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この国はマスコミの性格と国民性からして一過性ゆえ過度にブレルことが総ての現象で生じる
島国と言う地勢学上の進化の過程から来た思考形態なんであろうか。
日本人の気質は熱しやすく冷めやすいと形容される。
またソレを江戸っ子気質とか一心太助、森の石松を英雄化し美化する
論理に弱く喧嘩っ早いのを男気とし、日本男児とする嫌いがある。
ひたすら耐え説きおこすのを宮崎では「オナゴのけくされ」とさげすむ。
プライバシー法を陰に隠れ世相がより陰湿になる。
いじめ自殺の構図は現代社会が生み出したもので法がソレを助長する。
 ソニーのCFO(最高財務責任者)が品薄状態のプレイステーション3(PS3)についてポロッと口にした。
「クーポン券を販売するなど、いろいろと考えられる」との発言
それがネット上で独り歩き。
「先払いってことは、それほどソニーは金に困ってるんだ」などと噂が飛び交い、もう大騒ぎだ。 
中村獅童(34)と竹内結子(26)の夫婦についての離婚騒動も1日いらい大騒動も同根。
スポーツ紙のトップ記事が踊っている。
西武松坂、巨人桑田メジャーへとか大リーガー松井稼の巨人等は商品価値がないようで一面扱いでない。
新商品企画と違い見出しはセンセーショナルほどインパクトがあり、売り上げが違ってこよう。
キャッチコピーの手腕にかかってくる。
キャッチ・コピーの雄は糸井重里。
苦節を経て日刊糸井新聞なるブログでご健在を知ることができる。
http://www.1101.com/home.html
涼秋を誘うローカル線ブームもあり乗車キップ・入場券がお守りにもなったことがある。
北海道幸福町。
「愛の国から幸福行き」というコピーで有名になった
今では廃線となった広尾線沿線にある町
もともとは幸震(サツナイ)と呼ばれていたのだそうな。
その理由は、「幸震」の幸と、「福井」の"福"からとったものだと言う。
明治期福井県の大野郡はしばしば大きな水害に見舞われ、
村の人がそっくり北海道に移住したため、福井県出身の人が多かったのが「幸震」。
それが昭和38年に「幸福」と命名し直しゆえに幸福町となった。
宮崎の旧国鉄妻線。
西都市と言うが中心地は妻町で駅名は妻駅
地名からだんなさん募集の花嫁候補から入場券が全国に飛ぶように売れた。
妻に入るということらしい。
日本人は漢字をなぜ使いつづけるのか
字の持つ意味をすぐに伝える力があるための日本の秘密たる文化である。
王の一字で宮崎秋季キャンプ中のソフトバンクの監督の総てを浮かべるイメージからの速さ。
取得するには時間がかかるが伝える情報量のすごさは英文文字をはるかに超えよう。
漢字の字数は五万字と言われている。
清に時代に(1716年)編集された『康熙字典(こうき)』五万近い漢字
その後、日本と中国で作られた代表的な巨大漢字辞典にも、だいたい五万くらい。
1986年日本最大の『大漢和辞典』大修館の修訂版そのときに「これが五万字」というポスターが作らた
1994年に中国で『中華字海(じかい)』八万五千字以上の漢字が1800ページに収められた。
ほんの少しずつ形の違う異体字「呪う」は「咒」を考慮すると漢字の総数は20万
 、漢字の数が増えた分はほとんどは異体字。
実際にちがった意味をもった漢字の数は、おそらく1万5000
熟語を入れると「大漢和辞典」で、53万
義務教育修了時までの「常用漢字」1945字として決められている
小学校で習う漢字は1006字
このままでは、諸外国に遅れると深刻に思ったことがあった。
香港を舞台にした「慕情」を観たときのカルチャー・ショックである。
シンガポールに妻がいる・英国新聞記者マーク・ウィリアム・ホールデン(1918年4月17日 - 1981年11月12日) -
がABCの26文字で記事を書いてく場面であった。
日本にはまだ、パソコンもなくタイプの和文・英文がオフィースの主流
相当な時間の差で英語圏と漢字圏の差が出ていたものだ。
中国の内戦で大陸から香港に逃れて来た英国と中国の混血で独身の女医スーイン・ジェニファー・ジョーンズの実家は重慶、
勤務する病院裏手の美しい丘に大きな樹が生えていて、木陰は恋愛中の二人記憶の場所
マークが朝鮮に旅立つ日、二人が別れを惜しんだのも、マークの悲報を知ったスーインが一人たたずむラストシーンも、この美しい丘が舞台
息をはずませて駆け上ってくるシーイン、
そして、大樹の陰から現れて彼女の手を取るマーク。澄んだ空気と青空に包まれた緑の丘
絶好のロケ地はおそらくヴィクトリア・ピーク
香港に立ち寄った時に調べたら今の現地は駐車場であった。
1955年公開の原題は
Love Is a Many-Splendored Thing
「恋は素晴らしきもの」とでも訳せようや。
「慕情」とした日本人のピッタリフィットする感覚。
漢字文化圏しかわかりえないであろう。
映画の時代背景は1949年。、
世界史の履修を証明する立場から言うとこうだ
清朝崩壊後の中国を支配していた蒋介石の国民党を南へ押しやり、10月には中華人民共和国が成立した年。
スクリーンでも、香港から一歩外に出たときの共産党支配に気遣う中国人の緊張感が漂ってた。
英国支配下の150年東洋の真珠と呼ばれた南海の小島香港
朝鮮戦争に従軍して帰らぬ人となる時事問題を提起
1991年に倒産したパンアメリカン航空の懐かしき小物
肩のショルダーバッグの「PAA」のマーク
映画を語るにはなにも漢字礼賛ではない。
漢字の起源は古い。
3000年前の紀元前16世紀。
中国史の殷周清漢の
殷の時代に骨などに描いたゆえの甲骨文字が最初の文字
ソレをゆがみ、ふくらみ、いくらの見落としもなく
トレースでたどり、写し取り研究した。
解き明かした白川静が逝去した96歳、福井市の人
苦学して立命館大の夜間部に通い、在学中に文部省の教員検定試験に合格して、立命館中学の教諭をしながら43年に万葉集詩経は暗記
法文学部漢文学科を33歳で卒業。立命館大予科教授、54年から教授、81年名誉教授
論語の芸に遊ぶを至境とし信条とした。
万葉集詩経は暗記
神、鬼などの非合理を見定め踏まえ漢字の起源を見据えた。
中国最古の字書「説文解字」や甲骨文、金文の研究に没頭。
「説文解字」では「告」の字はものを言えない「牛」が何かを訴えるときに「口」をすり寄せるとある。
上部は木の枝で、下は祝詞を入れる箱、それをささげて神に告げるから「告」だという白川静。
なぜなら「説文解字」よりはるか昔の文字成立当時の甲骨文や金文を調べると、人の口を示す「口」という文字はまだなかったのだ
甲骨文や金文研究を通し、その文字が生み出された古代人の呪術的な精神世界を見据え、文字の霊にまで迫ったのが「白川学」
84年、漢字の成り立ちを明らかにした「字統」
87年に日本人が漢字をどう読んだかを集大成した「字訓」
96年には独自の漢和辞典「字通」を出版、
世評に高い字書三部作は73歳で着手、13年余りかけ、86歳で完成した。
「命なりけり」の感慨という
また、中高生向けに常用漢字を解説した
03年に「常用字解」、
06年に「人名字解」人名漢字の解説書
文字の学問をやる人には
「僕の一般書でヒントを得るだけでなく、僕の歩いた道から出発してほしい」
と、基礎資料を残すため最晩年まで奮闘した。
「やりたい仕事を片づけるには、あと20年かかる」と語ったのは90歳のときである
 漢字の使用制限など、戦後の国語政策を批判。
漢字がこれほどひどい仕打ちを受けたことはなく、その結果、国語軽視の風潮が生じたと喝破。
 漢字の習得が難しいというが、
「文化というのは、努力し、困難に打ち勝ってこそ、生まれてくる」と。
「ほんと、漢字は難しくないのよ。体系的なものですから、それが分かれば、何の苦労もいらない」とも。
 漢字の成り立ちをもとに東洋の精神を古代に求め、文字文化に生涯をささげた碩学とはこの人のためにある言葉。
毎日紙の評
哲学者、梅原猛さんの話 
一つ一つの漢字に対する深い愛情と思弁で、字面からは分からない奥に隠れている精神的な世界にまで踏み込み、なぜ漢字が生まれたかを教えてくれた。
儒教が生まれて以降の合理的な中国のはるか前の、神秘的な中国を、漢字を科学的に実証的に研究することで明らかにした、
まったくスケールの違う学者だった。
人柄は、曲がったことが大嫌いで、質素で、一昨年亡くなったツル夫人が大好きで、孤立無援でも悠然としており、恩義を人一倍感じる人。。
「桂東に十年篭もりゐて三部作の字書は成りたり
             君よ先(ま)づ見よ」
「意識絶えて今はの言(こと)は聞かざりし
   また逢はむ日に懇(ねんご)ろに言へ」。
高橋和巳「わが解体」(河出文庫)に、「立命館大学S教授」に触れたくだりがある。
大学の建物が封鎖されたのちも、S教授の研究室は深夜を過ぎても煌々灯がともっていた
騒乱のなかで黙々と研究をつづけるS教授
学生との団交の席にその人が姿を見せると、一瞬にして場の空気が変わる
「無言の、しかし確かに存在する学問の威厳を学生が感じてしまうからだ」と高橋はS教授=白川静を小説で讃辞した。
5年前の「中原中也賞」は米国人アーサー・ビナード
日本語で詩を書く
卒論研究で漢字と出会い、90年に来日し
 「田んぼに雨が降ったら雷も落ちる」。学び始めたころは、こんな一文を頭の中で繰り返し、「雷」という字を覚えたという。
国語学を修めた子の消息を6年ぶり得た。
落涙止まらぬ中の一夜漬けで書きとめた。
青年秀成先生!
無学の徒のこの努力をどうお思いか。
岩をも貫く信念ただ一念あれば、目標はクリアーできよう。
とりあげた白川静は代用教員をしながら、大学を卒業し、漢字学の世界的権威者となった。
生き様、覇気を伝え、白川静の一日一分を無駄にせず、功績を上げた。
せきやんもこの6年就寝時間は3時間!
何らかの参考にはならぬのか。
命名の著書・白雲幽石に触れ、大志を抱かれんことを節に願う。
お詫びの気持ちを込めてこれをおくらん。

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