今日の誕生日の花は・・・・デンドロビュウム
花言葉は・・・・・・・・華やかな魅力

ラン科デンドロビュウムは東南アジアを中心に世界各国さまざまな種類イロイロな花色で出回っている。
真冬でも室内で育てられるラン科では世話しやすい花。
デンドロとはギリシャ語で木に生活するという言葉らしい。
少年少女の頃の純情なる頃の懐かしさの記憶

わすれたる ところはとばし てまりうた

民主党総攻撃のメデア情況にはヘキヘキである。
デタラメ報道ばかりのこの国のメデアはどうなっているんであろうか。
「日米がギクシャク」
とは実情ではない。
メデアが作り出してるもの。
日本から派遣されてる記者が作り出してるもので実証がゲンダイ記事にある。

<怒っているのは米国務省ではなく日本人記者だった>
沖縄・普天間基地移設問題で、鳩山政権の先送り方針に「米国激怒」と連日煽る大マスコミ。
だが、米国務省ホームページの記者会見を見ると、ア然とする光景が映し出された。

怒っているのは米国政府じゃない、
日本の大マスコミの特派員記者だったのだ。

米国務省のホームページではクローリー国務次官補と各国記者たちのやりとりの詳細がビデオと文書で確認できる。
例えば昨年12月15日の内容はこんな感じだ。

日本人女性記者「日本政府は、普天間基地の新しい移転先を検討している。米国は受け入れられるのか」
クローリー次官補「現存する計画があり、それを進めることがベストだと考えている。しかし、われわれは日本政府と協議を続けていくつもりだ」

この部分だけ見ても、米国は決して“激怒”していない。
むしろ日本政府が打ち出した新たな方針に対し、現実的な対応を取ろうとする様子が分かる。
しかし、呆れるのはその次の質問だ。

女性記者「私たちは皆、(在日米軍再編)ロードマップが“ベスト”だと知っている。しかし、日本政府は新しい移転先を検討しているんです」

この「私たち皆」(All of us)とは一体誰を指すのか。

鳩山政権が見直しを打ち出した以上、少なくとも日本政府じゃないことは確かだ。
当然、国民の総意でもない。
それなのに「ベスト」と言い切っているからワケが分からない。

そういえば、1週間後の12月21日、藤崎駐米大使がヒラリー国務長官に「呼び付けられて叱られた」一件も、
「呼んでいない。大使が立ち寄った」
このクローリー国務次官補が否定した。

藤崎大使の一人芝居がバレたわけだが、あの一件でも日本の大マスコミは一方的な藤崎大使の発言報道だけで終わらせてしまった。
日本の国民は、朝日や読売を見る前に、米国務省ホームページを見た方が正確な情報が得られるというものだ。
女性記者の顔写真にはボカシがはいっている。
「どこの社…?」と聞きたいですが、よほどマズイことがあるのでしょうか?エエッ!?
画像をクリックすると米国務省HPに飛びます。
Dec.15,2009のVideoで19分過ぎの場面です
ただし爺は情けなく・・訳なしデス。

小沢一郎の首を差し出せときかない
CIAの要請があるようである。
任意事情聴取に小沢一郎は応じるという。
まぁ~小沢一郎の周りのも知恵者がいないものである。
亀井大臣記者会見みたいに
「CIAは俺の命をとってからにしろッ!」
何故総国民に宣言しないのか。
これは宗主国が土下座しろの要求である。
日本の国富をさしだせっ!
悪弊の前例があるからである。

藤原肇著書「小泉純一郎と日本の病理}にある。
・・・・日本では、報道されていないが、カナダサミットで、小泉がブッシュの前で、土下座したのは、事実のようです。・・・
スキャンダルまみれの小泉がここにはある。 

公務員の基本チュの基本の守秘義務を守らずマスコミに秘密事項を垂れ流す東京地検特捜部とは何者か。
何故法務大臣は服務規律違反を注意しないのか

彼らの前身は、1947年=昭和22年「隠退蔵物資事件」 を契機に、戦後隠された旧日本軍の軍需物資をGHQが米国が収奪するために作られた組織なのである。

つまり、地検特捜部とは日本の検察が独自に作ったものでは全くないのであり、
単なる「米国の出先機関」であったというわけだ。

そのため、これまでも米国にとって都合の悪い人間は、事あるごとに逮捕し政治的に抹殺してきたのである。

ブログで教えていただいた。
『検察』は行政機関でありながら、戦前は『検察司法』などと、
のさばり、国家暴力の中心であった。
昭和9年『帝人事件』という疑獄事件で政治家、官僚等逮捕し
時の内閣は総辞職した。
しかし、起訴された16名全員が無罪となり、倒閣を目的とした
でっち上げである事が判明した。
戦後、占領軍『GHQ』により、検察の専制体制、国家暴力体制が問題になり、権限が抑制され、失墜するところであった。
しかし、GHQとの交渉により、一部独自捜査権限が残る事となった。
それが検察特捜部であり、『FBI』をモデルとしている。
特捜部はその成り立ちからして、アメリカの日本におけるスパイ組織なのである。
『日本国のために働く』などとは、とんでもないのである。
アメリカは、CIAは、特捜部を通じて検察全体にその権力を行使し、検察をアメリカの手先、スパイとして掌握しているのである。
アメリカのスパイ集団清和会を温存しつつ、経世会を攻撃するのはそのためである。
清和会政治家を調べれば解る事小泉安倍森中川・・
愛国自民党の旧宏池会=経世会潰しであった事を証明している。
このブログでは政治家俗名一覧をアップしている。
http://36488.diarynote.jp/?day=20091226

検察はここにきて暴走を繰り返しているが、戦前の国家の主人公的存在になろうと、焦っている様である。
しかし、莫大な裏金問題をかかえ、金銭的に堕落しつくした、検察に対し、国民は極めて冷たい対応である。

『検察は日本最大の犯罪組織である』
が国民の意識である。
検察の特捜部を廃止し、検察は警察と裁判所の間の単なる中継機関としてのみ存在するのが正しい姿である。
特捜部廃止は、日本再生の第一歩である。

この国は65年経ても 占領支配が終わっていない
まったく品のない国家である。

石川議員が「私の一存」といって容疑を事実上認めているようです。
これで小沢一郎は安泰。
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100105ddm041010114000c.html

「おもしろき こともなき世を おもしろく」
  
高杉晋作の歌である。

これには下の句が創られている。
「すみなすものは心なりけり」

大河ドラマ竜馬伝で気になる事がある。
27歳で生涯を終え大偉業をなしえた人が登場しないのではないのかの爺特有の猜疑心がもたげてくるのである。

竜馬一人の功績とされる薩長同盟の盟約も功績はこの人にある。
複雑なる藩内権力関係を押さえ力関係を統一して桂VS西郷の会談を実現させたのである。
幾多の作家が作品にしているが
人物論を標準化するために同じ土俵にして言うならこれが適書であろうか。
司馬遼太郎「世に棲む日日」(文春文庫)
司馬遼太郎「十一番目の志士」(文春文庫)

舞台落語好きに馴染みの都々逸がある。
「三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい」
坂本竜馬の作とされるのが通説
はたしてソウだろうか。
偉人の出身地の萩の民謡である「男なら」や「ヨイショコショ節」の歌詞として唄われている。

爺の青春の地・山口県下関市に墓地はある。
顕彰碑文は伊東博文である
「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し、衆目駭然、敢て正視する者なし。これ我が東行高杉君に非ずや…」
御霊は天皇家の創設した維新の志士の眠る、東京招魂社に吉田松陰・久坂玄瑞・坂本龍馬・中岡慎太郎
らとともに鎮魂され、祀られている。
国策に散った人のみが祀られるのが東京招魂社である。
昭和を経て人々は靖国神社という。
A級戦犯を祀られて以来昭和天皇裕仁は天皇家の建立した靖国神社への恒例の参拝をやめた。

幕末の志士に異色の人がいた。
吉田松陰の松下村塾では秀才の久坂玄瑞と対照的なる師の見方もあった人である。
士農工商の身分がとりわけ厳しき長州藩において身分を無視した破天荒なる組織を作り上げた。
名も奇兵隊という。

その先進性は長州藩砲術家大村益次郎は後に江戸城総攻撃に向う総大将であるがこの時点では驚いてもいた
 何ゆえなしえたか。
東北遊学を行い、佐久間象山や横井小楠とも交友する。
1862年=文久2年5月には藩命で、薩摩五代友厚らとともに、
幕府使節随行員として長崎から中国の上海へ渡航、
清が欧米の植民地となりつつある実情を広く見聞きした。
1854年からの民衆反乱である太平天国の乱を見聞して7月に帰国している。

長崎で丙寅丸=オテントサマ丸を単独購入。
第二次長州征伐(四境戦争)では海軍総督として丙寅丸に乗り込み、
周防大島沖に停泊する幕府艦隊を夜襲して退け、林半七率いる第二奇兵隊等と連絡して周防大島を奪還。
幕府軍本拠地小倉方面の戦闘指揮では、軍艦で門司・田ノ浦の沿岸を砲撃。
その援護のもと奇兵隊・報国隊を上陸させ、幕軍の砲台、火薬庫を破壊し幕府軍を敗走させた
これが
1867年11月の大政奉還に繋がったのである。

それ以前に幾多の過激なる行動もあった。
薩摩は生麦事件で300余州に攘夷で名を上げ進めていて長州の志士らも続こうとする
ところがこれは頓挫する。
久坂玄瑞が土佐の武市半平太に話し土佐前藩主山内容堂を通して長州藩主に伝わり謹慎さる。
そこで獄時に思考をまとめる。
長州ナショナリズムを形成し、長州藩と朝廷や他藩との提携交渉は、専ら桂や久坂が担当することとなる。
文久2年12月12日には、幕府の異勅に抗議し、品川御殿山に建設中の英国公使館焼き討ちを行う。
さらに師の幕府の罪人として処刑された松陰の遺骨を白昼堂々小塚原から世田谷に移して会葬する。
1863年5月10日、幕府が朝廷から要請されて制定した攘夷期限が過ぎる、
長州藩は関門海峡において外国船砲撃を行う
逆に米仏の報復に逢い惨敗する。
列強の威力を生身で経験する。
薩摩も同じように異国船追い払いで自国内で惨敗経験をする。

苦難は続く。
二度にわたる長州征伐である。

薩摩藩と会津藩が結託した宮廷クーデターである8月18日の政変で長州藩が朝廷より追放さる、
1863年9月30日=文久3年8月18日八月十八日の政変は三条実美・沢宣嘉ら公家7人も長州藩兵と共に落ち延びた
のちに七卿落ちという。池田屋事件や禁門の変が起こるきっかけにもなった出来事

山口大のお湯の里湯田あの中也 の「汚れちまった悲しみに」の街にさえ足跡を残す。
そして大宰府にと落ちてゆく。
会津藩と薩摩藩の攻勢は熾烈を極めた。
1864年文久4年1月、高杉は京都進発を主張する急進派の来島又兵衛を説得する。
1864年8月20日=元治元年7月19日、蛤御門の変で多くの長州藩志士は亡くなる
来島又兵衛、久坂玄瑞。
かろうじて決起慎重派の桂小五郎高杉晋作らが生き残る。
総大将久留米水天宮総宮司真木泉も逝く

英仏米蘭の4カ国連合艦隊が下関を砲撃、砲台が占拠されるに至る
まったく防戦一方の完敗である。
 晋作は赦免されて和議交渉を任される。
  ナント時に高杉晋作、24歳。
若者のが植民地化の国難を救った救国の志士である
交渉の席で通訳を務めた伊藤博文の後年の回想
・・この講和会議において、連合国は数多の条件とともに「彦島の租借」を要求してきた。
高杉はほぼ全ての提示条件を受け入れた
ただし、この「領土の租借」についてのみ頑として受け入れようとせず、結局は取り下げさせることに成功した。
これは清国の見聞を経た高杉が「領土の期限付租借」の意味するところを深く見抜いていたからである。
この国が清国の様に外交支配配下なるや否やの救国の国難に遭った多きナル自主独立主権に関わる重大事項であった。
「敗戦」のGHQ支配が日本歴史唯一の屈辱の歴史にあるがこのときは豊富なる英知と憂国の情で難を逃れた。
この国は敗戦から65年間アメリカ支配の従属国にあるママである。

豪商白石正一郎邸において身分に因らない志願兵による奇兵隊を結成した。
そして祈願に向う。
その場所は後にこの国の歴史的史跡となる場所である。
遠く平家の御世の先帝の安徳天皇の霊の護国法治がなさせた業なのか。
日清戦争の講和会議が開かれた中国全権李鴻章を迎え入れて勝利の講和を結んだ阿弥陀寺赤間神宮である。

失礼ながら山陽バスが無料になる下関ボート開催日にお参りしたモンである。
除霊のための全身への般若心経の耳なし法一の記念碑由来も赤い社の赤間神宮に奉じられている。

無学なる爺は昭和平成の憂国の士である。
これまでの毎日の24時間の過ごし方に竜馬にも高杉晋作にも負けえぬ誇りがある。

売り上げ資金回収が遅れ入金当月「0」でも給料は払わねばならない。
当然自分の分はまったく出てこない。
 非常に厳しいんである。
アチコチ土下座しての資金繰り
給料さえ払った事もない未熟なる社会人が笑わすでない。
神聖なる仕事中に爺のブログばかりが気になりしょっちゅうのアクスス。
国富を生み出す仕事である。
爺のブログなぞほっといて
もっとまじめに仕事にとり組めッ!

爺のブログはどこの馬の骨か猿の骨かしらぬ輩に日々アラサレテいる
何年続いているというのだ
リンクいただいてる周りにまで被害が及んでいる。
この不逞の輩は一人一殺で4年以上まいにちの嫌がらせにある。
ただし手強いとおもう人はヒタスラ逃げまわる。
爺目位なら丁度良い手合いとして仕事もそっちのけチェックに余念がない。

爺の小泉竹中批判が許せぬらしい。

小泉純一郎とりわけ派遣業会長パソナ竹中平蔵を<先生>と神の如く奉る
竹中は本当にかってあのこの国の中枢で政策を遂行した同一人物なんであろうか。
任期4年以上も残し国会議員バッジを投げだし逃げ出した。
いままでの議員で初めての事であろう。
ナニがアッタんであろう。
悪事を国会で追及されるのを避けたのである。
爺は自然にそう見る。
ここまで国家を疲弊させた張本人である。
ならば反省して出直せば言い。
竹中政策を進めた師匠たる経済学者はみなそうして国難に当たり始めている。
それが学者であろう。
それが政治家であろう。
間違いはあるのだ。
その後の度重なる国会招致を多忙を理由に逃げまわってる輩。
それにしてはアチコチで政治論評するふてぶてしさ。
この異常なる猿の骨程度の親衛隊が今だいるから安心なんであろう。
竹中は学位論文さえ国内で取れずよそで取得した貧しき実情にある。
国内では論文盗用疑惑で同僚からさえ顰蹙をかっている偽学者
所属の慶応義塾大は投資策に騙され200数十億の被害に遭っている。
国家中枢にありながら見通しなきに竹中の投資指南の結果が経営危機の惨状を招いている。
猿知恵とはよく言ったものである。
わがナを名乗れぬ程度の貧相なる経済論文モドキをアップしている。
自思索は「0」ほとんどが無断引用の犯罪。
丸写しの論文ごときはチャンチャラオカシ。

だから名前が出せないんであろう。

7日のニュースにある。
 無断引用は犯罪である。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100107-00000712-yom-soci
戦後民法の生みの親と言われる東大名誉教授の我妻栄(わがつまさかえ)らが執筆し、今も多くの法学生らが教本として使うロングセラー書籍「民法」の文章が、司法書士試験受験生向けの講座テキストに無断で使われていたことがわかった7日ニュースが報じている。

7日のニュースに奈良県桜井市の桜井茶臼山古墳から卑弥呼の鏡?が発見された。
何度も触れているが日韓2000年のNHK1~3日放映されててよく理解できる事である。
桜井茶臼山古墳は大和王権を示すに」十分ある全長200メートルの古墳である。

何故卑弥呼の鏡か。
中国・魏から鏡などを贈られた「正始元年」=240年の年号入りの鏡と同じ鋳型で作られた
三角縁神獣鏡の破片が確認されたことにある。
この前方後円墳は3世紀末~4世紀初めに創られたとされており時代も中国の石碑卑弥呼存在と時代が重なっている。
  卑弥呼の国は九州説VS畿内説とある。
では古来よりこの国の最大論争に決着がついたのか。
ソウ簡単ではナイハズだ。
九州説VS畿内説
大王墓の実態を解明する一級の史料になりそうだ。
この古墳の守り主は隣接する宗像神社である。
不可解なりし
、宗像神社がある。筑前国宗像郡の宗像神社と同神である
北部九州系の神社が大和にあることは注目に値する。

宮崎の西都原古墳群はこの国唯一の古墳公園である。
宮内庁陵墓参考地で未発掘の日本最大の前方後円墳さえある。
男狭穂塚(おさほづか、175メートル)は日本最大の帆立貝形古墳。
女狭穂塚(めさほづか、180メートル)は九州最大の前方後円墳。
http://www.mppf.or.jp/saito/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%83%BD%E5%8E%9F%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E7%BE%A4

歴史を学べば65年も続いてる占領国からの脱皮が今こそ
最後のチャンスであることをこの国の国民は自覚すべきである。

メデアしか判断基準の情報入手がないため、従属国から脱皮はムリ?であろうか。

なにが・・・・
「東アジア共同体構想」だッ!
アメリカ経済はどうなるッ!

「小沢一郎ッ!~~鳩山由紀夫~~ッツ!」
・・・「よ~^くキケッ!」・・・
「中国よりの経済政策は認めナイッッ!」
「日本の国富をさしだせっ!」

アフガンをはじめあちこちの戦争資金がナインダッ!

爺のブログには馬の骨だったか猿骨だったか
チャント工作員が日々配置済みダッ!
書かせるなッ!猿骨ッ!
外国デェまなばせたろっ!
何してるッ!
爺のブログを潰セッ!

国家愛を忘れた
国富を貢がす猿骨骸骨の売国奴どもメッ!
あちこちで酷い工作員アラシにあり
ブログ閉鎖が頻発情況にあります。

おいでいただいてる方々には
不快を申し訳ありません。

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