新聞週間

2010年4月10日 お仕事
6日から新聞週間らしい。
人一倍の思いで新聞の今昔を涙で回顧する。
何故か
偏狭なる地での8年間の新聞配達で保守的で無知なる今で言うB層から脱却の政治に目覚める住民覚醒を老成した幼子が挑戦したのを思い出すからだ。
アレから幾星霜。
一本道に愚直に生きた。
時は無残さえでもある。
あのときのませた幼子も姿さえも老いた

戦国武将が国家統一以前のこの国は攻めるに難しく守るに優しき山城が主流。
中心地なる城下は不便なる地形地に於かれた。
最古の城が残る岐阜の城に感慨深げにニ三度金華山にのぼった記憶が髣髴する。下克上を油商人から戦国大名にのし上がった斉藤道三の巧みな世渡りで娘を信長に嫁継がすが息子に裏切られる繰り返される歴史に思いを馳せた
重なる若かりし頃の切なき思い出でもある。

全国そうであったんだろう。
日向の中心地も山城で本城を都於郡に置いた伊東氏の国。
後の九州の覇者になる島津の勢いさえ凌いだ。
島津の領地鹿児島以前の本拠地の都城も含め48支城で伊東氏が治めた。

将軍義政より当時の国主「伊東祐尭(すけたか)」に日向・薩摩・大隅三州の将帥に任ずる旨の文書が発給された。、
、文明18年(1486) 戦国大名でも稀なる官位の三位に上り詰めた「伊東義祐」。
宮城ない参詣も可能なる異例の三位の官位である、
島津も押さえ込んだその圧倒的な勢力伸張を背景に「日薩隅三州太守・藤原義祐朝臣」と記録に残す。
天文二十年(1551)佐土原に金柏寺を建立し、その鐘に「日薩隅三州太守」と刻んだ。
秀吉支配の頃その佐土原城には許されてなかったハズの天守閣の金箔の瓦さえ出土している

難攻不落のハズの浮き船の城・都於郡城も重なる城内の不始末と臣下の裏切りに合い
山城を捨て隣国の親戚になる大友宗麟を頼って落ちる。
日向の中心地の山城・都於郡は滅んだ。

爺目の出生地はその山城から下った豊饒なる山間の田園地域で名も山田という。
山田は五つの小部落からなる。
そこが爺目の新聞配達区域約50軒。
当初10数件を拡販したもの。
新聞は午後になり5部落にアルそれぞれのお店に置かれそれから個々人がとりに行き読んでた実質夕刊配達状態の朝刊である。
ソレを早朝配達にしたのは爺目である。
密かなる計画もあった
僅か二部の赤旗を配達する秘密の喜び成就のためでもあった。
あの当時は公安がうるさく赤旗読者は監視されていた。
貧乏と戦争反対は自然発生的な生理的爺目の魂の燃え盛る原点である。
政治に目覚める松下政経塾の頭でっかちで入熟するのとは年齢動機政治への萌芽自体がまるで違う。

新聞店は旧市街地の山の頂上地域にあるため早朝急な坂道を30キロもの籾を運べる非常に重い重装備自転車で登る。
重き自転車を押し上げる背の小さな幼子に坂道は辛かった。
新聞を頂き、坂をおり遠く離れた区域を配る。
そしてまた山の頂上にアル学校に登校と日に二度も山頂部の旧市街地と行き来したものである。
強靭なる足腰と培われた新聞を守る精神は今だ健在。

あの山間部の田舎で新聞少年だった爺目は
、国家護持から離れていく新聞記事の劣化を誰よりもひと際深く憂える。
新政権誕生でCIAに操られている本性をむき出しにした全国紙の立ち位置
全国紙はどこも愛国の士を忘れ偏向報道で読むに耐え得ない。
そこに東京新聞がアッパレッ!である。
新政権のみを攻撃する政治偏向のCIAが育て編成してきた検察に対して批判記事を掲げた。
検察批判新聞記事は初めてのこと。
ブログで教えいただき図書館で確認した

まさに新聞週刊である。
腰抜け全国紙の売国奴ブンヤどもメッ!
東京新聞の社説に似たる論評を掲げてミロッ!
紙媒体の新聞メディアが偏向報道で新聞倫理規定にさえ違反する偏向報道に使命を忘れ未来アルモノでなく発展するはずがない。
情報の正確さには欠けようが自由発信のネットにいずれ淘汰されよう。
ネットサーフィンでこのデーターに出会った。

09年下半期の調査によると、大手新聞各社の発行部数の落ち込みが目立つ。
朝日新聞が1万4000部減の801万部。
毎日新聞が9万6000部減の373万部、
産経新聞が46万部減の166万部といった具合だ
朝日新聞 0.17%減
毎日新聞 2.5%減
産経新聞 21%減

記憶にとどめる東京新聞の勇気ある社説がある。
検察を冷徹に論評は時代ゆえ勇気ある行動である。

<週のはじめに考える 権力監視と未来の提言>
2010年4月4日社説。

 歴史と時代の転換期。厳しいメディア批判ですが、それでも権力の監視と未来への提言がわたしたちの任務-が
六日からの新聞週間を迎えての感慨です。

 メディアにとってことし最大の事件は、民主党の小沢一郎幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる
検察捜査とこれを報道した新聞やテレビへの世論の激しい反発と批判でした。

 これまでの検察への批判といえば、「眠れる検察」や「悪い奴(やつ)ほどよく眠らせる」
拱手傍観(きょうしゅぼうかん)への冷笑や落胆で、政権与党最大の実力者の疑惑追及に拍手でなく反発が起こったのは
前代未聞でした。

◆検察もメディアも同罪
 国民が自らの手で誕生させた新政権への思い入れは深く、検察捜査に官の組織的抵抗や民主党潰(つぶ)しの疑惑を抱いたからでしょう。マスコミも一蓮托生(いちれんたくしょう)とみなされたようでした。

 憲法は新聞などの報道機関を特別な存在と認めてきました。権力者が恣意(しい)的な権力行使をしないように監視・抑制したり国民の知る権利に奉仕することを報道の重要な役割と認定し、国家公務員の守秘義務と戦い、秘密を明かすよう説得することを違法とはしませんでした。公務員への根気強く執拗(しつよう)な取材も、新聞記者が取材源秘匿のために法廷で証言拒否することも正当とするなどの判例も積み重ねられました。

 小沢幹事長の事件でのメディア批判は、憲法が報道機関に期待する権力監視の重大な役割を検察に対しても果たしているかの問いかけであり、不信でもありました。

 民主主義国家での検察は、国民から負託された権力の行使には、適法で公正かつ公平でなければならないのは当然ですが、ことに特捜部捜査では公正さや公平さを疑われてすらならないとされます。

◆情報操作の危険の自覚
 国民から期待されてきたのは「巨悪の剔抉(てっけつ)」で、そのためには絶対的正義でなければならず、政治権力と切り結ぶには世論の支持が不可欠でもあるからです。

 この点で今回の小沢事件は、強制捜査のタイミングや政治資金規正法違反での現職国会議員の身柄拘束などで釈然としないものを残したことを否定できません。

 確かに政治資金規正法は罰則が禁固五年以下で、形式的とも軽微な法律ともいえません。しかし、核心の陸山会の四億円の土地購入資金が小沢幹事長の記者会見での説明通りの家族名義の私的資金だったとしたら、現職衆院議員を逮捕して罰するほどの悪質性があるかどうかは疑問です。

 購入資金のなかにゼネコンからの裏献金や水谷建設役員が供述したとされる一億円のヤミ献金が混じっていてこそ特捜部捜査の公正、公平の大義が保てるというものです。メディアに公判を検証する義務が残りました。

 検察からの情報入手が至難なのは今も昔も変わらないようです。早朝から深夜、未明までの熱心で執拗な取材も報われることは少ないようです。それゆえに検察と一体とならないと情報が取れなかったり、当局の情報操作に乗ってしまう危険をはらみます。

 もともと警察や検察の事件報道は当局の捜査情報に多くを依存しますから当局が描く事件の構図や筋書きに影響される宿命を免れません。「新聞は当局の情報操作に手を貸している」との批判を必ずしも一蹴(いっしゅう)できない理由です。

 権力との関係で新聞の敗北の歴史は少なくありません。情報操作の危険性を自覚しつつ、取材力を磨き、見識を高めていくしかありません。それが汲(く)むべき教訓でしょう。わたしたちは何より読者に情報の「真実」を伝えなければならないからです。

 未来への提言も難しいテーマです。日本の誇りだった各経済指標も落ち込んで、一九八〇年代には世界のトップだった一人当たりの国民所得は現在十九位、四十二年保った世界第二の経済大国もことし中には中国に譲り渡します。

 一億総中流社会も一時、低賃金と不安定雇用の格差社会に変わり難問解決の妙手の成長戦略を描ききれないでいます。

◆経済で国は滅びない
 しかし、経済の衰退で国は滅びません。困難に直面して国民が挑戦する気概を失ったとき国は滅びるのだといわれます。少子高齢化やグローバル経済、脱化石燃料の未知なる世界へ果敢に挑戦して「日本型モデル」を築き上げなければなりません。国を滅ぼしてはならないからです。

 子ども手当や高校授業の無料化も未来に向けた試行錯誤と受け取れます。支え合い社会のための医療や年金や介護の充実も、そのための応分の負担も必要でしょう。昨年の総選挙は国民を統治の主体者に変えました。国づくりは等身大の提案から始まります。

筆洗
2010年4月4日

 <米軍の駐留は憲法九条に違反する>。
半世紀前、歴史に残る判断が示された。憲法の教科書で必ず紹介される「伊達判決」である
▼東京都北多摩郡砂川町(現立川市)の米軍の飛行場に不法侵入したとして、旧日米安保条約に基づく刑事特別法違反罪で
起訴された被告に、東京地裁の故伊達秋雄裁判長は一九五九年三月三十日、無罪を言い渡した
▼墨筆で書いた辞表を懐に判決に臨んだ裁判長の覚悟に慌てたのは、当時のマッカーサー駐日大使だった。
判決翌日、藤山愛一郎外相と会談、東京高裁を飛び越えて最高裁への上告を促した。田中耕太郎最高裁長官とも密談している
▼裁判は大使の思惑通りに進んだ。検察は最高裁に跳躍上告。最高裁は地裁に審理を差し戻し後に有罪判決が確定する。
露骨な内政干渉の事実が明らかになったのは二年前、米公文書が機密指定を解除されたためだ
▼外務省は元被告の情報公開請求に「記録がない」としてきた姿勢を最近やっと見直した。
大使と外相が会談した事実を認め、速記録を元被告に開示したのだ。政権交代の大きな果実だ
▼飛行場は七七年に返還され、昭和記念公園になった。百八十ヘクタールの敷地には三十一種類千五百本の桜があり、
ソメイヨシノが満開だったきのうは二万人が訪れた。沖縄の米普天間飛行場の跡地に季節の花が咲き、
市民を楽しませてくれる日も必ず来る。

九州地区ブログランキング参加!
よろしくお願いいたします。        
        ↓ ↓ ↓
http://blog.with2.net/link.php?62076
         ↑ ↑ ↑




お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索