虚無
2008年3月8日苦しさを乗り越えて辛き三重苦を克服して聖女になったヘレンケラーの写真が見つかったニュース。
1887年7月サリバン8歳のときのこと。
背にサリバン家庭教師も居る。
繰り返し人形の文字を覚えさせられたスペンサー家時代のもの。
ヘレンの子供時代の写真は無かったゆえの貴重なるもの。
同じ写真付きでも頂けない記事写真がある。
週刊新潮3月13日号に「ダジャレ以前」の見出しに「せんたく」の左右ニページの
写真記事を掲げたが、そこ浅さは否めない。
各級議員各党派の枠を越え議員だけでも252名が名を連ねたのは大きい。
だが、その扱いはオチャラケ。
正確には二つの組織が「せんたく」に結集した。
首長らによる政策集団
超党派の国会議員で構成する議員連合である。
混迷の政治状況に憂国の情なくしてなにが政治家ゾ!
之まで初めて経験してる政治状況は幕末の混迷に似ている。
幕末の英傑は小さき政治枠の藩を脱藩して一介の浪人となり、
勝海舟に学び大成した人に尽きる。
神の使えし如き坂本龍馬その人である。
その生き様は残された家族や親族などに書き送った手紙で知れる。
知られている139通は動乱の時代に生きる苦悩や喜びを自由闊達に綴っている。
中でもよく知られているのが、
1863(文久3)年6月29日付で姉の乙女に送った
「日本を今一度せんたくいたし申 もうし候」
横3メートル32センチ、縦15センチの和紙にしたためられており、
原本は重文で京都の国立博物館にある。
外国にこびる幕府に対する龍馬の怒り、絶望がよく分かる。
「姦吏(かんり)を一事(いちじ)に軍(いくさ)いたし打殺(うちころし)、
日本を今一度せんたくいたし申候事ニいたすべくとの神願(しんがん)ニて候」。
役人を姦吏と切り捨てているところに憤りの深さが知れる。
「せんたく」の言葉に日本を立て直す強い意志を込めたのだろう。
それから145年、今の政治状況を当時とだぶらせ、その名も略称「せんたく」
広告塔は東国原宮崎知事。
北川三重県元知事ではインパクトに欠ける。
「政治をどげんかせんといかん」。
同じ時期に細川、小泉の会談が伝えられのもどうにも奇妙。
狙いは政策論議を活発化させ、次期衆院選を政権選択の選挙にすること。
政界再編は視野にないと強調するが、折も折だけに憶測は消えない。
この手紙を送った後、3年後には薩長同盟を成し遂げたが、龍馬は志半ばで倒れた。
その龍馬を意識して発足した「せんたく」。
週刊誌記事の書く如くけっして志低き「オジンギャグ」ではない。
政治を笑うものは政治から笑われよう。
軍靴の音が聞こえぬ戦前回帰と悪罵で笑っているとその若者達の息子は強制軍人制度
何年間は徴兵で引っ張られよう。
情勢を分析すると当たり前のことである。
軍隊兵器は使わぬでは無用なる物で、使いたい威高な政治が横行しよう。
海自=海軍の大臣無視の制服組横暴に歯止めが利かぬ状況は2.26事件以前そのものではないか。
巨大組織が本性を見せているのを見逃しては危ない。
時間がなく訂正ブログがナンニチもブログアップが送れていてイライラしている。
24時間共通時間は決して平等ではない。
嗚呼神よ!
日々が過ぎていく。
1887年7月サリバン8歳のときのこと。
背にサリバン家庭教師も居る。
繰り返し人形の文字を覚えさせられたスペンサー家時代のもの。
ヘレンの子供時代の写真は無かったゆえの貴重なるもの。
同じ写真付きでも頂けない記事写真がある。
週刊新潮3月13日号に「ダジャレ以前」の見出しに「せんたく」の左右ニページの
写真記事を掲げたが、そこ浅さは否めない。
各級議員各党派の枠を越え議員だけでも252名が名を連ねたのは大きい。
だが、その扱いはオチャラケ。
正確には二つの組織が「せんたく」に結集した。
首長らによる政策集団
超党派の国会議員で構成する議員連合である。
混迷の政治状況に憂国の情なくしてなにが政治家ゾ!
之まで初めて経験してる政治状況は幕末の混迷に似ている。
幕末の英傑は小さき政治枠の藩を脱藩して一介の浪人となり、
勝海舟に学び大成した人に尽きる。
神の使えし如き坂本龍馬その人である。
その生き様は残された家族や親族などに書き送った手紙で知れる。
知られている139通は動乱の時代に生きる苦悩や喜びを自由闊達に綴っている。
中でもよく知られているのが、
1863(文久3)年6月29日付で姉の乙女に送った
「日本を今一度せんたくいたし申 もうし候」
横3メートル32センチ、縦15センチの和紙にしたためられており、
原本は重文で京都の国立博物館にある。
外国にこびる幕府に対する龍馬の怒り、絶望がよく分かる。
「姦吏(かんり)を一事(いちじ)に軍(いくさ)いたし打殺(うちころし)、
日本を今一度せんたくいたし申候事ニいたすべくとの神願(しんがん)ニて候」。
役人を姦吏と切り捨てているところに憤りの深さが知れる。
「せんたく」の言葉に日本を立て直す強い意志を込めたのだろう。
それから145年、今の政治状況を当時とだぶらせ、その名も略称「せんたく」
広告塔は東国原宮崎知事。
北川三重県元知事ではインパクトに欠ける。
「政治をどげんかせんといかん」。
同じ時期に細川、小泉の会談が伝えられのもどうにも奇妙。
狙いは政策論議を活発化させ、次期衆院選を政権選択の選挙にすること。
政界再編は視野にないと強調するが、折も折だけに憶測は消えない。
この手紙を送った後、3年後には薩長同盟を成し遂げたが、龍馬は志半ばで倒れた。
その龍馬を意識して発足した「せんたく」。
週刊誌記事の書く如くけっして志低き「オジンギャグ」ではない。
政治を笑うものは政治から笑われよう。
軍靴の音が聞こえぬ戦前回帰と悪罵で笑っているとその若者達の息子は強制軍人制度
何年間は徴兵で引っ張られよう。
情勢を分析すると当たり前のことである。
軍隊兵器は使わぬでは無用なる物で、使いたい威高な政治が横行しよう。
海自=海軍の大臣無視の制服組横暴に歯止めが利かぬ状況は2.26事件以前そのものではないか。
巨大組織が本性を見せているのを見逃しては危ない。
時間がなく訂正ブログがナンニチもブログアップが送れていてイライラしている。
24時間共通時間は決して平等ではない。
嗚呼神よ!
日々が過ぎていく。