12月30日の日記

2007年12月30日
キャノン日立松下が液晶パネルで連合を組む。
宮崎国富に製造生産出荷を陣営は驚異的会社の出現である。
テレビ社会の先にあるネット社会もテレビ画面のモニターは必要であるとの将来の読みもあろう。

大衆の動きで世相が形成される時代のマスコミは流石に第三の権力と呼ばれるにふさわしい。
ネット社会に押されてる流れも出来つつあるが巨大大衆操作の機関の王道にテレビがあることは変わりない。

瞬時に飛び込んでくる映像と背景などの解説までもしてくれる
テレビの社会的影響力はマスコミの中でも群を抜いていよう。
その代表たるマスコミの大衆烏合、迎合は裏常識として知られつつある。

反面教師として存在もしている群れを生み出し情報の拡散から来る社会建設を
将来の社会作りに一つの手法まで昇華して新たなる木鐘をならさんとの意気込みさえ感じる。

キャッチコピーで名を成した糸井重里はネット社会がそれにとって代わるものと時代の寵児にになろうとしている、
ほぼ日刊イトイ新聞はそぬ具象化である
谷川俊太郎の「詩」を注目し若槻千夏のブログを推奨してる。
「決して凄く上手いわけではないんだけれどこの子は生き方が綺麗だと思うんです。
それがそのままブログに出るので人気がある流の一つでしょう」

帰省ラッシュ報道が慣例のニュース構成の時期である。
これは定番で歳時記の季語でもあろうし、作成関係者も見る側も安住するのであろう。

そして帰りのことが二番煎じよろしく報道されるのに飽きず見る視聴者。
海外脱出や国内旅行さえ出来ない負け組みがテレビ常識をささえてるのかもしれない。

せきやんプロヂューサーなら新たなる視点でのみ番つくりを目指そう・
あるある問題のテrビが醸し出したヤラセの偽装から始まった一年をテレビが醸成したのかもしれない。
2月には宮崎そのまんま知事の常識を覆す泡沫候補の誕生とその後には
時流のテレビが常に追い政治のテレビ化の偽装をかもし出してる感をも否めない。

帰省の先あるものである。
年越しを除夜の鐘で聞き新たなる一年を迎える人々の内面の人間ドラマにしたい。
解っててわからない家紋とか家が苦手な一つで家に伝わる仏教的宗教観に至ってはわかりづらい。

新興宗教問題ががたえず、警察機構でさえ神仙に組織的に犯され、創価学会が伸長したのもそのスキをついたのが今日社会さえ動かす政治的地位に上り詰め。
建設大臣のポストは公明党のものとなりつつある。

社会の格差問題がクローズアップされだしたのは経済音痴の政策のそこに根源がある。
ニュディール政策依頼続けられた古典的経済政策は資本主義経済の危機を救ってきた。

列島改造を掲げた田中角栄に先駆をなし公共事業により経済を引っ張る仕組みの崩壊にある。
公共事業は格差の最たるものの田舎と都市の問題の短期的解消策でも用いられてきた。
年度末や年末に急に土建業が街のあちこちを掘り起こすおなじみの風景である。
日本の経済構造に横たわってきた問題を緩衝化する政策課題で果たしてきた。

富の再配分ならず仕事雇用の場の実現でもあった。
竹中・小泉がその資金源もシステム存続資金をもアメリカに渡した。

郵便資金は国家構造が生み出してきた国民の富。
350兆円もの国民財産をユダヤ支配者のアメリカの手に委ねてしまった。

国債発行や財政投融資の原資がなくては動きが鈍くなる。
かてて加えて建設大臣ポストを牛耳る公明党主導の無策が重なる。

まだ地方の土建屋族は公明党の政治勢力にはなりきっていない。
どうしても富の再配分機構の公共事業の予算があらゆる場面で削られていく
他方軍事かしめている経済の社会的総体ワクは増えている。
防衛汚職は起こるべきしておこり表面化したにすぎない。

東京一極集中の好景気経済が数年続いている。
政治の貧困だ。
建築基準法改正で建設ラッシュがストップした。
姉歯耐震偽装を出さないため審査建設許可が時間がかかることにある。

10月の飲酒運転に関する厳罰の道路交通の法規改正が追い討ちをかけた。
病蔽仕切った庶民経済は公明党の牛耳る建設主導の公共事業カットの無策経済の人災である。
小泉竹中の売国政治と社会システムが生み出した庶民階級の不況である。

帰省の家族の肖像の中に田舎の悲哀を読み取れることが出来るのか。
ワーキングプアーまではいたら根戸田舎に新たなる映像を読み取ることができよう。

仏教宗教の宗派はお寺参りできずくぐらい。
成りめぐらされた寺々は京都奈良などの総本山にS通ずる。
総本山から破門された公明党=創価学会集団はいまや池田大作教と成りつつある。
断末魔のあせりが政治的主導をほしきために権力に擦り寄った集団と化している。

浄土真宗の教議は「教行信証」にある。
坂東本は現存する親鸞直筆の全6巻からなる。
「坂東報恩寺」所管であっ時期から専門家好事家にこう呼ばれてる。

90も生きた親鸞の人生は躁の前半と鬱の後半生があると五木寛行の分析がある。
霜曲の東本願寺
木や象牙で紙にくぼみをつける
角筆なるもののでの書き足しが700箇所発見された。

伝統と歴史をもつ文字さえ用いての生きかたの教えの文化の国には
畏敬の念もって接すべきのはずだが抑圧、厚顔のユダヤ支配のアメリカ民族、

ただ、創り出されたものは100年でもなにか古来からの重ささえ感じるジャズ。
イパネマの娘などを耳に聞きなれてきたが生命は不滅ではない。
オスカーピータソン82歳が逝った。

53年自由への参加で楽しいジャズに新風を吹き込んだ。
日本初公演時に亀吉敏子は見込まれてニュヨークを舞台にジャズ界に飛び込む。

04年日本公演は93年脳梗塞後でもあり、片手でのピアノ弾き。
同じステージで上原ひろみも競演した

最高の芸能賞グラミ受賞は実に7回。
チャーリーパーカー、ルイアームストロング、フィイツジエラルド
ベース、レイブラウン
ギターはブエリス
200枚のアルバムを今更総て聞く時間はないほど時は流れている。
片手での演奏。には唸らされ自分の左手への怨念を忘れる。
くっきりと要の利き指の幻影が見えてくる。
最終の治めをして痛飲。どうしようもない自堕落なアルコール漬けのまやの
饗宴は尋常ではない。
12月28日は上着無しでの暖かさが29日に少し冷え30日にしてようやく冬らしくなる。
九州山脈の尾根をなす高千穂米良霧島連山の地域では初雪が積もるらしい。
コートを羽織れる季節到来でホットしてるが酔って自転車を走らせるもマフラー手袋はない。

公園の緑の葉はクスノキの葉のみである。
遅くまで頑張ったイチョウが今までの緑の葉の落ち葉でなくようやく黄色くなり頑張ってた葉を落とした。
緑の葉のままに落下した異常気象を木々が教えている。

この季節はコーヒーが丁度いい。
うっそうと茂るクス並木通りの県庁前通り。
県庁横の「らくがき」はコーヒーの老舗名店だったが今は無い。
そのまんま知事のびっきょが経営するお土産店に鞍替え。

県庁には今も観光名所で2000人が押しかける。
道路をはさんで隣接する県庁東の物産展会館はいつも。大入り満員。
あぶれた人はびっきょに来る仕掛けである。
このあり方に少しずつ政治家に意見が出だした。
県の決算予算に議会の反発の動きがあった。

びっきょは岡山より招きし「ツーレロ」時代のそのまんま知事の相方歌右衛門。
その歌右衛門はトップの座から下り、カムフラージュ。

びっきょは若草通り東アケードが切れたところの斜め前にラーメン店「そのまんまラーメン」を開店している。
このたび全国展開をめざし、広島に新店舗を開設、岡山に続いて新規店を出す。

ところで喫茶店でのコーヒーである。
タリーズコーヒーは宮崎に4店舗。
橘百貨店南4件隣の西村楽器店後、山形屋高千穂通り側、旧壽屋、駅の東を北200Mに展開している。
寿司店の若き事業者が統括し、本店を凌ぐ勢い。
あのレタス巻きの開発者。

宮崎市松山町、宮崎観光ホテルの北側にある寿司屋『一平』
レタス巻き発祥の店。約40年前に作曲家・平尾昌晃の野菜嫌いを直すため先代が考案した。
具は天然エビとレタスのみ。レモン汁であっさり仕上げた自家製マヨネーズが決め手.
祭り宮崎の振興会長でも活躍中。

タリーズはご多分にもれずのチェーン店舗。
そのタリーズ・ジャパンの松田公太社長が退任。
フードエックス・グローブの萩田筑社長が就任した。
会長には社長の出身母体である伊藤園の本庄八郎社長が就任。
今後は伊藤園主導での再建となる。
「お〜〜いお茶の」のあの伊藤園である。

松田は三和銀行から米シアトル系のタリーズの展開権を得て97年日本での一号店を銀座に開設。
急速な店舗展開。人材が組織力に追いつかず不採算店が続出。
08年11月に伊藤園傘下に入る。

一年もたたずに退任したことになる。銀行系列の査定は早い。
店舗展開の主力の社員の身分の「フエロー」や占領軍たる伊藤園への反発は根強いだろう。
よって人材のモチベーションは下がろう。
抹茶を使ったメニューを強化した形での出展が図られる予測が見えてくる。
スターバックスやドトール日本マクドナルド=マックカフェの新規参入。
合は激化しよう。

宮崎はなんにつけ遅い。
ネット社会の対応もこたぶんにもれず、対応が遅く難儀している。
電源の要るノートパソなんかは飲食店の掃除用コンセント目当てに陣取るが
コンセントに着脱のふたがしてあり、シールで使わないように注意書きがしてある。
戦後直ぐではあるまいに盗電扱い。
JR宮崎駅などは窃盗で即警察沙汰との貼り紙である。
文字づら、筆致もかな釘の曲がった字で公共施設にしては品位も知性かけらもない。

街中ではコヒーのタリーズのみ宮崎での建物内の無線ランが完備しており実に有難い。
時間の合間にノートパソを広げている。
コヒーのお供にはチョコレートとおかまいなしのテーブル情況。
チョコレートに思いをはせている。

チョコレート職人の世界大会で優勝したのは
水野直樹。
フランスで修行を積みし頃喫茶店には日に何回ともなく通いエスプレッソを飲んだという。
銘菓は鎌倉の鳩サブレを躊躇なく揚げる。
ココナッツからみのクッキーは覚えがあるはずだ。
もっとも創造してる菓子が違ってるやも知れない。

京都の福知山の実家はお菓子屋さん。
かえるの子はカエル。
こちらは殿様カエルになった訳で突然変異のジャンル訳。

ワールドチョコレートマスターズ2007を制したのである。
にほんじんはもとよりアジア域でも初めてとの快挙。

自国の神話と伝説をお菓子にしたんだそうである。
昭和15年時代の神話の国宮崎である。
ハスの花をあしらっての作品で挑み頂点にたったのも神がかり。

そんじゅうそこいらの気分でチョコレートが食べられなくなってしまった。
「水野」三ツ星お菓子屋さんはどこ??西都にもお菓子や水野はあったが・・・
混乱を呼ぶので明かそう。店は持ちたい夢があるがない。
東京の調理専門学校の講師でお店はない。

ここまでヒッパイといてそれはないでしょう。
 サギじゃぁ訴えてやる!

偽装で明け偽装でしまる大晦日。

いつものダラダラ長きブログにお付き合いいただき
      ありがとうございました。

皆様。どうぞよいお年をお迎えください。

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