今日の誕生日の花は・・・・ハナカタバミ
花言葉は・・・・・・・・・決してあなたをすてない。
道ばたに黄色い花を咲かす。
紫色の花は園芸種でむらさきかたばみ。
別称オキザリス。
あたたかき 11月も すみにけり
成功者のマルチ人間の目指すものは、その仕上げとして権力と名誉欲の権化の政治家が相場。。
それでは生き方にあわないと真顔の人がいるノを知った。
歌手でありながら、1986年に日本放送演芸大賞「ホープ賞」、1993年に上方お笑い大賞「審査員特別賞」を受賞。
お笑いの賞と歌の賞と両方獲得しているのはこのひとがただ一人である。
本来なら大賞であったのだが、本人自身が「歌手が大賞を受賞するのは芸人に対してシャレにならない」と辞退。
やしきたかじん(1949年10月5日~)は大阪の人。辛坊治郎(読売テレビ解説委員)とのコンビの看板番組がある。
東京発でなくローカルネットと珍しき番組配給組織形態。
「そこまでいいっても委員会」は歯に着せぬ言い方の毒舌を越えたる放送禁止用語連発を看板ニするが如くで視聴率を稼ぐ番組で定評がある。
ただそれだけではなかった。
変骨ではあるが骨のある華奢な人でもあった。
愛読敬愛してるブログの方が出演する前情報で観た。
この手のテレビは爺にしてみれば出演者だけ書けば通常は終わり。
それがいけなかった。
いまだアップできないで悶々としている。
やしきたかじんのキャラから先入観がありすぎた。
持病の自律神経失調症でなく自身の生真面目さからの公演前の生じること。
生番組のその仕事に真剣に取り組む真摯な態度を知らなかった。
11月30日はこうであった。
◇パネラー 三宅久之、鈴木邦男、天木直人、桂ざこば、原 和美、勝谷誠彦、宮崎哲弥、井上和彦
◇ゲスト 田母神俊雄
(航空自衛隊前航空幕僚長)、
松島悠佐
(陸上自衛隊元中部方面総監)、
川村純彦
(海上自衛隊元海将補)
放送中身はメンバーから推して知るべし。
危険なる世相状況にあることを教えてくれる。
ではだれが徴兵制などを担っていくのか。
具体論が出ぬのがせめてもの救い。
戦争国家は60年も平和に暮らしてきた故そう簡単にはできる者ではない。
憲法9条が無くなるまで生きてはいたくはない。
ただそのようなる状況は失われていっている。
今だ海軍は広島で海上自衛隊呉総監部が統括している。
、宮崎県の日向灘での掃海訓練で使用した訓練用の模擬機雷1個を流出したと28日発表した。
海自は来月1日までの訓練日程を切り上げ、掃海艇24隻やP3C哨戒機で捜索している。
機雷には火薬1グラムが入っているが、爆発の危険性は低いという。
流出した模擬機雷は黄色の円筒形で金属製。
長さ約250センチ、直径約50センチ、重さ約400キロで浮力があるらしい。
日南市・油津港の北東約20キロ(水深約120メートル)の海中に設置され、
25日午後4時に掃海艇が確認したのが最後という。
「北」の拉致の舞台でもあり防御ゆえやむなきであるが、一般区域までこの処置があるとは
県民に知らされてないこと。
このような日々の生活の中からの軍事、国防がないと所詮姿無き軍隊で、品無き言い方なら小泉家の三男坊の扱い。
所詮日陰の扱いの妾の子。
アウエイーでの試合ばかり続くときのナーバスな選手の状態となろう。
それを調整して関西一の視聴率があるのはひとえに司会者やしきたかじんによるところが大きい。
エピソードをあげるだけでこのブログの制限文字数を超えるほど。
公立大図書館が休みで県立図書館で関係本を閲覧。
仕事熱心の職人ぶりが暴走する場合を含め話、話題には、事かかない。
歌手としてコンサートのトーク時間が日本一長いことで有名。
極貧の中を含め20年かけメジー歌手となった努力家。
ブログから書き写すとこうである。。
、桃山学院高校で同級生だった堀内孝雄(軽音楽部部長)はたかじん(新聞部部長)のことをいまでも「やしき」と呼び友好関係にある。
生き方のそれは壮烈でヒット曲も無く無名だったころ、どのようにすれば満員になるのか試行錯誤した頃の過去に2度離婚しており、20代前半で別れた一人目の妻(故人)との間に一女がいる。
父親・屋鋪権三郎は名をはせた極右思想の持ち主で、長期間絶縁状態にあったこともあり、一切公表していないが中堅企業の企業主。
独自のキャラは頷ける。
1981年には谷村新司が作詞作曲し、たかじんが歌ったアニメ映画『機動戦士ガンダム』『砂の十字架』は所属会社の都合で歌わせられ、歌詞が気に入らなかったことと、ジャケットに自分の写真でなくガンダムのイラストが描かれていたことにクレームのいきさつでヒットしてても気に入らない自己に忠実。
CMソング「サントリーレッド」「桃屋の塩辛」は 作曲家・猪俣公章との友人関係があった故である。
2008年8月29日に読売テレビの開局50周年記念として大阪城ホールで行なわれたやしきたかじん自らプロデュースする音楽イベントkoi-conにてステージで6年ぶりに歌った。
評価は分かれる。
普段のしゃべる時のだみ声の地声と、歌うときの高く澄んだ甘い歌声とのギャップみたいである。
「スズムシの声を持ったゴキブリ」と評される。
上岡龍太郎「普段のしゃべり声は芸人の声、歌っているときの声は歌手の声」
島田紳助「愛を歌うヤクザ」関西陣はエールを送る。
芸事に真剣なのが爺を打たせた。ホンマモンである。
桂雀々や2代目桂春蝶た桂三枝上方芸人と交流を深め6代目笑福亭松鶴や藤山寛美にお茶屋遊びを教えられた。
3代目桂米朝には大阪宗右衛門町の南地大和屋で遊びの基本を学んだ。
桂ざこばとの友好関係も一揉めがあった故のこと。
芸人以上に芸人としての意識が強いことから、若手に対して厳しい一面もあり、飲みに行く際には喫煙・飲酒をさせない
修業時代はそんな者。間違いなしの生き様。
放送禁止用語や放送局の出入り禁止や名誉毀損も恐れないストレートな発言で、テレビ・ラジオのパーソナリティーとしても関西では不動の地位を誇り、すべてのレギュラー番組が高視聴率。ただ稼ぎは解らない。
みのもんたの時給200萬を聞いたら呆れるジャァロウな。
反骨の人のイメージではないがかなりの変骨モン。
イザカイからの東京のテレビ局及び朝日放送とは絶縁。
東京嫌いで出演がない故全国の顔ではない。
エピソードはことかかない。
ラジオ・ゲストの立川談志に灰皿を投げつけ「気に入らんかったら帰れ」とスタジオから追い出し、犬猿の仲に。
「司会とは・・・」の談志の忠言が気に入らなかったからと言う。
料理番組で打ち合わせしてたはずの味の素が準備してない。
そばにいたスタッフに暴力事件。
共演のトミーズ雅の「味の素を入れたとしましょう」と、軌道修正を図るコメントをしたところさらに怒り、最終的には「こんな腐った番組辞めたらぁ」と生本番中に帰った。
2005年11月20日『やしきたかじんが宮崎でタイガー・ウッズに生で密着! たかじんINダンロップフェニックス』(毎日放送)の関西ローカル・放送では特別ゲストでリポーターとして出演した
利権やしがらみのために制約が多いことや、すぐ掌をかえす体質や極端に横柄な態度に激怒し、暴力沙汰を起こし収録途中で幾度も帰っている。
自分のやり方を否定する東京キー局や地方局のルールが気に入らず、プロデューサーやディレクターを殴り、恫喝し、時には土下座させ、ついには生本番中に帰るなどのトラブルを起こす。
史上初めて宝塚歌劇の舞台に立ち、宝塚の舞台に立った唯一の男性となる
徹底したNHK嫌い。
権威も恐れずの代表的なのがフジテレビ日枝久会長さえ歯牙にもかけない。
『そこまで言って委員会』は、三宅久之が亡くなった時点で番組終了と公言している。
アンチ・たかじんの西川のりおと新番組を始めたことにより交流が決裂。以後、たかじんと共演することがなくなった。
元・南海ホークスの熱狂的なファンで、ホークス関係で取材を受けたり、ホークスがダイエーに身売りされる際も、反対の署名に参加。
ちなみに、ダイエーに身売りされてからはファンをやめている。子供の頃は、「ジュニアホークス」に所属していた
前妻が急死してすぐのコンサートで『あんた』を歌っている最中に泣き崩れて立ち上がれずに歌えなかった
『あんた』はたかじんと前妻との想いをベースに作られいる。
レコーディング中に何度も泣き崩れてなかなか歌えなかったり、コンサートでは1994年のシアタードラマシティのコンサ
ートのラストで歌って以来封印されており、次に歌うのは最後のコンサートのラストの曲とまで言い切っている。
藤山寛美の娘の藤山直美との仲をを言われている。
コンサートになると、極度の重圧から自律神経失調症や重度の胃腸炎やノイローゼになり、かつてコンサートでアンコールの緞帳が下りたとき意識を失い、生死をさまよったことがある。
客席をまともに見るのが怖いため、ステージに立つときは必ずサングラスをかけている。
この子供そのものが大阪では受けている。
マスコミも含め管理社会が蔓延する怪しき社会情勢に於いて貴重なる存在である。そこのところは実に入った。
番組の中身にはどうにも感心はしない。
読売ゆえ、やむ得ぬ事。
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花言葉は・・・・・・・・・決してあなたをすてない。
道ばたに黄色い花を咲かす。
紫色の花は園芸種でむらさきかたばみ。
別称オキザリス。
あたたかき 11月も すみにけり
成功者のマルチ人間の目指すものは、その仕上げとして権力と名誉欲の権化の政治家が相場。。
それでは生き方にあわないと真顔の人がいるノを知った。
歌手でありながら、1986年に日本放送演芸大賞「ホープ賞」、1993年に上方お笑い大賞「審査員特別賞」を受賞。
お笑いの賞と歌の賞と両方獲得しているのはこのひとがただ一人である。
本来なら大賞であったのだが、本人自身が「歌手が大賞を受賞するのは芸人に対してシャレにならない」と辞退。
やしきたかじん(1949年10月5日~)は大阪の人。辛坊治郎(読売テレビ解説委員)とのコンビの看板番組がある。
東京発でなくローカルネットと珍しき番組配給組織形態。
「そこまでいいっても委員会」は歯に着せぬ言い方の毒舌を越えたる放送禁止用語連発を看板ニするが如くで視聴率を稼ぐ番組で定評がある。
ただそれだけではなかった。
変骨ではあるが骨のある華奢な人でもあった。
愛読敬愛してるブログの方が出演する前情報で観た。
この手のテレビは爺にしてみれば出演者だけ書けば通常は終わり。
それがいけなかった。
いまだアップできないで悶々としている。
やしきたかじんのキャラから先入観がありすぎた。
持病の自律神経失調症でなく自身の生真面目さからの公演前の生じること。
生番組のその仕事に真剣に取り組む真摯な態度を知らなかった。
11月30日はこうであった。
◇パネラー 三宅久之、鈴木邦男、天木直人、桂ざこば、原 和美、勝谷誠彦、宮崎哲弥、井上和彦
◇ゲスト 田母神俊雄
(航空自衛隊前航空幕僚長)、
松島悠佐
(陸上自衛隊元中部方面総監)、
川村純彦
(海上自衛隊元海将補)
放送中身はメンバーから推して知るべし。
危険なる世相状況にあることを教えてくれる。
ではだれが徴兵制などを担っていくのか。
具体論が出ぬのがせめてもの救い。
戦争国家は60年も平和に暮らしてきた故そう簡単にはできる者ではない。
憲法9条が無くなるまで生きてはいたくはない。
ただそのようなる状況は失われていっている。
今だ海軍は広島で海上自衛隊呉総監部が統括している。
、宮崎県の日向灘での掃海訓練で使用した訓練用の模擬機雷1個を流出したと28日発表した。
海自は来月1日までの訓練日程を切り上げ、掃海艇24隻やP3C哨戒機で捜索している。
機雷には火薬1グラムが入っているが、爆発の危険性は低いという。
流出した模擬機雷は黄色の円筒形で金属製。
長さ約250センチ、直径約50センチ、重さ約400キロで浮力があるらしい。
日南市・油津港の北東約20キロ(水深約120メートル)の海中に設置され、
25日午後4時に掃海艇が確認したのが最後という。
「北」の拉致の舞台でもあり防御ゆえやむなきであるが、一般区域までこの処置があるとは
県民に知らされてないこと。
このような日々の生活の中からの軍事、国防がないと所詮姿無き軍隊で、品無き言い方なら小泉家の三男坊の扱い。
所詮日陰の扱いの妾の子。
アウエイーでの試合ばかり続くときのナーバスな選手の状態となろう。
それを調整して関西一の視聴率があるのはひとえに司会者やしきたかじんによるところが大きい。
エピソードをあげるだけでこのブログの制限文字数を超えるほど。
公立大図書館が休みで県立図書館で関係本を閲覧。
仕事熱心の職人ぶりが暴走する場合を含め話、話題には、事かかない。
歌手としてコンサートのトーク時間が日本一長いことで有名。
極貧の中を含め20年かけメジー歌手となった努力家。
ブログから書き写すとこうである。。
、桃山学院高校で同級生だった堀内孝雄(軽音楽部部長)はたかじん(新聞部部長)のことをいまでも「やしき」と呼び友好関係にある。
生き方のそれは壮烈でヒット曲も無く無名だったころ、どのようにすれば満員になるのか試行錯誤した頃の過去に2度離婚しており、20代前半で別れた一人目の妻(故人)との間に一女がいる。
父親・屋鋪権三郎は名をはせた極右思想の持ち主で、長期間絶縁状態にあったこともあり、一切公表していないが中堅企業の企業主。
独自のキャラは頷ける。
1981年には谷村新司が作詞作曲し、たかじんが歌ったアニメ映画『機動戦士ガンダム』『砂の十字架』は所属会社の都合で歌わせられ、歌詞が気に入らなかったことと、ジャケットに自分の写真でなくガンダムのイラストが描かれていたことにクレームのいきさつでヒットしてても気に入らない自己に忠実。
CMソング「サントリーレッド」「桃屋の塩辛」は 作曲家・猪俣公章との友人関係があった故である。
2008年8月29日に読売テレビの開局50周年記念として大阪城ホールで行なわれたやしきたかじん自らプロデュースする音楽イベントkoi-conにてステージで6年ぶりに歌った。
評価は分かれる。
普段のしゃべる時のだみ声の地声と、歌うときの高く澄んだ甘い歌声とのギャップみたいである。
「スズムシの声を持ったゴキブリ」と評される。
上岡龍太郎「普段のしゃべり声は芸人の声、歌っているときの声は歌手の声」
島田紳助「愛を歌うヤクザ」関西陣はエールを送る。
芸事に真剣なのが爺を打たせた。ホンマモンである。
桂雀々や2代目桂春蝶た桂三枝上方芸人と交流を深め6代目笑福亭松鶴や藤山寛美にお茶屋遊びを教えられた。
3代目桂米朝には大阪宗右衛門町の南地大和屋で遊びの基本を学んだ。
桂ざこばとの友好関係も一揉めがあった故のこと。
芸人以上に芸人としての意識が強いことから、若手に対して厳しい一面もあり、飲みに行く際には喫煙・飲酒をさせない
修業時代はそんな者。間違いなしの生き様。
放送禁止用語や放送局の出入り禁止や名誉毀損も恐れないストレートな発言で、テレビ・ラジオのパーソナリティーとしても関西では不動の地位を誇り、すべてのレギュラー番組が高視聴率。ただ稼ぎは解らない。
みのもんたの時給200萬を聞いたら呆れるジャァロウな。
反骨の人のイメージではないがかなりの変骨モン。
イザカイからの東京のテレビ局及び朝日放送とは絶縁。
東京嫌いで出演がない故全国の顔ではない。
エピソードはことかかない。
ラジオ・ゲストの立川談志に灰皿を投げつけ「気に入らんかったら帰れ」とスタジオから追い出し、犬猿の仲に。
「司会とは・・・」の談志の忠言が気に入らなかったからと言う。
料理番組で打ち合わせしてたはずの味の素が準備してない。
そばにいたスタッフに暴力事件。
共演のトミーズ雅の「味の素を入れたとしましょう」と、軌道修正を図るコメントをしたところさらに怒り、最終的には「こんな腐った番組辞めたらぁ」と生本番中に帰った。
2005年11月20日『やしきたかじんが宮崎でタイガー・ウッズに生で密着! たかじんINダンロップフェニックス』(毎日放送)の関西ローカル・放送では特別ゲストでリポーターとして出演した
利権やしがらみのために制約が多いことや、すぐ掌をかえす体質や極端に横柄な態度に激怒し、暴力沙汰を起こし収録途中で幾度も帰っている。
自分のやり方を否定する東京キー局や地方局のルールが気に入らず、プロデューサーやディレクターを殴り、恫喝し、時には土下座させ、ついには生本番中に帰るなどのトラブルを起こす。
史上初めて宝塚歌劇の舞台に立ち、宝塚の舞台に立った唯一の男性となる
徹底したNHK嫌い。
権威も恐れずの代表的なのがフジテレビ日枝久会長さえ歯牙にもかけない。
『そこまで言って委員会』は、三宅久之が亡くなった時点で番組終了と公言している。
アンチ・たかじんの西川のりおと新番組を始めたことにより交流が決裂。以後、たかじんと共演することがなくなった。
元・南海ホークスの熱狂的なファンで、ホークス関係で取材を受けたり、ホークスがダイエーに身売りされる際も、反対の署名に参加。
ちなみに、ダイエーに身売りされてからはファンをやめている。子供の頃は、「ジュニアホークス」に所属していた
前妻が急死してすぐのコンサートで『あんた』を歌っている最中に泣き崩れて立ち上がれずに歌えなかった
『あんた』はたかじんと前妻との想いをベースに作られいる。
レコーディング中に何度も泣き崩れてなかなか歌えなかったり、コンサートでは1994年のシアタードラマシティのコンサ
ートのラストで歌って以来封印されており、次に歌うのは最後のコンサートのラストの曲とまで言い切っている。
藤山寛美の娘の藤山直美との仲をを言われている。
コンサートになると、極度の重圧から自律神経失調症や重度の胃腸炎やノイローゼになり、かつてコンサートでアンコールの緞帳が下りたとき意識を失い、生死をさまよったことがある。
客席をまともに見るのが怖いため、ステージに立つときは必ずサングラスをかけている。
この子供そのものが大阪では受けている。
マスコミも含め管理社会が蔓延する怪しき社会情勢に於いて貴重なる存在である。そこのところは実に入った。
番組の中身にはどうにも感心はしない。
読売ゆえ、やむ得ぬ事。
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