デンマークを応援する。
2010年6月24日 お仕事今日の誕生日の花は・・・・レンゲツツジ
花言葉は・・・・・・・・情熱
一番大きな花のツツジ
花目のつぼみの量から蓮華畑のさま、群生のさまからの花言葉。
レンゲツツジを県の花としてるのは群馬大のある群馬の県花
赤城山山腹の群生地にある白樺牧場。
牛放つ 蓮華つつじの 火の海へ
W杯予選突破に期待が高まる。
今日告示の選挙戦ナゾ吹っ飛んでいる。
大相撲と同じである意味狙い通りなんであろう。
球場のルステンブルグは標高1500メートル
乾燥してる高地で気温は一桁の中で環境。
ボールが随分遠くに飛ぶと数学者が計算している。
ゴールポスト枠外になるのはそのためだろうか。
さぁ~決戦である。
、
「デンマークを応援する。」?
ベントナーは194センチの大男
ソレなのに動きがすばしっこい
最優秀選手であるハズだ。
旧お城に住んでいる。
「デンマークを応援する。」??
「ナニを・・爺ッ耄碌したか」
サッカーの楽しみを教えいただいた師匠から
瞬間
叱られそうである。
「デンマークを応援する。」???
岡田ジャパンはだって目標
「ベスト8」
に近づくいい位置にあり
リーグ突破が懸かっている。
隣国02年共同開催国韓国はかろうじて得失点差で予選リーグを突破している。
おなじアジアの代表として負けられないではないか。
カメルーン戦に於ける大分の中津江村の人々でない。
もっと歴史に裏打ちされた深きものがある。
この未来に輝く美しき祖国日本を愛し信じるがゆえに
その国の一員である誇りあるゆえ
デンマークを応援する。
?????
何なの??
爺目どうしたんだっ?
張本勲?現象?
福井の人花菱アチャコvsエンタツの決めセリフ
「滅茶苦茶でごじゃりまするがな」
悟りを開いた人に近づいたもう神の域である。
武士道の真の域にある。
愛国者はデンマークを応援する
???わかりません???
愛国主義は落伍者の最後の拠り所って言葉がある
爺目は偏狭なる愛国主義者ではない。
察しろよ!
お恥ずかしい由
熊本市の西方の金峰山山麓にある神秘的な霊場洞窟を知っている。。
雲巌禅寺裏山にあり、洞窟内には岩戸観音
雲巌禅寺から霊厳洞に至る岩山を削った細道には、五百羅漢群
剣聖・宮本武蔵が兵法書・五輪書を書き上げたるが前の情況の如
著作はいいが
兵法書・五輪書では・・・チョト古い。
では・・・・・
著書「少年とストライカー」双葉社刊
「多くの人にこの物語を伝えたい」
という著者の思いと添えられた浦本典子さんのポップであたたかいイラスト。
サッカー好きだけではなく、すべての人に贈りたいあたたかいメッセージが込められてる本
ストライカー=トマソンとは?
この本の主人公となったヨン・ダール・トマソン
、デンマークの現役代表ストライカー。
フェイエノールト(オランダ)では、日本代表の小野伸二とともにプレーし、
また、デンマーク代表としては、2002年日韓ワールドカップにも出場。
デンマークは、ワールドカップ・ドイツ大会出場を逃したが、、シュツットガルト(ドイツ)で主力選手としてプレーしている。
時間ない方は・・・・順不同・・・
その(2)だけでもお読みいただきたい
これは皐月パパとゆう某新聞記者の方のHPに掲載された一部で静かな感動を呼んだ物語。
日韓ワールドカップ閉会から10日後の2002年7月10日、
ある新聞記者の個人サイトにUPされた日記。
諸事情により、このHPは閉鎖されてしまいました。
ここに丸写しで残したいこと
まあ~このつまらぬ人様のブログなぞを記してるにすぎぬ
爺目のブログを4年を超える日々絶やさず嫌がらせする
猿滑骸骨
薄っぺらで戦争をしたくてたまらぬ腐臭漂う死神の使いの「売国奴」。
こういうやつさえいるバーチャル世界のネット空間
玉石混合の情報社会
いい加減なものである。
ただしこの国は戦争ばかりしている他の国とは違う。
長き平和志向の伝統ある命の受け渡しの国ゆえ希望はある。
憂国の情で国家の未来を見据えていれば
キラリッ!
と光ることに出会える。
この国を愛するがゆえに・・・・
デンマークを応援する。
デンマーク逸話・・(2)
*************************************************************
デンマーク逸話・・(1)よりつづく
デンマーク逸話・・(2)
トマソン、彼の優しき一面をもう一つ語りたい
それはある握手会でのことである
デンマークというチームは前述したように
練習を公開し、和歌山県民との交流を積極的に行った
練習後は地元サッカー少年たちとミニサッカーを行い
握手会、サイン会もたびたび行った
そのひとコマの話である
あの日も、いつものごとくサイン会が行われた
気さくなデンマークの選手たちを県民も大好きになった
あの日もデンマーク選手たちのサインを求め長蛇の列が出来上がっていた
気軽にサインをするデンマーク選手たち
もちろんトマソンもその中にいた
その最中のことである
トマソンの前にある少年が立った
彼はトマソンの前に立ちつつも・・・少しモジモジしていた
後ろに立っていた母親らしき人が彼を促す
「ほら!早くしなさい!」
と彼に言っていた
トマソンも少し「変だな」と思ったのでしょう
通訳を通じ「どうしたの?」と彼に聞いた
意を決した少年はポケットから一枚の紙切れを出し、トマソン選手に渡した
それは学校の英語の先生に書いてもらったものだという
英語で書いたその紙切れにはこう書いてあった
「ボクは小さいころに、病気にかかって
口と耳が不自由です・・・
耳は聞こえません、
話せません・・・
だけどサッカーだけはずっと見てきました、
大好きです
デンマークのサンド選手とトマソン選手が好きです
頑張ってください」と・・・
その手紙に通訳も・・・その場にいた我々記者も驚いた
言葉が出なかった・・・
だが、トマソン選手はニッコリと微笑み少年に・・・
「それなら君は手話はできますか?」
と・・・
手話で語りかけた
その『言葉』に驚く少年と母親
再度聞くトマソン・・・
「手話はわかりませんか?」と・・・
それを見ていた皐月パパはトマソンに英語で言った
「ミスタートマソン、手話は言語と同じで各国で違うんですよ」と彼に言った
手話を万国共通と思う人が多いのだが
国によって違う、
ましてや日本国内でも地方によって違う
「そうだったのか・・・」という顔をしたトマソン
そして彼は通訳にこう言った
「ボクは彼と紙で、文字を通して話をしたいのですが手伝ってください」
微笑んで「わかりました」と答える通訳
トマソンは「後ろの人たちにも彼と話す時間をボクにくださいと言っておいてください」とも言った
後ろで順番を待つ人たちは何も文句を言わなかった・・・一言も文句を言わなかった・・・
彼らに「2人の時間」をあげたいと他の人たちも思ったのでしょう
そして通訳を介し、少年とトマソンの『会話』が始まった
「君はサッカーが好きですか?」
「はい。大好きです」
「そうですか。デンマークを応援してくださいね」
「はい。あの聞いていいですか」
「いいですよ。何でも聞いてください」
「トマソン選手はどうして手話ができるんですか?正直、ビックリしました」
この少年の質問に彼は答える
「ボクにも君と同じ試練を持っている姉がいます
その彼女のためにボクは手話を覚えたんですよ」と・・・
その彼の言葉をじっくりと読む少年
そしてトマソンは少年に言った
「君の試練はあなたにとって辛いことだと思いますが
君と同じようにあなたの家族も、その試練を共有しています
君は一人ぼっちじゃないという事を理解していますか?」
この言葉に黙ってうなずく少年
「わかっているなら、オーケー!
誰にも辛いことはあります。君にもボクにも
そして君のお母さんにも辛いことはあるのです
それを乗り越える勇気を持ってください」
とトマソンは言った
このやり取りに涙が止まらない母親
この光景を見ていた我々記者も涙した
その場にいた人たち、その2人を見ていた人たちも涙した
そして、トマソンは最後に少年にこう言った
「ボクは今大会で1点は必ず獲ります
その姿を見て、君がこれからの人生を頑張れるように
ボクは祈っておきます」
この言葉に・・・この少年は初めて笑顔を浮かべた
「はい!応援しますから、頑張ってください」と少年は言った
そして、サインをもらい、その場をあとにする少年と母親
ボクの取材に母親は目に涙を浮かべて言った
「あんなことされたらデンマークを応援しないわけにはいかないですよ
日本と試合することになっても、私らはデンマークを応援しますよ」
と涙を流し、笑いながら言った・・・・
(嗚呼・・・爺目にはどれだけの涙の量があるんだろう。止まらない)
そして、このトマソン・・・少年との約束を守り、得点を決めた
1点どころか、彼は4得点という大活躍だった
こんなトマソン、デンマークを見た皐月パパも
いっぺんにファンになってしまった^^;
1次リーグ、フランスという前回覇者と同組だったデンマーク
彼らをボクは応援した・・・
もちろん和歌山県民も応援に訪れた
試合が韓国であろうとも彼ら和歌山県民は応援に駆けつけた
オルセン監督は言った
「試合会場が韓国であっても、和歌山の応援はわかった
あれが我々の力になった」と・・・
和歌山県民の応援も実ったのであろう
フランスと同組のA組みながらデンマークは2勝1分け
見事1位通過を決めたのである
そして、向かえた決勝トーナメント1回戦
場所は新潟スタジアム、相手はあのイングランドであった
スタンドからは
「ベッカム!!!!」
という声が至るところから響いていた
その声に皐月パパは叫ぶ
「ダニッシュ・ダイナマイトで・・・にわかイングランドファンを黙らせろ!」
「ベッカムがなんぼのもんじゃ!頼むぞ!デンマーク」
と叫んでいた^^;
だが・・・この応援も届かなかった
和歌山県民の想いも通じなかった
デンマークはイングランドに0-3という予想外のスコアで敗れてしまった
その日の和歌山県には雨が降ったという
県民の涙雨だったのかもしれない・・・・
負けはしたが、和歌山県民はデンマークというチームを誇りに思っていた
「よく頑張った!」「後は快く母国に帰ってもらおう!」という言葉が彼らの合言葉になった・・・
だから、彼らは行なった
デンマークお疲れさま!会なるものが宿泊先のホテルによって仕切られた
そこに駆けつける多数の県民
会場にはあふれんばかりの県民が駆けつけた
その催しに「ありがたいことだ」と言ったオルセン監督
もちろん選手たちも全員出席した。あのトマソンもその場にいた
そこでトマソンは見つけた・・・『あの少年』を見つけた
少年と母親もその会に出席していた
少年と母親の元に、通訳を携え近寄るトマソン
トマソンの姿に気づいた母親は頭を下げる
少年はトマソンへ笑顔を向ける
そして、トマソンは少年にこう語りかけた
「せっかく応援してくれたのに負けてゴメンね」と『紙』で語りかけた
これに少年は答える
「お疲れ様でした。負けたけどカッコよかったです
それに約束どおり点獲ってくれたからボクは嬉しかったです」と・・・・
「ありがとう」と言うトマソン
そして、この少年にトマソンは言った
「ボクから君に言える言葉はこれが最後です。よく聞いてください」
「はい」
「君には前にも言ったとおり、試練が与えられている
それは神様が決めたことであり、今からは変えられない
ボクが言いたいことわかりますか?」
「はい」
「神様は君に試練を与えたけど、君にも
必ずゴールを決めるチャンスを神様はくれるはずです・・・
そのチャンスを君は逃さず、ちゃんとゴールを決めてください」とトマソンは言った
この言葉に少年は笑顔満面の顔でトマソンに「はい」と言った
そして2人は・・・
「さようなら」
「頑張って」
という言葉を残し彼らは別れを告げた
最後に2人は仲良く写真におさまった
飛びっきりの笑顔を浮かべファインダーにおさまる2人
この写真は少年の宝物になることだろう
トマソンに出会ったことによって少年は『前へ進む』に違いない・・・
彼の転機になることを皐月パパは祈ってやまない
小さな少年、心優しきトマソンに
これからも栄光あれ。。。
*************************************************************
デンマーク逸話・・(1)
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デンマークと和歌山県民の交流をまじめに語りましょう
読者の方々でもデンマークってどんな国?
と普通は思いますよね?
「どこにあるの?」
「デンマークのサッカー選手で有名な人は?」と
思うでしょう・・・これが普通ですよ^^;
アメリカ、イングランド、イタリア、スペインほど日本に名前通ってないし
デンマークという国の存在自体は知っていても
どんな国民性なのか?どのような人種なのか?って普通は誰も知らないものです
もちろん、これは和歌山県民のほとんどが同じであった
和歌山の街中ではこんな会話が交わされたという
「今度のワールドカップでデンマークって国が来るらしいけど知ってた?」
「それは知ってるけど・・・誰か有名な人いるの?
イングランドのベッカムとかイタリアの男前集団みたいに有名な人いるの?」
「う~~ん・・・知らない。
だけど世界で有名なんやったら、一度は練習見に行こうか?」
デンマークの練習を訪れた人は『この手の会話』がきっかけとなった人たちばかりであった
最初、いわゆる『野次馬』的な人が多かったのは事実である
最初の見学者は数百人程度であった、
しかしこの数字が日々増えていった
この数字が増えた理由には以下のことが一番大きかったと思う
ワールドカップ出場国のキャンプ地での練習というものは
非公式、非公開が通例であるが、
デンマークは違った
(イングランド、イタリア、スペイン、ブラジルといった強豪国はほとんど非公開でしたね^^;)
練習初日からデンマークチームの意向で全ての練習を公開した
さらに練習後には見学に来ていた地元サッカー少年たちを招きいれ
一緒にミニサッカーを行ったりもした
この評判を聞きつけ、デンマークというチームが
「むちゃくちゃフレンドリーで気さくな人たちばかりやで!」という口コミも相当あったという
そして、この翌日から見学に訪れる人が徐々に増えていった
初日はわずか数百人だった見学者が翌日には2000人
その翌日には2500人、そのまた翌日には3000人が訪れた
練習後には気軽にサインに答える選手たち
監督も練習後にはサッカー少年たちを招きいれ練習を指導したりもした
この監督にある記者が聞いた
「他国は練習を公開しないで、試合に備えていますけど
デンマークはこれでいいのですか?」と聞いた
すると、このデンマーク・オルセン監督はこの記者にこう答えた
「我々の強さは練習を秘密にしたところで変わらない
絶対的な自信をもって試合にのぞむだけだ
何より、キャンプ地を提供してくれた和歌山の人たちが
喜んでくれることはどんどんするべきなんだ・・・
試合も大事だが、この交流も大事にしたいと選手全員も言っている」
このオルセン監督、この発言だけでも『いい人』をかもしだしているのだが
彼のエピソードをもう一つ語ろう
ホテル入り初日のことである
デンマークチームが来日し、ホテルでの歓迎セレモニーを受けた後
再度、宿泊先のホテルの支配人と料理担当のコック長が監督の部屋へ挨拶に訪れた
「これからの数日よろしくお願いします」という言葉とともに
彼ら、支配人とコック長にはもう一つ言っておきたい・・聞いておきたいことがあった
彼らにはもう一つ『心配のタネ』があった・・・
それは食事の問題であった
ホテル側も選手たちには万全の状態で試合に臨んでほしかった
食事が口に合わない・・・それが原因ということだけは避けたかった
他国の宿泊先ホテルに連絡をすると、食事でかなりもめたという事を聞いていた
「口に合わない」「母国の材料で調理してくれ!」といった文句を
言われたという事を彼らは聞いていた・・・
デンマークが宿泊したホテルの支配人はこう言った
こういったトラブルだけは「どうしても避けたかったんですよ」と
それゆえ「最初に監督さんに聞いて、チームの意向を聞こうと思って
挨拶にいったんですよね」と言っていた
その想いから、支配人とコック長は監督の部屋を訪れた
そして通訳を介し、監督に聞いた
「食事で何かご要望とかはございますか?」と支配人は聞いた
するとオルセン監督はこう答えた
「一切お任せします そちらが用意される料理を我々はご馳走になります」と・・・
この言葉に驚いた支配人とコック長
「いや・・やはり母国デンマークの食事の方がいいんじゃないでしょうか?」
「こちら和歌山をキャンプ地に決めたときから、食事も
そちらにお任せしようと私と選手たちは言っていた。選手も理解している
全てをあなたたちにお任せします」
「あの~~他の国とかのホテルにお聞きすると・・・
食事はやはり母国のほうが好まれると聞いたものでして・・・」
この言葉にオルセン監督はこう言った
「他国は他国、我々は我々です」
この言葉に支配人は
「あの言葉で本当にホッとしましたよ・・・滞在中は無事に過ごせていただけると
あれで思いましたね」と言っていた
さらに、オルセン監督はコック長に向きなおし、言い出したという
「我々は料理をあなたに全てお任せします。よろしくお願いします」
緊張しながらも「はい!こちらこそよろしくお願いします」と答えるコック長
そして、コック長に聞くオルセン監督
「和歌山で有名な食材は何ですか?」と彼は聞いた
この質問の真意がわからずもコック長は監督に答えた
「和歌山では魚が有名です、カツオという魚が特に有名です」と・・・
するとオルセン監督は微笑みながらコック長に言った
「それでは、そのおいしいカツオを我々に食べさせてください
あなたが腕をふるって、おいしいカツオを選手たちに食べさせてやってください」と言った
この言葉にコック長は大変感激した
「世界の代表監督が、あんないい人だったからね~~
いっぺんでデンマークのファンになりましたよ!」と言っていた
この食事に対する『良き姿勢』は監督だけではなった
選手たちも同様だった
最初の食事を迎えた時、ある選手が通訳に聞いた
「デンマークでは食事するとき神への祈りをするのだが
日本では食事始める時に何かするんですか?」と聞いた
デンマークは国民の9割がプロテスタントである
神への祈りを終えてから食事を始める
この選手は日本ではこれの代わりに何かするのか?と聞きたかったのである
これに答える通訳
「日本でもキリスト信者は神に祈ってから食べるけど
たいていは手を合わせて『いただきます』と言ってから食べます」と答えた
すると彼は・・・
「こうやるの?」と通訳に聞きつつ、手を胸の前で合わせた
これに通訳は「そうそう!その両手をもう少し上に上げて!」と言った
その言葉に彼は顔の前まで手を上げる
「そうそう!」と答える通訳
そして彼はその姿のまま、コック長の方へ向き頭を下げた
それを見ていた他の選手たちも彼にならい、手を顔の前で合わせた
この時から、食事のたびに手を合わせる選手たち
コック長は言った
「今の日本人でも『いただきます』『ごちそうさま』言えないヤツが多いのに
外国の人にあんなことされたらね~~むちゃくちゃ嬉しかったですよ」と・・・
この最初に手を合わせた選手の名を・・・
トマソンといった
このトマソン選手・・・
大会では4得点をあげ
デンマークを決勝トーナメントに進出させた立役者である
あの日本代表・小野選手と同じオランダ・フェイエノールトに所属することでも有名な彼
彼は少し神経質の面を持ちあわせているのだが、非常に心優しい青年だ
*************************************************************
デンマーク逸話・・(3)
北欧の三ヶ国をデフォルメして象徴的に言う
スゥェーデンが作り
ノルゥーイが運び
デンマークが売る
デンマーク王国は面積は43000平方キロメートルでちなみに、北海道の半分ぐらい
人口は531万人の小国。
幸福度ランキング世界一
アンデルセンの国
・裸の王様・マッチ売るの少女・人魚姫
ロイヤル陶器、オモチャのレゴブロック
通勤4割自転車
ビール大国日本の2倍
フーリガンでなくローリガン紳士的観客態度
試合はズバリ潰しやポウルセン対策
オールセン監督の慈父の寛容さ。
言語は通常語はデンマーク語、英語でもほぼ通用する
売るというがそう簡単なる事ではない。
世界各地を飛び回ることになる。
昭和32年2月10日夜、日ノ御埼沖合いを嵐の夜に紀伊水道を神戸港へ向かって航行中のデンマーク船エレンマースク号
、大荒れの海上で炎上している徳島県の「高砂丸」を発見。
乗組員の救助にあたった際に、海中に転落した日本人船員がアル。、
自らの命を省みず、海中に飛び込み救助しようとし飛び込み力尽きて絶命した勇気の人がアル
デンマーク人クヌッセン機関長。
翌日、日高町の田杭海岸にクヌッセン機関長の遺体と救命艇が流れ着いた。
ことの次第を聞いた田杭地区の人たち
、あまりもの勇敢なクヌッセン機関長の行動に感動を受け、せめて彼の魂を弔いたいと、供養塔を建てた。
その後も住民が交互に献花、清掃をして、絶やすことなく慰霊の気持ちを捧げ続けている。
また、紀伊水道沖を見渡せる日の岬パーク内(美浜町)の高台には、
顕彰碑と胸像がクヌッセンの丘として設けられている。
、クヌッセン機関長の冥福とこの沖を通る船の航海の安全を祈願されている。
このことで学べること。。
荒れる海の環境の元で、お互いに助け合うというデンマーク人の気質が大きく影響している。
このことは、現在のデンマークの政治にもあらわれており、消費税は高いが、
ゆりかごから墓場まで、といわれるように国が国民のための政治の治世にアル
クヌッセン機関長の勇気と人間愛、その遺徳をしのび、称えている
和歌山・日高町。
このことがキャンプ地をこの町にした
デンマークという国の歴史を尊っとぶ品格ある国。。
***********************************************
デンマーク逸話・・(4)
映画で観るデンマーク人
デンマーク人は何を怖がるか?
デンマーク人が作ったホラー映画
「パラサイトX 」 (2007年 / デンマーク )
デンマーク映画で、お薦め
「誰がため」(2008)
異色SF青春映画
「デュカネ U-461の謎」
メンタリティの分析に
・デンマークのラブストーリー
「恋に落ちる確率 」
「しあわせな孤独 」
・カンヌ国際映画祭でパルム・ドールや最優秀女優賞を獲得した映画
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」
監督はデンマーク人。
・アクションからも分析
「トランス・ミッション 」
「ブレイカウェイ」
すべてDVDレンタル化されています。
**************
デンマークについては何度か触れている。
クラスター爆弾
http://cache.yahoofs.jp/search/cache?p=site%3Ahttp%3A%2F%2Fdiarynote.jp%2F+%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%80%80%E3%81%9B%E3%81%8D%E3%82%84%E3%82%93&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt&u=36488.diarynote.jp/200702250855400000/&w=%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AF+%22%E3%81%9B%E3%81%8D+%E3%82%84%E3%82%93%22&d=AzRq3LZfU9qM&icp=1&.intl=jp
2007年2月24日
北極圏07年8月20日
http://cache.yahoofs.jp/search/cache?p=site%3Ahttp%3A%2F%2Fdiarynote.jp%2F+%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%80%80%E3%81%9B%E3%81%8D%E3%82%84%E3%82%93&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt&u=36488.diarynote.jp/200708201118420000/&w=%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AF+%22%E3%81%9B%E3%81%8D+%E3%82%84%E3%82%93%22&d=em88-LZfU9dC&icp=1&.intl=jp
ロシア・サミット
http://cache.yahoofs.jp/search/cache?p=site%3Ahttp%3A%2F%2Fdiarynote.jp%2F+%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%80%80%E3%81%9B%E3%81%8D%E3%82%84%E3%82%93&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt&u=36488.diarynote.jp/200607162252100000/&w=%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AF+%22%E3%81%9B%E3%81%8D+%E3%82%84%E3%82%93%22&d=cZjBELZfU98C&icp=1&.intl=jp
2006年7月16日
**************
デンマーク逸話・・(5)
仏教では「慈悲」を非常に大事なものと考える。
たくさんの手と道具で困っている人を救おうとなさる姿
慈悲心の大切さを表しているのが千手観音さま。
このお姿には二つの意味がこめられている
つまり
「私を助けようと待ち構えて下さっていた」
とのお姿
、「私も他の人のために何かしよう」
という勇気を分け与えて下さるお姿。
日高町では農耕神は漁業神なのか
日高町阿尾の白鬚神社にクエ祭りとして10月第二土・日曜日に実りの豊漁を奉げる
このクエ祭りは300年近くに亘って奉納されているらしい。
、古来から地元住民とクエが密着している証左として彫像さえある。
あのコウテイ疫最初の農耕の街漁業の町川南にも白鬚神社がある。
戦争なき平和なこの国はリズム溢れる時代でもある。
「九絵のバラード」と「クエクエboogie-woogie」を制作した若者たち教育機関。。
これは、日本初の国立大学観光学部と地域との連携事業らしい。
昔から歌舞音曲歌舞伎役者も出してきた文化香る地であるからだろう。
道成寺の地。
僧・安珍に清姫が懸想し、恋の炎を燃やし、裏切られたと知るや
大蛇となって安珍を追い、最後には道成寺の鐘の中に逃げた安珍を焼き殺すという「安珍清姫の物語」の地
あの井原西鶴の生誕の地との説さえ伝承されている。
将軍「綱吉」が溺愛する「娘鶴姫」のために発布した「鶴字法度」により西鶴も「鶴」の字を使えなくなる。
受難はいつの世もおなじ。
ただネット時代の闇は深く年端社会最盛期のものが
ネチネチトとネット画面にひがの一日中監視するイビツさ。
忠臣蔵の大石蔵之助の辞世の句
「あら楽し思いは晴るる身は捨る 浮世の外にかかる雲なし」
ひばりも裕次郎も52才で逝った。
西鶴の墓は誓願寺にある。
大阪中央区谷町(旧名大坂錫屋町)3丁目2番の道路脇に井原西鶴の終焉地碑が建っている。
元禄6年(1693年)その碑に時世の句
「「人間五十年の究り それさへ我にはあまりたるにましてや 浮世の月見過しにけり末二年」
NHKラジオ深夜便24日朝4時~からは100年インタビュー
堀尾正明が聞いている対談集。
ナント井上ひさしであった。
これには恐れ入った。
もちろん司馬遼太郎の秘密のことは出てこない。
物書きをめざすまで第一回
○1958阿蘇爆発
○1961年(36年)梅雨前線刺激豪雨
○1985年(60年)女子差別撤廃
75年国連総会決議、80年批准
○1989年元年美空ひばり逝く
国民栄誉賞で追表彰された
九州地区ブログランキング参加!
・・・元気ください・・・
お願いいたします
プチッ!
↓ ↓ ↓
http://blog.with2.net/link.php?62076
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花言葉は・・・・・・・・情熱
一番大きな花のツツジ
花目のつぼみの量から蓮華畑のさま、群生のさまからの花言葉。
レンゲツツジを県の花としてるのは群馬大のある群馬の県花
赤城山山腹の群生地にある白樺牧場。
牛放つ 蓮華つつじの 火の海へ
W杯予選突破に期待が高まる。
今日告示の選挙戦ナゾ吹っ飛んでいる。
大相撲と同じである意味狙い通りなんであろう。
球場のルステンブルグは標高1500メートル
乾燥してる高地で気温は一桁の中で環境。
ボールが随分遠くに飛ぶと数学者が計算している。
ゴールポスト枠外になるのはそのためだろうか。
さぁ~決戦である。
、
「デンマークを応援する。」?
ベントナーは194センチの大男
ソレなのに動きがすばしっこい
最優秀選手であるハズだ。
旧お城に住んでいる。
「デンマークを応援する。」??
「ナニを・・爺ッ耄碌したか」
サッカーの楽しみを教えいただいた師匠から
瞬間
叱られそうである。
「デンマークを応援する。」???
岡田ジャパンはだって目標
「ベスト8」
に近づくいい位置にあり
リーグ突破が懸かっている。
隣国02年共同開催国韓国はかろうじて得失点差で予選リーグを突破している。
おなじアジアの代表として負けられないではないか。
カメルーン戦に於ける大分の中津江村の人々でない。
もっと歴史に裏打ちされた深きものがある。
この未来に輝く美しき祖国日本を愛し信じるがゆえに
その国の一員である誇りあるゆえ
デンマークを応援する。
?????
何なの??
爺目どうしたんだっ?
張本勲?現象?
福井の人花菱アチャコvsエンタツの決めセリフ
「滅茶苦茶でごじゃりまするがな」
悟りを開いた人に近づいたもう神の域である。
武士道の真の域にある。
愛国者はデンマークを応援する
???わかりません???
愛国主義は落伍者の最後の拠り所って言葉がある
爺目は偏狭なる愛国主義者ではない。
察しろよ!
お恥ずかしい由
熊本市の西方の金峰山山麓にある神秘的な霊場洞窟を知っている。。
雲巌禅寺裏山にあり、洞窟内には岩戸観音
雲巌禅寺から霊厳洞に至る岩山を削った細道には、五百羅漢群
剣聖・宮本武蔵が兵法書・五輪書を書き上げたるが前の情況の如
著作はいいが
兵法書・五輪書では・・・チョト古い。
では・・・・・
著書「少年とストライカー」双葉社刊
「多くの人にこの物語を伝えたい」
という著者の思いと添えられた浦本典子さんのポップであたたかいイラスト。
サッカー好きだけではなく、すべての人に贈りたいあたたかいメッセージが込められてる本
ストライカー=トマソンとは?
この本の主人公となったヨン・ダール・トマソン
、デンマークの現役代表ストライカー。
フェイエノールト(オランダ)では、日本代表の小野伸二とともにプレーし、
また、デンマーク代表としては、2002年日韓ワールドカップにも出場。
デンマークは、ワールドカップ・ドイツ大会出場を逃したが、、シュツットガルト(ドイツ)で主力選手としてプレーしている。
時間ない方は・・・・順不同・・・
その(2)だけでもお読みいただきたい
これは皐月パパとゆう某新聞記者の方のHPに掲載された一部で静かな感動を呼んだ物語。
日韓ワールドカップ閉会から10日後の2002年7月10日、
ある新聞記者の個人サイトにUPされた日記。
諸事情により、このHPは閉鎖されてしまいました。
ここに丸写しで残したいこと
まあ~このつまらぬ人様のブログなぞを記してるにすぎぬ
爺目のブログを4年を超える日々絶やさず嫌がらせする
猿滑骸骨
薄っぺらで戦争をしたくてたまらぬ腐臭漂う死神の使いの「売国奴」。
こういうやつさえいるバーチャル世界のネット空間
玉石混合の情報社会
いい加減なものである。
ただしこの国は戦争ばかりしている他の国とは違う。
長き平和志向の伝統ある命の受け渡しの国ゆえ希望はある。
憂国の情で国家の未来を見据えていれば
キラリッ!
と光ることに出会える。
この国を愛するがゆえに・・・・
デンマークを応援する。
デンマーク逸話・・(2)
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デンマーク逸話・・(1)よりつづく
デンマーク逸話・・(2)
トマソン、彼の優しき一面をもう一つ語りたい
それはある握手会でのことである
デンマークというチームは前述したように
練習を公開し、和歌山県民との交流を積極的に行った
練習後は地元サッカー少年たちとミニサッカーを行い
握手会、サイン会もたびたび行った
そのひとコマの話である
あの日も、いつものごとくサイン会が行われた
気さくなデンマークの選手たちを県民も大好きになった
あの日もデンマーク選手たちのサインを求め長蛇の列が出来上がっていた
気軽にサインをするデンマーク選手たち
もちろんトマソンもその中にいた
その最中のことである
トマソンの前にある少年が立った
彼はトマソンの前に立ちつつも・・・少しモジモジしていた
後ろに立っていた母親らしき人が彼を促す
「ほら!早くしなさい!」
と彼に言っていた
トマソンも少し「変だな」と思ったのでしょう
通訳を通じ「どうしたの?」と彼に聞いた
意を決した少年はポケットから一枚の紙切れを出し、トマソン選手に渡した
それは学校の英語の先生に書いてもらったものだという
英語で書いたその紙切れにはこう書いてあった
「ボクは小さいころに、病気にかかって
口と耳が不自由です・・・
耳は聞こえません、
話せません・・・
だけどサッカーだけはずっと見てきました、
大好きです
デンマークのサンド選手とトマソン選手が好きです
頑張ってください」と・・・
その手紙に通訳も・・・その場にいた我々記者も驚いた
言葉が出なかった・・・
だが、トマソン選手はニッコリと微笑み少年に・・・
「それなら君は手話はできますか?」
と・・・
手話で語りかけた
その『言葉』に驚く少年と母親
再度聞くトマソン・・・
「手話はわかりませんか?」と・・・
それを見ていた皐月パパはトマソンに英語で言った
「ミスタートマソン、手話は言語と同じで各国で違うんですよ」と彼に言った
手話を万国共通と思う人が多いのだが
国によって違う、
ましてや日本国内でも地方によって違う
「そうだったのか・・・」という顔をしたトマソン
そして彼は通訳にこう言った
「ボクは彼と紙で、文字を通して話をしたいのですが手伝ってください」
微笑んで「わかりました」と答える通訳
トマソンは「後ろの人たちにも彼と話す時間をボクにくださいと言っておいてください」とも言った
後ろで順番を待つ人たちは何も文句を言わなかった・・・一言も文句を言わなかった・・・
彼らに「2人の時間」をあげたいと他の人たちも思ったのでしょう
そして通訳を介し、少年とトマソンの『会話』が始まった
「君はサッカーが好きですか?」
「はい。大好きです」
「そうですか。デンマークを応援してくださいね」
「はい。あの聞いていいですか」
「いいですよ。何でも聞いてください」
「トマソン選手はどうして手話ができるんですか?正直、ビックリしました」
この少年の質問に彼は答える
「ボクにも君と同じ試練を持っている姉がいます
その彼女のためにボクは手話を覚えたんですよ」と・・・
その彼の言葉をじっくりと読む少年
そしてトマソンは少年に言った
「君の試練はあなたにとって辛いことだと思いますが
君と同じようにあなたの家族も、その試練を共有しています
君は一人ぼっちじゃないという事を理解していますか?」
この言葉に黙ってうなずく少年
「わかっているなら、オーケー!
誰にも辛いことはあります。君にもボクにも
そして君のお母さんにも辛いことはあるのです
それを乗り越える勇気を持ってください」
とトマソンは言った
このやり取りに涙が止まらない母親
この光景を見ていた我々記者も涙した
その場にいた人たち、その2人を見ていた人たちも涙した
そして、トマソンは最後に少年にこう言った
「ボクは今大会で1点は必ず獲ります
その姿を見て、君がこれからの人生を頑張れるように
ボクは祈っておきます」
この言葉に・・・この少年は初めて笑顔を浮かべた
「はい!応援しますから、頑張ってください」と少年は言った
そして、サインをもらい、その場をあとにする少年と母親
ボクの取材に母親は目に涙を浮かべて言った
「あんなことされたらデンマークを応援しないわけにはいかないですよ
日本と試合することになっても、私らはデンマークを応援しますよ」
と涙を流し、笑いながら言った・・・・
(嗚呼・・・爺目にはどれだけの涙の量があるんだろう。止まらない)
そして、このトマソン・・・少年との約束を守り、得点を決めた
1点どころか、彼は4得点という大活躍だった
こんなトマソン、デンマークを見た皐月パパも
いっぺんにファンになってしまった^^;
1次リーグ、フランスという前回覇者と同組だったデンマーク
彼らをボクは応援した・・・
もちろん和歌山県民も応援に訪れた
試合が韓国であろうとも彼ら和歌山県民は応援に駆けつけた
オルセン監督は言った
「試合会場が韓国であっても、和歌山の応援はわかった
あれが我々の力になった」と・・・
和歌山県民の応援も実ったのであろう
フランスと同組のA組みながらデンマークは2勝1分け
見事1位通過を決めたのである
そして、向かえた決勝トーナメント1回戦
場所は新潟スタジアム、相手はあのイングランドであった
スタンドからは
「ベッカム!!!!」
という声が至るところから響いていた
その声に皐月パパは叫ぶ
「ダニッシュ・ダイナマイトで・・・にわかイングランドファンを黙らせろ!」
「ベッカムがなんぼのもんじゃ!頼むぞ!デンマーク」
と叫んでいた^^;
だが・・・この応援も届かなかった
和歌山県民の想いも通じなかった
デンマークはイングランドに0-3という予想外のスコアで敗れてしまった
その日の和歌山県には雨が降ったという
県民の涙雨だったのかもしれない・・・・
負けはしたが、和歌山県民はデンマークというチームを誇りに思っていた
「よく頑張った!」「後は快く母国に帰ってもらおう!」という言葉が彼らの合言葉になった・・・
だから、彼らは行なった
デンマークお疲れさま!会なるものが宿泊先のホテルによって仕切られた
そこに駆けつける多数の県民
会場にはあふれんばかりの県民が駆けつけた
その催しに「ありがたいことだ」と言ったオルセン監督
もちろん選手たちも全員出席した。あのトマソンもその場にいた
そこでトマソンは見つけた・・・『あの少年』を見つけた
少年と母親もその会に出席していた
少年と母親の元に、通訳を携え近寄るトマソン
トマソンの姿に気づいた母親は頭を下げる
少年はトマソンへ笑顔を向ける
そして、トマソンは少年にこう語りかけた
「せっかく応援してくれたのに負けてゴメンね」と『紙』で語りかけた
これに少年は答える
「お疲れ様でした。負けたけどカッコよかったです
それに約束どおり点獲ってくれたからボクは嬉しかったです」と・・・・
「ありがとう」と言うトマソン
そして、この少年にトマソンは言った
「ボクから君に言える言葉はこれが最後です。よく聞いてください」
「はい」
「君には前にも言ったとおり、試練が与えられている
それは神様が決めたことであり、今からは変えられない
ボクが言いたいことわかりますか?」
「はい」
「神様は君に試練を与えたけど、君にも
必ずゴールを決めるチャンスを神様はくれるはずです・・・
そのチャンスを君は逃さず、ちゃんとゴールを決めてください」とトマソンは言った
この言葉に少年は笑顔満面の顔でトマソンに「はい」と言った
そして2人は・・・
「さようなら」
「頑張って」
という言葉を残し彼らは別れを告げた
最後に2人は仲良く写真におさまった
飛びっきりの笑顔を浮かべファインダーにおさまる2人
この写真は少年の宝物になることだろう
トマソンに出会ったことによって少年は『前へ進む』に違いない・・・
彼の転機になることを皐月パパは祈ってやまない
小さな少年、心優しきトマソンに
これからも栄光あれ。。。
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デンマーク逸話・・(1)
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デンマークと和歌山県民の交流をまじめに語りましょう
読者の方々でもデンマークってどんな国?
と普通は思いますよね?
「どこにあるの?」
「デンマークのサッカー選手で有名な人は?」と
思うでしょう・・・これが普通ですよ^^;
アメリカ、イングランド、イタリア、スペインほど日本に名前通ってないし
デンマークという国の存在自体は知っていても
どんな国民性なのか?どのような人種なのか?って普通は誰も知らないものです
もちろん、これは和歌山県民のほとんどが同じであった
和歌山の街中ではこんな会話が交わされたという
「今度のワールドカップでデンマークって国が来るらしいけど知ってた?」
「それは知ってるけど・・・誰か有名な人いるの?
イングランドのベッカムとかイタリアの男前集団みたいに有名な人いるの?」
「う~~ん・・・知らない。
だけど世界で有名なんやったら、一度は練習見に行こうか?」
デンマークの練習を訪れた人は『この手の会話』がきっかけとなった人たちばかりであった
最初、いわゆる『野次馬』的な人が多かったのは事実である
最初の見学者は数百人程度であった、
しかしこの数字が日々増えていった
この数字が増えた理由には以下のことが一番大きかったと思う
ワールドカップ出場国のキャンプ地での練習というものは
非公式、非公開が通例であるが、
デンマークは違った
(イングランド、イタリア、スペイン、ブラジルといった強豪国はほとんど非公開でしたね^^;)
練習初日からデンマークチームの意向で全ての練習を公開した
さらに練習後には見学に来ていた地元サッカー少年たちを招きいれ
一緒にミニサッカーを行ったりもした
この評判を聞きつけ、デンマークというチームが
「むちゃくちゃフレンドリーで気さくな人たちばかりやで!」という口コミも相当あったという
そして、この翌日から見学に訪れる人が徐々に増えていった
初日はわずか数百人だった見学者が翌日には2000人
その翌日には2500人、そのまた翌日には3000人が訪れた
練習後には気軽にサインに答える選手たち
監督も練習後にはサッカー少年たちを招きいれ練習を指導したりもした
この監督にある記者が聞いた
「他国は練習を公開しないで、試合に備えていますけど
デンマークはこれでいいのですか?」と聞いた
すると、このデンマーク・オルセン監督はこの記者にこう答えた
「我々の強さは練習を秘密にしたところで変わらない
絶対的な自信をもって試合にのぞむだけだ
何より、キャンプ地を提供してくれた和歌山の人たちが
喜んでくれることはどんどんするべきなんだ・・・
試合も大事だが、この交流も大事にしたいと選手全員も言っている」
このオルセン監督、この発言だけでも『いい人』をかもしだしているのだが
彼のエピソードをもう一つ語ろう
ホテル入り初日のことである
デンマークチームが来日し、ホテルでの歓迎セレモニーを受けた後
再度、宿泊先のホテルの支配人と料理担当のコック長が監督の部屋へ挨拶に訪れた
「これからの数日よろしくお願いします」という言葉とともに
彼ら、支配人とコック長にはもう一つ言っておきたい・・聞いておきたいことがあった
彼らにはもう一つ『心配のタネ』があった・・・
それは食事の問題であった
ホテル側も選手たちには万全の状態で試合に臨んでほしかった
食事が口に合わない・・・それが原因ということだけは避けたかった
他国の宿泊先ホテルに連絡をすると、食事でかなりもめたという事を聞いていた
「口に合わない」「母国の材料で調理してくれ!」といった文句を
言われたという事を彼らは聞いていた・・・
デンマークが宿泊したホテルの支配人はこう言った
こういったトラブルだけは「どうしても避けたかったんですよ」と
それゆえ「最初に監督さんに聞いて、チームの意向を聞こうと思って
挨拶にいったんですよね」と言っていた
その想いから、支配人とコック長は監督の部屋を訪れた
そして通訳を介し、監督に聞いた
「食事で何かご要望とかはございますか?」と支配人は聞いた
するとオルセン監督はこう答えた
「一切お任せします そちらが用意される料理を我々はご馳走になります」と・・・
この言葉に驚いた支配人とコック長
「いや・・やはり母国デンマークの食事の方がいいんじゃないでしょうか?」
「こちら和歌山をキャンプ地に決めたときから、食事も
そちらにお任せしようと私と選手たちは言っていた。選手も理解している
全てをあなたたちにお任せします」
「あの~~他の国とかのホテルにお聞きすると・・・
食事はやはり母国のほうが好まれると聞いたものでして・・・」
この言葉にオルセン監督はこう言った
「他国は他国、我々は我々です」
この言葉に支配人は
「あの言葉で本当にホッとしましたよ・・・滞在中は無事に過ごせていただけると
あれで思いましたね」と言っていた
さらに、オルセン監督はコック長に向きなおし、言い出したという
「我々は料理をあなたに全てお任せします。よろしくお願いします」
緊張しながらも「はい!こちらこそよろしくお願いします」と答えるコック長
そして、コック長に聞くオルセン監督
「和歌山で有名な食材は何ですか?」と彼は聞いた
この質問の真意がわからずもコック長は監督に答えた
「和歌山では魚が有名です、カツオという魚が特に有名です」と・・・
するとオルセン監督は微笑みながらコック長に言った
「それでは、そのおいしいカツオを我々に食べさせてください
あなたが腕をふるって、おいしいカツオを選手たちに食べさせてやってください」と言った
この言葉にコック長は大変感激した
「世界の代表監督が、あんないい人だったからね~~
いっぺんでデンマークのファンになりましたよ!」と言っていた
この食事に対する『良き姿勢』は監督だけではなった
選手たちも同様だった
最初の食事を迎えた時、ある選手が通訳に聞いた
「デンマークでは食事するとき神への祈りをするのだが
日本では食事始める時に何かするんですか?」と聞いた
デンマークは国民の9割がプロテスタントである
神への祈りを終えてから食事を始める
この選手は日本ではこれの代わりに何かするのか?と聞きたかったのである
これに答える通訳
「日本でもキリスト信者は神に祈ってから食べるけど
たいていは手を合わせて『いただきます』と言ってから食べます」と答えた
すると彼は・・・
「こうやるの?」と通訳に聞きつつ、手を胸の前で合わせた
これに通訳は「そうそう!その両手をもう少し上に上げて!」と言った
その言葉に彼は顔の前まで手を上げる
「そうそう!」と答える通訳
そして彼はその姿のまま、コック長の方へ向き頭を下げた
それを見ていた他の選手たちも彼にならい、手を顔の前で合わせた
この時から、食事のたびに手を合わせる選手たち
コック長は言った
「今の日本人でも『いただきます』『ごちそうさま』言えないヤツが多いのに
外国の人にあんなことされたらね~~むちゃくちゃ嬉しかったですよ」と・・・
この最初に手を合わせた選手の名を・・・
トマソンといった
このトマソン選手・・・
大会では4得点をあげ
デンマークを決勝トーナメントに進出させた立役者である
あの日本代表・小野選手と同じオランダ・フェイエノールトに所属することでも有名な彼
彼は少し神経質の面を持ちあわせているのだが、非常に心優しい青年だ
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デンマーク逸話・・(3)
北欧の三ヶ国をデフォルメして象徴的に言う
スゥェーデンが作り
ノルゥーイが運び
デンマークが売る
デンマーク王国は面積は43000平方キロメートルでちなみに、北海道の半分ぐらい
人口は531万人の小国。
幸福度ランキング世界一
アンデルセンの国
・裸の王様・マッチ売るの少女・人魚姫
ロイヤル陶器、オモチャのレゴブロック
通勤4割自転車
ビール大国日本の2倍
フーリガンでなくローリガン紳士的観客態度
試合はズバリ潰しやポウルセン対策
オールセン監督の慈父の寛容さ。
言語は通常語はデンマーク語、英語でもほぼ通用する
売るというがそう簡単なる事ではない。
世界各地を飛び回ることになる。
昭和32年2月10日夜、日ノ御埼沖合いを嵐の夜に紀伊水道を神戸港へ向かって航行中のデンマーク船エレンマースク号
、大荒れの海上で炎上している徳島県の「高砂丸」を発見。
乗組員の救助にあたった際に、海中に転落した日本人船員がアル。、
自らの命を省みず、海中に飛び込み救助しようとし飛び込み力尽きて絶命した勇気の人がアル
デンマーク人クヌッセン機関長。
翌日、日高町の田杭海岸にクヌッセン機関長の遺体と救命艇が流れ着いた。
ことの次第を聞いた田杭地区の人たち
、あまりもの勇敢なクヌッセン機関長の行動に感動を受け、せめて彼の魂を弔いたいと、供養塔を建てた。
その後も住民が交互に献花、清掃をして、絶やすことなく慰霊の気持ちを捧げ続けている。
また、紀伊水道沖を見渡せる日の岬パーク内(美浜町)の高台には、
顕彰碑と胸像がクヌッセンの丘として設けられている。
、クヌッセン機関長の冥福とこの沖を通る船の航海の安全を祈願されている。
このことで学べること。。
荒れる海の環境の元で、お互いに助け合うというデンマーク人の気質が大きく影響している。
このことは、現在のデンマークの政治にもあらわれており、消費税は高いが、
ゆりかごから墓場まで、といわれるように国が国民のための政治の治世にアル
クヌッセン機関長の勇気と人間愛、その遺徳をしのび、称えている
和歌山・日高町。
このことがキャンプ地をこの町にした
デンマークという国の歴史を尊っとぶ品格ある国。。
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デンマーク逸話・・(4)
映画で観るデンマーク人
デンマーク人は何を怖がるか?
デンマーク人が作ったホラー映画
「パラサイトX 」 (2007年 / デンマーク )
デンマーク映画で、お薦め
「誰がため」(2008)
異色SF青春映画
「デュカネ U-461の謎」
メンタリティの分析に
・デンマークのラブストーリー
「恋に落ちる確率 」
「しあわせな孤独 」
・カンヌ国際映画祭でパルム・ドールや最優秀女優賞を獲得した映画
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」
監督はデンマーク人。
・アクションからも分析
「トランス・ミッション 」
「ブレイカウェイ」
すべてDVDレンタル化されています。
**************
デンマークについては何度か触れている。
クラスター爆弾
http://cache.yahoofs.jp/search/cache?p=site%3Ahttp%3A%2F%2Fdiarynote.jp%2F+%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%80%80%E3%81%9B%E3%81%8D%E3%82%84%E3%82%93&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt&u=36488.diarynote.jp/200702250855400000/&w=%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AF+%22%E3%81%9B%E3%81%8D+%E3%82%84%E3%82%93%22&d=AzRq3LZfU9qM&icp=1&.intl=jp
2007年2月24日
北極圏07年8月20日
http://cache.yahoofs.jp/search/cache?p=site%3Ahttp%3A%2F%2Fdiarynote.jp%2F+%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%80%80%E3%81%9B%E3%81%8D%E3%82%84%E3%82%93&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt&u=36488.diarynote.jp/200708201118420000/&w=%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AF+%22%E3%81%9B%E3%81%8D+%E3%82%84%E3%82%93%22&d=em88-LZfU9dC&icp=1&.intl=jp
ロシア・サミット
http://cache.yahoofs.jp/search/cache?p=site%3Ahttp%3A%2F%2Fdiarynote.jp%2F+%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%80%80%E3%81%9B%E3%81%8D%E3%82%84%E3%82%93&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt&u=36488.diarynote.jp/200607162252100000/&w=%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AF+%22%E3%81%9B%E3%81%8D+%E3%82%84%E3%82%93%22&d=cZjBELZfU98C&icp=1&.intl=jp
2006年7月16日
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デンマーク逸話・・(5)
仏教では「慈悲」を非常に大事なものと考える。
たくさんの手と道具で困っている人を救おうとなさる姿
慈悲心の大切さを表しているのが千手観音さま。
このお姿には二つの意味がこめられている
つまり
「私を助けようと待ち構えて下さっていた」
とのお姿
、「私も他の人のために何かしよう」
という勇気を分け与えて下さるお姿。
日高町では農耕神は漁業神なのか
日高町阿尾の白鬚神社にクエ祭りとして10月第二土・日曜日に実りの豊漁を奉げる
このクエ祭りは300年近くに亘って奉納されているらしい。
、古来から地元住民とクエが密着している証左として彫像さえある。
あのコウテイ疫最初の農耕の街漁業の町川南にも白鬚神社がある。
戦争なき平和なこの国はリズム溢れる時代でもある。
「九絵のバラード」と「クエクエboogie-woogie」を制作した若者たち教育機関。。
これは、日本初の国立大学観光学部と地域との連携事業らしい。
昔から歌舞音曲歌舞伎役者も出してきた文化香る地であるからだろう。
道成寺の地。
僧・安珍に清姫が懸想し、恋の炎を燃やし、裏切られたと知るや
大蛇となって安珍を追い、最後には道成寺の鐘の中に逃げた安珍を焼き殺すという「安珍清姫の物語」の地
あの井原西鶴の生誕の地との説さえ伝承されている。
将軍「綱吉」が溺愛する「娘鶴姫」のために発布した「鶴字法度」により西鶴も「鶴」の字を使えなくなる。
受難はいつの世もおなじ。
ただネット時代の闇は深く年端社会最盛期のものが
ネチネチトとネット画面にひがの一日中監視するイビツさ。
忠臣蔵の大石蔵之助の辞世の句
「あら楽し思いは晴るる身は捨る 浮世の外にかかる雲なし」
ひばりも裕次郎も52才で逝った。
西鶴の墓は誓願寺にある。
大阪中央区谷町(旧名大坂錫屋町)3丁目2番の道路脇に井原西鶴の終焉地碑が建っている。
元禄6年(1693年)その碑に時世の句
「「人間五十年の究り それさへ我にはあまりたるにましてや 浮世の月見過しにけり末二年」
NHKラジオ深夜便24日朝4時~からは100年インタビュー
堀尾正明が聞いている対談集。
ナント井上ひさしであった。
これには恐れ入った。
もちろん司馬遼太郎の秘密のことは出てこない。
物書きをめざすまで第一回
○1958阿蘇爆発
○1961年(36年)梅雨前線刺激豪雨
○1985年(60年)女子差別撤廃
75年国連総会決議、80年批准
○1989年元年美空ひばり逝く
国民栄誉賞で追表彰された
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