THE  END

2004年6月20日
只今午前3時。先ほど病院に挨拶して帰って書いている。
交通事故である。

私は右折しようと止っている。
非常に遠くに対向車が見えるがそれ以外に車両らしき物はない。

後ろに2台が待っているので右折をせねばならぬのかと思った。
そのとき前方に物体を確認した。

ところが40〜50KMで飛び込んでくるバイク。
私の後ろで止っている目撃者が証言してくれた。

無灯火バイクなのである。
あれでは・・・・

ここまではあってはならないが普通の交通事故なのだが、それがいけない。

事実は小説よりも奇なり。
あれほど満喫していた24時間の自由が束縛されるであろう。

先日は早く帰るよう讒言が社長に届いたようで注意を受けた。
よって、この3日間早く引けていた。

日記の乱れが生じた。朝、前日をあげる状況であった。
四面楚歌の様相であった。体力もそうであったろう。

12時すぎてからはじめるこの日記の為、朝方まで必死の形相で書いていた。それが出来なくなる。至極残念である

20.000目前でダウンである。
自業自得、神は何処までいたずらするのか。

再会の日までお元気で。
私が凶を一身に背負っているのでこの世界には不幸はないはず。

ひたすらお幸せを祈ります。
サイチェン!
病院での発表は足首の骨折だけですんだ。腹水はどうやら解消したらしい。

予測していた腹水の怖さ・・大事故に比べると・・不遜を許していただきたいが、ひとまずよかった。

回復、治癒は随分と日にちを拾わなければならないだろうから、十字架を背負わなければならない。

幾分かの恣意があるやだが会社APAの唯それだけである
まだこの世に生きている。ただよってる。比岸と 彼岸。

地球の不思議さでもあるが24時間には昼と夜がある。地球の活動に特に動物に必要な環境である。

昼と夜のその間に、たそがれ、しののめとがある。どちらにも属さない空間である。

先の芥川賞の中陰の花でその世界が克明に描かれた。
動物たる、人間の間にもいえる。

「夜と昼の間に」の歌も美川憲一だから良いのであり、黒蜥蜴は三島由紀夫の三輪明弘だから神秘を帯びる。

それは仏教圏内だけでなく洋の東西を問わずあるようである。
生き物にしてもそうだ。

魚と人間のあいだのアンデルセンの人魚姫。
哺乳類と鳥類の間のコウモリと神聖なるものの不吉としてある。

清め、お払いが何も日本古来の儀式ではないかのように存在する。
姉の魂にしてもそうだ。成仏できずのこの悪戯であろう。

母や父もそうだ。私の生き様の全否定なのであろう。
すくなくとも一生懸命は解ってほしいものを
人の道たるものを踏み外しているのであろう。

まだここにいる。自由を謳歌している。
何気ないこのひと時がこれが人間の真の幸せの実態であるのか。

私の総てに不安が覆い被さり、消化器系は穴があきボロボになってるだろう。
二食抜いても平気である。おかしい。

台風接近、2〜3の天気情報を追っている。
高千穂でエコキュートの工事で朝悩んだ。

やめて、返らすか。着工か。

天気は嵐の前の静けさ。宮崎市内は晴天で無風なのである。現地は向山なる高千穂の中でもより道路事情の悪いところ。

4名の職人さんを考えると心配どころではない。神の地高千穂を信ずることとした。

夕方6時30分終了の歓喜の連絡。外は相当の風が吹いている。
無事3時間の道中をこなしてと自然の猛威と戦う気概で南無八幡大菩薩に祈る。

台風は私に対する試練である。
荒れ狂え!丁度良い。疾風怒濤。半狂乱の状態が真実である。

心の不安はいずれ生命を拒絶し死に導くであろう。
死だけは自分では選べないが、掟破りの手もないではない。

非法な手段を選ぶ気持ちさえわからぬではない今の私である。
こここそ踏ん張りどころ。人間の真価が問われている。

真摯に目標成就まで精一杯頑張りぬく。
どんな哲学書より万巻の書より大事なことである。

まだ、負けぬ。この世で頑張る。
真実を世間に問うまでは譲れない課題である。

いつも登場する専務のお陰で昨夜、早朝と過ごせた。
ただただ感謝である。

会社の善後策を練るが何ら親展なし。せんむ!どんげすっと!
いつものように叫びたいが夢のまた夢。ナント幸せであったことか。

幸せはそう長くは続かぬものだ。
幸せ探しの人生は希望をたからかにケセラセラがいいようだ。

散々な父の日。社会人たる子供たちの安穏を祈る。
藍ちゃんまた勝った。最後はよくきめた。有り難う。

松井vs野茂はホームランと三振。
松井の頭上を越える野茂のホームランのおまけつき。
本当に有り難う。私もガンバ。

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