人望、
2004年5月21日kitten さん秘密あります。
朝からいやな予感である。
都城からの仕事の依頼で、見積書の提出を求められる。
P/Cを開くも、アイコンの整理がしてあり、折角あ〜ん順に並べたアイコンがない!
図面はあるのに見積書がない、聞くが進まぬ。昨日の反省はないようだ。
「関○さんは、終わったことをほじくるのが得意だ、」社長が私を揶揄する。
では聞くがお客様から、見積依頼がきているのに
即、対応が出来ない、お役所より悪いこの状況はなんだ!
昨日ミーテングしたばかりである。なのにこの状態が直ぐに起こるのは何故か
仕事をとる!の意思統一がない!
職人のスケジュールは埋まっていない!事はどうなる。
しかしな〜ぁ、まったく仕事をとってこず、
私のの取ってきたのが総てでしかないのにこの状況はなんだ!
何人の人間がぶら下がっているのだ。
なのに直ぐ全員で対応できない。
これでは仕事がこなくなるのは目に見えている。
大企業には既にお抱え業者が居るのに、やっと食い込んだにすぎぬ。
誰が業務をまわしているのか。の認識が足りぬ。
営業とスタッフ陣の意思の欠如。
昨日のミーテングの効果は何処へ!「3日坊主」の格言も生きていない。
給料が何処から出てるのかの認識無しから起こっている。レベル低キー
APAにとって日本国憲法より大事は
「お客さんを大切に」である。
この姿勢が勤務中の全員の者にならねばならぬ。
依頼事項をほっちらかす!
専門漢がトップ居る限り全員に蔓延してしまう。
反省から、直していくしかないのに、
「過去のこと、終わったことをほじくる専門官!」のレッテル・・・が幅を利かす。
それで会社が持つとでも思うのか!。このバカッたれ!
私もこの人たちのように生きぬくかな。気楽な仕事感は楽でいい。
職人をどう動かすのか、仕事を抜け目なく配置する苦しみを味わうこともない。
ギリギリでの毎日をスゴスノヤメようかな〜。気ままに生きるべきのようだ。
イライラは募るのみ。高千穂を断り、足場屋さんに詫び、足場の撤去を決断。
総て判断しなければならぬ。
私のあずかり知らぬうちに受諾していたチラシを届けること。
ホタり投げたままなのである。はや2度目。チラシを届ける。
「依頼したことは、できるだけ早目にしてほしい。」クワバラ、くわばら。
とまたもや怒られる。誰ジャ!わが社で受けホたってる奴。
これが始末が悪い。営業とシンクタンク方がかみ合っていない。
どうも私の意思伝達に問題があるようである。
昨夜の打合せで、8人現場に居るはずの認識なので専務を直ぐ呼び戻す。
こんな時の即対応はどんなに有り難い事か。
尤も電話に出ず、○藤さんのみの連絡網で繋がっただけ。
非常に対応する姿勢はまったくない。
見積作りにとっかかるが、すすまぬ。
時間が11時過ぎなので、今日の行動予定にはいる。
既に、メチャクチャ状態で営業の始まり。
今のところAPAの食い扶持はこれしかない。
総てがこのルートにかかっている頑張るしかない。
保険を掛けとかないと、きわめて危険である。
飫肥・人吉街道は西都市を経て日南に到る。
日本一の会社の課長さんから、まず電話。
「内の仕事はしないのですか。何にも進まんじゃないですか。」
温厚な方が怒っている。
」
青島の現場にいくように連絡とるが、専務の返事は無し。
「困った時の斉藤頼み」
3,0KWを工事してるのを承知で、「青島に行くように」携帯にTEL。
こいつに不可能はない!即受けてくれた。
このやるきある奴に賭けるしかないAPAの状態。
事務所からの解らぬ電話。
相手の見積予測まで教えているのにナンダ!判断できぬのか。
この飫肥・人吉街道の行動中での電話はまったく理解できない。
12時5分と1時5分の前後5分で約束の方に会えず名刺をよろしくと渡された。
名代の方と太陽光発電の勉強会。なんとか仕事になるようではある。
西都より急ぎの連絡。ここんとこ毎日仕事を頂いている。
連続3度目がなるか。そこまで面の皮、厚くないか。
商売を覚えぬ専務の見積、とカバーできてぬ私の責任であろうな。
168万のギリギリを8万円値切りの提案。
消費税がわからぬ。8万を引かれたら残りの工事費は40万でしかない。
今、現場で頑張っている仲間の顔が浮かぶ。
即、詳細を知るために中断をいれる。
携帯で専務に連絡をとるがPCに情報があるのが解らぬのか。
消費税分の心配を相談しているのにトンチンカン。話にならぬ。
何の為の司令塔ナンダ!
もたついてる間に携帯をしながら近くのクレ^ン会社にいくも5時5分。
事務員さんの車とすれ違った。帰っていたのである。
何回電話をしても繋がらぬので来た〜ツノニ・・・
5分に泣かされる。
3,9kwの現場にいくと、4人しかいない。
8人のはずなのに。嗚呼私はなんと言うことをしてたのだ。
お父さんがお見えになっておられた。
名刺を渡し挨拶するのにお互い気づいた。
縁は異なもの不思議が良く起こる。
飛び込みで再訪問をつかむ
明日回ろう。
今日一日の反省を言うもなしのつぶて。反省なくして前進無し、今日があっての明日のはずだ。
その場を逃げ切れば過去。
過去のことは言うな!で逃げ切れる。
バカに付けるクスリはなし!。養老猛司の壁にでもなった方がまし。
組織は作っていくもの。生まずたゆまず作るしかない。
APAもそうして見せる。
「ふるゆきや、明治は遠くに なりにけり」
日露戦争100年に学ぶのが日本人の心。
司馬遼太郎はよく引き合いに出す。
・・・・
日清・日露の頃の日本人は健全であった、しかるにそのごの日本人はどこで捻じ曲がり、亡国の大戦争に突入した
。どこで日本人は変わってしまったのか。
・・・・
長の陸軍、薩の海軍と言うように海軍士官第一号の元帥伊東祐亨ゆうこう。
部下にやり込められても
「わはは、またやられたわい」
と破顔一笑として根に持たない器量人だったと言う。
初代連合艦隊司令長官として日清の二大海戦、黄海、威海衛を勝利に導いた。
艦隊戦術は軍事の天才島村速雄の単縦陣戦術を用いた。
清提督、丁汝昌の自殺には遺体を運送船一隻を独断で提供。
このような判断は天皇の大権に属するものであったにもかかわらずである。。
日露ではかって二代目に指名してあった東郷平八郎がその任にあたった。世界一のロ国バルチっク艦隊との戦いである。
アリが巨象を倒し、列強の仲間入りを果たした。
宮崎高鍋の人小沢。「四人の連合艦隊司令長官」(文春文庫)
山本死後は小沢が連合艦隊の司令長官に相応しい人材とわかっていながら、年功序列で古賀、豊田をその地位につけた。
小沢を連合艦隊司令長官にすると、その指揮下の艦隊司令長官に先輩が数人いる。
後輩が先輩に指揮するのはどうもいかんのが組織。
そのため艦隊司令長官も異動が必要となり、
そんな大規模な異動は・・・ということで見送られたらしい。
軍隊もしょせんは官僚、役所の仕組みは江戸期やりつづく世界最高の組織。
APAのめざす組織としてはハードルが高すぎ到底及ばない。
「人望力」の条件―歴史人物に学ぶ「なぜ、人がついていくか」
少しの違和感、私は徳を第一とする。
茫洋たる毎日を過ごす事で、周りを騒がしくしない。
バカッたれ1APAは潰れてしまう。
なわではどうしようもない。
福岡の仕事がきたが、、やっちゃ…
朝からいやな予感である。
都城からの仕事の依頼で、見積書の提出を求められる。
P/Cを開くも、アイコンの整理がしてあり、折角あ〜ん順に並べたアイコンがない!
図面はあるのに見積書がない、聞くが進まぬ。昨日の反省はないようだ。
「関○さんは、終わったことをほじくるのが得意だ、」社長が私を揶揄する。
では聞くがお客様から、見積依頼がきているのに
即、対応が出来ない、お役所より悪いこの状況はなんだ!
昨日ミーテングしたばかりである。なのにこの状態が直ぐに起こるのは何故か
仕事をとる!の意思統一がない!
職人のスケジュールは埋まっていない!事はどうなる。
しかしな〜ぁ、まったく仕事をとってこず、
私のの取ってきたのが総てでしかないのにこの状況はなんだ!
何人の人間がぶら下がっているのだ。
なのに直ぐ全員で対応できない。
これでは仕事がこなくなるのは目に見えている。
大企業には既にお抱え業者が居るのに、やっと食い込んだにすぎぬ。
誰が業務をまわしているのか。の認識が足りぬ。
営業とスタッフ陣の意思の欠如。
昨日のミーテングの効果は何処へ!「3日坊主」の格言も生きていない。
給料が何処から出てるのかの認識無しから起こっている。レベル低キー
APAにとって日本国憲法より大事は
「お客さんを大切に」である。
この姿勢が勤務中の全員の者にならねばならぬ。
依頼事項をほっちらかす!
専門漢がトップ居る限り全員に蔓延してしまう。
反省から、直していくしかないのに、
「過去のこと、終わったことをほじくる専門官!」のレッテル・・・が幅を利かす。
それで会社が持つとでも思うのか!。このバカッたれ!
私もこの人たちのように生きぬくかな。気楽な仕事感は楽でいい。
職人をどう動かすのか、仕事を抜け目なく配置する苦しみを味わうこともない。
ギリギリでの毎日をスゴスノヤメようかな〜。気ままに生きるべきのようだ。
イライラは募るのみ。高千穂を断り、足場屋さんに詫び、足場の撤去を決断。
総て判断しなければならぬ。
私のあずかり知らぬうちに受諾していたチラシを届けること。
ホタり投げたままなのである。はや2度目。チラシを届ける。
「依頼したことは、できるだけ早目にしてほしい。」クワバラ、くわばら。
とまたもや怒られる。誰ジャ!わが社で受けホたってる奴。
これが始末が悪い。営業とシンクタンク方がかみ合っていない。
どうも私の意思伝達に問題があるようである。
昨夜の打合せで、8人現場に居るはずの認識なので専務を直ぐ呼び戻す。
こんな時の即対応はどんなに有り難い事か。
尤も電話に出ず、○藤さんのみの連絡網で繋がっただけ。
非常に対応する姿勢はまったくない。
見積作りにとっかかるが、すすまぬ。
時間が11時過ぎなので、今日の行動予定にはいる。
既に、メチャクチャ状態で営業の始まり。
今のところAPAの食い扶持はこれしかない。
総てがこのルートにかかっている頑張るしかない。
保険を掛けとかないと、きわめて危険である。
飫肥・人吉街道は西都市を経て日南に到る。
日本一の会社の課長さんから、まず電話。
「内の仕事はしないのですか。何にも進まんじゃないですか。」
温厚な方が怒っている。
」
青島の現場にいくように連絡とるが、専務の返事は無し。
「困った時の斉藤頼み」
3,0KWを工事してるのを承知で、「青島に行くように」携帯にTEL。
こいつに不可能はない!即受けてくれた。
このやるきある奴に賭けるしかないAPAの状態。
事務所からの解らぬ電話。
相手の見積予測まで教えているのにナンダ!判断できぬのか。
この飫肥・人吉街道の行動中での電話はまったく理解できない。
12時5分と1時5分の前後5分で約束の方に会えず名刺をよろしくと渡された。
名代の方と太陽光発電の勉強会。なんとか仕事になるようではある。
西都より急ぎの連絡。ここんとこ毎日仕事を頂いている。
連続3度目がなるか。そこまで面の皮、厚くないか。
商売を覚えぬ専務の見積、とカバーできてぬ私の責任であろうな。
168万のギリギリを8万円値切りの提案。
消費税がわからぬ。8万を引かれたら残りの工事費は40万でしかない。
今、現場で頑張っている仲間の顔が浮かぶ。
即、詳細を知るために中断をいれる。
携帯で専務に連絡をとるがPCに情報があるのが解らぬのか。
消費税分の心配を相談しているのにトンチンカン。話にならぬ。
何の為の司令塔ナンダ!
もたついてる間に携帯をしながら近くのクレ^ン会社にいくも5時5分。
事務員さんの車とすれ違った。帰っていたのである。
何回電話をしても繋がらぬので来た〜ツノニ・・・
5分に泣かされる。
3,9kwの現場にいくと、4人しかいない。
8人のはずなのに。嗚呼私はなんと言うことをしてたのだ。
お父さんがお見えになっておられた。
名刺を渡し挨拶するのにお互い気づいた。
縁は異なもの不思議が良く起こる。
飛び込みで再訪問をつかむ
明日回ろう。
今日一日の反省を言うもなしのつぶて。反省なくして前進無し、今日があっての明日のはずだ。
その場を逃げ切れば過去。
過去のことは言うな!で逃げ切れる。
バカに付けるクスリはなし!。養老猛司の壁にでもなった方がまし。
組織は作っていくもの。生まずたゆまず作るしかない。
APAもそうして見せる。
「ふるゆきや、明治は遠くに なりにけり」
日露戦争100年に学ぶのが日本人の心。
司馬遼太郎はよく引き合いに出す。
・・・・
日清・日露の頃の日本人は健全であった、しかるにそのごの日本人はどこで捻じ曲がり、亡国の大戦争に突入した
。どこで日本人は変わってしまったのか。
・・・・
長の陸軍、薩の海軍と言うように海軍士官第一号の元帥伊東祐亨ゆうこう。
部下にやり込められても
「わはは、またやられたわい」
と破顔一笑として根に持たない器量人だったと言う。
初代連合艦隊司令長官として日清の二大海戦、黄海、威海衛を勝利に導いた。
艦隊戦術は軍事の天才島村速雄の単縦陣戦術を用いた。
清提督、丁汝昌の自殺には遺体を運送船一隻を独断で提供。
このような判断は天皇の大権に属するものであったにもかかわらずである。。
日露ではかって二代目に指名してあった東郷平八郎がその任にあたった。世界一のロ国バルチっク艦隊との戦いである。
アリが巨象を倒し、列強の仲間入りを果たした。
宮崎高鍋の人小沢。「四人の連合艦隊司令長官」(文春文庫)
山本死後は小沢が連合艦隊の司令長官に相応しい人材とわかっていながら、年功序列で古賀、豊田をその地位につけた。
小沢を連合艦隊司令長官にすると、その指揮下の艦隊司令長官に先輩が数人いる。
後輩が先輩に指揮するのはどうもいかんのが組織。
そのため艦隊司令長官も異動が必要となり、
そんな大規模な異動は・・・ということで見送られたらしい。
軍隊もしょせんは官僚、役所の仕組みは江戸期やりつづく世界最高の組織。
APAのめざす組織としてはハードルが高すぎ到底及ばない。
「人望力」の条件―歴史人物に学ぶ「なぜ、人がついていくか」
少しの違和感、私は徳を第一とする。
茫洋たる毎日を過ごす事で、周りを騒がしくしない。
バカッたれ1APAは潰れてしまう。
なわではどうしようもない。
福岡の仕事がきたが、、やっちゃ…