APAの会社はこの1ヶ月凄い人数となり、食わせる為の仕事がほしい。なんとか確保しているが死ぬ思いである。
ここんとこ、NEDOの提出資料作成で連日深夜まで及んでいる。本当は高千穂に行かねばならぬのに足止めである。
18歳を高千穂現場の責任者とした。早く一人前になってもらわねばならぬ為の荒業。
荒業は、歌舞伎「義経千本桜」の市川猿之助どこではない。
忠信と九郎狐を演じる宙乗り市川猿之助をこの18歳に演じさせたのだ。
歌舞伎といえばみたこともない、それな〜に?と脳天気な18歳であろう。
筋も台詞もわからず、暗れ〜であろう。日本の心は磨かねば分からぬ。
手刀の切り方も知らぬ超人の称号たる横綱の地位に居る朝青龍みたいなもの。
所詮底浅い。つまらぬ、外国人の人間で、しかない。
よって連勝止りザマーミロとなる。
18歳に猿之助の宙乗り荒業のこの職人芸が分かるはずがない。
、
猿之助の演じる「けれん」に、反応できれば、18歳にも脈がある。
早変わりや瞬間移動に目を見張り、最後の所、空中をも生かしてお客さんの目の前まで役者がやってくる宙づりには職人芸を納得するであろう。
お客さんのそばでなされるその動きに圧倒され、その九郎狐の喜び溢れる笑顔と、うらはらのように滴る職人の汗は、
先輩方が流す汗と同じである。
屋根の上は危険である。
これから、夏に向けてはとりわけ、そうである。
70度近い状況で職人芸を果たしパネルを上げることになる。
猿之助は歌舞伎座の三階席まで吊り上げられながら、初音の鼓、を手に持ったまま、力の限りに手足を動かす。
空間での、その狐に似せた動きは優雅で力強く、素早い。
外から観る銀座でない歴史の築地・歌舞伎座の建物そのもの。
狐の毛であろうか、白い細いものが、ライトの光の中を何本も何本も落ちて行く。
我が映像のア・レックスのキャメラに撮らせて観たい。
どこにも筋書きなどないのに、山あり谷ありの歌舞伎のドラマと太陽光発電所の建設はナントに通っていることか。
少ない人数をどうにかして効率的に運営する為のことだ。
18歳への荒業は世間で言う、いじめ!では談じてない。
這えば立て、たてば歩けの親心・・である。
周囲のものヨ!口出しすな!専務のナマクラ指導とはチヨット違う。
とまれ、組織が小さいウチは絆は強いが、売上は低い。
いい利益率の仕事がもらえない。
社員も内情を良く知っているので、使う、使われるがあるとするならば、使われる側の人間を騙すのは難しい。
最初から騙して運営している組織だったとしても、実は世間の信頼が薄い。
当然、仕事の遂行にあたり、時間どころか、分単位で物事が発生する。
草創期の運営の諸問題もある。
総てを受け止めての会社運営には限界がある。
トップが立場を果たしてくれない。
目配りをしていないので、でしゃばりの私の役割となる。
毎晩泣く想いとなる。もう、身が持たぬ。
高千穂のパネルは11時ごろナント凄いことに終了と
18歳の現場長の報告である。
秀吉の墨俣城以上のことをやってのけた。現場職人に負けられぬ。
久しぶり、営業に回れる時間をうみ出だした。
宮崎市古城に、11時過ぎからである。
ところが携帯がなる。久子が呼びかけてきた!かに想った。
声がそっくりなのである。
昼の13時でよかった。夜であったら、恐ろしさに凍ッていたであろう。
お客さん宅におり、山○棟梁さん と職人さんがおられるのもかかわらず嗚咽どこでなくでなく号泣した。
声の主は20数年ぶりの姪っ子である。
姪っ子は田野中かどっかの教師をやっているハズだ。
ハズとしたのは、結婚式にでていないのだ。
月一回のボランテアで司会をしていたので、私の信条上、当然の如く
身内の儀式へ、出席をやめ、老人ホームの慰問に回っていたからである。(笑い・・・、ナント非情な・ヤツ!)
それが仕方ない、・・・・・私であった。
公私で何が公で、なにが私なのか子供的社会人たる常識しか持ち合わせていないである。
そのような無礼をも思い出したり、それでも電話をしてくれたこの心優しき姪っ子、かよ先生。
かって日本にはつずり方教育の無着正恭とか名物教師が居た。
さしずめ、いまなら齋藤孝であろうか。
世間様とつまらぬ会社状況で苦しきながらも生き抜いている。
あらゆる思いが我が子以下の姪っ子の
「かあちゃんに線香上げてね!」
この言葉に涙腺は完全崩壊、書いてる今でもそうだ。
息子よ!娘よ!我が肉親たちよ!
、私がどんなにダメ親父で、どんなに示唆をなめさせられ、世間の白眼視を受け、貧乏をさせられて、
それでも、どんなにひどいことを言う父親かを丹念に探り、語ってみろ!
それでも生み育ての親は憎めないと、心の葛藤を綴ってくれたら私は泣く。泣いて駆け寄ってわが子を抱きしめる。
こちらの方が余程ドラマとしては出来がいい。
冬のソナタどこではない。ジャンルが違うか。
情念とかは浄瑠璃であった。山之口町の文弥浄瑠璃でも見に行くが良い。
必死に涙を堪えていたが、何か、人間への信頼を回復したような 非常に心温まる話
で当事者でなく名先生の日本一の姪っ子 かよ先生である。
電話のその意図は、まったく知らぬ。
頭の固い私が思考回路を変えるには「ヨッシャ!』と気合を入れ自分に言い聞かせるしかない
焦燥感や自虐的になってはだめで自分の身と心のバランスをとることである。
ほんと大変なんだから。
この頑固者を管理するの。嗚呼!
そんな事では、アパつぶれるぞ!
しっかりしたものにしなくては。
育ち行く人材がある。前途は洋々としている。
高鍋NEDOをキッチリとしたものにせねばならぬ。
日本で初めてのことである。
今日の現場もそうだ。72枚ものパネルがどこにあると言うのだ。
宮崎一の太陽光発電の仕事をしているには違いない。
それをアピールできていない。
どうやら、テレビCM専門の同業者サンオブサン・カンパニーはCM大賞を受賞したようだ。
ミーテングを繰り返しなにかの知恵を探りたい。誰もきずかぬ。
実に辛い。
まったく出勤しない奴もあり、どうにもならぬ。営業の一体化
それら総てを、何度訴えても分からぬバカ専務。
社長も同罪!何度となくチームの和を話すがこのバカ二人は何にも分かっちゃいない!
名古屋からの部材の仕入をチングゥワラ!と壊しそうで営業を中断してスットンで帰ってきた。
専務自らが、放棄した現場を私が拾ってきてやってたのにである。
そもそも口だす資格はないはずだ。
自ら放り投げだした現場で一度逃げたのを違うルートからもらってきたのである。
能天気なものよ!熾烈な販売戦争にさらされているのにまったく無風状態のこのバカたれ!
月曜日まで2日しかないのに、現場の場所さえ確認しょうとしない。
いずれせきやんが総て美味く手配する・・・いい加減にしてくれ!
私にも自由な営業時間をくれ!
日記の春死音さんの教えを乞い、心休まる時間を作りたい。
ブラームス でもきいてみたい。・・・・永遠への飛翔
老いては子に従えである。
若きものに教えられた一日で清々しい。
何度でもいう。ありがとうございます。
日記の皆様に助けられています。
ここんとこ、NEDOの提出資料作成で連日深夜まで及んでいる。本当は高千穂に行かねばならぬのに足止めである。
18歳を高千穂現場の責任者とした。早く一人前になってもらわねばならぬ為の荒業。
荒業は、歌舞伎「義経千本桜」の市川猿之助どこではない。
忠信と九郎狐を演じる宙乗り市川猿之助をこの18歳に演じさせたのだ。
歌舞伎といえばみたこともない、それな〜に?と脳天気な18歳であろう。
筋も台詞もわからず、暗れ〜であろう。日本の心は磨かねば分からぬ。
手刀の切り方も知らぬ超人の称号たる横綱の地位に居る朝青龍みたいなもの。
所詮底浅い。つまらぬ、外国人の人間で、しかない。
よって連勝止りザマーミロとなる。
18歳に猿之助の宙乗り荒業のこの職人芸が分かるはずがない。
、
猿之助の演じる「けれん」に、反応できれば、18歳にも脈がある。
早変わりや瞬間移動に目を見張り、最後の所、空中をも生かしてお客さんの目の前まで役者がやってくる宙づりには職人芸を納得するであろう。
お客さんのそばでなされるその動きに圧倒され、その九郎狐の喜び溢れる笑顔と、うらはらのように滴る職人の汗は、
先輩方が流す汗と同じである。
屋根の上は危険である。
これから、夏に向けてはとりわけ、そうである。
70度近い状況で職人芸を果たしパネルを上げることになる。
猿之助は歌舞伎座の三階席まで吊り上げられながら、初音の鼓、を手に持ったまま、力の限りに手足を動かす。
空間での、その狐に似せた動きは優雅で力強く、素早い。
外から観る銀座でない歴史の築地・歌舞伎座の建物そのもの。
狐の毛であろうか、白い細いものが、ライトの光の中を何本も何本も落ちて行く。
我が映像のア・レックスのキャメラに撮らせて観たい。
どこにも筋書きなどないのに、山あり谷ありの歌舞伎のドラマと太陽光発電所の建設はナントに通っていることか。
少ない人数をどうにかして効率的に運営する為のことだ。
18歳への荒業は世間で言う、いじめ!では談じてない。
這えば立て、たてば歩けの親心・・である。
周囲のものヨ!口出しすな!専務のナマクラ指導とはチヨット違う。
とまれ、組織が小さいウチは絆は強いが、売上は低い。
いい利益率の仕事がもらえない。
社員も内情を良く知っているので、使う、使われるがあるとするならば、使われる側の人間を騙すのは難しい。
最初から騙して運営している組織だったとしても、実は世間の信頼が薄い。
当然、仕事の遂行にあたり、時間どころか、分単位で物事が発生する。
草創期の運営の諸問題もある。
総てを受け止めての会社運営には限界がある。
トップが立場を果たしてくれない。
目配りをしていないので、でしゃばりの私の役割となる。
毎晩泣く想いとなる。もう、身が持たぬ。
高千穂のパネルは11時ごろナント凄いことに終了と
18歳の現場長の報告である。
秀吉の墨俣城以上のことをやってのけた。現場職人に負けられぬ。
久しぶり、営業に回れる時間をうみ出だした。
宮崎市古城に、11時過ぎからである。
ところが携帯がなる。久子が呼びかけてきた!かに想った。
声がそっくりなのである。
昼の13時でよかった。夜であったら、恐ろしさに凍ッていたであろう。
お客さん宅におり、山○棟梁さん と職人さんがおられるのもかかわらず嗚咽どこでなくでなく号泣した。
声の主は20数年ぶりの姪っ子である。
姪っ子は田野中かどっかの教師をやっているハズだ。
ハズとしたのは、結婚式にでていないのだ。
月一回のボランテアで司会をしていたので、私の信条上、当然の如く
身内の儀式へ、出席をやめ、老人ホームの慰問に回っていたからである。(笑い・・・、ナント非情な・ヤツ!)
それが仕方ない、・・・・・私であった。
公私で何が公で、なにが私なのか子供的社会人たる常識しか持ち合わせていないである。
そのような無礼をも思い出したり、それでも電話をしてくれたこの心優しき姪っ子、かよ先生。
かって日本にはつずり方教育の無着正恭とか名物教師が居た。
さしずめ、いまなら齋藤孝であろうか。
世間様とつまらぬ会社状況で苦しきながらも生き抜いている。
あらゆる思いが我が子以下の姪っ子の
「かあちゃんに線香上げてね!」
この言葉に涙腺は完全崩壊、書いてる今でもそうだ。
息子よ!娘よ!我が肉親たちよ!
、私がどんなにダメ親父で、どんなに示唆をなめさせられ、世間の白眼視を受け、貧乏をさせられて、
それでも、どんなにひどいことを言う父親かを丹念に探り、語ってみろ!
それでも生み育ての親は憎めないと、心の葛藤を綴ってくれたら私は泣く。泣いて駆け寄ってわが子を抱きしめる。
こちらの方が余程ドラマとしては出来がいい。
冬のソナタどこではない。ジャンルが違うか。
情念とかは浄瑠璃であった。山之口町の文弥浄瑠璃でも見に行くが良い。
必死に涙を堪えていたが、何か、人間への信頼を回復したような 非常に心温まる話
で当事者でなく名先生の日本一の姪っ子 かよ先生である。
電話のその意図は、まったく知らぬ。
頭の固い私が思考回路を変えるには「ヨッシャ!』と気合を入れ自分に言い聞かせるしかない
焦燥感や自虐的になってはだめで自分の身と心のバランスをとることである。
ほんと大変なんだから。
この頑固者を管理するの。嗚呼!
そんな事では、アパつぶれるぞ!
しっかりしたものにしなくては。
育ち行く人材がある。前途は洋々としている。
高鍋NEDOをキッチリとしたものにせねばならぬ。
日本で初めてのことである。
今日の現場もそうだ。72枚ものパネルがどこにあると言うのだ。
宮崎一の太陽光発電の仕事をしているには違いない。
それをアピールできていない。
どうやら、テレビCM専門の同業者サンオブサン・カンパニーはCM大賞を受賞したようだ。
ミーテングを繰り返しなにかの知恵を探りたい。誰もきずかぬ。
実に辛い。
まったく出勤しない奴もあり、どうにもならぬ。営業の一体化
それら総てを、何度訴えても分からぬバカ専務。
社長も同罪!何度となくチームの和を話すがこのバカ二人は何にも分かっちゃいない!
名古屋からの部材の仕入をチングゥワラ!と壊しそうで営業を中断してスットンで帰ってきた。
専務自らが、放棄した現場を私が拾ってきてやってたのにである。
そもそも口だす資格はないはずだ。
自ら放り投げだした現場で一度逃げたのを違うルートからもらってきたのである。
能天気なものよ!熾烈な販売戦争にさらされているのにまったく無風状態のこのバカたれ!
月曜日まで2日しかないのに、現場の場所さえ確認しょうとしない。
いずれせきやんが総て美味く手配する・・・いい加減にしてくれ!
私にも自由な営業時間をくれ!
日記の春死音さんの教えを乞い、心休まる時間を作りたい。
ブラームス でもきいてみたい。・・・・永遠への飛翔
老いては子に従えである。
若きものに教えられた一日で清々しい。
何度でもいう。ありがとうございます。
日記の皆様に助けられています。