マスコミ情況

2008年3月1日
気象庁も摩耶化す春一番であったんであろうか。
つい三、四日前の強風は宮崎では春一番ではなかった。
天気図の見事に縦に立ってる気象図から判断は簡単であったはずだが、専門官を悩ましたことだろう。
お天気キャスター全盛ゆえ内幕物を読みたいものだ。

南から猛々しい強風がどっと吹きつける春一番のすぐ後、風向きは一転して北西からの冷たい烈風
容赦なく列島を吹き荒れたからだ。

それにしても暖かくなった。
冬と春のせめぎ合い、日本海と太平洋に交互に低気圧が現れ、
南寄りの春疾風と北からの春北風(はるきた)が、交代で日本を襲い脅かす。

季節の移ろいの大きな変化は、地球温暖化での気温が上昇して行く過程では、大気の循環、エネルギーの移動が激しいのであろう。。
地球全体の温暖化ゆえなおさらである。

、寒冷地がただ穏やかにぬくぬくと温暖の地に変わるなんていうのは、素人の妄想とされる。
科学者が予測するのは、春の嵐の何倍も強力な激しい気象が頻発する過酷な世界。

7月洞爺湖サミットが近づき福田内閣存続如何の政局がらみで論じられてる季節ゆえか
感情の動物の感覚には、より激しく吹く。

庁から省に格上げ後の防衛省のトップの二代目大臣も辞任の方向のようだが
どうにもこのポストは居心地が悪いみたいである。
より軍の方向を強めたのを国家守護神の荒らぶる神は咎めてるようにさえ見える。
民主主義国家の正常なる機能にマスコミ機関の正常なる働きが挙げられる。
イラク戦争の我が軍の戦い振りは全く報道されていないが
送り出してる後方部隊のわれわれはそれでいいのであろうか。
我が軍が闘っているのである。
強行採決の後は知らんフリ、これでは犬死にではないか。
マスコミ報道の無いに等しき状況を説明しただけである。
イジ−ス艦の事故状況が厳格なる軍規乱れで少しづつ漏れ伝えられだした。
案の定・・「そこのケ!そこのケ!」状況であったようだ。
「相手がよけると思った」。
スクープなど出ようも無いマスコミの態堕落。

23年前はまだ良く現地から映像も含め伝えてくれた。
マスコミ自ら作り出した嫌いと思っていたモスコミ公害の「ロス疑惑」
との認識であった。
渦中にいた三浦和義容疑者が警視庁に逮捕されたとき、「ええっ!」
と驚きでニュースにくいいった。
ハイカラな洋服に薄いサングラス。

洋服の柄に「ペーズリー柄」がある。
勾玉のような、ゾウリムシのような模様をちりばめ、
遠目には迷路のようにも見える。

どの局もワイドショーの過熱報道ノ頃のマスコミの隆盛期。
ハイカラの洋服の主を連行する場面を解説する服飾評論家に教わった言葉である。

日本では5年前に無罪が確定しているこの事件の新証拠は執拗なる退職刑事の追跡。
「ウヌゥ〜?退職刑事!??」
なんと三浦和義のブログの書き込みをヅ〜〜ット追跡していたとの事。
どうやら無罪を勝ち取り仲間内に真実のやり取りなんかを漏らしていたのであろうか。
すばらしき執念である。
「ウ〜〜ン!」人様のブログを自分の記録に残してる人が異常だとの認識の小生のほうが
ブログ世界では異常なる執念で毎日を生きるほうが役に立つようである。

大連立を目論んだナベツネのつかえた頃読売新聞社は正力亮。
子会社たる野球巨人軍の球団社長は現在の宮崎の人清武の大先輩に当たる品川主計(かずえ)が勤めていた。
王貞治が入団したとき背番号1を渡していった。
「王の中国読みはワンだからこの背番号にしたんだ。」

とあるゴルフ場,93歳と87歳の会話である。
「あんたいくつになったかね?」
「87になりました。」
「そうか若くてええのォ」

「若くて・・・」といわれたのが毎日新聞の知る人ゾ知る横山義太郎。
言った方が品川主計。
社会の木鐸新聞はこの2月で言論は死んだ。読売朝日日経は共同デスクとなっているその端緒についたゆえだ。
語り継がれてることがある。
日本のジャーナリズムで世界的大スクープの事だ。

戦前2回。戦後一回ある。
世界に冠たる新聞人が生きていた頃である。

沖縄返還の裏協定をスクープした西田(だったか)記者はニュース・ソースを外務省職員との情痴と
捏造され葬り去られた。.

戦前第一のことは1921年大正10年12月のロンドン軍縮会議の日米英仏
日英同盟の廃棄である。
これは伊藤正徳の特ダネ。
日本全権団か外国からと言われている。
「ブラック・チェンバー」はそのときの暗号を解読してたハーバート・ヤードレーが内幕を書いた。

戦前第二のことは1932年リットン報告書を公表前に特報した。
「若くて・・・」の横山義太郎毎日記者である。

近世史の履修。
1932年2月から9月まで日本と中国で満州時事変を調査。
9月22日報告書を本国に送付した。
連盟が公表するのは10月2日正午。
毎日新聞は・・・・・・1日午後一時半に号外でロンドン支局発で特ダネを流した。

横山記者はロンドン特派員としてリットンをマーク。
日本の記者たちは大使館をマークしてるのを熟知してのこと。

報告の内容を知ってるのは
外相のサイモン。次官のイーデン、連盟事務局総長ドラモンドの三人と
自分だけ。信頼は通じた。

毎日の社史にも大スクープネタのソース源は載ってないこと。
作家三好徹と横山との1984年の問答にあるだけ。

3月1日は戦後最大のニュース特ダネの日としてその業界に知れ渡る。

戦後「ビキニの水爆実験で被災した第五福竜丸事件」のことである
今日はその日である。
ヒロシマ長崎後の第三の被爆の核被爆の唯一の国。
忘れることの出来ないことである。

詳しくはこのブログを三浦和義を追い詰めた如く追記記録する人が書いてくれるであろう。
未来は若者ののためにある。

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