三島由紀夫
2007年9月10日水道橋ドームだったんだろう。凄い三連戦。
激闘になると戦力とか関係なくなりやはりスポーツをこえたる喧嘩魂の阪神に分があるのか。
おかげで一挙に3位に転落。?だろう?あああああああああああっ。(あれ?PCさえおかしい。)
安倍退陣?退陣・・・・
文化の発信地、歴史の宝庫、品格ある生き様・・・田舎モンは江戸にあくがれる。
日本橋生まれの谷崎潤一郎が江戸っ子論を書いている。
礼儀正しいこと。
実直であること
金銭に淡泊であること。
もう一つ見栄坊であること。
父は商売人でも損ばかりしている。
なれの果てと見くびった。
神田生まれの小林秀雄は「きれいな東京弁。」
志ん生に似た語り口であった。らしい。
それでも江戸弁に忘却を感じてるようだ。
「私どもの世代はモウダメです久保田万太郎さんの世代までです。」
明治22年浅草NHKCD「荷風と潤一郎」
口舌は高ッ調子で歯切れ良く商家の隠居を髣髴。
大村彦次郎著「万太郎松太郎正太郎」筑摩から刊(で)た。
大村彦次郎は日本橋生まれ、小説ゲンダイ群像編集長でこの人以外書けなかった本。
人それぞれ履歴をさかのぼれば生まれ育った幼児の土地のにおいや色合いは
総簡単に拭えるものではない。
下町は商人と職人の町であった。
モラルや美意識その土地に育った
気質や思考に色濃く反映されている。
久保田川口池波いずれも下町浅草
水上龍太郎広津和郎との差は大きい。
吉村昭日暮里、色川武大牛込・・・・
山本周五郎の作品は一幅の名画を見る想いの要素がどれにも詰まっている。
「 柳はし物語」は20代の頃と50代の今では読後感がこんなに違うものか。
名作といわれる所以である。
原発の技術的危機に奔走す人は三島嫌いのお方。
築地橋 をもとに三島由紀夫の作品に「橋づくし」がある。
落語会でその場で三つのお題をお客から頂きその場で噺として作り上げる技がある、
三大噺といい、、真景かさねが淵もそのひとつ。
於材木で助かった。=お題目(南無妙法蓮華教)で下げる。
日本人初のノーベル賞は弟子たる三島由紀夫の文学があればこそ川端康成が代表で得たようなもの。
1970年12月。市ヶ谷バルコニーの勇士は敵ながらアッパレ!左右翼をとわずの衝撃。
三島由紀夫「橋づくし」も三大噺みたいだ。
お題は、東京の銀座裏、芸者、昭和三十年代が織り込まれてる三っつの要素
小説のあらすじはこうである。
銀座板甚道の分桂屋の芸妓たちが、陰暦八月十五日の夜に願掛け詣りに出かける。
小弓、かな子、かな子と親しい新橋の料亭米井の娘満佐子、
女中のみなは先月東北から出てきたばかりの四人。
願いがかかるには四つの条件をクリアーすることが前提である。
互いに一言も口をきかず、
誰からも話しかけられずに
同じ道を二度歩かずに
築地川に架かる七つの橋を無事に渡る。、
そうすれば、それぞれの願掛けが叶うというのである。
小弓は「お金が欲しい」
、かな子は「良い旦那に恵まれたい」
、満佐子は「いちど店にきた映画俳優Rと一緒になりたい」
、みなの願いだけは分からない。
渡る橋は、築地から新富町あたりの築地橋、入舟橋、暁橋、堺橋、備前橋、三つ又の三吉橋は二つ
に数えて、つごう七つの橋。
四人は揃って願掛けの橋に向かって歩きだす。
月が出ており、街は寝静まっている。
「四人の下駄の音が、月の硬い青ずんだ空のおもてへ、ぢかに弾けて響くやうに思われる」
満佐子とかな子は、小指をからみ合はせて歩いている。
夜気は涼しく、八ツ口から入る微風が、出しなの興奮で汗ばんだ乳房を、
しづかに冷やして引締めているのを、二人ながら感じている。
「お互ひの小指から、お互ひの願望が伝はってくる
無言なので一そう鮮明に伝はってくるのである」と歩き出しの情景こう描く
最初の三吉橋の袂で一同、手を合わせて祈願を込める。
橋に鈴蘭燈が立っている。
第三は築地橋。「風情のない橋である」
かな子が腹痛のためここで脱落した。
第四は入舟橋、
第五の「毒々しいほど白い柱の」暁橋で小弓が知り合いから声をかけられて脱落。
第六の橋、堺橋は「緑に塗った鉄板を張っただけの小さな橋だが満佐子は橋の袂で手を合わせているところを
警官から投身自殺と間違えられて声をかけられ逃げ出すが橋のなかほどで警官に手をつかまれて脱落。
備前橋まで無事渡りおおせたのは願掛けの内容が最後までわからなかったみなだった。
いまこれらの橋の下に水の流れはない
「知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる」
青山士( あきら、1878年9月23日 - 1963年3月21日)は、静岡県磐田市の人
日比谷一高東大、土木工学を治めた。
台風9号に「0m地帯」の東京の被害が無いのは大川改修があったればこそだ。
一高在学時に内村鑑三の講演を聞き門下生となる。
パナマ運河建設に携わった唯一の日本人であり、荒川放水路の建設、信濃川大河津分水路の改修工事を指揮した。
「有島武郎のという小説は、青山士を横浜港に見送る光景から始まる」ハスの博士、大賀の解説がある。
青山、有島、大賀、志賀直哉、正宗白鳥、岩波書店・岩波茂雄・・内村鑑三の弟子。有島だけが背教者となった
青山は終生、武士道とキリスト教をひとつにした信仰をつらぬいた。
1904(明治37)年単身渡米パナマに渡った。
初めは酷暑の野外測量員だったが、優秀な技術を認められ、ガツンダムや閘門の設計等に従事し機械土木工学の先端知識を吸収。
米国の外国人排斥にあい完成をみず帰国。
1912年内務省に入省。1912(大正1)年から荒川放水路建設(現在の荒川下流域)の陣頭指揮を取り、総責任者。
業者の賄賂をはねつけ、河口にある完成記念石碑に彼が撰した文字には、関係者の努力を讃えるのみで彼の名はない。
また信濃川大河津分水可動堰も1931(昭和6)年完成させた。
1934(昭和9)年、第5代内務技監に就任。翌年土木学会長。
2年間務めるも、技官と事務官の人事紛争に巻き込まれ、責任をとる形で辞職。
太平洋戦争中、パナマ運河への攻撃を立案していた海軍からパナマ運河に関する情報提供を求められたが、
土木技術者の良心に基づいて、これを拒否した。生活は困窮を極め清貧の中に一生を終えた。
若き方に申し上げたい。今の価値観では不思議なことを覚えている。
岩波文庫には値段が書いてない。★印である。
この7月10日で、岩波文庫が創刊80年を迎え、古今の名著5433点・3億5000万冊。絶版が解消された事だろう。
これまでの日本での良書廉価販売システム構築の功績は大きい。
昭和10年代、文庫100ページで定価20銭、背文字の下に★印東京の市内電車は片道10銭で「往復歩けば
岩波文庫の★印が1冊買える」と諭され、歩いたとある。
むかし陸軍で、歴史教官の村尾次郎中尉が岩波文庫を手にして教室に入って来た時
平福百穂(ひゃくすい)画伯が正倉院の古鏡からヒントを得て描いたというその表紙を見ただけで
「ああ、岩波文庫!」と文化の香りを喜んだと書く。
三木清とだったか岩波茂雄と二人で文庫本にある扉を書いた。
「真理は萬人によって求められ」
文庫100ページで定価20銭、背文字の下に★印があった
昭和10年代、東京の市内電車は片道10銭で「往復歩けば岩波文庫の★印が1冊買える」と諭され、歩いた人がいる。
鎌倉に眠る岩波茂雄という骨太の人物が一人いて、日本人の教養の基礎がどれだけ固められたか。
内村鑑三が一人現われて、日本人のキリスト教がどれだけ深められたか。
神に選ばれて舞台に立ち歴史を創るのは鍛えられし骨太の個人。
先人曰く若者よ体を鍛えておけ! 口ずさんだ。
ただ、国会、政治状況を無視して安倍信三の政治家としての信条は神は認めるのか。
マックス・ウエーバーの「職業としての政治」の項がある。
政治家の資質として、情熱、責任感、判断力、虚栄の排除を挙げる。
国を代表するに自分を照らしては見ないんであろうか。
読書の秋に私と違ってビジネスクラス症候群に悩まずにすむ、
、空飛ぶセールスマンでは無理か。
河童の川流れ!この軽薄者!
ラジオ11時〜日曜名作座.
「キガ旅行」原作阿久悠、平成3年放送出演。加藤道子・森繁久弥
淡路島からふるさと宮崎へ息子の遺骨を運ぶ巡査夫婦。
「別府航路」の夜半の神戸港。六甲の連山をみながら
2等船客室の階段の下、柳ごうりで境界線をつくりスペースを取る時代背景がよく出ている。
ここれで物語が繰り広げられる。
要領よい娘が1等船室客しか借りられないのに呼ぶ。
船の社員にワイロ金握らせて確保した。
それはそれで、正直者巡査は正規の場所に戻る。
8人ぐらいがおなじデッキにいることになる。
「これも何かの縁、酒でも飲み陽気にたのしくやりましょう。」
「闇屋が大出費この避けをご提供しましょう。」
ウイスキーをまわす。
「ワシは巡査闇屋は嫌いだ。」
「正義を信念ナルホドよくぞ正直にまぁ総言わずに・・」
「あんまり言うと非合法の闇屋ではないか。逮捕するぞ」
「旦那そうおっしゃいますがね品物届けると闇品でも泪流して喜ぶ。」
「闇屋は闇屋じゃぁわしやぁスカン」
「庶民の幸せに役に立ってる。泪流して喜ぶ。」
「闇屋の酒など堕落じゃ〜だが、味は格別ジャァ」
「闇屋に巡査この航路に限りお見逃しでお願いしますよ」
「非合法の闇屋ではないか。闇屋を先に言うな。巡査に闇屋、天下のこうぼうの先に立つな。」
「法律のあいだで答えてる。正義は不要ドロかぶれ」
「やめて政治家になる。」
巡回さん
劇映画フイルムを公民館、学校に持ちまわってる夫婦
復員兵と別保温泉にいき芸者になる。
サーカスの二人。ブランコさん
「フイルムは何がある。」
「いまは愛染かつら」
ハーモニカの得意な復員兵隊
歌う芸者「愛染かつら」
花も嵐も〜ふみこめえて〜〜
映写会をしよう。
電源があれば出来る。
一生忘れられない思い出になるよ。」
「戦争が終わって長男20で戦死故郷の墓地」
「20さいですか。志願ですね。」
「戦後が始まらん。志願兵17歳でした、」
「志願しなきゃぁ生きていた。兵隊さんは・・」」
「使命と責任!遺族に最後を話す。」
「気持ち何故生きている。」
「生きるために忘れることはできないのか。」
申し訳ない
「生きる権利がある。忘れなさいこまるではないか。自らを失う。」
「忘れるんや兵隊さん」
美しき天然。ジンタ
「ハモニカやれけ!おおっ!サーカスノうた。」
リリーと怪人。足の先でグルグル回る。虐待芸の至芸
「問題を起こすな手錠をかけるゾ」
月の光は海を照らし贅沢である。原始・神秘と畏れ。
「わが子よ、心せよ。書物はいくら記してもきりがない。学びすぎれば体が疲れる」
激闘になると戦力とか関係なくなりやはりスポーツをこえたる喧嘩魂の阪神に分があるのか。
おかげで一挙に3位に転落。?だろう?あああああああああああっ。(あれ?PCさえおかしい。)
安倍退陣?退陣・・・・
文化の発信地、歴史の宝庫、品格ある生き様・・・田舎モンは江戸にあくがれる。
日本橋生まれの谷崎潤一郎が江戸っ子論を書いている。
礼儀正しいこと。
実直であること
金銭に淡泊であること。
もう一つ見栄坊であること。
父は商売人でも損ばかりしている。
なれの果てと見くびった。
神田生まれの小林秀雄は「きれいな東京弁。」
志ん生に似た語り口であった。らしい。
それでも江戸弁に忘却を感じてるようだ。
「私どもの世代はモウダメです久保田万太郎さんの世代までです。」
明治22年浅草NHKCD「荷風と潤一郎」
口舌は高ッ調子で歯切れ良く商家の隠居を髣髴。
大村彦次郎著「万太郎松太郎正太郎」筑摩から刊(で)た。
大村彦次郎は日本橋生まれ、小説ゲンダイ群像編集長でこの人以外書けなかった本。
人それぞれ履歴をさかのぼれば生まれ育った幼児の土地のにおいや色合いは
総簡単に拭えるものではない。
下町は商人と職人の町であった。
モラルや美意識その土地に育った
気質や思考に色濃く反映されている。
久保田川口池波いずれも下町浅草
水上龍太郎広津和郎との差は大きい。
吉村昭日暮里、色川武大牛込・・・・
山本周五郎の作品は一幅の名画を見る想いの要素がどれにも詰まっている。
「 柳はし物語」は20代の頃と50代の今では読後感がこんなに違うものか。
名作といわれる所以である。
原発の技術的危機に奔走す人は三島嫌いのお方。
築地橋 をもとに三島由紀夫の作品に「橋づくし」がある。
落語会でその場で三つのお題をお客から頂きその場で噺として作り上げる技がある、
三大噺といい、、真景かさねが淵もそのひとつ。
於材木で助かった。=お題目(南無妙法蓮華教)で下げる。
日本人初のノーベル賞は弟子たる三島由紀夫の文学があればこそ川端康成が代表で得たようなもの。
1970年12月。市ヶ谷バルコニーの勇士は敵ながらアッパレ!左右翼をとわずの衝撃。
三島由紀夫「橋づくし」も三大噺みたいだ。
お題は、東京の銀座裏、芸者、昭和三十年代が織り込まれてる三っつの要素
小説のあらすじはこうである。
銀座板甚道の分桂屋の芸妓たちが、陰暦八月十五日の夜に願掛け詣りに出かける。
小弓、かな子、かな子と親しい新橋の料亭米井の娘満佐子、
女中のみなは先月東北から出てきたばかりの四人。
願いがかかるには四つの条件をクリアーすることが前提である。
互いに一言も口をきかず、
誰からも話しかけられずに
同じ道を二度歩かずに
築地川に架かる七つの橋を無事に渡る。、
そうすれば、それぞれの願掛けが叶うというのである。
小弓は「お金が欲しい」
、かな子は「良い旦那に恵まれたい」
、満佐子は「いちど店にきた映画俳優Rと一緒になりたい」
、みなの願いだけは分からない。
渡る橋は、築地から新富町あたりの築地橋、入舟橋、暁橋、堺橋、備前橋、三つ又の三吉橋は二つ
に数えて、つごう七つの橋。
四人は揃って願掛けの橋に向かって歩きだす。
月が出ており、街は寝静まっている。
「四人の下駄の音が、月の硬い青ずんだ空のおもてへ、ぢかに弾けて響くやうに思われる」
満佐子とかな子は、小指をからみ合はせて歩いている。
夜気は涼しく、八ツ口から入る微風が、出しなの興奮で汗ばんだ乳房を、
しづかに冷やして引締めているのを、二人ながら感じている。
「お互ひの小指から、お互ひの願望が伝はってくる
無言なので一そう鮮明に伝はってくるのである」と歩き出しの情景こう描く
最初の三吉橋の袂で一同、手を合わせて祈願を込める。
橋に鈴蘭燈が立っている。
第三は築地橋。「風情のない橋である」
かな子が腹痛のためここで脱落した。
第四は入舟橋、
第五の「毒々しいほど白い柱の」暁橋で小弓が知り合いから声をかけられて脱落。
第六の橋、堺橋は「緑に塗った鉄板を張っただけの小さな橋だが満佐子は橋の袂で手を合わせているところを
警官から投身自殺と間違えられて声をかけられ逃げ出すが橋のなかほどで警官に手をつかまれて脱落。
備前橋まで無事渡りおおせたのは願掛けの内容が最後までわからなかったみなだった。
いまこれらの橋の下に水の流れはない
「知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる」
青山士( あきら、1878年9月23日 - 1963年3月21日)は、静岡県磐田市の人
日比谷一高東大、土木工学を治めた。
台風9号に「0m地帯」の東京の被害が無いのは大川改修があったればこそだ。
一高在学時に内村鑑三の講演を聞き門下生となる。
パナマ運河建設に携わった唯一の日本人であり、荒川放水路の建設、信濃川大河津分水路の改修工事を指揮した。
「有島武郎のという小説は、青山士を横浜港に見送る光景から始まる」ハスの博士、大賀の解説がある。
青山、有島、大賀、志賀直哉、正宗白鳥、岩波書店・岩波茂雄・・内村鑑三の弟子。有島だけが背教者となった
青山は終生、武士道とキリスト教をひとつにした信仰をつらぬいた。
1904(明治37)年単身渡米パナマに渡った。
初めは酷暑の野外測量員だったが、優秀な技術を認められ、ガツンダムや閘門の設計等に従事し機械土木工学の先端知識を吸収。
米国の外国人排斥にあい完成をみず帰国。
1912年内務省に入省。1912(大正1)年から荒川放水路建設(現在の荒川下流域)の陣頭指揮を取り、総責任者。
業者の賄賂をはねつけ、河口にある完成記念石碑に彼が撰した文字には、関係者の努力を讃えるのみで彼の名はない。
また信濃川大河津分水可動堰も1931(昭和6)年完成させた。
1934(昭和9)年、第5代内務技監に就任。翌年土木学会長。
2年間務めるも、技官と事務官の人事紛争に巻き込まれ、責任をとる形で辞職。
太平洋戦争中、パナマ運河への攻撃を立案していた海軍からパナマ運河に関する情報提供を求められたが、
土木技術者の良心に基づいて、これを拒否した。生活は困窮を極め清貧の中に一生を終えた。
若き方に申し上げたい。今の価値観では不思議なことを覚えている。
岩波文庫には値段が書いてない。★印である。
この7月10日で、岩波文庫が創刊80年を迎え、古今の名著5433点・3億5000万冊。絶版が解消された事だろう。
これまでの日本での良書廉価販売システム構築の功績は大きい。
昭和10年代、文庫100ページで定価20銭、背文字の下に★印東京の市内電車は片道10銭で「往復歩けば
岩波文庫の★印が1冊買える」と諭され、歩いたとある。
むかし陸軍で、歴史教官の村尾次郎中尉が岩波文庫を手にして教室に入って来た時
平福百穂(ひゃくすい)画伯が正倉院の古鏡からヒントを得て描いたというその表紙を見ただけで
「ああ、岩波文庫!」と文化の香りを喜んだと書く。
三木清とだったか岩波茂雄と二人で文庫本にある扉を書いた。
「真理は萬人によって求められ」
文庫100ページで定価20銭、背文字の下に★印があった
昭和10年代、東京の市内電車は片道10銭で「往復歩けば岩波文庫の★印が1冊買える」と諭され、歩いた人がいる。
鎌倉に眠る岩波茂雄という骨太の人物が一人いて、日本人の教養の基礎がどれだけ固められたか。
内村鑑三が一人現われて、日本人のキリスト教がどれだけ深められたか。
神に選ばれて舞台に立ち歴史を創るのは鍛えられし骨太の個人。
先人曰く若者よ体を鍛えておけ! 口ずさんだ。
ただ、国会、政治状況を無視して安倍信三の政治家としての信条は神は認めるのか。
マックス・ウエーバーの「職業としての政治」の項がある。
政治家の資質として、情熱、責任感、判断力、虚栄の排除を挙げる。
国を代表するに自分を照らしては見ないんであろうか。
読書の秋に私と違ってビジネスクラス症候群に悩まずにすむ、
、空飛ぶセールスマンでは無理か。
河童の川流れ!この軽薄者!
ラジオ11時〜日曜名作座.
「キガ旅行」原作阿久悠、平成3年放送出演。加藤道子・森繁久弥
淡路島からふるさと宮崎へ息子の遺骨を運ぶ巡査夫婦。
「別府航路」の夜半の神戸港。六甲の連山をみながら
2等船客室の階段の下、柳ごうりで境界線をつくりスペースを取る時代背景がよく出ている。
ここれで物語が繰り広げられる。
要領よい娘が1等船室客しか借りられないのに呼ぶ。
船の社員にワイロ金握らせて確保した。
それはそれで、正直者巡査は正規の場所に戻る。
8人ぐらいがおなじデッキにいることになる。
「これも何かの縁、酒でも飲み陽気にたのしくやりましょう。」
「闇屋が大出費この避けをご提供しましょう。」
ウイスキーをまわす。
「ワシは巡査闇屋は嫌いだ。」
「正義を信念ナルホドよくぞ正直にまぁ総言わずに・・」
「あんまり言うと非合法の闇屋ではないか。逮捕するぞ」
「旦那そうおっしゃいますがね品物届けると闇品でも泪流して喜ぶ。」
「闇屋は闇屋じゃぁわしやぁスカン」
「庶民の幸せに役に立ってる。泪流して喜ぶ。」
「闇屋の酒など堕落じゃ〜だが、味は格別ジャァ」
「闇屋に巡査この航路に限りお見逃しでお願いしますよ」
「非合法の闇屋ではないか。闇屋を先に言うな。巡査に闇屋、天下のこうぼうの先に立つな。」
「法律のあいだで答えてる。正義は不要ドロかぶれ」
「やめて政治家になる。」
巡回さん
劇映画フイルムを公民館、学校に持ちまわってる夫婦
復員兵と別保温泉にいき芸者になる。
サーカスの二人。ブランコさん
「フイルムは何がある。」
「いまは愛染かつら」
ハーモニカの得意な復員兵隊
歌う芸者「愛染かつら」
花も嵐も〜ふみこめえて〜〜
映写会をしよう。
電源があれば出来る。
一生忘れられない思い出になるよ。」
「戦争が終わって長男20で戦死故郷の墓地」
「20さいですか。志願ですね。」
「戦後が始まらん。志願兵17歳でした、」
「志願しなきゃぁ生きていた。兵隊さんは・・」」
「使命と責任!遺族に最後を話す。」
「気持ち何故生きている。」
「生きるために忘れることはできないのか。」
申し訳ない
「生きる権利がある。忘れなさいこまるではないか。自らを失う。」
「忘れるんや兵隊さん」
美しき天然。ジンタ
「ハモニカやれけ!おおっ!サーカスノうた。」
リリーと怪人。足の先でグルグル回る。虐待芸の至芸
「問題を起こすな手錠をかけるゾ」
月の光は海を照らし贅沢である。原始・神秘と畏れ。
「わが子よ、心せよ。書物はいくら記してもきりがない。学びすぎれば体が疲れる」