深夜2時過ぎ気付かれぬように買い出しに出る。
耳元にはNHK深夜便ビートルズを案内する葛西アンカーの言い回しで聞きながらである。
この江戸っ子根岸のヒトは宮崎に赴任してたこともあり聞き慣れている。
買い求めたのは、たばこと<晩酌用>のビール135ミリリットル。
晩酌に無縁なる爺が怒りの頂点たる怒髪天を突くが如きで収まらぬ故だ。
ここまで日本国が堕落してるとはよもや思わなかった。
このブログの記録にある6年間を再度振り返るが12月8日の日米開戦に触れてないことは一度もない。
ところがどうだ。
全国紙の社説・コラムに何一つ無い。
僅かに触れてるのは地域ネット紙西日本新聞と宮日紙のみ、ただ、社説にはなくコラム。
この燦々とした状況は「ナンだ!」
期待するが故に朝日紙の堕落ぶりは目に余る。
社会の木鐸を自称するのは今年から以降はやめるに限る。
そこまで堕落したマスコミの雄の新聞とは思えぬ惨状である。
四年前このブログはこうである。
12月8日がくると記憶が鮮明に蘇る。
10数年にわたり月一の日程で県内くまなく老人施設を慰問で回った。
生のバンドを背景に戦前が殆んどの曲を選曲し懐かしき衣装をつけ芸を披露した。
10数人が唯一の3分間のために参加した。毎回総勢20数人を超えた。
130回以上を上回ったが、リーダーの勇退と私のこともあり解散した。
メンバーも鬼籍に入られてる人が多い。
私は司会進行一切を取り仕切った。
幕間には手品をやったり小話で時間をつないだ。
日曜日のロッテ歌のアルバムの司会者玉置宏の進行を目標とした。
この時期が近づくと決まって終了後、怒こられた。
何故か?時間が長すぎる。との苦情である。
同期のサクラやラバウル小唄などなどの戦時懐メロのときのイントロの時間の前説明である。
演じられる曲はいずれもイントロが随分と長く、司会の真骨頂。
・・臨時ニュースを申しあげます。・・・
米国のラジオで異邦人の来襲で大騒ぎになったオーソン・ウエルズばりの真迫をもって場内にマイク無しで響かせた。
63年前(08年の今年から67年前)の昭和16年の12月8日の午前7時のこと。
奇しくも東京の最低気温は2・2度で同じ状況なんだったのである。
小泉(麻生)の孤立したアジア外交、脱しきれない不況の風、憲法改正の政治状況と総てがナント似てることか。
館野守男アナウンサーがこれを2回繰り返した。
・・臨時ニュースを申しあげます。・・・
「大本営〜陸海軍部発表!、12月8日午前6時。
帝国陸海軍は本8日未明、
西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」
私の司会時間ならず、暴走はここまで窮まれり。
これから3年8か月に及ぶ戦争の日々が続き、それから今年は敗戦から60年(67)を経た。
いまなお真珠湾に沈んだ戦艦アリゾナ号からは、64年たった今も、オイルが浮かんでくる世言う。
「リメンバー・パールハバー」
怨み骨髄の「ジャップ!」と同じの憎悪の言葉である。
不思議なことにこの国とだけ外交がうまくいっている。
新聞によると
「聴きいる人々が箸を捨てた、フオークを捨てた、帽子もオーヴアも脱いだ……全員蕭然と直立し頭を垂れ、感極まつてすゝり泣く人さへ
あつた」。
東京・神田でラジオの開戦の放送を聴く人々の姿で、「同じやうな感激の光景は全国至るところに描かれた」と、毎日紙が書いている。
日本を新たに牛耳る人々のようにとても「想定内」ではすまされないお話である。
しかし、実際に戦端が開かれたのはこの奇襲の1時間ほど前、英領のマレー半島に日本軍が上陸した時何だそうである。
米国の禁輸で石油調達の道を断たれた日本は、オランダ領インドネシアにある油田の確保を狙った。
そこに至るための軍事行動であり、兵力では真珠湾攻撃をしのぐ大規模な作戦。
シンガポールのリー・クアンユー元首相は開戦時、18歳の大学生。回顧録(日経新聞)で日本について書いた。
「占領時代のつらい体験を持ち、日本人の特質に潜む恐ろしい一面を知りながら、それでもいま私は日本人を立派だと思う。日本人の持つ
集団の結束力や規律正しさ、知性、勤勉さ。それらすべてが日本の力のもとになっている」
・・・・
長々と続く。その後も逸話で12/8の日米開戦に触れてる近代日本人の原点その日である。
耳元のラジオのイマジン・・・想像してごらん・・なにも死ぬことはないじゃぁないか。
・・レンノの12/8訃報からも37年もたっている。
奇しくもレノンは真珠湾のパールハーバーの日に逝った。日本に伝えられたのは9日の正午。
一昨年はこうある。
太平洋戦争は12月8日夜半未明の真珠湾攻撃から始まり今日はその前日朝である。
「テンキセイロウナレドナミタカシ」
戦後、共産党さえ賛美した連合国占領軍は繁栄の元となり、その後の二国間は蜜月の時期で過ごしてきた。
そこに亀裂が生じつつある。後日詳しく触れる。
顕著になったのはアフガニスタン戦線から日本軍のガソリン給油船が11月末引き上げてきた
時限立法のテロ特措法が切れたお粗末なる法事国家からである。
テロ特措法の成立に向け福田内閣は腹を括ったと・・
このような12/8もある。
朝日紙によると11月には新札も発行される。
諭吉、英世、一葉の登場である。
現在133億枚の札が流通している。額にして76.9兆円。
積み上げると1330KM、富士山の352倍、
横に並べると205万KM、地球の51周、月までの距離の5倍。という。
とにかくこの日は日本人にとって「聖」なる日のハズ。
何故ことしから一斉に新聞が触れなくなったのか。
タバコを求めたのはこうである。
今日の地元紙のニュース。
葉たばこ生産が全国トップであった宮崎県は二番目になる。
県たばこ耕作組合(郡利夫組合長)によると、3年連続で台風や長雨による被害が相次いだ上に資材、燃料代の高騰も追い打ちを掛け、
生産をやめる農家が相次いでいるためだ。
議論が本格化してきたたばこの増税も消費に暗い影を落としており、関係者は「タバコでは食べていけないという考えが若手農家に及ぶ
と、今後も減少が続く」と危機感を募らせている。
どうにも根っからの天の邪鬼が頭を持ち上げたので深夜の徘徊の奇行に出たわけである。
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耳元にはNHK深夜便ビートルズを案内する葛西アンカーの言い回しで聞きながらである。
この江戸っ子根岸のヒトは宮崎に赴任してたこともあり聞き慣れている。
買い求めたのは、たばこと<晩酌用>のビール135ミリリットル。
晩酌に無縁なる爺が怒りの頂点たる怒髪天を突くが如きで収まらぬ故だ。
ここまで日本国が堕落してるとはよもや思わなかった。
このブログの記録にある6年間を再度振り返るが12月8日の日米開戦に触れてないことは一度もない。
ところがどうだ。
全国紙の社説・コラムに何一つ無い。
僅かに触れてるのは地域ネット紙西日本新聞と宮日紙のみ、ただ、社説にはなくコラム。
この燦々とした状況は「ナンだ!」
期待するが故に朝日紙の堕落ぶりは目に余る。
社会の木鐸を自称するのは今年から以降はやめるに限る。
そこまで堕落したマスコミの雄の新聞とは思えぬ惨状である。
四年前このブログはこうである。
12月8日がくると記憶が鮮明に蘇る。
10数年にわたり月一の日程で県内くまなく老人施設を慰問で回った。
生のバンドを背景に戦前が殆んどの曲を選曲し懐かしき衣装をつけ芸を披露した。
10数人が唯一の3分間のために参加した。毎回総勢20数人を超えた。
130回以上を上回ったが、リーダーの勇退と私のこともあり解散した。
メンバーも鬼籍に入られてる人が多い。
私は司会進行一切を取り仕切った。
幕間には手品をやったり小話で時間をつないだ。
日曜日のロッテ歌のアルバムの司会者玉置宏の進行を目標とした。
この時期が近づくと決まって終了後、怒こられた。
何故か?時間が長すぎる。との苦情である。
同期のサクラやラバウル小唄などなどの戦時懐メロのときのイントロの時間の前説明である。
演じられる曲はいずれもイントロが随分と長く、司会の真骨頂。
・・臨時ニュースを申しあげます。・・・
米国のラジオで異邦人の来襲で大騒ぎになったオーソン・ウエルズばりの真迫をもって場内にマイク無しで響かせた。
63年前(08年の今年から67年前)の昭和16年の12月8日の午前7時のこと。
奇しくも東京の最低気温は2・2度で同じ状況なんだったのである。
小泉(麻生)の孤立したアジア外交、脱しきれない不況の風、憲法改正の政治状況と総てがナント似てることか。
館野守男アナウンサーがこれを2回繰り返した。
・・臨時ニュースを申しあげます。・・・
「大本営〜陸海軍部発表!、12月8日午前6時。
帝国陸海軍は本8日未明、
西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」
私の司会時間ならず、暴走はここまで窮まれり。
これから3年8か月に及ぶ戦争の日々が続き、それから今年は敗戦から60年(67)を経た。
いまなお真珠湾に沈んだ戦艦アリゾナ号からは、64年たった今も、オイルが浮かんでくる世言う。
「リメンバー・パールハバー」
怨み骨髄の「ジャップ!」と同じの憎悪の言葉である。
不思議なことにこの国とだけ外交がうまくいっている。
新聞によると
「聴きいる人々が箸を捨てた、フオークを捨てた、帽子もオーヴアも脱いだ……全員蕭然と直立し頭を垂れ、感極まつてすゝり泣く人さへ
あつた」。
東京・神田でラジオの開戦の放送を聴く人々の姿で、「同じやうな感激の光景は全国至るところに描かれた」と、毎日紙が書いている。
日本を新たに牛耳る人々のようにとても「想定内」ではすまされないお話である。
しかし、実際に戦端が開かれたのはこの奇襲の1時間ほど前、英領のマレー半島に日本軍が上陸した時何だそうである。
米国の禁輸で石油調達の道を断たれた日本は、オランダ領インドネシアにある油田の確保を狙った。
そこに至るための軍事行動であり、兵力では真珠湾攻撃をしのぐ大規模な作戦。
シンガポールのリー・クアンユー元首相は開戦時、18歳の大学生。回顧録(日経新聞)で日本について書いた。
「占領時代のつらい体験を持ち、日本人の特質に潜む恐ろしい一面を知りながら、それでもいま私は日本人を立派だと思う。日本人の持つ
集団の結束力や規律正しさ、知性、勤勉さ。それらすべてが日本の力のもとになっている」
・・・・
長々と続く。その後も逸話で12/8の日米開戦に触れてる近代日本人の原点その日である。
耳元のラジオのイマジン・・・想像してごらん・・なにも死ぬことはないじゃぁないか。
・・レンノの12/8訃報からも37年もたっている。
奇しくもレノンは真珠湾のパールハーバーの日に逝った。日本に伝えられたのは9日の正午。
一昨年はこうある。
太平洋戦争は12月8日夜半未明の真珠湾攻撃から始まり今日はその前日朝である。
「テンキセイロウナレドナミタカシ」
戦後、共産党さえ賛美した連合国占領軍は繁栄の元となり、その後の二国間は蜜月の時期で過ごしてきた。
そこに亀裂が生じつつある。後日詳しく触れる。
顕著になったのはアフガニスタン戦線から日本軍のガソリン給油船が11月末引き上げてきた
時限立法のテロ特措法が切れたお粗末なる法事国家からである。
テロ特措法の成立に向け福田内閣は腹を括ったと・・
このような12/8もある。
朝日紙によると11月には新札も発行される。
諭吉、英世、一葉の登場である。
現在133億枚の札が流通している。額にして76.9兆円。
積み上げると1330KM、富士山の352倍、
横に並べると205万KM、地球の51周、月までの距離の5倍。という。
とにかくこの日は日本人にとって「聖」なる日のハズ。
何故ことしから一斉に新聞が触れなくなったのか。
タバコを求めたのはこうである。
今日の地元紙のニュース。
葉たばこ生産が全国トップであった宮崎県は二番目になる。
県たばこ耕作組合(郡利夫組合長)によると、3年連続で台風や長雨による被害が相次いだ上に資材、燃料代の高騰も追い打ちを掛け、
生産をやめる農家が相次いでいるためだ。
議論が本格化してきたたばこの増税も消費に暗い影を落としており、関係者は「タバコでは食べていけないという考えが若手農家に及ぶ
と、今後も減少が続く」と危機感を募らせている。
どうにも根っからの天の邪鬼が頭を持ち上げたので深夜の徘徊の奇行に出たわけである。
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