今日の誕生日の花は・・・・ギボウシ
花言葉は・・・・・・・静かな人、沈静
ふところに 四万六千日の風
選挙が盛り上がらないという。
不在者投票も昨年の半分の執行という。
天に向って唾する類
笑わす出ない。
メディアが一斉の同一行動をとってるは記者クラズ制度の利権制度にある。
一斉の同一行動が利権の温床であり民主主義制度を危うくする。
日本には全国を網羅する大手のメディアが一つもない。
組織としてあるが報道しないゆえ
ないのと同じといっている。
米韓軍事行動に8日中国が反対表明した。
地形的に中国領土公海デモあるゆえ困難になろう。
それは「北」威圧の国際協力が進まないことである。
日本国外務・防衛関係章は自体の正確なる把握が必要である。
なにも「北」支援を爺目が主張しているわけではない。
事態を正確に把握しろといっている。
とんでもないことである。
報道隠蔽である。
重家俊範駐韓大使は広島市のヒト
69年一橋から外務省。
同期入省には
谷内正太郎(元外務事務次官)
田中均(元外務審議官)
藤崎一郎(駐米大使)
飯村豊(元駐フランス大使)
宮本雄二(駐中国大使)
天木直人(元駐レバノン大使等)がいる。
温和で紳士的な人柄と評される
7日韓国ソウルで開かれた重家俊範駐韓大使の講演会
、韓国人の男が石を投げつける事件が起きた。
重家大使は身をかわして何もなかったが、通訳をしていた女性が怪我をしたという。
、大使に石を投げるとは、日本に対して石を投げたことと同じである。
大使は国家を代表して任地に赴任している
当然霞ヶ関の誇りらしい国家中の国家の官吏タル認証官
、外務省は厳重に抗議をし、日本国の姿勢を示さなくてはならない。
どうもニュースで見聞きしてないのは爺目だけであろうか。
後追い確認の新聞にさえ記事が伏せられている
日本外務省の態度を見守って行きたい。
それだけではない。
何故か
外務省には宗主国から脅迫状が請求書つきで寄せられている。
「グアム移転費用を増額しろ」日刊ゲンダイ07/06 記事
そら見たことか。
米国が“タカリ”の本性ムキ出しだ。
日本は在日米軍に年間約4700億円の経費を払っている。
「日米両政府は06年、沖縄駐留の海兵隊とその家族約1万7000人のグアム移転で合意し
、総額102.7億ドル(約9000億円)の移転費用のうち、
日本側は計60.9億ドル(約5338億円)を負担することになりました。
米側は今回『電力や上下水道などのインフラ整備費が当初予想を上回る』
と増額要求を突きつけてきた
、冗談ではない。
そもそも住宅が1戸7000万円もするなど、当初計画がおかしいのです。
安易に増額を受け入れれば、ますますツケ上がりますよ」(外交ジャーナリスト)
もっとも今回の事態は安全保障のプロなら予想可能だったという。
、元防衛大学校教授の孫崎享氏。
「米国は今年1月の一般教書演説で国防費について現状維持を打ち出し、
ゲーツ国防長官も、防衛予算のうち、戦闘以外の予算を2~3割削減すると発言しています。
移転予算も例外ではなく、減らされる分は日本に負担を求めるか、あるいは移転計画そのものを見直すしかないのです」
今回の増額要求について、外務省内部では
「鳩山政権で日米同盟がぎくしゃくしたツケ」
なんて声も出ているらしいが、とんでもない。
自分たちの怠慢を棚に上げてよく言えるものだ。
「外務省の歴代次官や駐米大使は、米側の要求がエスカレートするのは容易に予想できたはず。
本来は日本側の負担がこれ以上増えないよう、外務省は努力すべきだったのに、知らぬふりをし続けたのです」(外交ジャーナリスト)
請求書が回ってきて慌てて騒いでいるような外務省なら、サッサと解体した方がいい。
米、グアム移転費の増額要求 ゲーツ国防長官が書簡
http://www.47news.jp/CN/201007/CN2010070301000605.html
岡田外相、グアム移転で米側と「タフな交渉をする」と約束07/06
岡田外相は、「(この件の)コメントはしない」としたことについて、
フリージャーナリストの岩上安身氏が
「(仮に増額を日本政府が飲んだ場合、)国民の血税が使われる以上、
もう少し(国民に)知らされてもいいのではないか」
との質問に対し、
「実際にそのような段階になれば、お知らせする」
と述べ、日米間のお金の流れについて変化が生じた場合は国民に報告することを約束しました。
自民党政権の思いやり予算との違いを明白にするねらいがあるとみられます。
やはりこの国はアメリカの植民地ようです。
岡田外相、北沢防衛相の手腕が問われる問題ですが、外務官僚が予想していなかったとは、とても思えません
その宗主国である。
ニューヨークの夏を彩るリンカーン・センター・フェスティバル
その皮切り公演として、7月7日に幕を開けた
7日ニューヨークに井上ひさしが蘇った。
井上ひさしが書き遺した作品「Musashi NY Version」、
蜷川幸雄の自由自在の演出
全編、日本語で演じられるこの井上=蜷川演劇をニューヨークで観た人がアル。
舞台評が早速ブログにある。
鬱蒼と自生する竹林の群がそれぞれ静かに地を平行移動する幻想的なシーンから
この劇は始まる。
まるで鎌倉の井上さんのお宅にあるあの竹林と対話して生まれたようなシーンだ。
何かに憑依したような白石加代子の圧倒的な存在感は見ていて嬉しくなるほどだった。
藤原竜也もますます人を魅了する役者になった。
役者が自在に動いている。
そして、五人六脚、タンゴの舞いの哄笑のセンスの弾け方に感服した。
かの有名な巌流島の決戦では宮本武蔵が佐々木小次郎を倒したのだが、
とどめを刺さなかったことから、このストーリーは展開する。
後年、復讐を誓った小次郎は、ついに武蔵のもとにたどりつくのだが・・・
いかに田舎モンと言えど
小説映画の顛末を語るほど爺目は野暮ではない。
この公演にはぜひ参加すると生前に航空券さえ予約していたらしい。
死しても霊はあるはずだ何処かにいたのではないのか。
舞台には強烈なメッセージがある。
憎悪の連鎖を断ち切ること。
人を殺すな。
人を死なせるな。
残念なことに、このNYでは、いまだに憎悪の連鎖が力をふるっている。
「テロとの戦い」
「正義のための戦争」
「独裁者に対する制裁」
だのが国を動かしている。
その起点のひとつは2001年の同時多発テロ事件である。
憎しみの連鎖はその後、この国によるアフガニスタン戦争、イラク戦争を生み、
この2つの戦争はいまだに継続している。
その憎悪の連鎖の起点のひとつ=ニューヨーク
、「非戦の意志」を伝えることがいかに重要な意味をもっているか。
井上さんはそのことをもっとも深く考えていたのだ。
だがそれは叶わなかった。
この現実世界のなかで、死者からの「死んではならぬ」という訴えが
生者を突き動かすことができるのかどうか。
それは僕らの歴史認識にかかわるとても大切なことがらだ。
舞台の上で、武蔵と小次郎を包囲する白装束の死者たちのなかに、
誰もが井上さんが加わっているのを幻視する思いにとらわれているのではなかろうか。。
言霊がチョットの間蘇りうつつみを観客にもたらせたすざましさ。
ザ・コープの放映抗議行動取材とその日の新宿夜の討論会を企画したのは
雑誌「創」篠田博之編集長。
その人が北海道新聞7月7日に大相撲野球賭博問題に驚きの寄稿している。
大相撲問題は警察のリークとの論考である。
「週刊文春」7月8日号が大嶽親方=元関脇貴闘力の「独占激白」
6ページに及ぶ詳しい記事
「週刊新潮」の報道が今回の騒動に火をつけた
では報道が誰のリークだったかに言及している点がこの記事のポイント。
だれが週刊新潮に情報ネタを寄せたのかということ。
琴光喜が野球賭博で元暴力団に恐喝されたというこの事件
、実は琴光喜でなく自分の事件なのだ、
というのが大嶽親方の告白。
それがどうして琴光喜の事件になってしまったか
、恐喝を受けて進退窮まった時に、警視庁の警察官に相談した大嶽親方。
その時に保身のためにとウソをついたというのだ。
「自分でなく琴光喜の件で」
大嶽親方はこう言っている。
「私が相談した方とは別の警察側の誰かが、
『琴光喜が賭博で脅されている』
と『週刊新潮』にリークしたのでしょう。
記事には琴光喜の名前が大きく出ています。
これはまずい―そう思いました」
事件の捜査が進むにつれて出てくる情報が
どこかで読んだ通りになっていく。、
最初の「週刊新潮」の描いた構図とぴたりと合っている。
同誌の取材力はたいしたものだと思っていた
、何のことはない。
そもそもリークしたのが警察筋だったというわけだ。
手元のそれぞれの週刊誌記事を指摘され読んでいる。
ふ~~~ん
爺目読み解き不足である。
ことは其処にあるのではない。
朝日新聞襲撃事件を報じて誤報を連続してた週刊新潮
あの時のヒトは北海道で白骨化で発見されている。
警察常套手段の見返りの貸し借りで言うと辻褄のあうこと。
北海道警裏金事件を暴き新聞協会賞の勢いが警察の前に萎えた
北海道新聞菊池育夫代表の疑義さえ伺われる
記者でありなが唯一記者クラブ制度の閉鎖体質からの開放を呼びかける
高田昌幸
このヒトこそ道警裏金事件を記事にして北海道新聞中枢を追われたヒト。
北海道警裏金事件を追い続けた主査にある。
道警の執拗な北海道新聞攻撃に菊池育夫代表が屈した。
ところで7月1日のことである。
高田昌幸が東京の閉職から本社に戻ると本人のブログで読み取れる。
其処での
「創」篠田博之編集長の大相撲投稿が
何故北海道新聞なのか。
マスメディアの於かれてる情況の根深さが読み取れよう。
読売主筆渡辺恒雄
朝日主筆船橋洋一
毎日主筆岸井成格
ナベツネ・船橋はCIAの組織員である。
岸田は竹下登創設の後藤謙二幹事の三宝会の所属は読み取れる。
毎日新聞も木戸湊主筆までであった。
前菊池哲郎主筆の頃
、「護憲」に傾いていた毎日新聞の社論を「論憲」に転換したのは、
論説委員を務めていた頃の岸井成格
主筆となり完全に改憲にアル毎日。
まさに霞ヶ関官僚組織を代表する警察権力に膝まづいた
菅直人内閣誕生そのもである。
それがあちこちに蔓延り今回の大相撲界である。
国家の騒乱は政治不安定さ演出に一役買う。
時期的にあまりもの
ピッタシカンカンに爺目は笑ってしまう。
完全に選挙が飛んでいる。
選挙妨害。
東京新聞田原 牧記者は(1962年~)は 田原拓治氏
青春期からせの眼は社会の真髄を射抜いている
この記者の中近東イランなどの「西方」記事は記者仲間でもダントツにある。
大相撲についても7月 8日書いている。
このスキャンダルは大きく二分できる。
ひとつは「維持員席」問題。
もうひとつは野球賭博である
。前者について。
「大相撲のテレビ中継に暴力団員が映ることで、受刑中の親分を励ますため」
まことしやかに流されたこの説はメディアが作り出したもの。。
この話が報じられた際、極道(暴力団員)の維持員席での観戦の狙いについて
、新聞やテレビでは当初、問題となった
具体的に話を進めよう。
昨夏の名古屋場所では、観戦していた極道たちとは山口組弘道会の面々
ここでの「親分」は6代目山口組組長の司忍(本名・篠田健市)服役中のひとのこと。
「極道がテレビを通じて親分を励ます」
とか
「無事を報せる」
なんてことがあるのだろうか。
ありえないと断言する。
この逆はある。
つまり、親分が子分を励ますことはある。
しかし、その逆、つまり子が親を励ますなんていうこと
は
あの世界では礼を失することであって、ご法度。
特に弘道会はそうした筋目についてうるさい倫理観組織。
週刊誌大衆・実話を読めば解ること。
しかも、来春、出所予定の篠田受刑者は服役先の府中刑務所では長らく「昼夜独居」待遇である。
通常、独居房ではラジオが聴けるだけ。
そのことを知らない子分たちではなかったろう。
だから、この狙いは警察の創作と担当記者の鵜呑みだとしか思えない。
そもそも、維持員席というのは協会の経営収入安定のために設けられたシステム。
形式的には後援してくれる個人や企業などに、プロ野球でいえば「年間シート」のような形で買ってもらうのだが
、協会の親方衆が直接、営業に携わるなんてことはない。
携わるのは「お茶屋=相撲案内所」
今回のケースでは昨年、高齢で廃業した名古屋のMというお茶屋さんが差配していた維持員席が問題になった。
その昔、プラチナシートだったあの手の席も、現在は必ずしもそうではないという。
しかも、場所中15日間、通い続けられるという人はそうはいない。
ということで、名義はともあれ、実際の席は日々、お茶屋を通じた売買の対象になっていた
だから、整理券云々という言葉が報じられている。
興業である大相撲と極道の関係は江戸時代に遡る
お茶屋のMが廃業した際にそれまで扱っていた維持員席の「権利」(飲食店の権利と似たような慣例)は
江戸時代から続く浅草が本拠の老舗的屋組織(つまりは暴力団)の「C一家」が預かったという。
ところが全国的にも極道間の媒酌人としては格のある「C一家」とてこのご時世、余っているカネはない。
、
「C一家」も場所中、15日間の席をさばかねばならない。
その一部がお互い「ちょっと頼むわ」といったノリで、
しかも名古屋場所ともなれば、この地域を制圧している同業の弘道会に流れたとしても特別に驚くようなことだろうか。
極道が大相撲観戦なんてとんでもない、という議論はまた別次元のこと。
実態はそうであった。
場所まで3日しかないのに名古屋体育館周りの飲食施設が急遽違法建築物で今回は認めないという混乱にある。
次に野球賭博。
ここでは賭博の違法性とか「善悪」についての議論は省略、
相撲取りやOBがばくちで身を滅ぼしたなんていう話は昔から枚挙にいとまがない。
それは褒められた話ではない
、そういう種族である。
プロレスに進んだ元前頭の故豊登や元小結・孝乃富士(リング上は安田忠夫)
のギャンブル癖はファンの間では伝説化している。
「公営ギャンブルなら問題はない」という話にはならない。
カネ貸しの存在を考えれば分かるだろう。
そこもアジである。
興行なんである。
注目したいのは今回、解雇された大嶽親方(元貴闘力)の相談先が警察官だったこと
「週刊新潮」の一報段階から「警察」の介在は分かってはいたが、その記事全体を覆う「反社会的勢力
(暴力団)の影」というストーリーと、
この問題が明るみに出たこの経緯がまったく逆だったことに当初は首をかしげた。
もっと分かりやすく言おう。
面識のある極道関係者は琴光喜を揺すったという元力士の容疑者を「ヨゴレ」と呼んだ。
この業界ではチンピラ以下の存在という意味
「ヨゴレ」なんである。
。4~5年、暴力団員をしていたという自供報道がある、
どこの組という具体的な話も聞こえない。、
少なくとも周辺からは認知されていない。
「妙な話だ。
ヨゴレなんかに揺すられて
、 親方とか関取が親分衆の誰かに相談しなかったなんて信じられない」
つまり、直接ではなく後援者を介してでも、大手の極道組織の親分連中に多少なりとも面識があるのが、
大相撲の多数派であって、通常、この程度のトラブルはその筋の人々に処理を頼めば、
即時に鎮火する程度の話だった。
実際、一昔前にはしばしば
「○×親方のタニマチは山健系」
とか
「△□親方の所は弘道会系」なんて話をよく耳にした。
彼らのサイドビジネスへの関与を探っても、ちょっとした関係の形跡がみられた。
いずれにせよ、琴光喜という天下の大関相手に、いい格好をしたいその筋の人など山ほどいる
特に今回は抗争の火種にもならないはずだった。
しかし、今回はそうした解決策が採られなかった点がむしろ注目されてよい。
すなわち、反理事長派である
貴乃花に通じる改革派の琴光喜、大嶽、阿武松らは皆、貴乃花応援団
「ばくち大好き人間」であるにせよ極道とは相対的に距離のある人々だったのである。
しかし、皮肉にも今回の騒動でその改革派が極道と通じているという暗黙の理由で刺され、切られた。
「ちょっと騒動になりすぎはしたが、これで昔ながらの協会に戻る。
外部委員会は何もできない。
ほとぼりが冷めるまでの辛抱だ」。
守旧派からはそんな声が漏れ聞こえる。
本質的な協会改革はむしろ遠ざかってしまった。
こうして客観的に振り返ってみると、今回の騒動の異様さが浮き彫りになる。
つまり、2つのスキャンダルとも
、極道が大相撲への介入を強めたとか、対応を変えたという問題ではない。
縁も切れてはいないが、昔ながらの関係である。
変わったのはむしろ、警察や警察を支援する「社会的勢力」の人々といえる。
では、この騒動は偶然なのか、
それとも意図したキャンペーンなのか。
少なくとも、この一連の騒動で「反社会的勢力一掃」という台詞が繰り返され、
「ヤクザに人権なし」の社会的合意がいっそう強化されたことは間違いない。
偶然かどうか、騒動の渦中、「ヤクザに人権なし」の象徴的な事件があった。
警視庁は6月30日、他人名義で都内のマンションを借りていたとして、弘道会幹部の森健次容疑者を詐欺の疑いで逮捕した。
森容疑者の東京での任務は篠田受刑者の獄外からの世話である。
貸していた知人は居酒屋経営者で森容疑者のタニマチだった。
知人の空き部屋を好意から借りていただけ。
世間常識では犯罪とは考えにくい容疑事実
、新左翼の活動家たちにはしばしば適用されてきた手法である。
刑事ではなく、公安手法なのだ。
「ハム(=公安)なんかにシマを荒らされて、刑事部のメンツはどうなっているのか、
マル暴諸君!」と茶化したくなる。
この政治警察の手法を今回は極道にも適用したわけだ。
かつての「赤軍罪」とか「オウム罪」や「総連罪」と同じノリ
つまり、法を装いつつ、法の枠外扱いなのである。
「存在を抹殺する」ためなら何でもありなのだ。
「反社会的勢力ならば、超法規的な手法も構わない」
ーこの短絡的な発想の怖さは、それが必ずそう思っている当人たちにも跳ね返ってくる点にある。
この降ってわいた騒動の本質はどこにあるのか。
、昨年の選挙中の「ノリピー事件」と同じ構図である
押尾学が六本木ヒルズのマンションで女性の死体が出た、という捜査せざるを得ない状況から一転、
酒井法子の事件に擦りかえられた事件は記憶に新しい。
これは押尾事件には政界、財界人がからみ、それを誤魔化すように以前から分かっていた酒井法子を前面に出したという、いわば「目くらまし」に使い、それをメディアジャックした。
ソレは小沢鳩山体制崩壊でも示された。
昨夏の政権交代以降、結局は民主党が全面的に敗北している
「取り調べ可視化」
など権力の暴力装置に対する牽制の動きがあった。
イズレも流法案。
今回の騒動は極道をスケープゴートにした暴力装置側の「逆襲デモンストレーション」なのか。
あるいは「極道解体」という公安警察の新たな食い扶持確保のための示威行為か。
小沢鳩山体制に猛烈に暴力機構の本性の警察国家権力が襲い掛かったとき教えられたこと。
政治家のそれぞれの発言で国家感の程度がわかった。
今回の大相撲問題
福島瑞穂社民党党首程度の政治家は清潔な社会で喜ぶんであろう。
「小沢政治」にもつながるのだろうが
いわゆる「清濁併せ飲む」という大人の知恵
これは極道という「社会的存在」がなぜ消えないかという理由にも絡む
そうした複眼的な政治への反感、
すなわち単純な潔癖主義「非実在青少年」規制にもつながるだろうという小児病的なポピュリズムの世相に
警察も押し流されているのか
ここにも待たれていること。
民族派政治家小沢一郎の
国家建設構想はあちこちから待望されている証左である。
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花言葉は・・・・・・・静かな人、沈静
ふところに 四万六千日の風
選挙が盛り上がらないという。
不在者投票も昨年の半分の執行という。
天に向って唾する類
笑わす出ない。
メディアが一斉の同一行動をとってるは記者クラズ制度の利権制度にある。
一斉の同一行動が利権の温床であり民主主義制度を危うくする。
日本には全国を網羅する大手のメディアが一つもない。
組織としてあるが報道しないゆえ
ないのと同じといっている。
米韓軍事行動に8日中国が反対表明した。
地形的に中国領土公海デモあるゆえ困難になろう。
それは「北」威圧の国際協力が進まないことである。
日本国外務・防衛関係章は自体の正確なる把握が必要である。
なにも「北」支援を爺目が主張しているわけではない。
事態を正確に把握しろといっている。
とんでもないことである。
報道隠蔽である。
重家俊範駐韓大使は広島市のヒト
69年一橋から外務省。
同期入省には
谷内正太郎(元外務事務次官)
田中均(元外務審議官)
藤崎一郎(駐米大使)
飯村豊(元駐フランス大使)
宮本雄二(駐中国大使)
天木直人(元駐レバノン大使等)がいる。
温和で紳士的な人柄と評される
7日韓国ソウルで開かれた重家俊範駐韓大使の講演会
、韓国人の男が石を投げつける事件が起きた。
重家大使は身をかわして何もなかったが、通訳をしていた女性が怪我をしたという。
、大使に石を投げるとは、日本に対して石を投げたことと同じである。
大使は国家を代表して任地に赴任している
当然霞ヶ関の誇りらしい国家中の国家の官吏タル認証官
、外務省は厳重に抗議をし、日本国の姿勢を示さなくてはならない。
どうもニュースで見聞きしてないのは爺目だけであろうか。
後追い確認の新聞にさえ記事が伏せられている
日本外務省の態度を見守って行きたい。
それだけではない。
何故か
外務省には宗主国から脅迫状が請求書つきで寄せられている。
「グアム移転費用を増額しろ」日刊ゲンダイ07/06 記事
そら見たことか。
米国が“タカリ”の本性ムキ出しだ。
日本は在日米軍に年間約4700億円の経費を払っている。
「日米両政府は06年、沖縄駐留の海兵隊とその家族約1万7000人のグアム移転で合意し
、総額102.7億ドル(約9000億円)の移転費用のうち、
日本側は計60.9億ドル(約5338億円)を負担することになりました。
米側は今回『電力や上下水道などのインフラ整備費が当初予想を上回る』
と増額要求を突きつけてきた
、冗談ではない。
そもそも住宅が1戸7000万円もするなど、当初計画がおかしいのです。
安易に増額を受け入れれば、ますますツケ上がりますよ」(外交ジャーナリスト)
もっとも今回の事態は安全保障のプロなら予想可能だったという。
、元防衛大学校教授の孫崎享氏。
「米国は今年1月の一般教書演説で国防費について現状維持を打ち出し、
ゲーツ国防長官も、防衛予算のうち、戦闘以外の予算を2~3割削減すると発言しています。
移転予算も例外ではなく、減らされる分は日本に負担を求めるか、あるいは移転計画そのものを見直すしかないのです」
今回の増額要求について、外務省内部では
「鳩山政権で日米同盟がぎくしゃくしたツケ」
なんて声も出ているらしいが、とんでもない。
自分たちの怠慢を棚に上げてよく言えるものだ。
「外務省の歴代次官や駐米大使は、米側の要求がエスカレートするのは容易に予想できたはず。
本来は日本側の負担がこれ以上増えないよう、外務省は努力すべきだったのに、知らぬふりをし続けたのです」(外交ジャーナリスト)
請求書が回ってきて慌てて騒いでいるような外務省なら、サッサと解体した方がいい。
米、グアム移転費の増額要求 ゲーツ国防長官が書簡
http://www.47news.jp/CN/201007/CN2010070301000605.html
岡田外相、グアム移転で米側と「タフな交渉をする」と約束07/06
岡田外相は、「(この件の)コメントはしない」としたことについて、
フリージャーナリストの岩上安身氏が
「(仮に増額を日本政府が飲んだ場合、)国民の血税が使われる以上、
もう少し(国民に)知らされてもいいのではないか」
との質問に対し、
「実際にそのような段階になれば、お知らせする」
と述べ、日米間のお金の流れについて変化が生じた場合は国民に報告することを約束しました。
自民党政権の思いやり予算との違いを明白にするねらいがあるとみられます。
やはりこの国はアメリカの植民地ようです。
岡田外相、北沢防衛相の手腕が問われる問題ですが、外務官僚が予想していなかったとは、とても思えません
その宗主国である。
ニューヨークの夏を彩るリンカーン・センター・フェスティバル
その皮切り公演として、7月7日に幕を開けた
7日ニューヨークに井上ひさしが蘇った。
井上ひさしが書き遺した作品「Musashi NY Version」、
蜷川幸雄の自由自在の演出
全編、日本語で演じられるこの井上=蜷川演劇をニューヨークで観た人がアル。
舞台評が早速ブログにある。
鬱蒼と自生する竹林の群がそれぞれ静かに地を平行移動する幻想的なシーンから
この劇は始まる。
まるで鎌倉の井上さんのお宅にあるあの竹林と対話して生まれたようなシーンだ。
何かに憑依したような白石加代子の圧倒的な存在感は見ていて嬉しくなるほどだった。
藤原竜也もますます人を魅了する役者になった。
役者が自在に動いている。
そして、五人六脚、タンゴの舞いの哄笑のセンスの弾け方に感服した。
かの有名な巌流島の決戦では宮本武蔵が佐々木小次郎を倒したのだが、
とどめを刺さなかったことから、このストーリーは展開する。
後年、復讐を誓った小次郎は、ついに武蔵のもとにたどりつくのだが・・・
いかに田舎モンと言えど
小説映画の顛末を語るほど爺目は野暮ではない。
この公演にはぜひ参加すると生前に航空券さえ予約していたらしい。
死しても霊はあるはずだ何処かにいたのではないのか。
舞台には強烈なメッセージがある。
憎悪の連鎖を断ち切ること。
人を殺すな。
人を死なせるな。
残念なことに、このNYでは、いまだに憎悪の連鎖が力をふるっている。
「テロとの戦い」
「正義のための戦争」
「独裁者に対する制裁」
だのが国を動かしている。
その起点のひとつは2001年の同時多発テロ事件である。
憎しみの連鎖はその後、この国によるアフガニスタン戦争、イラク戦争を生み、
この2つの戦争はいまだに継続している。
その憎悪の連鎖の起点のひとつ=ニューヨーク
、「非戦の意志」を伝えることがいかに重要な意味をもっているか。
井上さんはそのことをもっとも深く考えていたのだ。
だがそれは叶わなかった。
この現実世界のなかで、死者からの「死んではならぬ」という訴えが
生者を突き動かすことができるのかどうか。
それは僕らの歴史認識にかかわるとても大切なことがらだ。
舞台の上で、武蔵と小次郎を包囲する白装束の死者たちのなかに、
誰もが井上さんが加わっているのを幻視する思いにとらわれているのではなかろうか。。
言霊がチョットの間蘇りうつつみを観客にもたらせたすざましさ。
ザ・コープの放映抗議行動取材とその日の新宿夜の討論会を企画したのは
雑誌「創」篠田博之編集長。
その人が北海道新聞7月7日に大相撲野球賭博問題に驚きの寄稿している。
大相撲問題は警察のリークとの論考である。
「週刊文春」7月8日号が大嶽親方=元関脇貴闘力の「独占激白」
6ページに及ぶ詳しい記事
「週刊新潮」の報道が今回の騒動に火をつけた
では報道が誰のリークだったかに言及している点がこの記事のポイント。
だれが週刊新潮に情報ネタを寄せたのかということ。
琴光喜が野球賭博で元暴力団に恐喝されたというこの事件
、実は琴光喜でなく自分の事件なのだ、
というのが大嶽親方の告白。
それがどうして琴光喜の事件になってしまったか
、恐喝を受けて進退窮まった時に、警視庁の警察官に相談した大嶽親方。
その時に保身のためにとウソをついたというのだ。
「自分でなく琴光喜の件で」
大嶽親方はこう言っている。
「私が相談した方とは別の警察側の誰かが、
『琴光喜が賭博で脅されている』
と『週刊新潮』にリークしたのでしょう。
記事には琴光喜の名前が大きく出ています。
これはまずい―そう思いました」
事件の捜査が進むにつれて出てくる情報が
どこかで読んだ通りになっていく。、
最初の「週刊新潮」の描いた構図とぴたりと合っている。
同誌の取材力はたいしたものだと思っていた
、何のことはない。
そもそもリークしたのが警察筋だったというわけだ。
手元のそれぞれの週刊誌記事を指摘され読んでいる。
ふ~~~ん
爺目読み解き不足である。
ことは其処にあるのではない。
朝日新聞襲撃事件を報じて誤報を連続してた週刊新潮
あの時のヒトは北海道で白骨化で発見されている。
警察常套手段の見返りの貸し借りで言うと辻褄のあうこと。
北海道警裏金事件を暴き新聞協会賞の勢いが警察の前に萎えた
北海道新聞菊池育夫代表の疑義さえ伺われる
記者でありなが唯一記者クラブ制度の閉鎖体質からの開放を呼びかける
高田昌幸
このヒトこそ道警裏金事件を記事にして北海道新聞中枢を追われたヒト。
北海道警裏金事件を追い続けた主査にある。
道警の執拗な北海道新聞攻撃に菊池育夫代表が屈した。
ところで7月1日のことである。
高田昌幸が東京の閉職から本社に戻ると本人のブログで読み取れる。
其処での
「創」篠田博之編集長の大相撲投稿が
何故北海道新聞なのか。
マスメディアの於かれてる情況の根深さが読み取れよう。
読売主筆渡辺恒雄
朝日主筆船橋洋一
毎日主筆岸井成格
ナベツネ・船橋はCIAの組織員である。
岸田は竹下登創設の後藤謙二幹事の三宝会の所属は読み取れる。
毎日新聞も木戸湊主筆までであった。
前菊池哲郎主筆の頃
、「護憲」に傾いていた毎日新聞の社論を「論憲」に転換したのは、
論説委員を務めていた頃の岸井成格
主筆となり完全に改憲にアル毎日。
まさに霞ヶ関官僚組織を代表する警察権力に膝まづいた
菅直人内閣誕生そのもである。
それがあちこちに蔓延り今回の大相撲界である。
国家の騒乱は政治不安定さ演出に一役買う。
時期的にあまりもの
ピッタシカンカンに爺目は笑ってしまう。
完全に選挙が飛んでいる。
選挙妨害。
東京新聞田原 牧記者は(1962年~)は 田原拓治氏
青春期からせの眼は社会の真髄を射抜いている
この記者の中近東イランなどの「西方」記事は記者仲間でもダントツにある。
大相撲についても7月 8日書いている。
このスキャンダルは大きく二分できる。
ひとつは「維持員席」問題。
もうひとつは野球賭博である
。前者について。
「大相撲のテレビ中継に暴力団員が映ることで、受刑中の親分を励ますため」
まことしやかに流されたこの説はメディアが作り出したもの。。
この話が報じられた際、極道(暴力団員)の維持員席での観戦の狙いについて
、新聞やテレビでは当初、問題となった
具体的に話を進めよう。
昨夏の名古屋場所では、観戦していた極道たちとは山口組弘道会の面々
ここでの「親分」は6代目山口組組長の司忍(本名・篠田健市)服役中のひとのこと。
「極道がテレビを通じて親分を励ます」
とか
「無事を報せる」
なんてことがあるのだろうか。
ありえないと断言する。
この逆はある。
つまり、親分が子分を励ますことはある。
しかし、その逆、つまり子が親を励ますなんていうこと
は
あの世界では礼を失することであって、ご法度。
特に弘道会はそうした筋目についてうるさい倫理観組織。
週刊誌大衆・実話を読めば解ること。
しかも、来春、出所予定の篠田受刑者は服役先の府中刑務所では長らく「昼夜独居」待遇である。
通常、独居房ではラジオが聴けるだけ。
そのことを知らない子分たちではなかったろう。
だから、この狙いは警察の創作と担当記者の鵜呑みだとしか思えない。
そもそも、維持員席というのは協会の経営収入安定のために設けられたシステム。
形式的には後援してくれる個人や企業などに、プロ野球でいえば「年間シート」のような形で買ってもらうのだが
、協会の親方衆が直接、営業に携わるなんてことはない。
携わるのは「お茶屋=相撲案内所」
今回のケースでは昨年、高齢で廃業した名古屋のMというお茶屋さんが差配していた維持員席が問題になった。
その昔、プラチナシートだったあの手の席も、現在は必ずしもそうではないという。
しかも、場所中15日間、通い続けられるという人はそうはいない。
ということで、名義はともあれ、実際の席は日々、お茶屋を通じた売買の対象になっていた
だから、整理券云々という言葉が報じられている。
興業である大相撲と極道の関係は江戸時代に遡る
お茶屋のMが廃業した際にそれまで扱っていた維持員席の「権利」(飲食店の権利と似たような慣例)は
江戸時代から続く浅草が本拠の老舗的屋組織(つまりは暴力団)の「C一家」が預かったという。
ところが全国的にも極道間の媒酌人としては格のある「C一家」とてこのご時世、余っているカネはない。
、
「C一家」も場所中、15日間の席をさばかねばならない。
その一部がお互い「ちょっと頼むわ」といったノリで、
しかも名古屋場所ともなれば、この地域を制圧している同業の弘道会に流れたとしても特別に驚くようなことだろうか。
極道が大相撲観戦なんてとんでもない、という議論はまた別次元のこと。
実態はそうであった。
場所まで3日しかないのに名古屋体育館周りの飲食施設が急遽違法建築物で今回は認めないという混乱にある。
次に野球賭博。
ここでは賭博の違法性とか「善悪」についての議論は省略、
相撲取りやOBがばくちで身を滅ぼしたなんていう話は昔から枚挙にいとまがない。
それは褒められた話ではない
、そういう種族である。
プロレスに進んだ元前頭の故豊登や元小結・孝乃富士(リング上は安田忠夫)
のギャンブル癖はファンの間では伝説化している。
「公営ギャンブルなら問題はない」という話にはならない。
カネ貸しの存在を考えれば分かるだろう。
そこもアジである。
興行なんである。
注目したいのは今回、解雇された大嶽親方(元貴闘力)の相談先が警察官だったこと
「週刊新潮」の一報段階から「警察」の介在は分かってはいたが、その記事全体を覆う「反社会的勢力
(暴力団)の影」というストーリーと、
この問題が明るみに出たこの経緯がまったく逆だったことに当初は首をかしげた。
もっと分かりやすく言おう。
面識のある極道関係者は琴光喜を揺すったという元力士の容疑者を「ヨゴレ」と呼んだ。
この業界ではチンピラ以下の存在という意味
「ヨゴレ」なんである。
。4~5年、暴力団員をしていたという自供報道がある、
どこの組という具体的な話も聞こえない。、
少なくとも周辺からは認知されていない。
「妙な話だ。
ヨゴレなんかに揺すられて
、 親方とか関取が親分衆の誰かに相談しなかったなんて信じられない」
つまり、直接ではなく後援者を介してでも、大手の極道組織の親分連中に多少なりとも面識があるのが、
大相撲の多数派であって、通常、この程度のトラブルはその筋の人々に処理を頼めば、
即時に鎮火する程度の話だった。
実際、一昔前にはしばしば
「○×親方のタニマチは山健系」
とか
「△□親方の所は弘道会系」なんて話をよく耳にした。
彼らのサイドビジネスへの関与を探っても、ちょっとした関係の形跡がみられた。
いずれにせよ、琴光喜という天下の大関相手に、いい格好をしたいその筋の人など山ほどいる
特に今回は抗争の火種にもならないはずだった。
しかし、今回はそうした解決策が採られなかった点がむしろ注目されてよい。
すなわち、反理事長派である
貴乃花に通じる改革派の琴光喜、大嶽、阿武松らは皆、貴乃花応援団
「ばくち大好き人間」であるにせよ極道とは相対的に距離のある人々だったのである。
しかし、皮肉にも今回の騒動でその改革派が極道と通じているという暗黙の理由で刺され、切られた。
「ちょっと騒動になりすぎはしたが、これで昔ながらの協会に戻る。
外部委員会は何もできない。
ほとぼりが冷めるまでの辛抱だ」。
守旧派からはそんな声が漏れ聞こえる。
本質的な協会改革はむしろ遠ざかってしまった。
こうして客観的に振り返ってみると、今回の騒動の異様さが浮き彫りになる。
つまり、2つのスキャンダルとも
、極道が大相撲への介入を強めたとか、対応を変えたという問題ではない。
縁も切れてはいないが、昔ながらの関係である。
変わったのはむしろ、警察や警察を支援する「社会的勢力」の人々といえる。
では、この騒動は偶然なのか、
それとも意図したキャンペーンなのか。
少なくとも、この一連の騒動で「反社会的勢力一掃」という台詞が繰り返され、
「ヤクザに人権なし」の社会的合意がいっそう強化されたことは間違いない。
偶然かどうか、騒動の渦中、「ヤクザに人権なし」の象徴的な事件があった。
警視庁は6月30日、他人名義で都内のマンションを借りていたとして、弘道会幹部の森健次容疑者を詐欺の疑いで逮捕した。
森容疑者の東京での任務は篠田受刑者の獄外からの世話である。
貸していた知人は居酒屋経営者で森容疑者のタニマチだった。
知人の空き部屋を好意から借りていただけ。
世間常識では犯罪とは考えにくい容疑事実
、新左翼の活動家たちにはしばしば適用されてきた手法である。
刑事ではなく、公安手法なのだ。
「ハム(=公安)なんかにシマを荒らされて、刑事部のメンツはどうなっているのか、
マル暴諸君!」と茶化したくなる。
この政治警察の手法を今回は極道にも適用したわけだ。
かつての「赤軍罪」とか「オウム罪」や「総連罪」と同じノリ
つまり、法を装いつつ、法の枠外扱いなのである。
「存在を抹殺する」ためなら何でもありなのだ。
「反社会的勢力ならば、超法規的な手法も構わない」
ーこの短絡的な発想の怖さは、それが必ずそう思っている当人たちにも跳ね返ってくる点にある。
この降ってわいた騒動の本質はどこにあるのか。
、昨年の選挙中の「ノリピー事件」と同じ構図である
押尾学が六本木ヒルズのマンションで女性の死体が出た、という捜査せざるを得ない状況から一転、
酒井法子の事件に擦りかえられた事件は記憶に新しい。
これは押尾事件には政界、財界人がからみ、それを誤魔化すように以前から分かっていた酒井法子を前面に出したという、いわば「目くらまし」に使い、それをメディアジャックした。
ソレは小沢鳩山体制崩壊でも示された。
昨夏の政権交代以降、結局は民主党が全面的に敗北している
「取り調べ可視化」
など権力の暴力装置に対する牽制の動きがあった。
イズレも流法案。
今回の騒動は極道をスケープゴートにした暴力装置側の「逆襲デモンストレーション」なのか。
あるいは「極道解体」という公安警察の新たな食い扶持確保のための示威行為か。
小沢鳩山体制に猛烈に暴力機構の本性の警察国家権力が襲い掛かったとき教えられたこと。
政治家のそれぞれの発言で国家感の程度がわかった。
今回の大相撲問題
福島瑞穂社民党党首程度の政治家は清潔な社会で喜ぶんであろう。
「小沢政治」にもつながるのだろうが
いわゆる「清濁併せ飲む」という大人の知恵
これは極道という「社会的存在」がなぜ消えないかという理由にも絡む
そうした複眼的な政治への反感、
すなわち単純な潔癖主義「非実在青少年」規制にもつながるだろうという小児病的なポピュリズムの世相に
警察も押し流されているのか
ここにも待たれていること。
民族派政治家小沢一郎の
国家建設構想はあちこちから待望されている証左である。
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プチッ!
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