落語的人生
2004年6月1日この齢となり、いくら馬齢を重ねようとも自己管理は難しく、
各々ストレス解消法はを持ってるはずだ。
私の場合は、・・・愚痴を言う。・・・この日記を書くことである。
よって後で読んでみるとどうにも恥ずかしい、人格も品位もないものと成っている。
人間は多面体、あの人が・・では困る。
仕事と自由人では当然違うであろう。違うべきである。
然るに毎日ひどい残業が連日続くとその多面体の部分が機能しなくなる。
仕事モードのみが続くわけだ。私の場合は根っからの躁鬱病があるようなので特別である。
自覚していないのやも知れぬ。
唯ただひとつの真実は会社愛、ただそれだけである。
APAの発展のみである。何の私心もなく必死で取り組んでいる。
毎日がこれ勉強である。
苦痛と感じたこともなく、勝手に楽しんでいる。典型的な仕事バカ、仕事中毒である。
畑から見れば身いわくであろうが、結構楽しんでいる。
物を知るにはこれを愛せねばならぬ。物を愛するにはこれを知らねばならぬ。哲学者たる西田幾太郎の言葉である。
高鍋で10kW以上の現場である、Nedoの物件の配線工事の現地協議。
正確無比この上もなく動くコンピューターの如きお客さんとの協議である。○藤さんがいるので実に楽。
私といえば近隣の名物団子屋さんで買ってジュースを届けるだけ。
薄給ゆえ1200円の出費は痛いが和やかな状況を維持する為の最低限の出費である。会社は金だせ!
その合間を見て高鍋大会社の挨拶、回りの営業である。
なかなか多忙で相手にもしてもらえないような状況である。
帰りのラジオでは、永六輔、小沢昭一と贅沢な方が連続でラジオ番組をやっている。
その前の11時05分からのラジオの電話悩み相談の法は、営業の方は聞かれたことがあるであろう。
ここいらが、外回りの唯一の楽しみ。
お客さんとの緊張する会話のあとを癒してくれる。
100年を迎えた新潮を読んでると、野坂昭如が紀行文を寄せ、始めて、脳溢血で療養中であることを知った。
権力者田中角栄絶頂期の頃に新潟3区で対立候補として勇ましく散ったつわものである事を知っている。
それも参議院の在籍しているのをかなぐり捨ててであったと思う。
ちゃきちゃきの江戸っ子を感じた。男子の本懐の見本見たいであった。
「とある有名人・・長島成雄の・・・この病の先輩である、」と喝破している。
不自由な闘病生活に負けることなく、これでは円楽演じる落語の死神の世界で不幸もよってはきまいて。
病は気から、病気を呼び込む奴がいる。声は大きく、常に明るく元気がいい。
私その者。与太郎を演じたり、年老いたご隠居さんであったり、営業職人であったり八面六臂のAPAへの愛である。
動かぬ人差し指も医者要らずで治癒しつつある。
尤も爪は死んでるようだ保険証無しの貧乏が本音であったのだが、おくびにも出さない。
常に武士は食わねど妻楊枝。
交際費は毎日、捻出できても、自分にかける費用はビタ一文もない。
まるで落語の世界の如き毎日である。
日刊スポーツで円楽党、好楽も55歳になっているようで25歳の息子ヶいても何ら不思議ではない。
その子息が円楽の最後の弟子になった。王楽で二つ目である。
林家正蔵,彦六(三平家に名跡を返したため小さき頃に見た映画、彦六故郷に帰るkら改名、さ〜てあってるかな20数年前の記憶だ。
)の弟子たる好楽はオヤジが上手くないので所詮笑点の素人タレント落語家がお似合いだろう。
林家木久蔵は明治以来の三遊派を脈々と引き継ぎ、滑稽、人情もやれいい。その門戸を開いた大衆性がいい。絵もいいが(NHK12チ
ャンネルの落語の番組の表紙を飾ってるほどだ。)息子林家きくおは新作もよければ、きくおの演る「ちりとてちん」は「酢豆腐」の上方版。
5代目柳家小さんの持ちネタであったが見事に料理している。
滑稽落語たる柳派を発展させることであろう。
安藤鶴夫ことアンツルさんや山岡容等ご意見番、評論家亡き後、山本益博はなんか料理評論家みたいになってるようだし
私が評論をし、ついでコケ落として芸人を磨いてやるか。時間がないわ〜。
『新宿末広亭』が、近い将来なくなってしまうことは間違いない、
東京名所が消えるのは、私の命が消えるようなものということだ。
都内唯一の木造の寄席、表には寄席幟(のぼり)、出演者の名前の寄席文字看板。寄席提灯に寄席囃子。新宿の高層ビル街から一
歩寄席の中へ入ると、明治や大正にタイム・スリップ
ザ・江戸との雰囲気になってしまう、何とも言えないあの空間。
ゆったりと流れる時間。
玉置宏の言うところの『寄席情緒』。・・・・・それが我々の前から姿を消す。
池袋演芸場 の畳席が消える時は泣いた。
わざわざ、宮崎より香りを楽しみに最後を過ごした。
ビルの椅子の席の池袋演芸場の味気ないこと。
立川談志の必死の努力も実らなかった。最後の火か消えた。
都内の『寄席定席』が姿を消してしまう日も、そんなに遠くはないだろう。
いずれ、「寄席で笑ったことがある」ということが語り草になろう。
、「俺は双葉山の相撲を生で見たことがある」というよう、・・・・・
長く行き過ぎた。いや感謝しよう。、『寄席』を生で見ることができるこの時代に生まれ幸せに。
日本大衆文化たる「寄席という所は、こんな所だった」と、この時代に生まれ合わせた世代として、後世の寄席を知らない世代に語り継ぐ義務があるのかもしれない。
浅草木馬館で浪曲でも聞きノスタルジーに浸ってるのが関の山か。
底浅き文化行政に涙する。コレジャ拉致問題ひとつ解決せぬワナ〜
民族は文化の共有からくるものであろうヨ。
円楽は総領たる鳳楽にその座を譲ってるわけだが、志ん朝亡き後、談志とともに重鎮として頑張ってもらわねばならぬ。
かって宮崎落語会にご協力をを頂き尽力を尽くされた。
淡い過去の苦き残滓。
馬つら、星の王子様を売りにしていたがどうであろう。
円楽は黒柳哲子に語っている。
≪長い長いって言いますけどそんなに長くはないんですよ。大体外人は長いですよね。ゲーリークーパーが一番長いですね33セン
チ。続いてグレゴリーペックが32センチ、ジョン・ウェインが31センチ。それで私は28センチなんです。≫
「それは誰がはかったんですか」
≪私がクーパーの写真をひきまして縮小して測りました。≫
「でもすごいですね円楽さんより5センチ長いってどんなに長いんですか。クーパーって言う人は”モロッコ”とか深刻な映画が多
いんですけど喜劇が上手いんですね。へえー円楽さんより5センチ長いじゃ円楽さんのこと馬だなんて失礼ですよね」
江戸っ子同士の会話は気品に満ち溢れている。
・・・・・・・こんな文章もある・・・
白米を常食に副食のない食事はオイル切れのガソリンエンジンが過熱して焼付くように、若者の躰が焼付くのが江戸煩い。これがビタミンB1の不足からくる脚気である ・・・・
わが宮崎の人たる高木覚兼が解決した病も情緒を持ってかたられる。
明日の仕事探しに必死になってるのに
夜9時半すぎ仕事を言い出したり
3時頃防衛庁のニュースが飛び込んできたのに伝え聞いたのは、
夜9時前。
能天気を通り越している。
先日値切られた8万円の回復で総額1806000円で悩み解消。
社員たる沼○さんの二重在籍を本人自身が認める。
夜8時過ぎの二人の会話。
APAの眼前に立ちはだかる奴は生命を賭して排除する。
各々ストレス解消法はを持ってるはずだ。
私の場合は、・・・愚痴を言う。・・・この日記を書くことである。
よって後で読んでみるとどうにも恥ずかしい、人格も品位もないものと成っている。
人間は多面体、あの人が・・では困る。
仕事と自由人では当然違うであろう。違うべきである。
然るに毎日ひどい残業が連日続くとその多面体の部分が機能しなくなる。
仕事モードのみが続くわけだ。私の場合は根っからの躁鬱病があるようなので特別である。
自覚していないのやも知れぬ。
唯ただひとつの真実は会社愛、ただそれだけである。
APAの発展のみである。何の私心もなく必死で取り組んでいる。
毎日がこれ勉強である。
苦痛と感じたこともなく、勝手に楽しんでいる。典型的な仕事バカ、仕事中毒である。
畑から見れば身いわくであろうが、結構楽しんでいる。
物を知るにはこれを愛せねばならぬ。物を愛するにはこれを知らねばならぬ。哲学者たる西田幾太郎の言葉である。
高鍋で10kW以上の現場である、Nedoの物件の配線工事の現地協議。
正確無比この上もなく動くコンピューターの如きお客さんとの協議である。○藤さんがいるので実に楽。
私といえば近隣の名物団子屋さんで買ってジュースを届けるだけ。
薄給ゆえ1200円の出費は痛いが和やかな状況を維持する為の最低限の出費である。会社は金だせ!
その合間を見て高鍋大会社の挨拶、回りの営業である。
なかなか多忙で相手にもしてもらえないような状況である。
帰りのラジオでは、永六輔、小沢昭一と贅沢な方が連続でラジオ番組をやっている。
その前の11時05分からのラジオの電話悩み相談の法は、営業の方は聞かれたことがあるであろう。
ここいらが、外回りの唯一の楽しみ。
お客さんとの緊張する会話のあとを癒してくれる。
100年を迎えた新潮を読んでると、野坂昭如が紀行文を寄せ、始めて、脳溢血で療養中であることを知った。
権力者田中角栄絶頂期の頃に新潟3区で対立候補として勇ましく散ったつわものである事を知っている。
それも参議院の在籍しているのをかなぐり捨ててであったと思う。
ちゃきちゃきの江戸っ子を感じた。男子の本懐の見本見たいであった。
「とある有名人・・長島成雄の・・・この病の先輩である、」と喝破している。
不自由な闘病生活に負けることなく、これでは円楽演じる落語の死神の世界で不幸もよってはきまいて。
病は気から、病気を呼び込む奴がいる。声は大きく、常に明るく元気がいい。
私その者。与太郎を演じたり、年老いたご隠居さんであったり、営業職人であったり八面六臂のAPAへの愛である。
動かぬ人差し指も医者要らずで治癒しつつある。
尤も爪は死んでるようだ保険証無しの貧乏が本音であったのだが、おくびにも出さない。
常に武士は食わねど妻楊枝。
交際費は毎日、捻出できても、自分にかける費用はビタ一文もない。
まるで落語の世界の如き毎日である。
日刊スポーツで円楽党、好楽も55歳になっているようで25歳の息子ヶいても何ら不思議ではない。
その子息が円楽の最後の弟子になった。王楽で二つ目である。
林家正蔵,彦六(三平家に名跡を返したため小さき頃に見た映画、彦六故郷に帰るkら改名、さ〜てあってるかな20数年前の記憶だ。
)の弟子たる好楽はオヤジが上手くないので所詮笑点の素人タレント落語家がお似合いだろう。
林家木久蔵は明治以来の三遊派を脈々と引き継ぎ、滑稽、人情もやれいい。その門戸を開いた大衆性がいい。絵もいいが(NHK12チ
ャンネルの落語の番組の表紙を飾ってるほどだ。)息子林家きくおは新作もよければ、きくおの演る「ちりとてちん」は「酢豆腐」の上方版。
5代目柳家小さんの持ちネタであったが見事に料理している。
滑稽落語たる柳派を発展させることであろう。
安藤鶴夫ことアンツルさんや山岡容等ご意見番、評論家亡き後、山本益博はなんか料理評論家みたいになってるようだし
私が評論をし、ついでコケ落として芸人を磨いてやるか。時間がないわ〜。
『新宿末広亭』が、近い将来なくなってしまうことは間違いない、
東京名所が消えるのは、私の命が消えるようなものということだ。
都内唯一の木造の寄席、表には寄席幟(のぼり)、出演者の名前の寄席文字看板。寄席提灯に寄席囃子。新宿の高層ビル街から一
歩寄席の中へ入ると、明治や大正にタイム・スリップ
ザ・江戸との雰囲気になってしまう、何とも言えないあの空間。
ゆったりと流れる時間。
玉置宏の言うところの『寄席情緒』。・・・・・それが我々の前から姿を消す。
池袋演芸場 の畳席が消える時は泣いた。
わざわざ、宮崎より香りを楽しみに最後を過ごした。
ビルの椅子の席の池袋演芸場の味気ないこと。
立川談志の必死の努力も実らなかった。最後の火か消えた。
都内の『寄席定席』が姿を消してしまう日も、そんなに遠くはないだろう。
いずれ、「寄席で笑ったことがある」ということが語り草になろう。
、「俺は双葉山の相撲を生で見たことがある」というよう、・・・・・
長く行き過ぎた。いや感謝しよう。、『寄席』を生で見ることができるこの時代に生まれ幸せに。
日本大衆文化たる「寄席という所は、こんな所だった」と、この時代に生まれ合わせた世代として、後世の寄席を知らない世代に語り継ぐ義務があるのかもしれない。
浅草木馬館で浪曲でも聞きノスタルジーに浸ってるのが関の山か。
底浅き文化行政に涙する。コレジャ拉致問題ひとつ解決せぬワナ〜
民族は文化の共有からくるものであろうヨ。
円楽は総領たる鳳楽にその座を譲ってるわけだが、志ん朝亡き後、談志とともに重鎮として頑張ってもらわねばならぬ。
かって宮崎落語会にご協力をを頂き尽力を尽くされた。
淡い過去の苦き残滓。
馬つら、星の王子様を売りにしていたがどうであろう。
円楽は黒柳哲子に語っている。
≪長い長いって言いますけどそんなに長くはないんですよ。大体外人は長いですよね。ゲーリークーパーが一番長いですね33セン
チ。続いてグレゴリーペックが32センチ、ジョン・ウェインが31センチ。それで私は28センチなんです。≫
「それは誰がはかったんですか」
≪私がクーパーの写真をひきまして縮小して測りました。≫
「でもすごいですね円楽さんより5センチ長いってどんなに長いんですか。クーパーって言う人は”モロッコ”とか深刻な映画が多
いんですけど喜劇が上手いんですね。へえー円楽さんより5センチ長いじゃ円楽さんのこと馬だなんて失礼ですよね」
江戸っ子同士の会話は気品に満ち溢れている。
・・・・・・・こんな文章もある・・・
白米を常食に副食のない食事はオイル切れのガソリンエンジンが過熱して焼付くように、若者の躰が焼付くのが江戸煩い。これがビタミンB1の不足からくる脚気である ・・・・
わが宮崎の人たる高木覚兼が解決した病も情緒を持ってかたられる。
明日の仕事探しに必死になってるのに
夜9時半すぎ仕事を言い出したり
3時頃防衛庁のニュースが飛び込んできたのに伝え聞いたのは、
夜9時前。
能天気を通り越している。
先日値切られた8万円の回復で総額1806000円で悩み解消。
社員たる沼○さんの二重在籍を本人自身が認める。
夜8時過ぎの二人の会話。
APAの眼前に立ちはだかる奴は生命を賭して排除する。
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