奇岩

2004年7月30日
あっ!なんだこれ!朝鮮半島に高気圧が発生してる!
朝7時の天気配置図を見て大きく声を出してしまった。

迷走はいよいよ本物である。
8月1日の日曜日を休みとして、31日、2日を含めて連休としたことが当たって来るぞ!

オレって陰陽師の気があったのかもしれない。

しかしこの台風もかわいそうである。
行く手を完全に抑えられ進みようがない。

背後からは高気圧が押す格好となっている。
九州を右から直撃と珍しいお客様のお越しとなりそうでござる。

工事部隊は電気を午前池田台に全力。
午後には船野発電所を挙げきった。

私は夕方、青島の3KWの仕事を戴く。
新規の販売屋さん。先月8台とは凄い!ホント?

小林で中堂園とうふ店であがりこみ、ご相伴にあやかる。
お返しに太陽光発電のトータルなお話2時間となる。

小林の水流元地区は随分と広範囲にわたっているようだ。
岩を削って流れる浜の瀬川流域で三之宮峡、陰陽石をも含んでいる。

お弁当屋さんの屋根寸をとる。
すでにサンヨーさんが見積もり提示されている。

IH、電気温水器の無料サービスの込み20枚のパネルである。
2〇〇万の施工費用であろう。

無料分を考えて口頭でやりとり。
コリャ、おどろき・もものき・サンショウノキ、

知らぬが仏で高売りのサ〇オブサ〇にしては随分と安くしたもんだ。
あの高値設置のサンヨー製を扱う大分が本社で所長さんは田野の出の都城支店の専門さん。
少しは良心的価格になってきている。

陰陽石を訪ねる。
三之宮峡の下流にあり、昔からよろず生産の神として信仰されている。

陽石の高さは17.5m、陰石の周囲は5.2m。

これがまったくの自然石であることから、世にもまれなる奇岩として知る人ゾ知る天下に周知。

http://cache.yahoofs.jp/search/cache?u=www.yado.co.jp/kankou/miyazaki/minitoi/inyouseki/inyouseki.htm

この石には、この地に美女に見ほれた竜が天から降りてきたという伝説もあり、竜岩、夫婦岩との別名。

この地を訪ねた野口雨情

「浜の瀬川には 二つの奇石 人にゃ言うなよ 語るなよ」

ここには陰陽石温泉としてのアルカリ性単純泉を併設している。

この陰陽石の上流は全国遊歩百選にも選ばれた三之宮峡。
岩瀬川上流に雄大な渓谷が広がり、高さ30mを超える「びょうぶ岩」、50畳敷もある岩のほら穴「カッパ洞」、

竜の伝説を伝える岩々、谷間を縫う清流、そびえ立つ岩肌においしげる樹々は、夏は緑、秋は紅葉に色彩をかえ、
奇岩、緑、清流がおりなす自然の大渓谷は神秘さの中に心のやすらぎ癒しの時間。

 約1kmの遊歩道には「青の洞門」を思わせる11のトンネル。
、中程には「日本の音百選」の一つに選ばれた「櫓の轟(やぐらのとどろ)」があり、絶好のピクニックコース。

豆腐は
奈良時代、遣唐使の僧侶により伝部とのことで、明確な記録はない。

豆腐が初めて文献に登場するのは寿永2年(1183年)
春日大社の神主の日記に「春近唐符一種」をお供えしたとの記述の
「唐符」が豆腐との事。

江戸時代の初期、農民たちは特別の日にしか豆腐を食べれず、中ごろに生活に根づいた。

特に農民にとっては非常に贅沢品で、常用できない。
祭りやお盆、お正月、あるいは冠婚葬祭などの特別の日にだけのみの豆腐料理。

この日を「ハレの日」といった。
「晴れ着」や「晴れ舞台」というときの「晴れ」と同じ。
今日の赤飯のように、改まった日に食する食べ物が豆腐だった。

普通の日は「ケの日」という。
普段の食事は、みそ汁や漬物、金山時みそと言ったものに限定。
こうした質素な食卓が日常だった江戸初期の農民。

ハレの日になると、豆腐のほかに油揚げやこんにゃく、がんもどき、」しいたけ、ごぼうなどが食卓にのぼった。

また、米や酒をいただけるのも、このハレの日ならでは。
私の幼少の時もこのまま伝わっていた。

家康と、秀忠の時代には村々ではうどんやそばとともに、豆腐の製造も行ってはならず、
農民がそれらを食べることも許されない禁令が出されていた。

三代・家光「慶安御触書」には豆腐はぜいたく品として、農民に製造
することをハッキリと禁じた。

その家光の朝食には、豆腐の淡汁、さわさわ豆腐、いり豆腐、
昼の膳にも擬似豆腐などが出されていたとの資料がある。

この豆腐がようやく庶民の食卓に普段の日でものぼるようになったのは、江戸時代の中ごろから。

それも江戸や京都、大阪などの大都市に限られていたのが実情。
今に見・食できるのは山手線の上野は鶯谷駅寄り歩いて5分のところにある。

創業310年を誇る豆腐料理の老舗中の老舗。根岸の笹の雪。
丁度三平師匠の近くだ。三平堂によってからがいい。

昭和の爆笑王で腹をすかしてからか、高浜虚子の旧居も傍にあるので
そこを訪ねてからがいい。

ちなみにこの三平堂の第一号入館者は誰か知ってますか。

エッヘン!遠くは・・九州の・・三財川の産湯を使い・・何を名乗ってる・・バッカみたい!

実は私せきやんが第一号入館者でございます。
T・Vのニュースにもでました!  アホ!

前日はサトー・ハチローの記念館が閉鎖して
その翌日の明るいニュース。

二階に上がるところの三平堂のメインはそのサトーハチローの写真がありましたな〜。

童謡になった紅葉の紅いハゼの木もありましたな〜。
 
歩き回り、回顧した後の京じ込みの笹の雪の、あんかけ豆腐350円、
ごま豆腐450円、かけ醤油豆腐500円趣ある店で、落ち着いての食事。

良質の大豆、天然にがり、上野の山から流れる伏流水を利用した井戸から汲んだ天然水。

独自の方法で作られた豆腐は、江戸時代からの製法をそのまま生かしている。

食後は上野の山の一部の約10haという広大な敷地を持つのが谷中霊園を訪ねるも好。

以前は天王寺の境内の一部であったが、1874(明治7)年に東京都の
管理となり、一般墓地も含め約7000基の墓。

徳川15代将軍慶喜の墓をはじめ、渋沢栄一、鳩山一郎、牧野富三郎、
横山大観、川上音次郎など著名人の墓が多い。

また場所柄ゆえか、横綱常ノ花、柏戸などの力士の墓や相撲に関わる碑も多い。

桜並木が続く「さくら通り」は春に訪ねれば花見スポットとして有名。

上野のお山は総面積は約53haにわたる広大な広さ。
もとは徳川家の菩提寺、寛永寺の境内で、多くの堂塔が立ち並んでいた。

不忍池に弁天堂があったり、動物園の中に五重塔があるのもそのためだ。1873(明治6)年に日本初の都市公園のひとつに指定され
、博物館や美術館、コンサートホールなど多くの文化施設が建設された。

今では都内でも随一のカルチャーゾーンを形成している。
またここは像や記念碑も多い場所。

西郷隆盛の像はあまりにも有名だが、野口英世像や有名人の手形、はては、ふぐやスッポンの供養碑、めがねの碑などまである。
何処にあるのか探すも楽し。

周囲約2Kmの池。東京湾の名残りで、周囲が埋め立てられて現在の形となる。

弁天橋より北側は上野動物園で、水上動物園として利用されている。
不忍通りから半円を描くように囲まれた部分はボート池と呼ばれ、
貸ボートが用意されている。

弁天橋より南にある浮島には寛永寺弁天堂だった不忍池弁材天が建っていて、

その前には別称「蓮池」と呼ばれるほど、池一面にハスが生い茂っている。丁度今ごろが最高である。

昔を偲ぶ江戸下町館も近くにある

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