誕生日の花・・・ワスレナグサ
花言葉・・・・・・私を忘れないで、誠の愛
薄い瑠璃色で中奥部が黄色の可憐なる花。
青春ソングで誰の唇にも微笑が蘇る歌。
寅さんの妹でない倍賞美恵子そのものを彷彿。
此花に 勿忘草と 言う名あり
25日は沖縄総決起集会の普天間の日
この国にとっては国家の未来に向け国防に関する議論を沸き興さねばならぬ日。
ただし奇怪なる動きと鳩山総理の政治信念からして
敵は本能寺にあり。
ナニが腹案徳之島なもんか。
・・テニアン、サイパン、グアム・・・
メディアが先走り政府の意志を無視してかってに不安を煽り複雑な動きにこそは
政治を俯瞰するに十二分である。
金銭面のツメみが暗礁にあるゆえの混乱であろう。
ズバリッ!
交渉は山場にある。
キーマンハダレッ!??
「ルース大使と岡田大臣」
爺目はそう睨んでいる。
実に三重の人は原論派
日向弁の「バンジョウガネ岡田大臣」
の役割が大きい。
ゼニのやり取りで最後のツメにあるんであろう。
平野官房長官や防衛大臣の田舎芝居の役割
三人の弁護士らの人々の無能ぶりも演出?
日向の人福島瑞穂大臣の普天間移転先の国外固持。
ダブル選挙で騒乱の仙石大臣、
検察庁の情報開示全国訓示の検察庁長官を許す千葉法務大臣。
もうひとりの弁護士は食うに食えない。
中央に出てこずひたすらローカルに徹するのが
宮崎のそのまんまにないところで大物。
新党ブームの中でファシズムの匂いがする怖い動きにある大阪弁護士橋下知事
特権階級職種に見られる勘違いに似ている。
いわゆる頭脳明晰と、政治的な勘の働きは、どうやらまったく別物と証明している。
三重の人遠藤寛子(1931年 - )は教師から児童文学作家。
稀覯本で僅かに国立国会図書館に残る忘れ去られたものを蘇えさせた功績は大である。
流石に近江商人に並び称されるDNAが成させた業か。
その著作も算盤高い地域性の血筋ゆえか『算法少女』という和算書。
正確には復刻版区分けであろうか。
安永4年(1775年)に出版された和算書。
ソレの特徴が語られるのは・・・
当時の和算書で唯一著者が女性名義になっている貴重な本ゆえ。
その紹介がある。
父親は壺中隠者、娘は単に平氏とあり同時に章子の印章があると記す。
著者「壺中隠者」の正体については長く不詳であったが後に研究が尽くされ
数学史家・広島の人三上義夫の研究によって医師千葉桃三と確定された。
(この広島の人三上義夫は独学で中等教員検定に合格後に東大大学院に在籍。、
関孝和を中心に日本と中国の数学関係史などを研究、
1923年の論文「文化史より見たる日本の数学」は科学史を文化史としてみた世界初の論文)
和算書『算法少女』が刊行された時代背景としては、
その6年前の明和6年(1769年)田沼意次が老中格に昇進し田沼時代が本格化した。
鎖国令が緩和され諸外国の進んだ文物が日本に入ってきた。
安永3年(1774年)、杉田玄白、前野良沢らによる『解体新書』が著された。
経済力をもった町人庶民が文化を発展させる一方、地方では飢饉から一揆が引き起こされた。
その結果困窮民が都市部に流入し、貧富の差が増大した。
和算における多くの成果は各流派の中で秘伝とされ続けてきた。
久留米藩主・有馬頼徸
は関流算術を学んだ
1769年(明和6年)に出版した著書『拾璣算法』
において関流の秘伝を公開し、和算文化の向上に大きな貢献を果たした。
また、幕末の長谷川寛監修、千葉胤秀編の『算法新書』(1830年(天保元年))では、
初歩から最先端の結果までを丁寧に解説した
23日NHKテレビ00:45 深夜確か再放送のタイムスクープハンター
「“算額”頭脳バトル」を見た
このことで記憶が結びつく。
「遺題」(イダイ)という。
和算家 自身は「好み」と呼んでいたらしい。
江戸時代、和算家が数学書の中に解答をつけず問題だけを提出して、
後世の人にその解答を求めた問題。
板に書き神社ナゾに奉納された。
和算は放浪者が居て
剣術の修行者の如く算術を教えて禄を食んだ人々が「遺題」良く掲げたのである。
より優秀なものが「遺題」を解きその村の新たな塾長となった。
任期より和算の実力
枡添元大臣が自民党を離党して新党を作りきれず婿入りするが如しである。
ただしこの場合は世論調査で踊らされて数字の勘違いの有頂天。
総理になる人気NO1の世論調査と煽られ自民総裁を目指してたのに
勘違いで追い出された如くである。
覆水盆に返らず。
ここにも特権階級職種に見られる勘違いに似ている動き。
繰り返すが、いわゆる頭脳明晰と、政治的な勘の働きは、どうやらまったく別物と証明している。
神社に奉納される額に和算愛好家のものがある。
『例題で知る日本の数学と算額』森北出版に記録が残る。
1997年(平成9年)に行われた調査結果では日本全国に
975面
の算額が現存とアル。
これら現存する算額で最も古いものは栃木・佐野市の星宮神社にあり、
1657年(明暦3年)に掲げられたとされる。
その算額を扱った小説として遠藤寛子『算法少女』がある訳だ。
幕末、海軍伝習所で教えた外国人教官の追憶によると、
日本人は代数の理解は早かったが、
幾何は中々進まなかったという。
義務教育も満足にない爺目が高等教育高一で代数は楽しんでも
幾何で進まなかった如くである。
和算愛好家は小作人でさえ今の高等教育どころか大学教育算学内容を超えていると
テレビでは言っていた。
辻原登は日経連載の韃靼の馬で紀州粉河寺の兵藤十作に言わせる。
代数の天さん術、
行列に該当する、未知数を消去する伏題
これは世界のさきがけ。
円の計算の円理
微積分学などに通暁
堂島米相場その先物取引で米相場先物をことごとく予測した。
幕末開明派の先駆は水戸であったが結集した政治結社天狗党は徳川政権の手で惨殺され、
政権交代の明治維新期には時流が早く藩が動いたため人材は枯渇した
幕末の最初の流血は長州藩の興した蛤御門の変1864年8月20日(元治元年7月19日)
総指揮者は唯一の久留米藩水天宮神官真木和泉。
現在の京都御苑の西側の蛤御門は今も門の梁には弾痕が残り大河「龍馬伝」現場として当時が偲べる
長州藩は、1863年(文久3年)に会津藩と薩摩藩が協力した八月十八日の政変で京都を追放されていた
さらに池田屋事件で藩士を失った。
二番目に続いた尊皇攘夷論の長州の先駆派家老来島又兵衛、久坂玄瑞。
反対し参加しなかった、慎重派が桂小五郎と高杉晋作ら。
全国水天宮の総本山久留米水天宮神官真木和泉は
水戸学を治め神官として従五位下和泉守の官位
久留米藩主・有馬頼徸は関流算術を治め
1769年(明和6年)著書『拾璣算法』に出版した
藩士、真木和泉は当然学んでる事であろう
真木和泉は安政の大獄によって吉田松陰・橋本左内の指導者をうしなった後の
尊攘派の旗頭とナル。
功績は数限りない。
楠木正成の崇拝者として知られ、今楠公と呼ばれる。
その思想と実践は、のちの湊川神社を始めとする人物顕彰神社の創建や、
靖国神社を始めとする招魂社の成立に大きな影響を与えた。
東京招魂社は1879年(明治12年)靖国神社と改称。
地方の招魂社は1939年(昭和14年)護国神社と改称
言葉の改変は為政者のデマゴギーでもある。
「精神科病院」は2006年10月の精神保健福祉法改正前は、法律上「精神病院」と呼ばれていた。
爺目なんぞの地元では県立単科精神科病院富養園を一定年齢以上はみながいまでも脳病院 という。
北杜夫の「楡家の人々」の作品にある青山脳病院とそのまま描く
斉藤茂吉子茂太北杜夫の青山脳病院である。
歌人茂吉が青山脳病院経営にあたりながら
この青山脳病院内でアララギ派の中心として
「赤光」「あらたま」などの歌集や多くの著作随筆を残した。
小泉竹中の新自由主義経済の蔓延化の自己責任に悩んでる国民生活。
高利貸しの借金に苦しめられたという歌を残している歌人茂吉、青山脳病院長茂吉ならでは。
「茂吉われ院長となりいそしむを世のもろびとよ知りてくだされよ」
青山会館は蘇峰徳富猪一郎の寄付によって、
皇室中心思想のもと皇国民としての徳性と知識の向上、社会教化を目的に創設され、大正14年に開館。
大講堂には2千人もの人が収容できたという。
現在跡地は青山第一マンション
青山脳病院はのちの小泉純一郎の入院記録が残る本院都立松沢病院分院である。
精神病精神分裂病の言葉は2002年に日本精神神経学会総会によって英語のschizophreniaに対する訳語を「統合失調症」
にするというオブラートにつつんだような名称に変更がなされた。
他にも小泉純一郎総理の頃情報遮断の個人情報保護法案をまとめた。
久留米藩水天宮神官真木和泉は爺目の出発点長州にも足跡を残す
日本初の招魂社は現在の山口県下関市に残る櫻山神社で櫻山招魂社、慶応元年(1865年)8月の事である。
漱石の『猫』の中に幼い娘の発言に「招魂社」が登場する。
爺目の幼少時の土地西都・都於郡の城下町の町頭の荒武神社敷地の祭神にある
巨大石碑にも残っているが如くであり招魂祭の祭りは出店も多く賑やかであった。。
真木 保臣(、文化10年3月7日(1813年4月7日) - 元治元年7月21日(1864年8月22日)
墓所は京都府大山崎町。十七烈士の墓。
憂国の士の志の最後の歌
「大山の 峯の岩根に うづみけり わが年月の やまとだましひ 」
日本人脚本家として初めてメジャー映画会社ワーナーブラザーズの脚本査定を通過する。
作品は世界12カ国で上映される。2000年の映画「さくや妖怪伝」
00年講談社ノベライズ「さくや妖怪伝」共著
03年「新さくや妖怪伝・さまよえるオランダ船の伝説」文藝春秋刊
この作家・脚本家の光益公映はその子孫。
寺田屋事件は慶応2年(1866年)の坂本龍馬中岡慎太郎襲撃殺害事件を普通言う。
それだけでない。
もう一つある。
文久2年4月23日(1862年5月29日)に薩摩藩尊皇派事実上の薩摩藩主・島津久光によって
粛清されたと言われる公武合体VS尊皇攘夷の事件がある。
大久保利通は藩主の知恵どころ。
久光には当初倒幕の意志はなく、公武合体派。
このことに不満を持った薩摩藩の有馬新七らは同じく尊王派の志士、真木和泉・田中河内介平野國臣
共謀して関白九条尚忠・京都所司代酒井忠義邸を襲撃することをめざし伏見の船宿寺田屋に集った。
当時寺田屋は薩摩藩の定宿であり、このような謀議に関しての集結場所としては格好の場所だったようである
維新あるいはその後活躍する大山巌・西郷従道・三島通庸・篠原国幹・永山弥一郎らは降伏した。
捕らえられた田中河内介、左馬介父子は薩摩移送船中の際惨殺。
遺体が漂着したのが香川小豆島町。
このオドロオドロしさ
泉鏡花ら大正昭和の文人墨客をふるえあがらせた田中河内介にまつわる霊威譚の連鎖。
史上最恐の怪談実話!?―田中河内介異聞(田中河内介(徳川夢声)
異説田中河内介(池田彌三郎) ほかに作品化されている。
南国放蕩生活の最中の
ブログにこう記述する。
薩摩藩預かりの予定であった千葉郁太郎、中村主計、海賀宮門も途中、日向細島で殺害された。
細島の人、黒木庄八が千葉、中村、海賀3名の遺体を発見しこれを不憫に思った庄八は墓を建て
、その後もその世話を続けた。
決死のときサラシ布を腹に巻く
その内の一人の腹巻
「赤心報国唯四字、黒田家臣、海賀直求」
とあったことから、この墓を「黒田の家臣」と呼ぶ
日向名所絶壁馬ヶ背、クルス岩から近いところにある。
正確には日向市大字細島5番地
墓の脇にある「赤心報国之碑」。
歴史とは本当に皮肉なものだ。
揮毫は山県有朋。
明治24年に寺田屋事件の犠牲者に対して贈位がなされて以来、
彼らへの見方が変わったことの象徴的光景。
墓の脇には香川県から父子の慰霊土が運ばれ、三志士の墓の脇に埋設されている田中河内介父子の慰霊土を埋設した記念碑
その脇には黒木庄八の墓もある。
どうにも 筒井康隆 の 中編小説 傑作「ジャズ大名ジャズ大名 」
黒人奴隷 が幕末の小藩に漂流し、藩主ともどもジャズに酔いしれる。荒唐無稽な作品。
これを原作とした ラジオドラマ と 鬼才岡本喜八監督は映画 も製作した。
爺目はそれぞれ見聞きしている。
何故か。
作品の舞台背景が幕末日向。
1981年1月号「小説新潮」に発表された。
黒人奴隷 が幕末の小藩に漂流し、
藩主とたのしむ。
荒唐無稽な作品。
島崎藤村と懇意であった「芸術新潮」の初代編集長となる宮崎の人・菊池重三郎 は内藤藩北川の在。
小説新潮にもかかわる
名訳としてロングセラー「チップス先生さようなら」がある。
その地細島は良港がり上方江戸を目指す薩摩日向の玄関口
唯一の譜代の内藤殿様の領地内にあるのに他藩の秋月藩宿泊所もあったところ。
この話には後日談がある。
明治2年、明治天皇が大久保利通ら維新の功臣を前にして言う。
「幼少期、田中河内介という者に大変世話になった。
寺田屋事件後、薩摩藩に預けられたと聞くが、その後を知るものはいないか」
維新後、多くの要人を新政府に送り込んでいた薩摩藩では、この事件は絶対に口外してはならない秘密事項。
その場に居た小河一敏が「恐れながら・・・」と事件について奏上をする
、明治天皇は
「それは哀れなことをしたものだ」
と言い、薩摩出身の功臣を見渡して立ち去った。
田中河内介はかつて明治天皇の教育係だったのである。
薩摩藩出身の大久保利通はまさに寺田屋事件の事後処理を行った中心人物
その場で青ざめたという。
この一件で小河は大久保に恨まれ、堺県知事に追いやられる
明治11年、大久保利通が紀尾井坂で暗殺されると、田中河内介との因縁を思い
「ああ、天というのはあるものか」
と言ったといわれている。
潜伏中の西郷隆盛がこの事件のことを聞き終生藩主久光とそりが合わなかったことは語り草。
海音寺潮五郎の作品にもそのくだりは出てくる。
春の読書週間にある。
遠藤寛子『算法少女』あらすじ
浅草寺に友達と参詣に出かけたあきは算額を掲げる一団に出遭う。
掲額しようとしていたのは旗本の子弟水野三之助であった。
三之助は日頃から関流宗統の藤田貞資の直弟子であることを鼻にかけていた。
あきはついその算額の誤りを指摘してしまい三之助の怒りを買う。
一度は折れて事を収めようとするあきだったが、三之助の執拗な追及に父譲りの算法の腕で逆に三之助を論破してしまう。
そのことが評判となり、算法家としても知られる
久留米藩主有馬頼徸
から、
姫君の遊び相手としてあきを召抱えたいと申し込んできた。
屋敷勤めに興味はないものの逼迫する家計を助ける為、貧しい子供たちに算法を教える塾を開く資金を得る為
、あきはしぶしぶ承諾する。
異例の出世と周囲は舞い上がるが、有馬家には三之助の師匠の藤田貞資も家臣として仕えていた。
藤田は関流の面子を守るため、もう一人の算法少女中根宇多を招いて、あきに勝負を挑んできた。
・・・・・・
和算という特異な分野を扱いながら、少女小説として構成され和算の知識がなくても楽しめる。
時代小説として当時の江戸の風俗をたくみに描写しているうえに、
主人公を監視する謎の武士、密書を携えた少年とサスペンス的要素もある。
ラストのどんでん返しも含めて読者を飽きさせない工夫が随所に見られる
岡田大臣と同じDNAの人の作者は
教壇に立つ傍ら児童文学に筆を染める。
数十年を経てなお色褪せなかったのは『算法少女』という言葉の持つ輝きだった。
国立国会図書館に足を運んで復刻版を借りた。
コピー機などまだ今ほどない時代で薄紙をあてて書き写した。
もとより数学は専門の外であった。
数年の歳月を費やし、同僚の教師や多くの人々の協力を得て、1973年に小説『算法少女』は岩崎書店から出版された。
異例なところでは『推理小説の評論家として高名なさる方から』『推理小説作家の会合に出てみないか』と誘われたと
「筑摩書房PR誌ちくま9月号」にある。
月刊誌『数学セミナー』の元編集者亀井哲治郎の尽力により、2006年、
まさに30年ぶりに小説『算法少女』がちくま学芸文庫から復刊される。
2010年に歴史漫画雑誌のコミック乱誌において秋月めぐる画で連載が始まる。
破天荒、荒唐無稽・・
そうならいい事もある。
所詮ブログではないか。
マズは情報拡散。
報道少なきこんな事があるのだ。
「元」
の問題になぞれば済む事でもある。
、
副島隆彦師サイト「学問道場」今日のぼやき 1116番 の記事。
その内容の1部に中国と米国が、近いうち(おそらく5月中あたり)に宇宙戦争(人工衛星撃ち落とし)
=疑似冷戦があるだろうと予測されている。
師に対して賛否両論のブロガーが分かれるのは
ズバリッ!といわれるところにある。
でも米国ドル体制の崩壊のリーマンショックをものの見事に予測とおりであって
爺はそれ以来参っている。
またもや
それが予測ではなく、的中する確率が高くなってきたような記事が時事通信 より配信されている。
ビックリするはなしである。
軍事用無人シャトル打ち上げ=秘密の試験、宇宙兵器開発か-米 4月23日
【ワシントン時事】米空軍は22日、開発中の軍事用無人シャトル「X37B」をケープカナベラル空軍基地
(フロリダ州)からアトラスロケットで打ち上げた。
空軍は計画の詳細を公表しておらず、将来、地球低軌道の人工衛星を打ち落とす兵器にするのではないかとの見方も出ている。
X37Bは航空宇宙局(NASA)のスペースシャトルと同じ再利用型。
全長約9メートル、翼幅約4.5メートルで、スペースシャトルの4分の1ほどの大きさ。
詳しい予測については上記の「学問道場」のリンクをクリックして副島師が述べている。
近いうちに米中どちらかの人工衛星が
「事故」によって爆発したとか
「消滅」したなどという報道があれば、それはおそらくどちらかが撃ち落としたと見ていいだろう。
覇権争いは地上だけでない
宇宙空間でも行われている
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>検察庁の情報開示全国訓示の検察庁長官を許す千葉法務大臣・・・・小沢鳩山4月内在宅起訴??
4月22日
≪最高検は22日、全国の地検や高検に対し、記者会見を実施する際、記者クラブに加盟していない記者が参加することを認めるよう通知した。各省庁で記者会見の開放が進むのに合わせ、これまでより開かれた会見の実施を目指すことにした。
通知によると、地検では次席検事が毎週または2週間に1度のペースで、新たに定例の記者会見を実施し、検察として発表することがなくても質問に答える。また「社会の耳目を集めるような重大事件」の着手や起訴、判決があった場合には、次席検事や担当部長が臨時に会見を実施し、発表や質疑応答をする。「臨時の記者会見を開くまでもないと判断される事件」では会見に代えて発表資料を配布。高検や最高検は定例の会見はしないが臨時会見や資料配布をする場合がある――としている。
これまでは各地の記者クラブに所属する新聞・通信・テレビなどの記者に限って参加を認めてきた。今後の参加対象者について最高検は記者クラブが選ぶ方法や、各地検で基準をつくる方法を提案。基準案として(1)日本雑誌協会や日本インターネット報道協会の会員社の記者(2)十分な活動実績のある外国記者やフリー記者――などを挙げ、事前に登録する方法を示した。
今回の方針について最高検は「情報の伝達手段が多様化しており、より多くの国民が情報に接する機会を設けるため」と説明。記者クラブ以外の記者から参加の要望が増えたこともあり、昨年から検討してきたという。
小沢一郎・民主党幹事長の資金管理団体をめぐる政治資金規正法違反事件では、東京地検特捜部による説明が不十分との批判も出ていた。
>検察庁の情報開示全国訓示の検察庁長官を許す千葉法務大臣・・・・小沢鳩山4月内在宅起訴??
花言葉・・・・・・私を忘れないで、誠の愛
薄い瑠璃色で中奥部が黄色の可憐なる花。
青春ソングで誰の唇にも微笑が蘇る歌。
寅さんの妹でない倍賞美恵子そのものを彷彿。
此花に 勿忘草と 言う名あり
25日は沖縄総決起集会の普天間の日
この国にとっては国家の未来に向け国防に関する議論を沸き興さねばならぬ日。
ただし奇怪なる動きと鳩山総理の政治信念からして
敵は本能寺にあり。
ナニが腹案徳之島なもんか。
・・テニアン、サイパン、グアム・・・
メディアが先走り政府の意志を無視してかってに不安を煽り複雑な動きにこそは
政治を俯瞰するに十二分である。
金銭面のツメみが暗礁にあるゆえの混乱であろう。
ズバリッ!
交渉は山場にある。
キーマンハダレッ!??
「ルース大使と岡田大臣」
爺目はそう睨んでいる。
実に三重の人は原論派
日向弁の「バンジョウガネ岡田大臣」
の役割が大きい。
ゼニのやり取りで最後のツメにあるんであろう。
平野官房長官や防衛大臣の田舎芝居の役割
三人の弁護士らの人々の無能ぶりも演出?
日向の人福島瑞穂大臣の普天間移転先の国外固持。
ダブル選挙で騒乱の仙石大臣、
検察庁の情報開示全国訓示の検察庁長官を許す千葉法務大臣。
もうひとりの弁護士は食うに食えない。
中央に出てこずひたすらローカルに徹するのが
宮崎のそのまんまにないところで大物。
新党ブームの中でファシズムの匂いがする怖い動きにある大阪弁護士橋下知事
特権階級職種に見られる勘違いに似ている。
いわゆる頭脳明晰と、政治的な勘の働きは、どうやらまったく別物と証明している。
三重の人遠藤寛子(1931年 - )は教師から児童文学作家。
稀覯本で僅かに国立国会図書館に残る忘れ去られたものを蘇えさせた功績は大である。
流石に近江商人に並び称されるDNAが成させた業か。
その著作も算盤高い地域性の血筋ゆえか『算法少女』という和算書。
正確には復刻版区分けであろうか。
安永4年(1775年)に出版された和算書。
ソレの特徴が語られるのは・・・
当時の和算書で唯一著者が女性名義になっている貴重な本ゆえ。
その紹介がある。
父親は壺中隠者、娘は単に平氏とあり同時に章子の印章があると記す。
著者「壺中隠者」の正体については長く不詳であったが後に研究が尽くされ
数学史家・広島の人三上義夫の研究によって医師千葉桃三と確定された。
(この広島の人三上義夫は独学で中等教員検定に合格後に東大大学院に在籍。、
関孝和を中心に日本と中国の数学関係史などを研究、
1923年の論文「文化史より見たる日本の数学」は科学史を文化史としてみた世界初の論文)
和算書『算法少女』が刊行された時代背景としては、
その6年前の明和6年(1769年)田沼意次が老中格に昇進し田沼時代が本格化した。
鎖国令が緩和され諸外国の進んだ文物が日本に入ってきた。
安永3年(1774年)、杉田玄白、前野良沢らによる『解体新書』が著された。
経済力をもった町人庶民が文化を発展させる一方、地方では飢饉から一揆が引き起こされた。
その結果困窮民が都市部に流入し、貧富の差が増大した。
和算における多くの成果は各流派の中で秘伝とされ続けてきた。
久留米藩主・有馬頼徸
は関流算術を学んだ
1769年(明和6年)に出版した著書『拾璣算法』
において関流の秘伝を公開し、和算文化の向上に大きな貢献を果たした。
また、幕末の長谷川寛監修、千葉胤秀編の『算法新書』(1830年(天保元年))では、
初歩から最先端の結果までを丁寧に解説した
23日NHKテレビ00:45 深夜確か再放送のタイムスクープハンター
「“算額”頭脳バトル」を見た
このことで記憶が結びつく。
「遺題」(イダイ)という。
和算家 自身は「好み」と呼んでいたらしい。
江戸時代、和算家が数学書の中に解答をつけず問題だけを提出して、
後世の人にその解答を求めた問題。
板に書き神社ナゾに奉納された。
和算は放浪者が居て
剣術の修行者の如く算術を教えて禄を食んだ人々が「遺題」良く掲げたのである。
より優秀なものが「遺題」を解きその村の新たな塾長となった。
任期より和算の実力
枡添元大臣が自民党を離党して新党を作りきれず婿入りするが如しである。
ただしこの場合は世論調査で踊らされて数字の勘違いの有頂天。
総理になる人気NO1の世論調査と煽られ自民総裁を目指してたのに
勘違いで追い出された如くである。
覆水盆に返らず。
ここにも特権階級職種に見られる勘違いに似ている動き。
繰り返すが、いわゆる頭脳明晰と、政治的な勘の働きは、どうやらまったく別物と証明している。
神社に奉納される額に和算愛好家のものがある。
『例題で知る日本の数学と算額』森北出版に記録が残る。
1997年(平成9年)に行われた調査結果では日本全国に
975面
の算額が現存とアル。
これら現存する算額で最も古いものは栃木・佐野市の星宮神社にあり、
1657年(明暦3年)に掲げられたとされる。
その算額を扱った小説として遠藤寛子『算法少女』がある訳だ。
幕末、海軍伝習所で教えた外国人教官の追憶によると、
日本人は代数の理解は早かったが、
幾何は中々進まなかったという。
義務教育も満足にない爺目が高等教育高一で代数は楽しんでも
幾何で進まなかった如くである。
和算愛好家は小作人でさえ今の高等教育どころか大学教育算学内容を超えていると
テレビでは言っていた。
辻原登は日経連載の韃靼の馬で紀州粉河寺の兵藤十作に言わせる。
代数の天さん術、
行列に該当する、未知数を消去する伏題
これは世界のさきがけ。
円の計算の円理
微積分学などに通暁
堂島米相場その先物取引で米相場先物をことごとく予測した。
幕末開明派の先駆は水戸であったが結集した政治結社天狗党は徳川政権の手で惨殺され、
政権交代の明治維新期には時流が早く藩が動いたため人材は枯渇した
幕末の最初の流血は長州藩の興した蛤御門の変1864年8月20日(元治元年7月19日)
総指揮者は唯一の久留米藩水天宮神官真木和泉。
現在の京都御苑の西側の蛤御門は今も門の梁には弾痕が残り大河「龍馬伝」現場として当時が偲べる
長州藩は、1863年(文久3年)に会津藩と薩摩藩が協力した八月十八日の政変で京都を追放されていた
さらに池田屋事件で藩士を失った。
二番目に続いた尊皇攘夷論の長州の先駆派家老来島又兵衛、久坂玄瑞。
反対し参加しなかった、慎重派が桂小五郎と高杉晋作ら。
全国水天宮の総本山久留米水天宮神官真木和泉は
水戸学を治め神官として従五位下和泉守の官位
久留米藩主・有馬頼徸は関流算術を治め
1769年(明和6年)著書『拾璣算法』に出版した
藩士、真木和泉は当然学んでる事であろう
真木和泉は安政の大獄によって吉田松陰・橋本左内の指導者をうしなった後の
尊攘派の旗頭とナル。
功績は数限りない。
楠木正成の崇拝者として知られ、今楠公と呼ばれる。
その思想と実践は、のちの湊川神社を始めとする人物顕彰神社の創建や、
靖国神社を始めとする招魂社の成立に大きな影響を与えた。
東京招魂社は1879年(明治12年)靖国神社と改称。
地方の招魂社は1939年(昭和14年)護国神社と改称
言葉の改変は為政者のデマゴギーでもある。
「精神科病院」は2006年10月の精神保健福祉法改正前は、法律上「精神病院」と呼ばれていた。
爺目なんぞの地元では県立単科精神科病院富養園を一定年齢以上はみながいまでも脳病院 という。
北杜夫の「楡家の人々」の作品にある青山脳病院とそのまま描く
斉藤茂吉子茂太北杜夫の青山脳病院である。
歌人茂吉が青山脳病院経営にあたりながら
この青山脳病院内でアララギ派の中心として
「赤光」「あらたま」などの歌集や多くの著作随筆を残した。
小泉竹中の新自由主義経済の蔓延化の自己責任に悩んでる国民生活。
高利貸しの借金に苦しめられたという歌を残している歌人茂吉、青山脳病院長茂吉ならでは。
「茂吉われ院長となりいそしむを世のもろびとよ知りてくだされよ」
青山会館は蘇峰徳富猪一郎の寄付によって、
皇室中心思想のもと皇国民としての徳性と知識の向上、社会教化を目的に創設され、大正14年に開館。
大講堂には2千人もの人が収容できたという。
現在跡地は青山第一マンション
青山脳病院はのちの小泉純一郎の入院記録が残る本院都立松沢病院分院である。
精神病精神分裂病の言葉は2002年に日本精神神経学会総会によって英語のschizophreniaに対する訳語を「統合失調症」
にするというオブラートにつつんだような名称に変更がなされた。
他にも小泉純一郎総理の頃情報遮断の個人情報保護法案をまとめた。
久留米藩水天宮神官真木和泉は爺目の出発点長州にも足跡を残す
日本初の招魂社は現在の山口県下関市に残る櫻山神社で櫻山招魂社、慶応元年(1865年)8月の事である。
漱石の『猫』の中に幼い娘の発言に「招魂社」が登場する。
爺目の幼少時の土地西都・都於郡の城下町の町頭の荒武神社敷地の祭神にある
巨大石碑にも残っているが如くであり招魂祭の祭りは出店も多く賑やかであった。。
真木 保臣(、文化10年3月7日(1813年4月7日) - 元治元年7月21日(1864年8月22日)
墓所は京都府大山崎町。十七烈士の墓。
憂国の士の志の最後の歌
「大山の 峯の岩根に うづみけり わが年月の やまとだましひ 」
日本人脚本家として初めてメジャー映画会社ワーナーブラザーズの脚本査定を通過する。
作品は世界12カ国で上映される。2000年の映画「さくや妖怪伝」
00年講談社ノベライズ「さくや妖怪伝」共著
03年「新さくや妖怪伝・さまよえるオランダ船の伝説」文藝春秋刊
この作家・脚本家の光益公映はその子孫。
寺田屋事件は慶応2年(1866年)の坂本龍馬中岡慎太郎襲撃殺害事件を普通言う。
それだけでない。
もう一つある。
文久2年4月23日(1862年5月29日)に薩摩藩尊皇派事実上の薩摩藩主・島津久光によって
粛清されたと言われる公武合体VS尊皇攘夷の事件がある。
大久保利通は藩主の知恵どころ。
久光には当初倒幕の意志はなく、公武合体派。
このことに不満を持った薩摩藩の有馬新七らは同じく尊王派の志士、真木和泉・田中河内介平野國臣
共謀して関白九条尚忠・京都所司代酒井忠義邸を襲撃することをめざし伏見の船宿寺田屋に集った。
当時寺田屋は薩摩藩の定宿であり、このような謀議に関しての集結場所としては格好の場所だったようである
維新あるいはその後活躍する大山巌・西郷従道・三島通庸・篠原国幹・永山弥一郎らは降伏した。
捕らえられた田中河内介、左馬介父子は薩摩移送船中の際惨殺。
遺体が漂着したのが香川小豆島町。
このオドロオドロしさ
泉鏡花ら大正昭和の文人墨客をふるえあがらせた田中河内介にまつわる霊威譚の連鎖。
史上最恐の怪談実話!?―田中河内介異聞(田中河内介(徳川夢声)
異説田中河内介(池田彌三郎) ほかに作品化されている。
南国放蕩生活の最中の
ブログにこう記述する。
薩摩藩預かりの予定であった千葉郁太郎、中村主計、海賀宮門も途中、日向細島で殺害された。
細島の人、黒木庄八が千葉、中村、海賀3名の遺体を発見しこれを不憫に思った庄八は墓を建て
、その後もその世話を続けた。
決死のときサラシ布を腹に巻く
その内の一人の腹巻
「赤心報国唯四字、黒田家臣、海賀直求」
とあったことから、この墓を「黒田の家臣」と呼ぶ
日向名所絶壁馬ヶ背、クルス岩から近いところにある。
正確には日向市大字細島5番地
墓の脇にある「赤心報国之碑」。
歴史とは本当に皮肉なものだ。
揮毫は山県有朋。
明治24年に寺田屋事件の犠牲者に対して贈位がなされて以来、
彼らへの見方が変わったことの象徴的光景。
墓の脇には香川県から父子の慰霊土が運ばれ、三志士の墓の脇に埋設されている田中河内介父子の慰霊土を埋設した記念碑
その脇には黒木庄八の墓もある。
どうにも 筒井康隆 の 中編小説 傑作「ジャズ大名ジャズ大名 」
黒人奴隷 が幕末の小藩に漂流し、藩主ともどもジャズに酔いしれる。荒唐無稽な作品。
これを原作とした ラジオドラマ と 鬼才岡本喜八監督は映画 も製作した。
爺目はそれぞれ見聞きしている。
何故か。
作品の舞台背景が幕末日向。
1981年1月号「小説新潮」に発表された。
黒人奴隷 が幕末の小藩に漂流し、
藩主とたのしむ。
荒唐無稽な作品。
島崎藤村と懇意であった「芸術新潮」の初代編集長となる宮崎の人・菊池重三郎 は内藤藩北川の在。
小説新潮にもかかわる
名訳としてロングセラー「チップス先生さようなら」がある。
その地細島は良港がり上方江戸を目指す薩摩日向の玄関口
唯一の譜代の内藤殿様の領地内にあるのに他藩の秋月藩宿泊所もあったところ。
この話には後日談がある。
明治2年、明治天皇が大久保利通ら維新の功臣を前にして言う。
「幼少期、田中河内介という者に大変世話になった。
寺田屋事件後、薩摩藩に預けられたと聞くが、その後を知るものはいないか」
維新後、多くの要人を新政府に送り込んでいた薩摩藩では、この事件は絶対に口外してはならない秘密事項。
その場に居た小河一敏が「恐れながら・・・」と事件について奏上をする
、明治天皇は
「それは哀れなことをしたものだ」
と言い、薩摩出身の功臣を見渡して立ち去った。
田中河内介はかつて明治天皇の教育係だったのである。
薩摩藩出身の大久保利通はまさに寺田屋事件の事後処理を行った中心人物
その場で青ざめたという。
この一件で小河は大久保に恨まれ、堺県知事に追いやられる
明治11年、大久保利通が紀尾井坂で暗殺されると、田中河内介との因縁を思い
「ああ、天というのはあるものか」
と言ったといわれている。
潜伏中の西郷隆盛がこの事件のことを聞き終生藩主久光とそりが合わなかったことは語り草。
海音寺潮五郎の作品にもそのくだりは出てくる。
春の読書週間にある。
遠藤寛子『算法少女』あらすじ
浅草寺に友達と参詣に出かけたあきは算額を掲げる一団に出遭う。
掲額しようとしていたのは旗本の子弟水野三之助であった。
三之助は日頃から関流宗統の藤田貞資の直弟子であることを鼻にかけていた。
あきはついその算額の誤りを指摘してしまい三之助の怒りを買う。
一度は折れて事を収めようとするあきだったが、三之助の執拗な追及に父譲りの算法の腕で逆に三之助を論破してしまう。
そのことが評判となり、算法家としても知られる
久留米藩主有馬頼徸
から、
姫君の遊び相手としてあきを召抱えたいと申し込んできた。
屋敷勤めに興味はないものの逼迫する家計を助ける為、貧しい子供たちに算法を教える塾を開く資金を得る為
、あきはしぶしぶ承諾する。
異例の出世と周囲は舞い上がるが、有馬家には三之助の師匠の藤田貞資も家臣として仕えていた。
藤田は関流の面子を守るため、もう一人の算法少女中根宇多を招いて、あきに勝負を挑んできた。
・・・・・・
和算という特異な分野を扱いながら、少女小説として構成され和算の知識がなくても楽しめる。
時代小説として当時の江戸の風俗をたくみに描写しているうえに、
主人公を監視する謎の武士、密書を携えた少年とサスペンス的要素もある。
ラストのどんでん返しも含めて読者を飽きさせない工夫が随所に見られる
岡田大臣と同じDNAの人の作者は
教壇に立つ傍ら児童文学に筆を染める。
数十年を経てなお色褪せなかったのは『算法少女』という言葉の持つ輝きだった。
国立国会図書館に足を運んで復刻版を借りた。
コピー機などまだ今ほどない時代で薄紙をあてて書き写した。
もとより数学は専門の外であった。
数年の歳月を費やし、同僚の教師や多くの人々の協力を得て、1973年に小説『算法少女』は岩崎書店から出版された。
異例なところでは『推理小説の評論家として高名なさる方から』『推理小説作家の会合に出てみないか』と誘われたと
「筑摩書房PR誌ちくま9月号」にある。
月刊誌『数学セミナー』の元編集者亀井哲治郎の尽力により、2006年、
まさに30年ぶりに小説『算法少女』がちくま学芸文庫から復刊される。
2010年に歴史漫画雑誌のコミック乱誌において秋月めぐる画で連載が始まる。
破天荒、荒唐無稽・・
そうならいい事もある。
所詮ブログではないか。
マズは情報拡散。
報道少なきこんな事があるのだ。
「元」
の問題になぞれば済む事でもある。
、
副島隆彦師サイト「学問道場」今日のぼやき 1116番 の記事。
その内容の1部に中国と米国が、近いうち(おそらく5月中あたり)に宇宙戦争(人工衛星撃ち落とし)
=疑似冷戦があるだろうと予測されている。
師に対して賛否両論のブロガーが分かれるのは
ズバリッ!といわれるところにある。
でも米国ドル体制の崩壊のリーマンショックをものの見事に予測とおりであって
爺はそれ以来参っている。
またもや
それが予測ではなく、的中する確率が高くなってきたような記事が時事通信 より配信されている。
ビックリするはなしである。
軍事用無人シャトル打ち上げ=秘密の試験、宇宙兵器開発か-米 4月23日
【ワシントン時事】米空軍は22日、開発中の軍事用無人シャトル「X37B」をケープカナベラル空軍基地
(フロリダ州)からアトラスロケットで打ち上げた。
空軍は計画の詳細を公表しておらず、将来、地球低軌道の人工衛星を打ち落とす兵器にするのではないかとの見方も出ている。
X37Bは航空宇宙局(NASA)のスペースシャトルと同じ再利用型。
全長約9メートル、翼幅約4.5メートルで、スペースシャトルの4分の1ほどの大きさ。
詳しい予測については上記の「学問道場」のリンクをクリックして副島師が述べている。
近いうちに米中どちらかの人工衛星が
「事故」によって爆発したとか
「消滅」したなどという報道があれば、それはおそらくどちらかが撃ち落としたと見ていいだろう。
覇権争いは地上だけでない
宇宙空間でも行われている
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よろしくお願いいたします。
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>検察庁の情報開示全国訓示の検察庁長官を許す千葉法務大臣・・・・小沢鳩山4月内在宅起訴??
4月22日
≪最高検は22日、全国の地検や高検に対し、記者会見を実施する際、記者クラブに加盟していない記者が参加することを認めるよう通知した。各省庁で記者会見の開放が進むのに合わせ、これまでより開かれた会見の実施を目指すことにした。
通知によると、地検では次席検事が毎週または2週間に1度のペースで、新たに定例の記者会見を実施し、検察として発表することがなくても質問に答える。また「社会の耳目を集めるような重大事件」の着手や起訴、判決があった場合には、次席検事や担当部長が臨時に会見を実施し、発表や質疑応答をする。「臨時の記者会見を開くまでもないと判断される事件」では会見に代えて発表資料を配布。高検や最高検は定例の会見はしないが臨時会見や資料配布をする場合がある――としている。
これまでは各地の記者クラブに所属する新聞・通信・テレビなどの記者に限って参加を認めてきた。今後の参加対象者について最高検は記者クラブが選ぶ方法や、各地検で基準をつくる方法を提案。基準案として(1)日本雑誌協会や日本インターネット報道協会の会員社の記者(2)十分な活動実績のある外国記者やフリー記者――などを挙げ、事前に登録する方法を示した。
今回の方針について最高検は「情報の伝達手段が多様化しており、より多くの国民が情報に接する機会を設けるため」と説明。記者クラブ以外の記者から参加の要望が増えたこともあり、昨年から検討してきたという。
小沢一郎・民主党幹事長の資金管理団体をめぐる政治資金規正法違反事件では、東京地検特捜部による説明が不十分との批判も出ていた。
>検察庁の情報開示全国訓示の検察庁長官を許す千葉法務大臣・・・・小沢鳩山4月内在宅起訴??