なんてぇ~言っても小沢一郎ッ!
2010年4月8日 お仕事 コメント (1)田舎においてなんにつけ「プロ」選手は輝ける希望の星、英雄である。
岡山という都市においても変わらぬようだ。
フィギアー高橋選手6日街頭パレードに押しかけるが如きで「オラガ国サ」の英雄は田舎県に限らずいずこも同じ。
宮崎市内には伝統ある進学校大宮高校に国家の偏差値教育制度完結課程での西南北と新設公立高校を加え、四つの公立進学校が配置された。
南高校が甲子園にいき高校野球ファンを驚かしたことが唯一ある。
その南高校が8日先輩の訃報に接し
黙祷に臥魂の安寧を霊に祈った。
そのときメンバーに遠く田野町から約25キロを自転車通学した木村拓哉選手がいた。
自宅は田野町役場前二階建てで太陽光発電工事に当たり比較設計をしてみた。
町会議員でもあり宮崎市との合併の政治課題もありその関係で
次世代エネルギー普及の先駆住宅の意味合もあった。
木村邸宅は地形的に東西方向の切り妻屋根でもあり、東・南屋根に比較すると発電効率が悪いので工事を見合わせた。
役場ホールのロビー陳列ケースには長島監督のオールジャパンの選手全員のメンバーのサイン、バット、ユニフォームが飾ってある。
地元思いのあのときのメンバーの木村選手の意向が偲べたモノだった。
現役引退というのはかなりの環境の激変が生じるのであろう。
モーレツサラリーマンが定年で燃え尽き現象で茫然自失となる事例に似ているんであろう。
承知のコーチとしてノック中に突然倒れた。
脳内の大動脈が破裂したんであろう。
損傷激しき脳溢血である。
長年生きるといろんな生活体験がある。
不謹慎ながら郷土の英雄に対して
安らか死を
急がん
と祈念した。
ほどよくして・・・
意識不明のまま逝ったニュースに接した。。
ご冥福を祈るとともに
ホッとした。
立ち位置で大いなる違いがある。
不謹慎さを払拭したい。
爺目の母は2年もの間、脳溢血で倒れまったく同じ状態で植物人間であった。
そのときのことがよぎったからである。
師・長島監督みたいに重症ながらもリハビリ出きる比較的軽症で回復するならイザ知らず
意識不明が続くと壊疽が進み回復は無理である。
巨人球団清武代表も宮崎の人であり、弔辞を述べるインタビューは
心痛を思うとなお痛たましく神の偶然の悪戯を恨む。
ネット歴九年を超えることで霊に報い発展させる。
ボッタクリ国家JAPAN のことである。
ネットが教える葬式の平均費用、
日本231万円
英国 12万円、
独国 19万円、
韓国 37万円、
米国 44万円
貧乏人はまっとうなる死に方も出来ない。
空海もたいしたもんだ。
坊主ども代々までこれでくえるかい・。
全国津々浦々の弘法大師様もワロウテござろう。
宮崎の工業都市延岡今山には日本一の大師様が鎮座なさる。春の祭事も近いがご利益やいかに
安楽死が言われて久しい。
寝たきり老人殺人は連日報道される。
寝たきりの夫の首を絞めるなどして殺したとして、埼玉県警岩槻署は3月26日、
さいたま市岩槻区南下新井、無職溝根久美子容疑者(69)を殺人の疑いで逮捕し、発表した。
「楽にしてくれと夫に言われ、鬼になってやってしまった」
と容疑を認めているという。
35年間、寝たきり夫を介護してきた妻の辛さ・・・
夫と2人暮らし。
経験豊富な爺目は慟哭の涙が止まらない。
明治維新
をなし終えたDNAは四代にわたりまだくすぶり続けている
南の国の民は血の気が多い
気骨モンというより反骨モン全国視点で言うなら変わりモン。
不正は許さぬというより周りが見えぬネット社会も知らぬ時代遅れ。
もう一つの宮崎発グロバールなる全国ニュース。
日向市では入学式の日に学校内校庭に植えられた130本のミカン木が取り除かれ
逮捕されている。
古傷上は登記未済にあったようである。
この事例はごまんとある。
昭和47年田中角栄政権の列島改造以前の公共事業における土地は寄付が多かった。
宅地田んぼは有償であったが山荒地ナゾは公共事業誘致のため無償で提供された、
ところが地目山は利息三文ゆえ登記費用との対費用対効果により相続行為が複雑なるモノは登記行為がママ省略された。
事業が間に合わぬゆえでもあり社会的そうされていた慣行があった。。
片山内閣の革命的政策の農地解放の流れもあった故と推察する。。
絶対支配者のGHQの推し進めた肝いりの政策でもある。
田舎社会における財閥解体の小作農家から自作農を目指した農地解放。
実はこれは不完全である。
温暖多雨のもたらす富の源泉の一つの山は手つかず。
木材経済が国家機構の営林署で補完され林業が職業で語られていた時代に片手落ち政策。
国家は地目山を財産価値から放置した。
戦後平和が戻り人口爆発
爺目ら団塊の世代は全国どこも50人学級。
人口のイビツなひょうたん構造のパンパンに膨れ上がった部分に当たる。
国家のカンフル注射の効果が出つつある。
2月の経済指標が示された。
米中に引っ張られて外需依存の国の輸出主導国家の面目若如。いい経済指標にある。
今後の内需はどうなるのかにかかっている。
団塊の世代の子らの社会の中堅タチのひょうたんの膨れタル人口世代の年収が落ち込みつつある。
今だ小泉竹中のグローバルでしか経済運営思考が出来ない経営者群の圧倒的な存在。
競争原理のみでは列島の民の一員たる会社員が生きぬく策がとれない。
国家企業の生き抜き策の護送船団方式さえない。
かといって政権与党に政治姿勢を改めるすべは知っている。
自分の任期中のみの企業生き残り策には未来を見据えた企業人の倫理、国家愛はない。
企業トップは未来ある企業の繁栄その遠因たる国策を担うべきである。
多くの財政投融資策の国家的利益を享受してるのを忘れては困る。
国富の企業移転ではなく外資ではないのだ。
これだから内部留保に疑問符が付くのだ。
以前記憶ある赤旗記事にある。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2010-01-13/2010011301_01_1.html
それもカラカラの雑巾をなお一層搾り取ったるうえでの社内留保である。
リストラに狙われる再就職可能ギリギリ世代ゆえにかえって国家の未来は危ない。
国内にお金が出回らないハズである。
国民目線の新政権がバラマキ政策をとろうとこれでは内需拡大の相乗効果は望めない。
これは何よりも次の世代構造にさえ影響を与える
この国に横たわる戦争惨禍によるイビツなる人口ひょうたん構造を形造られてるのが忘れられている。。
ソレは国家運営の経済問題に大きく不安定要因を与える
年代を考えた難しき課題の世代限定の施策が必要なるモノが本来必要で求められる。
実施に当たっては線引きで混乱禍根を残そうが、民族がミナ生きていくにはしかたないものである。
敗戦から65年その悲惨さから生じたるたるもの。
経済の舵取りは難しい。
どうにもこのブログのスタイルが上手く運営できない。
日々お出でいただくお化けで・・・
ーーブルブル ((;゚ェ゚;)) ブルブルーー
アップ時間をずらすゆえのためである。
季節の花言葉も揶揄されてる具合で馬鹿らしく記憶がよみがえる。
複眼的でバランスのとれた御仁になれえぬ類いの人種が存在している。
面白い事に口汚さに倫理観政治的節操感はない。
真正保守の正体を晒した平沼与謝野新党の党名を
石原慎太郎が名ずけた。
たちあがれ日本
「Stand up Japan Party」
国家に寄生しテルクセしてて人様のブログを4年以上毎日付け根レッテル異常なる馬鹿ッ!。
最近は気候がなせる宿悪の業か
ナント日々名を変え爺目を挑発、煽る。
巷のネットウヨより始末が悪い。
タチわりィ~知能なき馬鹿ではない・・・
そうっ!「詐欺師連中」の類い。
同じ被害の方はネットでこのように表現されておられる。
至言である。
「自分達の悪事の責任を他者へ転嫁する」
程度の知性の持ち主ではあるので
自分達の行動の至らぬ点を馬鹿で豚にすぎない民衆へ責任転嫁する事で自立を保つ。
その程度の知性も無い者達を 言外で徹底的に見下してているくせに
「自分の快適な生活の向上を捨てる気概」は絶対に無い。
付狙われてる個人事業家たる爺目も酷い状態だが
平穏無事なるぶら下がってる生き方の御仁には鉄槌は下されエヌのか。
いづれこの長きの爺目の終末に対する付け狙われれの始末の怨念は
晴らされる事を誓う。
他人様を恨マヅの齢60年であったが人生の落とし前の付け方は南の国のDNAは先祖譲りのもの。
覚えておくがいい。
4年以上にわたる日々の愚考蛮行を。
まったく認めないものではない
ただし、親親戚らの努力もアッたれ場こその文章思考力を。
ただ、その知性と詭弁の向こう側では 決して言葉の先での行動が伴わないから
行動が言葉へ還元される時も詭弁を弄する。
それが 何故か「竹中先生」と崇める小泉竹中自民党時代を通じて多かった類の
「知識人」と呼ばれる人種。
ネットの時代になっても そういう種類の「知識や知性が高いだけの人種」の言葉は
言葉の中身に詭弁が混じるので 最後の部分で全く信用のおけない者達は 数多い。
そういう連中ほど
『ネットウヨ的な連中に 都合の良い所で利用され続ける自分自身』を否定しない。
自分達の行動の至らぬ点を他者へ責任転嫁する事で自立を保つ。
つまり 知性の高さは在っても 自己制御の能力と持続する意志に欠けるので
知性や知識で個別の部分では信用は置ける局面はあろうが
人間としては信用が置けない という結論。
知性だけで全てが解決できる という立場はありえない。
ネットという場所を虚構世界として捉え
その生き様を机上の論理だけで語る視点を意味がない。
虚構世界に生きる は 其処まで踏まえてから ようやく語れるような気がする。
ASCII.jp:「新聞は1日3時間」社会派ブロガー・ちきりん氏の少女時代|古田雄介の“顔の見えるインターネット” かーずSP 様
「Chikirinの日記」なんかは その典型的な類だ。
知性が有るのに 小沢西松事件の直後に 2009-03-06 その深みへ突っ込まない
その姿勢こそが全く信用に値しない最大の部分。
それで「社会派」?
チャンチャラオカシイわw
人の心の深さを理解できない者こそが
知性へ逃げ 詭弁に走る。
そういう者達を嫌という程に見てきている。
知性は無い。
けれども 自らの立ち位置を誤る事はしたくない。
選ばれたもののみが生きるのは国家ではない。
宮崎の田舎県立病院産科でさえ異常出産の生命誕生の数が異常である。
どこも同じであろう。
公表はされていない。
原因は察しはついている。
複合汚染が言われてから何年経タであろう。
改善どころかDNAを変えたモンサント社の種子作物が世界の食卓を支配しつつある。
中国さえ遺伝子処理のタネの大豆などを採用し始めた
自給率悪しきこの国は植物性タンパクを大豆輸入食品で摂取している。
携帯電話の日常化が微弱電波が体に異常を訴えるリンクの方は
9日10日も微弱電波の沖縄の方の研究成果の発表講演会に参加されようとしておられる。
生活環境激変で苦しんでおられる方々。
体の悲鳴は素直であり、食い物や生活環境異変が大きな障害にあるのではないのか。
身内に神の啓示の障害者が存在してから
選別者のみが生きれると主張される日々爺目を虐め喜んでる手合いのこの傲慢者も気づくのであろう。
よくもまぁ~
何年間だろう。
あきずに爺目のケツ舐めを日々怠らないものよ。
人格欠陥者メェ~。
社会的中心的年齢のハズが・・・
笑わすでない。
高度の資本主義国家は戦争傾斜の帝国主義国家に進化するはマルクス史観のテーゼ。
どの産業分野の職種も収斂され世界企業になりつつある。
利益本意の社会構造における企業が必然的にたどり着くグローバル企業の終着点は歴史の必然。
この社会の唯一の欠陥は再生産高成長のための破壊の戦争を生む要素があること。
限定された地球にともに住み分けする観点が欠落している。
拡大グローバル化した経済システムは暴走し国家がとめ得ない危険をはらんでいる。
一昨年の世界覇権国アメリカの選択した金融国家破綻が示している。
国家機構は分化している。
世界一の企業GMも第4位に甘んじてると7日日経紙が報じている。
国家とは何か。
混迷してるこの国はどうなるのか。
副島隆彦師の「学問道場」
ここに多くの方々結集される。
日本一の読書家は「千夜千冊」を求龍堂から刊した松岡正剛氏に異論はなかろう。
鳩山由紀夫総理の指南役でもある。
日本一の多くの書き手は佐藤優氏を持って他ない。
国家・社会・官僚・米帝国・小沢一郎・・・鋭く分析する佐藤優氏
国家から阻害され逮捕されたものだからこそわかる分析力がある。
当代一の危険人物小沢一郎
昨年3月以来の国家から付狙われ立ち位置を思考の深さをかえている。
宗主国のスパイで
国家を売り飛ばした小泉純一郎・竹中平蔵と対極にある。
なぜネット界であれほど名誉毀損タルを言われても
公人の二人は名誉毀損で疑惑解消をしないんであろうか。
「学問道場」のコーナーの
日本政界情報メモ に佐藤優氏と魚住昭氏の対談文がアル。
佐藤優氏の小沢氏と国家・社会などに対する分析が非常に参考勉強になる。
[4248]
「佐藤優氏と魚住昭氏の対談(最終回)」
国家と社会の裂け目
―帝国主義は止められないが、その内容を変える程度のことはできる?
佐藤 その可能性に賭けてみる必要があります。
小沢さんを考える場合、もう一つ忘れてはいけないのは西松建設献金事件です。日本の保守政治家はマルクス主義の影響を受けていないから、国家と社会が一体化している。例外的に国家と社会の裂け目を意識する人は検察にやられた人だけなんです。自分が国家の側にいる間は国家というのは、少なくとも自分との関係においては、守ってくれる暖かいもので、その本質が暴力装置だということは気付かない。ところが小沢さんや鈴木さんは、それに気付かざるを得ない状況に置かれてしまったんです。
国家と社会。私の解釈では「社会」は「世間」に近い概念で、「国家」は官僚機構に支えられた「政府=議会」だ。「国家」は「社会」の上に乗っかっている装置に過ぎないのに、日本では往々にして社会と国家が混同される。ジョン・ロックが、政府の圧政に対して人民の革命権を対置したのも、その基底に国家と社会(市民社会)は別物という考えがあったからだ。
さて、社会に国家が介入する場合の最も象徴的なことは何だろう。文芸評論家の柄谷行人の『近代文学の終り』(インスクリプト・〇五年刊)から援用しよう。〈国家というものは(中略)収奪によって成立する〉。収奪とは国民や法人、つまり社会に対する課税のことだ。〈しかし収奪を継続するためには、再分配をしなければならない。つまり収奪する相手を保護し育成する〉。これが社会福祉政策であり、かつての護送船団方式による企業の保護、統制だったといえる。佐藤のいう社会や共同体は、官僚機構と一体化した国家とは別の論理で自律的にまわっているか、自律的であろうとする者たちの集合体だと解してもいいだろう。
―そういえば「参院のドン」といわれた村上正邦さんもKSD事件で小沢氏や鈴木氏と同じような経験をして、変わりましたよね。
佐藤 そう。その経験がない限りは国家と社会は一体なんですよ。
―『改造計画』では国家と社会に加えて小沢さんの自我も一体化している。小沢自民党幹事長個人の湾岸トラウマがそのまま日本国家・社会のトラウマとみなされている。
佐藤 そう思います。だから今の小沢さんに『日本改造計画』を書けと言ったら、こういうふうには書けない。何故ならば検察が自分の方に牙をむいてきたから。1年前の小沢さんだったら同じ書き方をした。その意味で西松建設献金事件以前と以後の小沢さんは、別の人ですよ。だから私は、そこに期待がある。
―なるほど。それは良くわかる。
佐藤 だから小沢さんが事件後に言い出した企業・団体献金の禁止を、みんなはこんなものはカムフラージュじゃないかと言っているけど、そうではない。彼が一律禁止を言い出したのはやっぱり西松建設献金事件の意味を深く考えたから。と同時に、国家の暴力性を彼自身はヒシヒシと感じ始めた。田中角栄や金丸信が受けた仕打ちが何だったか、初めて皮膚感覚でわかったということなんです。
―私も小沢という政治家に本当に興味を持ち出したのは、あの事件からですね。
田中派への弔辞
―とすると佐藤さんが最初に言われた、小沢さんは普通の経世会の政治家と大して変わらないということと矛盾しないですか。
佐藤 いや、例えば橋本龍太郎の経済同友会三原則の中でのユーラシア外交は米国一辺倒ではなく、勢力均衡論に基づいている。金丸信の自民・社会両党訪朝団による、北朝鮮の国交正常化プロセス。あれも東アジアにおける戦力バランスの変化を目指している。それから田中角栄の日中国交正常化、あるいは田中・ブレジネフ会談によるシベリア開発の試み。経世会は一貫して、スマートなやり方じゃないんですが、日米関係の見直し、つまり帝国主義的な再編を試みています。冷戦構造下でも、それ以後でも戦後の大きな流れの中で日米安保体制に異議申し立てをしているのも、常に経世会です。清和会は戦後レジームの脱却と言いながら、実は全然その方向で動いていない。
―外交だけでなく、内政面でも経世会の敷いた路線は非エスタブリッシュメント出身者たちによる「土着的社会主義」あるいは日本的社民主義の色合いが濃い。外向けの帝国主義と、内向けの社民主義がセットになっている。常識的には、経世会より清和会のほうが帝国主義的なイメージは強いですけどね。
佐藤 帝国主義的イメージは強いけど、実際はアメリカのアンブレラの中での発想しかない。それは清和会が東西冷戦期の切った張ったの時期に権力を持っていなかったから、本当の権力の文法がわからない。経世会が日米関係の見直しで行き過ぎると、清和会が軌道修正をする。田中角栄が、中国やロシアに接近し過ぎると福田政権が出てきてアメリカとの関係を強める。あるいは中曽根政権が出てきてアメリカとの関係をより強める。そして、経世会の橋本・小渕で対ロ外交がとても積極的に展開されるようになると、清和会の小泉政権が現れて、そこを締め上げて、また元の親米主義的な方向に持っていった。
―確かにそうですね。
佐藤 安倍さんが戦後レジームからの脱却と言っても、その方向性は基本的には戦後レジームの維持です。そういうことを掲げない経世会の方が、実質的なところで日米関係を動かしていますよね。経世会というのは胃袋で考えるグループです。それに対して清和会は頭で考えるグループですよ。
―その胃袋には国内的な胃袋と国外的な胃袋があるんですか。
佐藤 それは一体化していますね。あと自分の胃袋も、政治家としての。
―なるほどね(笑)。
佐藤 経世会はその意味では唯物論的ですよ。飯を食うところ、つまり利権からスタートする。それに対して清和会は観念からスタートする。小沢さんは大きな意味で、日本国家が危険な方向に向かっている中での危険な政治家の一人です。ところが他の政治家と比べた場合、その危険を極小化する力がある。
となると何が重要かというと有識者、世論の声ですね。今起きていることを、どう見るかという分析があまりにも少ない。それから、こいつだって汚いことをしてるじゃないかというような、旧来型のスキャンダリズムに基づいた形での政治資金を巡る批判。しかしそれは、同じ基準でやった場合に、三分の二の政治家が確実に消える。では残りの三分の一は何かといったら、何の役にも立たないような政治家。企業が、献金の必要すら感じないようなレベルの政治家です。
小沢さんの抱えている問題は何かというと、それは政治と金の問題です。やっぱり田中角栄型の、最後の政治家なんです。小沢さんの歴史的な使命っていうのは、田中型政治の弔辞を読むことだと思う。小沢さんは、そこに気が付き始めた。自分自身のところに火が付いて。それが何かと言ったら、企業献金・団体献金の全面禁止。
その結果何が起きるかということになると、個人献金だけでやらないといけないと。
要するに企業献金というのは、どういうことかと言うと、上場企業だった場合には、無私の精神でやりましたと言ったら、株主に対する背任になるわけですよね。それで何かの目的がありましたと言ったら、贈収賄になるわけですよ。こういう状況から政治を解放しないといけない。そうすると田中型の構図は完全に崩れるんですよね。
では、直接的な利権システム、再分配システム以外のところで、どういうような政治を立てるかっていうことは、これは未知数です。ただ、彼はそれに成功しなければ叩き潰される。これは検察によって叩き潰されるんじゃなくて、デモクラシーによって叩き潰される。だから小沢さんにとっての最大の課題というのは、検察が言うのとは別の意味の政治と金ですよ。ただそれは歴史的に、田中派の出身者しか、この弔辞は読めないんです。
たぶん彼らの中には、どこかに知恵があると思う。そこのところを崩しても、新しい形での集金メカニズムを作って政治を継続することはできるという知恵を出す。
大衆の反逆
―最後にお聞きします。いま日本で起きているのは、良い悪いは別にしても、ある種のビロード革命だと思うんです。
佐藤 その通りです。革命です、これは。その中で、やっぱり鳩山由紀夫・小沢一郎をハブとした形で政局が動いている。
―でもチェコには大衆運動の盛り上がりがあったが、日本にはそれがないのでは。
佐藤 いや、今回の選挙の大衆的な盛り上がりは、すごいものだったと思います。選挙という形で大衆的なエネルギーが吸収された。最近の日本では、沖縄県を除いて、選挙で大衆エネルギーを吸収するメカニズムが明らかにできています。これはやっぱり小泉さんの影響ですね。二〇〇五年の郵政選挙も大衆的な盛り上がりがあった。少なくとも民主主義というフィクションは機能しているってことですよね。
だから六〇年安保のような街頭活動をしなくても、選挙で一票を投じることで革命ができる。これはデカイです。特に保守層の支持者は既得権益も全部投げ捨てないと今回の政権交代はできなかった。明らかに短期的には自分達には不利な状況が生じるわけですね。にもかかわらず民主党を支持したのは、このままではこの国が壊れるという草の根の無意識が作用したからでしょう。
―その革命的な政権交代が、小沢という国家主義者を軸にして起きたのは不思議ではないですか?
佐藤 でも、チェコのビロード革命もハヴェルという、どんな状況でも権力奪取をあきらめなかった作家に指導された。彼は六八年の「プラハの春」が弾圧された後、何度も逮捕・投獄されてもあきらめずにやってきたわけです。日本のビロード革命もそれとそっくりで、どう叩かれても権力奪取をあきらめなかった小沢という人格と結び付いています。
―小沢氏のキャラクターが大衆的な危機感の受け皿になった?
佐藤 そう。より正確に言うと受け皿ができる「場」を作った。さっき魚住さんは小沢さんの理念の中身が見えないと言われたけど、確かに小沢さんの思想は「無」なんです。でも大衆の情念を右から左まで受け止める「場」を作り出す力がある。これって過去の経世会の誰かに似てませんか?
―あっ、金丸信元副総裁ですか?
佐藤 そう。アバウトで思想がなくて、自社大連立を唱えた「政界のドン」です。金丸さんは「場」を作り出す能力において非常に優れていた。小沢さんはその金丸さんの系譜を引いた政治家なんです。
今の日本では明らかに大衆の反逆が起きている。みんな疲れきっているんですよ、競争社会に。受験とか会社で業績を上げることとかに。だからどこかに回帰したい。だけど天皇とか靖国とかいう表象を自民党は消費しすぎたから、そこには戻れない。小沢さんら民主党が頭がいいのは、例えば派遣村を正面から受け止めて、村長の湯浅誠さんを内閣府参与として体制内に入れた。これは、あれが体制に対する異議申し立て運動じゃなく、居場所探しの運動とわかっているからですよ。国民一人一人にどこか居場所を見つけてあげることが国家体制の再編で必要だと分かっている。
―結局、小沢氏が目指すのは、内政でも外交・安全保障でも、帝国主義の時代に対応した国家体制の再編だということですね。彼の思想の「無」と「場」が大衆の不安や危機感を吸収しながら、ドラスティックな変革が進んでいる。ただし、その変革が他国を踏み台にして自分たちの胃袋を満たすためだけのものなら、戦前の二の舞で終わってしまうのではないかという危うさを感じます。
佐藤優の切れ味鋭い分析のおかげで曖昧模糊としていた小沢思想の輪郭が見えはじめた。私たちが彼の思想のなかに希望を見出すとすれば、それは彼が「国家と社会の裂け目」を意識し、権力を社会の側に引き寄せようとする姿勢をもっているからだ。
しかし、その一方で、彼が「大きな意味で日本国家が危険な方向に向かっている中での危険な政治家の一人」であることも間違いない。
現在進行中の日本版ビロード革命は、私たちやアジア諸国の人々に再び惨禍をもたらす可能性をはらんでいる。
どうしたら私たちはそれを阻み、自由と平等と平和という戦後民主主義の理念を達成できるのだろうか。
小沢一郎と日本の新しい政治をめぐる旅はまだ始まったばかりである。
九州地区ブログランキング参加!
よろしくお願いいたします。
↓ ↓ ↓
http://blog.with2.net/link.php?62076
↑ ↑ ↑
リンクの方から教えていただいた。
記録に残したい。
「ピックル液」ねぇ~
実にビックリ
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20100407_tsukacom_fabex2010/
岡山という都市においても変わらぬようだ。
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宮崎市内には伝統ある進学校大宮高校に国家の偏差値教育制度完結課程での西南北と新設公立高校を加え、四つの公立進学校が配置された。
南高校が甲子園にいき高校野球ファンを驚かしたことが唯一ある。
その南高校が8日先輩の訃報に接し
黙祷に臥魂の安寧を霊に祈った。
そのときメンバーに遠く田野町から約25キロを自転車通学した木村拓哉選手がいた。
自宅は田野町役場前二階建てで太陽光発電工事に当たり比較設計をしてみた。
町会議員でもあり宮崎市との合併の政治課題もありその関係で
次世代エネルギー普及の先駆住宅の意味合もあった。
木村邸宅は地形的に東西方向の切り妻屋根でもあり、東・南屋根に比較すると発電効率が悪いので工事を見合わせた。
役場ホールのロビー陳列ケースには長島監督のオールジャパンの選手全員のメンバーのサイン、バット、ユニフォームが飾ってある。
地元思いのあのときのメンバーの木村選手の意向が偲べたモノだった。
現役引退というのはかなりの環境の激変が生じるのであろう。
モーレツサラリーマンが定年で燃え尽き現象で茫然自失となる事例に似ているんであろう。
承知のコーチとしてノック中に突然倒れた。
脳内の大動脈が破裂したんであろう。
損傷激しき脳溢血である。
長年生きるといろんな生活体験がある。
不謹慎ながら郷土の英雄に対して
安らか死を
急がん
と祈念した。
ほどよくして・・・
意識不明のまま逝ったニュースに接した。。
ご冥福を祈るとともに
ホッとした。
立ち位置で大いなる違いがある。
不謹慎さを払拭したい。
爺目の母は2年もの間、脳溢血で倒れまったく同じ状態で植物人間であった。
そのときのことがよぎったからである。
師・長島監督みたいに重症ながらもリハビリ出きる比較的軽症で回復するならイザ知らず
意識不明が続くと壊疽が進み回復は無理である。
巨人球団清武代表も宮崎の人であり、弔辞を述べるインタビューは
心痛を思うとなお痛たましく神の偶然の悪戯を恨む。
ネット歴九年を超えることで霊に報い発展させる。
ボッタクリ国家JAPAN のことである。
ネットが教える葬式の平均費用、
日本231万円
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独国 19万円、
韓国 37万円、
米国 44万円
貧乏人はまっとうなる死に方も出来ない。
空海もたいしたもんだ。
坊主ども代々までこれでくえるかい・。
全国津々浦々の弘法大師様もワロウテござろう。
宮崎の工業都市延岡今山には日本一の大師様が鎮座なさる。春の祭事も近いがご利益やいかに
安楽死が言われて久しい。
寝たきり老人殺人は連日報道される。
寝たきりの夫の首を絞めるなどして殺したとして、埼玉県警岩槻署は3月26日、
さいたま市岩槻区南下新井、無職溝根久美子容疑者(69)を殺人の疑いで逮捕し、発表した。
「楽にしてくれと夫に言われ、鬼になってやってしまった」
と容疑を認めているという。
35年間、寝たきり夫を介護してきた妻の辛さ・・・
夫と2人暮らし。
経験豊富な爺目は慟哭の涙が止まらない。
明治維新
をなし終えたDNAは四代にわたりまだくすぶり続けている
南の国の民は血の気が多い
気骨モンというより反骨モン全国視点で言うなら変わりモン。
不正は許さぬというより周りが見えぬネット社会も知らぬ時代遅れ。
もう一つの宮崎発グロバールなる全国ニュース。
日向市では入学式の日に学校内校庭に植えられた130本のミカン木が取り除かれ
逮捕されている。
古傷上は登記未済にあったようである。
この事例はごまんとある。
昭和47年田中角栄政権の列島改造以前の公共事業における土地は寄付が多かった。
宅地田んぼは有償であったが山荒地ナゾは公共事業誘致のため無償で提供された、
ところが地目山は利息三文ゆえ登記費用との対費用対効果により相続行為が複雑なるモノは登記行為がママ省略された。
事業が間に合わぬゆえでもあり社会的そうされていた慣行があった。。
片山内閣の革命的政策の農地解放の流れもあった故と推察する。。
絶対支配者のGHQの推し進めた肝いりの政策でもある。
田舎社会における財閥解体の小作農家から自作農を目指した農地解放。
実はこれは不完全である。
温暖多雨のもたらす富の源泉の一つの山は手つかず。
木材経済が国家機構の営林署で補完され林業が職業で語られていた時代に片手落ち政策。
国家は地目山を財産価値から放置した。
戦後平和が戻り人口爆発
爺目ら団塊の世代は全国どこも50人学級。
人口のイビツなひょうたん構造のパンパンに膨れ上がった部分に当たる。
国家のカンフル注射の効果が出つつある。
2月の経済指標が示された。
米中に引っ張られて外需依存の国の輸出主導国家の面目若如。いい経済指標にある。
今後の内需はどうなるのかにかかっている。
団塊の世代の子らの社会の中堅タチのひょうたんの膨れタル人口世代の年収が落ち込みつつある。
今だ小泉竹中のグローバルでしか経済運営思考が出来ない経営者群の圧倒的な存在。
競争原理のみでは列島の民の一員たる会社員が生きぬく策がとれない。
国家企業の生き抜き策の護送船団方式さえない。
かといって政権与党に政治姿勢を改めるすべは知っている。
自分の任期中のみの企業生き残り策には未来を見据えた企業人の倫理、国家愛はない。
企業トップは未来ある企業の繁栄その遠因たる国策を担うべきである。
多くの財政投融資策の国家的利益を享受してるのを忘れては困る。
国富の企業移転ではなく外資ではないのだ。
これだから内部留保に疑問符が付くのだ。
以前記憶ある赤旗記事にある。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2010-01-13/2010011301_01_1.html
それもカラカラの雑巾をなお一層搾り取ったるうえでの社内留保である。
リストラに狙われる再就職可能ギリギリ世代ゆえにかえって国家の未来は危ない。
国内にお金が出回らないハズである。
国民目線の新政権がバラマキ政策をとろうとこれでは内需拡大の相乗効果は望めない。
これは何よりも次の世代構造にさえ影響を与える
この国に横たわる戦争惨禍によるイビツなる人口ひょうたん構造を形造られてるのが忘れられている。。
ソレは国家運営の経済問題に大きく不安定要因を与える
年代を考えた難しき課題の世代限定の施策が必要なるモノが本来必要で求められる。
実施に当たっては線引きで混乱禍根を残そうが、民族がミナ生きていくにはしかたないものである。
敗戦から65年その悲惨さから生じたるたるもの。
経済の舵取りは難しい。
どうにもこのブログのスタイルが上手く運営できない。
日々お出でいただくお化けで・・・
ーーブルブル ((;゚ェ゚;)) ブルブルーー
アップ時間をずらすゆえのためである。
季節の花言葉も揶揄されてる具合で馬鹿らしく記憶がよみがえる。
複眼的でバランスのとれた御仁になれえぬ類いの人種が存在している。
面白い事に口汚さに倫理観政治的節操感はない。
真正保守の正体を晒した平沼与謝野新党の党名を
石原慎太郎が名ずけた。
たちあがれ日本
「Stand up Japan Party」
国家に寄生しテルクセしてて人様のブログを4年以上毎日付け根レッテル異常なる馬鹿ッ!。
最近は気候がなせる宿悪の業か
ナント日々名を変え爺目を挑発、煽る。
巷のネットウヨより始末が悪い。
タチわりィ~知能なき馬鹿ではない・・・
そうっ!「詐欺師連中」の類い。
同じ被害の方はネットでこのように表現されておられる。
至言である。
「自分達の悪事の責任を他者へ転嫁する」
程度の知性の持ち主ではあるので
自分達の行動の至らぬ点を馬鹿で豚にすぎない民衆へ責任転嫁する事で自立を保つ。
その程度の知性も無い者達を 言外で徹底的に見下してているくせに
「自分の快適な生活の向上を捨てる気概」は絶対に無い。
付狙われてる個人事業家たる爺目も酷い状態だが
平穏無事なるぶら下がってる生き方の御仁には鉄槌は下されエヌのか。
いづれこの長きの爺目の終末に対する付け狙われれの始末の怨念は
晴らされる事を誓う。
他人様を恨マヅの齢60年であったが人生の落とし前の付け方は南の国のDNAは先祖譲りのもの。
覚えておくがいい。
4年以上にわたる日々の愚考蛮行を。
まったく認めないものではない
ただし、親親戚らの努力もアッたれ場こその文章思考力を。
ただ、その知性と詭弁の向こう側では 決して言葉の先での行動が伴わないから
行動が言葉へ還元される時も詭弁を弄する。
それが 何故か「竹中先生」と崇める小泉竹中自民党時代を通じて多かった類の
「知識人」と呼ばれる人種。
ネットの時代になっても そういう種類の「知識や知性が高いだけの人種」の言葉は
言葉の中身に詭弁が混じるので 最後の部分で全く信用のおけない者達は 数多い。
そういう連中ほど
『ネットウヨ的な連中に 都合の良い所で利用され続ける自分自身』を否定しない。
自分達の行動の至らぬ点を他者へ責任転嫁する事で自立を保つ。
つまり 知性の高さは在っても 自己制御の能力と持続する意志に欠けるので
知性や知識で個別の部分では信用は置ける局面はあろうが
人間としては信用が置けない という結論。
知性だけで全てが解決できる という立場はありえない。
ネットという場所を虚構世界として捉え
その生き様を机上の論理だけで語る視点を意味がない。
虚構世界に生きる は 其処まで踏まえてから ようやく語れるような気がする。
ASCII.jp:「新聞は1日3時間」社会派ブロガー・ちきりん氏の少女時代|古田雄介の“顔の見えるインターネット” かーずSP 様
「Chikirinの日記」なんかは その典型的な類だ。
知性が有るのに 小沢西松事件の直後に 2009-03-06 その深みへ突っ込まない
その姿勢こそが全く信用に値しない最大の部分。
それで「社会派」?
チャンチャラオカシイわw
人の心の深さを理解できない者こそが
知性へ逃げ 詭弁に走る。
そういう者達を嫌という程に見てきている。
知性は無い。
けれども 自らの立ち位置を誤る事はしたくない。
選ばれたもののみが生きるのは国家ではない。
宮崎の田舎県立病院産科でさえ異常出産の生命誕生の数が異常である。
どこも同じであろう。
公表はされていない。
原因は察しはついている。
複合汚染が言われてから何年経タであろう。
改善どころかDNAを変えたモンサント社の種子作物が世界の食卓を支配しつつある。
中国さえ遺伝子処理のタネの大豆などを採用し始めた
自給率悪しきこの国は植物性タンパクを大豆輸入食品で摂取している。
携帯電話の日常化が微弱電波が体に異常を訴えるリンクの方は
9日10日も微弱電波の沖縄の方の研究成果の発表講演会に参加されようとしておられる。
生活環境激変で苦しんでおられる方々。
体の悲鳴は素直であり、食い物や生活環境異変が大きな障害にあるのではないのか。
身内に神の啓示の障害者が存在してから
選別者のみが生きれると主張される日々爺目を虐め喜んでる手合いのこの傲慢者も気づくのであろう。
よくもまぁ~
何年間だろう。
あきずに爺目のケツ舐めを日々怠らないものよ。
人格欠陥者メェ~。
社会的中心的年齢のハズが・・・
笑わすでない。
高度の資本主義国家は戦争傾斜の帝国主義国家に進化するはマルクス史観のテーゼ。
どの産業分野の職種も収斂され世界企業になりつつある。
利益本意の社会構造における企業が必然的にたどり着くグローバル企業の終着点は歴史の必然。
この社会の唯一の欠陥は再生産高成長のための破壊の戦争を生む要素があること。
限定された地球にともに住み分けする観点が欠落している。
拡大グローバル化した経済システムは暴走し国家がとめ得ない危険をはらんでいる。
一昨年の世界覇権国アメリカの選択した金融国家破綻が示している。
国家機構は分化している。
世界一の企業GMも第4位に甘んじてると7日日経紙が報じている。
国家とは何か。
混迷してるこの国はどうなるのか。
副島隆彦師の「学問道場」
ここに多くの方々結集される。
日本一の読書家は「千夜千冊」を求龍堂から刊した松岡正剛氏に異論はなかろう。
鳩山由紀夫総理の指南役でもある。
日本一の多くの書き手は佐藤優氏を持って他ない。
国家・社会・官僚・米帝国・小沢一郎・・・鋭く分析する佐藤優氏
国家から阻害され逮捕されたものだからこそわかる分析力がある。
当代一の危険人物小沢一郎
昨年3月以来の国家から付狙われ立ち位置を思考の深さをかえている。
宗主国のスパイで
国家を売り飛ばした小泉純一郎・竹中平蔵と対極にある。
なぜネット界であれほど名誉毀損タルを言われても
公人の二人は名誉毀損で疑惑解消をしないんであろうか。
「学問道場」のコーナーの
日本政界情報メモ に佐藤優氏と魚住昭氏の対談文がアル。
佐藤優氏の小沢氏と国家・社会などに対する分析が非常に参考勉強になる。
[4248]
「佐藤優氏と魚住昭氏の対談(最終回)」
国家と社会の裂け目
―帝国主義は止められないが、その内容を変える程度のことはできる?
佐藤 その可能性に賭けてみる必要があります。
小沢さんを考える場合、もう一つ忘れてはいけないのは西松建設献金事件です。日本の保守政治家はマルクス主義の影響を受けていないから、国家と社会が一体化している。例外的に国家と社会の裂け目を意識する人は検察にやられた人だけなんです。自分が国家の側にいる間は国家というのは、少なくとも自分との関係においては、守ってくれる暖かいもので、その本質が暴力装置だということは気付かない。ところが小沢さんや鈴木さんは、それに気付かざるを得ない状況に置かれてしまったんです。
国家と社会。私の解釈では「社会」は「世間」に近い概念で、「国家」は官僚機構に支えられた「政府=議会」だ。「国家」は「社会」の上に乗っかっている装置に過ぎないのに、日本では往々にして社会と国家が混同される。ジョン・ロックが、政府の圧政に対して人民の革命権を対置したのも、その基底に国家と社会(市民社会)は別物という考えがあったからだ。
さて、社会に国家が介入する場合の最も象徴的なことは何だろう。文芸評論家の柄谷行人の『近代文学の終り』(インスクリプト・〇五年刊)から援用しよう。〈国家というものは(中略)収奪によって成立する〉。収奪とは国民や法人、つまり社会に対する課税のことだ。〈しかし収奪を継続するためには、再分配をしなければならない。つまり収奪する相手を保護し育成する〉。これが社会福祉政策であり、かつての護送船団方式による企業の保護、統制だったといえる。佐藤のいう社会や共同体は、官僚機構と一体化した国家とは別の論理で自律的にまわっているか、自律的であろうとする者たちの集合体だと解してもいいだろう。
―そういえば「参院のドン」といわれた村上正邦さんもKSD事件で小沢氏や鈴木氏と同じような経験をして、変わりましたよね。
佐藤 そう。その経験がない限りは国家と社会は一体なんですよ。
―『改造計画』では国家と社会に加えて小沢さんの自我も一体化している。小沢自民党幹事長個人の湾岸トラウマがそのまま日本国家・社会のトラウマとみなされている。
佐藤 そう思います。だから今の小沢さんに『日本改造計画』を書けと言ったら、こういうふうには書けない。何故ならば検察が自分の方に牙をむいてきたから。1年前の小沢さんだったら同じ書き方をした。その意味で西松建設献金事件以前と以後の小沢さんは、別の人ですよ。だから私は、そこに期待がある。
―なるほど。それは良くわかる。
佐藤 だから小沢さんが事件後に言い出した企業・団体献金の禁止を、みんなはこんなものはカムフラージュじゃないかと言っているけど、そうではない。彼が一律禁止を言い出したのはやっぱり西松建設献金事件の意味を深く考えたから。と同時に、国家の暴力性を彼自身はヒシヒシと感じ始めた。田中角栄や金丸信が受けた仕打ちが何だったか、初めて皮膚感覚でわかったということなんです。
―私も小沢という政治家に本当に興味を持ち出したのは、あの事件からですね。
田中派への弔辞
―とすると佐藤さんが最初に言われた、小沢さんは普通の経世会の政治家と大して変わらないということと矛盾しないですか。
佐藤 いや、例えば橋本龍太郎の経済同友会三原則の中でのユーラシア外交は米国一辺倒ではなく、勢力均衡論に基づいている。金丸信の自民・社会両党訪朝団による、北朝鮮の国交正常化プロセス。あれも東アジアにおける戦力バランスの変化を目指している。それから田中角栄の日中国交正常化、あるいは田中・ブレジネフ会談によるシベリア開発の試み。経世会は一貫して、スマートなやり方じゃないんですが、日米関係の見直し、つまり帝国主義的な再編を試みています。冷戦構造下でも、それ以後でも戦後の大きな流れの中で日米安保体制に異議申し立てをしているのも、常に経世会です。清和会は戦後レジームの脱却と言いながら、実は全然その方向で動いていない。
―外交だけでなく、内政面でも経世会の敷いた路線は非エスタブリッシュメント出身者たちによる「土着的社会主義」あるいは日本的社民主義の色合いが濃い。外向けの帝国主義と、内向けの社民主義がセットになっている。常識的には、経世会より清和会のほうが帝国主義的なイメージは強いですけどね。
佐藤 帝国主義的イメージは強いけど、実際はアメリカのアンブレラの中での発想しかない。それは清和会が東西冷戦期の切った張ったの時期に権力を持っていなかったから、本当の権力の文法がわからない。経世会が日米関係の見直しで行き過ぎると、清和会が軌道修正をする。田中角栄が、中国やロシアに接近し過ぎると福田政権が出てきてアメリカとの関係を強める。あるいは中曽根政権が出てきてアメリカとの関係をより強める。そして、経世会の橋本・小渕で対ロ外交がとても積極的に展開されるようになると、清和会の小泉政権が現れて、そこを締め上げて、また元の親米主義的な方向に持っていった。
―確かにそうですね。
佐藤 安倍さんが戦後レジームからの脱却と言っても、その方向性は基本的には戦後レジームの維持です。そういうことを掲げない経世会の方が、実質的なところで日米関係を動かしていますよね。経世会というのは胃袋で考えるグループです。それに対して清和会は頭で考えるグループですよ。
―その胃袋には国内的な胃袋と国外的な胃袋があるんですか。
佐藤 それは一体化していますね。あと自分の胃袋も、政治家としての。
―なるほどね(笑)。
佐藤 経世会はその意味では唯物論的ですよ。飯を食うところ、つまり利権からスタートする。それに対して清和会は観念からスタートする。小沢さんは大きな意味で、日本国家が危険な方向に向かっている中での危険な政治家の一人です。ところが他の政治家と比べた場合、その危険を極小化する力がある。
となると何が重要かというと有識者、世論の声ですね。今起きていることを、どう見るかという分析があまりにも少ない。それから、こいつだって汚いことをしてるじゃないかというような、旧来型のスキャンダリズムに基づいた形での政治資金を巡る批判。しかしそれは、同じ基準でやった場合に、三分の二の政治家が確実に消える。では残りの三分の一は何かといったら、何の役にも立たないような政治家。企業が、献金の必要すら感じないようなレベルの政治家です。
小沢さんの抱えている問題は何かというと、それは政治と金の問題です。やっぱり田中角栄型の、最後の政治家なんです。小沢さんの歴史的な使命っていうのは、田中型政治の弔辞を読むことだと思う。小沢さんは、そこに気が付き始めた。自分自身のところに火が付いて。それが何かと言ったら、企業献金・団体献金の全面禁止。
その結果何が起きるかということになると、個人献金だけでやらないといけないと。
要するに企業献金というのは、どういうことかと言うと、上場企業だった場合には、無私の精神でやりましたと言ったら、株主に対する背任になるわけですよね。それで何かの目的がありましたと言ったら、贈収賄になるわけですよ。こういう状況から政治を解放しないといけない。そうすると田中型の構図は完全に崩れるんですよね。
では、直接的な利権システム、再分配システム以外のところで、どういうような政治を立てるかっていうことは、これは未知数です。ただ、彼はそれに成功しなければ叩き潰される。これは検察によって叩き潰されるんじゃなくて、デモクラシーによって叩き潰される。だから小沢さんにとっての最大の課題というのは、検察が言うのとは別の意味の政治と金ですよ。ただそれは歴史的に、田中派の出身者しか、この弔辞は読めないんです。
たぶん彼らの中には、どこかに知恵があると思う。そこのところを崩しても、新しい形での集金メカニズムを作って政治を継続することはできるという知恵を出す。
大衆の反逆
―最後にお聞きします。いま日本で起きているのは、良い悪いは別にしても、ある種のビロード革命だと思うんです。
佐藤 その通りです。革命です、これは。その中で、やっぱり鳩山由紀夫・小沢一郎をハブとした形で政局が動いている。
―でもチェコには大衆運動の盛り上がりがあったが、日本にはそれがないのでは。
佐藤 いや、今回の選挙の大衆的な盛り上がりは、すごいものだったと思います。選挙という形で大衆的なエネルギーが吸収された。最近の日本では、沖縄県を除いて、選挙で大衆エネルギーを吸収するメカニズムが明らかにできています。これはやっぱり小泉さんの影響ですね。二〇〇五年の郵政選挙も大衆的な盛り上がりがあった。少なくとも民主主義というフィクションは機能しているってことですよね。
だから六〇年安保のような街頭活動をしなくても、選挙で一票を投じることで革命ができる。これはデカイです。特に保守層の支持者は既得権益も全部投げ捨てないと今回の政権交代はできなかった。明らかに短期的には自分達には不利な状況が生じるわけですね。にもかかわらず民主党を支持したのは、このままではこの国が壊れるという草の根の無意識が作用したからでしょう。
―その革命的な政権交代が、小沢という国家主義者を軸にして起きたのは不思議ではないですか?
佐藤 でも、チェコのビロード革命もハヴェルという、どんな状況でも権力奪取をあきらめなかった作家に指導された。彼は六八年の「プラハの春」が弾圧された後、何度も逮捕・投獄されてもあきらめずにやってきたわけです。日本のビロード革命もそれとそっくりで、どう叩かれても権力奪取をあきらめなかった小沢という人格と結び付いています。
―小沢氏のキャラクターが大衆的な危機感の受け皿になった?
佐藤 そう。より正確に言うと受け皿ができる「場」を作った。さっき魚住さんは小沢さんの理念の中身が見えないと言われたけど、確かに小沢さんの思想は「無」なんです。でも大衆の情念を右から左まで受け止める「場」を作り出す力がある。これって過去の経世会の誰かに似てませんか?
―あっ、金丸信元副総裁ですか?
佐藤 そう。アバウトで思想がなくて、自社大連立を唱えた「政界のドン」です。金丸さんは「場」を作り出す能力において非常に優れていた。小沢さんはその金丸さんの系譜を引いた政治家なんです。
今の日本では明らかに大衆の反逆が起きている。みんな疲れきっているんですよ、競争社会に。受験とか会社で業績を上げることとかに。だからどこかに回帰したい。だけど天皇とか靖国とかいう表象を自民党は消費しすぎたから、そこには戻れない。小沢さんら民主党が頭がいいのは、例えば派遣村を正面から受け止めて、村長の湯浅誠さんを内閣府参与として体制内に入れた。これは、あれが体制に対する異議申し立て運動じゃなく、居場所探しの運動とわかっているからですよ。国民一人一人にどこか居場所を見つけてあげることが国家体制の再編で必要だと分かっている。
―結局、小沢氏が目指すのは、内政でも外交・安全保障でも、帝国主義の時代に対応した国家体制の再編だということですね。彼の思想の「無」と「場」が大衆の不安や危機感を吸収しながら、ドラスティックな変革が進んでいる。ただし、その変革が他国を踏み台にして自分たちの胃袋を満たすためだけのものなら、戦前の二の舞で終わってしまうのではないかという危うさを感じます。
佐藤優の切れ味鋭い分析のおかげで曖昧模糊としていた小沢思想の輪郭が見えはじめた。私たちが彼の思想のなかに希望を見出すとすれば、それは彼が「国家と社会の裂け目」を意識し、権力を社会の側に引き寄せようとする姿勢をもっているからだ。
しかし、その一方で、彼が「大きな意味で日本国家が危険な方向に向かっている中での危険な政治家の一人」であることも間違いない。
現在進行中の日本版ビロード革命は、私たちやアジア諸国の人々に再び惨禍をもたらす可能性をはらんでいる。
どうしたら私たちはそれを阻み、自由と平等と平和という戦後民主主義の理念を達成できるのだろうか。
小沢一郎と日本の新しい政治をめぐる旅はまだ始まったばかりである。
九州地区ブログランキング参加!
よろしくお願いいたします。
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リンクの方から教えていただいた。
記録に残したい。
「ピックル液」ねぇ~
実にビックリ
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20100407_tsukacom_fabex2010/