新党ブームといわれる。
果たして正確なる言葉であろうや。
実態は自民党溶解現象にしか過ぎない。
しかしどう転ぶか解らない。
政治は一寸先は闇である。
言われてきた不可解なる言葉の意味を爺目世代は知っているゆえだ。
こんなことがあった。
新人議員にして特別枠扱いの小泉純一郎JR進次郎。
しかし候補擁立までは苦難にあった。
急転激した。
自民党“世襲制限”のペテン
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=833441&media_id=10
 自民党が得意とする茶番劇が始まった。
伊吹文明元幹事長と古賀誠選対委員長の2人が、
突然、世襲制限に賛成。
「世襲候補者の特権をすべて剥奪すればいい」(伊吹)、
「選挙区を変わるとか公募制をオープンにするとか、仕組みを議論すべき」(古賀)
と言い出したのだ。
実に政治そのもの。

政治の混乱の起因をアップした。
暴けッ!亡国の指導者
2010年3月22日
http://36488.diarynote.jp/201003220505398009/
ここに小泉純一郎の過去を書いた。
昨年急死の大田竜、先月倒れたベンジャミン・フルフォードを日々参考の一つに愛読し依拠している。
ところでこれは特別なる事ではない。
ブロガーなら常識程度の事のハズ。
なんとならば根拠を挙げようなら
 古き数字でもキリがない。
_______________  ____
Google検索結果で

|小泉純一郎 殺人 | 検 索 |

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄   ̄ ̄ ̄ ̄

「小泉純一郎 レイプ」でググった結果   233,000件
「小泉純一郎 殺人」でググった結果    376,000件
「小泉純一郎 小はん」でググった結果     9,100件 
「小泉純一郎 奥貫浩美」でググった結果   2,340件
「小泉純一郎 稲川会」でググった結果    94,900件
「小泉純一郎 精神病院」でググった結果 189,000件

選出には大変であるがその中からたった一つを全面引用する。(おまけも二三アリ)
小泉純一郎の研究

○小泉純一郎は、いかにして、自ら起こした学生時代の婦女暴行事件を隠蔽して裁判
をごまかしたか
http://www.pressnet.tv/log/view/4760
小泉婦女暴行事件概要(学生時代)
http://www.jca.apc.org/~altmedka/2003aku/aku771.html

○小泉純一郎は、婦女暴行事件を1967年4月に起こし、神奈川県警に逮捕歴あっ
たが、
それを提訴した木村書店店長を、「自ら売っている本に書かれていることで傷ついた
と主張している」と捏造して、攻撃をしていた。

実は彼の婦女暴行事件は週刊現代編集長も、その他26誌の編集長に聞いたところ、
実に13誌の編集長がすでに、木村氏以前に知っていた有名な出来事である。

被害者もきちんと横須賀に在住でいる。

<被害者の女性が、存在しているにもかかわらず、マスコミにでない理由>

事実は、小泉純一郎による婦女暴行事件は、実際に被害者の女性が存在していて、さ
まざま媒体から出演が依頼されていた。

しかし、その女性は断っている。

親告罪であるため、500万円を小泉から和解金としてもらって和解しているが、も
し、その女性が、「婦女暴行されました」と証言したりしてしまえばその500万円
は小泉側に、返金しなくてはならない。

そのため、被害者である女性は、500万円のためになかなか証言をしない。

しかし事件としては存在していたのだ。

<郵政民営化の持論の背景>

これを知っていたために、当時の郵便局長が小泉の反対候補を応援した。その結果、
小泉は落選してしまった。

ここから郵政民営化という持論が始まる。

<小泉純一郎の入院歴>

○婦女暴行事件を1967年4月に起こした直後に、小泉純一郎は、
精神病院で有名な都立松沢病院に入院。

(状況からして強制措置入院であったと思われる。)
診断名は、精神分裂病であった。

2ヶ月間入院。つまり1967年4月から6月まで入院して退院。その後、7月7日
に羽田を出発。ロンドンに留学という名目で日本を離れている。

慶応大学には休学扱いで届出を出している。

○公開プロフィールには、慶応大学卒業後留学と書いているが、彼は帰国後に卒業し
ている。

<個人情報保護する必要性があった理由>

○ 以上は個人情報である。そのため、小泉内閣になってから小泉純一郎および飯島
勲は、
個人情報保護法案をまとめた。

<統合失調症に変更になった背景>

○ 小泉内閣になってから、精神分裂病という病名は、統合失調症というオブラート
につつんだような名称に変更になった。

上記の、一国の総理大臣小泉純一郎が、精神病院の都立松沢病院に精神分裂病で19
67年4月から6月まで入院歴があるという事実は、

真実そのものであるため、名誉毀損罪には該当しない。

なぜなら、刑法第230条の2「公共の利害に関する事実にかかり、かつその目的が
もっぱら公益を図ることにあったと認めるときは、事実の真否を判断し、真実であれ
ばこれを罰しない」とある。

つまり、虚偽、中傷および捏造したものではなく「真実」であるならば、それは名誉
毀損罪には該当しないと、刑法に書いてあるからである。

<投薬治療を受けた前、後の写真の変化>

精神医薬による投薬治療を小泉純一郎は、精神病院で受けたため、彼の写真(慶応大
学の在学中に撮ったサークル写真など)と、留学中に撮影した写真では、まるで違う。
留学中に撮影した写真が、薬漬けの病人のような風貌であるのは、投薬治療のためで
ある。

<戦後初めての精神病院入院歴のある総理大臣>

彼は、35年後に総理大臣の地位に就任する。おそらく、戦後初めて、精神病院に
入院歴のある人物が、一国のトップに就任した例である。
断っておくが、これは真実であるため、マスコミは裏をとって「小泉氏精神病院の都
立松沢病院に2ヶ月間入院歴あり。病名は精神分裂病。戦後初の精神病院入院歴のあ
る総理大臣」と報道するべく十分に周辺取材および、裏とりを行ってください。

<マスコミ用の裏の取り方>
この小泉が、松沢病院に入院歴があるということについては、小泉家の極秘事項にな
っている。

知っているのは、信子、正也他小泉家と、もう一人、小泉家でない人である。

この「小泉家でない」人物が過去につきあった女性をあたるとよい。

なぜかというと
普段は口が堅いが、酔っ払うと、つきあっている女性には、
「俺は小泉の弱みを
握っているから、小泉は俺を切れない」

「信子姉さんももうすぐ70になるから、早く死んでくれたらなあ。そうしたら、俺
が、小泉家の金庫番になってやる。」

「正也なんて絶対にあんなやつは東京には上げない。」

「俺が小泉家をのっとろうとしていることが、ばれるとまずいから、俺は小泉が引退
したら、俺も、郷里に帰るといって信子姉さんを信用させている」

と言っていると話が聞けるだろう。

<適当に選ばれる首相>
なぜ、小泉は首相に選ばれたのか?

彼は「自民党を変える!自民党をぶっ壊す!」というスローガンで、自民党員の人気投

票によって選出された。

<歴代、ワースト1位>
小泉純一郎が就任して以来、自殺者数は、歴代総理大臣中1位。自殺者数は過去最大
で第1位。会社倒産件数歴代1位。

百貨店のトップであったダイエーが倒産。

銀行は軒並み倒産。倒産件数は激増。

最悪の不況である。

<死ぬ・殺せという言葉の多用される随筆>
○ 小泉純一郎は、慶応大学の時に「横須賀慶応学生会」の文集にこう書いている。
発行は65年6月。

短い随筆の中に20回以上も「死ぬ」「殺せ」と類した言葉が出てくる。

「随筆 死のうは一定!小泉純一郎」

「青春は人生にたった一度しかこない。しかもその人生もまたやり直すことのできな
いたった一度きりのものである。

私は一生を考え、ふと空しさを覚えるときがある。

虚無を感ずる時がある。胸の中を北風が通り過ぎるような思いがする。

何もかも馬鹿らしくなってしまう。

何のために生きているのか。(中略)死んでしまえば何も残らない。(中略)虚無感
にふと襲われるときがくる。

そんなとき、私は、人生50年 化転の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり 一度生を
受けて滅せぬ者のあるべきか」

をうたい、「死のうは 一定!」「それ貝を吹け、具足をもてい!
」と(中略)一挙に今川義元を打ちとったあの時の織田信長を思い出す。
人生50年、どうせ一度は死ぬのだ。

(中略)
相手を倒さなければ自分が殺される厳しい戦国時代の武将に私は強く魅かれる。
戦いに明け暮れ、死など考える暇がなく、しかも死が眼前にある。(中略)
ときに襲ってくる虚無との戦いに負け死を考える時が無きにしもあらず。


だが、死んでしまったらそれこそおしまいである。自殺は敗北である。私は自殺くら
い馬鹿なことはないと思う。

人間死にたくなくとも必ず死ぬのだ。

(中略)私は自分の志す仕事が達成された後ならすぐ死んでもいいと思っている。
われは金剛石。打て 打て 打て われを されど われは 死なじ。

われは不死鳥のごとし 己の死よりふたたび命を得
殺せ 殺せ 殺せ われを
されどわれは死なじ。」
とある。

○昭和52年の夏、青山学院大学4年だった宮本佳代子さんに東京赤坂のレストラン
で、見合いをした8月25日の翌日、小泉は、プロポーズする。

あってわずかの2日目である。

○昭和52年8月26日早速二人でデート。日比谷映画で「わしは舞い降りた」と見
た後、
小泉は「あのう、僕を信頼してくれますか?

」彼女はとっさに、どう答えていいかわからぬまま「ええ」と一言。小泉は、「それ
で決まりましたね。」

<その4年後>

4年後、結婚は破綻。佳代子さんが、さんざん家庭内暴力を小泉から受け
出て行くと決めたあとに、小泉が佳代子に最後にかけた言葉は、「君子去るものは追
わず、来るものは拒まずだな」の一言だった。

佳代子の親族は、「総理になった純一郎さんを見ていると、あの人は、表の顔と、裏
の顔がかけ離れた二重人格じゃないかとおもわざるをえません。」
小泉氏は離婚後、女性に暴力を振るわないようにカウンセリングをうけていたとされ
る。

佳代子さん自身も夜の営みの時に首をしめられていた。


新橋芸者

○小はん変死事件
新橋芸者小はんは、小泉純一郎の愛人であった。
彼女は突然、何の前触れもなく変死をしている。
小はんの本名は奥貫浩美。

31歳。

死体となって発見されたのは、1992年5月12日(水曜日)午後3時頃。場所は、
東京都港区三田の彼女の豪華マンション。

所轄は三田署。

○第一発見者は、彼女の母親の奥貫和子。

9日の土曜日は、小はんは、東おどりの練習に参加。

ところが、週明けの月曜日には出てこない。

心配して、千葉にいる彼女の母親に12日火曜日になって、置屋のほうから
連絡が行き、合鍵で部屋にはいった母親が、変死している彼女を発見。

死亡推定時刻は、10日の日曜日。

このときに誰かとあっていたのだろうか?

日曜日は国会が休みである。このときに、ちょうど、政治改革関連で、自民党は
とてもすごいストレスにさらされていた。

三田署によると、「洋服姿で部屋のドアのふちに、着物の細い帯がかけてあった。」

<男も嫌いだし、結婚もしたくなかったのが真相>

○母親の奥貫和子さんによると、小はんこと浩美さんは、

いつも「男は嫌い。結婚もしたくないし、子供もいらない」と言っていたという。

○ 遺書は存在していない。

○ 当時、小はんは何も悩んでおらず、自殺する動機は存在していなかった。明るか
った。

○ 写真を見ると屈託のない笑顔で、いわゆる自殺するタイプとはまるで違う。

○ 母親の奥貫和子さんは、「死因は自殺ではない」と明言している。

○ 走り書きの「つかれました。ごめんなさい」という紙はあったが、

母親は「自殺ではありません」と明言している。

ということは、母親は、その走り書きをみて、「娘の筆体ではない、偽造されている」
とわかったのではないだろうか?

小はんの死因について母親にきいても、無言を通している。

○親しい知人には、「実は小泉さんとの付き合いが原因だった」と言っている。

<小泉の愛人であった小はん>

彼女の親戚の話によると、
小はんが、三田のマンションを買ったときには、小泉からお金を出してもらい、
月々のお手当ても小泉からもらっていた。

夏や冬には、100万円をボーナスとしてもらっている。

東おどりというおどりのときに、100万円。茶ダンスと食卓セットを小泉から購入
してもらっている。

ちなみに、この港区三田というのは、小泉の母校の慶応大学に近い場所である。

<検死のしにくい腐敗状態>

死亡推定時刻の10日から、発見の12日までかなり日数がたっているため、死体は
腐敗をしていたと考えられる。

首の皮などは、腐敗して見分けがつきにくい状態であったはずである。そのため検死
はしにくいはずである。

<自殺と安易に推定される根拠>

自殺を思わせる走り書きが存在しており、かつ、殺されたときに、抵抗したような傷
や、
首に思いっきりしめたような跡がついていなければ、これは、自殺と判断される。

問題ない自殺であるとされる。

検死によって死因を判定する。

死因特定されると、死体検案書を発行する。

これは病死の場合の死亡診断書に該当するものだ。これが発行されてはじめて葬儀が
できることになる。

<小はんは、検死で自殺と判断されているため、解剖をしていない>

検死段階で死因がわからないときに死体を解剖にまわす。

状況からは死因が自殺ではないかと思われる死体でも、傷がたくさんあったりすると、
誰かと争ったためにできたものではないかと疑われ、解剖されることになる。


ところが、盲点がある。愛し合いながら、首をしめられていれば、
外の傷は生じないため、他殺とは思われないはずである。

解剖には2種類ある。

犯罪の疑いのない死体の死因を特定するための「行政解剖」と
他殺などの事件性のある場合の「司法解剖」である。

自殺の場合は、基本的には、行政解剖である。

<自殺を装った殺人で東京23区内でも年間5体から6体は発生する。>

しかし、元東京都監察医務院長の上野雅彦氏によると、「行政解剖」として運び込ま
れてきたにもかかわらず、解剖によって実は殺されていたと判明するものが東京23
区内だけでも年間5体から6体あるという。

<たったの3分で致命的な影響>

なぜ、脳への血流がストップすると、3分から4分で大脳皮質が障害をうけて
続いて7分で脳幹もダメージを受ける。

つまり脳死状態になる。

ほかの臓器の細胞と違い、脳細胞は、一度ダメージを受けたら、二度と再生しない。
一般に首はしめられると、頚動脈を圧迫する。頚動脈は3キロから7キログラム、
10秒間で気をうしなってしまう。

<偽装自殺を見破る方法の必要性>
絞め殺した後に、自殺を装う偽装自殺。この偽装自殺に関する報告は意外に多い。

小はんは、死後48時間から60時間たっていたと思われる。

それだけたてば、死体は腐敗しており、腐敗ガスのため、頭、首、肩、顔は、膨らん
でいたように見えたはずである。
腐敗ガスによる膨張は、身内が見てもわからないくらいに容貌が激しく変化する。

再現フィルム

小はんと、やせた男は愛の行為をしていた。やせた男は、小はんとは愛人関係であり、
SMが趣味であった。愛の行為をするときに相手の首をしめながらやるくせをもってい
た。

そのやせた男は、日ごろのストレスから、いつもより多めに彼女の首を絞めてしまっ
た。
すると小はんはあろうことか気を失い、そしてそのまま死んでしまった。

仰天したやせた男は、まだ当時では珍しかった携帯電話を使い、太った男を呼び寄せ
た。

太った男は、三田のマンションに午前3時ごろについた。そして驚いた。
「まずい、いくらなんでも相手を殺してしまっては。これはいままでの例とはわけが
違う」目の前が真っ暗になった。

しかし、気を取り直した太った男は、「何とかしなくてはならん」
と思った。まず、これは、自殺にみせかける以外にはない。

鉛筆で走り書きをした。走り書きなら、筆跡がばれにくい。
「つかれました。ごめんなさい」
と書いた。

そして、自殺に見せかける首吊りようのひもを探したが、そういったひもは無かった。
そのまま外に買いにいっては怪しまれる。

「しかたがない。着物用のほそいひもをかけておこう。不自然だがやむをえない」

しかし、また、ひもをかけるのに、ちょうどいい首吊り用の場所というのも
その部屋には無かった。

「仕方が無い。ドアのへりに、首吊り用のひもをかけておこう。不自然だが、仕方が
無い」

それで偽装は完了した。

夜、午前3時をすぎて、その部屋をそっと出て行こうとしていたときに、ふと、大変
大事なことに気づいた
太った男は、「まずい」と心臓が止まったように感じた。それは彼女のテーブルの上
に、

そのやせ男と一緒の写真が写真スタンドにあったからだ。

「こんなものが見つかったら、マスコミに騒がれる。」

早速、太った男は、そっと、そのやせ男の写っている写真を写真スタンドから取り外
した。
そして、あせった彼は、何でもいいと思い、彼女のアルバムの中から、彼女の水着の

写真を取り出して、その写真スタンドにいれた。

ところで、彼女は、ぽっちゃり系の美人である。

その彼女が、水着姿の自分の姿を、写真スタンドにいれるわけがない。通常、女性と
いうのは、どんなに自信があったとしても、

自分の水着姿でいるところを写真スタンドには、いれない。

そして、そっと、やせた男と、太った男はそっと、マンションを非常階段を使って誰
にもあわないように降りた。

エレベーターを使っては誰かにあう可能性があるからだった。

無事に、車まで戻り、そして、やせた男はいった。

「いやあ、助かった。ありがとう」

太った男はいった。「いや これからですな。勝負は。」

とにかく、月曜日、今日からなるべく遠くに行ってください。

岡山あたりがいいです。
なるべく、彼女とは連絡のとりにくい地域がいいです。なぜかというと、

東京にいると、
日ごろ、彼女と連絡をとっているのに、

なんで、いままで何日間も気づかなかったんだと
かんぐられるからです。私から連絡がいくまで、

岡山にでもいてください。」

日ごろ、まったく人の世話を焼かず、一歩も外にでないとされるやせ男は
めずらしくそのときだけ「出張で」岡山に行っている。

12日の午後に彼女が母親によって死体発見されて、13日水曜日に、

そのやせ男にも連絡がいった。「小はんが死んでいます」
するとそのやせ男は、週刊誌のインタビューにこういった。

「夜の11時ごろかな。思わず、「えっうそだろう」ってびっくりした。」
そして14日金曜日に行われた葬儀は、出席しなかった。

やせた男は、彼女を愛していながら、首をしめすぎて偶然起こった事故死のように思
っていた。
太った男は、「14日の葬儀に出るな、ばれる。お線香もあげにいくな」と引き止め
猛反対した。

それでやせ男は出席を断念した。

しかし、後で、「どうしても弔問に行く」と聞かなかった。

17日の日曜日に弔問をしている。


そして、位牌を前にしてお線香をあげると、やせた男は、位牌の前で泣いた。

香典を50万円持ってきて、49日と一周忌の法要は、自分が全部持ってやります」
といった。

これについては、太った男が弁明した。

(マスコミ用に)
「私が弔問に行ったほうがいいといったんです。こういうことがあると、名前を伏せて
いったり、秘書が行ったりする人もいるが、そういうのはよくない。
誤解されるようなことは何もないから、堂々と行った。男女の関係がないから行けた
んです。」

つまり隠していることを、「変死の原因」ではなく、「男女の関係」を隠しているよ
うに見せかけている。しかもこのやせた男は、男女の関係などを本来隠す人間ではな
いのだ。

そして、生前、小はんは、母親に、「まったく男なんて嫌い。結婚なんてしない」

と明言していたにもかかわらず、なぜか、その後、「結婚したかったのだが、

かなわぬ恋としって自殺した」というつくり話がひろがっていった。

もっとも、最大のなぞは、死ぬまでは、小泉の写真がたてられていた写真たてに、

なぜか、彼女の水着姿の写真に死後入れ替えられているという事実である。
いったい誰が、この写真をかえたのだろうか?

(参考URL)
■記  者  倶  楽  部
(前略)「ロンドン留学はある個人的スキャンダルから逃れるためだった」(地元記者)
との指摘あり。(後略)
http://www.rondan.co.jp/html/kisha/0403/040323-5.html
(前略)小泉首相の「慶応大学在学中のレイプ事件」がマスコミ界を駆け巡っている。
(後略)
http://www.rondan.co.jp/html/kisha/0402/040224.html
■小泉首相が、慶応大学の学生だったころに、
女子大生を強姦しようとして警察につかまり、
そのときに、彼がなんと言ったかというと、
「僕の父親は、防衛庁長官だぞ。早く連絡しろ」だったそうである。 
この事件のことは、地元・横須賀の市会議員たちの間ではよく知られている話だ。(
後略)
以上、「第496号」(2003.11.19)より一部抜粋
副島隆彦常葉学園大学助教授 副島国家戦略研究所(SNSI)主宰 http://www.soejima.to/
http://soejima.to/boyakif/index.html
■(前略)国際問題コメンテーター 藤原肇氏vs元フランス三井物産総支配人 小串正
三氏
<「小泉首相が30年前に起こした不祥事と留学経歴の真相」とは…。>
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/article/ohsugi.html
■(前略)小泉首相の暗い影を英米の諜報機関は握っている。
小泉首相の「ロンドン遊学」の真相は、ある女性に対するハレンチ行為が警察ざたに
なるのを恐れて、
父親の防衛庁長官(当時)が英国にほとぼりがさめるまでと逃がしたものらしい。(後略)
(ニューヨーク市立大教授霍見芳浩氏)
http://gendai.net/contents.asp?c=022&id=135
■「『小泉レイプ事件』は地元横須賀の市会議員の間では周知の事実」(木村愛二著)
http://www.jca.apc.org/~altmedka/2003aku/aku771.html
■仰天!小泉首相が「婦女暴行」で訴えられていた!(「FLASH」04.6.29)
http://www.zasshi.com/ZASSHI_SOKUHOU/data/flash.html

<ほか引用>

道子とその夫竹本との間に生まれた娘は、両親の離婚に際して、純也の養女となっている。
竹本は窃盗の常習犯である(「小泉首相の元義兄『懲役4年判決』」 【週刊現代 2005/9/24日号】)
石原慎太郎は「小泉君は女房と同じ横須賀の出身で、親戚筋なんだ。血がつながってないんで、ほっとしているけど(笑)」と述べている(系図でみる近現代 第27回 小泉純一郎・純也・又次郎 小泉進次郎 石原慎太郎)
当時の横須賀では沖仲仕の手配師として目兼の大親分と小泉組が縄張りを競い合い、博徒たちのにぎやかな出入りがくり返されていたという(『小泉純一郎と日本の病理』29頁)。宮崎学の著書『ヤクザと日本―近代の無頼』54-55頁には「1884年(明治17年)に海軍鎮守府が置かれた横須賀は、日清戦争(1894~1895年)から日露戦争(1904~1905年)にかけて軍港として急速に発展したが、ここでも、軍艦に砲弾や燃料の石炭、食糧などを積み込む仲仕の組織が発達し、これを仕切る仲仕請負からやくざ組織が生まれていったのである。当時、横須賀でこの仲仕の仕切りでしのぎを削ったのが、博徒の目兼組と鳶の小泉組であった。この縄張り争いは、近世以来の古い型の博徒である目兼組を抑えて、新興の小泉組が制していく。そして、この小泉組を率いていた鳶の親方・小泉由兵衛が跡目を継がせた息子の又次郎がこの帰趨を決定的にし、小泉組は軍港のやくざとして一台組織を築くことになった。この又次郎こそが、のちの首相・小泉純一郎の祖父であった。この小泉組も、吉田磯吉と同じ時期、同じ環境から生まれてきた近代ヤクザのひとつにほかならない。」とある

1慶應で同級だった学者の栗本慎一郎は【週刊現代 2005/12/24号 巻頭記事】 栗本慎一郎 : 「パンツをはいた純一郎」の中で「彼とは2年間、同じクラスでした。というのも、彼は単位が足りなくて3年に上がれず、そのままロンドンに留学したからです。もっとも、私らは誰も気づきませんでした。クラス委員の私にも届けがなかったし、彼は2年の後半は大学に来ていなかったので、誰もいなくなったことに気づかなかったくらいです。一人寂しくロンドンに旅立ったわけです。」と述べている。栗本の証言が正しければ、1963年に留学したことになる。同級生たちはみな1963年渡欧と思っているという。また栗本は「みんなから浮いているのではなくて、沈んでいるんです。友人から無視されるような存在でした

小泉純一郎の正体はこれ以外にありますか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1028589460

質問日時: 2009/7/23 04:49:43
解決日時: 2009/8/7 03:01:25

小泉総理は慶応大学4年生のときにレイプ事件を起こした。
その際、神奈川県警に逮捕された。
身柄拘束後、当時防衛庁長官だった父・小泉純也の名前を出して「僕は大臣の息子だ、釈放しろ」と政治的圧力を掛けて釈放させた。
そのことが学内に噂として広まり学内に居場所がなくなったので、ロンドン留学という名目で日本から逃げた。
……という記事、噂を、原告は雑誌や掲示板で読んだ。
「レイプ疑惑のある小泉純一郎を総理に頂くことは、日本国民として外国に対して恥辱を感じた。よって、その賠償として100万円を支払え」
http://www.jca.apc.org/~altmedka/koizumi-rape.html

衆国大統領に就任した国際麻薬マフィア=マーク・リッチ >>
2010年04月19日
小泉元首相一族の正体
「世界一マヌケな男と欧米マスコミに報道されている小泉元首相」
http://alternativereport1.seesaa.net/article/146828395.html
「検察の腰抜けブリが、明確に出た事件」
http://alternativereport1.seesaa.net/article/146652980.html

「検察は、自民党の私的なボディガード組織」、参照
http://alternativereport1.seesaa.net/article/140360389.html

泉総理時代の不審な事件

【議員】石井紘基:民主党議員。政界を震撼させるようなネタが見つかり、国会で追及する準備中に刺殺。
  犯人は金に困った男だとされたが、石井の懐の30万円には手をつけず、鞄の中の資料のみを持ち去る。
【911関係】長谷川浩:NHK解説主幹。イスラエル国籍を持つ数百人が被害を免れていたことを発表。
  数日後にビルから転落氏。
  米森麻美:元日本テレビアナウンサー。義父がゴ-ルドマンサックス証券名誉会長。
  出産3週間後の2001年9月16日自殺。
【りそな関係】平田公認会計士:りそな銀行を監査中に自宅マンションから転落氏。
  鈴木啓一:朝日新聞で敏腕記者として知られた人物。次期天声人語執筆者と目されていた。
   りそな問題後、りそなの政治献金が10倍になっていることを記事にし東京湾に浮かぶ。自殺。
  植草一秀:ご存知、経済学者のミラーマン。りそな問題について言及した後、手鏡でスカートを覗き、痴漢逮捕。
  太田調査官:国税調査官。りそなの脱税問題を調査中に手鏡でスカートの中を覗き、痴漢逮捕。
【郵政関係】石井誠:読売新聞政治部記者。郵政問題の記事を書いていた。
  総連の隣のマンションで変氏体で見つかる。事故氏。
【ライブドア】野口英昭:証券マン(エイチ・エス証券)で、ライブドアの匿名投資組合に関する入れ知恵を
  していた人物。沖縄のホテルで受付に助けを呼びつつも割腹自殺。
【耐震偽装】森田信秀:森田設計事務所社長。木村建設/総研/ヒューザーなどの耐震偽装問題が浮上する直前に
  鎌倉市の海岸で遺体を発見。
  姉歯元1級建築士の妻:姉歯が失踪し「消されたか?」と囁かれだした直後、突然自殺。
   その後姉歯が姿を現し、逮捕される。
  斎賀孝治:朝日新聞デスク。耐震偽装問題を調べていて自殺。
【イラク関係】奥克彦在英国大使館参事官、井ノ上正盛イラク大使館三等書記官:
  イラクで銃撃氏。政府が情報公開を拒むなどしたため米軍誤射など様々な憶測を呼ぶ。
【厚生関係】小泉が厚生相時代に厚生省&社会保険庁の使い込み問題で、火消し役として任命された事務次官

小泉進次郎考
 1843年、アヘン戦争の結果、南京条約で上海が開港されると、米国では、麻薬専売会社ラッセル&カンパニーが中国への麻薬輸出を開始する。

この時、ラッセル社は、スコットランドの麻薬専売会社ジャーディン・マセソンと連携、その支援を受ける。

 ラッセル社は、1823年、コネチカット州ミドルタウンのサミュエル・ラッセルがトルコのアヘンを米国等に輸入する目的で設立。1830年代には、ボストンの麻薬密売マフィア=トーマス・H・パーキンス・シンジケートと合体、米国最大のアヘン密売業者となる。

ラッセル社が中国への麻薬販売を開始すると、中国・広東にはルーズベルト大統領の祖父ウォーレン・デラノjrが、ラッセルの最高執行責任者として駐留し、その麻薬輸出を「仕切った」。

ルーズベルト一族の財産は、こうして形成された。

デラノは当時、アメリカ政府の副領事を兼任しており、ラッセルの麻薬販売が米国政府「公認」、米国政府自体の「事業」であった事が、ここから分かる。

 ラッセル社の幹部には歴代、コロンビア大学創立者のアビール・ロウ一族、雑誌「フォーブス」創立者のジョン・M・フォーブス一族、中南米での黒人奴隷農園を経営するUF=ユナイテッド・フルーツ社の創立者ジョセフ・クーリッジ一族(後に一族からクーリッジ大統領を輩出する)が就任して来た。UFの黒人奴隷監視組織が後にCIAに発展する。またラッセル社の監査役には、ブッシュ大統領一族の先祖=J・プレスコット・ブッシュが就任している。

ここに名前を挙げた一族は、麻薬販売によって財産と地位を形成する。

 1754年、キングズ・カレッジの名前で、英国による米国の植民地支配のための「ノウハウ・スクール、英国直結の米国監視・スパイ養成学校」として、英国国王ジョージ2世の特許状に基づき設立されたコロンビア大学は、アビール・ロウ一族の麻薬資金によって「大規模化」されてゆく。

米国が英国から「独立」するに従い、コロンビア大学は米国による「植民地支配国の管理ノウハウ・スクール」に転じる。

コロンビア大学が、米国の「植民地支配国に対する管理ノウハウの伝授スクール」である事は、第二次世界大戦中、日本語の堪能な人材が、この大学に集められ、当時、米国の敵国であった日本に対する「対日暗号解読部隊」が、この大学を舞台に結成された事でも分かる。この大学は、事実上、対日戦略情報部隊の中心地であった。

つまり「米国による日本の支配のための人材育成大学」が、この大学の正体である。

 小泉元首相が自分の後継者・進次郎を、コロンビア大学・大学院に「送り込んだ」所には、「米国による日本支配のための、アヤツリ人形」であった小泉の正体が「明確に出ている」。

小泉の後継者・進次郎は、コロンビア卒業後、CSISに入っている。

 ワシントンのジョージタウン大学内にある、CSIS=センター・フォー・ストラテジック・アンド・インターナショナル・スタディーズは、元々、ナチス・ドイツ=アドルフ・ヒトラーの戦争戦略を作り上げたナチスの地政学者カール・ハウスホーファーのナチス地政学を米国に「移植」するために創立された。ウォルシュはイエズス会の神父でもあった。

 CSISは1964年、中国共産党諜報部の喬石長官との協力の下、中国国内の麻薬製造地帯のネットワークを「整備」し、世界各国に中国産麻薬の販売網を「形成」した。

この麻薬販売の利益で兵器を購入し、CSISは1972年から、南アフリカの黒人人種差別体制を維持するための軍備として提供し、またイスラエルが中東戦争を実行するための兵器として供給してきた。

CSISは、南アのスパイ組織=国家安全局BOSSと協力し、南アの金塊・ダイヤモンド・ウランと、中国製麻薬の利益=兵器と「バーター取引」を行う、諜報・スパイ組織であった。

またCSISは、イスラエルに兵器を供給し、中東戦争によって「石油価格を高騰させる」、石油王ロックフェラーのための「石油価格コントロール」センターであった。高騰した石油の利益で中国産麻薬が購入され、麻薬の販売利益で兵器が買われ、その兵器がイスラエルに渡り、中東戦争を起こす。そして石油が高騰する。

これが、米国=中国=イスラエルによる、「現在にまで続く」戦争経済の仕組み、戦争マシーンのシステムである。

 現在、CSISは、米陸軍・海軍直系の軍事戦略研究所でもあり、米軍の持つ膨大な数の生物化学兵器の管理センターともなっている。

CSISの顧問には、ヘンリー・キッシンジャー、その弟子でライスm元国務長官の師匠であるブレント・スコウクロフトが名前を連ね、ロックフェラー・ロスチャイルドの世界帝国建設のための軍事戦略を「描いた」ズビグニュー・ブレジンスキー(オバマ大統領のブレーン)が、CSISの理事を務めている。

 小泉の「後継者」は、このスパイ組織の「対日エージェント」として「派遣されて来ている」。

必見ッ!
国家における審議
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英国&米国

2010年4月23日 お仕事
21日はお江戸でさえ25度を越えたのに22日は急激なる気温の変化。
気象庁の言う西日本の一地域を除いては(宮崎)急激に列島は冷えたらしい。
福島の三大桜は雪降るなかの花満開にあるらしく秋田の桜は今だ莟みでさくさらさくにないらしい。
今年の列島の桜前線は正常に機能していないようである。
天のなす事は避けようも出来ないが其処で暮らしの基本たる経済は
国家の舵取り者の政治家の姿勢しだいで大きく変わってこよう。こちらは人災であり国民目線の政府を持てば防げ得る。
政治のあり方は国家の要諦である。
 その国の国民を知るには
 その国の政治を見れば解る
40年前の読書遍歴のときの一説を鮮明に思い出す。
若き頃の経験の蓄積はどこかに残っており生きる。
あの頃の国家の舵取りは二つの陣営の構図があったゆえ
案外たやすかったのかもしれない。
世界の二つの支配国ソ連邦米国が崩壊し混沌としている
国家、民族が生き抜くにあってこれまでの経験則が通用しない。

菅副総理は23日から開催されるG7,G20で宗主国アメリカにアル。
この国の指導者は100ドル新札発行に伴うドル・デフォルト宣言に怯えきっていよう
ブラジルとインドは会議に臨むにあたって中国の通貨「元」引き上げに合意するとしたようである。
経済発展が著しいブラジル (Brazil)、ロシア (Russia)、インド (India)、中国 (China) の頭文字を合わせた4ヶ国の総称の
BRICs=ブリックス、諸国の結束さえ乱れている。

平和ボケのこの国は23日発表の枡添新党で話題持ちきり。
現在改革所属議員で枡添新党に参加しない大江康弘議員は憤懣やり方ない。
「交付金1億2千万円が改革クラブに来て4月17日3000万円が交付されたらこれである。」
「枡添新党はこの助成金狙いッ!」

この情況にあるマスメディア機関
そうではない。
世界の情況こそが大騒ぎで報道されるべきだ。

ドル圏から離脱した欧州諸国のEU諸国
そのなかでも最初の覇権国であったポンド圏の
英国の動きは注意しておかなければならない。
混乱の空路は修復されたようである。

実はこの国で大きな動きが生じている。
5月6日投票で下院定数650議席の総選挙の終盤戦にある。

労働党のブラウン政権VS保守党キャメロン党首
そこに第三極の自民党クレッグ党首が絡んでいる。
従来の二大政党制に地殻変動がおき三つ巴の様相にあるらしい。
ユーガブ調査政党支持率では
労働党26
保守党31
自民党34

現有議席
労働党349
保守党210
自民党 62
その他 29

自民党が人気
43歳党首の巧みな弁舌で人気が一気に出てきたらしい。
9割以上の選挙区に候補者を立てるが地盤は他の二党に比べまったく弱い
政策
イラク戦争に唯一反対した。
英国核戦力トライデント・ミサイルの更新に反対。
公共サービスのための増税
外交面の親・欧州連合EUの立場


ワシントンのオバマはニューヨーク入りして演説のようである。
察しはつく。挑発的証券行政関与演説となろう。

さて宗主国のデフォルト宣言に日本国が一番震え上がっていよう

唯一勝ち残りのハズの金融機関に詐欺罪のオバマ。
解き明かすにタイムリーなる著書が出た。

副島隆彦氏と古村治彦氏の新著、
「バーナード・マドフ事件」

副島隆彦師の「学問道場」は厳しきゆえ多くの卒業生門下生が活躍中である。、
中田安彦氏によって今日のぼやき1122(広報ページ) に著書の事が書かれている。

 バーナード・マドフ事件にご記憶があるハズだ。
ナスダックを創設したバーナードマドフが、主にニューヨークや世界各国にいる、
マドフと同じユダヤ人の金持ちたちを約18年間「ねずみ講」で騙して
リーマンショックによる金融危機後にそれが発覚したということである。 

この詐欺事件に至ったマドフの心情を理解するには、ニューヨーク・ユダヤ人の中に存在する差別の構造を理解
しなければならない。
それは

ポルトガル系のスファラディ・ジュー、
      &
東欧系のアシュケナージ・ジュー
の米国大陸における立場の違い。

(中略)
ニューヨークのユダヤ人には、アメリカに定着した順番に基づく序列が厳然として存在する。
 いわゆるスファラディ・ジューというのは、
ドイツ・プロイセンの宮廷ユダヤ人(コート・ジュー)のもとにもなったと言われるユダヤ人たちで、
もともと中東からスペイン・ポルトガルに流れ、
やがて欧州の主要な王様の「銀行家」となった人たち。
ユダヤ人作家のハンナ・アーレントはこれを一般のユダヤ人と区別しています。

一方、19世紀の後半になって大量にアメリカに流れ込んだ移民のユダヤ人たちもいます。
それがアシュケナージ・ジューです。
この本の中でレボーは、スファラディのことを、「イェッケ」と呼び、
アシュケナージのことを東欧ユダヤ人とか「カイク」とか呼んでいますが、実体は同じことです。

ポルトガル系のスファラディ・ジュー、=イェッケ
      &
東欧系のアシュケナージ・ジュー=カイク

かのロックフェラー(ロッケンフェラー)一族は一応、スファラディ系とWASPの血が混じったということになっています
。(スティーブン・バーミンガムの『グランディーズ』やロン・チャーナウの『タイタン』)

 そういうわけで、ユダヤ人移民の中にも、
ゴールドマン家やリーマン家のような、
「我らが仲間」という20世紀初頭に掛けて一大金融王国を築いた人々は、イエッケの系統、

それ以外の今、ウォール街の金融トレーダーをやっている叩きあげのユダヤ人たちはおそらくは
後に来た世代の「カイク」でしょう。

それは、イエッケであればすでにニューヨークのマンハッタン島の中で居住している場所が決まっていることで分かるのです。
今、かのデイヴィッド・ロックフェラーがNYで
居住の拠点にしているのが、East 65 Street NEW YORK 10021(東65番地)ですから、
本書の地図でいうところのマドフの住所の東64番地と非常に近い。

そして、この辺は東側に立派なセントラルパークがありますから
、それを見渡せるということはそれだけで
「お金持ちの証明」になっているわけです。

 ところが、イエッケの後の世代の移民ユダヤ人となると、
そういう立派なところ(山の手、アップタウン)には住めないわけです。
だから、ダウンタウン(下町)に肩を寄せ合って居住して、
その中から下層移民の連合体であるマフィア組織が出現するのです。
この辺の細かいこと、
イタリアマフィアとユダヤマフィアの関係や主立ったユダヤ人マフィアの名前などもこの本には書いてあります。
 ですから、この本は一冊読んだだけで、10のテーマのことの基礎的な知識を身に付けられる大変に親切な本です。
、今のウォール街の金融機関に対する、オバマ政権の規制の動きも、このユダヤ人というか
ウォール街の支配勢力どうしの序列争いがあるとここで読み解いています。

それは投資銀行の中には、
企業買収などを手がける「投資銀行部門」と、
債券の売買で短期的に利益を稼ぎ出す「トレーダー・セールス部門」
の2種類がおり
トレーダー人種はどちらかといえば、稼ぎ出す金額の割には差別される対象であるからなのです。

 今、アメリカでもっとも話題になっているのは、オバマ政権のもとでSEC(証券取引監視委員会)が
投資銀行のゴールドマン・サックスにたいする提訴をした問題があります。
ウォール街の株価が先週一時急落して、「ゴールドマン・ショック」と呼ばれました。

ゴールドマン・サックスでもご多分に漏れず、この投資銀行の二つの部門間の違いが存在している。、
前の会長兼CEOのヘンリー・ポールソンは、投資銀行部門出身のエリート、
今のトップのロイド・ブランクファインは、ニューヨークの北の方にあるブロンクス出身の下層ユダヤ人で父親が郵便局員の家の出です。

 マドフにせよ、ブランクファインにせよ、下層階層の出身のユダヤ人たちは
、何としてもWASP(白人のプロテスタント信者のエリート)的なリッチな生活をしたいという
熱望と、一方で自分たちが差別されてきた存在である、という過去の暗い記憶を背負っています。
したがって、どん欲に社会の頂点を目指すバイタリティとエネルギーがあるわけです、
同時にたたき上げゆえにいくら成り上がっても、本来のエリート層には近づけない。
このような「複写(ファクシミリ)WASP」という階層を取り込んで、
今のアメリカの支配層は成り立っているのですが、それでもわだかまりは残るのでしょう。

ゴールドマンに対するSECの提訴について言えば、このような背景があることが非常に重要になってきます。

今、FRB元議長のポール・ヴォルカーは自分の秘蔵っ子のティモシー・ガイトナー財務長官を使って、
デリヴァティブ商品の規制をやらせたり、議会に働きかけて、銀行の高いリスクの自己勘定投資を規制させようと動いています。

 この裏側には今の支配層であるヴォルカーやロックフェラーたちがまったく理解できないような
高度な数学を使った複雑怪奇な金融派生商品(デリヴァティヴズ)を世界中にばらまいて、
むしろ世界経済(=自分たちの「ドル覇権」)をかなり不安定に陥れた
、悪ガキのユダヤ人のトレーダーたちに対する「お灸を据える」という意味があるわけです
(後略)(転載ここまで)

このようにNYの金融ユダヤと言っても民族内で様々な問題があることも解る本です。

この国に似足る事が生じた。
ホリエモン事件との比較で身近になること。

そしてなぜこの本とホリエモンを照らし合わせたかと言えば、ライブ・ドア事件は何か深い問題があるのではないかと思っていたからです。

 マドフは金融危機でねずみ講がバレて逮捕。
懲役150年の判決が下された、
ホリエモンは表向きは風説の流布、偽計取引などで逮捕・起訴されたわけです。
 彼はその他に逮捕される前は国会議員立候補やライブ・ドアという会社で成功し企業買収やプロ野球の新球団創設などに手を出していた。 

 更には天皇制にも意見を述べている。
ウィキぺディア にアル。
2005年9月6日には都内の日本外国特派員協会講演で「憲法が天皇は日本の象徴であると言う所から始まるのは
、はっきり言って物凄く違和感を覚える」
「歴代の首相、内閣、議会が変えようとしないのは多分、右翼の人達が怖いから」
「インターネットの普及で世の中の変化のスピードが速くなっているから、リーダーが強力な権力を持つ大統領制に
した方が良い」と言う天皇制の否定とも取れる趣旨の発言が一部で物議を醸し
、選挙特別番組でも亀井静香が「自民党が天皇制を否定するような人物を擁立すべきでない」
と述べ、自民党幹事長代理の安倍晋三等に対し不満を漏らした。
ウィキぺディア にそうアル。

天皇制の否定と言えば右翼が怖いというよりも、官僚組織の否定ということに繋がるのではないだろうか。

検察や裁判官を始めとする各省庁の上層部は「官吏」意識があり、日本を実質支配するのは官吏である官僚(主に東京大学法学部など)という事を否定するのと同じ事だろう。
今でいえば、鳩山政権と小沢一郎幹事長が霞が関改革をやろうとしている事と同じような意味に官僚らは取ったのではないか。 
 東大と言っても「東京大学文学部宗教学・宗教史学専修過程中退」という同じ東大でも法学部卒と中退という、先ほどの中田氏の文中にもあるようにニューヨークの金融ユダヤの中にも「イエッケ」と「カイク」という民族内の階級の違いという点も似ている。

しかし中退をしたホリエモンだが、起業して成功し官僚らがどんなに悪事を働いても手にすることのできない爆大な金と資産を得、更には日本国民に人気をもたらし、国会議員立候補し当選されて、うまくいって総理大臣になられてしまえば天皇制廃止=官僚組織壊滅という恐怖感もあったのかも知れない。

また、検察や裁判官などの間では「中退のくせに粋がってるんじゃね~よ」という嫉妬感もあっただろう。

中退で成功者のお前に国民が支持する事を阻止してやると。 
立派にペーパーテスト合格の道を進んできた俺たち(官僚)が日本を治めていくのだと。

自信と勢いがあったホリエモンは多くの者を敵に回してしまったのがホリエモンではないか。

その上、当時の総理大臣は小泉純一郎であり検察と裏金の手打ちをしたのをいいことに、ホリエモンを潰しにかかったのではないかと今になって思うわけである。

しかし小泉も安倍らもホリエモンやライブドア関連の会社との取り引きでヤバイ事をやっていたという話しもネット上ではよく見る。
それらがバレればいくらホリエモンを潰しても、自分で自分のケツに火を付ける事になりかねないのであり、それで野口氏が沖縄で暗殺されたのではないかとも考えてしまう。
小泉純一郎を取り巻く人々の卑劣さに共通する事にも見られる。
ピンさんこと石井一議員や牧議員を嵌めようとして仕組まれた厚生省を巡る第三種郵便事件に絡む公文書偽造事件の局長を嵌めた黒幕に小泉純一郎秘書飯島勲の関与が裁判所で証言されて明らかになったのも狙い定められた地方大での女局長ゆえの事で狙われていたのであろう。

NHKラジオ深夜便22日23日4:00~
  侍従長の歳月・両陛下にお仕えした10年     前侍従長…渡邉允               
多くのことを教えられた。  
 天皇の平和希求と霞ヶ関官僚制度にまでよく理解できた。ハンセン病患者病棟の事を大事にされる事も含めて。
ただし爺目は佐高信を師と仰ぐゆえ揺らぎない立場にはある。
あの田英夫が叙勲を受けて以来の180度姿勢を改め葬儀さえ列席しないのを矜持する佐高信ゆえ天皇制に対する爺目の立ち位置は擬似勤皇家にしか過ぎない。
育った田舎の18年が影を落としている環境ゆえであろう。

平成天皇4つの日を忘れてはいけないの自説がある。。
この4つの日の上に今の日本がある。
6・23沖縄
8・6 広島
8・9 長崎
8・15敗戦
サイパンにも行かれた平6年のサンフランシスコ外遊のときの6・23の逸話
6・23沖縄の日はシスコでは夕方で予定に会った市長晩餐会を30分遅らせていただき沖縄での慰霊祭に合わせられた鎮魂の時間を作られた。
同じように思想性の国益を根本とする生き方が
この国の真正右翼の野村秋介にみられる
真正右翼の如くの振る舞いなのに国益死守が微塵もない似てもに付かぬ輩が横行している。
ネットウヨや在特会の小沢一郎攻撃や徳島教祖建物乱入事件の如きでありブログにも相手を気遣わぬ、その無尽の振りがアル。同じ民族にあることさえ疑われる。

いずれにせよこの「バーナード・マドフ事件」は金融危機の中身と謎めいたユダヤ人社会を理解するのにも重要な本である。 
ソレはこの国にさえ深く存在している。
 ライブドア事件も真相を暴かなければならない事件ではないだろうか。
誕生日の花おだまき
花言葉は勝利の誓い
おだまきや 木曽路は水の 音の中

この不定記形式になったル事も享受しよう。
ただししばらくの間であることを宣言しておく。
魂は虐げられたままを享受するハズがないのは常であり、ソレが歴史でもある。

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