畏敬の人

2007年8月30日
文芸界の最後の偉人に青山二郎あげても異論は無かろう。
最後と言う言い方はおかしいがいわゆるタニ町的存在を含めた
自身の目利き審眼力を持った人という意味をこめてである。

今でも単なる批評家は存在しようが自らは提示されたものより
格段優れたる力を持って睥睨されて見られている人のことだ
紀伊の巨人・南方熊楠的存在感もあることも条件となる。

種村季弘やポッポ先生は限られた専門域的では青山に劣らぬかも知れぬ。
演出家の重鎮・石浜淑郎は東大時代の同級生でもある。

落語界の安藤鶴夫の高座修了後の一言にときの名人もブルッと震えた。
文壇の晩年の菊池寛みたいな存在である。
芥川、直木賞を創設し文芸春秋社で文壇全体をリードできる力もあったし、
著作「恩讐の彼方に」は田舎の分校の学芸会でさえシナリオに使ったほどだ。

千利休が目利きすると茶碗などは一国に値する価値を有する茶道具になるが
秀吉が目利きしても社会的には価値が無い茶道の世界、
ゆえに、その存在が目の上のタンコブとなり、友情は憎しみをに昇華し、
秀吉より切腹を申し付けられる。この利休の存在みたいなもの。
青山二郎は小林秀雄川上徹太郎大岡昇平白州正雄らのサロンの中心を担った。

精神を視覚化する作業の仕上げに装丁は欠かせぬ工程である。
現代の装丁師、栃折久美子の作品は手に取ったときに違う
その栃折にしても雲の上の人。

青山二郎を語るとき一つのエピソードで十分であろう。
その豊富な能力の余興、余技の技を装丁で披露している。
新刊本の装丁に青山二郎がいた。
仲原中也「在りし日の歌」島健作「生活の探求」の作品群を手に取ればその丁寧なる本の素晴らしさが味わえよう。
装丁は誰言おう青山二郎の手になる。
宮崎シーガイヤ図書館にもこれらの初刊本がある。

柳宋悦は白樺同人志賀直哉武者小路実篤らと親交を結び日向の新しき村にも寄宿している。
その審眼力は文章力にさえおよび神の領域で庶民の中にある美の芸術品を掘り出した。
自らは、民芸と言う領域を体系化した。

柳の審眼力が無ければ木喰仏を社会に認知させ得なかったであろう。
棟方志功の版画の素晴らしささえ世にでることがなかったやも知れない。
日向の弥勒画伯の画風に似たものを感ずる。

その情熱は国外にも向けられ朝鮮半島での白磁青磁の美を悲哀の美として世に問うた。
大陸での戦争が勃発すると日本の驕りと無知とに怒りを著してその仕事は中断を余儀なくされた。

民芸にあって河合覚次郎は焼き物を良くした。
その河合にして「分け柳」と敬称して呼ばれたのが青山二郎である。
青山の源流に柳有りと尊敬の意味をこめている訳だ。
これらを紹介した「民芸40年」は岩波から刊(で)ている。

日本人の日常生活の中からこのように庶民の美を戦時中中断しながらも続けたわけだ。
その生涯をかけた継続性は何百年もの土壌の上に成熟したものである。

鎖国の260余年は特殊言語、文字の文化の国を地球人からより一層の言語の垣根を作った。
よって日本文化の紹介は外国人の力を借りなければならなかった。
異文化をよく消化しなくてはできる芸当ではないからだ。

占領軍の一員として来日しながら、日本文化の紹介に生涯をささげた
コロンビア大学名誉教授・エドワード・サイデンステッカーの逝去が報じられた。

わが国はこの日本国に対する偉大なる貢献者にどのような葬儀形態をとるのか。
この人にこそ日本国は大勲章を贈呈せねばならぬ。

核兵器を日本頭上で爆発させた人には贈呈する言語道断の事を過去しといて
時の為政者佐藤栄作ノ自らの叙勲ねらいのバーター取引でさせたのは見え見えではないか。

日本人現代若者さえ過去の財産は世代の断絶の心配から、いきいきと家族の絆さえ取り戻してくれる。
一夏の絆つくりの京都旅行で、スパー銭湯を探すがみつからづ、チョロイ・シャワーに象徴される、
むか〜〜しの方式のお湯に近代青年の息子さんといかれたブログの方。

神田川の世界の京都での銭湯・初体験の息子さんはいいお湯で古い日本の生活が残る京都がすっかり気に入られたと
書いておられる。

レトロな生活が自然に維持されて初めての若者さえ感化させえているのであろう。
無くなって行く生活様式の日本への愛惜は、かえって日本びいきの外国人の力にして世界に情報発信されてきた。

「東京 下町山の手」著エドワード・サイデンステッカー外国人が明治大正の風物を描いた作品。
もっとも帰化して下町江戸情緒の残る湯島にお住まいであったのでこのようなご紹介が一番失礼かもしれない。

「源氏物語」全訳には十数年の歳月を要したと言う。
第2次大戦中に初めて「源氏」を読んで魅了され、日本を理解し始めた。

「日本との50年戦争」に考え方を主張した。
「これほどの作品を生み出した国が、いやしくもくだらない国であるはずがない」
安西徹雄はこの著書を日本人に読んでもらうべく早急に訳した。

日本と米国との庶民生活レベルでの架け橋。
それを残し伝えようとしてる民芸の運動も一つである。
このような下地をつくった師の生き様が伝わらぬはずが無い。
リービ英雄
アーサー・ビナード
難解なる日本文化を紹介してくれてる後継者は続いている。

アーサー・ビナード作品。
暑さを避け渓流つりで涼と漁を楽しめる鮎つりの場面か。

記憶は ひんやりとした流れの中に立って/糸を静かに投げ入れ 釣り上げては
/流れの中へまた 放すがいい。

日本人よりも日本語を高く、きれいに巧みに操っている。
日米の信頼は何も軍事の安保があるからだけではない。
培われた先祖の残してくれた文化があったればこそである。

サイデンステッカーがいなければ、ノーベル賞川端康成もありえなかっただろう。
「半分は訳者の手柄だ」と川端も受賞したとき称えた。
授賞式には同行され、そのときの川端の美しい国日本は氏の翻訳で世界に出版された。
建国記念の日の2月11日が誕生日と問われ
「前世からの縁ですね」
86歳。御霊よ安らかに

日本文化の紹介と言う豊かな業績をあわただしいグローバルなる流れが襲い四苦八苦の庶民生活が強いられている。
日本経済の閉塞しきったグローバル経済に立ち向かう試案が進まない。
経世会の額賀財務省をあて必死の失われた小泉竹中政治の5年間を取り返そうと新閣僚ではある。
サイデンステッカーの残した仕事、案外このあたりを解き明かせれば脱却の糸口が見えてくるのかもしれない。
かっていた青山二郎の存在を人材的にどう育てるのかにかかってくることでもある。

新聞の伝える六代目尾上菊五郎の劇評家ぶり。
「とうとう、あいつに殺されちまった」
まずい相手役と舞台を勤めるとき、愚痴る言葉だったらしい。

「一声、二振(ふり、)三男」、
振(姿)や男(顔)よりも声(せりふ回し)が名優の条件であるという。
いまでも人組織つくりの基本である。

伊東藩の残したる財産飫肥杉は藩命による財政改革で家老野中金右ェ門らの努力の跡。
 高鍋町は秋月の町「高鍋で学者ぶるな」知恵者の集まりの町ゆえこう隠語で呼ぶ。
ここの海の男が山の問題を考えた。
海岸に流木が流れ出る。
山の手入れが悪いゆえ
  根っこごとである。
山が荒れている証左が
  海岸で読み取れる。
松田省吾(48)がこれをどう生かすか悩み取り組んだ。

サーフィーンで職をなしてるわけであるが自ら立ち上げた会社で製品化を目指した。
波乗り「板」は40年代ポリウレタンの出現で淘汰された。
そこに木の板の復活である。

飫肥杉の素材でサーフ・ボード(これで名称いいのか?)を作成し、仲間のプロ・サーファーの試乗
「日向の古き素材で日向の波に乗る・・・感激である」
好評である。
今後は軽さの技術に挑戦。
秘密の穴あけなどで20kgまでに改良出来た。
いやぁ〜〜ポリウレタン製と並べてみると
木のぬくもり目地が「和風」で美しいではないか。

ライデイングファースト宮崎、イースチリバーの連絡は0983−22−3932
青山二郎、サイデンステッカーの「ミニ」が日向人のあちこちにいる。

将棋に穴熊戦法と言うのがある。王様を隅において金銀などで囲く守る。
アマチアの遊び将棋ではセコ将棋と嫌がられる。
一時間の休憩に2〜3局もして楽しむのにこれでは1時間で勝負もつかず、
「王手!」の一度もかからないうちに終局決着済みとなり面白くも無い。
横峰議員ではないが賭けゴルフでドライバーを使わずアイアンのみでラウンドするようなもの。

政策実行内閣と言ってるそうだが、果たしてやめなきゃならぬ人が残っててどこに新鮮さがあろう。
どうみてもベテラン閣僚がその人を守ってる構図。
外向けでなく、内向けの大物を使った適材適所。
当の本人は再チャレンジを止め、美しい国も止めた。
中川長勢下村自らと等しきイデオロギー先行議員は脱却、隠し、内閣の守りを固めた
対・小沢対抗内閣ではないのか。
一体何をする内閣なんであろう。

桝添厚生大臣は政権に文句をいっても大臣になれる太っ腹とちょうちん持ち田原総一郎に語らせやすそう。
ただ、参議院ワク「2」を実現で青木の顔を立てたが実は総でもない。
推薦した人は大臣になってなくサプライズ桝添なんである。
財務大臣は青木と同じ派閥で「2」ワクの疑心を癒したのか。
森の言うお坊ちゃまはずしには、石原、中川を残した。
疑惑の・・大臣は残したが雷は二度同じところには落ちないジングスねらいか神がかり配置。
福田谷垣はお声なし。谷垣の落胆振りは察するに忍びない。
加藤派から谷垣派になったわけだが、政権取りの甘さが漂う。
小沢と組めば一発解決なのに政治家谷垣は小さすぎる。

自民党は愛したことになろうが国民を愛したことにはならない。
ゆえに所詮小さき政治家のレッテルをドンピシャッ貼っちゃお。

将棋で指せる手数の選択肢は理論上、10の220乗通りあるという。
全宇宙にある原子の数を上回るとも。

名前の付いた最大の単位「無量大数」が10の68乗とされているから、天文学的数字。
囲碁は10の360乗にのぼり、盤面は「小宇宙」だ。

将棋は庶民、囲碁は武士。
穴熊にくみ上げたは良し、さて次の一手は。」

読み手「三四・・・歩」実に渋い!
「成らずの銀」なる高度の将棋の技が政治に生かせるのか。
天才加藤一二三の如く1000敗で戦歴の重みを残すのか安倍政治。

リービ英雄
アーサー・ビナード
はどう翻訳してくれようか。
サイデン・ステッカー青山二郎には政治評論の著書は無い。

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