかった。
「ナベは」と、あだ名で呼びつける球界関係者が言う。
「心にゃ硬派の血が流れてる。やさしく舌足らずな話し方も魅力だったろうが、ときに突き放すような硬派な態度を取るんです。
ナベのワルっぽさがたまらなかったんでしょう。
そういうのにやられたタレントは、武田ひとりじゃなかった」
前橋工高時代は暴れん坊。
詰め襟を10センチ以上高くして、ずんどうのラッパズボンをはき、暴走族と付き合って
たばこをふかしていた。ガンを飛ばすような高校生だった。
が、高校を卒業して仮面をかぶった。
たばこはやめられなかったが、マスコミにはていねいな応対をしきちんとした言葉遣いをした。
可愛がられるタイプだった。
タレントを転がすくらいはなんでもなかった。
プロ3年目。86年には最多勝(16勝6敗)と最多奪三振(178)を記録。
88、90年にも最多勝を獲得。
日本シリーズでは6連勝。
大舞台で度胸のよさを発揮したのも、硬派投手らしかった。
実績をつくってもテングにならず、後輩の清原和博がダーティーなイメージにまみれていくのとは対照的であった。
硬派に磨きがかかったのは、97年、西武をクビになってからだった。
「戦力外通告を受けて、ひとりでヤクルトと交渉して入団。
1年後には台湾へ飛んだ。
西武時代のチームメート郭泰源に誘われたからです
。それにしても、何も台湾くんだりまで……という声もあった。
が、これが正解でした。
台湾でナベは最多勝投手になり、コーチも兼任した。
北京語を勉強し、劣悪な環境に耐えて3年間、人間が鍛えられたんです
。野球以上に大きなものを得た。
苦労して根性に磨きがかかった」
ティッシュペーパーの女王を手玉にとって、夜の六本木、麻布界隈を肩で風を切っていたトレンディー投手が、
ゴキブリの徘徊(はいかい)するような部屋で3年間、野球に取り組んできた。
05年、西武二軍監督に就任。
今年まで3年間を2位、6位、6位。一軍と二軍では采配も違う。
球団内部では
「昇格は時期尚早」という声も強かったが、さてどうか。
タレントを転がしたように、ペナント奪回なるか。
硬派を秘めたやさ男監督、ナベキューの手腕に注目だ。
宮崎でその出発を図らんとしている。
環境がいいので体制派折り紙つき。
長島も王もみんな最初は宮崎のキャンプから始まった。
この県の人と環境が大物を作り上げる。
PC病の若者、宮崎に来い!。
この特別なる田舎の空気を吸えば大きな人間になれるゼ!
一日ぐらいだったら案内しよう。
ゴルフバック持ってる?
釣りさおは・・
人生一度、早いぜ!
老人になるの。
社会改革に生きた一生であったが終章でブログ文化の初期に携わった。
死期を前にした爺にかかわりあわないほうが身のためだ。
だてに馬齢を重ねたのではないぞ。
前途洋洋たる若者・・大きな志を持て。!
親を泣かせるような言葉遣いはやめたが良い。
それが日本人の品格だろう。品格評論家さん。
生きる基本だぜ、
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