今日の誕生日の花は・・・・モモ
花ことばは・・・・・・気立てのよさ

WIKIが教えてくれる。
桃の花は春の季語。
湯に入れた桃葉湯は、あせもなど皮膚の炎症に子育て手で使用した。
食べる際には、モモのシミは落ちないといわれており、食すときには注意が必要である。
桃が咲き始める時期は七十二候において、中国では桃始華、日本は桃始笑と呼ばれ
それぞれ啓蟄(驚蟄)の初候、次候にあたる。
五弁または多重弁で、多くの雄しべを持つ。
観賞用の品種(花桃)は源平桃(げんぺいもも)・枝垂れ桃(しだれもも)など。庭木として、あるいは華道で切り花として用いられる。
原産地は中国西北部の黄河上流の高山地帯。
欧州へは1世紀頃にシルクロードを通り、ペルシア経由で伝わった。
英名ピーチ(Peach)は“ペルシア”が語源で、ラテン語のpersicum malum(ペルシアの林檎)から来ている。
種小名persica(ペルシアの)も同様の理由による。

日本列島では桃の存在を示す桃核の出土事例が縄文時代後期からあり、弥生時代後期には大陸から栽培種が伝来し桃核が大型化し、各時代を通じて出土事例がある。
桃は食用のほか祭祀用途にも用いられ、斎串など祭祀遺物と伴出することもある。

中国において桃は仙木・仙果(神仙に力を与える樹木・果実の意)と呼ばれ、昔から邪気を祓い不老長寿を与える植物として親しまれている。
桃で作られた弓矢を射ることは悪鬼除けの、桃の枝を畑に挿すことは虫除けのまじないとなる。
桃の実は長寿を示す吉祥図案であり、祝い事の際には桃の実をかたどった練り餡入りの饅頭菓子・壽桃(ショウタオ、shoutao)を食べる習慣がある。
壽桃は日本でも桃饅頭の名で知られており、中華料理店で食べることができる。

『古事記』では、伊弉諸尊(いざなぎのみこと)が桃を投げつけることによって鬼女、黄泉醜女(よもつしこめ)を退散させた。
伊弉諸尊はその功を称え、桃に大神実命(おおかむづみのみこと)の名を与えたという。
また、『桃太郎』は桃から生まれた男児が長じて鬼を退治する民話である。
3月3日の桃の節句は、桃の加護によって女児の健やかな成長を祈る行事である。
果実は形状と色彩が女性の臀部に似ていることから、性と豊饒の象徴でもある。
花あるいは果実の色である桃色ピンクも、性的な意味に用いられる。

道教は、中国三大宗教=三教と言い、儒教・仏教・道教を指すその一つである
道教は漢民族の土着的・伝統的な宗教である。
中心概念の道(タオ)とは宇宙と人生の根源的な不滅の真理を指す。

隋・唐・五代の時期に宗教教団としての組織と儀礼と神学教理とを一応完成するに至った。
宋代仙人思想が日本文化に確立された
この国の歴史的ロマン卑弥呼その国。
中国に使者を遣わし貢物、いただきモノを交換した。
2月始めNHK放送で奈良の発掘古墳から2000近い桃の実みが発掘された報道があった。
道教の教えが執り行われてた証左で邪馬台国であると・・・・

道教とは、「道の教え」である。
広義には、「従うべき聖人の教え」という意味で、この語道教は使われる。
この場合儒教や仏教を指すこともある。実際、「道学」と言えば、それは儒学を指す。
仏教や儒教と同じ頃に道教も日本に渡来した。
律令制にも道教に関する役所陰陽寮が設立された。
のち、民衆運動や政争に利用され、仙人になるために水銀などの危険薬物を使うため、やがて廃止された。
それに代わって、陰陽師が道術を取り入れ、日本独自の陰陽道が生まれた。
陰陽師としては、平安時代の安倍晴明などが有名である。
「天皇」という称号も道教に由来するという説がある
天皇大帝参照。すなわち北極星という意味であるという説。
風水は道教の陰陽五行説を応用したもの。
道教が日本の文化に受け入れられなかった理由の一つとして、仙人思想が日本文化に確立された天皇制を覆す思想に繋がるという理由で日本人には受け入れることができなかったためである、という説もある。
桃栗三年柿八年 梨の大馬鹿十八。

樗良(ちょら、享保14年(1729年) - 安永9年11月16日(1780年12月11日))は志摩国(三重県)鳥羽山田の人。
江戸時代中期の俳諧師。本名は三浦元克。
名は元克。字(あざな)は冬卿。通称は勘兵衛。別号に無為庵。法名は玄仲。
伊勢俳諧の伝統がある紀伊長島の貞門系の百雄に学び、次第に伊勢派に近づき「我庵」で自風を確立。
江戸に出るが窮乏、帰郷して俳諧宗匠として安定した生活を送る。
その後京都木屋町に無為庵(がいあん)を構えた。
「樗良は笠付(かさづけ)に遊ぶ」と自嘲したこともあり、桑名長島に寓居、江戸、北国に放浪もした
、安永二年蕪村を知って同五年には京都へ移る。
平淡清新な叔情で俳諧革新の一翼となった。
北越、加賀が勢力圏無為庵を薄し、与謝蕪村周辺とも交流があった。
中興期俳諧の一翼を担った。
安永9年(1780年)、山田にて52歳で死去。墓は伊勢市に構えられている。
編著に「我庵(わがいお)」「年の尾」など。

お雛様の日のNHKが早朝に教える今日の一句。

 匂ふとも 見えずゆかしや 桃の花


桃の日の映画は版権ゆえ見ることかなわぬ『夢』(ゆめ、英題:Dreams)は、1990年に公開された黒澤明による映画作品がイイ。
 配給 ワーナー・ブラザース にアル。
公開1990年 上映時間 119分 製作国 日本 アメリカ
言語 日本語 製作費 $12,000,000
監督 黒澤明
音楽 池辺晋一郎
撮影 斎藤孝雄

出演者 寺尾聰倍賞美津子原田美枝子根岸季衣

クロサワ映画「夢」は日本とアメリカの合作。
黒澤は当初、合成場面は従来通り、すべて光学合成で行うつもりであったが、フランシス・フォード・コッポラの助言によりハイビジョン(デジタル)合成を本作で初めて導入している(鴉)。
また特殊効果にはデンフィルム・エフェクトの中野稔やジョージ・ルーカスの視覚効果特撮工房ILMも参加協力した(日照り雨、赤冨士)。
なお、本作で導入されたハイビジョン(デジタル)合成は『八月の狂詩曲』『まあだだよ』でも使われることになる。

「日照り雨」「桃畑」「雪あらし」「トンネル」「鴉」「赤冨士」「鬼哭」「水車のある村」の8話からなるオムニバス形式。
黒澤明自身が見た夢を元にしている。ただどうなんだろう。
各エピソードの前に、「こんな夢を見た」という文字が表示されるが、
これは夏目漱石の『夢十夜』における各挿話の書き出しと同じー。
漱石の『夢十夜』は現在(明治)を始め、神代・鎌倉・100年後と、10の不思議な夢の世界を綴る。
「こんな夢を見た」という書き出しが有名。
本作は現在入手可能なDVDでは、オープニングおよびクロージングのクレジットタイトルは英文字表記となっているが、日本の劇場公開時は当然、日本語表記であった。 なお日本語版にはスティーヴン・スピルバーグ提供とクレジットされているが、英語版にはない。

なお、アメリカのワーナー・ブラザースが配給権を有しているために、
そのため黒澤映画の中では「デルス・ウザーラ」同様、国内でのフィルム上映の機会に恵まれない作品。

あらすじ
日照り雨
突然の日照り雨。少年の私は母から「外へ出ていってはいけない。こんな日には狐の嫁入りがある。見たりすると怖いことになる」と言われるが…。
桃畑
姉の雛祭りに遊びに来た友人にお団子を運ぶ。友人は5人来たのに部屋には4人しかいない。姉は間違いだというが戸口に1人の少女が立っている。逃げる少女を追って桃畑に辿りつく…。

雪あらし
雪山で遭難した。3人の山仲間と共に3日間歩き続けたあげく幻覚に襲われる。朦朧とした意識の中で雪女が現れた…。

トンネル
一人の陸軍将校が戦地から戻り、人気のない山道を歩いているとトンネルに差し掛かる。そのトンネルから犬が出てきて威嚇してきた。犬に怯えながらも無事にトンネルを出られたが…。


ゴッホはどこにいるのか。
ゴッホの絵画を見ているとその絵の中でゴッホを探していた。
彼は「カラスのいる麦畑」にいた…。
この章では、ショパン「雨だれの前奏曲」が使用されている。
赤冨士
大勢の人々が逃げ惑っている。何があったのかわからない。目の前では赤く染まった富士山が大噴火を起こしている。原子力発電所が爆発したという。目の前に迫る色のついた霧は着色された放射性物質であった…。

鬼哭
霧が立ち込める荒野を歩いていると後ろから誰かがついてくる。1本角の鬼である。彼は昔人間だったが核汚染でこの世界は荒野と化し、彼は苦しみに苛まれるという…。

水車のある村

撮影に使われた大王わさび園水車小屋旅先で、静かな川が流れる水車の村に着く。壊れた水車を直している老人に出会い、この村人たちが近代技術を拒み自然を大切にしていると説かれ、興味を惹かれる。老人の初恋の人であった老婆の葬式が行われた。村人は嘆き悲しむ代わりに、良い人生を最後まで送ったことを喜び祝い行進するのであった。
この章は長野県の大王わさび農場で撮影された。

キャスト
括弧内は登場する話数

寺尾聰   : 私(3~8)
中野聡彦  :5歳位の私(1):
倍賞美津子: 私の母(1)  
伊崎充則  :少年の私(2)
建みさと  :桃の精(2) 
鈴木美恵  :姉(2)
原田美枝子 :雪女(3)
頭師佳孝  :野口一等兵(4)
山下哲生  :少尉(4)
井川比佐志 :発電所の男(6)
根岸季衣  :子供を抱えた女(6)
いかりや長介:鬼(7)
笠智衆  :老人(8)
マーティン・スコセッシ : ゴッホ(5)

「菅は辞めないッ!-深夜に携帯なう」
 確かに正論のブログは一つもなかろうが、
平和で豊かなよりよき国家の未来を見据えてひたすら綴る。
次の総理の前原誠司外相のスキャンダル報道は確かにこの時期ゆえ奇怪っー
一番ありうることは官邸からであろうー。
「誠司とカネ」は菅の野望で官邸発として綴ろうとしていた。

早朝に
お客さんである。・あ・と・で・

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いつのことだったかブログで
一人3月3日のお雛さまを祝ったー。
一人娘に捧げたつもりでー。
旧姓黒田アナ=渡部アナの津田梅子の検索がアル。
2日放送のヒストリアを観てたがブログアップはしていないのに.
なにかに期待され、また、みすかされて・・そうー
お雛様の前祝の番組であったのかー。.

ひな祭りの日は荒んだ気持が優しくなれる不思議さを兼ね備えてる日。
それも日本人なればこその宗教的秘められた雛壇があるからだろうか。
思えば雛祭りとは不思議な風習である。
上座に鎮座するあの2人はいったい誰なのか。
3月の節句は平安朝以前に中国から渡来したが、人形を飾るのは日本だけ。
古来の厄払いや遊び文化と融合し、七段飾りなど華やかな様式美を育んだのは江戸300年の太平があったればこそ。
男女一対の雛は天皇家とは直接の関係はない。
少子化で次女、三女の三姉妹が消えても雛人形は「長女の市場」ゆえ将来も明るいらしい。
良かった浅草界隈の江戸情緒を楽しんでる者は上京の喜びが残れそうである。

「ことごとしき人形」とは、おおげさな人形の事。
「源氏物語」の須磨の巻で光源氏が3月巳(み)の日の祓えに舟にのせて海へ流した人形と教えてくれる
政治偏向報道著しき今日にその点にのみ新聞は実にありがたい。

人の罪やけがれを人形にうつして川や海に流す風習は、ひな祭りの起源という
 紙を人の形に切り抜き、体をなでた後に流すといった風習は、もっと後の時代ー。
 光源氏の身代わりは、かなり大きい人形のようだ。
平安時代には天皇の災いを負わせた人形を7カ所の水辺から流す「七瀬の祓え」もあった
、紫式部の発想はそれがヒントだったやもしれない。

罪やけがれも人形に託して水に流せば、はるかかなたの異界へと消え去ってゆく
日本人の古くからの感覚だったようだ。

日南飫肥は小京都、その小村寿太郎生家は
「さげもん」を含めた雛壇が展示されている。
「さげもん」は福岡柳川地方にもあるそうだが来年の課題としようーとしてるがなかなか実現してない。
金魚やモモハトウサギなどの細工50個ぐらいを雛壇の前に長さ1.3Mで下げられる
15本もあり豪華の上に豪華さが増す。

宮崎・綾町はナンテェタッテ!雛山。これは必見!
盆栽風にコケや流れ木を配して、苔むした岩石、水を流して奥山の風景を醸し出してる中に雛壇がある。
屋内にこれほどして大丈夫?とビックリする。
期間中どこに寝るの?
全国唯一の造園科を持つ大学生さえ協力して作ってるので芸術の域。
まちまちの家々がそうなんだが18ヶ所は豪華すぎる
もっとアピ−ルすべきで県内でさえ知らない人がいる。

新聞では奈良県五條市や、鳥取市の用瀬町(もちがせちょう)などが紹介されている。、
月遅れや旧暦で行うところもふくめ、流しびなは今も各地に残っている

「なぜ、女のひとはおすしが握れないのですか」。

TBSラジオの長寿番組「全国こども電話相談室」
 いじらしいほどの素直さ。
解答者・無着成恭
「それは、にィ。女の握ったすすなんか、ウマくないからだよ」
同じ解答者だった谷中霊園に眠る映画評論家の荻昌弘
「勇敢な、非常に正鵠を得た断定」
 政治をもてあそんでる平和ボケの世界は暢気で良い。

フランス料理の世界でも、男性優位は同じらしい。
星の数でレストランを評価することで知られるガイドブック「ミシュラン」
40年ぶりに女性シェフが最高位の3つ星を獲得し、話題を呼んでるそうだ。
先週発表された最新版で、
フランス国内に10万軒以上あるレストランから、南仏バランスにある「ピケの家」が、わずか26店のひとつに選ばれた。
シェフを務めるアンヌソフィ・ピケさんは祖父、父がともに3つ星シェフだった。
父の死後格下げになったが、失った3つ星を実力で取り戻し、史上4人目の女性3つ星シェフとなった。
いずれにせよ女のお祭りゆえの祓い清めの日でもある。

オ−・ヘンリ−はアメリカの作家。
義務教育の国語の時間「最後の一葉」を教わった。
日本人の感情さえ理解した内容の短編小説のオ−・ヘンリ−の作品群は人間の普遍性の共通性を感ずる。

もともとグロ−バル経済とか市場原理主義などの人間社会破壊の経済論はアングロサクソンにはなく
助け合いに満ちた開拓魂が横たわっていたのでホット思い出している。
所詮、金に目のくらんだシカゴ学派・フリ−ドマンの倫理無き守銭奴の戯言に過ぎない一過性のもの。
ただ、世界経済を覆い尽くしているので人類社会システムが壊れないうちに全世界的な相対的政治主導が発動されねば
南北経済格差、先進国の格差社会も教育破壊も留まる事を知らないであろう。
人間のうえに立ってしまった拝金主義の悪霊を払い清めるときである

悲しきカナこの民族の文化の土台たる絶対正義のクリスチャンには懺悔以外に無いので祓い清めは日本の役割である。
旧約聖書の「バベルの塔」のお話がピッタリなのか。
 かつて人間は同じ言葉を話していた。
天に届く塔を建てようとするのを見た人間の傲慢に怒った神は、互いの言葉を通じなくさせて世界各地に散らばらせた−−バベルの塔の物語だ。

かって日本人菊地凛子が映画「バベル」でオスカ−を逃がしたから言うのではない。
「人間はどんな国に住んでいても同じだ。
人を幸せにするものは違うが、惨めにするものは同じ。
痛みこそが人間を似通わせ、お互いつながろうとする理由となる」。
「バベル」のA・G・イニャリトゥ監督の言葉

日本人ならこうだ。
「ひきがへる バベルバブルと 鳴き合へり」
       沢木欣一の俳人としての句
哲学者の様相さえ感じるさすがに殿様カエル。

映画は異邦人たる人々が世界同時に一つに向き合うので文化交流に丁度良い。

『バベットの晩餐会』は1987年製作の デンマークの映画
監督:スティーヴ・オーデカークは「親指タイタニック 」「親指ウォーズ 」なども撮っている。
"O・ヘンリーを髣髴させる映画だ。

デンマークの小さな漁村に住む伝道師老姉妹のもとに、パリから来たバベットがメイドとして住み込んだ。
趣味で買い続けていたフランスの宝くじを当てた彼女は村人たちに得意の腕をふるう。
フルコ−スの豪華なフランス料理をご馳走する。
実は、このバベット、パリの五つ星レストランの元シェフ
生まれて初めて食べる本格的なフランス料理
、食事をするうちに自然と心が満たされ幸福感で一杯になってしまう村人。

宴の後、その姉妹がバベットに言う。 
「もうお金がたくさんできたんだから、こんなお手伝いなんか止めてあなたはフランスに帰ってしまうんでしょう?」。
そう聞かれたバベットが答える。
 「いえ、私は全財産を今夜一晩の料理に使い果たしてしまったので、また元の無一文です」。
 それを聞いた姉妹が改めてバベットに聞く。
 「そんなことをして、何でまた貧乏になってしまったの?」。
それに対してバベットがきっぱりと答える。
 「世の中に、貧しい芸術家はいませんから」。

使えばなくなってしまうお金とは違って人に喜びを、幸せを与えることができるんだから、けっして貧しくはない」
 どんなものでも、本当に感動を人に与えることができる人こそが本当の意味での芸術家。

「宵越しの銭は持たねぇ~」
  の江戸っ子の生き様に共通する粋。

雛祭りのうたにも感ずるところがある。
山野三郎はサトハチロ−のこと
昭和11年の作品、あの2・26のあった年にこんな曲が変名で作る凄さ。
12年発表の「もしも月給があがったら」
作詞 山野 三郎 でせきやんの持ち歌。

「イヨマンテの夜」で復活する林 伊佐緒と新橋みどり
のこの時期珍しきヂュット曲
せきやんは裏声を使い一人でこなす。

河村光陽は福岡県田川郡赤池町の人
童謡の町として町おこし
平成筑豊鉄道の伊田線田川駅

この鉄路の先に仕事で関ったが自分自身が忘れてしまっている。
娘をさがしてることとおなじなんであろうや。
安寿、恋しや〜ホ〜ヤレホ〜♪

人を恨んでいては見えるものも見えなくなる。
 自戒と自省ー
とかく女とは不思議な生き物である。

山野三郎 作詞
河村光陽 作曲
昭和11年(1936)

1.あかりをつけましょ ぼんぼりに
  お花をあげましょ 桃の花
  五人ばやしの 笛太鼓
  今日はたのしい ひな祭り

2.お内裏様と おひな様
  二人ならんで すまし顔
  お嫁にいらした 姉様に
  よく似た官女の 白い顔

3.金のびょうぶに うつる灯を
  かすかにゆする 春の風
  すこし白酒 めされたか
  あかいお顔の 右大臣

4.着物をきかえて 帯しめて
  今日はわたしも はれ姿
  春のやよいの このよき日
  なによりうれしい ひな祭り

テ−プレコ−ダ−の音量いっぱい
一日中流したあの頃はナンであったんであろう。
夢幻の如き・・おひなさま

老いてこそ なお懐かしき 雛飾り

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