強靭なる目標
2004年7月18日池田勇人という総理と同時期を過ごした。
60年安保の岸信介の後継で10月25日東京オリンピック閉会後、喉頭ガンの病で辞意、佐藤栄作に引き継いだ。
ガラガラ声は病の兆しであったのだろうかのちの大平正芳首相よりましではあったが聞きずらかった。
国民所得倍増計画を旗印に農業基本法公布、IMF8条国への移行、OECD(経済協力開発機構)加盟、部分的核実験停止条約批准など行う。
貧乏人は麦飯を食え!は物議をかもした、
この世には言ってはいけない言葉である、
隠語が存在することを身をもって示してくれた。
正直にものを言っては生きることが出来ないことを知った。
貧乏と相対するのはここから始まった。
よって、義を見てせざるは勇うなき也は生活の基本、
座右の言葉となった。
明治維新の原動力は・薩摩・長州・土佐・肥後・にあったのではなく
水戸にその端緒があったことを知る。
行動の学問、水戸陽明学である。
封建制からの脱却の志士たちに学び、貧乏からの脱却が生涯の目標となる。
そのたぐいはこうである。 近代の政治や経済の思想は「貧困の解消」をこっそりにしろ、旗印にあげていた。
少なくとも「貧困」は最大の政治課題であり、経済改善の最大課題であった。
それがなければ政治・思想とは呼べなかった。
今日の繁栄は自分の努力であり、、そのことが幸運や進歩をもたらしたと考えている。
そんな楽天的な思考はおめでたい。
ナント言ってもたまたま発見され大量に供給し続けられている地下の
石化燃料のおかげだ。
人類が経済学を始めてから150年間、つまり1830年頃まで、人が1時間働いて手に入れられる食糧の量(単位労働時間当たりの食糧生産)は、減少し続けていた。
つまり倫敦チェルシーのカーライルのような経済学者は勿論、そうでないひとも、いつも貧乏で食料に難儀し、これからはますます一層食料難になると予測した。
私の生まれた1950年は貧乏のドン底で、通貨たる「えん」は国際的に信用がなく総てドル建て、日本の給与の国際価格を初任給で比較してみると、インドやパキスタン以下。
通貨量の少ない故に現金がほとんどなく、10円玉一個がなかった。
村のリーダーが先進地農業の視察に北海道也に行けど、その耕地面積に圧倒され 資源のない日本は、まったく将来がなかった。
常に貧乏で慄き加えて、欧州の青年層の高い失業率は希望のない世代を産み出した。
世間の荒波に投げ飛ばされた、1970年には、日本と一人当たり同じくらいの国民所得があったメキシコは通貨危機を引き起こす。
赤貧の南米諸国のひとつになった。
世界の警察たる、インフレなき経済成長を続けるアメリカは国内に貧富の差と多くの貧困層を拡大させている。
アジアはスパイラルな経済崩落の過程をようやく脱しきろうとしている。
しかしながら、常に貧乏は付きまとっている。
第一次世界大戦下の日本で、社会問題化しはじめた、貧乏の問題を
直視したのは帝大教授河上肇(1879〜1946)。
なぜ多数の人が貧乏しているのか、
そしていかにして貧乏を根治しうるかを古今東西の典籍を駆使し、
富者の奢侈廃止こそ貧乏退治の第一策であると大正五年『大阪朝日新
聞』に連載、大きな衝撃を与えた。
非合法化されていた共産党に入党し貧乏と闘った。
結果的には弾圧に抗しきれずついえたが、社会的地位をも返り水の行動に打たれた。
西都の田舎ゆえ私の赤旗配達は家族どころか親戚内にも知れ渡り、警戒された。それでも一般誌に紛れ込ませ強靭な意志を自己に内包させた。
社会改革運動は発祥地たるパリの香を含んで国内に吹き荒れた。
世界同時革命なる言葉は頻繁に使われ、商業新聞にさえ踊ったほどの社会情勢。
大儀を得ての突っ走る私の異常なるまでの行動はここいらに由来する、
大儀なる絶対正義を御旗に立て、他人の理解を越えるほどの活躍を果たす。
APAの太陽光発電の会社組織をどうにかしたい。
それがとてつもなき貧乏会社。
アルバイト的給料なのに仕事でのお金の支出、出し変えは毎日で
精算さえされない。
つとめて、その原因は私にあるわけだが、納得はいかない。
社員も増え改善の兆しは見えてはきた。
ここでも貧乏は私について回る課題のようである。
コスト・ダウンでの仕事の見直し、受注にあたっての単価の計算。
社員の勤務に対する対価たる給料。どうにも上手くかみ合っていない。
この優秀なる職人集団の貧乏をどう追放していくかの課題は大きくのしかかっている。
専務と朝9時に新規のお客さんで戴いた昨日の情報に元ずき説明。
図面、原価等素早い対応にすっかり信用を得た。
なんかいい仕事仲間になれそうである。
会社へ警戒は持ちながらも全幅の信頼は営業の基本である。
貧乏からの脱却は仲間作りに尽きる。
自然エネルギーからのプレゼント。
悩み多き毎日の状況。書を捨てて町に出よう。托鉢僧の如きである。
案外解決策は身近にあるものかもしれない。
行動の規範は民族の伝統を忘れぬこと。
万物総て神たる日本古来の宗教心をもて!である。
丁度和歌山の地は世界遺産も登録されたことだ。
「山川草木悉皆成仏」は真言密教で、密教以外の仏教宗派では、
「山川草木悉有仏性」と言い、人間と動植物とを区別せずに同格の存在として認識されている。
すべてが仏から生み出され、仏の心をもっているわけだ。
ここ何年来、特に生命倫理が、注目されている。
これは医学が発展したことによってどんどん延命にその力を発揮し、
つついに神の領域とされた「生」「死」の線を越えて、当然に自然死を迎える状態から生命を蘇らせるようになったし遺伝子さえ操る。
日本人の思想的特徴として、中観と中庸の二つがある。
釈迦は「ほどほどが良い」と中観を説き
孔子は「中庸は徳なるもの」と言う。
仏教における中観や儒教における中庸は、「両者の中間」と言う意味で厳密なる上下左右の「真ん中」を意味するのではなく、言うなれば第三の選択肢である。
生命倫理は、その国の国民の思想的背景に影響される。
思想とは、長年にわたって培われた風俗、習慣から宗教的な土壌までを言う。
倫理学において最終的に宗教に根幹を置いたことは、価値の根本は、その人の哲学や宗教にあるからである。
仏教では、肉体は「地・水・火・風・空」に戻る。
霊は、大日如来に戻る。
宗教は、人を救うためにあるもの。
弘法大師が仰るところの「済生利民」(さいせいりみん)。
宗教は、すべからく人の救いにならなければならず、
自己鍛練だとか精神修養と言う前に、それが救いでなければならない。
大日如来を「大宇宙・大生命体」と呼んでるが、山川草木すべてが大日如来であり、その生命もまた大日如来である。
すべての源が大日如来から発して、大日如来に戻る。
これが密教である。
弘法大師は、「生まれ、生まれ、生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死にて死の終わりに冥し」と仰る。
人は、生まれる前も、死んだ後のことも知らない。
また、知ろうともしないと仰っておられますが、
一言で言えば、人間は、それぞれ仏なのだから、それを知る努力をせよと教えておられる。
「即身成仏」という言葉それであり、この我身がすなわち仏。
仏なのだから、それに目覚め、救いをなせとの教えてある。
私に足りない行動の指針であった。
余裕を持っての一生懸命。
APAの限りなき発展。貧乏からの脱却。
サ〜負けて…
60年安保の岸信介の後継で10月25日東京オリンピック閉会後、喉頭ガンの病で辞意、佐藤栄作に引き継いだ。
ガラガラ声は病の兆しであったのだろうかのちの大平正芳首相よりましではあったが聞きずらかった。
国民所得倍増計画を旗印に農業基本法公布、IMF8条国への移行、OECD(経済協力開発機構)加盟、部分的核実験停止条約批准など行う。
貧乏人は麦飯を食え!は物議をかもした、
この世には言ってはいけない言葉である、
隠語が存在することを身をもって示してくれた。
正直にものを言っては生きることが出来ないことを知った。
貧乏と相対するのはここから始まった。
よって、義を見てせざるは勇うなき也は生活の基本、
座右の言葉となった。
明治維新の原動力は・薩摩・長州・土佐・肥後・にあったのではなく
水戸にその端緒があったことを知る。
行動の学問、水戸陽明学である。
封建制からの脱却の志士たちに学び、貧乏からの脱却が生涯の目標となる。
そのたぐいはこうである。 近代の政治や経済の思想は「貧困の解消」をこっそりにしろ、旗印にあげていた。
少なくとも「貧困」は最大の政治課題であり、経済改善の最大課題であった。
それがなければ政治・思想とは呼べなかった。
今日の繁栄は自分の努力であり、、そのことが幸運や進歩をもたらしたと考えている。
そんな楽天的な思考はおめでたい。
ナント言ってもたまたま発見され大量に供給し続けられている地下の
石化燃料のおかげだ。
人類が経済学を始めてから150年間、つまり1830年頃まで、人が1時間働いて手に入れられる食糧の量(単位労働時間当たりの食糧生産)は、減少し続けていた。
つまり倫敦チェルシーのカーライルのような経済学者は勿論、そうでないひとも、いつも貧乏で食料に難儀し、これからはますます一層食料難になると予測した。
私の生まれた1950年は貧乏のドン底で、通貨たる「えん」は国際的に信用がなく総てドル建て、日本の給与の国際価格を初任給で比較してみると、インドやパキスタン以下。
通貨量の少ない故に現金がほとんどなく、10円玉一個がなかった。
村のリーダーが先進地農業の視察に北海道也に行けど、その耕地面積に圧倒され 資源のない日本は、まったく将来がなかった。
常に貧乏で慄き加えて、欧州の青年層の高い失業率は希望のない世代を産み出した。
世間の荒波に投げ飛ばされた、1970年には、日本と一人当たり同じくらいの国民所得があったメキシコは通貨危機を引き起こす。
赤貧の南米諸国のひとつになった。
世界の警察たる、インフレなき経済成長を続けるアメリカは国内に貧富の差と多くの貧困層を拡大させている。
アジアはスパイラルな経済崩落の過程をようやく脱しきろうとしている。
しかしながら、常に貧乏は付きまとっている。
第一次世界大戦下の日本で、社会問題化しはじめた、貧乏の問題を
直視したのは帝大教授河上肇(1879〜1946)。
なぜ多数の人が貧乏しているのか、
そしていかにして貧乏を根治しうるかを古今東西の典籍を駆使し、
富者の奢侈廃止こそ貧乏退治の第一策であると大正五年『大阪朝日新
聞』に連載、大きな衝撃を与えた。
非合法化されていた共産党に入党し貧乏と闘った。
結果的には弾圧に抗しきれずついえたが、社会的地位をも返り水の行動に打たれた。
西都の田舎ゆえ私の赤旗配達は家族どころか親戚内にも知れ渡り、警戒された。それでも一般誌に紛れ込ませ強靭な意志を自己に内包させた。
社会改革運動は発祥地たるパリの香を含んで国内に吹き荒れた。
世界同時革命なる言葉は頻繁に使われ、商業新聞にさえ踊ったほどの社会情勢。
大儀を得ての突っ走る私の異常なるまでの行動はここいらに由来する、
大儀なる絶対正義を御旗に立て、他人の理解を越えるほどの活躍を果たす。
APAの太陽光発電の会社組織をどうにかしたい。
それがとてつもなき貧乏会社。
アルバイト的給料なのに仕事でのお金の支出、出し変えは毎日で
精算さえされない。
つとめて、その原因は私にあるわけだが、納得はいかない。
社員も増え改善の兆しは見えてはきた。
ここでも貧乏は私について回る課題のようである。
コスト・ダウンでの仕事の見直し、受注にあたっての単価の計算。
社員の勤務に対する対価たる給料。どうにも上手くかみ合っていない。
この優秀なる職人集団の貧乏をどう追放していくかの課題は大きくのしかかっている。
専務と朝9時に新規のお客さんで戴いた昨日の情報に元ずき説明。
図面、原価等素早い対応にすっかり信用を得た。
なんかいい仕事仲間になれそうである。
会社へ警戒は持ちながらも全幅の信頼は営業の基本である。
貧乏からの脱却は仲間作りに尽きる。
自然エネルギーからのプレゼント。
悩み多き毎日の状況。書を捨てて町に出よう。托鉢僧の如きである。
案外解決策は身近にあるものかもしれない。
行動の規範は民族の伝統を忘れぬこと。
万物総て神たる日本古来の宗教心をもて!である。
丁度和歌山の地は世界遺産も登録されたことだ。
「山川草木悉皆成仏」は真言密教で、密教以外の仏教宗派では、
「山川草木悉有仏性」と言い、人間と動植物とを区別せずに同格の存在として認識されている。
すべてが仏から生み出され、仏の心をもっているわけだ。
ここ何年来、特に生命倫理が、注目されている。
これは医学が発展したことによってどんどん延命にその力を発揮し、
つついに神の領域とされた「生」「死」の線を越えて、当然に自然死を迎える状態から生命を蘇らせるようになったし遺伝子さえ操る。
日本人の思想的特徴として、中観と中庸の二つがある。
釈迦は「ほどほどが良い」と中観を説き
孔子は「中庸は徳なるもの」と言う。
仏教における中観や儒教における中庸は、「両者の中間」と言う意味で厳密なる上下左右の「真ん中」を意味するのではなく、言うなれば第三の選択肢である。
生命倫理は、その国の国民の思想的背景に影響される。
思想とは、長年にわたって培われた風俗、習慣から宗教的な土壌までを言う。
倫理学において最終的に宗教に根幹を置いたことは、価値の根本は、その人の哲学や宗教にあるからである。
仏教では、肉体は「地・水・火・風・空」に戻る。
霊は、大日如来に戻る。
宗教は、人を救うためにあるもの。
弘法大師が仰るところの「済生利民」(さいせいりみん)。
宗教は、すべからく人の救いにならなければならず、
自己鍛練だとか精神修養と言う前に、それが救いでなければならない。
大日如来を「大宇宙・大生命体」と呼んでるが、山川草木すべてが大日如来であり、その生命もまた大日如来である。
すべての源が大日如来から発して、大日如来に戻る。
これが密教である。
弘法大師は、「生まれ、生まれ、生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死にて死の終わりに冥し」と仰る。
人は、生まれる前も、死んだ後のことも知らない。
また、知ろうともしないと仰っておられますが、
一言で言えば、人間は、それぞれ仏なのだから、それを知る努力をせよと教えておられる。
「即身成仏」という言葉それであり、この我身がすなわち仏。
仏なのだから、それに目覚め、救いをなせとの教えてある。
私に足りない行動の指針であった。
余裕を持っての一生懸命。
APAの限りなき発展。貧乏からの脱却。
サ〜負けて…