かたじけない

2004年5月11日 旅行
大阪からいらした動くコンピューター。
そうしてこの次に、こう書くのが日頃の私である。
・・・実にありがたい。・・

違う!断じて否!ノン!である。
ではどう書くというのだ。

「忝い」・・・・かたじけないである。

時代劇の武士風で高飛車に聞こえ、にぎにぎにさ、
敬う気持ちがなさそうだがこれが違った。

岩波PR誌図書に小池昌代さんが投稿しておられた。
かたじけな。でいいのだ。

さしずめ私なら、「かたじけなく感謝する」とでもなるのか。
しかし、なんか変、違和感がある。

現代を生きる人々の語彙から消え去った言葉のようだ。

山田洋次監督が池波正太郎の弟子たる藤沢周平に
原作を求めて映画を撮ったのもうなずける。

消え行く時代の総てを撮り終え復活させえたのである。
主演に宮沢りえを選んだのも、古風な女の姿。

貴乃花との失恋劇を乗り越え生きるかくも強気生き様の女で
あるからでしょうか。

特別なゴシップ話もなくひたむきに生き抜く姿には共感する理想の女像を垣間見ることができる。

古きよき頃の日本の復活である。

いや復活は出来ぬであろうから、滅び行くもののノスタルジーに
酔いしれるだけかもしれない。

移り行く時代の中で動かぬ軸、凛としてあるただしきもの。
「職人」とか私は大好きである。

ひとつのなりきった成就した責任感ある仕事のできる姿の全般を指し
形容しての言葉である。

使用禁止用語を見るとグレーゾーンにある言葉のようだが。
筒井康隆が使えぬ言葉の多いことに対して絶筆宣言をしたり
井上ひさしも同様の時期があった。

立川談志のまくらに振られたりする消え行くことばの類で死後とは
意味合いが違う。

NHKの寵児でもあり、ひょっこりひょうたん島などを手がけた
井上ひさしにしてこうだから、

時代に抗しきれずの言葉の達人の悩みのほんの一端に触れたような気がするきがする。

昨日は「大阪の仕事師の坂○課長」と書いた。
最大限の尊敬語なのである。

「師」にしてからそうである。
私を言い表していて妙である。最大の尊敬をこめている。

それもそうである。私共APAは単なる掘っ立て小屋。社長の土地の上にコンテナを置いているだけ。
家賃20数万円を浮かそうと、ミエも外聞もない建物である。

しかしながら、職人の施工技術はピカいち。どこに出しても恥ずかしくない職人集団である。
見るものがみれば分かろうと言うものである。

この技術を買ってくれたのが、宮崎一の会社であり、九州一の会社であり、全国一のスリダイヤであるのだ。
テレビC/Mで有名な、建売の方も施工させていただいた。

感謝頂き仕事冥利に尽きる。そうおもうと、手が合わさります。ホント素直に。
童謡作詞家、白秋の如くである。

北原白秋の言葉は、教訓に満ち溢れている。
   ・・・・・・
私はそうしてこう続ける。
一固のこの我が、このわれが、このかたじけない、大宇宙の
   ・・・・・・・  
この書き出しで分かるように常に宇宙という言葉でくくられる神に感謝しての生活態度が
あのすばらしい童謡を作り出せた。

宇宙の存在を想ッ手かたじけないと言うた白秋の自然観、生活観には哲学者的日常を感ずる。
それには、かたじけないの考え方、人への愛がある。素直さ素朴さである。

最近の日本人に失われつつある人間固有の思いやりである。
この時代には太陽光発電なる仕事はなかったろうて。

相手に対する感謝、若者ならどうゆう言葉になるのか私は知らない。
ありがとう、でいい。私はナントかたじけない、である。古風と笑うなら笑え。

私なりの精一杯の感謝に対する発露である。
本当に有り難うございました。仕事師さん!

シーガイヤ150メートの高さからみるダンロップ・コースやトム・ワトソンコースを
驚嘆と羨望で実にすばらしい笑みで見つめられている姿は、美しいかった。

できるものなら、ラウンドを回りたい・

好奇心の塊の我は、クラウンのハンドルと、ゴルフのクラブを盛ったことなく残念である。
いっぱしのゴルフ談義はペーパードライバーみたいなもの。

この人とプレーしたいものである。
宮崎の恥の象徴のシーガイヤではいただけない。

人に恥じ入ることはいけない。

ただ、この巨大建物が起こした喜・悲劇は一地方宮崎の問題にとどまらず、日本の経済のいや
、世界経済の今日の象徴である。

プラザ合意から始まる、85年240円の為替相場は87年には一挙に120円となり、所謂バブル経済を招いた。
内需拡大策は土地投機を中心とした異常な総ての高騰を招いた。

今日の経済的問題の総てを惹起させる誘引となった。
そこから長すぎた。いま、ようやく明るい兆しは見えてはきている。

ただこの建物の主はリップ・ウッド社なる恥知らずな禿げたか投資グループの手に落ちていることが宮崎らしくない。
素直で、根のない素朴な純な県民性にこの建物の運営方法は似合わない。

県民の財産に取り返したい。
温泉施設完備の工事中でソウゾウしったらありゃしない。

遅きに失した施設作りであるが、オープンの年末が楽しみである。
今度こそ県民料金で運営してほしいものである。

NEHU仕様の発電所16KWが完成した。
APAは宮崎一の太陽光発電業者にのし上がろうとしている。

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