防衛次官の問題。

2007年8月19日
安倍総理が敗北の責任もとらず、強引に居残るのにこだわり,何故に防衛次官ポストがこうも紛糾するのか。

以前にも触れた参議院選挙目玉の現役バリバリのヒゲの佐藤(シツレイ佐藤議員)の動向をチェツクしておかないと征服組がこの国を牛耳る事になろう。

この懸念は1/8居座る訳でかいた。
http://diarynote.jp/edit.phtml?ts=20070801105223

庁内部からでなく警察側から次官を出すことに対する争闘である。
小池VS塩崎官房長官は派があわないの人間的なものも表面化。だがそれは本質本論でない。

大事なことは国益国家論に元ずく防衛次官ポストの人事配置のことである。
内実は省昇格を果たし独自に予算権を防衛省が握って人事さえ自在にすることから発している。

シビリアン・コントロールの崩れてることが青天白日の下にさらされたことだ。

防衛庁次官人事の後任者を前任防衛次官が決めていいのか。
それがまかり通るとどうなるのか。
歴史に学ばなければいけない。

日中戦争は急に始まったのではない。
18931年(昭和6年)満州事変が端緒で、リットン調査団は「侵略と判断した。」
関東軍の勇み足だ。
現場の暴走を報告が無いので、参謀本部が知らず、戦線が肥大化していったのである。

イラクでやはりその心配が発生していた。
重大な問題である。
自衛隊イラク派遣軍はまさに関東軍であったのだ。

「あえて巻き込まれ」、戦争状態をつくりだすつもりだったと佐藤元隊長・参議院議員が語る。

舌過で済まされない法事国家の根幹に関することだ。
よって、公務員法違反をはじめいろんな法に抵触するものでもある。
国会では国政調査権、佐藤議員の国会喚問を緊急に求めるべきである。

歴史的事実はこうである。
中国東北部に派遣された関東軍が当時の日本政府の意図を無視して勝手に軍を動かして戦争状態を作り出して戦線を拡大、それがアジア太平洋戦争にまでつながったことだ。

今回の参議院選挙で選出されたばかりの元サマワ先遣隊長の佐藤正久参議院議員がTBSの報道のなかで、イラクに派兵されていた時のことを明確にした。、
「自衛隊を現地で戦争状態に突入させるつもりであった」
  
TBS8月10日、さらには毎日新聞8月15日で佐藤正久参議院議員が発言をはじめた。
法事国家にあるまじききわめて危険極まりない発言を繰り返している。

それと事を同じにしている言葉あわせがなされてるがごときである。
安倍首相が構成編成した集団的自衛権に関する政府の有識者会合が、ついに意見を述べ始めた。

これまで憲法上できないとされてきた自衛隊の「駆けつけ警護」を認めるべきだ、ということで意見が一致したことをうけての報道の中で佐藤正久参議院議員が語ったものだ。
 
集団的自衛権に関する政府の有識者会合は「PKO=国連平和維持活動を行う自衛隊に対して、憲法上できないとしてきた「駆けつけ警護」を認めるべきだ、」という意見で一致した。 
 
正当防衛を超えるとして憲法違反とされるいわゆる「駆けつけ警護」は認めるべきだとする意見が相次いだ。
これは、味方である他国の軍隊が攻撃された場合、駆けつけて応戦するもの。

こうした事例について、イラクに派遣された陸上自衛隊の佐藤正久指揮官は、当時現場では、事実上の「駆けつけ警護」を行う考えだったことを取材陣に対して明かした。
 
  「自衛隊とオランダ軍が近くの地域で活動していたら、何らかの対   応をやらなかったら、自衛隊に対する批判というものは、
   ものすごく出ると思います」 
  もしオランダ軍が攻撃を受ければ
  「情報収集の名目で現場に駆けつけ、あえて巻き込まれる」という   状況を作り出すことで、憲法に違反しない形で警護するつもりだ   ったといいます。」 
 
「巻き込まれない限りは正当防衛・緊急避難の状況は作れませんから。目の前で苦しんでいる仲間がいる。普通に考えて手をさしのべるべきだという時は警護 に行ったと思うんですけどね。その代わり、日本の法律で裁かれるのであれば喜んで裁かれてやろうと」 
  
富山大学の小倉利丸教授・ピープルズプラン研究所共同代表。
 
「日本の法律で裁かれるのであれば喜んで裁かれてやろう」などということを自慢げに語っている。
法を犯してはならないなんていう感覚はまったくない。

確信犯として違法行為をやるということをイラクに派兵されていた自衛官が公然と認めている。
シビリアンコントロールどころか、法の支配も無視していいのだ、という発想は大変恐ろしい」 
 
「佐藤も取材した記者もこのような発言の重大性をまったく自覚していないところがさらに恐ろしい。
この発言は一部ネットでは話題になっていますが、処分問題などに発展する気配はないもよう。久間以上の暴言だと思うのだが」 
 
  もう一つ、見逃がせないところがある。
それは、あえて自衛隊自らが戦闘状態を作り出そうという意図をもっていたと語っている点だ。
TBSの報道の次ぎのくだりである。 
 
「佐藤氏は、もしオランダ軍が攻撃を受ければ、『情報収集の名目で現場に駆けつけ、あえて巻き込まれる』という状況を作り出すことで、憲法に違反しない形で警護するつもりだったといいます」 
 
 この佐藤発言を取り上げ問題視しているメールが、いま飛び交っているが、その一つは次のように指摘している。 
 
「ほとんど旧日本軍と同じ発想。旧軍と違うのは、あえてこっちから謀略は仕掛けない、チャンスを待ってはいたが、それが来なかったというだけ。チャンスが来たら、戦争状態を作り出す気だったわけだ」
 
  「国民を騙して戦争状態をつくりだすつもりだった」のだと述べて   いる。 
 
、小倉さんは、今の日本の政治状況の中にこの佐藤発言をおいてみると、その危険性はいっそう際立つとして。次のように警告する。 
 
「発言が、彼個人の感想のようなレベルのことではなくて、イラクに派兵されている自衛隊による事実上の組織的な合意である可能性がある。この点は徹底して追及されるべきでしょう。旧日本軍の虐殺や「慰安所」への関与のように、正式の指揮命令系統で決定されるといはあるのではないかと思います」
 現場の暗黙の合意事項であった可能性もみて取れる。
「同時に、このことは、現在イラクに派兵され米兵を輸送している空自についてもいえることであって、かつての関東軍同様、自衛隊の現場の部隊は事実上シビリアンコントロールなど無視と証明した。

憲法上駆けつけ警護はできないし、同盟軍が攻撃されても見殺しにするしかないというわかりきったルールに縛られて、
なおかつ戦場に出て行くことの矛盾を佐藤は、現場の部隊の暴走を擁護する方向で、憲法を無視する発言をしたのです」 

8・19は俳句の日だそうな。

「なにゆえに 砕きし身ぞと 人問はば それと答えむ 大和魂」。

          谷川士清(ことすが)(1709〜76年)
   津市八町の人。国語辞書「和訓栞(わくんのしおり)」
2万1000語を収めたこの辞書は、初めて50音順に整理された。
全93巻。没後111年たった明治20(1887)年出版。

それ短歌でしょ
俳句の日

この世をば どりやお暇に 線香の
     煙と共に はい灰左様なら
            十返舎監一九勝どき橋のたもとの碑
            。
 短歌ダッ!チュ〜ノ!

たましいの きがいをしめす 蝉の声

      だれ?せきやんで〜す

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