6月26日の日記

2004年6月26日
1日で何ができるのか。
連日、日常の連続性の仕事がはいり何もならぬ。

過去の仕事の清算と今後の展望のみで行動せねらならぬのに、そう言うわけにはままならぬようである。これではいかぬ。

落ちぶれて袖に涙のかかるとき人の心の奥ぞ知らるる

新たな気持ちで新鮮に感じ取れる人間の行為。
道を尋ねる・・・、仕事の応援をもらう。・・・

馬齢を重ねるだけでなく自分の置かれてる環境からかんじとれるもののようである。

どんな鈍い奴でもそうなることであろう。
おかれてる存在がその人の認識を決めていく
との哲学の命題が実感できて行ける。

高鍋の大きな仕事の基礎資料作りの話し合いで図面をお願いした。
当方ったら何もしてなくはづかしき限り。

ZEAL故事の追加部材の大金20万円の穴を埋めていただく。夕方には伝票さえきてた。

都城の電話で13時30分の約束、山口のメーカーに連絡をとり現地に飛ぶ前にAPAで処理をして飛ぶ。仲間のスタッフとの美しき連係。

佐土原の連係4,0KWは大先輩に代わってもらう。
実に楽しき見事な連係プレイ。何でもきやがれ!ってんだ!

屋根に登り実寸の測量で随分とおおきな数値の差が出る。
パネル枚数のやり直しである。山田町の現場に行き屋根寸とり。

高千穂に基礎コン打ちのほうは屋根寸とりの了解が出ない。
電話での仕事の限界である。

途中大塚台の応援依頼で高鍋で補修中の職人さんを派遣依頼。
昼は3時過ぎ。同行の専務にこんな生活を披瀝、

大変でしょうとひたすら引継ぎの下準備の為の私なりの配慮をどう受け止めているのか。

ハンドル持ってるだけじゃネェゾ!と叫びたい。
先を見て仕事を埋め込んでいく芸当はそうたやすくできるものではない。

どうにも先が思いやられる。人材難をいまさら気づかされる。
いいわな〜気楽な人生。
これでも同じなんだから。社員としての社会的認知たる存在は。

高岡の基礎屋さんに見積もりをしてもらえるか伺いを立てる。
その営業エリアと仕事内容にただただ敬服した。

社で準備資料を探すが最初からつくらネバならぬ。
福岡に提出した資料の不足を並行して進めている。

高千穂組みに依頼してどうにか持ち帰ってもらった。
常に全体を見て欠けてる点のチェックを怠らない。

目間ぐるしい何処ではない。

・・・・この人には無理だ。多面的発想、行動はできぬ。どうも能力のようである。

誰かおらぬのか。選択して動いているがどうにも不安である。
このままではずるずる日にちが頭上を通リすぎていく。

早いもんではない。どうしようもなく早すぎる。
それにしては進まず、新たな次の周の仕事探しとの習性が抜けない。

NEDEの新たな募集で延岡をはじめ手がけておられるところに第一報。
兎に角情報を知らせひたすらお客さんとつなぐ。

大変じゃナア〜じゃすまん事態なのにどうにもわかっていない。

かくばかり偽り多き世の中に子の可愛いさは誠成りけり。

子別れ、ねずみ穴 などで振られるが、金馬のは良かった。
大所の円生、なり志ん生ではダメなのである。

名犬アトムと何時間も遊ぶ。社長の訓練のたわもの。

佐川章著創拓社刊「作家のペンネーム辞典」
齊藤宗吉の本名の北杜夫は父たる医師で歌人たる齊藤茂吉の文学者への道へ反対をペンネームで隠した。

トーマス・マンの「トニオ・グレーゲル」のトニオ=杜ニ夫をとる変だからととニをとった。杜夫の完成である。

平岡公威は親も官僚で本人も東大官僚。
ちなみにこの人三島由紀夫である。

三島の場合は作品の編集会議は三島であった。
窓の外に富士山が見える。
富士山から雪を連想し雪=由紀と転じて三島由紀夫の完成なのである。

中原中也の恋人を妻にした小林秀雄は実名を通した。
森崎和江は宗像在住の作家見識が広気お話を伺いたいものだ。

意見聞くときゃ頭をお下げ下げりゃ意見が通りこす不孝者
怯えの中での日常だが満足する引継ぎが進まずこれでは意味がないのではないか。

焦りが恐怖となり大きく包み迫ってくる。

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