今日の誕生日の花は・・・水仙。
花言葉は・・・・・自己愛・崇高。
水仙の 葉先まで 我が意志通す
凛とした水仙は彼岸花科。
彼岸花=マンジュシャゲの意志は燃えるような存在から感じ取れるが、日本には珍しき野の花。
食糧難の頃デンプンを採取したが球根に殺傷能力のある毒素をもつ。
では何故デンプン?矛盾してるジャン!の現代っ子。
「福=フグは食いたし命は惜しいし」とだけ答えておきましょう。
沈思黙考。
昭和20年以降、廃墟の後の十数年間の列島の姿は悲惨の言葉では語れない燦々たる生活環境であった。
毎日が新知識の吸収で子らの目は知識に飢え輝いていた。
誰しもが小学一年生になってから、50音のあいうえ・・んを習い覚えた。
幼稚園保育所さえないゆえの環境下の田舎での貧困は文字文化さえ遅れた。
もちろんテレビ放送は日本には無く都市部と田舎の知識の偏重は言葉の地域性ともあいまって酷いものであった。
テレビの言葉ファション生活スタイルなどの文化の標準化がもたらしたものは計り知れない。
伝えられる文化の香りはラジオと富山からの薬売りのオマケの紙細工のおもちゃ。
唯一の活字は家の光の雑誌と九州地区の新聞・西日本新聞。
「神様仏様稲尾様」の活字は忘れない記憶。
日本シリーズの三連敗の後の投手稲尾のホームランから始まる四連勝の奇跡。
西日本新聞のその当時おそらく初の紙面の一面の先記の字を漢字文字を知らぬ子は忘れえぬ。
偉大なる巨人の博多ドンタクズ?だったか稲尾の後の監督を球界名誉復帰を果たした池永がその意志を継ごう。
準備はすすんでいる。
その当時二軍投手であった東尾修は急遽一軍抜擢でひょうたんから駒で野球界で大出世。
娘の東尾理子もここんとこ泣かず飛ばずのようであるがゴルフ界で名を成した。
ジャンボ尾崎と背番号20の池永の争いはその力に驚き、尾崎は潔くゴルフ界に移設。
一時期尾崎ファミリーがゴルフ界を支配して日本にゴルフを普及させるに十分に余りある貢献をした。
宮崎ダンロップに唯一全大会参加の選手でその心意気やよし。
8日松坂が宮崎にきて野球教室を開き世界の
剛速球を子らの前で披露した。
巨人軍宮崎キャンプは来春で50年を迎える。
最初は1958(昭和33)年3月奇しくも長島入団の年である。
宮崎駅で懐かしき写真展。
55年の頃串間でのジャイアント馬場の巨人軍時代もあるので厳格にはそれ以前から巨人軍は宮崎にきていたようだ。
地球儀と世界地図を我が物としたときのカルチャーショックは自己維持の精神が持たない状態。
少年期に自殺者が最大であるのは消化できない思考の変化を迫られるかであろう。
コペルニクスがいなければよかったんであろうが、せきやんにはあくまでも地球は球体でなく平面である。
球体と知らせられたとき下校時のガキ大将は永久の闇の果てに落下していく自分を見つめ死の恐怖で
歩けなかった。
電信柱とか生えてる木などのぶら下がレル物を目指しめざし歩いて帰った。
「せきやん!どんどん帰っど〜〜。」
心の中では地球が急に回転して下になったら、平面で無いので地面から空の果てに飛んでいく恐怖感。
「う〜〜ん。」
生返事でしがみ付ける大きな物体を目線は追っている。
奇妙なる行動はバレバレであったんであろう。
初めての海水浴もその果ては滝で轟々とイグアスノの滝よろしく海水は落ちているので浜辺で誤魔化していた。
チャプリンがヒットラーを皮肉った地球儀をゴム鞠の如くもてあそぶ
理髪屋と権力者が入れ替わる名画のワン・シーンは幼き頃の天動説地動説重力の未消化を思い出す。
その地球の裏側。
まさに蛍に光の電灯下の世界地図でその裏側の国にトンネルを掘って入ってみたことさえ夢の世界であった。
サンテクジュペリの童話どころでない高邁なるファンタジーを幼き頭の思考形態は寝るのもやめて追った。
大家族の兄達は怪訝そうに一番下の弟の異変、悩みには気づいてもくれずの寝いびき。
田舎の夜は深く真っ暗で怖い。空に煌く星座軍さえ襲ってくるような恐怖感。
地球の裏側・・・四季さえ丸反対になるという。好奇心は夢の中で飛んでおよいでいた。
支配地満州国の中国人朝鮮人日本人が相住む子供の別天地満州の天の川ショウカ江みたいなるもの。
山は燃料の切り出し場、牛に引かれた荷馬車がいる区域が一番、ダシがいいからだ。
腹が減ってはアケビ、コッコ、椎いの実の木の実を食し岩清水を飲み飢えをしのんだ。
石油文明で生活は一変した。
生活燃料たるエネルギー供給地山村の田舎に何のようも無くなった。
アルゼンチンは地球の反対側にある国としてのみ知る国の認識で日本人の歴史政治認識は極めて薄い。
世界に類を見ない情報統制の国の共同通信方式ゆえ、島国のこの国に住む人々の知識は狭く統一化されている。
社会改革に挑む国の情報は流さない。
地球の裏側の国はマル反対ゆえ12月は暑い。
首都ブエノスアイレス。
アメリカでは民主党が政権を握る勢いでクリントン大統領の妻たるヒラリーが1歩リードして
世界初みたいな感じで女性大統領誕生前のアメリカが流される。
同じ弁護士出身でクリスティナ・フェルナンデス・デ・キルチネル大統領
地球の裏側のこの暑いアルゼンチンの国で12月に大統領に就任した。
アメリカより一足早く夫に続いて妻も大統領というのを父親から息子の事例はあるが
夫から妻への世界的にも初めてのギネスもん。
90年代にスーパーインフレに襲われ南米でも3等国の経済状態。
立て直したのが夫たるキルチネル大統領。
現在は南米最大の経済大国。
その政治家の夫が支持する最大の政治家がクリスティナ。
どぎつい衣装と激しい演説に目が行く。
ただ政治家としては18年のキャリアがある。
1953年ラブラタ市生まれ、ラブラタの同じ大学の先輩キルチネルと在学中に結婚。
89年ペロン党左派から州議会議員に95年上院議員。03年の夫に続き07年12月大統領に就任した。
ところでこの国では女性大統領は二人目。
イザベル・ペロンがいる。
独裁者ペロンの跡をついで職を継いだ。選挙で選ばれたのではない。
アルゼンチン女性の木曾の義仲の妻・巴御前てき女傑は
ペロンの二人目の妻エピータが名高い。
家出して女優となりペロンを大統領にする大衆運動を起こし
ファーストレディーになると貧しい人々のために尽くした。
富裕層から強制的にカネを取り上げ貧しい層に配った。
「富の再配分」をした慈善事業というよりまさに革命。
大富豪を襲い大判小判を配りまくった義民・ねずみ小僧次郎吉。
丁度来るエト鼠を迎えるにいいお話である。
国の制度改革としては日本橋・兜町の平将門の首塚であり、大塩平八郎である。
33歳で亡くなると国民大衆は嘆き悲しんだ今も聖女の如き存在である。
ペロンの考えを継ぐペロン党のクリスティナはいわばエピータの再来。
当然そう受け取られていよう。
学生時代から活動家で負けん気の強さもエピータさながら。
「南米のヒラリー」と米国は呼ぶ。
有権者の顔色をうかがうヒラリーの比ではない。
しっかり物で左派である。
アルゼンチンは6年前の金融危機で2週間で5人の大統領が変わった経験をもつ。
政治混乱を収めたのはキルチネル大統領。
IMFの指導を拒否してアメリカ流の新自由主義を拒否。
労働者の給与を上げ
年金制度を確立し
8パーセントの経済成長を実現。
貧困人口を半分以下に減らした。
笑って読みつづけられようか先進国二番目に富裕国のかの国の人。
ネット難民がキーワードの年であったがそれ以下の路上生活者および
その予備軍たる年収200万以下の人々が1300万人いる国に聞かしてあげたい政策。
ブエノスアイレスの大統領府前の5月広場。
毎週木曜日
白いスカーフの女性の無言のデモ。
ペロン失脚後の軍人クーデターで虐殺された人々のいくえを明らかにするように求める
5月広場の母たち。
1977年の軍政時代に始まり一度も欠かさず、30年後の今も続けられている。
被害者の日系人は14名。
ペロン党が政権をとり事実の究明がすすみ日系人一人の遺骨が発掘された。
早稲田の教授がエジプトで発掘すればニュースになり、この宮崎でさえ先月まで吉村作弥展示会をやったほどだが、
どちらのニュースのほうが大事なんであろうかさ。
ニュースで見聞きしたことも無い変更番組しか流がさない。
「今も軍部から脅迫を受けている。そんな中で私たちは戦っている。」
白いスカーフのエルサ・オオシロ(53)は弟を軍に殺された。
チリでも社会党党員の大統領が誕生した。
ベネズエラのチャベス大統領だけ頑張ってるだけではない。
アメリカ流経済体制を基本とした常識たる政治経済主義を中心とした国のあり方が
アメリカを見据え改革されようとしている。
今日はどんな日か。
昭和42年銀座線など9つの都電が廃止された。
平成2年田村亮子は中3で福岡国際で優勝。
平成6年小口生産の地ビール北海道と新潟に免許を与える。酒税法改正。
昭和62年スクランブル自衛隊機ソ連偵察機に銃撃発砲。
障害者の日。1981年国連決議。
明治42年アイハラシロウがグライダーに搭乗、
不忍池に不時着。
昭和20年GHQが農地解放を指示した日。
翌昭和21ねん3月農地開放発布さる。
昭和23年第3回国連会議でジエノサイド条約発効。
61年タンガニーカはキリマンジャロの麓の国。
4年後ザンジバル島と共同で独立・タンザニア共和国の誕生である。
花言葉は・・・・・自己愛・崇高。
水仙の 葉先まで 我が意志通す
凛とした水仙は彼岸花科。
彼岸花=マンジュシャゲの意志は燃えるような存在から感じ取れるが、日本には珍しき野の花。
食糧難の頃デンプンを採取したが球根に殺傷能力のある毒素をもつ。
では何故デンプン?矛盾してるジャン!の現代っ子。
「福=フグは食いたし命は惜しいし」とだけ答えておきましょう。
沈思黙考。
昭和20年以降、廃墟の後の十数年間の列島の姿は悲惨の言葉では語れない燦々たる生活環境であった。
毎日が新知識の吸収で子らの目は知識に飢え輝いていた。
誰しもが小学一年生になってから、50音のあいうえ・・んを習い覚えた。
幼稚園保育所さえないゆえの環境下の田舎での貧困は文字文化さえ遅れた。
もちろんテレビ放送は日本には無く都市部と田舎の知識の偏重は言葉の地域性ともあいまって酷いものであった。
テレビの言葉ファション生活スタイルなどの文化の標準化がもたらしたものは計り知れない。
伝えられる文化の香りはラジオと富山からの薬売りのオマケの紙細工のおもちゃ。
唯一の活字は家の光の雑誌と九州地区の新聞・西日本新聞。
「神様仏様稲尾様」の活字は忘れない記憶。
日本シリーズの三連敗の後の投手稲尾のホームランから始まる四連勝の奇跡。
西日本新聞のその当時おそらく初の紙面の一面の先記の字を漢字文字を知らぬ子は忘れえぬ。
偉大なる巨人の博多ドンタクズ?だったか稲尾の後の監督を球界名誉復帰を果たした池永がその意志を継ごう。
準備はすすんでいる。
その当時二軍投手であった東尾修は急遽一軍抜擢でひょうたんから駒で野球界で大出世。
娘の東尾理子もここんとこ泣かず飛ばずのようであるがゴルフ界で名を成した。
ジャンボ尾崎と背番号20の池永の争いはその力に驚き、尾崎は潔くゴルフ界に移設。
一時期尾崎ファミリーがゴルフ界を支配して日本にゴルフを普及させるに十分に余りある貢献をした。
宮崎ダンロップに唯一全大会参加の選手でその心意気やよし。
8日松坂が宮崎にきて野球教室を開き世界の
剛速球を子らの前で披露した。
巨人軍宮崎キャンプは来春で50年を迎える。
最初は1958(昭和33)年3月奇しくも長島入団の年である。
宮崎駅で懐かしき写真展。
55年の頃串間でのジャイアント馬場の巨人軍時代もあるので厳格にはそれ以前から巨人軍は宮崎にきていたようだ。
地球儀と世界地図を我が物としたときのカルチャーショックは自己維持の精神が持たない状態。
少年期に自殺者が最大であるのは消化できない思考の変化を迫られるかであろう。
コペルニクスがいなければよかったんであろうが、せきやんにはあくまでも地球は球体でなく平面である。
球体と知らせられたとき下校時のガキ大将は永久の闇の果てに落下していく自分を見つめ死の恐怖で
歩けなかった。
電信柱とか生えてる木などのぶら下がレル物を目指しめざし歩いて帰った。
「せきやん!どんどん帰っど〜〜。」
心の中では地球が急に回転して下になったら、平面で無いので地面から空の果てに飛んでいく恐怖感。
「う〜〜ん。」
生返事でしがみ付ける大きな物体を目線は追っている。
奇妙なる行動はバレバレであったんであろう。
初めての海水浴もその果ては滝で轟々とイグアスノの滝よろしく海水は落ちているので浜辺で誤魔化していた。
チャプリンがヒットラーを皮肉った地球儀をゴム鞠の如くもてあそぶ
理髪屋と権力者が入れ替わる名画のワン・シーンは幼き頃の天動説地動説重力の未消化を思い出す。
その地球の裏側。
まさに蛍に光の電灯下の世界地図でその裏側の国にトンネルを掘って入ってみたことさえ夢の世界であった。
サンテクジュペリの童話どころでない高邁なるファンタジーを幼き頭の思考形態は寝るのもやめて追った。
大家族の兄達は怪訝そうに一番下の弟の異変、悩みには気づいてもくれずの寝いびき。
田舎の夜は深く真っ暗で怖い。空に煌く星座軍さえ襲ってくるような恐怖感。
地球の裏側・・・四季さえ丸反対になるという。好奇心は夢の中で飛んでおよいでいた。
支配地満州国の中国人朝鮮人日本人が相住む子供の別天地満州の天の川ショウカ江みたいなるもの。
山は燃料の切り出し場、牛に引かれた荷馬車がいる区域が一番、ダシがいいからだ。
腹が減ってはアケビ、コッコ、椎いの実の木の実を食し岩清水を飲み飢えをしのんだ。
石油文明で生活は一変した。
生活燃料たるエネルギー供給地山村の田舎に何のようも無くなった。
アルゼンチンは地球の反対側にある国としてのみ知る国の認識で日本人の歴史政治認識は極めて薄い。
世界に類を見ない情報統制の国の共同通信方式ゆえ、島国のこの国に住む人々の知識は狭く統一化されている。
社会改革に挑む国の情報は流さない。
地球の裏側の国はマル反対ゆえ12月は暑い。
首都ブエノスアイレス。
アメリカでは民主党が政権を握る勢いでクリントン大統領の妻たるヒラリーが1歩リードして
世界初みたいな感じで女性大統領誕生前のアメリカが流される。
同じ弁護士出身でクリスティナ・フェルナンデス・デ・キルチネル大統領
地球の裏側のこの暑いアルゼンチンの国で12月に大統領に就任した。
アメリカより一足早く夫に続いて妻も大統領というのを父親から息子の事例はあるが
夫から妻への世界的にも初めてのギネスもん。
90年代にスーパーインフレに襲われ南米でも3等国の経済状態。
立て直したのが夫たるキルチネル大統領。
現在は南米最大の経済大国。
その政治家の夫が支持する最大の政治家がクリスティナ。
どぎつい衣装と激しい演説に目が行く。
ただ政治家としては18年のキャリアがある。
1953年ラブラタ市生まれ、ラブラタの同じ大学の先輩キルチネルと在学中に結婚。
89年ペロン党左派から州議会議員に95年上院議員。03年の夫に続き07年12月大統領に就任した。
ところでこの国では女性大統領は二人目。
イザベル・ペロンがいる。
独裁者ペロンの跡をついで職を継いだ。選挙で選ばれたのではない。
アルゼンチン女性の木曾の義仲の妻・巴御前てき女傑は
ペロンの二人目の妻エピータが名高い。
家出して女優となりペロンを大統領にする大衆運動を起こし
ファーストレディーになると貧しい人々のために尽くした。
富裕層から強制的にカネを取り上げ貧しい層に配った。
「富の再配分」をした慈善事業というよりまさに革命。
大富豪を襲い大判小判を配りまくった義民・ねずみ小僧次郎吉。
丁度来るエト鼠を迎えるにいいお話である。
国の制度改革としては日本橋・兜町の平将門の首塚であり、大塩平八郎である。
33歳で亡くなると国民大衆は嘆き悲しんだ今も聖女の如き存在である。
ペロンの考えを継ぐペロン党のクリスティナはいわばエピータの再来。
当然そう受け取られていよう。
学生時代から活動家で負けん気の強さもエピータさながら。
「南米のヒラリー」と米国は呼ぶ。
有権者の顔色をうかがうヒラリーの比ではない。
しっかり物で左派である。
アルゼンチンは6年前の金融危機で2週間で5人の大統領が変わった経験をもつ。
政治混乱を収めたのはキルチネル大統領。
IMFの指導を拒否してアメリカ流の新自由主義を拒否。
労働者の給与を上げ
年金制度を確立し
8パーセントの経済成長を実現。
貧困人口を半分以下に減らした。
笑って読みつづけられようか先進国二番目に富裕国のかの国の人。
ネット難民がキーワードの年であったがそれ以下の路上生活者および
その予備軍たる年収200万以下の人々が1300万人いる国に聞かしてあげたい政策。
ブエノスアイレスの大統領府前の5月広場。
毎週木曜日
白いスカーフの女性の無言のデモ。
ペロン失脚後の軍人クーデターで虐殺された人々のいくえを明らかにするように求める
5月広場の母たち。
1977年の軍政時代に始まり一度も欠かさず、30年後の今も続けられている。
被害者の日系人は14名。
ペロン党が政権をとり事実の究明がすすみ日系人一人の遺骨が発掘された。
早稲田の教授がエジプトで発掘すればニュースになり、この宮崎でさえ先月まで吉村作弥展示会をやったほどだが、
どちらのニュースのほうが大事なんであろうかさ。
ニュースで見聞きしたことも無い変更番組しか流がさない。
「今も軍部から脅迫を受けている。そんな中で私たちは戦っている。」
白いスカーフのエルサ・オオシロ(53)は弟を軍に殺された。
チリでも社会党党員の大統領が誕生した。
ベネズエラのチャベス大統領だけ頑張ってるだけではない。
アメリカ流経済体制を基本とした常識たる政治経済主義を中心とした国のあり方が
アメリカを見据え改革されようとしている。
今日はどんな日か。
昭和42年銀座線など9つの都電が廃止された。
平成2年田村亮子は中3で福岡国際で優勝。
平成6年小口生産の地ビール北海道と新潟に免許を与える。酒税法改正。
昭和62年スクランブル自衛隊機ソ連偵察機に銃撃発砲。
障害者の日。1981年国連決議。
明治42年アイハラシロウがグライダーに搭乗、
不忍池に不時着。
昭和20年GHQが農地解放を指示した日。
翌昭和21ねん3月農地開放発布さる。
昭和23年第3回国連会議でジエノサイド条約発効。
61年タンガニーカはキリマンジャロの麓の国。
4年後ザンジバル島と共同で独立・タンザニア共和国の誕生である。