足音
2007年9月20日彼岸の入りゆえなんだか辛い話題になりそう。
ただ暑さ寒さも彼岸までにしてはきょうも30度をこす盛んなる太陽エネルギーの活動。
ただ、秋の移ろいはあちこちに見受けられる。
感心するのは彼岸花。きっちりお彼岸に咲きそうである。
埼玉県日高町は100万本らしい。熊本ではヤマトマチで10万本が咲きそろう。
そうでなくとも瑞穂の国の残骸はあちこちのあぜ道、
墓地近辺でみつけられよう朱の燃える色の夏別れ草。
余りものあでやかさとその成長力に忌み嫌う人も多い。
葉がないのは花後に葉が出て膨大なる球根を残すためのDNAがなすもの。
花は葉を知らず、葉は花を知らず
球根は地中に多くの子孫たる球根を残す。
山里育ちのせきやんはたか土手に球根を密かにまいた。
モグラ予防の田植え後の水維持の大事な事柄である。
もっと山間に住む叔父からの譲り知恵。
この地域ではどうにも、ねずみモグラ退治畦に植えたらしいその貰い知恵。
デンプンノお団子、はまさにどく入り饅頭。むくみ湿布にもいいらしい。
球根には飼ってたウサギさえ寄らない、ネズミはかじらない。
数年放置してても生きてる球根の生命力怖がられる。
土葬のお葬式のとき焼いて埋めるしか退治方は無かった。
リコリス、アルカロイドの放つ毒素が意外なトコに役に立ったもんである。
デンプンでお団子を作ってたが,どうにも。
笑って差し出すおばあちゃんに意地悪してたので
カンベンカンベン。遠慮した。お〜〜怖ァ〜〜。
♪老婆がわらう〜〜♪揚水の世界。
ふぐは食いたし命はおししの陸上産物版。
熊本秋の行事の阿蘇登りは猫岳、等を入れ五山のどこかに登る。
山子供(ヤマワッパ)の奇習は農耕民族の証でもあろう。
ワンジュシャゲとは恥ずかしくてとても口には出来ない。
日経の私の履歴者を書くと「お話がきましたか」と人生の終末の通知らしい。
すでに書いてる人は中曽根康弘と渡辺恒雄ぐらいではないのか。
長島茂雄は6月だったか今年の12人の一人で正直不吉を感じていた。
第一報はYAHOOニュースの一茂、
自宅前で語るとアリ、凍りつき唖然としていたら奥さんの訃報であることが解かった。
亜希子夫人との馴れ初めは宮崎人ならよく知っている。
キャンプ地宮崎では長嶋茂雄は名誉市民でもある。
公式認定の県営野球場はサブマリン球場と長嶋茂雄が名付け親である。
この人の一途の野球漬けの生活は個人長嶋家では夫人からの全幅の信頼を晩年得てなかったようでもある。
リハビリ中にもかかわらず夫人の姿が無いことが気になっていた。
別居であることがわかり慄然とした。
これだからわからぬ国民的英雄でもこうである。
あのかなり酷い状態での脳溢血状態から生還して必死のリハビリは国民の英雄像からは変化がおきたが,
老いと向き合い甦ってくれつつあることに勇気を頂いた。
ただ、オリッピックの固執からであろうか夫婦間の溝は深まり別居状態を週刊誌の報道で垣間見ていた。
我が家でのお通夜は実現できたようで棺の蓋おいて評価定まるを地で言っている。
まずはご冥福をお祈りしたい。
この時代ゆえ夫婦付随は難しい。
吾がそのまんんま知事も立候補してなければ個人的な難儀な生活状況は無かった男の意志。
「偽りのなき香を放ち山の百合」は飯田龍太の句。
このユリはめったに人の入らぬ深い渓谷で見事な大輪の花をつけたヤマユリだと
新日本大歳時記の黛まどか詩人の鑑賞文。
亜希子夫人は長嶋にとって、もじ通りユリ子であった。
やはり野におけれんげそう。
野球一筋でエネルギーを費やしてしまっていたゆえだ。
赤い斑点のある白い花弁に金色の線が入ったヤマユリは優美な香りも名高い
日本の山に自生するヤマユリである。
1862年に初めて英国王立園芸協会で紹介された時、英国人は心底その美しさに
驚いたらしい。
「この花が英国で起こしたセンセーションほど大きな反響を生んだ花が他にあったか」との賛辞が残る。
オニユリやテッポウユリが先駆して伝わっていたがこのユリの紹介で日本はユリの美しさで知られたと
「花の文化史」講談社刊に春山行夫著で記されている。
ただどうなんであろう。
この本では触れてないことがある。
欧州の支配者ハクスブルク家の紋章はユリだが
そちらの影響ではないのか。
日本民族の天皇家の勤皇家が多いのに似た現象があったのではないのかとの考察はできてない。
今日の花はユリ科のヤブラン。=忍耐
末のこの まあおきてきし 夜長かな
男の兄弟7番目のせきやんはじつにつらき幼少の頃でもあった。
ユリの球根は明治大正期の日本の主要輸出農産物になる。
1912年には横浜種苗会社1社で1500万個のヤマユリの球根が欧米に輸出された。
最盛期には各品種あわせた日本からの輸出球根は4000万個にのぼったという
新聞記事をに載されたことで間違いない。
ただかつてのユリ大国日本も今日では、日本原産の品種などを改良した園芸種の球根を欧州から輸入している。
先ごろ中国への日本産米の輸出が話題となり、日本ブランドの農産物輸出が模索されているおりだ。
深刻なのは、かつてシーボルトら欧州の植物採集家を驚かせた日本の自生のユリが、
乱獲や環境破壊で見るかげもなくなったらしい。
花を愛する世界の人を感動させた「偽りのなき香」はいまは日本の山野んみみることはできない。
幼き頃の山間の田舎では堤防敷きに牛馬の餌を刈り取りに行った。
そこに件のユリが咲いてたが赤い斑点は、どぎつ過ぎ、気色悪きほどのものであった。
そういえば野草の類でどこにもあったもんだ。球根であり来年も咲けよと底だけ刈らずに残したものだ。
「世界は劇場、男も女もみな役者」はシェークスピア劇の言葉だ、
テレアポで焼酎を全国に発信してるが受話器を握ったら役者になれ!が極意のようである。
役者がステージに上った気持ちでといわれる。至言である。
飛躍を目指し人間を磨いてるつもりである。
「いい人」と見られることに疲れたり、「元気者」の看板が重荷になったり、
ひとたび楽屋に戻れば、役者は誰しもへとへとだ。日本人の表と裏。表の虚勢,裏の我が家での惰性。
安倍総理の所信表明後の放り投げと信じられない行動を取った如くである。。
ユリのなかでも鬼百合の精気が乗り移ったのではないのか。
先月逝かれた文化庁長長官河合隼雄臨床心理学者はユング研究の第一人者でもあった
「あんた、花してはりますの? わて、河合してまんねん」
美しき花を見ると花に語りかけたという。
「生と死の歳時記」に俳人の斎藤慎爾(しんじ)は書いた。
「『わて』という存在が、一回しかない人生の中で河合隼雄という壮大な劇を演じる」
人は誰もが透明の仮面をつけ、「…してまんねん」の人生を生きている
「わて・・してまんねん」。自分の姓をあてはめて呪文を唱えると、すうっと肩の力が抜ける。
高松塚古墳の国宝壁画を損傷した事故などで心労を重ねたのか、脳梗塞で倒れ
、療養現職中でもあった79歳の大往生。
いまの世では数少ない「大人」の風格をもつ人
ついつい上っ面の正義を振りかざしたり、きれいごとの建前を並べ立ててしまったときなど
、ひとり、花につぶやく。
あんた、花してはりますの? わて、テレアポしてまんねん。
ジィッジィッのみつけこおろぎ
り〜んギッチョ、リ〜ンギッチョのかねたたき。
秋の夜長ももう始まっている。
しずかなる 墓地をみつなつ わかれぐさ。
アオヤギイズミコを4時から聞いてたら睡眠が全く取れてない。
ヒガンバナエネルギーどこではない。
ただ暑さ寒さも彼岸までにしてはきょうも30度をこす盛んなる太陽エネルギーの活動。
ただ、秋の移ろいはあちこちに見受けられる。
感心するのは彼岸花。きっちりお彼岸に咲きそうである。
埼玉県日高町は100万本らしい。熊本ではヤマトマチで10万本が咲きそろう。
そうでなくとも瑞穂の国の残骸はあちこちのあぜ道、
墓地近辺でみつけられよう朱の燃える色の夏別れ草。
余りものあでやかさとその成長力に忌み嫌う人も多い。
葉がないのは花後に葉が出て膨大なる球根を残すためのDNAがなすもの。
花は葉を知らず、葉は花を知らず
球根は地中に多くの子孫たる球根を残す。
山里育ちのせきやんはたか土手に球根を密かにまいた。
モグラ予防の田植え後の水維持の大事な事柄である。
もっと山間に住む叔父からの譲り知恵。
この地域ではどうにも、ねずみモグラ退治畦に植えたらしいその貰い知恵。
デンプンノお団子、はまさにどく入り饅頭。むくみ湿布にもいいらしい。
球根には飼ってたウサギさえ寄らない、ネズミはかじらない。
数年放置してても生きてる球根の生命力怖がられる。
土葬のお葬式のとき焼いて埋めるしか退治方は無かった。
リコリス、アルカロイドの放つ毒素が意外なトコに役に立ったもんである。
デンプンでお団子を作ってたが,どうにも。
笑って差し出すおばあちゃんに意地悪してたので
カンベンカンベン。遠慮した。お〜〜怖ァ〜〜。
♪老婆がわらう〜〜♪揚水の世界。
ふぐは食いたし命はおししの陸上産物版。
熊本秋の行事の阿蘇登りは猫岳、等を入れ五山のどこかに登る。
山子供(ヤマワッパ)の奇習は農耕民族の証でもあろう。
ワンジュシャゲとは恥ずかしくてとても口には出来ない。
日経の私の履歴者を書くと「お話がきましたか」と人生の終末の通知らしい。
すでに書いてる人は中曽根康弘と渡辺恒雄ぐらいではないのか。
長島茂雄は6月だったか今年の12人の一人で正直不吉を感じていた。
第一報はYAHOOニュースの一茂、
自宅前で語るとアリ、凍りつき唖然としていたら奥さんの訃報であることが解かった。
亜希子夫人との馴れ初めは宮崎人ならよく知っている。
キャンプ地宮崎では長嶋茂雄は名誉市民でもある。
公式認定の県営野球場はサブマリン球場と長嶋茂雄が名付け親である。
この人の一途の野球漬けの生活は個人長嶋家では夫人からの全幅の信頼を晩年得てなかったようでもある。
リハビリ中にもかかわらず夫人の姿が無いことが気になっていた。
別居であることがわかり慄然とした。
これだからわからぬ国民的英雄でもこうである。
あのかなり酷い状態での脳溢血状態から生還して必死のリハビリは国民の英雄像からは変化がおきたが,
老いと向き合い甦ってくれつつあることに勇気を頂いた。
ただ、オリッピックの固執からであろうか夫婦間の溝は深まり別居状態を週刊誌の報道で垣間見ていた。
我が家でのお通夜は実現できたようで棺の蓋おいて評価定まるを地で言っている。
まずはご冥福をお祈りしたい。
この時代ゆえ夫婦付随は難しい。
吾がそのまんんま知事も立候補してなければ個人的な難儀な生活状況は無かった男の意志。
「偽りのなき香を放ち山の百合」は飯田龍太の句。
このユリはめったに人の入らぬ深い渓谷で見事な大輪の花をつけたヤマユリだと
新日本大歳時記の黛まどか詩人の鑑賞文。
亜希子夫人は長嶋にとって、もじ通りユリ子であった。
やはり野におけれんげそう。
野球一筋でエネルギーを費やしてしまっていたゆえだ。
赤い斑点のある白い花弁に金色の線が入ったヤマユリは優美な香りも名高い
日本の山に自生するヤマユリである。
1862年に初めて英国王立園芸協会で紹介された時、英国人は心底その美しさに
驚いたらしい。
「この花が英国で起こしたセンセーションほど大きな反響を生んだ花が他にあったか」との賛辞が残る。
オニユリやテッポウユリが先駆して伝わっていたがこのユリの紹介で日本はユリの美しさで知られたと
「花の文化史」講談社刊に春山行夫著で記されている。
ただどうなんであろう。
この本では触れてないことがある。
欧州の支配者ハクスブルク家の紋章はユリだが
そちらの影響ではないのか。
日本民族の天皇家の勤皇家が多いのに似た現象があったのではないのかとの考察はできてない。
今日の花はユリ科のヤブラン。=忍耐
末のこの まあおきてきし 夜長かな
男の兄弟7番目のせきやんはじつにつらき幼少の頃でもあった。
ユリの球根は明治大正期の日本の主要輸出農産物になる。
1912年には横浜種苗会社1社で1500万個のヤマユリの球根が欧米に輸出された。
最盛期には各品種あわせた日本からの輸出球根は4000万個にのぼったという
新聞記事をに載されたことで間違いない。
ただかつてのユリ大国日本も今日では、日本原産の品種などを改良した園芸種の球根を欧州から輸入している。
先ごろ中国への日本産米の輸出が話題となり、日本ブランドの農産物輸出が模索されているおりだ。
深刻なのは、かつてシーボルトら欧州の植物採集家を驚かせた日本の自生のユリが、
乱獲や環境破壊で見るかげもなくなったらしい。
花を愛する世界の人を感動させた「偽りのなき香」はいまは日本の山野んみみることはできない。
幼き頃の山間の田舎では堤防敷きに牛馬の餌を刈り取りに行った。
そこに件のユリが咲いてたが赤い斑点は、どぎつ過ぎ、気色悪きほどのものであった。
そういえば野草の類でどこにもあったもんだ。球根であり来年も咲けよと底だけ刈らずに残したものだ。
「世界は劇場、男も女もみな役者」はシェークスピア劇の言葉だ、
テレアポで焼酎を全国に発信してるが受話器を握ったら役者になれ!が極意のようである。
役者がステージに上った気持ちでといわれる。至言である。
飛躍を目指し人間を磨いてるつもりである。
「いい人」と見られることに疲れたり、「元気者」の看板が重荷になったり、
ひとたび楽屋に戻れば、役者は誰しもへとへとだ。日本人の表と裏。表の虚勢,裏の我が家での惰性。
安倍総理の所信表明後の放り投げと信じられない行動を取った如くである。。
ユリのなかでも鬼百合の精気が乗り移ったのではないのか。
先月逝かれた文化庁長長官河合隼雄臨床心理学者はユング研究の第一人者でもあった
「あんた、花してはりますの? わて、河合してまんねん」
美しき花を見ると花に語りかけたという。
「生と死の歳時記」に俳人の斎藤慎爾(しんじ)は書いた。
「『わて』という存在が、一回しかない人生の中で河合隼雄という壮大な劇を演じる」
人は誰もが透明の仮面をつけ、「…してまんねん」の人生を生きている
「わて・・してまんねん」。自分の姓をあてはめて呪文を唱えると、すうっと肩の力が抜ける。
高松塚古墳の国宝壁画を損傷した事故などで心労を重ねたのか、脳梗塞で倒れ
、療養現職中でもあった79歳の大往生。
いまの世では数少ない「大人」の風格をもつ人
ついつい上っ面の正義を振りかざしたり、きれいごとの建前を並べ立ててしまったときなど
、ひとり、花につぶやく。
あんた、花してはりますの? わて、テレアポしてまんねん。
ジィッジィッのみつけこおろぎ
り〜んギッチョ、リ〜ンギッチョのかねたたき。
秋の夜長ももう始まっている。
しずかなる 墓地をみつなつ わかれぐさ。
アオヤギイズミコを4時から聞いてたら睡眠が全く取れてない。
ヒガンバナエネルギーどこではない。